熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ダイアナ妃の思い出

2007年08月31日 | 海外生活と旅
   「イングランドのバラ」ダイアナ妃がパリで不慮の死を遂げてから、早いもので、今日が10周年にあたると言う。
   何となくTVのチャネルを回していると、WOWWOWで、ウエンブリー競技場で開催された追悼公演会Concert for Dianaを放映していた。
   ダイアナ妃の二人の遺児ウイリアム王子とヘンリー王子が観客の中にいて若者と一緒に手拍子などを取って楽しんでいた。二人は何回か壇上に上がって妃殿下のことなどについて語っていたが、ダイアナ妃も生きておられれば46歳、全く惜しい話である。
   エルトン・ジョンが、仲間と締め括りに、Tiny DancerやAre You Ready for Love?を歌っていたが、この巨大なサッカー競技場も、素晴らしいコンサート・ホールになるものだと思って感心して見ていた。

   私は、身近にダイアナ妃を3回拝見している。
   一度は、ロンドンの繁華街にあるホームレス用の簡易宿泊施設のオープニングセレモニーで、入り口でダイアナ妃をホストの一人として並んでお迎えした時で、この時は、当然、ダイアナ妃にお話して握手もさせて頂いた。
   背は私より高くて実に優雅でスマート、この時の写真がどこかに残っていると思うが、とにかく、美しい人で、ジッと顔を拝見しながら一生懸命に仕事のことなどを話した記憶がある。
   セレモニーの時には、側に伺候していたので、妃殿下のスピーチの様子などつぶさに見ていた筈だが、覚えているのは、イスに座って綺麗なご自分の写真にサインされていた時に、すぐ隣に立っていたのだが、何故、こんなにも美しい人がこの世の中におられるのかと感激して見おろしていた強烈な印象だけである。

   もう一度は、ロイヤル・オペラ・ハウスで、バレーのガラ・コンサートの時に、観客の一人として側で拝見した。
   この時のバレーが、白鳥の湖かくるみ割り人形か失念してしまったが、ナタリア・マカロワの殆ど最後のチャイコフスキーのバレー公演で、終演後に出口でジャガーに乗り込まれる寸前であった。
   ロイヤル・オペラ・ハウスには、2階の右手一番舞台に近い所にエリザベス女王陛下用のボックス席があるのだが、この時は、2階のグランドティアのやや左手の一般席に座っておられた。
   この時の豪華で綺麗なやや濃いめのブルーのイブニングドレスが実に優雅で美しかったのを覚えている。

   最後の一回は、バービカンセンターでの、確かロンドン交響楽団のコンサートの時で、地階のホールで人が集まっているので近付いて行ったら、ダイアナ妃が、車から降りてこられたところで、私の隣にいた若い紳士が、「マム」と声をかけるとそれに気付いて近付いて小さな花束を受け取られた。よく知っている身近な友人のようで二言三言喋って御付の人のところに帰って行かれた。

   ダイアナ妃は、チャリティ・コンサートやガラ・コンサートにはよく出られていたようだが、1990以降のことなので、勿論、チャールズ皇太子とは何時も別行動であった。
   チャールズ皇太子は、ロイヤルアルバート・ホールでの、アシュケナージ指揮ベルリン放送管弦楽団のベートーヴェン第九合唱のガラ・コンサートの時に見かけたが、この時もダイアナ妃は側に居なかった。

   ところで、ダイアナ妃と臆せずにお話できたのは、その前にチャールズ皇太子と別な機会に、一度は、同じ様なお出迎えスタイルで、もう一度は、レセプションで日本の経営について少しお話をしていたので、多少高貴な方との出会いに慣れていた所為もある。
   日本なら敬語や丁寧語など沢山あって難しいが、英語の場合には、最初に、Your Royal Highness と言えば、後は丁寧にまともな英語を喋れば良いのだ、と言われていたので、その点では助かったと思っている。
   今なら、恐らく遠慮すると思うが、若かったから出来たのかも知れない。

   ダイアナ妃については、パリの死についての暗殺説など何冊か本も読んだが、スキャンダルについては興味がなかった。
   しかし、対人地雷撲滅運動やエイズ対策に対する活動などについては彼女の努力と貢献を高く評価している。
   ウエンブリーのコンサートの最後に、ダイアナ妃へのオマージュを奉げるネルソン・マンデラのスピーチがあったが、イギリスに徹底的に痛めつけられ不幸な青壮年時代をイギリスの獄中で過ごさなければならなかった人の言葉であるから、値千金の重みがある。
   ご冥福を祈るのみである。
   

   
   
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トウモロコシ価格の高騰・バイオ燃料は悪くない?

2007年08月30日 | 地球温暖化・環境問題
   ニューズウイークに「バイオ燃料は悪くない」。トウモロコシ高騰の原因はエタノールではなく、犯人はドル安や悪天候、原油高、そして中国の成長だ、と言う記事が載っていた。
   この問題については、今や、穀物はガソリンスタンドとスーパー・マーケットの争奪戦となっていると早くからレスター・ブラウンが警告を発していて、このブログでも何度か触れているが、今や、トウモロコシの国際価格が、1ブッシェル4ドル台で05年の2倍もしていて、貧しい所帯の台所を直撃していると言う。
   確かに、トウモロコシやブラジルのサトウキビなどは、明らかにエタノールの原材料として転用されているので、価格高騰の影響がないわけではないが、
   食品価格の仕組みはもっと複雑で、地球規模での食料需給、石油価格、天候、為替相場などに影響されていると言うのである。
   いずれにしても、トウモロコシ始め農産物については需給関係が逼迫してきたのが、価格高騰の原因であることには間違いはない。

   為替については、サブプライム問題が発生するまでは円安であったので、日本人は気付かなかったが、他の通貨についてはドル安が進行していたので、ドル建て決済が主であるトウモロコシ価格の高騰の3分の1は単なる為替の問題だと言う。
   面白いのは、石油の影響である。エタノール戦争とは別に、石油は、大抵の食品包装材は石油を原料としており、原油価格が上がれば総ての工程でコストがかさんで食品価格をアップさせる。

   悪天候による不作も深刻な問題である。昨年のオーストラリアの旱魃、中国での大洪水、欧州北部の穀物成長期の少雨など自然災害による供給不足も食品価格を引き上げた。
   気候変動に耐えられる強い作物を開発するグリーン革命の低迷も深刻なようだが、遺伝子組み換え技術の普及に対するアレルギー反応にも問題があるのかも知れない。
   世界人口の急速な増加に対しては、新しい形でのマルサス人口論の陰が見え隠れしている。

   ニューズウイークが一番の原因は、発展途上国の富の増大にあるとする。
   BOAの調査では、新興市場の上位24カ国のGDPは、02年の倍に増え、一人当たりのGDPが年率14%で伸びている。
   早く言えば、中国やインドが急に豊かになったので、牛肉、豚肉や鶏肉などの消費が異常に増えた、牛肉1キロにつき飼料7キロが必要になるので、同時に穀物の需要を引き上げたと言うことである。

   振興経済国の所得増が、食料インフレの原因の3分の1を担っていると専門家が言っている。
   公害と地球環境の問題の時も、BRIC’sなど新興国の経済成長が問題とされるのだが、この理論は、先進国のこれまでの飽食と無駄な資源の浪費を棚に上げて発展途上国の成長を云々するのは勝手な論理でおかしい。
   根本的な問題は、中国やインドが、アメリカ流の消費生活をおくり同等の生活水準を謳歌すれば地球は間違いなしに破綻する、しかし、先進国にはそれを抑止し非難する権利も理由も全くないと言うことであり、さすれば、どうするかと言うことである。

   日本人が、中国を非難する時、公害垂れ流しや知財無視の物まね剽窃天国を声高に揶揄するが、戦後成長期の日本の公害の酷さは今の中国の比ではなかったし、物まね知財無視は日常茶飯事であって、日本人が生まれながらの優等生であった筈はない。
   地球のエコシステムそのものがピークに達して極めて深刻な状態に陥ったので、農産物価格の高騰を抑えることや、公害対策など地球規模での対応が必要であることは間違いないし、人類がそのツケを払わなければならないことも事実である。
   しかし、振興経済国の消費や不経済性を糾弾して押さえ込むことだけではなく、先進国自身が、過去の償いを含めて、今のような生ぬるい制限や抑止ではなくて、もっともっと速度を上げて農産物価格の高騰や地球環境の保護に努力すべきであろう。
   そうでなければ、振興国家の協力等取り付けることは不可能であろう。 
   

   
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二つの過剰と三つの危機・・・神野直彦東大教授

2007年08月29日 | 政治・経済・社会
   1993年6月に衆参両院において、「地方分権の推進に関する決議」を行い、東京への一極集中を排除し、国土の均衡ある発展を図るとともに、国民が期待するゆとりと豊かさを実感できる社会を作り上げて行くために、中央集権のあり方を問い直し、地方分権をより一層推進しようと日本人は決意した。
   しかし、現実は、その決議とは逆に、益々状況は悪化している。
   
   今の日本は、過剰な豊かさと貧困の過剰と言う二つの過剰と、格差の拡大と言う経済危機と連帯の崩壊と言う社会危機と自然の破壊と言う自然危機の三つの危機に毒されている。
   あまりにも殺伐とした事件が多くて目を覆うばかりである。

   東大の神野直彦教授は、日経主催の公会計改革会議2007シンポジウムで「地方財政運営と公会計改革」と言う演題の特別講演で、こんな話から語り始めた。
   神野教授の地方財政のあり方については、同感だが、今回私が興味を持ったのは、神野教授の格差論に対する興味深い分析であった。

   まず、関心を持ったのは、一般に言われている地域間格差の問題よりも「地域内の格差」と言う問題である。
   繁華街では、夜な夜な、セレブが高級レストランで美食に耽っていると思えば、その厨房ではワーキングプアーが汗水たらして働いており、路上にはホームレスがたむろしている・・・それが、今の東京である。
   老人や若者達のシングルの家族が日本では30%だが、東京では50%で、地方から来る学生は昔と違って豊かな者しか上京できないが、それでも8万円の家賃を払えばかつかつで、何か支障が起これば真っ逆さまにプアー族に落ち込んでしまう。かっては、人々の生活を企業や家族が支えていたが、今はそれも希薄になってしまっている。

   成長期の日本は、貧しい地方の人々が、大民族移動よろしく東京や大都市を目指して働きに出て来たが、しかし、現在の東京一極集中への地方からの人口の移動は、貧しい人の移動ではなく、どちらかと言えば、グローバリゼーションの影響を受けて、大企業が地方の拠点を閉鎖して東京などへ引き上げたり、エクゼクティブが東京に移動したりしており、豊かな人の移住が多いと言う。
   70~80年代にかけて、工場などどんどん地方に分散して新産業都市が生まれ出るなどして地方にも日が当たり、過疎地の解消などが進んだが、現在は、工業の時代が終わり、それに、多くの工場が海外に出てしまって、逆に、地方が過疎化し、地域格差が益々拡大し始めている。
   そして、大阪が可なり酷いが、東京など大都市では、豊かな人々と、逆に増加する一方のワーキングプアーなどの貧しい人々との所得格差が深刻な状態になってきてしまっている。

   陣野先生の話では、ホームレスの人々は、かって、住み込み労働や、労働住宅や飯場の住人が大半だと言う。
   最近では、ブルーテントが主流になっている。
   大手町から神保町までよく歩くのだが、大手町の外れのカンダランプ下の神田川沿いには、簾までついた丁寧に目張りされた小さなダンボール箱の住まいがレゴのように並んでいるが、もう10年近くそのままで、普通の服装をした年寄り家族が何組か住んでいて、時々、側の公園の掃除をしている。
   1400兆円の大半が老人の所有だと言い、どんどん豊かな団塊の世代の退職者が増えて行く一方で、老いも若きも、一寸した運命の悪戯で歯車が狂ってしまって、極貧層に追いやられてしまった人が沢山居る、そんな世の中を美しい国と言うのであろうか。

   日本人がみんな、中流だと信じることが出来た一億総中流時代がかってはあった。
   三種の神器とか言ってTV受像機、冷蔵庫、洗濯機を持つことに憧れたまだ貧しい頃だったが、モノで溢れかえる飽食の時代の今より、その頃の日本人は、もっともっと幸せであったような気がする。
   アメリカ型の弱肉強食の市場原理主義経済政策の所為だけだとは思わないが、何故か、この所得格差の拡大傾向があまりにも急速なので、日本もどんどんアメリカ型の社会に近付いて行くような気がして仕方がない。
   生きることに精一杯の人々が増えて行けば、どんどん、社会が荒れてくる。
   自然も、人情も、どんどん、崩れて行くのに、美しい国日本と言い続けているオトドがいるのもどこか物悲しい。
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美術品の盗難・・・世界遺産にならないか

2007年08月28日 | 生活随想・趣味
   日本では、古社寺の仏像がよく盗難にあっているが、世界の美術館や博物館からは、名画がよく盗まれて、話題になることがある。
   あのルーブルのモナ・リザだって、簡単に配管工によってイタリアに持ち帰られたことがある。自分たちの国のものだからと言っていたが転売目的であり、あまりにも有名な絵なのであっさりと捕まってしまった。
   もっとも、このモナ・リザは、レオナルド・ダ・ヴィンチが、晩年に、フランソワ一世王にフランスに招聘されて移住し、最後まで所持していた3点のうちの一つで、クロ・リュッセで亡くなりアンボワーズに埋葬されているのだから、イタリアのものとは言えないであろう。
   このモナ・リザ、三十年ほど前最初に見た時には、普通の額縁に入って壁にぶら下がっていて、前に1mほどの間隔をおいてポールが立って綺麗なロープが架けられていただけだったが、今は頑丈な防弾ガラスの厳つい箱の中に納まっている。

   ところで、このルーブルだが、1998年5月に、窃盗犯は、人気のない展示室からコローの「セーブル街道」を白昼堂々と額縁から外して盗み出した。
   空っぽの額縁に気付いた客が通報して分かり、出入りをシャットして客全員の身体検査をしたが後の祭り。驚くなかれ、ルーブルは収蔵品の点数や雇用している人数について、およその数字さえ把握していなかったと報じられている。
   ルーブルが、これであるから、世界の美術館や博物館の警備がどうであるかは推して知るべしで、お寒い限りであろう。
   とにかく、数十億円もするような絵画が誰にでも剥き曝しに展示されていることを思えば、危険なことであるが、現金のように金庫に保管するというわけには行かない。

   リレハンメル冬季オリンピックの開会式の日に、オスロの美術館から、ノルウェーの正に国宝ムンクの「叫び」が盗難にあったのは有名な話だが、一般的に、絵画の窃盗犯達は、今のハッカーのように難易度の高い技術に挑戦し自分の技量を世に知らしめることに快感があるのだと言う。
   従って、有名な絵画などを狙って成功すると同業者(?)が畏敬の念を持って見るとか、おかしな世界があるのである。

   博物館や美術館の警備が手薄になるのは、館に予算がないことにある。
   イギリスの場合には、殆ど入場料が無料だが、実際にはトイレットペーパーにも困るほど資金がショートしていると言う。
   警備に予算を振り向けると美術館本来の目的に使う資金がなくなってしまうのである。
   また、アメリカの警備会社では、美術館の警備員の自給を同地域のマクドナルドの自給より45セント低く設定しており、訓練は愚かまともに警備出来ないような人を安い賃金で雇って対応している。
   ところが、最新式のセキュリティ・システムを完備しても、敵も然るのもで、イラクのテロと同じで大胆にアメリカ兵を襲うようにアタックしてくるので手の打ち様がない。
   とにかく、何十億もするキャッシュが額縁に入って、無防備に壁にぶら下がっているのが美術館だからである。

   通常、美術館は収蔵品に対する損害保険はかけても、盗難保険はかけていないようである。(アメリカは付保している模様)
   日本でもよく行われる海外美術品の特別展では、釘から釘の盗難保険がかけられている様だが、地方の貴族の館の美術館などはまず保険には無関心である。
   大美術館が盗難保険に入っていても、それは、代わりの絵画を取得するためのようで、本当か嘘か分からないが、これが窃盗犯からの買戻し交渉のバーゲニングに利用されるのだと言うから驚きである。

   比較的、超有名な絵画は市場性がないので見つかる公算が多いようだが、盗まれた90%が永遠に闇に消えてしまっていると言う。
   偉大な人類の文化遺産が無防備にどんどん消滅して行く。
   恐ろしいことだが、歴史や自然遺産よりももっと儚くて弱い絵画などの美術遺産も世界遺産として保護出来ないであろうか。
   戦争が起これば、イラクのバグダッド美術館のように略奪に合うし、バーミアンの石仏のように爆破されてしまうが、その前に、文明国にある絵画などの美術遺産を守る方策をもっと真剣に考えてもよいと思っている。
   
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オーシャンズ13の日本趣味

2007年08月27日 | 生活随想・趣味
   アル・パチーノの悪徳ホテル王とジョージ・クルーニーの行き詰るような対決が面白いこのオーシャンズ13。世相の入り混じりが錯綜する奇妙な映画だが、流石にハリウッド映画で、娯楽としては実に楽しい。
   私が興味を持ったのは、この映画にちらりと現われた日本イメージの台詞とシーンである。

   台詞は、仕事師達の会話のシーンで、助っ人を頼まれた男が「煎茶か玄米茶を」と飲み物をオーダーすると、「グリーンティ?」とサーバントが受け答える。
   このシーンだけ見ると、この煎茶や玄米茶が、メニューにも載っているほど普及していると言う感じを受けるのだが、最近、アメリカの高級ホテルには全く縁がなくなったので知る由もない。

   ロンドンにいた時、よくフォートナム&メイソンに出かけたが、レア・ティのインドや中国の紅茶よりも日本製の煎茶などの方がはるかに高かった。
   私の記憶では、以前に、喫茶店で紅茶を飲む時は、レモンティが普通で、これに砂糖を入れて飲んでいた。
   しかし、イギリスに行ってから、ダージリンをストレートで飲み始めてからは、ずっと、そのままである。
   丁度そんな時に、エリザベス女王も紅茶はストレートだと言う報道記事を見た記憶が有るが、私自身、イギリス人と付き合っていて、紅茶に砂糖を入れて飲んでいるのを見たことがない。
   もっとも、ビスケットやプチケーキなどと一緒に紅茶を楽しむことが多いし、イギリスではミルク・ティが普通なので、甘い砂糖などは邪魔になるということかも知れない。

   日本食が世界的に人気が出て広まったと同時に日本茶も普及して行ったと考えられるが、世界的に中国茶や紅茶のストレート嗜好が進んでいくと、その意味からも日本茶が好まれると考えても不思議ではない。
   日本の社寺仏閣や歴史的建造物などを訪れると、茶室などで抹茶とお菓子を楽しむことが出来るが、茶道はとも角も、この素晴らしい文化がグローバル化すると支持されると思っている。

   ところで、オーシャンズ13の日本趣味のシーンだが、アル・パチーノのホテル王がラスヴェガスで開く超高級ホテルの仮オープニングセレモニーに本格的な相撲の舞台が現われる。
   客の雰囲気を盛り立てる太鼓の演奏も本格的である。
   欧米のスポーツと言うとどうしてもサッカーや野球のように持続性のあるものが大半で、ほんの数秒か数十秒か殆ど瞬間に勝負のつく相撲などは趣味に合わないと思うのだが、やはり、エキゾチックな様式美が受けるのであろうか。
   余談だが、今、朝青龍問題で揺れている相撲だが、国技といいながら上位は外国力士に占められていて一番国際化しているのだが、
   元々、相撲取りには、力士と言うようにサムライの身分が与えられていて、他のスポーツ以上に厳しく品格のある立ち居振る舞いが求められている。

   相撲は、柏鵬時代を含めて升席で数回、それに、ロンドンのロイヤル・アルバート・ホールのロンドン場所で一度見たことがあるが、電光に映えて中々綺麗な舞台で興味深かった。
   ロンドンでもTV放映していて、イギリス人が「ワカノハナ」などと大向こうから掛け声をかけていた。

   話は飛ぶが、この映画は、ハイテク・カジノの一面を垣間見せていて非常に面白い。
   科学技術やIT技術でいくらでもダイスの目やマシーン操作が可能であって、自由自在に賭博の結果を操れるとなると、博打は、昔の日本のイカサマ博打の域をはるかに超えて偶然や確率の世界ではなくなってしまう。

   もっと面白いのは、ハイテク時代でありながら、ユーロトンネルを掘ったシールド機械を使って超高級ホテルの下を掘りながら地震を起こしてごった返すオープニング客を翻弄する時代錯誤振りや、
   イカサマ・ダイスを製造しているメキシコの会社が、アメリカの10分の1程度の賃上げでストライキしているグローバル経済の一面を垣間見せたり、
   北京の空中権を持っていると称する大富豪を登場させて、天津での高層ビル建設とのバーターを絡ませて富豪客担当の接客係を煙に巻くシーン等々、とにかく、アクション映画でありながら、ユーモアたっぷりのアイロニーや風刺が充満していることである。
   ブラッド・ピット、マット・デイモンなど芸達者の演技も素晴らしいが、一人気を吐く女優エレン・パーキンの一寸旬を過ぎた怪しげな女の魅力を覗かせた演技の魅力も見逃せない、そんな娯楽映画である。
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スターバックスはイノベーションか?

2007年08月26日 | イノベーションと経営
   ピーター・ドラッカーは、晩年、iPodとスターバックスをイノベーションだと言っていた。
   クレアモントのキャンパスに、スターバックスが有ったのかどうかは分からないが、ドラッカーがスターバックスで、カフェラテを飲んでいたかと思うと愉快だが、
   ”スターバックスは、家と仕事の間に有って、息抜きの場となることを目指したのであり、提供したのはコーヒーではなく場であった。”と言っている。
   しかし、提供したのが場であって、それがイノベーションだと言うのなら、日本には、昔から喫茶店と言うものがあって、お茶を飲みながら、憩うことの出来る立派な場があり、イノベーションでも何でもない。

   確かに、アメリカにもイギリスにも、スターバックスが出現する以前には、喫茶だけと言うか喫茶主体の日本の喫茶店のような簡易な場所はなく、コーヒーを飲みたくなれば、ホテルのコーヒーショップか、マクドナルドなどに行くしかなかったような気がする。
   従って、ドラッカーの論理は、あくまで、アメリカやイギリスの論理に基づく「破壊的イノベーション」であって、シルクロード沿いのチャイなど、東洋には、古くから茶を飲みながら、憩い楽しむ社交の場はいくらでもあったのである。

   ところが、日本人の竹内弘高一橋教授なども、スターバックスは、第三の場所――ちょっとリラックスする空間を提供しているので、カテゴリー・イノベーションだと言っている。日本で講義するのなら、受け売り経営学であっても、もう少し良くシチュエーションを考えて理屈付けをすべきであろう。
   追い討ちをかけるなら、日本には、色々な状況において、「お茶でも・・・」と言って喫茶店に入ってひと時を過ごす素晴らしい潤滑油のような文化が育まれており、古くは、日本文化の華とも言うべき茶道文化をも生み出した。
   京都のイノダコーヒー店では、今でも、早朝に、京都の商人や職人たちが三々五々集まって朝の情報交換会を行っているが、保険業が生まれ出でたシティのロイズ・コーヒー店さながらである。

   とは言っても、イノベーションの視点が多少違うだけだが、私自身は、スターバックスは、立派なイノベーションだと思っている。
   T.フリードマンが、言っているが、店舗のメニューを組み合わせれば、19000種類ものコーヒー飲料を客の好みで作ることが出来る、すなわち、スターバックスは、客に店専属の飲料デザイナーになってもらって自分の好みに合った飲み物をカスタマイズする喜びを与えたことである。
   これは、A.トフラーの言う生産消費者の概念の発露であり、また、C.K.プラハラードが説く「顧客と企業との供創(Co-Creation)」であって、正に、新しいサービス業のあり方の体現である。

   供創経験のパーソナル化と言う視点でプラハラードは捉えている。
   ”店の立地、内装、照明、製品ラインナップ、BGMなどの相乗効果によって、来店者にくつろぐ、読書をする、友人とおしゃべりに興じる、楽しいひと時を過ごす、と言った環境を用意している。経験環境を通して多彩な状況を演出しているが、同時に、各人が自分なりの文脈を決めて、思い思いのスターバックス経験を楽しめる余地を設けている。・・・スターバックスは、商品、従業員、消費者コミュニティを工夫して組み合わせれば、各人にユニークな経験をもたらせる、と心得ているのだ。”

   私自身は、2年前に、ニューヨークのブロードウエイ、フィラデルフィアのシティホール側とペンシルヴェニア大学、ボストンのシティセンターなどのスターバックス店に入って御馴染みのカフェラテなどを楽しんだが、別に日本にあるスターバックス店と大差なく、喫茶文化に慣れている日本人の私には、プラハラードなどが感心するほどの感慨はなかった。

   段々、消えて行くのが残念だが、日本には、雰囲気のある喫茶店がまだ少しは残っている。
   地方の街の片隅に、ずらりと壁面に並んだジャズのレコードジャケットを背負いながら老夫婦が、静かにビーカーでコーヒーを点てている店があった。
   迷い込んで入った地方都市のビルの地下に、レトロ調の内装にガレ風の淡い照明が温かく燈っていて、ショパンのノクターンが優しい、そんな店でキリマンジャロをすすったこともあった。
   スターバックスで、若者達に混じって本を読みふけることも結構多くなったが、私には、そんな喫茶店の方が合っている。
   
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コーヒー、されど、コーヒー

2007年08月25日 | 生活随想・趣味
   毎朝、コーヒーをコーヒーメーカーで煎れて、レーズンパンにブルーベリージャムをつけた軽い朝食を取る。
   少し前までは、雪印のクリーム状のチーズ・マスカルポーネをパンに塗っていたが、栄養過多の問題もあって止めている。
   コーヒーは、コーヒーメーカーで挽いて煎れていたが、この頃では、UCCのブルーマウンテン・ブレンドをドリップして飲んでいる。
   ブルーベリージャムについては、色々試みたが、この選択が中々難しく、赤穂の某食品会社のを愛用している。
   レーズンブレッドは、近所に良いパン屋さんがあって、ここで買って来たブロックを適当に切り分けているのだが、何故か、有名店のパンにはない味があって気に入っている。

   ところで、問題は、家に居る時は、大体大きなマグカップに2~3杯程度に抑えているが、外出すると、殆どの場合、飲み物はコーヒー、それも、ホットコーヒーを飲んでいるが、このコーヒー嗜好習慣である。
   これまでに、コーヒーが健康に悪いとか、一杯飲む人より、2~3杯飲む人の方がガンの確率が高いなどと言われたりしていたが、別に、コーヒー嗜好については意識しなかった。

   私が、初めて、喫茶店に入ってまともなコーヒーを飲んだのは、大学に入学した年で、河原町の先斗町あたりの店であったような気がする。別に田舎の高校生でもなかったが、あの頃は、殆ど自分たちで喫茶店に出かけるようなこともなかった。
   まだ、レコードも高かった頃で、ブルーノ・ワルターのベートーヴェンの新譜が出たと言うのでジャケットを店頭に恭しくディスプレィした名曲喫茶に出かけて耳を澄ませて聞いていた頃であった。

   会社に入ってからは、人に会う時など、「お茶でも」と言って喫茶店に出かけるのが普通になり、アメリカに留学してからは、緑茶などないので、薄いアメリカン・コーヒーをお茶代わりにがぶ飲みしていた。
   コーヒー習慣の転機が訪れたのは、ブラジルへ赴任してからである。
   なにしろ、天下のコーヒー王国ブラジルのことであるから、コーヒーに関しては桁外れの飲酒量である。

   ブラジル人が普通に飲んでいるコーヒーは、所謂、エスプレッソで、デザートコーヒー用の小さなデミタスカップでサーブする”カフェジンニョ”なのだが、問題は、濃過ぎるので、砂糖をたっぷり入れて飲むことである。
   濃いコーヒーに、コーヒー量に匹敵するくらいの、大匙で時には2~3杯の砂糖を入れて飲むのであるから、最初は、美味しいことはこの上もなかった。
   不思議なもので、砂糖だけならこんなに濃い砂糖水は絶対に飲めないが、濃いコーヒーとは相性が良いのか美味しく飲める。
   最初は、甘いコーヒーが好きな人は、かき回すが、少し甘ければ良い人は、そのままで、もう少し甘いコーヒーを好む人は一かき、もっと甘い人は二かきと教えられる。
   ところが、会社周りなどすると、訪れる先毎にこのコーヒーが出てくるのでで、美味しいなどとは言っておれず、自分の胃の調子の方がおかしくなってくる。
   
   街角のあっちこっちに、バールと言う簡易な飲食用のスタンドがあって、ブラジル人は立ち寄っては、ここでカフェジンニョを楽しんでいる。
   注意して注意して、抑えに抑えて、カフェジンニョを避けるようにしていても、ブラジル生活4年ともなるとブラジル生活にどっぷりである。
   サンパウロやリオで、高級レストランなどで飲む食後のレギュラーやアメリカン・コーヒーの新鮮さと有難さは格別だったが、どうも、私自身のコーヒーへの嗜好は、このブラジル時代の影響が大きいような気がする。

   その後、世界中の色々なところを歩いて色々なコーヒーの味を楽しんで来たが、イタリアのエスプレッソなどラテン系のコーヒーの味に親しみを覚えているのは、やはり、ブラジルでのコーヒー体験の影響かも知れない。
   トルコやギリシャ、アラブ系のどろっとしてあとが残るコーヒーや、特異な味のスカンジナビアのコーヒー、オスマントルコが退却する時に残したコーヒー豆を使って素晴らしいコーヒーを開発したウィーンのコーヒー、一寸違うがウイスキーとブレンドしたアイアリッシュ・コーヒー、色々思い出がある。
   しかし、一番思い出が深いのは、ヨーロッパ各地で訪れたミッシュランの星つきレストランで、頂いた最後のコーヒーの味で、このコーヒーを飲みながら素晴らしい料理と素晴らしい雰囲気の思い出を噛み締めながら味わう至福の時である。
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世帯の所得格差、過去最大に

2007年08月24日 | 政治・経済・社会
   読売新聞の電子版に、「世帯の所得格差、過去最大に」と言う厚労省発表を踏まえた記事が出ていた。
   ジニ係数が、0.5263と言う異常に高い数字である。念のため、厚労省のオリジナルな数字を見ると、税金、社会保障関係等で調整した再分配所得では、0.3873となっていて改善されている。
   日本の再分配後のジニ係数が国際的には低水準で、平等な所得分配では定評がある国であると言う事実は本質的に変わらないので、問題は、ジニ係数が悪化して、所得格差が拡大しつつあると言うことである。

   ところで、ジニ係数とは何かと言う事であるが、
   縦軸に総所得額、横軸に人口を取ったグラフを作成し、原点の最も所得の低い人から順番に所得額を合計して行き、その累積所得額の数字を順番にグラフの右方向に向かってプロットして行く。(これがローレンツ曲線)
   所得が平等であれば、その連続曲線は45度の直角三角形の右肩あがりの斜辺と一致するが、格差が大きくなると、その直線から離れて大きくJ字型に下にたわむ。(最低所得者の原点と、最後の最高所得者の位置は、三角形の頂点と一致する。)
   このたわんだ上弦の月のようなエプロン状の面積を、先の直角三角形の面積で割ったのがジニ係数である。
   ジニ係数が、0.5と言うのは大変なたわみだと言うことが分かるので、所得格差が非常に大きいことを意味する。

   もう少し、厚労省の統計を見ると、64歳以上のジニ係数が、0.8以上と非常に高くなり、これは年金生活者が大半であることを意味するのだが、調整後の再分配所得数値では標準化している。
   しかし、今後、現在のような労働慣行を維持し、老年者を不老人口に追いやる政策を維持する限り、益々、ジニ係数が悪化して所得格差が拡大して行く。

   正社員と非正規社員との所得格差については、誰でもが認知していることで大きな社会問題になっている。
   高度成長時代以前は、大企業と中小企業の賃金格差の二重構造が問題であったが、バブル崩壊以降は、労働力の過剰が企業の経営を圧迫したので、コスト削減のために、非定期雇用やアドホックな労働慣行が優勢となり、新しい労働問題を引き起こすこととなった。
   企業そのものが、正社員としての固定的な社員を少なくして、派遣や下請け、アウトソーシング等で労働力を補完して行く体制が常態になり、人材派遣会社の不祥事や大企業の偽装下請けなど新しい労働問題を引き起こしている。
   しかし、何らかの形で、変動する労働需給を調整する有効な雇用システムの創出は絶対に必要である。

   ところで、この日本の所得格差の拡大については、経済のグローバリゼーションの影響が大きく陰を落とし始めていることに注意しなければならない。
   世界の趨勢が、コンピューターやIT技術、ロボットがやれる仕事、そして、中国やインドなどの発展途上国にアウトソーシングやオフショアリング出来る仕事はやるな。やっても勝ち目がないし、そのような仕事の賃金は、世界の最貧国の賃金水準に落ちてしまう。と言うのが常識になってしまって来ている。

   現在の日本の労働市場における低賃金の相当多くはこの部類に属していて、賃金を上げれば即刻駆逐されてしまうような仕事が多い。まして、労働が自由化されて、外人労働者を自由に受け入れるようになると、益々、賃金の下方傾向が進む。
   この意味からも、民主党や社民党などが、最低賃金を1000円に引き揚げると主張しているが、日本の経済社会の大きな改革など抜本的な手を打たない限り、人為的に最低賃金を上げただけでは有効に機能する訳がなく、益々、零細中小企業を窮地に追い込むこととなる。

   会計学の専門家に聞いたが、最近では弥生会計や勘定奉行などのソフトの普及で、素人でも僅かな出費で会計処理が出来るので、従来の税理士や会計士の仕事がなくなって来ていると言う。
   先日もブログで書いたが、TKCの税務の電子申告のような単純な仕事は、インドや中国の会社が、簡単に日本語と日本の法律を勉強しさえすればすぐに対応できるので、超安値で取って代わられるのも時間の問題である。

   同じ仕事をしておればその価格は世界的に平準化されて一番安い価格に収斂して行くと言う「要素価格均等化定理」法則が働くのは、製造業だけではない。
   日本のあらゆる産業に、経済のグローバリゼーションによる大きな平準化の波が襲い掛かっており、この激烈な国際競争の原理から逃げられないと言うこと、この厳粛な事実を認識して対策を講じない限り、日本の格差問題の解決は難しいと言うことである。
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日本企業の「底力と課題・・・中谷巌学長

2007年08月23日 | 政治・経済・社会
   IT化、グローバリゼーション、環境問題と言った大きな潮流の中で、日本経済についてやや消極的な見方が支配的だが、日本の経済社会の本当の「底力」を理解するためには、もっと長期的で広い視野に立った文明論的なアプローチが必要である。
   マックス・ウエーバーが西洋資本主義発展の原動力としたプロテスタント思想にも縁遠い日本が、何故、世界的な経済大国にまで発展したのか、それは、「柳に雪折れなし」と言った日本人のしたたかさを育んだ10000年以上も続いた縄文時代からの多神多仏的な宗教感など日本が歩んできた文明のユニークさにある。
   そんな日本経済の「底力論」を、中谷巌多摩大学学長が、マイクロソフト・ビジネスフォーラム2007で語った。

   中谷学長が指摘した日本のユニーク性は、次のとおりである。
   一国一文明で12000年継続
   縄文時代10000年、自然との共生
   柔軟な宗教観
   「権威」と「権力」の分離、中空構造
   日本人の「当事者意識」の強さ

   確かに、同じ国土で一国の文化文明を中断することなく継続し続けた国は日本だけであり、これが、ハッチントン「文明の衝突」で、日本文明を8大文明のひとつとして独立して認めた由縁でもある。
   また、強烈な一神教や原理主義を排す森羅万象総てを神と仰ぐ八百万信仰や宗教に対する好い加減さと言うか柔軟性も、天照大神の頃からの伝統で良く分かる。
   権威と権力の分離については、天皇制に象徴され、同時に、「御輿に乗っておれば良い」とする中空構造の思想は、政治は勿論企業の組織にも支配的な考え方でもある。
   当事者意識の強さと現場力の重要さは、正に、日本の産業と経営の基礎で、これは、あの「戦場にかける橋」で日英の差が浮き彫りにされ、トヨタのジャスト・イン・タイムなどトヨタ・ウェイが如実に示している。

   ただ、疑問に感じるのは、縄文時代の影響を強調し過ぎていることで、先日このブログでも書いたが、歴博が、日本の弥生時代が通説より500年も早く始まっていたと検証していることを考慮に入れ、自然との共生が殆ど原始的な生活に近い弥生時代に断絶する筈がなく、むしろ、自然と調和しながら生活した弥生時代の方が、もっと、自然と人間との関わりが密ではなかったと私は思っている。
   別な所で、中谷学長は、日本文明における弥生時代の影響を強調した柳田国男説を排除しているが、日本の文明には、農耕民族的な色彩が濃厚であって、断じて狩猟民族のそれである筈がない。
   機械文明や、科学技術が優勢になっている現代と違って、人間生活の総てが自然優位の中で自然に規制されて生活していた古代においては、生産システムは別として、弥生時代によって日本人の自然との関わりが、縄文時代と殆ど変わる筈がない。
   
   中谷学長の主張の眼目は、その日本のユニークさを生かして、世界の進んだ文明や文化を見境なくダボハゼのように熱心に吸収して、「日本化」して滋養とし次ぎの飛躍を目指す日本人のしたたかさである。
   遣唐使や遣隋使を通じて吸収した中国文化を、仮名文化に日本化し、明治維新では、和魂洋才で近代化を図り、戦後には、アメリカの文化文明を熱狂的に取り入れて、世界に冠たる経済大国を築き上げるなど、それは、先進外来文化文明の「吸収」「模倣」「同化」による世界文明へのキャッチアップの連続であった。
   しかし、先進パワーに圧倒され流されることは一度もなく、すべからく総て「日本化」に成功し得たのは、連綿と続いてきた日本民族の文化度と民度の高い「基層文化」の存在と日本民族の自信であったと説く。

   面白かったのは、ハーバードで経済学を学びアメリカかぶれをしていて皆様にご迷惑をおかけしたと自白していたこと。
   恐らく、政府の諮問会議の委員をしていた頃、日本がバブル不況で呻吟し、アメリカがIT革命を始動してニューエコノミー論華かななりし頃で、成長を謳歌していた頃に、アメリカよりの諮問をしていたことであろうか。
   何れにしろ、中谷学長の論調は、ユニークな日本の文明論に立脚した視点からの日本の経済と経営の底力の再考察で、最近の日本的経営の再認識と復権に相通じる動きでもある。

   ところで、この講演は、マイクロソフト主催なので、ITについては、日本は遅れすぎているので、とにかく、今は熱中して最新技術を吸収すべきであると言っていたが、そんな時間と余裕があるのか、疑問なしとしない。
   それに、今回のITデジタル主導の第三次産業革命とグローバリゼーションの潮流は、これまでと全く質をことにしているので、これまでの日本の対応が機能するのかどうかも疑問である。
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八月納涼大歌舞伎・・・裏表先代萩

2007年08月22日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   「裏表先代萩」の裏表と言うことだが、元々の時代物の先代萩の話が表で、それに世話物が裏となって、交互に演じられて、微妙に絡ませながら仕立てあげられた面白い舞台である。
   しかし、シェイクスピアの戯曲のように幾筋もの人間模様が入り組んだ芝居とは違って、いわば、水と油のような時代物と世話物の話が、交わらずに平衡して、たった3時間の間に展開されるのであるから忙しい限りである。

   それに、勘三郎が、下男小助、乳母政岡、仁木弾正三役を勤めるのであるから、全く娯楽の舞台で、器用な役者と言う役回りであるのだが、納涼だから仕方がないのであろうか。
   藤十郎や猿之助なども早代わりで何役も勤めていたし、実はと言う形で二役演じるのは良くあるし、複数の役を演じるのは歌舞伎の舞台の伝統でもある。しかし、私自身は、芝居の舞台と言うものは、本来、一つの短い時間に何役も主役を勤めるのはおかしい、と言うよりも勤められるのがおかしいと感じているので、そのような舞台は役者の器用さを見せるための全くの娯楽ものだと思っている。

   シェイクスピアの舞台でも役者の数が少ないと、複数の役を演じることがままあるが、主役級の掛け持ちはまずない。
   昔、イボ・ビンコが、愛妻のメゾソプラノ・フィオレンツア・コソットのことを、役にはまり込んで永い間覚めないのだと言っていたことがあるが、確かに、アズツェーナを歌った時は、あの鬼気迫る雰囲気はカーテン・コールの時にも覚めていなかった。
   私は、一つの役作りに集中して舞台を勤める、これが役者本来の姿であると思っているので、今回の勘三郎の舞台は、確かに流石に勘三郎で上手いと思って見ていたが、器用な舞台を見せてもらったと言う感慨しかない。
   私が見たのは、今月はこの第三部だけだったが、勘三郎は、朝から晩まで硬軟取り混ぜて何役も演じ続けているのだから何をか況やである。
   仁左衛門が、歌舞伎の舞台では、一度に一役だけをお願いして勤めさせて頂いていると言っていたが、これが、歌舞伎役者でも本来の姿だと思っている。

   全く毛色の違った重要な主役を三役も、それも初役で演じた勘三郎だが、特に、政岡や仁木弾正に至っては、名だたる歌舞伎役者が精魂込めて勤め上げた舞台であるから、これらと比べてどうのと言うのはフェアではないであろう。
   私自身は、魂の込め方は別にして、どの役も水準を越えていると思って見ていたが、政岡で一つだけ気になったのは、栄御前が退出してから一人だけになってから、相当経ってからも、忠節を尽くして目の前で嬲り殺しに合った自分の息子千松の亡骸を直視しなかったし、最後までひっしと抱きしめなかったことである。
   

   ところで、八汐を演じた扇雀だがドスの利いた凄い形相と演技に恐れ入った。
   秀太郎の栄御前の風格は舞台を引き締めて余りあるが、沖の井の孝太郎と松島の高麗蔵も中々素晴らしい格調のある舞台を見せてくれた。

   町医者大場道益の弥十郎の強欲と助平ぶり、家主茂九兵衛の家橘のひょうきんさ、下女お竹の福助の町女の優しく健気な佇まいなど、この大場道益宅の場は、お家騒動先代萩の舞台の一幅の清涼剤として面白い。

   三津五郎は二役と言っても、小助を裁く倉橋弥十郎と仁木弾正を裁く細川勝元の裏表の役だが、はまり役で、中々風格があって貴重な存在である。

   しかし、この通し狂言「裏表先代萩」は、正に、庶民を喜ばせるための先代萩版だと思った。
   シェイクスピアの戯曲も、演じられる度毎に、台詞や演出が変わったと言うし、その変遷で、多くのバージョンが生まれながら進展して行ったというのである。
   芝居も、世につれ人につれである。
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京都大学・新技術説明会・・・科学技術振興機構

2007年08月21日 | イノベーションと経営
   京大の先生方が、大学で生まれた新技術を引っさげて東京に売り込みに来た。12ケースの新技術の内、9ケースは未発表で本邦初公開と言うことでもあり、多くの科学者や技術者が集まって熱心に発表に聞き耳を立てていた。
   京大は総合大学なので、技術開発については、理学、工学、農学のほかにも、医学部のメディカル・バイオ、それに、ソフトウエア・コンテンツ関連もあるので、これらを統合しての話であるが、産官学連携や知財管理等に関して全学上げて体制を整備し、積極的に取り組み始めたようである。

   シリコンバレーから巻き起こったアメリカのITデジタル革命も正にスタンフォード大学から始動したようなもので、日本の動きは何十年も遅れた感じであるが、
   日本も、国立大学が独立行政法人化し、経産省、文科省等やその関連の政府機関が積極的に科学技術の振興やイノベーション戦略を推進し始めてから、大学発の発明発見・知財等が注目され始め、活発に事業化が図られるようになってきた。
   MOTの普及の一環でもあるのであろうか、新技術を発表する京大の学者達も、結構、自分たちの新発明の技術についての事業化については、熱意を示していて、時代も変わったものだと思って聞いていた。

   新技術の説明については、土木工学系、情報通信系、医学・バイオ系、理工学系の新素材や新技術などバラエティに富んでいたが、門外漢の私には良く分からない分野の話なので、フォローするのが大変であったが、予定があって、後半の新素材など理工学系の斬新な発明について聴講をミスったのが残念であった。

   問題は、新しい発見や発明が行われてシーズがいくら沢山生まれて来ても、これが、イノベーションとして実用化、事業化されるまでには大変な過程を経なければならないと言うことである。
   あの超有名商品になっている3Mのポストイットにしても、接着技術の開発に失敗した技術を逆利用したイノベーションなのだが、実用化されるまでには大変な紆余曲折を経て随分な時間を要したと聞く。
   まして、用途の特定出来ない新技術の発明についての実用化については、周辺技術の開発や製品化、事業採算の見込み等あらゆる条件が成熟しない限り実現は難しい。
   それに、電話とラジオのように、発明の意図と実際の実用とが全く逆転して実用化されることなど、思いがけない形でイノベーションが起こる事もある。

   ところで、京大では、新しい理工学系の拠点として開発された桂キャンパス周辺が、科学技術の発明発見拠点としてだけではなく、R&D,新産業のインキュベーションやベンチャー拠点などとして総合的に開発されて行くようであるが、非常に素晴らしいことである。
   元々、京都はベンチャーは勿論、伝統技術と最新の技術を駆使した優良な新産業が生まれ出る土壌であり、今でも、技術に優れた優良企業の多くが京都を拠点にしている。
   
   この京大で生まれつつある優良な新しい新発見や新発明については、グローバル時代であるから、日本企業の開発・イノベーション化については多くを期待出来ないので、世界に向かって英語で情報を発信してパートナーを探すべきだと思う。
   何時も思うのだが、理工学系だけではなく、文科系も含めて京大にはユニークな知の集積が充満しているので、これを如何に外に向かって発信して活性化すべきか、もっと頭を使って考えるべきである。
   ドラッカーの言を待つまでもなく、大学に一番欠けているのは、マネジメントの意識とその能力である。
   
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飛行機の旅

2007年08月20日 | 海外生活と旅
   中華航空のボーイング737-800の炎上事故を見ながら、幸い、自分には航空機の事故が全くなかったのを思いだして幸せを噛み締めている。
   1972年にアメリカに留学してから、その後、結構長い間、海外で生活したり、海外に関係する業務に携っていたので、飛行機に乗ってあっちこっち移動することが多かった。
   数えたことがないので分からないが、飛行機に乗ったのは1000回近くはあるような気がするが、その大部分は海外であったと思う。

   日本からの往復は、特別なことがなければ大抵JALであった。都合で外国のエアラインにしたことがあったが、正直な所、何故かこの方が面白かった。
   外国のエアラインには、夫々、個性があって興味深いが、やはり、それは、乗客や乗務員、それに、母国の空港など全体が醸し出す雰囲気が異国的でエキゾチックであったからであろうと思う。

   アメリカの飛行機については、全く、普通の乗り物と言う感じで、違和感も不安感も何もなく、安心して乗っていた。それは、大航空会社もローカル会社の小型機でも同じであった。
   しかし、ハワイについては、アメリカ人は外国のように思っているようで、本土の空港のゲートから異国情緒が漂っていて、スチュワーデスもムームーを着ていたし客の雰囲気もリラックスしていた。

   私の思い出に残っているのは、4年間のブラジル生活で飛び回ったラテンアメリカの航空会社のことである。
   今もそれほど変わらないようだが、28時間くらいかかって、ロスーリマ経由か、ニューヨーク経由でリオデジャネイロに向かうのだが、飛行機の中で二泊する形になる。アマゾンの上空で夜が少し白みかかり、それからが長い。
   少し前に、航空機が空港のガソリンスタンドに突っ込んだと言うコンゴニアス空港に着きサンパウロ市内に入るのだが、私が、ブラジルに居た時も、この空港で大きな飛行機事故があった。
   この空港の着陸用滑走路は、サンパウロに入る幹線道路の真上から始まって、自動車の上空ほんの数十メートル上を飛行機が飛んで着陸するのだが、いかに限界ぎりぎりで着地するかパイロット間で競争していて、着陸を誤って大事故を起こしたのだと新聞が報じていた。

   サンパウロからパラグアイのアスンションへ良く通ったのだが、途中にイグアス空港に立ち寄る。
   サンパウロからのヴァリーグ機は、ボーイング727か737だったと思うのだが、必ず、イグアスの滝に近付いて、上空で、右旋回と左旋回を繰り返して、軽飛行機のように、イグアスの滝を見せてくれたのである。
   随分窓から写真を撮った筈だが、季節の変わり目や水量の変動でイグアスの滝の姿が変化しているのが面白かった。
   滝壺に近付いて仰ぐイグアスの滝も凄いが、上空からの広大なイグアスの展望も壮大で、それに、悪魔の喉笛の迫力はまた格別なのである。
   流石に、アルゼンチン航空やアメリカの航空機は、こんな危ないアクロバットのようなサービスはしなかった。

   アスンションに飛ぶのに、パラグアイ航空の地を這って飛んでいるような古いターボプロップ機に乗ったり、ボリビア航空のジエット機に乗ってエンジン音を気にしながらアンデス越えをしたり一挙にゼロメートルのアマゾンに降下したりしていたが、他のラテンアメリカに行く時にも、意識して、コロンビア、チリ、ヴェネズエラ等々その国の飛行機に乗っていたが、若くて元気だった頃だったから出来たのかも知れないと思っている。

   アジアについては、中華航空や中国の飛行機についてはあまり良い思い出がないが、シンガポール航空やキャセイパシフィックは流石に立派な航空会社であったし、タイ航空なども良かった。

   ヨーロッパの滞在が一番永かったので、ヨーロッパの航空会社との思い出が多い。
   ロンドンに居た時には英国航空、アムステルダムに居た時にはKLMオランダ航空を利用することが多かったが、他の国に行く時には、その国の航空会社を使うことが多かったのは、その方が入国する時など何かと便利だったからでもある。
   特に、べルリンの壁崩壊前後にブダペストに入る時など、マレーヴ・ハンガリー航空を使う方が気が楽であった。
   ヨーロッパには沢山の思い出があるが、一つだけ書くと、それは、ローマから中東に向かう途中に、アリタリア航空機の窓から、真っ青なエーゲ海の中に、真っ白に光るテラ島(サントリーニ島)の島影を見た時である。火山で吹き飛んで周りの側だけ残った独特な島影であるから目に焼きついているのだが、期せずして見ることが出来たので、アトランティスの伝説を思い出して感慨無量であった。
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世界最高水準のインドの白内障手術・・・貧民事業から

2007年08月19日 | イノベーションと経営
   「アラビンド・アイ・ケア・システム」は、本来インドの極貧層の患者を救済するために始められたのだが、手術に関するプロセスを根本的に変えて、年間20万件以上の白内障手術を行っているが、世界最高水準のサービスを提供し続けている。
   同じ手術を米国で受ければ、2600~3000ドルかかるのに、アラビンドでは、50~100ドルで済む。人工の眼内レンズも自分たちで作っていて、米国で200ドルするものが、ここでは5ドルである。勿論、アメリカを始め外国へ輸出している。

   この話も、C.K.プラハラード教授の「ネクスト・マーケット」に記載されているBOPビジネスの成功例であるが、常識を覆すような解決策が高度なプロセス・イノベーションでシステマチックに行われているのが凄い。
   病院では、地元で選ばれて目のケア専門に訓練された若い女性の看護士達が、患者の手術前手術後のケアにあたり、医師は手術に専念するのだが、一人の医師と二人の看護士からなるチームで、1日に50例以上の手術を行う。
   徹底的に訓練を受けた医師や看護士達が、インプットをミスなく処理し、システムを正確に機能させ、サービスを確実に提供している。

   このシステムを開発した人間国宝G.ベンカタスワミー医師は、国立マドゥライ医大の眼科学部長を引退後、上手く治療すれば本来治る筈なのに視力を失った人が4500万人、インドだけでも900万人いるので、まず、故郷タミル・ナードゥ地方から根絶しようと立ち上がった。
   まず、1500以上の「アイ・キャンプ」眼科の巡回診療を実施し、各地を巡回し、貧困層の視覚の異常状態を調べて、治療が必要な人を特定して自分たちの病院に移し手術・治療を行いながら、アラビンドの標準プロセスを開発したと言う。
   日本人の好きな「総合○○」と言うシステムではなく、眼科一筋に、集中と選択で徹底的にシステムを磨きぬき深掘りして、今では、研究、製作、教育訓練、遠隔医療も手がけている。

   同じ様な例が、エスコート病院では、心臓病の治療を専門に行っていて、既に6000件にのぼる心臓外科手術を実施している。
   欧米で手術を受ければ莫大な費用がかかるが、ここでは治療費は3000ドルで心臓外科手術を受けられるので、英国の国民保険制度が、コスト削減と手術待機期間を短縮するために、心臓病患者をインドへ送ることを検討している。
   
   IT大国として脚光を浴びているインドの、凄い国力の別な一面を見た感じであるが、ここでの貴重な教訓は別にある。
   最貧層のBOP(The Bottom of the Pyramid)の顧客に焦点を絞り、世界トップの高品質を提供することで、コスト構造が劇的に変化し、世界的な市場機会を創出すると言うイノベーションの果たす役割である。

   プラハラード教授は、この本で、貧困層に生きる機会を与えた「ジャイプル・フット」と言うインドの義足の開発にも触れて、劣悪な条件を総てクリアして、アメリカでは8000ドルもする義足よりもはるかに上等な義足を30ドルで作り出し総て無償で提供されていると紹介している。
   インドの貧困層の人々は、日常的に床にしゃがんだり、あぐらをかいたり、でこぼこ道を裸足で走る。安いのは当然で、指導者もいないし教育水準も低いので難しい装着の仕方などでは無理だし、劣悪なインフラ環境であるから頑丈で耐久力がなければならない。・・・BOP市場の顧客に受け入れて貰う為には、先進国の消費者ニーズよりはるかに高い機能を持った製品を開発しなければならないが、これこそ本当にイノベーションである。

    
   プラハラード教授は別な所で述べているが、環境問題をクリアするような製品が案外このようなBOP市場から生まれてくるような気がしている。最も劣悪な社会インフラ環境で生活しているのは貧困層の消費者であり、彼らが一番欲しがっているのは、所謂「贅沢品」と看做される商品だと言うからである。
   貧困層の支出の中身を見ると、先進国の消費者の優先順位と全く違う。衛生用品や清潔な水道水、より快適な住居ではなく、「贅沢品」が第一で、土地所有権もなく住居の周りはインフラも整備されていない劣悪な環境の中でも、殆どの家にはTVやガスレンジがある。
   我々の常識が全く彼らの常識ではないそんな世界が、まだ、世界人口の半分以上を占めていると言うこのグローバル社会だが、案外、発想を変えてビジネスに取り組む必要を示唆しているような気がしている。
   
   
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ドラッカーの教訓無視の中国ビジネス

2007年08月18日 | 経営・ビジネス
   中国製品の最も危険なものは、有害鉛塗装のおもちゃなどの粗悪品ではなく、富に富を積み重ねるブーム過剰の資本主義文化である。
   大規模な中国製品の相次ぐリコールに痺れを切らして、アメリカの消費者製品安全委員会が政府へ執拗な抗議を続け、監視団体が、中国からの輸入おもちゃなどの独立した第三者の検査を要求するなど、益々、中国製品への風当たりが強くなって来ている。
   しかし、必要なことは、そんなことではなく、台頭著しい中国の工場主や経営者に、自分たちのビジネスを維持する為には、そして、中国の資本主義を維持するためには、彼等自身が、社会的責任の意識を持つことが必須であることを思い知らせることである。

   このように主張をするのは、BusinessWeek誌のリック・ウォーツマン記者で、クレアモントでの中国企業家達とのシンポジウムを報じながら、ピーター・ドラッカーの企業の社会的責任論に言及していて面白い。

   経営に携る者は、すべからくプロフェッショナルでなければならないが、そのプロフェッショナルのプロとしての心得は、2500年も前に、ギリシャの名医ヒポクラテスが、「知りながら害をなすな」と明確に言っていると、ドラッカーは随所で述べていたが、このプロフェッショナル倫理の基本ルールが、完全に中国には欠落していると言うことである。

   ”開発途上国は、容易に技術も、資本も輸入出来る。しかし、技術も資本も、単なる道具にしか過ぎず、適切で有効なマネジメントによって正しく活用されない限り有効にはならない。そのようなマネジメント能力を持った有能な人材の一大集団を生み出すことが、中国にとって最重要事項であって、また、それが、中国にとって最も大きなチャンスとなる。”とドラッカーは言っている。
   しかし、中国は、金を儲ける為には何をやっても良いと言うか、事業の拡大、利益の追求に走り過ぎて、大切な企業経営者の育成と企業倫理を忘れてしまった。
   もっとも、アメリカでも日本でも企業倫理に悖った経営を行っていて恥とも思わない輩が跡を絶たないが、中国のように急拡大を続けている経済社会ほど、あらゆる生活の場に、ドラッカーのような思想・考え方を、繊維のように紡ぎ張り巡らさなければならないと言うのである。

   ところで、このクレアモントのシンポジウムには、中国のドラッカー学者ミングロ・シャオ氏が出席していて、中国で、自分のピーター・ドラッカー・アカデミーで、毎年、3000人の学生に経営学を教えていると言う。
   ドラッカーが、シャオ氏に、並の大学やビジネススクールを作るのではなく、新しい経営カルチュアの構築を試みよと諭したと言う。
   シャオ氏は、共産中国が誕生した1949年に生まれ、文革の時に、西北部の農場に下放され貧しくて洞穴に住んでいたのを友人に助け出され香港に送られた。
   事業にも成功し、その間に、ドラッカーを読み、その教えに心酔し切って、ドラッカーの経営哲学に基づいた学校を設立したのである。

   「ドラッカーを中国の若い世代に教えても万能薬にはならない。しかし、スタートするのには悪い場所ではない。」と言うのが、ウォーツマンの説だが、中国が、大きく躍動していることが良く分かって面白い。
   ドラッカーは、日本人がもっとも敬愛する経営学者だと言うが、その思想に心酔して学校まで建てる人は、日本には居ないであろうし、
   ある意味では、資本主義国においてでも、非常にラジカルで急先鋒である筈のドラッカーの思想を教えようとする学校が、共産中国にあって、経営者のたまごを育成しているなどと言うのは実に爽快なことではないか。
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子供映画の世界・・・ポケモン

2007年08月17日 | 生活随想・趣味
   このお盆休みに、孫に付き合って2回子供映画を見に出かけた。
   「孫悟空」と「ポケットモンスター ダイヤモンド・パール」である。
   2回とも、シネコンのワーナー・マイカル・シネマズなので、小劇場ながら、歌舞伎座などよりイスも音響も上等であるし、2時間と少しの暑さしのぎには丁度良い。

   三蔵法師の仏教を求めての筆舌を尽くしがたい苦難の旅を思えば、換骨奪胎も甚だしいが、孫悟空は、御馴染みの娯楽映画で、殆ど印象には残らないが、それなりに面白かった。

   ポケモンの方は、TVも含めて何度か見ているが、よく考えてみれば、別に考えなくても良いのだが、ストーリーは、結構、子供離れしていて難しいのである。
   それに、ポケット・モンスターと言うが、ピカチューのように可愛いプチ・モンスターではなく、今回は、異次元を代表するモンスター・ディアルガとパルキアの壮絶な戦いなのである。
   「時と空が溶け合うとき、大いなるいかりが世界を包む」と言った高級な予言に導かれた時のモンスターと空のモンスターの戦いで、これに人間世界の楽園アラモスタウンに住むポケモン・ダークライが追っ払うべく戦いを挑む。
   結局、最後は、苦心惨憺して、主人公のサトシ少年とピカチューが、アラモスタウンにある時空の塔の音楽塔にオラシオンと言う祈りの音盤を嵌めこんで楽を奏すると、ディアルガとパルキアの戦いが終わり、町が救われると言う話である。

   最近、ハーバードの教授が言い出して、4次元の世界が脚光を浴びている。
   とにかく、このポケモンの話のような説が成り立つのかどうかは別にして、普通の大人にも良く分からない概念なので、このポケモンのストーリーが、幼稚園や小学生の子供に分かる筈がない。異次元のポケモンの遭遇が、何故、町をメルトダウンさせるのか、子供に聞かれて上手く答えられるママがいるのであろうか。
   しかし、何故か、分かっても分からなくても子供たちに人気があって、今回でこのポケモン映画も、10周年記念を迎えたという。

   この頃、子供にとって映画やTVの世界は、分かると言う概念ではなく、感じる、からだ全体で反応すると言う次元で考えないと、理解できないような気がしている。
   同時に、この映画も、言うならば、IT時代、科学技術万能時代の新しい子供たちの童話であって、形を変えた夢の世界かも知れない。
   自分に強烈な印象を植え付けたインパクトだけが、強く増幅された形で記憶に残ると言うことであろうか。

   このお盆休みに、TVで過去の劇場版ポケモン映画を放映していたので、DVDに録画しておいたら、孫が熱心に見ていた。
   映像と音響効果を上手く駆使して作りあげたポケモン映画は、やはり、大したものだと思いながら見ているのだが、私には分からない形で、子供たちに強烈なメッセージとインパクトを与えているのであろう。
   子供にかえって、その世界を感じてみたいと思ったりしている。
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