熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

わが庭:サクランボ暖地咲く

2024年02月29日 | わが庭の歳時記
   サクランボの暖地が咲き出した。
   自家結実性だと言うことで、1本でも実が成るサクランボなので庭植えして、大分大きく育っている。
   3月頃に白い花が咲く早咲きで、花が終わって4月下旬~5月上旬頃になると赤い小さなサクランボの果実が実るのだが、昨年は、気付いたときには、小鳥に全部食べられてしまっていた。
   花を楽しもうと思ったので、実には執着はないのだが、わが庭の果実や花は、小鳥やリスとの共存なので、管理が難しい。
   ロンドンのキューガーデンに住んでいたとき、庭に大きなアメリカン・チェリーの木が植わっていて、季節にはサクランボがたわわに実って壮観だったが、ある日、沢山のクロウタドリの大軍が来て1日で食べ尽くしてしまった。
   残念だったのは、木から摘果したサクランボが酸っぱかったのでダメだと思って、果物屋でアメリカン・チェリーを買っていたのだが、たわわに実ったサクランボの枝を花代わりに飾っていて、偶々、食べてみると市販のサクランボ以上に美味しいのに気付いたのである。果物は何でもそうかも知れないが、もぎたてよりも、しばらく熟成させた方が良いのであろう。庭のキウイでその経験をしている。
   さて、今年はサクランボ暖地を食べられるかどうか。
   
   
   
   
   
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残念ながらあぜくら会退会

2024年02月27日 | 生活随想・趣味
   残念ながら、とうとう、日本芸術文化振興会の国立劇場のチケットセンターあぜくら会を退会することにした。
   先日、都響の定期会員券を放棄したのと同じ理由で、東京への行き帰りが不自由になってきたからである。
   毎年鑑賞していた2月の「式能」さえ諦めたので、決心がついたのである。

   2010年頃から、国立能楽堂に通って、能狂言鑑賞に馴染み始めて、事前予約の可能なあぜくら会に2012年から入会したので、ほぼ、12年間お世話になった。
   歌舞伎や文楽は、あぜくら会とは関係なく、1993年の帰国以降歌舞伎座や国立劇場や国立文楽劇場に通っていたのだが、それまで、無関心であった能狂言に入れ込み始めて、頻繁に国立能楽堂に行くようになったので、あぜくら会に入会したのである。
   それ以前に宝生能楽度などに行って能狂言を見た(?)記憶はあったのだが、食わず嫌いで避けていた能狂言に馴染めずして何の古典鑑賞かと、意を決して能楽堂に通い始めた。
   月4回くらい開かれる能楽堂主催の定期公演などを殆ど鑑賞し、他の特別公演などにも足繁く通ったので、少なくとも、2~300回は能楽堂に通って、分かってか分からずか、相当の曲を聴いて観たことになる。
   幸い、京都で学生生活を送り、古社寺行脚や歴史散歩に明け暮れて、平家物語や源氏物語などの古典の世界にドップリと浸かった生活に馴染んでいたので、能舞台の背景などその思い出を反芻しながら、能楽事典や解説書の助けを借りてバックグラウンドを補強して、二重にも三重にも楽しむことができた。

   そのお陰もあって、隣の国立演芸場にも通い始めて落語の面白さ奥深さも楽しむことが出来たのは幸いであった。
   秒単位のチケット争奪戦を制して聴いた小三治の国宝級の語り口が忘れられないし、歌丸の地味深いしみじみとした話芸の温かさにも感動した。

   少しでも良い席で鑑賞したいと思うのがファン心理、
   1日早く先行予約できるとしても、あぜくら会のチケット購入サイトは、開始時間の10時には、殆どアクセス不可能で悪戦苦闘、
   そんな話も、今は昔、懐かしい。
   そう言えば、ロイヤル・オペラも、ミラノスカラ座も、ボリショイオペラも、オペラ座の怪人も、・・・すべて、このパソコン1本で予約を取ってきた。悲喜こもごもであったのを思い出す。

   しかし、ロンドンに5年間住みながら、そして、会員権を持ちながら、一度もゴルフのクラブを握らずに、シェイクスピアやオペラやクラシック鑑賞に明け暮れていた私には、30年ほどの日本古典芸能鑑賞のうち、後期の10年くらいのあぜくら会でお世話になった古典芸能の舞台が、特に質の高い貴重な生活空間を与えてくれたと感謝している。
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わが庭・・・椿仙人卜半・沈丁花・蕗の薹

2024年02月25日 | わが庭の歳時記
   暖かいのか寒いのか、気温のアップダウンが激しくて冷たい雨交じりの良く分からない天気が続いているが、自然界はドンドン変化し続けている。
   庭に出たら、徐々に陽が長くなって春の息吹、前日とは変った花木の動きをしているのでビックリする。

   椿の仙人卜半が開花しているのに気がついた。
   なぜ、仙人というのか分からないが、ピンク地に唐子咲きの微妙なコントラストが面白くて、趣味で集めた蘂が花弁化した複雑な椿の一環でもある。
   
   
   

   沈丁花が、咲き始めた。
   ほんのりと初春の香である。
   
   
   

   蕗の薹も顔を覗かせた。
   今年は綺麗に芽が出ているので、天ぷらにして楽しめるかも知れない。
   千葉に居た時に、近所に春の新芽を天ぷらにして春を祝う知人がいて大いに楽しませてもらったのを思い出す。
   
   

   まだ、花は数ヶ月先だが、牡丹とゆりの芽が出てきた。
   今年は、自然界は不作で餌が少ないのか、先日、リスに夏みかんを総べて食べられしまったと書いた。その空っぽになって干からびた皮を、鵯がつついて落しているのだが、今度は椿の花弁を狙って蘂を食い切っている。
   写真の椿は、タマカメリーナ、何故か、蘂を残して花弁を小刻みに食いちぎっているので、鵯の仕業ではなく、もっと小さな鳥、メジロであろうか。
   とにかく、わが庭にも、地球温暖化の影が忍び寄っている感じである。
   
   
   
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インバル/都響:マーラー「交響曲第10番 」でコンサート鑑賞卒業 そして 小澤征爾

2024年02月23日 | クラシック音楽・オペラ
   2月22日の都響C定期公演は、
出 演 指揮/エリアフ・インバル
曲 目 マーラー:交響曲第10番 嬰へ長調(デリック・クック補筆版)
   マーラー未完成の最後の交響曲であり、73分の大曲である。
   インバルによると、この曲は「別れ」を告げていて、死後に彼が復活し、人生や死について回想しているかのようだと言う。

   私にとっては、このコンサートが、シーズンメンバーチケットを購入して定期会員として、コンサートホールに通う最後の演奏会であったが、素晴しい1日であった。
   傘寿を超えて大分経つと移動が不自由になって、鎌倉の田舎から池袋の芸術劇場への往復が苦痛になり始めて、今期で定期会員権を放棄したのである。
   昔のように、トップ公演のコンサートと雖も全く食指が動かなくなったので、特別な公演でない限り、劇場に通うことはないであろう。

   定期会員権継続は、アメリカ留学寺に、フィラデルフィア管弦楽団の2年間に始まって、アムステルダム・コンセルトヘボウ管、ロンドン交響楽団、ロイヤル・オペラ、新日本フィル、都響と、ほぼ半世紀の長いクラシック行脚だったが、それとは関係なく、ウィーン・フィルやベルリン・フィル、METやミラノ・スカラ座やウィーン国立歌劇場、そして名だたるソリストなどと言ったトップ公演にも頻繁に出かけていたので、クラシック音楽には愉しませて貰った。
   帰国してから、小澤征爾を聴きたくて新日本フィルに通ったが、出場しなくなったので、都響に鞍替えしてもう10数年になるが、N響の定期券を持っていたこともあった。
   ステレオレコードが出始めた頃から、LPレコードに入れ込み始めて、ビデオ、レーザーディスク、CD、DVDなどと集めた音源も膨大な量で、NHKやWOWOWなどから録画したDVDも溢れるばかり、
   60年以上もクラシック音楽に付き合っていると色々なことがある。マーラーも随分聴いてきたと思う。

   さて、先に逝った小澤征爾には、数々の思い出がある。
   小澤征爾の演奏に最初に接したのは、1974年だったが、ウォートン・スクールで勉強していた頃で、フィラデルフィアのアカデミー・オブ・ミュージックで、ブラームスなどを聴いた。サンフランシスコから、ボストン交響楽団の指揮者に移った直後の遠征公演であった。
   この時、オーマンディの部屋を借りたのであろう、あの「小澤征爾の指揮棒」で書いた指揮棒を借用したのかも知れない。
   その後、ロンドンで、サイトウ・キネンで一回、他にも何回か機会があったが、出張していたりキャンセルがあったりで機会を逸し、
   日本では、ウィーン国立歌劇場の来日時と小澤征爾音楽熟オペラ「こうもり」と「カルメン」やサイト―・キネン・フェスティバル松本など、それに、新日本フィルの定期会員券を持っていた。最初は、定期公演8回の内、2回は振っていたので、結構、小澤の演奏を楽しめたが、その後、1回となり、振らなくなってしまったので、都響に切り替えた。

   昔、小澤征爾のドキュメントをテレビで見ていて、早朝真っ暗な時間に起きて総譜を勉強しながら、毎日が、このエッヂを歩いているようなもので、何時、奈落に転落するか分からないと、机の縁に指を這わせていたのを強烈に覚えている。
   カラヤンの弟子になった2か月後、バーンスティンのオーディションがあって合格して、一年間と言うことで出かけたが、帰れず、カラヤンのところに居たのは4か月だったが、カラヤンは死ぬまで、小澤を弟子だと人に言って何くれと面倒を見てくれたと言う。これも、テレビのドキュメントだが、小澤が、カラヤンの前に跪いて、オペラの指揮が上手く行かないのですがと聞いたところ、何回やっているのだとたしなめられていたのを覚えている。

   小澤のイギリスでの評判は大変なもので、ロイヤル・フェスティバル・ホールでのロンドン交響楽団の演奏会でのこと。直前になって、小澤がボストンから来られなくなって代役指揮者で演奏会を行うことになった。ソリストは、世界的チェリスト・ロストロポービッチ。演奏会当日、係員がホールの戸口で、入場者の一人一人に、詫びながら「マエストロ・オザワが来られません。ご希望なら払い戻しいたしますが如何でしょうか?」と聴いていた。50センチしか離れていない後の家内にも言っていた。指揮者やソリストの変更は日常茶飯事でオペラやクラシック・コンサートの宿命、5年以上ロンドンの劇場に通い詰めていたが、後にも先にも、こんな光景は見たことがない。

   先日、小澤征爾の追悼番組で、2002年のウィーン・ニューイヤー・コンサートが放映されていた。バーンスティン譲りであろうか、華麗な指揮ぶりが強烈な印象を醸し出して感激。色々な番組に接して、欧米で最高峰の指揮者に上り詰めた中国生まれで日本人の巨大なコスモポリタン音楽家の偉大さを改めて感じた思いであった。
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PS:アン・O・クルーガー 「 アメリカの鉄鋼狂気 America's steel madness」

2024年02月22日 | 政治・経済・社会時事評論
   プロジェクト・シンジケートの論文アン・O・クルーガー 「 アメリカの鉄鋼狂気 America's steel madness」が非常に興味深い。

   昨年末、日本製鉄は、US スチール コーポレーションを 141 億ドルで買収することで合意に達したと発表した。これにより、同社は生産能力で世界第 2 位の鉄鋼生産会社となる。 日鉄は、USスチールの名前を保持し、ピッツバーグに本社を置き、労働組合が代表する労働者とのすべての契約を尊重し、生産性を日本のレベルに近づけるための技術アップグレードを行う製造施設を維持することに同意した。 そして日本製鉄は、既存の生産施設や雇用を海外に移さないことを約束した。 素晴しい取引である。
   ところが、現実認識の欠如した米国の政治家やバイデンさえも、寄って集って買収反対ののろしを上げている。アメリカ経済の起死回生とも言うべきこの妙手を叩き潰そうとするなんて madness 正気の沙汰とは思えない と言うのである。

   この発表は超党派の強力な政治的反発に見舞われた。 共和党のJ.D.バンス上院議員は、この取引は「米国の防衛産業基盤の重要な部分」を外国人に「現金で」「競売にかけること」に等しいと述べた。 民主党のジョー・マンチン上院議員は、これを米国の国家安全保障に対する「直接の脅威」と呼んだ。 民主党のシェロッド・ブラウン上院議員はジョー・バイデン米大統領に対し、「米国の鉄鋼産業、米国の鉄鋼労働者、そして国家と経済の安全を守るためのあらゆる選択肢を検討する」よう求めた。ホワイトハウスは現在、この協定の「真剣な精査」を求めており、これには米国の安全保障上の利益に適合するかどうかを判断する対米外国投資委員会(CFIUS)による審査も含まれる。 全米鉄鋼労働組合も買収に反対を表明している。

   しかし、こうした反対はすべて事実上理解不可能であり、それは全米鉄鋼労組が従業員の雇用と組合契約の遵守を保証しているからというだけではなく、 実際、政治指導者らはこの協定を歓迎すべきであり、この協定は米国の経済と労働者、そしておそらくは米国の外交政策と安全保障にさえも広範な利益をもたらすことを約束している。
   バイデンは、3つの主要な経済政策目標を定めている。外国直接投資の奨励などにより「良い仕事」の数を増やす。 米国の製造と現地生産を強化する。 そして最新テクノロジーの導入を加速する。 バイデンはまた、より多くの貿易、特に重要な物品の輸入を米国の同盟国に振り向けること、いわゆるフレンドショアリングを目指している。
   この鉄鋼合併はこれらすべての目標を前進させると同時に、米国の主要同盟国との関係を強化する可能性がある。

   何故、日鉄のUSスチール買収が得策なのか、時代背景から説明すると次の通り。
    第二次世界大戦終戦時、日本の鉄鋼会社は、当時アメリカの工業化の象徴であったUSスチールを含むアメリカの鉄鋼会社に比べて生産性がはるかに低かった。 しかし、その後数十年にわたり、日本の鉄鋼産業は急速な進歩を遂げ、1970年代には生産性が米国の鉄鋼産業を上回った。コスト競争では勝てないので、米国の生産者は長い間関税による保護を求めてその保護を受けてきたが、保護主義ですらこのギャップを埋めることはできず、米国の鉄鋼は世界くなっている。
   米国の鉄鋼産業の雇用は長年にわたって急減し、1987~91年の18万人超から、2010年には8万7,100人、2022年には8万3,200人となった。しかし、これを外国との競争のせいではなく、雇用の減少は主にテクノロジーによる生産性の向上の結果である。米国では 1 トンの鉄鋼を生産するのに、1980 年代には 10.1 人時かかっていたが、現在はわずか 1.5 人時で、このような大幅な生産性向上の中で雇用を安定的に維持するには、鉄鋼消費量を2倍以上に増加させる必要があったであろう。
   日本製鉄が採用した重要な技術革新は、生産性の高い電気炉だったが、 USスチールは依然として、鉄鉱石と石炭を使用する高コストで古く、より労働集約的な高炉への依存度を高めている。その結果、US スチールのコストは他のアメリカの生産会社と比較しても特に高く、 買収が発表された当時、USスチールは1970年代以来ほぼ継続的に国内および世界の市場シェアを落として、2008年の8位から2022年には27位に落ち、米国の大手鉄鋼メーカーの中で最も収益性が低く利益も低かった。

    したがって、日本製鉄による US スチールの買収とそれに伴う技術の向上により、この衰退は逆転するはずである。 取引条件は、この買収により米国の鉄鋼業界の生産性が向上する可能性が高いことを意味している。 米国の鉄鋼価格が下落すると、鉄鋼を輸入するインセンティブが低下し、冷蔵庫や自動車などの製品を製造する米国のメーカーはコストを削減できるため、競争力が高まるだろう。 これらすべてが米国の製造業と技術基盤を強化し、米国での「良い仕事」の継続的な提供、そして可能性のある創出を確実にするであろう。
   バイデンの最大の経済政策目標3つすべてを推進する大企業の取引はそれほど多くない。 鉄鋼労働者を含むすべてのアメリカ人はこれを歓迎すべきである。 US スチールの運命を逆転させ、アメリカの鉄鋼産業の見通しを改善する本当の機会を意味するこの出来事を歓迎すべきである。 代替案は暗い。もし買収が承認されなければ、米国の鉄鋼産業は保護関税に依存し続けることになり、他の米国産業はより高い鉄鋼価格を支払わされることで競争力を失い続けることになる。
   一方、外国関係者は米国で生産的な投資を追求することを思いとどまるだろう。 もし日本企業がアメリカの国家的、経済的安全保障を危険にさらすことなく、現代技術を導入し、労働者や工場の生産能力を維持しながらアメリカに製造施設を所有できないとしたら、外資系企業はアメリカ国内で何かを生産できるであろうか。

   クルーガーの論文は、理路整然。疑問の余地なく明快である。
   この程度の知恵さえもないアメリカ人の世論の行くへが世界を操作していると思うと恐ろしくなる。

   アン・O・クルーガーは元世界銀行チーフエコノミストであり、元国際通貨基金第一副専務理事であり、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題大学院の国際経済学の上級研究教授である。
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PS:クリス・パッテン「トランプが勝てば中国も勝つ If Trump wins, so will China」

2024年02月20日 | 政治・経済・社会時事評論
   PSのクリス・パッテンの論文「トランプが勝てば中国も勝つ If Trump wins, so will China」
   もし、トランプが再選されれば、彼が米国を独裁主義への道に導くこと、そして、世界の趨勢が中国体制へ振れ動くことはほとんど疑いがないと言う。

   第二次世界大戦の最も暗い日々、ドイツ軍がイギリス諸島への侵攻を準備していた頃、ウィンストン・チャーチル首相は同胞の士気を高める任務を引き受け、国民に、「西を見よ、大地は輝いている」と指し示した。 アメリカ生まれの母親の影響でアメリカに親近感を抱いたチャーチルは、全体主義ナチスの脅威に直面してもアメリカは自由民主主義の価値観を守り続けると自信を持って主張し、この宣言には、必要に応じて米国が英国や他の西欧の自由民主主義諸国を支援するという希望があること示したのである。
   しかし、今日、西を見ると、地平線上に暗い雲が垂れ込めている。 仮にトランプが11月の大統領選挙で勝利したとしたら、前任者たちがそうしたように、彼がNATOを擁護したり、自由民主主義の価値観を擁護したりするという保証はない。 同様に、共和党指導者がアメリカの民主主義同盟国よりもロシアのウラジーミル・プーチン大統領のような権威主義的指導者を好むことを考えると、ウクライナが同氏の支持に頼れる可能性はほとんどない。長年にわたり、「西側」は、世界中で自由民主主義社会の略語として使用されてきた。 歴史的に、米国大統領は、公式非公式を問わず、共通の価値観と原則によって団結し、この同盟の事実上の指導者としての役割を果たしてきた。 しかし、2025年にトランプがホワイトハウスに復帰する可能性が高まっており、この連立政権の安定性に疑問が生じている。
   西側民主同盟は、自由で公正な選挙を信じないアメリカ大統領に耐えられるであろうか? 現在4件の刑事起訴と91件の重罪に直面しているトランプは、法の支配を民主的統治の基本的な柱としてではなく、批判者や敵とみなされる人々との折り合いを付ける手段と考えているようだ。 もし彼が選出されれば、彼の2期目が米国を権威主義的統治への道へと導くことはほとんど疑いがない。

   西側諸国と中国の統治モデルが世界の優位性をめぐって競争中、トランプの勝利の可能性によりバランスが後者に傾く可能性がある。 スティーブ・ツァン氏とオリビア・チャン氏は、洞察力に富んだ近著『習近平の政治思想』の中で、中国国家主席は戦後の自由主義的な国際秩序に代わるものを提案していないと主張している。 むしろ、習の戦略は、中国を単一の指導者、つまり自分自身が統治するレーニン主義一党独裁国家という彼のビジョンに根ざしている。
   その結果、習主席の国内政治的利益は、世界的責任に関するいかなる概念にも常に影を落としている。 彼は、統治者が神の選択から正統性を導き出すという儒教の「天命」の概念を信奉しており、自分の政権が最盛期の帝国中国と同様の敬意をもって扱われることを期待している。
   さらに、習は中国の権威主義体制を他国が模倣すべき統治モデルとして繰り返し宣伝してきた。 国々に、特にグローバル・サウス諸国に選択肢が与えられたとき、西洋型の民主主義よりも中国モデルの方が魅力的だと考えるであろうと信じている。 トランプが11月に勝利し、汚職と混乱に悩まされる政権を率いる場合、こうした状況が起こる可能性は十分にある。

   自由民主主義の秩序が存続するためには、西側諸国は、80年近くにわたる相対的な平和と繁栄の間、自国の成功を支えてきた原則を守らなければならない。 しかし、ウクライナ、東アジア、中東でこれらの価値観のために戦うだけでは十分ではない。 国内でも同様に遵守されなければならない。
   トランプがこの感情を共有していないことは明らかであり、彼の仲間の共和党員も同様であり、ほぼ全員が自らの政治的将来を守るために原則を放棄したか、少なくともそれを隠している。 米国外に住み、米国の功績と建国の理念を称賛する私たちは、米国人が11月に投票する際に正しい選択をできるよう祈っている。 そのとき、そしてそのとき初めて、私たちはチャーチルと同じ自信を持って、「西の方を見よ、あの地は明るい」と宣言できるようになるであろう。

   痩せても枯れても、アメリカは、自由と平等の民主主義の旗頭であって、市民社会を大切にする公序良俗を旨とした平和な国際秩序、そして、80年近くにわたる相対的な平和と繁栄の時代の継続が、民主主義を破壊しても意に介せぬ「もしトラ」現象の台頭で、危うくなってきた。
   米国が権威主義的な独裁体制への道へ傾斜して国際秩序の維持を軽視して行けば、当然、世界の趨勢は、独裁的な専制国家体制に移って行くのは必然で、民主主義が退潮して行く。
   西側の大国アメリカが、絶対に道を踏み外すことのない常に信頼の置ける希望の国であって、世界がどんなに躓こうとも、正しい方向に導いてくれるリーダーである、と安心しきってきた。
   親愛なるアメリカ国民よ、11月の選挙でトランプ政権になることだけは阻止して、健全なる自由民主主義の国際秩序を死守してくれ!
   クリス・パッテン提督の希いであろう。
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CNN:崩壊に向かうアマゾン熱帯雨林

2024年02月18日 | 地球温暖化・環境問題
   CNNのOdd Newsが、「崩壊に向かうアマゾン熱帯雨林、2050年にも重大な転換点 新研究」と報じている。

   ブラジルのサンタカテリーナ連邦大学の研究者らが主導し、科学誌ネイチャーに掲載された研究では、
   アマゾンは6500万年にわたり、自然の気候変動に対する強靱さを証明してきた。しかしここへ来て森林伐採と人間由来の気候危機が新たな水準の圧力をもたらし、向こう30年以内に大規模な森林システムの崩壊を引き起こす可能性がある。研究者らの予測によれば今後アマゾンの10~47%が圧力にさらされ、そこに存在する生態系を重大な転換点へと押しやりかねない。その境界を一度越えると、悪影響の負の連鎖につながっていくと言うのである。

   総体的手法を用い、アマゾンがどれだけ早くその境界に到達し得るかを推計した。研究論文の著者らは気温上昇や極端な干ばつ、森林伐採、火災の影響を検証し、結論を導き出し、その結果、アマゾンの森林システムがどのようにして従来の想定より早く、自己増強的な崩壊の段階に突入し得るかが明らかになった。これまでの研究では、この規模の崩壊が今世紀中に起こり得るとは予測していなかった。
   
   驚くなかれ、これまでの地球温暖化論争とは違って、水の無尽蔵の宝庫であると思っていたアマゾンだが、
   著者らによると、水ストレスがアマゾンに混乱をもたらす共通要因だという。のである。
   水ストレスとは、人間や生態系の水への需要が供給を上回る状態、水需要に対する水不足を意味する。
   地球温暖化が水ストレスの影響に拍車をかけている。温暖化を受けてアマゾンの気候はより乾燥し、温度も上昇している。こうした状況は樹木の水ストレスを高める。とりわけ干ばつへの抵抗力が弱い北西部ではそうで、重大な水ストレスに突然さらされれば、大規模な生物の死を引き起こしかねないと研究は警鐘を鳴らす。
   そのような転換点に到達した場合、アマゾンの複数の地域は居住が不可能になる恐れがある。耐えがたい高温に加え、先住民や地域共同体が生活していくための資源が不足するからだと研究は指摘している。のである。

   水ストレスについては、国連の報告書では、2050年には世界人口が、約97億人になると予測されている時点で、世界気象機関(WMO)によると、そのうちの約半数の50億人が水不足になるという試算が発表されている。
   GNVの表を借用させて頂くと、世界の水ストレス状況は次の取り、
   

   最近話題になっている国際的な水紛争は、
   エチオピアの青ナイル川におけるグランド・エチオピアン・ルネサンス・ダムの建設で、エチオピアのタナ湖に源がある青ナイル川はナイル川の支川として、雨期の間ナイル川に流れる水の8割を供給する。ナイル川はエジプトをはじめ北東アフリカの農業と経済に欠かせない存在である。その中で下流へ流れる水の量が減り、これを死活問題とみたエジプトとスーダンがダムの建設に反対して国家間の摩擦の原因となって、紛争にエスカレートした。このナイル川は、利害を有する10カ国の国境を通過する国際河川でもある。
   このような水を巡る問題が、世界各地で、人口増加や気候変動などにより深刻になる傾向が増えている。世界中で水不足や川・湖の使用権利を巡る対立などが紛争の種になっている。
   水不足が、人間の健康を冒し、生態系へ深刻なダメッジを与えるのみならず、さらに、紛争が発生してしまえば、水資源が攻撃などで失われたり、水資源そのものが紛争の「武器」になる。水を巡る国際紛争の頻度と規模が今後もさらに悪化していくであろう。
   
   水ストレスや水に纏わる国際紛争などについては、多くの研究と論争が成されているので、これ以上深入りはしないが、水問題にもマルサスの亡霊が付きまとっており、地球温暖化を解決しない限り、人類は水不足で死地を彷徨うことになることを肝に銘じておくべきであろう。石油より深刻かも知れない。

   この研究では、森林伐採の終了や森林再生の促進、保護地域の拡大などを推奨している。また国際的に協力し、温室効果ガスを削減する必要性も強調。アマゾン地域の国々が連携して森林再生を進める重要性も訴えている。と結論付けている。
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日本GDPドイツに抜かれて第4位に

2024年02月16日 | 政治・経済・社会
   昨年末頃から日経などメディアが、「日本GDPドイツに抜かれて第4位に転落」というニュースを報じていた。
   15日の夕方7時のNHKニュースで詳しく報じていたので、考えてみたい。

   日本の去年1年間の名目GDPは、平均為替レートでドルに換算すると4兆2106億ドルだったが、一方、ドイツの去年1年間のGDPは、4兆4561億ドルと日本を上回った。
   日本の経済規模は、1968年にGNP=国民総生産で当時の西ドイツを上回って、アメリカに次いで世界2位とった。その後、2010年にGDPで中国に抜かれ、世界3位が続いていたが、去年、人口がほぼ3分の2のドイツに逆転され、4位となった。
   1993年にGDPが500兆円を超えてから、それ以降30年間も500兆円台をアップダウンしていて、殆ど成長せずに低迷し続けている体たらくであるから当然である。
   

   日本では1990年代にバブル経済が崩壊して以降、長年にわたって低成長やデフレが続き、個人消費や企業の投資が抑えられてきた。
   また、円安ドル高の影響で、日本のGDPをドルに換算すると目減りすることや日本に比べて物価上昇率が高いドイツは名目のGDPの伸びがより高くなることも影響した。と言うのである。

   それでは、なぜドイツに抜かれたのか?
   NHKは、3つの要因を挙げて、次のように報じている。

   【円安と物価上昇】
   要因の1つは、為替相場と物価上昇率の影響。
   円相場は2011年には一時、1ドル=75円台をつける円高水準だったが、去年は平均で1ドル=140円台まで値下がりしていた。円安が進むとGDPを円からドルに換算する際、目減りすることになる。
   また、名目GDPは物価の変動に左右される。ドイツでは去年、物価の変動を除いた実質のGDPの成長率はマイナス0.3%だったが、ロシアによるウクライナ侵攻の影響もあってエネルギーなどを中心に物価が高騰したことから、名目のGDPはプラス6.3%となった。

   【生産性の低迷】
   どれだけ効率的に製品やサービスを生み出すかを示す生産性の低迷も続いている。
   日本生産性本部のまとめでは、日本の1時間あたりの労働生産性は、おととし2022年、OECD=経済協力開発機構の加盟国、38か国中30位。比較可能な1970年以降で最も低い順位となり、11位だったドイツに差をつけられている。
   とりわけサービス業は、製造業に比べてデジタル化や省人化が十分に進んでいないと指摘されている。
   また、政府が打ち出してきた成長戦略や構造改革もなかなか実を結ばず、国の経済の実力を表すとも言われる「潜在成長率」も伸び悩んだ。

   【国内の消費・投資伸びず】
   一方、日本では1990年代のバブル経済の崩壊以降、長年にわたって低成長やデフレが続いてきたことも今回の逆転の背景にあると指摘されている。
   賃金が十分に上がらず個人消費が伸び悩んだほか、企業も国内への投資に慎重な姿勢を強めた。
   「輸出大国」を支えた製造業では、貿易摩擦や円高の影響で海外向けの製品を現地生産にシフトする動きも進んだ。
   日本の名目GDPのうち、「設備投資」の伸び率は、1988年にはプラス16.5%だったが、去年はプラス4.6%にとどまっている。

   IMFが去年10月に公表した試算では、日本の名目GDPは再来年・2026年には、人口14億人のインドに抜かれて世界5位となる見通しとなっている。
   日本では、今後、さらなる人口減少も予想される中、成長率の引き上げに向けて投資の拡大や生産性の向上にどう取り組んでいくのかが急務となっている。

   日経もほぼ同様な記事で、
   ドイツ経済は物価高がロシアのウクライナ侵攻以降長く続き、欧州中央銀行(ECB)の利上げもあって、23年は実質でマイナス成長と足元では振るわない。
   一方で、自国通貨建てで長期の推移をみると、日本の伸びはドイツと比べて低く、日本経済の生産性の低さを映しているといえる。ドイツでは2000年代以降の労働市場改革が生産性を向上させ、ドイツ企業の競争力を高めている。と報じている。

   さて、日本生産性本部の資料によると、経済成長に寄与する生産性要因との関係は、次表の通りである。
   
   このうち、労働生産性上昇要因としては、少子化高齢化による人口減傾向があり、資本ストック増加率は投資の停滞が続いているので、経済成長への寄与は期待出来ない。
   さすれば、労働生産性上昇には、全要素生産性の上昇率(伸び率)のアップであるが、
   これは、技術革新・規模の経済性・経営革新・労働能力の伸長・生産効率改善など幅広い分野の技術進歩を指しており、日本経済のアキレス腱は、この分野の異常な遅れで、生産性の向上の足を引っ張っている。全要素生産性上昇率と資本装備率の上昇が停滞していては、労働生産性の上昇など期待出来ないのは当然で、経済成長など望み得ない。

   実際の22年の1時間当りの労働生産性のの国際比較だが、次表の通りで、ドイツが87.2ドルで、日本は53.2ドルで、G7では最下位で、目も当てられないような惨状である。
   
   
   ドイツでは、企業競争力を高めるために企業振興公社が輸出を支援したり、労働者に対する教育・支援を定期的に行いスキルの向上を図っており、更に、ドイツには研究資金・税法・イノベーションの促進・税の優遇措置というメリットがあるので国内で投資を続ける価値がある と言うのである。
   日本政府は、どうであろうか。
   新しい資本主義等と称して「成長と分配の好循環」を唱えているが、生産性を上げ得ずに何の成長か、
   分配などはパイを大きくしてからの話である。

   失われた30年の間に、経営革新等に成功して成長した日本の大企業が一体いくらあるのか、
   優良企業のトヨタでさえも不祥事を起す日本企業の状態を思えば、経団連などで大口を叩く大企業の多くが、ゾンビ化したとしか思えない。

   いずれにしろ、生産性をアップして経済を成長軌道に導くこと。生産性のアップ、これ以外に道はない。
   人口減で成長が無理でも、全要素生産性上昇率と資本装備率の上昇で労働生産性を上げて国際競争力を涵養して経済の質を向上させることが重要である。

   蛇足だが、為替レートが少し円高に振れれば、日独GDP順位が逆転する。
   22年の購買力平価によるGDPは、日本が6,144.60、ドイツが5,370.29(単位: 10億USドル)、実質的には、まだドイツには抜かれていない。
   いずれにしろ、一人当たりのGDPになるとドイツとは大きく差が開いていて、日本は、G7で最低水準であり、貧しい国に成下がっている。
   こんな哀れな日本は、Japan as No.1の時代には想像できなかった。
   特に情けないのは、今回の物価上昇による便乗値上げで、多くのメーカーが増益だという、この体たらく、救いようがない。
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椿タマグリッターズ咲き始める

2024年02月15日 | わが庭の歳時記
   異常気象か暖かい日が続いて気持ちが良い。
   遅ればせながら、タマグリッターズが咲き始めた。
   同時に、タマ兄弟のタマアメリカーノとタマカメリーナも一輪ずつ花を開いた。
   咲き始めなのか、白覆輪の白の出が悪いのが気になっている。
   
   
   
   

   小輪椿フルグラントピンクも咲き始めた。
   種類は雑種なので分からない、実生苗の椿が咲き出した。
   
   
   

   クリスマスローズが、少し頭をもたげてきた。
   咲き始めは茎が短く花弁は下を向いているが、もう少しするとすっくと伸び上がって華やかになる。
   イギリスで人気の草花だと言うが、あまり見たことはなかった。
   
   

   
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日葡交流400年に思うこと

2024年02月12日 | 海外生活と旅
   2月11日の日経朝刊に、「400 years and beyond」と言うタイトルで、「日本とポルトガル 4人の少年がつないだ絆、明日へ」と言う興味深い特集記事が掲載されていた。
   もう30年以上も前になるのだが、ポルトガルには2度ほど訪れていて、いくらか思い出に残っており、懐かしくなったので、記憶を辿りながら、思い出を反芻してみたいと思う。

   日本人が始めて訪欧したのは、九州のキリシタン大名の「天正遣欧少年使節団」の4人の少年で、リスボンに到着して440年、その足跡を追っての記事である。

   さて、私が最初にポルトガル風に接したのは、1974年に、ブラジルのサンパウロに赴任したときで、その後4年間在住したので、ポルトガル語が少しは分かる。
   1494年6月7日にスペインとポルトガルの間で結ばれた”トルデシリャス条約( Tratado de Tordesilhas)”で、西経46度37分を境にして世界を東西に二分割して、南米のブラジルからアフリカ、アジアにかけてポルトガルの勢力圏となり、ブラジルを植民地支配したのである。
   ポルトガルに始めて着いたとき、ピンクやグリーン、イエローやブルーと言った派手なペンキ塗りのマッチ箱のような家々がびっしりと並んでいるリスボンの家並みを見て、本国そっくりに作られた旧市街のサルバドールの街並みを思い出して感慨を覚えた。

   リスボンで最初に訪れたのは、使節団の少年たちも驚いたという口絵写真(ウィキペディアから借用)のジェロニモス修道院である。長くて重厚な回廊の印象が微かに残っている程度だが、とにかく、そのスケールの偉大さに感激した。
   良く覚えてはいないが、リスボンの高台から街並みを展望して、色々な通りをミシュランの緑本や地図を頼りにして下っていった。途中で出会った住人が、危ないのでカメラをしっかりと襷掛けにするように助言してくれた。
   とにかく坂の多い町で急斜面を路面電車が上り下りしていて、街の中にエレベーターがあった記憶がある。
   夜、観劇を期待して出かけた国立劇場では、良く分からないなりにフランスの芝居を観た。翌日、うらぶれたナイトクラブで、ファドを聴いた。
   他に訪れたのは、かつて王族の避暑地として愛された山間に貴族の城館が点在する美しい街シントラ。そして、ユーラシア大陸最西端のロカ岬で、大西洋を遠望した。

   最後に訪れたのがリスボンのベレン港、
   この港には、大航海時代の幕開けを記念した記念碑「発見のモニュメント パドラオン・ドス・デスコブリメントス」が立っている。
   記念碑は52メートルの高さのコンクリート製で、キャラベル船の船首を模したモニュメントで、先頭に立ったエンリケ航海王子の雄姿が、ポルトガルの偉大さのすべてを物語っている。
   広場の地面に巨大な世界地図が埋め込まれており、その地図上のアジアの各都市に、発見という年代が打ち込まれているのを見て、その歴史に驚愕さえ覚えた。
   しかし、この何の変哲もない港町から、ヴァスコ・ダ・ガマが1497年にインドへ向けて出帆し、ペドロ・アルヴァレス・カブラルが、1499年にブラジルへ向けて旅立った。この港をベースに、ポルトガルの世界制覇の幕が切って落されて、日本へもどんどんポルトガル人が訪れてきたのである。

   かってのポルトガルは、人口は、僅か200万人、バルト海に向けて塩を出荷するセトゥバルとワインを輸出するオポルトの二つの港しか持たずに、外洋経験のある船乗りも不足していたと言う、そのポルトガルが一等国に躍り出て、殆ど一世紀半も貿易大国として世界に君臨したと言うのは、驚異と言う外はない。
   今のポルトガルは、EUでも、低開発国で、国家債務の過重に苦しんでいる経済的にも弱小国であることを考えれば、あの世界史に燦然と輝いた威光は信じ難いが、その片鱗を、ポルトガル旅で垣間見たのである。
   
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PS:ヌリエル・ルービニ「人工知能 vs. 人間の愚かさ Artificial Intelligence vs. Human Stupidity」

2024年02月11日 | 政治・経済・社会時事評論
   プロジェクト・シンジケートのルービニ教授の論文「Artificial Intelligence vs. Human Stupidity」、Human Stupidityが面白い。

   ダボスで開催された今年の世界経済フォーラム会議以来、何度も最大の教訓を尋ねられてきた。 今年最も広く議論された問題の 1 つは、人工知能、特に生成 AI であった。 最近の大規模な言語モデル (ChatGPT を強化するモデルなど) の採用により、AI が将来の生産性と経済成長に何ができるかについてだが、多くの期待と誇大宣伝が行われてきた。
   この疑問に答えるには、世界は 、AI よりもはるかに人間の愚かさに支配されていることに留意すべきである。 それぞれが広範な「ポリクライシス」の要素である巨大脅威の蔓延は、政治があまりにも機能不全に陥り、政策があまりにも誤った方向にあることを裏付けており、将来に対する最も深刻で明白なリスクにさえ対処することができない。 これらには、莫大な経済的コストをもたらす気候変動が含まれており、 破綻国家は気候変動難民の波をさらに大きくする。 そして、繰り返される毒性のパンデミックは、新型コロナウイルス感染症よりも経済的に大きなダメージを与える可能性がある。とルービニ教授は言う。

   さらに悪いことに、危険な地政学的な対立は、米国と中国のような新たな冷戦に発展し、さらにはウクライナや中東のような爆発可能性のある熱戦に発展した。 世界中で、超グローバリゼーションと省力化テクノロジーによって引き起こされた所得と富の不平等の拡大が、自由民主主義に対する反発を引き起こし、ポピュリスト的で独裁的で暴力的な政治運動の機会を生み出している。
   持続不可能な水準の民間債務と公的債務は、債務危機や金融危機を引き起こす恐れがあり、インフレやスタグフレーションによるマイナスの総供給ショックが再び起こる可能性もある。 世界的な広範な傾向は、保護主義、脱グローバル化、デカップリング、脱ドル化に向かっている。
   さらに、成長と人類の福祉に貢献する可能性のある同じ勇敢な新しい AI テクノロジーも、大きな破壊的な可能性を秘めている。 これらはすでに、偽情報、ディープフェイク、選挙操作をハイパードライブに押し込むために利用されており、恒久的な技術的失業やさらには深刻な不平等に対する懸念を引き起こしている。 自律型兵器の台頭と AI によって強化されたサイバー戦争も同様に不気味である。

   AI の眩しさに目がくらんで、ダボス会議の出席者はこれらの巨大脅威のほとんどに焦点を当てなかったが、 これは驚くことではない。 私の経験では、WEF の時代精神は、世界が実際にどこに向かっているのかを示す逆指標である。 政策立案者やビジネスリーダーは、自分たちの考えを誇大広告し、ありきたりな言葉を吐き出すためにそこに集まっている。 それらは一般通念を表しており、多くの場合、世界経済やマクロ経済の発展を裏側から見ることに基づいている。

   したがって、2006年のWEFの会合で、世界的な金融危機が近づいていると私が警告したとき、私は運命の人として無視された。 そして、2007年に、私が、多くのユーロ圏加盟国が間もなくソブリン債務問題に直面するだろうと予測したとき、私はイタリアの財務大臣から口頭で罵倒された。 2016年、中国の株式市場の暴落は世界金融危機の再発を引き起こすハードランディングの前兆ではないかと皆が私に尋ねたとき、私は、正しくは、中国はでこぼこではあるが、なんとか着陸するだろうと主張した。 2019年から2021年にかけて、ダボス会議での流行の話題は2022年に崩壊した仮想通貨バブルだった。その後、焦点はクリーンでグリーンな水素に移ったが、これもすでに消えつつある流行である。

   AIに関して言えば、このテクノロジーが今後数十年で世界を実際に変える可能性は非常に高い。 しかし、将来の AI テクノロジーと産業がこれらのモデルをはるかに超えていくことを考えると、WEF が 汎用AI に焦点を当てていることはすでに見当違いであるように思える。 たとえば、現在進行中のロボット工学と自動化の革命を考えると、これにより、私たちと同じように学習してマルチタスクを実行できる、人間に似た機能を備えたロボットの開発が間もなく行われるであろう。 あるいは、AI がバイオテクノロジー、医療、そして最終的には人間の健康と寿命に何をもたらすかを考えてみよう。 量子コンピューティングの発展も同様に興味深いものであり、最終的には AI と融合して高度な暗号化およびサイバーセキュリティ アプリケーションが生み出されることになる。
   同じ長期的な視点が気候に関する議論にも適用される。 この問題は、再生可能エネルギー(成長が遅すぎて大きな変化を生むことができない)や、二酸化炭素回収・隔離やグリーン水素などの高価な技術では解決できない可能性が高まっている。 その代わり、今後 15 年以内に商用炉が建設できれば、核融合エネルギー革命が起こるかもしれない。 この豊富な安価でクリーンなエネルギー源と、安価な淡水化および農業技術を組み合わせることで、今世紀末までに地球上に住むことになる 100 億人を養うことができる。
   同様に、金融サービスにおける革命は、分散型ブロックチェーンや暗号通貨を中心としたものではない。 むしろ、すでに決済システム、融資と信用配分、保険引受、資産管理を改善している、AIを活用した集中型フィンテックを特徴とするものとなるであろう。 材料科学は、新しいコンポーネント、3D プリンティング製造、ナノテクノロジー、合成生物学に革命をもたらすであろう。 宇宙探査と開発は、私たちが地球を救い、惑星外での生活様式を生み出す方法を見つけるのに役立つ。

   これらや他の多くのテクノロジーは、世界をより良い方向に変える可能性がある。
   しかし、それは私たちがそれらのマイナスの副作用を管理でき、私たちが直面しているすべての巨大な脅威を解決するために使用される場合に限る。
    人工知能が、いつか人間の愚かさを克服してくれることを期待している。
   しかし、先に、人間が自分自身を破壊してしまうと、そのチャンスは決して得られない。

   以上がルービニ教授の論旨だが、著書「メガスレット」の主張の繰り返しであるが、最後の文章、AIの進化など多くのテクノロジーの発展は、人類の未来にとっては朗報だが、愚かさ故に破綻を招きかねないと言う結論が重要である。
   ダボスのWEFで、唯一人2008年の世界的金融危機を予言したにも拘わらず、「破滅博士」と揶揄されて袋だたきに遭ったのが余程腹に据えかけているのであろう、
   WEF の時代精神は、世界が実際にどこに向かっているのかを示す逆指標であって、政策立案者やビジネスリーダーは、自分たちの考えを誇大広告し、ありきたりの駄弁を弄するだけで、これが一般通念であり、多くの場合、世界経済やマクロ経済の発展を裏側からしか見ていない。と糾弾し、今回のダボスも、AI の眩しさに目がくらんで、人類を危機に追い詰めつつある巨大脅威のほとんどに焦点を当てなかった愚かなイベントだったと言わんばかりである。
   人類の文化文明のみならず、人類社会そのものを吹っ飛ばしてしまうかも知れない多重の巨大危機たる「メガスレット」を無視して、何のAIであり人類の未来か、と言うことであろう。
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クリスマスローズが芽を吹く

2024年02月10日 | わが庭の歳時記
   朝軽い朝食を終えると、天気の良い日には庭に出る。
   今日も良い天気で、風も殆どなく暖かい朝であった。

   庭に出ても、やることと言えば、庭の花木の様子を見ながら、花の咲き具合を見ることで、日によって、少しずつ変っているのが面白く、急につぼみが膨らんで花が開花していると嬉しくなる。
   今朝見ると、葉だけが伸びていたクリスマスローズの根元から、蕾が出てきて咲き始めているのに気付いた。
   鎌倉に来てから、もう、10年になるので、千葉から移植した株も多くて随分になるのだが、いつの間にか消えてしまったものもあるものの、根付いた株はかなり成長して毎年元気に開花して楽しませてくれる。高級品種ほど庭植えはダメで、鉢植えで育てるべきかも知れないが、世話が大変なので、私の場合は、特に愛好家でもないので、庭の空きスペースを見つけて植え込んでいる。
   
   

   開花を楽しみにしているのは、椿である。
   このブログを19年続けていて、わが庭の歳時記で、毎年、花便りを書いているので比較だが、この秋から冬にかけてのわが庭の椿の開花は、例年と違っていて今年は異常に遅い感じである。
   それに、鉢植えから庭植えに移植したこともあって、花付きも随分悪くなった。
   しかし、鉢植えでは、世話不如意で、銘椿を、どんどん枯れさせしまっているので、庭植えが必要である。しかし、住宅の庭なので、精々大きく育てても2㍍程度までであろうが、好みの椿を10株ほど残したいので苦労している。
   
   

   夏みかんが、完全にリスや野鳥に食べられてしまった。
   何時もなら、完熟する5月になっても、多くの実をのこしているので、これも異常である。
   梅がまだ咲き続けている。
   沈丁花の蕾が色付き始めてきた。
   
   
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NHKプラスは便利である

2024年02月09日 | 生活随想・趣味
   最近は、NHKプラスを重宝している。
   NHKの地デジの放送だけだが、録画されているので1週間いつでも視聴できる無料サービスである。
   私は、NHKの多くは、BS番組で見ているので、NHKプラスでお世話になるのは、ニュース番組だけだが、それが役に立っている。

   使い方は単純で、まず、助かるのは、放送時間に縛られずに、好きな時間に視聴できることである。放送時間にテレビの前にいなくても、放送以降、NHKプラスを立ち上げればいつでも視聴できる。見過ごすことはない。
   もう一つの利点は、視聴時間を、再生速度の倍速を早めたり、気に入らないニュースを飛ばしたりして、短縮することが出来る。
   天気予報は丹念に見ているが、他のニュースの7~8割は飛ばして見ないので、非常な時間の節約になる。
   何も、録画をすれば良いのだが、結構煩わしいし、NHKが、すべての番組を録画して提供してくれるのであるから、これに頼るに越したことはない。
   
   万が一、保存してDVDなどに落したい番組については、レコーダーに録画をしている。
   しかし、録画したら、その瞬間、お蔵入りになっているので、殆ど無意味であり、NHKプラス程度が、格好の賞味期限なのであろう。
   
   
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トーマス・K. マクロウ「シュンペーター伝」(1)

2024年02月08日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   トーマス・K. マクロウの「シュンペーター伝―革新による経済発展の預言者の生涯」
   600㌻にも及ぶ大著で、正に、巨人シュンペーターの詳細な伝記である。
   マクロウは経営学者であるので、シュンペーターの経済学理論については踏み込んではいないが、「経済発展の理論」「景気循環論」「資本主義・社会主義・民主主義」等の大著に関しては、歴史的背景や理論展開の詳細などにも触れていて興味深い。「景気循環論」の出版が、ケインズの「一般理論」とかち合って人気をさらわれて、評価されなかったと言うのは興味深い。
   創造的破壊のイノベーション論は、シュンペーターの経済学の根冠だが、初期の大著「経済発展の理論」から、生涯にわたってシュンペーターの経済的思想のバックボーンであったことを、マクロウのこの伝記で感じ続けて感動さえ覚えた。
   
   さて、これまで、シュンペーターのイノベーションについては随分書いてきたので、書評などはおこがましく、産業革命時期の個人的イノベーターに関するシュンペーターの記述が面白いので考えてみたい。

   まず、興味深いのは、マルクスは階級構造として資本と労働の分離を説いたが、シュンペーターは、本当の分裂は新しい産業秩序の中にあると考えた。産業界の巨頭と中規模工場の所有者との大きな格差である。
   しかし、この両者に共通している特質は、その社会的地位が他の階級よりも不安定であると言うことで、「上流階級における一族の急激な変化を見ると、非常に民主的で効率的な頭脳の選択が起こっていることが明確である」。経済は能力主義の領域に入っており、それは本来的に世襲階級にとって敵対的であり、企業家精神は階級を造るものではなく機能になったのである。と説いている。
   支配階級も、強力なイノベーターの新規参入によって、瞬時に追い落とされてしまうと言うのである。

   現代の産業社会では、「階級の地位が固定しているというのは幻想である。階級の障壁はトップだけではなくボトムでも克服可能であるに違いない」。上の階級に上昇する鍵は、「個人が非伝統的な道を歩み始めることにある。これまでもずっとそうであったが、資本主義社会ではまさにそれが妥当する」。ほとんどの大企業家は労働者や職人の間から台頭している。「何か新奇なことをしたお陰であり、事実上、それが自分の階級から大躍進できる唯一の道である」。
   シュンペーターが、イギリス貴族を称讃した一因は、まさにその多様性と参入可能な性格にあった。それは動きの遅い堕落した者で構成されるウィーンの静態的な社会とは全く異なっていた。イギリスの方が、ウィーンよりずっと早く上の階級に上っていくことが出来る。と言うのである。

   重要なのは、経済は、頭脳の選択競走となって能力主義となり支配階級の地位が不安定になる下克上社会の到来と、企業家は、非伝統的な道を歩み、何か新奇なことをやる、と言うイノベーターの指摘である。
   今なら、誰でもが納得する、これこそが、シュンペーターの創造的破壊理論の骨子だが、この本を読んでいると、全編、この思想が、主旋律として変奏を繰り返しながら聞こえてくる。

   学生時代に、「経済発展の理論」と「資本主義・社会主義・民主主義」は読んだが、もう、半世紀以上も前のことで、その後、随分シュンペーター関係の本を読んできた。経済成長に興味を持って勉強し続けてきたので、当時誰もが入れ込んでいたケインズ経済学より、私にはシュンペーターで、イノベーションを勉強し続けてきた。
   大学院では、経営学に変ったが、ドラッカーやクリステンセンでも、やはり、イノベーションであった。

   今では、誰もがイノベーション、イノベーションと言って流行り言葉になっているが、随分長い間、シュンペーターもイノベーションも鳴りを潜めた時代があったが、時代が暗くなってくると、起死回生、救世主を求めるのであろうか、不思議な感じがしている。

   
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PS:ジョセフ・ナイ「アメリカの偉大さと衰退 American Greatness and Decline」

2024年02月06日 | 政治・経済・社会時事評論
   プロジェクト・シンジケートのジョセフ・ナイ教授の「アメリカの偉大さと衰退 American Greatness and Decline」

   トランプが11月にホワイトハウスに返り咲けば、今年は米国の力にとって転換点となる可能性がある。 植民地時代以来アメリカ人を悩ませてきた衰退への恐怖は正当化されるであろう。
   ほとんどのアメリカ人が、アメリカは衰退していると信じているが、トランプは「アメリカを再び偉大にする」ことができると主張している。 しかし、トランプの前提はまったく間違っており、米国にとって最大の脅威となるのはトランプが提案する救済策だ。と言うのである。

   ナイ教授は、アメリカ人には衰退を心配してきた長い歴史がある。として、17 世紀にマサチューセッツ湾植民地が設立されて間もなく、一部の清教徒は以前の美徳が失われたことを嘆いたことから説き起こして、アメリカ人の衰退観の歴史を述べ、
   衰退という考え方は明らかにアメリカ政治の生々しい神経に触れており、党派政治にとって頼りになる材料となっている。 場合によっては、衰退への不安が、利益よりも害をもたらす保護主義的な政策につながることもある。 そして時々、傲慢な時期がイラク戦争のような行き過ぎた政策につながることもある。 アメリカの力を過小評価しても過大評価しても美徳はない。と言う。

   地政学に関しては、絶対的な衰退と相対的な衰退を区別することが重要である。 相対的な意味で言えば、アメリカは第二次世界大戦後ずっと衰退の一途をたどっている。 世界経済の半分を占め、核兵器(ソ連が1949年に取得)を独占することは二度とないであろう。 戦争により米国経済は強化されたが、他国の経済は弱体化した。 しかし、世界の他の国々が回復するにつれて、世界の GDP に占めるアメリカのシェアは 1970 年までに 3 分の 1 に低下した (おおよそ第二次世界大戦前夜のシェア)。ニクソン大統領はこれを衰退の兆しとみなし、ドルを金本位制から外した。 しかし、半世紀経った今でもドルの価値は非常に高く、世界の GDP に占めるアメリカのシェアは依然として約 4 分の 1 であり、また、アメリカの「衰退」が冷戦での勝利を妨げるものでもなかった。

   今日、中国の台頭は米国の衰退の証拠としてよく引用される。 米中力関係を厳密に見ると、確かに中国有利の変化があり、それは相対的な意味での米国の衰退として描写することができる。 しかし、絶対的な観点から言えば、米国は依然として強力であり、今後もそうである可能性が高い。 中国は強力な競合相手だが、大きな弱点もある。 全体的な力のバランスに関して言えば、米国には、中国に比べて、少なくとも 6 つの長期的な利点がある。

   第1は、地理で、米国は 2 つの海と 2 つの友好的な隣国に囲まれている一方、中国は 14 か国と国境を接しており、インドを含むいくつかの国と領土紛争を抱えている。
   第2は、中国が輸入に依存しているのに対し、アメリカは相対的なエネルギーの独立性を保持している。
   第3に、米国は大規模な多国籍金融機関とドルの国際的役割から権力を得ている。 信頼できる基軸通貨は自由に交換可能であり、深い資本市場と法の支配に根ざしていなければならないが、そのすべてが中国には欠けている。
    第 4 に、米国は、現在世界人口ランキングでその地位 (3 位) を維持すると予測されている唯一の主要先進国として、相対的な人口動態上の優位性を持っている。 世界の経済大国15カ国のうち7カ国では、今後10年間で労働力が減少するだろうが、米国の労働力は増加すると予想されており、中国の労働力は 2014 年にピークに達した。
   第5に、アメリカは長年にわたり主要技術(バイオ、ナノ、情報)において最前線に立ってきた。 中国は研究開発に多額の投資を行っており、現在では特許の点で優れた成績を収めているが、独自の基準によれば、中国の研究大学は依然として米国の研究機関に劣っている。
    最後に、国際世論調査では、ソフトな吸引力において米国が中国を上回っていることが示されている。

   全体として、米国は 21 世紀の大国競争において強力な地位を占めている。 しかし、米国人が中国の台頭に対するヒステリーに屈したり、中国の「ピーク」に対する自己満足に屈したりすれば、米国は、カードの使い方を誤る可能性がある。 強力な提携や国際機関への影響力など、価値の高いカードを破棄することは重大な間違いである。 アメリカを再び偉大にするどころか、大きく弱体化する可能性がある。
   アメリカ人は中国の台頭よりも、国内でのポピュリスト・ナショナリズムの台頭の方を恐れている。 ウクライナ支援の拒否やNATOからの脱退などのポピュリスト政策は、米国のソフトパワーに大きなダメージを与えるであろう。 トランプが11月に大統領選に勝利すれば、今年は米国の力にとって転換点となる可能性がある。 最後に、衰退感が正当化されるかもしれない。
   たとえ対外的な力が優勢なままであっても、国はその内なる美徳や他国にとっての魅力を失う可能性がある。 ローマ帝国は共和政形態を失った後も長く続いた。 ベンジャミン・フランクリンは、建国者たちが作り上げたアメリカ政府の形態について、「維持できれば共和制だ」と述べた。 アメリカの民主主義がより二極化して脆弱になっている限り、その発展こそがアメリカの衰退を引き起こす可能性がある。

   ナイ教授は、冒頭で、18世紀、建国の父たちは新しいアメリカ共和国をどのように維持するかを考える際にローマの歴史を研究した。 と書いている。
   トランプは、アメリカの建国の精神のみならず民主主さえ崩壊させようとしていると辛口の評論を続けているが、さらに、トランプの再登場だとすると、弱体化しつつあるアメリカが、更に衰退への道を加速するであろう、と言うのである。
   それも、アメリカの政治が修復不可能な状態にまで二極化に分断され、アメリカが営々と築き挙げてきた虎の子の文化文明の価値、そして、貴重なスマートパワーを葬り去ろうとするポピュリズムの波がアメリカを翻弄しているのであるから、 尚更である。
   中国との国力比較は、ナイ教授の持論で前にも紹介したが、いずれにしろ、まだ、一等国であり衰えてはいない、アメリカ人よ、自信を持て、と言いたいのであろう。
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