高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

原体験

2007-06-10 23:13:06 | 主義・主張
子ども達は昨日仕掛けた魚のワナを確認にゆきました。姿はしっかりと冷たい水につかっても大丈夫なくらいの完全装備でした。姿というのは、水着の上にジャージーなどを着て、さらには雨具とライフジャケットを身につけるという、北国の水遊びの身なりです。

時期がまだ早いんだと思いますが、とれた魚やエビはわずかでした。でも、なんと巨大なヤツメウナギを網で捕らえた子がいました。体調20cm以上がありました。BNBによると、産卵をしてもう寿命を迎えるくらいだろうとの鑑定でした。

中頓別で当年60歳の農家のおじさんが、子どものころには川を渡る時、ヤツメウナギに上を渡るほど居たと言っていました。 

話を聞いてゆくと・・・、農薬散布が大量になされ出した昭和30年代から急速に生き物が里地から消えていったようです。 散布した横の用水路に魚が浮いたとの話してくれた人もいます。

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50年前に、足に絡みつくほどにヤツメウナギを見た子ども

今日、20cmの一匹のヤツメウナギを見た子ども・・・・

50年の時の違いはある中で、出会ったそれぞれの子どもの原体験。

これはどれほどの違いがあるだろうか・・と考えるわけですが・・・

私は、次のように思います。

二つの自然体験には確かに自然度の深さや質においては、大きな違いがあります。しかし、「感動」というものは、普段の生活や知識・経験と比べて生じる心の大きな動きです。つまり、上記の二つのケースは、異なる時代のできごとなので、自然や生活の様子もとても異なります。

つまり、「原体験」が心像として残り、その人の心や人生に与える影響は、両者は同じようなものではないかと思います。

しかし、その体験は、その時代の「本物」である必要があります。

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かく言う私といえば・・・
本日は、疲れでダウンしてしまい、子ども達を川に送った後は、道端で倒れておりました。

すなわち、

50年前のヤツメウナギも 現代のヤツメウナギにもお目にかかっていないのでありました・・・。

コメント
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