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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

商業国家の美徳、誠実さ几帳面さは、鐘楼とコンビ

2025年05月23日 | 学問・文化・芸術
   J.ヘンリックの「WEIRD 現代人の奇妙な心理」の中で、なぜ、記念碑的な素晴らしい鐘楼がヨーロッパの都市の中心に鎮座ましましているのか、その由縁が書かれていて面白い。
   
   アダム・スミスの「商業が発達してくると、商人たちが必ずや、誠実さや几帳面さを社会に広めるので、これらが商業国家の第一の美徳となる」と言う文章を引用して、
   それらは、まず最初に、13世紀の北イタリアのミラノ、モデナ、パルマのような都市に現れ、たちまち、イングランド、ドイツ、フランス、そして、ベネルクスに広がって行った。それらは、鐘楼とコンビなって、鐘の音が届く範囲にいるすべての人々に、起床、労働、食事の時刻を告げて、活動の同期を取らせた。と言うのである。
   それらは、住民会議、訴訟手続き、地方市場の開始時刻を告げ知らせた。これら、世界初の機械式時計が、しだいに中世後期のヨーロッパ中の都市で中心的な位置を占めるようになり、市庁舎、市場広場、大聖堂を飾ることになった。どの町も都市も、より規模が大きく、より繫栄している町や都市の時計を模倣したので、機械式時計は、まるで流行り病のごとく、あっという間に広がって行った。
   時計は、修道院や教会にまで感染し、修道士や司祭や教区民に対し、労働や食事や礼拝の時刻を指図するようになった。公共の場に設置された時計は、秩序ある都市生活や厳格な信仰生活を象徴するものとなった。と言うことである。

   この本は、何も時計について書いた本ではなく、
   欧米人に典型的なWEIRD、
   ((W:Western(西洋の)/ E:Educated(教育水準の高い)/ I: Industrialized(工業化された)/R:Rich(裕福な)/ D:Democratic(民主主義の)))が、世界の人類社会の標準からはかけ離れた、普通ではない( Weird奇妙な)と著者が特定するWEIRDの心理を、経済的繁栄、民主制、個人主義の起源 を追求しながら、その特異性を書いた本で、この章では、時刻に埋没する市場メンタリティーについての冒頭の部分である。

   ヨーロッパの古都など、歴史と伝統のある古い都市に行くと、街の中心には、広い広場の周りに、立派な市庁舎を核に大聖堂や鐘楼や時計台など格調の高い建物が取り囲んでいて、独特な雰囲気を醸し出していて、感動する。
   この鐘楼や時計台が、ヨーロッパの都市文化のみならず、資本主義の胎動期からの歴史遺産だと思うと文化の香りを感じて興味深い。
   時刻がくると、時計台の人形が踊り出して綺麗な音楽が流れて時を告げるのなどは、まさに、文化そのものである。
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根室駅:日本最東端の駅になった

2025年03月16日 | 学問・文化・芸術
   毎日のデジタル版が、
   「日本最東端の駅、64年ぶり「復帰」 根室駅にフォトスポット」と報じた。
   JR花咲線の東根室駅が廃駅になったのに伴い、根室駅が「日本最東端の駅」になった。駅舎には15日、北海道にたくさんの花が咲いたような図案の新たなフォトスポットが設置された。口絵写真である。
   根室駅は、14日に廃駅になった東根室駅の開業(1961年9月1日)までは日本最東端で、64年ぶりの「復帰」となった。 と言うのである。

   もう60年も以上も前になるが、学生時代に、北海道一周旅行に出て、JRで根室まで出て、バスで納沙布岬に行き、貝殻島や水晶島を仰ぎ見た。
   根室駅は、根室本線(花咲線)の主要駅であったので、ターミナル駅として立派で賑わっていた記憶はあるが、1990年代に訪れた時には非常に質素で小さな駅舎になっていて、往時の面影は全くなく寂れていたのでびっくりした。昔のことなので記憶違いかもしれないが、釧路から小車両の電車に乗って根室に向かったのだが、途中の駅は無人駅で、乗客も殆どなく、衰退の激しさに、日本の縮図を見た感じがした。
   同じ時期に、6年間、仕事の関係で北海道の各地を毎年一回回ったのだが、好景気で賑わっていた稚内駅の 衰退ぶりもこれに輪をかけたような状態で激しく、ロシア語の看板の多さにびっくりしたり、留萌の街など駅前通りがことごとくシャッター通りと化すなど、北海道の過疎化現象の激しさにショックを受けたのを覚えている。
   しかし、この話は、30年前の話であるから、現在は、もっと状況は深刻なのであろうと思う。

   さて、私が、ここで問題にしたいのは、2点。
   一つは、日本の過疎化対策、地方再生
   これは、問題が深刻なので、後日論述する。
   もう一つは、若者に日本国中を格安に意欲的に旅が出来るようなシステムを構築すること。
   私が学生の頃、もう60年以上も前のことになるが、JRなどの超格安の学割周遊券があり、格安のユースホステルがあったりして、貧乏学生でも、10日くらいの北海道や九州周遊旅行が出来たので、学生たちは挙って旅に出た。
   手段は色々あるであろうが、政府の強権の行使なり抜本的な補助などで、交通費と宿泊費を格安に誘導して、若者に日本中を駆け回らせることである。
   首都圏や京阪神圏に住んでいて何不自由なく便利な文明生活にどっぷり漬かって、太平天国を決め込んでいる若者に、北海道や地方の過疎状態の深刻さや無視され切り捨てられ続けてきた政府の無為無策の成長開発政策の惨状などを見せれば、これ以上の教育はない筈。落差の激しさを知らしめるだけでも効果がある。

   蛇足ながら、大阪万博が開幕する。
   万博は、まさに、科学芸術を筆頭に現代最先端の文化文明を糾合して指し示す博覧の雄であり、珠玉のような知識情報の詰まった坩堝である、
   千載一遇のチャンスにも拘わらず、悲しいかな、後ろ向き、先取先行の気風を失った日本人の性なのか、軽視し無視する日本人が多くて不人気だという。
   これも、政府財界、丸抱えでも良いから、学生生徒を送り込めばよいのである。
   私など、70年大阪万博に通い詰めて世界に目を開かれて、その後、長い間、地球上を縦横無尽に思う存分歩き続けてきたので、一層、そう思っている。
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音楽の効用は文明初期から

2025年02月01日 | 学問・文化・芸術
   ヘンリックの「WEIRD(ウィアード)「現代人」の奇妙な心理」を読んでいて、音楽の効用につて興味深い記述があった。
   人間の文化社会にとって、音楽は、文明初期の段階から重要な役割を果たしていた。と言うのである。

   未開人類にとって、同期性、リズミカルな音楽、目的志向の共同行動がすべて作用しあう神聖な共同体儀式は非常に重要であった。儀式を遂行するという共通目的に向かって人々をまとめることによって共同体意識を深めて、人間関係を培い、個人間の信頼を強めて、連帯や相互依存の感覚を高めて集団の結束を図る。
   この同期性や共同行動を補うものとしてのリズミカルな音楽は、心理的に働きかける儀式の力を三通りのの方法で強めている。第一に、リズムに合わせている個々人が、身体の動きを同期させるのに効果的な仕掛けとなる。第二に、音楽を共通に演奏することが、集団にとっての共通目標になる。第三に、音楽は二つ目の感覚――動作に加えて音響――を通して作用することで、気分に影響を及ぼし、儀式に高揚感を齎す。
   これら神聖な儀式においては、音楽が必須だったのである。

   この共同体儀式の様子などは、今でも、それに似た民族集団的な儀式をテレビなどで見ているのでほぼ想像はつく。
   私が、意識しているのは、この音楽行動が、人類にとっては、原初より人間生活の根幹であって、切っても切り離せない命の一部であったと言うことである。

   さて、今日では、儀式に伴う音楽も様変わりして、この儀式でのような音楽体験をすることは、殆どなくなっている。それに、音楽も、儀式から離れて、独立して存在して機能するようになってきている。

   ところで、自分自身の音楽体験だが、何故か、小中学生時代には音楽の授業を軽視して身を入れて対処しなかった。大学生になって以降クラシック音楽に入れ込み、レコードを買い込みコンサートやオペラに通い詰め、長い欧米生活を良いことに最高峰の音楽を楽しみ続けて、生活の一部にもなっているので、今では、痛く後悔している。

   この天邪鬼が祟って、演歌など日本の歌謡曲なども紅白歌合戦くらいで聞くこともなく、クラシック一辺倒で通してきたのだが、不思議なもので、NHKの4KなどBSで演歌が流れてくると、ついつい、懐かしさを覚えて聞き続けている。日本人としての音楽心がビルトインされているのであろう。
   私の好きな歌謡曲と言うか聞くといつもホロっとするのは、「神田川」「いい日旅立ち」「琵琶湖周航の歌」。

   外国旅行で聞いた民族音楽も忘れ難い。
   スペインのフラメンコ、ポルトガルのファド、アルゼンチンのタンゴ、ブラジルのサンバやボサノヴァ、 メキシコのマリアッチ、ニューオーリンズのジャズ・・・
   同じ「エル・コンドル・パッサ」でも、ボリビアのラパスの咽返るようなナイトクラブで聞いた時と、マチュピチュの頂上で聞いた時のケーナの音色は違うし、
   とにかく、異国での音楽は胸にしみて懐かしさえ感じさせてくれる。

   フィガロの結婚も、ローエングリンも、ラ・クンパルシータも、聖者の行進も、有楽町で逢いましょうも、私の耳元で鳴っている。
   さて、私にとっては、音楽は何であったのであろうか。
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人類の識字率アップはルターのお陰

2025年01月30日 | 学問・文化・芸術
   先に、ピケティとサンデルの平等論争で、高等教育の機会格差が問題であることを論じた。一寸視点は違うのだが、人知・教養の面から、ジョセフ・ヘンリック (著)「WEIRD(ウィアード)「現代人」の奇妙な心理」を読んでいて、文化文明を一気に引き上げた「識字率」が、何時どのような理由でアップしたのか、興味深い記述に出会ったので、考えてみたいと思った。
                    
   言語の表記体系が、強大な勢力を誇る古代帝国などから起源したのは、5000年ほど前からだが、しかし、比較的最近まで、どこの社会でも、識字者が人口の10%超えることは決してなく、識字率はそれよりはるかに低いのが普通であった。
    ところが、16世紀に突如、まるで流行病のごとく、読み書き能力が西ヨーロッパ中に広がり始めた。

    それは、1517年のハロウィーン直後に、ドイツのヴィッテンベルクで、マルティン・ルターの「95か条の論題」が発端となって宗教改革が始まった。これが引き金を引いたのである。
    ルターのプロテスタンティズムの根底にあるのは、一人一人が神やイエス・キリストと個人的関係を結ぶべきだという考えで、それを成し遂げるためには、男も女も、独力で、神聖なる書物――聖書――を読んで、その内容を理解する必要があり、専門家とされる人や聖職者の権威、あるいは、教会のような制度的権威にたよりきるわけには行かなくなった。
   この「聖書のみ」と言う教理は、誰もが皆、聖書を読む力を身につけなくてはならないことを意味していた。

   そのためには、聖書を、それぞれの言語に翻訳する必要があり、ルターによるドイツ語訳聖書は、たちまちのうちに広く普及するのだが、ルターは聖書の翻訳のみならず、識字能力や学校教育の重要性についても説くようになった。当時、読み書きできたのはドイツ語使用人口の1%に過ぎなかったので、ザクセン選帝侯など統治者たちに、読み書きの指導と学校管理の責任を負うように圧力をかけるなど、識字率向上に奔走した。のである。

   プロテスタンティズムと識字能力や正規教育との歴史的関連性は、十分に証明されている。その早期普及を促したのは、物質的な自己利益や経済機会がその要になっていたのではなく、宗教的信念であった。
   識字率や教育に対するプロテスタントの貢献の高さは、カトリックの布教活動との影響の違いの中に、今日でも見て取れ、カトリックの布教地域の人々の識字率や学校教育の普及率は、プロテスタント地域よりもかなり低い。と言う。

   さて、先日の学歴不平等の問題だが、
   学歴格差が深刻で、学歴が高いほど、社会のトップ中枢に近づいて権力構造に昇りつめる欧米とは違って、学歴社会だと言いながらも、大学院卒の博士や修士がそれなりに評価されずに軽視され、大卒がトップを占める日本では、事情が大分違っている。欧米システムの、大学は教養、大学院は高度な学術・専門知識技術と段階的に高度化しているのとは違って、高校も大学も同じ教養教育をして僅かに専門知識を詰め込んで企業戦士のスペアパーツを作り上げたとする日本の大学、この教育システムが特異なのかも知れない。

   さて、欧米も日本も、トップ大学合格如何は、親の財力経済力に掛かっていると言う。東大生の親は一部上場企業の部長以上だと言われたことがあるが、我々の時のように貧しい地方の俊英が食うや食わずで上京したのとは、時代が違う。
   まず、今では、東大を目指すためには、トップクラスの中高一貫校に入学しなければならないのだが、そのためには小学校の中学年から著名な受験専門の塾に通い詰めて勉強する必要がある。塾生の勉強を毎日フォローしなければならないし、大学受験までは、膨大な出費が必要であり、これに堪え得る知力と財力を備えた親はそれほど多くはない。

   ルターの時代は、幸せになるためには、読み書きができて聖書を読めることが必須であったが、今では、何が必要なのであろうか。
                                  
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私もフェルメールのトリコになった

2025年01月06日 | 学問・文化・芸術
   NHK日曜美術館で、「私とフェルメール 谷川俊太郎」が放送された。
   1967年、アムステルダム国立美術館で、フェルメールの「小道」と言う作品を見て、フェルメールのとりこになった谷川。フェルメールの絵を見ると、「余計なことを考えずに純粋にきれいだなあ、と思えるのが魅力」だという。1980年の放映の特別アンコールである。

   谷川さんは、フェルメールは、若い時につかんだものを生涯追い求めた画家で、あまねく浮かび上がらせる光の存在が嬉しくて、内面の表現には関心がなく、見えるものそのものが世界であり、日常的なありのままが実在だと認識してその客観を再現した。とにかく美しい、画面が生きている、官能的であるから惚れた、と言う。
   要は惚れるか惚れないかの問題で、美しいものに出会うと幸せになり言葉がなくなる、フェルメールは、そんな稀有な画家だと言うことである。
   

   さて、私が、最初にフェルメールに感激したのは、1973年、留学先のフィラデルフィアから、フランスからの留学生のクリスマス休暇帰国のパンナムのチャーター便に便乗して渡欧して、アムステルダム国立美術館へ、レンブラントの「夜警」を見に行った時で、
   フェルメールの「牛乳を注ぐ女 」を見て、女の捲り上げたシャツの黄色っぽい辛子色から黄緑へとグラジュエーションの微妙な色彩の豊かさなど、何とも言えない程、美しく、注がれれている牛乳の微妙な光など、細部まで、感動して、一気にフェルメールファンになってしまった。
   私も谷川さん同様に、理屈抜きにフェルメールのとりこのなった。

   アムステルダム美術館には、フェルメールの作品は、「小道」と「牛乳を注ぐ女」のほかに、「恋文」「青衣の女」の4点があったと思う。同じ美術館で、同じフェルメールを見ても、好きな絵が全く違い、感性の差を感じて、驚いている。私には、詩心がないのかも知れない。
   
   その後、オランダに赴任後すぐに、ハーグに出かけて、「マウリッツハイス美術館」に行って、「青いターバンの少女(真珠の耳飾りの少女)」や「デルフトの眺望」などを見て、また、感激しきりであった。
   幸い、フィラデルフィアで2年過ごし、アムステルダムとロンドンに8年間いたので、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、オーストリアなどの欧米の美術館などを片っ端からまわって、フェルメール行脚をした。
   オランダに3年住んでいたので、フェルメールが作品を描き続けたデルフトを何度も訪ねて、古色蒼然とした故地を散策しながら雰囲気を楽しんでいた。
   次の絵は、フェルメールの「デルフトの眺望」だが、殆ど、今も変わっていない。 

   フェルメールの作品で現存しているのは、37作品で、そのうち、ボストンの作品が盗難にあって行方不明なので、たったの36作品である。
   アメリカでは、ニューヨークに8、ワシントンに4、そのほかに3、
   オランダでは、アムステルダムとハーグに8、
   イギリスではロンドンなどに4、
   フランスに2、
   その他、ドイツ、オーストリア などに8、だと思うのだが、
   フェルメールが生活して絵を描き続けたオランダのデルフトには、一作品も残っておらず、世界中に拡散している。
   その内、幸いにも日本に来た2作品を含めて、30作品くらいは実際に見ている。

   久しぶりに、フェルメールに出会えた感じで幸せである。 
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中国はコーヒーブームだという

2024年12月12日 | 学問・文化・芸術
   NHKがニュース9で、コーヒー価格の高騰のニュースの中で、中国で最近一気にコーヒーブームが起こっていると報じた。

   私が、最初に中国で、喫茶店でコーヒーを味わったのは、このブログの「初春の上海・江南紀行」でも書いているのだが、2017年2月で、
   上海の南西15キロ、明清時代の街並みが残っている典型的な江南水郷の面影を残した七宝古鎮の運河「蒲匯塘」のほとりのライオン・コーヒー店でである。
   コーヒーショップに入って、小鳥が、川面を渡ってきた一寸した絵になる風景を運河越しに眺めながら、小休止した。
   カフェラテが、31元、600円ほどだが、口絵写真のように店員が綺麗に模様を描いてくれた。 
   

   

   その後、上海の繁華街の豫園商城 に、スターバックスがあったので、人混みをかき分けて入って、定番のカフェラテを頂いたのだが、全く、日本やアメリカと同じで、違和感がなく、中国社会に、コーヒーが、かなり浸透しているのを感じた。
   

   細かい情報は記憶に残っていないので、(日経BP 総合研究所)のレポートを借用すると、
   中国ではコーヒー市場が熱を帯びている。若者にとってコーヒーは生活習慣の一部になり、社交ツールにもなっている。コーヒー消費の中心は20~40歳の都市に住むホワイトカラーで、1人あたり年に326杯を飲んでいる計算になるという。現在、中国にはコーヒー関連企業が約17万4000社あり、そのうち22年に新たに登録された企業は約3万2000社で、新規登録企業の増加ペースは23.1%に達している。コーヒー界のトップであるスターバックスは中国市場で事業を拡大しており、25年に中国での総店舗数を9000店にするという。一線・二線都市のコーヒー市場は競争が激しく、ここ2年間近く、スタバなどは三線・四線都市へと急速に事業を拡大している。微博(ウェイボー)などのSNS上では、「火鍋レストランの海底撈火鍋もないような福建省の小さな県にもスタバができた」などの投稿が増えている。と言う。

   イギリスでは、国民的飲料であった筈の紅茶を、スタバが凌駕し、
   茶の国中国でも、辺鄙な田舎でもスタバが開店するという。
   世界全体が、スタバの飲料、と言うよりも、食文化革命が起こっている。
   しかし、そのスターバックスも、イタリアで美味しいコーヒーに感激した創業者が、1971年にアメリカ合衆国ワシントン州シアトルで開業した 新参者。
   私がアメリカに留学していた1972~74年には、喫茶店などある筈がなく、MACやケンタッキーなどの不味いアメリカンしかなくて、真面なコーヒーを味わうためには、高級レストランで高級料理を食す以外になかったのである。
   経営学の神様ドラッカーが、麗々しくもスターバックスをイノベーションだとの賜ったが、ずっとずっと前から、日本には、全国に素晴らしい喫茶店が沢山あって、遥かに美味しくて文化価値の高いコーヒーの喫茶文化を醸成育成していた。
   アメリカや中国やほかの国が、コーヒー音痴で、やっと目覚めたというだけの話である。
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中高一貫校の入試に思うこと

2024年02月04日 | 学問・文化・芸術
   神奈川県の中学校入試が、2月1日から始まった。
   我が孫息子も、中高一貫校の入試を受けたので、緊張の2月の幕開けであって、節分の豆まきどころではない。
   義務教育なので、地元の市立の中学校に行けるので、心配はないのだが、4年生から学習塾に通って勉強してきたので、出来れば、志望校に合格して、そこで学ばせたい。

   結果としては、入試に合格したので、第一次志望の中高一貫校に通うことになったので、ホッとしている。
   しかし、側で見ていて、この受験勉強の厳しさについて、色々考えさせられた。

   まず、受験勉強の教材というか、塾で学んでいる勉強の程度が、我々の常識の域を超えていて、並大抵の努力では簡単に乗り越えられないほど難しくなっていることである。
   当然、入試問題も、容易に解けないほど難しい。
   
   塾生は、学校の授業を終えて塾に通って夜遅くまで勉強して、夏休みも冬休みもなく、勉強を続けるのだが、この授業だけでは十分ではないので、更に、家庭において徹底的に復習してマスターしなければならない。
   色々な理由で父兄が面倒を見られないので、二次の塾に通ったり、家庭教師を付けてフォローするケースもあると聞く。

   ところで、我が家の場合、無為無職で遊んでいる私に、お鉢が回ってきた。
   京大を出たんでしょ、と言うわけである。
   しかし、その後のアメリカでの大学院の勉強を含めても、もう、半世紀以上も前のことで、80歳を超えている。
   いずれにしろ、毎日、大学や大学院で学んでいた程度の経済や経営学の専門書を読んでおり、認知症の気はなく、まだ、頭は正常だと思っているので、引き下がるわけには行かない。
   
   私が、フォローしたのは、主に算数であった。
   我々が知っている加減乗除主体で、旅人算や鶴亀算程度の算数とは雲泥の差で、見たことも聞いたこともないような問題ばかりで、文章題や論理的推論問題などが多くて、問題の解釈や回答の仕方も、全く斬新かつ仮定仮定で、頭をそっくり切り替えないと太刀打ちできない。
   塾の算数担当の先生に聞いたら、自分も、担当になったときには良く分からなかったと述懐していた。

   しかし、高校までは文理両道というか、数理に弱いわけでもなかったし、昔取った杵柄というか、解説の助けを借りて勉強し始めると、いくら難しいと言っても、慣れてくると殆ど問題は氷解して、孫息子に解説しながら教えられるようになって来た。
   とにかく、すべての問題を、一所懸命勉強している孫息子以上に理解して、教え続けなければならない。と言う使命感である。

   ところで、気になったのは、孫息子が通っている市立の小学校の教育程度と、この塾なり受験勉強の教育程度の差が、あまりにも大きすぎて、そのギャップをどう埋めるのか、それに、義務教育である小学校の教育をスキューしないかと言うことである。
   高校や大学の入試に絡む教育程度の差は、いくら大きくても、義務教育以外の問題なので認められるとしても、この差は将来で、更に、公立の普通中学と、私立の受験主体の中高一貫校との学力差が、益々拡大することになる。学校によっては、高校1年で、大学受験用の勉強を終えるというのである。
   大学に大きな格差があるように、中高当たりからも、学校の階層化というか差別化を図って、欧米のようにエリート教育に軸足を移すべきではなかろうか。

   私自身は、今の日本人の若者は、勉強不足だと思っているので、もっともっと勉強すべきで、勉強のハードルを更に高くして教育水準を引き上げて、勉強の機会を増幅すべきだと思っている。
   幼稚園や小学生と言った幼い段階から、子供たちを厳しい受験戦争に、巻き込むべきかどうかについては、議論のある所だが、良い学校に入れて良い教育を受けさせたいという親の希いと努力は当然かも知れない。
   しかし、何処の国でもそうだが、良い教育を受けさせるためには高額の教育費が必要であり、深刻な経済格差が障害となっているので、少なくとも教育の無償化を実現して機会均等を策すべきであろう。

   良い学校を出たからと言って、子供の将来が明るいかどうかは、また別問題ではあろう。
   私の場合、大学とアメリカのトップビジネススクールのMBAのキャリアが、国際事業でパスポートとなって役に立ち、世界中で見るべきものを魅せてくれたことは事実である。
   知が豊かになれば、見えないものが見えてきて、世界が広がる。感動しきりであった。

   蛇足だが、途中下車で乗り換えが必要な高校受験は無駄だと思っているので、貴重な十代の6年間を自由に絵が描ける中高一貫校システムは非常に良いことだと思っていることを付記しておきたい。
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NHK ACADEMIA  千玄室(裏千家前家元)を聴く

2023年12月23日 | 学問・文化・芸術
   大宗匠・千玄室の素晴しいNHKの講演を聴いた。観たと言うべきかも知れないが、私には聴いたと言うべき感激であった。
   60歳代の大学教授だと言ってもおかしくない、100歳とは信じられないような矍鑠とした頭脳明晰かつ理路整然とした語り口は驚異とも言うべきで、母親の胎内から濃茶を飲み続けていて、体内には緑色の血が流れているのだと言って、一腕の楽茶碗を握りしめながら、茶道の奥深い哲学思想から、世界平和への希いをネツっぽく1時間半にわたって語り続けた。

  千利休の四規 [和敬清寂]の掛軸をバックにして、茶道の精神や心得を語っていたが、まず、裏千家のHPによると、この「和敬清寂」とは、
 この4つの文字の中には、すべてのお茶の心がこめられているといわれています。
 「和」とは、お互いに心を開いて仲良くするということです。
 「敬」とは、尊敬の敬で、お互いに敬まいあうという意味です。
 「清」とは、清らかという意味ですが、目に見えるだけの清らかさではなく、心の中も清らかであるということです。
 「寂」とは、どんなときにも動じない心です。
 お茶を飲むとき、お点前をするとき、また、お客様になったとき、お招きしたときなどに、この「和敬清寂」ということばを思い出し、おけいこに励みましょう。

   冒頭、イグサの畳表の清潔さを語り、日本の伝統文化の貴重さから説き起こして、家族交流の場であった茶の間が消えた家を語り、情の国である筈の日本人が、分をわきまえずに忍耐や寛容を忘れ、頂きます、ごちそうさまと言う精神が薄れてしまって、口先だけのおもてなしになってしまったと、決して難しいことでも何でもないと、茶道の作法が、如何に日本文化に根ざした公序良俗、日本人の精神を教えているかを語った。

   地球温暖化で食べ物がなくなる心配がある。
   ウクライナやパレスチナなど悲惨な戦争が起こっているが、第二次世界大戦の悲惨さ凄惨さはこれらの比ではなく、特攻隊員として実際に経験した人間でないと分からない。平和が如何に大切か、
   茶道とは、あらゆる宗教をも超越した総合的な文化であると、一腕の茶碗に託して、世界平和と人類の安寧を願い続けて世界を行脚してきた熱烈な思いを語り続けた。

   メモを取れずにこのブログを書いたので、大宗匠の思いを伝え得たかは心許ないが、100年の貴重な茶道への限りない情熱と激しい平和への希いを肝に銘じたNHK ACADEMIA の講演であった。

   ところで、これは、私自身の悲しい反省だが、日本の歴史や文化などの頭でっかちの勉強はしてきてそれなりの知識はあるが、実際に、茶道や華道、謡曲や音曲などと言った日本文化の実際に全く触れず、習いもせずに過ごしてきてしまったことである。
   千利休がどうだとか、茶道の歴史的位置づけは、等といった歴史や文化的知識はあっても、悲しいかな、茶道を習ったこともなければお茶碗に触れたこともなかったので、
   友人の英国人夫妻を京都に招待したときに、参考になろうと思って軽い気持ちでお茶席のある場所に案内して、お茶が出された時に、どのように茶碗を受け渡しするのか、その作法が分からなくて、普通に恭しく頂いたものの、相客の手本にもならなくて、恥をかいてしまった。

   とにかく、コーヒー、コーヒーの毎日、
   一寸、昔、椿の絵柄が気に入って買った茶碗を引き出して、濃茶を飲んでみようと思っている。
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高齢で認知機能下がるか下がらないか「前向き思考が大事」

2023年11月26日 | 学問・文化・芸術
   毎日新聞の電子版で、「高齢で認知機能下がる人と下がらない人…なぜ?「前向き思考が大事」」が掲載されていた。
   京都女子大発達教育学部心理学科の岩原昭彦教授の研究である。
   「心理学の医療応用というと臨床心理学の『心のカウンセリング』を連想しがちですが、生活の改善や健康の増進にも心理学は関わります」。その延長で、心理学の認知機能への関わりも探っている。と言うのである。
   高齢になっても若い頃と同程度の認知機能を維持する人は「スーパーエージャー」とも呼ばれ、医学的にみると、こうした高齢者は脳の「前帯状皮質」と呼ばれる部分が厚く、神経細胞が多いという。よく使われているためだ。実はこの部分は人の感情や社会性に大きく関わり、自分の行動を制御する役割も担う。まさに認知機能を維持するために欠かせない部分だ。「老いを否定的に考えず、前向き、肯定的に捉える。実はこれが認知機能にとっても非常に大事なんです」。心理学の医療応用である神経心理学とポジティブ思考を合わせた「ポジティブ神経心理学」の視点から、そう強調する。とも言う。

   病気や孤独など、老いにはネガティブなイメージもつきまとうが、まずは老いを自覚し、「これでいいんだ」と自分を肯定する。すると前向きな思考ができ、ささいなことであっても目標を持ち、人生の意味も考えられる。「ポジティブ神経心理学では、人生に意味を見いだすことで、肉体的、精神的、社会的に満たされた状態(ウェルビーイング)が高まると考えられています」。認知症予防に一定の効果が表れたとする欧米での実証結果もあり、脳に影響を与えているとみられている。
    ウェルビーイングは、人とのつながりを感じることでも高まるとされていて、社会活動に参加したり、皆で集まったりするイメージがあるが、昔の思い出を懐かしむことでも感じる。「思い出は誰かがそこにいた記憶でもあり、社会的つながりを感じられるのです」。実際に、ノスタルジア(懐かしさ)がウェルビーイングを向上させ、認知機能が上がったとの研究結果もある。 また、ポジティブな未来を想像することも、ウェルビーイングの向上に効果があると説明する。脳の活性化の点からみて、ポジティブな未来を想像することと過去を懐かしむことは同じ効果があるという。「ウェルビーイングの高まりは認知の予備力を高め、認知症の予防にもつながる」と言うのである。

   物事をポジティブに捉えて、前向き思考で、脳の「前帯状皮質」を活性化させて、認知能力を維持しよう と言うことであろうか。
   ご高説は、何となく分かるのだが、83歳になった今、そんなことを言われても、時間切れで、対応の仕方がない。
   出来るのは、自分がどの様に過ごしてきて、今の自分の認知の能力がどうなっているのか判断するくらいで、過去を振り返る以外に仕方がない。

   まず、前向き思考についてだが、現役時代には、行け行けドンドンの攻撃型の業務に明け暮れていたので、後を振り返る余裕などなかったように思う。前向きだったかどうかは疑問だが、総体的に現状肯定形のいい加減な対応で、特に、ネガティブ対応や後ろ向き思考には、それ程陥った経験はなかったと思っている。
   次に、ポジティブな未来を想像することと過去を懐かしむことについてだが、特に、現役時代には、ポジティブな未来を想像しなければ仕事にならなかったし、私生活においては、貧欲に、大袈裟に言えば真善美を追求すべく、夢を描いて東奔西走し続けて今に至っている。過去を懐かしむことについては、欧米伯と14年間海外で暮らし、海外をその前後10年以上も走り回っていたので、これだけでも涙が零れるほど懐かしいのだが、良い思い出ばかりではない
   人生80有余年、苦しきことのみ多かりきで、最近では、歳の所為か、嫌なことばかり思い出されて憂鬱になることの方が多い。

   「高齢で認知機能を下がらせないためには「前向き思考が大事」」、ポジティブな未来を想像することや過去を懐かしむことは、脳の活性化のためには良い と言われても、
    頭も心も、たった一つ、
   そんなに、上手く器用に、コントロール出来ないのが人間の悲しさである。
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「就職心配」で、文系大学院に進学しない

2023年10月27日 | 学問・文化・芸術
   毎日新聞が、「文系大学院進学しない理由、学生48%が「就職心配」 理系の倍」と報じた。
   理系に比べて低調な文系学部生の大学院進学について、文部科学省が現役学生の意向を調査したところ、進学を考えていない人の約48%が「就職が心配」を理由に挙げたことが分かった。理系学生で同じ回答を寄せたのは約26%だった。学生が文系大学院を出た後のキャリア形成を不安視している実態が明らかになった。と言うのである。

   文科省によると、SDGs(持続可能な開発目標)や生成AI(人工知能)といった新分野に注目が集まる中、時代に即した法制度や倫理面に関する研究が求められるようになり、人文・社会科学系の専門知識がある人材の養成を大学に期待する声も高まっている。ただ、学部卒業後の進路を見ると、理工農学系は3人に1人が修士課程へ進むのに対し、文系は20~30人に1人の割合で、進学率の低さが課題とされている。
   文系・理系双方で進学を考えていない学生にその理由を尋ねると、文系は「卒業後の就職が心配」との項目に「とてもあてはまる」「ややあてはまる」とした学生が約48%となり、理系(約26%)の倍近くに上った。進学予定の学生を含めた全体に対し、大学院のイメージを聞いた設問でも「学部卒より就職に有利」の項目に「そう思う」「どちらかと言えばそう思う」とした文系学生は約43%にとどまり、理系(約85%)と差が大きく開いた。と言うことらしい。

   既に傘寿を越えて、大学を出てから60年、米国の大学院MBAを出てから50年も経て、現状には全く疎い老兵なので、頓珍漢な考え方になるとは思うが、この傾向に対して今の心境を述べてみたいと思う。

   文系の場合、「そもそも考えたこともない」と答えた学生が、、進学意向のない文系学生の半数以上を占めたと言うのだが、私自身も、大学院は学者になるための課程だと考えていて、頭にはなかったし、同級生で大学院に進んだのは1人か2人であったように思う。専攻の経済学や経営学が何たるかも分かっていなかったし、特別深く勉強したいと思ってもいなかったし、日本の場合、学問を目指さない限り、それが普通だったのである。しかし、後述するが、この考え方は、米国留学で木っ端微塵壊れてしまった。
   ところが、当時でも、京大工学部では、学部だけでは学業が全うできないので大学院へ進むカリキュラムを組んでいて、それを前提に受験するように推薦していたのを覚えている。

   ここで、まず、強調しておきたいのは、文理の比較で、理系の学問の場合は、奥が深くてどんどん勉強を重ねて深掘りする必要があって、途中下車の必要はなく、創造的段階を目指せば限界がなく、大学院へ進学は必須かも知れない。
   一方、文系の場合、私は経済と経営しか知らないのでこれに限定して語るが、科学のように確固として確立された学問や理論から積み重ねて進化して行く学問と違って、極論すれば、特に経営学はそうだが、世につれ人につれと言うか、時代の潮流によってどんどん変っていき決定版がないので、勉強を何処で切っても、世間知で補い得るのである。経済学では、スミスやマルクスやケインズなど古典理論はそれなりに命脈を保ってはいるが、この半世紀間だけを考えても、経済学理論は、変転が激しくて、学問としても様変わりである。

   日経が前に、”過剰な学歴批判や、学問より社会経験を重視する一種の「反知性主義」、大学院軽視の岩盤構図の強固さ”を指摘して記事にした。
   私は、米国製MBAで修士なので、博士について口幅ったい言い方は出来ないが、暴論を承知で言うと、この背景には、日本の政治経済社会の上に立つトップの学歴が殆ど大学卒止まりで、低いことに問題があると思っている。
   欧米では、学歴が高いほど高い地位に就き報酬が高いという厳粛なる事実が機能していて、教育程度が、決定的要因となっている。
   最近のアメリカの大統領では、トランプだけは大卒だが、クリントンもブッシュもオバマもバイデンも、総て、大学院を出ており、欧米の為政者や政府高官は勿論、大企業の経営者などリーダーの大半は、大学院を出て、博士号や修士号を持っており、大学しか出ていない殆どの日本のトップ集団とは大いに違っている。それに、欧米の場合には、文理両方のダブル・メイジャーや学際の学位取得者、T型人間、π型人間など多才な学歴を積んだリーダーが多いのも特徴である。
   欧米の教育では、大学はリベラル・アーツを学ばせる教養コース的な位置づけで、専門分野の高度な深掘り教育は、大学院の修士・博士課程、プロフェッショナル・スクール(大学院:ビジネス、ロー、エンジニアリング、メディカルetc.)で学んで習得する制度なので、桁違いに水準の高い、この過程を通過しなければ専門知識なり高等教育を受けたことにはならないし役に立たない。
   グローバル・ビジネスにおいて、欧米のカウンターパートと比べて、特に、日本のトップやビジネス戦士が引けをとっているのは、リベラル・アーツなどの知識教養の欠如と専門分野の知見の低さで、その上に、欧米人は、高度な専門分野の大学院教育を受けて知的武装をしているのであるから、太刀打ち出来るはずがない。国際政治においても同様である。

   したがって、根本的な問題は、日本の大学制度の欠陥である。
   大学のたったの4年間に、教養課程と専門課程を組み込んだどっち付かずの中途半端なシステムが問題であって、
   日本の社会なり政府が、リベラルアーツも専門教育も両方ともこの4年間の大学教育で完結したと考えているからである。
   頭の固いトップが、”過剰な学歴批判や、学問より社会経験を重視する一種の「反知性主義」、大学院軽視の岩盤構図の強固さ”に凝り固まって、大学院卒の従業員を拒否するのみならず、たとえ雇っても有効かつ真面に活用できない。
   学歴が高いほど高い地位に就き報酬が高いという厳粛なる世界の常識に反した経営をし続けているので、可哀想に、文系の大学生は、「就職に不利」だという理由だけで、大学院教育を忌避している。

   激しい時代の潮流に抗するためには、益々、学問が必須になって教育の高度化を目指す必要がある。
   思い切って、大学を完全に教養課程に切り替えて、文系の専門教育は、欧米流に、大学院、ロー・スクールやビジネス・スクールなどのプロフェッショナル・スクールに移管して、更なる高度化と充実を図ることである。高みを目指す有為な人材は、必然的に大学院突破を目指すはずである。
   尤も、現在でも、大学によってはビジネス・スクールなど制度改革を試みているようだが、そんな付け刃ではダメで、根本的な大学制度にメスを入れると同時に、更に、「反知性主義」のトップの意識改革なり、保守反動の岩盤構造を打破するなど大鉈を振るわない限り、無理かも知れない。

   GDPがドイツに抜かれて世界第4位に転落、Japan as No.1の時代は遙かに遠くなって、夢の夢、
   寂しいけれど、日本の政治経済社会の制度疲労が地鳴りを伴って軋んでいる。
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バイキングはメキシコまで到達していた

2023年03月23日 | 学問・文化・芸術
   ヴァレリー・ハンセンの「外国貿易反対派の抗議の歴史」を読んでいて、グローバリゼーションの起源を大航海時代だとするのは遅すぎる、西暦1000年だと言う見解に興味を感じた。
   1000年頃に、中国からインド、アラビア半島、アフリカに至るまで海上交通で繋がり、バイキングが北米に到達したことで、「世界一周交易路」が成立したからだという。
   ヨーロッパ人として初めてカナダのニューファンドランド島に上陸したバイキングは、南北アメリカ両大陸に張り巡らされていた交易路を、ヨーロッパ、アジア、アフリカ、つまり、アフロ・ユーラシア大陸の交易路を融合させた。こうして世界史上初めて、ものや情報が世界中を移動することが出来るようになった。

   ここで、ハンセンが問題視したのは、ヨーロッパ主導で描かれ続けてきた世界史で、これに疑問を呈して、グローバリゼーションの幕開けを、西欧とは関係のない史実を検証して書き換えようとしていることである。
   中国史の専門家であり、当時、宋代の世界最大にして最も栄えていた沿海州の泉州が、世界中から集積された財や高級品で溢れていた事実を活写して、すでに、国際交易のグローバル展開が成されていたとしている。
   グローバリゼーションの起源が、大航海時代だとするのもこのヨーロッパ至上主義の現れで、あたかも、世界の歴史が、コロンブスやマゼランによって開花したように論じられている。
   ポルトガルのリスボンのベレン港に大きな世界地図が地面に描かれていて、ポルトガル人が到達した年度を、インドや日本など各地に、あたかも発見年代と言わんばかりに打ち込まれているのはこの典型で、傲慢も甚だしいが、それ以降20世紀にかけて、ヨーロッパ列強が世界中を植民地化すべく派遣を競って乱舞した。
   しかし、このことは、それ以前に、大帝国を築いて文化文明の輝きを誇っていた中国などと比べて、15世紀までは、ヨーロッパが文化文明世界に至っていなかったことを示していたようなものである。
   アンガス・マディソンなど、1820年の時点で、世界のGDPの29%は中国、16%はインドで、2ヶ国で世界のGDPの半分近くを占めていて、18世紀、17世紀、16世紀とさらに時代を遡ると、両国のシェアは7割近くだったとして、欧米がアジアに追いついたのは、この100数十年だと言っていて、経済的にもこれであるから、文化文明度においては、西欧は、かなりビハインドであったと言うことである。

   私が注目したのは、「コロンブスより先にアメリカ大陸に上陸したバイキング」という項目で、バイキングは、メキシコのマヤの古代都市チチェン・イッツァにまで到達していたと言う見解である。
   同地にある「戦士の神殿」の壁画に描かれている捕虜は、ブロンドで目の色が明るく、肌の色は白い。バイキングの身体的特徴とかなり一致するので、仮説として証拠立て得るとする。

   これだけで、バイキングが、メキシコに到達した証拠とは言いがたいかも知れないが、マヤやアステカ文明は、スペインのコンキスタドール・コルテス侵攻以前に、既に、華やかな帝国を築いて栄えていたので、バイキングとの遭遇が興味深い。
   このチチェン・イッツァには、ウシュマルやパレンケなどのマヤ遺跡と一緒に、一度だけ訪れている。この口絵写真の建物には、階段の急斜面に恐怖を感じて残念ながら頂上まで上れなかった。インディオの戦士達は、重い甲冑をつけて駆け上がったのだが。
   何故繁栄を極めたマヤ文明が、ジャングルの中に忽然と消えてしまうのか、不思議で仕方なかったが、何かの本に、鋤鍬を発明出来なかったので、十分な農耕を行えなくて疲弊した土地を放棄せざるを得なかったのだと言うことが書いてあったの覚えているが、インカやアステカ文明など、南北アメリカの古代文明には、西欧世界史でもフォローできない未知の疑問が多い。

   東西交渉史、異文化異文明の遭遇は非常に面白い。
   
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あすから大学入学共通テスト

2023年01月13日 | 学問・文化・芸術
   TVを見ていると、「あすから大学入学共通テスト」と言うタイトルが頻繁に出でてくる。
   なによりも、念頭に浮かぶのは、思い出よりも、もう試験は受けたくない、嫌だという気持ちである。

   私が受けた入学試験は、高校、大学2回(1浪したので)、アメリカの大学院、この4回だけである。
   社会に出てからも、資格試験などなかったし、他に受けたといえば、ロンドンのジェントルマンクラブRACの入会面接くらいであろうか。

   大学入試は、もう、60年以上も前のことになるので、殆ど何も覚えていない。
   勿論、共通試験などなかった頃で、東大のように2次試験まであった大学とは違って、一発勝負であった。
   2回とも京大の経済を受けたのだが、第1回目は、数学だったか英語だったか、大きなミスを犯したので、すぐに、ダメだと分かったのだが、何故か、この試験なら、来年には合格できるだろうという予感を感じた。
   当時後にも先にも京大に入った卒業生のいない県立の高校だったが、浪人中は、余裕もなかったので、予備校や塾などには通わずに、通信教育や旺文社の参考書などを便りに独学独習で受験準備をした。
   記憶が正しければ、京大の入試が他の大学と違うのは、配点が、英数国理社各200点で、数学は、数1,数2,数3または幾何(私は幾何)で、理科2科目(私は化学と生物)、社会2科目(私は世界史と地理)と言うことで、試験科目数が多くて、各科目均等な学力が要求されると言うことであった。
   要するに、高校の教科を満遍なく一所懸命勉強して、広範かつ実質的な学力を付ける以外にないと言うことである。この方針が、社会に出てから随分役に立ったので、私は受験勉強を肯定している。
   それに、当時は、昨今のように、有名な中高一貫校が、トップ大学の合格者を寡占するという傾向はそれ程なくて、比較的合格者の多い関西の地元高校からは別として、地方の公立校のトップクラスの俊英が集まると言った感じで、西に比重を掛けた全国区であった。
   4当5落、すなわち、睡眠時間が4時間なら入試に合格するが5時間寝たら落ちると、まことしやかに言われていた時代だったが、自分自身で勉強していて手応えがあるかどうかの問題であったし、それに、2回目であるし、時間など気にはならなかった。
   日経の私の履歴書を読んでいて、浪人中、当時3本立てで頻繁に演目の代わる映画館があって、週に2回くらい通っていたという話を読んで、私も全く同じ経験をしていたので意を得たりであった。その後、趣味で、オペラや古典芸能に通い続けたのも、その影響かも知れないし、人生無駄ではなかったと思っている。

   当時伊丹に住んでいて、試験場へ通えば通えたのだが、受験中は京大生が世話をしてくれる宿舎に泊まって試験を受けた。1回目はダメだと思ったので結果は電報を頼んだ。サクラチルであった。
   2回目には、何故か不安がなかったので、電報を頼まずに、発表当日直接京都に出かけた。

   簡単に言えば、これだけの経験だが、殆ど、独立独歩であったし、「○○○蛇に怖じず」で、殆ど不安もなかったし、特に緊張したという記憶もない。
   しかし、もう一度受験せよと言われれば、絶対嫌であり、やりたくない。

   アメリカのビジネススクールの受験は、もっともっと、大変。
   TOEFLとATGSBを受けて、論文や研究資料など提出して、推薦状、学歴や職歴などキャリアを加味する総合評価なので、基準など分からない。
   良く通ったと思っている。

   受験生には、Good Luck! 幸運を祈りたい。
   
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新英国王チャールズ3世の思い出

2022年09月09日 | 学問・文化・芸術
   エリザベス女王が、偉大な業績を残して崩御された。
   私も、イギリスで5年間生活してきたので、激動のイギリスで素晴しい公務を遂行されていたのを身近に感じていた。
   ご冥福を心からお祈り申し上げたい。

   チャールズ皇太子が、チャールズ3世として新英国国王になられた。
   実は、随分前のことになるが、私は、皇太子時代のチャールズ国王に、2回、お目通りを頂いているのである。

   記録を残していないので、その後にこのブログに書いた文章を多少修正して、転載し、思い出に浸りたいと思う。

   1988年のことだと思うのだが、ロンドンのシティで、私が、大きな都市開発プロジェクトを立ち上げた丁度その時、金融ビッグバンでシティが急開発に沸きに沸いた頃で、シティ・コーポレーションが、晩餐会を開催し、チャールズ皇太子をゲスト・スピーカーとして招待した。
   その時、私は、シティのお歴々と会場のエントランスで、4人の一人として並んで皇太子をお出迎えした。
   シティでの開発プロジェクトについて少しご説明申し上げたが、「アーキテクトですか。」と聞かれた事だけは覚えているが、何を説明したのか何を言われたのか全く何も覚えていない。
   この時の握手した手の感触と、少し後に、別なレセプションで同じ様にダイアナ妃をお迎えした時の彼女の柔らかい手の感触だけはかすかに残っている。

   問題は、この時のチャールズ皇太子のスピーチの内容で、激しい口調で、当時ビックバンに湧くシティの乱開発について批判し、当時のシティの都市景観は、ナチスの空爆によって破壊された戦後のシティのスカイラインよりも遥かに酷いもので、「Rape of Britain」 だと糾弾したのである。
   チャールズ皇太子のシティのイメージは、丁度セント・ポール寺院が軍艦のように洋上に浮かんでいるシティなのだが、既に周りの色々な高層ビルが寺院を威圧してしまっていた。
   それに、悪いことに、イギリスの開発許可は、個々のプロジェクト毎に認可されるので、そのデザインについては統一性がなく、各個区々なので都市景観の統一性がないために、パリのように都市そのものの纏まりがなくて美観に欠ける。

   その後、BBCが、チャールズ皇太子のこの見解に沿った特別番組を放映し、チャールズ皇太子がテームズ川を行く船上から、「あの建物はパソコンみたいで景観を害する・・・」等々問題の建築物を一つ一つ批判したのである。

   同時に、「A VISION OF BRITAIN A Personal View of Architecture」1989.9.8が出版されたので、チャールズ皇太子の一石が、英国建築界とシティ開発などに大きな波紋を投げかけて大論争になった。
   (注記、この当たりの一連のチャールズ論争については、2006年の私のブログ記事を、そのまま、2018年に、天地はるなの「おしゃれ手帳」に無断で転載されている。)
   この時、私の友人のアーキテクトが推進していたセント・ポール寺院に隣接するパターノスター・スクウェアー開発プロジェクトも、この煽りを受けて頓挫してしまって、三菱地所による開発が完了したのは随分後になってからである。
   我がプロジェクトのファイナンシャル・タイムズ本社ビルも、買収直後に重要文化財に指定され、重度の保存建造物となったので、より以上に素晴らしい価値あるビルを再開発する以外に道はないと腹を括って、英国のトップ・アーキテクトを総てインタヴューしてまわってプランを固め、シティや政府関係当局、環境保護団体や学者、ジャーナリスト等の説得など大変な日々を過ごし、皇太子の了解も取得した。代表者として誰も経験したことのないプロジェクトを仕掛けたのであるから、最初から最後まで、殆ど前例のない異国での孤軍奮闘の戦いであったが、完成した時には我ながら感激した。セントポール寺院と目と鼻の先、王立建築家協会などの賞を総なめにして、その銘板がエントランスの壁面に並んでいる。
   この時のBBC番組のビデオ・テープと本は持って帰った心算だが、紛失してしまって今はない。
   
   その後、もう一度、景観保護団体の集会があり、チャールズ皇太子を先頭にシティの古い街並みを歩きながら勉強する会があったので参加した。
   この時は、後のレセプションで、お付きの人が呼びに来たので、チャールズ皇太子と5分ぐらいお話しすることが出来た。
   丁度、日本への訪日前だったので、興味を持たれて色々聞かれたが、日本の経済や会社の経営については非常に評価しているので勉強したいと言われていた。

   さて、チャールズ皇太子は、ご自分のコーンウォール公領で、環境に負荷をかけずに長く続けられる”持続可能な(Sustainable)”農業を様々な形で試みていることは有名な話で、現代の都市の乱開発を嫌い、古き良き時代の心地よい田園生活をこよなく愛している。道楽ではなく、徹頭徹尾の環境保護主義者であり古き良き英国を再現したいと思っていることは間違いない。
   高度な識見と高邁な思想を持った傑出した君主であることは折り紙付きであり、これからのイギリスの将来が楽しみである。
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教育が危ない:経済危機のレバノン、好待遇求め教員が大量国外流出

2022年07月24日 | 学問・文化・芸術
   ロイターが、
   「アングル:経済危機のレバノン、好待遇求め教員が大量国外流出」と報じている。
   レバノンでは3年にわたる経済危機により、教育現場が荒廃している。教師たちのストライキにより多くの学校が何カ月も連続で閉鎖され、家庭では子どもを学校にやらずに働きに出すようになり、中途退学率も急上昇している。と言うのである。

   レバノン経済は、2019年以来、急降下状態にあり、レバノン・ポンドは90%以上も下落し、インフレの加速により貯蓄は無価値になった。国民670万人のうち約4分の3が貧困状態に追いやられている。この経済危機を受けて、レバノンからは医師や看護師、研究者、実業家などスキルの高い専門職が他国での仕事を求めて何万人も流出している。こうした頭脳流出により、レバノンの長期的回復に向けた展望にも暗雲が立ちこめている。と言う。

   文明国でありながら、レバノンが、いまだに、実質的に、国家なき社会で、有効に統治する国家体制を持たない国であることは、昨年詳述したので略記するが、
   大統領は常にマロン派キリスト教徒、首相はスンニ派イスラム教徒、国会議長はシーア派イスラム教徒、副議長と副首相はギリシャ正教キリスト教徒、陸軍参謀総長はドゥルーズ派イスラム教徒と決まっていて、議会の議席配分は、キリスト教徒イスラム教徒とも五対五に固定されていると言った調子で、多数の集団間で権力が配分されており、
   医療や電力などの公共サービスを提供するのも国家ではなく個々の共同体であり、国家は暴力を抑制しないし、警察を制御することもしない。シーア派のヒズボラは私兵を持ち
   国民は議会を信用せず、議会に権限を与えることを望まず、社会運動も好まず、誰が信用できるか分からないので、共同体が、危険な坂道を恐れるがために、国家がわざと弱くなるように作られている。と言うのである。

   首都ベイルートは、中東における交通の要所に位置し、商業と金融、観光の中心地として著しく発展し、中東のパリと呼ばれるほど華やかで美しい街として発展し、
   レバノンは、隣国のシリアと同じで、レバシリと称されて、商売に巧妙なユダヤやインパキでさえ舌を巻く世界で最強の商人だと言われており、悪く言うと、非常に巧みな、狡猾な、えげつない商売をする国民だとされていているように、本来は、非常に賢くて有能な民族であるはずであり、善悪は別として、カルロス・ゴーンを見れば分かる。
   このレバノンが、国家存亡の危機に瀕しているのである。 

   昨日、ロシア人が、国家の将来に見切りを付けて、国家脱出している、頭脳流出について書いた。
   レバノンの頭脳流出先は、UAEなど中東諸国へのようだが、良かれ悪しかれ、グローバルベースでの頭脳の平準化傾向として容認できよう。

   私が問題にしたいのは、教師の苦境や学校に行けない子供の増加など教育現場が、政治経済社会状況の悪化によって、危機的な状況に陥っていることである。
   主義信条はともかく、酷いのは、アフガニスタンのタリバンの「女性蔑視思想」などによる正常な教育環境の不備であろう。
   慢性的な教育環境の劣悪さと更なる悪化に苦しんでいるのは、アフリカやアジアや中南米の最貧状態の発展途上国で、コロナの蔓延拡大やウクライナ戦争などの煽りを受けて、その深刻さが増しているという。

   はるか半世紀以上も前、インド大使であったジョン・ケネス・ガルブレイスが、インドの開発について聞かれて「教育だ」と言ったことは有名な話であるが、貧困に喘ぐ発展途上国を救うのは、何をおいても、教育の普及であることは間違いなく、国家にとっては至上命令である。
   国家経済の破綻や深刻な貧困など経済的要因が足枷となっているようであるが、先進国や世界機関が主導してグローバルベースで、ICT革命を活用した教育普及活動が出来ないか、喫緊の課題である。

   一寸違った視点で深刻な問題は、アメリカの教育程度の異常な格差の問題、特に底辺の程度の低さである。
   最先端を行く科学技術など群を抜く教育知的水準を誇りながら、民主主義とは何か、そんなプリミティブなことさえも理解できない愚民が多くを占めてトランプを持ち上げていて、イアン・ブレマーに、「他国から見れば米国の民主主義は手がつけられない状態だ。」と言わしめる程、酷いことである。トランプ派の核となるのは、低学歴の白人だと言うことだが、保守党の国会議員の中にも、20年大統領選後のクーデター計画の明確な証拠を公表されたにも拘わらず、なお、トランプや支持者の法的責任追及を確信する人がいないと言うのであるから救いようがない。
   もっとも、これは、アメリカの教育だけの問題ではないのであろうが、ポピュリズムに煽られて鳴動する衆愚政治はともかくとしても、選挙は盗まれたなどというアメリカの資本主義の根幹に関わる基本的な真実を理解する能力くらいは、与え得る教育水準は維持すべきであろう。
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古い時代の中国文化への憧れ

2022年02月08日 | 学問・文化・芸術
   金文京京大教授の「李白――漂泊の詩人 その夢と現実」を読み始めている。
   冒頭から、李白が、ソグド人またはバクトリア人であってもなんら不思議はないと言う思いもしなかったような叙述。李白の故郷と言われている天山北路の砕葉(スイヤブ)やアフガニスタンの条枝(ガズニ)について語り、一気にシルクロードの故地に話が飛ぶ面白さ。
   先日、NHKの「空旅中国「李白 長江をゆく」」を見て、久しぶりに「李白」の世界に浸りたいと思ったのである。
   この番組は、
   唐代の詩人、李白は大河、長江流域の出身。都で活躍も失敗し長江に戻り、旅が始まる。古都、南京から上流へ。都での活躍ゆえ各地で歓待され…村人から「万の酒屋」の誘い文句で訪れた美しい村、桃花潭。動乱から身を隠し大自然のすごみを詩に著した廬山。やがて反乱の一味として流刑!さらに上流、三峡の断崖へ。言葉を信じ続けた李白の旅をたどる。李白に欠かせぬ“酒”も登場。
   語り・宇崎竜童、小谷直子 音楽・関美奈子が、素晴しい。

   もう一つ、素晴しいと思ったNHKの番組は、「空旅中国「孔明が挑んだ蜀の道」」
   武将たちの攻防と生き様を描き、人気を博してきた中国の歴史大作「三国志」。その歴史舞台を風の如くドローンで飛び偉人たちの足跡をたどる。今回は天才軍師として名高い「諸葛孔明」が、宿敵、魏を倒すため進んだ「蜀の道」を行く。そこは四川省の成都から、大巴山脈、秦嶺山脈を越える約1000kmの道。大絶壁あり、谷にかけられた桟道あり、世界遺産の石窟あり、大自然の絶景溢れる新感覚の歴史紀行だ。
   語り・さだまさし,小谷直子
   この番組は、丁度、日経夕刊の連載小説、宮城谷昌光の「諸葛亮」が始まったところであり、非常に興味を持ってみた。
   それに、偶然にも、今、日経の朝刊の連載小説も、安部龍太郎の「ふりさけみれば」で、阿倍仲麻呂を主人公とした中国の歴史小説。
   玄宗皇帝や楊貴妃、李白も登場する盛唐期の巨大なスケールの絵物語で非常に面白い。

   これに並行して、三国志の「赤壁の戦い」を、名匠ジョン・ウー監督が壮大なスケールとアクションで描き大ヒットしたスペクタクル史劇2部作シネマ「レッドクリフ Part Ⅰ & Part Ⅱ」も一緒に鑑賞した。
   世界史の授業で得た中国史の知識くらいで、まだ、「三国志」さえ読んでいないのだが、諸葛亮孔明については、土井晩翠の「星落秋風五丈原」が強烈な印象として残っている。

   李白と杜甫については、数年前に、宇野 直人 &江原 正士の「李白」「杜甫」を読んで感激したのだが、学生時代に読んだのは、「紅楼夢」と「金瓶梅」くらいで、中国史についても、教養の域を超えていなかった。
   しかし、京大の学生であったお陰で、教養部での宮崎市定教授の中国学に関する感動的な授業を受け、それに、何らかの形で講演などで、貝塚茂樹や吉川幸次郎や小川珠樹と言った最高峰の教授達から中国文学の話を聴くなど、恵まれていた。
   今から思えば、経済学部より、文学部に行くべきだったと思っている。

   中国へ初めて行ったのは、1979年の夏、中国が外国へ門戸を開放した直後で、文革が終って疲弊が極に達していた極貧の中国を見た。今思えば、この40数年の中国の躍進は驚異以外の何ものでもない。
   当時は、北京にある外人用の最高級ホテルの空き室の数に合わせて入国ビザを発給していたので、数が極めて限定されていて随分待たされた。それに、役人との交渉は、役所に接客設備などある筈がないので役人がホテルにやって来て我々の部屋で行うのが常であったし、いつ来るのか分からず、延々と伸ばされて、それに、先方にビジネス感覚がないので、中々埓が開かなかった。
   当時は、紫禁城や頤和園や天壇などには、何の制限もなく自由に入れて、それに、監視の役人も殆ど見かけなかった。紫禁城など丸1日十分に見ることが出来た。映画「ラスト・エンペラー」の撮影後の放置された巨大なセットのような風情で荒れ果ててはいたが、中国史の本質に触れた思いで感動しきりであった。
   いくら待たされて時間を持て余したと言っても、何時役人達が来るのか待機の必要があったので、遠出の万里の長城行きは遠慮した。
   紫禁城や天壇は、昔のままだったと思うが、頤和園の悲惨な状態は、欧米に破壊蹂躙された歴史の傷跡が如何に熾烈悲惨を極めたか、胸が痛くなって長い間佇んでいた。
   残念だったのは、短期間だと思って軍資金を十分に持って行かなかったので、折角、沢山の貴重な骨董に接しながら、景徳鎮の花瓶くらいで、何も買って帰れなかったことである。勿論、クレジットカードなど使えるはずもなく、現地通貨元への交換も、外人用の元は特別な紙幣であったし、外人専用の店舗で買い物をすることになっていた。
   その後、時間を空けて上海や近郊を訪れているので、中国の変貌ぶりは、身近に感じている。最後の中国旅は、このブログの「初春の上海・江南紀行」で書いている。
   その前の旅では、杭州の西湖に行く機会があって、中国文化の美学の一端に触れた感じがして感激した。

   さて、何故、李白に触れながら中国について書いたかと言うことだが、私には、学生時代から、中国の文化文明については、分からないながらも、一種の憧れというかその偉大さに感銘する思いがあった。
   4大文明の発祥地で、紆余曲折や浮沈はあったが、太古から文化文明を途切れることなく維持継承してきた歴史上稀な唯一の大国であり、そのスケールの大きさや質の高さは驚異とも言うべきであろう。
   好き嫌いは別にして、日本の文化文明の発展進化の多くは、中国抜きにしては語れないほど影響を受けてきた。

   尤も、今の中国なり習近平政権の中国が好きかと言われると、尖閣や南沙、ウィグル人権問題など許せないし、大いに違和感があって、スンナリとは承服しかねる。
   しかし、その誇り高い中国が、アヘン戦争を皮切りに、欧米列強に無残にも破壊され蹂躙された屈辱的な100年の歴史に義憤を感じて、2049年の100年マラソン計画で大唐帝国の再興を目指す国是は分からないわけではない。昇り龍状態の中国にとっては、今こそ、歴史転換への千載一遇のチャンスなのである。
   いずれにしろ、中国の歴史が大きく動いたのは、良かれ悪しかれ、絶対的な権力を握った専制的支配者の時代であって、習近平もいわば現代版の皇帝だと言えよう。絶対的権力者の支配体制がビルトインされた中国においては、
   豊かになったら中国が民主主義国家に変貌して行くなどと言った幻想は、欧米の勝手な文化的歴史観であって、豊かな歴史と伝統を築き上げてきた中国が、全く異なった世界観や理想を打ち立てて前進して行くのは歴史の必然であって、新たなグローバル秩序が形成されるのは間違いないであろう。
   米中の冷戦紛いの深刻な対立もそうだが、日本においても、かなり対中関係が悪化しているのだが、私自身は、歴史的な密接な関係に鑑みても、日本としては、もう少し良識のある、寛容かつ冷静な対中関係であるべきだと思っている。

   
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