熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

吉田蓑助と山川静夫 花舞台へ帰ってきた。―脳卒中・闘病・リハビリ・復帰の記録

2019年11月22日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   吉田蓑助と山川静夫の、脳卒中・闘病・リハビリと言った予期せぬ人生の挫折を克服して、花舞台へ帰ってきた復帰の記録で、吉田蓑助と山川静夫 花舞台へ帰ってきた。―脳卒中・闘病・リハビリ・復帰の記録で、非常に興味深い。

   簑助は、65歳まで運動とは全く無縁であったのだが、リハビリを始めてから、毎日一日も欠かさず運動を続けている。
   リハビリのために入院した有馬温泉病院では、理学・作業・言語療法の三本立てで、一番辛かったのは、「言語訓練」で、失語障害は、話す機能だけではなく、読む、書く、聞く機能も落ちるので、文字を見るのさえ苦痛で、「ヨ・シ・ダ・ミ・ノ・ス・ケ」と言えた時には、思わず涙をこぼしたと言う。
   2003年、一番弟子簑太郎の勘十郎襲名披露の時に、「三代目・桐竹勘十郎をよろしくお願いいたします」とだけ、不自由な声で言ったのを聞いた時には、私自身も感激し、聴衆は拍手万来で応えたのを覚えている。
   毎日、マシンやダンベルを使っての筋トレとストレッチ、水中歩行などの3時間、それに、家の裏山を歩くこと2時間、その姿の写真が掲載されていて、病床で、勘十郎から渡され握りしめろとアドバイスされたソフトボールに、「足遣いからでもいいから、もう一度舞台に復帰したい」と言う一念で書いた、たどたどしい足と言う字の滲んだぼこぼこになったボールを今も大切に持っているようだが、このボールの写真が苦闘のすべてを物語っている。
   幸い、簑助復帰後、暫く、先代玉男が健在であったので、玉男・簑助黄金コンビの至芸を楽しむことが出来て幸せだと思った。
   玉男が逝った後、簑助が、仮名手本忠臣蔵の舞台で、大星由良助を遣った時には、大きな時代の流れを感じて、簑助健在の喜びを感じた。

   この本では、第2章の「リハビリ交信」で、二人の闘病時期の往復書簡が掲載されていて興味深い。

   私に興味深かったのは、第3章の「わが師わが友」。
   簑助は、文五郎に入門して部屋子として同居していたが、文楽の人形遣いには、主遣い、左遣い、足遣いと三人の分業で完結していて、独立した役柄の修行など成立せず、三人の「呼吸」が要求され、自分で沢山の経験を積むしか道がなく師匠は何も教えてくれない。
   ところが、師匠のおかみさんがやっていた「文の家」と言うお茶屋の二階に住んで居たので、頻繁に出入りする芸鼓たちの煙管に煙草の葉を詰める仕草など、女性たちの立ち居振る舞いが、その後の芸の手本になって大いに役に立ち、弟子たちに「芸は見て覚えろ」と口を酸っぱくして言っているのだと言う。

   「新口村」の舞台で、紋十郎の足遣いしていた自分が、忠兵衛を遣うことになって、紋十郎の梅川を、位負けして、しっかり抱き寄せられなくて、「抱くのや、抱かんか!」と怒鳴られたと言う話も、簑助でさえそうかと思わせて面白い。

   このパートで興味深いのは、文楽人形制作者の大江巳之助との交友録と、人形の首への思い入れとその秘密の開陳。
   それまで、天狗弁や天狗久の作った名作と言う首があるが、その首では、昭和、平成の文楽には合わず、文楽と言う伝統芸能は、時代の流れに沿って、観客と舞台の三業と共に流れていて、今の時代の観客や、太夫の声、人形遣いの演技には、大江巳之助の首しか合わないのだと言う。
   これは、世阿弥の頃の面もあると言う、歴史と伝統のある名作の古面を珍重する能狂言とは違った、文楽の古典芸の特質を語っているようで非常に興味深い。

   人形遣いは、自分の人形には熟知しているが、自分では遣っている人形の顔は見えない。自分の遣った人形の首を撮った写真を見て、演じていた以上に哀れさなどを表現していて、自分ながらビックリする。これは、大江巳之助の首のなせる業だと言う。

   平成9年に巳之助は逝った。
   「大江の前に大江なく、大江の後に大江なし」と結んでいる。

   簑助の話だけで、レビューが終わったしまったが、この本は、山川静夫が主体で構成したようで、山川静夫についても、勿論、非常に興味深い話が綴られている。
   観客の一人として、山川静夫と同じような視点で、見ているような気もしたので、簑助だけの印象記にとどめた。
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ヘンリー・ポラック著「地球の「最期」を予測する―2030年・気候危機という名の科学的真実」その2

2019年11月11日 | 書評(ブックレビュー)・読書
    最近、地球温暖化について、少し、一般の関心が戻ってきた感じがするのだが、スーパー台風や大雨洪水、大地震など巨大な自然災害が勃発すると、地球環境の危機を意識するものの、直接日常生活に深刻な不安がないので、宇宙船地球号が悲鳴を上げているという実感なり意識が全くなく、悲しいかな、「茹でガエル」状態に甘んじている。
   ゴーストライターに書かせた自分の著書さえ真面に読んだ事もないし、本など殆ど読んだ事がないと言うトランプだから、当然、IPCCの報告書など読むはずがなく、初歩的な知識さえあるのかないのか、特々と、パリ協定破棄を宣言しており、それに、熱狂して拍手喝采する沢山のアメリカ国民を見ていると、 サミュエル・ハンチントンではないが、別な意味で、深刻な文明の衝突を感じざるを得ない。極論すれば、智と愚の衝突としか思えないのである。

   さて、地球温暖化について、原因は色々あるが、
   太陽の黒点が多い時には太陽が放つエネルギーが多く、少ない時にはエネルギーが少ない。地球に届く太陽の光の強さは、可視光線だけではなく波長の短い紫外線や長い赤外線も含め、今では人工衛星によって観測されているが、その数値は黒点の増減と一致している。黒点の減った20世紀後半には、太陽の放つ光の量が本当に減っていたので、地球の気温が下がる筈だったが、上がり続けたのである。
   1963年にインドネシアのアグン、1982年にメキシコのエルチチョン、1991年のフィリピンのピナツボと相次いで大噴火し、広くまき散らされた火山灰が地球の一部を遮った。自然現象だけが温暖化の要因なら、黒点が少なく弱くなった太陽の光が火山灰に遮られた20世紀後半の地球は、表面温度が下がっていた筈である。
   ところが、現実は逆で、20世紀半ば以降、温度は、華氏1度近く上がり続けている。今や自然の要因だけが地球の気候を支配しているのでない証拠で、人間の力が大きさを増し、自然のメカニズムに暗い影を落とし始めている。
   2014年の第5次IPCC報告では、“人間の影響が20世紀半ば以降に観測された温暖化の支配的な(dominant)要因で あった可能性が極めて高い(95%以上)” と述べている。

   さて、人類の自然の破壊も凄くて、
   中央アジアのアラル海は、北米の五大湖とアフリカのヴィクトリア湖に次ぐ世界第3位の広さの湖であったのが、湖に注ぐ2本の河を綿花畑の灌漑用に分水して、今や10分の1に縮小。
   アメリカ西部からメキシコに流れる大河コロラド川は、上流のアメリカが取水して、メキシコまで流れる水は僅かで、海に届く前に干上がってしまう。
   ガンジス川もナイル川でも状況はよく似たもので、河口付近の流れは極めて細い。
   川は、工場排水や生活用水に含まれる危険な化学物質や、農地から流失した化学肥料や農薬などを運び、海の生態系を壊して微生物以外の生命体が消えた千か所に近い「デッドゾーン」を、海洋に広げている。
   アメリカ人が1年間に汲み出す地下水は、コロラド川のおよそ15本だと言うが、再生不可能な地下水が枯渇するところも出たり、水位がどんどん下がっていて、お先真っ暗。
   

   また、地球の温暖化は、この水源である氷河を危険にさらしており、人類に壊滅的な打撃を与える。
   例えば、アジアの「世界の屋根」の氷塊、1万5000以上の氷河でおよそ3000立方マイルの淡水に相当し、この水とモンスーン降雨と雪解け水が、ブラマプト川、ガンジス川、インダス川に流れて、インド、パキスタン、バングラデシュを潤しているが、地球温暖化によって、過去20年間にヒマラヤの氷河が解け続けていて、20年か30年くらいで氷が殆ど底をついてしまい、大河が干上がってしまう。
   海水面の上昇で、多くの大都市や国を水没させる危険は言うまでもない。

   20世紀の石油、21世紀の「水」
   21世紀には、水こそ最重要な資源となり、水を巡る国際紛争が熾烈を極める。
   前述のコロラド川を巡るアメリカとメキシコは、何十年もの水争いが続いており、
   9か国がドナウ川を、6か国がザンベジ川を、4か国がヨルダン川を共有しており、水不足は、どの国にとっても死活問題で国際紛争が絶えず、
   トランプは、能天気だが、アメリカ国防総省は、国家安全保障に対する気候変動の影響に関する調査で、水不足は、国家間の関係を不安定にしかねない要因であると指摘し、「軍事的な対決は、イデオロギーや宗教、国家の威信を巡る争いよってよりも、エネルギーや食糧、水といった天然資源に対する切実な必要によって引き起こされるかも知れない。」と言っている。

   水だけの問題を考えても、地球の温暖化によって、例えば、バングラデシュの場合、先のヒマラヤ氷河の凍解で、水位の低いガンジス川の水資源が枯渇し、逆に海水面の上昇で低地帯は水没する心配が増大するであろうし、水質悪化による汚染や、サイクロンなど自然大災害の増大などの危険が考えられ、大変な不安がある。
   太平洋上の小国ツバルを考えても、島の殆どが海抜1メートルにも満たない状態であるから、海面が1メートル上昇すれば水没するのだが、今でも、潮は海岸線から内陸へ押し寄せるだけではなく、水中からサンゴと土壌を通って地上に水が染み出ていて、ぐしょぬれのスポンジの上で暮らしているようなものだという。

   我々日本人も、地球温暖化による「これまでに経験したことのない、100年に一度の」大自然災害の直撃に会って苦難を味わわされているのだが、このままでは、
   地球上の氷河がどんどん溶けて海水面が上昇して、東京や上海やニューヨークが水没するのは、時間の問題だという。
   国の借金の増大で、孫の世代に禍根を残すべきではないと騒いで入るが、それと同じように、よって立つ宇宙船地球号を無人衛星にしても良いのか、真剣に考えるべきであろうと思う。
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ヘンリー・ポラック著「地球の「最期」を予測する―2030年・気候危機という名の科学的真実」

2019年10月30日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   アル・ゴアと共に、IPCCのメンバーとして、ノーベル平和賞を受賞した地球物理学者のヘンリー・ポラック教授が、氷河の歴史を掘り下げ、氷が、この地球上で果たしてきた大切な役割を論じながら、気候変動によって、地球環境が、どんどん、窮地に追い込まれて行く状況を説いている興味深い本が本書。

   この本では、IPCCの第4次報告が引用されているのだが、最新の2014年の第5次IPCC報告の概要は、(環境省の報告より引用)
   • “気候システムの温暖化には疑う余地はない” 気温、海水温、海水面水位、雪氷 減少などの観測事実が強化され温暖化してていることが再確認された。
    “人間の影響が20世紀半ば以降に観測された温暖化の支配的な(dominant)要因で あった可能性が極めて高い(95%以上)”
   • 今世紀末までの世界平均気温の変化はRCPシナリオによれば0.3~4.8℃の範囲に、 海面水位の上昇は0.26~0.82mの範囲に入る可能性が高い。
   • 気候変動を抑制するには、温室効果ガス排出量の抜本的かつ持続的な削減が必要 である。

   5年毎の報告の度毎に表現が厳しくなってきているのだが、極めて厳格なルールに従って、2000人以上の現役の気象学者が参画して作成し世界中の科学者が認めた最大公約数の見解であり、経済や政策の観点からの議論も行われて各国政府の承認した報告書なのだが、それでも、温暖化を疑うのか、と言うのが著者の厳しい見解である。
   
   しかし、現実には、「温暖化否定論者」が増殖し、二酸化炭素を大量に放出し稼いでいる業界(石油業界や自動車業界など)が裏で手を回し、メディアの情報操作して、気象学者を、「不安定」で「不確か」で、「根拠のない」科学者だと非難し、また、一部の科科学者たち(その多くは業界から研究費などの支援を受けていた)も温暖化に異議を唱えているという。
   勿論、その否定論の根拠を引用して、すべて反証できると論破している。

   最近では、大分、世論の風向きも変わってきたが、まだ、色々な利害関係故に科学的データから目をそらして、温暖化の進行を認めたがらない人がいるので、「自然の温度計、天然の声」に聴けと言う。
   陸と海に生きる動物や植物たちが、気温の微妙な変化を感じ取って、花を咲かせる時期を早めたり、春に鳥が卵を抱く時期も早まっていたり、寒くなると南へ渡る筈の鳥たちは冬が穏やかになったので秋深くまで旅立たなくなったなど、生物の世界では、地球温暖化の影響はどんどん出ている。
   確かに、私の趣味の椿の開花時期が大分早くなってきたのを感じているし、もう半世紀も経つが、学生時代に、比べたら、京都の紅葉の季節が、大分、遅くなってきたような気がしている。

   さて、私が興味を持ったのは、300年前に、パナマ地峡が閉じて、海洋循環の調整とそれに伴う大気への影響で、地球への降水分布が再編成されて、赤道の北で乾燥が始まり、大陸が冷えて乾いてきて、森林が草原になり、アウストラロピテクスは順応しようと苦闘し進化の必要に迫られ、道具や技術が発展したということである。
   また、およそ7万年前の最終氷期の中頃、アフリカの気候変動で乾燥が進んで、ホモサピエンスは、生活が成り立たなくなって、絶滅寸前となったのだが、幸い、氷河作用で海水が大規模な大陸氷河に覆われていたお陰で、住むのに適した大陸へ、大地の果てへと大移動を開始したという。
   「ミトコンドリア・イブ」を起源とするアフリカ単一起源説を取れば、当然、アフリカから徒歩での民族移動であり、毎年10マイルほど進み、1000年以上の時を経て、新天地へ渡って定着したと言うことであろう。

   何度も繰り返されてきた氷期は、地形を劇的に変え、気候の変動とそれに翻弄された人類にストレスを与えた。氷床は、人類や生物の頼りにしていた植生を覆い尽くし、浸食する氷の所為で住む場所を追われたが、海水面が低下したことで移住への道が開けた。
   氷が世界を支配していたわけだが、人類は、氷河の前進と後退に必死で対応して生き続けてきた。
   そして、最後の氷期が終わるころに、人類の叡智は繰り返し襲ってきた氷河期のストレスによって鍛えられ、世界制覇を狙えるまでに至ったというのである。
   トインビーの説いた「挑戦と応戦」が、シュンペーターの言うイノベーションを生み出し、文明文明の進歩発展を促進したと言うことであろう。

   さて、地球は、呼吸するように、何度も氷期の到来を繰り返してきたが、この1万年ほどは比較的安定した温暖期が続いているので、蒸発する海水の減少量と、降雨や河川及び氷河の流入で海に戻る水の量がほぼ釣り合っていて、基本的に収支バランスが取れていた。
   ところが、20世紀になって、地球が温暖化して、氷河の流れが速くなって氷の解ける量が増大し、加えて、温暖化による海水の膨張で、このバランスが崩れ始めたと言うのである。

   もう、後戻りは効かない。
   いつかは、海面の上昇で、大洋の島嶼国や、上海やニューヨークなどの海辺の大都市が、水没して行くと言うことであろうし、今回のスーパー台風や大雨の被害の加速も分かろうと言うことであろうか。
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ブレイクスルーへの思考: 東大先端研が実践する発想のマネジメント

2019年10月19日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   理系や文系と言った垣根を取り払った学際的な異端児学者が糾合する東大先端技術研究所が実践する発想のマネジメント、ブレイクスルーへの思考を、インタビュー形式で、教授たちが開陳した興味深い本。
   2016年12月東大出版会の発行で定価2200円+taxながら、私は、ブックオフで新本の廉価版を買ったが、amazonでは、古書だが送料ともで500円で買えるから、とにかく、このような興味深い、所謂、思考の助けになる良質本が、二束三文だと言うことは、日本の本文化の衰退と言うだけではなく、知的水準の低下と言う感じがして、一寸気になった。

   10人以上の学者たちが、夫々の専門分野の興味深い研究成果などを語っており、ブックレビューと言うのもそぐわないので、今回は、日本各地で大被害を受けた台風について、その対策などに役に立つ情報がないかと考えて、気が付いた点について書いてみたいと思う。
   と言っても、関係ありそうな学者は、都市工学専攻の西村幸夫教授くらいで、この場合も、直接、台風被害対策については、言及していないし、私の意図そのものが無理なのである。

   西村教授の見解で興味深いのは、
   都市開発は権力と親密だ。関係者は権力を行使できるため、ある意味、居心地がいい。しかし、力ずくでまちの記憶を消し去った場所で、住民は豊かに暮らせるのだろうか。と言う指摘。

   都市の立地を考える時に、「安全な場所に住みたい」とか、丘陵の一番突端で見晴らしいのがよいとか、水が得やすいとか、周りより少し高いところであるとか、川の合流点であるとか、そこには、何かの判断があって、他ではないこの場所が選ばれていると言うところが当然ある。
   そして、次に、やはり都市なので、山に向かって道があるとか、神社があるとか、お城があるとか、ある種の構造を持っている。人々は、この都市はこうあるべきだとか様々な構想をし、沢山の変化が起こる。それぞれの人々の考えの積み重ねで、夫々の施設が置かれる時にはそれぞれの判断がある。
   そういうのを集合的に観るとやっぱり誰かが構想しているんだと、擬人的に言えば都市が構想しているとも言えるわけである。
   また、都市の細部や、「時間」とか「空間」のアクティビティから都市を見、都市の歴史をさかのぼって見るとか、異なった視点で都市を理解しようとすると、その都市の個性のようなものが良く見えてくる。そこから先の計画は、その先を進めればよい。と言うのである。

   都市の成り立ちや都市計画については、これでわかるとしても、このようにして生まれ育まれて発展してきた都市が、今回のようなスーパー台風の襲撃を受けて、土砂災害、浸水害、洪水が発生し、そして、先の東日本を襲った巨大な地震・津波、また、巨大な火山などのような自然災害によって、都市が壊滅的な被害を受けた時には、抗うすべもない。
   武蔵小杉や多摩川の水害のような都市災害については、都市計画でカバーできるとしても、この分野は、高度な国家施策と土木工学や防災工学の世界であろう。
   自然災害の激震地日本の運命とも言うべき日本人の試練をどう生き抜いて行くか、あの美しい富士山が何時か大爆発するかもしれないと言うダイナマイトの上に胡坐をかいている日本の危うさ、心しなければならないと思っている。

   もう一つ、興味を持ったのは、「渋滞学」の西成活裕教授の、
   交通渋滞を解消する究極の方法は「分散」と言う考え方。
   正月やお盆の頃の高速道路の渋滞は大変なものだが、これは、日本人の重要な年中行事であるから、教授の説く「休暇の分散」も機能しないであろう。
   果たして、河川の堤防決壊を避けるために、「渋滞学」を活用できないであろうか。

   そして、社会デザインの森川博之教授のIOTの指摘で、
   センサーを用いた土砂崩れ対策をこうじて、センサーを設置して危険を感知するようにすれば、人間が見回りに行かなくても済むと言うこと。
   河川の洪水など、川に設置された水位計を見て判断しているようだが、AI、IOT時代に、メソポタミアやエジプト文明以下の悲しい現実。

   私のように、2度のスーパー台風の上陸地点直近に住まいする鎌倉の住人ながら、幸せにも、殆ど大きな被害に合わなかったが、被害地の方々の甚大なダメッジを見聞きするにつけ、自分がその立場に立っていたら、生きるすべを総てなくして、大切な人々を失い、これから、どうして生きて行くのか、到底自信などなく、泣き暮れているであろうと思うと、いたたまれなくなってしまい、深甚な心からの同情を禁じ得ない。
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野村四郎・山本東次郎:芸の心 〔能狂言 終わりなき道〕

2019年10月16日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   能楽師野村四郎と狂言師山本東次郎と言う両者人間国宝の能狂言界のトップ芸術家が、能狂言について、思う存分語った対談集で、非常に面白い。
   まず、能と狂言との関係だが、野村四郎に著書「狂、言の家に生まれた能役者」があるように、15歳まで狂言師として薫陶を受けており、兄の萬と万作は、両方とも人間国宝と言う偉大な能楽師であって、能のみならず狂言に対しても造詣が深く、東次郎と、非常に奥行きの深い蘊蓄を傾けた会話を交わしていて興味深い。
   前著で、”15歳まで狂言をみっちり仕込まれたので、身体には狂言の血が入っていて、いくら自分でいいつもりで芸を盗んでやってみても、「狂言の足だ」「狂言の手だ」「狂言だ」と言われっぱなしで、「なんだよ、狂言はそんなに軽いものかよ」「馬鹿にすることはないじゃないか」と反骨精神が出て、「何クソ」と、「今に見てろ」と言って今日までやってきた”と書いている。
   狂言軽視は、兄の万作が、「太郎冠者を生きる」の中で、芸術祭の催しで「土蜘蛛」の間狂言を一生懸命稽古して大いに期待して出かけたのにも拘わらず、シテの旅行の汽車の都合で、間狂言がカットされてしまったので、こんな人格を無視した無謀なことがあって良いのかと言いようのない屈辱感を味わったと書いている。 能と狂言が同一舞台で演じられるのは、単に能一番の中に狂言の役があるから頼むので、狂言は、どうでも良いのだと言っても良いくらいの結びつきだったと言うのである。
   観客の狂言軽視も結構あって、例えば、先年の「式能」の舞台で、能「翁」と能「岩舟」の後、続いて、和泉流の狂言「三本柱」が、シテ万作で演じられたのだが、休憩なしで延々2時間半の連続公演であるとは言え、人間国宝野村万作が登場しても、席を立つ人が多くて、日頃のしわぶき一つさえ憚られる静寂そのものの能楽堂の雰囲気とは様変わりであった。

   この本でも、野村四郎師は、”能の人は、狂言を観ない人が多い。狂言を知らなくても平気だし、・・・”と述べて、アンテナをなくして、流儀とか家だけの狭い世界になって、能狂言に生きて行く覚悟が希薄になって、畏れを知らない、学ぶことへの意欲が弱くなった。と嘆いている。

   この二人の会話で感動するのは、血の滲むような修行と訓練の過酷さ烈しさで、その裏話を読んでいると、前に読んだ尾上梅幸著「拍手は幕が下りてから」の記事を思い出した。
   六代目の稽古の厳しさは、梅幸にとっては正に壮絶と言うべきで、「3時間以上寝る奴はバカだ」と昼夜を徹して行われたようで、隣の犬がいつも昼寝をしているのが羨ましくて、本気で「犬になりたい」と思ったほどだと言う。
   もう一つ梅幸の話で感動的なのは、次の逸話。
   ロシア・バレーのアンナ・パブロワが帝劇で「瀕死の白鳥」を上演した時、どうしても舞台袖から見たくて大道具に化けて菜っ葉服姿で観察していたら、ラスト・シーンで、白鳥が左右に羽を徐々に下げながら倒れて行く時、ずっと息をつめたままだった。
   偶々の会談の時に、感動したと感想を述べて、もし幕が下りなかったらどうするのかと聞いたら、パブロワは「その時は死ぬだけです。」と答えたと言う。

   ところで、この本での、狂言と能の関係だが、東次郎氏が次のように語っている。
   江戸の頃は、差別はされていなくて、初期の大蔵虎明は大夫の位、称号を貰っていて、能と変わらなかった。ところが、江戸幕府が倒壊して、明治維新になって、シテ方には割ときちんとスポンサーがついて正しく芸が守られたのだが、狂言は食べられなくなって、狂言方の芸位が凄く落ちて、舞台が出来ない人や台詞もろくに続かないような危なっかしい狂言師が沢山いて、レパートリーも数曲しかなく、いつも同じものを出している状態だったと言う。
   それに、能は、シテ方のみならず、ワキ方、囃子方があって成り立つもので、すり合わせもあるし、規制や制約も多くて勝手なことが出来ないが、狂言は、数人でできて、囃子が入らないものや面をつけないものが多く、安易にできてしまうと言う狂言の危うさがある。
   しかし、狂言面の優れたもの中には能面に匹敵するぐらい、むしろ、抜けているものもあり、これこそ、本当の狂言の芸位の高さの証拠である。基礎の技術、例えば、運びとか、立ち居とか、扇の使い方とか、舞いにしても謡いにしても、殆ど、基礎は能と変わらない。と言っている。

   それを受けて、野村四郎師は、
   山本家との野村家は、舞歌二曲を基本として、江戸式楽の良い意味での様式性、厳しさを持つ「能の狂言」の伝統を守り続けてきた。
   世阿弥は、「幽玄の上階のをかし」と言っており、幽玄と言う世界で、しかもその一番上等な「をかし」、それが、狂言なんだと言うことである。と言っている。

   狂言軽視の風潮については、これまで、何度か、狂言は凄い素晴らしいと書き続けてきたので、蛇足は避けるが、このトピックスは、この本のほんの一部で、能狂言ファンには、堪らないほど興味深い話題に満ちている。
   私など、能楽堂には200回以上は通っており、野村四郎師の能舞台も、山本東次郎師の狂言の舞台も、結構、沢山観ているので、それらを思い出しながら読んでいたので楽しかった。
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大島 真寿美著「渦 妹背山婦女庭訓 魂結び 」

2019年09月23日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   「第161回 直木賞受賞作」の大島 真寿美著「 渦 妹背山婦女庭訓 魂結び 」
   浄瑠璃作者・近松半二の生涯を描いた作品だということで、日頃、何々賞などと言った本を読んだことがないのだが、文楽、それも、近松半二と言うことなので、文句なしに書店に出かけて、本を手に取った。
   まず、作者の頭に去来するストーリーをそのまま、関西弁の文章に綴ったような軽快な語り口が非常に面白く、楽しませてもらった。  
   作者も、"声"が聞こえてくる、半二の声を聞いて、それを書き進めていく感覚であったと、楽しみながら一気に書いたと言ったようなことを語っていたので、小説の神が、作者の手に筆を執らせて書かせたのであろう。
   豊竹呂太夫に義太夫を習っているというから、並みの文楽ファンではない。

   人形の三人遣いを考案した人形遣いの吉田文三郎や、回り舞台や宙乗りを考案して名作を手掛けた歌舞伎作者の並木正三などの指導と薫陶、切磋琢磨、そして、多くの先輩や後輩などの刺激を受けながら、半二の浄瑠璃作家への一代記が展開されていて、面白い。
   この近松半二の作品は、合作も含めて、
   この小説のタイトルの「妹背山婦女庭訓」のほかに、「本朝廿四孝」「新版歌祭文」「伊賀越道中双六」「日高川入相花王」「奥州安達原」等々、現在、我々文楽ファンを楽しませてくれている作品が、目白押しなのである。

   操浄瑠璃の竹本座や豊竹座、そして、歌舞伎劇場などが立ち並び大衆芸術が犇めいて活況を呈していた当時の道頓堀、その激しい渦の中で、如何に、近松門左衛門の向こうを張った浄瑠璃の名作を生み出したか、大作「妹背山婦女庭訓」制作への軌跡を詳細に追いながら、その苦闘と葛藤を描いて、半二の作劇への生き様を活写している。
   「妹背山婦女庭訓」のヒロインお三輪に、語り部として登場させて、文楽や歌舞伎で心情を吐露させているのが面白い。

   ところで、「妹背山婦女庭訓」上演で、一気に、浄瑠璃人気が沸騰して、竹本座は、復活活況を呈したが、この上演のたった2年で、客は、再び、操浄瑠璃から歌舞伎芝居に移って行って、あの活況は幻として消えてしまって、道頓堀は、歌舞伎芝居一色。
   その後、「新版歌祭文」を書いたが、まずまずの人気、「伊賀越道中双六」途中で死去して娘おきみが仕上げたという。
   結局、半二は、歌舞伎芝居の人気に押されて操浄瑠璃が萎んで行くのを心配しながら逝ったというのである。

   私など、文楽も歌舞伎も芸術性においては、甲乙付け難いと思うのだが、いくら高度であっても、三業による文楽は地味であり、人気役者が百花繚乱の歌舞伎は、舞台の上だけではなく、役者の暮らしぶりや私生活、醜聞やら、誰と誰が喧嘩した、仲が良いとか悪いとか、始終、舞台の延長のように話題にされ、より役者の面白みが増して、その上、浮世絵が流布して、衣装や髪型などファッションの先駆けになるなど、飽きられる暇がない。と言う。
   その所為かどうか、松竹は文楽を手放し、その後、大阪府・大阪市を主体に文部省・NHKの後援を受けた財団法人文楽協会が発足し今日に至っている。
   いずれにしろ、文楽は、高度な日本の誇る重要な古典芸能、
   ひよわな花ゆえに、日本人挙って大切にサポートしなければならない。

   特大の大作を書いて起死回生を目指さない限り、先の見えない操浄瑠璃作家の苦悩が滲み出ていて、それに、大阪弁の乗りで泣き笑いの人生を描いた近松半二の一代記。
   面白かった。
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木村泰司著「巨匠たちの迷宮 (名画の言い分) 」

2019年09月12日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   再び、木村泰司の本、
   この本は、盛期ルネサンス以降のバロック絵画の巨匠たち8人の絵画論である。
   この中で、オランダに3年間住んで居た所為もあって、一番親しみを持って鑑賞してきた画家は、レンブラントとフェルメールであり、実際に、レンブラントの故地ライデンやアムステルダム、フェルメールのデルフトなども歩いてきており、また、意識して、二人の作品を鑑賞するために、世界の美術館を巡ってきたので、このれらの項は、楽しく読んだ。

   レンブラントが、あれだけの画業を輝かせ業績を残せたのは、彼の才能や努力もあろうが、当時のアムステルダムが、世界で最も栄えた文化文明の絶頂期にあって、いわば、質の違いは多少あったとしても、ルネサンス時のようなメディチ効果が現出されていたためだと思えて興味深かった。
   当時、アムステルダムには、世界中のものが何でも集まって来ていて、収集癖のあったレンブラントは、日本の兜を持っていたと言うのである。

   アムステルダム国立美術館に行って、最初に驚くのは、レンブラントの巨大な「夜警」の絵だが、レンブラントが一躍名声を博しスーパースターとなったのが、同様の集団肖像画であるマウリッツハイス美術館にある「トゥルプ博士の解剖学講義」だったと言う。
   集団肖像画と言っても、記念写真のような整列して全員正面を向いた肖像画ではなくて、芝居の舞台の一瞬を切り取ったようなドラマチックな絵画なので、「夜警」など、余計な人物が幅を利かせたり、描かれた人物に差があり過ぎて、同じ100ギルダーを出した依頼人から苦情が出たと言うのは当然であろうが、レンブラントの創作魂が、傑作を生んだのであるから貴重な絵画の記念碑であろう。

   当時、オランダ絵画の黄金期で、絵画ブームに沸いていたが、絵画は、チューリップのように投機商品でもあり、画家は市場が好むような絵を描いて画商に託すと言うプレタポルテのような美術市場が確立されていた。
   オランダは、プロテスタンの国で、教会からの大きな宗教画の注文もなく、絶対王政を敷く専制君主も君臨せず、従来需要が高かった巨大な歴史画や宗教画に変わって、顧客は富裕な一般市民であったので、絵画の需要は、風景画や静物画、風俗画、人物画などの小品に移っていた。
   ところが、レンブラントは、様々なジャンルの絵を描いていて、旧約聖書の世界のみならず新約聖書のキリストの受難も描いており、ギリシャ神話も主題にしており、私が、最近、やっと巡り合えたエルミタージュ美術館の「ダナエ」など、途轍もなく感動的で美しい。

   晩年のレンブラントの凋落は、私生活の乱れもあったようだが、大衆の恐ろしさとしての急激な好みの変化で、オランダ人の嗜好が、レンブラントの個性的で重厚な画風から離れて行ったのだと言う。
   人は財を成して社会的な地位を築くと、お金で買えない者、例えば、「優雅さ」を求め、フランドル人画家ヴァン・ダイクの影響を受けた宮廷風な様式やフランス絵画的な優雅な画風に移って行ったと言うのである。
   現在も、巨万の富を築いても、あるいは、功成り名を遂げても、知識や教養、美意識の涵養などは、付け刃が利かないので、似非環境で飾り立てようとするようなものであろうか。

   さて、私が、フェルメールに感激したのは、1973年、留学先のフィラデルフィアから、フランスからの留学生のクリスマス休暇帰国のエールフランスのチャーター便に便乗して、アムステルダム国立美術館で、「牛乳を注ぐ女」を見た時。特に、主婦の腕にまくり上げたシャツの辛子色からくすんだ黄色に変わって行くグラディユエーションとその微妙な美しさが強烈に印象に残っている。
   1980年に入って何度か出張し、1985年以降住んで居たので、何度、この絵を見に訪れたか分からないが、ハーグのマウリッツハイス美術館で、「真珠の耳飾りの少女」「デルフト風景」などを見て、一気にフェルメールに傾倒し、デルフトを訪れては、フェルメールの雰囲気を探索して味わい、幸い、欧米に住んだり歩く機会が多かったので、35前後しか残っていないフェルメールの作品を30以上は、実際に見る機会を得て感動し続けている。
   フェルメールの絵の大半は、左側に窓があって、その傍に佇んで、淡い光を帯びて何かをしている女性、時には、男性の人物像なのだが、気付かなかったのは、初期の「取り持ち女」の、娼家の絵で、男性客が、女性の胸を鷲掴みにしている絵で、こんな絵を描いたのかと言う驚き。ドレスデン国立絵画館に展示されているので、記憶にはないが、見ている筈である。

   レンブラントの時代は、バブル景気に沸く黄金時代であったが、フェルメールの時代には、英蘭戦争が勃発し、フランスの侵入を受けて、経済的にも文化的にも厳しい状況に追い込まれて、大変であったと言う。
   父の居酒屋・宿屋「メーヘンレン」や美術商の継承や、財産のあった富裕な妻方のサポートなどで、画業には支障がなかったと言う。
   贔屓筋の援助もあったのだが、「真珠の耳飾りの少女」のように、純金と同じくらいに高かったラピスラズリを使った顔料ウルトラマリンの青を使って、ターバンを描けたのである。

   フェルメールは、レンブラントのように工房経営者でもなく弟子もいなかったので、美術商をしたり、美術教師をするなど、何足かの草鞋を履いた生活をしていた。
   初期には、歴史画や風景画を描いていたようだが、その後、風俗画および風俗画的性格を持つ「真珠の耳飾りの女」のような、トロニーと呼ばれる頭部肖像画に専念するようになったと言う。
 
   とにかく、小品で寡作なので、人気が出たのは、ずっと後、「19世紀に脚光を浴びた慎ましやかな巨匠」と言う訳である。
   フェルメールの描いた世界は、市民階級を描いた作品なのに、その卓越した技法によって風俗画の域を超え、品格を感じさせる温かみのある筆触は独特の味があって人気が高い。
   1970年から90年にかけて、フェルメールの作品4点が、5回にわたって盗難に遭い、「合奏」は、いまだに行くへ不明だと言う。
   
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木村 泰司著「名画の言い分 数百年の時を超えて、今、解き明かされる「秘められたメッセージ」(3)

2019年09月03日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   西洋絵画のもう一つの後進国イギリスについて書いてみたい。

   イギリスでは、画家と言うのは、頭を使わずに手を汚して働く卑しい職業だと言う意識が長い間抜けず、17世紀までは外国人の画家が活躍していた。
   やっと、1768年、フランスから120年遅れで、王立美術アカデミーが創立され、イギリス画壇も確立し、イギリス独自のものを生み出そうと言う機運が高まり、パラディオ形式のカントリーハウスや風景式庭園が誕生した。
   人気のあった、複数の人物の日常生活の光景を、彼らの邸宅の屋内外で描いた「カンバセーション・ピース」と呼ばれる絵画や、貴族的で優雅さを漂わせた肖像画を描いたジョシュア・レイノルズや、トマス・ゲーンズボロの時代が到来したのである。
   
   本来、邸宅などのギャラリーには、先祖代々の肖像画をはじめ、歴代の君主や著名人の肖像画を飾るのが常なのだが、イギリスでは、自分の先祖代々の肖像画など持っていない成金階級が、それらしく飾るために、そして、ホテルなどが、二流品の誰だか分からない肖像画を買っていたと言うから面白い。
   18世紀まで、イギリスには、著名な画家がいなかったので、美術品は、大陸から買うのが常であったのである。

   もう一つイギリス文化で特異なのは、グランドツアーによる影響である。
   イギリスでは、植民地政策の成功や産業革命で世界屈指の経済大国へ上り詰めた17世紀後半から18世紀にかけて、貴族の子弟の間で、貴族に相応しい知識教養を身に着けるために、家庭教師やお供を連れて、2年くらい大陸を訪れる超豪華な研修旅行と言うべきグランド・ツアーが隆盛を極めたのである。
   フランスでは、洗練されたエチケットや振る舞いやファッションを、イタリアでは、古代ローマの遺跡やルネサンス美術に触れて芸術的素養を学ぶなど、最先端の文化文明を吸収しようとしたのである。
   
   この時、グランドツアーでイタリアを訪れた貴族の子弟たちは、クロード・ロランやカナレットなどの大陸の絵画を数多く購入してイギリスに持ち帰った。
   ロンドンのナショナル・ギャラリーに、コンスタブルやターナーの絵と共に、これらの素晴らしい作品が展示されているのは、このためであろう。
   このロランの風景画が、イギリス人をインスパイアして、イギリス風景式庭園を生み出した。
   それまで、イギリスの庭園は、ルネサンス以来のシンメトリックなイタリア庭園や、それを大規模に拡張したフランス式庭園が一般的であったのだが、反カトリック、反絶対王政の風潮が高まって、それを嫌って、ロランが描いたあの理想郷(アルカディア)のような庭園を望むようになり、庭の外に広がる自然も風景に取り込んだ風景式庭園=ランドスケープ・ガーデンが生まれたのである。
   何回か訪れたことあるストアヘッドの庭園など、ロランの絵のように、古代ギリシャの廃墟の建物を取り入れたような趣の雰囲気のある庭園である。
   私の住んでいた直ぐ側のキューガーデンにさえも、ギリシャ風の建造物があったが、このギリシャ趣味は、新大陸アメリカの銀行など歴史的建物にも、大きく影響を残している。

   先に、イングランドの美しい田園風景は、原生林を徹底的に破壊して作り上げた人工の造形だと書いたが、この風景式庭園も、川を堰き止めて池にし、美しくない村は移転させるなどして、そこに、古代ギリシャや古代ローマの神殿風の建物や橋などを配置して、人工的に理想化した。
   イギリス各地に、素晴らしいこの風景式イングリッシュガーデンがあって、休暇などを利用して、名園の誉れ高い庭園を行脚したが、美しいと言うよりも、壮大なスケールに圧倒される。
   日本では、多くの色彩豊かな花々が、自然風に無造作に咲き乱れている庭園を、イングリッシュ・ガーデンと言っているが、これは、イギリス風の庭と言うべきであって、本来のイングリッシュガーデンではなく、新宿御苑の庭も、本来とは程遠い。
   ストラトフォード・アポン・エイヴォンにあるシェイクスピアの妻アン・ハサウェイの生家の庭など、日本人のイングリッシュガーデンのイメージにピッタリの庭だと思うのだが、この方が、感性が合うのであろうが、勿論、イングリッシュ・ガーデンではない。

   日本の庭も、借景の技術が凄いが、イギリスも、このイングリッシュガーデンの手法を取り入れた手法の一つを思い出した。
   オペラの合間にピクニック・ディナーを楽しんでいたグラインドボーンの庭なのだが、広大な外部の羊のいる牧場と大邸宅の芝庭の間に深い溝(ハーハーと言う)を掘って隔離して、あたかも牧場の中の芝庭に憩っているような雰囲気を醸し出していた。

   オックスフォードの郊外にあるチャーチルの生家「ブレナム宮殿(Blenheim Palace)」は、壮大な宮殿の内部だけ見て、背後にある巨大な庭園を見る人は少ない。
   本来は、イングリッシュ・ガーデンだったのだが、20世紀前半に、フランス式に改造されたと言うのだが、巨大な杉が一直線に林立していた記憶だけは残っている。
   いずれにしろ、海外の絵画の影響を受けて、庭園や風景を造形したと言うイギリス気質が、面白い。
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木村 泰司著「名画の言い分 数百年の時を超えて、今、解き明かされる「秘められたメッセージ」(2)

2019年08月31日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   西洋絵画では、後進国とも言うべき、オランダやイギリスが、遅れて台頭して西洋絵画の歴史に、新鮮なインパクトを与えた軌跡が面白い。
   私自身、オランダに3年、イギリスに5年住んでいたので、特に、興味を持って、木村説を拝聴した。

   まず、オランダ絵画、
   さて、ギリシャで生まれ、イタリアで開花した西洋絵画は、元々、王侯貴族、知識人など特権階級の独占物で、知識教養のある一部のものであったのだが、オランダの勃興で、市民階級の台頭によって、一気に、一般社会に普及し始めたのである。

   オランダは、スペイン支配のハプスブルグ家の領土であったが、1568年に勃発したスペインとのオランダ独立戦争から、八十年戦争の結果、1648年のヴェストファーレン条約を経て独立。この間、東インドを侵略してポルトガルから香料貿易を奪い、東インド会社を設立してアジアに雄飛し、急速に、オランダ海上帝国を築きあげて覇権国家として黄金時代を迎える。
   世界中から、様々な珍しい品々が集まり、人々の収集熱が最高潮に達して、日本のバブル時代のように、絵画収集に熱狂するなど、チューリップの球根さえ投資対象となって、チューリップバブルが弾けうと言う異常な時代に突入したのである。

   この時代、オランダでは、強力な王政や貴族社会が存在せず、権力を握っていたのが裕福な商人や市民階級であったので、オランダの絵画市場の中心となったのは、上層市民や一般の富裕な市民だったが、これまで、主流であった、歴史画を掛けるほど大邸宅に住んでいたわけではなく、王侯貴族のような教養を持ち合わせていたわけでもなく、神話や宗教に精通しているわけでもないので、彼らが求めた絵画は、親しみ易いジャンル、静物画や風景画、そして、日常のワンシーンを描いた風俗画であった。
   宗教画や歴史画と比べて格下だと思われていたが、敬虔なカルヴィン派のプロテスタントであったので、この人生をキリスト教徒としていかにきちんと生きるかが、すべての土台であり、神話の世界ではなく、現実の人生の喜びを描いた絵画に対するニーズが、非常に高まって来たのである。

   興味深いのは、それ以前の絵画は、画家を丸抱えにしたり、オーダーメイドをする王侯貴族や教会など権力者たちによって支えられていたが、オランダでは、人々の収集熱の高まりに押されて、美術商が生まれて、彼らが持っている絵画から自分の好きな絵を購入するようになったことで、自然、画家たちも、そのニーズに合った、売れそうな絵を描くようになったと言うのである。
   オートクチュールではなく、絵画のプレタポルテ文化が誕生したのである。
   この時代のオランダ絵画は、百花繚乱、玉石混交、沢山の静物画、風景画、風俗画が生産された。

   そう言われれば、レンブラントは別格として、
   肖像画や風俗画の、ヤン・フェルメール、ヤン・ステーン、フランス・ハルス、
   風景がの、ヤン・ファン・ホーイェン、サロモン・ファン・ロイスダール
   静物画の、アブラハム・ファン・ベイエレン、ヘダ・ウィレム・クラース
   などのオランダ絵画の輝きが良く分かる。
   しかし、欧米に長く居て、オランダにも3年住んで、美術館博物館に、何度も通いながら、フェルメールに心酔し、レンブラントに感激しきりでありながら、ハルスくらいで、ほかのオランダ絵画に敬意を払って、鑑賞してこなかったのを、認識不足とは言え、今になって後悔している。

   さて、オランダの市民の住居だが、決して広くはないが、非常に、奇麗に整理整頓されていて、オープンである。
   私が、オランダで生活していた1985年から1989年にかけては、少しずつ治安が悪くなってきていて、アムステルダムなどの都会地では、カーテンが付けられるようになった住居が多くなってきたが、本来、オランダの家は、外部にはオープンで、カーテンなどなくて、ガラス窓だけなので、外から丸見えであった。
   オランダ人は、外から見ようと見られようとまったく気にしないようなのだが、1980年代初期に、デルフト工科大学へ留学していた同僚が、夏の夜など散歩するのが楽しみであったと語っていた。オランダは北国で冬季は日照が悪いので、他国の住宅よりガラス窓が非常に大きいので、丸見えだが、私には記憶がない。

   それよりも、この外からオープンだと言う特質を生かして、窓際に、家具や調度、それに、絵画を飾り立てて、「素晴らしいでしょう、見てください」と道行く人を楽しませてくれる。
   それに、オランダは、花の国。
   窓際に装飾された素晴らしい鉢花やフラワーアレンジメントが、それにも増して、一層華を添える。
   オランダは、正に、美しさ素晴らしさを近隣の人たちのみならず、道行く人々とも共有して楽しむと言う国民性があり、その一環が、国民挙げての花文化であろう。
   観光地に行けば当然だが、民家の小さな庭にも、奇麗な花壇があって、季節には、花々が咲き乱れている。
   美人秘書に、チューリップが咲き始めたがキューケンホフ公園へ行ったかと聞いたら、周りに花が咲き乱れているのに、何で行く必要があるのかと、怪訝な顔をされた。キューケンホフは、外人向けの観光チューリップ公園なのである。
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木村 泰司著「名画の言い分 数百年の時を超えて、今、解き明かされる「秘められたメッセージ」

2019年08月25日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   絵画の始祖ギリシャから説き起こした西洋絵画史と言った感じの本だが、非常に、軽快なタッチで語りながら、含蓄のある示唆に富んだ語り口が素晴らしい。
   貴重なエポックメーキングな絵画については、その背景なり絵画の作画についても詳しく語っていて参考になるし、面白い。

   著者の示唆で最も重要な点は、西洋絵画は、感性で美術を見たり、好きか嫌いか、感動するかしないかで見るのではなく、どの絵画も、古代ギリシャに遡るまで、ある一定のメッセージを伝えるもので、そこには明らかな意図が内在しているので、そのメッセージや意図を正確に読み解かない限り鑑賞できない。と言う指摘である。
   そのためには、その時代の歴史、政治、宗教観、思想、社会背景など、膨大な知識が必要となり、それらを総括したのが西洋美術史であるから、欧米人でも現代に生きる人々は、古代や中世の人たちが何を思って生き、どんな価値観を持っていたのか、美術史を学ばないと分からない。と言うのである。

   面白いのは、日本の観光客は、「ルーヴルは詰まらなかったが、オルセーは良かった」と言う人が多いが、ルーヴル美術館にあるものは教養がないと理解できない歴史画中心のコレクションだが、オルセー美術館にあるのは教養がなくても楽しめる作品が多い。
   無教養を晒すようなものであるから、せめて、やはり、ルーヴルは最高ですわ、と言って、何が好きだと言われたときに、応えられる作品を何か用意して置けと言う。
    
   この点については、私自身、メトロポリタン博物館、ルーヴル博物館、ロンドンやワシントンのナショナルギャラリー、ウフィツィ美術館、エルミタージュ美術館、プラド美術館など多くの欧米の主要美術館を訪れて、絵画鑑賞をしてきたので、痛い程分かっている。
   ロンドンに住んでいたので、ペンギンのガイドブックを最初から最後まで読みながら、全館、絵画を一つ一つ見て回ったが、帰ってから、ブリタニカやギリシャ神話や聖書など首っ引きで復習したことがある。
   私たち日本人には、馴染みの薄いギリシャ神話やローマ神話、キリスト教は勿論、西洋史の故事来歴など、欧米人の文化文明のバックグラウンドが分かっていなければ、その絵画が、何を描き何を語ろうとしているのかを、理解することが殆ど無理で、その絵画が語り掛ける物語、すなわち、画家の伝えたいメッセージや意図を理解できないと言うことである。
   たとえば、最近感じたことだが、ダンテの「神曲」やゲーテの「ファウスト」を読んだだけで、一挙に、西洋絵画鑑賞の裾野が広がり豊かに成る。

   著者は、美術のプロになるわけではないので、「その時代のエッセンスを掴む」と言う手法で、かなり、詳しく丁寧に、個々の作品について解説を加えているが、それはそれとして面白いが、要するに、例えば、ギリシャ神話やキリスト教などの基礎知識、教養がなければ、18世紀以前の西洋絵画の鑑賞は、中々、難しいと言うことである。

   モナ・リザをはじめとして、蘊蓄を傾けた実に興味深い話が展開されていて、興味が尽きない。
   解説を加えた作品106点については、カラー写真が添付されていて分かり易い。

   一点だけ、幻想的で怪奇な作品を残したヒエロニムス・ボスについて。
   十分な宗教教育を受けた教養豊かな、しかし、厳格な道徳主義者で、悲観主義者。
   人間の業や悪業を徹底的に悲観的に描いて、死者の再生などを殆ど描かず殆どは地獄行き、
   亡くなった翌年にマルティン・ルターの宗教改革が始まると言う免罪符を売るローマ教会が腐敗の極致。
   当時の人文主義者たちはオカルトに興味を持ち、貴族たちはグロテスクな絵画に興味を持ち、ボスは秘密結社のメンバーとしてそれらの富裕層の顧客を掴み、・・・
   次のボスの「快楽の園」は、マドリードのプラド美術館で見たが、凄い絵画である。
   
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イアン・ゴールディン他著「新たなルネサンス時代をどう生きるか:開花する天才と増大する危険」(3)

2019年08月21日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   現在、香港で、反中国デモが、天安門事件を彷彿とさせる勢いで、巻き起こっている。
   エスタブリッシュメントに対する大衆の反抗と言う位置づけであろうか、これを、ルネサンス時代に翻って見て、著者たちは、サヴォナローラ事件とルターの宗教改革運動を挙げて詳しく説いている。
   サヴォナローラの方は、短期間で収束したが、ルターのプロテスタントの方は、キリスト教会を真っ二つに分断して今日に至っているが、両方とも、ルネサンスの申し子とも言うべきグーテンベルグの恩恵を最大限に活用したと言うから、現在のデジタル革命と符合しているようで面白い。
   ベルリンの壁の崩壊は、ラジオ無線、アラブの春は、SNS、情報伝播の威力を感じる。

   免罪符に対する憤りは、現在では、ウォール街占拠せよ運動We are 99%.に典型的に体現されていると言うのだが、世界中のあっちこっちで、異常な格差拡大と富の偏重に幻滅した大衆が、大規模な抗議行動や暴動を起こしている。
   この世直しと言うべき大衆の大パワーについて、著者たちは、非常に示唆に富んだ貴重な議論を展開しているのだが、今回は、ちょっと違った切り口から持論を述べてみたいと思う。

   AFPが、「炎上するアマゾン、ネットで話題に ブラジル大統領はNGO非難」と報じていた。
   森林伐採の監視を担当するINPEが、ここ数か月の急激な森林伐採の増加を示す統計を公表して、また、近年最悪だと言うアマゾンの森林火災の頻発に世界中の非難を浴び、ボルソナロ大統領は怒りに駆られて、これに反論し、「こういったNGOが私とブラジル政府に対して人目を引き付けるために行った犯罪行為」が森林火災の原因かもしれないと指摘した。と言うのであるから、詭弁もここまでくれば言語道断。
   火災による延焼面積は現時点では計測不能だが、サンパウロ(Sao Paulo)含む複数の都市はここ数日、厚い煙で覆われていると伝えられており、民間航空便が航路変更を余儀なくされる事態にもなっている。と報じていたが、
   このアマゾン熱帯雨林の火災の凄まじさは、今日のABCニュースで、衛星から殆どアマゾン全域を覆うほどの広範囲の煙の映像と、日中ながら煙に覆われて真っ暗になった何千キロも離れたサンパウロの情景を映していて、私は、4年住んでいたので、背筋が凍る思いをした。
   アマゾンの森林は、気候変動の抑制に重要な役割を果たすとみられている。世界自然保護基金(WWF)は、森林火災が今年急増した原因がアマゾンでの森林伐採の加速にあると批判。と言うことだが、
   私が言いたいのは、世界中で蔓延しているエスタブリッシュメントに対して、そして、それらが築き上げている現在の政治経済社会に対して批判的な大衆運動は、歴史の必然として好ましいとは思っていても、その反動によるポピュリズムの急激な台頭、そして、どうしようもないような反文明反文化的なリーダーをトップに選ぶ国民大衆の愚かさを問題にしたいのである。
   例えば、地球温暖化、環境破壊の凄まじさによって、この我々の住む大地・宇宙船地球号が、現時点においても極端な異常気象によるなど危機に瀕していることは事実であるにも拘わらず、パリ協定を破棄して環境破壊産業の保護育成に励む大統領を選んだり、ブラジルのように人類の生命線とも言うべきアマゾンを破壊することに生き甲斐を感じているような大統領を頂いて地球を窮地に追い込む大衆の愚かさである。
   ニッポンでもあった「ノック青島現象」、
   チャーチルは、「民主主義は最悪の政治といえる。」と言って、逆説的に、「民主主義こそが最良である」と言ったと言われているのだが、私自身は、今の選挙を見ていて、悲しいかな、民主主義そのものが、選択を誤って、人類を窮地に追い込む危険のある政治システムだと感じ始めている。

   著者は、差し迫った大きな社会の脅威は、社会の崩壊ではなく停滞だと言う。
   特に、世界の民主主義諸国では、本当の危険は暴力による分裂ではなく、そのような重圧を解決するのには慣れている。むしろ、危険なのは、ごまかし続けて、損害を与える地球環境破壊、不平等の拡大や社会不和、機会の喪失を受け入れるようになり、現代が齎す筈の成果から大きく遅れを取ることである。と言うのである。
   地球環境の悪化も、格差拡大の被害も、今、直接、危機的な状態ではないので、殆どの人々は問題にはしていないが、間違いなく”茹でガエル”状態にあるとするならば、機会の喪失以外の何物でもとないと思わざるを得ない。

   500年前のルネサンス期には、自然は殆ど既定の事実であって、人間の制御どころか影響さえ及ばない存在であったが、今日では、科学技術の驚異的な発展によって、人類は、自然さえ左右するパワーを得て、それ故に、人為災害と自然災害の区別がなくなってしまった。
   人類社会のつながりと発展の力は、複雑さと集中の問題を生み、例えば、人類と地球の気候との関係を見ても、あらゆる科学の中で屈指の複雑な現象になってきた。
   人間の独創力、冒険主義、探検、繋がりと協力、つまり、人間が良いと考える沢山の行動が、意図しない副産物を生む典型的な集中のジレンマの気候変動を惹起。人間の活動が、地球環境の限界に達してしまっていると言う厳粛なる事実が悲劇を呼ぶ。

   これ以上、駄弁を避けるが、
   ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」と「ホモ・デウス」を、もう一度読もうと思っている。
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イアン・ゴールディン他著「新たなルネサンス時代をどう生きるか:開花する天才と増大する危険」(2)

2019年08月19日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   興味深い著者たちの指摘は、「集合天才」と言う概念である。

   イタリアのルネサンスが、熱意ある偉大な知性の存在だけでは、天才が社会全体で爆発的に増えるのに十分とは言えない。当時中国は、テクノロジーで一歩先んじており、どの地域でも才能ある個人が、人口の一定割合居て、頼れる賢い人々が2倍もいて、1450年から1550年にかけて、西ヨーロッパの文明は、奇跡でも起こらない限り、そんな中国を追い上げも追い越しもできなかった。
   ルネサンス時代のヨーロッパの躍進は、別の重大な何か、どんな人も独特な能力の片鱗を持っていて、社会がそういう多様な片鱗を育み結び付けた時に生まれる、集合天才の存在があったからだと言う。

   レオナルド・ダ・ヴィンチは、歴史上最高のトスカーナ出身の博識家だが、決して唯一の存在ではなく、トスカ―ナのエンジニアたちは、古代世界の神殿や大聖堂、道路などの秘密、過去の解決策や技術的問題を独創的に組み合わせること、あるいは、その組み合わせを図面にして伝えることなどに精通し、レオナルドが生まれた時代や場所で高く評価され、急速に広まっていた。レオナルドが、こういう芸術の新たな高みに達したのは、ひとつには、過去に関する知識の供給と、新たな組み合わせの拡大速度が急激に増している時代に育つと言う幸運に恵まれたからだ。と言うのである。
   グーテンベルクは、古郷マインツは、ワイン醸造と硬貨鋳造と言う二つの全く異なる分野の交差点で、この技術の組み合わせで、印刷機を生み出した。
   コペルニクスは、故国ポーランドの大学を遍歴して多くの高度な学問を学び、イタリアへ移って、大陸の一流の学者たちと交流して学識を積んで、世界の天空の見方を一変した。
   ミケランジェロが、サン・ピエトロ大聖堂のドームを設計したが、集合的努力が、それを完成させたのである。
   
   前述は、どちらかと言うと、偉大な天才がイノベイティブな文化の大爆発を生み出す土壌が既に備わっていたと言う感じの記述だが、それを一気に糾合して、集合天才を生み出す土壌が、メディチ家の努力によってフィレンツエで生み出されたと言うことである。
   最近、ギボンの「ローマ帝国衰亡史」や、ダンテの「神曲」などを切っ掛けに、西洋の歴史など再勉強し始めて、ヨーロッパの中世は、決して、文化文明的に衰退していた暗黒時代であったのではなく、古代ギリシャや古代ローマ、高度なイスラムの文化を内包しながら滞留していて、ルネサンスを生み出す十分な土壌を備えていたことが、良く分かったので、この経緯が理解できる。

   もう、13年も前に、フランス・ヨハンソンの「メディチ・インパクト:世界を変える「発明・創造性・イノベーション」をレビューして以降、ルネサンスを生んだフィレンツエの文化文明の十字路、メディチ・エフェクトについて随分書いてきた。
   メディチは、銀行業で富を蓄積したフィレンツェの富豪の大公で、あらゆる分野の芸術家や学者・文化人を保護した為に、ダヴィンチやミケランジェロは勿論、画家や彫刻家、詩人、哲学者、建築家、実業家など多種多様な人々が沢山フィレンツェに集まり切磋琢磨しあった。
正に、フィレンツェが異文化や異分野の学問や思想の坩堝となり、新しいコンセプトやアイデアに基づく新しい文化を創造しルネサンスへの道を開いた。
   ギリシャの黄金時代のように、異なる文化、領域、学問が一ヶ所に収斂する交差点で、創造性が爆発的に開花する、創造性に満ちた革新的な文化運動を巻き起こしたこのメディチ効果と同じ様な現象がインパクトとなって、人類社会の文化文明のみならず、国家や企業の発展、そして、イノベーションを引き起こす原因となっている、
   経済的経営学的に観れば、シュンペーターの創造的破壊であり、クリステンセンの破壊的イノベーションの起爆力であろうか。

   さて、ルネサンス時代は、大聖堂であり大図書館であったが、現在の集合的知性天才は、何であろうか。
   その典型は、ウィキペディアやリナックス・アパッチと言ったオープンソースソフトウェア、そして、フェイスブックやユーチューブ、モバイルデータによるコラボレーション、
   多言語のウェブ、膨大な科学データ分析。
   デジタル革命によって解き放された無限に開かれた世界、今こそ、スティーブ・ジョブズを生み出せば、縦横無尽にイノベーションを爆発させ得る土壌が、備わっており、正に、第2のルネサンスだと言うことであろう。
   かって手が届かなかったものが今では当たり前になった、この現在の繁栄を生かさない手はないと言うのである。
   
   
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瀬戸内 寂聴 , ドナルド キーン対談「日本を、信じる 」その2

2019年08月18日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   子供の時に、洗礼を受けたが、無神論者だと言うキーンさんは、お墓はいらない、ライシャワー博士のように太平洋に散骨するのが良いかと思うと述べている。
   亡くなってしまえば、もう人間ではないのであるから、もしも飛行機事故で死んでも、どうぞ誰も私の骨は探さないでください。死んだ後は、どうぞ、皆さんのお好きなように。と言う。

   おそらく、日本人の殆どは、キーンさんには、賛同できないであろうと思う。
   しかし、私自身は、昔から、何故だか、分からないし、理由も何もないのだが、自分自身のお墓はなくてもあってもどっちでもよく、海に散骨して貰っても良いと思っているので、キーンさんの考え方には、殆ど異存はない。
   自然から生まれた自分であるから、地球のどこか、自然に帰れば、それで良い、と言う心境である。

   勿論、お盆や正月、春秋の彼岸など、必要な都度、先祖供養を欠かすことはないし、菩提を弔っている。
   先祖のお墓もあるし、恐らく、残った家族は、何らかの形で、お墓に納めて菩提を弔ってくれるであろうが、現実的には、我々兄弟がなくなれば、系統が途切れてしまうので、その後の墓守については、全く覚束ない。
   鎌倉の古寺には、高名な名士のお墓が、結構、沢山あるのだが、多くのお墓が、訪れる人もなく、荒れ放題となっているのを見れば、諸行無常と言うか、我々凡人には、生きた証の存在さえ、瞬時に消え失せてしまうのであろうと思わざるを得ない。

   お墓の話はともかく、
   寂聴さんの、やっぱりあの世はあると思うんですよ、と言う話が面白い。
   死んだ人は多いので、三途の川は、渡し船ではなくてフェリーに乗っての「極楽ツアー」。着いたら、先に死んだ人がずらりと岸辺に待っていて、そのまま、「歓迎パーティ」。そんな風に想像しているんです。と言う、嘘か本当か分からないような話。
   米朝の落語「地獄八景亡者戯」ばりの話で面白いが、落語も狂言も、地獄の沙汰も金次第の話ばかりで、ダンテの「神曲」地獄編とは天地の差。亡者を運ぶ三途の川の渡し守カロンは、悪党どもの亡者たちに、天を仰げるなどとゆめゆめ思うな、永劫の闇の中、酷熱氷寒の岸辺へ連行するとすごい剣幕、
   一寸、穏やかな雰囲気だが、バチカンのシスティーナ礼拝堂のミケランジェロの「最後の審判」の下方に櫂を振り上げるカロンが描かれている。

   私には、あの世があるのかないのか分からないが、路傍の石や草花と全く同じ原子や分子が集まって、私と言う肉体を形成して、そして、私と言う意識を持った生身の人間が、実際にこの世に生を得て生きていると言うことが信じられない、奇跡中の奇跡だと思っている。 
   その奇跡が、朽ち果てて、次の世界へ、どのように変異して行くのか、
   抜け殻から脱した魂と言うものが、生き続けて、また、新しい命を得て蘇るのか、輪廻転生であったとしても、前の生については、全く記憶も何もないのであるから、一世一代だと言うことであろうと思っている。

   先日、イギリスから訃報が入った。
   ロンドンで大きな開発プロジェクトを行っていた時に、一緒に仕事をしていたエンジニアリング会社の会長で、私より少し年長だったが、非常に律儀で折り目正しい英国紳士で、公私ともに随分親しく付き合っていたので、実に悲しい。
   毎年のように、グラインドボーンのオペラに誘ってくれて、昼頃から夜遅くまで、美しい広大な庭園でのピクニックパーティを交えた観劇の思い出や、何度も訪れて過ごした広い美しい庭園に囲まれたギルフォードの邸宅での楽しい交歓の日々、・・・
   興味深いのは、終戦直後に、英国軍の将校として来日した時に、ノリタケの陶磁器一式を買って帰って、特別な時には、これでディナーをサーブしてくれるなど、家宝のように大切に使っていたことである。
   我々、日本人が、ウェッジウッドやミントンやスポードや、と言って、英国製陶磁器に、目の色を変えて殺到していたのが、可笑しいと言わんばかりの惚れようであった。
   ボーンチャイナは、英国発明だが、ヨーロッパの陶磁器は、元々、日本の陶磁器のまね。
   お葬式には行けないが、菩提寺に出かけて冥福を祈った。
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瀬戸内 寂聴 , ドナルド キーン対談「日本を、信じる 」

2019年08月16日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   お互いに90歳の偉大な日本文学者と作家、3.11、大震災とキーンさんの日本帰化の話から始まるしみじみとした滋味深い対談である。
   お二人の作品や自伝などを結構読んでいて、思い出を反復するような感じではあったが、興味深かった。
   私は、本を読む時、何かを感じた時に、付箋をつけている。
   今回、この付箋に従って、感じたままを綴って行きたい。

   キーンさんは、15世紀の応仁の乱の後に花開いた東山文化は、今も息づく「日本の心」の基礎と言えるもので、畳が敷き詰められた座敷の中、床の間があって、生け花が飾られ、墨絵が掛かり、そこから庭が眺めれれるというもので、これは東山文化から生まれて日本独特の建築様式となった書院造りのイメージですと言う。
   私は、吉田神社の直ぐ側で大学生活を送っていたので、歩いてすぐの銀閣寺には、随分通っていたし、意識して訪れていた龍安寺の石庭とともに、かなり、東山文化の世界には、馴染んでいたつもりだが、やはり、日本史への関心は、奈良や平安、織豊、江戸と言った方に向いていて、鎌倉室町への関心は薄かった。
   しかし、能狂言を鑑賞するために、能楽堂へ通い始めてから、そして、鎌倉に住み始めてから、一気に、鎌倉室町に興味をもって、勉強し始めた。
   応仁の乱で、戦乱に明け暮れた世の中で、そして、廃墟と化した帝都京都で、日本文化の粋とも言うべき、能狂言、茶道、華道、庭園、建築、連歌など多様な芸術が花開いた貴重な時代であったのである。

   「無常という美学」についての二人の会話が面白い。
   「常ならず」「同じ状態は続かない」、
   それにも拘わらず、古代エジプトやギリシャ、欧米は、石造りの神殿や寺院を建て、中国は、煉瓦造りの寺院を造るのだが、日本は、木造、
   日本は、むしろ変わることを願っている、いつも同じでないことを喜ぶ面がある。
   三日で散る桜を愛し、ひび割れした陶器を金接ぎする・・・無常に、美の在り処をを見出し、それが、美学に昇華される、日本だけである。 

   寺田寅彦は、「日本人の自然観」で、次のように述べている。
   日本の自然界が空間的にも時間的にも複雑多様であり、それが住民に無限の恩恵を授けると同時にまた不可抗な威力をもって彼らを支配する、その結果として彼らはこの自然に服従することによってその恩恵を充分に享楽することを学んで来た、この特別な対自然の態度が日本人の物質的ならびに精神的生活の各方面に特殊な影響を及ぼした、というのである。・・・
   私は、日本のあらゆる特異性を認識してそれを生かしつつ周囲の環境に適応させることが日本人の使命であり存在理由でありまた世界人類の健全な進歩への寄与であろうと思うものである。世界から桜の花が消えてしまえば世界はやはりそれだけさびしくなるのである。

    先に逝った團十郎も、日本の自然は美しいが、その自然が牙を剥き、その試練が今を作ったと思うべきで、日々の糧を自然が我々に与えてくれるように、文化芸術も人間に自然が報いて授けてくれたものと私は思っている。と、寺田寅彦ばりの理論を展開していた。

   滅びる、被害で壊滅的な打撃を受ける、分かっていても、それに、抗うことなく、無常を受けて立つ、
   幸か不幸か、この挑戦と応戦の日本人の雄々しき性が、日本の豊かで高度な文化文明を育んだということであろう。

   このような美学の持ち主であるから、最近の日本の乱開発に対しては手厳しい。
   特に、ゴルフ場の日本の素晴らしい自然と風景の破壊の凄まじさには辛辣で、私は、ゴルフには全く関心がなく、ビジネスマンなら当然だとして、2組ゴルフセットを手配して、今でも、倉庫にあるのだが、イギリスに5年いて、ゴルフ場を持つジェントルマンクラブの会員でありながら、一度もプレイしたことがないので、全く同感である。
   飛行機で、羽田から北や西に飛ぶと、延々と無残なあばた模様が怪物のように緑の山野を食いつぶしている風景を見ると、悲しさを通り越して惨憺たる思いになる。
   ヨーロッパに8年いて、結構、飛行機から、ヨーロッパのあっちこっちの風景を上空から見ていたが、こんなに悲惨な光景を見たことがない。
   
   キーンさんは、大震災後に訪れた松島や瑞巌寺の観光地化の俗悪さが極に達した状態を、慨嘆し、寂聴さんは、京都の俗化、寂庵のある嵯峨野に迫る都市化について嘆いている。
   私は、見るべきところ、訪れるべきところは、出来るだけ早く、それも若ければ若い方が良いと言う主義で、幸い、大学生活を京都で送り、30歳前半から、アメリカへの留学を皮切りにして欧米生活を送ってきたので、千載一遇のチャンスとばかりに、あっちこっちを精力的に歩いた。
   今では、近づくことさえ出来ない、観光するなど大変だと言うアルハンブラ宮殿やウフィツィ美術館、それに、ミラノのレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」など多くの貴重なスポットを、俗化以前に、何度か訪れており、存分に楽しむことができた。今では、遠い記憶だけだが、本当に幸せだったと思っている。
   京都など、もう、半世紀以上も前のことであるから、まだ、「源氏物語」や「平家物語」の片鱗らしき息吹を感じることができた。その後、何度も訪れているが、強烈な思い出は、その当時のものばかりである

   さて、「源氏物語」は、二人に取って、最も重要な位置を占めた文学作品である。
   寂聴さんは、13歳の時に「源氏物語」に出会い、70歳の時から6年半かけて現代語訳した。
   キーンさんは、ナチスドイツが世界を席巻すると言う恐怖を感じながら、ニューヨークで、偶然、ウィリー訳の「源氏物語」に遭遇して、束の間、暴力の世界から逃れて、人間は何のために生きるのか、それは美のためであると、根源的な答えを見出すことができたと言う。
    ポルトガル領マディラの小さな書店で、並べた本の真ん中に、ポルトガル語の「源氏物語」が、あったと言う。

   当然、この源氏物語に纏わる話も面白いし、
   蛇足を重ねたので、付箋の5分の1にも触れられなかったのだが、秀でた文化人の人間性の滲み出た対話の素晴らしさを垣間見て、豊かな時間を過ごせた幸せを付記しておきたいと思う。
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イアン・ゴールディン他著「新たなルネサンス時代をどう生きるか:開花する天才と増大する危険 」(1)

2019年08月15日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   現代は、ルネサンス期と全く同じ歴史的な展開をしており、第2のルネサンスである。
   ルネサンスは、大規模な繁栄が生まれた稀有な黄金時代だと目されているが、決してそれだけではなく、善と悪、天才とリスクをはらんだ、大きな成功と大きな失敗のどちらかに転ぶか分からない未来に向けた戦いであった。と言うのが、著者たちの問題意識である。
   現代人に欠けているのは、生きるために必要な案内役であり道である「展望」で、五百年前、ヨーロッパに集中して、天分を発揮して社会秩序をひっくり返した、レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロたちが決定的な瞬間を生きていた時代を、「以前にも経験したことがある」と認識して、現代の「展望」を得ることである。と言うのである。

   このような問題に入る前に、著者たちが語っている個々のトピックスで興味深いポイントにつて、少しずつ考えてみたいと思う。
   初めは、トランプが拘っているメキシコ国境の壁の構築や怒涛のように流れ込むシリアなど中東やアフリカからの難民など移民の問題である。

   ルネサンス期だが、(この本では、1450~1550年)、ヨーロッパ内部では、まず、
   1453年、オスマン帝国のコンスタンチノープル征服による東ローマ帝国の滅亡によって、多くのギリシャ人が、ヴェネツィア、フィレンツェ、ローマなど、イタリアの都市を目指して逃げてきた。
   東ローマ帝国は、古代ローマ帝国の東半分のローマ帝国の後継国家だが、ギリシャ人の国家であったので、この時、貴重な古代ギリシャの文化文明の遺産の多くが、イタリア社会に伝播して、ルネサンスの先駆けを演じたのである。
   以前に、ルネサンスは、ギリシャ文化を継承したイスラムから多くの影響を受けて華開いたと書いたことがあるが、このギリシャ人移民の影響も絶大だったのであろう。

   次に、注目すべきは、1492年、フェルディナンド2世とイサベル1世によるグラナダ陥落によって、スペインが統一されて、1478年から始まっていたカトリックの純粋性を旨とした異端審問と異教徒追放で、国内のユダヤ教徒に対して、改宗するか4か月以内に国外退去するかの選択を迫り、1502年にイスラム教徒へも改宗か国外退去化を迫ったので、20万人と言うユダヤ教徒を筆頭に多くの豊かな市民や有能な人材がスペインを離れたことである。
   このブログで、「何故オランダがかって世界帝国になったのか」で書いたのだが、
   1579年に建国したオランダには、元々、国の教会もなければ、ユトレヒト同盟で、信仰は自由であり、その信ずる宗教によって捜査や弾圧の対象にもなければ、改革派教会への改宗の強制も、非改宗者への罰金もないと規定されており、この例外とも言うべき宗教的寛容政策のお蔭で、ヨーロッパ中から、多くの有能な起業家精神あふれるユダヤ人など被差別民が、大挙して流入して来た。   
   特に、当時時めく一等国のスペインから追われた豊かなユダヤ人は、世界で最も裕福で、優雅で博識、洗練された商人や金融業者であったので、膨大な資金を新国家に注ぎ込み、一挙に、オランダを経済大国にのし上げた。
   1557年にスペイン王室が破産して、再び追放したユダヤ金融に頼らざるを得なくなったのであるから、皮肉と言うべきか、スペインんの今も変わらない「アスタ・マニアーナ」国民気質の悲劇であろう。

   もう一つの民族大移動を策したのは、悪名高い大西洋奴隷貿易。
   大航海時代の幕開け、コロンブスのアメリカ大陸発見からほんの数年後に始まった歴史上の人類最大の汚点、
   大々的なグローバル経済の展開に大貢献したかもしれないが、これについては、今回触れないこととする。

   さて、現代の移住の倫理だが、過去500年で完全に変わったと言う。
   特に、難民など選択の余地のない状況で故郷を離れざるを得ない者を除けば、より高い賃金や良質な生活を求めて、遥かに自由な理由で移動を決める経済的移住者で、お返しに外国経済の成長と活性化に貢献している。というのである。
   今回は触れないが、移民の場合には、有能な人材が国外へ向かうと言う頭脳流出のケースが多いのだが、必ずしも本国にとってマイナスばかりではなく、国内送金による経済的恩恵や、インドのように、在米の印僑が国内経済の活性化や発展向上に大いに貢献すると言うケースもある。
   これらのことは、アメリカや拡大EUでは、言えることであろうが、経済が成熟期に入って経済成長が止まり、国家財政が悪化しつつある今日では、難民などの流入が問題を惹起して、反移民運動が渦巻き始めて、西欧社会の危機を招いている。

   トランプは、メキシコなど中南米の難民の流入のみならず、有能な外国人へのビザ発給制限を行うなど、アメリカ・ファーストで、移民政策にネガティブだが、移民流入によって、最も利益を享受しているのは、アメリカ自身であることを考えれば愚の骨頂と言うべきであろうか。
   グーグル、インテル、ペイパル、テスラの創業者は、皆移民だし、シリコンバレーの全新興企業の過半、過去10年に創設されたアメリカの全テクノロジーおよび工学系の企業の25%で、移民が経営のトップに立っている。全米のノーベル賞受賞者、米国科学アカデミー会員、アカデミー賞受賞監督に占める移民アメリカ人の数は、現地生まれのアメリカ人の3倍だと言うから、アメリカ社会と言うか、アメリカそのものが、文化多様性とイノベイティブなDNAを投入した移民に支えられてきたと言うことであろう。

   著者たちは、移住の原動力の第1は、金銭上の理由、第2の原動力は、世界の発展と人口増加、第3の原動力は、切羽詰まった事態である。と言うのだが、問題は第3。
   災害や迫害があれば、最早安全を保障してくれない故郷を捨てざるを得ない。
   シリア内戦を逃れた何百万人の難民、リビア、エリトリア、イラク、アフガニスタン等々、雪崩を打ったようにヨーロッパへ押し寄せる難民問題を、どうするのか。
   今や、ヨーロッパ社会をも危機に巻き込んで、文化文明を震撼させている。
   
   シリア内戦などは、冷戦が終わったとは言っても、米ロの代理戦争であって、シリアの軍事基地を維持したいロシアが、アサド政権支持を覆さない限り終結不能であるし、無政府状態のアフリカ諸国にはどうして秩序を確立するのか、
   民主主義国家間には諍いはあっても戦争はないと言うが、世界には、まだまだ、独裁国家や民主主義から程遠い未開国家が存在しており、
   著者たちは、何も言わないが、   
   ルネサンスは、「善と悪、天才とリスクをはらんだ、大きな成功と大きな失敗のどちらかに転ぶか分からない未来に向けた戦いであった」と言うから、
   第2のルネサンスのこの問題は、自分たちで考えろと言うことであろうか。

   豊かな太平天国で惰眠を貪っている富者も、生きるか死ぬか地中海の荒波を木っ端のような小舟で呻いている難民も、同じ宇宙船地球号の同乗者であって、運命共同体であると言うことは忘れてはならない、このことだけは確かである。
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