それゆけ!ぶんぶん一家☆ミ

不器用な3人家族と、ゆかいな仲間たちのブログです。

大きな鳥が辿り着いた。そういうとこだ☆大鳥大社☆堺市西区♪

2021-06-08 05:12:35 | おでかけ

ふふふ。実はここでね、年末年始の単発で働いた事があるんだ。

だのに・・お詣りしたことも無ければ、自分の仕事のポジションの位置しか知らない。

時が過ぎ、齢を重ね、知ってみたくなったのだ。年末年始にあんなにも沢山の方々が求めたそこを。

延長5年(927年)完成。平安時代だと思う。醍醐天皇の頃。

延喜式神名帳(延長5年にまとめられた、全国の神社一覧)所載の、霊験特に著しい名神神社。

で、和泉国の一ノ宮。和泉のその地域で、最も社格の高い神社って事なんだな。

馬。大鳥大社の紋だって入ってるもん。取り敢えず写真だ!!。

そして、何で馬?何なに何なに?。そう思った。けれど、境内をゆっくり巡って知ったわ。

平治元年、平清盛と重盛親子が、熊野参詣の途中に都で兵乱有り!。

その旧法を聞き、都へ帰る途中に大鳥大社に参拝して戦勝を祈願したそうだ。

この神馬一頭と、和歌一首を献じた。その和歌がこちら。

全く見えないけど。

『かひこぞよ、かへりはねなば飛びかけり はぐくみたてよ、大鳥の神』

「蚕よ 都に帰り着いたならば飛べるように はぐくみ育て給え 大鳥の神よ」

蚕は、平氏の紋の蝶の幼虫をさしていて、1160年、藤原信頼、源義朝らのクーデター、

平治の乱が勃発した時のものだそうだわ。凄い神社なんだわここ。

御祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)。

第十二代景行天皇の第二皇子。そして第十四代の仲哀天皇のお父ちゃん。

武勇伝は日本古代史に残っていて、熊襲(くまそ・九州南部)や、東国(出雲の国)の征討を行った、

伝説的な英雄だったっていう、あの、日本武尊さ。

手水舎の龍は、金網で囲っておかないと逃げるのか?美しく写せないのが悔しいな。

今は使っちゃいけない手水舎だけど・・・。

金網無しの、龍と紫陽花が撮りたかったぞ。

件の英雄、日本武尊なのだが。東国の平定の後の帰路だ。

伊吹山の荒ぶる神を倒すために山に入ったところ、その神の祟りに遭い病に。

病をおして大和を目指そうと、お家に帰る!って頑張ったのだけど、辿り着くこと叶わず、

伊勢国能褒野(のぼの・三重県亀山市田村町に能褒野王塚古墳があるらしい)で身罷る。

こちらは拝殿。

伊勢国能褒野に陵を造り、人々が嘆き悲しんでおりましたならば、なんと、日本武尊の御霊が

白鳥となって飛び立ったのでさぁ。これは凄い。大空を舞い飛び、そして最初に降りたのが、

大和の琴弾原(ことひきのはら・奈良県御所市の大和琴弾原古墳)。

その次に舞い降りたのが、河内国の古市(羽曳野市古市の白鳥陵古墳)。

再び天高く舞い上がり、ここ、大鳥大社に降り立った。それがここの起源なのであった。

拝殿の向こうっ側が本殿な模様。

鎮守の森、千種森は、白鳥が舞い降りた時に一夜にして樹木が生い茂り出来た森。

そんな境内には、堺市指定の保存樹木が有るのだけど。手水舎横が一番大きい??

それでは無くって。ちょっと歩きましょうね。さすれば見つかるよ。ここ。

御神木「根(値)上がりの大楠」。樹根が隆起していることから、根上がり。

値が上がる、価値が上がる、運気が上がる。古よりそう言われ、

商売繁盛や財運向上の大楠、「根上がりさん」の呼称で親しまれてきたそうな。

写らない様に撮りました。この鳥居の奥の屋根の付いた奥、

樹根部分の穴のその奥に、いらっしゃるのです。「楠神霊」が。

興味のある方は是非!肉眼でみて、お詣りしてみてくださいませ。運気が上がります様に。

あ。申し遅れましたが、御祭神は二神。日本武尊ともうお一方。

大鳥連祖神。和泉国に栄えた神別(神々の後裔と伝えられる氏族)である中大臣と、

祖先を一にする大鳥氏の先祖。大人の都合で説明はここまで。

こんな重要な和泉の一ノ宮で、ちょいと働いてお給金を頂いていたって。なんてこった。

ほんと、日本の神様話って面白い。機会がございましたら是非どうぞ。

大鳥大社

大阪府堺市西区鳳北町1丁1-2

TEL 072-262-0040

5:30~18:00。でも受け付けは9:00~16:30。

 

 

 



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