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熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

NHK交響楽団演奏会・・・C.シュピーラー指揮「シェラザード」ほか

2009年02月28日 | クラシック音楽・オペラ
   都民芸術フェスティバルのNHK交響楽団のコンサートに出かけたが、ポピュラーな選曲でもあったが、非常に素晴らしい演奏で、楽しい一夜を過ごせて満足であった。
   千葉に住んでいるので、どうしてもアクセスの便利な都響や新日本フィルの定期会員ではあるが、N響を聴く機会が少なくなり、安い所為もあって、このシリーズだけは足を運んでいる。

   在京8楽団(多すぎると思うのだけれど)の管弦楽団のコンサートがあるのだが、N響のカードだけは、すぐにチケットがソールドアウトするので、いつも、あまり良い席は取れない。
   この日も、A券が取れずにB券で、3階正面の前方だったが、とにかく、劇場が大きいので、楽団から遠く離れていて、小編成のモーツアルトの「フィガロの結婚序曲」などは、出だしでもあり、全く、迫力に欠けてレコードを聴いているような感じであった。
   去年の秋、都響の定期で、遅れてホールに着いたので、中村紘子さんの「皇帝」を、残念ながら、5階の天井桟敷で聴かされたのだが、奈落の底とは言え、まだ、この劇場の方が臨場感があった。

   コンサートホールだが、私が定期会員で聞いていたフィラデルフィア管弦楽団のアカデミー・オブ・ミュージックやアムステルダムのコンセルトヘボーなどは、非常にこじんまりしていて良かったし、ロンドン交響楽団の時のバービカン・ホールでも、かなり、オーケストラと観客席との距離が狭くて臨場感があり、奏者の息づかいを感じることが出来た。

   コンセルトヘボーは、20年ほど前に大掛かりな改装が行われたが、パブリック部分を大きく変えただけで、コンサート・ホールは殆ど手をつけなかった。世界最高の音響効果を誇るウィーンの楽友協会ホールと良く似ていて、平べったい長方形の平土間に、廊下状の狭い2階席があるだけの非常にシンプルなホールであったが、やはり、世界屈指のホールで、あの当時、どの席も総て同じ料金で、S席やE席などと言った区別は全くなかった。
   何時もは、一階席だったが、一度だけ、内田光子さん指揮&ピアノでモーツアルトのピアノ協奏曲を、あの急峻な階段のある正面雛壇席で聴いたことがあるが、内田さんの指揮と演奏振りは良く見えたが、やはり、一寸、異質感があった。
   余談だが、サイトーキネンからのメールによると、このロイヤル・アムステルダム・コンセルトヘボーが世界一のオーケストラにランクされたらしいが、今や、世界一のコンセルトヘボー・ホールで聴く世界最高のクラシック音楽の素晴らしさはいかばかりかとと思うと懐かしい。
   
   余談が長くなってしまったが、今回のN響で期待していたのは、当然、リムスキー・コルサコフの「シェラザード」であったが、クラシック音楽に興味を持ち始めた頃に一番好きだったモーツアルトの「クラリネット協奏曲」を、久しぶりに聴けるのも、大変な魅力であった。
   たしか、アルフレート・プリンツのクラリネットで、カール・ベーム指揮ウィーン・フィルのレコードだったと思うが、何度も繰り返して聴き続けて、フルート協奏曲、フルートとハープのための協奏曲、ピアノ、ヴァイオリン・・・と進んで行き、どちらかと言えば、モーツアルトについては、交響曲より協奏曲を聴くことの方が多かったような気がするし、欧米でも、プログラムに載れば、意識して聴きに出かけた。
   あの天国からの音楽のようなモーツアルト・サウンドに酔いしれながら、クラシック音楽の旅を楽しんできたと言っても過言ではないような気がする。

   この日のクラリネットは、若手トップ奏者と言われるポール・メイエで、最初の出だしが何となく硬い感じがして、もう少しふくよかなサウンドのイメージを持っていた私には一寸違和感があったが、聞き込むに連れて、ぐいぐいと引き込まれて行き、どっぷりとモーツアルトの音楽に埋没して、若かりし頃の思い出を走馬灯のように感じながら聴いていた。
   この曲は、モーツアルトの最晩年の作品で、あのアマデウスの映画では、精神錯乱に近い混乱状態であった筈なのに、何故、これほどまでに美しい音楽を創造する事が出来たのか、小澤征爾が言うように、神がモーツアルトの手を取って作曲したとしか思えない。

   「シェラザード」の何と華麗で美しいこと。
   愛妃の不貞に怒って、女を信じられなくなり、初夜が終わると妃の首を刎ね続けるシャリアール王に対して、才色兼備の大臣の娘シェラザードが自ら進んで妃になり、面白い話を語るので、その話を聞きたくて、王は、夜の来るのが楽しみに、1001夜聴き続けたと言うアラビアンナイトの物語。
   その美しくて賢いお妃さまをテーマに主題を選び、コルサコフは、4楽章の実に色彩豊かでエキゾチックな素晴らしく美しい音楽を創り上げた。
   何と言ってもこの交響組曲「シェラザード」の最大の魅力は、独奏ヴァイオリンの奏する流麗で美しいシェラザードの主題で、コンサートマスターの篠崎史紀の限りなく美しい夢見るようなサウンドが、聴衆の胸を虜にする。

   金管、木管の管楽器の華麗に咆哮し、大編成の打楽器が大変な迫力で呼応する一糸乱れぬサウンドの美しさなど絶品で、それまで、地味に指揮っていたカルロス・シュピーラーが、夢心地でスイングしながら、最初から最後まで、N響を、華麗に歌わせ続ける。
   席が高見にあったのが幸いして、弦楽器は勿論のこと、管楽器や打楽器の奏者の一挙手一投足が良く観察でき、特に、この曲は、各パートのソロが随所で活躍するので、非常に興味深くて楽しかった。
   流石にN響、そんな素晴らしいコンサートであった。
   

   
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新聞やTVなどのマスコは全く価値なし・信用できない・・・財部誠一

2009年02月26日 | 政治・経済・社会
   NEC関連のITセミナーのキーノート・スピーチ「激動の日本経済2009勝ち残る企業の条件」で、財部誠一氏は、冒頭から、新聞やTVなど今日のマスメディアは、全く価値なし、信用出来ないと、大きな啖呵を切った。
   記者たちは、見識が低く、まともな情報を持っていないので、一部分を、あたかも全体であるかのように報道し、それも、総て横並び報道で、性懲りもなく朝から晩まで繰り返し続けていると言うのである。(自分が出演しているサンプロも含めて、と付け加えたのが財部氏の良心)

   真っ先に血祭りに挙げたのは、派遣切りの話で、特に、TBSのいすゞ自動車の報道は、やらせの最たるもので、実際とは全く違う。
   いすゞは、基幹工は年収500万円で、派遣会社にはその30%増しで払っており、いくら搾取されていても、派遣労働者は4~500万円貰っているので、TBSカメラが、実際に寮を訪れたら、薄型TVは勿論オーディオ等皆揃っており、豊かな生活をしているので、貧しくて困っている人の部屋を紹介してくれと言って撮影し直した。
   テント村へ行ったのも殆どホームレスで、派遣切りの悲劇は、マスコミの過剰報道だと言うのである。

   次に、槍玉に挙げたのは、中川昭一前大臣の酩酊記者会見とかんぽの宿報道。
   これは、財部氏が、BPnetの”財部誠一の「ビジネス立体思考」 中川財務相辞任騒動の裏で記者クラブは何をしていたのか 2009年2月18日”で論じているので詳細は端折るが、
   中川事件は、財務省が、財政再建を放り出した財務大臣の首を据え変える絶好のチャンスとして利用したこと、
   かんぽの宿事件は、郵政民営化つぶしを意図したものだと言うのである。
   真偽はともかく、有り得る話ではある。

   私が、この二つのケースで最も深刻だと思うのは、財務省と総務省の政府役人の公僕としての誇りをなくした意識の低さと怠慢である。

   中川大臣の個人的な資質は別にして、随行の秘書官なり役人が、あの場合には、酩酊大臣の記者会見を横になっても阻止するのが本来であり、また、バチカンで芸術品に触れて警報が鳴った時に、随行員が傍を離れていたので気付かなかったと言う逃げ口上に至っては開いた口が塞がらない。
   極普通の民間企業でも、秘書は、酩酊社長を記者会見に出すようなことは絶対にしないし、公式の場で、社長の傍を離れるなど有り得る筈がない。
   まして、大恐慌で大変な混乱の最中にあり、世界中が日本の財務大臣の対応を注視している時の失態が、いかなる結果を招くか分からないような財務省になってしまったのなら、日本の明日は暗すぎる。
   
   かんぽの宿の入札の件だが、財部氏の言うように、日本郵政は、政府100%出資の会社であるから、入札の経緯からオリックスとの契約については、一切詳細に総務省へ報告が行っており、鳩山大臣などがめくらばんを押したと言う可能性が高い。
   西川社長を庇う積もりはないが、三井住友時代に苦渋を舐めているので、コーポレート・ガバナンスなり、経営の透明性や説明責任の重要さは痛いほど肝に銘じている筈で、一連のかんぽの宿売却に関して、手続き上は、それほど、問題はなかったのではなかろうかと言う気がしている。
   問題は、総務省の方で、日本郵政からの報告状況を、正確かつ明確に大臣に理解させるべきである。もし、逆に、鳩山大臣やマスコミ報道が正しいとするならば、100%政府所有の日本郵政に対して、報告も求めずチェックもしなかったと言うことであるから、管理監督責任の放棄と言うべきで、総務省の責任感の欠如と怠慢は甚だしい。
   小泉元総理にとっては、心血を注いでやり遂げた郵政民営化を、こともなげに叩き潰そうとする(?)麻生内閣と政府官僚に対して、堪忍袋の緒が切れたとして怒るのも当然であろう。
   
   真実は、他にある筈なのに、
   派遣労働者切りをする大企業、酩酊して恥を晒した中川昭一前大臣、そして、いい加減な入札をしてかんぽの宿をオリックスに二束三文で叩き売ろうとした西川日本郵政社長を、悪者に仕立て上げて、マスコミ総てが異口同音に一枚岩で報道し続けるマスコミの体たらくを、財部誠一氏は、糾弾したかったのであろう。
   尤も、マスコミは価値なし、信用出来ないと声高に叫んで見ても、マスメディアにどっぷりで、ひと時でもニュースや情報から離れると寂しくて生活できない現代人にとっては、他に選択肢はなく、マスコミに洗脳され続けざるを得ない。

   悲しいかな、国民の知識と意識が向上しないので、マスコミも低俗な報道で迎合し、政治の世界では、何時までも、世襲議員ばかり選んで、その上、ノック青島現象からも脱皮できず、政治の貧困は極まれリと言うことだが、日本の国際的な地位は低下の一途である。

   ところで、財部氏の講演だが、企業が生き残るためには、
   マスコミがこのような状況だから、信用せずに、
   正確な現状認識を、絶えず更新し続けることが必須だと説く。
   また、21世紀には、中国をはじめとした有望なアジア市場での事業展開を目指さなければ、企業の成長はないと力説していた。
   サンプロの取材で、コマツ、資生堂、イトーヨーカ堂の現地法人の活躍ぶりを調査してきたようだが、財部氏の中国への入れ込みようは大変なもので、褒めちぎっていたが、これについては、多少異論がある。
   サンプロでの財部氏のブラジル報告でも、多少コメントをしたが、現地取材は良いとしても、欧米の専門書や本・雑誌、或いは、メディアなどの高級な硬派の資料や情報の分析が不足しているように感じている。
   
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椿の季節がやってきた

2009年02月24日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   私の庭の椿が、賑やかに咲き始めた。
   秋の初めから少しづつ咲き始めるのだが、やはり、椿と言う漢字の如く春の花木で、春が近づき温かさが増すと、3月から4月にかけて桜と咲き競うように咲き乱れる。
   私が、本格的に、庭に椿を植え始めたのは、10数年前の話で、8年間ほど日本を留守をしていて、ロンドンから帰って来た翌年の春に、植えておいた乙女椿の何とも言えない優雅なぽんぽんダリアのようなピンクの花の美しさに感動して、一本では可愛そうだと思って少しづつ植えていったのである。

   尤も、住んでいた花の国オランダで、キューケンホフのチューリップ公園や周りの華麗な花畑などを訪れて花に興味を持ち始め、ロンドンに移り住んでからは、フリーな休日が来ると、カメラを持って、近くの王立植物園キューガーデンに行っては花の写真を撮っていたので、花に対する興味は増していて、それに、触発されたと言うこともあるかもしれない。
   何故、椿なのかと言うことだが、キューガーデンの自宅の裏庭に、かなり大きな椿(オランダ紅に似た赤い八重椿)が毎年たくさんの綺麗な花をつけていたし、それに、イギリスの色々な植物園などで、美しい椿の花を見ていたし、椿には親しみを感じていたと言うことであろうか。

   帰ってきた直後に買った椿は、先のオランダ紅に似たさつま紅、崑崙黒、そして、天賜(てんし)で、しばらく、鉢植えとして室内で大切に育てていたが、その後、庭に植えたので、今はかなり大きくなって、毎年、綺麗な花を咲かせて楽しませてくれている。
   植え場所の違いなのか、木の質なのか分からないけれど、一番元気に育っているのは崑崙黒で2メートル以上になっているが、育ちの差が出ていて面白い。
   
   今、美しく咲いているのは、ピンクの一重で優雅な大輪の曙、この口絵の天ヶ下、紅妙連寺、小公子、港の曙、荒獅子、玉の浦、色々な侘介などで、他にプレートがなくなって名前の分からない椿が2~3種類。
   朝、綺麗な花を枝から選んで、旅行中などで買い求めた花瓶に活けて楽しんでいる。
   まだ、桃の花には早いので、5段飾りの雛人形の前に置いたりしているが、実に、優雅で華やかなのである。

   庭植えの椿は、かなり大きくなっているので、切花にして活けて楽しむことが出来るが、戸外なので、寒くて霜が降りたり凍ったりすると、折角咲いた花が傷んでしまって可哀想になる。ピンクで美しいが華奢な曙椿などは、特に、厳しい気候には弱くて、無傷の花を探すのが難しい程である。
   鉢植えの椿は、蕾が色付き始めると、寒い日には、室内に取り込むことにしている。

   椿に囲まれた屋敷で育ったと言う安達曈子さんが、「椿しらべ」と言う素晴らしい椿の本を残している。
   椿つれづれのエッセイに、椿に関する素晴らしい写真や絵や図版などが添えられていて見るだけでも楽しい本なのだが、日本オリジンの椿が世界各地で愛でられて活躍している様子などを書いている。

   最後のエッセイが、「カメリア・ロード」と言うタイトルで、洋椿となって帰ってきた里帰り椿について、面白い話を書いている。
   ”輸入されてきた他の洋花は結構日本の花好きに愛されているのに、何故、里帰りの洋種椿には拒絶反応があるのか。その理由はただ一つ、日本にとって椿は、山椿や白玉椿に代表される原種、または、原種に近い花の姿が確立してしまっているからではないか。無意識のうちにガードをしてしまうのだろう。それほど、椿は、風土的・生活的に土着していたことになる。”

   確かに、私のイギリスの友人などは、侘介椿よりは、バラの花のような豪華な椿を好み、日本人の感性とは大分違う。
   ところで、カサブランカやアザレアなども里帰り花なのだが、日本人にも非常に人気が高いのは、どういうことなのであろうか。
   
   今、私の庭には、さくら椿のように非常に小輪のフルグラントピンクと言う種類の椿が咲き始めている。
   ほんの2センチ程の小さな花だが、確かに、鮮やかなピンクで八重であるからかなり華やかな花である。
   私の場合には、気に入った花を園芸店で買ってきて栽培しているだけなので、特に好き嫌いはない所為もあって色々な花の椿があり、洋種椿も鉢植えを含めて10種類くらいはあり、別に区別はしていない。
   華道をやった経験もないし、特に、日本の園芸の知識がある訳でもないので、安達曈子さんが言うほど、私自身が、土着していないのかも知れないと思っている。


   
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恐慌脱出法は何でも良いから公共投資・・・リチャード・クー

2009年02月23日 | 政治・経済・社会
   野村総研のリチャード・クー主任研究員が、日本証券業協会のセミナーで、「内外から見た日本経済」と言う演題で、持論の「バランスシート不況」理論を展開し、民が完全に疲弊し奈落の底に突入してしまった今回の経済恐慌には、官の財政出動しかなく、何でも良いから、一刻も早く、政府が、需給ギャップを埋めるために、ドラスティックな公共投資を行うべきだと熱弁を振るった。
   オバマ政権の財政出動も、良いプロジェクトを探して入札準備などしていると9ヶ月を要して、その間に、450万雇用の夢も吹っ飛ぶので、とにかく、スピードが肝心で、何でも良いから公共投資を行うべきだと言う。
   一頃流行った巨大なピラミッドを作れば良いと言うケインズ経済学全盛時の亡霊が、蘇った感じの講演であったが、この理論を引っさげて欧米を行脚して説き続けており、共感を得ているらしい。
   
   日本のジャブジャブの公共投資漬けの財政政策あったればこそ、バブル崩壊後、六大都市の市街地価格指数が5分の1に暴落し続けると言った最悪の経済環境であったにも拘わらず、実質名目とも、日本のGDPが増加を続けられたのである。
   この驚異的な日本の経験は世界に誇るべきで、世界中が、この日本の貴重な経験を生かして、このグローバル化した大恐慌から脱出すべきであると言うのである。
   この日本の経験した不動産バブルによるバランスシート不況からの貴重な脱出策を理解している首脳は、世界広しと言えども麻生首相だけで、オバマにもこのことを説くであろうと、レイムダックの首相を、世界大恐慌脱出策の救世主の如く持ち上げるのは何ゆえであろうか。

   私は、リチャード・クーのバランスシート不況と言う概念には異存はないし正しいと思う。
   資産価格のバブルがはじけると、借金が資産を上回り、企業も個人も債務超過のバランスシートを持つことになり、バランスシートを修復するために、収益の最大化から債務の最小化へ行動を変える。
   たとえ金利がゼロになっても、民間の借り手はなく、銀行に積み増された貯蓄と借金返済分が、経済の所得循環から脱落して行き、この漏出がデフレギャップを加速して、経済を縮小均衡に追い込む。
   民間のバランスシート修復が完了するまで、経済の自律的成長はなく、マネタリストのバーナンキが、ゼロ金利にしていくらもがいても、金融政策の効果がなく、アメリカの経済が益々悪化して行くのは当然だと言うのである。

   しからば、この不況の元凶たる需給ギャップを埋めるためには、民間の需要が極端に疲弊し下落しているので、財政支出すなわち政府の積極的な公共投資等で穴埋めしない限り、経済の回復は有り得たいと言うのである。
   確かに、GDPの成長率が、巷で囁かれているように、マイナス10%にもなれば、需給ギャップが50兆円となり、何らかの形で、この巨大な需要不足を補うために抜本的な手を打たない限り、日本経済は壊滅的な状態に陥る。
   定額給付金の2兆円など、バランスシート不況の今、殆ど消費には回らないので経済効果は数千億円で全く効果はない。全額支出されて需要に回る膨大な政府の公共投資以外に道はないので、何でも良いから出来るだけ早く、政府は、ジャブジャブカネを使って公共事業をやるべきだと言うのである。
   失われた10年に政府は、500兆円の借金を積みましてしまったが、そのためにGDPを引き上げて国民経済を救った効果は、2000兆円を下らないとも主張する。
   私自身は、このリチャード・クーの見解には、半ば同意するが、しかし、この発想には承服しかねる。

   恐慌時の、単なる需給ギャップの穴埋めのための公共投資は、経済の自律的成長を促進する効果はなく、あくまで、カンフル注射に過ぎないと言うことと、
   本来不況が排除しようとする、モラルハザードを誘発するのみならず、経済の無駄や非効率を温存することとなるなど、長期的な経済成長や安定化の足を引っ張る要素があるので、慎重を期すべきだと言うことである。

   公共投資なら何でも良いから早くやれと言う考え方は、彼の主張するバランスシート不況時には金融政策の効果はないと言う考え方どうりに、加速度原理も乗数効果も沈黙してしまうし、紐と同じで、引っ張ることは出来ても経済をプッシュ出来ないし、牛飼いが、牛を水辺に連れて来られても水を飲ますことが出来ないのと同じで、経済を自律的に成長させる効果は薄い。

   それに、これほど騒がれている公務員の堕落と無能ぶりは、膨大な公共支出故に、失われた10年以降も温存されたまま生き延びたのであり、今後、公共投資などジャブジャブに公共支出を増大させれば、益々官僚たちがが勢いづく。(日経ビジネス最新号2009.2.23強い政府の落とし穴参照)
   本来マーケットから退場すべき筈だったゾンビ企業が生き延び、日本経済の無駄や非効率などが温存されるなど、日本の経済社会システムが、パラダイムシフトした新経済産業社会に適応できなくて逡巡しグローバルべースから遅れを取ってしまったのも、リチャード・クーの褒め称える政府支出の下支えがあったからこそであろう。
   
   私は、市場原理主義には反対で、どちらかと言えばアメリカの民主党的なリベラル派に近い考え方をしているが、マーケット・メカニズムの効果効用については十分に認めており、このブログでも、日本の為替介入には批判的で市場に任せて円高政策をとるべきだと主張し続けてきたと同様に、
   公共支出で、無理に経済を維持し過ぎるのではなく、ある程度不況の波を被るのは容認すべきだと考えており、リカード・クーのように手放しで公共投資を認める気にはなれない。
   
   長くなったので結論を急ぐが、私自身は、世界経済も国民経済も、或いは、企業も、創造的破壊のイノベーションによる自律的な成長以外にないと思っているので、公共投資を行うのなら、このイノベーションを誘発出来る様な公共投資に向かって集中的に行うべきだと考えている。
   オバマ政権のグリーン・ニュー・ディール政策など一つの方向性を示しているが、地球温暖化で宇宙船地球号が瀕死の状態になっており、少子高齢化で安心安全な社会のニーズが高まっているなど、卑近な例でも人類のニーズは見えており、この千載一遇の膨大な公共投資を活用して、人類の未来を目指して夢のある経済社会を構築すると言うことでなければならないと思っている。
   
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GMを駄目にしたのはカルパースだ・・・ヴェルナー・G・ザイフェルト

2009年02月22日 | 経営・ビジネス
   元ドイツ証券取引所のCEOであったヴェルナー・G・ザイフェルトが、もの言う株主(Invester Activism)であるヘッジファンド・ザ・チルドレンズ・インベスター・ファンド(TCI)のクリス・ホーンたちが、、如何にあくどく、経営に介入してトップ経営陣を追い出して、自分たちの利益を叩き出そうとしたかを、ハンス=ヨアヒム・フォートと共著で「もの言う株主 ヘッジファンドが会社にやってきた!」で、克明に書いていて、英米流の弱肉強食のコーポレートガバナンスと、信義を重んじる古風なドイツ流の経営との落差が浮き彫りにされていて、実に面白い。

   TCIが、電源開発J-POWERの株式を9.90%押さえて、言いたい放題のことを言って経営に介入しようとしたのは、最近の話だが、日本の場合には、株主や関係機関のサポートがあって、TCIは全株売って撤退したが、
   ドイツの場合には、政府や株主は勿論関係者も、傍観者の立場を決め込み見殺しにしてしまったので、ドイツ証券取引所のトップたちは孤軍奮闘したけれど、TCI等ファンドや欧米の投資銀行の軍門に下って追放されてしまった。
   会社は株主のものだとする欧米流のコーポレートガバナンス論が全盛を極めていた頃で、理論武装不足故に迂闊に正論を吐けなかったのである。

   この問題は、稿を改めて詳述するが、ザイフェルトが、ヘッジファンドや年金基金などの機関投資家たちが、自己利益の追求のために、如何に経営に介入して企業を駄目にしているかを、GMを取り上げて説明しており、非常に示唆に富んでいて面白いので、この論点について考えて見たい。

   もの言う株主が、良好な戦略と大量の予備資金を有する好業績企業を、通常の合法的な方法をとらずに企業の決定に干渉し、厳しく批判する時は、たった一つの動機が隠されている。それは、短期的に出来るだけ多くのお金を手に入れると言うことである。
   彼らは、その後株価を吊り上げて、企業に高額債務を負わせ、現金を株主に分配し、研究開発費を削る。
   かって繁栄していた企業は、あっと言う間に錐もみ状態に陥る。長期的視野に立って投資している株主たち、従業員、経営者と顧客が、そのつけを払う。
   このような目に遭った企業の一つが、GMだと言うのである。

   アナリストは、GMの赤字の増大は、医療保険のコストや、業績がより良かった時期に勤務していた数多くの退職者たちへの多額な年金支給コストが増加したためだと言うが、真の問題は、GMは人々が気に入る製品を市場に提供できなくなってしまったことだと言う。
   GMは、製品への投資が少な過ぎたために、世間の人々の想像力をかき立て、そのスタイルや逞しさで魅了するような車、ドライビングを理屈抜きで楽しくするような車を製造しようと大胆に挑戦出来なくなってしまったのである。

   一時は、高収益のSUVや小型トラックで、無敵の快進撃を遂げたが、この好業績で蓄積した膨大な資金を、何故、製品開発などの投資に回せなかったのか。
   カルパース(カリフォルニア州公務員退職年金基金)が先頭に立って、大規模ファンドの委託を受けて、経営陣の知らない所で取締役と交渉して、ステンペル会長を追放し、GMに思い切った支出削減をし、大量の自社株買戻しを強いたのである。

   1994年から2001年までの間に、自社株買戻しによってGM株が4分の1減少し、その膨大な買戻し資金を工面するために、殆ど総ての他の分野への投資が削られてしまったのであるから、GMの体力が疲弊し競争力が失われてしまったのは当然だと言うのである。
   投資ファンドや年金基金などが、株価アップのために自社株買戻しや配当金分配を迫り、更に負債を背負うよう企業に強いると、その結果は壊滅的な打撃となる。
   株主は株価上昇に喜んだが、GMから虎の子のイノベーションへの投資資金が奪われて、トヨタなど強敵が素晴らしい新型モデルを提供している時に、コスト増大に呻吟せざるを得なかったのすれば、結果は目に見えている。

   実際に、これと同じことを、チルドレンズ・インベストメントから、合法的な手段を取らずに徹底的に痛めつけられて追われたザイフェルトの言であるから、アメリカ企業の長期的経営戦略が、如何に、年金基金資本主義、ファンド野放し主義によって毒されて来たかを語っていて千金の重みがある。
   悪質なヘッジファンドは、日本ではハゲタカだが、ドイツではイナゴと言うらしい。
   しかし、問題は、労働者の積み立てた巨大な年金が、雇用主の企業を徹底的に痛めつけて、角を矯めて牛を殺しているとするのなら、悪い冗談・皮肉と言って済ますわけには行かないであろう。

   先日、このブログで、原丈人氏の「会社は株主のもの」と言うROE至上主義、時価会計・減損会計が、如何に、ベンチャー企業やイノベーションへの活力を殺ぎ、アメリカを競争力のない駄目な国にしてしまったのかと言う痛烈な批判について触れたが、同じ病根を抱えたアメリカ資本主義の本質を語っていて、非常に興味深い。

   金融危機に端を発した世界的大不況(大恐慌と言うべきかもしれない)に直面して、アメリカ型資本主義そのものが俎上に上がっているが、今でこそ下火になったとは言え、猛威を振るって来たその片割れである「会社は株主のもの」、英米流コーポレートガバナンス、と言った概念を、もう一度真剣に考えるべきかも知れない。

   
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東京国立博物館:妙心寺展~如拙の「瓢鮎図」

2009年02月21日 | 展覧会・展示会
   上野の東京国立博物館で、「妙心寺特別展」が開催されのだが、如拙の「瓢鮎図」を見たくて出かけた。
   妙心寺には、昔、訪れたことがあるのだが、広大な境内を散策したり、綺麗な庭園を拝観した記憶があるが、公開されていたのかどうか知らないが、この国宝の「瓢鮎図」は昔から禅問答を題材にした絵として有名でもあり、見過ごしていたので、是非見たいと思っていたのである。
   瓢箪を持った男が、池畔に立ち、池の鯰をどのようにして捕まえようかとしている絵だが、子供の頃、美術書を見ながら、何故、こんな阿呆なことをするのか不思議に思っていた。

   足利4代将軍義持が、「瓢箪でなまずを圧えこむとすれば如何?」と言う禅の問(公案)を、如拙に、描かせて、五山の僧侶たちに夫々それに関する考えを書かせた詩画軸が、この「瓢鮎図」なのだが、表面は、少し黄ばんで墨がかすれて薄くなっている。
   墨だけのモノトーンではないが、瓢箪が、はっきりと少し褐色に色付けされているのが面白い。
   
   私も子供の頃、瓢箪を育てて、瓢箪の水筒を作ったことがあるが、口は小さいし、表面はつるつるで、大きくてぬるぬるした鯰を、瓢箪に吸い込んで掴めるなどと言う芸当は出来るわけがないことを良く知っている。
   鯰を捕まえるためには、手づかみか、追い詰めて網で掬った記憶がある。
   このように荒唐無稽で出来ないような、愚かしくて滑稽なことを考えて問答し、何か深遠な哲理のような有難い結論を導くのが、禅問答なのだろうと、勝手に考えていた。
   禅の公案と言うものは、本来絶対的に矛盾した話であり、禅僧はこれを超理論的に理解し、乗り越えて、迷いや疑問を透過して悟境に至るのだと言う事らしいので、あながち間違ってもいないのであろう。

   残念ながら、この軸の上部に書かれた禅僧たちの参詩の意味が分からないので、妙心寺退蔵院のホームページ(口絵はここから借用)を開くと、高僧が頭をひねって回答を連ねた様子は正に壮観と言いながら、紹介されているのは、「瓢箪に油を塗っておくがよい」とか「瓢箪で押さえた鮎でもって、吸い物を作ろう」と言った話で、何が有難いのか、全く訳が分からない。

   この瓢鮎図だが、遠景に急峻な山並みが描かれていて、そこから流れ出た渓流が、葦の生えた池に至り、一匹の鯰が泳いでいる。
   人物の左手には、波型も鮮やかな渓流が流れ出でて、しなやかで瀟洒な竹が描かれており、これは、中国の同じ問答で、「鮎竹干に上る」から来ているらしい。
   私の記憶では、鯰は、渓流などの清水には棲まず、どちらかと言えば泥に馴染む魚の筈だが、禅寺での山水画の伝統としては、当然の構図なのかもしれない。

   私は、この瓢鮎図鑑賞が目的で、国立博物館に来たのだが、流石に妙心寺で、国宝は、他に「梵鐘」だけだったが、たくさんの素晴らしい美術工芸品などを含めて多くの寺宝が展示されていた。
   メトロポリタンから里帰りの狩野山雪の「老梅図」や海北友松の「花卉図」など素晴らしい障壁画など、それに、白隠慧鶴の自画像や達磨、鼠師槌子図など面白い絵画などもあり、楽しませてくれた。
   久しぶりの、東京国立博物館だったので、本館と東洋館の常設展を見て帰った。
   博物館の裏庭の紅梅と白梅が綺麗に咲いていた。
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世界らん展日本大賞2009

2009年02月20日 | 展覧会・展示会
   後楽園で開かれている恒例の世界らん展に出かけた。
   昨年同様に、人込みを避けて、閉館前に入って短時間過ごすトワイライト券をインターネットで買って、4時過ぎに入場した。
   真っ先に感じたのは、入場者数が少なくて会場が非常に広々とした感じで、ここまで経済不況の波が押し寄せているのかと言う印象であった。
   いつもコインロッカーが満杯で、大きなリュックやバッグを抱えた地方からの鑑賞者が溢れ返っているのだが、平日の遅い時間と言っても、ロッカーは空いているし、とにかく客が少なく、沢山出店を出している売店も、閑古鳥が鳴いている。

   もう、10年以上も通い詰めているであろうか。
   らんのファンでもなく、特に何を見たいと言う目的もないのだが、オランダのチューリップ畑やキューガーデンでの花を追っかけながら写真を撮っていた趣味の延長で、カメラを持って、毎年一度はいそいそと出かけている。
   
   日本のらん展も、1991年に、江尻光一先生が第一回目の大賞を受賞してからの開催であるから、私が、らんに興味を持ち始めたのは、もっと以前で、外国においてである。
   最初は、1975年から始まったブラジルでの生活とラテンアメリカの旅、何度も出張で訪れた東南アジアでのらんとの出会い、そして、イギリスのキューガーデンの温室での珍しい多くのらんとの遭遇などであった。
   キューガーデンのらんなどが栽培されている温室の一部などは、いつもむっとした空気で、メガネのガラスが曇ったのを覚えているが、この植物園は、流石に世界一で、いつも新鮮な発見があって暇が出来るとカメラを持って出かけるのが楽しかった。

   イグアスの滝のジャングルで、高木の幹に張り付いたように咲いていた野生のらんの姿を思い出すのだが、キューガーデンなどのプラント・ハンターたちが、大切に持ち帰って栽培したのであろう。
   咲いていたらんは、非常にシンプルだが野生そのものの凛とした姿が印象的で感激したのだが、決して、このらん展のような表舞台に出て華やぐようならんではなかった。

   キューガーデンの温室のらんも、自然に近い環境にして育てられて花をつけているので、特に華麗さを感じさせないのだが、これとは対極にある欧米のフラワーアレンジメントとの文化の落差の大きさに驚くことがある。
   今のように改良に改良を重ねて華麗と言うか、自然の摂理から途轍もなく離れて発展(?)してしまったらんが幸せなことなのかどうか、現実には、殆ど原種の植物など残っていないと言うから、これも、地球が呼吸しながら行き続けている証拠かも知れない。

   今年の日本大賞は、ややクリーム色がかった白色のパフィオペディラムの大株で、実に優雅だが、白色なのでインパクトに欠けて印象が薄い。
   美しさが選定の基準ではないから、どうしても玄人好みの栽培者としての立場からの大賞となるのであろうが、私のような見る立場からの全くの素人には、最近の日本大賞のらんが魅力的だと思えたことは殆どない。

   豪華なディスプレー部門でのらんの群舞の世界だが、確かに、夫々工夫された意欲的な風景や創作空間が作り出されていて楽しませてくれる。
   しかし、この方も少しづつマンネリ化してきたのか、いつも同じような感じの展開なので、新鮮味に乏しくなって心なしか寂しい感じがする。

   私の関心は、むしろ、各部門の展示コーナーの一鉢一鉢のらんの花の魅力を探すことで、一生懸命に栽培した作者の思いが凝縮して表れているような感じがして興味深いし、それに、時には、花そのものが、雄弁に語りかけてくれているような気がするのである。
   間近にらんの鉢植えがあるので、100ミリ程度のマクロレンズで十分にらんの表情をキャッチ出来るので、結構こまめにシャッターを切っているが、勿論、ムヤミヤタラなので、傑作など写せるはずがないのだが、それで十分満足している。

   次の会食があったので、5時半に会場を出たが、閉場時間が過ぎてもかなりの人が会場にいたので、案外、入場を締め切る5時以降の鑑賞が狙い目かもしれない。
   展覧会でもそうだが、人込みほど感興を殺ぐものはないので、開場直後か、閉場間際に出かけることを心がけているのだが、出来れば、本場なり現地に行くに越したことはないと思っている。
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鎌倉・花の寺東慶寺の梅

2009年02月19日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   かなり寒さは厳しいが、久しぶりに鎌倉が青空に恵まれ朝、相変わらず冴えない株式ニュースを聞き流して、源氏山に向かった。
   山道を下って北鎌倉に下りて、どこと言うあてがある訳でもなく、どこかの古寺の梅の花でも鑑賞しようと思って出かけたのである。
   獣道を避けたいので、結局、葛原ヶ岡から浄智寺へ向かう道か、化粧坂を下って海蔵寺に向かう道しかないのだが、今回は、笠智衆が好きだったという浄智寺の方の道を取ることにした。

   このハイキングコースは、どちらにしても、北鎌倉からだと急な上り坂が多いのだが、観光案内書の説明や北鎌倉基点だと便利な所為か、殆どの観光客は、私とは反対のコースを取るようで、結構頻繁に人と行き交う。
   薄暗くて分からなかったのだが、落ち椿を見て、上を見上げると、この山道の左右には、かなり大きな椿の古木が密生していることに気付いた。
   源氏山公園の方の椿は、色々な園芸品種が意識的に植えられていたが、この山中の椿は普通の藪椿である。

   浄智寺だが、山から近づくと、一般の人のように、甘露ノ井横の苔むした石橋を渡って山門をくぐり、緑豊かで優雅な石段道を上り詰めて鐘楼のある楼門に達すると言ったアプローチではなく、いきなり楼門に達するので、大分雰囲気が違う。
   花で気がついたのは、庫裏への門横の三叉の黄色い花である。花房が下に垂れているので地味な花だが、近づいてよく見ると中々面白い。
   目指した梅の木は殆どなく、寂しい。
   三世仏を安置した曇華堂裏の庭園に、苔むした白梅の古木があり面白い枝ぶりだが花はちらほら。
   鐘楼裏の梅は若木で元気だが、横で、濃いピンクに咲き誇っている河津桜に押されて冴えない。

   車の激しい道を北鎌倉に向かって歩くと駆け込み寺で有名な東慶寺である。
   この寺は元々尼寺であった所為か、街道からも殆ど分からないような静かな佇まいのアプローチで、気付かなければ通り過ごすほどだが、瀟洒な山門の辺りから優しくて優雅な雰囲気が漂う。
   山門をくぐって境内に入ると、たっぷりと花を付けた綺麗な八重のピンクの紅梅が迎えてくれる。
   
   秋に来た時には、花も葉もなかったので気付かなかったのだが、露天の金仏までの一直線の参道の左右の古木は殆ど梅の木で、白梅と紅梅が今を盛りに咲き誇っていて、正に、華やかな梅の並木道になっている。
   更に、その仏坐像から奥、谷戸の墓地へ向かっての道の左右や畑の中の田舎家のあたりも白梅紅梅が咲き乱れていて、正に、梅の寺である。

   書院前の庭の紅梅と白梅が特に美しく、近づけないのが残念だったが、境内の梅の木は、種類が多くてバリエーションに富んでいて、夫々、雰囲気が違っているのが面白い。
   境内がオープンで伸びやかなので、梅の木を強剪定する必要がなく、のびのびと育てているんで、かなり古木もあるが、枝の込み合った芸術的な形の枝振りの木は全く見かけない。

   山門から金仏までの石畳の美しい参道横の梅の木の脇に一本の濃い橙色の鮮やかなボケの花が点景として目を引いた。
   また、三群の真っ黄色の福寿草が花を開いていて、素人カメラマンがはいつくばって傍を離れなかった。

   金仏の奥の松ヶ岡宝蔵と畑の間の梅林には、水仙が植わっていて綺麗な花を咲かせていて、実に優雅であった。
   ここの水仙は小花で、真っ白な一重と八重と、内花がやや黄ばんだ花なのだが、非常に葉と茎が長くてスマートで、実に優雅に梅の足元を荘厳しているのである。
   この宝蔵前には、さざれ石の塊が置かれているのだが、その奥に、一株の藪椿が植わっていて、濃い緑に鮮やかな真っ赤な花を付けていて、正面のピンクの枝垂れ梅の優雅な佇まいとマッチして良い被写体になっていた。

   鎌倉は、夫々の民家にも、それなりに花木が植えられていて、垣根から顔を出す梅の花にも、中々雰囲気があって良いのだが、この東慶寺の梅に満足したので、最後に、運慶の刻んだ閻魔大王の彫刻を見たくて円応寺に立ち寄って帰った。
   閻魔大王に、死の床で地獄行きを宣告された運慶が、閻魔大王の像を彫れば許すと言われて、交換条件で彫ったと言う像だけあって、実に迫力満点の閻魔像で面白かった。
   
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C.リー&J.バーノフ著「グランズウェル~ソーシャルテクノロジーによる企業戦略」

2009年02月17日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   ブログ、ウィキ、ポッドキャスト、ユーチューブ等々インターネットによるソーシャルテクノロジーの途轍もない発展によって、企業を取り巻く経営環境は様変わりとなり、この大きなうねり(グランズウェルGURAUNDSWELL)に乗るか乗らないかによって、その企業の命運が決するといっても過言ではない。
   このソーシャルテクノロジーと個人のパワーが生み出した強大なグランズウェルの真の本質を浮き彫りにして、経営戦略として如何に活用すべきかを説いたのが、この本である。

   現代の人々は、様々なオンラインツールを使って他者と繋がりを持ち、主体的に行動しながら、自分が必要としている情報、サポート、アイディア、製品、交渉力などをお互いから調達している。
   グランズウェルは、製品を格付け・評価し、企業や製品を語り合いながら売買し、ニュースを書き、お買い得品を自分の足で探す消費者で溢れかえっており、今や、この胎動は、後戻りの利かない世界的規模での社会動向となってしまった。
   そして、その影響は、メディアから小売、金融サービス、テクノロジー、医療などあらゆる産業に及んでおり、これまで市場を支配してきた巨大な企業や組織(およびその経営陣)とは全く関係のないところで生起して、企業のビジネスモデルを根底から変えてしまったのである。
   
   グランズウェルは、三つの力の衝突から生まれたと言う。
   繋がりたいと言う人間の要求、新しい双方向テクノロジー、そして、ネットの経済学である。
   これらは、正にデジタル化によるICT革命の申し子であり、インターネットによる双方向のコミュニケーションを通じて瞬時に人々をネットワークで結びつけ、この人々のつながり、関係をフル活用して、コミュニティを形成するーーこのグランズウェル戦略の可否が企業の運命を握っていると言うのである。

   昔、東芝のカスタマーサービスの対応が悪くて盥回しにされた顧客が、その交渉の経緯を録音していて、インターネットに公表暴露したので、何百万人もの人がアクセスし、東芝のブランドが痛く失墜したと言うニュースがあったが、今日では、ブログやユーチューブの威力は更に驚異的な進展を見せていて、その効果と破壊力は計り知れない。
   良ければPRコストゼロで大変な宣伝効果となり、悪ければ、一瞬にして企業のレピュテーションやブランドの失墜を招くのだが、如何せん、企業には打つ手が全くない。
   これが、グランズウェルの本質でもある。

   このブログでも書いたが、テドローが著書「アンディ・グローブ」の中で、ペンティアムのFPUのバグについて、T.ナイスリー教授がインターネットで暴露し、対応の拙さも手伝って、これによってインテルが窮地に陥ったと言うケースを報告しているが、この本では、デルのカスタマーサポートでのトラブルを紹介している。
   直販モデルで、優れたコストパーフォーマンス、柔軟な製品構成、注文の容易さを武器に成長し、高収益を上げていたのだが、2001年から、カスタマーサポートを海外に移し始めて、2005年から顧客満足度が急降下した。(友人がデルを使っていて、カスタマーサービスに電話を架けたら中国人が出てきて埒が明かなかったと言っていたのを思い出す。)
   これに、ジャーナリズム学教授が噛み付きブログで暴露したのだが、グランズウェルに無理解で対応の悪いデルが、ブロガーやマスコミに袋叩きにあったと言う。
   返り咲いたマイケル・デルが、主導してブログ解決チームを設置し、デル独自のブログを立ち上げて対処したと言う。

   更に、デルは、サポートフォーラムを通じてカスタマーの要求に対応するなど積極的にグランズウェルを活用しているが、既存のソーシャルネットワークを利用したり、独自のサポートコミュニティを構築したり、自社用のウィキを立ち上げたり、色々な方法でグランズウェルを経営戦略として取り入れる企業が増えている。
   デルの他にも、アマゾン、P&G,フェイスブック、グーグルなど著名企業でも積極的にグランズウェルを活用していると言う。

   この本は、多くの企業のグランズウェル奮闘記をケースとして分析しながら、企業のグランズウェル対応と取り込みが如何に大切かを説き、保守的で抵抗の強い企業を如何にグランズウェル思考に変身させるか、その手法を丁寧に説明していて面白い。

   私など、このブログを書き始めて、そろそろ、丸4年になるのだが、鳴かず飛ばずと言うところ。
   結構、引用されたり、利用されているところもあるので、無駄ではないのかも知れない。
   
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二月大歌舞伎・・・吉右衛門、菊五郎、梅玉の「勧進帳」

2009年02月15日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   昨年の4月に、仁左衛門の弁慶、勘三郎の富樫、玉三郎の義経と言った非常に流麗で美しい勧進帳を観る機会があり、丁度、その前後に、勘十郎の弁慶で素晴らしい文楽の弁慶を観たので、対比しながら、このブログでも感想を書いた。
   勧進帳は、歌舞伎18番の内の演目であるから、これまで、團十郎の弁慶と菊五郎の富樫、幸四郎や吉右衛門の弁慶、富十郎や梅玉の富樫、芝翫の義経など、色々な名優の舞台を観ているのだが、
   今回の、吉右衛門の武蔵坊弁慶、菊五郎の富樫左衛門、梅玉の源義経の舞台は、その中でも、最高峰の舞台であろう。
   それに、四天王にも、染五郎、松緑、菊之助、段四郎と役者が揃っているので、とにかく、感動的な舞台であった。
 
   義経が、兄頼朝に謀反を疑われて奥州に落ち延びる途中、安宅の関で、関守富樫泰家の詮議を受けるのだが、義経を決死の覚悟で守護する弁慶の機転と忠義に感じ入って、富樫が武士の情けで見逃して関を通すと言う義経紀を参考にして生まれた能「安宅」の歌舞伎版が、この「勧進帳」で、七世市川団十郎によって初演された。

   私が気になるのは、何時の時点で、富樫が、義経一行だと見破るのかと言うことで、このタイミングによって、富樫の芸が微妙に違ってくる筈だからである。
   私自身は、義経一行は、最初から既に見破られている、或いは、見破られても当然だと言う前提で臨戦態勢で行動していると思っているので、富樫側も最初から、疑念を持って対しており、富樫の関心は、義経一行だと言う証拠を押さえることのみに集中していたと考えるのが自然だと思って観ている。
   弁慶と富樫の迫力満点の虚々実々の対決が緊迫感を生むのだが、弁慶の偽勧進帳の読み上げと山伏問答については、富樫の方は素人で、弁慶は比叡山の遊学僧で正真正銘の元僧職にあった身であるから知識の差は歴然としており、最初から勝負がついていることなので、富樫としては見逃さざるを得ない。

   ところが、通り抜けようとする義経を富樫が、歌舞伎では、番卒が義経に似ていると耳打ちするので呼び止め、文楽では、自ら見咎めて呼び止めると言う設定になっており、慌てて取って返して来た弁慶が、義経に似ていると疑られる貴様が憎いと、義経の持っている金剛杖を取って義経を激しく打擲し、富樫の疑いを晴らそうとする。
   義経を守りたい一心で主を激しく打ち据える弁慶の姿を見て、富樫が、間違いなく義経一行だと確信するのだが、弁慶の忠義心に感じ入って武士の情けで通行を許す。

   山川静夫さんは、この「勧進帳」の主役はあくまで義経で、「勧進帳」の精神は、義経を守ることに尽きると仰る。
   確かに、文楽では、富樫は、弁慶には目もくれず、義経の退場を見届けると、さっさと舞台から退く。
   とは言え、とかく派手な舞台を披露する弁慶や、丁々発止と緊迫した対決を演じ武士の中の武士とも言うべき富樫の出番が多いので、こちらの方にばかり目が行くし、弁慶役者ばかりにスポットライトが当たるのみならず、この弁慶を演じる成田屋の18番なのだから、どうしても、素人には、主役は弁慶であり、義経の影は薄い。
   しかし、今回は、関を通り抜けた後で、途轍もない不忠を働いたと苦悶してひれ伏す弁慶に、機転を愛でて関所突破を喜ぶ義経の優しい言葉など涙の主従の絆を感動的に演出する場面を、心して鑑賞させて貰った。

   幕が下ろされて、最後に、一人花道に残って、左手に金剛杖を握り締めて、開いた右手を前に突き出して、片足ずつ飛んで消えて行く飛六方を踏む吉右衛門の激しい気迫と形相の凄まじさは、正に感動的で、歌舞伎ファンが、期待する理想的な弁慶像の典型なのであろう。
   白紙の巻物を富樫が覗き見ようとする時に体で隠す「天地の見得」、読み終えた後の「不動の見得」、山伏問答を終えた後の「元禄見得」などは勿論のこと、富樫の所望で舞う「延年の舞」など、吉右衛門の弁慶は、期待通りの剛直で華麗な姿を叩きつけてくれた。
   以前NHKで、成田屋父子のパリ・オペラ座公演の「弁慶」や、幸四郎の東大寺での1000回記念公演の「弁慶」のドキュメンタリーを放映していたが、やはり、日本人にとっては、見せて魅せる「勧進帳」あっての歌舞伎なのであろう。 
   染五郎も、ニッケイマガジンで、36歳になっても弁慶を演じていない高麗屋は自分だけだと意欲を燃やしていたし、3歳の長男の齋も初舞台で飛六方を踏んで見せた。

   浅黄色の鮮やかな衣装を身に着けた、凛々しくて重厚な菊五郎の富樫も、弁慶との緊迫した対決は勿論のこと、その美しさと優雅さは絶品である。
   武士の情けで義経通行を許した瞬間に、死を覚悟した筈だが、一期一会の大舞台に遭遇した感動で、義経一行を追いかけて嫌疑を謝して酒を振舞うあたりの従容とした清々しさも爽やかで良い。

   梅玉の素晴らしい富樫を見たことがあるが、貴公子然とした泰然自若な義経像も流石である。
   山川さんの主役は義経だと言う言葉に触発されて、今回は、梅玉義経を良く観ていたが、この義経の優雅さは、奥州平泉での藤原秀衛の薫陶あったればこそであろうと、へんなことを考えて見ていた。
   四天王の4人の存在感も中々で、勇立つのを弁慶に静止される見せ場の「詰め寄せ」なども素晴らしかった。
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早大グローバルCOE~原丈人「公益資本主義と新基幹産業再生」

2009年02月14日 | 政治・経済・社会
   早大上村達男教授がリーダーを勤めるグローバルCOEプログラムが、井深大記念ホールで、「アメリカ発金融危機点検―日本からのメッセージ」と言う緊急シンポジウムを開催したので聴講した。
   上村教授の「法的問題としての金融危機」は勿論のこと、菅野雅明エコノミスト、原田靖博R&I会長、簗瀬捨治弁護士、大森泰人金融庁事務官など多岐に渡った専門家たちの非常に密度が高くて格調の高い関連講演が目白押しで、非常に勉強になったが、特に興味深かったのは、原丈人氏の「ポスト・コンピュータ時代の産業を育成せよ」と言う話であった。
   原氏の公益資本主義に興味を持って上村教授がスピーカーに依頼したようで、多少時間が伸びても良いと上村教授の許可を得てあるのでと前置きして、ご自身の体験を交えながら、今日のアメリカ型資本主義のあり方が、如何に、我々の文明社会を毒しているかを滔々と語り、持論の公益資本主義への転換と、ポスト・コンピュータ時代の新産業の創出について熱っぽくその必要性を説き続けた。

   アメリカ型資本主義は、市場を極限まで自由にすることが個人の自由と社会の繁栄に繋がるという「市場万能主義」と、企業は株主のためにあり、経営者の役割は株価を最大限に高めることであるという「株主至上主義」の二本柱に裏打ちされてきた。
   サブプライム問題で世界中を未曾有の金融危機に貶めながらも、このままでは、排出権取引や資源や食料などあらゆるコモディティを投機の対象にし続けるので、価格の乱高下に見舞われ、今回のような危機が繰り返し続けられる。
   今こそ、従来の日本企業の経営を支えて来た、会社の事業を通じて、公益に貢献する「公益資本主義」の実現が急務である。
   会社の事業を通じて、会社が関係する経営者、従業員、仕入先、顧客、株主(特に5年以上株を保有する長期株主)、地域社会、環境、そして地球全体に貢献することこそが価値として認められる本物の資本主義の実現が大切だと主張するのである。

   サブプライム・排出量取引証券化ビジネスから国を守れというのが、原氏の主張だが、
   「会社は株主のもの」だと言う米国流のコーポレート・ガバナンスが悪の根源で、経営者は、短期間に株主価値を最大化することが自分たちの使命だという考え方に取り付かれて、ストック・オプションを導入して自己の報酬アップのためにも、株価と相関関係の強いROEを上げるために、企業の中長期的な企業の成長戦略を放棄して、短期的な株価上昇に奔走した。
   株価上昇こそ、CEOおよびファンド双方に利益になったので、経営者は、ただひたすら、工場や設備の売却による資産圧縮や従業員解雇、自社株買いなどで短期的なROEアップを策し、研究開発など中長期的な成長戦略を軽視し続けたと言うのである。

   会社は株主のものだという考え方と、ROEおよび企業価値アップ至上主義的な経営姿勢が、時価会計・減損会計と呼応して、企業にとって中長期的に最も重要な新製品や技術の開発のためのイノベーション経営戦略に壊滅的な打撃を与えると同時に、ベンチャーキャピタルの気風を殺ぎベンチャービジネスの齟齬を来たし始めた。
   企業がイノベーションを実現するためには、膨大な資金を必要とするのみならず、新技術が実現可能かどうかの研究開発期間のテクノロジー・リスクと、その新技術が商品化可能かどうかのマーケット・リスクを背負いながら苦難に満ちた長期にわたるインキュベーション期間を耐え忍ばなければならない。
   この間、企業は無収入でキャッシュフローとバランスシートは悪化し続けて、企業価値が毀損の一途を辿るので、ベンチャーキャピタルやファンドが寄り付かなくなり、この傾向が進みすぎて、今では、アメリカ産業の競争力優位は地に堕ち始めたと言う。

   このアメリカの経験を他山の石として、日本は、税制を整備してリスクキャピタルの市場を育成すべきだと言う。
   リスクキャピタルに該当する投資を行った場合には、投資勘定の中の有価証券投資とするのではなく、強制減損して、損金処理でその年の利益と相殺する仕組みを導入する方式を提案している。
   税収が減って困るではないかと言う議論に対しては、クリントン時代に成長政策を取って経済は1.5倍に成長し、国家財政の大幅赤字が黒字になったから、成長戦略を取れば心配ないと言い、日本を世界一税金の安い国にするのだと威勢が良いことを言う。

   原氏の講演で興味を感じたのは、もうコンピュータやインターネットの時代は終わりで、ポスト・コンピュータ時代の産業を興さなければならないと言う考え方である。
   コア技術と産業の発展と言う考え方で、コア技術(内燃機関エンジン)は、アプリケーション技術(自動車)に進展し、最期には、テクノロジーサービス(輸送業、物流業、流通業、販売業、インフラ建設等モータリゼーション)として完結する。
   これをコンピュータ技術に当て嵌めれば、マイクロソフトやオラクルなどはアプリケーション技術で、アマゾンやイーベイ、グーグルなどはテクノロジーサービスの分野であるから、もはやコンピュータ産業自体が衰退期に差し掛かっていると言うのである。
   したがって、日本で、ポスト・コンピュータ時代の産業を興さなければならないと言うのだが、
   私が、少し前に、このブログで、ICTと金融革命による第三次産業革命が終わったので、現在の経済不況は、コンドラチェフ長期循環の下降局面にあり、次の強力なイノベーションが生まれるまでは、飛躍的な経済成長は期待できないと書いたのだが、あながち間違いではなかったと言うことであろうか。
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国立劇場二月文楽・・・「敵討襤褸錦」

2009年02月12日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   国立文楽劇場開場25周年で意気の上がっている文楽が、その余勢をかっての東京公演で、3部形式だが、中々、意欲的な素晴らしい舞台を展開していて面白い。
   近松門左衛門の「鑓の権三重帷子」と「女殺油地獄」と、二十年ぶりの上演だと言う「敵討襤褸錦」で、近松の姦通ものと救いようにない放蕩息子を描いた作品に対して、後者は敵討ちの話である。
   これに心中ものやお家騒動、粋で侠気な任侠もの、奇想天外な怪奇ものなどが加われば、文楽や歌舞伎の世界なのであろうが、とにかく、戯作者が、事件記者よろしく現場に駆けつけて取材し、脚色して創り上げた台本を舞台に掛けていた庶民の娯楽が、いつの間にか難しくなって、多少基礎知識がないと楽しめなくなってきたのも時代の流れであろうか。

   この「敵討襤褸錦」は、父の仇を追って2年の歳月が経ち痛風を患い乞食に成り果てながらも、襤褸を纏って仇討ちを果たすと言う話。
   その発端、備後の某藩の若殿に差し出す舞妓を選ぶために先斗町に出かけた侍たちだが、一方の侍が元々その舞妓に懸想しており連れ出そうとしたのを、それを遮った侍が殺されると言う全く締まりのない話で、これに、ロメオとジュリエットのように両家の若い息子と娘が悲恋に泣くと言った話などが加わって3時間弱の舞台となっている。
   曽我兄弟の仇討ちを意識した物語だが、当時は、仇討ちを見事果たせば武士の鑑として賞賛されたようで、舞台ともなれば、艱難辛苦に打ち勝って、と言うシチュエーションが加わると更に劇的効果が増す。

   仇討ちに立つ兄弟の春藤次郎右衛門に玉女、春藤新七に豊松清十郎、そして、その母助太夫妻が和生で、素晴らしい人形遣いを見せてくれるが、出色は、兄弟の長兄だが愚鈍ゆえに弟に格下げされている助太郎を簔助が遣っていることで、阿呆を実に細やかに器用に演じていて非常に面白いことである。

   この助太郎だが、父親助太夫と京都に上りながら、体よく利用されて仇に舞子おてるをさらわれて父を殺害されながらも、おめおめと帰ってくる不甲斐ない男で、兄弟の仇討ち出立前に、父の冥土への供として母に殺される。
   出立に当たって、次郎右衛門が、惣領に戻って一緒に仇討ちに行ってくれと上座に据えるので喜ぶのだが、阿呆ゆえに足手纏いになることを恐れて母が不憫に思って脇差を抜いて刺し殺すのである。
   阿呆も、最後には正気あい半ばで、「アア冥土の供といふものはいかう痛いものじゃ、・・・とても往く供ならば追ひ付くやうに早よ往かう」と言って、刀をキリキリ一気に引き回す。
   「他人の子の利口なより阿呆のわが子の可愛いは親の習ひ、心は気違ひになってゐるわいの」と、母は「ワッ」と泣き口説き掻き口説くのだが、この阿呆の一言で、「立派な事を云ふたわいの、・・・その一言が釈迦如来の一代説法のお経より貴うて成仏するぞ」と泣き伏す。日ごろの阿呆を断ち切って最期に利根を現せし武士の胤こそ恥づかしき。

   簔助の阿呆助太郎と和生の母の愁嘆場がしみじみと胸にこたえるのだが、最初から最期までじっと簔助の至芸を注目しながら追っかけていたが、人間以上に人形が情感豊かに心の丈を表現し演じるのに感激した。
   本筋とは殆ど関係のない挿話なのだが、このあたりのサブ・ストーリーの扱い方などは、シェイクスピア劇にも相通じるものがあり面白かった。

   最期の「大安寺堤の段」だが、仇討ちに出立して2年経ち、乞食に身をやつし、痛風となって動けなくなった次郎右衛門が、刀の試し斬りに合い、同道して来た高市武右衛門(勘十郎)に一切を理解されて、救われると言う幕切れである。
   この段の前半を、住大夫が浄瑠璃を語り錦糸が三味線を奏する。
   次郎右衛門は、刀の試し斬りだと聞いて、本懐を持つ身だと必死に命乞いして、杖に仕込んだ名刀青江下坂を抜いてみせる。
   委細を知った武右衛門が、仇討ちの心意気を賞賛して、「・・・今日の襤褸は明日の錦、必ず必ず身を大事に追つ付け御本懐遂げ給へ」と励ますのだが、この言葉が浄瑠璃のタイトルとなっている。
   住大夫と錦糸の名調子に触発されて、玉女が、腐っても鯛は鯛、に落ちぶれて、痛風で苦しむ体を引きずりながらも毅然とした格調の高い侍を演じていて素晴らしい。
   
   
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低酸素社会の実現に向けて~サステイナビリティ学連研究機構

2009年02月11日 | 地球温暖化・環境問題
   東大の安田講堂で、恒例となっているサステイナビリティ学連研究機構(IR3S)主催の地球温暖化問題シンポジウムが開かれたので聴講した。
   世界中が温室効果ガス削減に向けて大きく動き出しており、最早、次世代のための問題として議論する段階ではなく、現実の最も重要な緊急問題として行動を起こすことが求められるとして、「議論から行動へ」とタイトルがうたれた。
   
   ビデオメッセージを送ってきたIPCCのラジェンドラ・パチャウリ会長も、今回は、日本の地球温暖化問題に対する対応の遅れを指摘するのではなく、自動車産業における日本の先進技術の活用は勿論のこと、省エネ等日本の進んだ科学や工学技術を糾合して世界の先頭に立ち、特に、巨大なアジア市場を巻き込んで率先して地球温暖化対策に当たるよう強く期待していた。

   松橋隆治東大教授は、セクター別アプローチについて、日本政府に近い立場から説明を行っていた。
   興味深かったのは、各セクター毎の排出量を積み上げて国家目標とする積み上げ型アプローチと、各セクター毎の排出量を国家を超えてセクター毎に積み上げる協力的アプローチについて説明し、先進国は国家目標を定める従来型の方式を取り、新興国などについては、協力的セクター・アプローチを取れば、非常に効果が上がるということである。
   協力的セクター別アプローチのキイ・サブセクターの内、石炭火力、鉄鋼、セメント等、自動車の4セクターで、ほぼ温室効果ガス排出量全体の60%近くを占めているので、特に効率の悪い新興国や途上国において、これらのキイ・サブセクターに対して集中的に対策を打てば非常に効果が上がると言うことである。

   一方井誠司京大教授は、セクター・アプローチについては懐疑的で、日本企業の地球温暖化対策について実際に調査を行って、その結果を報告していた。
   結論として、日本企業は必死になって省エネ等努力をしてきたので、地球温暖化については乾いた雑巾を絞るようなもので、これ以上効率化するのは非常に難しいと世界に公言しているが、これは必ずしも事実ではないと言う。

   日本は、欧州などとは違って、二酸化炭素の排出に明示的な価格付けがなされていないので、殆どの企業にとって、限界削減費用を把握する必要がなく、企業にとって引き合う省エネのみを行っている。このことは、費用回収が期待できる省エネの余地さえ残っていることを意味しており、日本企業の温室効果ガス削減余地はまだ相当程度残されている。
   企業の温室効果ガスの削減動機だが、企業は、コスト削減だとか社会的責任の履行だとか言っているが、実際には、業界の自主目標の達成、将来施行が予想される環境規制への事前対応、省エネ法等行政対応の方が強い動機となっている。
   欧州と違って、日本は、新たな政策導入の目途さえ持っていない現状では、日本国内でのこれ以上の温室効果ガス削減は多くを見込めない状態にあると言うのである。

   一方井教授は、イギリスのスターン報告から説明を始めたのだが、パチャウリ議長の話を聞いていても、今回、イギリスの地球温暖化対策について報告した駐日英国大使館大林ミカさんの説明を聞いていても、やはり、この考え方が有力な温暖化対策のバックグラウンド概念になっているようで、このあたりでも、日本の世界の舞台での孤児ぶりを濃厚に感じた。
   「温暖化地獄」の山本良一教授などは、日本の地球温暖化対策は欧州に大きく遅れをとっていると絶えず注意を喚起している。市場メカニズムをフルに活用して、温室効果ガスの削減とエコ・イノベーションとを同期させて経済成長をドライブするーーーこれこそが、最も大切な経済政策である筈なのだが、いくら世界一の省エネ技術を持っていても、政府の無策ゆえに、太陽電池を筆頭に、悉く、後発の欧州企業の後塵を拝することになる。
   政府の強力な締め付けや厳しい環境法制がなければ、前向きに行動できない日本の企業も企業だが、世界のGNP比率がかっては15%を占めていたのが、今や10%を切り8~9%に堕ちてしまえば、誰も気にしなくなり、ジャパン・パッシングも当然。

   三井化学の小林喜光社長が、世界的な大不況の結果赤字に転落だと言いながら、一挙に生産縮小で、温室効果ガスの排出が激減したと聴衆を笑わせていた。
   暖冬の年だけCO2の排出がダウンしたグラフを思い出しながら、結局は、大不況などが起こって、人間の生産活動や移動などの経済活動を止めるか、太古の時代に戻れば、地球温暖化問題が好転すると言う厳粛な事実に思い至って唖然とした。
   電信柱の長いのも、ポストの赤いのも、総て経済成長が悪いのです、悲しいかな、これが現実である。
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国立劇場庭園、そして、湯島の梅の花

2009年02月10日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   梅の花の季節である。
   甘酸っぱいほのかな香りに引かれて近づくと、可憐な花弁がそよ風に揺れている。
   私が子供の頃に見た梅の花は、白色5弁の一重のシンプルな花だったが、最近では、白から濃赤まで、そして一重から八重まで、たくさんの品種の梅の花をみかけ、そのバリエーションの豊かさにビックリするほどである。
   私の庭には、ピンクの八重咲きの枝垂れ梅が2本植わっているが、まだ、蕾が固く、小鳥たちの良い止まり木になっている。

   文楽鑑賞の合間に、三宅坂の国立劇場の庭に出ると、今、梅の花が満開である。
   何本かかなりの大きさに育った梅ノ木が数本あり、季節の庭に彩を添えているのだが、目立って華やかなのは、2本の紅白の小さな木の梅の花である。
   1996年9月に、国立劇場開場30周年記念の文楽「菅原伝授手習鑑」公演の時に、大宰府天満宮から贈られて植えた紅梅・小田紅と白梅・貴山白の2本で、人の背丈前後だが、今を盛りに咲いている。
   
   紅梅は、非常に濃い紅色の八重咲きだが、それほど花弁が重なっておらず、長くて勢いの良い蘂が四方に伸びて華やかなので、正面から見ても横から見ても、中々風格があって素晴らしい。
   白梅は、5弁の一重咲きで、ガクが赤みがかった褐色の典型的な梅の花だが、たくさんびっしりと花弁をつけているので八重咲きのように華やかである。

   大宰府の天満宮は、一度だけしか行っていないし、梅の季節でもなかったので、豊かな枝ぶりだけしか知らないが、東京より少し暖かい筈なので、今を盛りに咲いているのであろう。
   京都の北野天満宮は、飛び梅の本家とも言うべき場所なので、中々梅の季節には見ごたえのある風情を醸しだす。
   最近では、永らく行っていないが、奈良の月ヶ瀬の梅林の素晴らしい梅の花とともに、懐かしく思い出すことがある。
   奈良も京都もそうだが、梅が咲き終わると桃の花が咲き、桜の季節になって、一挙に春めくのだが、ソメイヨシノ一辺倒の関東とは違って、関西の桜は種類が多くてバリエーションに富んでいるので、入れ替わり立ち代り、かなり、長い間桜が咲き続けて楽しませてくれる。

   この日は、朝の文楽公演だけで、夜の歌舞伎まで時間があったし、気持ちの良い晴天だったので、湯島天神に向かった。
   あのお蔦主税の湯島の白梅の歌謡曲で有名になってしまっているが、確かに、境内の梅の木の大半は白梅だが、しかし、寒紅梅など何種類かの紅梅も咲いている。
   白梅は、白加賀などシンプルな一重咲きだが、古木が多いので、短く丁寧に刈り込まれて精巧な透かし彫りのように整えられた樹形が実に美しく、ちらほら、咲き始めて白い模様を散りばめ始めた姿が、中々素晴らしい。

   ところで、この境内にも、泉鏡花の婦系図の公演を記念して、團十郎と波野九里子が植えたと言う白梅があり、白い花をつけ始めている。
   この神社だが、都心にありメトロ湯島駅からほんの数分の距離なので参詣者が多いのだが、流石に天神さんなので、絵馬がびっしりで入試合格祈念が大半である。
   東大入学などと言ったものはなく、殆ど知らない学校や施設の名前が書かれた絵馬で、京都のとある神社で見かけた「男はんを忘れられしません。どないしたらよろしおす。」と言った絵馬もない。庶民の願いはささやかなのに、力を握った人間は悪いことばかりしていて、為政者は無能の限りのこの日本。
   春が近づけば忘れずに花を開く白梅の美しさに見とれながら、湯島天神の雑踏をあとにした。
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伊藤洋一著「ITとカースト インド・成長の秘密と苦悩」

2009年02月08日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   中国経済の快進撃に触発されて、BRIC’sと言う言葉がコインされてから、インド経済が脚光を浴びているが、日本で出版されている経済書や投資ガイドブックの大半は、成長とその将来性の素晴らしさばかりを強調する本が主体であった。
   それらはそれなりに役に立つのであろうが、しかし、一面的な真実の説明で、停滞していた経済社会がテイクオフする時には、経済成長率が二桁になるのは珍しいことではなく、むしろ、注目すべきは、巨像インドが動き始めたと言う事実である。

   「ITという技術、産業がカーストを超えたところで新しいモティベーション(変化への誘因)をヒンズー教徒中心のインド社会に与えたのではないか」と言う問題意識から、インドの経済社会の変化発展を捉えて、背後に蠢く文明以前の農村の惨状や救い難いような政治や教育の貧困を活写しながら、真のインドの「奇跡の発展」の姿を描いたのが、この伊藤洋一氏の「ITとカースト」と言う本である。
   2年前の出版なので、多少古いが、陳腐化し続けている類書と違って、これほど、インドの真実を伝えている本は珍しいと言っても良いほど示唆に富んだインド入門書である。

   インドには、シーク教徒やイスラム教徒など異民族が混在しているが、圧倒的な優位を占めるヒンズー教徒の社会は、カースト制度に裏打ちされて、極めて牢固で、安定志向の強い、変化を嫌う傾向を持っており、長い間停滞を託っていた。
   しかし、90年代に入って、インド政府の対外開放への経済政策の舵取り変更や経済社会のグローバリゼーションによって、カーストの職分類からはみ出た技術・産業としてのITが、一挙に、経済の発展を促し、階級社会の一角を変えてしまった。
   IT革命のインド経済へのインパクトは急を要し、階級だとか身分だとかを問い直している余裕はなく、求めるのは効率と結果だけで、既分類のない職業ゆえ、最下層の人間でも能力があれば誰がやっても良い。これが、インド社会にITが持ち込んだ衝撃だった。
   世界でも超難関だと言われるIIT(インド工科大学)さえ出れば、IT産業に身を投じて富を極めることが夢ではなくなったと、最下層の若者たちを突き動かしたと言うのである。

   いつも語られるのはインドの教育水準の高さだが、確かに、IITやIIM(経営大学)などの水準は世界的にも群を抜いており、米国のトップ企業で活躍するインド人経営者も多く、在米のIIT出身者が、母国にアウトソーシングしたことによってインドのIT産業が隆盛を極めてインド経済の急成長を齎したと言われており、現在、インドで毎年輩出されているエンジニア総数は米国をはるかに凌駕している。
   しかし、伊藤氏は、文字を読める人が人口の60%強しかいないと言う極めて深刻な教育の貧困が、インド社会、特に、農村を筆舌に尽くし難いほど悲惨な状態に追い込んでいると言う現実を執拗にレポートし、暗部を浮き彫りにしている。

   インドでは、義務教育制度を整えることが政治的に不利に働くと考える既に社会的に地位の高い人が存在して強力に反対し、民衆が賢くなるのを嫌って愚民政策を続ける傾向もあるのだと言う。
   政治家の中には、民衆が豊かになり賢くなるのは自分の地位に対する挑戦者が多くなるので、この10年のインドの成長を快く思わない人がいるのだと言うのには驚く。
   ネール以降インド政権が犯した最大の罪は、義務教育を実施しなかったことで、国民に読み書きが出来る状態に引き上げなかったことだと伊藤氏は糾弾している。

   それに、「善因善果・悪因悪果」の法で、下位のカーストの人間が、悲惨な境遇にあり、身分差別に苦しみ、虐待や搾取を受けるのは前世の悪しき行為の結果であり、上位のカーストの人間に奉仕すれば善根を積み来世は幸せになるとするヒンズー教の「輪廻転生」観が、無知蒙昧の庶民を追い詰めていると言うのである。
   
   昔、ガルブレイスが、ケネディに指名されてインド大使として赴任した時に、インドの近代化には教育制度の改革が一番大切で、知識を得た人間は鋤鍬を持つ筈だと言ったことがある。
   インドは、世界最大の民主主義の国だと言うのだが、制度だけで、民主化からは程遠いと言うことであろうか。

   インドに急成長を齎し快進撃の原動力となったバジパイ政権が、負ける筈のなかった総選挙で敗北したバジパイ・ショックについて、インドの農村など田舎に住む住民たちの、バジパイ政権の主導する経済ブームに置いて行かれたと言う怒りの表面化・爆発だったと言う。
   それに、電子投票だったためもあり下層階級の投票者が増加し、人口の80%を占める識字率の低い貧困に喘ぐ農村有権者を地方政治家たちが誘導した結果だとも言われているが、
   インド経済を総体としては発展させたITやソフトウエア産業発展の原動力であるグローバライゼーションが、実際には農村共同体を破壊しているのはまぎれもない現実だと伊藤氏は言っている。

   インドの最大の問題は、政治であるとして、インドの政治が如何に政治家の恣意的な思想や行動で行われているかを、インド経済社会の発展政策を絡ませながら、成長撹乱要因としての政治を掘り下げて論じていて非常に面白い。
   共産党一党独裁の中国と比較して、インドの民主主義が論じられることが多いのだが、私は、富の国と貧の国を同時に内包している二重国家であるインドの、民主的爆発が一番不確定要因だと思っている。
   
   下層階級に教育や就職の機会を割り当てようとする「優遇枠制度」やインド経済界の実情など興味深いトピックスが満載された本ではあり、特に、インド人の外交力の抜群さについては実感しており興味のあるトピックスである。
   いずれにしろ、今回は、インド経済の成長側面ばかり強調する一般的なインド本やインド・セミナーとは違った真実に近いインド像を得るためには役に立つ本だと言うことを追記して筆を置きたい。

   
   
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