楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生  ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」 山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

世界最大の花ーショクダイオオコンニャク

2012年05月31日 10時22分03秒 | つれづれなるままに考えること
世界最大の花が咲いたと、

国立科学博物館筑波実験植物園の友人から連絡があった。

五月二十五日に満開になって、ボクの都合では、

5/28にしか行くことが出来ないと話したら、

「その日にはもう萎れているかもしれない」と言われたが、

とにかく行く事にした。

場所は「つくばエクスプレス」で秋葉原駅始発、つくば駅まで行って、

つくば駅よりバスで「天久保2丁目」バス停からおよそ3分と言う案内表示が、

ネットで見る事ができた。

車だと簡単そうで「桜土浦」インターチェンジから数分。

翌日の天気が良かったので、車だと80台ある駐車場も、

入るのにきっと1時間待ちになると思い、

カミサンと二人朝早く起きて電車で行く事にした。

つくば駅に到着して、国立科学博物館筑波実験植物園に行くには、

どのバスで、どの停留所で降りるのでしょうかと、

案内所で聞いてバスに乗り込んだ。

「天久保2丁目バス停」で降りたが、目指す植物園はどこにも見当たらない。

道を聞くにも、人がいない。

交差点の向こうからやってきたリュックを背負った紳士らしき人に聞いた。

向こうの信号を左折して、突き当りが植物園ですよと言う。

その向こうの信号が、はるか先にある。

すぐそこですと言う、田舎の人の「すぐそこ」は、

東京のボクにとっては、はるかに先の方である。

およそ歩いて3分は、ボクには10分であった。

ぼくは5km60分で歩くから、10分はおよそ1km。

炎天下の日差しの下、汗を拭き拭き到着したら、

駐車場は待ちの車の行列であった。

入場料300円で都合二人で600円と思ったら、

65歳以上無料とある。

電車賃一人往復2300円で汗かきながらの見学は、

結構高いものになった。

世界一の花は、日本国内9例目という。


(ショクダイオオコンニャクの花)
朝急いで出たのでカメラを忘れ、携帯電話でカミサンが撮った写真。

余りさえないので、日本国内8例目に開花したショクダイオオコンニャクの花を、

ご覧ください。


photo by hide-san from OCNフォトフレンド(東大理学部小石川植物園で)

花の大きさを、向こうの人の背丈と比べてください。

世界一大きな花がお解りになる事でしょう。



photo by hide-san from OCNフォトフレンド
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わらべ地蔵ー―三千院の庭

2012年05月24日 10時27分28秒 | つれづれなるままに考えること
京都大原 三千院の「往生極楽院」の前庭に、並ぶわらべ地蔵さま。

愛らしくて、つい引き込まれそうになる。

極楽とは、このような所であろうか。


(往生極楽院の前庭)


(往生極楽院の如来様)

(わらべ地蔵1)

(わらべ地蔵2)

(わらべ地蔵3)

(新緑の庭)

(わらべ地蔵3)

南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏!
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大原三千院

2012年05月21日 08時41分09秒 | つれづれなるままに考えること
大原の地は、千有余年前より魚山と呼ばれ、仏教音楽(声明)の発生の地。

念仏聖による浄土信仰の聖地として今日に至る。

創建は伝教大師最澄上人(767~822)が比叡山延暦寺建立の際、

草庵を結ばれたのにはじまる。

別名 梶井門跡、梨本門跡とも呼ばれ天台宗五箇室門跡の一つで、

三千院は皇子、皇族が住職を勤めた宮門跡である。

現在の名称は、明治四年法親王還俗にともない、

梶井御殿内の持仏堂に掲げられていた霊元天皇辰筆の勅額により、

三千院となずけられた。(三千院門跡)


(三千院への道筋にある川筋)


(三千院入り口の石塔、梶井三千院門跡とある。)

(三千院の門と石垣)

(客殿から見た美しい聚碧園)


聚碧園は客殿よりの池泉鑑賞式庭園(ちせんかんしょうしきていえん)で、

江戸時代の茶人 金森宗和の修築と伝えられます。


(往生極楽院)

往生極楽院は、「往生要集」の著者で、天台浄土教の大成者である恵心僧都源信が、

父母の菩提のため、姉の安養尼と共に建立したと伝えられる。

(極楽院を出た庭の如来様)

(金色不動堂)

紫陽花園の金色不動堂は、智証大師作と伝えられる秘仏

「金色不動明王」を本尊としています。

(観音堂)

観音堂には、身の丈三メートルの立像観音観音様がお祀りりされている。

(小観音像)

観音堂の周りには、ご縁を結ばれた方々の小観音像が安置されている。


(三千院出口)


(三千院からの帰り道で見つけた日傘)

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比叡山延暦寺ー東堂(とうどう)

2012年05月19日 10時59分50秒 | つれづれなるままに考えること
駐車場から、少し坂を登ると左手に大講堂がある。

(大講堂)

ここでは僧侶が法華経の講義を聞いたり、

お互いに問答をして勉強する学問修行の道場です。

(一隅を照らそう、大講堂)
入り口に「一隅をてらそう」の石碑が建っている。

人生の一隅を照らそうとしているのだろうか。

本尊は大日如来をまつり、比叡山で修行して一宗の開祖となられた、

浄土宗の法然、浄土真宗の親鸞、臨済宗の栄西、曹洞宗の道元、

日蓮宗の日蓮などの等身大の尊像が安置されています。

比叡山は各宗派の基になっていると言う事を始めて知った。

大講堂を通り過ぎると、長い石段の下に根本中堂がある。

(根本中堂のしだれ桜)

根本中堂を出て、左へ行くと大黒堂がある。

(大黒堂)

かっては政所、食堂とも言われていたようです。

本尊には大黒天、毘沙門天、弁財天の顔を持つ三面大黒天をまつり、

別名出世大黒天ともいわれます。

(戒壇院)

戒壇院は国の重要文化財に指定されています。

ここは僧侶が大乗戒を受ける比叡山中最も重要なお堂で、

わが国で初めて大乗戒坦院を建立すべく、

心血を注がれた伝教大師の没後七日目に勅許を受け、

天長五年(828)第一世義真座主により創建されたお堂であり、

内陣に得戒和尚釈迦牟尼仏と文殊、弥勒両菩薩がまつられ、

年に一度授戒会が行われる重要な場所と言う事だそうです。


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本能寺で消えた織田信長の命

2012年05月15日 10時18分30秒 | つれづれなるままに考えること
比叡山を焼き討ちにした信長。

その最期の地「本能寺」を訪ねた。

(本能寺山門)

京都市の説明では、

(-―前略ー―

本能寺は、天正十年(1581)、織田信長が明智光秀によって襲撃され(本能寺の変)、

自刃した所として世に名高いが、その折、

三十余りの宿坊を構えた大伽藍は灰燼に帰した。

その後、豊臣秀吉の都市計画により、天正十七年(1589)、

現在の地に移転再建したが、江戸時代後期に天明・元治の大火にかかり、

堂宇はことごとく焼失し、

現在の本堂は昭和三年(1928)に再建されたものである。)とある。


(本能寺本堂)


(信長公霊廟)

左のほうに見える供養塔は、信長側近(森蘭丸などの)の供養塔。

(信長の供養塔)

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