楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

一笑(おくのほそ道番外記)

2016年01月30日 07時05分00秒 | 芭蕉の旅
「一笑」の題字を見て、何を思い出すだろうか?

一笑(いっ‐しょう)、
・ちょっと笑うこと、にっこりすること。(例、破顔一笑する、のように)
・ 一つの笑いぐさにする。笑って問題にしない。(例、うわさを一笑する、のように)
・周りの笑いものになる。(例、意見が一笑を買う、のように)
以上は国語の辞書にある。

ここでは「一笑」は人の名前、俳号を指す。
小杉一笑、また通称茶屋新七といい、
加賀俳壇の有力者、芭蕉の来訪を待たずして亡くなった。
芭蕉もこの俳人に逢うことを大変期待していた。
その模様が描かれている。

「奥の細道」で松尾芭蕉は金沢に一笑を訪ね、
次のように、

「一笑というものは、この道にすける名のほのぼの聞こえて、
世に知人(しるひと)も侍りしに、去年(こぞ)の冬、早世したりとて、
其兄(そのあに)追善を催すに、

・塚も動け 我泣声は 秋の風

ある草案にいざなわれて

・秋涼し 手毎にむけや 瓜茄子(うりなすび)

途中吟

・あかあかと 日は難面(つれなく)も あきの風

と記している。

ボクの勝手な解釈によれば、

(一笑と言う人は、俳句の道に優れた人として、
 世に知れ渡っているので、
 逢いたいと思っていたが、
 芭蕉の来訪を待たずに、昨年の冬、一笑は早世したと言う。
 逢いたい人であったが、逢うこともかなわず残念に思っていると、
 その兄が、一笑の墓のあるお寺で冥福を祈って、
 句会を催してくれた。

 そこで詠んだ芭蕉の句、

 ・塚も動け 我が泣く声は 秋の風

 【秋風となって墓(塚)を揺さぶるぞ、
   あなたを悼む心にたかぶる私の泣く声で】

こんな意味であろうか、激情がほとばしり出ている・・・。




コメント (20)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日でお別れ

2016年01月27日 17時07分59秒 | 日記


友人は 静かに眠りについた

霊魂(たましい)はきっと 遠い空の上

空は冷たいだろうが

ボクは元気を出して 歩むから

君も笑顔で 眺めていてくれ




君が好きだった菅原洋一の歌を唄ってもらうから、
静かに口ずさんでおくれ。



今日でお別れ。菅原洋一



作詞:なかにし礼

♪今日でお別れね もう逢えない

泪を見せずに 居たいけれど

信じられないの そのひとこと

あの甘い言葉を

ささやいたあなたが

突然さよなら 言えるなんて



今日でお別れね もう逢えない

あなたも涙を 見せてほしい

何も言わないで 気安めなど

こみあげる涙は こみあげる涙は

言葉にならない さようなら

さようなら ♪



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロダン

2016年01月23日 06時48分39秒 | 日記
上野の国立西洋美術館の前庭には、ロダンの彫刻が並んでいる。

今年は気温が高いせいもあり、前庭の梅の木も満開だ。
その横にロダンの「考える人」の彫刻がある。

(梅の木とロダンの「考える人」)


「考える人」の彫刻は何回も見ているが、
梅の木を見ながら、そう言えば考える人の表情を見たことが無かった。
それはボクだけのことかもしれない。

「考える人」は、手に顎を乗せうずくまった格好で、
沈思黙考している男性像が見事で、有名だとばかり思って、
全体像は見ても、細部をまじまじと見たことが無かった。

顔はどんな顔で、手の平はどんな形で顎を乗せているのか、
今回まじまじと見てしまった。

ボクが考えるときは、手の平に顎を乗せるのであるが、
彫刻は、手の甲に顎を乗せている。

そして顔は、ボクなら焦点の定まらない目で、
茫然としているに違いないが、
ロダンの彫刻は、下から写真を撮るボクをじっと見つめているのだ。


(「考える人」の手と顔)


髪の毛はどうだとか耳はどうだとかいろいろ眺めてしまった。

他に「地獄の門」「アダム」「エヴァ」の像もある。

アダムとイヴは実物を描写した訳ではなく、
人間の生身を描写したものであろうが、
実に忠実に細部にわたって見事に彫刻されている。

聖書によれば、神は最初に「アダム」を造り、
アダムのあばらを一本抜いて「イヴ」を造った。
エデンの園で二人は何不自由なく暮らしたが、
ある日、神が「決して食べてはならない」と云った禁断の木の実を、
悪魔にそそのかされて「イヴ」が最初に食べ、
「イヴ」に進められてが「アダム」が次に食べた。
これを知った神は、二人に罰を与えた。
女は永遠に子供を産む苦しみを、
男には永遠に働く苦しみを与えた。
以来、全裸で過ごしていた二人は前を隠すようになった。

その話をロダンも知っていたに違いない。
エデンの園で生活していた二人を想像し、
前も隠さないでその像を造っている。

これ等は、上野の国立西洋美術館の前庭にあるので無料で見学できる。

(地獄の門)

(アダム)

(エヴァ)


上野公園から帰る途中にカエルの噴水を見つけた。
カエルと(帰る)を洒落たわけでもないだろうが、
ずいぶんとぼけた顔で水を吐き出している。
(かえる)




コメント (11)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016年01月19日 08時46分16秒 | 日記
先日誰も気が付かない初雪があったばかり、
作日(1/18)は本格的な雪になった。

朝、3:30、外が明るいので、そろそろ夜が明けるかと外を見たら、
一面、真っ白。

天気予報は凄い正確になった。

気象予報士の国家試験に受験しようと思ったら、
カミさん曰く、「そのお歳では無理よ」と軽くいなされてしまった。

中学生が合格してテレビだ話題になるくらいだから、
この年で合格したら、きっとテレビで取り上げてくれるだろうと言うと、

「取り上げてくれるどころか、合格が無理よ」と言う。
今のところ断念しているが、誰にも解らないように勉強して見ようか、
昨今考えている所です。

さて天気ですが、今日は西日本が怪しくなりそうで、
東京は快晴の見込みです。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

正岡子規記念球場

2016年01月16日 06時00分45秒 | 日記
正岡子規は野球を日本に広めるのに一役買った人である。

上野公園に正岡子規を記念した野球場がある。

(正岡子規(1867~1902)は俳人、歌人、随筆家であり、
現在の愛媛県松山市で生まれた。

名は常規(つねのり)。
子規は、明治時代初めに日本に紹介されて間もない野球(ベースボール)を愛好し、
明治19年頃から23年頃にかけて上野公園で野球を楽しんだ。
子規の随筆「筆まかせ」には、明治23年3月21日午後に、
上野公園博物館横の空き地で試合を行ったことが記されており、
子規はこの時捕手であったことが解る。(中略)

ベースボールを「弄球」と訳したほか「打者」「走者」
「直球」などの訳語は今も使われている。
これらの功績で平成14年に野球殿堂入りをしている。

上野恩賜公園開園式典130周年を記念して、
ここに子規の句碑を建立し、
野球場に「正岡子規記念球場」の愛称が付いた。)
(台東区教育委員会)とある。

正岡子規の句碑には、

・春風や まりを投げたき 草の原   子規

とある。



(正岡子規の句碑)

(正岡子規記念球場)

(野球場で練習に励む球児たち)

(野球場で練習に励む球児たち2)


コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Potora!  NTTグループ運営!