楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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「箱根八里」と江岸寺(旧中山道を歩く 番外記2)

2005年02月19日 10時19分00秒 | つれづれなるままに考えること
「箱根八里」と江岸寺(ごうがんじ)

{写真付をご覧になりたいの方は、下記URLをクリックしてください。
URL:http://hide-san.blog.ocn.ne.jp/bach/2005/02/post_4.html

♪箱根八里♪
(一)
箱根の山は 天下の険 函谷関(かんこくかん)も物ならず
万丈(ばんじょう)の山 千仞(せんじん)の谷
前に聳(そび)え後(しりえ)に支(さそ)う
雲は山をめぐり 霧は谷をとざす
昼猶(なお)闇(くら)き杉の並木
羊腸(ようちょう)の小径(しょうけい)は苔(こけ)滑(なめら)か
一夫関(いっぷかん)に当るや万夫(ばんぷ)も開くなし
天下に旅する剛毅(ごうき)の武士(もののふ)
大刀(だいとう)腰に足駄(あしだ)がけ 八里の岩ね踏み鳴らす
斯(か)くこそありしか往時(おうじ)の武士(もののふ)

(ニ)
箱根の山は 天下の阻(そ) 蜀(しょく)の桟道(さんどう)数ならず
万丈(ばんじょう)の山 千仞(せんじん)の谷
前に聳(そび)え後(しりえ)に支(さそ)う
雲は山をめぐり 霧は谷をとざす
昼猶(なお)闇(くら)き杉の並木
羊腸(ようちょう)の小径(しょうけい)は苔(こけ)滑(なめら)か
一夫関(いっぷかん)に当るや万夫(ばんぷ)も開くなし
山野に狩りする剛毅の壮士(ますらお)
猟銃(りょうじゅう)肩に草鞋(わらじ)がけ 八里の岩ね踏み破る
斯(か)くこそありけれ近時の壮士(ますらお)

「箱根八里」の歌も、これだけ仮名を振らなければ、
読んでもらえない文字が沢山ある。
歌っている人たちの中で、詩の内容をどれだけの人に、
理解されているのか、首をかしげる。

何時だったか箱根に旅したとき、バスガイドさんが「箱根八里」を歌った後、乗客に質問をした。

この詩の作者は誰か御存知の方いらっしゃいますか?
と訊かれた。

残念ながら、乗客の中に答えられる人はいなかった。
その作詞者の墓が、本郷通りにある。
作詞者の名を 鳥居 忱(とりいまこと)という。

駒込の冨士神社を出て、六義園に向かう途中の左側に、
江岸寺(ごうがんじ)という名のお寺がある。
このお寺は曹洞宗 江岸寺(ごうがんじ)といい、
開基は鳥居忠政であり、鳥居家の菩提寺である、と案内にある。

鳥居忠政は徳川家康の忠臣で、三方が原の戦いや
長篠の合戦で功を挙げた武将である。
その子孫に鳥居 忱(とりいまこと)がいる。
鳥居 忱(とりいまこと)は藩の奨学生として、
大学南校(後の東大に当たる)に学んだ。
卒業後、音楽伝習生としてアメリカの教師メーソンに
洋楽を学ぶ。東京音楽学校の教授のかたわら、
多くの作詞を手がけた。中でも鳥居 忱作詞「箱根八里」は
滝廉太郎が作曲して、多くの人に愛唱された。
その鳥居 忱はここ江岸寺に眠る。(文京区教育委員会)

お墓を一所懸命に探したが、とうとう見当たらなかった。残念!







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