楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

自動車

2015年10月31日 08時23分00秒 | つれづれなるままに考えること
最近、高齢者の自動車事故が話題に上る。

高速道路を逆走したとか、
コンビニの駐車場で車止めを乗り越えてお店に突っ込んだとか、
歩道上に突っ込んだくらいならまだしも、
歩道上を700mも猛スピードで走ったとか、
スーパーの駐車場の二階から飛び降りたとか、
数えだしたらキリがない。

一方で恒例のモーターショウが始まり、
こうした事故を回避するためかどうか知らないが、
運転手がいなくても、割り込みや追い越し、
スピードアップから自動停止、
道路脇に駐車するのも自動で、
最早、運転手はいらなくなる時代が来ると言われる。

ボクは就職以来三年目から自家用自動車を所有して、
身の回りから離したことが無いが、
いかんせん寄る年波で、運転中に危険を感じることが多くなってきた。
ボクが感じるのではなく同乗者のカミさんが感じるらしい。

自動車を持って55年になる。
人身事故こそないが、不注意でほかの車に傷をつけたり、
知らぬ間に自分の車がへこんでいたことに、
定期点検の折、指摘されて気が付いたりするようになった。

このままでは運転の危険を感じるらしく、
車を止めるようにカミさんに言われている。

しかし、55年間もの間利用し続けた物を手放すには、
かなりな覚悟が必要になる。
自動車がなくなると言うことは、
大げさだけれど、右腕を切り落とすくらいの覚悟が要る。
昔、侍は腹を切る覚悟を持っていたというが、この覚悟が必要に思う。
車が無くなるくらいなら、自分も一緒にということで、
何時まで経っても手放す覚悟が付かない。

半世紀も、ほとんど毎日乗ってきたのだから・・・・
これもやむを得ないか・・・・

人もいずれ命を落とすことになる、
車をやめることなどたかが知れている。
そう割り切りたいものである。



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日比谷公園

2015年10月28日 06時36分55秒 | 日記
思い立って日比谷公園へ行った。

仕事の都合で東京に住んで、その都合で結婚して、子供が50歳になるのに、
ボクは日比谷公園に行ったことが無い。

地下鉄「日比谷駅」で降り、何番出口か忘れたが、
日比谷公園の交番がある所へ出た。丸の内警察署の交番である。
日比谷公園の入口はここにもある。
ここにもあるとしたのは、日比谷公園入口は他にも沢山あるからだ。

(交番のある日比谷公園入口)

(日比谷公園地図)


日比谷公園の説明では、

《日比谷公園は、幕末までは松平肥後守等の屋敷地で、
明治初期には陸軍練兵場に成って居た所でした。
当初から近代的な「都市公園として計画・設計・造成された本格的な公園であると同時に、
日本初の「洋式庭園」として明治36年(1903)6月1日に開園された。

(面積163.636㎡)―中略―

関東大震災や太平洋戦争により改修等行ってきましたが、
心字池・第一花壇や雲形池周辺は開園当時の面影がそのまま残っています。(後略)》とある。
門を入るとすぐ、「日比谷見附跡」の標柱が立っており、ここが江戸城外郭城門の一つ、
日比谷御門で、石垣の一部が残っており、当時、石垣の西側は濠になっていたが、
公園造成の時、その面影を忍び心字池とした。》と説明がある。

(日比谷見附跡に碑と石垣門跡)

(心字池と残された石垣の図)

(心字池を石垣の上から見る)

(心字池を石垣の上から)

(心字池を石垣の上から2)

(心字池を石垣の上から3)

(心字池を石垣の上から4)

(石垣の下から見る心字池)

(心字池中央にある亀)


心字池を眺めて右側を見ると、

(仙台藩祖 伊達政宗 終焉の地)の説明板が建っている。

(伊達政宗終焉の地の説明板)幕末までは松平肥後守等の屋敷地


この日比谷公園の一部は、仙台藩伊達政宗の上屋敷、説明の「外桜田上屋敷」があった所とされる。
早い話、日比谷公園一帯は、元仙台藩上屋敷跡だったと言う事である。

いったいどう解釈したらよいのか、歴史に疎いボクには理解できない。
日比谷公園の案内看板には、(幕末までは松平肥後守等の屋敷地)とあったのに、
ここでは仙台藩 伊達家の上屋敷跡だったと記している。

歴史的に時代が違うので両方が正しいのか、ボクには解らない。
どうせ案内を出すのだから、肥後守の前は仙台藩主とでも書いておいてくれれば、
理解できるのだが・・・・。

お役人のやる事、自分の仕事が済めばよいと言うことか、
読む人の事を考えてくれよ、言いたい。

(説明板後方の屋敷跡)


そのまま北へ向かうと、旧日比谷公園管理事務所がある。
東京都教育委員会の説明に依ると、

(この管理事務所は明治43年に出来たもので、
洋式の日比谷公園にふさわしい様に設計されたドイツ・バンガロー風の瀟洒な建物で、
明治期の数少ない近代洋風建築の一つとして建築史上貴重な物である。)とのこと。

その先左手に第一花壇があり、その東端にペリカンの噴水がある。
そのペリカンがとぼけた顔で水を飛ばした様子が滑稽であった。

(公園管理事務所址)

(第一花壇)

(ペリカンの噴水)


さらに進むと、右手に日比谷公園の桜門があり、
その左手に、日比谷公園開設(明治36年)当時の「水のみ」が置かれている。

(二つ目の門 桜門)

(珍しい鋳鉄製の「水のみ」)


公園開設当時の「水のみ」は鋳鉄製で重厚な中にも細かな装飾が施され、
デザインとしても見応えがあると言う。
また、馬も水が飲めるような形に造られているそうで、
牛馬が陸上交通の重要な部分を担っていたことが解る。

以前、イタリアを旅行した時、同じような「水のみ」があったことを思い出す。
日比谷公園のは水道の蛇口は無いが、イタリアで見た「水のみ」は蛇口があったように思う。
「水のみ」の後ろは山になっているが、これは三笠山と言い日比谷公園造成の折、
池を造った時の土を盛ったものである。

(「水のみ」と三笠山)

(三笠山)


さらに進むと、公園は突き当り東北の出入口がある。
門の外は祝田橋で、ずいぶん昔の話だが、東京はこの祝田橋で、
大阪では道頓堀で、何月何日何時と決めて交通を遮断しようと、
企んだ学生がいたと言う。
小説だったか、本当の事件だったか、解らない記憶がよぎった。

(東北の出入り口)

(祝田橋)

(日比谷公園1の住居表示)


公園の中を西に曲がると、左手に「自由の鐘」が置かれている。
これはアメリカから贈られたものだが、音をよみがえらす為に、
中央大学辞達学会の学生が修復募金委員会を立ち上げ、
永久になり続けることを願い、募金の念願叶い、
寄贈されてより60年ぶり、平成23年に鐘が打ち鳴らされた。
と説明板にある。
ボクの同級生がこの辞達学会OBで、
就職後寄付金を頼まれ弱りきっていたのを思い出す。

中央大学の辞達学会は弁論部で、友人に連れられて中央大学講堂に行ったことがある。
ちょうど社会党の浅沼稲次郎書記長が演説をしている最中であった。
左手をポケットに突っ込み熱弁をふるっていた。
後に暴漢 山口乙矢少年に刺殺されたのが、ここ日比谷公園であった。

(自由の鐘)

(自由の鐘説明板)


脱線してしまった。

さらに進むと、霞が関門に出る。
門を出ないで左に回ると、池がある。
雲形池と言うそうだが、心字池に対抗するもののようだ。
その証拠に、心字池には亀の造形が噴水の所にあったが、
ここでは雲形池の中に鶴が噴水になっている。
この鶴は、寒中に気温が下がって氷が張るころ、
噴水で水を浴びた鶴の身体にツララが出来て、
冬の風物詩としてメディアに好く取り上げられた。

(霞が関の出入り口)

(雲形池の鶴の噴水)

(雲形池の鶴の噴水2)


午後13時頃から日比谷公園を歩いているが、
すでに時間も経ち日も落ちようとしている。
またの機会にもう一度訪ねることにしようと思う。





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いろは坂

2015年10月20日 08時54分59秒 | 日記

いろは坂を登りながら、思い出したことがある。



ボクが高校二年生の頃の大学受験では、東京大学が一番難しいと言われた。

その東京大学で、「いろはにほへと」はどんな意味ですか?

と言う問題が出て話題となったことがある。



読者の皆さんはご存知と思いますが、念のため以下にボクの勝手な解釈を書いておきたいと思います。

「いろはにほへと」は、ある歌をカナ文字にして日本語の四十七字としたものだ。

(広辞苑第四版によると)
「弘法大師が作ったものと信じられていたが、実はその死後平安中期の作、色葉歌。

涅槃経 第十三聖行品の偈(げ)
「諸行無常 是正滅法 生滅滅己 寂滅為楽」
(しょぎょうむじょう ぜしょうめっぽう しょうめつめつい じゃくめついらく)

の意を和訳したものと言われる。」とある。


(色は匂へど 散りぬるを    (いろはにほへと ちりぬるを
我が世誰ぞ 常ならむ      わかよたれそ  つねならむ
 有為の奥山 今日越えて     うゐのおくやま けふこえて 
 浅き夢見じ 酔ひもせず)     あさきゆめみし ゑひもせすん)

ボクの勝手な解釈。

色は匂へど 散りぬるを】(諸行無常)
 美しく咲き誇った桜も、やがては散ってしまう。

我が世誰そ 常ならむ】(是生滅法)
この桜のように、この世に生きる私たちの誰が、
心安らかに何時までも生き永らえることが出来るでしょう、
 いつかはあの世に召されることになります。

有為の奥山 今日越えて】(生滅滅己)
この無常の、有為転変の世の中を今朝乗り越える夢を見ました。

浅き夢見じ 酔ひもせず】(寂滅為楽)
この夢も儚いものですが、酔っていた訳ではありません。
目覚めれば心安らかな気持ちです。

こんな意味でしょうか。
当時の東大受験生の何人が合格点をもらったのか知る由もありません。

いろは坂ですが、行きは逆光で「いろは」の文字が読めませんでしたが、
帰りは「ゐ」から曲がり角がスタートし、最後が「い」ですから、
曲がり角は25あると思われます。

念のため申し添えます。




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紅葉

2015年10月16日 08時36分44秒 | 日記
TVで「日光の紅葉は一週間ほど後が良さそう」と報じた。

その後注意していると、日光は気温が20℃を下回り、最高気温が17℃まで下がった。

一週間後では、混雑が予想されて、いろは坂を通過するのに、何時間かかるか分からない。


以前、孫が二十歳になる息子が、まだ小学生の頃、紅葉を見に家族を乗せて、車で日光に出かけた。

混雑は期待通りで、15km手前の今市(地名)から渋滞が始まり、

清滝(地名)の辺りでは30分かかって100mほどしか動かない。

諦めて列を離れ、帰ったことがある。


そんな経験から、紅葉が盛りになる前に行こうと、昨日出かけた。

それでも、ボクと同じような考えの持ち主が沢山いるとみえて、

高速道路も、いろは坂も混んではいたものの、渋滞と言うほどではなかった。

案内放送では、「普段20分で通過できる(いろは坂)も40分かかります」といっている。

そこで休憩所を借りて用を足した後眺めた紅葉。

いろは坂の手前である。


(休憩所から見た道路と紅葉が始まった山)

(休憩所から見た紅葉)

(紅葉が始まった山)



いろは坂は曲がり道が「いろはにほへと」と47曲がりもあるから名付けられたと思っていた。

だから、同乗のカミさんに「いろは」は、いくつあるか数えて貰った。

しかし登りは、逆光で文字が読みにくく最後が解らなかったと言う。

今は一方通行ので運転し易い「いろは坂」も、その昔は交互通行であったので運転が難しかった。

曲がり角で対向車が見えずカーブミラーに頼って曲がったものだ。


難しいと言えば、ボクの高校生の頃の大学受験では、東京大学が一番難しいと言われた。

その東京大学で、「いろはにほへと」の全文はどんな意味ですか?

と言う問題が出て話題となったことがある。

このことについてはまたの機会に譲りたい。


変なところへ脱線してしまった。

いろは坂を過ぎて、T字路の交差点を左折すると、大きな朱塗りの鳥居が見える。

中禅寺湖の北東の端にあり、これが二荒山神社中宮祠の大鳥居である。

鳥居をくぐって、その先左手が中禅寺湖、右手が男体山である。

市営駐車場に車を置いて、見事に紅葉している中禅寺湖へ向かう。

(駐車場の紅葉)

(二荒山神社の大鳥居)

(中禅寺湖畔の紅葉)

(中禅寺湖対岸の景色)

(中禅寺湖対岸の景色2)

(中禅寺湖対岸の景色3)


秋の澄み切った光を浴びながら、中禅寺湖湖畔を散策して華厳の滝へ向かう。
さっき通ってきたT字路の下が華厳の滝で、中禅寺湖の水が流れ落ちている。
華厳の滝は、普通エレベーターで滝つぼ近くまで降りて、
滝を下から見上げるように眺めて、
「これが日本三大瀑布の(華厳の滝)か」と見上げるのであるが、
エレベーターの乗り場まで歩いていると、
外国人が大勢カメラを構えている場所を見つけた。
カメラの方向を見ると、華厳の滝の落ち口が轟音とともに見える。

華厳の滝を上から見るのは初めてで、これはこれで絵になるとカメラを構えた。
すると、隣に年配のおじさんが来て、
「華厳の滝を上から見るのは初めてだ、冥途の土産にちょうど良い」なんて呟いている。
ボクが聞きとがめて、
「おじさん!冥途の土産とは聞き捨てならんですよ。お幾つになられますか?」と言うと、
「八十です」と言う。
「おじさん!! 冥途の土産は無いよ!ボクと同い年だよ」と言ったら、
ボクの顔をチラッと見て、
「やっぱり 下から見よう」と呟いて歩いて行ってしまった。

(中禅寺湖の案内)

(林の間から見える華厳の滝)


紅葉に囲まれた華厳の滝は、上から見ようが下から見ようが、紅葉の美しさは変わらない。
何枚か写真を撮ったのでご覧ください。

(黄葉の華厳の滝)

(黄葉の華厳の滝2)

(落ち口が良く見える華厳の滝3)

(黄葉の華厳の滝4)


華厳の滝入口には、沢山の売店があり、土産物を買うのに事欠かない。
ここからは男体山が良く見える。紅葉とともに見える男体山をご覧ください

(お店の名前「なんたい」が見える男体山)

(紅葉の男体山)

(紅葉の男体山2)

(男体山3)

(紅葉がある男体山の風景)


最後にもう一度「華厳の滝」をご覧ください。
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超伝導 リニアモーターカー

2015年10月12日 05時58分29秒 | 日記
JR東海の「超伝導 リニアモーターカーの体験乗車」に応募、

抽選で乗れることになりました。

来る10月31日の6便、山梨実験センターです。


実際に新幹線となって走行するのは2027年と12年後です。

12年後までは、とても生きながらえる自信がありませんので、

体験乗車で満足して置きます。

それにしても、体験乗車の抽選に三回も申し込んで、やっと当たりました。


およそ30分の体験乗車ですが、冥途の土産にはもってこいの話題。

時速500キロで、飛行機のように宙に浮いて走る電車。

期待に今からワクワクしております。

鉄道マニアの方には垂涎の的ですね。



乗車体験記は、11月初めに・・・

乞うご期待!!





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