楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

建長寺(鎌倉五山の第一位)

2015年07月31日 07時26分16秒 | ひとり歩き旅
建長寺は巨福山建長興国禅寺(こふくさんけんちょうこうこくぜんじ)と言い、
鎌倉五山の第一位だから、臨済宗建長寺派の大本山、
相当立派な禅寺に違いない。

円覚寺が第二位であれだけ立派だったのだから、
見るべき塔頭(たっちゅう)も多いに違いない。
そう思ったが意外に質素なたたずまいであった。

北鎌倉駅から歩いておよそ十五分。
建長寺の交差点に着いた。目の前に建長寺の門がある。
西外門で「天下門」と言う。
掲げられた扁額に「天下禅林(てんかぜんりん)」とあり、
中国明代の書家によるものと言う。
「人材を広く天下に求め育成する禅寺」の意味で、
鎌倉五山の第一位の建長寺を象徴する言葉である。
天下門とは良く名づけられたものだと感心する。

写真を撮り忘れたので、拝観料の領収書をご覧ください。300円でした。

(建長寺の「天下禅林」の拝観領収書)
(建長寺交差点)
(天下門)

天下門をくぐると中は広場になっており、
普段は観光バスの駐車場に出もなるのであろうか、
左側に土塀を巡らし、中ほどに門がみえる。

(創建当時の伽藍配置は、中国宋時代の禅宗の寺院を模したらしく、
総門・三門・仏殿・法堂・方丈などの主要な建物が直線に並んでいた。
14・5世紀の火災で多くを焼失したと言う。
江戸時代に入って、高名な沢庵禅師や金地院崇伝の進言、徳川幕府の後援により、
再建復興し、平成十五年の創建750年事業によって
現在の姿を迎えました。)(建長寺)
建長寺の現在の姿は、どう見ても古いものなのに、
12年前に、この姿になった、とは思えない。

中ほどに見える門が、総門で、巨福門とも。
ここには「巨福山(こふくさん)」の扁額が架かっている。
これは、建長寺第十世住職一山一寧の筆によるもので、
「巨」の字の中央に筆勢による一点を加えた「巨+ 、」の漢字とし、
余分な「点」が書き加えられているが、百貫の価を備えた。
世に百貫点と言い、価値ある点と言う。
写真の扁額「巨福山」の点をよ~くご覧ください。

(総門)
(巨福山の扁額)

巨福門を過ぎると、三門(国重要文化財)があります。
(三解脱門の略で、空・無相・無作を表し、
この三門をくぐることによって、
あらゆる執着から解き放たれることを意味しています。
安永4年(1775)に、
第201世住職 万拙碩誼(ばんせつせきぎ)が、
関東一円から浄財を集めて再建したもの。
階上に釈迦如来・十六羅漢・五百羅漢を安置し、
「福山はすべて松間を閉じず無限の清風来たりて未だ已まず」とあり、
建長寺はあらゆる人々に門を開放していることを表しています。)(建長寺)

(三解脱門)

その右隣に鐘楼があり、国宝の梵鐘がぶら下がっております。
(梵鐘には、銘文の中に「建長禅寺」と入っており、
建長七年(1255)に鋳造された名鐘。)(建長寺)

(鐘楼)
(梵鐘)

鐘楼前の道を挟んで、仏殿との間に前裁として、
参道の両脇に柏槇の古木があります。
その古木の中に、幹回り7m、創建当時から760年の歳月と、
幾多の火災の生き抜いた貴重な木がある。

(創建当時からある柏槇の古木)

この古木の先に仏殿(重要文化財)がある。
(建長寺の本尊 地蔵菩薩を安置し法要を行うお堂です。
正保4年(1647)徳川二代将軍秀忠の夫人
小督(おごう)の方(崇源院)の霊屋を、
東京・芝増上寺から移築したもの。)(建長寺)

(仏殿)
(御本尊地蔵菩薩)

仏殿の後ろ側に法堂(重要文化財)があります。
(法堂とは、住職が仏に代って須弥壇上で説法するためのお堂で、
本来仏像を祀りませんが、
今は、千手観音菩薩を祀っています。)(建長寺)

仏堂裏手の法堂)
(法堂)
(法堂の天井絵)
(法堂の千手観音菩薩)

法堂の後ろに方丈があります。
(中央にきらびやかな唐門(勅使門、重要文化財)、勅使が出入りする門があります。
ここで言う「唐」は、中国式と言う意味ではなく、
屋根が唐破風(反曲した曲線状の破風)になっている門のことで、
元は、増上寺の崇源院霊屋の前にあった門である。)(建長寺)

右手に方丈の出入り口、大玄関があります。
その左手、つまり唐門の後ろに方丈があります。
ここはご存知住職の住まいでした。

(唐門)
(右手の方丈の大玄関)
(方丈入口)

唐門左に。お手洗いがあるが、その横に咲いていた花菖蒲が美しかった。

(花菖蒲)

      「たった一度の人生!
               楽しんで終わりたいものです!」
                                                                               hide-san

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コスモスとキキョウ

2015年07月28日 07時12分08秒 | 日記
コスモスもキキョウも、夏のお盆過ぎの花と言うイメージが強い。

つまり秋の花だ。

コスモスは「秋桜」、キキョウは「桔梗」と書く。

桔梗は端正な感じがボクは大好きである。

(キキョウ)


一方でコスモスを見ると、思い出すのが、さだまさしの「秋桜」を歌った山口百恵さん。

歌は、

♪淡紅の秋桜が秋の日の
 何気ない陽だまりに揺れている・・・♪

で始まるように、やはり秋の花だ。

(コスモス)


確かにうすべにの秋桜である。

いつも感心するが、さだまさしの歌(詩)は、よく観察された内容だ。

お嫁に行く前の娘と母親が実に好く表現されている。

ヒットする理由がここにありそうだ。


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円覚寺 舎利殿と如意庵の外国人

2015年07月24日 07時07分53秒 | ひとり歩き旅
円覚寺方丈で座禅を組むお嬢さんを見て、裏手の庭園を拝観し、
奥へ進むと左側に虎頭岩のある池、妙高池にでる。
新緑の中にブルーの花菖蒲が美しく感じたが、虎は感じなかった。
禅の域に達すると、虎の頭が見えてくるのだろうか?

この池の向こう岸に、虎の頭に似た岩があると言うのだが、
写真では、左手の岩が虎の頭に見えるでしょうか?
どう贔屓目に見ても虎の頭に見えない。

(花菖蒲と対岸の虎頭岩がある妙高池)

(虎頭岩はどれだろう)


その先石垣の前に(従一位 北条時宗公御廟所)の石柱が建っている。
石柱左には「舎利殿」の看板が立っている。
石垣は左へ続いており、石段を上って、奥に門が見える。
門の左には大きな板に、(臨済録提唱)と書かれており、
右には(座禅道場ニ付キ立入ヲ禁ジマス)と白く書いてある。
その手前に「佛牙舎利塔」の小さな石碑がありますが、
写真が小さくて見えにくいですね。
佛牙とはお釈迦様の歯が納めてあると言うのですが・・・。
門の奥、正面には国宝の「舎利殿」がある筈ですが、
階段だけですね、見えますのは。

(「従一位 北条時宗公御廟所」の石柱と「舎利殿」の看板)

(石垣と奥の門)

(門前右手に「佛牙舎利塔」の小さな石碑がある)

(門の正面、奥に見えるのが「舎利殿」)


この舎利殿は、廃寺になった鎌倉尼五山の一位であった(大平寺)の本堂だったそうです。
大平寺の本尊は駆け込み寺の東慶寺にある木造聖観音菩薩立像だそうです。
なお東慶寺は鎌倉尼五山の第二位だったそうです。

(大平寺の本尊だった木造聖観音菩薩立像)


北条時宗御廟所の石柱のある右手に(如意庵)の石柱があり、
休憩所とあるから、お休みするのにちょうど良いと思い、
階段で上に登って行くと屋根付きの門がある。
門の先の玄関前に(喫茶メニュウ)が置いてある。
なんだ、円覚寺内の喫茶室かと中へ入る。
ボクは畳の部屋は苦手で、ちょうど出てくる人が居たので聞くと、
「畳の部屋もありますが、お茶を戴くところは椅子とテーブルの所もありますよ」
の返事だったので、靴を脱いで中へ入る。

(如意庵の石柱)

(階段と入口の門)


中はしもた屋風で、お座敷と縁側があり、縁側に椅子とテーブルが4組ほど並べてあり、
お座敷には座卓が並んでいる。

先客は驚くことに西洋の外国人ばかり3組が入っていた。
なぜ驚いたかと言うと、メニュウにお汁粉とかアンミツとか抹茶とか、
およそ日本人用のメニュウが日本語で縦書きに並んでいたからだ。
見ると左隣の方は、男性2人が抹茶を頂いたらしく、
抹茶茶わんとお菓子皿が置いてある。
さらに奥の席は金髪のお嬢さん二人で、何を召し上がっているかは不明。

右隣は若い男女で、テーブルの脇に大きなリュックをおろして、
しきりにカメラで庭を狙っている。
庭は若葉の盛りで、まぶしいようであるが、
お茶をいただくには格好の雰囲気である。

ボクたち夫婦は、お汁粉を頼むことにした。
カミさんは暑いのに熱いお汁粉、
ボクは冷たいお汁粉を頼んだ。
冷たいお汁粉と言うのはどんな味がするのか知りたくて。


左隣の二人の外国人男性は、静かにお抹茶を、
それなりの雰囲気でたしなんでいる。
金髪のお嬢さんたちは、お手洗いに立ったようである。

ところが右手の二人の外国人男女は、
注文したものがなかなか来ないらしく、
リュックからピーナッツらしきものを出して、ポリポリ。
その内にお腹が空いたのか、大きな声で何か話しながら、
今度はバナナを取り出して食べ始めた。

そこへボクたちにお汁粉が届いた。
給仕の和服姿の女性に、
「食べ物屋さんのなかでは、そのお店が出すものしか食べてはいけないのでは?
それがマナーだよね。」
と話すも、
「外国人は、それぞれ習慣が違いますから・・・」と言って下がっていった。

それでも(郷に入れば郷に従うべき)だから、教えてあげようかと思ったが、
あいにくどう話したらよいか、言葉が出てこない。
それこそ(郷に入らば郷に従え)だと、日本語で注意した。
「お店では、持参のバナナ食べちゃいけないですよ」と。

外国人はきょとんとしていたので、パッと出てきた英語、
(No Bananas in this parlor )と言ったら片言英語を解ってくれた。
(You see?)(分かった?)と笑顔で訊いたら、笑顔で頷きました。
それでも、内心、冷や汗が出てきたのを感じた。
ボクの英語は、(ここでは、バナナ ダメ!)である。
英語が合っているのかどうか解らないからだ。

冷たいお汁粉は、中の丸いお餅は暖かであったが、小豆は冷たかった。
妙な感じであったが、お腹が空いていたので美味しくいただいた。

(冷たいお汁粉)

お行儀が悪いのですが写真を撮りました。

所で、思いつきの英語に自信がなく、
家に帰って辞書で調べましたが、なんとか片言英語になっていました。
英語での冷汗は、数年前の船旅でも経験している。

話が飛んでしまうが、
旅人は、死ぬ前に一度はしてみたいものに船旅があります。
そこで船旅を申込み、カリブ海を旅した。

船の中には、乗客を退屈させないように、劇場があり、アイス・リンクがあり、
船内の通路では、仮装パレードなどのイベント、
時計の安物市などもあり、あの手この手で、
客を退屈をさせない仕掛けがある。

ある時、アイス・ショウを見に行きました。
超満員で、すり鉢型の観客席、底がスケート・リンクで、
底のリンクから、観覧席は階段状に上につながり、
一番上は立ち見席で、ボクたちはここに立つことになりました。
立ったまま劇場内を見まわすと、
空席状態の椅子が二つ並んでいるのが見えるではありませんか。

「あそこ空いているのかな」とカミさんに空席を指さして言いますと、
「誰かお手洗いにでも行っているのでは」とカミさん。
立見席には、ボクたち以外にも人は沢山います。
見逃すはずはありませんが、
誰もその席が空いているか聞きに行く人が居ません。
しかし、しばらく経っても席は埋まりません。

「ちょっと行ってくるよ」と持ち前の図々しさで、長い階段を下りて行く。
スケート・リンクから言えば、五列くらい手前の、
空き席のあるところまで来て、はたと困りました。
「そこの席は空いていますか」と訊くのは英語で何というのだろう。

その昔オーストラリアの水族館でイルカショウを見に行った時、
オーストラリア人が、(空いていますか?)を訊くのに、
「Occupied?」と訊いていたのを思い出した。
これは、
(Is this seat occupied?) (ふさがっていますか?)と言う事だ。
だから同じように訊けばOKかなと考えて近づく。
空席の横の席に、身なりのしっかりした男性が二人の子供と座っている。

およそ船旅は服装がうるさいのである。
この船はグレードがカジュアルと言うことで気軽に参加したのだが、
中には紳士然とした方も沢山いる。
この方もその一人だ。

こうした雰囲気だと、日本でなら
「恐縮ですが、とか、恐れ入りますが、」と、かしこまって、
「そちらの椅子は空いていますでしょうか?」と訊くところである。
英語では、何と云ったらよいか、解らない。
英語で言うなら(お伺いしてもよろしいでしょうか?)くらいは付けるのか・・・。

ところが口から出てきたとっさの英語は、
「may I seat there?」椅子を指さして話した。
件の紳士、ボクと空席を見比べて、
「oh Yes」だった。
「ありがとう」と英語で言って、
はるか彼方の階段の上へ手を振ってカミさんを招いた。

意味が通じたから良いが、
ボクがこの時使った英語(seat)は(椅子に座る)という意味の動詞としてだ。
習った英語ではseatは(椅子)と言う意味で(椅子に座る)ではない。
この時、ボクは(椅子できますか?)と訊いている。
先方は片言英語と推測して、答えたに相違ない。
そう思うと、椅子に座ってから、どっと冷汗が出てきた。
考えたら、中学生の時、先生に(sit down please)(座って良いですよ)と、
言われていたことを忘れていた。
これを利用すれば、(May I sit down there?)で済んだはずだ。

話がずいぶん飛んでしまった。如意庵の喫茶室を出て奥の方を見ると、
突き当りの黄梅院に続く道がアジサイと共に延びている。

(黄梅院に続くアジサイの道)

(アジサイ)

(見事なアジサイ)


(黄梅院は北条時宗の夫人、覚山尼が時宗公追善のために建てられた。
北条義詮の分骨が納められ、足利家の菩提所としての性格を帯びている。)(円覚寺)
黄梅院の敷地に誰が造ったか、手作りの木彫りの観音さま?がとても可愛いい。

心洗われました。

(黄梅院の階段)

(黄梅院)

(黄梅院敷地内の観音さま?)


こうした雰囲気の中にいると、自分はあと5年は生き残れるかな、と思うのである。

      「たった一度の人生!
                      楽しんで終わりたいものです!」     hide-san



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もう満開の サルスベリ

2015年07月21日 17時46分35秒 | 日記
真夏に咲く花 サルスベリが、もう咲いている。

今年は、太平洋上にエル・ニーニョが発達して、夏が早く来た。

その所為かどうか解らないが、気温が高く季節を間違えた花がどんどん咲く。

サルスベリもその一つ。真夏の花だ。

サルスベリは8月29日の誕生花。

(さるすべり)


サルスベリと書くと、「猿が赤いお尻で滑る」を連想するらしく、

若い女性には人気が無い。

花を見て、漢字では「ひゃくにちべに」と書く、と教えると納得して気に入るらしい。

(百日紅)


(百日紅2)


百日紅(ひゃくにちべに)があるのだから、千日紅(せんにちべに)と言う花もありそう。

調べたら有りました(センニチコウ)。

どこの野原にも見ることが出来る草花です。

(センニチコウ)



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台風の置き土産ー虹

2015年07月19日 17時01分53秒 | 日記
台風11号が日本海を通り抜け、

関東には7/18まで、雨をもたらして、

夕方には梅雨明けをもたらす見事な虹をプレゼントしてくれた。



その時の西の空には夕焼け富士がうっすらと残っていた。



笠をかぶった富士山



四国、中国、近畿など、各地に被害を残した台風、

最後にこんな置き土産で、

明るい兆しを残してくれた。
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