楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

7月7日の七夕

2024年05月29日 04時57分08秒 | 日記
七夕を話題にするには早そうですが、

ニュースは早いほうが良い?ですかね。

選挙のポスターを張るボードが建てられました。

見ると30人分の枠があります。
注意書きに「東京都知事選挙、投票日7月7日」とある。


家に帰って「知事選挙に30人分のボスター枠がある掲示板が出来たよ」
そう話したら、都議会議員選挙の間違いでは,と反論された。

今、小池知事が立候補するかどうか話題になっているらしい。
たった一人に
現在でも24人はすでに予定があるそうだ。

それにしても3か月も先の七夕の話なのに・・・



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神田川

2024年05月26日 04時08分30秒 | つれづれなるままに考えること
神田川と書くと、
すぐ思い出すのが、次の歌。

「神田川 - 南こうせつ(Kosetsu Minami) 」

実際に川そのものを見た人は少ないと思う。

JR中央線の水道橋、その橋の下の川が神田川である。

(水道橋)


(水道橋の上からみる神田川)


この川の左側にJR水道橋駅はある。

歌詩の実在場所は中野区の末広橋当たりのようで、
歌碑が残されているそうです。

しかしその昔はこの辺りの川の両側にも、
安アパートが点在していて、
近隣の中小企業の工場群に通う職工さん、
神田、お茶の水の学校に通う学生たちの
神田川の歌詞と同じような
良き住まいがあったようです。

ボクも独身の頃は、
歌詞にあるような部屋に住み、
近所の銭湯に寒さに震えながら通いました。
世田谷の松陰神社駅の近くでした。
石鹸をカタカタ鳴らせながら歩きました。
もう60年も前の話です。

神田川 - 南こうせつ(Kosetsu Minami)





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花壇

2024年05月24日 04時43分45秒 | 日記
公園の花壇が花盛り!

そろそろ初夏に向かって、植え替え時か・・・


コメント (2)
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浄土宗 高養山 成学寺ー金沢で2(芭蕉の道を歩く 76)

2024年05月22日 04時52分17秒 | 芭蕉の旅
芭蕉は金沢では、小杉一笑の追善句会の他に、
句会を開いていることが、
「おくのほそ細道」の文中からも分かる。

 「その兄追善を催すに、

・塚も動け 我泣声は 秋の風

   ある草案にいざなはれて

・秋涼し手毎にむけや瓜茄子

   途中唫(ぎん)

・あかあかと日は難面(つれなくも)あきの風」

と詠んでいて、句会が何度かあったこと、
また、この三句から主題が「秋の風」であることが、
よく分かる。

願念寺を出て、門を背に右手に
「日蓮宗妙立寺」の看板が見え、
奥に沢山の絵馬が掛かっているのが見える。
金沢の案内書から推測すると、
どうやら忍者寺の裏口のようで、
絵馬が掛かっている横を構わず奥へ入っていくと、
妙立寺(忍者寺)の正面本堂前に出た。

(妙立寺の裏門)

(奥に見えた絵馬の数々)


(絵馬に書かれた文字)


(絵馬を通り抜けた忍者寺の小屋)

妙立寺正面)


(妙立寺の案内)

本堂前にはたくさんの外国人を交えた観光客がいたが、
ボクは忍者寺には用がないので、
さっさと表通りへ出て左折する。


妙立寺から犀川大橋寄りにすすむと、
途中信号があって道路を渡ると、
すぐ左手に成学寺がある。


(成学寺門前)


左右の屋根の上に風神雷神像がある。

(左側の屋根の上 風神像)

(風神)

(雷神像)


門をくぐると正面に立派な石碑墳がある。

(石碑群)



この中に芭蕉翁の句碑があるというのだが、
句碑そのものが古くて、
金沢市の説明にある句碑がどれだか解らない。

(説明板)


説明板によれば、
「宝暦五年(1755年)
 芭蕉翁追悼のため俳人
 堀麦水とその門人が
 秋日塚(あかあかと日は難面も秋の風)
 を立てた。   金沢市」

とあるが、

句碑が古くて読めず、
かろうじて、「宝暦五年」が読めるので、
下の写真の石造物がその句碑に違いないと思った。

(宝暦五年の石造)

この句碑群の左手に一笑塚はあり、
どうやら一笑ゆかりのお寺であったようだ。

(一笑塚)


このあと、芭蕉は小松、山中、那谷、敦賀などへ旅をする。

しかしボクはまだ山形の最上川の川下りにさえ言って居ない。
大石田から酒田までを行きたいものだ。

・五月雨を あつめて涼し 最上川

その時芭蕉が詠んだ俳句は、
とても解りやすい。



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小杉一笑を偲ぶー金沢で1(芭蕉の道を歩く 75)

2024年05月20日 04時42分22秒 | 芭蕉の旅
松尾芭蕉が「おくのほそ道」で金沢に来たのは、

芭蕉が、まだ一度も会ったことがないけれど、
通称 茶屋新七といって、
加賀では俳句に思わぬ優れた人と、
かねがね噂に聞いていた小杉一笑と言う人に
会いたくて金沢に来たが、
芭蕉の来報を待たずに、
昨年の冬 早世したと聞いて、
すこぶる残念に思った。

芭蕉の来報に、一笑の兄が
追善句会を願念寺で行った。

その願念寺には、金沢駅からバスに乗って
「広小路」で降りると、
すぐ後ろに願念寺への通路が見えた。
細い道を入っていくと門があり、
願念寺に着いた。

(願念寺)

その願念寺には一笑の塚がある。

願念寺の門を入って、
右手に手水場があり、龍が水を吐いており、
正面に本堂があり、すぐ左手に門塀に沿って、
その塚は立っている。

(願念寺本堂)


(右手の手水場)

本堂前には、沢山の靴が下駄箱らしき板に積まれており、
中でいろいろ会話が聞こえるが、何を話しているか分からない。

近寄ると、中の障子が急に開いて、
ダミ声で「何か用か?」と、
誰何されそうで、近寄るのを止めたが、

一笑の塚だけはカメラに収めた。

(一笑の塚)

一笑の兄が追善句会において、
詠んだ芭蕉の一句、

・つかもうこけ 我泣く声は 秋の風

この句には、「一笑の死を悼む悲しみは、私の泣く声で塚も動け」と
芭蕉の激情が感じられてならない。


(願念寺の門の外の左側に立つ句碑)

石塔の
左側は「本一山 願念寺」とあり、
右側の石碑には、

「芭蕉翁来訪地 小杉一笑墓所

・つかもうこけ 我が泣く声は 秋の風」

とある。

芭蕉は、次に別の庵に招かれて、

・秋涼し 手毎にむけや 瓜茄子

を詠んでいる。

この句を見る限り、心穏やかな芭蕉を感じることができる。


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