作家の曽根綾子さんが、産経新聞や週刊ポストに記事で発言した
「高齢者は適当な時に死ぬ義務がある」という発言が物議をかもし出しています。 たまたま、私は現在、高齢者社会をテーマにした社会派推理小説とでもジャンル分けされるのかなあ・・そんな小説を読んでいます。年金支給が75歳以上となり、国債も破綻、高齢者の雇用労働環境を整えないと生きて行けない年寄りが増える、それにより、若者の働き雇用環境が悪化してくるという社会を描いています。 年寄りも若者も行きにくくなる時代の話です。 なにやら想像だけのフィクションではないような気もしつつ興味深く読んでいます。
「死ぬ義務がある」とは、大作家とは思えないような、安易な言葉づかいだなと思います。しかし、実は真実をついているのかもしれないので、物議をかもしだしているんでしょう。 年金生活者よりも賃金が低い若者は数多く実在しているでしょう。 定年は60であっても専門性や経験を持って嘱託継続雇用もすでに実行されている世の中です。コンビニにも年配スタッフが増えています。 若者の雇用現場が圧迫されてくるのも事実でしょうね・・・・。
年寄りは、「死ぬ義務がある」というのはセンセーショナルすぎるいい方ですが、自分で自分の仕事のリタイアを決める必要はあるでしょう。しかし、無一文では無理だな・・・・。 そんな不安定な社会にほんとうに突入しているなあ。
そんな中で、私の友人でお役人さんで定年を迎えた方がいます。彼は職務とは関係なく中国語会話を現役時代から勉強していて、かつ、日本語教師の資格を取りました。それを持って、定年後に週2,3回の日本語学校の先生をしています。なんとまあ、素敵な大転換であります。
「少ない収入で、暮らしてゆける社会」・・・・。これが課題だよなあ。