楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

旅のアルバム最後にーNASAケネディ・宇宙・センター(カリブ海クルーズ 最終章)

2021年12月30日 04時28分15秒 | つれづれなるままに考えること





(NASA=アメリカ航空宇宙局)
フロリダの港オークランドから豆粒のように小さく見える、
ケープカナベラルのNASA航空宇宙局の四角な建物までは、
バスに乗って小一時間掛かる。
やがてにょきにょきとロケットが立っているところに近づき、
NASAに着いた実感が湧く。
バスの駐車場から航空宇宙局の中に入るのに、
入場料を払って、航空機に乗るようなチェックインが必要である。
一人一人手荷物から身体検査まで済ませる。

総勢20人ほどが終わるまで、待合室で待つと、
スクリーンにケネディ大統領が
ロケット発射成功の演説をしている場面が映し出される。
さすがケープカナベラルのケネディ・スペースセンターだと
感心している間に、
全員がチェックイン終了し、いよいよ見学と思いきや、
センター内でさらにバスに乗り換え、
さらに十数分走りやっと見学場所に到着。
何でも世界一が好きなアメリカ人、
周りにはいろんな形のロケットが横たわっている。


いろいろ教わるが、記憶に残ったのは
「ロケット打ち上げ仮想体験」であった。

(全員で沢山の椅子に座り、
持ち物が宙を舞うといけないというので、
ポケットの中身から手荷物まで全てを取り上げられる。
椅子に座って4点式シートベルトをすると、
目の前のスクリーンにロケット打ち上げのシーンが近づき、
発射までのカウントダウンが始まる。
背もたれが倒れ、
轟音と共にロケットが発射されると、
体は強烈な力で椅子に押さえつけられる。
顔が風に押される感じで、
頬が引きつれ猛烈な重力が掛かった感覚が強くなる。
ロケットが一段目が切り離され、
二段目が切り離され、
三段目になると頬に歯形が映し出されてれているのではないかと、
思われほどの力が掛かる。
やがて無重力の世界へ到着した感覚に襲われる。
そして重力を感じなくなったとき、この体験は終わる。)

体を見ると、最初に座ったときと同じ格好をしている。
身につけたものを取り上げ、轟音と、映像で、
錯覚を起こさせていると思われるが、
どのような仕組みになっているのか
解らずじまいであった。

(残念ながらカメラも取り上げられており、
 仮想体験部分は撮影できていない。)



ロケット発射前の沢山の計器類がある部屋の前で、
スペースシャトルが飛び立つ映像が流れるが、
あたかも観覧者がロケットを打ち上げに参加しているような
臨場感たっぷりな映像であった。
この部分はマイビデオに収めて来たので、
帰宅後編集して孫たちに見せたが、大変好評であった。
NASA航空宇宙局からおよそ10km離れたところに、
ロケットの発射台が二基あり、
肉眼では米粒ほどにしか見えないが、
10km以内に立ち入ることは
メディア関係者といえども禁止であるという。

偶然とは言え、
見学に行った日にスペースシャトルが打ち上げ予定日になっていた。
もし打ち上げられれば、世界で、そして我が人生で、
二度とない宝くじに当たるより大きな幸運であったのに、
残念ながら、気象の関係で延期されることになり、
翌年1月4日に延期、がさらに延期された。

気象の関係だけではあるまいが、
ロケットは極めてデリケートな機械である。
説明では、過去100回以上打ち上げているが、
失敗はチャレンジャーとコロンビアの2機だけとのことで、
成功確立は高いと胸を張っていた。

皆さんにも、スペースシャトルを積んだロケットを
写真でご覧いただきたい。
世界に誇る、日本製のカメラで撮った映像は、
10km先とは言え、
見事にスペースシャトルを写し出している。

(ズーム前)

(少しづつズームする)



(ズームアウト)

航空宇宙局の博物館をその後見学、
延長200mに及ぶ実物のロケットはさすがに凄い。
当然とことであるが、格納している建物も相当広く、
言葉に表現のしようが無い。
なんでも世界一を誇るアメリカならではの展示である。




さて、昼食時にはスペースシャトルの乗組員だった
John M.Fabian氏との懇談会があり、
最後に質疑応答の時間が設けられていた。


その質問の途中で、
「日本の宇宙衛星(かぐや)が世界で始めて月の裏側を
ハイビジョン映像で映し出し、
世界中で話題になっていますが、
このニュースについてのご感想は?」と尋ねたところ、

以外や以外、
「そのニュースを知りません」と回答された。

このとき世界は(いや日本だけかもしれないが)
「かぐや」の美しい映像に
固唾をを呑んで注目していた時期であったのであるが・・・

宇宙に出て、帰還したクルーの方たちの中には、
世間を離れて孤独な生活を送っていらっしゃる方が結構いらっしゃる。

・宇宙を覗いてくると、人生観が変わってしまうのであろうか?
・宇宙へ行くという目標が達成でき、
 その後の人生が空虚になってしまうのか?
・地球での人の生涯をどう感じているのだろうか?
・「大海にのみの小便」程に感じるのか?
・人は「大砂漠の中の一匹の蟻」のように感じてしまうのか?

この宇宙経験者も、世の中の出来事には、
もう興味は失せてしまったようであった。
そんなことを考えていたせいか、
どこと無く生気が感じられない宇宙からの帰還者に見えた。

NASA航空宇宙局博物館の出口には、
商魂たくましくお土産物コーナーがあり、
見学者を引き寄せている。


重力の無い世界の宇宙でも書くことが出来るボールペン。
(普通ボールペンは、
中のインクが引力に引かれて出てくることで書くことが出来る。
したがってペンを上に向けて書くと、
間もなく書くことができなくなる。)

しかしこのボールペンは無重力の世界でも書けるから、
上を向いても書くことが出来る。
想像ではあるが、インクに圧力がかかっていて、
インクが押し出されるようになっていると思われる。

もう一つのお土産が宇宙食。
宇宙食のアイスクリーム。
孫や子供たちに全部持っていかれてしまい、
食べることがかなわず、
未だに味がどんなものか書くことが出来ないでいる。

唯一ついえることは、
重量がほとんど感じられ無かったから、
アイスクリームから水分を取って、
乾燥させたもののように思われる。

想像するに、きっと粉ミルクと砂糖を混ぜ固めたもの、
そんな味であろう。
実際に食べられなかったのが、
返す返すも残念で心残りである。


何方かケネディ宇宙センターに行く予定のある方、
私に宇宙食のアイスクリームを
お土産に買ってきて頂けないでしょうか?



2021年も終わりが来ました、
この一年大変お世話になり、
有難うございました。
2022年が皆様にとって良い年となりますよう、
心からお祈りして居ります。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅のアルバム最後にーメキシコの遺跡(カリブ海クルーズ 10)

2021年12月28日 04時27分17秒 | つれづれなるままに考えること


(メキシコの遺跡 トゥルムのマヤ遺跡)

次の寄港地はメキシコ。
プラヤ・デル・カルメンの港に到着。
明るい陽射しに浮かれ気分で遺跡観光。

(メキシコ:プラヤ・デル・カルメン)

石を積み上げた城壁の入り口をくぐると、
見渡す限りの芝生に転々と石造物群が並んでいる。

神殿、穀物倉庫、住まいに井戸etc.
海岸はサンゴ礁で海の色が美しい。
ボートに興じる人、砂浜で日光浴を楽しむ人、
道路を少し入ると、
商店がずらりと並んで、道行く人に声をかけている。
とても陽気なメキシカーナのお譲ちゃんの声が印象に残る。
陽射しが強く明るいせいか、
メキシコ人は全て陽気に見える。

その昔、スペイン語を習ったとき、
陽気な先生は笑顔を絶やしたことが無い。
日本語がしゃべれない先生は、
スペイン語と英語で授業を進めたが、
今記憶に残っているのは、
羽毛布団の作り方とお国で一番偉い人は、
仕事をしないで遊んでいる人だということだ。

お国には、シエスタという午睡をすること、
この時に子供が出来るということと、
驚いたときに発する言葉は、
「マリヤ!ヘッスス!×××!」(なんだったか忘れた部分がある。)
英語で言うと「Jesus Christ!」に代わるものであろう。
随分昔なのに、記憶している事柄が結構あるものである。
今ではほとんどを忘れているが、
スペイン語で「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」を読破した
時期が懐かしい。

陽気で陽射しの強いメキシコの遺跡は、
石の反射熱も青い芝生で癒されて、
珍しい神殿に降臨する神が足をガニマタに開いている像が滑稽で、
これが神様では信心が浅くなってしまうと日本人には感じられる。
最も日本の神様だって、
メキシコ人が見ると噴出してしまうかもしれないのだ。
民族によってそれぞれでそれは良いのかもしれない。

旅行社のパンフレットを見ると、
神殿の長い階段を登って観光する写真を良く見かけるが、
階段は上り下りできるような幅がない
(立ち入り禁止のため確認できなかったが)という。
この階段は子供のような大きさの神様が上り下りできれば良いらしい。

遺跡が残るマヤ人は絶滅したわけではなく、
入り口の売店や民族ショウをする人たちが子孫のマヤ人であった。
テレビで見かけるアメリカインディアンに似た中南米の人たちと同じであった。

石造物群の美しさは、
ピラミッドやまだ見たことは無いが
マチュピチュの石造物群には敵わないに違いない。
それでも広~い芝生の中にある遺跡の美しさ、
その芝生の中を我が物顔にのそりのそりと歩くイグアナ、
切り立った断崖に建つ神殿と
サンゴ礁の美しいカリブ海の色の対比などを見学し、
異国の町並みの日本とは異なった街の色彩に満足して帰ってきた。

明日は移動日で終日海の中をクルージングして、
フロリダの海岸に接岸し船旅は終わる。

その後は、オプショナルツアーで

NASAの宇宙研究所を観光する。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅のアルバムの最後にー英国領グランド・ケイマン(カリブ海クルーズ9)

2021年12月27日 04時26分47秒 | つれづれなるままに考えること


(英国領 グランド・ケイマン)
グランド・ケイマンのジョージタウンに入港。
町の名は ジョージタウン。
響きも良い。

ジョージタウンの町の名は世界の複数箇所あるようである。
南アメリカのガイアナ共和国の首都はジョージタウン、
アメリカ合衆国のワシントンD.C.や、
マレーシアのペナン島にあるジョージタウン、
フロリダの東にあるバハマ国のジョージタウンなどなど。

日本にもある。
東京の武蔵野「吉祥寺」を学生たちがジョージタウンと呼んでいる。
何のことは無い「吉」を省略して
「祥寺=ジョウジ」タウンとしただけのこと。

こちらはグランド・ケイマンのジョージタウンに入港して、
待ち受けていたバスに乗ると、
ガイドさんの英語がよく理解できるのが不思議で、
英語漬けになって六日目だからだろうと思ったが、
考えてみるとこちらは英国領、だから判り易いことに気がついた。

ボクの習った英語は「イギリス語」で
米語ではなかったからだと気づかされる。
イギリスはもちろん、ヨーロッパでは英語が良く理解できたが、
ニュージーランドもオーストラリアもカナダも、
どちらかと言うとイギリス語で聞き取りやすかった。

アメリカ(初日はフロリダ)へ来たらいきなり言葉が聞き分け難くなる。
しかも船内はアメリカ人が2600人。ほとんどが米語である。


クルーズが始まって二日目のこと、
身なりの良い年配のご婦人がボクたち
夫婦に話しかけてきた。
にこやかに話された内容は、夫が海軍で船長をしていて、
日本の横須賀に駐留したことがあると言う。
その夫はすでに亡くなり、
今回は子供夫婦と孫と一緒に来て楽しんでいるが、
日本人にお会いして話がしたくなったと言う。
日本人は礼儀正しく親切で、
日本に滞在中は本当に楽しい時間を過ごすことが出来た。
もう一度日本に行きたい。
ご婦人は日本人に解るようにゆっくりゆっくり話をされたので、
50年も昔に習った英語でも理解することが出来た。

ご婦人に
「今は何処に住んでいらっしゃいますか?」とお訊ねすると、
「ケープカナベラル」という。
「ボクたちもこのクルーズが終わったら、
ケールカナベラルのケネディ宇宙センターを見学する予定です。」と話すと
「せっかくアメリカに来たのだから、
是非いろんな体験をして旅を楽しんでください。」と話されて、
お子さんたちが待っている方へ行かれた。


若しボクが日本に来た外国人に話しかけたとする、
最後に「せっかく日本に来たのだから、
いろんな体験をして旅を楽しんでください。」なんて、
しゃれた会話が出来るだろうかと反省した。
英語には日本語で表現が出来ない素敵な言葉がある。
「Have a nice day!」
(=素敵な一日でありますように)
なんて言葉を日本人には使えない。

老婦人がゆっくり話してくれたのでよく理解できたが、
ヒラリー・クリントンが大統領候補の演説をしているときは、
何を言っているのかさっぱり解らなかった。
先だって来日したときの英語が良く判ったのは、
彼女も相手が日本人だと言うことを意識して
ゆっくり話したからだろうか。

この客船の船長はノルウェーの方だが、
この船長が話したウエルカム・スピーチは、
スピーチの中の冗談さえ理解できたほど、
英語が解りやすかった。
話が飛ぶが、バラク・オバマの演説が解りやすいのは、
オバマの英語は米語発音ではないからかもしれない。

脱線してしまったが、
グランド・ケイマンは英国領であるために、
バスのドライバーが話す言葉が素直に耳に入ってきた。
やっぱり英語だからであろう。

(海カメの飼育場)

(海カメ1)

(海カメ2)

(海カメ3)

言葉のことはそれくらいにして、
ここでは海がめの飼育場見学と、
アカエイの見物と本物のアカエイに触れる体験が待っている。

(赤エイの場所)

(海は明るい)

(赤エイ1)

(赤エイと戯れる2)


(赤エイ3)

(赤エイと戯れる人達4)

(地獄HELL町での歓迎の看板)

(溶岩が付き出た地獄の様相)

さらにHell(=地獄)という名のつく町を訪れて、
そこから孫たちに絵葉書を発送する。
つまり地獄からの手紙。
地獄から届く爺ちゃんの手紙という冗談に、
孫たちはどのような反応を示すのであろうか? 
楽しみではあった。



コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Merry Christmas !!

2021年12月24日 22時18分54秒 | つれづれなるままに考えること
(ショッピングモールに有ったクリスマスツリー)

Desember the twenty fourth is Christmas Eve.
(12月24日はクリスマス前夜祭です。)

中学生の時に学んだ英語が頭から離れない。

それともう一つ忘れられないのが、
大学1年生の時のクリスマス前夜祭だ。

学校にある教会から、1本づつ火を付けたロウソクを手に、
神の子イエスを迎えて暗い校庭の夜道を、
黒いベールと共にしずしずと歩く女子学生たち、
キャンドル・サービスだ。
そして教会で歌う讃美歌「Silent Night」の厳かな響は.
今でも忘れられない。

ついこの間、処分した大学の卒業アルバムの
紺色のビロードの表紙に「CUN」と
金文字で書かれて居た。
何の頭文字かと言うと「Catholic University of Nagoya」

話は飛んで、
社会人になってから、
友人の親戚が営む新宿歌舞伎町のケーキ屋さんで、
頼まれもしないのに、友人と二人で酔っ払い相手に、
ケーキ売りにチャレンジしたこと。

街には「ジングルベル」と
ビング・クロスビーの「ホワイト・クリスマス」が流れていました。
65年経った今でも、この二曲は英語で歌える。

「ホワイト・クリスマス、White Christmas」
ビング・クロスビー、Bing Crosby

ジングルベル  


今日一日キリスト生誕祭を思いだし、
ジングルベルやホワイトクリスマスを
口ずさみながら、すごしました。



Merry Christmas !! 





コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

旅のアルバム最後にージャマイカ(カリブ海クルーズ 8)

2021年12月23日 04時26分00秒 | つれづれなるままに考えること




(ジャマイカ)
ジャマイカで思い出すのは、
歌手のナットキングコールとブルーマウンテンコーヒーだ。
歴史と地理、音楽と水泳が殊の外苦手なボクが、
好きな音楽家が二人いる。
一人はショパンで、もう一人がこのナットキングコールである。

ショパンは「戦場のピアニスト」の映画で、
ナットキングコールはアメリカのTVドラマ「ルート66」が
「ララミー牧場」と共に人気番組であったことから好きになった。
唄は、「ルート66」「マチルダ」
「デイ・オー」「モナ・リサ」「トゥヤング」などを、
ナットキングコールで聞いているとしびれてしまう。

カリブ海の人たちは、
アフリカから奴隷となって連れてこられた人たちが多く、
アフリカのリズムを原点に、
新しいリズムがカリブ海からスタートして
世界に広まっていると言う。
マンボ、カリプソなどがそのようだ。

中南米の音楽を知るには、
「ブエナ ビスタ ソーシャル・クラブ」の映画を観なければならないと、
誰かが言うのでレンタルショップでビデオを借りて鑑賞した。
音楽苦手意識のあるボクには、
やはりその良さがわからなかった。
ディズニーの「ファンタジア」でも観ていたほうが、
ボクには似合うし、
どちらかと言うと、前年訪ねた南アフリカでお土産に買ってきた
アフリカの音楽CD,
「Out of Africa」
に収録の太鼓を基調とした音楽のほうが好みである。

船はジャマイカの「オーチョ・リオス」と言う港に入港する。
「オーチョ・リオス」とはスペイン語で「オーチョ=数字の8」「リオ=川」
「ス=複数を意味する」で「八つの川」を意味する。
「リオ・デ・ジャネイロ」「リオ・グランデ」も同じように、
「ジャネイロ川」「グランデ川」のように川を意味する。

ジャマイカのオーチョ・リオスでは、
ロッククライミングならぬ滝登りをすることになっている。
滝登りと聞くと、鯉の滝登りを連想するが、
滝は滝でも急流が流れる岩の坂道を登ることである。
流れに足をとられて岩の上を滑るほどの急流ではなく、
手をつなぎあって登れば何とか登れる範囲である。

ダンズ・リバーの滝登りという。英語だからこうなるが、
スペイン語で言えば「リオ・デ・ダン」の滝登りと言うところだ。
それでも滝の長さは距離にして500mほどあるから、
そうとうなスリルを味わうことが出来る。

(ダンズ・リバーの滝)

ボクは糖尿病の合併症で末梢神経の麻痺があり、
手足の指先がしびれるので、手先足先に力が入らず、
また、冷たいところに手足を入れると痛みを感ずるので、
こんなことには参加できないのが残念である。

(滝登り)

(滝登り2)

(滝登り3)

(滝登り4)

船に乗っている日本人客は総員26名であるが、
この滝登りに参加しなかったのは,
ボクを含み70歳過ぎのジジ・ババ5~6人ぐらいなものであった。
見るからに楽しそうであったが、
ボクはカメラマンに徹して皆さんに喜ばれた。

(滝登り)


(滝登り6)

カリブ海は何処でもそうだが、周りの海は澄んでいて視界が利き、
次の訪問地 英国領グランド・ケイマンと共に、
ダイビングにはもってこいの場所だそうだ。
これまた、水の中は苦手なボクにはノンフィクション映画でも観て、
あるいは「グランブルー」と言う映画でも観て、
満足するということになろうか。

(ブルーマウンテン・コーヒーを求めて)

ジャマイカではブルーマウンテンコーヒーを、
お土産にしこたま仕入れたのは言うまでも無い。




コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Potora!  NTTグループ運営!