熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

橋本治の見るエコノミストとは

2005年11月30日 | 政治・経済・社会
   橋本治が「乱世を生きる市場原理は嘘かもしれない」と言う本を書いたので、いつもユニークな作品を作出する作家なので、実際の経済なり市場原理についてどのように考えているのか興味を持って読んでみた。
   読後の感想だが、正直なところ、何を書いているのか分かるようで分からない不思議な本であった。

   ブラジルの日系移民の間で戦時中起こった論争を皮切りに、勝ち組・負け組の話から始まるのだが、勝ち組と負け組を峻別するのは何故なのか、それは、投資家とエコノミストの専売特許だと言う。
   ここで、エコノミストが出てくるのだが、橋本の定義では、本心か茶化しか、とにかく、「投資家の周辺にいる人」で、とても頭が良く、世界中を対象にして膨大なデータを収集分析し、すごく難しいことを考える現存する唯一の「思想家」である。

   エコノミストは、「日本経済そのものが負け組になった」などとは絶対に言わない。
   何故なら、負け組になると言うことは日本経済が見捨てられると言うことで投資対象がなくなって仕事の種がなくなる。
   エコノミストは、存在する「経済そのもの」を決して否定しない。未来は、「その経済」がある限り存在して、「その経済」は、未来がある限り破綻しない。エコノミストとは、そのように未来を疑わないものなのである。
   従って、エコノミストは、経済と言う枠組みを必要とするので、絶対世界経済は破綻するとも言わない。

   ところが、著者の知りたいのは、世界経済が破綻したらどうなるのかと言うことなのだが、世界最高の知能は世界経済は絶対破綻しないと言う、これは「金持ちの傲り」ではないか、と言う。
   もう既に世界の経済は破綻していて乱世が来ているのに、エコノミストは、世界経済が破綻したら困る、乱世にならないようにするにはどうすれば良いか考えているが、この「世界経済を破綻させないように」として、エコノミストが絶対的な権限を握ってしまったこの危機状態が乱世なのだと言う。

   何故こんな発想が出来るのか、不思議な気がしながら読むのだが、多少なりとも、経済学を専攻した私にも、その理論展開が分からない。
   エコノミストは、経済が破綻すれば破綻したと当然言うし、破綻しても別に驚かないし、そもそも、人間社会がこの世に存続する限り経済は存在する。経済が破綻(破綻とは何を言うのかが問題だが)しても、人間が生きている限り経済は存続しており、投資対象は消滅する筈がないのである。

   後段で、たった一つの方向性、価値観で突っ走った経済社会が、飽和状態に達して閉塞状態になっている現状を捉えて、如何に生きて行くべきかを論じているので、その伏線として読めば、それで良いのだろうが、いずれにしろ、全く別な視点から、既定の共通認識を離れた議論を展開されると面食らってしまう。

   もっとも、巷には、殆ど経済学や経営学の基本さえ理解できずに評論するエコノミストや経営評論家が多いが、橋本治は、この本の後段で極めて貴重なユニークな経済論を展開しているので、これについては稿を改めて書いてみたいと思っている。
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寂聴と俊輔の「憲法9条」談義・・・老いの一徹座り込み・投獄覚悟

2005年11月29日 | 政治・経済・社会
   神保町を歩いていて、小宮山書店で、瀬戸内寂聴と鶴見俊輔との対談「千年の京から「憲法9条」私たちの生きてきた時代」、を見つけて、三省堂の別館の文房具売場の片隅にある上島珈琲店で読んだ。
   かもがわ出版の本なのだが、偶々古本屋で見つけたが、あまり聞かない出版社の本なので見過ごす所であった。

   ともに83歳だが、至って元気で、「いまが一番悪い時代」「地獄とはどんなところかと聞かれるが、今のこの世が地獄、これが地獄ですよ」と、兎に角イキケンコウで、激しい言葉が飛び交うが、実に、含蓄のある現在文明論が展開されていて面白い。

   鶴見俊輔は、
   アメリカの最近の政治の全体主義化に対して、プラトンの「デモクラシーの価値は低い」と言ったのを引用して、demos(民衆)だから、mobocracy,mob(群集)のcracy(支配)なんだから悪いのは当たり前。ファシズムもモボクラシー(群衆政治)だが、デモクラシーを通らないとファシズムは起こらない。
   デモクラシーがあって、国家の宣伝を真に受ける国民ができた時にファシズムがおこる、と言って、その危険性を批判する。
   因みに、イエス、イエスと言ってイラクに自衛隊まで送って着いて行くポチ内閣のアメリカ追随振りはひどい、と二人は慨嘆している。

   憲法については、
   日本語は英語やフランス語より古い。日本語というものは偉大なものであって、「憲法9条」も、「万葉集」の中にある、防人がふるさとや家族を想う感情まで遡ってとらえなければいけない、と日本の千年の伝統そのものから考える、民衆のつくった伝統から考えなければまずい、と言う。

   瀬戸内寂聴は、
   「憲法9条」はもらったものかもしれないけれど、都合がいいんだからわざわざほかすことはない。
   敗戦の時にアメリカが押し付けた憲法だから変えるべきだなんて言い方をする。
   だけど武器をもたない、戦争をしないと言うのは国民にとって丁度好都合だったんです。
   それを守っていけばそれでいいのに、どうして変えるなんて言うのでしょう。
   女は夫や恋人、子どもを戦争にやりたくないですよ、と言う。

   お釈迦さんの教えと言うのは「殺すなかれ、殺させることなかれ」で、戦争に絶対反対です。
   戦いは嫌いなんです。そのお釈迦様の教えに従っている仏教徒ならば、みんな立ち上がって「戦争反対」って発言すべきですよ。
   昔の宗祖はすべて革命家でした。情熱のある・・・
   牢獄に入れられても、殺させても、それは言うべきだと思う、とも言う。

   それを受けて鶴見俊輔は、
   べ平連の吉川事務局長から連絡があれば、それを最後の仕事として待っている。
   電話一本してくれたら座り込んで牢獄に入るからと言ってあるから・・・
   私も行きますよ。
   そのときは二人で・・・
   いつ死んでもいいんだもの。
   そう。

   瀬戸内さん、決定的なときに生きていたら、座り込みや投獄に応じますか。
   滅びる場所はそこにしましょう。
   いいね。
   一種の心中になりますよ、「平成座り込み心中」・・・

   瀬戸内寂聴は、あとがきで、
   現憲法は、国民が主権である。
   そして、何より輝かしいのは、九条の戦争放棄の宣言こそ、あの戦争で犠牲になって命を落とした敵味方なく、すべての戦死者たちの魂への懺悔と誓いであった。
   そこには深い祈りがこめられている。
と書いている。

   中国で地獄を見て終戦を迎えた瀬戸内寂聴は語る。
   「生きているはずじゃない人間が生きているんですから、あのとき死んだ人たちに申し訳ないという感情がずっとあるんです。
   私たち戦中派の老人は、愚直に一途に戦争反対を書き、話す義務がある。
   「戦争反対」という発言は、一般の著述家のままで出家していなかったらしませんよ。
   世の中はどんどん変わってゆく。だけど変わらないのが宗教です。永遠のものなんて何もない。だから変わらないものがほしくて宗教を求めるわけです。」
   十字架のように背負い続けてきた悔恨が寂聴を、宗教者として平和へ突き進ませている。
   

   日本国憲法第九条への鎮魂歌であろうか。
   二人は、本当に憲法第九条の改変と運命を共にする覚悟である。

   
   

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停電で総ての機能が停止・・・脆弱な近代社会を如何に機能させるか

2005年11月28日 | 政治・経済・社会
   今、庭に紅妙蓮寺のいびつだが紅色の鮮やかな赤い椿が咲いている。
   秋が深くなると比較的早い時期に咲く椿で、この高貴な鮮やかさが好きである。

   ところで、今夜、急に停電して電気関連のものが全て使えなくなってしまった。
   光電話を引いているので当然電話が使えない。不便はしているが、気が進まないので携帯電話をまだ持っていないので、公衆電話に頼らなければならないが、この頃は、困ったことに、公衆電話など街頭には殆どなくなってしまった。それに、0120等無料電話が矢鱈と多くなったのに、公衆電話では使えない。
   結局、仕方なく近所の電話を借りて東電に電話をして修理に来てもらったが、この待つ間の1時間強が実につらい。

   よく考えてみると、大変お世話になっているパソコンが使えない。
   それに、起動するのに電気を使っている機器が大半なので、ガスストーブなど電気と関係のない他のモノまで使えなくなってしまって、何も動きが取れなくなってしまって万事休すである。
   今夜のように暖かい時は良いが、寒い日とか夜になって停電すると全く困ってしまって、妙に電気の有難さを実感することになったのである。

   原因は、エアコンの漏電で、漏電感知のブレーカーが飛んだのである。
   どこかの配線で漏電が起こると緑のブレーカーが飛ぶ。
   チェックする為には、全部のブレーカーを切ってから緑のブレーカーをONにして、一つ一つ切ったブレーカーをONにして行き、緑のブレーカーが飛んだ所が漏電箇所で、それ以外はONにすれば電気は使えると言うことである。
   しかし、素人の私にはその知識さえもないので、すぐ右往左往して専門家に頼ってしまう。
   テレビで地震や台風、津波など天災で困っている世界の人々の生活を毎度のように放映しているが、それを見ていながら、タカが停電くらいで日常の生活が停止してしまった様に感じて慌てる自分が情けないと思った。

   進みすぎたこの文明社会では、自分自身の力や能力は極めて限られてしまって、多くの専門分野の集積の中で生きていて、貴方任せで生きる以外に仕方なくなってしまっている。
   世の中が進めば進むほど、自分自身の生活までが歯車の中に埋没してしまうのである。
   社会の危機管理の欠如を言う前に、まず、自分の危機管理をしっかりしなければならないことを肝に銘じた。

   昨夜NHKのテレビで、白川郷の合掌造りの茅屋根の葺き替え工事を放映していた。
   今でも村中の人々を全員糾合して無料奉仕で作業し葺き替えるのであるが、このような社会だと、みんなの協力の中で自分の位置や働きが見えるし、「世間」と言う重要な日本の社会規範・チェック機能が働いているので生活上の大きな逸脱もないし、不正は起こりえず秩序が保たれていた。

   何を言いたいかと言うと、今回の「姉歯構造計算書偽造事件」即ち「耐震強度偽装事件」である。
   専門家に頼らざるを得なくなった高度に文明化した社会においては、今回のような場合には、「世間」が機能しなくなった以上、如何に資格を持った専門家をコントロールするのか、企業人や役人のモラルをどのようにすれば満足な水準に維持できるのか等々、その経済社会が上手く機能するようなシステムを確立する以外に無いと言うことである。
   悪賢く法の目を掻い潜って儲けたいと思う企業人が居て、それにモラル性にかけるプロが加担して手心を加えて偽装する、それを認可する監督官庁はめくら判を押す。極ありふれた構図である。

   今回の耐震強度偽装事件については、関わった設計士もディベロッパーも建設会社も全て知っていた出来レースで、もし、あの程度のことを知らない気付かないと言うのなら、マンションやホテルを開発なり建設する能力がないのだから即刻店を畳むべきである。その程度の低俗な事件であり、正に、企業倫理、そして、モラルの問題であって、検査システムがどうのこうのと言う以前の次元の低い問題なのである。
   これは、あのカネボウ事件で問題を起こした監査法人と同じで、知らない筈はなく、知らなければ能力がないことを暴露しているのだから免許を取り上げるべきである。
   とにかく、日本の場合は、プロフェッショナルに対する扱い・遇し方もなっていないし、プロの方もプロ意識とモラルが低い。
   (余談ながら、今、何故かベストセラーの大前研一著「ザ・プロフェッショナル」を読むべきかも知れない。)

   別な時にも書いたが、企業側に立って長い間節税等会計指南をしていた監査法人に対して急に検察官や検事になれと言っても無理な話であるが、ウソを重々承知で押し通しているこのような専門家や関係企業の言い分を聞いて反論なり制裁を加えられない、善良な市民が泣き寝入りをしなければならない日本社会とそのシステムが問題なのである。
   早大の上村達男教授が説く如く、日本社会がドンドン米国化し、アメリカ型の経済社会を目指して法体系を整備するのなら、徹底的に悪行を罰する保安官やジョン・ウエインやピストルの完備したアメリカ型の怖いシステムを創るべきであろう。
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デジカメで写真を楽しむ・・・正にIT革命の恩恵か

2005年11月27日 | 生活随想・趣味
   先月のニコン撮影会に、久しぶりに銀塩カメラF100を引っ張り出して出かけたのだが、心なしか、このカメラで撮った写真の方が、何故か、デジカメ写真より味があるような気がしたので、その後、何度か使っている。
   
   尤も、私の場合は、まだ、本格的なデジカメ一眼レフを持っていないので、比較できないと思うが、SONYのレンズ一体型のDSC-F828を愛用していて多少の不便を辛抱すれば、これで結構満足している。

   銀塩の一眼レフは、ニコンとキヤノンで5台あり、交換レンズもそろえた。
   随分前になるが、ブラジルからの帰りにドイツによって、ライカの一眼レフR3サファリを買って、オランダで花を撮るのに長い間愛用していた。
   ところが、今では、これ等はみんなお蔵入りで誇りをかぶっている。

   まだ、若かったので、交換レンズを何本か持って旅に出ても苦痛ではなかったが、最近では、年の所為もあるのか、億劫になってしまって、レンズを交換せずに比較的倍率の高い明るいズームレンズが付いたカメラを一台だけ持って出かけることが多くなった。
   この前のプラハの時には、F100にタムロンの28-70ミリF2.8のレンズを付けたままで、それも、絞り優先モードで開放のままで押し通した。
   ニコンの撮影会にも、ニコンの70-200ミリF2.8ズーム一本をつけて出かけていった。
   ブレが最小限度で納まるし、それに、夜など比較的暗い所でも手持ちで可なり気の利いた写真が写せる。
   フィルムは、フジのネガティブASA400プロを使っているが、シャッター速度が8000分の1なので露出オーバーになることが少ないのでそれほど気にはしていない。

   デジカメ一眼レフに乗り換えようと思ったが、改めてレンズを買い揃えるのも億劫なので、手ブレ防止機能が内蔵された少し上等なカメラが出て来て明るいズームレンズが比較的安く手に入るようになるまで待とうと思っている。
   最近は、ソニーの828とキヤノンIXYのデジカメで通しているが、海外でも、トリッパーさえ持って行けば、いくら撮っても保存が利くので、フィルム要らずで助かっている。
   ソニーがDSC-F828の新型を出したが手ブレ防止機能が付いていないので止めにしたが、キヤノンかニコンで手ブレ防止が付いて明るいレンズが装着されたレンズ一体型の新しいデジカメが出ればそれでも良いと思っている。
   写真歴は長いが、別に写真セミナーで勉強したり同好会に入ってやるとか言った程でもないし、コンテストに応募するのでもなく、旅や花や家族などの写真を写して楽しんでいるだけなので、その程度で良いのである。

   ところで、デジタル時代になって、一番重宝しているのは、プリンターさえあれば、自分で、可なり自由に思い通りの写真が、カメラ店を通さずに出来上がることである。
   私の場合は、トリミングや色彩・露出補正など、まだ初歩的な段階に止まっているが、これでも、可なり写真が良くなるし、結構楽しめる。
   TVを録画したオペラやドラマ等をプリンターを使ってDVDに直接印刷すれば、本物に近い作品が出来上がり、こんなことも結構息抜きにはなる。

   IT革命で、デジタル化の進行に伴って、カメラが独立の機械ではなくなり、パソコンの周辺機器になってしまった。
   その意味では、写真の世界も全く専門家を通さずに素人が相当高度な技術と作品製作を楽しめるようになった。

   私の今の宿題は、何十年もかけて写し続けた膨大な量のフィルムの整理である。
   アルバムに収容した写真も相当な量だが、これは、家族関係の写真が主で、旅で撮った多くの写真は殆ど整理がついていない。
   あの頃は、一眼レフでレンズを交換しながらこまめに写していたので、今は消えてしまった懐かしい世界のあっちこっちの街角や風物が写っているかも知れないのである。
   スキャナーで根気よくパソコンにデジタル化してDVDに落とそうと思っているのだが、娑婆っ気が強く結構忙しくて中々思うように出来ない。


   
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米国・世界の石油資源を囲い込む中国を牽制・・・ハドソンの日高義樹氏の講演

2005年11月26日 | 政治・経済・社会
   毎月、ワシントンから最新のアメリカ情報を12チャンネルでレポートし続けるハドソン研究所の日高義樹主席研究員の講演をロイターのセミナーで聞いた。
   アメリカの有力シンクタンクの中枢に居なければ摑めない貴重なホット情報を聞くことが出来て、改めて激動する国際情勢を考えざるを得なくなった。

   何十年も前に、ハドソンのハーマン・カーンが、日本の時代の到来を予言したが、あれは、本当は、アメリカにとっては、そうあってはならないと言う意味でのレポートであったと言う。
   同じ意味で、21世紀を絶対に中国の世紀にしてはならないと言うのがアメリカ政府の強い決心であると言う。
   アメリカの中国友好、融和政策を何時止めるのか、それが、問題である。

   中国の躍進を阻止する為に、アメリカは人民元の切り上げを必死になって画策しているが、中国にその意志のないことをブッシュ大統領は、今回のアジア訪問中に痛いほど感じたと言う。
   しかし、このまま人民元の交換レートを維持すると、早晩、中国は毎年一兆ドルの国際収支の黒字を蓄積して、中国に富が偏在することになると経済学者は予測している。
   人民元の切り上げに弱腰のスノー財務長官が退任する可能性もあると言う。
   しかし、来年は、米国は人民元の20~30%の切り下げを策すると言う。

   ブッシュ大統領は、議会の強力な反対にも拘らず、自分の顧問弁護士を最高裁判事にしたように政府高官は自分の友達から人選すると言う。
   普通2期目の大統領は、歴史に名を残すべく政策を打つが、ブッシュの関心は、故郷テキサスで名を成せば良いのだと言う。

   元の切り下げが不可能なら、中国の躍進を阻止する為には、経済封鎖しかないが、アメリカ経済の好況が維持されているのは中国経済の成長のお陰であり、また、規模が大きくなりすぎているので、それも不可能である。
   しからば、どうすれば良いのか。
   中国の内部分裂を策すことだと言う。
   そう言えば、最近、ブッシュ大統領は、チベットのダライ・ラマに面会したし、今回のアジア訪問で、ハッピーだったのは、内モンゴルに行った時のみだとも言われている。
   とにかく、中国は大きすぎて強力すぎる。チベット、内モンゴル、香港、台湾、等々内政上ギクシャクしている内政問題を通して中国の内部分裂を策すと言うのである。

   今後の国際情勢の最大の争点の一つは、石油問題である。
   中国は、全力を挙げて世界の石油資源を確保する為に必死に動いていると言う。
   石油メイジャーが石油を抑えていた頃は、石油はコモディティであったが、今や、再び石油が戦略物資となってしまったのである。
   日本政府は暢気に対応しているが、尖閣列島近辺での石油開発は、この中国の世界戦略の一環であり、下手をすると、日本政府は完全に裏を掻かれてしまう筈である。

   ドルの価値を維持する為には、金利の漸進的なアップが必要だが、これは、経済成長を圧迫する要因でもある。
   人民ドル対策が急務だが、今や、大統領府では、金利やドルの交換レートについて語ることは禁句となっていて、誰も喋れず、大統領の専管事項だと言う。
   何れにしろ、石油、人民元、金利の趨勢がアメリカ経済の将来の帰趨を制する重要課題である。
   来年2月にグリーンスパンはやめるが、ニクソン時代に懲りて、彼の最大の関心事はインフレ懸念であったので、金利はまだ上がるであろう。

   国際情勢については、現時点では、アメリカ、中国、ロシアの3国間の関係は良好であり、EUや日本等その他の国の動きうる余地は殆ど限られているが、これからは、石油や地下資源についての国家戦略が極めて重要になってくる。
   日本は、国際・国家戦略なしにアメリカ追随で終始してきたが、これからは、国際社会に伍してゆく為には、自国独自の国家戦略が必須である。
   中国には、数日間で台湾を攻撃して壊滅する実力がないので、台湾攻撃はない。
   北朝鮮については、ハドソンでは攻撃を提案したが、その兆候はない。
   そんなコメントを、日高氏は付け加えた。

   世界唯一の覇権大国アメリカが、恐れているのは、やはり、中国の経済力と果敢な石油囲い込みなどの周到な国家戦略のようである。
   文明発祥の地で、唯一歴史上消えずに浮沈を繰り返しながら大国のステータスを維持してきたのは中国だけである。
   アメリカの恐れるように、21世紀の覇権大国は中国であろうか。
   それにしては、日本の中国政策の甘さは何処から来るのであろうか。   
   
   
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ビジネス・モデルが大きく変革・・・東大伊藤元重教授の講演

2005年11月25日 | 政治・経済・社会
   NTT COM フォーラムで、伊藤元重教授の「世界で戦える企業とは」と言う演題の講演を聞いた。
   世界経済の潮流から説き起こしての経済談義であったが、結論は、総合ではなく、ブルーオーシャン戦略等を駆使して、選択と集中を追及し差別化を目指したオンリーワン企業を目指すこと、そして、単なるモノを売る企業ではなくソリューションを提供できる企業たれと言うことのようである。

   世界経済の新潮流については、
   1)リージョナル化、即ち、地域経済化が進展し、かつ、国境を越えた分業が進む。
   2)高齢化する先進工業国と躍進する新興国、世界のGDPの75%を生み出す先進工業国が高齢化・成熟化して経済の牽引力とはならず、グローバル化によりBRIC’s等の新興国が代わりにに台頭
   3)マクロ経済的な不確実性、世界の資本を吸収するアメリカがいつまでドル高を維持できるのか、ポテンシャルは高いが中国リスクは大きい
   等の変化要因について語った。

   技術革新のインパクトについては、現在進行中のデジタル革命は、持続性が高く、深みと広がりのある技術であり、この技術革新によって、産業構造が大きく変革してきたと言う。

   日本経済の活性化のためには、資源配分の効率化、人間力の向上、海外資源の有効活用しかないと強調する。
   製造業は、差別化により国際競争力を強化し、大きな潜在力を秘めた非製造業は、規制緩和や民営化によって市場の拡大強化をはかり、市場開放することによってアジアの経済力を活用することが重要である。

   このような経済社会環境の中で、企業が活力をつけるためには、総合的なアプローチはダメで、ウエルチが総合電機会社であったGEを全く違った会社に変えてしまったように、ニッチ戦略集団を目指すことが必須である。
選択と集中、そして、企業の仕組みを高度化して差別化を図りながら、他の企業の追随を許さないような新しい事業を開拓して、競争力を維持涵養することが大切だと仰っている。

   極めて常識的でオーソドックスな理論展開で異存はない。
   しかし、何故、新興企業の楽天やライブドア、そして、村上ファンドに日本中が振り回されているのか、と言う問には、何も答えていないし、応えられないと思う。
   実需の製造業の生産高やその輸出入額の100倍以上の資金がグローバルに行き交っており、実態の伴わないIT産業の途方もない株高と巨大な時価総額で示された実力が猛威を振るっているこの現在の経済社会において、地道に事業活動を行っている企業が翻弄されているのである。

   デジタル化によって、部品さえ集めて組み立てれば、新参の企業でも簡単に薄型テレビが作れ、素人の個人が自分好みのパソコンが作れる、そんな世の中になってしまったお陰で、ハイテク・コンシューマー・エレクトロニクス製品が大幅に値崩れしてソニーやパイオニア、サンヨーが瞬く間に負け犬になってしまうのである。
   
   野口悠紀雄教授が、新興IT企業がに成功して企業価値が瞬時にうなぎのぼりに上がって、ストックオプションで自社株を得た掃除係のおばさんが億万長者になった話をして、新しいゴールドラッシュの時代が来たとしている。
   何でもありの新興企業の世界と在来型の企業が共存する2重構造の経済社会を想定して企業成長論を打たないと道を誤る。
   そう思いながら先生の講演を聞いていた。
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ゴールドラッシュの経営学・・・野口悠紀雄教授の面白い話

2005年11月24日 | 政治・経済・社会
   野口悠紀雄早大教授の新しい本「ゴールドラッシュの「超」ビジネスモデル」だが、教授のメルマガで読んでいて面白かったので、あらためて本を買って読んでみた。
   教授の「超」何とか本の中では、比較的取り付きやすい話題で、スタンフォード客員教授時代に実際実地情報を踏まえてのレポートなので、何十年か前のアメリカ生活を思い出しながら、楽しく読ませてもらった。

   人権問題の所為か、最近は消えてしまった西部劇でゴールドラッシュ時代のアメリカを垣間見た世代の人間には、懐かしい話題ではあるが、僅か、100年前後でヨーロッパの文化文明が西漸した凄いスピードとその経緯を、活躍した経済人を主役に描いたカリフォルニア開発物語で興味が尽きない。

   私が、東から西に向かったのは、たった一回だけで、それも、セントルイスまで飛行機で、その後、車でロッキーを越えてグランドキャニオン、ラスヴェガスまで行っただけで、後は、飛行機の窓越しに、壮大な中西部の草原やグランドキャニオンの荒涼とした谷を見た程度だから、ゴールドラッシュ時代の先人の困難さなど分かるわけがない。
   しかし、西部劇で良く出てくるモニュメントバレーや行けども行けども変わらない焼け付くような荒野を見た時には、余程の人間でないと新天地へ向けての旅は大変だと思った。
   一方、冬の季節の良い時に行ったので、砂漠の中の「死の谷」が、こんなに綺麗な所かと感激した。

   カリフォルニアで金が発見されてゴールドラッシュが始まったが、最初に金を発見した人間が惨憺たる人生を送ったのに対して、ラッシュした人間相手に必需品など、例えば、ジーンズを製造販売したリーバイシュトラウス等の周辺の事業家が財を成したのが面白い。
      
   大陸横断鉄道を建設開業したスタンフォード等4実業家は、夫々、カリフォルニアに行く為に、ロッキー越え、パナマ地峡越え、マゼラン海峡越えしたと言う。
   大冒険家ではない普通のアメリカ人が、ビジネスチャンスを求めて、辛酸を舐めながら大変な旅をしながら新天地を目指したのである。
   このアンテルプレヌール精神に満ち溢れた人々が、東西を結ぶ途方もない事業鉄道建設をやってのけた。
   一度、旅行途中に中西部で踏み切りに遭遇して、貨物列車が行過ぎるのを待ったが、何百輌も牽引していて何十分も待たされたののはビックリしてしまった。
   大陸横断鉄道は、日本のJRなど足元に及ばないほどスケールが大きいのである。
   野口教授は、月への人類の一歩より、大変な人類社会と歴史への貢献だと指摘されているが、アメリカの偉大な経済社会革命は、この鉄道建設あってこそであろう。
   鉄道建設に伴う経営や経済社会に与えた影響などが現在の制度に反映されていて面白い。

   興味深いのは、スタンフォードの馬の話である。
   力の強い馬を交配して品種改良すれば生産性が上がりアメリカ経済が発展すると考えていて、生産性の向上と経済発展の理論とダーウィンの進化論を提唱していたことである。
   それに、馬が疾走する時には飛ぶと言う賭けをして、疾走時の連続写真を撮ってそれを立証して、「映画の産みの親」と呼ばれているとか。

   スタンフォードが大学を設立し、工学重視の方針が後のシリコンバレーを生みIT革命を引き起こすなどカリフォルニアの本当の意味でのフロンティア精神、アンテルプルヌール精神溢れる話は、興味が尽きない。
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吉例顔見世大歌舞伎・・・幸四郎の「文七元結」、染五郎の「息子」

2005年11月23日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今回の歌舞伎座の舞台で、ほのぼのと客席に暖かいものを漂わせてくれる出し物があった。
   明治落語界の大名人・三遊亭円朝の「文七元結」と小山内薫作「息子」である。
   
   「人情噺文七元結」は、10年前に、やはり歌舞伎座で、左官屋長兵衛が尾上菊五郎で文七が尾上菊之助での親子共演の舞台を観たが、今回は、松本幸四郎が長兵衛で染五郎が文七で、同じく親子共演である。
   女房お兼は、魁春と鐡之助だが、両人とも実に上手い。
   娘のお久は、両方とも宋之助だったが、あんなに健気で優しい娘が居るのかと思うくらい素晴しい娘を演じていて、菊五郎や幸四郎を相手にとつとつと語る仕種が胸を打つ。

   天下逸品の腕を持った左官職人でありながら、賭博に明け暮れての極貧生活、年を越せない長兵衛。ガミガミ噛み付いて小言を言う女房お兼。
   喧嘩の最中に、廓「角海老」から使いが来る。行きたくても着ていくものがないので、使いの番頭に羽織を借り女房の着物を脱がせて身支度して、長い裾を気にしながら出かけてみると、娘お久が、自ら身売りして親に謝金を返させようとしているのを知る。
   悲しいけれど、娘に意見されて50両を受け取り帰るが、途中50両の金をなくして川に身を投げようとしている小間物屋「和泉屋」の手代文七に出会う。死ぬと言うので可愛そうになって、50両を与えて無一文で家に帰る。
   翌朝、大家を交えてお兼と大喧嘩。そこへ、50両が置忘れであったと言って和泉屋清兵衛と文七が、謝りに来る。身請けされたお久も帰ってきて、文七の嫁になることが決まり、暖簾分けされる文七が元結を商うこととなる。

   これだけの噺であるが、江戸の住人の溢れるばかりの人の良さと人情が充満している。
   まず、吉原の廓「角海老」の女房お駒が長兵衛の腕と人間を信じ切っての振る舞いで、お久を身の回りの世話係りとして預かる太っ腹、関西人の片岡秀太郎が実に気風の良い女将を演じている。

   幸四郎は、「あれだったら長兵衛は見ず知らずの文七に50両をあげてしまう」と客が納得するような芸をしたいと言っている。
しかし、その前に、妻や娘が路頭に迷おうと、一切後先を考えずに博打に打ち込む桁外れの自分勝手な人間だから、何でもありであって、その場の雰囲気でどんな行動にでも出てしまう長兵衛。
   これでは芝居にならないので、長兵衛の心の底に僅かに潜んでいる人間味を幸四郎は必死になって紡ぎ出しながら、心の振れを実に巧みに演じている。

   菊五郎の場合は、本当に江戸の庶民の心の底から湧き出る人間味豊かな長兵衛で、どっぷり浸かりこんでのしみじみと胸に響く人情話であった。
   同じ円朝の「芝浜皮財布」の菊五郎の舞台なども他の追随を許さない絶品である。

   その点から行くと、幸四郎の長兵衛は、もっと、カラッとしたコスモポリタンの演技で、シェイクスピア役者の持つ笑いと涙を綯交ぜにした万国共通版の人情話である。

   謹厳実直、真面目一途の堅物が着物を着たような幸四郎が、必死になって左官屋長兵衛を、実に悲しく、そして、コミカルに演じるのであるから、涙と笑いが込上げてくる。元々、吾を忘れて遊び頬けるようなことのできる筈の無い善人の幸四郎が、ありそうもない役を演じるのであるから、益々、悲しさと可笑し味が増すと言えば言い過ぎであろうか。
   特に、しどけない恰好をしてお駒の前でうな垂れて娘に説教される姿や、長い正座でシビレを切らして米搗きバッタのように床を歩く姿、女房お兼にぽんぽん言われながらのブキッチョな受け答え。
   私は、幸四郎を、ミュージカルやシェイクスピア劇等でも見ているが、全く歌舞伎役者臭を一切感じさせない、そして、どんな分野のパーフォーマンス・アートでもやりこなせる国際的役者だと思っている。
   その幸四郎が演じる俊寛だって弁慶だって天下一品であるし、「王様と私」も、ユル・ブリンナーからの免許皆伝である。

    同じ昼の部では、他に中村吉右衛門の「雨の五郎」と中村富十郎の「うかれ坊主」の舞踊があったが、夫々、面白かった。

   小山内薫の「息子」は、20年ほど前に、幸四郎が息子・金次郎を演じたようだが、久しぶりの舞台。
   火の番の老爺が歌六、補吏が信二郎、息子の金次郎が染五郎である。
   上方に行ったと言う息子を待つ老爺の番所に、追われる身の金次郎がやって来る。
   息子は直に実父と気付くが、出世している筈だと信じている親には名乗れない。
   小さな火鉢を中に、頑固一徹の老爺と金次郎のしみじみした対話が胸を打つ。
   戸口にたって、金次郎が無事に逃げ果せたのを見届けてから灯を消す老爺、息子だと気付いたのであろうか。
   舞台中央に粗末な番小屋があり、そこで演じられる3人舞台。染五郎、歌六、信二郎、夫々が好演したしみじみとした舞台であった。
   
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秋深し倉敷・備前の旅・・・故郷を感じる

2005年11月22日 | 生活随想・趣味
   私用も兼ねて2泊3日で岡山に旅をした。
   倉敷の美観地区に宿泊して、2日目は、レンターカーを借りて、備前に行き、閑谷学校、備前の陶器の里、牛窓に出かけて、最後の日の帰りに岡山の後楽園を散策してきた。
   何回か出かけている所であるが、秋深い時期にはまだ行ったことがなかったので、紅葉の美しい季節に吉備路や備前路はどうであろうか興味があった。

   丁度、国宝の閑谷学校には、大きな2本の楷の木があって、秋には見事に美しく紅葉するので、是非、これを見たいと思っていた。
   実際には、天候に恵まれて素晴しい紅葉を見ることが出来たが、願わくば、もう少し早ければ良かったのにと思った。
   左右同じ様な大木なのだが、何故か右手の楷は黄色で、左手は少しオレンジかかった赤色、この左手の黄色が殆ど散ってしまっていたのである。
   訪れた日も、風が吹くと花吹雪のように綺麗な葉が風に舞っていたので、完全な形で美しい紅葉を見られるのは、限られた短い時間かもしれないと思った。

   赤い備前瓦で葺かれた重厚な入母屋造り・錣葺きの大屋根を乗せた講堂を中心に関連建築や神社の建物が石塀に囲まれていて、周りの鮮やかなモミジやイチョウなどの紅葉に彩られて素晴しい雰囲気を醸し出している。
   その中に、この素晴しい楷の木が日の光を浴びて黄金色に光り輝いているのである。
   藩校は岡山城下にあったので、この学校は、庶民の為に開かれた最古の学校だと言われている。

   この閑谷学校に程近い東海道本線の伊部駅の付近に備前焼の陶器の里があり、あっちこっちに窯元の煙突が見える。
   まず最初に、伊部駅の横にある備前陶芸美術館に入った。
   人間国宝の作品や古備前の名品や現在作家の作品など面白い作品に加えて、古丹波・古備前の特別展示をしていて楽しませて貰った。

   伊部駅舎の建物が、備前焼伝統産業会館になっていて、2階で現代作家達の作品の展示即売会をしていた。
   JRの切符売り場が、物産店のレジと裏表になっていて、若いチャーミングな店員さんが立っていたのが面白かった。
   寅さんの世界のような懐かしい駅の佇まいが良い。

   2階の奥で、某窯の作品即売会をしていた。中くらいの菓子盆のような感じの備前焼の中心に銀色の絵模様が浮かび上がった面白い作品に興味を持った。
   斜め十字に描かれた絵模様が鳳凰のような形をしていたので聞いてみると、特別に吟味した土を使ってワラを乗せて自然の炎に描かせたのだと言う。
   備前焼は、一切釉も使わなければ彩色もしないし、勿論磁器のように絵付けもしない、土と炎が描く自然の文様だけである。

   その焼き物と娘が気に入った大皿を買って、何処で焼いたのか窯を見たいと言うと、喜んで案内する、今から行こうと言う。
   願ったり適ったりで、若い作家先生の言葉に甘えて、窯を訪れることにした。
   やはり、備前は古い。古墳の小山の麓にその窯があった。
   大きな工場のような建物に覆われた中に、萩などで見たことのある懐かしい登り窯があった。
   イグルーのような感じの綺麗な入り口を潜って始めて窯の中に入った。
   天井の砂岩のタイルは固くて光り輝いている。高熱でガラス化しているのだと言う。
   正面には、作品を並べる棚が並べられていて、正面の床に薪を置いて火を焚き10日間燃やし続けるのだと言う。
   横の小さな穴から炭を入れたりして、炎を調節して絵模様を描くようだが、大変な仕事である。

   寝かせてある粘土を見せて貰ったが、実に微細で美しいのにビックリした。釉を使わないので、特別に吟味した土は茶器に使うのだと言う。
   庭に積まれた土は砂や石の混じった荒い土だが、どうしてこれが材料になるのだと聞くと、細かく砕いて水に浸して上澄みをすくのだと言う。
   轆轤を回したりして形を作るのが陶芸作家の重要な仕事だと思っている素人には、この土造りの大切さと時間がかかること等分からない。
   素晴しい芸術作品を作る楽しみがあって良いですねえ、と言ったら、食べなければなりませんのでと言う答えが返ってきた。

   日本のエーゲ海だと言う牛窓に向かった。
   ここは、やはり、高台にある牛窓ホテルから美しい瀬戸内海を見るに限る。
   実際のエーゲ海とは勿論雰囲気が違うが、ホテルの建物の真っ白な壁や優しい佇まいはあのギリシャの感じで、海の青さも他よりはエーゲ海に近い。
   真下には綺麗なヨットハーバーが横たわっている。
   帰りに、反対側に夕日が落ちたが、山の端の赤い輝きは、少し日本離れがしているかも知れないと感じた。
   前回は紅茶、今回はコーヒーでケーキを頂いたが、やはり、中々雰囲気が良いので美味しい。

   
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通し狂言「絵本太閤記」・・・橋之助の颯爽たる武智光秀

2005年11月19日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今三宅坂の国立劇場で、歌舞伎「絵本太閤記」が舞台にかかっている。
   小学生の団体が入っていて、成駒屋、加賀屋、と言う可愛い掛け声が、時折場内を沸かせている。

   太閤記と言っても、豊臣秀吉を主人公にしているのではなく、明智光秀が主役で、この歌舞伎では、信長から恥辱を受ける「二条城配膳の場」から、本能寺の場等を経て、「太十」で有名な「尼崎閑居の場」で、秀吉と光秀が、山崎の合戦場で相見えることを約して分かれるところまで演じられている。
   
   歴史的には、明智光秀は、遺恨を種に謀反を起こして織田信長を本能寺で暗殺した悪人との評価がなされているが、こんな場合は、案外、歴史的には、後世の人間が都合の良いように書き換えていることが多くて真実が何処にあるのか分からない場合が多い。
   従って、この場合も、豊臣秀吉に有利に、歴史が改ざんされている可能性が相当高いと思われるが、この歌舞伎は、その点では、比較的公平で、むしろ、光秀の悲劇を正面に押し出した心理劇に仕立てられている。
   
   私自身は、インテリの光秀にとっては、やはり、スパイを縦横に放って的確に情報を摑み権謀術数・戦略に長けた秀吉に対して、殆ど、戦力も十分ではなく何の準備もせず、戦略戦術なく、大義名分だけで戦いに打って出た短慮が災いして負けたわけであるが、これは理の当然であると思っている。

   ところでこの絵本太閤記、実際は、市川團十郎が光秀を演ずる予定だったのが、病気の為に、中村橋之助が代わってやっているが、結構、骨太の豪快かつ繊細な演技をしていて中々素晴しい舞台である。
   成田屋の指南を仰いだようだが、本人曰く、「ニヒルでクールで、お肝の中にワイルドなものをもつ光秀像」を演じているとか、序幕の「二条城配膳の場」の大詰めで、恥辱を受けて花道を下がって行くが、苦渋に満ちた表情から不敵な笑みに変わって行くあの表情がそれであろうか、とにかく、その後の運命総てを表現する不気味な表情である。

   橋之助の実父中村芝翫が演じる秀吉、中村我當が演じる信長だが、夫々、格調の高い演技で舞台を支えている。
   今回、私が注目したのは、女形の中村魁春の武智十次郎光義(光秀の息子)と、片岡孝太郎の森蘭丸でそのうえ十次郎の許婚初菊まで演じる芸達者振りである。
   魁春は、芝翫に女形の勤める役だと言われてやったとか、とにかく、立ち居振る舞いが優しくて実に美しく、それに、しっかりとした息子としての役割を果たして橋之助の光秀を支えている。
   一方、孝太郎の方は、初菊の場合は、何時もの瑞々しくて健気な娘役であるが、森蘭丸の方は、派手な衣装に隈取した才知に長けた腹心振りで、光秀の家来相手に舞台狭しと大立ち回りまで演ずる。
   一寸ひねたちびっ子ギャングと言った感じで、信長のプラトニック・ラブ相手とも目されている美少年の森蘭丸のイメージを完全に覆して面白い。
   もう1人特筆すべきは、光秀の妻操を演じた中村東蔵で、太十で、光秀に母と息子を死地に追いやった短慮を攻め抜く愁嘆場など実に上手い。
   光秀の母皐月を演じた中村吉之丞の品格のあるしみじみとした語り口も胸を打つ。

   この太十だが、母皐月の計らいで死地に赴く十次郎と初菊の婚儀、秀吉の身代わりになって光秀に竹やりで刺される母皐月の換言、戦地から深傷を負って帰ってくる十次郎と母の死、操の口説き、秀吉と光秀との出会い、等々話題が豊富だが、とにかく、この部分は正に史実を無視した虚構の世界、人気が高く文楽でも歌舞伎でも上演されることが多い。

   ところで、2年前の5月に、桐竹勘十郎の襲名披露公演で、同じ「太十」を観た。
   勿論、勘十郎が光秀を遣ったが、人間国宝の3人・吉田玉男が十次郎、吉田簑助が初菊、吉田文雀が操を夫々遣っていた。
   このことからも、魁春の演じた十次郎と秀太郎の演じた初菊が重要な役であることが分かる。
   母皐月は、桐竹紋寿であったが、とにかく、素晴しい感動的な舞台であったことを思い出した。
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吉例顔見世大歌舞伎・・・仁左衛門の「熊谷陣屋」

2005年11月18日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   昼の部の目玉は、やはり、片岡仁左衛門の「熊谷陣屋」の熊谷直実の素晴しい舞台である。
   最初は随分以前に京都南座で演じたようだが、襲名披露の時にも演じており、既に定評のある演目のようであるが、今回は、遥かに格調高く豪快な熊谷で、その進境の著しさに感動を覚えた。

   少し前に、忠臣蔵の山科閑居で、実に骨太の素晴しい加古川本蔵を見たが、近松の「冥途の飛脚」の忠兵衛や「廓文章」の伊左衛門とは全く違う世界、実に、器用な役者である。
   私は、仁左衛門襲名披露の舞台で、團十郎家のお家芸の向こうを張って、この江戸で、助六を演じる仁左衛門を見てその粋な何とも言えない男伊達に感激したことがあるが、その後、宮辻政夫著「花の人 孝夫から仁左衛門へ」を読んで、益々、仁左衛門の芸に感激するようになった。
   私が、最初に仁左衛門を見たのは、テレビドラマで、八千草薫とのラブロマンスモノであったが、最近は、仁左衛門の舞台は欠かさず観に来ている。

   この熊谷陣屋は、「平家物語」と「源平盛衰記」を下敷きに書かれたようであるが、私は、平家物語しか読んでいない。
   この歌舞伎では、実際には、平清盛の弟経盛の実子、即ち、清盛の甥である敦盛は、殺されずに、直実の実子小太郎が身代わりになって殺されることになっている。
   敦盛が後白河院のご落胤で、命を助けたい主君源義経の意向を汲んで、身代わりに自分の息子を殺して忠君に報いなければならない直実と妻の相模の苦衷を描く実に悲しい物語である。
   同じ様な舞台が、「菅原伝授手習鑑」の「寺子屋」で、松王丸が、自分の息子を道真の子供管秀才の身代わりとして武部源蔵に殺させて首実験をする。
   あの王女メディアだって、自分の子供2人を殺して夫に恨みを晴らす凄いギリシャ悲劇があるが、舞台だから良いものの、何時も耐えられない心境で見ている。

   学生時代に、岩波の古典文学大系の「平家物語」や谷崎源氏を読んで、京や奈良等平家物語や源氏物語の舞台を歩いたことがあり、この一の谷や須磨にも出かけた。
   今では、海岸線などなくなって人間世界に占領されてしまっているが、あの頃は、まだ白砂青松、美しい海岸線が続いていて、波打ち際の波音が爽やかであった。
   勿論、明石大橋などなくて、近くに淡路、遠くに四国が遠望できた。
   何処からか、青葉の笛の音が聞こえてくるような雰囲気であった。

   ところで、平家物語の第89句「一の谷」には、敦盛の最後、熊谷発心、熊谷牒状、経盛辺牒と4段に渡って、敦盛と熊谷との戦い、そして、その後の熊谷の発心が描かれていて、熊谷が牒状に添えて敦盛の首と遺品を経盛に送り、経盛が返事を書いている。

   「左右の膝にて敵の兜の袖をムズと押さえて、「首をかかん」と兜を取って押しのけ見れば、いまだ十六七と見えたる人の、まことにうつくしげなるが、薄化粧して鉄漿つけたり」
   助けたい一心で逃げろと言うが、急ぎ首を取れ、と聞き入れない。
   見方の軍勢が近づいて来たので仕方なく首を掻き切る。
   「御首つつまんと、鎧直垂を解いて見れば、錦の袋に入れたる笛を、引き合わせに差されたり。・・・「いとほしや。今朝、城のうちにて管弦い給いしは、この君にてましましける・・・」
   実に美しい実景描写続いていて、何故、小太郎の首に変えて敦盛を生かすような脚色にしたのか。
   平家物語の方が遥かに劇的である。
   ウソか本当か、熊谷と経盛との手紙も実に感動的である。

   ところで、2年前の2月に、文楽で、熊谷陣屋の段で、吉田玉男の素晴しい熊谷直実を見た。
   相模は、桐竹紋寿、人形の慟哭が胸に沁みた。

   今回の仁左衛門、僧衣に着替えて舞台を花道に去りながら、すっぽんの位置でつぶやく「16年も一昔。嗚呼夢であったなア」。
   毅然と振りかえって、目をしっかり閉じて右手で耳を押さえて動かない、宇宙の遠い彼方の天の声を聞いているのであろうか、万感の思いを込めて舞台を去ってゆく。
   先月体調を崩していた雀右衛門は、実に感動的な相模を演じて聴衆の涙を誘う。
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秋深し錦秋の成田山・・・静かな参道を歩く

2005年11月17日 | 生活随想・趣味
   役所への帰りに時間を取って、久しぶりに成田山新勝寺に向かった。
   別にお寺廻りではなく、紅葉を見たくて出かけたのである。
   少し午後が遅かった所為もあり、実際は、新勝寺の裏の成田公園まで上っただけで、紅葉のある池の水際まで行けなかったので十分に目的を果たせなかったが、それでも、何本かあるモミジは錦に色付いていて夕日に映えて輝いていた。

   実を言うと、成田駅から新勝寺までの参道が結構面白くて、デジカメのシャッターを押している間に時間が立ってしまったと言うのが正直な所である。
   今までに、随分、日本各地の神社仏閣を回っているが、成田山のように、駅から商店街に囲まれた比較的長い一本道の参道が続いていて、結構楽しめる門前町はそれ程多くはない。
   京都や奈良の場合は、参道が旧市街と一体になっている場合が多く、門前町が整っているのは、地方の方が多い。
   それに、この成田は、東京から京成電車で1時間弱の所で、東京の田舎だから、当然、高級な店はないし、大半は、参拝客や観光客の為の店である。

   やはり、多いのは、名物の饅頭やお菓子など食べ物を売る店であるが、中でも異彩を放つのは米屋で、立派なお菓子のデパートと言った感じである。
   お寺へ出入りの老舗の菓子司が近代的な菓子店に脱皮したと言うところだが、これだけの店であれば、何か決定版の米屋独特の群を抜く高級饅頭なり菓子があっても良さそうなのだが、それがない。
   ウナギを食べさせる店が多いのは、有名な印旛沼や成田鰻の所為であろうか、それに、漬物なども門前町では常連である。
   どら焼きの店の店頭に列が出来ていたが、これから、寒くなってくるとこの店が良く繁盛する。とにかく、プーンとくる匂いについつい誘われてしまう。
   ところで、僅かに点在する古い旅館や料亭が、古いよき時代の日本の雰囲気を醸し出していて旅情を誘う。
   
   秋とは言え晩秋の所為か、客は少なかったが、参道を歩く外人の客が比較的多かったのは、成田に近いからであろうか。
   最近、空港公団が、乗り継ぎ客に、安い価格で成田山を含めたミニ・ツアーを提供しているようだが、それだけでもなさそうで家族客が可なり居た。
   中国、韓国、アラブ、ドイツ、横から会話を聞いているだけだが、結構国籍は雑多な感じであった。

   参道の店で面白かったのは、立派な太鼓を売っている店・川田太鼓工房があって、店内に色々な打楽器やお面等日本の儀式関係の品を展示している。さすがに、護摩祈祷で有名な成田山には欠かせない店である。
   この成田山のご本尊は不動明王で、迦楼羅炎と呼ばれる火炎を背負い、その炎で煩悩や障害を焼き尽くすと言われている。
   弘法大師が開眼したと言われる本尊の不動明王に護摩を焚き加持祈祷を行うが、その合図の太鼓が全山に鳴り響く。

   もう一つ面白かったのは、店頭に熊や今では成田空港税関で引っかかるような珍奇な動物の剥製など色々な動物や薬草を所狭しとディスプレイした漢方薬店・下田康生堂。
   子宝、中国版バイアグラは勿論、人間の身体に良いと言うあらゆる能書きを書いた漢方薬の数々、とにかく、如何様にも処方いたします、と言う有難い店がある。
   北京や上海で漢方薬店を色々見たが、この店は、流石に日本の店で、並べてある品も漢方とは関係のない日本の土俗的な雰囲気を漂わせたクスリもあり、如何様にも対応致しますと言うその優しさが良い。   

   この成田山は、歌舞伎ファンの私には、やはり、市川團十郎家の屋号「成田屋」との関係で、海老蔵襲名時にも、ここで御成り行列があった。
   荒事を創始した初代市川團十郎が、子宝に恵まれなかったので、この成田山に参篭して一心不乱に祈ったら、男子を授かったと言う。
   この團十郎の贔屓と、江戸深川に本尊を移して行った出開帳によって江戸市民の絶大な信仰を呼び起こして庶民信仰のメッカとなったとか。

   大晦日と新春は、大変な人の波でこの参道がごった返すようである。
   そのお陰で、京成電鉄が終夜運転を行うので、東京で大晦日から元旦にかけて行われる岩城宏之のベートーヴェン交響曲全曲演奏会に行けると考えるのは、不謹慎であろうか。
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団塊の世代が創る黄金の10年・・・堺屋太一が団塊シニアにエール

2005年11月16日 | 政治・経済・社会
   日経主催、政府関係省庁の後援で「日経シニア・ワークライフ・フォーラム エキスペリエンツの新たな時代」が、日本青年館で開かれたが、堺屋太一の講演「エキスペリエンツの創る黄金の10年」を聴きたくて出かけた。
   途中、国立競技場前は、若者が溢れていた。
   何か試合があるのかと警備員に聞いたら、アンゴラとのサーカーの試合だと言う。この長い列は当日券を買うためかと聞いたら、チケットなどとっくの昔に売り切れていて、これは入場を待つ客だと、さも軽蔑したような目で見られてしまった。
   今時、日本代表とのサーカーの試合を知らないなど、アホとちゃうか、と言いたいのであろう。
   こっちは、定年を前にした団塊の世代とシニアの集まる「青年館」に、シニアのワークライフについて聞きに行くのだ。えらい違いである。


   堺屋太一の論点は、
   これまでの失われた10年は、破壊の時代であったが、これから団塊の世代が定年を迎える10年は、戦後文化が終焉し、新しい世の中を創る大変革の時代となる。
   戦後は、官僚主導、官僚統制による規格大量工業生産時代であり、職縁社会であったが、今後は、この価値観が大きく変わるので、企業もこの時代の変革を正しく理解して、事業政策や金融政策を打つことが重要となる。

   戦後の終身雇用、年功、企業内組合などの労働慣行は大きく変わるが、団塊の世代が、再就職市場に入ると、経験もあり意欲もあり、それに、年金併用型なので安く働く為に、若年労働市場の脅威となる。
   例えば、タクシーなど、若年運転手は駆逐されつつあり、開業医など、患者がシニアが多くなったので、老医に変わりつつある。

   老年になると消費が激減するが、老齢人口の増加によって、マーケットが変われば、需要も生産も、同時に大きく変化する。
   これから、団塊の世代のシニアは、大いに好きなように仕事をし、好きなように消費し、生活の面白さ、消費や投資の面白さを、実感できる人生を送るべきである。
   好きかどうかは、そのことをいくら長くやっても疲れない、そのことを誰とでも話したい、と言うことである。
   そのような団塊シニアの生き方が日本を変革し、次の黄金の10年を創りあげる事となる。

   堺屋太一の指摘で面白かったのは、規格大量生産を志向した時代には、教育も、辛抱強い没個性で欠点のない人間を作り出して来たので、何が好きなのか分からなくなり、その時に有利だと言われるものばかりに向かっていた、ということである。
   何も、日本の文部省が、規格大量生産型に向いたスペアパーツのような没個性で従順な若者になるように教育したとは思わない。
   これは、はみ出し者を作らない島国農業国の日本の民族性そのものの価値観の具現化であって、それが、先進国を追っかけるキャッチアップの時代には上手く作用したに過ぎないと思っている。
   何れにしろ、そのようにして育てられ、会社一途に勤め上げてきた団塊シニアが、どのようにして自分の好きなことを見つけて実りある第二の人生を歩むのか、そして、そのことが如何に日本の経済社会を変革するのか、興味のあるところでもある。
   
   論点は兎も角、団塊シニアにとっては、少し兄貴分の堺屋太一の講演なので、同調者が多い感じで、熱心にメモを取る人も可なり居た。

   私見だが、何時も不思議に思うことは、人口の年齢構成がいくら変わっても、例えば定年や労働慣行を時代に合わせて変革すれば、労働人口の減少など起こらない筈である。
   労働条件さえ変えれば、例えば、役職定年制をビルとインして若年者に機会を与えるとかして、老年者に十分働く機会を与えて働いてもらえばよいのである。
   出生率が減って人口が減少すると言う問題は、また、別問題ではある。
   
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芳醇なドイツ音楽の夕べ・・・ウィーン・ビルトゥオーゾ演奏会

2005年11月15日 | クラシック音楽・オペラ
   今夜、初台の東京オペラシティ・コンサートホールで、ウィーン・ヴィルトゥオーゾのコンサートがあったので出かけた。
   毎年来日しているようなので、お馴染みの室内楽団で、殆ど聴いているが、昨年も、このホールであった。
   ウィーン・フィルのコンサート・マスター・フォルクハルト・シュトイデ氏の率いる楽団で、各パートの首席奏者クラスで編成されているので、言うならば、極め付きの集団である。
   これが自家薬籠中の、どちらかと言えばポピュラーなドイツ音楽を演奏するのであるから、素晴しくない筈がない。
   しかし、これが結構客席に空席が目立つ状態であるから、日本のクラシック市場も分からない。

   今夜は、ブラームスの「ハイドンの主題による変奏曲」と、「ハンガリー舞曲」の間に、モーツアルトの「ヴァイオリン協奏曲第4番」、そして、「交響曲第40番」、R.シュトラウスの「ヴァイオリンのための、ばらの騎士ワルツ」を挟んでのプログラムであった。
   ヴァイオリン協奏曲は、昨年第3番を熱演した美人の寺沢希美で、慣れた所為か堂々とした弓捌きで、実に流麗で美しいモーツアルトを引き出しグァルネリを歌わせていた。
   ばらの騎士ワルツの独奏ヴァイオリンを引いたシュトイデは、流石に芸達者で、ばらの騎士のオペラの舞台を髣髴とさせる素晴しい名演で、客席から喝采を受けていた。

   飛び切り素晴しかったのは、モーツアルトの40番で、若い頃モーツアルトが好きで、カール・ベーム指揮ウィーン・フィルのレコードを擦り切れるくらい聴いていた。
   特に後期の39番、40番、そして、41番は、趣味がオペラの方に移るまでは、ベートヴェンの交響曲とともに、交響曲部門では、最後まで好きな曲であったので、あの頃を懐かしみながら聴いていた。

   ウィーン・フィルは、ウィーン国立歌劇場管弦楽団の謂わばコンサート・オーケストラ部と言うわけで、比較的、定期公演が少ない楽団である所為か、4重奏団からはじめて小編成の楽団が色々編成されていて夫々演奏会を開いているが、このように12人程度の編成になると、交響曲や協奏曲などフル・オーケストラ並の楽曲を演奏する。
   やはり、弦楽5部が1人ずつなので多少弦が弱い感じがするが、それが気にならないから不思議である。
   もう一方のオペラ部は、今シーズンなので、ウィーン国立歌劇場のオーケストラ・ピットに入って演奏中だが、やはり、凄い音楽集団である。

   何時も、これ等のウィーン・フィルの小編成の室内楽団の演奏を聴いて思うのだが、彼らの演奏するドイツ音楽の質は、批評の域を遥かに超えており、どうこう言う次元の音楽ではないと言うことである。
   当然指揮者はいないので、奏者の暗黙の了解によって創り出された音楽である。
   昔、ハイフェッツかピアティゴルスキーかどっちか忘れてしまったが、途中で、楽譜を忘れてしまって無茶苦茶演奏したが、上手く合奏出来て素晴しかったと自伝に書いてあったのを読んだことがあるが、その道のエキスパートになるとそんなものかも知れない。
   まして、ウィーン・フィルの奏者にとっては、骨の髄まで知りつくしている音楽なのであるから、途轍もない素晴しい合奏が生まれても不思議ではない。
   まさに、本物の音楽を聴く至福の喜び、そんな気持ちで聴いている。
   
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法化社会に向かって・・・コーポレート・ガバナンスか企業防衛か

2005年11月14日 | 政治・経済・社会
   この数日に、2回貴重な会社経営に関する法務セミナーを受講する機会を得た。
   一つは、早稲田大学の21世紀COEと内閣府の共催による「企業犯罪国際シンポジューム 企業の法的責任とコンプライアンス・プログラム コンプライアンスの国際基準と日本の企業法制」で、早稲田の井深大記念ホールで、米独と日本の専門家による講演とパネルディスカッションで、活発に、コンプライアンスに対する政府や企業の取り組みについて議論された。

   冒頭、法政大学の今井猛嘉教授が、シンポジュームと同じ演題で、日本の企業から集めたコンプライアンスに関するアンケート調査を踏まえた企業の法的責任の実態報告を兼ねて基調講演を行った。
   この報告を問題提起として、アメリカとドイツの学者や専門家が自国のコンプライアンスの現状と問題点などを報告し、午後になってからは、企業の法務担当者が加わり更に問題点を掘り下げて討論された。
   面白かったのは、ジーメンスや丸紅、富士ゼロックス等の実際的な報告であったが、アメリカ、ドイツ、日本と、夫々の経済社会や国情の差、或いは、歴史を背負っていてそのバリエーションが興味を引く。

   特に、ジーメンスは、チーフ・コンプライアンス・オフイサー(CCO)であったシェーファー博士が、生々しい実務上の経験から話し、企業にとってコンプライアンスが如何にリスクが高く、その防止に対して企業が命運をかけているのか熱っぽく語っていた。
   ドイツの場合は、監査役会が上部にあって、取締役会がその下にあるのだが、CCOは、公開委員会を通じて両役員会に直接ダイレクトに報告責任があり、内外の監視・監査システムにサポートされながら、企業のリスク回避の要となって機能する重要なポジションである。
   日本に比較的近い筈のドイツでも、グローバル企業になると、アメリカの法令やコーポレート・ガバナンス要求には振り回されているのが面白い。
   SECへの報告は、CCOが、すべてチェックするのだと言う。

   もう一つは、東京大学の21世紀COEプログラムで、デラウエア州催告裁判所裁判官ジャック・ジェイコブス博士の「日本の買収防衛指針へのコメント:「公正な」防衛策をめぐるデラウエア州法の経験から学ぶ」と言う演題での貴重な講演である。
   午後から、東大で、ライブドアや住友信託銀行のケースをデラウエア州法に照らせばどうなるのか講演されたようであるが、残念ながら、都合がつかずに聴講を逃してしまった。

   前回の上村達男早大教授の指摘をコーポレート・ガバナンスの時に触れたが、アメリカは連邦として統一商法典がないのだが、このデラウエア州法が、ある意味では、その一部の機能を担っていて、敵対的買収についても、この州法で解釈され、デラウエア州最高裁判所の判決がスタンダードになるようである。

   ジェイコブス博士の話は、今はやりのポイズンピルなどTOBに絡むあらゆる話に及んだが、話されたのは、正に、裁判所が直面した苦難の歴史で、如何にしてアメリカが艱難辛苦を克服しながら現在の法体系に至ったのかを、その進化の過程の克明な説明であった。
   英米法の根幹コモンローを実現する為に、そして、フェアである為に、急速に転変する経済社会の構造変化に合わせて、如何にこの面での法体系が進化してきたか、ここまで来るのに30年かかったのだ、と博士は言う。
   経済産業省が5月に発表した企業価値報告書に触れながら、日本は、現時点では、欧米の経験と知識を利用してキャッチアップできるかもしれないが、これからは、独自の経験を重ねて法体系を確立して進化して行かなければならないのだとも言う。

   企業経営において、場合においては適応しないと言われながらも、ビジネス・ジャッジメント・ルールやエンタイア・フェアネスの基本理念が、重要な判断の時の基準に顔をだすのを興味深く聴いていた。
   敵対的買収に対しても企業の防衛策が、果たしてフェアなのかどうか、アメリカの法体系はいつもこれを問いながら進化して来たのである。
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