「縮みゆく日本を謳歌しよう」と、最近の我師内田樹氏が言っています。「ダウンサイジングの社会」「成長しない社会」の選択。
これはなにも内田氏だけでなく大江健三郎さんをはじめ多くの知識人が言っています。経済学者の浜さんもダウンサイジングの社会、つまり右肩下がりの経済への対応能力欠如に苦言を呈していますね。
私は経済学、社会学、生態学の知識力の土台が弱いので力強い説得ある発言はできませんが、動物的な勘を持って、人類、特に日本人はこのままでは生き残れないのではないかと危機感を募らせています。 私だけでなく多くの人々が漠然とした不安感をお持ちではないかと思います。多くの人が同じような感覚を持っているということは、たぶん、それが本質なのだと思います。
金融の量的緩和をしてじゃぶじゃぶとお金を刷って市場に流せば多少なりとも経済循環が良くなり、そりゃあ株価もあがるでしょう。そのくらいのことは私にもわかります。しかし、問題は増えたお金の分配が偏ってしまう社会構造にあります。価値基準が価格と資産の分量できめられてしまう社会。
物物交換社会であってもその価値交換を等価理解するには相当高度な人類としての感性が必要だったと思います。さらにその間に紙幣・金という道具を使うようにしたことは人類社会の経済の叡知の結果だったと思います。しかし、拝金主義というのでしょうか、世の中の物事すべてが貨幣経済の中で換算比較され、金を持っている者とそうではに者に間に大きな溝をたくさんつくってしまいました。お金があればなんとなるという感覚、価値観はグローバル経済で地の果ていたるところまで金勘定を浸透させています。
「お金では買えないもの」「お金だけではうごかいない物や人」はまやかしのようなリアリズム欠如とみなされてしまうような今の風潮をかんじているのは、もはや少数派なのでしょうか。拝金主義は権力の集中をよびますので、一方では事大主義(自主性を欠き、勢力の強大な者につき従って自分の存立を維持するやりかた・広辞苑)をもはびこらせます。今の日本はこの事大主義傾向があるようで、私は恐ろしい。政治も経済も議員数の過半数、売上商品のシェア拡大が関心事の重要点となり、多様性が担保されなくなり、社会や経済の一様化が始まっている。
ところがみんなおんなじになったら、「変化」が生まれなくなる。社会生態は多様であってこそ、大規模な地球サイズの危機に対処できる、変化や変容が生まれると考えて、「多様性」を「生命・この地球上に生きるための)」最大の価値と意義と考えているので、この事大主義的な傾向が現れている今の日本に大いに危機感をもっています。
「ダウンサイジング」をいかに進めてゆくかと声を上げると、経済・景気回復の事大主義から総スカンを食らってしまいそうな昨今ですが、私は「経済成長しない社会での幸福」の追求こそ、今日本にできる世界の先進事例となるとおもうんですが・・・、そのキーあーどが「マイ田舎づくり」だとおもうんですが・・・・2015年はここのところをもう少し上手に説明できるようになってゆきたいと思います。
MY田舎作り実践研究所所長 高木晴光 年末の誓い。
(冒頭写真に写っている人と私の主義主張は必ずしとも一致しているとはかぎりません)