熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

成田空港への高速道路ストップ・・・トラックとダンプ衝突

2006年09月03日 | 政治・経済・社会
   去る9月1日所要があって、朝9時過ぎ、四街道インターチェンジから東関東自動車道に入って佐原に向かった。
   四街道で降りる車が多くて異常な状態であったが、日頃、渋滞などあり得ない道なので、少し待てば解消されるであろうと高を括って高速に乗ろうとしたが、はいり口から大変。
   事故は、一つ先の佐倉インターチェンジで起こって、ほんの5キロ足らずの道を2時間ほど掛けて通り抜けたが、結局仕事にならなかった。

   後で知ったのだが、事故は、当日朝6時頃、茨城県結城市の大型ダンプ(10トン)に、香川県三豊市の大型トラックが、追突して、ダンプが横転して積荷の残土が路上に散乱して、片側3車線をブロック。佐倉―富里間を、6時43分から9時15分まで全面通行禁止で、私が走り始めた頃にやっと1車線通行が解除されたのであった。

   私が一番気になったのは、この東関東自動車道は唯一の東京方面からの成田空港へのアクセス道路であって、途中までは旧成田街道があるが絶えず渋滞していて役に立たず、この高速が止まると完全に車での空港への道が閉ざされてしまうことである。
   リムジンバスを含めて車で空港に向かった乗客は、正午ころまでの午前中に成田を出発する航空便には不都合をきたしたのではないかと思う。
   私の場合など、旅慣れていた所為もあって、出発1時間前くらいにチェックインすることが多かったので、こんな事故に合うと万事休すである。

   海外生活と海外事業担当が長かったので、飛行機での海外移動は数知れずで、色々な経験をしていて、出発便をミスったのは何回もあるが、臨機応変に対応できないと商機を逸することになって大変である。
   

   成田からロンドンに帰る時に、神田からタクシーに乗ったのだが、運転手と私の空港への理解が違っていて、てっきり羽田だと思ったタクシーは羽田に向かって走っていて、うとうとしていて芝浦と言う看板が目に入った時にはビックリした。
   一か八か兎に角引き返すことにして、高速に入り直して成田に向かった。
   「スピード違反になると困るのは貴方だろ、無理しなくても良いよ。」と言ったのだが、当時スピードオーバーするとチンチン音がする警告装置が付いていたがこれを最初から最後まで鳴らしながら、運転手は猛スピードで走ってくれた。
   結局、出発時刻15分前くらいにチェックインカウンターに駆け込み、スーツケースを機内へ持ち込んだのだが時刻どおりロンドンに帰ることが出来て、当日夕刻のビジネスをこなす事が出来た。
   積み残されて飛行機が出発してしまったり、一日空港で待たされてキャンセルされたり、色々旅には泣き笑いの思い出がある。

   さて、この東関東自動車道だが、成田方面行きは殆ど渋滞がないが、東京方面行きの渋滞は結構多くて苦い経験をしているが、東京行きはJR便利用が一番便利かもしれない。  
   ところで、この日の高速閉鎖の成田空港へのアクセスであるが、当日国際便に乗ろうとして車で成田に向かった人々は、困った程度はヒト夫々にしろ大変だったであろうと思う。

   私がよく利用していたスキポール空港へは自動車で事務所のあったワールドトレードセンターまで行って車を置いて、そこからは、電車で空港を往復した。
   しかし、たまに車に乗って空港に向かった時に限って、殆ど渋滞のない高速が渋滞して困ったことがあった。

   ヒースロー空港へは、当時は、ヨーロッパ内なら自動車で空港に行きBAのスポットまで行けば駐車場に保管しておいてくれて帰る時に持って来てくれたのでこの車サービスを利用し、日本など長期旅行のときは、タクシーなど色々の交通手段を使ったが、いずれにしても、東関東自動車道と同じで、ロンドンからは、A4とM25を利用して行かざるを得なかったので、事故が発生して渋滞すれば同じ現象が起きる。
   大分前に、ヒースローとパディントン駅までヒースローエクスプレスのノンストップの電車でロンドンにアクセス出来るようになって現在では便利になっている。
   しかし、何れにしろ、世界の大都会と空港との間の高速道路網には、慢性渋滞の所なども結構多いし、ひとたび事故などで交通が遮断されると完全にパニックになるところがかなりある。
   渋滞に巻き込まれて、いらいらした経験が沢山あるので、その度毎に、どうにかならないものかと思い続けている。

   ところで、今回、道路交通情報をかけっ放しにしていたが、何処何処から何処何処まで渋滞と言うだけで、何がどうなったのか詳しい情報は分からず、事故の場所や様子を一般のラジオ放送で知ったのだが、正確な事故情報を適格にドラーバーに伝達する方法はないのか。
   四街道のゲートも、渋滞しているとだけ伝えていたが、このITと技術革新の時代に、もっと親切な交通情報を伝える工夫が出来ないものか。事前に情報があれば、今回の場合は、富里のインターチェンジから入る方法もあったのである。

   この日、9月1日は、丁度、防災の日であった。
   ラジオもTVも防災防災であったが、災害は忘れた頃にやってくる、不都合が起こると準備しなければと気を引き締めるのであるが、のどもと過ぎれば熱さを忘れる、残念ながら人間の悲しいサガである。
   
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