それゆけ!ぶんぶん一家☆ミ

不器用な3人家族と、ゆかいな仲間たちのブログです。

市内を一望できる京都の新名所☆将軍塚青龍殿☆京都市山科区♪

2017-09-28 05:17:04 | おでかけ

9月23日秋分の日のトーヨートラベルさん主催の日帰りバスツアー。

自由時間はしっかり余裕を持って、時間に追われることは皆無なのだけど、早くも第4話で最終話です。

京都東山山頂の新名所!ってとこに行ってきましたよ。ってお話です。

『天台宗 青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)将軍塚青龍殿』という、新名所。

『福徳門』なる門を潜って行きますよ。

門の傍らには、『歴史的風土特別保存地区』なる石碑が建っておりましたが、

ここが美しく名所として整ったのは平成26年のようです。同年10月に建立、落慶。

こちらが『青龍殿』。国宝の青不動をお祀りしている建物です。

そもそもこの青龍殿は、大正2年(1915年)大正天皇の即位を記念して、

京都北野天満宮前に建立されたもの木造大建造物。

戦後、昭和22年(1947年)京都府に移管、警察の柔道・剣道の道場となり、その後一般にも開放され、

武道修行に励む『平安道場』として愛された後、平成10年、老朽が進む故の解体処分が決定するも、

平成21年、青連院が『青龍殿』として京都東山山頂将軍塚に移転再建を決定。平成26年に完成。

さて、昨日の第3話では、桓武天皇を御祭神とする平安神宮と、京漬物屋さん

件の桓武天皇、延暦4年、都を奈良の平城京から京都の南方、長岡に一旦お移しになるのですが・・・・。

長岡京造営の責任者であった藤原種継の暗殺、犯人とされたが無実を訴え続けた早良親王の

抗議の断食後の死、その後の度重なる不幸の数々、大きな天災。

遂には長岡京を退去し、延暦12年に遷都を打ち出し、延暦13年、平安京に都を移されました。

長岡京での災いの数々のさなか、和気清麻呂(わけのきよまろ・奈良時代末期~平安時代初期の貴族)は

桓武天皇をこの山の山上に誘い、京都盆地を見下ろしながら、都の場所にふさわしいと進言したのだ。

余談ですが・・・和気清麻呂の生まれは、備前国藤野郡。今の岡山県和気町なのだとか!

調べてると、楽しくなってきますよ。

話を元に戻しましょう。和気清麻呂に進言されたこの京都盆地を都とすることを決められ、

都を見下ろせるこの地に、都の鎮護のために『将軍塚』を作られた。

高さ2.5メートルの将軍の像を土で作り、鎧甲を着せて鉄の弓矢を持たせ、太刀を帯させ、

その塚に埋めるように命じた。それがその将軍塚。

源平盛衰記や太平記に、世の中に異変のある時は、この塚が鳴動したと記されてるそうな。

近代では、東郷元帥、黒木大将、大隈重信、菊地大雪等のお手植えの松がある・・・・。

東郷元帥お手植松。

こちらは黒木大将お手植松。

そして、このふっさふさなのは、『後継の松』と申しまして、早稲田大学創始者の大隈重信侯が、

この地に植樹。以来、この松は四代目なのだとか。大隈松ちゃうや~ん・・・って、ガッカリしない事。

先に知っておけば良かったのだが。大抵、行った後で調べまくって歴史の楽しさに寝不足になるの。

さ、ここの・・・・ええ、青龍殿も将軍塚も重要なんですけど。見どころ、必見・必達スポットはここ。

京都市内を一望できる新名所『大舞台』。

そこは、清水寺の・・・・ああ、音羽山清水寺の舞台は、ここを参照してね。

その清水の舞台の4.6倍の広さ(延べ面積・1046㎡)の木造大舞台。

眼下に京都市内が一望できる大パノラマ。秋と春にはライトアップもしてるとか。

桓武天皇もここから・・・・。決して夜景は望めないであろう自然の京都を、遠望していたのでしょう。

平安神宮の大鳥居が目立ってるとこ。

銀閣寺や京都御所も見えるらしいのだけど、方向音痴の私にゃあ、全く分からないさ。

庭園は、紅葉と桜の名所なのだそう。

京都の新名所、『新』が付いてる内に、そうそう混み合わない内に訪れてみてはいかがでしょう。

庭園をゆっくり巡ってバスへ戻りました。

バスツアーのお話4話で完ですが、ゆったりゆっくり出来て、良いプランでした。

添乗員さん、運転手さん、一緒にバスに乗った皆様方、お世話になりました。ありがとね

天台宗 青連院門跡 将軍塚青龍殿

京都府京都市山科区厨子奥花鳥町28

http://www.shogunzuka.com/

実はバスツアーネタのブログで寝不足です。写真も説明も、かなり省略したのですけど。

明日は、バスツアー解散後の晩御飯書きます。

 

 



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