楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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お茶(人、その生と死と 3)

2005年12月24日 09時33分00秒 | つれづれなるままに考えること


(お茶)
最近、(お茶を飲みたいなあ)と思うと、
カミさんが
「お茶でも入れましょうか」という。
ボクが、お茶を飲みたいと思っているのが、
どうして分かるのだろうと思う。

ボクの動作に、何かそんな素振りでもあるのだろうか?
あるいは、知らぬ間に「喉が渇いた」といっているのだろうか?
カミさんに一度聞いてみようと思う。

ボクが小学生のころ、
姉たち(三人の姉が居たが)が何かの話で、
「お茶を飲むと色が黒くなる」からあまりお茶を飲まないほうが良い、
と話していたのを父が聞きつけて、
「お茶を飲むと色が黒くなる」
という言葉は使ってはならぬと叱ったことがある。
父の剣幕があまりにも険しかったので印象に残っている。

昔の道楽は(飲む、打つ、買う)の三つで、
これを三業といった。
少し前まで歓楽街のことを三業地といったのは、
このことを指している。

飲むは、酒を飲むで、
打つは、ばくち、
買うは女を買う、
である。

今時、女を買うなんていうと、
すぐお叱りを受けるが、1956年までは
堂々と店を張って、売春するお店があった。

利用したことは無いが、ボクが知っている範囲では、
東京では吉原、新宿二丁目、名古屋では中村が有名である。
まだほかに大阪や神戸、横浜など、あるに違いない。

ボクは名古屋の中村という地名のところで育った。
東京で出身は?と聞かれ「名古屋です」と答え、
「名古屋のどこ?」と聞かれて「中村です」と答えると、
一様に男性の皆さんは(にやり)としたものである。

名古屋の「中村」は、二つのことで有名である。
一つは、秀吉が幼名 日吉丸の時代に腕白な遊びをした場所として有名で、
ボクは日吉丸が産湯を使ったという井戸があるお寺の近くで育った。
一つは、「名楽園」なる買春宿が立ち並ぶ遊郭があったからである。
我が家から十分も歩けば行くことが出来た。

その昔、尾張徳川家が、
江戸の吉原を真似て造ったといわれる
由緒ある(?)歓楽街だ。
名古屋駅前にある「笹島」という地名が物語るように、
昔はこの一帯は笹が生い繁る沼地で、少し高台になったところが
島に見えたので、「笹島」といったそうであるが、
その一帯に歓楽街を造成したといわれる。

その歓楽街の娼婦たちが、
「今日はお茶っぴけ」とか
「あまりお茶を飲むと色が黒くなる」
という言葉を使うと父は言った。
父はこの遊郭を管轄する警察署の警官だった。

父の話によれば、
「お茶を挽く」というのは、
お客が来なくてひまだから、
その間に「お茶の葉を挽く仕事をさせられた」から出た言葉で、
この場合「お茶」は「お客」を意味する。
お茶を挽く=客足が引いて の意味になった。
姉たちが「あまりお茶を飲むと色が黒くなる」といったのは、
グリーンティを飲むと肌の色が黒くなるという意味で使ったのだが、

花柳界では、
「あまりお客に接すると色が黒くなる」の意味だというのである。
つまり、沢山の客と性行為をすると、
女性性器が黒ずむという意味だというのである。
だから未婚の若い女性が
「そんな言葉は使ってはならぬ」と父は叱った。

父はボクが就職して二年目に他界したことは以前書いたが、
思い起こせば、父にしろ、母にしろ、
いろんな大切な言葉を子供たちに残している。

(親の意見となすびの花は、千に一つの無駄も無い)
(子を知るに、親にしかず)
(この親にして、この子あり)
(子を見れば、親が分かる)
(孝行をしたいときには、親はなし)
(子を持って知る、親の恩)
(天知る地知る、わが身知る)
(壁に耳あり障子に目あり)=
(良いことも、悪いことも、誰も知らないであろうと思っても必ず誰かが見ているものだ)etc.
成人するほどに身にしみて感じることが多い。

昔の親は子供の修身教育にいろんなことを教えたものだが、
果たしてボクはどの程度、子供に残したか思い浮かばない。






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時の氏神(人、その生と死と 2)

2005年12月20日 19時18分00秒 | つれづれなるままに考えること


(時の氏神)
ワンマンで通してきたボクも、
定年で毎日が日曜日となれば、
42年も連れ添ったカミさんにも、気を使うようになる。
同時にカミさんは毎日居る亭主のボクに
見張られているように感じるようで、
何かと気にしている様子であった。
数ヶ月もたつとお互い好きなことをして一日を過ごすようになって、
お互い気にかけることが少なくなった。

一日のうち二人同じ事をしている時間は、
朝食と夕食(時々昼食)のとき、
同じテレビ番組を見るとき、
食材を買いに行くとき、
月に一回、嫁いだ娘と昼食を共にするとき、
外国旅行をしている全行程、
夜寝ている間、などなど。

それにしても、考えてみると意外に少ない時間である。
夫婦の会話が多いのは、
普通夕食のとき、寝入る前というが、
我が家の二人の会話は、朝食時が多い。
だから朝飯の時間が一時間も掛かってしまう。
時に意見が合わず喧嘩別れになると、
その日一日、気分が悪く、
夕食時まで持ち越すことになる。

ボクが言い過ぎたと思うときは、
相手がどの程度ダメージがあるか、
ジャブを出す。
つまり、他愛の無いことを話しかけて相手の反応を見る。
カミさんが言い過ぎたときは、
しきりにご機嫌を伺ってくる。
お互い以心伝心というか、どうしたいか分かるので、
綺麗さっぱり、
明るく応対することにして、わだかまりを解いて行く。

これで終わりである。
夫婦というのはなんて便利なものだと最近思う。

結婚当初の若いうちは、なかなか仲直りが出来なかった。
よる布団に入って、手が触ったり、足が触ったりして、
当然の成り行きでHをすることになり、
その時、悪かったほうが「ごめん」といって、
喧嘩は終わりになった。

夫婦喧嘩は時の氏神というが、
仲裁役の氏神は実はHであったなんて
犬も食わないに違いない。






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気兼ね(人、その生と死と 1)

2005年12月18日 17時49分00秒 | つれづれなるままに考えること


(気兼ね)
精神的に、人は弱いものである。
数日前に左歯茎が腫れて痛んだので、
近所の歯科医を訪ねた。

診察してもらう前に、診察してほしい内容と、
病歴と現在服用している
薬剤の記入を要請された。
病歴は悪性リンパ腫、狭心症、糖尿病。薬剤はそれに対応する薬で、
医師から見れば、あまり感心できるものではない。

診察して歯科医が言うには、
「歯茎を切開してしまえば簡単に症状を軽く出来るのですが、
病歴が病歴ですので、現在掛かっているところで、
診てもらってください。
そちらに病歴の資料がありますから、
切開の可能性を判断できるでしょう。
OKがでれば、その病院で切開するもよし、
私どもで切開も出来ますので、
またお出でいただいても結構です。」と。

「三年間生存率 30%」を宣告されて、
もう四年目が過ぎようとしている。
ガンはいつ再発するのか分からないが、
三年経過したときから、
いつも頭の底に再発の恐怖がある。
ちょっとした風邪で頭が少し痛いとき、
便秘が一日長い時、
お腹を触ってしこりがある時、
ガスが溜まっているだけなのに少しお腹が痛いとき、
すぐガンの再発ではないかと、恐れおののく。
人の心は弱いものである。

毎月一回ガンの定期健診があるが、先月も問題なかった。
冗談交じりで「あと十年は生きたいですね」と話したら、
生真面目な先生はにこりともしないで、

「それは無理でしょう」という。
お世辞にでも、
(摂生すれば可能性がありますよ)
くらい言ってほしいのが患者の立場だ。
それだけにほんのちょっとした
事でも、すぐガンの前兆ではないかと考えるのが人情というもの。

だから歯茎が腫れたって、
すぐ頭に浮かぶのが(ガンの再発か?)
と考えるのも当然というもの。

どうしてかというと、
ボクがガンで入院する半年前に、
カミさんの従姉妹の亭主が、
口腔ガンに罹り、半年入院していた。
その従姉妹の亭主が、
三年半後の今年の夏にガンが再発して亡くなったから、
余計感じやすくなっている。

先日、その従姉妹と昼食をともにする機会を得た、
カミさんと同席で。
彼女は、以前より髪を短くし、
亭主が健在なときより表情が明るくて、
目が輝いていた。
カミさんとの会話の中に、
「主人が亡くなって、何の気兼ねもする人が居ないので、自分の
好きなことが出来る」って言葉があり、
ボクの気持ちに引っかかった。
「この12日から二週間パリにいる娘のところへ行ってくるの」とか、
「携帯電話を買い、友達とメールのやり取りをし、
昼食の約束をしたり・・・」とか言っている。

何十年も連れ添った亭主にさえも、
彼女は気兼ねをして自由に振舞えなかったのだ。

確かに、夫婦というのは、
お互い好き勝手なことを言っていると、
意見が食い違ったところで衝突が起きるから、
ある程度のところでお互い妥協している。
言葉を変えれば気兼ねしている。
男と女とどちらが多く気兼ねしているかといえば、
両方きっと同じであろうと思う。
夫婦の力関係や人柄によって、気
兼ねの度合いは異なるに違いない。
また、懐の大きい人は、気兼ねを懐にしまいこんで、
気兼ねを気兼ねとも思っていないに違いない。
懐の狭い人は、ちょっとした気兼ねでも、
大きな負担に感ずることだろう。
男女どちらが沢山気兼ねをしているか、
どちらとも決めかねる事柄である。

一ついえることは、
沢山気兼ねしている人の連れ合いは、
気持ちよく毎日を送り、
気持ちよく毎日の仕事をこなしているに違いない。
気持ちよく毎日を送らせている当のご本人は、
気持ちよく送っている人の恩恵に浴しているのだから、
さらに幸せといえるだろう。
沢山気兼ねしている人とさせている人と、
どちらが幸せなのか分からないが、
夫婦と言うのは大なり小なりこんな関係で成り立っているのだろう。

気兼ねが無くなって、
ああしよう、こうしよう、
ときらきら輝き、大きく羽ばたいているように見える従姉妹も、
実は、目の前で、しきりに気を使っているボクのカミさんがうらやましくて、
ボク達と別れた後、
ポツンと一人になった時、
亡くなった亭主を思い出して、

ひそかに涙ぐんでいるのかも知れない。








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