熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立演芸場・・・上方落語会

2015年08月31日 | 落語・講談等演芸
   「上方落語会」であるから、女道楽の内海英家を含めて全員が上方の噺家で、大阪弁の一日である。
   米團治が、トリで、「蔵丁稚」を語った。
   江戸中期の上方の古典落語で、明治になって東京に移されてたのだが、仮名手本忠臣蔵の四段目塩谷判官の切腹の場がテーマになっているので「四段目」となっているのが面白い。

   米團治は、まくらで、3月に逝去した実父米朝の葬儀の様子を語り、更に、今は亡き爆笑王・桂枝雀長男が、40を越えて落語家に転身して、枝雀の弟弟子ざこばに入門したことが、大阪で大変な話題になっていて、上方落語界は、騒然としている。と語った。

   この「四段目」は、「仮名手本忠臣蔵」の「四段目」で、御殿で刃傷に及んだ塩冶判官が、上使として塩冶家に訪れた石堂右馬之丞と薬師寺次郎左衛門から上意を受けて切腹する場で、このパートを、仕事をサボって芝居を見てきた芝居好きの丁稚の定吉が、堪忍袋の切れた店の旦那に蔵の中へ閉じ込められて、空腹を紛らわせるために、一人芝居を演じると言う話である。
   面白いのは、必死に嘘八百を並び立てて言い訳をし、芝居など嫌いだと言い張る定吉に、旦那は一計を案じて、そんなに嫌いなら、明日奉公人を残らず歌舞伎座に連れて行くので、お前は留守をしろと言って、今月の『忠臣蔵』は良いそうで、五段目の山崎街道に出てくる猪の前脚を中村鴈治郎、後ろ脚を片岡仁左衛門がやるそうだ。と引っかけるところである。
   あんなものは、下っ端の役者がやるもので、成駒屋や松嶋屋がやる筈がない、今見て来たところですねんと言って、ばれてしまうのである。

   この猪のところは、東京では、市川團十郎と市川海老蔵に代わるところが面白い。
   オチは、定吉が切腹のシーンになって、刀を振り回しているのを覗きこんだ女中がびっくりして旦那に注進したので、子供のことだから腹がすいて変な料簡を起こしたのだろうと、調理場に飛び込んでお鉢を引っつかんで蔵へ。
   戸をガラっとあけると、
   「御膳(御前)」・・・「待ちかねたァ」
   歌舞伎や文楽では、判官切腹で瀕死の状態で、由良助が、駆け込んでくる。この感動的なシーンが、落語になると、ハチャメチャになる。

   この落語では、上使の石堂と薬師寺が判官家を訪れて、由良の助が登場するまでの歌舞伎の舞台を、定吉のひとり語りとして、実際に、噺家が、臨場感たっぷりに語っており、歌舞伎の舞台を観ているより良く分かり面白い。
   米團治は、刀を持って来た力弥がじっと判官を見据えて名残を惜しみ、これに応える判官の目の動きを実にリアルに表現していたが、これなどを見ていても、相当、歌舞伎なり文楽に精通していないと、台詞は勿論、異分野の古典芸能は、語り辛いであろうと思った。

   Youtubeで、枝雀の「蔵丁稚」を聞くことが出来るのだが、米朝の得意ネタでもあったようで、語り口は随分違うが、殆ど、同じ内容なので、米朝一門のスタンダードナンバーなのであろう。
   とにかく、若々しくて溌剌とした米團治の語り口は、アクがなく素直で、非常に好感の持てる舞台で、楽しませて貰った。  

   中トリは、枝雀の一番弟子桂雀々で、この日は、まくらに、枝雀への入門から雀々命名の経緯や稽古の様子などを、枝雀の口調を実に巧みに真似て語り始め、本番の「夢八」の語りなど、枝雀を彷彿とさせる語り口で、芸の継承の凄さを感じて嬉しかった。
   跡目相続が、どうなるかと言うことであろうか、米團治は、微妙な表現をして笑わせていた。

   私は、残念ながら、枝雀の実際の高座に接したことはなく、テレビやDVDで落語やテレビでドラマを見たくらいなのだが、大変な逸材でありながら、心が病んで亡くなったようだで、惜しい限りである。
   生まれも住まいも、私の故郷に近く、苦しかった頃、私の通っていた高校の給仕をしていたと言うから、接点があるので、こてこての関西弁の名調子の落語を聴きたかったと思っている。

   三喬は、「月に叢雲」。
   「落語界のくまのプーさん」と言うらしく、角刈りの手入れの利いた頭をさして、「カツラに頼りたくない」と言って笑わせていた。
   ”盗人噺(泥棒が出る噺)を得意としているため「泥棒三喬」の異名も持つ。”と言うことで、今回の噺も、Youtubeでも聞けるし、得意中得意の噺なのであろう、泥棒が、盗んだものを買ってくれる特別な店に収穫物を持ち込んでの笑話である。
   寺から盗んで、逃げる途中で一部を落として、7面観音や6福神を売り込もうと言う話など、頓珍漢が面白い。

   文鹿は、「紙相撲風景」。
   大の大相撲ファンだと言うことで、これは、新作落語であろう。
   自分で、精密な場所の模型を作り上げて、紙相撲をさせてその結果によって番付表から15日間の取り組み表まで作成するほどの入れ込みようだと言う。
   演台に二本の小さな拍子木のような木片を立てて、演台を叩きながら相撲の実演をするのだが、拍子木から呼び出し、放送など一切自分で演じて、正に、玄人なみの名演で、好きこそものの上手なりを地で行ったような語り口。笑わせてくれる。

   吉坊は、「軽業」だったが、是非聴きたかったのだが、何故か、時間を1時間間違って会場に行き、早く出たつもりが、30分遅れで会場に入って、結局、聴けずに終わった。
   残念で仕方がない。

   唯一の女流演者である女道楽の内海英華は、中々、魅力的な美人で、三味線片手に、粋な歌を謡う。
   さのさであっただろうか、良く分からないのだが、これを京都言葉や河内弁で替え歌にして歌っていたのだが、女性が喋っても、河内弁は、あんなにガラが悪いのであろうかと、面白く聞いていた。
   
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伊集院静著「美の旅人」スペイン 1

2015年08月30日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   10年前に発刊された、伊集院静の世界名画を訪ねての旅紀行のスペイン編を読んだ。
   109点の作品を収録したオールカラーの440ページの豪華本と言うことで、前半は、マドリッドのプラド美術館を中心としたカスティーリア/アラゴン地方編で、絵に纏わる故地をも訪ねての旅の絵画読本となっている。
   この編での画家は、ゴヤを中心として、ベラスケス、グレコ、ムリーリョ、リベラなどプラド美術館の名品が主体で、そして、ピカソのゲルニカ、トレドやゴヤの故郷フェンデトードスや荒涼たるアラゴンなどの旅紀行なども、非常に面白い。

   随分前の話になるのだが、私は、ヨーロッパに駐在していたので、何度か、スペインを訪れていて、プラド美術館やトレドには2回ずつ行って、かなり丁寧に見学して来ているので、著者の絵画に纏わる話など、懐かしく反芻しながら楽しむことが出来た。
   しかし、当時は、それ程、知的武装をして旅をしていたわけではなかったので、著者の作家としての視点からの美術論や画家の詳しい来歴など、あらためて、教えられ勉強することが多かった。

   何を見てもそうだが、私は、醜悪なものや残酷なものには耐えられないので、美術館に行くと、どうしても、美しいものばかりに目が行き、また、それを見るために行くことが多い。
   ゴヤにしても、私の最初の目的は、裸体と著衣のマハを見ることで、精々、残酷なものも「1808年5月3日」や「巨人」くらいであって、「我が子を食らうサトゥルヌス」などの連作「黒い絵」などは、殆ど素通りと言う状態であった。
   老聾になっていたゴヤが、スペインでの最後の住まいであった「聾者の家」の壁に描いた一連の黒いトーンの絵をカンバスに移した絵を、「黒い絵」と言うのだが、人間の鈍重、愚鈍、愚行を描いたと言う非常に陰鬱で奇妙な絵画であり、美しくはない。

   ところが、暗い絵ばかり描いていたこのゴヤが、80歳近くなった晩年に、素晴らしく魅力的な「ボルドーのミルク売り娘」と言う若い女性の瑞々しい絵を描いていて、全盛期に描いたいくつかの美しい女性像を彷彿とさせるのが面白い。
   ゴヤは、新王の恐怖政治に危機を感じて、ピレネーを越えてフランスのボルドーに移り住んで、そこで、82歳の生涯を終えるのだが、宮廷画家への道のりやアルバ侯爵妃との恋や、また、妻が20回も懐妊したと言うくらいの波乱万丈の人生は、堀田善衛の『ゴヤ』全4巻を読めば、良く分かるのであろうが、残念ながら、その元気はない。

   先のスペインの巨匠の絵も、ロンドンやパリ、ニューヨークなどの美術館で、素晴らしい大作を鑑賞できるので、この旅人としての「絵画読本」には、個々の画家に対する絵画論としては、多少の限界があるのかも知れないと思っている。

   グレコの「オルガス伯爵の埋葬」を見るために、美しい古都トレドを訪れて、感動したこともあって、著者は、1泊2日のトレド旅行を薦めている。
   この寺院(?)は、入るとすぐこの絵が掛かっていて入り口と出口があるだけだし、グレコ美術館の収蔵物も貧弱なので、トレドは、グレコの思い出を振り返るのに恰好なところというべきであろうか。
   私は、バスと電車で、2度トレドを訪れて、ガイドブックに載っている観光地や寺院や美術館のみならず、路地裏に入り込んだりして散策もしたのだが、素晴らしい街で、ローマで修業を積みギリシャ人でありながら、トレドに住み着いて業績を残して逝ったグレコの気持ちが分かるような気がする。
   タホ川を渡って対岸のパラドールから、トレドの街を一望すると、素晴らしいトレドが眼前に広がる。
   サンパウロに居た時に、中出那智子画伯(当時在伯)が描いたトレド風景の絵を買ったのを、壁にかけていて、時々、トレドを思い出している。
   
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ドナルド・キーン・堤清二「うるわしき戦後日本」

2015年08月29日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   キーンさんの序章インタビューについては、既に書いたので、それ以降の二人の対話部分について、印象に残ったところに触れてみたい。
   二人とも日本文学に造詣が深いので、主に、戦後の日本文学について語っているのだが、この会話に登場する作家、三島由紀夫や安倍公房の作品を読んだこともないし、吉田健一を少々くらいなので、殆ど、作家論については、縁のない話で、別の世界のような感じであった。
 
   私の場合、学生時代までに、谷崎潤一郎、志賀直哉、川端康成くらい、少々齧ったくらいで、政治経済、歴史、経営など社会科学系の書物の読書に偏っていたので、今でも、村上春樹 さえも読んでいないので、この本のレビューは憚られるで、文化論らしき部分について、気付いたところを綴りたい。

   三島由紀夫については、死の直前も含めて、文学論から個人的な交友関係など隠れた逸話などを縦横に語り合っていて、本当の三島像の片鱗を垣間見せていて非常に興味深い。
   三島の「近代能楽集」は、大変な名著で絶対的なものなので、世界中で翻訳されて読まれ、上演され続けている。
   「現在能」で、神や鬼や幽霊がシテとなる「夢幻能」ではなく、歴史的な事実を越えた永続性のある、しかも、人間味があるテーマを扱う謡曲で、普遍的であるから、何語に翻訳され、どんな風に、どこで演出されても価値が保たれる。と言うのである。
   同じように西洋では、オペラと言う古典音楽の歌劇の形式が最も普遍的な人気を保っていて、もう現代人は、普通の演劇ではなく、オペラのように洗練され、なおかつ人間味が伝わる形式でないと、恥ずかしくて見ていられないのです。とも言っているのだが、これは、ミュージックとのコラボレーションがなせる業であろうか。
   この話を、歌舞伎と三業による文楽との比較に当てはめると、何となく、分かるような気がしている。

   吉田健一については、多少本も読んでいて、吉田茂の子息であると言うことで、少しは知っているのだが、豪快な文士たちとの交友が面白く、沢山の関係者から吉田茂の後継として出馬要請されながら、終いにはキレてしまったと言う話が面白い。
   今の首相も、元民主党のあの人も、吉田健一の甥も、祖父の後をついで、総理大臣になったのだが、さて、どちらが賢かったか、興味深いところである。

   日本文化が花開いたのは、平安の源氏物語時代と室町の義政時代と元禄時代だとキーンさんは言っていたように思うのだが、私など室町時代については高く評価していなかったので、今回、二人の会話で、東山文化を非常に持ち上げているのが新鮮であった。
   応仁の乱で京都を廃墟にしてしまった政治家として無能であった義政が、東山文化を作り上げて日本文化に多大な貢献をしたということ、室町幕府を立て直そうとしたが既に時遅く、酒色に溺れて、第二の光源氏になりたいと思っていたと言うのが面白い。
   ところで、世阿弥は、室町時代の能の神様(?)で、「花伝書」と言う解説書を残しているのだが、シェイクスピアは勿論、古今東西、このような大作家が、解説なり批評を描き残したことは、一切なかったと言うことであるから、世阿弥の、能楽界への貢献は大変ものであったのであろう。

   明治以降、国内で異種の文化に出合うチャンスがほぼなくなった、それが、日本の文化や文学を弱くした。と言っている。
   東京生まれの谷崎潤一郎が、関西の言葉で小説を書いた。
   いまはともかく、物を書く人はますます東京を意識しなくてはならなくなった。と文化文明までもの東京一極集中を嘆いている。

   歌舞伎の世界を見れば、最早、上方歌舞伎は、死に体。
   関西に居るのは、藤十郎、我當、秀太郎、愛之助などほんの僅か、
   上方歌舞伎の芸と伝統は風前のともしびだが、文化音痴の大阪市長自らが、大阪の唯一の宝であり世界に誇るべき伝統芸術文楽を、失政による予算辻褄合わせのために見殺しにしようとする世相であるから、時流に流される以外に仕方がないのであろうか。
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国立能楽堂・・・狂言と落語・講談

2015年08月28日 | 能・狂言
   何故か、国立能楽堂では、8月の終わりに、狂言と落語と講談を組み合わせたプログラムが上演される。
   能楽堂と演芸場とが一緒になった感じであるが、能や狂言と違って、落語や講談では、一番安い席である中正面が、一番良い席になるのが、面白い。
   何時もは、方形の演芸場で演じている落語家や講談師は、目の前に目障りなシテ柱のある扇状に広がった劇場での公演であるから、気分も変わるのであろうか。
   それに、普通は、出囃子に乗って、楽屋から、ほんの数メートル歩けばよいのに、能楽堂だと、揚幕から出て、長い橋掛かりを歩いて出るので、講談の室井琴星が、真っ先に歩き方が気になったと、コンビニに行くスタイルで出てきたが、退場の時は特売日のスーパーに行く恰好で出ると笑わせていた。

   講談は、一龍齋貞山が休演で、代わって、室井琴星で、「須崎の笛」。
   HPの膨大な持ちネタの中には、入っていなかったが、張り扇で釈台を叩いての名調子。
   能の笛片の森田庄兵衛が、息子の咲次郎に跡を継がせようと厳しく稽古をつけるが、生まれつきの不器用で少しも上手くならず、「不器用は名人の始まりなり」と主張するので、堪忍袋の緒が切れて勘当する。
   咲次郎は、洲埼の吉祥院に居候して必死に笛の稽古に励み、遂には、洲埼の浜に天人の笛の音がすると噂される名人になる。と言う話。
   これに、一噌又六郎が絡むので、今の能の笛片を語っていて興味深い。

   落語は、古今亭志ん輔で、「大山詣り」。
   講中で、大山詣りに行くことになったが、酒癖が悪くていつも喧嘩沙汰を起こすトラブルメーカーの熊公に、同行条件として、怒ったら罰金、暴れたら坊主にすることにして出かける。
   帰路、神奈川の宿に来て案の定喧嘩をしたので、寝ている間に、皆で、熊公の頭を剃る。
   目が覚めた熊公が、坊主にされて置き去りにされたのが頭に来て、籠を呼んで一目散に江戸に先回りして帰って、女房連中を集めて、夫たち皆が、旅の最後の遊覧に乗った舟が沈んで死んでしまったと言って、黒髪を下ろして尼さんにしてしまう。
   帰って来た連中が、びっくりして、怒りだすのだが、先達が、「目出度い」、「何が目出度いのだ」で、オチが、「毛が(怪我)なくておめでたい」。
   他愛のない話だが、落語は、その話術が命で、流石に、志ん輔は上手い。
   演芸場の客と違って、どこか素人ぽい笑いが巻き起こるのは、能楽堂の所為であろうか、客の質が変わると、その反応が面白い。

   最後の狂言は、「骨皮」。
   アド/住持で登場する人間国宝の野村万作が、三宅右近家とのタッグを組んで演じるパンチの利いた舞台で、シテ/新発意の三宅右近が、上手く、真面目かつ軽妙なタッチで笑わせる。
   子息の小アドで登場する右矩や近成、それに、弟子の河路雅義たちも、面白い。
   
   住持が、新発意に、隠居するので寺を譲ると言って、寺の維持には、檀家の人あしらいが肝心だと諭す。心得たつもりの新発意が、傘借りに秘蔵の傘を貸したので、住持は、嗜めて骨と皮になったと断り方を教えるのだが、同じセリフで、馬借りに受け答えして、また、諭されて、今度は、二人を食事に招待する斎案内人に、馬の断り方を言って帰らせてしまい、住持に叱られると言う話。
   少し頭が弱くて融通の利かない新発意の頓珍漢が面白いのだが、狂言だから許されるものの、こんな住職がいると、檀家は悲劇である。
   一つ覚えの繰り返しで、愚か者が、次々にずらして応対して、その上、住持に喜んでもらおうと報告に行くのだが、須らく頓珍漢で、その受答えが面白い。

   日頃、亡霊が出たり、暗くて深刻な能が演じられている能舞台で、この日は、人情話と笑いの舞台。
   一寸、雰囲気の違った夕べであったが、楽しい2時間であった。
   

   
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ドナルド・キーン・・・「日本文化の勝利」

2015年08月27日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ドナルド・キーンと堤清二との対談「うるわしき戦後日本」の巻頭のキーンさんのインタビュー記事「日本文化の勝利」が、示唆に富んでいて面白い。
   キーンさんの記事は書評や講演記録など何度か書いており、時々、RSCなどシェイクスピア劇や歌舞伎座などの劇場でお見かけするのだが、今「能・文楽・歌舞伎」を読んでおり、日本文学や古典芸能など日本文化に対する学識・造詣の深さには恐れ入る。
   今回の3・11を機会に、日本に帰化されたと言うのであるから凄い人である。

   さて、私なりに、この「日本文化の勝利」に関する感想を綴ってみたい。
   まず、興味深いのは、
   ”日本がもし、第二次世界大戦に勝っていたら・・・日本はますます悪い国になっていただろうと思います。ひどい国に。”
   ”負けることによって、あらゆる自由を手に入れ、言論と表現の自由が実現し、絵画や音楽など、芸術表現の自由も確保された。負けることによって勝った。”と言う言葉である。
   色々な意味から考えてみれば、やはり、日本人としては、多少言い分があるのだが、ほぼ、真実であろうと思う。

   戦後、ケンブリッジで、「日本文学を教えています。」と言ったら、10人中9人までから「どうして猿まねの国の文学を教えるのか」と聞かれ、また、イギリスの子供の教科書には、「日本は真似が上手であり、創造性がなく、その美術などは中国の模倣に過ぎない。」と書いてあった。と言う。
   しかし、最近では、日本語や日本のことを学ぶ人が多くなり、この増加傾向が、何よりも「日本文化の勝利」だと語っている。

   天変地異、自然災害に見舞われ続ける日本でありながら、不思議なことに、和歌や物語の中には、地震や津波が殆ど描かれてこなかった。
   自然の無慈悲を嘆いて廃墟のまま放置しないで、何度でもそれまで以上のものを立て直してきた、それが日本人の精神でした。
   そして、「源氏物語」や足利義政の時代から、これ程生活の中で「美」を重んじる国は、ほかには 見当たりません。
   美意識さえ心にあれば、かたちあるものを流され、失っても、必ず再建できると、この国の人は信じてきました。と言う。

   能・狂言、歌舞伎・文楽をこよなく愛するキーンさんであるから、いまの大阪市長は浄瑠璃は「つまらない」と切捨てて、補助金を出し惜しみしています。と手厳しく、大阪で生まれ大阪で観るべきものは文楽だけだと言うのに、さらに、大阪では近松門左衛門を学校では十分に教えないし、近松の「曽根崎心中」は、遊郭が描かれているから教育に良くないと言うらしいが、子供に悪いものはほかにいくらでも溢れているのに、と、文化果つる哀れな大阪を慨嘆している。

   こんなキーンさんであるから、「源氏物語」を漫画で読んで満足している学生がいるが、漫画が本物の「源氏物語」の代わりになる訳がなく、「源氏」を知っていると思うのは大変な間違いである。と嘆く。
   私自身も、この「源氏物語」も精々現代語訳どまりであるべきで、マルクスやアダム・スミスの著作が、漫画本で発行されていたりしたが、邪道だと思っている。
   ベルばらなどの作品や人気の高い日本のアニメなどは、全く別のジャンルのアーツであって、古典文學や学術書などの漫画化による普及は、極論すれば、原典そのものの下落だと言うことである。

   キーンさんは言う。
   日本の未来の絵画が漫画だけで、毛筆を使う書道がなくなったら、日本文化は変わってしまい、書道がなければ日本の美術はありません。とも言い、日本人のなかから七五調で歌を詠むリズムや季節を表す言葉失われて行くことを心配し、
   本物の日本文化も次第に海外で高く評価される現代になったにも拘わらず、残念なことに日本国内では、日本文化、国文学の危機が訪れているのを感じます。と言うのである。
   
   日本の文化は世界中で認められてきたが、それをいい状態で維持して行くためには、もっと努力も工夫も必要であり、そのことを日本人は意識しておくべきだと、キーンさんは強調するのだが、
   もっともっと、幼い時代から、ニッポンの子供たちに、古典芸能や日本文学など日本文化に対する接触機会や勉強するチャンスを与える努力をしない限り、無理であろうと思う。

   それに、このブログでも何度も強調して来たことで、キーンさんも言っているのだが、
   ”良くない傾向があるとすれば、海外への留学を希望する学生が非常に減ったことです。・・・外国で学ぶことは、日本を深く知ることに必ずつながるのです。”
   私も、フィラデルフィアで学んで、ロンドン・パリを股にかけて走り回り、・・・今では、能・狂言鑑賞に、能楽堂へ通い続けている。
   日本では、”可愛い子には旅をさせろ”、
   イギリスでも、かっては、貴族たちが、競って子息たちを、先進国イタリアなどへの”グランドツアー”に出して勉強させてきた。
   可愛い子供たちを、海外に叩き出すことである。
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デイヴィッド・ピリング著「日本ー喪失と再起の物語 下」(2)

2015年08月25日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   下巻では、先日レビューした「漂流」のほかに、上巻の小泉時代以降を踏まえた「ポスト成長神話」について、詳細に書いている。
   少子高齢化の現実や、就職氷河期におけるロストジェネレーション、フリーターやパラサイトシングル、女性の目覚めや熟年離婚など男女関係の変化等々、バブル崩壊後の日本の社会状勢の変化を克明に描写しているが、特に、目新しい情報や記事はない。
   村上春樹を引用して、例えば、フリーターは自由を選んだ幸せ者だとか、貧しくても幸福な若者だと言った表現もあるのだが、どうであろうか。
   しかし、これらの現象は、日本だけの問題ではなくて、特に、イギリスなどはそうだし、独仏などヨーロッパ先進国でも見られる現代資本主義社会のトレンドだと考えて間違いないと思う。

   最終章は、「津波の後で――復興へと歩む人々」で、福島原発事故やその余波、復興への人びとの活動を描きながら、二大政党時代への失速や官僚制度の機能不全など、どちらかと言えば、”日本の抱える問題の多くは、政治家たちのいないところで取り組んだ方がいい解決策が導かれるのではないか”と言った調子の記述が多いのが面白い。
   当時の民主党政権については、国民は、従来とは違った新たな政治スタイルを期待したのに、全く変わらず、激しく入れ替わる政権トップと中途半端にしか実施されない政策のオンパレード、経済悪化等で失望させて、折角の機会を棒に振ったと厳しい。
   一方、菅首相が、谷垣自民党総裁に、「副首相兼震災復興担当相」としての入閣を要請して、与野党結束して「危機管理内閣」を発足させて、震災後の危機を乗り切ろうとしたのを拒否して、政治家たちが国難に際して力を結集させる能力も意思もないことを露呈した。と指摘している。欧米なら当然の対応だが、悲しいかな、ムラ社会の日本、まして、ニッポンの政治家とは、そう言うものなのであろう。
   政治と政府官僚組織の機能不全とも言うべき危機管理のお粗末さをレポートしながら、情報公開さえ真面にしないなど、失望して見切りをつけた現地の人々の苦悩と必死の復興努力を克明に綴っている。

   この下巻には、かなり長い「あとがき」と、「日本語版へのあとがき」が掲載されていて、ある程度の著者の本音が、見え隠れしていて興味深い。

   まず、「あとがき」の冒頭で、3.11東日本大震災の悲劇が齎した衝撃が、何らかの変化を生み出すきっかけになるのではないかと言うジョン・ダワーの言を紹介して、そのような、視点から、日本の喪失と再生のドラマを紡ぎ出してきたことを匂わせる。
   外部からの大きな衝撃が日本の進み方の方向性を決定的に変化して来たと言うのは、今では日本学における定説の一つだと言うわけである。
   結果としては、19世紀における植民地化の恐怖が、日本が1868年の明治維新を通じて、ほぼ一夜にして封建制度を脱する機会とし、第二次世界大戦における敗北を契機として、日本が軍事力よりも経済力を通じて「大国化」を目指すようになったのだが、そのような大きな潮流は起こっていない。
   しかし、日本は、長期にわたる停滞が必ず変革的行動によって破られると言うパターンを何度も繰り返してきたと言うニュアンスを加味しながら、アベノミクス論を展開しているのが面白い。

   アベノミクスは、いわば、中国の脅威と東日本大震災の申し子であった。
   安倍首相が再選された時には、尖閣諸島の「国有化」によって、まさに天地をひっくり返したような騒ぎになり、中国各地で戦後最大規模の反日デモが発生し、デモ隊が暴徒化して、日本企業などに対する大規模な破壊や略奪行為が勃発するなど、日中関係は風雲急を告げるような情勢下にあり、中国の思惑に神経をとがらせていた国民にとって、力で押すタイプの指導者を当選させることが好ましい選択のように思われた。
   彼なら、中国だけではなく、領土問題で争っている韓国やロシアにも、」正面から対峙してくれると考えた。と言うのである。

   安倍首相が公約した「軍事力増強」にも、国際社会でのプレゼンスを高めるためにも、明治維新以降の日本が「富国強兵」のスローガンのもとに、近代化を強力に推し進められたように、強い経済があってこそで、オバマ大統領にも、強い経済が強い日本を作ると言う認識を明確に表明した。
   そのためにも。TPP推進は必須であり、東日本大震災からの復興のためにも、アベノミクスの強力な推進と成功は、安倍政権の最重要政策だと言うのである。
   しかし、ピリングは、アベノミクスについては、賛否両論を紹介して、自説ははっきりとは明言はしていない。
   
   ピリングは、安倍首相については、日本の有権者の多くは、歴史的修成主義的傾向や社会保守主義(伝統的価値や社会秩序を重んじるイデオロギー)を警戒していて、国民の56%は依然として憲法改正に反対しており、必ずしも好意的な評価をしているわけではないことを紹介し、
   安倍首相の主張や思惑とは違って、進歩主義的で他に類を見ない平和憲法に対する支持が国民に深く根付いているので、日本で国家主義が復活しかけていると言う考えが誤りであることを示している。と述べているのが、非常に興味深い。
   
   もう一つ、両方のあとがきなど、あっちこっちで、強調しているのは、日本の経済の没落や衰退と言う見方が、世界中で一般的だが、決してそういうことはなく、依然、かなりの余裕を持って世界第三位の経済大国であり、イギリスとフランスの合計と同等で、インドの3倍あり、一人あたりのGDPは中国人の8倍ある豊かな国である。
   日本の「死亡宣言」は明らかに誤診であった。と言うことである。

   Japan as No.1のインパクトと日本経済の快進撃があまりにもエポックメイキングで世界中を震撼させて、その後、20年以上も鳴かず飛ばずで、経済が停滞し続けてきたのであるから、世界中から、見下されて揶揄されても、仕方がなかったかもしれない。
   しかし、最近急増の一途を辿っている世界中からの観光客なり来訪者が、日本の現状を見て、「これが、不況の国か? これが、落ちぶれたと言われている日本か?」と、一様にびっくりするほど、日本が豊かで民度の高い素晴らしい国だと言う印象を与えている。

   ヨーロッパに永くいたので思うのだが、当時、日本と比べて、経済が停滞し、GNPでは低かったヨーロッパの国々や人びとの生活が、ある意味では、遥かに豊かであったのに感銘を受けたことを思い出す。
   日本の場合にも、経済成長は、名目上停滞していたがデフレであったし、それまでに、蓄積した国富や国民生活の豊かさは維持されていたので、この20年間に這い上がって快進撃してきた新興国と比べれば、まだまだ、雲泥の差だと言うことであろう。

   いずれにしろ、この本は、外人の立場から出来るだけ日本の本当の実像に迫ろうと、徹底的に資料を集めて、現地に赴き、そして、片っ端から人びとにインタビューして積み上げた渾身のレポートであるから、欧米の主要メディアや知識人が称賛するのも当然かも知れないと思う。
   全く、違った本だが、私にとっては、エズラ・ヴォーゲルのJapan as No.1と同様に、感銘を受けた日本学の本である。
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書店の「お任せ選書」注文殺到の不思議

2015年08月24日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   インターネットを叩いていたら、money zineの「「町の本屋さん」で新アイデア続々 活字に親しむサービスやくつろぎの空間作りなど」と言う記事が目についた。
   書店の退潮や消滅に抗して、書店が「お任せ選書」など色々な試みを行って、起死回生を図って成功を収めていると言う。
   ”ソーシャルリーディングなどの人気からも分かるように、書籍に対するニーズはそれなりにある。そこで、もっと書籍・活字を楽しむ暮らしのきっかけづくりとなるアイディアがあれば、集客に売上アップと現状を変えられるはずと、このところ新しい提案を試みる書店がある。”と言うのである。

   この「お任せ選書」だが、”いわた書店(北海道砂川市)の「お任せ1万円選書」。これは書店が、注文者の読書傾向や好みをメールなどをもとにリサーチし、金額相当分のおすすめ書籍をセレクトしてくれるもの。本は好きでも選ぶのがひと苦労で、結局読まない、また多忙で選ぶ時間がないという人には格好のサービスだ。”と言うことであり、注文が殺到して現在サービスは休止中だと言う。

   これは、私の場合とは、全く違う。
   小学生の頃から、小遣いが貯まると、真っ先に本屋に行って、自分で本を選んで買ってきて読む習慣がついていたので、お仕着せの本を読むようなことはなかった。
   今でも、推薦された本や人が貸してくれた本など、いくら立派な本でも、まず、読むことはない。
   自分が読みたいと思って買った本が、次から次へと積み上がるので、それを読むために、脇目を振っている暇など、全くないのである。
   歳はとっても、幸い、目に不自由がないので、今でも、専門書の5~6冊くらいは、毎月読んでいる。

   読みたい本があれば、図書館に行って読み、その本がなければ、図書館に注文するのだと言う友人がいるのだが、自分の読む本は総て自分で買うべきだと思っている私には信じがたいことである。
   いずれにしろ、私など、本程コストパーフォーマンスが高くて安いものはないと思っており、これ程、知的満足を充足させてくれて、楽しませてくれるものはないと思っているので、須らく、グーテンベルグに乾杯である。

   さて、前述の「お任せ選書」だが、どんな本を注文したかによるのだが、何を読んだら良いのか分からないので注文したと言う人は、本が届けられても、恐らく、その本を読まないだろうと思う。
   読書の第一歩は、どの本をどのように読むかであって、自分の意思が働いていないと、読めないもので、丁度、水を飲みたくない馬を水際まで連れて来て飲ませるようなものだと思っている。

   もう一つ、本屋が顧客の注文に応じて、その欲しいジャンルの本を選択してパックにして送ると言うことだが、福袋と同じで無駄が多くて、その上に、本屋に、そのような選択の能力があるのかと言う疑問である。
   これまでも、このブログでも書いて来たことだが、大書店などで、派手なテーマを選んで、大々的なキャンペーンを行って、読むべき本などと銘打って関連本を並べると言うイベントが、行われることが多いのだが、如何に好い加減かと言うことを書いて来た。
   私の関心のある経営学や経済学などの分野に限っても、実際に、書棚をディスプレーして飾り立てた書店員なり関係者が、その分野に明るくて、関連の本をすべて読んで理解して、その上での推薦ならまだしも、(あるいは、プロの選定ならまだしも)、そんな気配さえもない「選書」の場合が、あまりにも多いのである。

   データベースの揃った大書店なら別かも知れないが、顧客が、「シェイクスピア」だとか「歌舞伎」「文楽」などと注文を入れたら、地方の書店は、どう対応するのであろうか。
   東京などの大書店であっても、これらのコーナーの書棚のディスプレーは、私の書棚よりも貧弱なケースが大半であるから、地方の書店が、十分に対応できるとは、到底思えないし、見たこともない読んだこともない本の選択など無責任であるとしか言いようがなかろう。

   私自身は、これらの書店の色々なアイデア商法の活用による、紙媒体の本の販促努力には、頭が下がるし、大変結構なことだと思っており、応援をしたい。
   しかし、いわた書店の努力を多とするのなら、書店全体が一丸となって、もっと、本のデータ・ベースを整備活用して、バックアップできないかと言うことである。

   一般書店は、アマゾンを目の仇にしているが、アマゾンでは、「シェイクスピア」を打ち込んで検索すれば、膨大な数の本が表示されてくるし、「この商品を買った人はこんな商品も買っています」とか「チェックした商品の関連商品」などと言って、次から次へと関連本の情報が表示されて五月蠅いくらいであり、更に、メールでリマインドまでしてくる。
   正に、ネットショップのアマゾンの独壇場と言うべきか、ロングテール情報まで駆使して本を紹介して来るので、これで、知らなかった本に気付いて買ってしまうことも結構多い。

   いずれにしろ、リアルショップの書店は、顧客とのヒューマンタッチが命であり、ICT時代の潮流に上手く乗りながら、この顧客との直接的な触れ合いを如何に生かして書店を活性化するかが勝負であろうと思う。
   あの本屋に行けば、何か楽しいこと面白いことがある、行ってみようと言う、そんな雰囲気なり魅力を醸し出す店づくりである。
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映画「日本のいちばんながい日」

2015年08月23日 | 映画
   先日、映画「日本のいちばん長い日(1967版)」をレビューしたが、現在上映中の同名の新しい映画を見に出かけた。
   半藤一利の小説をベースにしている映画であるので、ストーリーは殆ど同じなのだが、半世紀を経ているので、ニュアンスなり映画化への姿勢などに、かなり差が出いて興味深かった。

   まず、天皇陛下の登場だが、1967年版は、天皇の姿をはっきりと描写するのは恐れ多いと言う当時の風潮を慮って、天皇(8代松本幸四郎)の姿は殆ど隠れて見えなかったのだが、今回の映画では、天皇(本木雅弘)が、普通の登場人物として現われて、人間天皇として描かれていることで、主要登場人物である鈴木貫太郎首相(山崎努)や阿南惟幾(陸軍大臣:役所広司)との心の交流までも鮮やかに表現している。
   監督・脚本の原田眞人が、インタビューで、先の1967年版で岡本喜八監督が、”当時(作品を作るにあたって)やりたいけどやれなかったことがあるだろうと、そこのところを受け継いで作っていきたい”、と言っているのだが、その表れであろう。
   それでも、”昭和天皇は正面に出てくることが出来ました。ですが、その昭和天皇を囲んでいる状況というのは、まだ日本の映画では出ていないんです。そういうことをこれからどんどん語る、いろんな形で議論できる、そういう社会になっていったらいいな”と言っており、終戦、そして、それに纏わる天皇の描き方には、日本歴史上に微妙な側面があるのであろう。

   この2作品には、色々と違いがあって興味深いのだが、原田作品では、人間天皇としての鮮やかさに加えて、鈴木首相や阿南陸相の家族たちの人間模様などもかなり丁寧に描かれていて、例えば、阿南陸相の場合に、空襲で大打撃を受けた帝国ホテルで式を挙げた娘の結婚式が無事であったかどうかと天皇が聞かれるシーンとか、戦死した息子の死の様子を知りたがっていた陸相に、部下が訪れて来て聞いた様子を伝えたくて電話をかけたり必死になって戦下を皇居に走る妻(神野三鈴)の様子など、克明に描写している。
   この息子の戦死は、この映画では、陸相が絶えず写真を携えていて、切腹の場にも登場するので非常に大切なサブテーマとなっていて、部下から聞いた様子を一刻も早く陸相に伝えて喜ばせたいと必死の妻の電話の伝言にも、永久の別れを告げて家を出たので電話も出来ず、一度だけ電話に手をかけるが中断されてしまい、妻は、死の床に眠る仏に向かって語りかける。

   もう一つ気付いたのは、迫水久常(内閣書記官長:堤真一)の扱い方で、本作品では、重要人物の一人として登場しており、先の重厚な感じの加藤武と違って、堤は、中々人間味のある補佐役を丁寧に演じていた。
   さらに言えば、元々重要な役割を果たした二人の大臣の扱い方にも差があり、原田作品はさらりと流している感じだが、
   ポッダム宣言受諾に関しては、東郷茂徳(外務大臣:宮口精二 今回は、近童弐吉)の案に従ったのだが、東郷の役作りについては、宮口の存在感が抜群であり、もう一人阿南と双璧の米内光政(海軍大臣:山村聰、今回は、中村育二)についても、山村の風格あってこそ、三船敏郎の阿南に対峙出来たのであると思ったのだが、どうであろうか。
   森赳中将(第一師団長)についても、高橋耕次郎も上手いのだが、島田正吾の役者魂の凄まじさとその風格は、余人をもって代えがたい迫力があった。

   本作品には、東条英機(陸軍大将:中嶋しゅう)が登場し、硬派ぶりを見せるのだが、天皇陛下に、サザエ問答を仕掛けて、知的水準の歴然たる差を見せつけられるシーンがあって、非常に面白い。

   ところで、私自身の正直な感想なのだが、そのようなドラマを交えずに、史実を直球勝負でストレートに表現して、ポッダム宣言以降、広島長崎への原爆投下、和平交渉を依頼したソ連の日ソ中立条約の破棄によって窮地に追い詰められた日本の断末魔を描いている点では、岡本喜八作品の方が、剛直で骨太であり、分かり易く表現しているし、インパクトがあるように思う。
   サブストーリーの挿入も、岡本作品では、厚木三〇二航空隊の司令小薗海軍大佐の徹底抗戦指示や、東京警備軍横浜警備隊長佐々木大尉の一個大隊を率いての首相官邸などの襲撃、児玉基地の中野少将の房総沖の敵機動部隊への特攻攻撃など、当時のチグハグな戦局を描いて悲壮性を出していて良い。

   劇作りの手法も違っていて、岡本作品では、横浜警備隊長佐々木大尉の首相官邸の襲撃も、順を追って映像化されているので良く分かるが、原田作品では、佐々木大尉(松山ケンイチ)率いる一団が首相官邸を襲う場面が急に出て来て、迫水内閣書記官長を追い出したシーンのようにしか思えない。
   岡本作品は、話の筋を追うのに非常に丁寧だが、原田作品は、断片的なシーンを、どんどん積み重ねて重層的にストーリーを展開しているので、カラフルで面白いけれど、歴史的事実をかなり知っていて、岡本作品を見て筋も分かっている私でも、ストーリーを追うのに多少苦痛を感じたので、若い人たちは、どう見たのであろうか興味がある。

   クーデターの首謀者である青年将校の畑中健二(陸軍少佐:松坂桃李)の描き方で面白いのは、NHKを占拠して、反乱軍の国土決戦決意を放送しようとする試みで、岡本作品では、畑中少佐( 黒沢年男)の命令を館野守男放送員:加山雄三)がピストルを突きつけられてもビクともせずに抵抗して失敗するのだが、原田作品では、保木放送局員:戸田恵梨香)が、電源を切って遮断する中を、マイクの前に立って絶叫調で檄を飛ばす畑中少佐の哀れさが出色で感動的である。
   畑中少佐の主義主張や行動の表現がやや曖昧であるきらいはあったが、決然として節を貫く凛とした姿勢など、松坂は、実に上手く演じていて、流石であった。

   「日本のいちばんながい日」と言う最も深刻でエポックメイキングなストーリーをテーマにしながら、ある意味では、カラッとしたドキュメンタリー・タッチに比重を置いた描き方をするか、或いは、人間的な苦悩や喜びを交えた血の通ったヒューマン・タッチの劇作りをするか、微妙なところだが、2作品を鑑賞して、より、歴史の真実に近づいたような気がして良かったと思っている。

   本作品は、原田監督の考え抜いた上での緻密さと細心の注意を払って作り上げられた映画で、ドラマチックでヒューマンなストーリー展開が、大きなテーマを包み込んで爽やかな感じがする。
   人間天皇と鈴木貫太郎、そして、阿南陸相との阿吽の信頼関係と心の交流が軸となって、終戦処理に向かう怒涛のように大きく逆巻く歴史の転換点を描き切って感動的である。

   主役である
   岡本作品での、阿南の三船敏郎、鈴木総理の笠智衆も忘れがたいが、
   本作品の、阿南惟(陸軍大臣)の役所広司、昭和天皇の本木雅弘、鈴木貫太郎(首相)の山崎努
   恐らく、最高の役者の登場であって、これ以上は望み得ないであろう。
   
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リブロ池袋本店の閉店に思う

2015年08月22日 | 政治・経済・社会
   何時ものように、インターネットを叩いていると、”リブロ池袋本店は金食い虫? 元店長が閉店理由を分析”と言う記事が目に入ってきた。
   もう一つは、”リブロ池袋本店 突然の閉店に現役店員が胸中明かす”と言う記事で、いずれも、週刊朝日の記事のようで、先のは、以前店長を務めジュンク堂書店池袋本店副店長の田口久美子さんで、後のは、リブロ池袋本店マネジャーの辻山良雄さんのインタビュー記事のようである。
   リブロのHPを開けると、
   リブロ池袋本店 ※2015/7/20閉店いたしました

   この口絵写真は、”閉店前のリブロ池袋本店の様子。居抜きで三省堂書店がオープンした(撮影/写真部・植田真紗美)”から借用したので、三省堂が、池袋本店としてオープンしているので、実際には、書店が消えたわけではなさそうである。
   辻山さんの話では、「西武百貨店との契約が満期に達し、その契約更新がなされなかったこと」が閉店理由で、「今後、創業の地であるこの池袋で、新たな店舗を探しております。」と言うことだが、経営の悪化での閉店であろう。
   
   西武百貨店代表の堤清二(辻井喬)がリブロの産みの親でもあり、1980年代から90年代にかけて、西武池袋店内のセゾン美術館とともに、「セゾン文化」と称される贅沢な空間を作りだしていた。美術館とつながっている世界観。本が整然と並んでいるのではなく、空間や本どうしのつながりで見せる展開。と言うコンセプトであったようだが、
   池袋は、私の生活圏にはなく、ビジネスか東京芸術劇場に行くくらいしか縁がなくて、リブロには行ったことがないので、この口絵写真から想像するくらいしか出来ない。

   75年設立当初から、百貨店の中でリブロはすでに「金食い虫」と言われ、利益の出にくい存在でした。今回の閉店に至るまでの流れにも、再販制(53年施行)に、ずっと縛られてきて、他業種に比べての利益率の低さも関係している。と、田口さんは言う。
   ”創業が70年代半ばと、書店としては後発だったのもあって、池袋リブロには、業界内での、いわゆる「はぐれ者」ばかりが書店員として集まってきていました。置ける本の量では大手にはかなわない。そこで、当時どこでもやってなかった、「自分たちがこの社会を表現する棚を作るんだ」「イベントもやるんだ」という個性を出したのは、その後の書店業界に通じる一つの潮流を生んだとは思います。”と言うことで、独自路線を追求して来たのであろう。

   全国の書店が、バタバタと閉店し続けている原因は、日本人の本離れ。
   6年前に、このブログで、
   法政大諏訪康雄教授が、学力低下は子供だけではない・・・として、文化庁の国語に関する世論調査「読書量の地域格差」を示して、日本の大人が、如何に本を読まないかを語ったので、これについて記事を書いたことがあるのだが、
   ”月に一冊も本を読まない大人が、全国平均38%もいて、四国は最悪でダントツに悪く、60%もの人が本とは全く縁がないと言うのである。
   仕事や生活によって本と関わりのある人がかなりいるであろうから、極論すれば、四国の普通の人は、平生は本など全く読まないと言うことであろう。  
   読んでも、本にも色々な本があって、まともな(?)本に対峙して、知性教養を高めるなどと言った人は、どのくらいいるのか、お寒い限りである。”

   この傾向は、アメリカも同じで、ジェフリー・サックスが、「世界を救う処方箋」の中で、特に、若者の本離れと、知的水準の低下を嘆いている。
   
    この上に、アマゾンの快進撃によるネットショップの台頭や、本のデジタル化によるe-bookの普及が進んでおり、紙媒体の出版物が、どんどん、減って来ているのであるから、リブロでなくても、リアルショップの書店の退潮は、火を見るより明らかであろう。
   それに、アマゾンの学生割引や、新本をアウトレットで値引き販売したり、古書部門の充実を図るなど、再販売制度などのないアメリカ方式を目指して、再販売制度の切り崩しにかかっているように思える。

   先日コメントしたが、
   ジェフリー・F・レイポート、バーナード・J・ジャウォルスキー著「インターフェース革命」 ランダムハウス講談社 定価 本体¥2500(税別) 
   2005年に、HARVARD BUSINESS SCHOOL PRESS から発効されたこの立派な学術書が、新本状態で、ブックオフで108円、アマゾンで1円で売られており、それさえも殆ど売れないと言うのであるから、もう、既に、日本の本文化は、危機状態を通り越してしまっていると言っても良いのではなかろうか。

   紀伊国屋書店が、アマゾンに対抗して、村上春樹氏の新著を9割買い取って、書店売りを策するのだと言うが、どうであろうか。
   退潮であった百貨店が、中国人の爆買いによって息を吹き返してきたが、本には、爆買いの神風は、吹きそうにはない。
   
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デイヴィッド・ピリング著「日本ー喪失と再起の物語 下」(1)

2015年08月21日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   下巻の第5部 漂流 で、戦後の日本につて、克明なカレントトピックスの分析が面白い。
   尖鋭化するアジアの歴史問題から説き起こして、安倍首相の「日本正常化」政策と鳩山首相の「脱米外交」と言う二人の総理大臣の全く違った路線を迷走する日本を概観しながら、アジアで孤立する異常な国家状態を語り、外交的にもいまだに方向性を見失い、地理的条件と過去の歴史に捕われたままだ、と論じている。

   冒頭で、ドイツのブラント首相が、訪問先のポーランドで「ワルシャワ・ゲットー蜂起」の記念碑の前で跪き、ユダヤ人犠牲者に対する謝罪の意を表し、そのあまりにも自然な振る舞いは、ドイツ国民が過去の歴史を心から悔いていることを示す極めて説得力のある意思表示となったために、”Kniefall”(ひざまずいて祈る)と言うドイツ語が英語圏で定着し、ブラントもノーベル賞を受賞した。ことを述べて、
   日本は、このブラントの「ひざまずき」に匹敵する意思表示を行ったことがなく、アジアの隣人たちから、日本はドイツと違って、自らや他国に対して一度も過去の過ちを認めたことがないと言う批判が延々と繰り返されている。と言う。

   戦争賠償金の代わりに数十億ドルもの経済援助資金を支払い、指導者たちは実際に数えきれないほどの回数の「謝罪声明」を公式の場で発表してきたにも拘らず、それらが、徹底的に謝罪したドイツと比べて、それらが、本心からの謝罪であると認められたことはない。
   と言っているのだが、今回の安倍首相の70年談話でも、そのきらいがあって、謝罪問題は収束しそうにはなく、いくら平和日本を強調しても、ピリングが言うように、日本はアジアで孤立し続けるのであろうか。

   一方、この太平洋戦争については、
   日本は受けて立って戦争をせざるを得なかった、欧米列強からのアジアの解放戦争であった、と言った論などの紹介や、東条英機の孫とのインタビューも交えて、著者は、両面からかなり公平に語っている。
   ブラントの「ひざまずき」は、外国からは高く評価されたようだが、ドイツ人には、かなり、不評だったようで、今回の鳩山首相のソウル市内の西大門刑務所の跡地(西大門刑務所歴史館)での「ひざまずいての謝罪」が、どう言う意味を持つのか、微妙なところであろう。

   國神社問題、日本や天皇の戦争責任、沖縄基地問題などについても、色々な視点からアプローチして、かなり突っ込んで議論を展開していて興味深い。
   面白いのは、教師の国歌や国旗に対する教育現場での抵抗について触れて、日章旗と君が代(皇統が「八千代」、つまり8000代ほどの極めて永きにわたって継続することを願う歌)が、国民が知らず知らずのうちに戦争に巻き込んだ天皇崇拝カルトの象徴だと、彼らは忘れていないので拒否するのだ。として、大方の日本人の無神経ぶりを紹介していることである。
   私なども、国歌の歌詞や意味内容など全く無頓着に歌っており、この君が代も日章旗も、日本の象徴だと思っているので何の抵抗もなく、特に、外国に出て接する機会があると感極まる思いになるくらいである。
   それに、どこの国もそうだと思うが、一度決まった国歌や国旗は、変えないであろうし、歴史上の問題があろうとも、そのまま、維持すべきだと思っている。

   さて、安倍総理の安保問題への対応について、ピリングは、第一次安倍内閣当時を論じているのだが、ブレーンであった岡崎冬彦の主張に従って、日本に軍隊保有の権利を取り戻し、必要に応じて同盟国のために武力を使用できるように、自ら封印している「集団的自衛権」を認めない限り、「普通の国」に成れないと考えて行動して、6年以内に憲法を変えると言っていたと言う。
   日本の再軍備化を恐れたために、日本に平和憲法を押し付けて雁字搦めにしたアメリカが、朝鮮戦争の勃発によって臍を噛む。その後、自衛隊の前身である警察予備隊を創設して、今や、自衛隊の海外派遣までに至っているのだが、米軍と協働して有事に備えるためには、「集団的自衛権」の制約を取り払うことが必須なのである。
   「安保法案」が大詰めを迎えており、憲法改正も視野に入り始めた安倍総理だが、日本国民の多くは、あくまで、平和主義に徹しようとしており、多大の混乱を引き起こしかねないアメリカの冒険主義に巻き込まれることを警戒している。どうするのか。 

   日本は、一時期を除いて、当時の覇権国イギリス、そして、アメリカと同盟関係にあり、この同盟関係が維持されている限り、日本は安泰であると言うのが、岡崎大使の持論であったのだが、安倍首相も、この関係を維持しながら、更に、日本を、集団的自衛権を確立して、更に、憲法第9条を改正して、「普通の国」へとレベルアップを図ろうと言うのであろう。

   一方、鳩山首相についても、ピリングは、「VOICE」での「友愛」論文や脱米、それに、「アジア共通通貨」論等アジア回帰、沖縄基地の他県への移転問題などについて議論を展開し、あまりにも、安倍首相と違った考え方に唖然とした感じで、外交的にも国家の行き先にも、いまだに方向性の定まらない日本の危うさを活写している。
   鳩山首相の考え方や民主党の方針などについては、失政とも言うべき稚拙さ故に、儚く消えてしまったので、ここでは論じない。

   ただ興味深いのは、鳩山首相が、今回の韓国での土下座外交とも似通った、クリミアに行って併合を称賛してロシアをバックアップした外交だが、アメリカ贔屓の岸信介の孫の安倍首相が米国追随であるように、ロシア贔屓の鳩山一郎の孫の鳩山首相がプロ・ロシア姿勢を示しているのも面白い。
   鳩山一郎は、自分を、首相登壇寸前で公職追放したアメリカを恨んでいたので、その裏返しで、日ソ国交回復を推進したと言われている。
   これが、鳩山首相の嫌米親ロの原点かも知れないが、実際、公職追放を強く提言したのはソ連であったとマッカーサーが吉田茂に言っていたと言うのだから、歴史は面白い。
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本の凋落と古書店の変質

2015年08月20日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   先日、久しぶりにブックオフに出かけた。
   蔵書を売った時に、相当数の本を撥ねられて廃却され、残りも殆ど1冊10円で買い取られると言う屈辱を感じてから、足が遠のいていたのだが、近くを通ったので、何の気なしに最近どうなっているのと思って入ってみたのである。

   店舗にもよると思うのだが、大分変っていたのにびっくりした。
   本の過半が、1冊108円で売られていて、本来定価の半額で売られている普通のコーナーの本でも、安くなって500円とか300円の値札のついた本が並んでいた。
   もう一つ変わったと思ったのは、本の質が良くなって、並んでいる本がかなり綺麗になったと言う感じである。
   とにかく、ブックオフの本も、随分、安くなったと言うことである。

   念のため、当日、1冊だけだが、読んでいなかったので買った本が、
   ジェフリー・F・レイポート、バーナード・J・ジャウォルスキー著「インターフェース革命」 ランダムハウス講談社 定価 本体¥2500(税別) 
   2005年に、HARVARD BUSINESS SCHOOL PRESS から発効された学術書なので、古い本ではない。
   新本同様の完全なる新古書で、これが、108円であるから、考えられない程安い。
   売れる筈がないと言う値付けなのであろう。

   帰って来て、インターネットを叩いて、AMAZONで検索したら、中古品 - 非常に良い が、1円、すなわち、送料257円を加えると、258円で買えると言うことで、この高級学術書は、日本では、商売にはならなかった、と言うことである。
   皮肉にも、この本は、
   ”顧客接点の差別化なしでは もはや生き残れない”とするマーケティング、販売戦略の指南書なのである。

   先日も神保町の古書店事情で書いたのだが、経済学や経営学、文化、歴史、社会学と言った社会科学系の新古書を売る古書店が、私の知る限り、1軒もなくなってしまった。
    東京駅地下街の古書店も消えてしまい、歌舞伎座近くの古書店も大分前に店じまいしてしまって、行くところがなくなってしまった。
   別に、3~4割程度安く新古書が買えたと言うだけのことなので、拘ることはないのだが、新聞雑誌などの書評や広告などで知った本は別にして、大書店とは違って、コジンマリした古書店では、集中して新本を見ることが出来るので、それに、売れないような高級な学術書が出たりするので、結構、良い本が探せて、重宝して来たのである。

   昔は、電車の中では、多くの人が本を読んでいたのだが、今では、大半の人が、スマホやキンドル。紙媒体で活字を追っている人でも、雑誌や新聞を別にすれば、単行本を読んでいる人は、非常に少なくなってしまった。
   近くの書店が、最近、店舗の半分を改装してビデオ店にしてしまったし、通っていた書店も、どんどん、店じまいをして消えて行くので、益々、インターネットのお世話になることが多くなって来ている。
   いずれにしろ、私は、本から離れられずに生を終えるであろうが、孫世代にはどうなるか、本による文化だけは、大切にしなければならないと思っている。
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映画「日本のいちばん長い日(1967版)」

2015年08月18日 | 映画
   この映画は、大宅壮一編だが、実際の著者は半藤一利氏のようなので、今上映中の同名映画とほぼ主題は同じなのであろう。
   岡本喜八監督作品で、公開当時に非常に感激して見たので、終戦70年と言う筋目に、もう一度見て、歴史を振り返ってみようと思った。
   懐かしい銀幕の名優たちが登場していて、日本映画の良き時代を思い出させてくれる。

  この映画は、ほぼ、次のようなストーリーであった。
  日本各地が、連合軍の空襲によって焦土と化しつつあった昭和20年7月26日に、日本に無条件降伏を求める米、英、中のポツダム宣言が、海外放送で傍受され、8月6日に広島、9日に長崎に原爆が投下され、8日には日ソ中立条約を破ってソ連が参戦、日本の敗北は決定的となって、鈴木(笠智衆)内閣は窮地に立つ。第一回御前会議で、天皇陛下(8代松本幸四郎)が戦争終結の決意表明をされたので、政府は、天皇の大権に変更がないことを条件にポツダム宣言受諾を通知したが、連合国の回答で、天皇の地位に関しての条項に付されたSubject toの意味の解釈に紛糾して、阿南陸相(三船敏郎)は受諾出来ないと反対した。収拾がつかないので、鈴木首相は、14日の特別御前会議で御聖断を仰ぎ、天皇は終戦を決意され、正式にポツダム宣言受諾が決る。
   鎮痛を極めた閣議や御前会議の息詰まるような攻防が、ながい1日の深刻さを物語り余りある。
   一方、終戦反対派の陸軍青年将校たちは、本土決戦を策して、阿南陸相が御聖断に従うべきと諭すも、クーデター計画を、着々と推進していた。
   終戦処理のために14日午後1時、閣議が開かれ、陛下の終戦詔書を長時間にわたって検討し作成し、宮内省で録音し8月15日正午に、全国にラジオ放送することを決定する。
   深夜直前から、天皇陛下の録音が、宮内省二階の御政務室で行われた。
   クーデター計画を押し進める畑中少佐(黒沢年男)たちは、近衛師団長森中将(島田正吾)を説得するも、蹶起に反対したので射殺して、出陣して皇居を占拠して、玉音放送を阻止すべく、、その録音盤を奪おうと必死に捜索する。見つからないので、さらに、NHKを占拠して自分たちの本土決戦の覚悟の放送を強要するも失敗。
   宮内庁内を傍若無人に荒らしまわる兵士たちの暴虐ぶりや、録音盤争奪戦の激しさ。
   玉音放送の録音盤は徳川侍従(小林桂樹)の手によって皇后官事務官の軽金庫に納められていたのだが、発覚を免れており、また、事情を知った東部軍司令官田中大将(石山健二郎)が、畑中たちを押さえてクーデターを鎮圧する。
   これと並行して、厚木三〇二航空隊の司令小薗海軍大佐(田崎潤)は徹底抗戦を部下に命令し、東京警備軍横浜警備隊長佐々木大尉( 天本英世)は、一個大隊を率いて首相官邸などを襲撃し、15日午前零時、何も事情を知らない児玉基地の中野少将(伊藤雄之助)は、房総沖の敵機動部隊に攻撃を加えるべく多くの特攻機を飛び立たせる。
   日の丸の小旗を打ち振りながら、幼い子供たちや貧しいもんぺ姿の女たちの一群が必死に駆け出して見送る光景が、実に悲しい。
   15日早朝、阿南陸相は、遺書を残して壮烈な自刃を遂げる。
   天皇の詔勅の録音盤は無事NHKに運び込まれて、日本の敗戦を告げる玉音放送が電波に乗り、戦争は終わる。

   ポッダム宣言を受諾するにあたって、
   日本側から付された唯一の条件は、国体護持で、日本側の照会に対して連合国側の回答に、「天皇および日本国政府の国家統治の権限は、連合国最高司令官の制限の下(Subject to)に置かれる。と言う文章の subject to が、問題となり、阿南陸相が、異議を唱えた。
   この問題については、ガバン・マコーマック教授は本(転換期の日本の第二章 属国 問題は辺境にあり)の中で、
   ”「君主」(the head of the state)を残すと言うマッカーサーの主張により、1947年の憲法で象徴となった天皇は、講和条約発効後も米軍駐留を維持すると言う米国の後押しをした。”と書いており、前述の連合国最高司令官の意向にsubject to に沿ったと言うことであろう。

   同じく、この本の中で、マコーマックは、”終戦から70年近く経って、日本にいまだ外国軍が駐留していることは摩訶不思議としか言えない。”と言っているのだが、何故、70年もの間、米軍駐留を回避すべく努力できなかったのか、抑止力と言うぬるま湯につかり続けてきた政権政府の無能さに問題があったのであろうか。
   日本は、米軍基地移転問題で、普天間から、更に、辺野古に新設して、この一時的であった筈のサンフランシスコ体制を永続してまで、ジョン・ダワーやガバン・マコーマックの説く如くアメリカの属国として生き続けなければならないのであろうか。

   我々の先輩たちが、あまりにも熾烈で悲惨極まりない戦争に耐えぬいて、安寧と平安を希求しながら、守り抜こうとした日本魂とは一体何なのか、この映画を見ていて、強烈に胸に迫ってきた。
   戦死した兵士200万人、一般民間人100万人、総計、300万人もの日本人の命が奪われ、東京、大阪等々大都市は焦土と化し、広島、長崎は原爆投下で壊滅状態となった。
   そして、食うものも食わずに必死になって、廃墟から立ち上がって来た。

   今なら、馬鹿な戦争をした、といくらでも、どんなことでも言えるが、あの怒涛のように過ぎ去った悪夢のような時代を、ほんの少し前に、我々日本人自身が送って来たのだと思うと恐怖を覚えざるを得ない。
   戦争は絶対にやってはならない、この平和で安全な日本を必死になって守り抜かなければならない。と心から思っている。
   
   
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デイヴィッド・ピリング著「日本ー喪失と再起の物語 上」

2015年08月17日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   「黒船、敗戦、そして3.11」とサブタイトルのついた、3.11の陸前高田のレポートから始まる日本論とも言うべき本で、FT記者と言うジャーナリストとして恵まれた環境下での本なので、情報知識がぎっしりと詰まっていて、読み応えのある本である。
   まだ、失われた20年を経て小泉時代までの、上巻のみの読後感なので、はっきりとは言えないが、私の正直な感想は、非常に網羅的でバランスのとれた素晴らしい本であり、日本人以外の読者には、大変有意義で役に立つ日本概説本であると言うことである。

   日本に関する目ぼしい欧米の著作を殆ど(?)読破して、知的武装を施した上に、日本で取材しながら、ジャーナリストの特権を生かして、恵まれた知己との交流を活用し、必要となれば大臣であろうと誰であろうとインタビューして裏を取り情報を固めるなど、その筆致は微に入り細をうがち、痛快でさえある。
   ジャーナリスティックでありながらも、学術書並の日本論の展開であり、現代日本がビビッドに浮き彫りにされているので、欧米では、評価が高い。
   しかし、私には、殆ど既知の日本に関する知識情報を網羅羅列した秀才の書いた教科書のような感じがして、特に、感銘を受けるような記述には巡り合えなかった。

   したがって、ここでは、私自身が読んでいて、多少なりとも引っかかった個所について感想を記して見たい。
   まず、天皇および天皇制に関することで、「なぜ日本は戦争に向かったか」の項で、「日本が疑似ファシズム的天皇制カルトにかかってしまった・・・」として、福沢の期待に反する形で個人主義が徐々に弾圧され、階級社会が再び幅を利かせるようになって、・・・保守的な支配層が、天皇崇拝に包まれた国策プロジェクトの下に国民を結集させ、急速な工業化や植民地主義的政策を推進することを容易にした。と述べている。
   問題は、「疑似ファシズム的天皇制カルト」と言う独善的でアロガントな表現である。
   極めて危険極まりない欧米列強に虎視眈々と狙われながら、弱体な新興国日本を早急に対抗勢力として立ち上げるためには、この天皇制を核としてナショナリズムを高揚して国家を糾合して対処する以外にはなく、結果はともかく、選択の余地のない道であったと言うこと。
   それに、同時代に、本国はともかく、イギリスが先頭に立って、アヘン戦争を仕掛けて欧州列強で中国全土を蹂躙して、壮大な文化の華・華麗な歴史的遺産である円明園を徹底的に破壊するなど人類の偉大さに真っ向から挑んだ野蛮極まりない暴挙こそ、植民地主義的王政カルトと言うべきではないのであろうか。

   もうひとつ、戦後の天皇の人間宣言に触れて、今日においてさえ、天皇家に対する迷信は完全に抹殺されたと言えないとして、天皇の古墳を立ち入り禁止にして考古学者に調査させないのは、何らかの不愉快な真実が判明するのを恐れているのか、一つ考えられるのは、日本の皇室の起源が朝鮮半島にまでさかのぼると言う可能性だ。と書いている。
   これは、日本の文化や社会に対する認識の欠如と言うべきか、
   私自身は、特別ナショナリズムの強い人間だとは思っていないが、天皇制については、日本にとっては大切な体制だと思っているので、このような興味本位の憶測には抵抗を感じる。
   イギリスの王室のように、歴史的にオリジンが、普通のイギリス人とは違って、欧州各地に亘っていると、国籍などどうでも良いのであろうが、日本人としての国民気質と言うのは重要なのである。

   日本の明治以降の富国強兵政策について、”脱亜に成功し、入欧に失敗する”と言うのが、ピリングの見解だが、
   日本が20世紀後半の成功によって、アジア域内の多くの国に勇気と刺激を与えた・・・とか、日本はアジアでは愛されることはなかったかもしれないが、非白人にも白人と全く同様に経済的・技術的成功を収める能力があると分かり切った事実を始めて証明して見せた。と述べている。
   これは、極めて短期的な見方で、同じイギリス人の経済学者アンガス・マジソンが、19世紀中葉まで、中国とインドが世界の経済の半分以上を押さえており、今日の経済的台頭は、19世紀への回帰に過ぎず、欧米が経済的覇権を握っていたのは、ほんの最近の100年一寸だといみじくも述べている。
   ガルブレイスが、1958年の「豊かな社会」で、「世界の中でヨーロッパ人の住む比較的小さな地域」として、日本を「豊かな社会」に入れていないと書いているが、この本は、アメリカ社会を主体にしてソーシャル・バランスの欠如を論じた本であって、「豊かな社会」を定義したわけでもなく、まして、ヴォ―ゲルが「Jaoan as No.1」を書いて日本が頂点に上り詰めて豊かになったのはもっと後の1980年代であり、1958年には、日本は、まだ、戦後の復興期であった。

   念のために記しておくと、1970年代のイギリス経済の酷さは目も当てられない状態で、ロンドンの街路は収拾不能のゴミが舞いあがり、ストストストで失業者がたむろして、経済的な悪化は総て英国病と揶揄されていたほどで、その後、サッチャーが組合つぶしなど大ナタを振るって大改革を断行せざるを得なかった。
   この頃、ライシャワーが、先の「Jaoan as No.1」を日本人には禁書にすべきだと言った時期で、イギリス人の方が弱気で元気なく、俄か成金のアロガントな日本人ビジネスマンが、ロンドンの街を闊歩していた。
   ヨーロッパに居て、つぶさに、現状を見ているので、良く知っている。

   わき道にそれてしまったが、イギリス人ジャーナリストの、現在の日本を見る、多少上からの目線が気になる記述が、時々顔を覗かせる。
   そんな感じが、良くも悪くもイギリスなり欧米を多少とも知っている自分には、気になるところであると言えようか。

   いずれにしろ、非常に緻密に精査された記述で、日本人の類書よりはるかに充実しており、外人の視点と言うことからも大変勉強になり、最近の日本の歴史を反芻するような思いで読むと、現代日本が浮かび上がってくる。
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海外旅行は何を楽しみに行くのであろうか

2015年08月16日 | 海外生活と旅
   産経の電子版に、「「タトゥーOK」浴場増加…外国人旅行者に配慮」と言う記事が掲載されていて、「訪日外国人が次回に訪日した時にやりたいこと」と言う次のような、表が添付されていた。
   この数年、円安の影響もあって、日本への外国人旅行者数が急増して、中国人の爆買いが、日本景気を牽引すると言う考えられないような現象さえ起こっている。
   訪日した外国人観光客の次回の希望であるから、日本の何に関心や興味を持って、日本を訪問したいのか、直の意見なので、観光誘致に、非常に役に立つ。
   

   1位が日本食を食べる、2位がショッピング、3位の温泉入浴と言う項目が入っていて、外国では、一種のファッションと言うか化粧の一種であるタトゥ(刺青)を禁止していては、観光誘致にはマイナスだと言う意向が芽生えたのであろう。

   さて、私の関心事は、自分自身は、何を目的に海外旅行に行くのであろうかと言うことである。
   若い頃とか、海外には縁のなかった頃なら、このような一般論の答えをした可能性もあるが、1泊以上した外国が45以上にもなって、行きたいところ見たいところへは、かなり行ってしまうと、もう、目的は極めて限定されてくる。
   この表から選べば、8位の日本(私の場合は外国)の歴史・伝統・文化体験しかなく、強いて追加すれば、4位の自然・景勝地観光であろうか。

   今、5~6日海外へ行くならどこに行くかと言われれば、時間的な余裕がないので、オペラハウスのあるニューヨーク、ロンドン、ミラノ、ウィーンでの観劇予定を優先して行き先を選んで、空いた時間を活用して、足の延ばせる歴史的文化遺産を訪れたり、博物館・美術館やミシュランの星付きレストランなどを行脚できたらと思っている。
   もう少し時間的な余裕があれば、まだ行って居ないポーランドやルーマニアや旧ユーゴを訪れて、歴史散歩や観劇三昧の文化的な鑑賞行脚を楽しめたら幸せだと思う。

   まだ、エジプトやイラクなど中東の歴史遺産には縁がないのだが、時代の激しい潮流もあって、何となく関心が薄れて来ているのが不思議である。
   出来れば、旅が億劫になる前に、インドへは、行ってみたいと思っている。

   しかし、今は、何度も行って居たところでも、やはり、ヨーロッパへ行って、どこでも良いので、その土地の歴史や文化の香りを感じながらゆっくりと時間を過ごせたら幸いである。
   仕事や旅の合間に、ふっと、訪れて時間を過ごした、今では、その土地の名前さえも思い出せないヨーロッパの片田舎や古都の街角などの懐かしい思い出が、彷彿と蘇って来て、走馬灯のように脳裏を駆け巡る。

   異国を訪れると言うことは、異文化異文明の環境にどっぷりと浸かって、非日常の感覚を味わうと言うことであろうが、しかし、どこかに日頃の生活に通じた懐かしさ心安さがなければ楽しめないような気がする。
   このような風景はどこかで観たような気がする、このような感じはどこか忘れたが味わったことがあるetc.前に一度来たような気持ちになれば、旅が一層楽しくなる。
   そんな経験を何度もしてきたが、そう思うと、むしろよけいに、新しい土地の印象が鮮烈となるのが不思議である。

   いずれにしろ、一人で外国を歩くことが多かったのだが、特別に緊張を感じたりすることなく、どこへ行っても案外気楽に過ごせたのは、自分には、そんな思いがあったからかもしれないと思っている。
   
   
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国立演芸場・中席・・・歌丸の「怪談乳房榎」

2015年08月15日 | 落語・講談等演芸
   この8月の中席は、歌丸がトリを取るので、毎年、連日満員御礼で、大入り袋がでる。
   これを、桂小南治が、恒例として、これまでの大入り袋を出して、まくらは変わると眠れないと言うのでと言いながら、披露する。
   

   歌丸は、しばらく腸閉塞で病気をしていたと言いながら、いつもと変わらぬ名調子で語っていたが、歩くのが不自由になったと言って、講釈師の使う釈台を前において、語り始めた。
   この日は、歌丸の誕生日だと言うことで、終演後、再び幕が上がって、その日の噺家や芸人たちが一斉に登場して、観客とともに、お祝いをした。
   歌丸の誕生日は、1936年〈昭和11年〉8月14日であるから、79歳である。
   医者から、問題は体重なので太るようにと言われているが、最高は50kg、最低は34kgで、今は、40kg弱だと言う。確かに痩せているが、見かけは非常に元気で、高座で語り始めれば、全く衰えを見せず、元気である。

   さて、この国立演芸場などで、歌丸の語る圓朝の名調子を何回か聞いて感激し続けているのだが、今回の「怪談乳房榎」は、かなり長い話のようで、この噺を、歌丸は、1時間足らずの噺にして、今様の語り部よろしく、切々と情感豊かに、時にはしんみりと語り続けて観客を引きずり込み魅了する。

   大体、歌丸の語った「怪談乳房榎」は、次のような話であった。
   高名な絵師重信に弟子入りした浪人磯貝浪江が、妻のおきせに横恋慕して、重信が、高田の南蔵院本堂の天井画を描くために出かけて留守の時に、子供を殺すと脅して我がものにする。
   浪江は、邪魔になった重信を、下男正介を脅し上げて手下にして、重信を落合の蛍狩りに連れ出させて、落合田島橋で殺害する。
   急を知らせに、正助が寺へ駆け込んだのだが、死んだ筈の重信が、端座して絵に向かっており、雌雄の龍の両眼に筆を入れて署名落款して忽然と消える。
   お関と夫婦になった浪江は、おきせが自分の子を身籠ったので、邪魔になった重信の遺児・真与太郎を、里子に出すとおきせを騙して納得させて、正介に命じて、四谷筈十二社の滝壺に捨てさせる。
   正介が、念仏して真与太郎を滝に投げ込むと、突然、重信の亡霊が現れて、正介に、傍にいる真与太郎を養育して、仇を討つことを命じる。
   正介は、松月院の門番となり,赤塚村白山権現の乳の出る乳房の榎で真与太郎を養育し、5歳の時に仇討ちを果たす。
   一方、おきせの子は死に、おきせの乳に腫物ができるので、浪江が、乳にたまった膿を抜くために小刀で突くが,誤って深く刺して、おきせを殺してしまう。
   
   落語で聞くのは、今回が初めてで、歌舞伎座で、多少異動はあっても、これと殆ど同じストーリーの舞台を、4年前の八月納涼歌舞伎で観ている。
   重信ほか4役早変わりを勘九郎、おきせ(お関)を七之助、浪江を獅童が演じていた。
   その時の観劇記と、昨年、同じ舞台をニューヨークの平成中村座で演じて、辛口評論で有名なニューヨークタイムズで、大好評を博した記事を紹介した。

   落語では珍しく、大詰めで、正介が、真与次郎を滝壺に投げ込む瞬間に、舞台が暗くなって、舞台下手の黒御簾の中から、ドドンと大きな太鼓がなり、歌丸の語りに合わせて、笛と太鼓の下座音楽が伴奏して、ムードを醸し出す。
   
   最後まで、厭かせぬ熱演で、歌丸の凛とした語り口が爽やかで、圓朝の凄さのみならず、語りの芸能としての落語の素晴らしさを、存分に味わわせてくれた。
   何故か、この日の夜の部には、若いカップルの観客が多く、何時ものシルバー一色の客席と違っていたのが興味深かった。
   
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