楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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アルバム 2ーお祝いの言葉

2003年11月11日 10時20分00秒 | つれづれなるままに考えること
(お祝いの言葉)

結婚式はめでたくて、
美味しい御馳走が出て、
何よりも昼間から御酒をいただけるのがうれしい。

しかし、祝辞を述べなければならないとなると、
少し勝手が違う。
何と言っても祝辞を述べてしまうまで、
お酒なんか飲んでいられない。
何回 経験があってもやはり緊張する。
まして、同じ会社の同僚や、上役がいたりして、
その人の前で祝辞を述べる時は、なお気が重い。

しかし、そこのお嬢さんや御子息の場合があるから止むを得ない。
祝辞は何種類か用意をしていて、
それを順繰りに話していけば好いのだが、
招待客の中に披露宴席で何回か御一緒した人がいると、
新しい祝辞を作らねばならない。

たいていの場合は、前日に原稿を用意する。
用意すれば大体頭の中に入るので、
当日式場につくまでの乗り物の中で一度読み返せば、
後は現場で緊張を上手く解けばよい。

100人ほどの人前では、
いつも学生に授業をしている大学教授でも、
緊張で祝辞が前に進まず、
司会者が上手く助けたりすることがあるほどである。

一種独特の雰囲気に飲まれてしまうのであろう。
それは自分でも時々感じる。
緊張を解くには、
「冒頭に緊張しているということを白状してしまう」ことにしている。
どういう訳か、とたんに緊張が解ける。

時に祝辞は、次のようなものもある。

(沢山の先輩、御親族の皆さんの前で、
いささか緊張しております。
おめでたい結婚式ですので、
大目に見ていただきますようお願いします。

○○さん!結婚おめでとうございます!

今 私は 結婚してもう数十年になるボクの友人を思い出しておりました。
彼が結婚して数年経ち、
お子さんが、確か小学校の一年生になった夏のある日、
ひょっこり夫婦で、我が家を訪ねてきまして、
「ボクが結婚祝いでプレゼントした絵皿をもう一度もらいたい」
といってきました。

ボクが「どうして」と聞くと、
実は息子さんが小学校へ入って、
友達の間で夫婦喧嘩の話が出たらしい。
ところが息子さんは夫婦喧嘩という言葉が解らなかったので、
家に帰って、奥さんに訊いたというのです。
友人夫婦は大変仲が良くて夫婦喧嘩を一度もしたことがなかったので、
息子さんは夫婦喧嘩という言葉を知らなかったのですね。

友人は大変教育熱心な男でしたので、
夫婦で相談して、夫婦喧嘩を実演し、
息子さんに夫婦喧嘩はどんなものか教えることにしました。
その晩夫婦で「明日の朝、夫婦喧嘩をしよう」と決め、
もう要らなくなった茶碗やお皿など食器類を、
投げつける用意までして、
翌朝を待ったのですね。

翌朝、友人が出かける前に、
急に大声を張り上げて、喧嘩のまねをして、
用意してあった瀬戸物類を奥さんが投げつけて、
ガラガラと音を立てて割ったりして、
大立ち回りをしたらしいのです。
それで友人は、ぷいと会社へ出かけたら、

息子さんが残った奥さんに

「これが夫婦喧嘩なの?」と訊いたということです。

これで息子さんの教育は
「めでたし めでたし」で終わったのですが、
実は瀬戸物類を投げて割った時に、
食器棚の前に飾ってあった、
ボクが結婚祝いにプレゼントした絵皿も、
間違って投げて割ってしまったというのですね。
だから、もう一度プレゼントしろといってきたのです。

「どんな皿だった?」ボクが聞くと
それは、武者小路実篤の署名入りで、
かぼちゃなど野菜の絵が描いてあり 
「仲良きことは美しきかな」 と書いた絵皿でした。

新郎新婦の○○さん!どうか 
この友人のように、末永く仲良く、
そして豊かで明るい家庭を築かれますように!
今日は本当におめでとうございました!)

で終わります。

さて、この話は、実は友人になぞらえて、
話を進めるのですが、
実は私たち夫婦の息子が、
小学校一年生の時の実話なのです。

自分の話では、いかにも自慢たらしいので、
友人の名を借りたのです。
しかし、思えばこの夫婦喧嘩のお芝居以外に、
私たち夫婦は、いまだ喧嘩をしたことがありません。

もう間もなく結婚57年を迎えるというのに!
私たち夫婦は、お互いよほど鈍感なのでしょうか?

古いアルバムを整理していて、こんな祝辞を思い出した。


コメント (2)
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