1958年社会人になった、ボクの若い頃の話。
安給料で、下宿代(朝晩二食付き)を払うと、
一か月の昼食代とタバコ代でいっぱいいっぱいであった頃を思い出す。
スーツも下着も、靴下も買えず、せっせと洗濯した記憶があります。
給料日には、帰る途中の甘い物屋さんで、
ミツマメを食べるのが唯一の楽しみでした。
時々先輩から「飲みに行こう」と誘われても、
「お金が無いから」と断りますと、
先輩が「俺のおごりだ」と言われてついて行く、
そんな情けない日々が続きました。
暮れの12月に貰ったボーナスが給料の5か月分も出て、
一息つきました。
先輩に聞くところに依りますと、
一年生は貰えるボーナスは基準の60%、二年生になると80%、
三年生になって、やっと一人前の100%もらえるとのこと。
つまり年収は月給の倍以上に跳ね上がる。
ボーナスの多い、業績がうなぎ上りの会社であった。
3年目になると仕事にも東京にも慣れて、
夜になると酒場通いが始まった。
その時、流行したのが安いトリスバーであった。
今、
「ウイスキーが お好きでしょう
もう少し しゃべりましょう
ありふれた 話でしょ
それで いいの 今は・・・」
この歌が流れると昔通ったトリスバーが思い出される。
今でもハイボールはトリスを美味しく楽しんでいる。
安給料で、下宿代(朝晩二食付き)を払うと、
一か月の昼食代とタバコ代でいっぱいいっぱいであった頃を思い出す。
スーツも下着も、靴下も買えず、せっせと洗濯した記憶があります。
給料日には、帰る途中の甘い物屋さんで、
ミツマメを食べるのが唯一の楽しみでした。
時々先輩から「飲みに行こう」と誘われても、
「お金が無いから」と断りますと、
先輩が「俺のおごりだ」と言われてついて行く、
そんな情けない日々が続きました。
暮れの12月に貰ったボーナスが給料の5か月分も出て、
一息つきました。
先輩に聞くところに依りますと、
一年生は貰えるボーナスは基準の60%、二年生になると80%、
三年生になって、やっと一人前の100%もらえるとのこと。
つまり年収は月給の倍以上に跳ね上がる。
ボーナスの多い、業績がうなぎ上りの会社であった。
3年目になると仕事にも東京にも慣れて、
夜になると酒場通いが始まった。
その時、流行したのが安いトリスバーであった。
今、
「ウイスキーが お好きでしょう
もう少し しゃべりましょう
ありふれた 話でしょ
それで いいの 今は・・・」
この歌が流れると昔通ったトリスバーが思い出される。
今でもハイボールはトリスを美味しく楽しんでいる。
ウイスキーが、お好きでしょ (完全版) K6n6BPqNU9U
トリスを半ダース給付金の一部で購入・・・・。
十万円、日常品で使うと、使っても使っても、なかなか減って行きませんね。