熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

コンピューターは民主主義を破壊するのか・・・IT革命の経済社会へのインパクト

2005年06月30日 | 政治・経済・社会
   シュレジンガーが、政治学者として、コンピューター等のIT革命が現代社会に与える影響について面白い論点を指摘しているので考えてみたい。

   まず、現在のアメリカの政治で問題なのは、政党の力の衰退である。
   政党の機能は、政治家と有権者の中間にある仲介者で、相互の違いを通訳し、政治過程を統合する絆の役割を果たしていた。
   TVは、政治家を有権者の前に直接引き出し、コンピューター化された世論調査は、党組織の伝える情報よりも政治家に影響を与え、IT革命が、政党の仲介者の役割を実質的に消滅させてしまい、益々政党の衰退を加速していると言う。

   建国当時は、市民が集まり小さな村でのタウンミーティングが、「純粋民主主義」を形成していたが、今日では、コンピューターの双方向性のよって、全国規模の「純粋民主主義」が可能になった。
   世論調査、フォーカス・グループ(少数の市民による集団討議)、住民投票等も活発になり、国民民主主義、直接民主主義、サイバー民主主義、電子タウンミーティング、等々、代表制民主主義に変わる民主主義の動きが顕著になって来た。

   シュレジンガーは、この直接民主主義への動きが、好ましい将来を約束するものであるのかと問うている。
   双方向性は即席の反応を助長して、慎重な対応を妨げる。そして、大衆扇動や自己中心主義、侮辱や憎悪にはけ口を提供する。
   代議制のもとでは慎重な対応が求められるが、インターネットでは、「世論の見方を洗練し、広げる」理性的な議論を促す事には貢献していない。
   今回の中国での反日暴動等を考えれば、その危険性が良く分かる。
   同じ様な心配を、「テレコム・メルトダウン」で、エリ・ノーム教授が、インターネットで本当に民主主義が実現するのか、と問題提起している。

   技術革新の本流は、新しい現実問題を生み出し政治の仕組みも変える。
   疾走する資本主義の流儀は、「創造的破壊」、益々、民主主義を不安定にする。民主主義には資本主義が必要だが、資本主義は民主主義を保障するものではないので、危険である。

   コンピューター革命の恐ろしい創造的破壊は、経済のグローバル化の推進で、伝統的な民主主義の場である国民国家の破壊を引き起こす。
   コンピューターは、抑制の効かない市場を地球規模の怪物に仕立て上げ、国境を破壊して国家機能を麻痺させ、誰に責任を取ることもなく、世界の政治を抜きにして世界経済を動かそうとする。

   容赦のないグローバル化が進み、世界の統合が進めば進むほど、人々は理解可能な、安心な小さな世界、アイデンティティの世界を求めて、宗教原理主義や民族あるいは部族を共有する集団の中に身を寄せようとする。
   20世紀は、世俗的狂信主義の時代であったが、21世紀は、宗教的狂信主義の時代となる。
   宗教的狂信者は、超自然なものを崇拝する。これが、テロリズムの温床となる。
   神の意志を実践していると信じるものほど恐ろしいものはない。

   民主主義は、生き残るのであろうか、シュレジンガーの問いである。

   ユビキタス社会の到来で、あたかもばら色の世界が展開するようなはしゃぎようで、政府も業界も浮かれているが、IT革命そのものが、本当に人類にとって幸せなことなのか、もう少し深い次元で考えてみる必要があるかも知れない。
   過去の第2次までの創造的破壊・産業革命は人類の幸せと成長に貢献したが、この第3次のIT革命はどうなのか、文明の分かれ道、熟考する価値は十分にある。
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シュレジンガーの大統領選挙案・・・二度とWAR PRESIDENTを出さぬ為に

2005年06月29日 | 政治・経済・社会
   2000年のアメリカ大統領選挙で、一般投票で敗れたブッシュが大統領になった。
   たった一票の差5対4で最高裁によって任命された大統領には、あたかも選挙に圧勝して大統領になったかのように振舞う政治的抜け目なさがあった、と皮肉交じりに、シュレジンガーは語っている。
   ゴアに50万票の差をつけられ、ラルフ・ネーダーに280万票も取られ、これまでにない少数派に拠って選ばれた大統領だと言うのである。

   ハミルトンが、「フェデラリスト」で、共和政治の基本原則では、多数派の感覚が勝ることを求めている、と言っていて、最高の得票者が選挙の勝者になるべきであり、国民によって選ばれた人物が大統領職に就くのを拒否されることを許す憲法上の規則は無いと言う。
   国民に拠って選ばれた者が大統領になれなかったのは、歴史上4回あった。
   他の3回は、最初は1824年のアダムス、次は1877年のヘイズ、そして1877年のハリソンで、3人とも無力で、何れも中間選挙で敗北を喫し2期目の当選は果たさなかったと言う。

   すべからく問題は、アメリカの大統領選挙の選挙人制度にあるのであるが、これまでも何度もその修正に付き議論され修正案が議会に提出されたが拒否されてきた。
   シュレジンガーは、政党を変えるのは宗教を変えるのと同じくらい政党への忠誠心が強烈だった過去の2大政党制を回顧しながら、今日のテレビやコンピューターの発展が、アメリカ政治を組織する機関である政党衰微を加速していると指摘している。

   何故、シュレジンガーは、これほどまでに2000年選挙でのブッシュの勝利に拘り論難するのであろうか。
   教え子である翻訳者藤田文子氏は、「国民の多数によって選ばれたのではないブッシュ大統領によってイラク戦争が始められ、イラクの民主化がうたわれながら、実際にはイラク人やアメリカ人の人権が無視されていることに民主主義の危機を感じたからである」と言っている。

   シュレジンガーは、大統領選挙を改正する為に「全国ボーナス案」を提案している。
   一般投票での敗者が選挙人票で勝者にならないために、一般投票の勝者に、各州およびコロンビア特別区に夫々2人の選挙人のボーナスを与えるのである。即ち、102票が勝者に与えられる事になり逆転は有り得なくなる。
   これは「大統領選挙過程改革のための20世紀基金作業班」の案だと言う。

   民主主義政治を守るために紆余曲折を繰り返して成立した制度でありながら、民主主義の根本を揺るがせているアメリカの大統領選挙。傍目八目、何アホなことしているのかと思うのだが、これが政治の世界、皮肉と言えば皮肉である。
   
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アラブ世界に代表制民主主義を・・・ブッシュ大統領の野望

2005年06月28日 | 政治・経済・社会
   シュレジンガーは、説く。

   アメリカは、地球上で最強の軍事力、経済力、文化的大国、価値観を押し付けて立ち直らせる、恒久的に覇権を持つに到ったので、民主主義や自由市場、私企業や宗教心までも押し広げることが許される、未来を支配できる、またとない機会が訪れたとブッシュは考えている。

   ブッシュは、大きなアイディアに有頂天になる大統領で、アラブ世界を代表制民主主義に転換させることで歴史に名を残すことを夢見ている。

   戦闘的な単独行動主義、軍事的優越を求める熱意、国際法や国際機構に対する侮蔑的な姿勢、正当な法的手続きの軽視、他の人種よりアメリカが優位にあると言う確信。
   世界で唯一の覇権大国になったアメリカは、世界の裁判官と陪審員と刑執行人の3つの役割を担う国に成ってしまった。
   
   コーラン軽視で大問題になっているキューバの米軍基地グアンタナモ・ベイについて、受刑者に対して、弁護士との接触、法廷での発言の機会、家族との面会等を拒否されている非人間的な扱いに触れており、また、「アメリカ愛国者法」を制定して連邦捜査官の裁量を拡大し盗聴や監視作戦を強化する一方、大統領批判を国賊呼ばわりして封殺しようとしているアッシュクロフト法制に対して危機感を喚起している。

   シュレジンガーは、戦時において大統領に批判的な言動や行動を取ることが愛国心に反することなのか、問いかけている。
   1.自由な国民が戦時には沈黙し大統領に従う義務があるのか。
   2.アメリカは、歴史上実際にそうしてきたのか。
   3.愛国心の本質とは何か。
   
   タフト大統領の言を引用して、「大統領は無謬ではない。反対意見を封じ込めることで大統領に得られるものは何もない。」と言い、歴史上の事実は、戦時の大統領が不可侵でないことを示している、と言う。
   本当の愛国主義とは、国の最高の理念に恥じない行動をすることである。
   「正しいことにせよ誤りを犯すにせよ、アメリカこそわが国。正しければその正しさを貫き、誤れるときは、その誤りを正すのだ。」

   シュレジンガーは、じれったいほどアメリカの歴史上の事実に照らしながら理論を構築し、ブッシュ政権の危険を論じている。
   歴史の知識がかなり役立つ事が一つある、視野を広げることである、との米国歴史の第一人者の控えめな発言だが、歴史音痴のブッシュには全く聞こえない戯言かもしれない。

   ネオコンの話、国民投票に負けながら大統領になったアメリカの選挙制度、民主主義に未来があるのか、まだまだ、シュレジンガーの健筆は続く。
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予防戦争を外交に組み込んだ帝王的大統領・・・歴史を変えるWAR PRESIDENT

2005年06月27日 | 政治・経済・社会
   父親ブッシュは、「変貌する世界」で、湾岸戦争を振り返って、「サダムを除去しようとすれば、計り知れない人的犠牲と政治的損失を招く…侵攻路線を取っておれば、アメリカは敵対感情の激しい国にいまだに占領国として留まっているであろう…」と言っているが、それを無視してサダム追い出し戦争を仕掛けた子供ブッシュは、イラクで益々苦境に立っている。

   ブッシュ大統領のイラク戦争については、世界中で激しい非難が巻き起こっており、特に、アメリカでは、教養豊かなリベラル派の呻きに似たような叫びが激しさを加えているが、メディアの関心が弱い為に、殆ど無視されて消えている。
   クルーグマンが、The Times が報道したDowning Street Memoに触れて、最近のThe New York Timesのコラムで、何時ものようにWar Presidentを論難している。

   アメリカの良心とも言うべき歴史学者アーサー・シュレジンガー・Jrが、ブッシュの戦争に居たたまれなくなって、「アメリカ大統領と戦争 WAR AND AMERICAN PRESIDENNCY」を書いた。
   アメリカの建国からの歴史を踏まえ、如何にアメリカが世界の平和と人類の幸福の為に幾多の困難に遭遇しながら戦ってきたかを克明に語りながら、ブッシュ政権が、この営々と築いてきた民主主義の路線から離れて、将来の夢も希望も吹っ飛んでしまうような危ない賭けに挑もうとしている現状を、激しい情熱を滾らせて訴えている。

   ブッシュは、戦後歴代大統領によって継承されてきた冷戦で勝利を収めた戦略…国連やNATO等の多国籍機構を通して遂行される封じ込め政策と抑止政策の組み合わせ…多国間協調主義を、ブッシュドクトリンによってことごとく放棄した。
   戦争は最後の手段ではなく、大統領の選択によって、潜在的な敵が攻撃する前に、必要とあれば一方的に攻撃する、すなわち、予防戦争によって平和を目指すと言うアメリカ外交の決定的な政策転換を、国民的な論争をするでもなく注意を喚起するでもなくやってのけた。
   帝王的な大統領の登場である。

   イラク戦争は、先制攻撃だと言うが、紛れもない予防戦争。唯一の予防戦争の例は、真珠湾攻撃(?)であるが、アメリカは、最早破廉恥な行為だと非難できなくなった、等と述べている。

   極めて示唆に富んだシュレジンガーの知恵と勇気が充満したこの本をテーマに、今週は、少し、アメリカの政治の方向について掘り下げて見たいと思う。
   米英についていけば間違いないとノタマウ外交評論家も居られるし、ブッシュ一辺倒の偉い政治家も居られる。
   能天気で良いのか心配であるので。

   
   
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優雅な香りのクチナシ

2005年06月26日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   庭一面に甘い香りが漂っている。
   梅雨の中休みに晴れた日に、一気に沢山のクチナシの花が開き、真っ白になった。
   先に咲いたのが、このヒトエコクチナシ。
   秋には、卵形でハネの付いた実を付ける、つぶすと黄色い液を出すが染料になるらしい。
   甘い香りに誘われてか、芥子粒よりも小さな虫が花に群れている。
   春を告げる沈丁花と一寸違った初夏の香りクチナシの芳香が爽やかである。
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ムラサキシキブの花

2005年06月26日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   3ミリ位の艶のある紫色の実を、さおの様にすっきり伸びた枝にビッシリつけるムラサキシキブ。
   今、小さな花が咲いていて、咲き終わった花から、緑色の葡萄の様な小さな実に変わってゆく。
   
   京都の古寺の苔むした池畔に、ひっそりと紫の実を輝かせているムラサキシキブは、実に優雅で美しい。
   紫と言えば紫式部、雰囲気は違うが京都をイメージするムラサキシキブと言う名前が詩情をそそる。

   我が家の庭のムラサキシキブは、1メートル少しのところで枝を切り詰めて、そこから枝を伸ばして実を付けさせている。
   門扉の上からすっくと顔を出して、萩の様にしなやかな枝に実を輝かせる。
   晩秋に、メジロが何匹か庭を訪れたかと思うと実がなくなっている。
   
   小さくて目立たないが、やはり、淡い紫色の筒型で先が4列した複雑な花を咲かせている。
   先の黄色い蘂がアクセントとなって面白い。
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戦略とは「戦いを略す」ことなり・・・コア事業からの撤退の歴史

2005年06月25日 | 経営・ビジネス
   ソニーは、コンシューマーエレクトロニクスに活力を集中して再生を期すと言う。
   果たしてこれが最善の戦略であろうか、と考えていた時に、米倉誠一郎教授の講演を聞き、新著「脱カリスマ時代のリーダー論」を読んで、戦略とは、戦いを略すことである、と言う言葉に出くわした。
   この本は、カリスマリーダーだけでは動かなくなった現在においては、総ての人がリーダーとして活躍しなければならない、と言う発想に立った生きるための処世術を取り纏めたモノで、普通のリーダー論と全く違う。
   イノヴェーションに学殖豊かな学者であるから、革新的な発想や経営術など生きるための知恵が満載の面白い、そして何かのヒントになる実にユニークな役に立つ本である。

   撤退学のすすめの項で、キヤノンのパソコン撤退、ニッサンの村山工場閉鎖の例をあげて、シンボリックな改革を語っている。
   御手洗社長は、東芝のパソコン事業が300万台でペイしているのを聞いて60万では採算に乗る訳がないとして撤退を決めた。
   しかし、日本の電機メーカーは、経済不況の真っ只中にも拘らず、総合と称する電機関連のコアビジネス総てに戦線を広げて事業を展開し、惨憺たる結果を招いてしまった。
   選択と集中、撤退の経営哲学が希薄な日本経営の特質であろうか。

   GEは、世界最たる電機メーカーであったが、電機関連のコアビジネスを売り払い、金融会社になってしまったし、コンピューターの代名詞であったIBMがPC事業を中国企業にブランド付きで売ってしまった。
   ニコラス・G・カーがいみじくも言った「ITは、コモディティに過ぎない」と言った意味を一番骨身に沁みて分かっていたのはIBMであろう。インテルとマイクロソフトに殆ど利を持って行かれ、アジアの競争相手に追い討ちをかけれられて、全く勝ち目のない箱造りから撤退して、経営資源をソフト開発事業にシフトするのは極めて合理的な経営の決断であった。
   もう10何年にもなるが、フィンランドを訪れた時には、ノキアは、タイヤか化粧品かを作っていた。しかし、電話が無線になると普及するのは、森と湖と雪に分断されて電線が引けないフィンランドのような国、瞬く間に携帯電話世界一になったしまったし、インターネットの普及で、隣の村にも一日がかりの国アイスランドが、素晴らしいIT王国になってしまった。

   アメリカは、繊維からも、TVからも、鉄鋼や造船からも、コンピューターからも、ドンドン撤退して行き、日本が後をテイクオーバーした。しかし、よく考えてみれば、アメリカが負けて日本が勝ったのであろうか。
   同じ様に、付加価値の低い製造業を中国に持っていかれた日本は負けたのであろうか。
   歴史は巡る、苦しいけれど、ファーストランナーであり続けない限り、勝者にはなれない。

   結局、商品は、普及してしまえばコモディティになってしまって付加価値が限りなく低下してしまい、人件費の安い人海戦術で勝負する国に持って行かれる。
   あの水車の中のハツカネズミのように、同じ速さかそれ以上の速さで走り続けない限り振り落とされてしまう。
   確乎たるブランドを構築しない限り、商品を差別化して独自性を維持するためには、たゆまぬ創造的イノヴェーションが必要なのである。
   
   果たして、このような変革が急でコモディティ化の激しいコンシューマーエレクトロニクス事業に経営リソースを注入してハツカネズミのように全力疾走することが、ソニーにとって良いことなのか、と考えてしまったのである。
   製造業に軸足を置いたコンシューマーエレクトロニクス&エンターテインメント事業に専心するのか、あるいは、新しいビジネスモデルに挑戦するのか、ソニーにとって、コアビジネスとは一体何なのか、もう一度考えてみても良いような気がした。
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新生ソニーへの戦略・・・ストリンガー体制への模索

2005年06月24日 | 経営・ビジネス
   ソニーの株主総会を通じて、ストリンガーCEOは、ソニーの新経営陣の最大の使命は、「利益と株主価値の向上である。その為に、現在検討中だが、9月に、新しい戦略を打ち出して発表する。」と言い切った。
   世界に冠たるソニーブランドとレピュテーションを持ち、世界屈指の技術集団を誇っているソニーの苦境を救う為には、利益率をアップして株主の信任を得られるような株主価値を生み出す以外に道がない、と言うストリンガー氏の決意は、当然過ぎるほど当然。
   しかし、巨艦ソニーの舵取りは極めて難しく、グローバル企業と言いながら、日本のDNAが充満したまだ元気なソニーの方向転換は至難の業、倒産の危機に瀕していたニッサンのカルロス・ゴーン氏の場合の様にフリーハンドを与えられていた経営改革とは全く違う。
   
   もう一つの不安は、ストリンガー氏のキャリア。放送通信、メディア、エンターテインメント等の世界では実績豊かだが、異文化の製造業には経験が浅く、ブラジル、アメリカ、フランス、ベルギー等で苦境のグローバル企業の再建建て直しに経営者として百戦練磨の経験を積み重ね自動車業界を知り尽くしていたゴーン氏とは、経営者としてのバックグラウンドが違いすぎる。
   井深、森田、大賀、出井と続いたカリスマ級の経営者に牽引されてきた余りにも日本的なグローバル企業ソニーが、ストリンガー氏のバックにある英米的な思想や経営哲学を吸収して、抵抗なくスンナリと価値ある新しいコーポレート・カルチュアを作り出せるのか、大きな課題である。

   中鉢COOは、
   卓越したソニーの技術が、カスタマーの目線に合わずそのニーズを満足させ得なかった。カスタマービューポイントに立って消費者との十分なコミュニケーションを確立して、ワクワクするような感動を与えるような商品を開発して、商品で応えて消費者の信頼を回復したい。
   成長領域にリソースを集中して経営を革新し、ニュービジネスを開拓したい。と言う。
   しかし、消費者がソニーに期待しているのは、予想だにしなかったサプライズ商品、これを忘れてはならない。コモディティとしてのTVやDVDレコーダーなら、ソニーがウツツを抜かしているエレクトロニクスではないと言うことを。

   昨日のブログで、出井氏の隕石と恐竜滅亡の話に触れたが、ソニーの病根は、恐竜のように余りにも経済社会環境に順応しすぎて、トップ企業の座に安住し埋没してしまった経営の過剰適応にあったこと。
   アバナシーやクリステンセン流に言うなら、プロセス・イノヴェーションに注力しすぎて余りにも確立しすぎたバリューチェーンに酔いしれて、プロダクト・イノヴェーションを怠ったジレンマにあることを忘れてはならない。(出井氏の言うそんな高邁な話ではない、だから足をすくわれたのである。)
   ソニーにとって大切なのは、創造的イノヴェーションによる創造的破壊。生産ラインの2つや3つスクラップにしてでも、革新的な技術と商品を開発して、原点に戻って、ソニー本来のイノヴェイティブなDNAを呼び覚まさない限り復活は有り得ない。

   AP電により、The New York TimesもWashington Postも、
   ストリンガー氏は、コンシューマーエレクトロニクス商品の下落する最悪の時期に、技術優位を確立する為に膨大な追加投資をし、コストカットなしに成長戦略を打たなければならない。
   キイロールは、エンターテインメントとエレクトロニクスビジネスとの戦略的リンクの確立である。と報じている。
   しかし、その程度のことなら、ソニーは十分にやってきたし対応できる。
   問題は、余りにも恐竜の様に大きくなり過剰適応しすぎて、その呪縛から抜け出せなくなって業績が悪化したソニーが、いかに創造的破壊を起こして、イノヴェイティブな経営革新を導入することによって蘇ることが出来るのかなのである。
   9月発表の新経営戦略構想が、アッと驚くような革新的新鮮なものであることを祈りたい。

   新鮮な期待は、日本最高のグローバル企業経営と欧米文化の架け橋を構築できる経営者小林陽太郎氏の取締役会会長就任。
   素晴らしいコーポレートガバナンスを期待したい。
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革新のソニー目指して・・・ソニー株主総会

2005年06月23日 | 経営・ビジネス
   昨日、新高輪プリンスホテルで、ソニーの定時株主総会が開かれた。6000人以上の株主が、3会場に分かれて参加する盛会であったが、何の波乱もなく、淡々とした質疑応答で2時間少しで終わった。
   出井体制から、ストリンガー体制への移行であるが、何か、呆気ない、出井会長の退場であった。

   私にとっての関心事は、ソニーの業績悪化についてどのような経営陣の回答が出てくるのか、と言うことと、新しいストリンガー体制の戦略と将来の方向付けであった。

   まず、ソニーの中期計画10%の利益目標であるが、クリアどころか、ソニーショックを引き起こして、危機に瀕していた松下の後塵を拝する状態に落ち込んでしまった。
   株主に、質問されて、出井会長は、
   「世界的なグローバル企業として、競争に勝つ為には、利益率10%を上げる必要があると考えて、中期目標とした。
   しかし、予想に反して、余りにも激しい経済社会の大変換期に遭遇し、コンシューマーエレクトロニクスのグローバル変化が激しくてその動向を読み誤った。責任は重大であると思っている。」といった趣旨の回答をし、予測判断の甘さを認めた。
   
   去るに当たって、「競争激化のオーバーエレクトロニクスの時代にあって、これ単独の存在では生きてゆくことが困難なので、エンターテインメント部門をコアに組み入れようとした。
   今日では認知されているが、当時は、極めて厳しい反対と糾弾を受けた。
   活路を開く為に、新ビジネスにチャレンジもしてきた。」と言う。

   アベグレンが、近著「新日本の経営」で、日本の総合電機メーカーが、見境もなく総花的に総ての電気関連事業に手を出して業績が悪化したが、専業電機メーカーが、極めて好調なのと対比させて、選択と集中を貫けなかった総合大手電機企業の戦略の失敗だと指摘している。
   ソニーは、他の総合メーカーと違って、もっと、コンシューマーエレクトロニクスに特化した総合電機企業でありながら、お家芸の革新的な消費者をワクワクさせるような商品をヒットさせられなくて、コアのエレクトロニクスで負けてしまったのである。あのiPodにさえ、先を越されてしまった。
   
   出井会長は、メキシコに落ちた「巨大隕石と恐竜絶滅」の話を引用しながら、如何に、巨大隕石の落下の様な大変革に対処して革新的な経営に心掛ける事が大切かを説いていた。
   ソニーそのものが、トランジスター時代への変換期に、膨大な真空管工場を廃棄出来ずにトランジスターに乗り遅れた電機メーカーを尻目にして、革新を追及しながら伸びてきた会社である。
   革新的な技術と製品の開発、革新的な経営を追求できなくなれば、もう、ソニーはソニーではなくなる。

   もう一つ気になったのは、ソニーの中期目標、利益率10%は、十分に検討されて、かつ、十分な戦略的な根拠があって設定されたものではなくて、単なる目標に過ぎなかったのかと言う疑問である。
   そうでなければ、あんなに簡単に業績が悪化してソニーショックを引き起こす等考えられないし、現在の経営状態の苦境を理解できない。
  
   組織疲労が生じているのか、経営が経営管理、経理財務部門を十分管理できているのか、そんな詰まらない疑問まで感じてしまう。

   一昨日、経営数字にはメモを見ないで立て板に水、十分な根拠と確信を持って計画をぶち上げるカルロス・ゴーンCEOの姿を見ているので、その落差が余りにも大きいのが気になる。

   (追記) 新体制の経営については、稿をあらためたい。
   
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「日産Value-Up」ゴーン革命第3弾・・・日産自動車株主総会

2005年06月22日 | 経営・ビジネス
   昨日、パシフィコ横浜で、ニッサンの株主総会が開催されて出かけた。
   横浜は、ニッサンの発祥の地であり、本社の移転先であるので、新しい門出の総会でもあったであろうか。

   ゴーンCEOが、日本に乗り込み、ニッサン改革に乗り出してから、「日産リバイバルプラン」を打ち出し、矢継ぎ早に「日産180」プランを導入して、その道半ばで180をクリアして、今回第3弾の改革「日産バリューアップ」戦略を歌い上げた。

要旨は、
   ○同計画の期間中3ヵ年の各年度においてグローバルな自動車業界の中でトップレベルの営業利益率の維持。
   ○2008年度においてグローバル販売台数240万台の実現
   ○同計画期間中平均で投下資本利益率(ROIC)20%(手元資金を除く)

   トヨタのレクサスを意識してか、或いは、超高級自動車で競争力を確保しないとトップ企業の威信に関わるのか、インフィニティを世界一流のラグジュアリー・ブランドとして投入、新型車を開発すると同時に、2007年度末までに28の新車を投入すると言う。 

   ゴーンCEOは、何時もの通り一味違った世界戦略を打ち上げるが、その中でも、株式配当を3年後に一株40円にすると言うコミットメント、他社は、企業の業績の予測は発表するが、日産は予測ではなくて約束する唯一の会社だと協調する。(株主は、トヨタやホンダと比べて低すぎる、前倒ししろと言う。)
   
   日本企業の常識を逸脱する高い役員報酬については、「日本基準から行くと高いのは分かるが、同程度の規模のグローバル企業の水準から言えば普通である。報酬の50%は業績次第のインセンティブで保障はされていない。」と言う。
   役員だけ高くするのは可笑しい。従業員の給与も一緒に上げろと2度株主に言われたが、意識してか、質問を無視して回答しなかった。
   
   株価が低すぎると言われて、マーケットはマーケット、業績は抜群なのだから何時かは上がるので待ってくれ、との何時もの返事に終始。

   役員の報酬を上げたうえに、ストックオプション制度を定款変更して設定したのに、過去の残滓である退職慰労金を払うのはゴーン思想に反して可笑しい、やめろと言われたのに対して、賛成だが徐々に、と回答したのが如何にも日本的で中途半端。
   株主の中には、日産の再生は、ゴーン氏の尽力であって、ルノー掛け持ちでは、今後が心配であり、日本人経営者では不安だ、日本人経営者の報酬など上げる必要がない、と露骨な発言があったが、案外、頷く株主が多くいる雰囲気であった。

   3時間弱で総会が終了、場所を移して軽食を取りながらの株主と役員との懇親会が催された。
   ゴーンCEOの周りは大変な人盛りだったが、志賀COOの周りには取り巻きがちらほら、他の役員には殆ど株主は寄り付かず、食べるのに一生懸命だったのは、何か、アフター・ゴーンの将来を象徴しているようであったが、気のせいであろうか。

   コストカッターとしてのゴーン革命は、これまでの謂わばMBAの教科書に載っていた古い経営手法。元々優秀な日産社員はここまではついて来た。
   営業戦略には株主から批判続出の日産だが、本当の経営では、トヨタやホンダから、遥かにビハインド。
   新しい経営手法と戦略・戦術を編み出して、ゴーン革命を継続して経営革新を続けて行けるのか、これからの日産の経営は全く未知数の世界に入ってゆく。
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アマリリスが咲くとキューケンホフを思う・・・花大国オランダ

2005年06月21日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   今、植木鉢に植えたアマリリスの球根が綺麗な花を咲かせている。
   普通に地植えすると春から夏にかけて咲くようであるが、私には、3月の末に見たオランダのキュウケンホフ公園のアマリリスが強烈に印象に残っている。

   キュウケンホフは、花大国オランダで最も有名な花公園、別名チューリップ公園であるが、開館時期は、3月22~3日頃から、2ヶ月間ほどで、極めて短いが、この期間に春の花々が、入れ替わり立ち代り咲き乱れる。
   この公園は、Keukenhof(台所の庭)の名前どおり、伯爵の領地のハーブの庭で、1830年にランドスケープ・デザイナーであるゾッハーによってイギリス風の庭園の原型が出来上がった。
   1949年になって、球根花の生産業者と輸出業者が、球根産業のショーケースとして展示会を始めのが最初で、その後、王室公認の業者が毎年世界最大規模の展示会を開いており、一般には、観光花公園として公開されているが、オランダ花産業にとっても重要な所なのである。

   3月に開館しても、まだ花は少ないが、その時、屋内パビリオンで開かれるフラワーショーの主役が、このアマリリスなのである。
   ガラス張りの開放的な建物の中に、所狭しと、色取り取りのアマリリスの花々が、飾り立てられるのである。
   私の記憶では、咲いていたアマリリスは、背丈も高く花も豪華で、正に、オランダ人と同じ様に大きかった。

   屋外の庭園は、大きな池を中心に起伏のある森や林が取り巻き、チュウリップを中心に、クロッカス、ヒヤシンス、水仙、ムスカリ、等の春の花々が、美しいランドスケープ・デザインに基づいて植えられていて、実に壮観である。
   しかし、それは、元々英国調の風景庭園なので、植栽が実に自然で、フランスやドイツ、オーストリーにあるような幾何学的人工的な庭ではなく、起伏のある林の風景に溶け込んでいて、緑陰の散策が堪らなく清清しい。
   北国の為春が短いので、チューリップも櫻も、皐月も菜の花も、一度に咲き乱れる。
   池には白鳥が優雅に泳いでおり、小川にはカルガモの親子が戯れている。

   公園にある唯一の風車が高台で、上に登って遠望すると、周りの球根畑のチューリップや水仙やヒヤシンスの花の帯が絨毯のように広がっていて壮観である。
   この公園のあるリセ地方は、球根の産地で、花畑が多くて、春には、花の絨毯が展開される。しかし、球根を取る為に、花が咲けば、ホンの数日で花が刈り取られるので、広範囲にわたって花のカーペットを見られるのは、運任せである。
   私は、オランダ在住中には、毎年出かけて、壮大なチューリップ絵巻を楽しんでいたが、不思議にもここには観光客は殆ど来なかった。
   風に吹かれて波を打つチュウリップ畑は、実に美しく、また、畑の真ん中に立って周り360度総て強烈な極彩色に囲まれると目がクラクラシテ卒倒しそうになる。
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株主総会とコーポレート・ガバナンス・・・企業の目的とは何なのか

2005年06月20日 | 経営・ビジネス
   3月期決算の会社の株主総会が、ボツボツスタートした。明日、ニッサンだが、会場が横浜パシフィコに移ったのでどうしょうかと考えている。
   相変わらず商法改正が続いていて、日本の会社法体系が、この数年で様変わりしてしまったが、アメリカ型のコーポレート・ガバナンスへの移行や国際会計基準関係については、企業の対応もほぼ落ち着きを取り戻した。

   株主総会であるが、かっての総会屋対策を主とした株主総会対策は少なくなって、一般株主や社会に開かれた株主総会を目指す会社が多くなったようである。
   株持合の解消によって安定株主が減った反面、機関投資家がモノをいい始め、消費者グループや株主オンブズマンの動きが活発になる等、企業を取り巻く環境の変化により、違法行為を行ったり不祥事を引き起こして悪評判を取った会社などには、極めて厳しい株主総会になろう。


   ところで、重要なコーポレート・ガバナンスであるが、一体、会社は誰のもので誰が支配しているのであろうか。
   会社は株主のものであると法が定めており、所有権こそ究極の権限であるとするならば、株主主権が厳然と存在する事になる。
   日本の場合は、会社は、株主のみならず、社員や顧客、サプライヤー、債権者等々多くのステイクホールダーのものであると言う意識が強い。
   しかし、ガルブレイスは、「悪意なき欺瞞」の中で、株主主権など存在しない虚構であり、私利私欲の飽くなき追求を旨とする企業システムの支配者は、企業経営者であると喝破。彼らの報酬の高いのは自分達で報酬を勝手に決める企業経営者の悪意の賜物であり、限りなく盗みに近いと言っている。

   盗みは兎も角、株主主権等は、既に虚構となっており、会社の実質的な権限は、経営者に移っており、かってミードたちが言っていた経営者資本主義に回帰してしまっている事は事実であろう。
   この視点から会社を見ない限り、投資家が権限を有すると言う神話、株主優遇の神話、儀礼としての役員会や株主総会、等々に幻惑されて会社が見えなくなってしまう。
   ホリエモンのニッポン放送買収問題に端を発して、既存の企業経営者の地位を保全するような法制整備の一連の動きがあったが、カネボー等の経営者の無能や西武鉄道関連の証取法違反、その他法令違反、大事故・大惨事、企業不祥事等が頻発している今日、現存の経営を浄化する必要がある場合もあるので、株主主権が幻想である以上、これが出来ないような法制度であってはならない。

   フォンブランは、株主の究極の目的・企業の時価総額を高める為には、株主重視の利益至上主義の経営だけではダメで、順法精神を涵養し社会的責任を追及する良き市民であり、従業員の士気を高め、公明正大かつ透明な経営を実践して説明責任を果たすなど総てのステイクホールダーに貢献・アピールして、コーポレート・レピュテーションを高めるのが経営者の使命だと言う。

   一方、「ザ・コーポレーション」の著者ベイカンは、フリードマンの言を取り、「経営者の唯一の社会的責任は、株主の為に多額の金を儲ける事で、社会や環境上の目的を利益に優先する(道徳的に振舞おうとする)経営者は、非道徳的だ。企業の社会的責任が容認されるのは、それが利益追求の方便である時のみで、その偽善や道徳的善意も収益に繋がらなければ非道徳的だ。」と言う。

   ところで、アメリカ型の委員会制度を導入したソニーが、新制度の効果を発揮して、業績悪化の責任を追求し経営者を入れ替える。
   アメリカ型のコーポレート・ガバナンスがアメリカで必ずしも有効に働いているとは限らないようであるが、日本の場合のコーポレート・ガバナンスは、もっと初歩的な段階である。
   例えば、監査役5人のうち、2人が社内生え抜きで、一人が、何十年も企業に奉仕した顧問弁護士、一人が、何十年にも亘って監査報告書を書いてきた公認会計士、残りの一人がいわば社友、そんな大企業が、コーポレート・ガバナンスを云々しているケース自体、実質的に商法違反だと思うが、問題にさえならないのが日本である。
   

   
   
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メタボリック・シンドローム・・・恐ろしい動脈硬化

2005年06月19日 | 生活随想・趣味
   18日土曜日の午後、日経ホールで、愛知万博「高齢化社会と心血管疾患」委員会と日経主催による
      「高齢化社会と心血管疾患」シンポジューム
      健やかに長生き
      ~しなやかな血管を保つ、運動と食事法~
が、「愛・地球博」記念として開かれた。
   幸田真音のセミナーに行こうか迷ったが、結局、この話を聞くことになった。この種のセミナーには珍しいようで、男の聴衆が80%以上、それに、当然なのかどうか、全体の70%が、5~60代であった。

   結論から言うと、私にとっては極めて役に立つ有益なシンポジュームであった。
   例えば、ジョギングや激しい運動は、体に良くない。ウオーキングが良く、1万歩を目安に3キロ以上歩くこと。
   仮面高血圧と言うのがあって、会社の検診では正常であっても、早朝と夕刻に急に血圧が上がり動脈硬化でダウンする場合があるので、家庭での血圧測定は大切である。
   しかし、最も気になったのは、内臓脂肪蓄積とメタボリック・シンドロームの話である。

   何れにしろ、「ヒトは、血管とともに老いる。しかし。個人差が大きい」と言うことで、沖縄の100歳以上のヒトを調べたら、全員、正常血圧であったと言う。
   兎に角、血圧を含めて心血管の病気は致命的なのである。

   肥満はダメだと言うが、洋ナシ形状の「皮下脂肪型肥満」は、まだ罪が軽いが、外見だけでは分からないりんご型の「内臓脂肪型肥満」が、心血管疾患の引き金を引くので危険だと言うことだ。
   ただ、救いは、内臓脂肪は、比較的容易にたまるものの、容易に燃焼するので、日常の食事と運動に注意すれば十分減らすことが出来るようである。

   ところで、問題はメタボリック・シンドローム(代謝症候群)である。
   生活習慣病と呼ばれている「肥満症」「高血圧」「糖尿病」「高脂血症」等は、個々の原因で引き起こされると言うよりは、内臓に脂肪が蓄積した肥満、すなわち、「内臓脂肪蓄積」によって起こる事が多い。
   心筋梗塞や脳梗塞等動脈硬化は、これ等の生活習慣病によって引き起こされるのだが、これ等が重複した複合生活習慣病状態、すなわち、メタボリック・シンドローム状態になると、普通の場合より、これ等心血管疾患にかかる発病リスクは、数倍から数十倍にアップすると言う。
 
   健康寿命を延ばすために、一生懸命に、社会もヒトも頑張っているが、日本は、とうとう、世界一の長寿国になってしまった。
   少子化は、人口減の原因となりそれなりに問題だが、高齢化は、社会コストや問題を引き起こす確率が高くなるものの、社会の比重と価値観が後方にシフトするだけで、それに合わせて経済社会改革を行えばすむ。
   (とは言っても、文明や科学技術が進み過ぎて、本来幸せであるはずの長寿が、社会コストを引き上げてヒトと社会を不幸にするこのパラドックス。長生きの不幸をどう捌くのか、難しい。)
   しかし、寿命が延びた分、どう価値ある生き方をするのか、それを考えずに、命ながらえる事ばかり考えていても仕方がないような気がする。
   
   

   

   

   
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豪快なドボルジャークのチェロ協奏曲とカザルスの鳥の歌・・・新日本フィル定期

2005年06月18日 | クラシック音楽・オペラ
   久しぶりに豪快かつ極めて繊細優美なドボルジャークのチェロ協奏曲を聴いた。    
   18日の新日本フィル・トリフォニー・ホールでの定期公演387の演奏会で、ロストロポーヴィッチの弟子ダヴィッド・ゲリンガスが、素晴らしいチェロを奏でた。

   私は、ロンドンで、ヨーヨー・マも、そして、ロストロポーヴィッチも、同じドボルジャークを聴いている。夫々、印象的で素晴らしかったが、今回は、日本のオーケストラとの共演、アルミンクは、巧手ゲリンガスを存分に歌わせ、どのようにオーケストラを引っ張ってゆくのか、興味があった。

   この協奏曲は、あまりにも有名で聴く機会も多いが、難曲中の難曲だと聞く。終楽章最後の何とも言えない美しいソロを、ゲリンガスは、ジッと聴衆を見据えながら感慨をじっとこらえながら弾き終えた。
   流石に大学教授、ヨーヨー・マやロストロポーヴィッチの様な演奏家然としたパーフォーマンスはないが、誠実な抑揚の効いた暖かい演奏が胸を打つ。
   確か、ロストロポーヴィッチは、小澤征爾がロンドンに来られなくなった時のLSOの演奏会で聴いたのだが、弟子のゲリンガスにどうのように受け継がれているのか、残念ながら私には良く分からない。

   熱狂的な聴衆に応えて、ゲリンガスは、カザルスの鳥の歌、と日本語で言って、静かにアンコール曲を引き始めた。
   国連演奏会で、パブロ・カザルスが、スペインでは、鳥は、ピース(peace)、ピースと鳴いて飛ぶんだと言って弾いた曲である。
   消え入るようにフェイドアウトして行く天の声のような美しいチェロの囁きが胸に迫る。
   
   後半は、ブリテンのアメリカ序曲とストラヴィンスキーの「春の祭典」。
   春の祭典を振って指揮台を下りたアルミンクは、コンサートマスターの崔文洙を激しく抱きしめていたので、久しぶりの入魂の出来栄えだったのかもしれない。
   しかし、私には、ドボルジャークの素晴らしい演奏の後の実にダイナミックで派手なストラヴィンスキーなので、気持ちの切り替えが出来ずに、十分に楽しめなかった。
   隣の人は、前半で帰ってしまったが、音楽ツウなのかもしれないと変に気をまわしてしまった。
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ブラジルの思い出・・・フェイジョアの花

2005年06月18日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   ブラジルから帰って少しして、庭のある家に移った時、園芸店で懐かしい南米の木フェイジョアを見つけた。
   嬉しくなって小さな苗を買って植えたが大きく成るまで花が咲かなかった。
   
   長いヨーロッパ生活から帰ってきた時には、大きく育っていて、翌年の初夏に、花が咲いてくれた。
   毎年、華やかに美しい花を付けてくれるが、同じ種類の木ばかりなので、あまり実がならない。
   枝が張って大きくなるので、毎年、強く剪定しているが、和風の庭には嫌われるのか、庭師はすぐに切りたがる。

   去年、大きく切り戻したので、今年は、ささやかだが、梅雨の合間をぬって、急に花を開いた。
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