楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生  ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」 山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

コンピューター

2012年12月29日 10時04分44秒 | つれづれなるままに考えること
ボクは1966年、半年間、
日本IBMへ通って、
コンピューターの勉強をさせられた。

自社にコンピューターを導入する事になったからである。
一般の大企業の中でも、
まだコンピューターはあまり導入されていなかった時代。

「0」と「1」、あるいは電気が「通じる」「通じない」の組み合わせで、
例えば円周率は、小数点以下「京」の桁まで、何分で計算できる。
人が数十年かかる計算をものの数分で計算する、などもてはやされた。

そのうちに「0」と「1」の組み合わせで、
例えば「01」が「あ」、「001」は「い」を表す、と言うようにして、
「あ」から「ん」まで、記号化できるようになった。
勿論漢字も表記でき、各国の言葉も表示できるようになった。
「0」と「1」の組み合わせで、どんな計算も出来、
囲碁の世界も、コンピューターに原理を教え込めば、
名人にも勝つ事が出来る。
もし負けるようなことがあれば、
それは、コンピューターに教え込んだ量が足りなかったと言うことだ。
今に、コンピューターは、組み合わせた理論を元に、
新しい仕組みを勝手に作り出し、
正しい手法はどれか、創出する事が出来るようになるかもしれない。

いや、一部はもう出来ている。
例えば、前面に物体があると、それを感知してブレーキがかかり、
どの重さのものは何メートルで止める。
自動車に使われている。

などと考えると、世の中、今後どのように発展していくのだろうか?
楽しいのか、悲しいのか、よく解からない。
考えるのはもう止めにして、楽しく生きる事にしよう。

「楽しんでこそ人生」ではないか。


皆さま この一年 いろいろ有難うございました。

良いお正月を迎えられますよう

お祈りします。

コメント (7)

日本語

2012年12月26日 10時42分24秒 | つれづれなるままに考えること
日本人と言う誇りがあるので、
ボクは日本語を極力使うようにしている。

日本人の癖に、なまじかじった外国語を得意げに使う人がいるが、
ボクは苦手であるというか、外国語を誤って使っていないか気になって、
極力使わないようにしている。

とくに、パソコンが一般化してからは、
しきりに外国語が話の中に出るようになった。
一番解かり易いと言うのか解かり難いと言うのか、
使われているアクセスと言う言葉。

「映画館までのアクセス教えてください。」

「アクセス」って何ですか?意地悪なボクは言う。

「access」のことである。
辞書を引くと、これは「接近、近づく道」などと載っている。

この場合、「映画館までの道順教えてください」になる。

ボクに言わせれば、恰好つけないで

「どうやっていくの?」の方がよほど良い。

ボクも使っているがパソコンの「URL」って?

「Uniform Resource Locator」のことだ。

Uniform Resource Locator(ユニフォームリソースロケータ、URL)
または統一資源 位置指定子(とういつしげんいちしていし)は、
インターネット上のリソース(資源)を特定 するための形式的な記号のこと。

何のことかさっぱり判らない。
ネット上の住所のようなもの、と言うと少し解かり易い。

ボクは今年(2012)3月で101歳になった叔母がいる。
何かの会話のなかで、101歳の叔母の娘が、
「インターネットで探して意味が解かった」と話したら、
101歳の叔母が「インターネットって何ですか?」
と訊ねた。
71歳の娘は答えられない。
答えられないけれどコンピューターを使っているから、
何であるかは解かっている。

それで叔母に解かるように説明を試みた。
「インターナショナルと言うのを知っていますよね。
ナショナルは国のことで、あらゆる国をまたいでと言う意味で、
(国際的な)というのですが、
それから言うとネットをまたいで、
ネットとは、髪にかけるネットを思い出してもらうと、
解かり易いのですが、電波のネットが地球を覆っていて、
その電波に乗って世界中の人と意見を交換できる。
それがインターネットです。」と話したら、
うんうんと頷いていたが、101歳の叔母さん、
本当の所、何処まで理解できたか怪しい。
もっとも、ボクの説明もいささか怪しいが・・・


話が脱線してしまった。
ボクが言いたいのは、
日本人は出来るだけ日本語を使ってほしいと言う事だ。
「アクセス教えてよ」と言うより、
「どうやって行くの?」の方がよほど解かり易いし、
第一このほうが可愛くてよい。

ボクは英語とスペイン語による文学を勉強した。
学校卒業時には、殆んど理解できた。
とくに英語は、辞書の80%は日本語に出来るくらい。
年老いた母が、
「〇〇と言う漢字どう書くの?」と聞かれて、
英語の辞書を引いて日本語訳を出し「こう書きます。」
と見せると納得していた。
その時以降、
英語の辞書から漢字を出してもらえるのが楽しいらしく、
度々字を訊かれた。

そんなことで余計気になる、
意味も知らずに外国語を使うことが。

カステラは元はスペインの一地方の名であるが、
ポルトガル人が紹介した菓子であるため、
ポルトガル語と覚えている人が多い。
立派な国語ー日本語の先生でさえそう思っている。

「pao de castilla」=「カスティーリャ地方のパン」と
ポルトガル人はポルトガル語で伝えた。
「カステラ」⇒「カスティーリャ」はスペインにある地方の名前をさす。
日本語で例えると「長野県のパン」の「長野」と同じ意味である。

しかし「pao de castilla」となると、ポルトガル語なのだ。
だから間違いやすい。

孫たちが、英語を習う年頃になって、難しい難しいと言う。
難しいわけである。
母国語の日本語が、追求すればするほど難しいのだから、
他国語は、なお、難しいのは解かりきっている。
だから、せめて日本語くらいまともに話せるように、
しっかり勉強してほしいと願っている、爺ちゃんである。

コメント (5)

遊行柳(芭蕉の道を歩く 33)

2012年12月23日 10時49分25秒 | ひとり歩き旅
(遊行柳)


(那須・芦野)
国道294号線は一面の田畑の中を行くが、
芦野に入ってすぐ左側に、空に向って一握りの柳の塊あるのが見える。
「遊行柳」云われるもので、芭蕉は「清水流るるの柳」といっている。
「清水流るるの柳」は、思慕する西行の歌、

・ 道の辺に 清水流るる柳蔭 しばしとてこそ 立ちどまりつれ

から取ったものだ。

(西行法師の歌碑)


一方で「遊行柳」は謡曲「遊行柳」から出たものといい、
謡曲史跡保存会の説明によると、
(その昔、諸国巡歴の遊行上人が、奥州白河の関のあたりで、
老翁に呼び止められ、「道のべに清水流るる柳かげ」と西行法師が詠じた、
銘木の柳の前に案内され、
そのあまりに古びた様子に、
上人が十念(念仏)を授けると老翁は消え去った。
念仏を唱え回向を続ける上人の前に、夜更け頃、
烏帽子狩衣の老翁が現れて、
「遊行上人の十念(念仏)を得て、
非情の草木ながら極楽往生が出来ました」と喜び、
幽玄の舞を通して、念仏のご利益を見せる名曲。
-中略―
星移って遊行十九代尊皓上人巡化の折、
老翁姿の柳の精が出現して、
上人を案内したとのいわれから、
やがて「遊行柳」と呼ばれるようになったと言う。
柳は以来何代にも渡って植え継がれてきた。)
とある。

国道294号線を行くと、左手に「遊行庵」があり、
無料休憩所、駐車場も完備されているので、
ここに車を止め、200mほど田んぼの中を歩く。
「那須町指定史跡 遊行柳」の標柱がある。

(遊行庵)


(遊行柳への道案内)

(田圃の中の道の標柱)


「おくのほそ道」の原文には、

(芦野の里にありて、田の畦に残る。
このところの郡守戸部某(とべなにがし)の、
「この柳みせばや」など、折々にの給ひ聞こえ給ふを、・・・)


とあるように、今でも田の中の畦道を行く。
柳は石の鳥居に沿って植えられており、
鳥居は奥に見える大銀杏の木に囲まれた
温泉神社の参道に植えられたものである。

(石の鳥居の向こうにある温泉神社の大銀杏)


この原文にある「この所の郡守戸部某」は、
この地域を所領にしていた領主、
19代芦野民部資俊(あしのみんぶすけとし)を指しており、
芦野氏の菩提寺である建中寺は遊行柳の近くにあり、
山上の立派なお寺の墓地に、
石垣に囲まれ苔むしたお墓が現存している。

(建中寺の本堂)



(建中寺の鐘楼)

(芦野民部資俊の墓がある丘の紅葉)


(芦野民部資俊の墓)


また、この柳の下に芭蕉句碑、

・田一枚 植えて立ち去る 柳かな  芭蕉

があり、
その反対側に西行法師の「道の辺に清水流れる・・・」の歌碑がある。
そして、この歌碑の背後には与謝蕪村の漢詩仕立ての句碑

・ 柳散清水涸石処々(やなぎちり しみずかれいし ところどころ

の俳句がある。

(芭蕉の句碑)


(与謝蕪村の漢詩風の句碑)


車を停めた遊行庵にもどり、家路に付いた。
PM15:30で帰京したのが18時であった。

(墓地のある芦野の丘の紅葉)


・招かれし 芦野の丘に 落ち葉かな  hide-san


(*)この後、東北は雪のため、「芭蕉の道を歩く」のは、
2013年春の雪解けを待って再開したいと思います。
コメント (8)

高久角左衛門と高福寺(芭蕉の道を歩く 32)

2012年12月19日 10時01分53秒 | ひとり歩き旅
(芭蕉が二泊した高久)


(那須・高久)
黒羽の城代浄法寺図書邸から家来の角左衛門への紹介状を携え、
芭蕉は那須の「殺生石」を見ようと出かけた。
途中、雨のため、紹介された高久の角左衛門家に二泊している。
角左衛門は高久の地にあって、名主であった。

現在、4号線旧道に沿って「芭蕉二宿の地」の石柱があり、
三軒ばかりの民家が建っている。
南隣に小さな公民館があるので、その空き地に車を駐車させてもらう。
公民館から歩いて「芭蕉二宿の地」を通り越して、北へ数十メートル先に、
(那須町史跡 芭蕉翁塚 「杜鵑の墓」)の白い標柱と説明案内が建っている。
奥をのぞくと、階段の先に芭蕉翁塚の上に覆いがある。
(*)杜鵑はトケンと読み、ホトトギスの中国名。

(芭蕉翁塚の標柱)


那須町教育委員会の案内を要約すると、
(黒羽の桃翠宅からきた芭蕉は、雨で高久に二泊し、
「殺生石」を見るために那須湯元に向ったのを記念して、
角左衛門の孫青楓が、芭蕉の碑を建て、「杜鵑の墓」と称した。
「落ちくるやたかくの宿の時鳥 芭蕉」の句を、角左衛門に授けた。)とある。

標柱の場所から小高い所の奥に「芭蕉庵桃青君碑」の碑が建っている。
ずいぶん古い碑のようで碑文が漢文で書かれているようであるが、
判読できないと、旅のガイドブックにあるが、
正面の「芭蕉庵桃青君碑」以外は、左右背面には何も文字らしきものは、
見当たらなかった。立て替えられたものかも知れない。

(芭蕉翁塚、奥に碑が見える)


(芭蕉庵桃青君碑を撮っているボクの影が映っている)


芭蕉翁塚の場所より、南へおよそ1kmの左に、
高久家の菩提寺 高野山 高福寺があるが、
参道を入った本堂手前の広場に、松の木がある根元に句碑がある。

(高福寺参道中央の松)


「高く村庄屋が
 家に宿りて
 落来るやたかくの
  宿のほととぎす
 一と間をしのぐ
  ミじか夜の雨 曾良」
とある。

(松の木の根元にある句碑)


曾良の俳諧書留によると、
芭蕉が角左衛門に授けた句文は、

(殺生石見んと急ぎ侍るほどに、
雨降り出ければ、先、此処にとどまり候。
・落ちくるやたかくの宿の時鳥  翁
   木の間をのぞく短夜の雨  曾良)


であり、碑文が間違っている事がわかる。

このあと、芭蕉は「清水流るるの柳」(遊行柳)を観るために、
那須町芦野に出かけている。

・二泊せる 高久の里に かかる月  hide-san
コメント (12)

高齢者運転講習会

2012年12月17日 10時10分42秒 | つれづれなるままに考えること
11月終りころ、高齢者運転講習会に行って参りました。

この講習を受けないと自動車免許証の更新が出来ないのです。

何のためにこんな事をするのかと言うと、

1.年齢によって動作の速さや正確さが変化するからです。

2.記憶力・判断力の変化

3.視覚機能の変化

4.聴覚機能の変化

5.体力やバランス感覚の変化

があるからなのです。


一言で言うと、認知症あぶり出しのテストです。

ボクは、3.4.に問題がありました。

3.は、視力0.6で、めがねを作り替える必要があります。

4.は高音が聞こえにくい。でも、これは今では耳が聞こえない人も、

免許が取れるので問題なし、です。


さて、認知症テストですが、イラストを16個見せられて、

イラストに何があったかを、①思い出して答える。②にヒントを貰って答を書く。

ボクは記憶力に関しては、人より優れていると今まで思っていましたが、

どっこい、①のテストでは、以外に思い出せないものです。

②のテストでは、ずいぶん思い出す事が出来ました。


全体として、これほど記憶力が低下しているとは思いもよりませんでした。


思えば、さっきの信号器、青で通過したかどうか、

思い出せない事が度々あります。

青は進め、赤は止まれですから、青色以外では通過できませんから、

どの信号も青色で通過してきていると思われますが、

思い出すとなると、思い出せません。

事ほど左様に、記憶力は無くなっているのです。

「気を付けよう一時ストップと夜の道」

なんか「痴漢を避けろ!」の標語みたいですね。

年配者は、事故を起こしやすいので、注意しましょう。
コメント (6)