楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

日本人の宗教知識(2)

2012年02月28日 10時38分02秒 | つれづれなるままに考えること
アメリカに留学している姪の娘からの質問、
「何故、日本人は自分の宗教について知らないのか」
どうしてか教えて欲しいと、メールが来た。

たまたま、鎌倉時代を知るために、鎌倉の勉強をしていたら、
本の15ページ目でストップしてしまった。
何故かと言うと、鎌倉を知るのには仏教を知らないでは、
前に進めないからである。
日本の宗教は、殆んど鎌倉時代から始まったと言ってよい。

 真言宗や天台宗は仏教なのに密教と言って、
何故仏教と言わないのか?
世に広まった仏教は法然の浄土宗、
 爆発的に広まった浄土真宗、
どうしてこんなに急速に広まったのだろうか?

 先ず、密教である。
何故仏教と言わないのだろうか?
 お釈迦様は、涅槃に入られてから、
真理の中に彷徨い楽しんでおられた。
そのときの教えを伝えたのが密教という。
秘密の教えである。
 これでは庶民は理解に苦しみ、
仏教は広がらなかった。

そこへ法然上人が、これでは難しすぎるからと、
「南無阿弥陀仏を唱えれば、極楽浄土に行ける。」
 と説いた。

「南無阿弥陀仏」は「どうぞお釈迦様極楽へ行かせてください」
と言う意味である、と説いた。
 だから何度も何度も事あるごとに
「南無阿弥陀仏」を唱えれば良いのだ。
ずいぶん簡単である。
 庶民は法然上人を慕い、
「南無阿弥陀仏」を唱え、
浄土宗に帰依した。

 (つづく)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本人の宗教知識(1)

2012年02月24日 10時21分32秒 | つれづれなるままに考えること
アメリカのテネシー大学から英語でメールが届いた。
読んで見ると姪の娘からで、内容は次の通りであった。

(今、アメリカで勉強しているのですが、
私宛に出た宿題、
「なぜ、日本人は自分の宗教について知らない人が多いか?」
を出されて困っています。
 チイママ(自分のお婆ちゃんをこう呼んでいる)に聞いたら、
「おじさんに聞きなさい」と言われたので、
メールします。)とあった。

ボクにメールするのに何故英語で?と思ったら、
アメリカのパソコンには日本語がないので英語です、と言う。
いつアメリカに行ったのか知らないが、
自分の意思をすらすらと英文に出来るようになっているとは、
驚きであった。

もっと驚いたのは、留学から帰って、
母校で留学中の出来事を英語で報告しろと先生に言われて、
沢山の生徒を前に冬なのに浴衣姿で、
二時間に渡って英語で講演したと、
聞いたことであった。

キリスト教のクリスマスやヴァレンタイン・デイ。
初詣の神様。
お葬式の仏教。
日本人は誰もが、この道を通る。
どれもが将来の極楽往生(天国行き)を願ってである。
どれもこれも宗教の上っ面を知っているだけで、
内容を良く知っている訳ではない。

外国人には、この日本人が理解できない。
彼らは、仏教、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教など、
自分の信ずる宗教がはっきりしており、
その宗教について良く知っており、
日常的に信仰心を表わし、
行動にも基礎としての宗教がある。

しかし日本人は殆んどが仏教なのに、
一部を除いて、仏教について殆んどの人が何も知らない。

仏教は大乗仏教と小乗仏教があるが、
日本の仏教はどちらですか?
真言宗、天台宗は仏教なのに何故密教と言うの?
「南無阿弥陀仏」ってなんですか?
お年寄りがぶつぶつ「なまんだぶ」って唱えているが、
どうして「南無阿弥陀仏」を唱えるのですか?
答えられない。

それを知っていて、アメリカの教授は姪の娘に、
「何故日本人は自分の宗教を知らないのか」と言う題で、
レポートを出すように、姪の娘に云ったに違いない。
姪の娘も分からないから、おばあちゃんのチイママに聞いたら、
これも答えられなくて、ボクに聞けと振ったに違いない。

当たり前のことであるが、
実はボクも以前は知らなかった。

 (つづく)


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

散歩道

2012年02月21日 10時41分19秒 | つれづれなるままに考えること
毎朝、約4kmの散歩をする。
見慣れた景色は、別に気にも留めないでいた。

しかし、始めて歩く人には、結構良い景色が見えるものらしい。
あるとき孫娘に話すと、一緒に歩いてみると言う。
道順で、孫娘が目を見張った景色を順に紹介しよう。

真正面に「サンシャイン・タワー」が見える。
サンシャイン60=60階の建物が、意外に近く見える。

(正面にサンシャイン60が見える)

次に近所のコンクリート団地脇にある公園だ。
毎朝、お年寄りがベンチに腰かけて、
朝食だか昼食だか食べている。
ホームレスではないようだ。
お弁当の時もあれば、カップ麺の時もある。
スズメやハト、時にはカラスも側にやってきている。
少しはおこぼれを頂戴するに違いない。
この公園をボクはトロイの木馬公園と名づけている。
木馬があるからだ。
今は寒いが、暖かくなると子供連れで賑合う場所でもある。

(トロイの木馬公園)

(ボクが名づけたトロイの木馬)

(周囲に広がる団地)

次がマンモス団地の中央にある公園である。
日曜日には、金網に囲まれたグラウンドで、
少年野球の練習が行われる。
指導者の怒号が飛び交う。
「はしれ!もっと早く!」
「腰を落として、体でボールを受けろ!」など。
夏は新緑が美しく、
秋はモミジ、イチョウの紅葉が美しい公園である。
今は、お年寄りが手塩にかけた、花が植え込まれている。

(中央公園)

(中央公園の中の金網グラウンド)

次は、自然観察公園、スポーツの森公園である。
自然観察公園は、木や草を自然のままにして、
湧水もあり、池もあり、森になっている。
小鳥たちの天国で、今はジュウシマツ、カワセミ、鴨、
メジロ、etc.まもなく鶯も鳴く公園である。
カワセミは人気でカメラマンや野次馬で人だかりする時もある。

(自然観察公園入り口)

(森の中の公園)

(流れもある)

(流には小鳥も集まってくる)

(池あり田圃あり、秋には小学生が稲刈りをする)

その隣はスポーツ公園で、
夜間照明が付いたサッカーグラウンドがある。
その隣には、小さな子供用に芝生が広がっており、
今は枯れているが、夏には芝生のグリーンが美しく、
子供たちが転げ廻るのにちょうど良い。

もちろん滑り台から鉄棒、ブランコも揃っている。
大人のストレッチ体操が出来る用具も揃っている。
体を吊り下げる鉄棒、腹筋体操を知る台、
背中をそらせる半月板、平行棒などなど。

(芝生の公園、滑り台が見える。)

人工芝がいつも青々としたサッカー場は、
土日は朝からゲームがあって、
最近はアマチュアとは言え、なかなかプロ並みである。
公園を一周して、今来た道を帰るが、
およそ一時間。
平均歩行数7千歩、約四キロでしょうか。

もちろん前回紹介した「善徳寺」も途中にある。

(サッカー場の観覧席)

(公園の池、ネコヤナギの春が見える)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

十度の宮

2012年02月20日 11時05分31秒 | つれづれなるままに考えること

(舟渡氷川神社)

荒川から500mほどの所に、氷川神社がある。
浮間公園から西へ300mと言った方が判り易い。

現在地は板橋区舟渡の地にあるが、
この地に、往古より「十度の宮」と呼ぶ石祠が祀られていた。
なぜ「十度の宮」というのか、

(舟渡氷川神社の神殿)
板橋区教育委員会の説明によると、
(十度の宮の名称は、洪水のために何度も流されながら、
十度この地(舟渡2-18番)に戻ってきたと言う伝承による。
この石祠の正面には「奉修造立氷川大明神御神宝前」また左面には、
「万治二年(1659)六月十五日」と刻まれている。
ところが昭和八年頃中山道改修工事の際、
この石祠は、蓮根の氷川神社内に移された。
ーー後略)

(十度の宮)
説明板を要約すると、
中山道改修工事で「蓮根」(地名)へ移されたものが、
またここへ戻ってきた、という。
つまりどこかへ移しても、「十度の宮」の謂れの通り、
また舞い戻ってくる、と言いたかったのである。

なかなか面白い言い伝えではある。

神殿前の狛犬)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

浮間公園の池

2012年02月19日 11時29分47秒 | つれづれなるままに考えること

(JR浮間舟渡駅)
我が家からおよそ2kmの所に、浮間公園がある。
この公園の前に埼京線の駅「浮間舟渡(うきまふなど)」がある。

どうしてこんな長い駅名になったかというと、
駅そのものが板橋区舟渡と北区浮間の区境にあるからだ。
駅もそうなら、浮間公園の池も中心線の左右で、
板橋区の北区に別れる。

(浮間公園、左の風車があるほうが板橋区)

どうしてこうなったかと言うと、
実はこの浮間公園の池は元荒川であったからである。
その昔、荒川の流芯を境に板橋区と北区に分かれていたという経緯がある。
荒川は大きく曲がりくねっていたため、
大雨が降るたびに氾濫していた。

(中央の浮間公園、現在の地図)

そこで明治になって治水事業が進められ、
曲がっている荒川を直線のし、
さらに上流から一本別の流れを造った。
荒川放水路と以前は読んでいたが、
現在の荒川である。

浮間公園の池は川の名残である。
地図をごらんいただければ納得いただけよう。
放水路が出来る前の荒川は、
現在新河岸川と呼んでいる曲がりくねった川であった。
手書きした地図の頂点が今は戸田橋であるが、以前は戸田の渡しであった。


(治水前の荒川を手書きした)

(板橋側の戸田の渡し跡)

(現在の荒川の流れ)

(現在の戸田橋と埼京線の鉄橋、この右側に戸田の渡しがあった)
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Potora!  NTTグループ運営!