熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ニューヨーク紀行・・・15 母校ウォートン・スクール散策

2008年08月17日 | ニューヨーク紀行
   1月29日、ニューヨーク最終日の前日、フィラデルフィアを訪れたが、アムトラック特急が1時間も遅れて着いたので、滞在時間はたった4時間しか取れず、フィラデルフィア美術館で懐かしい絵画などに再会し、その後、母校ペンシルベニア大学ウォートン・スクールの構内を散策するのがやっとであった。
   一昨年イギリスのビジネス・スクールを出て帰って来た次女にアメリカを見せておこうと思って一緒に来たので、二年ぶりだし、私がMBAを取った頃とも学校の雰囲気は、近代的な校舎が増えた程度で、昔と殆ど変わっていない。

   ペンシルベニア大学は、シティホールからも遠くない街の中にキャンパスが広がっているので、碁盤目模様の大通りが構内をつき切っており、校舎などは街の中に散在していて障壁など全くないオープンスペースである。
   大学の巨大なアメリカン・フットボール競技場や博物館、大学病院、劇場、図書館、無数の校舎、それに、大きな都市ホテルなど公共建物も含めて巨大な文教コンプレックスを形成している。
   しかし、結構緑があって、リスが走り回っていて、アメリカ映画に良く出てくる古い大学のキャンパスの雰囲気は随所にある。
   川嶋教授が我々より少し前に留学されていたので、紀子さまも、このキャンパスを走っておられたのかも知れない。

   この大学は大学院大学なので、今でも残っているこじんまりとした大学部のキャンパスの中に、1740年創立当時の建物が残っているのかも知れないが、1881年設立の最古のビジネス・スクールであるウォートン・スクールも、そんな古い面影などは残っていない。
   どちらかと言えば、半世紀以上も前に建設された、世界的なアーキテクトであったルイス・カーン教授の設計した校舎や研究所などのモダンな建物が、しっくりキャンパスに溶け込んでいて素晴らしい。

   ハリーポターに出てくる古風で重厚な感じの学校の雰囲気は、オックスフォード大学の中にはふんだんにあるが、アメリカには、ハーバードやプリンストンなども擬古的だが、やはり、1776年独立の国アメリカには、ヨーロッパの大学のような貫禄は見当たらない。
   世界で二番目に古い大学だと言われているスペインのサラマンカ大学は、コロンブスも訪れたと言うから、流石に古くて歴史を感じさせてくれる。
   私は、旅をすると、結構、あっちこっちの大学を訪れるのだが、知の歴史が凝縮されているようで興味深いのである。

   私たちが学んでいた頃は、ウォートン・スクールの建物は、ディートリッヒ・ホール(校舎をホールと言う)だけだったが、卒業した年に、近代的なバーンス・ホールが出来たが、実際には、図書館やコンピューターセンターなど、大学の共有施設を使うことが多かった。
   今回、教室に入って、久しぶりに、学生に混じって講義を聴いてみようと思ったのだが、試験シーズンだったのか休暇シーズンだったのか、構内には、殆ど誰も居ず、教室や研究室も締まっていた。
   しかし、建物の入口は開いていたので、守衛に卒業生だと言って中に入れて貰い、廊下や階段を昔の面影を探しながら歩いたり、ロビーのソファーに座って思い出を反芻していた。
   昔なら、開けっぴろげであった筈だが、今は、治安の問題からか、教室の中には入れなかったが、ハイテク化されているのであろうが、円形の椅子が取り巻く階段状の講義室は昔のままであった。
   
   ところで、フランクリンの創立なので、アイビー・リーグの中でも宗教色が全くないのがこの大学だが、しかし、小さな教会があって、何故か、エリザベート・シュワルツコップやブダペスト弦楽四重奏団などの演奏会を聴きに行った記憶がある。
   夏の夕方、キャンパスから出るバスに乗ってロビンフット・デルで開かれるフィラデルフィア管弦楽団の野外コンサートにも良く出かけた。
   嵐のような2年間だったような気がするが、思い出すと色々なことがあったようで、走馬灯のように頭を駆け巡る。

   校舎を出て、ブックストア(と言っても一寸した百貨店のワン・フロアーは十分にあるショッピングセンター)に立ち寄り、孫の土産にと思って、大学のロゴ入りの帽子やシャツなどを買った。
   フランクリンの銅像など懐かしいキャンパスのあっちこっちを散策して、構内のスターバックスで若い学生達に混じって小休止しただけで、時間がなくなり、ペン・ステーションへ、タクシーを走らせた。
   
   帰りのアムトラックは、遅れることなく、ニューヨークのペン・セントラル・ステーションに着いた。
   その足で、メトロポリタン歌劇場に向かった。
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ニューヨーク紀行・・・14 USAは過去の国?未来の国?

2008年03月02日 | ニューヨーク紀行
   アメリカに着いてケネディ空港からニューヨークのセントラルに向かう途中、眼前にニューヨークの街のパノラマ風景が現れる。
   長いマッハッタンをT字型に見るのだから、細長く屏風のようにかなり広い範囲のニューヨークが一望できるのだが、今回の第一印象は、随分、古びてしまったなあと言う感慨であった。
   もう、36年も前だが、初めてこの風景を見た時には、アメリカと言う巨大な国の底力を見せ付けられたようで、圧倒されてしまったが、今回見たニューヨークのスカイラインの印象は、当時と殆ど変わっていないのである。
   それに、ニューヨークの黄金時代を支えてきた道路も橋もトンネルも、もう寿命が来ている感じであるし、ブロードウエイのタイムズスクエアも5番街の目抜き通りの姿も最近は殆ど変わっていない。

   今、急成長を続けている上海もそうだが、ドバイなど新興の都市などには、ガラスとスティールの直方体の近代的なビルが林立しているが、ニューヨークのスカイラインは、くすんだレンガ色の階段状の建物や、高層ビルでもエンパイヤ・ステイトビルのように頂上に近付くと細くなるようなビルが多く、大半の建物は、半世紀以上も前に建てられているので古色蒼然としているのは当然かも知れない。
   それに、街へ向かう途中のハドソン河畔の工場や倉庫は荒れ放題でどこか寂れていて、工業が隆盛を極めている等と到底思えない。
   このような印象は、アムトラックで、ニューヨークからフィラデルフィアへ向かう途中の車窓からも、延々と続く廃墟と化した工場跡地や落書きだらけの風景を見て同じ様に感じた。
   尤も、ニューヨークでもフィラデルフィアでもセントラルの一部で大規模な開発が行われているが、しかし、全体としては、既に、アメリカの時代を謳歌していた20世紀の前半から頂点に上り詰め、完成されてしまった感じである。

   それでは、何故アメリカがあれほどまでに長期経済成長を遂げることが出来たのであろうか。
   破竹の勢いで驀進する日本経済に押されて、アメリカは深刻な危機感に見舞われて、アメリカ人が本当になって真剣に日本経済と企業活動を研究し分析した「Made in America」が出版されたのが1989年だが、
   その直後、1990年代に入って軍事技術であるインターネットが開放されたために、丁度、経済社会が情報産業化社会への移行期にあったのでこの波に乗り、また、ベルリンの壁の崩壊とソ連の瓦解によって自由市場経済市場が一挙に拡大し、これらが相乗効果で経済のグローバリゼーションをプッシュして、アメリカ人の企業家精神に火をつけたのである。
   一時的に、ITバブルで中断したが、IT技術の産業への導入・活用によってビジネスのパラダイムを根底から変革して生産性の拡大を促進し、フラット化したグローバル経済が起動して世界同時好況を成し遂げてきた。

   ところで、前述したアメリカ経済の様相だが、製造業については、GMやフォードなどの凋落を見れば分かるように、アメリカ国内での実体は極めて厳しく、iPodのアップルを筆頭にIT関連製造業でも、殆ど外国のファウンドリを活用したアウトソーシングやオフショアリングが主体で、国内は空洞化の一途を辿っていると言う状態である。
   アメリカ経済の好調は、ITを駆使したサービス産業、特に、ファイナンシャル・エンジニアリングを駆使してどんどん新商品を展開してマネーゲームで拡大を続けてきた金融関連産業の貢献が大きく、それに、住宅価格の高騰をエンジンに膨れ上がった信用膨張による消費塗れの経済が呼応してバブル状態の好況が続いてきた。
   こんなことが永続する筈がなく、今のサブプライム問題は、正にこの金融経済の蹉跌である。

   私自身は、今回のサブプライム問題を引き金としたスタグフレーション(?)と一連のブッシュ大統領のイラク介入で、アメリカ経済の凋落と言うと言い過ぎだが、しかし、徐々に地盤沈下して行く前兆が見えてきたと思っている。
   ドルがユーロと並列的な基軸通貨としての地位に近付いてくると世界経済は流動的となり、丁度、イギリスのポンドが、アメリカの台頭で、徐々に経済的覇権をアメリカに譲り渡して行った時のことを想像させる。
   
   何れにしろ、私の今回のアメリカの印象は、アメリカも日本と同じ様に、時代遅れになった多くの残滓を背負いながら生きている初老の国になったのだなあと言う思いである。
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ニューヨーク紀行・・・13 MET:フンパーディング「ヘンゼルとグレーテル」

2008年02月21日 | ニューヨーク紀行
   フンパーディングの「ヘンゼルとグレーテル」は、これまで観たことはなかったのだが、今回は、ジョン・マックファーレンのセットと衣装のデザインが非常に斬新で面白く、ベテラン演出家のリーチャード・ジョーンズと始めて組んだ作品のようだが、オリーバー賞を受賞している。
   マックファーレンはスコットランド生まれで、イギリスで活躍しており、このセットも元々はウェールズ・ナショナル・オペラの為に作られたもので、遊び心十分の子供の世界を楽しませてくれる正にグリムのおとぎの世界である。
   昨年のクリスマス休暇の子供向けに新演出を行った「魔笛」と同じ様な、子供の観客を意図したプログラムで、ドイツ語ではなく英語で演じられていた。
   
   観客には、結構、若い両親に伴われた子供たちが来ていて、特に、第三幕のお菓子の家でのヘンゼルとグレーテルと魔法使いとのやり取りや仕草に歓声を上げていた。
   特に、歌と言うよりも、魔法使いを演じたテノールのフィリップ・ラングリッジの演技が秀逸で、何処にでもいるような中年ぶとりの背の低いおばあさんと言った出で立ちで、スカートをはいた普通の格好をしているので一向に怖くなく、その上にテンポも遅くて多少ずっこけた感じなので、子供たちには大変な親近感である。
   鉤鼻でトンガリ帽子を被り黒いマント姿で杖をついたような、ディズニーの映画に出てくるような魔法使いでないところが面白いのだが、この三幕でのお菓子の家のお菓子やご馳走などセットは非常にリアルだが、前の第二幕の森の場面では、バックスクリーンに描かれた絵や、眠りの精や天使などの出で立ちや舞台設定などかなり空想的な工夫が施されていて抽象的であった。
   この魔法使い役は、普通には、メゾソプラノが演じるようだが、ラングリッジの場合には全く異質感なくて、ロイヤル・オペラ等で、イドメネオやピーター・グライムズやアロンなどを歌っていると言うのだから、さすがにイギリス人歌手である。

   ヘンゼルを演じたのは、イギリス人メゾソプラノのアリス・クーテで、ケルビーノを演じる歌手であるから歌も芸もズボン・スタイルは板についている。
   グレーテルはドイツのクリスティーネ・シェーファーで、可愛い女の子とと言った感じだが、METには2001年にルルでデビューして、世界のヒノキ舞台で、ビオレッタ、ゾフィー、ジルダなどを歌って活躍中のソプラノである。
   このクーテとシェーファーの兄妹コンビは、私たちのグリムの童話のイメージに近い感じで、舞台狭しの活躍で中々素晴らしい。
   始めて観たオペラである所為もあって、音楽がどうだ、歌唱がどうだと言った感覚はなく、音楽劇を観ていると言う感じで観ていたが、そうなると演出とセット・衣装など視覚に訴える劇としての要素がクローズアップしてくる。
   魔法使いのお菓子の家では、テーブルの上にある果物やお菓子を手当たり次第にミキサーにかけるなど、激しいアクションが好評で子供たちが喜んでいた。

   私がそれまでに観た歌手は、母親ゲルトルード役のメゾソプラノのロザリンド・プロウラウトで、若い頃の舞台をロンドンで観ていたが、中々の美人で、ドミンゴやパバロッティ、カレーラスなどと共演して主役を演じていたが、あの頃はソプラノであった。
   今回の舞台では、往年の輝きを聞くことが出来なかったが、今年、ワーグナー指輪のフリッカをロイヤル・オペラで歌うと言うからまだまだ元気のようである。
   父親ペーターを歌ったのがバリトンのアラン・ヘルドで、若く見えたがベテランで、ワーグナーのウォータンやさまよえるオランダ人なども歌っていると言うのだが、おとぎの世界で子供たちと一緒の舞台を観ていると随分イメージが違ってくる。しかし、ずっしりと響く歌声には迫力がある。

   指揮は、グラインドボーンの音楽監督でロンドン・フィルの主席指揮者であるロシア人のウラジミール・ユロフスキ。METには、1999年にリゴレットでデビューしたようだが、その後は、勿論エフゲニー・オネーギンやスペードの女王などロシア・オペラを振っているが、グラインドボーンでは、ロッシーニやヴェルディを指揮しているようで面白い。
   今回のオペラでは、良かったのか悪かったのか分からなかったが、あのうるさ型の聴衆の洗礼を受けてグラインドボーンを仕切っているのだから大した指揮者なのであろう。

   ところで、METの地階のロビーと廊下はギャラリーになっていて、名歌手達の肖像画や彫刻が飾られているのだが、今回は、このヘンデルとグレーテルのセットと衣装を担当したジョン・マックファーレンの下絵が纏めて展示した特別展が催されていた。
   また、別なコーナーには、パバロッティの特別写真展が開かれていて、沢山の舞台写真など思い出の写真が集められていて壮観であった。
   やはり、METにとっては、ドミンゴと共に大変な歌手であったのが良く分かる力の入れようであった。

   METは、やはり、巨大な劇場であり、観客数が多くて華やかであり、隣のニューヨーク・フィルと違って、ニューヨークの文化の殿堂と言う雰囲気が濃厚である。
   ボックス・オフイスは、こじんまりしていてそれほど列が長くなるようには思えないが、定期予約やネット予約が多いのかも知れない。
   今回は、事前に、空席が相当あることが分かっていたので、ネット予約はしなかったが、ヴォイトの歌う「トリスタンとイゾルデ」や、オルガ・ボロディーナの歌う「カルメン」などは、既に、チケットはソールド・アウトになっている。
   出演する歌手や指揮者によって、チケット価格が違うのが普通だが、今のMETは、演目・出演者に関係なく同一価格なのが良い。
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ニューヨーク紀行・・・12 MET:ロッシーニ「セビリアの理髪師」

2008年02月17日 | ニューヨーク紀行
   「セビリアの理髪師」は、昨年、METライブ・ビューイングで観たのと同じバートレット・シャー演出の舞台だが、配役は完全に変わっていた。
   シェイクスピアや忠臣蔵と同様で、同じ舞台でも役者が代われば雰囲気が全く変わってしまうのだが、このオペラのように強烈な個性を持ったキャラクターの人物が登場するオペラでは特にそれを感じる。

   今回の注目は、ロジーナを演じるラトヴィアのメゾソプラノ・エリーナ・ガランシャのセンセイショナルなMETデビューで、METが、Debut Artists at tha Metで、筆頭にレポートしている。
   しかし、彼女の場合は、既にヨーロッパ各地のトップ劇場で十分にキャリアを積んだスター歌手で、特に、ウィーン国立歌劇場では、今回のロジーナの他にも、コシ・ファン・トッテのドラべラ、フィガロの結婚のケルビーノ、シャルロッテ、オクタヴィアン、アダルジーザ等で出演して名声を博している。
   METデビューには、芸術性、タイミング、経験、訓練、幸運が揃っていなければならないが、ガランシャの場合には、総て万全で準備は一切必要なく、ニューヨークの聴衆が期待するのは、彼女の芸術的な成熟である、とMETの音楽管理監督のクレイグ・ルーテンバーグが語っている。

   色々なロジーナの舞台を楽しんで来たが、確かに、演技も抜群の魅力的なロジーナで、どちらかと言えば、セビリア一の深窓の令嬢と言った感じの淑女と言うイメージではなく、一寸モダンでおきゃんな雰囲気を持った溌剌としたロジーナで、陽気でリズミカルに畳みかける様な軽快なロッシーニの音楽に乗って、実に小気味良くて清々しく、抑揚の利いた張りのある美しいガランシャの歌声を聴いているとうきうきしてくる。
   ウインクした流し目など実にコケティッシュで、細面のエキゾチックな表情が実に艶やかなので、アルマヴィーヴァ公爵ならずとも魅惑されてしまう。
   ベルリン崩壊直後に、隣のエストニアに行ったことがあるが、ラトヴィアは、バルト三国の一つで前はソ連の一部だったが、民族的には北欧の国、生粋のヨーロッパの一部であるので、ヨーロッパで大活躍するのも良く分かる。

   もう一人のデビュー歌手は、アルマヴィーヴァのホセ・マニュエル・サパタ。グラナダ生まれで、2001年にロッシーニの「イタリアのトルコ人」のアルバザールで、オヴィエドでデビューしており、ロッシーニのスペッシャリストだとMETは紹介している。
   2010年には、ルネ・フレミングと歌うと言うから成長は著しい。
   少しずんぐりむっくりでロジーナよりやや背が低くて、前回の貴公子然としたスマートなファン・ディエゴ・フローレスと比べると一寸公爵のイメージと違ってくるが、ロジーナを陥落させたいばっかりに、酔っ払いの兵士になったり、音楽教師の助手に化けたり、とにかく、ドタバタ喜劇の芸達者で、あまくてよく伸びるテノールが心地よく大いに楽しませてくれる。ドンキホーテの国スペイン、どこかに、こんなイメージの領主がいる筈と納得させてくれる。

   タイトルロールのフィガロを歌うのは、ミラノ生まれのイタリアのバリトン・フランコ・ヴァッサロである。
   2005年に、METで同じフィガロでデビューしているので、再登場であるが、同じイタリア人でも、ライモンディやレオ・ヌッチと言った個性派ではなく、どちらかと言えばパバロッティに似た明るくて陽気なイタリア人気質で、声も演技も正に打って付けのフィガロと言う感じで、ニューヨーク子が喜ぶのも無理はないと思った。
   ところが、私の周りにいた熟年カップル達の大半は、イタリア・オリジンであろうか、イタリア語が分かっていて、所々イタリア語で話していたが、やはり、オペラはイタリアのものだと言うことである。あのモーツアルトさえ、最後の魔笛はドイツ語だが、残りのオペラ総てはイタリア語で作曲している。

   何人もの美女を従えて、色々な商品や道具を満載した派手なボックス荷車に乗ってフィガロが登場するところから正に喜劇で、この雰囲気は、愛の妙薬のイカサマ師の舞台やエイドリアン・ノーブル演出のRSCのシェイクスピアの「冬物語」の舞台を思い出させて、ワクワクさせてくれる。
   とにかく、一介の理髪師、と言っても当時は外科医でもあり何でも屋であったのだが、この身分違いのフィガロに友達扱いされて、徹底的にずっこけて猿芝居を演じる公爵を登場させるなど、ボーマルシェの権力者に対する風刺もロッシーニに至って効きすぎていると言うところである。

   指揮は、フランス生まれのフレデリック・シャスリン。私は、始めて聴く指揮者だが、1997年からウィーン国立歌劇場のレジデント指揮者で、イタリアやフランスものの歌劇を110回以上振っていると言う。
   METへは、2002年のトロヴァトーレでデビューし、その後、「ホフマン物語」や「シチリア島の夕べの祈り」を振っており、あの徹頭徹尾浮き立たつような軽快で歯切れの良いロッシーニ節を存分に楽しませてくれた。

   私は、サウンドを楽しみながら劇を味わうと言うオペラの観方であるから、とにかく、ロイヤル・オペラでもそうだったが、ベルディとは違って、芸達者の歌手達によるロッシーニのオペラ、特に、このセビリアの理髪師は、聴いていて気楽だし実に楽しい。
   セビリアには、何度か行っているが、どのあたりを舞台にしたのであろうかと思うと一層興味が湧いて来る。
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ニューヨーク紀行・・・11 ニューヨークのメトロ

2008年02月15日 | ニューヨーク紀行
   今度のニューヨーク滞在中、ニューヨークでの移動は単純だったので、総てメトロ一本で通した。
   メトロは、何処で乗っても何処から乗っても一回乗車は2ドルなので220円だが、あの広いニューヨークが何処まで行っても2ドルなので東京よりは安い感じである。
   一日乗車券が7ドルだから、770円で、これも、東京メトロの710円、都営地下鉄の700円と似たり寄ったりで、今の1ドル110円前後の交換レートは、丁度購買力平価に近いのではないかと思う。スターバックスやマクドナルドの価格でも殆ど同じで、ボリュームのある分だけアメリカの方が安い感じであった。

   ところで、メトロのチケットだが、カーネギー・ホールの横を地下にもぐったところにある57ST駅には、この口絵写真の自動チケット販売機1台があるだけで、駅員のいるブースに行って切符を売ってくれと言っても、この機械で買えと言うだけで、ロンドンのように駅員のいるチケット販売窓口など全くない。
   この自動販売機だが、日本のように沢山のボタンがある懇切丁寧なしろものではなく、ボタンは一つしかなくて指示に従って順番に目的のチケットに近付くまで押し続けると言うシステムである。
   それに、この機械一つしかないので、一回の切符も、1週間の切符も、1月の切符も、メトロカードへのチャージも総てこれで買うことになる。

   不思議なのは、この販売機で切符を買っているのは、何時も私くらいで、とぼけた観光客以外は全く使っておらず、交通の激しいペン・セントラル駅(ここには機械が4台くらいあった)でも、販売機を使っている人は見かけなかったので、定期券を持っているのか、別のシステムで切符を手配しているのかも知れない。
   何れにしろ、そうでないと、この一台の自動切符販売機でさばける筈がなく、壊れればパニックになる筈なのである。
   日本の場合には、とにかく、私鉄やメトロなど別の会社が乗り入れており切符の価格等バリエーションが多すぎるのが問題で、アメリカのように切符の種類が数種類しかなくて少ないと非常に単純で合理化出来るのかも知れないと思った。

   私は、トラブルがあっても問題が起こらないように、外国では、何時も、一日乗車券を買って動いているが、アメリカのことだから、誤作動して入口の開閉器が開かない駅があった。たまたま、傍に駅員がいたので助かったが、とにかく、外国でのメトロ利用には神経を使う。

   駅でメトロマップ、すなわち、路線図をくれるのだが、駅がいくらも錯綜していて、日本のように同じ路線の場合には、同じプラットフォームか、隣のホームに上下線の乗降ホームがある筈だが、必ずしもそうではなく、あさっての方向にあることがあり、出入り口を間違うと意図した方向に行けなくなる。
   ローカル(各駅停車)とエキスプレス(急行)の乗り場も別れているし、時間によって位置が変わることもあり、やはり、慣れないと、たまに来る観光客には、中々ニューヨークのメトロを利用するのは難しいと思った。
   尤も、東京の地下鉄でも、最近は複雑になってアクセスを間違うととんでもない所で出入りすることになるので偉そうなことを言えないかも知れない。

   日本のメトロのように綺麗な布張りのシートではなく、冷たくて硬いプラスチックのシートでいかにも殺風景な社内だが、昔のような落書きなど全くなくなり、社内の雰囲気は大分よくなっていて危険な感じはしなくなっていた。
   問題は、東京のメトロのように3分おきに次の列車が来るのではなく、随分待たされるのでいらいらすることであろうか。
   それに、駅は暗くて工場の中を歩いているような感じで、やはり、日本の地下鉄と比べれば、あんまり乗りたくはないと言うのが正直な所である。
   しかし、何処の大都市の地下鉄でも、慣れてしまえば便利なのかも知れない。
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ニューヨーク紀行・・・10 ニューヨーク市街散策

2008年02月14日 | ニューヨーク紀行
   ニューヨークの街を何の目的もなく散策するのは4年ぶりである。
   行ったことがなかったので、グリニッジ・ビリッジとソーホーの雰囲気を感じたくて、とりあえず、ワシントン広場の傍のニューヨーク大学に向かった。
   ピーター・ドラッカーがいたので一時留学先として考えたが、その時既にクレアモント大学に移っていたのが分かったので止めたことがあって、多少興味があった。
   その後、ウォール街に出て、あのあたりを散策して、帰りにミッドタウンの5番街を歩こうと思っていた。
   サブプライム問題で、アメリカ経済が不況に突入するかどうか心配されているが現状はどうなのか、多少、街の雰囲気から察知できたらと言う気持ちもあった。

   ニューヨーク大学は、全く街の中の大学で、キャンパスと言う感じはなく、街の中に一部は並んで寄り集まっているが、あっちこっちに散在している。
   キャンパス地図はあっちこっちにあるが、とにかく、セクリティなど全くない感じで、誰でも何処からでも建物に入り込める感じで、大都会のマンモス大学と言うところである。
   ブックショップに立ち寄って、経済の本を探そうと思ったが、教科書関係が大半で、一般書籍のコーナーは貧弱であり、ほかに衣料品や文具雑貨等のコーナーがあり雑然としていた。
   結局、ミッシュランのグリーン・ガイド「ニューヨーク版」を買って外に出て、隣のワシントン広場に行った。
   大統領就任100周年記念に建てたワシントン・アーチが入口にあるが、真冬の為に人も少なく、殺風景なので、まっすぐに南の方向に歩いて、ソーホーに向かった。

   ソーホーに入ると、一挙にファッション性が増す感じで、ユニークな飾り付けをした婦人用のファッションの店や、アトリエ、アンティークショップ、それに、店構えから雰囲気の変わったレストランなどが、あっちこっちにあって、街路に、ゼブラの模様に塗ったクラシックな車が止まっているなど、夜には灯りがついて賑やかななるのだろうと思って歩いていた。
   ブロードウエーに出たが、プラダとブルーミングデールがあるくらいで、多少カメラの被写体になるようなビルがあったが、普通の町並みであった。
   今でも少しはアーティスト達が住んでいて活躍しているようだが、はっきり目的を持って訪れる人にはソーホーは楽しいのかも知れない。
   ロンドンのピンク・ゾーンのある歓楽街ソーホーとは全く違ったイメージの街である。

   ロウアー・マンハッタンは、まず、ワールドセンターの跡地に行った。板塀が張り巡らされて、外も内もあっちこっちで工事中で、4年前と雰囲気が変わっていなかったので、素通りして、トリニティ教会に入ったが、ミサ中であった。
   ウォール街をまっすぐに東に下りてニューヨーク証券取引所の前に行った。以前のようにバリケードを張った機動隊はいなくなっていたが、一般の入場は不可能なので、隣のワシントン大統領の像が立つフェデラル・ホールに入って小休止した。

   他の目ぼしい所は前回見て歩いたし、ビジネスでない限りウォール街には用がないのでそのまま踵を返したが、大通りにマクドナルドがあったので喉の渇きを癒す為に入った。
   ウォール街と言っても、ロンドンのシティと同じで、金融を中心としたビジネス街だが、普通の生活空間も同居していて、マクドナルドの客は、他と変わらず子供づれの一般市民で賑わっていた。
   ところでコーヒーだが、スターバックスに戦いを挑むべく新しく高級指向を試みたとか言われていたが、コップのデザインを変更したのか、まず PREMIUM ROAST COFFEE とロゴが入って、FRESH BREWED CUSTOM BREND RICH BOLD AND ROBUST と麗々しく大書されていた。テイストは、多少マイルドで無難になった感じである。

   ミッドタウンに向かい、久しぶりにグランド・セントラル駅に降り立った。
   ヨーロッパのターミナル駅にも結構建築的にも重要な美しいターミナル駅があるが、このニューヨークの駅は、ワシントンの駅と同じ様に群を抜いて立派な美しい駅だと思う。
   オルセーなど、素晴らしい美術館になっているが、あのワシントン駅でも重要な国の式典が行われたりしている。
   日本には、欧米の駅舎のように美しく立派な広大なホールを持った駅がないのが寂しいが、混む一方にも拘わらず、まだ、駅中ビジネスに力を入れようと言うのだから、発想が貧しいのかも知れない。

   そのまま歩いて、5番街に入って、北方向に歩いた。
   セント・パトリック大聖堂に入った。ケルナ・ドームを模したと言う巨大な建物だが、やはり、歴史が150年程度では、ヨーロッパの大聖堂や教会と比べてどこか荘厳さにも重厚さにも雰囲気が欠ける。
   この大聖堂から北側には、トランプ・タワーまで、世界の名だたる高級店が軒を連ねており、世界最大の高級ショッピング街である。
   前回のニューヨーク散歩では、いくつかの店に入ったが、今回は前を素通りしただけだが、不況の所為か、心なしか、客が入っているような雰囲気ではなかったような気がした。
   私が名前を知らないような店では、結構、派手なセールを行っていたが、流行っている感じでもなかった。

   バーンズ&ノーブルの大きな店があったので、アメリカのベストセラーがどうなのか見ようと思って中に入った。
   グリーンスパンの「THE AGE OF TURBULANCE 波乱の時代」が、20%ディスカウントのワッペンが貼られて山積みにされていた。
   この書店の中に、スターバックスの店舗があって、本を持ちこんで読んでいる人もいた。
   私もゆっくりとしたかったが、その日は、METの「ワルキューレ」が、早く開幕するので、諦めてホテルに帰った。
   ニューヨークの街頭で、アメリカの経済状況について何かを感じようとしたのだが、ただの散策では何も分からなかったと言ったところであろうか。
   特に、変わった印象は何もなかった。
   
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ニューヨーク紀行・・・9 フィラデルフィア美術館

2008年02月12日 | ニューヨーク紀行
   私には外国でのミニ故郷が四つある。サンパウロとフィラデルフィアとアムステルダムとロンドンである。
   2年以上住んだ所だが、夫々に思い出が染み付いていて無性に懐かしくなることがある。
   しかし、その中でも最も懐かしいのは、何故か、一番最初に住んだ異国の地であり、最初の一年は家族と離れて住んで勉強に明け暮れて苦労した所為か、フィラデルフィアである。
   特に、始めてクリスマス休暇にペン大の学生のチャーターしたヨーロッパ学生帰国便に便乗して家族と共に欧州旅行して帰って来た時に、窓から見えたフィラデルフィアの灯が無性に懐かしくなって胸が締め付けられるような思いをしたのを鮮明に覚えている。

   今回もニューヨーク旅行の最終日に、フィラデルフィアを訪れた。
   少し遅れてホテルを発ち、それに、列車が1時間以上遅れたので、結局、フィラデルフィアには4時間しか滞在出来ず、フィラデルフィア美術館とわが母校ペンシルヴァニア大学のキャンパスを訪れてウォートン・スクールの中を歩くのがやっとであった。
   昼少し前に着いて時間があれば、是非にもレストラン・ブックバインダーに出かけてイセエビの料理を食べたかったが、果たせなくて残念であった。
   ウォートン時代にハレの日に出かけるご馳走であり、その後何度か訪れているが、前回は改装中で果たせず、今回こそと思っていたのである。

   ニューヨークから長距離特急のアムトラックで1時間半ほど走り、古びて廃墟のような工場地帯を過ぎてスクルキュル川の谷間に差し掛かると、川向こうにフィラデルフィアの高層ビル群のスカイラインが現れて、川を渡ると岸辺に大きなギリシャ風の建物が見える、これが、フィラデルフィア美術館である。
   間もなく地下にもぐり真っ暗な駅構内に滑り込むと30番街ペン・ステーションである。

   今回は、駅に着くと直ぐにタクシーに乗り込んで美術館を目指した。
   最初にこの美術館に行ったのは、フィラデルフィアに来てすぐで、大学院の授業が始まる少し前の暑い夏の盛りであった。
   私がこの美術館で一番良く覚えているのは、この口絵写真のセザンヌの208×249センチの大きな「大水浴」とルーベンスの「プロメチュース」の絵で、その他に、ゴッホの「ひまわり」やルノアールの女性像、それに、クールベやコローのエキゾチックな女性の肖像などが記憶に残っており、私にとっては、初めての本格的な外国の美術館での芸術鑑賞であった。
   その後メトロポリタンやワシントン、ボストンなどのアメリカの美術館を巡ることになるのだが、フィラデルフィアにいた時には時々訪れて、帰り道に、ロダン美術館に立ち寄るのが楽しみであった。あの上野にある大きな地獄門は、こことパリとの3箇所しかなく、懐かしかった。

   34年ぶりの訪問なので印象は薄くなってしまっており、小高い丘の上に聳える美術館へは裏正面から入場するの忘れていて、タクシーが坂道を上り詰めて着いた瞬間一挙に沢山の思い出が蘇ってきた。
   2階に上がって回廊伝いに反対側に回ってバルコニーに出ると、正面の噴水を越えて一直線に大きな道路が貫いていて、街の中心であるペンシルヴァニアの建設者ウイリアム・ペンの銅像を頂上に頂いたシティ・ホールが見える。その左右に高層ビルが並ぶフィラデルフィアの全貌が見渡せて、静かなので、一枚のパノラミックな絵画を見ているような感じがした。
   昔は、この正面の道路が虹のようにまっすぐに極彩色に塗られていて美しかったが、これはロッキーの映画でスタローンが走っているシーンで出て来ていた。

   この日の美術館には、殆ど客が来ておらず、全く静かで私一人の貸切のような雰囲気であった。
   それに、室内が明るくてガラスの入った額が少ない上に、何の障害もなく目の前に絵画があるので、正に絵の具の凹凸まで鑑賞でき、偉大な画家達の息づかいが聞えるようであった。

   このセザンヌの「大水浴」は、やはり、この美術館の至宝なのであろう、奥まった独立した展示室の真正面に飾られていて、左右にマイヨールの女性のブロンズ裸像が対置され、周りに印象派やルソーの絵画が並べられている。
   絵の具のない白地の部分も残されているかなり雑な感じがする絵画だが、正三角形の構図に描かれた女性たちの醸しだす躍動感やリズム感が実に爽やかである。
   この美術館にある沢山の印象派及びその前後のフランス絵画が、やはり圧巻で、無造作に並べられているので有り難味が半減する。日本での展示には行かなかったが、多くの鑑賞者を楽しませたのであろう。
   
   結局、この日は、西洋主体の絵画部門を一回りしただけで、他の部門には行けずに出ざるを得なかったが、日本の部屋などあったような記憶があり訪れられなかったのが一寸残念であった。
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ニューヨーク紀行・・・8 MET:ワーグナー「ワルキューレ」

2008年02月11日 | ニューヨーク紀行
   METのこのオットー・シェンク演出の「ワルキューレ」は、最近、3回観ている。
   ジークリンデのデボラ・ヴォイトとウォータンのジェイムス・モリスは最近の2回、ジークムントは、前の2回はドミンゴで、今回はクリフトン・フォービスだが、指揮者も、ワレリー・ギルギエフ、サー・アンドリュー・デイヴィス(東京)、今回は話題のロリン・マゼールと変わっていて、勿論、ブリュンヒルデもフリッカも全部入れ替わっているが、とにかく、圧倒的なワーグナー楽劇の魅力全開の素晴らしい舞台であり、その度毎に感激して観ている。
   それまでに観ていたロイヤル・オペラも含めてワルキューレの舞台が、非常に抽象的で時にはモダン過ぎて違和感を感じていたのだが、このMETのギュンター・シュナイダー=シームセンのセットとデザインは、多少クラシックだが、非常にリアルかつ幻想的で、あのノイシュバインシュタイン城のルートウィッヒの世界と相通ずる空間を現出していて、それに、指揮者や歌手が超一流と来ているから文句なしのオペラなのである。それでも、満席になることは殆どなかったようである。

   今回のワルキューレの最大の話題は、隣のニューヨーク・フィルの音楽監督で超ど級の指揮者であるロリン・マゼールが、45年ぶりにMETのピットに入ることで、初日の1月7日の公演では熱狂的な歓迎を受けたと言い、私の観たのは28日の公演であった。
   マゼールは、自身でもオーケストラ指揮者だと言っておりこの方面で卓越した名声を博しているが、かって、ベルリン・ドイツ・オペラとウィーン国立歌劇場の総監督であったし、スカラ座を筆頭に世界のヒノキ舞台で多くのオペラを振っており、私も、何十年も前に「ローエングリン」を観ているが、オペラでのキャリアも大変なものである。
   余談だが、METとNYFとの相性が悪いのか、ニューヨーク・フィルの音楽監督でMETで振ったのは「ファルスタッフ」のバーンスティンだけで、ピエール・ブーレーズもクルト・マズアもMETで指揮をしたことがない。

   ニューヨーク・タイムズのアンソニー・トマシーニが、マゼールとレヴァインを比較して、特に、最後のブリュンヒルデの眠りとウォータンの告別のモチーフのところで、レヴァインは途切れることなく流れるように演奏するが、マゼールはフレーズ毎にドラマチックなポーズを取ってメリハリをつけながら弦セクションに物語を語らせており、解説的ではあるが観客を熱狂させる説得力のある解釈だと言っている。
   何れにしろ、マゼールが一人でカーテンコールで舞台に立った時、オーケストラの楽員たちが熱狂的な賞賛の拍手を送っていたと報じている。

   オーケストラ席前方だったので、マゼールの指揮振りが良く見えたが、何十年も前と同じできびきびしたタクト捌きが小気味良かったが、もう77歳。
   8歳でニューヨーク・フィルを指揮し、9歳でストコフスキーに呼ばれてフィラデルフィア管を指揮し、11歳でトスカニーニに認められてNBC交響楽団を指揮したと言う途轍もなき神童が、まだ、第一線で驚異的な指揮振りを披露しているなど信じ難いほどだが、マゼールのワーグナーに再び遭遇出来て正に幸運であった。
   
   ジークムントのフォービスは、一昨年小澤征爾が振る予定だった東京のオペラの森公演ヴェルディの「オテロ」でタイトルロールを歌った歌手で、是非彼のワーグナーを聴きたいとブログに書いたが、期せずして実現し、素晴らしくパンチの利いた張りのある美しいヘルデンテノールのジークムントを聴いて、ドミンゴに劣らぬ感激を味わうことが出来て幸せであった。

   ジークリンデのヴォイトは、ドミンゴとの絶妙な舞台で夙に名声を博しており、今やワーグナー・ソプラノの第一人者であり、後半のプログラムである「トリスタンとイゾルデ」でイゾルデを歌うことになっている。
   これについては実際の舞台を見たいが叶わないのでMETライブビューイングで辛抱せざるを得ないが、鑑賞出来るだけでも有難いと思っている。
   とにかく、ヴォイトのジークリンデはドミンゴとの共演が圧倒的な印象で、今でも素晴らしい歌声が耳に残っている。
   ジークリンデの歌う「冬の嵐は過ぎ去り」、ジークムントの「君こそは春」に続く第一幕の終わりの愛の二重唱の何と素晴らしいこと、そして、第二幕の別れを直前にした二人の二重唱の何と崇高なこと。
   リストの娘コジマを友人のハンス・フォン・ビューローから奪って妻にしたワーグナーだから書けた愛のニ重唱かも知れないと思いながら、トリスタンとイゾルデの音楽を思い出す。

   何と言っても、今回のワルキューレの素晴らしさは、ジェイムス・モリスのウォータンであろう。19年もウォータンを歌い続けて今や61歳、とにかく、風格のある威風堂々とした圧倒的なウォータンで、観客が熱狂するのも無理はない。
   大地を揺るがすような朗々とした歌声で、燃え盛る大地を的にブリュンヒルデに最後の別れを告げる「さようなら、勇ましい娘よ」を歌い、周りに火をつけて、「魔の炎の音楽」をバックに舞台から消えて行く、この最後のシーンを観るだけでも値打ちのある素晴らしいウォータンである。

   第三幕の「ワルキューレの騎行」の音楽の後、鎧姿で登場するブリュンヒルデのライザ・ガスティーンもキャリアを積んだワーグナー・ソプラノで、これまで、ジークリンデも歌っており、イゾルデも演じている。
   父親ウォータンのモリスと堂々と対峙する素晴らしいブリュンヒルデで、ヴォイトとは一寸違った張りのある力強いソプラノのきらめきが印象的であった。

   ウォータンの妻フリッカを歌ったメゾ・ソプラノのミカエラ・デヤング、フンディングを歌った若いロシアのバス・ミカエル・ペトレンコの存在感も大変なもので、8人のワルキューレ達も達者で、休憩を入れて5時間の舞台を終えても興奮冷めやらず、底冷えのするニューヨークの深夜も気にならないほどであった。   
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ニューヨーク紀行・・・7 メトロポリタン美術館

2008年02月08日 | ニューヨーク紀行
   最初の頃は何日か連続して通ったが、最近では、メトロポリタン美術館に行くと、一日中そこで過ごすことが多い。
   結構疲れるのだが、適当に、館内にあるカフェで軽食を取ったり喫茶で小休止したりして時間を繋ぐ。と言っても、全館回るようなことは出来ないので、その時の気分で、鑑賞する場所を決めて、回れるところだけ見て帰る。

   前回は、エジプト美術から見たので、今回は、国宝級のギリシャの壺など6点をイタリアに返したと言う話題もあったので、反対側のギリシャ・ローマ美術から見学を開始した。
   余談だが、イタリア政府は、遺跡の盗掘などで不法に国外に持ち出された古代美術品の返還要求に積極的で、これまでにも、ポール・ゲッティ美術館から40点の他ボストン美術館からも返還を受けるなどに成功しているが、映画「日曜はダメよ」の女優メルクーリ文化大臣が、かって、大英博物館にパルテノン神殿のファサードの浮き彫りエルギン・マーブルをギリシャに返せと迫っていたが、時代も変わったもので、あの世から、どんな思いで見ているのかと思うと興味深い。
   
   ギリシャ・ローマ美術では、目を引くのは多くの彫刻であるが、何故か、ロンドンやパリの美術館と比べて見劣りがするのは、遅くなってから手に入れた所為であろうか、ビーナス像なども鼻が欠けておらずもう少し保存が良ければミロのビーナスにも匹敵する程の作品だが、全体に素晴らしい作品が多いわりには傑出した作品がない。
   興味を持ったのは、前3世紀のギリシャの「ヴェールと仮面をつける踊る女」の20センチほどのブロンズ像で、左手と顔の目の部分だけを露出して全身白いヴェールで身を包んだダンサーが、身をくねらせて右肩越しに後を振り返っているポーズを写しだしたもので、やや飛び出した臀部から足先に向けてピッタリと体の線が見えて、中々モダンで優雅な仕草の彫刻である。
   イタリアに返したのであろうか、サンペドロンの身体を持ち上げる「眠り」と「死」を描いた大型の赤絵萼型クラテル型の壺は、館内で見つけることが出来なかった。

   その後、アフリカ、オセアニア、南北アメリカ美術を簡単に見て、2階のヨーロッパ絵画に移った。ここは必ず訪れるところで、好きな絵が沢山あって、2回くらい回ることにしている。
   回廊から入ると真っ先に見えるのが、ダヴィッドの「ソクラテスの死」で、泣き悲しむ友に目もくれずに、ベッドに座ったソクラテスが左手で天を指している凄い迫力の絵である。
   ラファエロの「聖者と玉座の聖母子」と言う素晴らしい作品があるが、私が興味を持って見るのは、ティツィアーノ、ティントレットやヴェロネーゼあたりからで、レンブラントやフェルメールなどの所には比較的長く居る。

   この口絵写真の額の右端がレンブラントの自画像で、左端がフェルメールの「眠る女」である。
   フェルメールは5点だが、レンブラントに至っては大変な数で10点は下らないし、「ホメロスの胸像を眺めるアリストテレス」や「フローラ」など素晴らしい作品がある。
   フェルメールの絵は、美術館のパンフレットなどには、1660年に描かれた「水差しを持つ若い女」が必ず使われている。明るい窓辺に立った若い女が、窓を開いて、手に持った水差しの水を外に捨てようとしている絵である。左手に窓があり窓際にテーブルがあって食器や小間物などが載っている、後の壁には額か地図が架けられていると言うのは全くフェルメール画の定番だが、この絵は、テーブルかけの模様の繊細さや静物の空気感など丁寧に描かれていて、それに、明るい雰囲気が実に良い。
   
   最近、2階の奥、すなわち、メイン階段から、素描や版画や写真コーナーの回廊展示場を抜けた奥に、改装なった新しい西洋美術館別室が出来て、19世紀と20世紀初期の絵画と彫刻が移されて、素晴らしい展示場になっている。
   入口を入るとT字状の長い回廊展示場には、ロダンなどの彫刻が並べられて壮観である。
   入口まっすぐ正面奥の中央には、ジョン・シンガー・サージェントの美しい「マダムX」の絵が架かっている。
   ニューオーリンズ生まれでパリで悪名を馳せたピエール・ゴートロー夫人を描いた美しい絵だが、アメリカ絵画のコーナーにあったのが、何故ここに移されてメインの位置に据えられたのか、絵画的には色々問題があってもメトロポリタンとしてはアメリカの至宝という事であろうか。
   
   ロマンティック、バルビゾン、印象派、後印象派等々の絵画、それに、19世紀の彫刻などなど、とにかく、日本人には、堪らないような素晴らしい作品が、大変なボリュームで展示されているので、ここだけでも圧倒されてしまうほどで、コローさえも一部屋あり、オルセー美術館とは一寸違った興奮を覚える。

   この日は、結局時間がなくなったので、急ぎ足で、古代オリエント美術を見て、最後に、エジプト美術を見るだけに終わってしまった。
   エジプト展示場に行くのは、大理石の小さなジャーの蓋の貴婦人の美しい頭部の彫刻を見るためで、ネフレティティを彷彿とさせるような気品と雰囲気が実に素晴らしいのである。
   ところで、ベルリンのエジプト美術館にある素晴らしく美しいネフレティティ像に対して、エジプト政府から返還要求がなされていると言う。
   植民地や属領などから収奪に近い形で美術品や古代遺産を集めてきた文明国の美術館や博物館はどうなるのであろうか。
   エルギン・マーブルやロゼッタ・ストーンのない大英博物館や、ミロのヴィーナスやサモトラケのニケのないルーブル博物館など考えられないのだが、美術館・博物館の受難(?)の時代が来たのであろうか。
   
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ニューヨーク紀行・・・6 MET・プッチーニ「マノン・レスコー」

2008年02月06日 | ニューヨーク紀行
   今回のMET鑑賞で最も期待していたのは、プッチーニの「マノン・レスコー」であった。
   昔、サンパウロで一度見ただけで、長い間機会がなかったのだが、今度は、今を時めく名ソプラノ・カリタ・マッティラがマノンを歌う。
   マッティラは、もっと若かった頃の舞台を何度かロイヤル・オペラで観ており、「魔笛」のパミーナの初々しい姿など、今でも覚えているが、その後、ロンドンに行った時には、ワーグナー「ローエングリン」のエルザの素晴らしい舞台に接して、大ソプラノとしてのスターダムを登りつつあるのに感激した。
   長い間前のMETの総支配人であったジョセフ・ヴォルピーが、「史上最強のオペラ」で、最も魅惑的な舞台人間だったソプラノ歌手が二人居るのだがと言って、テラサ・ストラタスとともに、マッティラの名前をあげて、「サロメ」どの逸話などを語っている。
   決して美人ではないので損をしているが、演技力としても抜群で、モーツアルトも歌いワーグナーも歌え、これほど天性としてのオペラ歌手としての素質を備えた歌手は稀有だと思っている。

   マッティラは、シベリウス音楽院で、歌のみならず演技やダンス、バレーなども学んだと言っているが、オペラは紛れも無く総合芸術で、観客を魅せなければならない。容姿もそうだろうが、演技の重要性を熟知している。
   マノンはどう言う性格の女性かと聞かれて、演ずる前に詳しくは語りたくないがと言って、あの当時(18世紀のフランス)の貧しい若い女性の生活と悲運を題材にした話だと言っている。
   マッティラは、悪女マノンのイメージではなく、貧しい乙女が思いのままに生きようとして運命に翻弄される姿を演じようとしたのである。
   初々しい乙女、成り上がりの淑女、恋に目覚めた女、生きようと必死になる女、運命を悟った女。カリタ・マッティラは、変わり行く女性の変容を実に豊かに抑揚をつけながら演じ切り、ソプラノがこれほどもまでに語る音楽なのかを教えてくれて感動であった。

   この話は、プレボーの小説(1731年刊)が元になっており、マスネーのオペラ「マノン」やバレーにも展開されているが、マノンは不実な悪女の典型のように言われ、その魅力に取り付かれた青年デ・グリューの激しい情熱と社会的破壊を描いた話だとされている。
   若い女性マノンが、デ・グリューの情熱にほだされて恋におち駆け落ちするが、貧しさに耐え切れず分かれて大蔵大臣ジェロンテの妾になる。
   しかし、その生活にも飽き足らず憂鬱を囲っている所に、デ・グリューが来て口説き落とすので、宝石や身の回り品を掻き集めて逃げようとする所にジェロンテが帰って来て逮捕される。
   マノンは、船に乗せられてアメリカ送りとなるが、堪りかねたデ・グリューが一緒に乗船を願い出て、最後には新世界の荒野に果てると言う悲劇である。

   オペラの方だが、期待に違わず、デズモンド・ヒーリーの華麗なセットと衣装による素晴らしい舞台をバックに、ジェイムス・レヴァインの紡ぎだすプッチーニ節は正に絶好調で、強烈な黄金のトランペットのような張りのある美しいテノール・マルチェロ・ジョルダーニのデ・グリューとの激しい恋の交歓に、カリタ・マッティラの魅力全開の夢のようなオペラが展開された。

   デ・グリューのジョルダーニは、私は始めて聴いたが、シシリーの牢看守の息子として生まれ、スポレットでリゴレットのマントヴァ公爵でデビューしてミラノを経てニューヨークに移った。
   ジェイムス・レヴァインのお気に入りの歌手でアンソニー・ミンゲラから芸を仕込まれた、非常にレパートリーの広い多芸なテノールで、METではビリャゾンやリチャトリと双璧のイタリア・オペラ歌いでもあり、アメリカの最高裁でリサイタルをした逸話もある。
   フランスモノは勿論チャイコフスキーも歌うが、ワーグナーの「ローエングリン」や「マイスタージンガー」、マーラーの「大地の歌」にも挑戦すると言うが、ドミンゴを凌駕する勢いである。
   今は、スピントのレパートリーを備えたリリック・テノールだが、ベル・カントも大切にしたいと言う。晩年に20代の若さの声を保ったパバロッティに教えられたと言って、ヘビーなレパートリーを歌った後には、愛の妙薬やルチアのような軽い歌を歌いたいと言う。

   METへは、「ラ・ボエーム」でデビューを果たしたが、マスネーの「マノン」で、デ・グリューを歌った後に、会ったこともなかったレヴァインが楽屋に来て「非常に舞台に感激した。近くお会いしよう。」と言ったと言うが、これが正に転機となってMETの押しも押されもしない常連となった。
   一寸異質だが、若かりし頃の絶頂期のドミンゴを聴いているような張りと輝きのある素晴らしいテノールで、ディーヴァ・カリタ・マッティラのマノンと正に丁々発止の圧倒的な舞台を展開、最後に流れ着いた新世界の荒涼たる砂漠の場まで息もつかせぬ熱演であった。

   レヴァインの指揮については、言うまでもなく熱演で、舞台を平行しながら時々タクト姿を傍観していた。
   ジェロンテのディル・トラヴィスの好色な大臣の狡猾さ、どっちつかずのマノンの兄レスコーのドゥィン・クロフトなど脇役もしっかりしていたが、METデビューと言うエドモンド役のシーン・パニッカーが好演であった。
   何れにしろ、このオペラは、カリタ・マッティラとマルチェロ・ジョルダーニの卓越したオペラ歌手あってのマノン・レスコーであった。

(追記)METから16日土曜日のライブ録画を世界に放映するとMETライブ・ビューイングの案内メールが入った。ニューヨーク・タイムズが、マッテラのロマンチック悲劇での聴衆の心を釘付けにするパーフォーマンスは圧倒的でこの20年くらいはMETで観たことがないほどだと報道したと言う。 (2月15日)
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ニューヨーク紀行・・・5 フリック・コレクション:フェルメールに会う

2008年02月05日 | ニューヨーク紀行
   メトロポリタン美術館の少し南側のセントラル・パークに面して、個人的な美術館だが、素晴らしい作品を擁したフリック・コレクションがある。
   これまで何時も、メトロポリタンで時間を取りすぎて行く機会がなく、今回、どうしても3点あるフェルメールを見たくて、初めて出かけた。
   この口絵の「士官と笑う娘」、「音楽の手を休める少女」「女主人とメイド」である。
   最後の絵は、大きなギャラリーで他の画家達の絵と展示されているが、前2点の絵は、玄関を入って直ぐの2階へ上がる階段のある南ホールの壁面に無造作に架けてあるので、最初は見過ごしてしまったほど小さな作品である。

   私が、始めて見てフェルメールに惚れ込んだのは、1973年にアムステルダムの国立美術館で、「牛乳を注ぐ女」を見た時である。最近、日本で展示された絵だ。
   それから、直ぐに、デン・ハーグに出かけて、マウリッツハイス美術館に行って、映画にもなった「ターバンを巻いた少女(真珠の耳飾りの少女)」や「デルフトの眺望」を鑑賞した。本国オランダにも、フェルメールの絵は殆ど残っていない。
   しかし、その頃は、オランダの画家と言えば、レンブラントとゴッホ、それに、モンドリアンと言ったところが人気者で、まだ、それほどフェルメールは知られておらず、日本からの客人に、素晴らしい画家だと言ってこの絵に注目するように言っても怪訝な顔をしていた。
   もっとも、フェルメールの絵は非常に小さくて、35点くらいしか残っていないので、世界的な美術館か、個人所蔵に接しなきい限り、見る機会が少ないことにもよる。
   後で出かけた、メトロポリタン博物館にも、フェルメールの素晴らしい絵が5点ある。
   これに、ワシントン美術館の作品を加えれば、フェルメールの残っている作品の3分の1を見たことになる。

   さて、フリックの3点のフェルメールだが、この「士官と笑う娘」が一番印象に残っている。
   フェルメールは、カメラ・オブスクーラを使って絵を描いていたので、ピンホールカメラの雰囲気で、どちらかと言えば、多少ぼやけた感じの平面的な色彩の絵が多いのだが、この絵に限って、笑う娘の表情を細密画のように非常に克明に描いている。
   ワイングラスを握りながら、明るく笑っている少女の表情が実に幸せそうで、生活の息吹がそのまま伝わってくるような感じで清々しい。
   フェルメールの住んでいたデルフトには、今でもこのような古い家が沢山残っていて、窓も土間も窓際の机も、そのままの雰囲気である。
   フェルメールの絵は、殆ど、左側に窓があって、そこから自然光を取り入れて手紙を読んだり、語らったり、オランダ人の日常の生活を描いている絵が多いが、ある意味では、レンブラントとは違った意味で光の魔術師であったのかも知れない。
   太陽の照る明るい光の少ない、どちらかと言えば、どんよりとしたリア王の世界のようなオランダでこそ、レンブラントやフェルメールが生まれたのかも知れないと思っている。

   もう一つの、「婦人とメイド」は、机に向かって右手に座った女主人に正面からメイドが手紙を差し出している絵で、これには、左手には窓もなくバックは真っ黒に塗り潰されている。
   この婦人の着ている黄色の上着は、ワシントンの「手紙を書く女」やベルリンの「真珠の首飾りの女」やメトロポリタンの「リュートを調弦する女」にも使われており、モデルだったのかフェルメールが黄色を好んだのか面白い。
   何れにしろ、この窓辺は、恐らく街路に面した2階の居間なのであろうが、色々なプライベートな生活が展開されていて、オランダ人の息遣いがむんむんしていたのであろうと思うと非常に興味深い。
   オランダ人は、治安に問題のない少し前までは、夜でもカーテンなどなくて、外から中が丸見えの生活を送っていたのだから、国が違えば生活の違いも様々で面白い。

   フラゴナールの「恋の成り行き」を描いた連作11枚の大きな絵を壁面全体に貼り付けたフラゴナールの部屋は実に素晴らしくて壮観である。
   ルイ15世の頃に、王宮の庭などで恋に戯れる若い恋人達や男女の群像を華麗に描いたフラゴナールの絵は装飾画として好まれたようで、フリックも好きであったのであろうか、同じ系統のブーシェの間にもブーシェの華麗な絵が壁一面に飾られている。

   良く歴史書で見るのは、「ユートピア」で有名なイギリスの偉大な人文学者ハンス・ホルバインの「トマス・モア卿」で、素晴らしく風格のある絵で克明だが写真より遥かに美しい。
   ミッシュランのグリーン・ガイドには、レンブラントの「自画像」、アングルの「ドーソンヴィル夫人」、フラゴナールの「恋の成り行き」、ジョバンニ・ベリーニの「砂漠の聖フランチェスコ」を見過ごすなと書いてある。
   何れも画集や美術書で御馴染みだが、この美術館は本当にこじんまりとした資産家の館を転用しているので、身近にじっくりと鑑賞出来るのが良い。
   彫刻にも立派な作品が多くて、あっちこっちに飾られている。
   難は、他の美術館のようには写真を撮らせないところである。
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ニューヨーク紀行・・・4 カーネギー・ホール:NYポップスのガーシュイン

2008年02月04日 | ニューヨーク紀行
   カーネギー・ホールに始めて入った。
   よくTV などで映されるスターン・オーディトリアムと言う2800席ほどの大ホールであるが、120年経っているだけに、重厚かつ古風で中々雰囲気のある素晴らしいホールである。
   このホールは、クラシックもジャズやポピュラーも、あらゆるジャンルの有名ミュージシャンが桧舞台として登場してきた劇場なので、客席の外側の回廊の壁面に所狭しと彼らのサイン入りの写真が飾られていて壮観である。
   セピア色に変わりかけた巨匠達、カラヤンやカラスなどの若々しいモノクロ写真が郷愁を誘う。
   予備室には、古いレコードや厖大なドキュメントとともにジャズなどの歴史資料が展示されていたり、喫茶室には大きなホロビッツのポスターが貼られていたりして、ノスタルジアに浸れて楽しい。
      
   私の聴いたのは、ニューヨーク・ポップス・オーケストラの”GREAT MOMENT FROM POGGY AND BESS AND DAYFUL OF SONG"と言うタイトルのオール・ガーシュイン・プログラムである。
   ニューヨーク・ポップスと言うオーケストラがあるのさえ知らなかったが、これは、正に、アメリカでしか聴けないアメリカならばこその、素晴らしいコンサートであった。

   ガーシュインは、ジャズ的なリズムの音楽で正にアメリカを代表するクラシック音楽の巨匠だが、私自身は、オーケストラで、「ラプソディ・イン・ブルー」と「パリのアメリカ人」を聴き、特に、ラプソディのピアノの何とも言えない音色に感激してファンになった。
   その後、大分経ってから、ロンドンのロイヤル・オペラで、ガーシュインのオペラ「ポギーとベス」を観た。スラム街の黒人達の生き様を描いた実に物悲しいオペラなのだが、ベスの歌う「サマータイム」は良く知られたポピュラー音楽になっているが、あのシチュエーションで聞くと、胸を締め付けるほど感動する。
   ポギーは、ウィラード・ホワイト、ベスは、シンシア・ヘイモンで、歌手は殆ど黒人達であったが、当時、最高のメンバーでのオペラ公演であった。

   ところで、このコンサートは、ニューヨーク子としてガーシュインに惚れ込んだ指揮者でピアニストのアンドリュー・リットンが作り出したガーシュイン音楽で、ポギーとベスは、オペラを3分の1にコンパクトに短縮して、たった4人の歌手だけを起用してアレンジし直したコンサート版のポギーとベスなのである。
   先ほどのポギー歌手ホワイトから、ロンドン交響楽団の演奏会のポギーとベスの抜粋演奏会を提案されたが、不都合があったので、ホワイトの薦めもあって、作曲家の意図を十二分に盛り込んだ全オペラのシーンを包含したオーケストラ版のコンサート組曲を作り上げたと言うのである。
   サマータイムは消えていたが、4人の黒人歌手達が一寸した仕草を交えながら感動的な舞台を展開してくれた。
   特に、ベスとクララを歌ったモレニケ・ファダヨミは、声のみならず実に妖艶で魅力的なウィーンで学んだオペラ歌手であったが、他の3人の歌手達もキャリアーを積んだ素晴らしい歌手達であった。

   もう一つの「DAYFUL OG SONG」は、これまで一度も日の目を見なかったガーシュインの手書きの原稿からリットンが掘り起こした7曲の歌曲集で、ニューヨーク初演だと言うことで、リットン自身が、ピアノの前に座って指揮しながら弾き語りを行った。
   1995年に、リットンが、ワシントンのワーナー劇場で国会図書館のガーシュイン記念コンサートの芸術監督に指名された時に、ガーシュインの未公開写本や原稿にアクセスすることを認められたお陰だと言う。

   長く音楽監督を務めていたダラス交響楽団から、一番ガーシュインを得意とするコーラスだと言って、バックにはダラス交響楽団合唱団を引き連れてきていた。
   このリットンだが、寒いノルウエーのベルゲン交響楽団やオペラでも音楽監督をしていたようだが、一寸アンドレ・プレヴィンを思わせる器用で陽気なアメリカのマルチタレント指揮者と言う感じで、非常に楽しいコンサートであった。
   
   ニューヨーク・ポップスだが、1983年に、アメリカの豊かな音楽遺産を演奏し公開する為にプロのオーケストラとして設立された最大のポップス楽団のようで、このカーネギー・ホールをベースに、世界各地でもコンサートを開いている。
   高校などに無料で音楽教育奉仕も行っているようで、この日も、沢山の黒人の小学生達が招待されてやって来ていた。
   一度だけ聴いたが、有名だったのは、アーサー・フィードラー指揮のボストン・ポップスで、映画音楽など華麗な演奏で楽しませてくれた。このオーケストラは、ボストン交響楽団の各パートの主席を欠いたオーケストラであったようだが、今でもやっているのであろうか。
   日本やヨーロッパには、このようなフルスケールのポップス専門のグランド・オーケストラがないように思うが、やはり、映画音楽の国アメリカの産物なのであろうか。
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ニューヨーク紀行・・・3 ムーティ:ニューヨーク・フィル

2008年02月03日 | ニューヨーク紀行
   明るい良く晴れたニューヨークだが、マイナス5度とかで、入国早々の身には寒さが肌をさすが、アベリー・フィッシャー・ホールのロビーは、マチネーのニューヨーク・フィル・コンサート客でごった返している。
   リッカルド・ムーティの指揮は、このシーズン3回予定されていて、今回はその第二回目の4コンサートの最終日である。
   チケットは最高でも1万円程度だから、東京のオーケストラと殆ど同じ水準であり、色々な種類の定期会員用のシーズン券が売り出されていて、パンフレットもこの方が遥かに豪華である。
   定期会員でチケットは相当数売れているようだが、SOLD OUTのコンサートは少なく、私が持っていたフィラデルフィアやコンセルトヘボウのように取得の難しいオーケストラと違って、ロンドンなどと同じで、大体、当日券が買えるようである。

   ニューヨーク・フィルを最初に聴いたのは、レナード・バーンスティンが万博で来日したのが最初で、その後、このニューヨークでズービン・メータやロリン・マゼールなどの指揮で何度か、それに、ロンドンでクルト・マズアの指揮で一度と実演はあまり多くはないが、やはり、ダイナミックで華麗なバーンスティンのレコードで聴いた印象の方が強い。
   このアベリー・フィッシャー・ホールは音響が悪いと言うので一度改装されてはいるが、何故か、今でもあまり良いとは思えないし、今回も、ルプーのメリハリの利いた華麗なピアノの音色も美しさに欠けて何となく冴えなかった。
   ウィーンのムジーク・フェラインザールは知らないが、同じく最高だと言われているアムステルダムのコンセルトヘボウは確かに素晴らしいコンサート・ホールで、平べったい矩形の平土間の非常にシンプルなホールの方が凝ったホールよりも音響的に良いのかも知れない。
   
   私はラド・ルプーのピアノに期待していた。アムステルダムのコンセルトヘボウでも、ロンドン交響楽団でも素晴らしいピアノ協奏曲の演奏会を聴いて感激していた。
   30年以上も前に、ザルツブルグ音楽祭で、カラヤン指揮ウィーン・フィルでデビューを果たし、10年後に、ムーティ指揮ベルリン・フィルでオープニングを飾るなど、非常に人気の高いルーマニア生まれのピアニストだが、年をとった所為か豊かな髭にも風格が出てきて、哲学者のような雰囲気で、ピアノ協奏曲の女王と言われるこのシューマンのピアノ協奏曲を実に華麗に、そして、精緻でありながらダイナミックに美しく奏でていた。
   ブラームスが密かに愛していた愛妻クララ・シューマンのために書き、初演して感激したと言うこの協奏曲は、ロマンティックで実に美しい。
   残念ながら、前回のランランのチャイコフスキーの時と同じで、無粋な観客が居て楽章の終わりで盛大な拍手をやり、ムーティは苦笑していたが、雰囲気を壊してしまった。
   おのぼりさんの多いニューヨークでは、観光目当てなので良くあることらしい。

   ブルックナーの交響曲第6番は、作曲に時間を要したようであるが、ブルックナーにしては比較的短くて美しい曲で、私自身、聴いたのは初めてかも知れない。
   最近、少しづつブルックナーを聴く機会が出てきたが、何番がどのような曲だったのか、正直な所良く分からないのだが、昔のように耳慣れない曲でもぶっつけ本番で12分に楽しめるようになってきたのは成長かも知れない。

   イタリア人のムーティが、アメリカの典型的なオーケストラからどのようなブルックナー・サウンドを引き出すのか興味があったが、やはり、ニューヨーク・フィルの金管は素晴らしい演奏をする。
   ムーティは、ブルックナーの第4番の録音を出しているようだが、あの端正な指揮姿で、どこかくすんだ重厚なサウンドを聴かせてくれて満足であった。
   しかし、偏見かも知れないが、モーツアルトの素晴らしさには感じ入っているが、もう少し重厚で暗いトーンのドイツ音楽はどうであろうかと思って聴いていた。
   ゲーテが、ブレンナー峠を越えて見た、陽光燦然と輝く南の国イタリアの風土に感激したように、その逆の思いもあるような気がするのである。
   私が聴いたムーティの実演は、若い頃のフィラデルフィア管弦楽団、ロンドンでのウィーン・フィルのコンサートと、日本でのスカラ座公演の「オテロ」だけだが、世界各地からあれほど沢山の勲章や名誉を受けている指揮者だから、イタリアオリジンを超越しているのかも知れない。

   ところで、今、ニューヨーク・フィルの話題は、来月からの台湾と中国ツアーで、特に巨大都市上海でのデビューと、北京の新しい卵形の未来を象徴するような芸術劇場でのコンサートが注目されているらしい。
   それに、26日に北朝鮮のピョンヤンでのコンサートは、国際放送されるとニューヨークタイムズが報じていた。
   両国国歌の吹奏の後、ワーグナー「ローエングリン」第3幕序曲、ドボルザーク交響曲第8番「新世界より」、ガーシュイン「パリのアメリカ人」を、音楽監督ロリン・マゼールが指揮すると言う。
   もう30年以上も前に、フィラデルフィア・オーケストラの楽屋で、ユージン・オーマンディに、中国から持ち帰ったピアノ協奏曲「黄河」を聴いた後に、フィラデルフィア管の中国ツアーの話を聞いたのを思い出した。
   世界は、どんどん動いているのである。
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ニューヨーク紀行・・・2 ニューヨーク着METへ

2008年01月31日 | ニューヨーク紀行
   1月25日朝9時前に、JAL006便がJFK空港に着いた。
   日本を発ったのが25日の12時であるから過去に帰った感じだが、午後2時開演のニューヨーク・フィルのコンサートを聴こうと思っていたので幸いであった。
   同時にターミナル1に入った便が殆どなくJAL客が少なかったので、入管は比較的スムーズで、ロンドン・ヒースローの家畜牧場柵のような混乱とはえらい違いで、9.11以降のセキュリティチェックも緩やかになった感じである。

   ところが、何箇所かの分離記入方式なのに、慣れもあって入管書類を十分に見ずに一箇所だけ書いたために、空白が残っていて、係官からつき返されてブランクを埋めろと指示された。
   こうなると、予期しないハプニングに慌ててしまって、欄を見違えて書き直したりして散々である。
   怪しまれたのか怪しまれなかったのか、係官は、入管の指示書どおりに、左手の親指を指紋検査機に乗せろと言う。拇印を押すようにして直ぐに外したら、そのまま置いたままにしろ言う。
   私自身は、何の問題もある筈はないと思っており不安も何もないので、次に右手人差し指を検査機におき、最後にカメラの方を向けと指示されて終わった。
   勿論問題なくパスポートにハンコを押して返してくれたので、「時間を取らせて申し訳ない」と云うと、「たいしたことではないよ」と云って笑っていた。

   しかし、もう随分前のことだが、ブラジルからアメリカ経由で日本に帰る途中に、マイアミでの乗り継ぎ時に、ナカムラと言うだけで疑われて入管でしばらく留められたことがあった。
   トヨタがどうだとか係官が話しているのが聞えたが、ひと間違いだと言うことが分かったものの、日本への乗り継ぎ時間が少なかったので、何故、トランジットなのに入管検査をするのか腹が立ったことを覚えている。
   旅をすれば、色々なことが起こる。
   税関検査は、書類を提出するだけで素通りした。

   ところで、帰りの時の空港でのセクリティ・チェックであるが、やはり、今回も靴を脱がされて箱に乗せてチェックを受けた。
   滞在中にCNNを見ていたら、バンドに凶器を仕掛けて空港の安全チェックを受けて素通り出来る様子を示して、入管検査が如何に杜撰か、そして、アメリカ人の過半数はセクリティチェックを信用していないと云う現状を放映していた。
   ターミナル1は、便の少ない外国航空会社の混合ターミナルなので、一寸、特殊なのか、他のヨーロッパ向けやアメリカ航空会社の発着するターミナルは、違う雰囲気なのかも知れない。
   
   普通は、空港に着くとタクシーでホテルに向かうのだが、この時は、タクシーの半額程度の乗り合いリムジンをインターネットで予約を入れていた。
   スーパーシャトルと言う会社で、マンハッタンのホテルまでチップを入れて23ドル弱。
   税関を出れば店のカウンターがあるだろうと思ったのが間違いで、元々、そんなものはなく、後で知ったが、交通インフォメーションデスクのカウンターがあって、そこに設置されている電話で連絡することになっているのである。
   いくら、便名と到着時間を連絡しておいても、今回のJALのように1時間も早く到着してしまうと、アメリカの会社がそんなことを調べて乗り合いリムジンを手配する訳ではなく、連絡して呼び出さないとピックアップしてくれない。
   他のターミナルで客を拾って総勢10人程度でマンハッタンを回って客を降ろすので時間がかかった。
   慣れれば、安くて気楽だろうが、タクシーの方が良さそうである。

   ところで、帰りには、タクシーをと思ってホテルのボーイに手配を頼んだら、タクシーも50ドルそこそこするから、ホテルのリムジンだとチップも橋の通行料も込みで55ドルで行くがこれにしろといやに薦める。
   どうせ6000円程度だしと思ってこれに決めたら、時々ホテルの前に止まっていた大型車を2台連結したような大きなリムジンが待っている。
   後方に陣取ったが、運転手ははるか前方で居心地が悪かったが、どうせ減価償却が過ぎた古い車で運転手共々遊ばせるよりは良いということであろうか。
   しかし、ガソリン代が高すぎて大変だろうと思った。
   このクルマに乗って良かったのは、流石に慣れた運転手で、ショートカットの経済的近道を知っていて、ニューヨークの寂れて廃墟になったような裏町を走ってくれたので、アメリカの隠れた現状を垣間見ることが出来たことである。

   ホテルは、個人旅なので安くて便利なホテルと言うことで、ウエリントンと言う3星程度の安宿だが、カーネギー・ホールの隣と言う好立地で、部屋が、7番街のメインから離れた奥の角地のダブルルームだと、かなり静かで気持ちよく過ごせる。
   このホテルだと、リンカーン・センターのメトロポリタン・オペラやタイムズ・スクエアのブロードウエイのミュージカルがいくら遅く跳ねても、ゆっくりと歩いて帰れるし、それに、あっちこっち行くのにも非常に便利で気に入っている。
      
   ホテルにチェックインすると、7番街の正面に、運良くスターバックスがある。腹ごしらえをして、早速、リンカーン・センターに向かった。
   アベリー・フィッシャー・ホールのボックス・オフイスに行って、チケットを買った。
   リッカルド・ムーティ指揮ニューヨーク・フィル。
   ラド・ルプーのピアノでシューマンのピアノ協奏曲、それに、ブルックナーの交響曲第6番である。

   その後、隣のメトロポリタン・オペラのボックス・オフイスに向かった。ファサード奥正面壁画の赤と青のシャガールが久しぶりである。
   私のニューヨーク滞在5日間で手配出来るオペラは、
   ロッシーニの「セビリアの理髪師」
   フンパーティングの「ヘンゼルとグレーテル」
   ワーグナーの「ワルキューレ」
   プッチーニの「マノン・レスコー」

   強行軍だったが、美術館やフィラデルフィア行きなどを含めての全く文化鑑賞三昧のニューヨーク旅が始まった。

(追記)写真奥がカーネギー・ホール
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ニューヨーク紀行・・・1 旅立ち

2008年01月24日 | ニューヨーク紀行
   アメリカが燃えていると言うが本当であろうか。ドルの将来も揺らいできたという。明日、ニューヨークに発とうと思う。
   先のアメリカ東海岸旅行の時も、大統領選挙の年で、ソロスが反ブッシュ・キャンペーンを張って民主党のケリー上院議員を応援していたのをTVで見た記憶がある。
   それに、9.11の後遺症も残っていて、写真のように厳戒態勢でニューヨーク証券取引所は閉鎖されて一般は入場できなかった。
   次女がイギリスの大学院を終えて帰って来ていたので、アメリカを見せておこうと思って卒業旅行を兼ねて出かけたのである。

   早いもので、あれからもう4年も経ってしまったのだが、今は、サブプライム問題の余波でアメリカ経済は激しく揺れている。
   ディカップリングと言われながらも、アメリカの影響力はやはり強大で、グローバリゼーションの深化もあって世界中に波及して、世界経済全体の根幹を揺るがしかねない状態となっている。

   今回の旅は、久しぶりのアメリカで、センティメンタル・ジャーニィかと聞かれたが、特に目的はなく、アメリカの実情をニューヨークの街を歩きながら肌で感じたいと思っている。
   勿論、メトロポリタン・オペラとメトロポリタン・ミュージアムには必ず出かけるつもりだが、足を伸ばして、アムトラックでフィラデルフィアを訪れて、懐かしい母校ウォートン・スクールのキャンパスを散策したいとも思う。

   先日、ペンシルバニア大学の学長とウォートンスクールの学長とが一緒に来日したので、パレスホテルで歓迎会と同窓会が開かれた。
   ペンシルバニア大学は、アメリカ独立当時の大立者で凧を揚げて雷が電気であること発見したベンジャミン・フランクリンが1740年に創立したアメリカで最古の総合大学UNIVERSITY(先に出来ていたハーバード大学は単科大学COLLEDGE)である。キャンパスの庭にあるフランクリンの銅像が、何時も学生達に微笑みかけている。

   ところが、この大学は、同じアイビー・リーグでもプリンストンやイェールのように田舎町にあるのと違ってフィラデルフィアの中心街に接近している所為か、アイビーの這った古風な建物や古い佇まいの雰囲気のある場所は殆どなくなっている。
   これが、最近、更に繁華街に近い広大な大学用地を取得してキャンパスを拡充すると言うからフィラデルフィアの街と一体となってしまいそうである。
   
   ウォートン・スクールも、そのキャンパス内にある世界一古いビジネス・スクールで、1881年創立だから既に2度の還暦を迎えており、グリーンスパンが退任直前に卒業式で送別スピーチを行ったほどだから米国経済界での影響力も強い。
   先ほど、日本で展示会のあったフィラデルフィア美術館やロダン美術館にも足を運ぼうかと思っている。あのシルベスター・スタローンのロッキーがトレーニングに走っていたカラー道路の突き当りが美術館である。勉強の合間に良く訪れて疲れを癒したのが懐かしい。

   往復のJALのフライトとニューヨークのホテルだけを決めて、後は、行き当たりばったりのいつもどおりの気ままな一人旅だが、どんな旅になるのか、一週間後に帰国して、2月には、またブログを再開してニューヨーク旅行記を書こうと思っている。
   このブログに書いた前回の「欧州紀行:ミラノ・ロンドン旅」の時は、地下鉄駅やバスを標的とした大規模なロンドン・テロ勃発の当日にヒースロー入りしたので、家族に随分心配をかけてしまった。
   元ワールド・トレード・センターのあった9.11グランド・ゼロを訪問しようと思っているが、今回は何も事故がなく無事平安であることを祈るのみである。
   
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