高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

夏の長期自然体験村

2021-07-23 11:18:44 | プログラム 子ども

2年前の夏のはじまり、今頃には、海外からのボランティアスタッフが集まり、すでに夏休み長期自然体験村の開催準備に入っていました。 20年つづけた活動で長い時は4週間キャンプを実施していました。 コロナがあるにかかわらず、2019年を最後にして終了しました。 最大30人の子どもを募集し関わるスタッフ数も20数名で、毎日、海へ、山へ、農場へとでかけて体験活動をするので、スタッフ数も多く必要でした。

初めの頃は日本の大学生がボランティアで参加していましたが、大学の授業や試験が八月に掛かるようになり、日本人わ若者を集めるのが難しくなり、その頃から徐々に海外からの若者を募るようになりました。台湾の大学との実習契約もし、国際ボランティアネットワークともつながり、スタッフの半分10数名は海外勢という構成で運営体制が定着をしてゆきました。しかし、彼らを集めるネットワークは日頃から維持していなくてはなりませんし、なにかと手間暇がかかりましたが形が整ってゆきました。 

3週間も合宿生活すること自体が大きな体験活動です。開始した時期はそのような経験がありませんでしたから、それはそれは大変でした。 いろいろな事件も起こりましたが、大きな事故やケガもなく過ごせたことは私自身にとっても得難い体験でした。 3年目くらいに大きなプログラムラインができあがりました。

1週目 子どもたち同士、スタッフと子どもも初対面です。どんな人がいるかをお互いに知り合う期間。そのために、海山川と、全員が同じ場所へゆき同じ活動をします。 最終には太平洋から日本海までの40kmウォークをしました。歩く行為は個人技ではありますが、全員が同じ目標を持って歩くので、終了したあとには、おれたちは仲間ダァという全体感が高まりました。

2週目 小グループで別々の場所で活動をします。 自然学校にはどんな道具があるのか、自然学校の周りにはどんな場所があるのかを体験してゆきます。 この2週目は疲れが出てくるので、子供同士のいざこざが発生したり、スタッフ間の連携がギクシャクすることもあるので、心身の微調整が必要になります。 この週は、第3週のメーンイベントであるチャレンジプログラムへの前哨戦となります。3週目は、自分でやりたいことを決めて仲間を集めてグループを作り、2泊3日の活動をします。 それを意識づけながら、第2週を過ごします。

3週目 個人個人でやりたいことを発表しながら、グループを構成してゆきます。スタッフが厚い夏は(人数が多く技量もある)2-3人の活動も許可しましたが、通常は5-7人で5班くらいの活動に集約してゆきます。このグルーピングに長いときは3日かかりました。そのうえで、行動計画、食料計画をつくり、運営スタッフから実施OKをもらいます。

なかなかユニークな活動がたくさんありました。その報告書が廊下に張り出されています。けっこう壮観だなあ。記憶に残る活動は・・

・一輪車で旅する企画

・砂浜に露天風呂を作る「ビーチミックス」(お湯にさまざまな物質を入れるのでついた名前)

・大学ワンダーフォーゲルがゆくような山奥の天然露天風呂探検

・打ち抜き井戸掘り

・川の源流から海までの「ガールズウォーク」

・カヌー三艇を連結して台座をつくりその上にテントを張り過ごす、「水上生活」

・パフォーマンスの踊りを作って披露しながら移動する「大道芸人の旅」

・出会った人と物物交換しながら移動する「わらしべ長者の旅」

・昼寝て夜だけ歩くという 「ロングナイトウォーク」

そして、4週目は道外からの子どもいたのでオプションで、北海道の道東や奥尻島でのキャラバンキャンプをしたこともありました。

運営コンセプトは、「全開遊び」と「大家族」。スタッフ合計50名ほどの3週間。それはそれは熱く暑い夏でした。私が力づくでリスクを背負って、育ててきた活動ですが、夏休み期間中は別な活動や受け入れもできないこともあり、現スタッフに運営委譲したこともあり、2019年を最期に思い切って長期村の歴史を閉じることになりました。

1ヶ月間、大家族のように過ごす夏は、エキサイティングなものでしたので、今は無くなってしまい、寂しさもあります。しかし、まあ、私自身も歳をとりました・・・、もう10年くらい前になりますかね・・、子ども数人を連れての海岸歩きのプログラムをしました。ロープも必要、断崖をよじり、泳ぐこともする活動なのですが、サポートしていて、「もし、この子がここで滑ったら止められないな・・」風が出てきた泳ぎの必要な箇所で若いスタッフがいなければ先導してゆけない」ということありました・・。 気合だけでは子どもを守ることはできないので、その次の年からは通称:ロックビーチ歩きは止めました・・。

さらには数年前からは毎晩9時くらいから開かれるスタッフミーティングまで体力が持たなくなっていましたし、多少リスクのある冒険的な活動の現場ディレクターもできなくなりましたので、致し方なしではありますが・・。

コメント (2)
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