高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

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2014-12-14 21:45:54 | 日記
安倍政権の指南役、竹中平蔵氏は人材派遣会社パソナの会長だったけな?その彼が、悪念に言い放った、「貧乏の自由、しかし、社会の足を引っ張るな」が、グローバリストの本音だよなあ。 それから1年経った今日の衆議院議員選挙は、再び自民党大勝の勢い。 今度は石破地方創成国務大臣が「頑張る地域は応援する」と競争を煽ってますがな。
 
 
 
 
 
社会が勢力の強い方に流れる事大主義になってしまった感有り。
自然だけでなく、社会の多様性も担保される世の中でないと、経済格差が広がる、酢さんだ人類社会になっちまうと、壮大な危惧を感じる
 
2014年の12月14日の誕生日前の夜に思うのでした。
 
来年の今頃が、これ以上に荒んでいませんように・・・。
 
 
 
12月13日(金)のつぶやき

 高木晴光 つくろう銀河ネットワーク @hokkai_tarou 09:57sankei.jp.msn.com/west/west_affa… 「貧乏の自由、しかし足をひっぱる...
 

 

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縮みゆく経済社会を謳歌しよう!

2014-12-14 17:13:53 | 主義・主張

「縮みゆく日本を謳歌しよう」と、最近の我師内田樹氏が言っています。「ダウンサイジングの社会」「成長しない社会」の選択。

これはなにも内田氏だけでなく大江健三郎さんをはじめ多くの知識人が言っています。経済学者の浜さんもダウンサイジングの社会、つまり右肩下がりの経済への対応能力欠如に苦言を呈していますね。

 私は経済学、社会学、生態学の知識力の土台が弱いので力強い説得ある発言はできませんが、動物的な勘を持って、人類、特に日本人はこのままでは生き残れないのではないかと危機感を募らせています。 私だけでなく多くの人々が漠然とした不安感をお持ちではないかと思います。多くの人が同じような感覚を持っているということは、たぶん、それが本質なのだと思います。

 金融の量的緩和をしてじゃぶじゃぶとお金を刷って市場に流せば多少なりとも経済循環が良くなり、そりゃあ株価もあがるでしょう。そのくらいのことは私にもわかります。しかし、問題は増えたお金の分配が偏ってしまう社会構造にあります。価値基準が価格と資産の分量できめられてしまう社会。

物物交換社会であってもその価値交換を等価理解するには相当高度な人類としての感性が必要だったと思います。さらにその間に紙幣・金という道具を使うようにしたことは人類社会の経済の叡知の結果だったと思います。しかし、拝金主義というのでしょうか、世の中の物事すべてが貨幣経済の中で換算比較され、金を持っている者とそうではに者に間に大きな溝をたくさんつくってしまいました。お金があればなんとなるという感覚、価値観はグローバル経済で地の果ていたるところまで金勘定を浸透させています。

「お金では買えないもの」「お金だけではうごかいない物や人」はまやかしのようなリアリズム欠如とみなされてしまうような今の風潮をかんじているのは、もはや少数派なのでしょうか。拝金主義は権力の集中をよびますので、一方では事大主義(自主性を欠き、勢力の強大な者につき従って自分の存立を維持するやりかた・広辞苑)をもはびこらせます。今の日本はこの事大主義傾向があるようで、私は恐ろしい。政治も経済も議員数の過半数、売上商品のシェア拡大が関心事の重要点となり、多様性が担保されなくなり、社会や経済の一様化が始まっている。

ところがみんなおんなじになったら、「変化」が生まれなくなる。社会生態は多様であってこそ、大規模な地球サイズの危機に対処できる、変化や変容が生まれると考えて、「多様性」を「生命・この地球上に生きるための)」最大の価値と意義と考えているので、この事大主義的な傾向が現れている今の日本に大いに危機感をもっています。

「ダウンサイジング」をいかに進めてゆくかと声を上げると、経済・景気回復の事大主義から総スカンを食らってしまいそうな昨今ですが、私は「経済成長しない社会での幸福」の追求こそ、今日本にできる世界の先進事例となるとおもうんですが・・・、そのキーあーどが「マイ田舎づくり」だとおもうんですが・・・・2015年はここのところをもう少し上手に説明できるようになってゆきたいと思います。

MY田舎作り実践研究所所長 高木晴光 年末の誓い。

(冒頭写真に写っている人と私の主義主張は必ずしとも一致しているとはかぎりません)

 

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イチローの凄いところとアタシを比べると・・・・

2014-12-14 16:23:17 | コラム風味

天才努力家イチローとアタシの日常を比べてもせんないが、イチローの凄い選手でいられるのは、「毎日同じことを繰り返しやっていること」にあると内田樹氏は説く、そして、私にも思い当たるような経験はあるのだが、どうして自然ガイドのイチローのような存在になれないかというと、間違いなく、「毎日続ける努力がない」ということだと教えられた朝です。

内田氏はイチローの日常を知っているわけではないが、たぶん同じ時間に起きて、毎日同じような食事を朝取り、同じコースのジョッキングをして何百回とバットを振ることが日課となっているはずだと観察してきたようにいう。 だから自分の心身の「昨日と今日の微妙な違い」がわかり、すぐに微調整ができるのだろうと推論している。 その鋭い論法に「なぁるほど!」と読んで感嘆した。

「心身にルーチン化した刺激を与え続けると能力が高まる」という経験は実は私にも思い当たることがある。 それは、週に3日以上は自然の中に出ていたガイド時代であり、自然の中で身体をつかうだけでなく、新聞に毎週1本の自然コラムを1年間書くという頭脳をずっとON状態にしていたことがあった。その時期は身体感覚も心の感性も鋭くなってきて、いろいろなことに気づくことができる自分がいた。天候の変化ばかりでなく、一歩上がった場所の大気の温度差や藪の向こう側に何者かがいそうな気配、これは危険かいなかも瞬時に感じるようになっていた。目の前を横切る鳥の色合いがわかった。樹木や風に話しかけることができたし、その回答も来た。ホタテ貝とは彼の歴史的生態の変化について語り合えた。身体的には左右の肺を交互に作動させて新呼吸を右肺で次に左肺で三回目は両方でできるようになったのもその頃だった。心身感覚がとても重要な自然ガイドとして心身の感受能力がとても高まっていた。このまま修行を続けると、「浮きなときに、自分の心肺停止を自律的に行なえるのでないか」とすら感じた。アメリカンネイティブの「今日は死ぬには良い日だ」という言葉が身体感覚として理解できた。しかし、ガイドの回数が減るとその感覚が衰え、書く仕事がなくなると、気づきも少なくなったと感じたが、自然の中に身を置き続ける、文章を書き続けるという努力をしなかった。あのときの私の心身は絶好調の状態だったとわかる。そして、その頃と今の状態は明確な違いがあると比べることができる。

 このところは、月の照度の違いすら体感できにくい身体になっている。以前は満月の日は暦を見ないでも身体で感じていた。満月の光に何度起こされたことか。枕から振り返るとそこでお月様がにこやかにわたしを見ていた。しかし、最近ではその感知力が明らかに鈍っている。自然事象の微細な変化に気づけない、鳥のさえずりが聞こえない、雷がつかずいてきたことが身体でわからない、身体反応が鈍化しているのだ。これでは感性派の自然ガイドとしては致命的な欠陥だ。。知覚の衰えは老化もあるだろうが、そればかりではない、私の感受能力が訓練されつづけられていないので劣化しているのだ。さっぱりとあの巨木達は話しかけてこない。アタシのことを信頼できなくなっているのだろう。(と思えること自体がまだ自然と切り離れていないな、救いはあるな、きっと)。ボールに反応できないイチローと同じだ。 イチローは努力をし続け心身能力を維持トレーニングしている、それによって自分もお客さんも楽しませている。

しかし、お前は努力をしていないじゃあないか。

自然の中にどっぷりと浸かる時間をもっと日課として増やしたい。そうでないと、アタシのアタシ本来の味がでない。つまるところ、自分の人生のおもしろみが薄れてしまいそうだ。薄れてしまっては、お客さんも楽しませることができなくなる。 そうなったら、どこに生きる喜びがあるというのだ。

2015年はもっと日課として自然にどっぷりと浸ろう。それが、アタシにとってのルーチンの心身トレーニングだ。

などと、内田樹さんのコラムを読んで、いろいろと頭を使っている昨今であります。

 

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12月13日(土)のつぶやき

2014-12-14 10:44:05 | 日記
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雪合戦観戦の徒然思い

2014-12-14 10:04:38 | 頭脳の微分積分

週末の自然体験活動に子供達とボランティアの若者たちが合計20名ほど滞在している黒松内ぶなの森自然学校です。雪はあまり降らないほうがありがたいですが、雪遊びにはちょうどいいくらいに雪が降りました。

一昔前まではアタシも雪合戦には全力でのぞんでいましたが、ここのところは参加意欲・モチベーションがあがりません。なんと言ってもこどもたちに対抗する体力が続かないのがわかっているので、気後れしてしまい、参戦前に戦意喪失ということでしょう。

◆身体はうまくできています。歳を取ると身体が動かなくなるので、転びやすく怪我もしやすくなります。なので、こういう戦闘性ある遊びは自己を守るためにも参加しないほうが賢明です。 そのために年とともに精神力でも意欲の衰えが自然と出てきます。これは身体生命に重大な危機を与えないための自己防衛意識だと思います。 ですから、40過ぎても現役でがんばるプロ野球選手やサッカーのカズやテニスの伊達公子さんは尊敬しますし、パラリンピックを目指しているアスリートもすごい人々だと思います。「身体能力の衰えがわかっているのにそれでも自己を鍛錬して兆戦する」凄さは賞賛に値します。

◆しかし、雪合戦は、ひとりひとりの動きや個性がわかるので、見てるだけでも面白いし、わかいもんの動きと遊びの様子を見ているだけでもその元気パワーがもらえますので、老若一緒にコミュニティは大切です。

◆安倍政権がついに、選挙終盤で改憲と徴兵制について選挙後に議論を始めると言ったらしい。戦争は阿部くんも石破くんも行きません。戦争をしかけて指揮するだけでめったなことで指揮官は死にも殺しもしません。戦場に行くのは、このように何時間も雪合戦ができるような体力をもっているわかものやいま目の前にいるj子供たちが青年になるみらいです。犠牲になって命を落とすのも、直接他人様を殺す行為を求められ遂行せざるをえない立場になるのは、今、この目の前にいる子どもたちです。 そんな戦争ができる国、時代に今の我々大人がしてはいけない。ぜったいにいけない。!!!!

と、あんなことそんなことを、雪合戦を見ていて思うのでした。

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投票に行こう!!

2014-12-14 09:58:15 | 日記

いよいよ今日は衆議院議員選挙だ。 

国政選挙は民主党の政権奪取、自民党の奪還と大振れしてきたが、昨年の参議院議員選挙での自公過半数勝ちで、日本の政局は1大自公政権が定着してしまった。強いものに烏兎来同(うはらいどう・このような四文字熟語は見当たらないが・・強い者に有象無象が集まってしまう様という高木熟語)してしまう日本人気質が今の政治には定着してしまった。

今の日本の政治も社会体制もは世論というよりも、まったく「国民の気分」で決まってしまう気がする。

グローバルという言葉は何かカッコイイのでよさそうだ。自公が衆参両院で過半数を超えているので、「決められる政治になったから」それでいいんじゃあない。

福島第一原発の過酷事故による放射能はアンダーコントロールにあるしい。

地方は消滅するらしい。「アベノミクスで資産価値が増えた」「中国や韓国は人の領土に踏み込んできてイカン連中だ。」

日本人は「強い権力がああ言えば、そうだと思う」あの先の大戦での第日本国大本営発表の連戦連勝の報道をそのまんま信じてしまった当時の日本国民とまったく同じ状態に(その時代感覚は体感していない昭和20年代後半生まれのあたしですが)、つまり、自分自身が自ら考えを深め自分の意見を持つこと、表現することをやめてしまった国民に戻ってしまったのだろうか。

「よらば太樹の影」と安定した大会社や公務員になる指向が若い人(親の問題あり)が長く続き、政官民のトライアングルな業界「経済の護送船団」経営が続いたせいなのか、大きな勢力に従うだけの国民に退化してしまったんだおうか。 自民党はこの選挙終盤で改めて改憲を主張し超平成の検討も始めると言ったらしいが、安倍自民党の信念だけでこの国の行方を決めていいものか! 今日の選挙は重大だ。 

金と効率だけで物事を解決するグローバリズム経済に突き進むか否かが、今回の選挙の最大の争点だと私は思う。所詮「金」の問題だと沖縄基地問題も原発補償問題についても複数の自民党政治家が公言失言(本音だ)した。従軍慰安婦、靖国参拝問題だって、相手が感情的に嫌悪していることに対して、「それはなかった」だの「信教の問題」だと論じても相手は納得するはずがない。「わるうございました」と言葉で姿勢を見せても態度で表していないのだから。これらにしたって、所詮金の問題だろとタカ派政治家という人々はそれこそタカを食っているんだろうな。これらの落とし穴は大きい。その落とし穴の巻き添えを食うのは、ほかならぬ国民、あたしたちだ。 

異を唱える表明をしよう。それは一票ずつの力の積み重ねだ。民主的市民の表現の方法はそれしかないのだから。

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写真

2014-12-14 09:57:39 | 日記

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