熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

発明せよ、発明せよ、発明せよ・・・トーマス・フリードマン

2009年06月29日 | 政治・経済・社会
   ニューヨーク・タイムズに、クルーグマンとフリードマンが、コラム欄を持っていて、定期的に興味深い記事を書いていて、電子版で読める。
   今回のフリードマンのコラムは、”Invent,Invent,Invent"と言うタイトルで、アメリカは、現下の経済危機を如何に乗り切るかについて、ロシアで、バレット前インテル会長にインタビューした時の感想を交えて、面白いレポートをしている。

   大恐慌など、経済的危機ほど、企業にとってはチャンスで、マイクロソフトのような会社が生まれるのも、そして、競争相手を蹴散らして超優良企業が群を抜いて台頭して来るのも、リセッションの時である。
   経済社会状況が厳しい時には、人々は、旧弊を廃して、新しくより経済的で廉価なものを追求する。必要は、発明の母である。と言うのである。

   従って、国家は、こんな時こそこの危機を活用して、国民を、より賢く、より革新志向に変えると同時に、新しい財やサービスを創造できるように、積極的に援助や基礎的研究などのサポート体制を確立して、次の繁栄を目指すべきだと説く。

   ここで、将来の繁栄の為にどうすべきか、フリードマンは、アメリカとロシアを対比させながら、面白い議論を展開している。
   アメリカについては、並ぶものなき自由、ベンチャー・キャピタル産業、大学等の研究機関、有能な移民に対する開放等世界に冠たるイノベーション志向の環境が整っており、これらの利点を総合的に活用発揮すべきであると言う。

   一方、ロシアについては、
   経済危機と言う、この千載一遇のチャンスを浪費している。
   本来なら、潤沢な外貨収入のある間に、構造改革を実施して経済を多角化するなど経済成長を画策すべきなのに、石油価格が、30ドルから70ドルに高騰するや否や、その方針を止めてしまった。
   地下資源を国民生活の豊かさの為に掘り起こしてOECD型の国家を目指すべきなのに、OPEC型国家に成り下がろうとしている。と指摘する。

   ザンクト・ペテルブルグの国際展示場での最大のブースは、ロシア輸出額の3分の2を占めて儲けているガスプロムと、その金を貸し込んでいる国営銀行スベルバンクだと揶揄しながら、
   石油価格が35ドルなら、経済の多角化を図るなど改革を実施して成長を図らざるを得なかったのだが、70ドルになると、現在クレムリンを支配している石油KGB同盟(the petoro-old K.G.B.alliannce)の政治的な意思が前面に出て、法と透明性の法則が、支配集団自身の勝手気ままな自由意志と抵触し始めている。と言うのである。
   結局、自由な民間の経済開発意欲を圧殺して、将来の蓄えに心掛けずに、アブク銭を浪費するキリギリスのようだだと言う訳であろうか。
   
   フリードマンは、更に、中国のポルノ情報のセンサー政策Green Dam Youth Escortに触れて、グーグルへのアクセス制限やPCへのポルノ・センサー・システムの繰り込みなどを実施して、実際は、プレイボーイ対策ではなく政治的情報のブロックを画策していると指摘。
   ひとたび、ウエブの検閲を始めれば、人々の自由な発想やイノベーション意欲を圧殺すると警告し、中国人の若者たちに、冒険したければ外国へ行けと言う。

   一寸、前置きが長くなってしまったが、フリードマンが言いたかったのは、このようなことではなく、
   要するに、社会を豊かに前進させるためには、世界中から優秀な頭脳を糾合して、その持てる能力をフル回転して価値あるものを生み出せる環境を整備することが急務だと言うことである。
   
   ロシアのオイル・マネーを批判したが、アメリカも、マネーを印刷出来る特権を、瀕死の恐竜GMやクライスラーを救出するために使うなどで浪費しているのだと、痛烈な皮肉で締め括っている。
   ドルを刷ることばかりに現を抜かし過ぎて、次代のThomas Edison,Bob Noyce,Steve Jobs,Bill Gates,Vint Cerf,Jery Yang,Marc Anderssen,SErgey Brin,Bill Joy and Larry Pageを生み出す努力(mintすること)を怠ってきたのではないかと言うのである。

   蛇足ながら、フリードマンは、世界の頭脳をアメリカに糾合するために齟齬を来たしているグリーン・カードやH-1Bヴィザの改革を説きながら、バレットの次のような頭脳獲得戦略を紹介している。
   世界最高の教育水準志向、基礎科学研究への予算倍増、法人税率の削減、小企業設立容易化へのSOX法の改善、効率的な国民皆保険の実施。

   また、GEのイメルトの演説を引用して、
   今、我々が実施すべきは、新規事業を早急に生み出すために、もっともっと優秀な多くの頭脳に、もっともっと多くのキャピタルをつぎ込むことである。
   今現在こそ、アメリカに永続する価値を生み出すイノベーションを誘発するために、この金融危機という逆境を、逆手にとって、国富の進行と国際競争力の強化を図るべき絶好のチャンスだと言うのである。

   私が、フィラデルフィアで学んでいた1970年代のアメリカも多難であったが、紆余曲折を経ながらも、アメリカは不死鳥のように蘇り成長を続けてきた。
   活力とバイタリティのあるアメリカの底力は侮るべきではないと思うが、何をおいても、アメリカの素晴らしさは、世界中から素晴らしい頭脳を糾合し、イノベーションを追求し続けてきたことだと思っている。
   
   
   
   
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トマト栽培日記・・・(12)スィート・トマト収穫に入る

2009年06月28日 | トマト栽培日記
   先週、色付き始めたスィート・ミニの実がいくらか真っ赤になったので、収穫して食べたが、結構、甘くて上出来であった。
   中玉も大玉も、それなりに色付きはじめて、トマトの木らしくなって来た感じである。
   イエローのキャンドルライト・ミニは、やや、成長が遅く、最初の実が、やっと、色が変わり始めたくらいで、収穫は、来週に持ち越しそうである。

   後から植えたアイコ苗も、上部では花が咲いているが、下の方の実は大分大きくなって来ており、この調子だと、来月中旬頃には収穫できそうである。
   やはり、日当たりが良くて、肥料の配合に気をつけたプランターなどに植えた苗の生長は順調で、しっかりした充実した木に、沢山の実をつけているが、そうでないところの苗は生育が悪く、木がひょろりと間延びしていて、特に、下の方の実付きが悪い。
   花木でびっしりの庭に、空間を探して、トマトのプランターや鉢を置いたので、すべての苗に日当たりの良い条件を与えられなかったのだが、来年には、事前に植え場所などを調整しようと思っている。

   口絵写真は、サンマルツァーノ・ロンドで、綺麗な赤い実を結び始めた。
   やはり、料理用のイタリアン・トマトで、種が少なく果肉がしっかりとしている。
   生のままで食べてみたら、味が、非常に淡白だが、嫌な味ではなく、癖のない爽やかな感触が良い。
   今回は、あくまで、初めてのトマト栽培だったので、試みに植えてみたのだが、本格的に料理に使うのなら、少なくとも、同時に5本くらいは植えないと量を確保できない。
   同じような料理用のデルモンテやサントリーのイタリアン・トマトの木は、実は結び始めたが、まだ、青くて実がかたいので使えない。

   ところで、これまでの試みの中間報告をしたい。
   5番花房下で折れたミニ・トマトの木だが、脇芽が出ないので、連続摘心整枝栽培方法は諦めて、下から収穫を始めた。
   第4番花房には、3本に枝分かれして実がついていたが、その一本の枝が黒変して実がひとつ落ちたので、残念だったが、20個近く実がついていた房の根元からばっさりと切り落とした。
   折れた先を5番花房を着けたまま、小さな植木鉢に挿し木しておいたら、根がついて、5番花房が結実し、寸詰まりの苗の上に、7番花房まで、見え始めてきた。
   本格的な苗木としては、使えるとは思わないが、他の木にダメッジが生じた場合には、スペア苗として活用して見るのも面白いかなあと思ったりしている。

   輪紋病の被害だが、被害を受けたジャンボの木は、4番花房から上は、普通に変わらず、実と花をつけて伸びている。
   実が大きくなって来ているので、収穫できるまでに回復できるかも知れない。
   他のトマトの木に、所々、葉が黄変・黒変し始めると手で摘み取り、枝や幹が変色すると、ダコニール液などを混合した薬剤をスポット散布しており、今のところ、それ以上の拡散はない。

   先週、7番花房で摘心したキャンドルライト(カネコのイエローミニ)は、1.8メートルの支柱をオーバーして伸びたために、強風に6番花房以上は折れたが、立ち上がって元気に伸びているので、庭木に誘引した。
   トマトは、病害虫にさえやられなければ、雑草のように強いのかも知れない。
   

   
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六月大歌舞伎・・・吉右衛門の極付幡随長兵衛

2009年06月27日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今回は、吉右衛門の二度目の幡随長兵衛の舞台である。
   相手の女房お時を芝翫、対決の相手の旗本水野十郎左衛門は仁左衛門で、前回の、玉三郎と菊五郎とでは、印象が随分と違うのに驚いた。
   尤も、これは、團十郎の幡随長兵衛の別の舞台で、菊五郎の水野は同じだったが、藤十郎の女房の場合にも感じたのと同じような異質感と言うか変化を感じたのだが、個性的な大役者によって演じられると、大きく感じ方が変わってくるのが面白い。

   特に、今回私が感じたのは、仁左衛門の水野に対する違和感である。
   太平天国を良いことにして、無頼の限りを働く旗本奴の頭目として男の風上にも置けない下劣極まりないこの水野を、歌舞伎界随一の美男役者である仁左衛門が演じると、これまでの颯爽とした匂いたつような舞台姿とは全く対照的に、颯爽と美しく演じれば演じるほど、悪辣な筋書きだけが浮き彫りになって、実に品性下劣で嫌な奴と言う印象が強烈に前面に押し出されてしまうのである。
   上手いと言えば上手いのではあろうが、この舞台は、幡随長兵衛の男気とその悲劇がメインテーマなら、一方の水野は、実際には、悪辣極まりなく、風格や気品などの片鱗さえなかった筈で、野狐のように小心で姑息な侍なのだろうとは思うが、舞台では、それに対抗する訳であるから、悪は悪なりの重量感と言うか名刀ではなく鉈のような荒削りの魅力があって欲しいのである。
   この水野だが、この幡随院殺害ではお咎めがなかったようだが、やはり、行状悪く幕府の目にあまったのであろうか、別件で後にお咎めを受けて切腹している。

   水野が、懇意にしたいので宴に招きたいと使いの者を寄越したので、長兵衛は、暗殺の企みとは知りながら、女房や子分の止めるのも聞かずに、死を覚悟して水野邸へ乗り込み、結局、風呂場で丸腰裸のまま、水野の槍先を受けて果てる。
   酒宴の途中、勺をする水野の家来が、長兵衛の袴に酒を零して女中たちに誘われて風呂場に行くのだが、家来たちだけでは足らず、同僚の近藤登之助(東蔵)共々水野が風呂場に入って来て、殺戮の修羅場を展開する。
   自邸に誘い込んで、窮鳥を闇討ちにする水野の卑劣さは、やはり、太平に腐りきってしまい、武士道の片鱗さえも失ってしまった侍魂の成れの果てを、任侠の親分である幡随院長兵衛の男気を対比させて、浮き彫りにしたストーリーが面白い。

   ところで、幡随院が、ヒーローかどうかは別にして、やはり、男には、伸るか反るか、負けて自滅すると分っていても、受けて立って戦わなければならない局面に、必ず遭遇する。
   この男の意地と誇りが、あたら大切な人生を棒に振ることになるのだが、上手く避けて無難に生きて行くか、自己満足ながら男の意地を張り通して生きて行くか、最近は、何故か、要領の良い男ばかりが多くなって来たので、女性優位の社会になってしまったのかも知れない。
   桜は散り際がよしとするのが、日本人の美意識であるから、ただでさえ、権力の横暴にも長いものには巻かれろと耐えに耐え抜いてきた庶民にとっては、河竹黙阿弥のこの侠客物語に、人気が出ない筈がない。
   今の世相と相通じるところがあり、政権交代と言う静かな改革が進行することになろうか。

   ところで、長兵衛だが、元侍の口入れ屋、今風に言えば、私設職業紹介所と言うか私設ハローワークの所長と言ったところだが、村のオサ・システムが、社会秩序を統べていた時代であるから、都会地では、この口入れ家業が、庶民の揉め事の処理のみならず、ある意味では、お上に代わって、庶民社会の秩序と平安を維持するための私設法体系ともなっていた。
   長兵衛は、威勢が良いだけではなく、喧嘩っ早い、多少、アウトロー気味のメンバーをも抱え込んだ町奴グループの頭領ということで、侠客の元祖と言う位置づけだが、幕府の禄を食むだけで不労の輩たちの水野の旗本奴とは違って、町奴たちは、夫々生業を持っており真っ当な社会生活を営んでいたので、現在の社会悪とは少し事情が違う。

   しかし、水野の屋敷に乗り込もうとして纏わりつく倅長松(玉太郎)には、この仕事だけはさせるなと女房お時に言い残す。
   切った張ったの修羅場世界を覚悟しての命を賭けての、時には、非条理な世界を、可愛い倅には味わわせたくないと言う親心と同時に、法体系や公的システムだけでは、庶民の安寧を維持出来ない社会への告発でもあるが、真っ当な仕事だとは思っていなかったことだけは事実であろう。

   私のこの芝居に対する思いの片鱗は、以上のとおりだが、吉右衛門の幡随院は、最も、私のイメージに近く、非常に素晴らしい舞台であり、色々なことを考えさせてくれた。
   どこか遠くの方から社会と人生を達観した、骨太で奥の深い淡々とした演技が秀逸である。

   お時の芝翫は、多少、老成し過ぎた感じで、実際は、20代後半か30代前半の若女房なのであるから、もう少し色気と瑞々しさが欲しかったのだが、これも、頂点を極めた最高の女形のひとつの形だと思って鑑賞させて貰った。
   唐犬権兵衛の梅玉の格好良さ、出尻清兵衛の歌六のひょうきんさ、近藤登之助の東蔵の腰巾着のような卑劣さ等々、それに、豪華な若手を揃えた子分衆など、脇役にも人を得て非常に充実した素晴らしい舞台であった。
    

   
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三菱UFJフィナンシャル・グループ株主総会

2009年06月26日 | 経営・ビジネス
   大量の不良債権処理や株式評価損計上で大赤字の上に、三菱UFJ証券の元社員が大量の顧客情報の漏洩で警視庁に逮捕されたと言う十字架を背負った三菱UFJFGの株主総会が、武道館で開かれた。
   株主総会集中日の余波で、三井住友とみずほに行けなかったので、この総会が、私にとっては唯一のメガバンクの総会出席だったが、思ったほど、マスコミの関心は強くなく、会場入り口には、カメラマンがちらほらで、株主の反応も至って冷ややかで、無難に終了と言うところであった。

   株主から苦言が呈されたが、この会場の音響効果は劣悪で、昨年は平土間で聞いたのだが良く聞こえず、今回は、1階スタンド中央に居たのでまずまずだったが、とにかく、大群衆相手に大変なボリュームで派手なコンサートを繰り広げる会場としては、最高かも知れないが、みずほの東京フォーラム会場を見習えと言いたい。
   畔柳社長が、会場として最適かどうか、徹底的に調べたと防戦していたが、一時が万事で、この程度の調査しか出来ない三菱UFJだから、与信業務の徹底などは無理で、不良債権の縮小など望み薄かも知れない。

   まず、連結当期純利益の2569億円の赤字だが、原因の主なものは、与信コスト増6000億円、株式評価損4000億円で、問題のサブプライム関連の損失は2700億円と言うことであった。
   不良債権の処理、株式評価損が主体の赤字であり、この世界的な経済恐慌状態の中での欠損であるから、特に、三菱UFJが経営の失策を演じたと言うわけではないと思うが、言い換えれば、三菱UFJも、並みの普通の銀行にしか過ぎないと言うことでもあろうか。

   さて、問題の証券会社の個人情報漏洩問題だが、謝ったのは、司会の畔柳社長と秋草史幸三菱UFJ証券社長だけで、株主の質問も散発で、最後に被害者と称する株主が、会社が如何に他人行儀で事務的な対応に終始していたかを語っていただけだし、要するに、何時もの事だと言う諦めムードで終わった。
   私が気になったのは、秋草社長の説明で、個人情報の漏洩対策などリスク管理については万全を期していたが、ルール通りの運用に抜かりがあったと説明した後に、今後の対策として、第三者の専門家などを糾合した特別委員会などの設置は良いとしても、情報へのアクセスを二人体勢にするとか部長の了解を取るとかを徹底したいと言っていたことで、何を今更と言う気持ちと、大三菱が、この程度さえ出来ずに個人情報保護対策などリスク管理をやっていたのかと言う驚きであった。

   三菱UFJも、何か分らない沢山の金融機関や会社を合併吸収・子会社化して大グループになってしまって、行員・社員の質の劣化が激しくなったとOBが嘆いていたが、所詮、組織は組織で、システムをいくら完璧にしても、社員の質とモラルをアップしない限り不祥事は根絶出来ない。

   もうひとつの株主の関心は、モルガン・スタンレーとのグローバルベースでのアライアンスについての銀行の対応だが、待ち構えていたように立て板に水のバラ色の展望を滔々と語っていたが、質問者の一人が米銀の経験者で、カルチュアの違うMSと上手くやれるのかどうか、言い換えれば、三菱UFJが、MSを上手くコントロールしてアライアンスの実を上げられる能力と自信があるのかとどうかと、冷や水をぶっ掛けていたのが興味深かった。

   総崩れでアメリカ資本主義を窮地に追い込んだ元凶であったとしても、かってのアメリカの投資銀行の卓越性は論を待たず、とにかく、グローバル金融市場でトップ・グループに躍り出たい三菱UFJに取っては、万難を排してでも取得したかったカードであり、永易克典三菱UFJ銀行頭取の説明を聞いていても、グローバルベースでの最高級のONE STOP SHOPINGを実現すべく、総合的な金融機関を目指しての熱烈な希求は並ではないと言う感じであった。

   このコングロマリットへの道が良いのかどうかは、これまで、何度も、経営学では紆余曲折を経ながら議論されてきた問題ではあるが、総合化が進んで行く一方、グローバルベースでの急速な専門化が進んで行く兆候も垣間見え初めてもいるので、大きくなればなって行くほど、経営が難しくなってくる。
   金融機関にも、選択と集中議論はある筈で、総合好みの日本人には、三菱UFJの戦略は魅力的ではあろうが、ダイナソーになってしまう危険性が極めて大きいと思っている。

   株主から、独立していた個々の会社であった時には、その会社独特の個性と魅力があったが、三菱UFJ傘下に入ってからは、コントロールが利いた所為か、全く魅力がなくなり、取引を他社に鞍替えしたと発言があった。

   また、優良な中小企業の経営者なのであろう、三菱UFJから融資を受けて滞りなく返済を続けて完済した優良な取引会社である筈なのに、財務管理関連などの会社資料を提出せよと催促されているが、信用しないのかと苦言を呈していた。
   JALカード関連で、私にも、三菱UFJニコスから、もう20年以上も問題なく過ごしているのに、源泉徴収表など年収確認書を送れとダイレクトメールが来ている。(複数のカードを持っているが、こんな要求をするのは、この会社だけである。念のため)
   個人情報垂れ流しで世間を騒がせているグループの会社だから、自己防衛の為にも、また、痛くも痒くもないので、応えないつもりだが、どうも、三菱UFJは、全社的に、顧客の実績や信用を一切無視して、機械的に、リスク管理とかの名目で、こんな業務を推進しているのであろうか。
   先の株主に対して、お客様の状況を正しく把握して、お客様に合った更なるサービスの向上の為の情報収集だと、執行役員が、厚顔無恥とも言うべき詭弁を弄していたが、ものも言い様である。
   グローバル・ベースのコングロマリット戦略が、大男総身に知恵がまわりかね で齟齬をきたし始めている。
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日本の美術館名品展~東京都美術館

2009年06月25日 | 展覧会・展示会
   上野の東京都美術館で、美連協25周年記念展と銘打って、「日本の美術館名品展」が開かれている。
   美の競演 公立100館のコレクション と言うことで、大変な肝いりだが、目玉商品と言うか、特別に有名な作品がある訳でもないので、土日祭日などは分らないが、人の入りはまずまずで、時間帯に関係なく、そんなに見られないほど混んではいない。
   私自身は、美術全集などに出てくるような欧米の代表的な美術館・博物館や、かなり大きな地方都市の美術館などには行っており、結構素晴らしい美術鑑賞の機会を持っているので、日本人画家などの作品は当然力作揃いで立派だと思うが、やはり、西洋画などでの日本の美術館の収集作品には、貧弱と言うと語弊があるかも知れないが無理があると言うのが正直なところの感想である。
   、
   この口絵写真は、美術展のビラの写真をデジカメで撮ってコピーしたものだが、めがねをかけたおかっぱ頭のひょうきんな表情で知られているレオナルド・フジタの「私の夢」と言う作品である。
   画面中央には、大きく、どちらかと言えば、色気にやや欠けるが、すっきりした乳白色の美しい姿態のヌードを据えて、その回りを衣服を着た動物たちが取り囲んで、何かを語り合っている不思議な絵である。

   私は、高山寺にある鳥羽僧正の鳥獣戯画を思い出して、フジタが何を語ろうとしたのか、その物語を聞いてみようと思って、色々想像を巡らしながら、暫く、絵の前に佇んでいた。
   フジタは、猫が好きだったと言うのだが、回りに描かれている動物は、猫以外に、犬、狼、狐、ウサギ、猿、ネズミなどの哺乳類に加えて、ふくろうやはとなどの鳥類まで、克明に描かれている。姿は、擬人化しているが、表情は、写真と紛うほどの正確さで、たとえば、狼とウサギ、猫と猿たちの対話姿を見ているだけでも、何をしゃべっているのか彷彿として大いに楽しいのである。
   
   隣に、はるかに大きなフジタの「アントワープ港の眺め」と言うだまし絵のような不思議な風景画が展示されている。
   くすんだモノトーン基調の平板な絵で、聖堂などのある中世のアントワープの町並みが描かれていて、手前の岸壁の先の水から又岸壁が始まり、水と岸が入り混じった境界の定かではない絵で、それが、一寸目には、全く不思議に見えないのである。

   真冬時のリア王の世界のようにどんよりとした暗い日のアントワープの印象は、このフジタの絵のように陰鬱だが、ダイヤモンドで有名な風格のあるベルギーの商都・大港町で、気候の良い時には、結構、楽しめる観光都市でもある。
   最初に訪れた時には、あのフランダースの犬の貧しいネロが、憧れ続けてやっと辿り着いて、その前で犬を抱きしめて安らかに息を引き取るルーベンスのキリストを描いた素晴らしい三連祭壇画のある、聖母大聖堂へ、真っ先に行ったのだが、ステンドグラスの光を受けた明るい堂内の美しさは格別であった。
   オランダに暫く住んでいたので、ベルギーはお馴染みだが、フジタの絵を見ながら、暗い冬のヨーロッパを思い出して懐かしかしくなった。

   次に印象的だったのは、シャガールの「オルジェバルの夜」。
   コバルトブルーとダークブルーの青色基調に黄色と赤の鮮やかな色を配して実に美しいカラー空間を現出して、幻想的な絵を描くシャガールの典型的な絵だが、
   画面下には、横たわった白衣のウエディング・ドレスの花嫁を上から優しく抱きかかえる正装の花婿が描かれ、その背後の教会のシルエットの上空には天使が漂って祝福している。
   中空に花やバイオリンなどが浮かんでいるのも、いつものシャガールのモチーフだが、何故、このように青や赤などの原色を基調にして、陰鬱な大地に育ったロシア系ユダヤ人のシャガールが、こんなに美しい絵を描けるのか、そう思いながら、随分、多くのシャガールを見続けてきたような気がする。

   隣に、シャガールの「山羊を抱く男」が掲げられている。
   あの、「屋根の上のバイオリン弾き」のテヴィエそっくりの男が山羊を抱いている肖像画であるが、似ているのも当然で、あの1960年代にニューヨークを席巻したミュージカルは、ユダヤ人虐殺に抗して屋根の上でバイオリンを弾いていたという男を描いたシャガールの絵にヒントを得て出来上がったのだから、元祖はシャガール、当然である。
   私のシャガールは、何と言っても、古いパリのオペラ座の壮大な丸天井に描かれているシャガール、そして、ニューヨークのメトロポリタン・オペラ・ハウスの正面ロビーの左右両翼の壁面に描かれている壮大な壁画のシャガールである。
   
   びっくりしたのは、イヴ・クラインの「人体測定ANT66」。
   大きな白いキャンバスの上に、躍動感溢れるポーズを取った生きた4体のヌード(女性)を配して、上から、クラインブルーの顔料を吹き付けて、体の形を画面に拓本のように写すと言う手法の絵で、決して美しい絵ではないが、強烈な印象を拭えないほど迫力がある。
   筆を使ったとも思えないので、体をすり付けたり陰毛を使ったりしてのボディ・タッチ手法の描画が、更に迫力を増していると言えようか。

   一つ一つ、じっくり鑑賞すれば、面白いのであろうが、暗いところで、まして、人ごみに中なので、早々に退出した。
   いずれにしろ、コメントは省略したが、日本画には、素晴らしい作品があり、存分に楽しませて貰った事を付記しておきたい。
   
   
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最近の店頭でのベストセラー雑感

2009年06月24日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   私は、どこか何時もと違った所に行くと、必ず、その街の大きな書店を探して行くことにしている。
   昨日は、日産自動車の株主総会の後、みなとみらいの有信堂書店に立ち寄った。ビルの最上階にあるのだが、昼時で、併設の文具店でセールをしていた所為か、かなりの客が居た。
   書店には、その店の顔とも言うべきディスプレーに特色があって、店頭に最初に入った時の印象で、どんな本が並んでいるのか、大体分るのだが、場所柄か、ここでは、私の専門の経済や経営関係の本は、完全に、最後尾の書棚に追いやられていた。

   興味深いのは、やはり、ここにも、現在、特に若者たちに圧倒的な人気のある茂木健一郎氏と勝間和代さんの関連本を一堂に集めたコーナー(この口絵写真)があって、ベストセラーの一角を占めていることが良く分かる。
   私は、茂木氏の講演会を聞いたり著作を読む機会がかなりあるので、最近では、多少新鮮さに欠けて来ているのだが、経済学そのものが、心理学と言うか人間の感情と言った感性を重視したあいまいさなどを意識した方向を志向し始めているので、結構教えられることが多い。

   勝間さんの講演は一度だけ聞く機会があったのだが、やはり、今を時めく大した才媛だと思いながらうっとりと聞いていた。
   当日、会場に入れなかった若い男女が、外の廊下やロビーに沢山集まって外付けのスピーカーを熱心に聞き込んでいたのにはびっくりした。
   私自身、勝間さんの本は、書店での立ち読みくらいで、まともに対峙していないので分らないが、どちらかと言えば、投資や経理会計、経営分析と言った感じの実利と直結した著作などが多いようだし、学問としての経済学や経営学については私の方が年季が入っていると思っているので、一寸、今の勝間さんの著作には食指が動かない。

   茂木氏の本も、勝間さんの本も、どちらかと言えば、ハウツーものに近い本が多い感じがするので、その意味からもあまり近づきがない。
   私自身、どんなことでもそうだが、非常に奥が深いと思っているので、昔から、簡便なアタック法やマスター術を伝授すると言った本や、ハウツーものを信用していないと言う所為もあってか、あるいは、歳の所為か、今更、努力して上達しても仕方がないと言う気がしているからかも知れない。
   早分かり経済学、1週間でマスター出来る××習熟法、サルでも分る○○学とかと言った類の本を書店で良く見るが、書く方も書く方だが、出版社も出版社で、また、これを買う人がいると言うのだから呆れざるを得ない。

   先日、神保町の三省堂本店の経済・経営書コーナーに行ったら、流石にサブプライム関連本は陰を潜めたが、やはり、まだ、クルーグマンなどの資本主義の崩壊や経済危機関連本が、かなりの平済みコーナーを占めている。
   これまでの傾向から言って、私の場合には、さしずめ、最近出たトーマス・フリードマンの「グリーン革命」や、プラハラードの「イノベーションの新時代」、ジョージ・ソロスの「ソロスは警告する2009」などに触手を伸ばすのだが、今回は、一寸、道草をして、ジャック・アタリの「21世紀の歴史」、アカロフとシラーの「アニマルスピリット」、ラリー・エリオット他の「市場原理主義の害毒 イギリスからの眺め」から、読み始めることにした。

   別のコーナーには、先のフリードマンの本やオバマのグリーン・ニュー・ディールを扱った本などを集めた地球環境問題を、グリーンの視点からアプローチした本を集めてディスプレィされていた。
   その前には、確か、リーダーシップ特集であったのを、ジョセフ・ナイの本がなかったので、覚えている。

   メインの経済関連書棚において、やはり、オバマの著作やオバマおよびアメリカ関連本が大きな比重を占めていて、それに続いて、中国、ロシア、インドなどBRIC’s関連本が沢山並べられているのだが、同じBRIC’sでも、名実共に日本人に取って遠い国ブラジルの本はない。
   中国本では、中国に対して好意的な本と将来を危ぶむ悲観的な本が両方並んでいるのが面白い。

   八重洲ブックセンターでは、GMやトヨタなど自動車会社関連の棚があり、何を思ったのか、GMの最盛期のTOPであったスローンJrの「GMとともに」が並んでいたのを見て非常に懐かしさを感じた。
   この書店の2階入り口の経済書関連の特集コーナーは、クルーグマンの「世界不況からの脱出」のパネルと、日経ヴェリタスの一面「米国夜明け前の苦闘」を並べて、経済恐慌関連本やアメリカ、オバマ、グリーンに縁のある本がディスプレィされていた。
   ここにも、先のジャック・アタリの本と、アニマルスピリットが並んでいた。
   結局、この書店では、世界大恐慌で始動したアメリカの地すべり的変化の兆しをばねにして、世界的な歴史の変動を見極めたいと言った願望をテーマにしているのであろうか。
   
   全般的に、やはり、時節を繁栄してか、株や投資関連の本が、後退している感じなのが面白い。
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日産自動車定時株主総会

2009年06月23日 | 経営・ビジネス
   千葉の片田舎からは、会場のパシフィコ横浜は遠い。日産自動車の定時株主総会の会場に着いたのは25分遅れで、会社の事業報告などは終わっており、カルロス・ゴーンCEOの演説も終盤にかかっていて、実際のところは、何も分らないのだが、2時間の株主と会社との質疑応答でもある程度の問題点は、理解できるので、この視点から、日産の総会での印象などをコメントしたい。

   まず、最初の問題は、大幅赤字に転落したことに対して、経営責任をどう感じるているのかと言う質問、そして、それにも拘らず25億円(一人平均2.8億円)と言う巨額の役員報酬を支払って、無配にするとは何事だと言う疑問である。

   経営責任については、業績の結果は総て経営者の責任であることは間違いないが、今回の世界的な大不況については、誰もこれ程までとは予想がつかなかったし、世紀に一度と言う悪環境に遭遇して絶好調の会社でも赤字を計上するなど、経営の失敗ではなく経営努力を超えた非常事態であったとして、責任論を回避した。
   このブログでも批判したが、巷の経済学者などでさえ、今回の未曾有のグローバル・ベースでの大恐慌(?)には極めて甘く、何度も底を打ったとか回復に向かっているとか臆面もなく楽観論を展開していたので、楽観視したい会社の経営者としては、このような考え方も当然かも知れないが、しかし、カルロス・ゴーンCEOには、他の自動車会社の経営者と違って、早くから、自動車産業を襲う過酷な実体経済の悪化は見えていた筈で、そのことについて何度もメディアに言及していた。

   したがって、無配についても、フリー・キャッシュフローが、ゼロになったので、将来のためにも、銀行から借り入れて配当するよりも、出来るだけ早く利益基調にして、フリー・キャッシュフローをプラスにする方が良いと考えて、残念ではあるが、無配と言う苦渋の決断をしたと語った。
   これまで、あれだけ声高に、高率配当は、日産経営陣のコミットメントだと大見得を切って株主に固い約束を宣言し続けていたカルロス・ゴーンが、豹変するのは、やはり、業績の悪化は、大恐慌と言う不可抗力の所為で、自分たち経営者の責任ではないと言う認識がある。

   株主が頭に来た役員の高額報酬だが、これは、前年度の業績に基づいて報酬額が決まっており、2007年度の業績が良かったので、それに連動して2008年度支払いの役員報酬額が高くなったのだと説明した。
   このあたりの対応だが、年度始めに全額支給する筈がないと思うので、日本人のトップなら、業績が急激に悪化した期中には、多少遠慮してでも支払いをダウンする筈なのだろうが、アメリカのAIGなどと同じように、契約・規則だからとして払ってしまうのは、やはり、ゴーン流経営と言うことであろうか。

   日産経営陣への高額報酬については、毎回、株主の疑義を呼んでいるのだが、日本の水準から言えば高いかもしれないが、世界の同程度の同業者を比較すれば、日産の水準は真ん中くらいで決して高くはないとして、今年度の役員報酬は大幅にダウンすると説明した。
   役員個人別の報酬開示については、ルノーでは実施しているが、日本も開示義務が生じれば開示すると付け加えていた。

   以上、経営責任や利益処分などの日産経営には、レバシリ・オリジンでブラジル人であるカルロス・ゴーンの冷徹な経営哲学が見え隠れしていて興味深い。

   もうひとつ、些細なことだが、「例年開催しております株主総会終了後の株主懇談会は、現下の経営環境等に鑑み、本年はその開催を見送らせていただきます。」と言う件について、株主から、かなり失望と言うか批判が出ていた。
   やはり、株主にとっては、あのカルロス・ゴーンに、同じフロアーで身近に接しながら話を聞けるなどと言った夫々の思い入れがあり、株主だけとは言え、日産との特別なインターフェースの場なのであろう。

   私は、この懇親会の場は、日産経営陣にとって、最も日産を愛する最も熱烈なシンパである日産ファンとの最も重要な遭遇の場であり、これ以上に重要なカスタマー・コミュニケーション、あるいは、IRの場ははないと思うのだが、日本流の「この時勢だから」と言う慮りか、あるいは、ゴーン流のコスト・カッター意識が優先したのかは知らないが、賢くない会社だと思った。
   コストが、1000万円かかるのか、2000万円かかるのか、大したことではないと思うし、年度末に、不用意な経営者の高額報酬を、ほんの僅か抑えれば、捻出できた金額ではある。

   ところで、問題のハイブリッド車で遅れを取って、ゼロエミッションを掲げて電気自動に全精力を傾注している日産の経営戦略だが、これについても、ゴーンCEOや技術トップが熱っぽく語っていた。
   
   まず、ハイブリッド車については、株主から、トヨタのプリウスやホンダのインサイトなどの猛烈な売り上げ増加に対して、電気自動車の量産体勢に入るのは2012年だとすると、その間、売り物のない日産はどうするのだと言う危機感が提起された。
   これに対して、志賀COOから、ハイブリッド車がなくても、日産が如何に成功裏に生産販売戦略を有利に展開して、競争会社に打ち勝つかを、滔々と熱弁を振るったが、株主は、どうせ負け犬の遠吠えと、役員の説明後には適当に拍手していたのに、完全にしらけきって無視、何の反応もなかった。
   ゴーンCEOは、以前株主にハイブリッドの将来性について聞かれてシェアを5%と答えたが、間違いであったとして、日本は6%に達しているが、米国2.3%、ヨーロッパ0.21%、中国0.02%で、平均1.1%で決して思ったほど伸びていないと強調していた。
   いずれにしろ、日産は、ハイブリッド車戦略は、完全に放棄している。

   問題は、ゼロエミッションを旗頭に、果敢に電気自動車に挑む日産の経営戦略について、ハイブリッド車か電気自動車かと言う考え方は間違っていて、ハイブリッド車のように内燃機関車の改良ではなくて、電気自動車は、ゼロエミッションを目指した全くジャンルの違った新しい革命的な車なのだと、ゴーンCEOは強調した。
   ゼロエミッション、電気自動車で、日産は、世界のリーダーになりたいと高らかに宣言しているが、株主総会後の記者会見では、2012年度には、従来車並の価格で量産して、日米を皮切りに拡販体制に入るのだと明らかにしたと言う。
   現在、実車はないが、コンセプトの違った3機種同時に開発中で、近く、ブランド名を決めて、一車種を公表するつもりだと言う。
   技術陣からは、巷で言われているような電池交換方式ではなく、プラグイン方式と急速充電方式で対応すると説明があった。

   私自身は、ハイブリッド車は、過渡期の一時的な車であって寿命は短く、この破壊的イノベーションである電気自動車は、日産が従来車と同等の価格で拡販するとなると、一気に、電気自動車に需要が移ってブレイクスルーすると思っている。
   トヨタやホンダが、指をくわえている筈がないと思うが、市場を占拠して繁栄を謳歌している企業が、一気に崩壊に追い込まれるのが、破壊的イノベーションの炸裂パワー創造的破壊の凄まじさであるのは歴史が証明している。

   当分の間は、日産の株は上がらないが、2年後にはおお化けすると考えられないであろうか。
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真保裕一著「アマルフィ」~映画公開前に読む

2009年06月22日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   先日、映画館で、「真夏のオリオン」を見た時、「アマルフィ」と言う全編イタリア・ロケを敢行したと言う映画のビラを見たので、久しぶりに懐かしい風景を見られると思っていたら、偶々、この本が書店で目に付いたので、衝動買いして読んでみた。
   娘たちは、アガサ・クリスティや横溝正史などが好きで、本や映画で親しんでいるが、私自身は、推理小説とかサスペンスなどと言ったジャンルには縁遠く、まず、松本清張以外は読んだ記憶はないのだが、日ごろ読んでいるどちらかと言えば集中と努力を要する本と違って、気楽にストレートに読めたので、結構、面白かった。

   主題は、チェチェン紛争に絡む話で、法王を訪問するロシアの外務大臣を、ヴァチカン宮殿で暗殺しようとたくらむ二人の関係者が、ローマを訪れた日本人母娘をターゲットに9歳の娘を誘拐するところから始まるのだが、非常に緻密かつ周到に準備された計画の遂行を、謎解きをしながら日本人外交官と被害者の母が追いかける、畳掛けるような迫力をサスペンス・タッチで展開していて心地よい。

   イギリス人だが、チェチェン人のジャーナリストであった妻がロシア取材中に暗殺され娘も後追い自殺した恨みを持つ英国の大銀行のEU統括部長が、日本の外務大臣訪伊のタイミングを利用するために、同銀行のキャリア・ウーマンのローマ訪問を利用して、日本を巻き込む。
   これに、セキュリティ会社の臨時社員として潜り込んで妻の敵討ちを狙うチェチェン人と、チェチェンへの日本の歯牙にもかけない冷たい態度に憤りを感じる日本人女性が加わって、ロシア外相襲撃を画策して行く。

   この小説では、警備監視体勢が重要な役割を果たすのだが、イタリア随一のミネルヴァ・セキュリティ(警備会社)の監視カメラ映像のコントロール・システムを破壊しようとしたり、日本の外務大臣の訪伊を絡ませて大使館を狙って囮事件を起こしたり、大統領のオペラ座訪問に保安警備を向けさせてカモフラージュするなどして、バチカン襲撃への伏線としていて、イタリア警察、日本大使館の役人、イタリア人などの気質を浮き彫りにしながら、随所に異表を突いた筆捌きで活写しており、それが、実に、見事で面白い。
   筋書きとしては、そんなに偶然が重なって上手く行く筈がないと言った無理が、多少ないではないが、ロシアやチェチェンの宗教事情を絡ませたり、インターネットを使った犯人からの指示や資料収集検索、それに、厳重な監視体制下にあるセキュリティの心臓部のコンピューター・センターでのICT知識の開陳など、カレント・トピックスも豊かである。

   面白いのは、犯人二人が、セキュリティ会社とヴァチカン衛兵の制服を二重着して、ヴァチカンから法王に見送られて退出するために走らせることになっている、ヴァチカン専用列車をハイジャックして、ヴァチカンに潜り込もうと画策するところなどは、9.11事件で、アラブ人たちが、ジェット機をハイジャックしてワールド・トレイド・センター・ビルに突っ込んだ事件を髣髴とさせて面白い。

   この小説は、チェチェン人たちがロシア外相を殺めようとする事件を主題にしたサスペンス劇でありながら、暗い印象を持たずに読めるのは、作者が、犯人たちは、決して悪いことをしているのではなく正義のために罪を犯そうとしているのだと捉えて書いている為で、統括部長が、最後に、部下である母親に宛てた手紙に、「娘さんが成長したなら、なぜ誘拐されねばならなかったのかを、ぜひ君の口から語ってやってほしい。君の娘ならば、必ず我々の思いを受け止めてくれる、と私は信じている。」言わしめている。

   ところで、アマルフィだが、そばまで行ったのだけれど、ローマからのバスツアーだったので、残念ながら、時間を取れなかった。
   陣内秀信教授の「イタリア海洋都市の精神」で、海洋4大都市のひとつとして、ヴェネツィア、ピサ、ジェノヴァと共に、斜面の迷宮都市として興味深く書かれているのを読み、また、NHKBSでも何度も放映されていたのを見て、ぜひ、行きたいと思っている。
   アマルフィは、他のイタリア海洋都市と比べても、ビザンツ、アラブ・イスラム世界の影響の強い文明の十字路のような様相を呈したところで、あのイスタンブールやグラナダなどのように、人々を魅了するような文化の衝突・融合によるサプライズがあるのであろう。

   この小説は、当初のプロットで書き上げられているので、実際の映画とは少し違っていると言うことらしい。
   
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トマト栽培日記・・・(11)ミニトマトが色付き始めた

2009年06月21日 | トマト栽培日記
   先週、対策に苦慮して慌てたトマト輪紋病による被害だが、ダコニールとベンレートの薬剤散布が利いたのか、どうにか、急速だった病気の進行が止まった。
   被害を受けたジャンボ苗の第三花房以下の実と葉は、切り取ってしまったので丸裸だが、その上の方は元気なので、痛んだ木が何処まで持つのか、薬剤散布を続けながら、様子を見ようと思っている。
   隣のジャンボ苗も、注意深くチェックして行けば、生き長らえそうである。
   他の木の幹や葉などに斑点状についている病気については、スポット観察を続けて、切り取ったり薬剤散布で乗り切ろうと考えている。

   最初から定点観測を続けているスィート・ミニの第1花房の実が口絵写真のように少し色付き始めた。
   もう一本のミニトマトやサンマルツァーノ・ロンドの実も同じように色付いている。

   イエローミニの木だが、既に背丈が2メートルを超えたが、他のミニトマトより実付きが少ないので、体力があると思って、第7花房の上の葉2枚上で摘心した。
   枝に実を付けながら、ほぼ75度くらいの角度で天に向かった直立しているために、雨に打たれて枝が折れたので、紐で主柱に括り付けてサポートした。
   梅雨の長雨による悪影響が心配ではあるが、この調子だと、カネコ種苗のスィート・トマトの苗木5本は、病虫害の被害をどうにか避けて生き抜いて、2~3週間後からは、幾ばくかの収穫が期待出来そうな気がする。

   サカタのアイコ苗の方は、結実して実が少しずつ大きくなり始めた。
   第3花房まで出ており、カネコ苗ほどではないが、花付きも順調な感じで、1ヶ月遅れ程度で追っかけられそうである。
   種を蒔いて育苗してきたので、その後、他のアイコ苗も、数本プランターや路地植えをしたのだが、育苗の段階で失敗して貧弱な徒長苗を作ってしまい、それがひびいて、背丈ばかり高いひょろっとした木になってしまっている。
   こうなると、花付きも悪くなり、葉を3枚置いてその上に出る筈の花房も出ず、廃却しようと思ったが、先の方が順調なので、折角植えたのだし、しばらくそのまま、様子を見ようと思っている。

   ところで、デルモンテとサントリーのイタリアン・トマト系の苗だが、サントリーの方が特殊過ぎるのか成長が遅いような気がするものの、花付き、実付きとも、問題なく順調に育っている感じである。
   デルモンテの苗で、買った時から二股に枝分かれしていたのが2本あったのだが、これらは、そのまま2本仕立てで育てることにしている。
   追加で補助的に栽培しているトマトであるから、勉強のためにと言う気楽さが良い。

   今回のトマト栽培での教訓だが、やはり、素人は、園芸店で、しっかりした良質の苗を買ってきて、野菜用にブレンドされた良質の配合用土に植えつけるのが、一番無難であると言うことである。
   願わくば、日照りの良い戸外で、雨を遮断できるビニール製の覆いでもあれば、というところであろうか。
   園芸店には、4月初旬頃から6月始め頃まで、色々な種類や銘柄のトマト苗が、入れ替わり立ち代り売り出されていて、目移りがして選択に迷うのだが、病虫害などに強いオーソドックスな苗を選ぶのが一番良さそうな気がしている。
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ソニー定時株主総会・・・普通の会社になってしまった

2009年06月20日 | 経営・ビジネス
   ソニーの例年通りのマンモス総会が、品川の某ホテルで開かれたので、二年ぶりに出かけた。
   今回は、中鉢氏が一線を引き、ストリンガー一人体制になったので、多少の変化を期待して出かけたのだが、全く、新鮮さも迫力もなく、歌を忘れたカナリア・ソニーが、益々普通の会社になってしまったと言う悲哀を感じただけであった。
   おもちゃ会社に投資をした覚えはないと、語気を強めてソニー経営陣の体たらくをを詰問していた株主が居たが、言い得て妙である。

   まず、業績だが、ストリンガー社長は、世界的な大経済不況と商品のコモディティ化の進展と言う未曾有の経営環境の変化に抗し切れずに大幅赤字を計上したと言うのだが、前年、TVのBRAVIAなどの好調で黒字を計上したので、それが大きく逆転したと言うことであろう。
   しかし、エレクトロニクス技術の深追いばかりしていて、何の魅力も特色もない並みの、まさに、コモディティのコモディティたる由縁とも言うべきコンシューマー・エレクトロニクス製品ばかりを生産して販売していて、今更、コモディティ化の進展などと言えた義理ではない筈である。 

   ストリンガー会長は、ソニーは、一世を風靡したイノヴェーションのチャンピオンであったし、あらゆる努力を傾注してそのDNA発露にまい進すると熱っぽく決意を語ったが、胸を張って指摘したかってのチャンピオン製品は、ウォーマン、プレイステーション、VAIOの3つであった。
   しかし、この3つとも、現在では、悉く、競争会社に打ち砕かれて惨憺たる状態であるにも拘わらず、見殺しに近い体たらくの状態であることを分って言っているのであろうか。
   
   スマイルカーブの中間にあるVAIOは、須らく、マイクロソフトやインテル、そして、ITソフト会社に利益を持って行かれ、日本企業間の熾烈な競争に新興国業者の追い討ちが加わり、いくら生産しても利益は期待薄である。
   プレイステーションは、iPodにコテンパンにやられ、また、ゲーム機は、任天堂に凌駕されてしまっているのは、ソニーの得意とする製品技術イノベーションでの競争ではなく、全く別な土俵であるコンセプトやビジネスモデルで完全に敗北していると言うソニーの経営戦略の失敗を矯正できずに何年も手を拱いてきた。
   TVやビデオなどは、更に、コモディティ化の著しい商品で、先の世界同時好況の時のような恵まれた環境では利益が出ても、とにかく、品質が良くて一円でも安いものが求められている今日の経営環境では、高品質志向で重装備のソニーに利益が叩きだせる筈がないのに、コアビジネスとして70%近くの勢力を費やしている。

   ソニーが、イノベーションのチャンピオンとして一世を風靡して、世界市場で脚光を浴びて来たのは、誰も手をつけなかったトランジスターに社運をかけてコンシューマー・エレクトロニクスに取り入れて生み出した携帯ラジオや携帯テレビ、それに、ウォークマンなど、無消費者の市場であるブルーオーシャンの開拓を目指して破壊的イノベーションを追求して来たからである。
   しかし、今や、このブルーオーシャンを目指した破壊的イノベーションを忘れて歌を忘れたカナリアと成り果ててしまったのみならず、必ず競争者のある商品の製造販売ばかりをコアビジネスにして、それも、ダントツの一位を取れない低迷状態が続いている。
   スライウォツキーが言う、ダブルベッディングのような生易しい戦略の失敗ではない。

   今回、アップルや任天堂を意識した商品開発を企図して、ソフト・ハード部門を融合したネットワークに繋がる製品の開発を目指して、デザインや商品開発部門を新設強化したようだが、完全に自由な発想で解き放つのなら良いが、どうせ、世界に冠たるソニー技術者の世界の拡大に過ぎないのではないかと思う。
   今、ソニーに必要なのは、トランジスターの開発や小型テープレコーダーに命をかけ、ウォークマンを発想した井深さんや盛田さんのような夢を追う芸術家や夢想家のような無から有を生む人で、エンジニアやMBAではなく、MFA(Master of Fine Arts)ではないかと思う。
   今のソニー商品に特別魅力がある訳ではないので、根っからのソニーファンであった私でさえ、TVとブルーレイ・ビデオレコーダーは、PANASONICに乗り換えてしまった。

   このようなソニーのイノベーション戦略の蹉跌については、私自身、馬鹿の一つ覚えのように、何度も鸚鵡返しをしているので、これで止める。
   ストリンガー会長も、余程、アップルに、iPodで負けたことが悔しかったのであろう、今回も、そのために、ソフトとハードを融合した消費者のニーズに沿ったコンセプトの商品の開発に努めて、絶対に負けないと意気込んで、大幅に組織改革を行って、中鉢社長を外して、部門長と直結した組織にした。
   補佐の中鉢副会長に、大根田CFOと二つのコア・ビジネスのトップを加えた4人を直接コントロールすると言う体制のようだが、果たして、現場コンタクトの希薄なストリンガー経営がうまく機能するであろうか。

   ソニーの苦境から脱し得ない苦悩と言うか経営の手詰まりは、事業報告の中の、「対処すべき課題」に如実に現れている。
   コア・ビジネスであるエレクトロニクス事業において、種々のコスト削減という短期的な施策は当然としても、ブレイクスルーを目指すソニーにとって最も大切な筈の、投資計画の削減・延期と言う極めて将来的長期的にダメッジの大きな政策を冒頭に掲げざるを得ないと言うことである。
   とにかく、形振り構わず、削れるものは削り、始末できるものは始末し、つじつまを合わせてでも赤字を少なくすると言うのが、大ソニーの、今年度の対処すべき重要施策なのである。
   先日、WSJの記事を引用して、大経済不況の時こそ、R&D支出継続と言うアメリカ企業の戦略を紹介したが、私自身は、もう、これで、ソニーの破壊的イノベーション追及の時代は終わってしまって、ただの普通のソニーになってしまったと感じた。
   大前研一氏も書いていたが、ストリンガー経営の限界が見え隠れしたのが、今回のソニー株主総会である。

   GMが潰れたが、ソニーも巨大だから同じではないかと株主に揶揄されて、ストリンガー会長は、むっとして、バランスシートは健全だと応えていたが、しかし、何回かの総会の記憶では、CFOの出番がなくて、財務や経理など経営管理戦略については、殆ど言及されることがない。
   出井社長時代、ソニーショックを引き起こした大幅赤字への転落を見抜けなかった時に、経営管理の欠如を指摘したことがあるが、いまだに、損益計算書重視で、資産等持てる経営資源の有効活用等バランスシートに比重を移した戦略的経営がなさせているようには思えない。
   今回、大幅赤字にも拘らず、経営者たちは株主にも謝罪しないし、来年度の赤字予測を臆面もなく発表して恥じるところがないのだが、不思議な会社である。

(追記)文中の4人を直接コントロールすると言う4人は、コア・ビジネスを担当するトップの4銃士とかで、副会長やCFOは眼中にないらしい。
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あじさいの季節の鎌倉散歩

2009年06月19日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   久しぶりの鎌倉なので、あじさいを楽しむために、雨模様を心配しながら、朝9時前に源氏山に向かった。
   先日、長谷寺にあじさい見物に行ったら、整理券を配布していて、中々、入れなかったと言うので、多少意識して、早く家を出たのである。
   結局、あじさい寺である明月院に着いたのは、10時前で、幸い門前では並ばずにに入れたが、寺を出る時には、観光客の行列が、門前から参道の後方500メートルくらいまでも延々と続いていた。
   今でも、寺内は、銀座のような雑踏だと言うのに、どんどん集まる客をどう捌くのかひとごとながら心配しながら帰ったのだが、とにかく、どんよりした天気の悪い週日にも拘わらず、桁違いの賑わいである。

   この日は、源氏山公園から、葛原岡神社経由で、山の中のハイキングコースを下って北鎌倉に出て、東慶寺で小休止して、明月院まで歩いた。
   山を下って真っ先に到達するのは浄智寺だが、小学生の団体で一杯だったので、中に入るのを諦めて先を急いだ。
   しかし、山門から門前までの参道の両脇には、あじさいが咲き誇っていて綺麗であった。

   ところで、源氏山公園のあじさいだが、源頼朝像の前に、一列状態に白花の額紫陽花が咲いているだけで、他は、ちらほらで、一本だけ、赤花の額紫陽花が綺麗に咲いていたのが、印象的であった。
   しかし、源氏山公園も、道を隔てた反対側の葛原岡神社の方に行くと、公園のオープンスペースに面して、お馴染みのあじさいが咲き乱れている。
   あじさいは、青色から赤紫へ七変化すると言われているけれど、鎌倉のあじさいの多くは、青色が主体で、所謂、明月院ブルーだが、ここには、赤と青のあじさいが入り混じって咲いていて面白い。
   酸性土壌の多い日本では青花、アルカリ土壌では赤花が咲くと言われているが、わが庭のあじさいは、年によって色が違ってくるのか、色が変化するのか、青か赤かの記憶は殆どない。

   葛原岡神社の境内には、あじさいが多く植えられているが、最近、氏子たちによって記念植樹されたのであろうか、ほんの、1メートル前後の、色々な色や種類の小さな額紫陽花が植わっていて、一つ一つ観察していると、あじさいも、特に、額紫陽花は、ランタナのように、成長につれて色変わりするようで、興味深い。
   伊豆などに自生している日本オリジンの額紫陽花が、ヨーロッパで、あの豪華な西洋紫陽花ハイドランジアに改良されたようだが、色の変化はないらしい。

   東慶寺には、あじさいは殆どなく、今、茶室前の湿地の畑には、花菖蒲が美しい。青紫系統の普通の花だが、一直線に咲くので、カメラを構える人が多い。
   しかし、注意していないと気付かないのだが、小さなミニあじさいであろうか。地面を這うような状態の額紫陽花が植わっていて、中々、清楚で美しい。
   ここの花は、鄙びた山門裏の夏椿の白い花が印象的だが、明月院の沙羅双樹の方は、もっと、大柄の花で、花つきが良く、正に、咲き乱れていると言う風情である。
   この日本の夏椿の花が良く似ているので、シャラノキと言われているが、別の品種であるらしい。

   東慶寺で、面白いのは、岩場にびっしりと張り付いたタバコの葉のような葉っぱの間から顔を出している可憐ないわたばこの花である。
   1センチ前後の薄青紫の先が尖った6弁に分かれた可憐な花で、中央に、鉛筆のように尖ったおしべの束の先に黄色い芯状のめしべが出ている。
   蕾は、丁度、ミニトマトの花房のような感じで連なっている。
   毎年、この花を見に来るのだと言う綺麗な婦人が、熱心に観察していた。

   明月院のあじさいだが、殆ど淡いブルー一色で、気付かなかったが、殆ど全山あじさいで埋め尽くされていると言う感じである。
   私の明月院のあじさいの原点は、寅さんが石田あゆみのマドンナとデートしたシーンで、実に、印象的であった。

   本当は、あじさいより、裏の庭園を見たかったのだが、花しょうぶの季節が終わったとか(そんな筈はないと思ったが)で入れなかった。
   尤も、この大変な人出の時に、庭園を開放すれば、大変なことになることは必定で、花のタイミングのずれ?が、幸いしたのかも知れない。
   竹やぶの竹が美しい季節で、暗い竹やぶの一直線に伸びた孟宗竹の幹の間から、明るく浮かび上がった青いあじさいの広がりが実に印象的で素晴らしい。

   あじさいの片隅で、水彩画の筆を走らせていた可愛い乙女が3人、美しい絵を描いていたのを撮ったのが、この口絵写真である。
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梅雨時のわが庭

2009年06月16日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   我が家の庭は、洋式なのか和式なのか。
   最初家を建てた時に、東金の植木屋さんに頼んでやってもらったのは、門かぶりが高野槙の古木で、副木として玉造の大きなつげ、そして、鬼門に金木犀。
   庭の周りは、道路などに面した外周には、小さな玉つげの行列、それに、隣家との境界の生垣には伽羅と大きなもっこく。
   全く、和風の感じだったのだが、その後、自分の好みで、庭の真ん中の空間に芝を張り、回りには木や花を植え続けたので、今では、何が何だか分らない庭になってしまった。
   新緑の季節になって、急に枝を伸ばし葉が茂り始めたので、ジャングルのようになっているので、一寸、憂鬱になっている。

   今、庭に咲いている花木は、この口絵写真の花ざくろ、アジサイ、くちなし、バラ、それに、ブラジルを思い出して植えたフェジョアである。
   くちなしだが、八重は、豪華で素晴らしいのだが、芳香が強い所為か、小さな黒い斑点のような虫がつくので写真にならない。
   風車のように少し巻きかげんで沢山花開く一重は、秋に綺麗なパイナップル状の実をつけるのが、中々風雅で良い。

   草花では、まだ、都忘れとイングリッシュ・ビオラが、元気良く咲いていて、ユリの花が一気に咲き始めて華やかになってきた。
   ユリは、やまゆり、すかしゆり、てっぽうゆりなど色々植えたのだが、今、咲いているのは、派手な花を上に向けて咲くすかしゆり。カサブランカは、まだ、蕾が固い。
   ユリは、チューリップのように、球根の中に花芽がビルトインされているのではなく、芽が出てから途中で花芽がつくので、元気に伸びた苗でも花が咲かないことがある。
   花芽が出始めた頃に、薬剤散布のタイミングがずれて、花芽を落としたり、花形を歪にしてしまった苗があり、折角、咲こうとしていたのに、申し訳ないと反省している。
   虫も細菌も生きなければならない、これもエコロジーだとは思うが、綺麗に咲いて花は花なのである。

   これらの季節の花々を、適当に切っては、あっちこっちで買ってきた花瓶などに生けて楽しんでいる。
   無節操に植えた花木であり、草花なのだが、いつでも、何かの花が咲いていて、花を手折って、客を迎えられるのは、幸せなのかも知れないと思っている。

   梅雨に打たれたユリやバラはかわいそうだが、アジサイは、アマガエルを背負って雨の中で輝いている。
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事業継続マネジメントBCPセミナー

2009年06月15日 | 経営・ビジネス
   BCP(Business Continuity Plan)のセミナーを聞きに、日経ホールに出かけた。
   地震のような自然災害への対応を主体に考えて推進されていたBCPのようだが、今回、メキシコに端を発した新型インフルエンザに対する企業の危機管理が急に脚光を浴びて、そのバリエーションも作り出されているようであった。
   要するに、BCPとは、企業が、自然災害などの突発的な危機に直面して被災した時に、事業を中断させずに、また、中断した場合でも出来るだけ短期間に事業を再開し、業績の落ち込みを食い止めて企業価値の低下を防御するための企業経営戦略であり、その事業継続計画であると言うことである。

   迂闊にも知らなかったのだが、ISO××××のようなBS25999(事業継続マネジメントシステム規格)などと言った規格が制定されているようで、グローバル・ビジネスをやっている企業などは、欧米企業から取引要件として資格取得を求められるのだと言う。
   熱心な担当者なり管理者などが会場に詰め掛けていたが、デミング賞、QC、ISO、内部統制等など、これまで、企業は、本業を差し置いてでも、流行の資格要件の取得や体制整備のために、目の色を変えて奔走してきたが、しかし、肝心の経営の質は、依然として旧来のままで、何の進歩もない。また、今回も同じことだろうと、いやな予感を感じてしまった。

   BS25999を取得したクリエイトラボ社が、資格取得の試みを、経営者を巻き込んで、経営管理の向上を目的に実施したと言うことであった。大体、これまでは、資格を取ったり準備はしたが、経営上の効果は、その資格要件や実施事項のみに留まっているケースが多いので、かくあるべきだと感じたが、これでも、一過性の経営改革の一こまにしか過ぎないような気がする。
   品質管理やリスク管理、経営者の業務や経営の質の向上などと言った部分的な改善改革にはなっても、結局、企業経営そのもの、あるいは、経営者の質ないし経営力のアップには、殆ど役には立たないと言うことであろうか。 

   このセミナーの表題のサブタイトルに、「まだ、現場・担当者まかせですか?」と言う枕詞がついている。
   今回の内部統制もそうだし、IT革命への取り組みもそうだが、日本の場合には、経営トップに、自ら自分自身の問題だと言う認識が欠如しているので、どんな素晴らしい経営手法を導入してみても、すべからく、トータルシステムとして機能しない。 
   コンセンサス重視かつ集団指導性で、リーダーの顔が見えない日本社会の功罪が、色濃く出ているのかもしれないが、ぼつぼつ、出る釘に権力を明け渡す時代であろうと思う。

   危機管理で思い出すのは、もう20年近く前になるのだが、ロンドンのシティで、IRAの爆破事故が起きて、路上の爆弾の炸裂で多くのビルが吹っ飛んだ。
   翌朝の土曜日、地下鉄でシティまで出かけたが近寄れず、たまたま、知り合いの住友不動産の知人に会って高層ビルの事務所の窓越しから見せてもらったが、戦後日本の廃墟を見ているようで、唖然とせざるを得なかった。

   案の定、ビルは残っているが爆風で吹き飛ばされて使用不能になったビルに本拠を置いていた三和銀行の支店長(後に頭取)から電話が掛かって来て、代わりの事務所を探せと言う。
   爆破の被害は限定的だとしても、狭いシティの中で、当時飛ぶ鳥を落とす勢いであった日本の大銀行のロンドン支店と現法の入居するビルなど、不動産会社でもない会社が、おいそれと瞬時に探せる訳がないのだが、そこは、悲しいかな、先方では、出入りの大工だと思っている。

   全く、偶然と言うか幸いであったのは、ファイナンシャル・タイムズの旧本社ビルを買収して改築・新装し終えたセントポール寺院前のブラッケン・ハウスに、日本興業銀行に移ってもらった直後であったので、この興銀の旧事務所が解体を始めたところで空いている。家賃の二重払いも避け得るので、興銀にとっても渡りに舟の筈。
   それに、今、取り壊しをストップして少し手を加えれば、すぐに使えるかも知れないと思って、夜中だったが、興銀の副支店長を追っかけて電話をして、三和への転貸しを交渉した。
   程なくOKを取ったので、後は、両銀行に任せたが、土日をかけて必死に回復作業をしたのであろう。翌月曜日朝、いつもの電話番号に電話したら、「SANWA BANK!」と言う元気な交換手の声が返ってきたので、ほっとした。
   
   別に感謝される訳でもなく、その後、また、厳しい高飛車な取引が始まる。
   当時、建設プロジェクトの開発などに対する邦銀の対応は、欧米の銀行のようにプロジェクト・ファイナンスに対する対応が殆どなかったので、担当者に、開発プロジェクトを分析評価する能力などなく、プロジェクトの収支などを詰問しても答えられる銀行員は皆無であった。
   出入りの大工であるわが事務系日本人スタッフは、全員、米英仏の夫々の大学院で学位を取得したMBAであったから、当たり前のことだと思っていたのだが、金を貸す方の銀行マンが、プリジェクトの収益目論見さえはじき出せず分析さえ出来ないのは、驚き以外のなにものでもなかった。

   とにかく、興銀の開発チームだけは違ったが、どこの銀行も同じで、有望なプロジェクトを聞き込むと、御用聞きのように売り込みをかけてきて、親保証があればいくらでも貸しますの一点張りで、リスク管理は勿論のこと、世界情勢は勿論、開発案件の収益・帰趨などには、殆ど無関心だとしか思えななかった。
   担保と保証に安住して無節操に貸し込み競争に奔走した銀行のその後は、周知のごとくであった。

   あのバブルの頂点での邦銀の世界制覇とも思える快進撃は、実質は、優秀なものづくり日本の余勢をかって膨れ上がった日本経済の波に乗っただけで、銀行業、ひいては、金融業務に対する本当の能力と実力があったのかは疑問だと思っている。
   この三和銀行だが、東海銀行と合併したまでは良かったが、不祥事の連続で命運が揺らぎ、結局、実質的には、三菱に吸収合併されてしまって跡形もなくなってしまったような気がしている。

   本論に戻るが、事業継続プランと言うのなら、本来は、小手先の手法をいくら磨き上げても駄目で、結局は、経営の質、経営者の質、社員の質をあげない限りどうしようもないと言うことを肝に銘じるべきだと思っている。
      
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おとこ力の鍛え方・・・おとこのアンチエイジングセミナー2009

2009年06月14日 | 生活随想・趣味
   「日本経済を切り開く身体をつくる」と銘打った「おとこ力の鍛え方」セミナーが開かれていたので聴講したのだが、私の場合は、今更おとこでもないので、アンテエイジングの方に関心があったのである。
   男性ホルモンと呼ばれるテストステロンが、男性というエンジンを走らせるガソリンに相当すると言う「ホルモンが人生を変える」と言う話で、最近、世の中がおかしくなってきたのは、このテストステロンの活性化の不足にあるらしい。

   ロンドンの金融街シティで、「儲かっているトレーダーはテストステロンが高い」と言う学術調査の結果が出たとかで、このテストステロンの威力・効能を、熊本悦明先生と堀江重郎先生と言う医学会の権威が捲くし立てたのである。
   テストステロンと言うホルモン力を活性化して、男らしく、頼もしく、自分自身のQOL(Quality of Life)を高めて人生を変えていくのは勿論のこと、日本経済の再生、ひいては、世界平和のためにがんばろうと言うのである。

   調査によると、40代と50代の日本男性のテストステロンは、60代よりも低くて最低だと言うことで、それに、女性にもこのテストステロンがあって、女性ホルモンより多いと言うのだが、このあたりが、日本の現在の世相を色濃く繁栄しているのかも知れない。
   私たちにも、中々、好きな女の子にストレートに意を伝えられなくて悩み苦しんだ青春時代があるのだが、今は、女の子に追っかけられたい願望の男が多くなったと言うことを聞くと、やはり、嘆かわしい限りである。

   ところで、このテストステロンだが、男の人生に二回、降り注がれるのだと言う。
   一度は、母の胎内で男になる時、もう一度は、思春期に男になる時。
   しからば、その後、おとこ力を高めるために、如何にテストステロンを振り撒くのか、まさか、味の素のように振り掛けるわけでもないのであろうが、この自分自身でホルモン力を高めて自家発電するのかが、人生の分かれ目らしいが、中々難しいことでもある。
   好奇心が強く、何にでも興味を持って果敢に挑戦し、喜怒哀楽の豊かな人生を前向きに生きて行くことだろうが、色々な苦労や障害が多くて、ままならないのが、この人生。心の持ち方だとしても容易なことではない。

   さて、この主催者のアンチエイジングネットワークは、前立腺がんに力を入れているようで、「PSA検査」の話もあった。
   何でこんな話になったのか記憶はないのだが、血液と血管の話で、「朝立ち」の話になり、40くらいでこれがないと問題だなどと言うあたりの話を、前に座っていた3人のヤングレディが熱心にメモしていたのでどきりとした。
   後で調べたら、男の特権だと思っていたが、女性にもあるらしいと言うことなので、変に納得した。
   
   このPSA検査だが、泌尿器学会関係は熱心に推進しているようだが、厚生労働省の見解にも揺らぎがあるらしい。
   先日、読んだ細井康男著「前立腺で、もう悩まない!」では、真っ向から、PSA検査無用論を展開し、がんをチェックする生検さえ危険だと言う見解である。
   天皇陛下のご病気で急に脚光を浴びた病気だが、非常に進行が遅くて危険度の低いがんなので、今がんと診断されて、もう30年前の発病だから手術してもしなくてもQOLには関係なく、運命に任せろというのが細井論だが、どうであろうか。

   そのほか、朝倉匠子さんの司会で、島田晴雄学長が、「社会経済の激変とアンチエイジングな生き方」で経済講演をし、口の上手いと言う石田純一氏が加わって「デキる・モテる男はココが違う!?」と言うパネルがあるなど、新鮮な話題で結構面白い2時間であった。
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トマト栽培日記・・・(10)トマト輪紋病にやられたらしい

2009年06月13日 | トマト栽培日記
   雨上がりの朝、プランター植えのトマトの木を見たら、スィート・ジャンボの一本の木の大きな葉や茎が、所々黒変している。
   葉などは、黒い部分は柔らくなっており、幹や葉の茎などには、所々墨を塗ったように黒くなっている。
   毎日、観察するわけにも行かず、雨が続いていたので気付かなかったのだが、ほんの一瞬と言うか、2~3日の間の急変である。
   少し前に、スィート・ミニの受粉した実のひとつの根元が少し黒ずんでいたので切り取ったのだが、それと同じ病気のようである。

   農薬は使いたくないし、庭のプランターなので、顆粒のオルトランを根元にばら撒く程度で良いかとたかを括っていたのだが、やはり、路地植えと同じような状態のプランター植えでは、病虫害、すなわち、虫のみならず、細菌の病気にも注意して、それ相応の薬剤散布をして対応すべきだったのをミスっていたと言うことであろう。
   とにかく、トマトは、雨の少ない空気の澄み切ったアンデス生まれであるから、雨には弱い。
   トマトは、一度疫病が発生すると収穫はゼロ。やはり、ハウス栽培が一番良いのだが、仕方がない。梅雨入りしてしまったので、これから、益々心配であるが、最早、露天で管理する以外にない。

   インターネットで、「野菜前線」の病虫害・生理障害情報など色々な記事をチェックした。
   中々ぴったりとした症状に行き着かず、判断するのが難しいのだが、ほぼ、「トマト輪紋病」だろうと見当をつけた。

   すぐに、野菜用の薬剤スプレーを噴霧しておいたが、更に悪化していたので、今日、手元にあったダコニール1000やベンレート、それに、オルトランの混合液を作って、トマトの苗木全部に噴霧した。
   病気にやられたスィート・ジャンボだが、茎は無理なので、痛んだ葉を切り落とした。まだ、全体の被害ではないので、数日、様子を見てから、廃却するかどうか決めようと思う。
   第6花房まで着花して人間の背丈以上に育っているし、第1と第2花房の実などは、直径7~8センチの大きさになっているので、後学の為にも、薬が効くのかどうか、被害がどのように進んで行くのかなどを見て見ようと思う。

   プランターに2本植えにしているので、隣のジャンボも駄目だと思うが、とりあえず、隣接して置いていた他のプランターの場所を移動させて隔離した。
   よく観察すると、他の苗木にも、わずかだが小さな黒斑が着いているので、カネコ種苗のスィート苗6本は全滅かも知れない。
   願わくば、1本でも生き残って、色付いたトマトが収穫できれば、と期待している。

   サカタのアイコや、デルモンテやサントリーのトマト苗も植えているので、どれかが生きて行ってくれれば良いと思っている。
   投資では、株や投信や商品や外為だと言って色々小分けにして分散投資するのが鉄則であるように、トマト苗も、色々な種類を、場所など所を変えて、色々な形で、分けて植えることが良いのかも知れない。
   
   サンマルツァーノ・ロンドだが、木はそれほど大きくならないのに、どんどん実が付き大きくなっている。
   この鉢だけは、コンパクトなので、雨の時は、軒下に取り込もうと思っている。
   どんなトマトが出来るのか楽しみだが、案外、コンパクトで面白いトマトなので、成功すれば、リピートしてみるのも良いかも知れない。

   サカタのアイコだが、ビニール袋植えのレッドもイエローも先週はじめに、一番花房に花が付咲き始め、花が落ちたので受粉したのかも知れない。
   この口絵写真は、スィート・ミニの花に受粉中の蜂を写したものだが、ほんの5ミリくらいの小さな昆虫で、少し大きめの蟻に翅が付いたような感じであるから女王蟻に似ていると言えないこともない。   
   
   ところで、野菜の栽培だが、トマトひとつで、今回のように頭を打っているのだから、花木や草花とは、全く違うし、難しいもので、お百姓さんは、大変だと言うことが良く分かった。
   中国産食品に文句を言っている日本人だが、早晩、食料自給率40%の食糧安全保障のつけを払わされて、食料の高騰、輸入停止等々による食料危機でパニック状態に陥ることは必定なので、
   国民一人一人が、戦時中のように、いざとなれば、地面の何処にでも、野菜を栽培できる能力くらいは、身に付けて置くべきだと思っている。
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