熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ウォール街危機最中にも大銀行の巨額ボーナス・・・ニューヨーク・タイムズ

2009年07月31日 | 経営・ビジネス
   ニューヨーク・タイムズの電子版のトップ・記事が、「Big Banks Paid Billions in Bonuses Amid Wall St.Crisis」。
   以前、物議を醸したAIGだけだと思っていたのだが、「2008年度ウォール・ストリート1億円(1ミリオン ドル)クラブ会員は、5000人」と言う書き出しで、ニューヨーク州司法長官が、大損失を出して税金を何千億円も注入された大銀行が、大惨事の時期に、少なくとも4793人の行員やトレーダーに対して、1億円以上のボーナスを支給していたと報告したと報道したのである。

   早速、クオモ長官の「NO RHYME OR REASON The 'Heads I Win, Tails You Lose' Bank Bonus Culture」を読んで見たら、ここまで、アメリカ金融界のモラルがダウンしたのか、と言うよりも、市場原理主義に基づく契約社会とはこう言うものかと言うことを思い知らされた感じであった。

   NY州司法長官事務所が、昨年の経済危機関連の調査、すなわち、格付け機関の失敗、政府規制当局の役割、CDS市場の大洪水、過度のレバリッジ効果、住宅金融詐欺などを調査中に発見したと言うことでの、いわば特別報告である。

   殆どの銀行は、業績が良ければ良く、悪ければ悪く支払うと言う、業績に基づいて報酬を支払うことが最も重要だと強調した。
   しかし、司法庁は、銀行や関係機関の関係者からの事情聴取を含めて徹底的に調査した結果、彼らの主張に反して、そのような報酬制度に対するいかなる明確なRHYME OR REASONも、発見できなかった。
   過去3年間は、業績連動の報酬制度の試行錯誤であったようだが、調査の結果、実際の銀行員への報酬は、銀行の財務諸表の業績からは切り離されてしまっていて、出鱈目だったと言うのである。

   したがって、銀行の業績の良い時には良く支払われ、悪い時にさえも良く支払われ、更に、銀行が、最悪の業績に陥った時にも、膨大な税金の注入を受けながらも、良い報酬が支払われた、すなわち、ボーナスと全体の報酬は、利益消失とは殆ど連動してダウンしなかったのだと断罪している。

   最悪であったシティグループやメリルリンチなど、トータル540億ドルの損失を出し、政府から550億ドルの救済資金を受けながらも、90億ドルものボーナスを出し、シティが1億円以上支払った人間は738人にも上ると言う。
   少し業績の良かったゴールドマン・ザックスの場合には、もっと寛大で、1億円以上は953人、3億円以上は212人もあり、政府から100億ドルの救済資金を受けながら、収入23億ドルの2倍の48億ドルのボーナスを支払っている。
   バンカメ、モルガン・スタンレー、JPモルガン・チェイスまど他の銀行もこれに倣えで、その責任感のなさとモラルの欠如は目を覆うばかりの惨状である。

   ドラッカーも、ガルブレイスも、市場原理主義の暴走と経営者のモラルの欠如等によって、現代資本主義が堕落してしまったことを慨嘆しながら逝ってしまったのだが、今回の金融危機によって引き起こされた未曾有の大恐慌を見なくて済んだことは、せめてもの幸せであったかも知れないと思うと寂しい。
   
   私は、この記事を読みながら、ニッサンのカルロス・ゴーンを思い出した。
   このことは、先月のニッサンの株主総会レポートでコメントしたが、今期、大赤字で株主配当さえゼロにしたにも拘わらず、高額の役員報酬を支払ったことについて、報酬は前年度の業績連動であると言って株主の批判を一蹴し、かつ、今回の経済危機による業績悪化は、不可抗力であって、会社のフリー・キャッシュ・フローを維持するために無配にしたとするゴーン発言である。
   ゴーンの経営哲学は、徹頭徹尾、今回のウォール・ストリート金融機関の報酬哲学と同列で、良いか悪いかは別にして、ニッサンは、最早、日本的公序良俗を内包した会社ではなくなっていると言うことである。

   どうしても私が解せないのは、あのトヨタでさえ赤字になった経済不況であるから、業績の悪化は経営者の責任ではないと言うゴーンの理論である。
   偶々、ICTおよび金融革命(?)による長期景気循環の上昇局面の波に乗って、世界同時好況のために、自動車産業が活況を呈していただけで、当然発生し得る景気後退期においては、耐久消費財の自動車の需要が落ち込んで業績が悪化するのは当たり前の筈で、そんなことは、ゴーン自身、欧米で十二分に経験して熟知済みであり、不可知ではない筈である。
   それにも拘わらず、ニッサン再生プランを高らか掲げて実現可能を吹聴して、長期的上昇を続ける高額配当は、「コミットメント」だと大見得を切り続けていた。

   理屈に合っているようで実際は全く理屈に合っていない、そんな銀行の対応を、クオモは、The 'Heads I Win, Tails You Lose' Bank Bonus Culture と言うタイトルで、レポートを書いたが、それが、資本主義の本質なら、われわれの未来は、益々暗い。
   ところで、ゴールドマン・ザックスを筆頭にして、沈んでいた金融機関が元気を取り戻し始めたようだが、クルーグマンなど多くの学者や欧米の経済紙誌などは、金融機関を野放しにせず、このまま箍を嵌め続けろと警告を発し続けている。
   しかし、どんなに箍を嵌めて、締め付けようとも、資本主義そのものが、自由を求めて動き続けるシステムである以上、その上を行き、これをコントロールする人間が。もっともっと賢くならない限り制御できる筈がない。
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大前研一著・・・「最強国家ニッポンの設計図」

2009年07月29日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   丁度、総選挙前のタイミング良い時期に、大前研一氏が、「平成維新」から20年を置いて、「ザ・ブレイン・ジャパン建白」と銘打った「最強国 ニッポンの設計図」を出版した。
   民主党、自民党ともマニフェスト論争に明け暮れているが、哲学と思想性に欠ける意味不明の小冊子と違って、大前氏は、正に、渾身の力を振り絞って、持論を展開し、明日の日本が、如何にあるべきかを、国民に問うている。
   私自身は、大前氏の提言に対しては、殆ど賛成で異論はないのだが、ここでは、それでも、どうしても、すんなりと同調できない点が、いくらかあるので、その点に限って私見を述べてみたい。

   大前氏の思想の根底には、マーケットメカニズムに対する強い確信があり、所謂小泉・竹中路線の市場原理主義よりもっと強烈である。
   弱肉強食の市場に打ち勝ってこそ、成長があり、セイフティ・ネットとしての弱者救済も本人の益にはならず、徹底的に自力で立ち上がってこそ、発展と成長があるのだと言う考え方で、強烈なミルトン・フリードマン張りの迫力である。
   正に成長期の戦後の日本や、現在の中国やインドの経済社会を髣髴とさせて、スカッとしているのだが、私自身は、確かにそうかも知れないが、そこまでして経済成長を図ることが、唯一の道なのかどうかと言う疑問を感じている。

   大前氏から見れば、小泉竹中の構造改革など、弱肉強食の社会を作ったのではなく、中途半端に終わったのみならず、どうやって産業を伸ばすかではなく、どうやって産業や企業を規制するかと言う視点に立って嫌がらせの限りを尽くして、良循環を圧殺して、企業活動を鈍化させ、国民の消費マインドを収縮させたと言うことになる。
   サッチャー以前の「格差是正」「正規雇用確保」を叫んだイギリスの「平等社会」思想が、如何に、かって大帝国であった国を駄目にしていたかを熱っぽく説きながら、サッチャーが復活を成し遂げた軌跡を、明日の日本再生のために検証すべきだと言う。
   確かに、イギリス病と揶揄された頃のロンドン市内の惨状は目を覆うばかりで、収集されずに山積みされた都市ゴミが散乱し宙を舞っていたし、ヒースロー空港に入れば必ず荷物がこじ開けられて盗難に会った。そして、その後、私は、サッチャー時代を、オランダとイギリスに居たので、具にイギリス経済の再生とビッグバンを実感しているので、大前氏の論点は肝に銘じている。
   
   麻生総理さえも、小泉政治の根本思想であった筈の「市場原理主義」との決別宣言を唱え、自民党も民主党も、益々、大前説の強者を一層強者となす「市場原理」に基づく経済成長戦略から遠ざかって行くことになるのだが、しからば、日本は、益々沈んで行くのであろうか。
   元々日本人は、非情になれない国民性であり、生きとし生きるもの、森羅万象総てを神と崇めて共生を旨とする優しい国民であるから、窮地に落ち込めば落ち込むほど、他者を慮る。
   私自身は、大前氏の成長戦略論を、市場原理に固守しなくても、日本人、乃至、日本人魂にマッチした形で、発露実現して行ける道があるような気がしており、この第三の道こそ、日本が目指すべき道だと思っている。

   それ以前に、私自身は、もう、地球のエコシステムの限界まで食いつぶしてしまった宇宙船地球号を、これ以上追い詰めて、経済社会を成長発展させる必要があるのかどうか疑問に感じている。
   人類が営々と築き上げ創造し、かつ、守り続けて来た多くの世界遺産を破壊し続ける人間社会よりも、これを大切に維持しながら、人間らしく生きるために、歴史の針を、多少、逆回りさせた方が幸せだと思っている。

   もう一つ、大前説で、どうしても納得できないのは、「答えのない世界」を生き抜くための教育改革の断行をと言う教育手法である。
   21世紀の教育の目的は、どんなに新興経済国や途上国が追い上げてきても日本がメシを食べていける人材、言い換えれば、答えがない世界で果敢にチャレンジして世界のどこに放り出しても生き残っていける人材を生み出すことで、義務教育は「社会人」を、大学は「メシを食える人」を作れと言う考え方である。
   特に、大学の役目は、「メシを食べて行く手段を身につけさせる」ことで、職業訓練学校だと割り切るべきだとまで言う。

   この教育論だが、このブログで何度か触れたように、大学教育については、小林陽太郎氏のリベラル・アーツ教育を重視した全人教育こそ、日本の目指すべき教育だと思っているので、職業訓練学校説などはもっての外だと思っている。
   プロとしての専門教育は、その上の修士課程のプロフェッショナル・スクールで行えば良いのである。

   スペアパーツばかり育成してきた日本の画一教育が、今日の日本を如何に窮地に追い詰めてしまったのかは、自明の筈で、エコノミック・アニマルと揶揄し続けられてきた日本人の未来を背負う人材に、更に、金儲けだけを教えてどうするのか。
   「逃げ出す総理大臣」は、リーダーシップを否定した戦後「悪平等教育」の負の遺産だと大見得を切りながら、「メシを食べて行く手段」は、「英語」「ファイナンス」「IT」が必須項目で大学時代にピカピカに磨けと言う。これで、第二の盛田昭夫や松下幸之助や本田宗一郎が生まれ出るとと言うのであろうか。

   あのルネサンス華やかなりし頃、人類最高の歴史を生み出したフィレンツェは、世界中から最高の人材を糾合して、異文化異文明が交差し衝突する十字路を提供することによって、メディチ・イフェクトを生み出し、知と美の創造と爆発を現出した。
   これこそ、人類の英知がなせるわざであり、真の値打ちだと思っている。
   
   大前氏の説には、殆ど納得だが、人類が幾世代にも亘って営々と築き上げてきた崇高なる英知や壮大な文化文明、そして、何ものにも変え難い掛け替えのない偉大な遺産など、人類の人類たる値打ちに対する慮りが、あまりにも希薄である。   その所為か、殺伐としていて、息苦しいと言うのが、私自身の正直な感想で、日本人がこれまでに創造してきた偉大な価値を軽視してまで、経済成長を目指しても、あまり意味があるとは思えないと感じている。

   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

不思議の国のニッポン経済・・・ニューズウイーク誌

2009年07月27日 | 政治・経済・社会
   先週のニューズウイーク日本版の特集記事は、「日本の経済は生き残れるか」。
   ”景気底打ちの兆しと根強い悲観論 矛盾に満ちた漂流経済の不確かな行方”と言う観察コメントだが、輸出立国であった日本は、かって有望な輸出市場であった国々も、終身雇用を担ってきた輸出企業も、もはや頼りにならない 新たな成長パラダイムが必要だと言ったありきたりの日本経済論を展開している。

   興味深いのは、この本文記事よりも、初めて日本を訪れたと言うニューズウイークの経済担当記者ダニエル・グロス自身の「取材ノート ディスカバー不思議ニッポン」の方で、一流誌の経済担当記者が、日本に来たことがなく世界経済を論じてきたこと自体が驚きだが、それだけに、カルチュア・ショック気味のレポートが、実に本質を突いていて面白い。

   クールビズ運動で、「エアコン機能不全」に陥って灼熱地獄化(?)してしまった東京に驚いて、謎のキャンペーンと揶揄しながら、Tokyo is Burningとタイトル付けて、これが、経済不振と少子化の原因ではないかと宣っている。
   こんなに暑くては、良い考えも浮かばないであろうし、勤勉さと生殖能力を同時に失い、日本経済の回復も望み薄で深刻な人口問題に苦悩するのも当然だと言うのである。
   笑ってはおれないが、低炭素社会実現を目指す日本の対応に対する痛烈な皮肉と考えると面白い。
   
   アメリカの冷房の効きすぎ方は異常だと思えるほどだが、確かに、最近は、東京の冷房も温度の調節が過度にゆるくなった感じで、涼を求めて地下街に入れど一向に涼しくなくなっているのに驚く。

   次に興味深いのは、Japan:Automation Nation? として、効率性と非効率性が同居する日本の アンビバレントなオートマ国家に疑問を呈していることである。
   映画「ターミネーター」のように、沢山のロボットが腕を伸ばして溶接しているトヨタの最新鋭無人工場や大阪のIT技術を駆使する中小企業を紹介しながら、その一方では、少人数の昼食会に多くのウエイターが給仕したり、ボタンを押す為だけに居る百貨店のエレベーター・ガールや駐車場での制服を着た多くの係員の存在の無意味さ馬鹿らしさ加減に触れ、その落差の激しさに呆れ返っている。
   この日本の非効率性こそが、完全雇用を望む社会と密接に関係していて、日本の失業率の低さは当然で、その原因はここにあると言わんばかりに、全く働かないよりはマシと言うのが日本の考え方だと説いている。

   グロスは、このような人的効率の悪さは、日本人が礼儀正しさやマナーを重んじることと関係あるのだろうと言っているが、これなどは、合理性や効率一辺倒で割り切れない、凭れ合い社会的な要素の強い日本の特質だと思うのだが、このような摩擦的存在とも言うべき重複や無駄が日本の経済社会には、五萬と存在しており、逆に、それが日本の経済社会の支えともなっている。
   例えば、ドライになり過ぎたと言っても、企業連合や一企業内においても家父長的な要素が色濃く残っているし、外資や外国企業にアウトソーシングする方がコスト削減にもなり合理的だと分かっていても、内部で仕事を回しあって共存共生する道を選んでいる。
   これは、競争に関する考え方に典型的に現れており、競争は、善であり市場主義経済の根幹をなすとするのがアングロサクソン的発想だが、競争は、共倒れに通じると考えて話し合い・談合で治めようとするのが日本。

   IT化と機械化だが、日本人は、人とのインターフェイスが重要で、関係ないところでは徹底的に合理化するが、人との関わりのあるところでは中々オートメ化は出来ない。
   グロスは、アメリカでは、企業や政府機関で資料や主要データなどはMSやCD-ROMで渡されるが、日本では大量の書類と印刷物であり、パスポートを紛失して交番に行ったら一枚の書類を作成するのに30分かかったとしてパソコンさえないのかと、IT化の遅れを揶揄っている。
   これは確かに、日本では何でも紙で、これだけ、ICT化が進んでいるのに、どうして合理化できないのか、あらゆる場面で、私自身そう感じている。

   ところで、どうしたことか、日本は、外食産業に対しては、驚くほど開放的で、アメリカの街角と殆ど雰囲気が変わらないとびっくりしている。
   私の経験では、日本人ほど外国食に弱い国民はないと思っていたのだが、思いのほか、東京の街は外食、特に、アメリカ系のファーストフードに占拠されてしまっていると言うことなのである。

   日本の経済については、日銀の西村清彦副総裁と同志社大浜矩子教授とのインタビューを引用しているが、今回のアメリカの大不況が日本の不況に似ていると言うのではなく西村副総裁の説を取って韻を踏むと表現しているのが面白い。
   時代の潮流を反映して、そのサイクルはドッグイヤーでスピードが違うのだと言っているのだが、日本がそうであったように、たとえ回復しても、アメリカの経済も徹底的に疲弊して見る影もなくなってしまう筈だということを理解していないのが、やはり、アメリカ人である。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

七月大歌舞伎・・・玉三郎の「天守物語」

2009年07月26日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   玉三郎の「天守物語」を見るのは2度目である。
   この泉鏡花の「天守物語」は、「雨月物語」の系譜にある妖の世界の物語で、怪奇的ではあるが、玉三郎が積極的に演出・主演、そして、監督をして、歌舞伎や映画、芝居などのパーフォーマンス芸術の華とも言うべき実に幻想的で美しい舞台を創造しており、正に芝居そのものと言った感じの素晴らしい舞台である。
   姫路城の天守の最上階に棲み付いた妖怪たちの主人である美しい天守夫人富姫(玉三郎)が主人公だが、消えた鷹を追って禁断の天守へ紛れ込んで来た姫路藩の鷹匠・姫川図書之助(海老蔵)と恋に落ちると言う異界と人間界の人間の恋物語である。
   めしいとなった玉三郎の富姫が、「お顔が見たい、唯一度。千歳百歳に唯一度、たった一度の恋だのに。」と、図書之助にすがり付いて、激しい恋に咽び泣く。ハッピーエンドで終わるのだが、盲目を解くのも、日本古来の仙人のような翁・老工の近江之丞桃六(我當)であり、日本の説話物語を髣髴とさせる。

   キリスト教徒であり、尾崎紅葉の弟子としてのバックグラウンドを持ちながら、一方では江戸文学の影響を色濃く受けており、今回の天守物語は、その怪奇趣味とロマンティシズムを強烈に体現した泉鏡花の典型のような小説だが、先回、同じく玉三郎と海老蔵が共演した「高野聖」の舞台空間と同じく、心の中にずっしりと沈んだいぶし銀のように何時までも余韻を引く不思議な作品である。

   父君の團十郎自身が弁解これ努めているドンファン・イメージの海老蔵だが、この玉三郎との泉鏡花の舞台に関する限り、実に古風で素直な理想的な日本の男を演じており、この天守物語での図書之助などを見ていると、光源氏とは大分違った人物像を作り上げていて、新境地と言うか爽やかささえ感じる。

   この泉鏡花の作品は、舞台を前提として書かれており、舞台設定など詳しく書き込まれているので、玉三郎たちが、鏡花の意図をどのように解釈して演出を考えて、この歌舞伎の舞台を創り上げようとしたのか、その背景が分かって面白い。
   富姫たち妖怪の生きている縁は、天守の中央に鎮座まします金の目の獅子頭なのだが、この目を播磨藩の武士に射抜かれて中に入っていた富姫と図書之助がめしいになると言う設定で、重要な役割を果たす。

   天守閣の最上階の広間が舞台となる一幕ものであるから、それほど複雑にはならないのだが、冒頭の、暗い背景から3人の女童が輪になって歌う「とおりゃんせ」の懐かしさといい、5人の侍女たちが天守の欄干から露を餌に秋草を釣るために糸を垂れている風景からして詩情豊かで美しく、その後の豊かで劇的な舞台展開を考えれば、実に良く出来ている。

   玉三郎の富姫は、打見は二十七八と言うことだが、手毬遊びに猪苗代から雲間を飛んでくる亀姫(勘太郎)が二十ばかりと言う年齢設定だから、丁度良いのかも知れないが、風格と貫禄が勝ちすぎて一寸イメージが違ってくるが、とにかく、優雅で美しく、図書之助との恋の初々しさには華がある。
   ところが、美しくて素晴らしい姫たちだが、そこは妖怪の世界。亀姫の手土産が、猪苗代の城主の首で、血が滴って見苦しいので、連れて来た舌長姥(門之助)に舐めさせるのだが、富姫は、気を使わなくても良い、血だらけなは、尚おいしかろうと言う鬼気迫る会話をさらりとやってのける。

   勘太郎の女形が続いているが、祖父芝翫が見込んだだけあって、中々、さらりとした色気と品があって素晴らしい。やはり、気の所為か、玉三郎と並ぶと、随分、若くて初々しい。
   亀姫が同道した家来の朱の盤坊の獅童の赤面姿も堂に入っていて良かったが、この舞台も、猿弥休演で、小田原修理を代演した市蔵が好演していた。

   やはり、このような舞台では、獅子頭の目を再び開ける役作りの老工には、好々爺で仙人のような風格のある我當が最も適役なのであろうか、控えめながら、最後のカーテンコールにも登場していた。
   侍女頭の薄を演じた吉弥の好演は流石で、何故、あんなに良い男の図書之助を、抵抗しても、あなたの御容色(ごきりょう)とそのお力で無理にも引き留めておくべきなのに返してしまったのかと詰問するあたりの呼吸など素晴らしい。
   ここらあたりのモダンな発想は、泉鏡花らしくて中々面白い。

   モダンついでだが、富姫の言葉を通して、泉鏡花の文明観と言うか人生観が滲み出ていて面白いと思った箇所が、これ以外にいくらかある。
   まず、最初は、鷹狩に家来を沢山引き連れて出かける播磨の守の騒々しさに我慢がならず、夜叉が池の白雪姫に頼みに行き嵐を起こして蹴散らすと言う場面である。
   今の政治と何処か似ていて、子供の遊びにしか見えないのかも知れない。
   次に興味深いのは、その鷹を魔術で引き寄せて捕らえて、その鷹を追ってきた図書之助に、殿様の鷹だと言われて、鷹は誰のものでもないと一蹴する言葉である。

   鷹には鷹の世界がある。決して人間の持ち物ではありません。と言って、大名の思い上がった行き過ぎを、鷹を唯一人じめにして自分のものだとつけ上がっていると糾弾し、図書之助に、あなたは然う思いませんかと問い詰めるのである。
   鷹の世界だと言って、露霜の清い林、朝嵐夕風の爽やかな空があると言うくだりなど、私は聞いていて感動した。

   特に、私など、日頃から、人間の地球環境に対する傍若無人な態度に疑問を感じており、共生すべき筈の動植物の生きる権利を大切に守るべきだと思っているので、ほろりとしたのかも知れない。
   泉鏡花は、怪しく揺れているが、冴えているのである。
      
   
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トマト栽培日記・・・(16)イタリアン・トマトも充実

2009年07月25日 | トマト栽培日記
   気候の変化や病気などを心配しながら、カネコとサカタのミニトマトを栽培して、どうにかこうにか、収穫期にこぎつけてみると、素人のプランター栽培としては、それなりに楽しめたのではないかと思う。
   何の栽培もそうだが、種を植えて芽が出たり、最初の花が咲いたり、実が色づき始めたりすると嬉しくなり、虫に食われて花や実が痛んだり、風に吹かれて枝が折れたりすると、どうしたら良いのか不安になり右往左往する。そんな繰り返しなのだが、世話や手入れに素直に答えてくれる花木の姿がいとおしいし、刻々と変わっていく自然界の呼吸を感じながら、しみじみと幸せだと思う。

   ところで、数週間前から困っているアイコの実の先端が黒ずんで腐る病気だが、調べていると、「尻腐れ病」と言う如何にもぴったりの病名を見つけた。
   しかし、写真を見ると、トマトの実の横側が大きく黒く腐っているし、説明を読んでいると大分雰囲気が違っている。
   窒素過多でカルシウム不足で起こると言うことだが、市販の培養土を使っていて、その後の肥料も、三要素のバランスには気を使っているので、当たらないと思う。
   
   その後、調べてみたら、アイコのように房の他の実まで連続して沢山黒ずんでいる訳ではないが、サントリーやデルモンテのトマトの実にも、かなり、同じ病気が出ていたので、ぽんぽん成長中の実をもぎ取って捨てなければならなかった。
   残念だとは思うが、ものは考えようで、後から出てくる実を大きくするための摘果だと思えば苦にならない。
   また、前回の輪紋病のように、急速に木全体に広がって、一挙に幹も茎も葉も実も腐って行くと言う心配はなさそうだし、散発的な被害であり、これから、雨が少なくなって太陽が照り付けるので、薬剤散布は止めておこうと思っている。

   同時に植えているサントリーとデルモンテのイタリアン・トマトであるが、競技場のトラックのような形の細長で中玉のデルモンテのイタリアン・レッドは、既に収穫して、かなり無味に近い淡白な硬い実の感触を楽しんでいる。
   この口絵写真は、サントリーのズッカと言う名前のトマトだが、表面に貝のような凹凸の入った模様をした洋ナシ形の実、早く言えばピーマンのような形をした実をを沢山つけ始めている。
   サントリーの説明だと、カボチャ型に大きくなるらしい。
   トマトは、真っ赤な丸い形をしているものだと思っていたが、イタリアン・トマトを栽培していると、他にもこんな歪で変わった形のトマトがあり、何故、イタリアで、あんなにバリエーションのあるトマトが生まれたのか不思議である。
   それに比べて、織豊時代にポルトガル経由で、そして、文明開化後アメリカから入った日本のトマトは、至って綺麗な形をした優等生であるのが面白い。

   さて、このズッカだが、花はかなり大型でしっかりしていて花房も豪快に伸びるのだが、結実率はあまり良くないような気がする。
   しかし、花つきが良く、どんどん木が大きく広がるので、最初から2本仕立て育てていることでもあり、このまま、脇芽の芽かきや頂部の摘芯も程々にして、最後まで雑草のように育ててみようと思っている。

   話が変わるが、株が疲弊していたので、庭で風雨に晒したままで育てていた月下美人の花房が急に膨らんだので、玄関先に取り込んでいたら、夜中に、芳香を放ちながら綺麗な純白の花を咲かせた。
   一度に、十三輪咲いたことがあったが、今回は二輪で、遅れて、明日一輪咲きそうである。
   いつもながら、実に優雅で素晴らしいのだが、夕刻から蕾が緩み始めて、夜遅くなってから満開になり、朝早くにはしおれてぶら下がる、ほんの僅かな命なのだが、その潔さと美しさに感動する。

   私は、このような自然の営みの素晴らしさに感動するごとに、この美しい花諸共に、この地球環境を破壊しようとしている人間の馬鹿さかげんに、いつも憤りを感じてしまう。
   ホッキョクグマを主人公にしたドキュメント映像が多いのだが、地球温暖化のために北極海の海氷が解けてしまって、海氷に辿り着けなかくなって、どんどん死んで行く姿を見ると堪らなく胸が詰まる。
   
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブロードウェイ・ミュージカル・スペリング・ビー・・・天王洲:銀河劇場

2009年07月24日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   久しぶりに、面白いミュージカルを見た。
   彗星のように現れてトニー賞2部門を取ったブロードウエイ・ミュージカル「スペリング・ビー」(翻訳演出:寺崎秀臣)で、主題は、1825年から続いていて、各地の予選を経てワシントンで全国大会が開かれると言う14歳以下の子供たちが出場できる「スペリング・ビー」(スペリング、すなわち、英単語の綴り当て競技)で、極めてシンプルなのだが、言葉のやり取りの面白さに加えて、夫々の子供たちが複雑な背景を背負って登場するので、一途な子供たちの奮闘が面白い。
   登場人物は、挑戦者の子供6人と、司会者と出題者などの大人3人なのだが、公演当日の開演間際に、客席の希望者から選ばれた3~4人の素人が登場し6人の子供たちと一緒にゲームに参加して演技すると言うハプニングが加わる。

   舞台は、プットナム郡の予選大会で、地元の不動産業者であるロナ・リサ・ペレッティ(安寿ミラ)が司会者、中学の副校長ダグラス・パンチ(村井国夫)が出題者、そして、子供たちの介添え役で残念賞を手渡すカウンセラー役ミッチ・マホーニー(今井清隆)の3人の大人が登場する。
   出題者から問題の単語が提示されれば、その言葉の意味、語源、例文などを質問することが出来るのだが、途中で一字でもスペルを間違うと鐘がなって退場となる。
   とにかく、日本のクイズ番組と同じだから、聞いたこともないとか、辞書に載っていないと言った難しい言葉も出てきて大変な難関である。
   ところで、素人の女の子には、カブキ、シュワルツネッカー、CDなどと言った単語が出ていたが、毎日、同じ単語のようなので、村井国夫が後で言わないで欲しいと語っていた。

   子供を演じる役者だが、足で綴りながら回答する魔法の足を持つ優勝者のウイリアム・バーフェイの吉本の藤井隆、家庭崩壊で辞書だけが友だと言う孤独な少女で母がインドに居ると言う準優勝のオリーブ・オストルフスキーをミュージカルで活躍している新妻聖子が演じるなど、他に、梶尾善、高田聖子、板元健児、風花舞と言った劇団でキャリアを積んでいる役者や宝塚の出身者と言った芸達者が登場していて、コミカルタッチで、リズム感とスピードのある素晴らしい舞台を展開していて面白い。
   最も年少の7歳で三つ編みのおませなローゲン・シュワージーを演じた高田聖子など、ちゃっかりウイキペディアを引用して自己宣伝までやってのけるし、六ヶ国語を話せると言うマーシー・パークの風花舞などピアニストを押し退けて弾き語りをして、机を割る大立ち回りまで演じる。コミカル系でオーバー・アクションの梶尾善や、真っ先にとちって退場する前回優勝者の板元健児も個性的な演技が上手い。
   

   私は、安寿ミラを見に行ったようなものなのだが、やはり、実にチャーミングで華のある女優で、もう少し、まともなアリア調の歌声を聴きたかったのだが、しかし、しょぼくれた冴えない実直な中年男役を好演した村井国夫との相性が抜群で、結構良い味を出していて中々よかった。
   この二人、アフター・トークショーで、流石に舞台数を踏んだ役者として、面白い話をしていた。
   ミッチー・マホーニーの今井清隆は、キャリアを積んだミュージカル歌手であるから一番本格的な歌声を聞かせてくれたと思う。
   4人の素人の女の子だが、全く物怖じせずに堂々と演じていたのには、現代っ子の爽やかさを見た感じで興味深かった。

   さて、このSPELLING BEEだが、今では、アメリカ以外に、英国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、インドネシアなどで全国大会が開催されているようである。
   しかし、恐らく、総て子供は平等でなければならず、競争させて順位をつけるなどもっての外だとする日本の教育風土(文部科学省の役人見解なのか日教組の考え方なのかは知らないが)では、絶対行われないゲームではないかと思う。
   youTubeを見れば、spelling beeの動画が随分出てくるし、たった、二人の大人が、大きな辞書と悪戦苦闘しながら司会進行している場末の大会から、満場の聴衆を集めた華麗な大劇場で開催されている全国大会まで千差万別だが、完全にショー化してしまっているのである。

   じゅげむじゅげむではないが、昔、スコットランドを旅した時に、世界一長い名前を持つ町に入った時に、実際に、ローマ字の綴りが延々と書き連ねられた看板を見たことがある。
   確か、20字や30字などではなく、もっと長くて、大きな建物の端から端までつながっていたと思うのだが、どうも、スペリング・ビーの方は、スペルの長さではなく、言葉の難しさにあるような感じがする。
   昔からタイプライターの国であり、その上に、ワープロからインターネットになって更に便利になり、今日では、綴りを間違っても瞬時にPCが訂正してくれる便利さに慣れてしまっている筈なので、問題を起こした漢字検定ではないが、余程、勉強して頑張らないと、spelling beeで勝つのは難しいであろう。

   観客の大半は、若い女性たちで、私のような年かさの男性客などは殆ど居なかったが、久しぶりに、ブロードウェイやウエストエンドの雰囲気を味わいたいと思って出かけて、まずまずの正解であった。
   尤も、同じミュージカルでも、レ・ミゼラブルやマイ・フェア・レディもあれば、オー・カルカッタやオペラ座の怪人、キャッツもあり、このミュージカルは至って変わったジャンルだが、オフ・ブロードウェイ、乃至、オフ・オフ・ブロードウェイに近いかも知れない。

   この天王洲アイルにある銀河劇場だが、イギリスなどのシェイクスピア劇が演じられている劇場に似たこじんまりした雰囲気で、中々素晴らしいと思っている。(但し、いすのクッションが、極端に悪いのが気になる。)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地球温暖化の危機を社会イノベーションで・・・日立uValueコンベンション

2009年07月23日 | 地球温暖化・環境問題
   日立が満を持して毎年開いているuVALUEコンベンションを、今年も聴講して勉強させてもらったが、今回は、協創で挑むビジネス・イノベーションを基盤にしたソーシャル・イノベーションに力点を置き、スマートグリッドなど、地球環境の保全を目指した壮大なテーマを前面に押し出した意欲的なセミナーや展示が展開されていた。
   二日目のセミナーは、小宮山宏前東大総長の「エネルギー課題先進国にっぽん」、東大山本良一教授の「今まさに直面している地球温暖化の危機と日本の取るべき施策」、それに、寺島実郎氏の「グリーン革命の視座」など、サステイナブルな地球環境を維持するために如何にあるべきかに焦点を絞った演題に集中していて興味深かった。
   
   寺島氏の講演は、先にこのブログでコメントした論点と全く同じであったし、他の二人の先生の論旨も、これまでと殆ど変わっていなかったのだが、しかし、低炭素社会問題も、愈々、大変な段階まで来てしまったなあと言う感じがひしひしと伝わってきた。
   私の手元に、東工大丸山茂徳教授の「地球温暖化論に騙されるな!」と言う、二酸化炭素犯人説に対する世界中の狂騒状態に、冷や水をぶっ掛ける警告の書もあるが、私自身は、ゴアがどう言うとか、世界中の科学者が地球温暖化危機を論証しているとか言う以前に、マルサス論の根底にある、この地球が支えられるエコシステムには限界があり、必ず、パンクしてしまうと言う理論を信じているので、遅かれ早かれ、人類の寄って立つ地球環境は、何らかの形で崩壊すると思っている。
   私が子供の頃には、地球上の人口は30億人と言っていたのが、今では60億人をオーバーしており、100億人になるのは目前だと言うのだが、限りあるこの小さな青い地球が支えられる筈がない。

   ところで、早速各論に入るが、小宮山先生の提唱している「自立国債」は、早急に実施すべきだと思っている。
   国が、太陽光発電15年債などと言った省エネ・エコシステムを目的とした国債を発行して、得た財源で、これらの機器(例えば、個人住宅の屋根の太陽光発電機)を購入して、国民に無償で貸与して、発電で得た電気代を収入して償還に当てて、償還が完了すれば、無償供与すると言う案である。
   実際に実施するに当たっては、解決すべき問題は多々あろうが、回収償還は間違いないであろうし、地球温暖化対策への貢献のみならず、日本の誇る省エネ産業への梃入れ、市場の活性化による需要の創造は勿論出来るし、国民もハッピーであろう。

   シュンペーターとケインズを同時にやれば良いのだと理科系の小宮山先生は、こともなげに言うのだが、正に、そうでありながら、経済や経営を学んだ筈の文科系の為政者などには、何故かこれが理解出来ない。
   需要不足で経済不況の泥沼に呻吟しているのであるから需要創造は必須であり、その需要喚起が、経済の活性化と成長のために貢献するイノベーションの誘発となり、更に、その目的が、人類の将来の幸せのためにプラスであれば、これ以上に理想的な経済政策はない筈である。

   アメリカ政府のビッグスリー救済が当たり前となり、持続可能な地球環境の維持のため、エコシステムの保全のためと言った美名の下に、省エネ・ハイブリッド車購入に対して、政府が膨大な税金を投入して、世界で最も優良な企業だと言われているトヨタやホンダの経営をバックアップ(?)している。
   あのミルトン・フリードマンが、草場の陰で市場資本主義の堕落だと歯軋りをしている筈だが、資本主義も変わったものである。
   政府が、馬鹿な赤字国債や建設国債などと言った亡霊ではなく「自立国債」を発行して、どんどん、戦略的なものづくりを目指して、特定製品をターゲットにしてサポートすることも、最早、タブーではなくなった筈である。

   山本教授の話は、オバマ大統領の登場や、今回のラクイア・サミットでの気温上昇2度C以内の抑制合意など、世界は低炭素革命の方向に大きく動き出したとしながらも、このまま地球温暖化を放置すれば灼熱地獄の到来もま近く、地獄を回避するためには、天文学的努力をはらわなければならないと言うことであった。
   私が一番気になっているのは、気温上昇が2度Cを突破して、最早、青い地球を救えなくなるPoint of No Returnに何時到達するのかと言うことだが、もう、20年後に迫っていると言う。
   2度Cを突破すれば、北海解氷、グリーンランド氷床、北方寒帯林、西南極大陸氷床などのティッピングポイントがドミノ倒しに進む危険があると言うのだが、そうなれば、最早、地球は、今までの地球ではなくなってしまう。

   もう一つ山本教授が指摘した点で、注目すべきは、日本は省エネ技術が一番進んでいると言われているが、実際の、日本人一人当たりのCO2排出量は、イギリス、ドイツ、フランスなどと同程度であり決して低炭素社会ではないと言うことである。
   小宮山先生が指摘していたが、日本では産業の省エネ低炭素化努力が注目を集めているが、日々のくらしの中でのCO2削減努力が足らないと言うところに問題があるのであろうか。

   山本教授は、エコプロダクツの普及と内外でのエコプロダクツ国際展の開催に尽力している。
   この面では、EUが最先端を走っていて総てが集中しているようで、イノベーションが次々に生まれていると言うのだが、やはり、人間も、水車の輪の中のハツカネズミのように走り続けて、経済成長と低炭素社会実現の二兎を追わざるを得ないのであるから、ものづくりのエコプロダクツへのシフトは、必然なのであろう。

   私自身は、早く走るためにあるのだとシュンペーターが言ったブレーキを踏んで、むしろ、経済成長を止めるべきだと思っているのだが、これについては、次の機会に論じたいと思っている。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

経済界も新旧交代?・・・塩川正十郎学長

2009年07月22日 | 政治・経済・社会
   塩川正十郎東洋大学総長が、日経のイノベーション・サミット2009の「日本の指針と宿題」と題する講演で、冒頭、東京都議選で、千代田区の自民党重鎮議員が、公認2週間の若干26歳の若手民主党議員に負けたことを語りながら、爺追放と若年パワーの台頭について語った。
   時代は、新しい力を求めている、若返りの時代だと言うことであろうか。

   同時に、日経連の会合に出て、貴方たちも若いのものに世代交代することになるであろうと語ったと言うのである。
   いくつかの経済関連団体に関係しているのだが、最近、元気な若手実業家から、今こそチャンスであり事業を変革して打って出ようと提言するのだが、年老いた経営者が、悉くリスクを避けよう、様子を見ようと言って、反対してやらせてくれないと言う。
   経済界も、自民党と同じで、決まり文句ばかり繰り返していて、積極的に改革しよう、リスクに挑戦しようと言う気持ちがなく、責任回避ばかりしているから、日本の経済社会が、一向に、活性化しないのだ、熱っぽく語る。
   キリンとサントリーの提携話を引きながら、友人であった佐治敬三氏のイノベーターとしての企業家精神が如何に事業の発展に貢献してきたかを説き、海外に打って出ようとする両社の快挙を多としていた。

   ところで、日経ビジネスの最新号が、民主党特集 『政権交代の衝撃――迫る「さらば経団連」』で、経団連は自民党一辺倒で、政策評価で民主党の評価を5段階の4番目Dと評価しており(岡田幹事長談)、この基準で、会員企業・団体に対して政治献金を促しているので、2007年、その97%が、自民党の政治資金団体である「国民政治協会」向けであったと報じている。
   ここでは、この議論の深入りは避けるが、民主党政権が実現すれば、いまだに重厚長大産業が支えている経団連の論理が、「租税特別措置法」など多くの問題で、見下して来た民主党と衝突し、バトルが起きることは必然で、このあたりからも、塩川学長の言う経済産業界での新旧の世代交代が進まざるを得ないのではなかろうか。

   先々日、このブログ「自民党の最後」で、ロンドンのエコノミスト誌の、自民党と財界との結びつき指摘にも触れたが、時代の変遷とともに形は変わって来たが、日本を支えてきた古い形の政官財トライアングルの崩壊・終焉が、良かれ悪しかれ、今回の日本の経済社会の大きなパラダイム・シフトの引き金になることは間違いないであろう。
   何故、日本が、この20年間もの長い間、経済成長から見放されて、その間に、普通の国に成り下がってしまったのか、時代と世界の潮流が大きく変わってきたにもかかわらず、古い殻を破れずに、変化と革新を追及できなかった政官財トライアングルの罪は深いと言えないであろうか。

   塩川学長は、時代が変わったのであるから、行政も変わらなければならないと言いながら、PFIなどによる民活、教育改革から、200もあると言う自民党のマニフェストの無意味さ、そして、日本の国防についてこれで良いのかと日米関係のあり方についても熱弁を奮い、例の素晴らしい名調子の塩川節で、1時間語り続けた。
   PFIのPを間違ってパブリックと言って説明に詰まったり、建築のリファブリッシュをリクライニングと言ったり、多少、間違ってはいたが、いつもながらの、あのバイタリティに富んだ若々しさには驚嘆しきであった
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自民党の最後(Terminal Decline ?)・・・Economist : Banyan

2009年07月20日 | 政治・経済・社会
   解散総選挙の報道が世界を駆け回っているが、大方の反応は、自民党の凋落と、民主党への政権交代の予想。
   電子版で見たECONOMISTのバンヤンのコラム「End of the line for the LDP」だが、自民党は、もう既に、ずっと以前に凋落していて、問題は、自民党支配がまもなく終わりそうだと言うことではなく、一体全体、自民党が、よくもこれだけ長い間、上手く権力にしがみついて来られたなあと言うことであると言う辛らつな記事を書いている。

   冒頭、同僚議員たちは、麻生総理が、解散30日総選挙をごり押ししたのは、野党民主党に地滑り的な勝利をセットしたようなもので、自民党の壊滅的屈辱的な敗北を齎すだけで許せないと言う書き出しで始まっているのだが、しかし、記事のサブタイトルは、「日本は、断末魔の自民党より、ずっと前に変わってしまっている」と言うもの。
   日本が高度成長を謳歌して、皆がその分け前を享受でき、利権まみれであった時代が終わった時には、自民党の命運は尽きていた。世の中が大きく変わってしまったのに、変われなかったのは、自民党だけだったと言うのがバンヤン説である。

   吉田茂と鳩山一郎が築き上げた自民党に、創立者の孫鳩山由紀夫が止めを刺そうとしているとしながら、戦後二人の首相が果たした日本の政治経済の軌跡を追いながら、戦後、アメリカの影響を受けて反共政策と経済復興政策を軸にして、寡占状態の経済界や官僚支配体制の構築によって、経済成長が実現したこと。
   この継続的な経済成長が、政官財トライアングルによる経済運営、産業界への優先融資、国民の雇用の安定、中流生活の夢の実現と言った国民的合意を実現させたのだと言う。

   しかし、自民党の拠って立つこの平衡状態も、オイルショックで崩れ去り、高度成長が揺らぎ始めて、この期をきっかけに、自民党の凋落が始まったと言うのである。
   1970年代の危機が、腐敗と政争を巻き起こし、党内での派閥争いが激しくなるとともに、政治資金集めに奔走し、公共工事の地方への誘導が地方ボスと選挙民の掌握に直結すると言う政治構造が出来上がった。 いまだに、バンヤンが生き続けていると言う田中角栄的日本である。

   その後、自民党は、1980年代には、公害や地域格差の縮小などかなり新政策を導入するなど試みたが、低迷を続けて、1993年に短期間政権を明け渡した。
   21世紀に入って、小泉首相の登場で、息を吹き返したが、改革派と改革に反対する抵抗勢力との戦いが熾烈化し、
   同時に、日本経済社会そのものが体力を疲弊させてしまい、雇用の安定も、社会保障の確保もままならなくなり、子供製造機だと言われた女性たちが息巻き食品の安全問題が世情を騒然とさせるなど社会不安が増幅する中、自民党は後手後手に回り統治能力を失って行った。
   今や、自民党は、この見せ掛けの改革さえ、殆ど諦めてしまったと言うのである。
  
   折角生まれた自民党の多くの小泉チルドレンたる近代的政治家(Modernisers)たちも、次の選挙では、地盤・看板・カネのある古参自民党議員に駆逐されて消えて行く。
   自民党が、今尚過去の泥沼に足を取られていると言う事実こそが、今日の歴史的瞬間と真の改革を示している。
   自民党は、長い間、ぼろぼろになっていた政治体制のかなめ石であった。
   変革すると言うことは、このかなめ石を置き換えるとと言うことではなく、新しいアーチを苦痛を伴いながらも再建すると言うことなのである。
   こんな言葉で、バンヤンは、このコラムを閉じている。

   巷で言われているように、麻生首相が悪いので、選挙に勝てないから麻生下ろしをすると言う自民党の体たらくを問題にしているのではなく、無能な総裁を立て続けに擁立しながら政権を維持しなければならなかった自民党そのものが、何十年も前に、既に賞味期限が切れていて、たまたま、今回のあまりにもお粗末極まりない一連の不祥事・政治的失敗の数々が引き金となり、国民が引導を渡さざるを得なくなったと言うことなのである。
   
   私自身は、経済成長街道を驀進し、アメリカを震撼させ、一時は、世界一の一等国日本に到達する寸前まで行きながら、失速して20年近い経済的停滞を引き起こし、先進国でも最も遅れを取った普通以下の国になってしまったこの現実を、バンヤンは自民党の不毛な政治支配と重ね合わせながら論じており、自民党だけの問題かは別にして、非常に適切な指摘だと思っている。
   私自身が、1970年代にアメリカに学び、その後、ベルリンの壁が崩壊して冷戦が終わり、インターネットが世界中をフラット化し始めた時代まで、ヨーロッパなど外国各地で辛苦を舐めながら奮闘していたので、日本の地獄も天国も見ているつもりなので、一層肝に銘じてそう思っている。

   バンヤンが言う如く、今回の選挙で、たとえ民主党が勝利しても、かなめ石のすげ替えではなく、今や、戦後、日本は、最大の危機であり曲がり角に直面しているのであるから、新しいアーチ、新しいトーチを打ち立てて新生日本を目指してくれることを期待している。

(追記)口絵は、エコノミストから借用。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

梅雨明けの庭のガーデニング

2009年07月19日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   梅雨が明けたと言うのだが、ハッキリしない日が続く。
   しかし、本格的な夏が来た証拠に、1週間ほどまえから、庭の地中に眠っていたあぶらぜみが急に足元から飛び出しはじめた。
   
   夏の到来が、一番良く分かるのは、入梅前くらいに、庭にアマガエルの数が増えて、庭一面にとんぼが飛び交い始めることである。
   そのとんぼが、今では、少し赤みがかってきたのが居たりするので、季節感が良く分かるのだが、これも2ヶ月ほどして、少し、日が傾き始めると真っ赤に染まる。

   この口絵写真のとんぼは、珍しく、ブルーベリーに止まったので撮ったのだが、とんぼは、好んで棒の先や植物の先など尖った天辺に止まる。
   私の庭のブルーベリーは、少し、遅いのか、これからが収穫期である。
   不思議なことに、このブルーベリーの実は、他の植物の実などと違って、殆ど小鳥たちが食べないので、私の食用になっている。
   目に良いということなので、朝のパンのジャムは総てブルーベリーだし、少し薄いジャムを砂糖の変わりにコーヒーに混ぜて飲んでいるくらいだから、結構、有難く、この自然の恵みを頂いている。

   庭には、色々な蝶が頻繁に訪れてくる。
   紫式部の小さな花に、大きなクマンバチが飛んできて飛び回っているのが不思議で仕方がない。
   百日紅にはまだ間があり、花木の花が殆ど咲いていないので、小鳥の訪れは少なくなった。

   カミキリムシが、目に付き始めた。以前には、モミジを食い荒らし枯死させ、今は、庭のイチジクの木に巣食い、無残なほど食い荒らして、殆ど駄目にしてしまっているのは分かっているのだが、駄目になった枝を次々に切り取っているだけで、そのままにしてほっている。
   イチジクは、袋を被せて防御したこともあったが、食べごろになる前に、必ず、賢い小鳥たちに先取りされるので、諦めており、数に入っていない。
   成長が早く、縦横無尽に枝を広げるので、本来、庭木としては植えるべきではないので、秋には切ろうと思っている。
   
   伸びるに任せてほってあった春の草花が、殆ど枯れてきたので、庭の雑草とりと花木の剪定を兼ねて、久しぶりに、庭の手入れをすることにした。
   体よく言えば、球根や多年草なら翌年そのまま咲くであろうし、種なら適当に落ちて芽が出て咲くであろうし、と思って、自然に任せているのである。
   あの可憐で朝だけの儚い命の鮮やかなブルーが好きで、伸び放題に広がらせている露草のお陰で、庭はジャングル状態だが、引き抜けば茎が繋がっているので、一網打尽に駆除できるので気持ちが良い。

   葉が広がっていて、かなり、庭の雰囲気を悪くしているのが、牡丹と芍薬の木だが、しかし、多少、葉が変色するくらいまでは、葉や枝の処理は待たなければならない。

   名前を知らないのだが、どんどん伸びて花木の上に這い上がって、その植木を覆い尽くすぶどうに似た葉のつる草が、一番邪魔なのだが、いくら抜いても、地面にゴムのように柔軟な強い根を張り巡らしているので、永遠に、庭から駆除できない。
   本当は、徹底的に雑草を抜くべきなのだろうが、根気のない所為もあり、また、すぐに生えてくるのだからと、適当に地面が見えた段階で、止めるのが私の悪い癖。
   長年の経験と勘で、雑草と草花や花木の芽の違いくらいは分かっているので、このように適当な草むしりをしていても、それなりに、庭らしく落ち着くのが不思議である。

   花が終わった椿などの花木が、晩春から一挙に成長を始め、一回り大きくなっているので、思い切ってバサリバサリと剪定するのだが、どの程度に止めるのか、多少の思案のしどころである。
   昔は、テキストを参考にして、まじめにその指示に従って剪定を行っていたが、切るべきか切らざるべきかさえ分かっておれば大差ないことが分かっているので、神経質になることもない。

   自然の驚異は凄まじく、自然に任せば、庭は勿論、田や畑も、そして、壮大な大都市も、瞬時にジャングルと化して埋没する。
   インカやマヤ、アズテック、それに、カンボジアの遺跡などを見れば一目瞭然である。
   バラも椿も、思い切ってバサバサ切った方が、美しい花を咲かせる。
   しかし、如何に、人知をもって自然を制御コントロールするのか、非常に難しい問題である。

   剪定の応用であろうか、強者の理論で、過保護は駄目だ、自分のことは自分で責任を持つ自助努力だと、経済社会を徹底的に切り詰めて、ミルトン・フリードマンばりの詭弁を弄して(?)、目も当てられないような状態の格差社会を作り上げてしまった。
   そんなことを考えながら、小一時間ほど、雑草と格闘するだけで汗が吹き出る。
   しばらく続けて、すこし、感謝の気持ちを込めて、庭の花木たちに報いようと殊勝な気持ちを持てるのも幸せかも知れないと思っている。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

トマト栽培日記・・・(15)アイコ色づく

2009年07月18日 | トマト栽培日記
   種から栽培してプランターに植えつけていたサカタのミニトマト・アイコが、やっと色づき始めた。中々、形の整った優雅で美しいトマトである。
   レッドもイエローも、同時に色づき始めた。
   3月中旬に種まきして、桜のシーズン4月に芽を出し、5月にプランターに移植したのだが、千葉の自然環境に任せたら、4ヶ月掛かったと言うことである。

   来週あたりから収穫できると思うのだが、残念ながら、疫病にやられて、小さな実の先端が黒く墨のように変色して腐ってしまい、花房の半分以上は切り落としてしまったので、収穫は少なくなる。
   先が尖っていて、梅雨の雨が先端に止まるので、その間に疫病に侵されるのであろうが、今回は、サントリー苗には、少し被害が出たが、同じような形態のトマトでも、カネコとデルモンテ苗には全く出ず、サカタのアイコだけ、花房の実が連続して黒ずんだので、病気には弱いのかも知れない。
   これから、雨が少なく日照りが強くなるので、実を落とした分、木に体力が残っているであろうから、少し、花房を、2~3番上の方まで伸ばしてみようかと思っている。

   この日記(10)で書いた輪紋病にやられたジャンボ・スィートの木だが、3番花房以下は、完全に、実も葉も切り落として丸裸になり、太い茎も所々真っ黒になって痛んでいたのだが、その後、薬剤散布の効果が出て、その上部が正常に生き返り、第4花房に残っていた3つの実のうち、大きな2つが真っ赤に色づいた。

   また、(9)で書いた5番花房下で折ってしまったスィートミニの木の方は、4番花房上の葉の付け根から出た脇芽が、大分大きくなって、2番花房まで色づき始めた。
   そして、折れた片割れの先の挿し木苗も、元の5番花房が結実して地面を這うようにしながら少しずつ実が大きくなっており、その上に出た幹には、5番花房まで花芽がつき、下の方は既に結実し始めている。
   結局、2つの命に分かれて、順調に第二の生命を生きているのである。

   丹念に見ているつもりでも、結構、脇芽を見落として摘むのを忘れるもので、少し大きくなった芽は可哀想なので、根元へ挿し木して置くのだが、水さえ切らさなかったら、すぐに、活着して元気良く育って苗になる。
   全く、使うつもりはなかったのだが、その後、買った市販の苗やアイコ苗で、実つきが悪いものや折れて駄目になった苗の代わりに植えつけたら順調に育っている。

   初期に植えたカネコのスィート・トマトは、遅れたイエローのキャンドルライト以外は、既に殆ど収穫が終わってしまって、前述のスィートミニのように、復活栽培や挿し木2世の成長と言った状態だけになった。
   輪紋病被害で、多少、困惑したが、実つきなども順調であったし、殆どテキストどおりの推移であったので、満足している。

   尤も、アンデス生まれのトマトであるから、本来は、梅雨が終わって強烈な日照りの続く日本の夏の気候が、適しているのであろうから、これからが本番であろう。
   少し、間延びしすぎて背丈が高くなってしまったのだが、アイコや他のイタリアン・トマトの木の上部の花房の成長やその実つきに勢いが出てきて元気一杯である。
   来年の課題は、苗をずんぐりむっくりの短足型の筋肉質でしっかりした充実した木に育てることだと思っている。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「写楽 幻の肉筆画」展・・・写楽雑感

2009年07月17日 | 展覧会・展示会
   東洲斎写楽の肉筆扇面画「四代目松本幸四郎の加古川本蔵と松本米三郎の小波」(この口絵写真)が、ギリシャ・コルフ島にあるアジア美術館から里帰りして来たと言う話題の浮世絵展が、両国の江戸東京博物館で開かれている。
   先回のボストン美術館からの肉筆浮世絵展ほど客は多くはないが、熱心な浮世絵ファンは、一点一点丹念に鑑賞を続けている。
   
   この写楽の扇面図は、会場では、この作品だけ暗いボックスに収められて、スポットライトを受けて浮き上がって見えるので、かなり、細部まで良く見えるのだが、
   他の写楽絵のように単調なモノクロ基調の単色のバックではなく、品の良い黄土色の地に、かなり、カラフルで優雅な役者絵を丁寧に描いているので美しい。
   「仮名手本忠臣蔵」2段目の「松切り」の場のようだが、私は、加古川本蔵と娘の小波が一緒に登場する舞台を見たことはない。
   

   ところで、今回の浮世絵展だが、写楽の「大首絵」は勿論、他にも、歌麿の「歌撰恋之部 深く忍恋」や「風流六玉川」などを筆頭に沢山の素晴らしい作品が来ている。
   バリエーションとその豊かさに、このコレクションを、パリやウィーンで買い集めたギリシャの外交官グレゴリオス・マノスの、日本美術への傾倒振りの凄まじさが偲ばれる。
   
   この写楽だが、1794年に彗星のごとく現れて、10ヶ月の間に、140点の作品を生み出して、忽然と消えてしまったので、未だに、どんな人物であったのかハッキリせず、丁度、シェイクスピアがそうであるように、多くの憶測を呼んで、色々な人物が、写楽だと言われている。
   一応、徳島の能役者斎藤十郎兵衛だと言う説が有力なようだが、歌麿、北斎、豊国、十返舎十九などと言った名前も上がっており、謎を秘めたままで面白い。

   写楽が有名になったのは、ドイツの美術学者ユリウス・クルトが、1910年に「SHARAKU」と銘打つ本を出版して、写楽を、レンブラントやベラスケスと並ぶ三大肖像画家だと激賞したのが切っ掛けで、一気に、日本でも写楽人気が沸騰した。

   何故、日本では人気がなかったのかと言うことだが、歌麿などの美しい錦絵とは違って、それほど上手だとは思えない稚拙な大首絵形式で、美醜を問わず歌舞伎役者の迫真の演技を切り取って、人間の内面を抉るような表情を活写して叩きつけたのであるから、正に、その激しいリアリズムが、江戸庶民に受け入れられなかったのではないであろうか。
   当時の歌舞伎役者の錦絵や浮世絵でも、現在の歌舞伎役者のブロマイドと比べれば、美しいと言うジャンルからはかなり外れると思うが、それにしても、とにかく、写楽の役者の大首絵には、美しく描かれた役者絵などは殆ど皆無なので、描かれた歌舞伎役者当人も、頭に来ていたのではないかと思う。
   丁度、仏像で言えば、円空仏や木喰仏のような印象であろうか。素人目には、どこが良いのか分からないのである。

   大分前に、篠田正浩監督が撮った「写楽」と言う映画を見た。
   皆川博子原作脚本で、真田広之が東洲斎写楽(とんぼ)、フランキー堺が版元の蔦屋重三郎、佐野四郎が歌麿、それに、写楽の上司たる大道芸人一座の座長おかんの岩下志麻、想い人の花魁花里の葉月里緒菜などの女性陣が絡む面白い映画であった。

   主人公のとんぼが、元歌舞伎座の梯子を支える稲荷町役者であったのだが、団十郎(富十郎)の上る梯子で足を砕かれて仕事にあぶれ、おかんに拾われる。蔦屋重三郎が京伝の洒落本でお上の禁令に触れて手鎖50日の刑に服している間に、歌麿が逃げてしまって商売にならなくなったので、元大道の砂絵の絵師を母に持つとんぼが描いていた役者絵の斬新さに惚れ込み東洲斎写楽で出版する。脅威を感じた歌麿が写楽の正体を嗅ぎ付けて捕らえ、江戸から追放する。
   そんな話であったのだが、松竹100周年記念映画とかで、当時の歌舞伎や歌舞伎座、色町の様子や庶民たちの娯楽と言った江戸風物が存分に描かれていて面白かったし、それに、京伝、一九、北斎、歌麿、並木五瓶と言った当時の芸術家入り乱れての登場など興味津々であった。
   
   写楽については、夥しい書物が出ている。
   まだ、一冊も読んでいなかったのだが、先日、神保町の古書店で、磯田啓二著「偽小説 東洲斎写楽」を見つけて読んでみた。
   阿波の住人斎藤十郎兵衛説を取るが、能役者ではなく、阿波蜂須賀藩の藍玉の独占権を取り上げようとして画策する幕府の動向を探る隠密として、大坂、江戸に移り住みながら、絵心に目覚めて、浮世絵師に転進して行く姿を描いている。
   浮世絵師写楽として名声を博すると、秘すべき隠密の素性がばれると困る蜂須賀藩が、刺客を送って写楽の右手を切り落とすと言う設定も面白いが、やはり、たった、10ヶ月で忽然と消えて行く写楽のミステリーを、隠れキリシタンと言う設定で、最後には、幕府の追っ手を避けてフランスへ逃げて行くところなど、もっと意表をついていて面白い。
   映画でも、この小説でも、写楽が一番親しかったのは、「東海道中膝栗毛」を書いた十返舎一九だと言う。正に、興味津々で、あの頃の江戸は、寛政の改革で奢侈を厳しく取り締まり、庶民の娯楽や楽しみを圧殺していた時代でありながらも、ルネサンスの頃のフィレンツェのようで、文人や芸人、絵師などが群雄割拠して活躍していたのである。

   とにかく、ドイツの学者に言われるまで、写楽の価値を分からなかったわれわれ日本人の芸術感覚も問題だが、写楽と言うミステリアスな存在が、実に面白くて愉快である。
  
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャック・アタリ著「21世紀の歴史」

2009年07月16日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ジャック・アタリの「21世紀の歴史 未来の人類から見た世界」を手に取ってみたのだが、原本はフランス語でタイトルの意味が不明なので、米国アマゾンを開いたら、「A Brief History of the Future: A Brave and Controversial Look at the Twenty-First Century」。これなら、アタリの意図が良く分かる。
   アタリは、有史以来の人類の歴史を紐解きながら、市場資本主義が如何にして生まれ出でて今日の文明社会を築き上げてきたか、資本主義の発展に焦点を当てて克明に分析し、現在のアメリカ帝国の時代が終焉し、その後、どのようにして21世紀の人類の未来が推移して行くのかを、非常に大胆な仮説を交えながら展望する。
   
   人類の歴史を動かして来たのは、世界の「中心都市」だとして、アタリは、13世紀のブルージュから、ヴェネチア、アントワープ、ジェノヴァ、アムステルダム、ロンドン、ボストン、ニューヨーク、ロサンゼルスを中心として推移しながら展開されてきた資本主義の歴史を、実に色彩豊かな万華鏡のように展望していて、これを読むだけでも、生きた人類の経済産業史が理解出来て興味深い。

   現在は、シリコンバレーに象徴されるICT革命下のロサンゼルス時代だが、その後の第9番目の中心都市がどうなるのかと言うところから、アタリの人類の歴史の未来構想が展開される。
   資本主義が行き着く所まで行って「超帝国」状態に到達し、更に、第二波の戦争・紛争を超える「超紛争」の時代に突入し、最後には、使命に目覚めた人類が、民主主義を超えるユートピアたる「超民主主義」に至ると言うのである。
   2035年頃に、市場民主主義のグローバル化が頂点に達してアメリカ帝国が没落して、その後、国家の弱体化が進み超帝国段階に突入し、人類の破滅の危機たる超紛争の時代を経て、2060年頃に、愛他主義者、ユニバーサリズムの信者が世界的な力を掌握して、「超民主主義」の時代が到来すると言うのである。

   ところで、アタリは、中心都市が形成されるのは、世界各地からクリエイティブで才能溢れる「クリエーター階級」が集まり、そこには新しさや発見に対する情熱が溢れ、知が結集し、革新と発展が爆発するからだと考えており、いわゆる、メディチ・エフェクトが資本主義社会の発展の原動力だと認識している。
   すなわち、クリエーター階級によって活況を呈する中心都市は、経済社会の発展の中心であると同時に、そこには、学問・音楽・芸術・イノベーションなど文化・文明の華が開花し、素晴らしい都市空間と都市文化が生まれるのである。
   しかし、クリエーター階級は、中心都市の栄枯盛衰には敏感で、為政者が追放したり、都市の没落の兆候を察知すると、すぐに中心都市から離れてしまう超ノマドなので、その後、その支配的な中心都市は没落して文明の中心が移動してしまう。

   アタリの論点で興味深いのは、直近の問題として、現在の資本主義社会が、市場からの要求が増加し、新しいテクノロジーの利用によって、世界の秩序は、地球規模となった市場の周辺に、国家を超えて統一される「超帝国」となってしまって、公共サービスを、次に、民主主義を、最後には、政府や国家さえも破壊すると言う考え方である。
   市場の拡大によって中産階級が形成され、独裁政治を打ち崩し、地球規模の民主主義が確立されると、民族・宗教・国民はグループ毎にバラバラになり国家が消滅し多角化する。
   一方、市場民主主義によって活力を得て強力になった私企業を中心とした市場が、国家が担っている軍事・教育・医療・環境・統治権と言った公共サービスにまで蚕食して大量生産される製品に置き換えてしまうなど、国家機能を代替してしまう。マネーの論理が総てを支配する危険な状態に、人類社会が追い込まれてしまうと言うのである。
   実際は、ともかく、イラク戦争の現場でも私企業が兵士まがいの技術者を送り込んでおり、環境保全での排出権取引など、マネー取引に変わってしまっているし、確かに、公共サービスの過度な民営化進行の兆候はある。

   市場民主主義の勝利によって、マネーに突き動かされた市場が傍若無人の振る舞いをして経済社会秩序を破壊してしまい、地球を戦争と紛争の混乱に陥れるのだが、最後に、人類は自らのアイデンティティが破壊される前に、生きる喜び、人種を超えた愛、他社への配慮に目覚めて、新たな文明を目指して超民主主義の社会を築き上げる。
   これが、アタリの期待する21世紀の展望だが、実際に読み終わって、本当に、アタリ自身が、そんなことを信じているのか、疑問なしとはしない。
   私自身は、マルサスではないけれど、この地球が、人類の住処として生命を維持できるのかどうか、大いに疑問を感じているので、2060年頃に、地球上がユートピアになるなどとそんな悠長な想像などできる筈がない。

   しかし、結論や推論はとにかく、アタリの文化・文明に対する博学多識は驚嘆すべきで、ここで論じられている多くの貴重な問題提起や提言などは、夫々傾聴に値するのみならず、すぐに、教訓や政策としても活用可能である。

   日本語版の序文で、アタリが、何故、日本が、何度もチャンスがありながら、中心都市になり得なかったのかを述べているが、極めて貴重な提起であり、肝に銘じるべきだと思っている。
   並外れた技術的ダイナミズムを持ちながら、既存の産業・不動産から生じる超過利得、官僚周辺の利益を過剰に保護して、将来ある産業、企業の収益・利益・機動力・イノベーション、人間工学に関する産業を犠牲にしてきたこと。
   日本は、十分な「クリエーター階級」を育成してこなかった。ナビゲーター、技術者、研究者、起業家、商人、産業人の育成を怠ってきたと同時に、科学者、金融関係者、企業クリエーターなどを外国から呼び込むことも迎え入れることもせず、アイディア、投資、人材を世界から幅広く糾合することを怠ったと言うのだが、アタリ文明論から言えば、当然の指摘であろう。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

七月大歌舞伎:海老蔵の「夏祭浪花鏡」

2009年07月15日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   先月の歌舞伎座は、江戸の侠客幡随院長兵衛が主役であったが、今月は、大坂の男伊達団七九郎兵衛(海老蔵)を主人公にした「夏祭浪花鑑」である。
   演じる役者が江戸オリジンなので、上方歌舞伎と言うか、大坂の夏祭をバックにした上方ムードがむんむんするような土俗性からは一寸距離を置いた、幾分、からりとした普遍的かつ視覚的な舞台に仕上がっていたような気がした。
   大阪の梅雨時は、比較的過ごし良い東京と違って、蒸し暑くて耐えられないくらい息苦しいのだが、あの感覚と言うかムードが沁み込んだのが、この芝居の本来の姿であるはずで、それ故に、バックに流れる夏祭が、強烈な意味を持つのである。

   この夏祭は、1745年に、竹本座で人形浄瑠璃として初演され、その後、歌舞伎でも演じられるようになったのだが、その前の元禄期に、「宿無団七」として「団七もの」が、仁左衛門によって上演されていたと言う。
   「義経千本桜」など時代物三大名作を生んだ並木千柳など3人が、合作した始めての世話物だが、3人の侠客「団七九郎兵衛・釣船三婦(市蔵)・一寸徳兵衛(獅童)」を主人公にして展開される9段目まである本格的な芝居である。

   ところで、全編見ないと分からないのだが、物語の中心となるのは、この3人の男伊達の男気と義侠心で、これに気風の良い夫々の女房が絡む。
   早い話、主人公の団七だが、実際は、「度々追剥などの悪事あり、父茂兵衛を殺し・・・千日にて首切られ曝されるよし。」と言った無宿人で無頼、破壊型の青年だったと言うことで、幡随院のように、大義名分を引っさげて旗本に挑んだような大物侠客ではない。
   この芝居でも、孤児であったのを、義理の親父三河屋義平次(市蔵)に拾われて育てられて、その娘お梶(笑三郎)を妻にして一子をもうけ、魚の行商人を生業とする男である。
   他の三婦も徳兵衛も、普通の生業を営んで生きている庶民であり、大層な人物でも、また、大層な話でもなく、一井の庶民男伊達の生き様を義理人情の世界に仕立てたのである。
   そんな話をネタにして、これだけの視覚的で見せ場の多い舞台に仕上げた演出の妙は大したもので、ある意味では、江戸時代の上方の粋と意気の発露であろう。

   さて、先に触れたが、この夏祭は、大坂が舞台であるから、当然、大坂弁が重要な意味を持つ。
   2年前に、国立劇場の文楽で、この夏祭を勘十郎の団七、簔助のお辰、玉女の一寸徳兵衛などで見たのだが、あの時は、3段目から8段目まで連続の半通しで、今回の歌舞伎より本格的なので、良く分かったのだが、やはり、床本が大阪弁なので、私には、この方がストレートに入り込む。
   従って、今回の舞台の演出などは大坂型を踏襲しているようだが、しかし、大阪弁のニュアンスが色濃く出ている舞台でありながら、演じる役者が、総て東京ベースなので、言葉の上でも仕草でも、大坂と言うのが抜け落ちて、全国普及スタンダード版になっている。
   どこがどうなのか分からないのだが、先の仁左衛門が、上方色の乏しい東京の役者の舞台を見て、藤十郎(当時扇雀)に、「上方歌舞伎の冒涜や、あんさん手本に、団七をやっておくれやす」と指示したとかウイキベディアに書かれてあるのを読んで、分かるような気がした。

   私は、20代の後半まで、関西で過ごし、特に意識して、大学生以降はどっぷり関西文化と伝統に浸かり切って生活して来たので、動物的感覚と言うか嗅覚と言うか直感的と言うか、関西オリジンの歌舞伎、特に、関西弁を使って演じられる舞台を見ていて、微かなニュアンスの差とか違いが気になることがある。
   今のままだと、上方歌舞伎の伝統なり芸の世界は、完全に消えてしまうと思うのだが、文楽と同じように、文化庁も、上方歌舞伎を絶やさないように、何か手を打つべきだと思っている。

   この歌舞伎で、大坂の特色が出ているのは、大坂女の生き様で、団七と一寸徳兵衛とが争っているのを、団七の女房お梶が割って入り喧嘩を止める気丈さ。
   それに、若い男を国許へ帯同して送り届けるのを色気があり過ぎるから駄目だと反対されたので、火鉢で厚くなった鉄弓で顔を焼き、「これでも思案のほかという字のある色気がありんすか」と心意気を示す姿。
   丁度、近松門左衛門の心中ものの大坂女のように、人生にきっぱりと見切りをつけて、不甲斐ない大坂男を引っ張って自分から死に急ぐ、あの姿と同じ気風の良さと強さ、これこそ、大坂女の真骨頂なのである。

   つまらない能書きが長くなってしまったが、この「夏祭浪花鑑」は、団七の海老蔵の絵を見るような清々しい美しさと格好良い写楽ばりの連続写真を見るようなスカッとした見得の数々を筆頭に、見せる舞台であった。
   格好良く味のある男伊達一寸徳兵衛を演じた獅童をはじめて、焼き鏝で顔を焼く勘太郎のお辰の気品と勢い、控えめながら毅然として笑三郎の団七女房お梶、それに、始めてみた笑也の優男の玉島磯之丞、いつもながら美しくて魅力的な春猿の芸者琴浦など、若くて溌剌とした助演陣も人を得て、メリハリの利いた素晴らしい舞台を展開していて、非常に良かった。
   それに、何よりも、八面六臂の活躍で舞台を盛り上げたのは、猿也休演で、その穴を埋めて、釣船三婦と三河屋義平次を演じた市蔵の活躍ぶりは特筆に価する。悪役専門と言うと語弊があるかも知れないが、性格俳優として脇に控えていたはずが、一挙に表舞台に飛び出した。海老蔵との泥場での壮絶な殺戮劇のリアルさとダイナミズムは秀逸であった。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

悲しきジャパン・パッシング・・・自民党政権の迷走

2009年07月13日 | 政治・経済・社会
   アメリカのメディアを注意して見たつもりだが、日本で大騒ぎしていた都議選の結果や麻生総理の解散総選挙記事の扱いも極めて冷淡消極的で、電子版だが、ニューヨーク・タイムズでは、キム・ジョンイルが、すい臓癌で余命いくばくもなさそうだと言う”N. Korean Leader Dying of Cancer, Report Says"の記事の方が重要扱いであった。
   日本が如何に、その国際的地位が落ちてしまったかと言うことは、精一杯、日本のメディアが好意的に追ったつもりであろうが、今回のイタリアでのサミットでの麻生首相の姿を見ていれば、悲しいかな、歴然としており、世界中で、ジャパン・パッシングが起こってしまっていることが分かる。

   今、フランス人のジャック・アタリの「21世紀の歴史」を読んでいるが、その中で、世界は多極化して行くとして、アメリカ、ブラジル、中国、インド、エジプト、ロシア、EU、ナイジェリア、全部でこれら九つの国家が世界の指導国となり、非公式な世界政府を形成するとのたまっている。
   私自身は、別に、アタリの論をまともに受け取るつまりはないし、日本は偉大な国であり、ハンチントンが述べたごとく独自の文化文明を背負った世界に冠たる一等国だと信じているのだが、アメリカやEUは兎も角として、先のサミット同様に、途上国で先の読めない国より格下扱いにされざるを得ない日本の現状の姿が、あまりにも、悲しすぎるので慨嘆せざるを得ないのである。

   ところで、ニューヨーク・タイムズの「Japan to Hold Elections Next Month」とワシントン・ポストの「Japanease Prime Minister Dissolves Parrliament, Calls Elections」の記事だが、勿論、麻生内閣と自民党の断末魔の状態や国民の政権交代の期待など殆どは日本のメディアの報道をなぞった感じで報じている。
   しかし、事情の分からないアメリカ人ないし世界の読者が読めば、あの世界を制覇せんと快進撃を続けていたJAPAN AS NO.1が、如何にお粗末極まりない国に転落してしまったのか、嘆いたであろうと思う。

   私は、元々、リベラルに近いので民主党支持派と言うことになろうが、これまで、自民党に投票したこともあるし、立候補者にもよるので是々非々的なところもある。
   しかし、今回の東国原担ぎ出しの迷走曲で、ここに自民党の命運極まれりと感じた。
   窮鼠猫を食む状態の自民党が、選りに選って、あの日本の民主主義の歴史において、最も唾棄すべき汚点であった筈のノック・青島現象を再現して、それにあやかろうとしたのだが、選択を誤ったために、終戦直後にマッカーサーに言われた日本の民主主義が13歳の子供のままであることを、世界中に暴露してしまったのである。

   私が、欧米に出て必死になって頑張っていた日本が絶頂期にあった頃は、日本人全体が、日本人であること日本の旗を背負って世界中で雄飛していることに、限りなき喜びと誇りを持って邁進していた。
   あの逞しく困難をものともしない心意気と、限りなき勇気と理想を抱いて輝いていた日本人の開拓と進取の気に燃えた魂を、どこで忘れてしまったのか、歌を忘れたカナリアになってしまった今の日本が、限りなく悲しいし愛おしい。
   今回の一連の自民党政権の動きや選挙がらみの動向を見ていて、ツクヅクそう思うのだが、私の仕事のパートナーが、自分の目の黒いうちは、日本の破局と没落を見たくないと言い続けている。
   この選挙を機会に、本当に、日本人全体が心機一転、頑張らなければならないと思っている。
   
   この口絵写真は、国会議事堂の前をジョギングする麻生首相の姿だが、ワシントン・ポストの電子版から借用した。
   私が学生の頃は、この門前に安保反対の大デモを仕掛けて学生たちが押しかけて日本中が騒然としていた。
   どっちが幸せか分からないが、わが日本人が、理想と高邁な精神を忘れてしまったら、日本の未来が暗くなることだけは確かであろう。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする