楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

吉野山 観て歩る記 2(吉水神社)

2015年05月29日 07時02分15秒 | ひとり歩き旅
(吉水神社)

金峯山寺から―吉野山のいわゆる中千本からー上千本へ向かう途中左手に、
吉水神社の鳥居がある。

看板に世界遺産とある。

[吉野の世界遺産とは、「紀伊山地の霊場と参詣道」は、
「吉野・大峯」、「熊野三山」、「高野山」の3つの霊場と「大峯奥駈道」、
「熊野参詣道小辺路・中辺路・大辺路・伊勢路」と
「高野山町石道」の参詣道で構成されています。]

(世界遺産 吉水神社、その鳥居)

(吉水神社の石柱)


鳥居をくぐると参道の坂を下り、また上ると吉水院の門前に至る。
(吉水神社の参道の下り坂)

(吉水神社の参道のぼり坂、「従是 吉水院」の石碑)

(吉水院門前と「天莫空勾践時非無范蠡」の十文字)


門前右手に「天莫空勾践時非無范蠡」と、
児島高徳の有名な十文字の漢詩がある。
この十文字は、
「天(てん) 勾践(こうせん)を空(むな)しゅうすること莫(なか)れ、
時に范蠡(はんれい)無きにしも非ず」と読む。

これは後醍醐天皇が元弘の変に敗れ、隠岐の島に流される途中、
忠臣 児島高徳が桜の木に刻んだ十文字の漢詩。
後醍醐天皇と忠義の家来 児島高徳の間にこそ理解が出来る漢詩で、
これを伝え聞いた後醍醐天皇は、感動に莞爾として微笑まれたと言われる。
このいきさつは、「太平記」に詳しいと思われる。

また。十文字の漢詩は、中国の春秋時代、
越の国王・勾践と忠臣范蠡の臥薪嘗胆の故事になぞらえて作った詩で、
その史実は、中国春秋の時代(紀元前405年から約370年間)の事らしい。

吉水神社は、昔は「吉水院」といい、
1300年ほど前、役行者が創立した修験宗の僧坊であった。
吉水神社の書院には、兄頼朝の追手に逃れた義経が静御前と弁慶とともに、
この吉水神社の書院に隠れ住んだと伝えられている。

(義経の鎧(重要文化財)

(弁慶思案の間)


また、南北朝年間には後醍醐天皇が吉野に御潜幸になり、
吉水宗信の援護のもとに、へき地の吉水院を南朝の皇居とされた。
南朝五十七年の歴史はここより始まり、
現存する南朝唯一の行宮となっている。

(南朝の皇居の看板がある書院前)

(後醍醐天皇の玉座)


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吉野山 観て歩る記(金峯山寺)

2015年05月20日 09時02分02秒 | ひとり歩き旅
[吉野山]の文字をみて、皆さんは何を思い浮かべられるのでしょうか?

やはり桜? いいえお相撲さん?
それとも和歌ですか、百人一首ですか?
或いは南朝の後醍醐天皇、それとも忠臣の児島高徳?
それとも芭蕉が慕った義経、弁慶、西行法師?
いいえ、もっと後の太閤秀吉の花見?

(吉野山の桜の写真)

いろいろあるでしょうが、
ボクはやはり「下千本から始まる桜、奥千本が花開くころの中千本の葉桜」の新緑、
それに黒蜜と一緒に食べる「葛きり」、
カミさんに言わせるとちょうど筍のシーズン、美味しいタケノコが食べたいそうだ。

(黒蜜と葛きり)


(葛きりのお店)

吉野山観光協会によれば、
(吉野山とは、大峯連山の北の端から、南に約8kmつづく尾根一帯を指します。

また大峯信仰登山の根拠地でもあり、修験道の霊場とされてきました。
霊場「吉野・大峯」と「熊野三山」を結ぶ修行の道は「大峯奥駈道」と呼ばれ、
今日でも修行が行われています。

2004年7月、吉野山を含む「紀伊山地の霊場と参詣道」が、
ユネスコの世界遺産に認定されました。―後略)とある。

大峰山は古来修験道の聖地で、目もくらむような崖の上で、
崖下に頭を向け両足首でさかさまに吊るされる姿で、
精神を統一し、悟りを開く修行をしたと、
子供の頃度々両親から話を聞かされた。
それが桜で有名な吉野山であったとは、この旅で初めて知った。

修験本宗の総本山金峯山寺による説明を要約すると、
(吉野山から大峰山に至る一帯を金峯山と言い、
人々を迷いや苦しみから救い、悟りの世界に導くために、
役行者が(えんのぎょうじゃ)が金剛蔵王権現を祈り出された。
そして、そのお姿を山桜の木に彫刻し、
吉野山にお堂を建ててお祈りをしたのが蔵王堂の起こりであり、
金峯山寺の始まりです。)

吉野川を桜橋で渡り、
本来なら千本口駅からロープウエイで山上駅へ出るところであるが、
観光バスの駐車場まで行く。
ガイドさんの話では、
(桜は上千本から上の奥千本で見ごろのように思います。
奥千本に行くには、上千本まで歩きすぐケーブルバスに乗って下さい。
バスの本数に限りがありますので、帰ってくるのにギリギリです。)と言う。

ボクは歳で、そんなに急ぐのは御免こうむって、
中千本の葉桜で我慢することにした。
しかし群馬県の高崎からおいでになったご夫婦は、
何が何でも吉野山の見事な桜を見たくてツアーに参加したのでと、
急いで、バス乗り場へ向かわれた。
少し進むと、金峯山寺の黒門がある。
次に銅の鳥居が見え、その先の階段の先に仁王門が見える。
養生シートを巡らして工事中である。

(金峯山寺の黒門)

(名勝 吉野山の石柱)

(銅の鳥居)

(金峯山寺の仁王門)


その先へ迂回道路を進むと、右手の階段にある「蔵王堂の石柱」脇を抜けると、
金峯山寺本堂 蔵王堂が見える。

(金峯山 蔵王堂の石柱)

(金峯山寺 本堂)


金峯山寺の本尊は、蔵王権現三体のほか、多くの尊像を安置していると言う。

(蔵王権現の扁額)

(蔵王堂の大提灯)

(提灯下に金峯山寺とある)





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鷹匠と西洋砲術演習(2015315)

2015年05月10日 20時52分36秒 | つれづれなるままに考えること
以前紹介しました鷹匠と西洋砲術演習を2分32秒のビデオに致しました。
どうぞご覧ください。
BGMが入っております。音の調節をお願いします。

鷹匠と西洋砲術演習(2015315)


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造幣局の通り抜け

2015年05月05日 10時07分30秒 | ひとり歩き旅
大阪造幣局の通り抜けは、一生に一度は行って見たい所。

四月十五日 通り抜け最終日の夜桜を見に行ってきました。
すべて八重桜で、今年の桜は「一葉」と言うことになっていました。

(一葉の説明板)

説明板に「一葉は東京都の荒川堤にある・・・」と有ったので、
思い出した。

以前、荒川堤へ散歩に行っていた時、
100本ほどの八重桜が植えてあったことを思い出した。
どなたか桜好きな方が、この荒川堤に桜を植えてほしいと、
遺言により植えたと説明板があって感動したので記憶している。
ボクにとって桜の名前としては珍しい
「ふくろくじゅ」とか「かんざし」とかあった中に、
たしかに「一葉」という名前もあった。

その時、桜の「一葉」は「樋口一葉」から名前を採ったものとばかり思っていた。
なぜなら、本郷の東大の赤門前にある法真寺隣りの「桜木の宿」で、

( 腰衣の観音さま、濡れ仏にておはします御肩のあたり 、
  膝のあたり 、はらはらと花散りこぼれて、・・・)と、

一葉が書いた花は、八重桜だったらしいからである。

いつもの事ながら前置きが長くなったが造幣局の桜は八重桜で、
夜桜であったことも手伝い、良い写真が無い。

(夜桜1)

(一葉)

(夜桜の雪洞)


夜桜見物の酔客狙いの屋台が所狭しと並んで、
ここで稼がなきゃいつ稼ぐとばかりに大阪商人のど根性が見え隠れする。

(屋台1)

(こんな屋台がずらりと並び迷子が出る始末)

(川べりに並ぶ屋台)


大阪造幣局の通り抜けの出口近くに、
造幣局で造っている貨幣の「おせんべい」ひと箱500円也は、
孫たちに格好のお土産。(大阪商人のど根性と一緒に。)

(一円玉)

(五円玉)

(10円玉)

(50円玉)

(図案「桐」の500円玉)

(図案「桜」お馴染みの100円玉)


100円玉の図案の「桜」は八重桜ではないが、造幣局通り抜けの桜は何故か八重桜。
これは大阪人の「おとぼけ」に違いない。

最後に太閤さんの大阪城の夜景がとてもきれいであった。

コメント (13)
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