熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立能楽堂・・・能・船弁慶

2012年09月30日 | 能・狂言
   この日の国立能楽堂の舞台は、金剛流の能「養老」、大蔵流の狂言「柑子」、観世流の能「船弁慶」であった。
   全演目とも、私にとっては、はじめての鑑賞経験ではあったが、歌舞伎や文楽の舞台に慣れているので、能「船弁慶」に非常に興味があって、その作品の違いを意識して見せて貰った。
   「船弁慶」は、永享7年(1435年)生まれの室町時代の能楽師觀世小次信光の作品だと言う。
   歌舞伎の「船弁慶」では、後半の義経一行が知盛の幽霊と遭遇して戦い調伏すると言う部分で、殆ど能を舞台化した感じで同じなのだが、
   やはり能から一部着想を得ながら、300年後に竹田出雲たちによって創作された「義経千本桜」とは違って当然なのだが、同じ、静御前や知盛を主人公にしていても、ストーリー性の違いと創作性の微妙な差などが非常に面白い。

   観世信光は、応仁の乱の時代で、高級武士や公家の庇護が望めなくなって地方回りも多くなったとかで、世阿弥時代とは違って、幽玄よりもスペクタクル性が求められたと言うことで、能「船弁慶」は、前場には静御前の白拍子の舞があり、後場には、長刀を構えて義経と渡り合う知盛の勇壮な立ち回りがあって、結構、ダイナミックで面白い。
   平家の最も優れた知将であり勇将であった知盛の幽霊の登場と言うことで、シテの浅井文義師は、瘦男の面をかけてやや憔悴気味のあの世の知盛を舞っていたのだが、前シテの静御前の華麗な舞姿も非常に優美で、その対照の妙が素晴らしかった。

   ところで、平家物語には、都落ちした義経一行が、この能の舞台となる大物の浦のところを、ほんの数行で描写している。
   「・・・その日、摂津の国大物の浦にぞ吹き寄せらる。 それより船に乗り、押し出だす。平家の怨霊強かりけん、にわかに西風はげしく吹きて、・・・」と言う部分を脚色して、嵐を知盛の亡霊に仕立てて「船弁慶」の創作をなし、そして、千本桜では、渡海屋銀平実ハ平知盛 と言う設定で、知盛に壇ノ浦の入水の再現を行わせていて、その着想が非常に面白い。
   平家物語では、「早鞆」の章で、先帝・二位殿御最後や知盛入水などのクライマックス・シーンが描かれていて、知盛は、安徳帝の最期を見届けて、「今は見るべきものは見はてつ。ありとてもなにかせん」と言って、鎧を二領着けて家長と手を取り組んで入水したと言うのだが、一説には、囚われの身となる辱めを受けぬために碇を巻き付けて入水したと言われており、この逸話を踏襲して、文楽や歌舞伎の「碇知盛」が成立している。
   こんな平家きっての勇将ゆえに、能楽では、幽霊知盛が創作されたのであろう。
   シェイクスピアの「テンペスト」で、冒頭、プロスペローが妖術を使って嵐を起させて船を転覆させるのだが、舟板一枚で生死を分ける船旅での嵐は、恰好の創作テーマなのであろうか。

   
   話が、前後するが、前場の主役は、静御前だが、歌舞伎の「伏見稲荷の段」でも、都落ちする義経を追って静御前が登場する同じ別れの場があるけれど、主役は、どちらかと言うと狐の佐藤忠信となっていて、創作性が強い。
   しかし、能の「船弁慶」の方は、都落ちに女の静御前を伴うのは良くないと思った弁慶が、義経の許しを得て、静御前に説得に行くのだが、弁慶の差し金だと思った静御前は直接義経の真意を知りたいと面前に出て確かめる。結局、義経にも説得されて、泣く泣く、出立の無事と再会を願って、白拍子の衣装を着けて舞を舞って、最後は、烏帽子を残して去って行くのだが、非常に筋の通ったシンプルで、歌舞伎よりはずっとモダンで良い。
   平家物語では、大物の浦出立後、住吉の浦に辿り着くのだが、ここで、「都から召し具して来た女房ども十余人、住吉の浜に捨て置きて、静ばかりを召し具して、・・・吉野の奥へぞおちられける。」となっていて、静御前を吉野まで連れて行っている。ここで興味深いのは、「捨て置かれたる女房ども、あるいは松の下、あるいは砂の上に、袴ふみしだき、袖を片敷き、泣き伏しけり。人これをあわれみ、都へおくりけり。」と言う描写で、鄙にも稀なる雅な女房たちが、途方に暮れて、貧しい浜辺をのた打ち回ったと言うのであるから、義経の最期も哀れ極まると言うことであろうか。
   義仲も切腹寸前まで、巴を伴っていたのだが、やはり、玄宗皇帝が何時までも楊貴妃を諦めきれなかったように、勇将と言えども、最愛の女性からは離れられないと言うことであろうか。
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アラブに春は来るのか

2012年09月27日 | 政治・経済・社会
   2010年12月18日に始まったチュニジアでの暴動によるジャスミン革命から、アラブ世界に波及した”アラブの春”は、いまだに凄惨なシリアの内乱や、反イスラム的な米映画に対する抗議行動が、米外交施設内への侵入や銃器による攻撃に発展し、駐リビア米大使殺害に及ぶなど、その展開は予断を許さない状態である。
   イランの核開発を阻止するために、イスラエルがイラン攻撃を画策しているなど、火薬庫としての中東の危機状態は一向に終息を見せる気配はない。

   このイスラムの西洋文化文明への挑戦やテロ行為について、先日、ブックレビューしたスチュアート・L・ハートは、「未来をつくる資本主義」のエピローグ「未来を見据えて」の冒頭に、非常に示唆に富んだ論評をしているので、考えてみたい。
   我々日本人は、どうしても欧米メディアに影響された日本の報道情報から判断して、イスラム原理主義やその過激さ、時代錯誤(?)ぶりに批判的は気持ちを持つ傾向が強いのだが、もっと、本質的な視点から見るとどう言うことかと言うことである。

   ニューヨークで勃発した9.11事件についてだが、ハートは次のように考えている。
   殆ど人は穏健な手段を選ぶが、人は絶望し、権利を剥奪され、屈辱を味わわされたら、その状態を少しでも変えるためにどんなことでもする。ごく一部に、孤立と拒絶を究極の形で表現する人が出てくる。それがテロリズムだ。
   こうしたグループのリーダーが気付いているように、大勢の人を引き付け、大義を推進し後押しするためには特殊な状況が必要だ。生まれながらにして自爆者や民兵である人はいない。それほど過激な行動に駆り立てられるのは、長い間無視され、絶望させられ、希望を打ち砕かれ、機会を奪われ、あるいは脅かされ、搾取され、侮辱されて来たからに他ならない。
   要するに、組織的テロが起こるのは、社会全体にそのお膳立てが出来ているからだ。貧困、格差、絶望、尊厳の喪失など、テロを容認し支持する状況を覆すことでしか問題の根本原因に対処することは出来ない。
   テロリズムは兆候だ。その根底にある問題は、持続可能性を無視した開発にある。
   

   21世紀の中東は、近代史における最も純然たる「持続不可能な発展」の典型だろう。
   石油によって少数のエリートが莫大な金と権力を手に入れた一方で、一般大衆はその恩恵を殆ど受けていない。欧米の石油依存のお蔭で、独裁者や専制君主は石油を掘り続けることで、出来る限り頂点に君臨していられる。
   石油依存で経済発展を遂げ、生活水準を引き上げて文明生活を謳歌して来た欧米日の先進国が、どんどん石油に金を注ぎ込んで専制的為政者の権力を増長させて、アルカイダなどの過激グループがまさに破壊させようとしているイスラム専制国家を支持してきたのである。


   かっては世界最高の、どこにも劣らない科学的、芸術的功績を誇りとし、その壮大な遺産とギリシャ文明をイタリアに伝播してルネサンスを誘発したアラブ世界は、今や見る影もなく変わり果てて、絶望と屈辱に満ちている。
   中東では、記録的失業と機会不足の中、何千万人と言うイスラム教徒が成人を迎えており、大学出たての医師や弁護士など専門職の人材が日雇いやフリーターとして働いている現状を考えれば、たとえ間違っていたとしても、目的と帰属意識と経済的保護を与えてくれるものに引かれていくのは当然ではないか。

   アメリカのこれまでの対中東政策を見れば、如何に、自分たちの生活圏を守るために汲々して来たかが良く分かる。
   かっては、アメリカは、サダム・フセインやオサマ・ビン・ラディンの庇護者であったし、ごく最近まで、ホスニー・ムバーラクをバックアップし続けてきた。
   世界は、既に、フラット化してグローバルに繋がっていて、すべて連携しており、例え、地球の片隅で起こった事象でも、バタフライ効果のように伝播するにも拘わらずである。
   今回は、ハートの見解のみを記するに止めた。それで十分だと思う。
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スチュアート・L・ハート著「未来をつくる資本主義」

2012年09月26日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   C・K・プラハラードとともに「THE FORTUNE AT THE BOTTOM OF THE PYRAMID」理論を展開して、世界中の40億人の最貧困層を顧客に変える次世代のビジネス戦略を説いて一世を風靡した一方の旗頭であるスチュアート・L・ハートが、更に、この理論を発展させて、企業の経営戦略のみならず、資本主義の新しい未来を展望した壮大な文明論とも言うべき本が、この「未来をつくる資本主義 CAPITALISM AT THE CROSSROADAS Next Generation Strategies for a Post-Crisis World」である。

   2008年に、世界を一連の危機が襲った。
   石油価格の高騰、世界的な食糧不足、サブプライム問題、世界金融危機、世界大不況、そして、同時に進行する地球規模の問題の数々―――氷河減少、気候変動、生物多様性の喪失、貧困、格差拡大、絶望感、テロリズム等々―――を目の当たりにして、人々はようやく何か根本的なことが間違っているのに気付いた。
   識者たちは、これを、変曲点、大崩壊、大破綻期、大転換期などと呼んだが、過去50年の間につくられた石油がぶ飲みの成長モデルが、経済学的にも生態学的にも持続不可能なものとなり、2008年はそれが遂に崩壊した年であり、正に、今日、グローバル資本主義は、岐路に立っている。

   その崖っぷちの岐路に立った資本主義を、如何に救うべきか、今や現存する唯一のグローバル制度でありこの地球上で最も影響力を持つに至った多国籍企業をはじめビジネス界が、持続可能なグローバル企業を目指して飛躍的に発展する以外に道はないとして、BOPビジネスへの転換が、企業にとっても宇宙船地球号にとっても生き抜くための唯一必須の道標であると、ハートは熱っぽく語っている。
   持続可能な企業とは、利益を上げつつ、世界の貧困層の生活の質を高め、文化的な多様性を尊重し、従業員の士気を高め、コミュニティを築き、後世のために地球の生態系の健全性を守るビジネスを創造すると言う、新しい民間主導の開発アプローチの可能性を追求する企業である。
   因みに、持続可能な開発とは何か、「将来の世代のニーズを満たす能力を損なうことなく、今の世代のニーズを満たすような開発」と広く定義されているのだが、そうすると、今の世代の製品や生産プロセスが殆どこの基準を満たしていないのが分かる。世界の持続可能性は、多くの産業の構造を一変する破壊的原動力と見るべきだと言うのであるから、企業にとっては大変な挑戦である。

   企業の経済的パーフォーマンスと社会的パーフォーマンスの間にトレードオフが存在すると言う幻想が崩れたと言う意味では、環境保護は重要な第一歩ではあったが、これは、相対的改善に過ぎず、破壊の速度を遅くするだけで、根本的な方向転換ではない。
   したがって、人類の直面する二大問題、すなわち、貧困と世界規模での環境悪化に企業が真に立ち向かう方法は、貧困撲滅への革新的創造的なイノベーションを志向した破壊的ビジネスモデルと環境技術への飛躍であり、この飛躍のために、企業も社会も、将来への繁栄を目指して、果敢に、リポジショニングと成長の基盤づくりをせねばならないと説く。
   マイケル・ポーターが、「共通価値の創造」で説いた、”深刻な社会問題を解決するためには、経済も社会も同時に成長発展すべしと考える「共通価値」の原則に則って、社会のニーズや問題に取り組むことで社会的価値を創造し、その結果、企業も利益を上げて経済価値が創造されると言うアプローチでなければならない。”とする考え方と相通じる理論だが、ハートはもっと深く文明論にまで踏み込んでいる。


   ここで、BOPビジネスが何たるかを知ることが大切なので、一例を引いて、今やメキシコの大建設コンプレックスとなったセメックスについて略記する。
   1994年の財政危機の時に、セメックスの業績を支えたのは、国内販売の40%を構成していた貧困層向けのセメント販売だったのだが、会社には、この顧客層に対する知識が殆ど皆無であったので、調査チームを作って徹底調査した。
   調査チームが取った手段は、セメントの販売は一切忘れて、BOPの状況をより深く理解することであったから、貧民街に6ヵ月生活することであった。
   貧民街では、貧困者自身が、一部屋完成させるのに4年、4部屋の小さな家を建てるのに13年かかっていた。その理由は、銀行や業者が法的所有権の所在や不確かなインフォーマル物件に住む貧困者とは関わり合いたくなく、行き当たりばったりの設計、材料の盗難や損傷によって住宅建設は危険な仕事になり、業者は貧困者を餌食にして、交渉力のない彼らに劣悪品を必要以上に売りつけていたからである。
   セメックスは、こうした障害を取り除くことが出来れば、貧困者は、はるかに短い時間で質の高い家を、資材も節約できて安くでき、そして、セメントの売り上げもアップすることに気付いた。
   昔から、低所得者の間で広まっていた一種の頼母子講に似た貯蓄会「タング」があったので、これを模して貯蓄会を形成して、住宅建設希望者から毎週少額のお金を集めて、順番に建設して行く「今日から子孫の財産を」と言う意味の「パトリモニオ・オイ」と言うプログラムを立ち上げた。
   セメックスは、その代わりに、資材供給者と交渉して可能な限りベストプライスと品質の資材を調達し、資材の保管場所から建設のサポートなどの色々なサービスを提供して、住宅建設の向上と建設期間短縮などの貢献したのである。
   現在、メキシコ22州20万世帯の加入があり、コロンビア、ベネズエラ、ニカラグア、コスタリカなど中南米に進出していると言う。
   

   このケースで分かるように、端的に言えば、このブログで触れた”T・カナ&K・G・パレプ著「新興国マーケット進出戦略」”のブックレビューで、 制度が整わない領域、すなわち、「制度のすきま(institutional void)」が、市場をエマージング(発展途上)の状態にして、これらが取引コストを高くしたり、業務が様々な障害に阻まれる原因となるので、これを取り払う戦略が、新興国市場攻略の要諦だと論じたが、これに似たブレイクスルー戦略が、BOPビジネスでも、最も有効だと言うことである。
   ムハマド・ユヌスのマイクロ・ファイナンスのグラミン銀行や、そのグラミン・グループの打ち出す革新的なビジネスや、インドの起業家が起して白内障手術で世界的な機関となっているアビランド・アイ病院など、インドを筆頭に成功したBOPビジネスは目白押しで、今や、世界的なコングロマリットのユニリーバなど多くのMNCがBOPビジネスに参入している。
   しかし、ハートは、ナイキを筆頭に、如何に、多くのMNCが、不十分な戦略で対応して、BOP市場で失敗を重ねているかなど、肝心のMNCが、既存の先進国市場向けの経営に固守して、破壊的ビジネスモデルを打ち出せない現状を説き続けている。

   ヴィジャイ・ゴヴィンダラジャン教授の「リバース・イノベーション」論を展開して、多くの素晴らしい医療機器をインドや中国で、現地仕様で開発して、逆に、欧米日の先進国へ逆上陸させてグローバル・スタンダードを打ち立てているGEなどは、別な意味でのBOPビジネスの雄だが、イメルトに、「GEが、リバース・イノベーションをマスターできなければ、新興国の巨人に破壊されてしまう」と言わしめるほど、今や、イノベーションは、エマージング・マーケットから台頭しており、ハートが、BOPビジネスから破壊的イノベーションを巻き起こさない限り、地球も企業ももたないと言うのも、あながち無視できないと言う時代に突入したということかも知れない。

   ハートは、シュンペーターにも触れ、クリステンセンのイノベーター論にも触れ、ブルーオーシャン戦略にも触れて、幅広い興味深い議論を展開しているのだが、これらについては、これまで、随分、このブログで論じて来たので蛇足なので止める。
   興味深いのは、ビジネス戦略論の大家であると言われるハートが、経営学の神様であるドラッカーについて一言も触れていない不思議さである。
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わが庭の歳時記・・・秋の気配

2012年09月24日 | わが庭の歳時記
    ここ2~3日急に涼しくなって、びっくりしているのだが、関東の秋の訪れは急で、短い秋が終わると一気に寒い冬に突入するのを思い出した。
   関西は、もう少し温かい季節が長引くような気がするし、ヨーロッパは、夏から涼しいので、いつから秋でいつから冬になったのか分からないような状態で季節が変わる。

   私の庭に咲いている花は、庭木を這い上がった西洋朝顔。
   日本朝顔は、ぼつぼつ終わりだが、西洋朝顔は、まだ、これからで、葉が枯れるまで咲き続ける。
   朝だけではなく、殆ど夕刻まで咲いていて、元気なのが良い。

   椿に沢山ついていた実が開いて落ち始めた。
   勿論、おしべとめしべがはっきりとした種類の椿にしか実が成らないのだが、庭に、椿の木と鉢植えが一杯になってしまったので、蒔く訳にも行かず、落ちるに任せている。
   結構、庭のあっちこっちで芽を出しているのだが、殆ど抜かざるを得ない。
   

   実と言えば、柚子の実が大きくなってきた。
   今年は実付きが少し少ない所為か、実が大きいよううである。
   夏の暑さに殆どダメになったのだが、まだ枯れずに生きているトマトの木が、涼しさが戻って来たので、少し元気を取り戻して、実が色づき始めた。
   トマトの故郷アンデスは、陽が照りつけてはいたが、夏は冷涼だったと思うので、日本のように暑過ぎて湿度の高い夏は苦手なのであろうと思う。
   今咲いている花が、結実して完熟するとは思えないが、枝に残っている若い実は、大丈夫かもしれない。
   
   

   花は、シュウメイギクが咲いていたのだが、雨と風でやられて、今可哀そうな状態である。
   バラが少しずつ開き始めた。
   私の庭には、秋の草花を植えていないので、夏から秋にかけては、モミジの季節になるまで、非常に寂しくなる。
   植木や花木、それに、トマトのプランター植えに加えて、夏の雑草で、庭が鬱蒼と茂ってしまうので、秋花の球根や苗を植える余裕がなくなってしまって、止めてしまったからである。
   今色づいているのは、ムラサキシキブで、コムラサキとシロシキブが、実をつけている。
   大きくなってしまったので、思い切って強剪定した木は枯れてしまって、今は、鳥が蒔いた子供の代になっている。
   
   
   
   
   

   庭の片隅に、小さくなって顔を出しているのが、萩とツユクサ。
   雑草のように大きく枝葉を伸ばして庭を占領するので、風情があって良いのだが、間引いているので、残ったのが、花木や庭木の間から顔を出して咲いている。
   風に応える優雅さに引かれるのだが、生命力の強い植物なので、抜いても抜いても咲いてくれるので、安心している。
   
   

   涼しくなった所為なのか、蝶が殆どいなくなって、トンボが目立つようになってきた。
   少し、色が変わってきたようだが、まだ、赤とんぼは見ていない。
   土手には、彼岸花が咲いていたが、赤とんぼが舞うのは、秋がもっともっと深まってからであろう。
   からだ全体が真っ赤に染まった赤とんぼを見ると、何故か、いつも、気の遠くなるような冬の静けさとあっちこっち歩き回っていた異国での思い出が、走馬灯のように頭を駆け巡るのである。
   
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国立能楽堂・・・能・羽衣

2012年09月22日 | 能・狂言
   能・羽衣は、最もポピュラーな曲で、演じられる回数も多いようで、私も、この能楽堂で、年初に観たので今回は二度目である。
   最初は、シテ/天人 松野恭憲の金剛流で、次は、シテ/天人 金井雄資の宝生流なので、殆ど同じ詞章ながら、演出などにはかなり違いがあって興味深い。

   私に良く分かった違いは、まず、羽衣の掛けられる場所で、金剛流の場合には、橋掛かりの一ノ松の勾欄にかかっていたが、宝生流では、松の立木の作り物が舞台前方正面に置かれ、その手すりに置かれていた。
   次に気が付いたのは、羽衣が返されて天人が舞うために、シテが舞台上で身に着ける「物着」の仕方で、普通は、今回の宝生流のように、舞台の左側後座に下がって後ろ向きに羽衣を身に着けるのだが、金剛流の舞台では、舞台の中央近くで、床几に腰を掛けたままで行う「床几之物着」の演出であった。
   分からなかったが、両者、「物着」のタイミングも、少し前後しているようである。

   舞いにも差があるようで、普通は序ノ舞のようであるが、金剛流は、それよりも短く軽やかな「破ノ舞」で、宝生流の今回は、常より高い調子の「盤渉序ノ舞」であったと言うのだが、私には良く分からなかった。
   非常に優雅な華麗な舞いを舞った後、シテは、舞台を後にして、橋掛かりを軽やかに足早に揚幕に消えて行くのだが、金剛流の「風姿」には、終局で、シテは橋掛かりをクルクルと小回りしながら、後ろ向きに幕に入り、これが見せ場だと書いてあるのだけれど、残念ながら、松野恭憲師の舞台がそうであったのかどうかは記憶がない。

   天人の舞について、八世銕之丞師は、「あたかもこの世が極楽世界であるかのように、月の世界の清らかな舞を、扇を手に、裏風にのって袖を翻しながら華麗に舞います。やがて美保の松原から浮島が原へ、そして富士の高嶺へと舞い上がり、霞にまぎれて天井世界へ帰って行くのです。”と書いている。

   ところで、この羽衣伝説に似た話は、日本各地にあるようで、私が子供の頃に聞いたのは、天女が、羽衣を拾った漁師の妻になったと言う話だが、能は、そんな人間臭い話ではなく、天女が、優雅な舞を舞って天上界に消えて行くと言う話に昇華されている。
   羽衣を見つけた漁師ワキ/白龍 福王和幸だが、非常に人間的と言うか俗人的で、見つけた拾い物を勝手に持って帰ると言う意識も問題だが、「古き人にも見せ、家の宝となさばや」と言うのだが、天人の羽衣だと分かると、「末世の奇特に留め置き、国の宝となすべきなり」とそろばん勘定も冴えている。
   天人が、橋掛かりから舞台に現れて、手を額に当ててシオるのを見て、羽衣を取られて天上に帰れなくなった悲しみを、あまりにもいたわしく思って天女の舞を交換条件として返すことにする。その時、羽衣を返して貰わないと舞えないと言われたので、「いやこの衣を返しなば、舞曲をなさでそのままに、天にや上がり給ふべき」と言うのだが、「いや疑いは人間にあり、天に偽りなきものを」と言われて、「あら恥づかしや」と恥じ入るあたりは、実にユーモアと諧謔の香りがして興味深い。

   さて、下世話な話だが、羽衣を脱いで水浴びをしていたのなら、天人は、裸であったか、それに近いヌード姿であった筈だと思うのだが、銕之丞師は、繻子地に箔をおき、絹の色糸で刺繍を施した豪華な縫箔に摺箔を重ねて腰に重ねて捲く、この腰巻の姿が、漁師に羽衣を取られて裸になってしまった天人の状態だと言う。
   この一刻も早く羽衣を取り返したい天女と漁師の掛け合いのシーンを、リアルな映画で再現すれば、かなり、エロスを感じさせるシーンだと思うのだが、その点、能は極めて優雅に天上と地上の遭遇場面として美しく表現していると言うのが面白い。

   今回は、増女の面をかけての舞台だったと思うのだが、銕之丞師は、あまり神格化した世界をつくるよりは、天人が、無菌状態で生きている清純無垢な人と言う感じでやるほうがいいと思うので、「小面」で演じることが多いと仰る。
   能の舞台となると、私には、まだ、異次元の空間と言った感じなので、さて、美保の松原に舞い降りた天女は、どんな感じの天人であったのだろうかとイメージしてみても、中々しっくりと感じられないと言うのが正直なところである。

   装束の舞衣は、グリーンや赤もあるようだが、金井雄資師は、白の舞衣で、非常に清楚で優雅な舞姿を見せて格調高い終局の舞台を楽しませてくれた。

   余談だが、今回、「物着」で、舞台上で、シテが着付を変えるシーンがあったが、8日に観た金春流の「龍田」では、舞台後方中央に据えられた小宮の作り物を幕で囲って、舞台展開中に、その中で、前シテ/巫女(櫻間右陣)から後シテ/龍田明神への装束転換が行われた。
   私は、偶々、脇正面の横から、その過程を垣間見ていたのだが、ほんの1メートル四方よりやや広い空間に入ったシテを、後方から後見が一人で着付を行って、時間きっかりに完成させて幕を取り払って、シテが舞台で舞い始めると言う素晴らしいシーンを見て、能楽の世界の奥深さを感じることが出来た。
   恐らく、この様子は、正面席や中正面の見所からは、殆ど見えなかったと思うのだが、能には、歌舞伎のように衣装方専門の人がいなくて、この着付は、すべて能役者が後見として行っているようで、流石に、阿吽の呼吸と言うか、芸の深掘り修練の成果が発露されるのであろう。
   能の翁には、舞台で、翁大夫が、翁面を恭しく付けて白い翁に変身するシーンがあり、能には、このように、舞台での変身を、舞台に殆ど何の違和感もなく取り込むと言う手法を使っている。これに比べて、歌舞伎は、幕を張ったり、登場人物の人垣で隠して変身することが多く、文楽では、舞台に沈んで隠れて変身するなど、夫々の舞台によって独特の工夫があるようで、その展開の差が面白い。
   
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ジェレミー・リフキン著「第三次産業革命」

2012年09月21日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   19世紀の第一次産業革命や二十世紀第二次産業革命から、現在二十一世紀は、政治経済社会を根本から変革する第三次産業革命の時代に突入したと言う。
   化石燃料に依存した産業革命の多くで特徴となっていた従来のトップダウン型の社会構造が、新しいグリーンな産業化時代の分散・協働型の関係へ移行し、社会そのものが階層的パワーから水平型パワーへ根底から変わりつつある最中だと言う。

   リフキンの説く第三次産業革命の柱となるのは次の五つ。
   ①再生可能エネルギーに移行すること。
   ②全大陸の建物を小型発電所に変えて、再生可能エネルギーを利用現場で収集すること。
   ③すべての建物とインフラ全体に水素などの貯蔵技術を配備して、間欠的に生じるエネルギーを貯蔵すること。
   ④インターネット技術を利用して、すべての大陸の電力系統をインターネットと同じように機能するエネルギー共有インターグリッドに変えること。
   ⑤輸送車両を、大陸規模の双方向型スマート電力系統で電力を売買できるプラグイン電気自動車や燃料電池自動車に切り替えること。
   インターネット通信技術と再生可能エネルギーの一体化というプロットによって、第三次産業革命を目指すべく、既に、ヨーロッパは始動し始めたと言うのである。

   スマートグリッド (smart grid) システムへの完全移行と言うことであろうか。
   リフキンは、第三次産業革命を理念とするマスタープランを作成して、EU委員会やメルケル首相たちのアドバイザーをしたり、各国の地方公共団体と果敢にマスタープランを推進するなど行っているようだが、原発後の世界を展望して脱原発を図りつつある日本にとっては、非常に参考になると思う。
   リフキンは、この本の中で、いくらかの非常に示唆に富んだ提言や理論展開をしているのだが、まず、一点、啓発されたのは、「GDPは、国内総コストだ」と言う考え方である。

   ”GDPは、国の一年間に生産する富の指標だが、熱力学的な観点では、むしろ、利用可能なエネルギーの蓄えを減らし、排出されるエントロピーを蓄積するという代償を払って生産される財やサービスに埋め込まれた、一時的なエネルギー量の指標と言う方が正しい。生産する財やサービスは、いずれエントロピーの流れに加わるので、経済発展をどうとらえようとも、経済の帳簿は赤字となる。どんな文明も、自ら生み出すよりも多くの秩序を周囲の環境から吸い上げ、地球を貧困化させることを避けられない。資源を消費して経済を成長させる度に、その一部は、どんどん使用できなくなってしまうので、GDPは、もっと正確に言えば、国内総コストである。”と言うのである。

   エントロピーとは、易しく言えば、利用不能となったエネルギーをさすようだが、あらゆる経済活動は、自然資源を消費しながら行う生産活動であるから、どんどんエントロピーを増大させることとなる。
   したがって、経済活動は、それを支える資源基盤の劣化と言う代償と引き換えに、一時的な価値を生み出す活動に過ぎないと考えられるので、人類が、経済成長を目指して、GDPアップに励めば励む程、環境破壊と言う前に、宇宙船地球号をやせ細らせて窮地に追い込み続けてきたと言うことになる。
   確かに、石炭に封じ込まれているエネルギーは不変であっても、一度、石炭を使って二酸化炭素や二酸化硫黄などのガスにして空気中に拡散してしまえば、元の石炭に再び戻すことは不可能であり、エントロピーを増大させ、天然資源の浪費であることには間違いない。
   勿論、分散したエネルギーをすべて再利用できないし、もし、その一部を再利用しようとすれば、そのプロセスで余分なエネルギーを食って、全体のエントロピーが増大してしまう。

   人類は、経済活動の追及は、地球上の無限の物質的進歩に必ず繋がる直線的なプロセスだと信じて、勤勉さによってユートピア的な楽園をつくることが出来ると頑張って来たのであるが、経済プロセスを、この熱力学的観点から考えれば、経済活動の加速によって環境が劣化し、まだ生まれぬ世代に暗い未来を齎す活動以外の何ものでもなかったと言うことになる。
   地球の温暖化や天然資源の枯渇については、ローマクラブの”成長の限界”レポート以来、何度も、人類の緊急課題として議論され続け、今や、チッピング・ポイントを越えてしまって、正に、人類は窮地に立ってしまったと言われている。
   しかし、同時に、エントロピーの増大を極力避けるるような発展再生計画を推進しない限り人類の未来は暗いとするリフキンのエントロピー文明論について、もっと注視すべきだと思うし、資源の浪費のより少ないグリーン化戦略は、経済効率云々の問題ではなく、人類にとって、残された重要な選択肢であることを、肝に銘じなければならないと感じている。

   この文明論に立ったリフキンのグリーン産業革命論であるから、この本は非常に説得力があって、興味深い。
   最早、東京電力のような巨大な企業が一極集中で発電する時代ではなくて、各個別企業や各家庭が、分散型のグリーン・エネルギー発電所となって、第三次産業革命を起こすと言う時代。
   財界は、脱原発に強硬に反対しているのだが、グリーン・エネルギー革命でなければ、人類社会の未来はないと言うリフキンの提言に乗れないようでは、世界に冠たる日本のものづくりの将来も、期待薄ということであろうか。
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国立演芸場から都響定期演奏会

2012年09月20日 | 今日の日記
   残暑も最後だと天気予報が言っていたのだが、9月も下旬だと言うのに、まだ暑い。
   午後のひと時を涼むには、寄席が格好と、中席も千秋楽の国立演芸場に出かけた。
   普通は、インターネットか電話で予約を入れるのだが、インターネットでは空席が多かったので、直接演芸場に行ったら、やはり、端境期と言うのか、かなり空いていて、久しぶりに被りつきに席を占めた。

   落語が主体で、前座、二つ目、真打と続くのだが、年期を積むと、流石に上手い。
   文楽の大夫も、一人で、ナレーションからあらゆる登場人物の声音を演じるのだが、どちらかと言えば、浄瑠璃語りなので芸術的でニュアンスが大分違うのだが、落語の場合には、実生活における実人物の語り口であるから、リアルで臨場感がなければならず、女であろうと子供であろうと方言であろうと、それが、舌を巻く程上手なので、何時も引き込まれて聞いている。
   それに、話術の冴えと言うのか、メインの古典に入る前に、噺家自身が編み出したカレントトピックスなどを交えたまくらが語られ、これに噺家の個性が滲み出ていて面白い。

   
   トリは、三遊亭歌司で、「百川」。
   六代目圓生の作だと言うが、江戸時代の話なので、四神剣などと言う風俗や時代背景など多少分かっていないと一寸難しい。 
   田舎出の百兵衛が、葭町の口入屋・千束屋の斡旋で、浮世小路の百川楼に来た。二階で手が鳴ったが、女中連中は髪をほどいて接客が出来なかったので、主人が、百兵衛に御用を聞いて来てくれと、気の荒い河岸の連中だから丁寧にと釘を差して二階に上がらせたのが、問題の発端。
   「ワシはこのシジンケ(主人家)のカケアイ(抱え)人で・・・」と自己紹介したのを、早呑み込み、早合点した初五郎が「四神剣の掛け合い人」と聞き違えて、去年の祭りで金を使いすぎて、祭具の四神剣を質に入れてしまったのを、隣町から掛け合いに来たのだと早とちり。上座に据えて、顔を潰さないようにするから、すべて飲み込んでくれととクワイを喉に詰まらせるなど騒動が起こるが、雇人と分かる。
   次に、百兵衛は、長谷川町・三光新道に常磐津の歌女文字(かめもじ)を連れて来い、「三光新道に”か”の字のつく名高い人だと言えば直ぐに分かる。」と言われて、やっとの事で三光新道を探し当て、「”か”の字のつく名高い人」と尋ねると「それは外科医の鴨池玄林(かもじげんりん)先生だ」と教えてくれた。「河岸の若い方が、今朝(けさ)がけに4,5人き(来)られやして、先生にちょっくらおいでを願えてちゅうでがすが・・・」と言ったのを、取次ぎ人はこれ聞き違え、鴨池先生に、「若い者が、4、5人袈裟がけに斬られた」と取り次いだので、「手遅れになるといかんから焼酎1升と白布を五六反、鶏卵を20程用意をしておくように」と言い伝えて薬籠箱を持って先に帰えらせる。
   そこへ鴨字先生がやって来て、「怪我人はどこにおる」「なにか、お門違いでは」「「いや、門違いではない。薬籠が来ておる」と頓珍漢の対応。
   百兵衛が間違えたのだと分かり、連中は百兵衛を呼び出し、「抜け作だよ。お前は」、「名前は百兵衛だよ」、「名前を聞いているんじゃない。抜けているから、抜けさくだ」、「どのくらい?」、「どのくらいじゃない。みんな抜けてらぁ~」
百兵衛(指を折りながら) 「か・め・も・じ・・・か・も・じ・・・いやたんとではねえ、たった一字だけだ」

   ところで、この百川は、三越近くにあった江戸屈指の懐石料亭で、黒船来航の折には、江戸城での乗組員全員に本膳を出して、一千両を請求したと言うから驚きである。
   しかし、とにかく、この話は、結構高度な話術の技を使った落語で、生粋の江戸っ子と方言丸出しの田舎者のコミュニケ―ションのトラブルが発端で、作法を知らない田舎者と、何も分かっていないのに早とちりして物知り顔でどんどん話を進めて行く短気な江戸っ子とのボタンの掛け違いなど、非常に面白い。

   歌司は、冒頭に、「また、同じ話か」と言う客がいるが、「また、同じ話を聞けた」と長生きを喜んで噺を聞いてほしいと言っていたのだが、確かに、芸能や芸術では、同じ出し物をもう一度見たい聞きたいと思うのと、そうではないものがある。
   差し詰め、オペラの「カルメン」や歌舞伎の「忠臣蔵」などは、客を呼び込むための恰好の演目だと言うので、前者の部類であろうが、人気絶頂の千両役者の舞台なども、何回も見たい聞きたいの部類であろう。
   オペラの場合には、大体、同じ歌劇場が連続して同じ公演を続けることがなくて、ソリストなどはある程度固定していても、指揮者やオーケストラなど劇団が変わるので、新鮮味が加わり、それ程抵抗はない。
   しかし、最近、歌舞伎の舞台あたりで、マンネリ感が強くなってきたのが気になり始めている。

   
   演芸場を出て、銀座に立ち寄って小休止して、何時ものように、神田神保町に向かった。
   私の歩くのは、メトロの神保町駅の九段下方向の出口から出て、三省堂まで歩くコースで、その間に、行きつけの古書店を何軒かハシゴする。
   買った本は、スチュアート・L・ハートの「未来をつくる資本主義」。ほんの3年をおいての改訂版だが、私の尊敬するプラハラードやクリステンセンを継承する学者の本で、私の講義用にも非常に参考になる本である。
   適当に夕食を済ませて、上野に向かった。

   この日の東京都交響楽団の定期公演の演目は、エリアフ・インバル指揮によるマーラー・チクルスの第一回目で、
   「さすらう若人の歌」と交響曲第1番 ニ長調 「巨人」である。
   最近でこそ、マーラーやブルックナーなどの大曲の人気が高く、全交響曲演奏などが行われているが、もう、殆ど半世紀ほども前に、私が、やっとクラシック音楽に興味を持ち始めた頃には、マーラーでさえ、演奏会のプログラムに組まれることは殆どなかった。
   私は、やはり、ユダ人の血がそうさせるのか、当時は、バーンスティン指揮ニューヨーク・フィルのマーラーのレコードが圧倒的な人気で、「巨人」や「大地の歌」あたりから聞き始めた。
   マーラーの交響曲の演奏会に接するのは、海外に出てからで、フィラデルフィア管弦楽団やロイヤル・コンセルトヘヴォー管弦楽団、ロンドン交響楽団、ニュー・フィルハーモニアあたりである。
   ベルリン・フィルだったか、コンセルトヘヴォーだったか忘れたが、ベルナルド・ハイティンクのマーラーが印象深かったのを覚えている。
   マーラー歌曲「さすらう若人の歌」や「子供の不思議な角笛」「亡き子を忍ぶ歌」などは、演奏会のプログラムに挿入される感じで、オペラ歌手の別な側面からの魅力を味わえて良かった。

   「さすらう若人の歌」は、「ぼくのあの娘が式を挙げる」と言う第1曲からはじまる失恋の歌で、哀調を帯びた悲しくてどこか世紀末的な香りの強い歌を、バリトンの小林輝彦は、実に誠実に切々と歌って胸を打つ。
   「巨人」は、私の青春時代の思い出の詰まった音楽であり、久しぶりに聞くのだが、実に懐かしく感激であった。
   マーラーの指示のように、最初は、ゆっくりと引きずるように、・・・力強い動きを持って、・・・厳かに威厳を持って・・・嵐のように激しく・・・終わる素晴らしい音楽で、金管木管の素晴らしい囁きと咆哮が色彩豊かであり華麗そのもの。
    良くもここまで素晴らしい演奏を!
    インバルの薫陶を受けた東京都交響楽団のまさに圧倒的な名演であった。

    8時40分終演、実に早く終わったので、千葉に帰るのも楽である。
    こう言う気持ちの良い時は、読書も捗るもので、京成の車内で、ジェレミー・リフキンの「第三次産業革命」をじっくりと味わいながら読むことが出来た。
   
   




 
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ニッコールクラブ大撮影会・・・辻堂海浜公園

2012年09月17日 | 生活随想・趣味
   植物園や遊園地のある公園から離れて、今年は、湘南海岸の辻堂海岸公園で、ニッコールクラブの撮影会が、少し時期を早めて実施された。
   千葉在住者には、一寸した小旅行なので、私は、鎌倉の娘宅に一泊して出かけて行った。

   台風の影響があるのか、海岸線には大波が押し寄せていて、遠景は波しぶきに霞み、メガネがすぐに曇って視界が悪くなる。
   一度、激しい雨が降りつけて右往左往したが、風がかなり強い曇天模様が続いていたので、過ごし易い感じで助かった。
   海岸線での撮影は、先生がポーズをつけた二人の水着姿のモデルを囲んで行われるのだが、私には、綺麗なモデルよりも、久しぶりに見た砂浜の広がった海岸風景が懐かしく、大波と江の島のコントラストの方が面白かった。
   
   
   

   この日は休日にも拘らず、公演のプールは貸切だとかで、ニッコールクラブが占領し、二人の先生と4人の水着姿のモデルを囲んで撮影会が行われていて、大きな機材をぶら下げた撮影旅行モードの中老年集団が周りを取り巻くと言う、一寸、変った雰囲気を醸し出していた。
   最近では、参加者のモラルも良くなって場所をすぐに譲ると言うスタイルが徹底し始めて良くなった感じだが、昔の紳士が多いのか、特に外人の場合には、モデルに話しかけることも少なく大人しい感じで、モデルが視線を移してくれるのをじっと待っている。
   

   この日は、天候が落ち着かなかったので、比較的人の出が悪かったが、大きな海岸公園なので、家族連れの来客もあっちこっちで楽しんでいた。
   ソテツの大木の木陰のベンチで、昼食後、場違いながら日経ビジネスを読みながら子供たちの遊ぶ様子を眺めていたのだが、同じことを飽きもせず楽しんでいる様子を見て、自分たちの子供の頃と少しも変わっていないなあと思った。
   
   
   

   そんな公園の緑地の片隅で、撮影が行われていて、ここでは、当然、水着姿のモデルではなく、普段の公園や植物園の撮影会と変わらない雰囲気で行われていて、緑陰で佇む若い女性や芝生で寛ぐ乙女と言った感じで、私にはお馴染みである。
   この写真は、どちらかと言えば、東京の下町などにに住む人々の生活をスナップ撮影した写真などで有名な大西みつぐ先生なのだが、芝生の上のモデルにポーズをつけているところである。
   

   とにかく、私など、良い写真を撮ってコンテストに応募しようと言う気持ちなどさらさらなくて、綺麗なモデルさんを写せると言うことと雰囲気を楽しむために行っているので、この日など、間違って低いギガのSDメモリーカードを入れたまま出かけて予備を持って行かなかったので、途中でアウト。
   いずれにしろ、日頃の何倍もの水やお茶を飲んでの歩き回りであるから、早く切り上げて良かったのかも知れない。
   残念ながら、素晴らしいモデルさんの写真をブログに使うのは禁止されているので公表出来ないのだが、まあ、一年に一度の骨休めなので、時間が取れれば、何時も出かけている。

   ニコンは、特別ブースを設けて、新製品や超望遠レンズなどのデモを行っているのだが、資金に余裕のあるシルーバ―世代をターゲットに高級製品の開発に狙いを定めるのも、今後のマーケット・セグメンテーション戦略としては有効であろう。
   とにかく、よろよろしながら、最高級カメラをフル装備した老人ファンが結構多くて、新製品が出ればすぐに買い換えるのだと語っていたが、果たしてどの程度使えているのかは疑問ではあるものの、それがファンと言うものであろう。
   安いカメラを量産して激烈な競争をして叩き合うよりも、金メッキでもして付加価値を付けるなど、どうせ墓場まで持って行けないのだから、余生を至福の思いで過ごす生き方提案をするのも悪くないと思う。
   
   
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国立劇場:九月文楽・・・「夏祭浪花鑑」

2012年09月16日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   住大夫の休演が一寸残念だったが、玉女の団七大車輪の活躍をはじめ、三業の素晴らしい競演の見事な舞台で、楽しませて貰った。
   大阪市の文楽補助金の打ち切りの情報は、8月24日、国立能楽堂で行われていた能「鵜飼」のトークで、茂木健一郎氏から聞いたのだが、その後、住大夫が軽い脳梗塞で入院したことについて、橋下徹・大阪市長は「(市補助金の支出をめぐり論議になっている)文楽協会の一件で、心身ともに多大なご負担をおかけしたことも要因になったのではないかと案じております。多くのファンの皆さんとともに住大夫さんが舞台に復帰される日を、待ち望んでおります」と発表したと言うのだが、よくもこのような白々しいコメントを出せたものだと呆れている。

   この日、住大夫は、「釣船三婦内の段」で、お辰が焼き鏝を己の頬にあてて焼く名場面を錦糸の三味線で語ることになっていたのだが、弟子の文字久大夫に替わった。
   若くて色気があるので、同道の磯之丞と道中過ちがあってはならないと言われた一寸徳兵衛(玉輝)の女房お辰(簔助)が、いきなり火鉢の鉄弓を自らの顔に押し当てて火傷をおわせて、三婦(紋寿)夫妻が慌てふためくのをよそに、むっくと起き上がって「なんと三婦さん、この顔でも分別の、外といふ字の色気があろうかな」と侠気を示すあの舞台である。

   さて、この「夏祭浪花鑑」だが、実際に大坂の長町裏で起きた魚屋殺人事件を題材にした芝居で、幼いとき浮浪児だったのを三河屋義平次(勘十郎)に拾われ、泉州堺で棒手振り(行商)の魚屋で生計を営む侠客団七九郎兵衛を主人公とした人気舞台だが、後半、この団七が、舅の義平次とくんずほぐれつ争う凄惨な親子の殺戮劇が見せ場で、「悪い人でも舅は親。南無阿弥陀仏。」と合掌して、浪花祭の雑踏に紛れて逃走する。
   実際には、全編九段目までの狂言だが、文楽でも歌舞伎でも大幅に省略されて、団七が捕われる終幕九段目までは演じられないようで、私も見たことがない。
   今回は、舞台では省略されることがある、義平次が侍を偽り偽香炉を売りつける「内本町道具屋の段」が演じられていて、義平次のあくどさが説明されていて芝居の展開が良く分かる。

   この芝居で面白いのは、団七、一寸徳兵衛、三婦と言う大坂の侠客と、気風が良く男顔負けの三人の妻たち、お梶、お辰、おつぎが、活躍するのだが、江戸歌舞伎がアウトローなどを主役として侠気な舞台を展開しているように、全く市井の庶民、それも、底辺に近い生い立ちの人たちを主人公に描かれていることである。
   この芝居の「長町裏の段」の殺戮の場では、団七が義平次の悪事を論って非難すると、義平次が、「恩知らずめ。おのれは元宿無団七というて粋方仲間の小歩き。貰ひ食ひで暮してをったを引き上げて、その後堺の浜で魚売りさせ、・・・」と恩知らずと罵り、金儲けの邪魔をし続けるのに憤懣やるかたなく、怒りにまかせて打擲し雪駄で眉間を割るなど悪口雑言を浴びせ続けるので、団七はとうとう耐え切れずに堪忍袋の緒が切れて刀を抜くのだが、どんどんテンションが高揚して舞台展開が激しくなるところなどは、正に、魅せる舞台で、芝居の最高の見せ場と言うべきではあろう。
   しかし、考えてみれば実に下世話な話で、これを、大舞台に仕上げてしまったのは、作者が偉いのか、演じる三業が素晴らしいのか、非常に面白いところである。

   5年前に観た文楽「夏祭浪花鑑」は、お辰は簔助で同じだが、団七は勘十郎で、釣船三婦は紋寿、一寸徳兵衛は玉女、義平次は玉也であった。
   最後の長屋裏の段で、団七を語ったのは、今回と同様に源大夫で、丁度、人間国宝になった時で、当時は、綱大夫を名乗っていた。義平次は、伊達大夫が英大夫に替わったが、三味線は、同じ、東蔵(清二郎)であるが、この段は、舞台展開が激しく、人間のドロドロと蠢く愛憎と究極の心の鬩ぎ合いを叩きつけているので、役割を分けた二人語りは、非常に迫力があって素晴らしい演出だと思った。
   今回は、絶頂期にある文楽界のホープである玉女の団七と勘十郎の義平次と言う考え得る限り最高の人形遣いの競演で、井戸端での殺しの場が演じられているのであるから、その迫力と臨場感たっぷりの凄まじさと、生身の役者を越えた人形にしか演じ得ないリアリズムの凄さは特筆ものである。

   歌舞伎では、何故か、団七と徳兵衛に役者を選んでいるようである。
   私が観たのは、最近では、吉右衛門と仁左衛門、その前は、海老蔵と獅童なのだが、「住吉鳥居前の段」で、徳兵衛が登場して、お梶の仲裁で団七と3人で見得を切り、団七と徳兵衛が、お互いに玉島家が主筋であることが分かって、磯之丞を守るべくお互いに片袖を交換して義兄弟の契りを結ぶ見せ場はあるのだが、徳兵衛そのものは、元ものもらいで磯之丞の愛人琴浦に横恋慕する佐賀右衛門の子分の侠客に過ぎないと言うことを考えれば、何故だか良く分からない。
   尤も、次の「釣船三婦内の段」で、鉄弓で顔を焼くお辰の夫だと言うことでかなりの人物であると言う設定ではあるのだが。

   
   さて、かって、13代目仁左衛門が、東京色の強い夏祭浪花鑑を見て、上方歌舞伎の冒涜やと非難したと言うのだが、あの天神祭を見れば分かるが、大阪の文化は独特な風格と伝統を備えていて、それだけに、この芝居は、大坂を舞台とした大阪人にしか分からないような上方歌舞伎の濃厚な風情が要求されると言うことであろう。
   その意味では、大阪弁で語られる伝統的な文楽の「夏祭浪花鑑」が正統派だと言うことであろうが、しかし、歌舞伎の舞台は勿論、浄瑠璃の世界でも、東京文化へ傾斜して行く画一化は避け得ないのであろう。

   私など、近松門左衛門の舞台が、少しずつ東京ベースの役者が登場するようになり、そのニュアンスの差に違和感を感じ続けているのだが、橋下市政の施策は悲劇の始まりだとしても、それ以上に、大阪人の伝統的古典芸能に対する関心とサポートが極端に薄くなって、客が集まらないので商売にならないとして、殆ど芸能人が東京へ移らざるを得ない今日の状況を考えれば仕方ないのかも知れないとは思う。
   しかし、故郷の祭りなどは、比較的保存は利くのであろうが、高度な伝統継承と修練の結晶のような古典芸能は、一度廃れてしまったら、二度と再生は不可能であり、上方オリジンの古典芸能を、如何に維持継承して行くのか、橋下市政が投げた一石を機会に考えるべきだと思っている。
   
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畑村洋太郎×吉川良三著「勝つための経営」2

2012年09月15日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   著者は、なぜ経営者が重要な決断が出来ないのか、組織を硬直化している「形式主義」「数量主義」「管理主義」と言った「官僚主義」や、組織全体が「中間管理職化」した成熟した日本の企業組織が危ないと説いているのだが、私は、一番大きな日本の企業の特色は、財閥や企業グループによって形成されたワンセット主義によって生まれた各業界における代表企業間の横並びの寡占競争が、良くも悪くも作用しすぎていると思っている。
   勿論、現在では、グループに関係ない企業も多くなってはいるが、欧米などと違って、とにかく、同じ業種に、沢山の競業企業が存在していて、熾烈な寡占競争を行っていることが問題で、著者は、この点に関して、リーグ戦におけるライバル企業との競争が「高品質」を齎した反面「過剰品質」を生む原因ともなり、また、国家支援を行おうにも行えず、官民一体となってグローバル競争に打って出ることが難しいと指摘している。

   カメラや家電製品を見れば分かるが、著者の言を借りれば、技術者のおごりや「つくり」の持つ現場のおごりが暴走して、消費者のニーズやウオントをそっちのけで、ライバル企業との技術競争を優先してきた結果、デジタルものづくりや新興国の参入などの激しい世界の潮流に乗り遅れてしまったと言うことであろうか。
   他者がやるからうちもやる、ミャンマーが有望だからミャンマーに出よう、などと言った、同業の動きばかりを気にした横並び意識の頭の経営者ばかりであるから、ブルー・オーシャン市場になど危なくて出れないし、先が分からない破壊的イノベーションの追及などはもってのほかと言った状態であるから、そのような経営者のメンタリティが、 野口 悠紀雄先生が言わなくても「製造業が日本を滅ぼす」と言うことになる。

   チャレンジ精神の欠如と内向き志向は深刻な問題で、豊かで成熟した巨大な市場に胡坐をかき続け得たお蔭か、特に内需型産業に強いのだが、その中でも、比較的政府の保護が厚かった農業においては、TPPやFTAに対する強硬な反対などを見ても分かるように、国際競争力を強化してグローバル競争に勝利しなければ生きて行けない日本であるにも拘わらず、その海外で稼ぐ力を益々削いで、貧しくなって行く日本で、どのように生きて行こうとするのか全く不思議である。
   農業については、地産地消を前提とした近郊農業や、品質が非常に高くて競業商品がないと言った国際競争に晒されない農産物以外は、要素価格平準化定理を持ち出すまでもなく、殆どの農産物は価格的に国際競争力を失ってしまっており、それを保護して生産を維持しようとすれば、他の経済活動に犠牲なり負担を強いることになり、トータルマイナスであり、この問題は、抜本的な構造改革を実施するとか、国策として対処する以外に方法はなかろうと思っている。

   著者たちが主張しているように、グローバルに激しい競争が行われている今日、嫌でも応でも、アメリカやEUで世界標準が決定される以上、TPPやFTAに加わって、これらの組織を通じて、日本が交渉に加わって、有利な条件を獲得すべく交渉しない限り、ジャパン・パッシングで、蚊帳の外で総てが決定されてしまう。ただでさえ、どんどん国際競争力を失いつつある大輸出企業が続出している今日、国際競争条件を決定する交渉の場から外されて、果たして日本の未来はあるのであろうか。
   バブルに浮かれた日本人の殆どは、いまだに気付いていないのだが、日本の国際的地位の低下と国際競争力の衰退は、目を覆うばかりであり、ジニ係数の悪化に見るように貧者の増加・経済格差の酷さは先進国でも突出しており、決して、安閑とはしておれない状態に至っている。

   日本は、世界市場がなければ生きては行けないが、今や、世界は、日本なくてもやって行ける。ジャパン・パッシングどころか、昨年、マイケル・オースリンが、アメリカが日本切り捨て(JAPAN DISSING)の時代に入ったとまで論じており、日本人自身が、改めて、日本の立ち位置を真剣に考えなければならなくなっていると言うことを自覚すべきであろう。

   世界中が轟音を轟かせて成長街道を驀進していた間、20年以上も失われた時代を過ごし、殆どゼロ成長で経済発展から見放された天然記念物の様な日本が、落ちぶれるのは当たり前であろう。
   しかし、痩せても枯れても「ものづくり大国日本」「輸出大国日本」の誇りと日の丸だけは下したくないと思う。
   著者が言うように、せめて、海外で頑張っている企業や人を支援することに難癖をつけ、足を引っ張るのだけは止めよう、少なくとも海外で頑張る企業、個人が活躍できるようにサポートしようと言うことは、日本人の最低限の義務であろうと思っている。
   海外で外貨を稼がない限り、一滴の石油たりとも買えないことを、悲しいかな、日本人の殆どは忘れているような気がして仕方がない。
   
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巨大都市の崩壊は古代ローマが教訓を

2012年09月13日 | 学問・文化・芸術
   ジェレミー・リフキンの「第三次産業革命」を読んでいて、今日の世界の都市化について語っている章で、巨大都市の環境で持続不可能な人口を維持しようとすればどうなるか、古代ローマが厳然たる教訓を示していると書いているのに興味を覚えた。
   ローマ帝国の衰亡については、18世紀イギリスの歴史家エドワード・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』(The History of the Decline and Fall of the Roman Empire)を筆頭に多くの書物が書かれており、興味の尽きない課題ではある。
   帝国領域の過大な拡張、経済危機、蛮族の侵入、軍事的弱体化等々いろいろ論じられているが、決定的な結論や理由づけなどは、恐らく不可能であろうと思うのだが、しかし、夫々の学者や歴史家が、自分たちの得意な視点から掘り下げて理由づけしているのを学ぶのは非常に面白い。

   さて、リフキンのローマ衰退論だが、母なる自然が異国の軍隊よりもはるかに強敵となって、帝国を屈服させたのだと言うのだが、このまま、都市化が益々進展して行けば、人類にとって持続可能な地球環境の維持は到底無理であって、私たちは、人口を減らし、エネルギーや資源をもっと効率的に遣い、環境汚染が少なく身の丈に合った生活環境を整えるのにもっと適した持続可能な都市環境を開発するために、最善の方法を考える必要に迫られていると言う危機意識がある。

   ローマ帝国の勃興期には、イタリアは、森林にびっしりと覆われていたのだが、数世紀の間に、森林は木材採取のために伐採され、土地は耕地や牧草地に変えられて、地面が風や洪水にさらされ、貴重な表土が流出し、国土の劣化を促進させた。
   政府収入の9割が、農業によるものであったローマ帝国は、収入を得るために、既に痩せていた土地を更に酷使して国土を荒廃させ、それだけではなく、植民地化していたアフリカ北部や地中海地方でも、搾取による土地劣化により農業人口が大幅に減少し、農地が放棄させていった。
   その結果、農業収入の減少によって中央政府が弱体化し、帝国全体で政府の事業が縮小し、道路とインフラは荒廃し、同時に、強大な勢力を誇ったローマ軍が財政難に遭遇して、国防よりも食料集めに注力するなど弱体化して、侵略軍を防げなくなったと言うのである。
   環境問題に軸足を置いた文明批評家であるリフキンとしては、当然の結論で、現在、ローマ市当局と共同して、ローマを、地球の生物圏が不可分な有機的生命のように機能する生物圏都市にすべくマスター・プランを作成していると言う。
   

   もう一つ興味深い古代ローマ衰退論は、エイミー・チュアが「最強国の条件」で展開している、文明史を、その国家の持つ寛容性で論じる議論で、最強国の歴史において、寛容は勃興と、また不寛容は衰退と、あるいは民族的「純粋さ」への呼びかけと、殆どの場合、軌を一にしているとする理論である。
   
   ローマを繁栄に導いた寛容さが失われて、不寛容さへの転向がローマ帝国を引き裂く上で大きな力となったのだが、その寛容さを捨て去る上で、大きな役割を果たしたのは、キリスト教であった。
   キリスト教が不寛容の源泉となり、ディオクレティアヌス帝の「非ローマ的」なキリスト教徒の大迫害と、逆に、キリスト教に改宗したコンスタンティヌス帝以降は、非キリスト教徒に対して迫害と不寛容が強くなり、異教徒や異端派に対する攻撃で、帝国は深く傷つき弱体化の一途を辿って行ったと言う。
   この宗教的、人種的な不寛容に加えて、文化や習慣の異質さが際立ったゲルマン人が大量に侵攻移住し、ローマの同化吸収能力を圧倒しはじめ、正にその時に、ローマ人が、その血と文化と宗教の「純粋さ」を追及し出した時期とも一致していたので、ローマ帝国は、自ら勝ち目のない戦争と内乱を引き起こして、衰退への道へ一直線に突っ走って行ったのだと言うのである。

   私自身は、リフキンの説くエコシステム破壊による国力の低下や、チュアの説く寛容さと純粋さの欠如によるとする衰退論は、非常に面白いし示唆に富んでいるとは思うが、それだけを核にして文明論を展開できるほど歴史は単純なものではないと思ってはいる。
   しかし、ローマ帝国は間違いなしに滅びたことは事実であり、不思議なことに、中国以外にはなかったのだが、再び、ルネサンスでイタリアは蘇ったのである。

   さて、世界的な歴史サイクルでは、突出してはいなかったのだが、日本の歴史は、夫々の時代において勃興と衰退を繰り返しながらも、サイクルを打ちながら、高度な文化文明を維持し続けている。
   今現在、日本が衰退期に入りつつあるとするならば、その衰退の原因は何であろうか。
   大袈裟かも知れないが、ローマの衰退の歴史から学べるかも知れないと思っている。
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国立劇場:九月文楽・・・「冥途の飛脚」

2012年09月11日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   近松門左衛門が好きなので、文楽でも歌舞伎でも、舞台にかかれば必ず見に行くことにしており、文楽の「冥途の飛脚」は、今回が3度目で、最初は、忠兵衛は玉男、梅川は簔助であったが、玉男の歳晩年の舞台で、道行相合かごの段では、忠兵衛が勘十郎に替わっていた。
   次は、忠兵衛が玉女、梅川は紋寿で、この時は、雰囲気が大分変っていたような気がしている。
   もう一度、この「冥途の飛脚」を底本にした別バージョンなのだが、近松の浄瑠璃の下之巻の、忠兵衛の実家のある大和の新口村への梅川との逃避行と実父孫右衛門との涙の別れを主題とした「傾城恋飛脚」を見ており、この時は、忠兵衛が清十郎で、梅川が紋寿であった。

   一方、歌舞伎にも、近松の原作に想を得た同じ主題に基づいた「恋飛脚大和往来」と言う素晴らしい作品があって、封印切や大和の新口村への逃避行など感動的な舞台が展開されるのであるが、かなり改作が加えられていて、一寸話が入り組んでしまっていて、近松門左衛門のシンプルで味のある原作から大分違ってきている。
   最も大きな違いは、近松の原作では、丹波屋八右衛門は善人として描かれているのだが、歌舞伎では、全くの悪人として登場し、憎く憎くしさを強調して忠兵衛を破局に追い込む。
   原作では、新町越後屋の場で、八右衛門が、忠兵衛のことを思って郭に寄せ付けないようにと諭す意味で善意で忠兵衛の金の不如意の話をしているのだが、その内容が、このままでは泥棒してさらし首と言った極端な話なので、門口で立ち聞きしていた忠兵衛が誤解して堪忍袋を抑えかね、八右衛門や梅川の説得にも耳を貸さずに激昂して公金の封印を切る。
   一方、歌舞伎では、八右衛門は、梅川を見受けしたさに悪意で忠兵衛のことを郭で暴露し、二階で立ち聞きしていた忠兵衛を煽りに煽って、切羽詰って封印を切らせ、去り際に、こっそり封印の紙を拾って、公金横領を訴えると言う悪役に仕立てあげて、話を面白くしている。
   仁左衛門の忠兵衛、玉三郎の梅川の舞台は文句なく詩情豊かで素晴らしかったが、仁左衛門は、八右衛門も、実父孫右衛門も演じていて、これがまた、言うに言えない程、滋味豊かで感動的に上手かったのだが、やはり、近松門左衛門は、藤十郎や秀太郎、仁左衛門の上方役者の独壇場の世界なのであろう。

   従って、文楽では、八右衛門も梅川も、忠兵衛の懐の金は公金であろうと思っているので、必死になって公金に手を付けるなと説得するのだが、短気で見栄っ張りの忠兵衛は、この金は大和から養子に来る時に持参した金で他所に預けていたのを見受けのために取り戻した金だと言って、激情を抑え切れずに男の意地を押し通して、とうとう封印を切ってしまう。
   八右衛門の語りに、二階で聞いていた梅川は、胸引き裂かれる思いで忍び泣き。切羽詰って階段から駆け下りて、忠兵衛の自分への思いは痛い程分かっているので、覚悟は決まっており、たとえ身を売ってでもこなさん一人は養うて辛い思いはさせぬと、忠兵衛に必死になって身体を摺り寄せて苦しい心のうちをかき口説く姿は、正に、断腸の悲痛で、梅川の辛さ悲しさ、優しさ情の深さ、覚悟を決めた女の強さを、勘十郎は慟哭する人形を遣って観客の魂に叩き込む。

   梅川の見受けの残金、借金、祝儀を支払って、今晩の内に梅川が郭を出るようにしてくれとセッツク忠兵衛に、封印切ではなく持参金だと信じた梅川は、「一生の晴れのこと。傍輩衆への別れもちゃんと済ませて」と言ってはしゃぐ顔。
   忠兵衛は、わっと泣き出して、「引くに引かれぬ男の面目で、封を切ったのは公金、今にも詮議が来るから高跳びしよう」と言って梅川に縋りつくと、梅川は驚天動地でわなわなと振るえ出す。
   こうなれば、可愛い梅川の方がはるかに腹が据わっていて、「なぜに命が惜しいぞ、二人死ぬれば本望、今とても易いこと分別据ゑてくださんせなう」と応えて、生きられるだけ生き添われれるだけ添おうと、死出の旅に立つ。
   近松は、何故かがしんたれの大坂男と、健気で気風が良くて優しい大坂女ばかりを描いているようで、どこか、その後の「また負けたか八連隊」を髣髴とさせるようで面白い。

   ところで、この「封印切の段」の最初に、新町越後屋に集まった女郎たちが、浄瑠璃でも聞いて気を晴らそうと、「三世相」を語る。
   「傾城に誠なしと世の人の申せども、それは皆僻事訳知らずの詞ぞや、誠も嘘も本一つ、」と語り出すのだが、郭の恋は嘘ばかりと言うことで身を持ち崩す男の話は落語には多いのだが、近松門左衛門の世界は、その対極にあるのであろうか。
   以前に、京都島原の輪違屋の当主高橋利樹氏が「輪違屋」物語で、芸妓さんは好きな人を旦那さんにしてはいけない、どんどん貢がせてすぐ分かれたらモッタイない、元とらなあかん、と思わせるべしで、惚れたら負けだと書いていたのを思い出すのだが、私は、人間は、どんな世界でも、まして恋する思いは、同じだと思っている。

   さて、和生の遣った忠兵衛だが、実に、瑞々しいくらい品のある良い男で、優風でありながら、短気で激昂する瞬発力のようなエネルギーを秘めた不思議な雰囲気を持ったキャラクターで、非常に面白いと思った。
   文雀の一番弟子であるから女形の方で素晴らしい舞台を観ることの方が多いのだが、玉男の男男した忠兵衛とは違った品のある忠兵衛で楽しませ貰った。
   母妙閑の勘彌、丹波屋八右衛門の文司の人形も生きていて、舞台に奥行きを加えていた。

   しかし、何と言っても勘十郎の梅川の良さは、絶品で、これまで、簔助の相手役の立役が多くて、折角師匠から薫陶を受けて精進して来た本格的な女形を遣いたいと言っていたのだが、今回は、完全に簔助から独立して、本格的な近松門左衛門の極め付きの梅川で、大舞台を完遂した功績は大きく、期待が大きく膨らんで来て楽しみである。
   他の近松門左衛門の舞台を早く見たいと思っている。

   今回は、淡路町の段は、咲大夫と燕三、 封印切の段は、嶋大夫と富助、と言う最高峰の浄瑠璃語りと三味線で、非常に熱の籠った素晴らしい舞台を作り上げて、感動のボルテージを一気にあげて、感動を呼んでくれた。
   
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WSJ・・・米国は食料配給券国家

2012年09月10日 | 政治・経済・社会
   このタイトルも口絵写真も、WSJ電子日本版の社説からの借用なのだが、「農務省が先月31日に発表した報告で、「フードスタンプ」(低所得者向けの食料品購入補助制度)の受給者数が4667万0373人に達した」と言うのである。
   フードスタンプの年間費用は718億ドル(約5兆6255億円)で、過去最大となり、4600万人というのは、米国民の約7人に1人が生活の最たる必需品の1つを購入するのに税金に頼っていることを意味する。

    リベラル派は、当時も、今も、フードスタンプは政府が経済を活性化できる最も有効な方法の1つだと主張している。米農務省経済研究局は、フードスタンプは1.79の「乗数」だと概算しており、フードスタンプによる給付金1ドルにつき、国内総生産(GDP)が1.79ドル押し上げられるので、需要拡大、景気浮揚効果が高いと言うのである。
    しかし、WSJは、それでは、なぜ政府当局者は、全国民の日に三度の食事をフードスタンプで賄い、経済をてこ入れしないのだろうか。と揶揄しており、米国民7人のうち1人がフードスタンプの受給者となっているのは、国民に対する政府の思いやりを示すものではなくて、これは経済面の失敗を示すものだ 。と言っている。
   共和党のポール・ライアン副大統領候補による同党全国大会で、「現政権が提供できるのは、1つの給付金制度から次の給付金制度への冒険なき旅、政府によって統制された生活、すべてが無料であるものの民に自由がない国家だ」と言った素晴らしい発言を思い出してほしいとさえ言う。

   さて、この問題を論じる前に、アメリカがどういう状態に置かれているのかを少し考えてみたいと思う。
   面白いので、ジェレミー・リフキンが、近著「第三次産業革命」で論じているアメリカは、
   ”1980年代までにアメリカが世界経済の頂点に上り詰めたのは、安価で豊富な石油と自動車がうまく結びついたお蔭である。実態経済が縮小に向かっているにも拘わらず、経済エンジンを意図的に動かすために異常な浪費に富みが費やされた。貯蓄が枯渇すると、今度は、更に数兆ドルを借金して、自分のものでないお金を使い続けた。これ等のすべてがグローバル化のプロセスを刺激して世界経済を拡大させて、世界中で繰り広げられた浪費とそれに伴う総生産の急激な増大が、先細りの石油供給に対する需要を押し上げ、原油価格を急騰させた。その結果、世界のサプライチェーン全体で穀物からガソリンまであらゆる物価が上昇し、世界中で購買力の崩壊を来し、金融危機、株式市場の崩壊、グローバル化の行き詰まりを引き起こした。
   18年のあいだ長期の借金に頼ってきた結果、今や、アメリカ経済は失敗に陥っており、IMFは、アメリカ政府の債務は、2015年にはGDPと並ぶと予想しており、将来展望に疑問を齎している。”
   この文章では分かり難いが、外国の借金でアメリカ経済が成り立っており、オバマ大統領の膨大な財政支出などの経済政策も大きな効果を上げることなく、金融危機後の経済は依然苦境に立っており、更に、悪化する傾向さえ危惧されていると言う現状認識は、ほぼ共有されているであろう。

    ところで、NHKの報道などでは、大統領選挙の争点は、やはり低迷する景気をいかに立て直すか、その選択で、
   これについて、オバマ大統領とロムニー氏では、現状認識も、処方箋も、正反対の立場を示していて、まずオバマ大統領は、自らが実行した景気刺激策などの成果で、経済は少しずつ上向きになっていると強調し、より公平な社会を目指して福祉の充実や、富裕層への増税を訴えているのに対して、
   ロムニー氏は、オバマ政権のもと、政府の役割が大きくなりすぎて景気回復が遅れたと批判し、企業活動を活性化させることで、人々の暮らしを豊かにすべきだと訴えている。としている。
   
   ロムニー氏側のオバマ批判は、国民の諸問題を解決するために、連邦政府の役割を拡大しようとする「大きな政府」を志向したリベラリズム政治にあることは明白で、逆に、自由市場経済を最大限に活用して企業活動を活発化して経済成長を図ろうとするところにあり、保守色の強いライアン氏などは、更に、福祉政策の一部切捨てなどを主張しており、厚生経済的な民主党の政策とは真っ向から対立している。
   しかし、このリベラルで厚生経済的な民主党と、自由主義市場経済の保守党の経済論争は、何時もの争点で、全く目新しくないのだが、問題は、果たして、アメリカが、そんな争点に立って論じるような現状にあるのかと言うことである。

   まず、保守党の主張するように自由経済思想だが、成熟化したアメリカ経済そのものが、成長余力があるのかと言うことと、中間層の没落と貧困の拡大、そして、経済格差の拡大などで、アメリカ社会が益々危機的な状態に陥りつつある時に、弱者切り捨ての弱肉強食経済競争に軸足を置いた政策が成り立つのかどうかと言う疑問である。
   この点だけから言えば、私は、WSJの社説には賛成ではないことになる。

   クルーグマンは、ケインジアンでもあるので、ニューヨーク・タイムズのコラムを読んでいても、絶えず、政府の刺激策には、中途半端過ぎてダメで、もっと大がかりでダイナミックな需要拡大策を取れと主張し続けている。
   問題は、アメリカ経済が、更に、ダイナミックに成長を続ける余力なり実力があるのかとどうかと言うことで、考え方にもよるのだが、成熟化して成長の止まった先進国経済が、大半そうであるように、将来、殆ど多くを望めないのではないかと言うことである。
   もしそうなら、まかり間違えば、大幅な公共投資等政府支出の増大は、政府債務の増加を惹起するだけで、益々、財政を悪化させるだけとなる。
   

   私は、オバマ大統領の財政出動が、それ程効果を上げていないのは、あまりにも世界的金融危機によって生じたアメリカ経済の底が深すぎた所為で、クルーグマンが言うように、この程度の支出では小規模過ぎて効果が出ないのは当然で、経済の浮揚が確認できるまで、どんどん、景気刺激策を打つべきだと思っている。
   しかし、保守党優位のねじれ議会では、支出増などは不可能だし、もし出来たとしても、前述したように、その規模が大き過ぎて、逆に、その後の経済成長力が十分ではなくて、バランスの回収が出来ないのではないかと言うことである。
   ロムニー氏の言うような政策で、アメリカ経済が活性化すれば良いのだが、もう、既に、アメリカ企業なり民間部門は、新しいグローバル経済環境において、ダイナミックな活力を失いつつあるのではないかと思っている。

   結局、日本もヨーロッパも同様に、課題山積でありながら、経済成長が望めなくなり、資本主義そのものが暗礁に乗り上げて有効に機能できなくなってしまった以上、野放しの競争原理での市場万能の経済は無理で、公正と平等を旨とした厚生経済的な修正資本主義に比重を移した経済政策を取らざるを得なくなっている。
   それに、アメリカ経済の機動力であった筈の中間層の没落や貧困層の増大で、アメリカ社会そのものが、病的な現象を色濃くおび始めた今日、先のWSJの説には反するが、ロムニー氏よりはオバマ氏の大統領当選の方が、アメリカ人にとっては良いのではないかと思っている。

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畑村洋太郎×吉川良三著「勝つための経営」

2012年09月09日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   失敗学の大家畑村教授とサムソン経営を熟知する吉川教授の日本製造業に対する警告と提言の書であるから、非常に的確な示唆に富んだ書物なのだが、問題は、頭を打って呻吟している日本製造業が、殆ど、これらの提言や指摘を、実際の経営戦略に取り入れようとしていないことであろうと思う。
   私が、このブログで、2007年11月14日 | イノベーションと経営において、”ソニーや松下が何故サムスンに勝てないのか?・・・東大吉川良三特任研究員”を書いて、吉川教授の経営論を披露したのだが、当時は、世界同時好況で日本の製造業が潤っていたので無視されたにしても、その後事情が一変して、亀山モデルでこの世の春を謳歌して調子に乗って堺工場に入れ込んで今や風前の灯となっているシャープや、殆ど先の見えない苦境下にあるソニーやパナソニックの惨状を見れば、世界の潮流に乗れなかったツケが如何に大きかったかが良く分かる。

   吉川教授は、この新著でも、何故、ソニーやパナソニックがサムソンに勝てないのか、殆ど同じことを言っているのである。
   サムソンの製品開発は、リバース・エンジニアリングで、日本や欧米の製品を徹底的に研究し、設計者の意図した設計思想や製品の持つ基本的な機能を徹底的に追及して、消費者が本当に欲しいと思い必要としている機能は何か、機能の引き算と足し算を行って別の解を導き出している。
   それに、あらゆる手段を使って、日本の技術者を通して技術思想や暗黙知など価値ある技術情報を得ようと努力しており、いくら、優れた基礎技術を誇るソニーが、有機ELテレビやLEDバックライト液晶テレビを最初に開発しても、事業化の段階で、すぐに先を越されて負けてしまうのである。

   サムソンの大躍進の秘密は、成長著しい新興国への進出に活路を見出したグローバル化と、「つくり」よりも「もの」重視のデジタルものづくりで、製品開発と生産プロセスでは、デジタル化を最大限に利用し、多種多様な地域の消費者に合わせたレベルの製品を安価かつ迅速に提供できる仕組みを作り上げたことである。
   しかし、アメリカなど先進国市場では、日本企業など相手にせず、液晶モニターのバックライトにLEDを使ったTVを二割高で売ってヒットをとばすなど、また、デザインを重視するなど付加価値をつけた高価格製品で勝負をしていると言う。
   日本では円高ウオン安が問題だと言うが、部品の多くを日本から調達しているので、むしろ、この方がサムソンにとっては被害が大きいのだと言う指摘が面白い。

   デジタルものづくりで、世界中の「誰でも」「どこでも」「簡単に」そこそこの製品を作れる時代になり、新興国でもどんどんリーバース・イノベーションで新製品が生まれ出る今日においては、グローバル市場における戦いは、日本企業の輸出戦略の埒外、技術力とは別のところで行われており、はじめに「何を誰に向けてつくるか」ありきであり、そのための「戦略」ありきなのだが、技術に過剰な自信を持つ日本企業は、その根本的な部分をはき違えていると言う。
   この「技術への幻想」について、今や、アップルのiPadには、日本製の電子部品が殆ど使われなくなってしまっており、「負ける筈のなかった分野」で海外企業に大きくシェアを奪われていることを指摘しているのだが、破壊的イノベーションの大半は技術的には最先端を行く製品ではなく、汎用性の利く価格競争力の高い部品の集積であることを考えれば当然のことなのである。

   日本のものづくりが他国より優れているのは、「R&D」そのなかでも「基礎研究」の分野なのだが、近年、「製品開発」とりわけ「市場分析」から「商品企画」「設計開発」において海外の企業に負けていると言う。
   かって、垂直統合で一切自社で囲い込んでいた時代には、「製品開発」の段階でも日本の独壇場であったのだが、今や、ある程度の製品なら、いつでもどこでも誰でも出来るようになり、製造機械さえ買えばどんな製品でもマネして製造出来るデジタルものづくりの時代では、基礎技術がなくても応用技術があれば、いくらでも大きなビジネスが出来るようになったのであるから、当然であろう。

   この本では、沢山の重要な指摘がなされているのだが、以降、技術信仰に没頭し続けている日本企業のものづくりにおける「過剰品質」について、論じてみたいと思う。
   著者たちは、「日本の製造業は、世界的に見た場合に、「過剰品質」に陥っていることが多いので、場合によっては、日本市場向けの製品、最高級品だけは垂直統合でつくり、他国向けは水平分業でつくると言う割り切りが必要だろう。」と言う。
   前述したように、世界を席巻しているアップルにしろサムスンにしろ、どこも「つくり」でなく「もの」を重視して新製品を開発しているので、製品に使われている要素技術には、誰もマネのできない目新しいものは殆どなく、いわば既存の技術の組み合わせによって消費者に支持されるものをつくっている。
   
   ところが、日本国内の市場重視の日本企業は、同じような製品を上手につくる「つくり」に拘って、その競争に明け暮れているので、軒並み過当競争で業績を悪化させ続けている。
   技術にさほど詳しくない大多数の消費者の側から見ると、多少の技術の優劣など購入を決める時の大きな要素にはならないので当然で、
   このことは、テレビやデジカメを考えれば分かることで、消費者のブランドへの拘りさえ無視すれば、製品の殆どは消費者の要求や能力をはるかに超えており、どこの製品でも水準以上の満足を得られるし、安ければ安い程良いのである。
   これは、私がこのブログで、15年前にクレイトン・クリステンセンが打ち出した「イノベーターズ ジレンマ」の説を引用して「日本の企業は、技術の深追いの持続的イノべーションにばかり注力して、既に消費者の期待水準を超えた技術水準まで行っているが、消費者にとっては無益なのでその対価を払う意思がないので利益に結びつかず、過当競争に陥っており、そのうえに、かってのソニーのようにブルーオーシャンたる破壊的イノベーションを打ち出せなくなっているので窮地に立っている」と説き続けてきたのも、正にこのことである。

   著者は、消費者が求めているよりもはるか上のレベルで品質に拘るのは、全く無駄で、結局は生産性の低さにつながり、コストアップで消費者にツケを回すだけで意味がないと言う。
   特に、製造工程で繰り返えして行われる検査などその最たる例で、自動車会社が、6000台に1台の割合で見つかるので行っている最終検査などは、全く自己満足に過ぎないと一蹴して、サムスンなどは、ミスの大部分は部品の付け忘れなので、生産ラインの最後に重量計を取りつけて重さが違う製品を不良品としてはねているだけだと言う。
   確か、オランダでもイギリスでも、車検や免許書書き換えなどなかったと思うのだが、これなども役所や業者を利するだけのコストアップで、日本国民の負担を増すだけの無意味なケースであって、こんな無駄が日本には多すぎると言えようか。


   サムスンついで面白いのは、「消費者の不満こそが製品の不良である」と言う「体感不良率」を重視して、例えば、製品が故障した時に、どれくらいの時間で交換、修理してくれるのか、このサービスによって消費者の企業への印象が大きく変わってくると言う考え方をしているので、ソウル市内では電気製品即日交換サービスを行っていると言う。
   余談だが、私が使っていたパナソニックのDVDレコーダーが、ディスクが機械に留まって出なくなったので、修理について照会したら、会社の修理部門に直接持ち込んでもその場では修理が出来ず、更に、その修理費が、良くなった新製品価格よりもはるかに高いと言う法外な額だったので、7月25日のブログで、 ”デジタルAVは使い捨てなのか・・・ブルーレイDIGAの場合”として書いたのだが、この会社が、今、プラズマ工場閉鎖など危機的な経営状態に陥っているのも当然だなあと思ったのも、あながち間違っていなかったと言うことであろうか。
   消費財の最たる家電製品を製造販売している会社が、もう何十年も前からアメリカのビジネス・スクールで教えているカスタマー・サティスファクションとは何なのかを知らないのだとすると、偉大な経営の神様・松下幸之助の嘆きはいかばかりであろうか。

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秀山祭九月大歌舞伎・・・「寺子屋」「河内山」

2012年09月07日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   昼の部の吉右衛門主演の「寺子屋」と「河内山」と言う極め付きとも言うべき舞台なのだが、新橋演舞場は、かなりの空席が目立つ。
   松王丸を演じる筈だった染五郎が、奈落転落の事故休演で、松王丸を吉右衛門が演じるようになったのだが、武部源蔵が吉右衛門の代わりに梅玉となって、むしろ、本来の配役に戻ったような感じで、非常に安定した舞台となり、千代の福助と戸浪の芝雀が好演したので、最高の芝居を見せて貰ったと思っている。
   それに、河内山も、幸四郎や團十郎の舞台も好評だが、やはり、この傍若無人で不埒な直参の数寄屋坊主は、吉右衛門でなければと言う程板についた芝居で、それに、重厚で貫録のある梅玉が、松江出雲守であるから、文句のつけようもない舞台となった。

   この寺子屋と熊谷陣屋を観ると、名舞台ではあるけれど、主題が、わが子を犠牲にした勲功物語であることに、何時も胸を痛めて、残念ながら、すっきりと楽しめたことがない。
   舞台後半の、小太郎の遺骸を駕籠に納めて、白装束に身を包んだ松王丸夫婦が、菅秀才の亡骸に見立てて我が子を見送るいろは送りのシーンは胸に迫ってたまらなくなる。
   この場面は、私は、浄瑠璃語りの名調子が好きなのだが、生身の歌舞伎役者の演技はあまりにも生々しいので、文楽の方が良い。
   いずれにしろ、子供を親の勝手に犠牲にすると言う主題なので、これからの子供世代には、中々受け入れられそうにない芝居であり、私でも、この寺子屋は、何でもなかったかのように、菅秀才と園生の前(秀太郎)が出会うハッピーエンドで終わっているのには不満で、熊谷陣屋のように、直実が出家して旅立つと言う方が救いがあると思うのだが、封建時代だから仕方がなかったと言うことであろうか。

   ところで、この芝居では、松王丸と千代の方は、役柄がはっきりしているので役者として演技に照準を合わせ易いと思うのだが、むしろ、演じていて難しいのは、源蔵と戸浪(芝雀)の方ではないかと思っている。
   何故なら、あくまで、行動が受け身であって、舞台展開に上手く対応する必要があるのだが、例えば、松王丸の一挙手一投足、首実検の瞬間、どのような姿勢でどう受け答えするのか、殆ど、観客の視線が松王丸に集中していて見ていないと思うのだが、そうであればある程無表情ではダメで、何かの拍子にチグハグだとおかしなことになる。
   その意味では、今回の梅玉と芝雀は、付きつ離れつ、非常に円熟した芸であり、流れに乗っていて好感が持てた。

   
   前半、首実検寸前までの松王丸は、もの凄く髪の盛り上がった五十日鬘に黒地に雪持松の着付羽織と言う実に個性的な敵役めいた凄みを利かせた姿で通すのだが、奥の部屋で源蔵が菅秀才(実は実子小太郎)の首を討つ音を聞いて動揺し、その後は、忠義を貫いた使命感の達成とわが子を人身御供に送ってしまった苦悩と悔恨が交錯しながら胸を締め付けて、松王丸の動作が微妙に変化、動揺するのだが、このあたりの心情の表現は、吉右衛門は実に上手い。
   後半、われに返って素性を現して、源蔵に小太郎の身替りを語る時に、小太郎が未練がましくなかったかと聞き、にっこりと笑って首を差し出したと聞いて、「でかしおった・・・千代 喜べ」と言って、豪快に破顔一笑し、その顔が、徐々に崩れて行って泣き顔に変って行く表情など絶品であった。
   また、たしなめられても、苦痛に喘ぎ悲嘆に暮れて身悶えする福助の千代の愁嘆場の悲壮も、胸に応えて苦しくなるほど上手く、それに、身のこなしが実に優雅で美しい。

   ところで、「中村吉右衛門の歌舞伎ワールド」と言う本があって、吉右衛門が自分の重要な持ち役とその舞台を語っているのだが、その中に、菅原伝授手習鑑の舞台は載っていない。
   不思議に思って、小玉祥子の「二代目」末尾の年譜を当たって見たら、菅原伝授手習鑑では、松王丸と武部源蔵を演じていて、むしろ、武部源蔵の方が多いのである。
   私が観た吉右衛門の舞台は、どうも、武部源蔵の舞台で、何回か観た松王丸の数回は幸四郎で、他は團十郎と仁左衛門だったようで、今回、はじめて吉右衛門の松王丸を観たことになる。
   吉右衛門が、自分の芸の継承を染五郎に託したいと願っていると言う報道をどこかのメディアで見たのだが、今回の秀山祭の染五郎の松王丸と小田春永は最高の機会であったと思うのだが、その意味では、非常に残念である。

   

   さて、河内山宗俊が主役となる「河内山」だが、河竹黙阿弥作「天衣紛上野初花 」の一部で、もう一人の悪人片岡直次郎(直侍)と花魁三千歳の物語は、「雪暮夜入谷畦道」として演じられるが、通し狂言だとこの悪人二人は最後にはお縄にかかることになっており、全く独立した舞台でも関係なく楽しめるのが面白い。

   前半の「上州屋見世先」では、
   河内山は、桑の木の木刀で五十両の金を借りに質屋の上州屋へ現れるのだが、強請騙りの不良茶坊主と番頭など商人との掛け合いが面白い。かかあ天下の上州だからと言う訳ではなかろうが、店を仕切っている後家おまき(魁春)から、この店の娘・お藤(波路・米吉)が奉公先の松江侯(梅玉)に妾になることを強要されて屋敷に押し込められて困っていることを知り、二百両と引き換えにお藤の救出を請け合う。
   面白いのは、その後の「松江家上屋敷」の場で、
   河内山は、上野輪王寺の使僧・北谷道海と名乗って松江家に乗り込み、浪路の監禁が御門主の耳に入り、内命として娘を引き取りにきたと言って松江候を脅し上げて解放させたうえに、金のお茶が欲しいと言って賄賂まで巻き上げる。玄関先で江戸城内で見知っている奸臣・北村大膳(吉之助)に正体を見破られるのだが、逆に居直りを決め込み啖呵を切っていると、何よりもお家第一の家老の高木小左衛門(又五郎)が出て来て、穏便にことを済ませようとあくまで使僧として河内山を帰すので、玄関先に立った松江候に「馬鹿め!」と捨て台詞を残して悠々と花道を去る。

   どうして波路を助けたら良いのか悩む上州屋に向かって「ひじきや油揚げなどの安物ばかり食っている」人間には良い知恵が浮かばないと言った台詞回しも面白いが、大膳に正体を見破られて、良く聞けと「悪に強きは善にも」と啖呵を切って滔々とまくし立てる流暢な台詞回しは、流石に、黙阿弥節である。
   一か八か、まかり間違えば殺されても仕方のない、大大名を脅迫して強請ると言う大博打に出た宗俊であるから、門前でのふてぶてしい居直りは当然ではあろうが、要は、松江候が、色好みの名うての我が儘殿様で手に負えなかったということであろう。

   大大名を脅し上げて庶民を助けると言う、観客にとっては、正に胸のすくような舞台なので、拍手喝采であろうが、しかし、河内山宗俊は、経済事件で水戸藩を強請ったとかで獄死した悪人で、太平天国で生き甲斐を失って悪に手を染めた直参の一人に過ぎなかった言うことで、吉右衛門の男気たっぷりの素晴らしい芝居に感心して、溜飲を下げるのも問題かも知れない。
   いずれにしろ、「悪に強きは善にも」で、勧善懲悪と言うよりも、アウトローを庶民のヒーローに祭り上げる江戸庶民の美意識も捨てたものではないと言うことであろう。
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