熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

世論調査は信用できるのであろうか

2010年10月31日 | 政治・経済・社会
   菅内閣の支持率や小沢元幹事長の国会での説明責任など、頻繁に世論調査が行われて発表されているのだが、1000人や2000人くらいのサンプリングくらいの調査で、正しい予測数値が出るのか、いつも、疑問に感じている。
   調査には、NHKなどは、調査員に戸別訪問をさせて調査する「 個別訪問面接聴取法」を採用することもあるようだが、新聞社などのメディアは、電話による「 RDD方式(乱数番号法、Random Digit Dialing)」を取っていることが多いらしい。
   RDD方式と言うのは、ウイキペディアによると、「コンピュータで乱数計算を基に電話番号を発生させて電話をかけ、応答した相手に質問を行う方式で、従来の固定電話を対象として行なわれる。NTTなどの電話帳に掲載されていない電話番号も抽出対象となりえる。」らしい。

   私も、昔イギリスにいた時に、電話が架かって来て、ヒースロー空港の新ターミナルの建設について、30分間ほど、詳細なRDD調査を受けたことがあるので知っているのだが、実際に、電話が架かって来ても、サンプリング調査に応じるのは、10%くらいだと言う話もあり、偶々私が出たが、固定電話であるから、誰が出て答えるかは全く未知数である。
   乱数計算によって選ばれた電話番号に無作為に調査を架けると言うことだが、果たして、これが、公平なサンプリングになるのであろうか。

   ビル・タンサーが、近著「クリック」の中で、携帯電話だけの世帯である「コードカッター」が増加の傾向にあって、それも、所得の低い世帯の22%がそのコードカッターで、富裕層の二倍になっていて、選挙前の世論調査なども固定電話の番号だけを対象にした無作為調査が行われるのだが、「下流」世帯の増殖が調査結果を歪める?のではないかと疑問を呈している。
   現実には、それ程影響がないにしても、携帯電話しか持たない人の著しい増加と、携帯電話、固定電話両方を所有する人の割合の急激な低下によって、人口動態を適正に反映した調査対象者の抽出が難しくなってきたと言う。日本でも、NTTの固定電話が減少傾向にあると聞く。

   古典的なサンプリング調査の失敗で、タンサ―が挙げているのは、リテラリー・ダイジェスト誌の実施した1936年のアメリカ大統領選の予測調査で、フランクリン・ルーズベルトではなく、アルフレッド・ランドンの地滑り的勝利を予測して有権者に衝撃を与えた。
   何と、調査対象の抽出に利用したのは、「自動車の登録台帳」「電話帳」で、当時としての富裕な所帯ばかりを選んで調査してしまったので、当然、ランドンを候補に立てた共和党への支持が高かったと言うのであるが、サンプリングを誤った典型である。

   電話調査について信用できるのかどうか、タンサ―は面白い例を上げている。
   たとえば、ポルノへの支出調査で電話を掛けた場合に、そんな調査に喜んで答える人間がいるのか、また、調査対象者の回答を鵜呑みにして良いのかと言う疑問である。
   着信拒否設定や留守番電話が使われ、他人に対する警戒心が増すばかりの時代に、調査にも、若者は忙しくてプライバシーの意識も高くて調査を受けたがらないので、もっと年齢が高くて協力的な調査対象者のデータに偏ってしまう。
   まして、調査回答に当たっては、自分を「明るく」「健康的な」生活を送っている人物に見られたいと思っているので、アダルト向けのサイトにいくら払っているかなどと聞き出すのはベテラン調査員でも至難の業だと言うのである。
   このことは、選挙予測の電話調査にも反映されていて、調査対象者が、必ずしも、正しい回答をするとは限らないと言う。

   要するに、調査のサンプルが、その国なり地方の人口動態を正しく反映していることが必須で、電話調査にしろ、インターネット調査にしろ、かなり、現実からの乖離があり、先の民主党選挙戦予測で、電話調査では菅直人が優勢であったが、インターネット調査では小沢一郎が優勢であったなど、サンプル選択の違いが、結果に如実に表れてくる。
   日本の場合には、若者を見ていれば、殆ど携帯電話だけのようで、インターネット関連ならいざ知らず、固定電話など持っていない人も多くて、明らかに、固定電話の保有者が、日本の人口動態を正確に反映しなくなっている。
   私など、ディスプレイを見て、認知できる電話しか受話器を上げないのだが、友人知人たちの中にも、不明電話への対応に慎重な人が多くなっていることを考えれば、電話調査に簡単に対応するような人は、非常に稀な天然記念物のようなもので、益々、固定電話のRDD方式調査が平均的人口動態からスキューしていくのではないかと思っている。

   いずれにしろ、世論調査や市場調査の技術は長足の進歩を遂げてはいるものの、正確な調査結果を導き出すための適切なサンプル抽出は、永遠の課題であり、あくまで、一つの調査であり、正確かどうかの保証は必ずしもないと言えよう。
   NHKテレビなどでは、頻繁に、このRDD方式による政府支持率などの調査結果を、あたかも、国民の正しい審判の結果のように、嬉々として報道し続けているが、方向性は分かるとしても、権威ある数字のように扱うのには、多少の後ろめたさをも感じてほしいと思っている。
   
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台風を押しての町内会日帰りバスツアー

2010年10月30日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   季節外れの台風が、急に日本に接近してきて、曇り時々雨の天気予報が、一挙に、大雨大嵐に変わってしまった。
   1日ずれると思っていた台風が、速度を速めて、随分前から私が責任者として準備していた町内会日帰りバスツアーの当日、目的地の三浦半島に最も接近すると言うのである。
   NHKなどの天気予報では、10月30日は夜にかけて、関東地方を襲うので、極力外出を控えるようにと、何度も繰り返して警告をしていた。、
   
   当初の予定は、千葉から館山道を木更津を経て、その先の富津金谷港からフェリーで久里浜港に渡り、城ケ島を経て油壷でマグロ料理の昼食をとる。その後、三崎港で海産物の買い物をして、キリン横浜ビアビレッジ見学後、アクアラインで海ほたるに出て帰途に就く。と言うものであった。
   しかし、台風接近であれば、たとえフェリーが運航していても、海路を取るのは避けなければならない。前日午後早くに、銚子地方気象台に電話で聞いても、当然のこととして至って冷たい返事が返ってきた。

   前日29日の午後の段階で、台風が来るのが分かっていて、町内会のバスツアー、それも、参加者の相当数が老人であるバスツアーを実施することが、果たして適切なのかどうか、と言う私なりの疑問が湧いてきた。
   所謂、ビジネスでは、このような不測の事態が起こった場合の危機管理の問題でもあるのだが、危険を避けるために、どのような手段を取るのが最も適切かと言う意思決定である。
   選択肢はいくらか考えられるが、諸般の事情で、中止なり、延期するするのは無理だとは分かっていたのだが、念のために、エージェントに、そのためには、キャンセル料がいくらかかるのか照会してみた。
   キャンセル料が安ければ、多少の犠牲を払ってでも、次には台風が来るようなことはないであろうから、1週間なり2週間なり、延期して見てはどうかと思ったのである。

   しかし、前日の事でもあり、すべて準備が整っているので、キャンセル料は、昼食の方は80%、バスの方は50%と言うことで、これでは、殆ど経費が飛んでしまって、延期して再開することなどは不可能であることが分かった。
   一方的な中止については、参加希望者がいる限り不可能であるし、とにかく、キャンセルや延期と言う選択肢が取れなくなったので、旅程などを再考しなおして、秋晴れモードから台風モードにスケジュールを切り替えて実施する以外に方法がないこと言う結論に達した。
   29日の夜までには、NHKテレビなどの台風警告放送を見て不安になった参加予定者からいくらか担当者に電話が架かってきたようだが、フェリーの使用は止める旨伝えたら安心したと言うような答えがあったようで、キャンセルは、お年寄りのご夫婦2組を含めて7人で、思ったより少なく、殆どの人が、台風下でのバス旅行を容認していると言う感触を得た。
   前日夜の時点で、参加予定者は、128人。
   エージェントにも、スケジュール変更など旅程などを台風対応の安全モードに切り替えるよう指示し、バス旅行担当の役員の人たちにも、万全を期すようにお願いして、バスツアーを予定通り実施することにした。
   (尤も、このような交渉、延期キャンセル、旅程調整等々は、一切、町内会の役員・担当者と十分な連絡協議を行った上で進めてきている。しかし、事故や危険を一切避けて、出来るだけ当初の計画通りに楽しんで貰うべくツアーを進めると言う二律背反する選択と決断を瞬時に下さねばならないので、結局、方向付けは、時間的な制約もあり、私自身が先導する以外にはないと思って行動した。)

   30日朝7時前、傘を差しながら思い思いの行楽スタイルで参集してきた人々が、3台のバスに分乗し始めたのだが、特に変わった様子もなかったので、台風の状況次第で、旅程を変更したり、場合によっては、早く切り上げて帰途に就くとか、臨機応変に対応することにして、出発した。
   当然、新趣向であったフェリーやアクアライン経由の海ほたるなどは、キャンセルして、安全な高速道路を経て横横道経由での油壷・三崎行きとなった。
   台風対応モードのバスツアーに変更することを参加者に説明して了解を頂いた。

   結局、全日雨降りで、多少風が強かったので、殆どバスの中か室内での行動ではあったが、京急油壺マリンパークでの水族館とイルカショー、京急油壷観潮荘での昼食・温泉入浴、三崎漁港での海産物の買い物、キリン横浜ビアビレッジ見学・試飲と言ったスケジュールを熟して、雨に濡れた素晴らしい横浜と東京の夜景を眺めながら帰途に就いた。
   途中、三崎漁港(口絵写真)で、バスから降りて市場まで歩く間、傘を飛ばされないように注意しなければならなかったくらいで、殆どバスをドア・ツー・ドアにして移動したので、台風の影響は殆ど受けなかったし感じなかった。
   帰って来て、7時のNHKニュースを見て、台風が、今一番関東に接近していると言って大嵐の映像を放映していたが、外では暴風雨が吹き荒れていると言う感じは全くなかった。
   秋晴れの美しい海を見られなかったのは、残念だったが、思ったより台風による風雨が激しくなかったので、それが幸いして、台風下で強行した町内会バスツアーだったが、無事に、どうにか当初の旅程に近い形で実施できたので、ほっとしている。

   海外にいた時には、旅行保険をかけてキャンセルの場合に備えていたが、たとえ掛けていても、この程度の天候悪化では当然下りないでろうから、障害保険以外は殆ど無意味なのであろうが、私自身は、折角楽しみにして来たのに、台風が心配でキャンセルせざるを得なかった人たちに、納められた旅行費用を全額返したいと思っているので、どの程度に費用に穴が開くかが問題であり、多少意識の中にはあった。
   
   このバスツアーもそうで、町内会の色々なイヴェントは、町内会の親睦やコミュニケーションを豊かにして、出来るだけ町内の活動や雰囲気を活性化して、みなさんが、町内でのコミュニティ生活に喜びと誇りを持って暮らせるように貢献するのが目的であるから、補助金も出しており、これらのイヴェントが沢山の参加者によって成功すればするほど、予算を食うのだが、輪番制なので仕方なく(?)回って来る町内会の役員のみなさんたちが、ボランティア精神どころか、時には必死になって取り組まれている姿を見ていると、この町も捨てたものではないなあと思うことが多い。

   来年、新春早々、町内会で餅つき大会を予定しているが、町内会館の庭を利用して、在来型の日本の風習通りに、マキを炊いて蒸籠を蒸して、石臼で餅を搗くなどは当然のこととして、子供たちにも焼き芋などを焼いて貰っうなど趣向を凝らして雰囲気を盛り上げて楽しみたいと思っている。
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慶大:清水浩教授~臨界に達すれば一挙に電気自動車の時代に

2010年10月29日 | イノベーションと経営
   ArchiFuture2010のセミナーで、電気自動車Eliicaの慶応大学清水浩教授が、講演「電気自動車時代の建築・都市のゆくえ」を行ったので聴講した。
   プロが運転する世界最速と言われるポルシェ911ターボを、同時にスタートし並走していた清水教授が運転するEliicaが、100メートル手前で一挙に抜き去る凄さを示しながら、夢の電気自動車の未来を熱っぽく語った1時間足らずの講演だったが、イノベーションとは何かを如実に叩きつけて、正に、感動的であった。
   Eliicaの素晴らしさについては、このブログの2008年9月18日に記したので、重複は避けて、今回は、清水教授の語る技術開発こそ、地球環境問題など人類にとって深刻な問題を一挙に解決するカギであり、21世紀は確実によい時代になると言う話に触発されて、イノベーションについて考えてみたいと思う。

   未来が明るいのは、20世紀に生まれた新しい技術が21世紀の地球を変えるからだと言うことで、清水教授が挙げた技術は、太陽電池、ネオジウムー鉄磁石、リチュウムイオン電池、炭素繊維であり、その技術の多くを発明したのは日本人であり、その技術を実用的に使えるようにしたのも日本であるから、日本が率先して、人類の未来のために、地球全体に技術を広めて行く時代だと言うのである。

   たとえば、21世紀は、エネルギーが大量に使えるかどうかにかかっているのだが、地球上の陸地の1.5%に太陽電池を張り巡らすだけで、人類70億人が、現在のアメリカ人が消費している水準と同じだけ使える電力を生み出すことが出来る。これは、ローマが、アッピア街道など道路網を建設したのと同様であり不可能なことではないと言う。
   家庭の屋根に太陽電池を設置するのも、後3年も経てば、電力会社の提供する電気よりも必ず安くなるとも言う。

   イノベーションについての清水教授の興味深い指摘は、デジカメ・携帯の普及グラフを示して、デジカメが銀塩フィルムカメラを、そして、携帯電話が固定電話を、チッピングポイントを超えて凌駕したことを例にして、
   このように、これまでに社会に存在していた革命的な技術は、7年で普及して、以前の技術を消滅の運命に追い込み、更に、市場を大きく拡大して行っていることを考えれば、電気自動車の普及は、急速だと言うのである。

   自動車については、その価値は、乗り心地、加速感、広さにかかっており、この3つの価値の高い車を作れば、必ず普及することは間違いなく、電気自動車こそ、その要件を満たす。
   21世紀の人類にとって、地球環境対策、石油資源の枯渇問題は極めて深刻だが、太陽電池をエネルギー源とする電気自動車は、これらの障害を一挙に解決するばかりではなく、エネルギー効率も、ガソリン車の4倍も高く、トータルとして、省エネ、高性能化、長寿命化に優れている。
   リチウムイオン電池を高性能インバーターで結びネオジ鉄磁石を利用した永久磁石モーターを装備した車輪を回転させて走る電気自動車は、日本でしか開発できなかった先端要素技術の正に精華だと言うことである。
   Eliicaは、モーターは車輪に組み込まれ、電池は床下にコンパクトにフラットに収容されるなど極めてシンプルなので、故障修理については、タイヤの交換くらいで、殆ど心配はない。

   何故、このように素晴らしい電気自動車が、普及しないのかは、値段の問題で、まだ高いからである。
   これらの乗り心地、加速感、広さを誇る電気自動車の生産コストが下がって、その価値に見合うだけの値段に下がりさえすれば、先のデジカメ・携帯普及トレンドのように、一挙にガソリン自動車を凌駕して普及する筈で、時間の問題であると清水教授は強調する。
   私自身もそう思っており、これは、シュンペーターが語ったように、馬車から鉄道へと同様なイノベーションの典型的なケースで、正に、創造的破壊である。

   この創造的破壊、クリステンセンの説く破壊的イノベーションだが、先日のニッコール撮影会でも感じたことだが、デジカメは、銀塩フィルムカメラを凌駕したのみならず、カメラを独立した機器ではなく、パソコンの周辺機器にしてしまったのみならず、写真を自分自身ですべて処理できると言う形で、ユーザーを、正に、アルビン・トフラーの言う生産消費者にしてしまって、写真と言うもののコンセプトを完全に変えてしまったのである。
   私もそうだが、もう後戻りが利かないのである。

   電気自動車も、ガソリンエンジンが、電気モーターに変わったのではなく、馬車から蒸気機関車への転換のように全く新しいコンセプトの乗り物であり、チッピングポイントを越えれば、一挙に、ガソリン車やハイブリッド車を凌駕する筈で、巷で言われているような10年スパンの悠長な話ではないと思うし、在来車の帆船効果は殆ど望めないであろうし、特に、リチウム電池が、持続的イノベーションが功を奏して安く大量生産できるようになれば、一挙に、電気自動車の時代になると思う。

   今、清水教授は、政府や日本産業界の協力を得て、4人乗りの乗用車やバスを開発中で更に量産体制を目指しており、明日の都市交通システムのために自動運転自動車の開発も進めていると言う。
   環境、エネルギーの観点と効率、使いやすさ、技術の容易さから、安く生産出来て10万台レベルの量産体制が始まれば、経験則からでも、僅か7年で、一挙に電気自動車がブレイクすると、清水教授は期待している。
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リチャード・クー・・・「日本経済再生の処方箋」

2010年10月27日 | 政治・経済・社会
   リチャード・クーが、自社のNRI未来創発フォーラム2010で、「日本経済再生への処方箋」と言うテーマで、講演を行った。
   相変わらずの「バランス・シート不況説」を根幹にした理論展開だが、民間部門の資金余剰と、政府部門の財政支出のギャップを比較しながら、欧米の経済の先行きを語り、欧米とも不況の出口どころか入口の段階で、非常に厳しいと予測していた。
   クーの理論は、いわゆるケインジアンであるから、経済不況で民間の支出が不足している時には、財政支出で政府が補なって、需要不足を支えない限り、益々経済が悪化すると言うことである。
   日本経済が、バブル崩壊後、深刻なバランス・シート不況にも拘わらず、経済の極端な落ち込みもなくGDPの成長を続け得たのは、民間需要の落ち込みを財政支出で補ってきたからで、これが、日本の得た貴重な教訓であり、最も適切な不況脱出の処方箋だと、世界中に振れまわっているのだと自賛する。

   現在、日米欧とも、住宅不動産バブルに端を発した経済不況下にあり、債務超過に陥ってバランス・シートが毀損した民間部門は、必死になって貯蓄に励んで、借金を返している段階だが、欧米の場合、その民間の蓄積した資金余剰分を、政府の財政支出でカバー出来ていない上に、国によっては、財政再建を優先して支出を切り詰めるなど、逆行しており、益々需給ギャップが拡大しており経済の先行きは暗いと言う。
   民間の借金返済が終わるまで、政府は、その民間の資金余剰分を賄い得るだけの財政支出を継続すべきで、そうでなければ、不況脱出は無理だと言うことである。

   米国の場合は、不況突入後、法人部門および家計とも貯蓄を増加させて、民間部門の資金余剰が対前年GDP比14.86%あるにも拘わらず、政府部門の支出同比は9.82%で、需給ギャップを埋めるためには大きく不足している。
   それにも拘わらず、中間選挙では、小さな政府を標榜する共和党が勝利すると予想されており、益々、政府の財政支出が削減されるので、経済の回復は益々遠ざかることになると言う。
   ヨーロッパの場合は、ドイツだけ回復基調にあるが依然鉱工業生産は低い水準にありながら、各国とも、民間の資金余剰分を、政府支出で補うには至っておらず、益々、悪化傾向にある。
   イギリスの新政権は、財政再建を謳い始めたが、欧米各国とも、そんな余裕などある筈はないと言う。
   
   金利水準が、世界各国とも、最低水準に張り付いて非常に低く、これまでの経済学の常識では、資金需要があって然るべきだが、それがないのは、毀損したバランス・シートを回復するために、民間が借金返済を優先しており、資金を貸す側の銀行も貸出条件を厳しくして貸し渋っており、資金の借り手も貸し手も不在であるからで、これこそ、バランス・シート不況のなせる業だと言う。
   その典型は、日本で、ゼロ金利にも拘わらず、10年間も、日本企業は、借金返済に走り続けて来たのである。

   リチャード・クーは、日本の民間の需要が拡大しないのを、バランス・シート不況論で論じているのだが、所謂、流動性の罠や、「リカードの中立命題」など、あるいは、他の側面からも検討すべきだと思うが、ここでは、端折って別の機会に回したい。
   クーの論点は、経済が回復し民間の活力が始動しはじめて成長軌道に乗るまで、民間の需要不足を、完全に政府支出で補完し続けなければならないと言うことなので、回復への腰を折った橋本改革や小泉改革には厳しい。

   リチャード・クーの指摘は、バランス・シート不況論も、あるいは、ケインズ流の財政支出的な処方も、短期的な景気循環論や成長論から言えば、正しいのかも知れない。
   しかし、500兆円の政府支出で、経済の落ち込みを支え2000兆円の経済効果があったと以前に語っていたが、これまでにも、何度か論じて来たように、そのために、日本経済を、完全にスポイルして、根底から弱体化してしまった上に、膨大な国家債務を積み増してしまって、立ち上がれないような状態にまで疲弊させてしまったのではないのか。
   需要不足分を、安易な公共投資や補助金などで補てんし続けたために、厳しい国際競争場裏に日本経済を晒さずに、民間企業や地方経済の活力を削ぎ、役人天国を永続させ、ゾンビ企業を温存させる等々語り出せばきりがないが、日本経済を、経済原則や基本的な資本主義の市場原理さえ有効に働かない経済構造に追い込んでしまったのではないか。

   尤も、これら総てが、政府の財政支出によるものとは言えないのは当然だが、リチャード・クーの言うように望ましい財政支出だとは絶対に思わないし、第一、成熟化して疲弊した日本のような経済には、ケインズ流の財政出動の経済効果は、極めて限られており、経済を活性化して牽引して行く力など殆ど望めない筈である。
   大恐慌から米国が脱出できたのは、ニューディールなどのケインズ流の経済政策ではなく、第二次世界大戦の勃発によると言われており、成長盛りの中国やインドなどの新興国や、まだ、活力の残っているアメリカなどには、不況からの経済浮揚策としての財政支出は有効であるかも知れないが、しかし、それも、殆ど短期的な効果であろう。
   その財政支出を、性懲りもなく20年以上も継続し続けて来たことさえ異常な筈なのに、それが、世界に誇るべき日本が学んだ教訓だとどうして言えようか。
   世界中の誰が、かっては、Japan as No.1で世界を牽引した超経済大国であった日本の哀れな現在の姿を見て、成功だと言うであろうか。

   最後に、リチャード・クーは、日本経済は、不況の出口に差し掛かっていると言ったが、本人の手渡した講演資料にも、民間の資金余剰分は、政府支出で埋まっていないし、巷では、需給ギャップが30~35兆円あるとも言われているのだが、本当に、出口にあると言えるのであろうか。
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わが庭の歳時記・・・フェイジョアの実が成った

2010年10月24日 | わが庭の歳時記
   久しぶりに庭仕事を始めた。
   隣との境界の植木が大分伸びて来ているので、その剪定である。
   一方は空地なので、隣家のある方であるが、生垣にしている月桂樹の剪定と、伽羅の生垣を超えて飛び出ているフェイジョアの高い枝の剪定で、両方とも樹勢が強いので、ほおっておけばすぐに伸びてしまう。
   
   このフェイジョアだが、隣家との境界のフェジョアは、日当たりが悪い所為か、殆ど結実しないのだが、道路に面した南面の庭のフェイジョアの一本に沢山の実がなっているのでびっくりした。
   ピンポン玉より一寸大きな感じの丸い実なのだが、20個以上もついていて、今までに、こんなに実が成ったことはなかった。
   この木は、自家不和合性で自家受粉が難しく、私の庭にある5本とも同じ種類の木なので、たまに結実することはあったが、実が小さな内に落ちてしまうのが普通であった。
   
   何故結実したのか、考えられるのは、30メートルほど離れた近所の家に何本かのフェイジョアが植えられているので、その花粉が昆虫によって運ばれてきたと言うことであろうか。
   しかし、それなら、同じ状態であるから、これまでにも結実しも不思議ではない筈である。
   あるいは、そんなことがあるのかどうかは分からないが、今年の猛暑による異常気象の所為かも知れない。
   
   木の実は、硬い殻を切ってゼリー状の果肉を食べたりジャムにするようだが、一度、食べてみたが確かに甘い。
   普通、地面に落ちたのを拾って更に完熟させて食べるようだが、殆ど、フェンスを越えて道路の上に成っているので、諦めると言うことである。
   一度、他の種類のフェイジョアを傍に植え付けて、結実させようと考えたことがあったが、このままでも結実するのなら面白いと思っている。

   今、私の庭では、バラが咲き初めている。
   秋のバラは、色が深く、それに、日持ちが良いので、切り花にしても重宝する。
   
   紫式部が、しっかりと伸びた放物線状の枝に、びっしりと数珠状に鮮やかな紫のキャビアのような実を並べていて、実に風雅である。
   白式部の木は、まだ小さいのだが、これも、全く同じ形で結実していて様になっている。
   私が、最初に紫式部を見たのは、京都の庭で、小さな池の水際にひっそりと伸びていた可憐な姿に引き込まれたのである。
   何となく、水際に似合う木だと言う印象が強いのだが、先日の清水公園でもあっちこっちで群生していたし、私のドライな庭でも生き生きと伸びているので、私の思い過ごしであった。
   その紫式部の枝を掻き分けて伸びた西洋朝顔が、紫式部の優雅な紫を睥睨するかのように我が物顔で咲いているのが面白い。
   
   アメリカハナミズキが、赤い実を沢山つけていたのだが、ヒヨドリが来て全部食べてしまった。
   その隣の枇杷の木に、花芽が出始めた。
   
   今年は、気の所為か、枝垂れ梅と柚子の木が、急に長い新芽が伸びて、一回り木が大きくなった感じがする。
   椿の木は、どれも沢山の花芽をつけて、大分、大きくなってきたが、西王母なども、まだ、咲き出す気配はない。
   虫にやられた崑崙黒の天辺は、殆ど葉がなくなってしまったので、沢山の蕾だけが残っていて、花が咲けば、どんな姿になるのか、変な期待をしている。

   私の庭には、菊など秋の草花を植えていないので、殆ど花気も色気もないのだが、斑入りツワブキの黄色い花が咲き出したので、やっと、恰好がついた感じである。
   園芸店で買った時には、小さな鉢植えだったので、小さな花かと思ったのだが、庭に移植すると、一気にフキのように大きくなって、今では、株分けして、庭のあっちこっちに広がっている。
   津和野に沢山咲いていたので、印象に残っている。
   花が歪で、綺麗に咲かないのが難だが、すっくと伸びた枝先に敢然と咲くのが良い。

   ところで、一度は死んだように元気のなかったプランターのトマトだが、もう殆ど枯れかけていたのだけれど、花をつけていた古木を4本だけ残した。
   8月に入ってからは、花は咲くのだが猛暑のために受粉しないので結実せず、その後は、花も殆ど咲かなくなったので、殆ど切り倒してしまったので、この4本は、僅かな生き残りである。
   古色蒼然と枯れかけた本体とは違って、涼しくなってきてから伸びた新枝には、沢山の小さな実がなっている。
   寒さに向かっているので、色づいて食べられるような状態になるとは思えないが、どこまで育つのか様子を見ようと思っている。
   とにかく、今年の異常な猛暑は、トマトの命まで変えてしまったのである。
   私の庭の植物も、大分異変があったし、昆虫や小鳥の訪れも普段の年と違ったような気がしている。
   
   
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中谷巌先生の日本礼賛論への疑問

2010年10月23日 | 経営・ビジネス
   某社のBPO関係のセミナーで、中谷巌先生の講演「グローバル時代を勝ち抜くための日本企業の心構えとは」を聞いたのだが、相変わらず、アメリカかぶれからの転向を懺悔した「資本主義はなぜ自壊したのか」の延長線上の縄文12000年の歴史を持つ日本礼賛論に基づいた理論を展開していた。
   バブル崩壊前後の日本の経済や企業の黄金時代を投影した日本の実力が、真の日本の実像であると言わんばかりに、それを生み出した日本の歴史や伝統、文化文明に培われた日本人の精神こそ、日本人の真の値打ちであり誇りであって、何でもかんでも、欧米のものを鵜呑みにして飛びついたり導入するのではなく、上手く日本化してきた歴史を踏まえるなど、日本の本当の良さを見直して回帰すべきであると言う論調である。

   中谷先生の仰ることはそれなりに真実であろうし考慮に値するとは思うが、これは、ある意味では一方的な思い込みもあり、もし中谷日本礼賛論が真実であるとするならば、その日本の特質、日本を世界に冠たる経済大国に持ち上げたその要因こそが、時代の潮流に合わなくなって日本の今の苦境があるのであり、むしろ、そこからの脱却、そのリシェイプこそが必要ではないかと思っている。

   中谷先生の論調については、これまで、何回も疑問を呈してきたが、たとえば、中谷先生の礼賛して止まない日本のものづくりの匠と工業製品の質の良さにしても、東京オリンピック前後には、日本製の鉄の質も国際水準に達せずトヨタ車さえ急坂を登れなかったし、私自身が大学生の頃には、まだ「made in Japan」は物まねの粗悪品の代名詞であったし(ドナルド・キーン先生がケンブリッジで、何故、猿真似の国の文学を勉強するのだと揶揄されたと語っていたのを以前に紹介したし)、伝統工芸は別として、日本が、高度な工業立国として世界に雄飛したのは、ほんの半世紀にも満たないのであって、縄文時代からの日本人に備わった特質でも何でもない。
   そして、1960~70年代から快進撃を続けた日本経済を支えた終身雇用や従業員重視など一連の世界に誇るべき経済社会制度、企業経営の質の高さなども、その殆どは終戦後に生まれ出た日本の新しい伝統であって、それ以前とはかなり隔絶していて、まして、縄文時代の遺産である筈がない。

   現在、官僚制度が叩かれている。エズラ・ヴォ―ゲルなどが説いたように、紛れもなく、日本を一等国にのし上げたのは官僚の力が大いに貢献していると思うが、今や、大前研一氏が指摘しているように、今回の屈辱とも言うべき菅・温家宝の廊下会談やレアアースなど一連の中国問題での不都合は、トップポストを民間の丹羽大使に与えた菅内閣に対する外務官僚の嫌がらせサボタージュだということだが、ここまでも、国益を無視した官僚の横暴が跡を絶たなくなるなど、官僚組織が制度疲労の極に達したと言うことで、如何に時代の潮流への逆行が恐ろしいことかを如実に物語っている。
   これと同じことは、日本の経済界産業界にも言えることで、20世紀型の古い体質制度が、いまだに、支配的で、轟音を轟かせて進行しているグローバリゼーションと激変を続けている新経済社会への世界の潮流に乗れずに、キャッチアップ出来ずに取り残されてしまって、生産性も先進国の最低水準にまで下落し、日本企業の国際競争力の低下も極に達して、目も当てられない状況に堕ち込んでしまっているのである。

   中谷先生は、欧米は、一神教の奴隷を前提とした階級社会の文化で、ビジネススクールでは、エリートが如何に人々を支配して統治するかを教えており、底辺を大切にして現場力を涵養する日本には、全く向かない学問であり、まして、工業大国日本産業が築き上げて来たコンセンサス重視の経営哲学にはマッチしないと言う。
   したがって、ICT技術なども、そのまま取り入れるだけではダメで、日本の企業の経営に合った形で導入すべきだと言う。
   しかし、私自身は、最新のICT技術のそのままの導入さえ、まともに出来ない状態であるにも拘わらず、(日本の場合も、まともにICT革命に乗れない故に国力経済力が低下しているのだが)、日本企業の多くが、時代の潮流に取り残されて時代遅れとなってしまった自社の経営システムに合わせて、無理にカスタマイズしてICT技術を導入していることこそ問題だと思っている。
   ICTは、電気のようにゼネラル・パーパス・テクノロジーであるから、自由自在に活用すべきであって、自社独特のICTシステムに固守するなどは愚の骨頂で、グローバルスタンダードとなったオープン・ビジネス・システムに、出来るだけ乗らない限り企業の将来は暗いと言うべきであろう。

   経営にしても、今、快進撃を続けて好業績を上げている企業の大半は、創業者などのワンマン、カリスマ経営者による強力なリーダーシップを発揮した欧米型のトップダウン経営が主流を占めており、プロ意識と能力の欠如した経営戦略なき古い形の経営集団に先導された前世紀型の製造業重視の日本経済界の地盤沈下の潮流は止めようもない状態である。
   したがって、私自身は、今正に、丁度、龍馬の時代と同じ日本の危機の時代であって、日本の旧体制を根本から覆して新しい経済社会体制を築くべく平成維新を起こさない限り日本の明日はないであろうし、日本企業の経営においても、中谷先生が価値を置く時代遅れになった日本の経営哲学(あるとすればの話ではあるが)そのもの、あるいはその相当部分を、根本的に変える必要があると思っている。

   経営学やICT技術は、あくまで、和魂洋才の洋才の様なものであって、まず、そのままの状態で飲み込むべきであって、飲み込めていない状態でどうこう言うべきではなかろう。後ろを振り返っている余裕など、全くなく、明治初期や終戦後に、ダボハゼのように旺盛に洋才を貪り食ったような我武者羅な精神が必要なのである。
   先に述べたように日本企業の経営手法やシステム、あるいは、中谷先生の言う日本ないし日本人の特質の多くは、和魂の域には達していない傍流であって、歴史始まって以来の地滑り的なグローバルベースでの時代の潮流の変化に伍して行けないようなものは、どんどん捨て去って、ICT技術であろうと、最新の経営学であろうと、どんどん飲み込んで消化、かつ、昇華して、とにかく、出来るだけ早く、眠ってしまった日本を始動させるべきであると思う。

   日本および日本人の価値ある特質にマッチした経営手法や技術の導入によって日本化して行くべきだと言う中谷先生の言は如何にも正しいように聞こえるが、その日本および日本人の特質の多くが、時代遅れでポンコツになっており、それが新しい歴史への息吹と胎動を邪魔しているのであって、それを捨て去って、グローバルベースで進行する新しい時代の潮流に同化しない限り、明日の日本はないと言うのが私の主張である。
   日本に今必要なのは、過去の成功体験や成功体質の放棄であり、創造的破壊であるから、むしろ、極論すれば、過去の権威や特質は害になる。
   誤解のないように付言しておきたいのは、私自身は、中谷先生のように、日本の素晴らしい文化や伝統、歴史的偉業や遺産などは勿論のこと、日本と日本人を限りなく誇りに思っていることは人後に落ちないと思っているし、和魂の大切さも十二分に認知しているつもりである。
   日本の、そして、日本人の素晴らしさを誇り自覚して振る舞うことは大切だが、過度に美化して後ろ向きになることは、超音速で激変する今日では、むしろ明日の日本のために、危険すぎると言うことである。
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坂東玉三郎の昆劇「牡丹亭」

2010年10月21日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   名優梅蘭芳の再来とまで中国で話題になった玉三郎の「牡丹亭」が、赤坂で上演されたので出かけて行った。
   幕が上がると、牡丹を描いた背景に中国の連子ですかせた大きな丸窓をあしらったシンプルな舞台に、深窓の令嬢スタイルの美しい姿の玉三郎が、愁いを帯びて下手からゆっくりと登場し、静かに「夢うつろいて 鶯の声 春めぐり来て やるせなく 」と綺麗な蘇州語で歌いだす。
   私など、ドラの音に合わせて、派手な立ち回りや、アクロバティックな演技の印象が強くて、今まで、京劇鑑賞を避けて来たのだが、冒頭から、正に、上質なオペラを見ているような雰囲気に引き込まれて、一挙に、京劇への印象が変わってしまった。
   
   尤も、この夏、無形文化財の世界遺産を記念して行われた奈良東大寺の野外舞台で演じられた中国の名優たちの「牡丹亭」のさわりの素晴らしい舞台を見ているので、大いに期待して行ったのだが、舞台全体が、殆ど歌と踊りで構成されていて、劇と言うよりはオペラそのものであり、とにかく、玉三郎の歌声が素晴らしく魅力的で、それも、非常に難しいと言う蘇州語を、中国人も舌を巻くほど完璧に駆使して語って歌うのであるから、驚異と言うより他にない。
   これまで、玉三郎は、ヨーヨーマやモーリス・ベジャールなどのEAST MEET WEST的な芸術活動や、鼓童 meets 玉三郎などと言った異分野芸術とのコラボレーションを行っており、また、歌舞伎のみならず西洋劇など多方面の舞台芸術にも活動の場を広げているので、祖父や父の代から京劇に関心を持ってアプローチしていたと言うのであるから、この新境地への歩みは当然のことであったのであろう。

   梅蘭芳が、昆劇を学んだと知って、昆劇を勉強するつもりで蘇州に出かけた玉三郎が、牡丹亭を学ぶうちに、どんどん、その魅力に引き込まれてのめり込んで行ったのであろうか。
   玉三郎は、昆劇院の名誉院長張継青さんの指導に必死にしがみ付いて頑張ったのであろう。
   張先生の歌の口の開け方から学んだ。歌や台詞の日本語訳に中国語の発音を記して、それに旋律をつけた。それを見ながら録音を聴き、張先生の歌ったところや台詞の口の開け方などをビデオに撮って、1年間宿に帰って徹底的に学んだと言う。
   今、マシュー・サイドの「非才」を読んでいる。モーツアルトもピカソも、「この世には才能なんてものはなく、総ては努力だ。」と言う素晴らしい結論を立証しているのだが、確かに、イチローのバットだけがいつも血に染まっていたと言うのであるから、中国の関係者たちが、玉三郎の血の滲むような努力に感激して、真の芸術家だと崇めるのも当然であろう。
   
   
   昔、長編TVドラマ「大地の子」で、主演・陸一心を演じて中国語で押し通した上川隆也の役者魂に感激したことがあるのだが、玉三郎の場合には、歌って踊って演技して、2時間半を、完璧に、中国の名優たちを相手にして、希代の名優梅蘭芳級の舞台を蘇州語で演じ果せるのだから、正に、稀有な役者であり、もう、歌舞伎役者と言うよりは、世界的な舞台俳優である。

   この「牡丹亭」は、1598年に湯顕祖が著した昆劇の代表作で、全55幕を上演すれば10日もかかると言うのだが、正に白髪三千丈の国で、歌舞伎の通し狂言の比ではない。
   この玉三郎版「牡丹亭」は、そのうち6場面を玉三郎が、監修監督して厳選して生み出した舞台で、玉三郎が主人公「杜麗娘」を演じている。
   三場構成で、冒頭は、深窓の令嬢杜麗娘が、邸宅の綺麗な庭園に出て遊ぶうちに微睡んでしまったところ、夢の神に誘われて麗しい若者・柳夢梅が表れて恋に落ち、13人の花の神に祝福されて結ばれる。
   夢の恋が忘れられなくなった杜麗娘は、日増しに恋煩いが激しくなって憔悴しきり、死期を悟って自分の絵姿を描いて思いを詞に書き、中秋の名月の美しい夜に、花園の梅の木の下に埋めてくれと言い残してなくなる。
   柳夢梅は、科挙試験受験のために上京途中、杜家の跡地の宿で、太湖石の下から杜麗娘の姿絵を見つけ出し、夢に見た娘が実在したことを知って、昼に夜に絵姿に向かって語りかけているうちに、花の神を感動させ、その導きで墓を掘り起こすと、杜麗娘が蘇り、二人は結ばれる。

   私は、数年前に、上海を訪れた時に、蘇州まで足を延ばした。
   蘇州でも一番美しいと言われる拙政園に行って数時間、中国文化の粋とも言うべき庭園の美しさを楽しむことが出来た。
   今度、この牡丹亭を見ながら、このような素晴らしい庭が舞台として想定されて、杜麗娘の物語が生まれたのであろうと勝手に思いながら夢を膨らませていた。

   この玉三郎の相手を演じる柳夢梅は、東大寺の舞台で見た兪玖林のようで、実にスマートで端正な役者であり、優雅で美しいムーブメントと澄んだ優しい声が印象的で、玉三郎とのデユエットと流れるような踊りが素晴らしい。
   資料が手元にないので、どんな役者が、どんな役を演じたのか分からないが、侍女春香を演じた如何にも可愛い姑娘と言った女優や、母、夢の神、花の神などの役者たちの芸の細やかさや、優雅でリズムに乗った楽しい群舞など実に素晴らしかった。
   一寸、京劇にも興味を持ったので、三国志あたりから、派手な活劇の舞台でも見に行こうかと思っている。

(追記)口絵写真は、CRI online より借用。
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蜷川幸雄シェイクスピア:じゃじゃ馬馴らし

2010年10月20日 | 観劇・文楽・歌舞伎
    蜷川幸雄のシェイクスピアのオールメール・シリーズも第5作目だと言うから、もう立派に定着したと言うことであろう。とにかく、今回の「じゃじゃ馬馴らし」も、非常にパンチの利いた愉快な舞台で、バックに、ボッティチェリの春の絵画を切り取って、シーンに合わせながら展開しており、衣装も時代背景に揃えた感じなので、イタリアのパドヴァの雰囲気が出ていて、違和感がなく、正統派的なシェイクスピア劇であった。
   蜷川作品には、いつも何となく意表をついた斬新な演出が見え隠れするのだが、今回の舞台は、私がイギリスで見たロイヤル・シェイクスピア・カンパニーやロイヤル・ナショナル・シアターなどの舞台と良く似た雰囲気で、他の日本人演出家などのシェイクスピアのように翻訳西洋劇的なところは全くなかった。
   一寸、気になったのは、前半の舞台で、異常に早口の台詞が高射砲のように役者たちの口から迸り出て、筋書きに疎い観客には十分には聞き取れないような演出シーンがあったことで、私自身、何十回とイギリスでシェイクスピア劇を見ているが、初めての経験であった。

   ロンドンのRSCの舞台で、一度、このじゃじゃ馬馴らしを見たのだが、冒頭の酔っぱらいの鋳掛屋スライの登場はかすかに記憶に残っているのだが、殆ど何も覚えていない。
   しかし、私の強烈な印象に残っているのは、フランコ・ゼフィレッリ監督作品の映画で、エリザベス・テイラーのキャタリーナ、リチャード・バートンのペトルーチオの何とも言えない凄まじい迫力と、当時は二人は夫婦であったので、息の合ったアクションと微妙な愛情表現の素晴らしさで、いつもながら豪華で美しいゼフィレッリの舞台に感激して見ていた。
   この映画は、冒頭の道端で寝込んでしまったスライが、領主の館に担ぎ込まれて自分が身分のある者と思い込まされて旅芸人の劇を見せられると言う劇中劇の部分は端折ってしまって、ルーセンショー(山本裕典)がピサから馬を走らせて遊学先パドヴァに入るところから始まる。
   テイラーもバートンもイギリスの俳優であり、元々、シェイクスピアの伝統の中で育った役者であるから、セリフ回しなども極めて正統派で、とにかく、シェイクスピア劇の醍醐味を濃厚に匂わせていて心地よい。

   この男優だけでシェイクスピア劇をやるのは、丁度、「恋に落ちたシェイクスピア」の映画でもおなじみで、当時は、すべて男優ばかりで演じられていたので、何の不思議もないのだが、私は、一度だけ、インドの劇団が男ばかりで演じたシェイクスピア劇を見たけれど、今日では、殆ど、このようなケースはなく、蜷川幸雄の演出は、いわば、先祖がえりと言うことであろう。
   尤も、このじゃじゃ馬馴らしでは、重要な女性の登場人物はパドヴァの富裕な紳士バプティスタ(磯部勉)の二人の娘キャタリーナ(亀治郎)とビアンカ(月川悠貴)の二人しか主役が居ないので、この配役さえ役者を選べば殆ど問題はないのである。
   ビアンカの月川は、初回から蜷川の美少女を演じているし、歌舞伎界きっての若手女形の亀治郎が登場するのであるから、オールメールなどと言った次元の舞台ではなくなってしまっている。

   蜷川歌舞伎では、既に、亀治郎は、「十二夜」で、麻阿を演じて器用な舞台を見せているのだが、今回は、冒頭から派手な大暴れをするじゃじゃ馬女を演じるのであるから、男の地でも通せる女性役でもあり、思う存分舞台狭しと動くことが出来るので、正に、水を得た魚のように、実にダイナミックな舞台を見せている。
   私は、歌舞伎の女形で、亀治郎には、美しくて魅力的な女性を感じたことがなかったが、今度の蜷川の舞台で、白い派手なドレスを身に着けて髪型や飾りをそれなりにアレンジすると、中々魅力的な女性に見えてくるのである。
   大きな鼻と大きな切れ長の目の表情が特に生き生きとしていて、それに、非常にモダンな雰囲気で、歌舞伎同様に、器用に目で語らせるので、豊かな表情となり魅力的なのである。

   ただ、最後に、夫となったペトルーチョ(筧利夫)に馴らされて、完全な女らしい女になったことを証明する「男は主人、王様、支配者」と言ってあがめる決定的な長台詞のところで、やや、大音声に喋りすぎて刀を振り回すのであるから女らしさが薄れてしまったのが気になった。その点、やはり、美しい生身の女であるエリザベス・テイラーの魅力は、格別であった。
   このシェイクスピアからインスピレーションを得た女の蝶への変身が、マイ・フェア・レディであったと言うことを、亀治郎の意識の中にあったなら、画竜点睛を欠かなかったであろうと思っている。

   歌舞伎には演出家が居ないので、歌舞伎の伝統でもある役者自身の阿吽の呼吸と言うのか丁々発止のコラボレーションから舞台が生まれるので、そんなこともあり、亀治郎が自分で工夫して役作りをして蜷川がそれに付加価値をつけて行くと言う手法が、新鮮であったようで、亀治郎の起用で、非常に芝居に広がりが出たような気がした。

   筧のペトルーチョは、流石に芸達者で非常にユニークなパーソナリティが生き生きと花咲いた素晴らしい舞台であった。
   これは、どうしても、映画のリチャード・バートンと比べて見てしまうのだが、舞台と映画の差があるのではあるが、キャタリーナを妻にしたいと言うあたりの気持ちは出ていたが、キャタリーナを訓育して馴らすために、無茶苦茶な井出たちで結婚式に遅れて出てきたり、食卓をひっくり返して絶食に追い込んだりと言った手段が、すべて、馴らすための手練手管の積み重ねであると言うこと、そして、その一つ一つに念を押しながら当たっているのだと言う心理描写が不足気味で、派手な演技だけが目立ってしまってやや空転している感じが、少し気になった。
   ルーセンショーの山本とビアンカの月川の子供のいちゃつきの様な幼い雰囲気の恋が実に良く、若さの溌剌さ素晴らしさを前面に出した演技で、これからが期待される。

(追記)口絵写真は、NHK番組より借用。
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ニッコールクラブ撮影会~清水公園

2010年10月18日 | 展覧会・展示会
   昨日、千葉県野田市にある清水公園でニッコークラブの写真撮影会が開かれたので、久しぶりに出かけた。
   カメラを持ち始めて半世紀以上だから写真歴は古いのだが、気に入ったものを写すと言う趣味だけのカメラ好きだから、一向に上手くならないのだが、いずれにしろ、撮った写真の数は膨大である。
   撮影会は、ニコンとキヤノンくらいしか行ってないので良く分からないが、大体、花の綺麗な郊外の公園が会場で、講師として6~7人のプロのカメラマンが参加し、各々2名くらいの綺麗な若い女性のモデルを担当して撮影場所を設定してポーズを取らせたりして、参加者に写真を写させながらガイダンスすると言った形式で、それに、花専門のプロカメラマンがネイチャー写真指導で加わる。

   今回参集したニコン・ファンは700名と言うことで、広い公園のあっちこっちで、モデルを真ん中にして団子状になって取り囲んで思い思いの愛機で放列を布く。
   やはり、参加者の大半は、60以上の男性と言う感じで、女性や若者は殆ど来ていない。
   撮った写真のコンテストがあるので、熱心なファンは、憧れの先生について回り、まず、場所取りから大変で、目の色を変えているからすぐ分かるのだが、私などは、綺麗な若いモデルの写真を撮ることだけを楽しみに行っているようなものだから、至って、不熱心で、あっちこっち梯子しながら、全部のモデルを撮って回ると言った調子である。

   モデルは、日本人と白人外国人が半々で、今回もそうだったが、ロシア、ウクライナ、エストニアと言った東欧方面やラテン系のモデルが多いようで、北の国の女性などは肌が抜けるように白くて、ミスユニバースの日本代表だった織作峰子先生が人形のように綺麗だと言うのだからシャッター音にも弾みがつく。
   普通、外人モデルは、母国語と英語くらいしか分からないのだけれど、「こっち向いて」くらいは勘で感じて視線を向けてくれるし、一通りカメラマンのいる方向に万遍なく視線を移すので待っていれば良いのだが、時々、頓珍漢な掛け声が出てモデルを笑わせ、シャッター・チャンスを作っている。
   キス・ミーと大声を別の先生が発すると、モデルが笑ったので、こう言えばモデルが喜ぶんだと言っていたが、いずれにしろ、口から出まかせでも良いから、アラーキ―のようにモデルに声をかけ続けるべきなのでろうが、ニコン・ファンは至って大人しくて、こっち向いてとか視線をくださいくらいで殆ど声をかけず、シャッター・チャンスを待ってバシャバシャシャッターを切っている。

   尤も、先生が、場所を決めて適当に指示すれば、モデルたちも慣れておりプロなので、上手く演技をしたりポーズを取ってくれるので、それ程造作もないので、いわば、お仕着せでシャッターを切っていると言う感じである。
   しかし、帰ってパソコンに取り入れた写真を見れば、結構、自分なりにはプロのような感じの良い写真が撮れているように思えるのだが、モデルが良くてプロのようなシチュエーションであれば、程々の写真は撮れるのかも知れない。
   
   この日、久しぶりに取り出して銀塩フィルムカメラF100にF2.8 28-75ミリのレンズをつけて持って行ったのだが、最近デジカメばかり使っているので感が働かずに、結局、フィルム2本がやっとで、後は、デジカメで通した。
   70-300ミリの望遠なので、最大450ミリとなり少々遠くても相当な大写しとなり、顔の表情の変化を狙って撮り続けたのだが、若くて綺麗な乙女のクローズアップ写真は、流石に鑑賞に堪えて、中々のものである。

   しかし、この清水公園は、「花のファンタジア」と言うだけあって、花壇は勿論のこと、どこへ行っても色々な花が咲き乱れていて、実に美しく、丁度、コスモスが最盛期で、かなり広いコスモス畑の壮観は格別であった。
   特に、黄色いコスモスが、淡いクリーム色の絨毯のように広がっていて、ピンクや赤、白の帯状のコスモス畑をバックに光り輝いていた。
   綺麗な乙女も良いが、元々、私は、花の写真が趣味なので、後で、気付いたら、花の写真の方が多かった。
   とにかく、万歩計が15000をオーバーしていたので、趣味と実益を兼ねた撮影会参加は、上出来であったと言うことである。
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ピーター・ナヴァロ著「中国は世界に復讐する」(2)~チャイナ・プライス

2010年10月16日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   チャイナ・プライスと言うのは、アメリカ産業にとって最も恐ろしい言葉で、自社製品の価格を最低3割下げない限り顧客を奪われてしまう。殆どすべての製造業において深刻な影響を受け、経済の勢力図は大幅に塗り替えられつつある。とのニューズ・ウイークの記事を冒頭に掲げて、
   ナヴァロ教授は、このチャイナ・プライスの優位性の多くは、国際貿易のほぼすべての信条や規範に違反しながら貿易習慣を続け、労働者を奴隷同然に働かせた結果として獲得されている。と言う。
   尤も、中国よりももっと賃金の安い国はあるが、中国労働者の方が教育や訓練のお蔭で生産性が高いので競争にならないことは認めている。

   また、急速な経済成長にも拘わらず、賃金が異常に上がらないのは、地方に放置されたままの何億と言う史上最大の「失業予備軍」がいるからで、資本主義には大量の失業が発生すると言うマルクスの主張が、共産中国で証明されていると言う皮肉を交えて、この大量の失業予備軍が、中国人労働者、ひいては世界中の労働者の賃金を押し下げており、内外企業とも、中国では、労働者を劣悪な環境で使い続けられるのであって、中国程、単調かつ過酷で危険を伴い、想像を絶するような劣悪な労働環境を持つ国は、地球上のどこを探してもない。
   このディケンズの小説顔負けの過酷な労働条件に更に輪をかけているのが、奴隷労働で、中国では、子供や女性、時には男性さえも定期的に拉致されて、奥地などの搾取工場で働かされていている。
   また、宗教上・政治上の反体制派が何百万人も、旧ソ連の強制収容所に似た劣悪な環境で労働を強制されているのだが、更に、毛沢東が創設したラオガイ(労働改造所)には4~6百万の国家反逆に問われた人たちがいて、電気製品や雑貨を生産している、などと信じられないような中国の労働市場の暗部を記している。
   
   他にも、職を求める地方の求職者に労働条件を偽って雇用する契約奴隷の存在をニューヨーク・タイムズの記事を引用して説明しているのだが、このような中国人労働者に対する酷い仕打ちは、中国政府の協力なくしてはあり得ないことで、血も涙もない政府は、株式会社や国営企業に対して社員の健康や安全を守る規則を殆ど義務付けていない。
   このような労働者に犠牲を強いて搾取する中国企業や多国籍企業は、労働者の権利を守り福利厚生に意を用いる外国のライバル企業に対してコスト面で優位に立つのは当然であり、中国での競争優位は、不当な手段によって創造されていると言うのである。

   中国の人々にとってのみならず、世界中の人々の命運を左右する更に深刻な問題は、環境汚染である。
   大気汚染の世界ワースト都市20のうち中国都市は16、水質汚染に至っては、中国の広大な河川体系が深刻な汚染に晒されていて半数の河川の水が飲料に適しないなどと言った極めて深刻な状態で、世界の製造業で覇権を握り世界NO.2の経済力を得た見返りが、国土の疲弊と言う代償であった。
   中国企業であろうと多国籍企業であろうと、中国で操業する企業は、どこも費用の掛かる汚染防止技術に投資する必要がないし、どんな有害物質を無差別に河川に投棄しようとも罰せられない。環境に犠牲を強いて、外部経済コストを一切無視したコスト切り捨てであって、不公正な貿易慣習が生んだ優位性である。

   もう一つナヴァロ教授が指摘するのが、知財を無視して中国経済を支えている海賊品・偽造品経済である。
   この偽装・海賊行為は、膨大な開発投資をしてイノベーションを追及する必要もないし、ソフトウエアを始めとする最先端を行くIT技術などへの関連投資や調達コストも、更に、ブランド名を略奪すれば、膨大なマーケティングコストを削減できるなど、中国企業にとっては、製造や生産領域でコスト削減には大いに貢献している。
   ナヴァロ教授は、この中国に蔓延している偽造・海賊行為は、政府の全面的な支持なくしてはあり得ないことで、知財を盗めば、何千万人もの雇用を創出し、国内のインフレ率の上昇を抑えられ、欧米や日本の商品のかなり質の高いまがい物を国内の消費者に低価格で提供できるからであると言う。
   ここで興味深いのは、1949年に建国された中華人民共和国は、私有財産の廃止を土台としたので、「世界のいかなる技術も大衆の所有物だ」と本気で信じている幹部が数世代にわたって存在していると言う指摘である。

   要するにナヴァロ教授の指摘したいのは、露骨な通貨操作、違法な輸出補助金、知財保護の無視、環境や健康、安全に対するゆるやかな基準、奴隷同然の労働環境、巨大な保護障壁等々と言った、国際法規や貿易協定などの精神に違反して行われている中国の不公正な重商主義的な貿易慣習が、チャイナ・プライスを生み出し、グローバル経済を大きくスキューしていると言うことであろうか。
   
   しかし、ナヴァロ教授は、多国籍企業による海外直接投資が、最先端の経営手法や技術を持ち込み、低賃金で働く労働者が底辺を支え、人コネを活用して事業を円滑化する地方の「仲介者」が居て、海外で学んだテクノクラート経営者が束ねると言った成長路線については疑問だとして、
   汚染物資を持ち込んでいるのは大半外国企業であって、健康、安全、環境等の極端に緩い基準を良いことにして、環境を汚染したり労働者の安全を危険に晒して、中国を「汚染の温床」に加担しているのは、海外投資家だと指摘している。

   このナヴァロ教授の強烈な中国批判だが、確かに額面通りに受け取れば酷い。しかし、昔の日本とかなり似通った道程でもあり、ある意味では、先進国アメリカの一方的な見解だと言うニュアンスが強い。
   人権を無視しした経済社会環境で生み出された中国の工業製品が高射砲のようにアメリカに降り注ぎ、国内産業が壊滅状態に陥って失業が増大しているのを許せないのであろうが、12億の最貧困層の未開中国を半世紀も要さずに、ある程度の生活水準に引き上げて、曲がりなりにも、近代的な文化文明の世界を現出して、経済大国にのし上げたのであるから、その成長を多とすべきであって、長い市民社会の歴史を経て民主主義の成熟したアメリカ基準で、中国を推し量るべきではないであろう。

   中国を、経済的植民地にして安価な工業製品を生産させたのは、中国業者を搾取に搾取を重ねて値切り倒して、毎年数兆円もの格安な商品を、人工衛星を二基も打ち上げてIT調達管理をして米国市場に放出しているウォルマートを筆頭に、中国の経済成長を最も歪めて来たのはアメリカ企業であり、その中国人が爪に火を灯して蓄積してきた外貨を借りまくって、どうにか自国経済の辻褄を合わせて維持しているアメリカ経済の体たらくを、どう見るのか。
   この現象は、ベルリンの壁の崩壊と同時に共産圏諸国や新興国が一挙に資本主義市場に雪崩れ込み成立したグローバリゼーションの必然の結果であり、新興国が歴史を短縮して先進国にキャッチアップしようとする厳粛なる道程なのである。

   長くなったので、最後に一言だけ付言しておきたいのは、経済原則と生き抜くための戦略として中国に進出する日本企業に対してだが、
   経済の発展段階では発展途上国であり、政治的にも一党独裁であり、経済社会が非民主的で、先進国と比べれば資本主義制度も民主主義制度も極めて未熟で前近代的な中国であるから、当然、グローバリゼーションの潮流の中では、文化文明が急速に世界水準に平準化せざるを得ないので、その過程で目まぐるしい勢いで、政治経済社会制度や法制度などが、変化、改革革新されて行くので、全く、これまで経験しなかったような企業を取り巻く経営環境が激変するので、それに対処すべき全く新しいカントリー・リスクが発生し、その対応に失敗すると命取りになると言うことである。。
   中国が如何に遅れたお粗末な国であるかは、先のナヴァロ教授の説明で十分だと思うが、そうであればある程、他のBRIC'sや新興国の場合も大なり小なり同様だと思うが、海外進出に対して、この全く新しいカントリー・リスクに如何に対応するのかを肝に銘じるべきだと思っている。
   
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ピーター・ナヴァロ著「中国は世界に復讐する」(1)~日本の場合

2010年10月15日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   中国に対しては、称賛か酷評か、かなりニュアンスの違った書籍が店頭を賑わせているのだが、私は、主に米国人著者の中国関係本、それも、大学教授や著名ジャーナリストが著した本が多いのだが、かなり、中国に対しては辛口の本が多い。
   この本の著者ピーター・ナヴァロは、カリフォルニア大の教授で、「ブラジルに雨が降ったらスターバックスを買え」の著者でもあり、経済紙誌やTVなどでも活躍している著名な学者だが、この本のタイトル「中国は世界に復讐する 原題は The Coming China Wars」どおりで、如何に、中国が危険な国であるかと言うことを、徹頭徹尾分析して、中国脅威論を展開している。
   わずか1年で改訂増補版を出したフリードマンの「フラット化する世界」を引き合いに出して、緊急に改訂版を出さざるを得なくなったのは、初版の「中国を震源とする問題」が、想像以上に深刻で猛烈な勢いで悪化しており慄然としているからだと言う。

   現在、尖閣列島近海での中国船船長逮捕問題を契機に、日中関係が緊張関係にあるが、いずれにしろ、日本にとっては最も重要な隣国であるので、このナヴァロの辛口中国脅威論をテキストにして、中国の現状を、何回かに亘って論じてみたいと思う。
   先に、ロサンゼルス・タイムスのジェームス・マンの「危険な幻想」やカリフォルニア大のスーザン・シャーク教授の「中国 危うい超大国」のブック・レビューでも触れたが、これらの中国本は、極めて学術的にも時事報道においても正確を期した立派な書籍であり、日本の経済的中国依存礼賛論的な多くの書物とは一線を画しており、十分信頼に足るので、恰好の題材だと思っている。
   このナヴァロの本は、中国経済がグローバリゼーションを如何にスキューしているかから始まり、知財に対する海賊行為、飽くなき軍拡、環境破壊、恐怖政治と内紛等々多岐に亘っており、今話題になっているノーベル平和賞問題の深層をも炙り出すような迫力で、中国に迫っているのだが、最後に、中国が唯一のアメリカの中央銀行になってしまってアメリカの首根っこを押さえこんでしまった現実や中国に現れつつある民主化への燭光などについても振れていて、一寸、アメリカの苦悩などが垣間見えていて興味深い。

   冒頭の日本版への序文で、すべての国の中で、来るべきチャイナ・ウォーズの最前線に立つのは日本だとして、経済関係においても、短期的には、中国の経済大国化で経済的恩恵を受けるであろうが、最終的には、日本のライバルにのし上がって世界中の市場で日本を凌駕しようとしており、そうなれば日本経済は壊滅的な打撃を受ける。
   更に、深刻な日本への影響は環境問題で、中国に生産拠点を移している日本にも責任があるが、メイド・イン・チャイナの大気汚染や酸性雨の被害は甚大だとして、アメリカ本土まで及んでいる環境汚染を糾弾する。

   もっと憂慮すべきは、中国国内が混乱すると必ず、日本を「身代わり」にして非難の矛先をかわそうとする傾向で、占領時の歴史を「血染めのシャツ」のように振りかざして反日感情を煽る光景は、世界中でもすっかりお馴染みで、中国政府が、若者の間に過激なナショナリズムを焚き付ける所為で、ジャパン・バッシングは余計に発生しやすくなる。
   要するに、中国で何か問題が発生する度に日本が巻き込まれるので、そんな事態を防ぐためにも、日本は中国に警戒心を抱かせない程度に、主権を守るための防衛力を強化しなければならない、と言う。

   日本の防衛力強化の必要性は、中国が、日本の「正中線」を無視して尖閣列島近海に最先端で最高ランクのミサイル駆逐艦を派遣するなど、東シナ海、それに、南沙・西沙諸島などのアジア海域での石油や天然ガスを巡って、すべてを囲い込む傍若無人な「中国の湖」政策を推進しており、更に、圧倒的な軍事力、特に海軍力の強化によるアジア海域支配の中国の脅威を考慮すれば、日本の「核保有国」への道への選択肢も考え得るとまで説いている。
   この日本の核保有問題だが、かってキッシンジャーも、「日本は核武装に向かう」と言う日高レポートで、「日本はミサイルと核兵器を開発するだろう。日本は既に準備していなければ驚きだ。」と言っている。
   私自身は、これには異論があるが、ならず者国家や強大な軍事国家に囲まれていて絶えず平和の脅威に晒されている日本が、何故、核武装して自国を自分で守ろうとしないのか、大方の欧米人が、不思議に思っていることは事実のようである。

   平和憲法と平和外交故に、核クラブへの参加に抵抗している日本の現状を踏まえながら、ナヴァロは、貿易やエネルギー、環境汚染など中国との摩擦への国内の不満などの深刻な問題以外に、アメリカからの圧力に言及している。
   アメリカは、極東地域で新たな大国として台頭してきた中国に対する重要な対抗勢力として、日本に大いに期待を寄せており、同じようにインドにも圧力をかけていると言う。
   日本の再軍備を迫るアメリカの圧力が更に強まり、極東地域での中国の影響力への対抗勢力としての期待を膨らませて行けば、それが引き金となって本格的な戦争が始まる可能性は否定できないとまで言うのである。

   このアメリカ政府の日本の核開発への圧力が、現実なのかどうかは別として、問題は、日本の国連常任国入りを頑なに拒否し続けるなど日本の国際外交の舞台で足を引っ張り続けて弱体化を狙い、尖閣列島や経済外交などで問題を惹起し続ける中国に対して、日本が如何なるカウンターヴェイリング・パワー(拮抗力)を構築して対抗するのかと言うことである。
   戦略的互恵関係などと言う現実とは遊離した意味不明の観念論が独り歩きしている感じだが、政治的にも経済的にも、中身はともかくとしても、巨大な国際勢力として台頭してきた隣国中国に対して、どのように立ち向かうべきなのか、今日ほど日本自身の確固たる信念と戦略が求められている時はないであろう。
   私自身の考え方については、以降の各論で論じてみたいと思っている。
   
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国立劇場十月歌舞伎公演~「天保遊侠録」「将軍江戸を去る」

2010年10月14日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の国立劇場の歌舞伎は、真山青果の「天保遊侠録」と「将軍江戸を去る」で、風雲急を告げる幕末の演目で、前者には子供時代の、そして、後者には江戸城明け渡しを西郷隆盛と談判する最盛期の勝海舟が登場する。
   青果の新歌舞伎は、いわば、現代劇に近いので、回りくどい古典歌舞伎のような煩わしさがなくて、ストレートに入って来るので、私には、非常に取っ付き易い。
   しかし、それだけに、実際の歴史を題材にして創作された芝居なので、登場人物のイメージに邪魔されて、虚と実の区別がつかなくなって、困ることがあり、後述するが、今回は、徳川慶喜について特にそうであった。

   遊侠録は、勝海舟の実父小吉(吉右衛門)が、わが子の将来の出世を願って、無役の直参なので役付きへの登用を画策すべく、向島のお茶屋に上役たちを招いて、甥の松坂庄之助(染五郎)に手伝わせて接待するのだが、散々愚弄されたので堪忍袋の緒が切れて爆発、折角の機会を棒に振る。
   その時、同時に同じ茶屋の離れに、倅勝麟太郎(梅丸)が、本家筋の中臈阿茶の局(東蔵)に、将軍家へのご奉公のために呼ばれて来ており、小身者の父親の無様で哀れな姿を見てしまう。
   麟太郎に、自分が出世すれば、小吉への世間の敵愾心が和らぐので城へ上がるのだと言われて、麟太郎との別れを必死に拒否していた小吉が、自分の愚かさを恥じて畳へ突っ伏して泣き崩れる。
   
   この芝居の前半は、遊侠の小吉と堀の芸者坂本屋の八重次(芝雀)との一寸粋な色町の風情を匂わせながら、太平天国にうつつを抜かす旗本の、料亭を舞台にした接待三昧に明け暮れる腐敗ぶりを、いくらか頭の弱い単純な庄之助のドタバタ劇で味をつけて、最後に、あまりの悪辣さに腹の据え兼ねた小吉が庄之助を煽って大暴れし、「石高の違いは人間の値打ちではない」と居直って啖呵を切るところで頂点に達する。
   時代背景から言っても、小吉が、実際に、こんな民主主義的(?)な気の利いた啖呵を切れる器とは思えないが、そこは、青果の芝居で、久しぶりに、非常にテンポの速い気風の良い、胸のすくような粋な江戸男の台詞を吉右衛門が連発するのを聞いて爽快であった。この小吉は、英雄でも何でもない市井に生涯を終えた小粋で侠気のある江戸男で、極道が過ぎて座敷牢に入れらながら妻に麟太郎を身籠らせたと言うのだから、麟太郎が傑出した幕末の幕府きっての英傑となるDNA十分であるのだが、ハチャメチャな冒頭からしんみりと親の悲哀を噛みしめて泣く幕切れまで、吉右衛門の舞台は、さすがに秀逸である。
   それに、どこか調子の狂ったぼけっとした雰囲気の恍けたキャラクターを演じさせると染五郎は実に上手い。
   阿茶の局の東蔵の風格、それに、麟太郎を演じた梅丸の凛々しさも印象的で、粋で気風の良い芝雀の芸者も中々ムードがあって良い。

   さて、次の「将軍江戸を去る」だが、第一幕は、西郷吉之助(歌昇)を、幕府の海軍奉行の勝麟太郎(歌六)が訪れて、江戸城総攻めを回避するための江戸城明け渡しと慶喜の助命交渉を行う「江戸薩摩屋敷」と、
   第二幕は、山岡鉄太郎(染五郎)が、水戸退去を逡巡する慶喜を諌めるために上野の彰義隊を訪れ、抵抗する彰義隊士を押し切って、謹慎中の慶喜と上野大慈院で面会して、決死の覚悟で、見かけだけの「尊王」ではなく、天皇に経済力と兵力を納めて皇室を敬う「勤王」の精神に立ち返るべしと諌める山場から、将軍が、最後に江戸を離れる「先住の大橋」の場である。
   
   この薩摩屋敷の西郷と勝の歴史的な会談は、史実については諸論があり定かではないが、一応、江戸の町を救っただけではなく、世界に誇るべき無血革命とも言うべき明治維新の先駆けとなり、文句なしに感動的なシーンである。
   この青果の舞台は、西郷吉之助の心情吐露がメインテーマで、西郷は、多くの民が平穏無事に生活している江戸市中を火の海にしようとした自分たちの愚かさ、そして無辜の民を殺さなければならない戦争の悲惨さ無意味さを慨嘆し、江戸城の無血開城と慶喜の助命は、朝廷のみならず官軍を救うことになると、大粒の涙を流して勝に礼を言う。
   門前で見た、50文の口銭を必死になって守ろうとする鰯売りと長屋の連中の値切り交渉を語り、小高い丘の上から見た殷賑を極める豊かな江戸の風景を見て人々の生き様に感動した西郷の語り口が実に良く、西郷の立ち居振る舞いや雰囲気に工夫を凝らした歌昇の名演が、実に感動的で、粋で男っぷりの良い貫録のある兄の勝海舟の歌六が、上手く歌昇をバックアップして素晴らしい舞台を作り出していて播磨屋兄弟の連携プレイが清々しい。

   染五郎の山岡鉄太郎だが、正に、命を賭しての熱血漢で、まかり間違えば、一刀のもとに切り殺される換言であり、基より、挑発ではなく理を説いて将軍慶喜に迫って、尊王と勤王の真の違いを理解させなければならないのであるから、染五郎は迫真の演技。
   慶喜の方は、水戸家は、光圀から斉昭に至るまで自分も含めて誰よりも皇室への尊敬が篤いと信じており、薩長に「不臣、違勅」と攻められ続けて退位させられた上に罪人扱いされて、憤懣やるかたないのに、家来の鉄舟にまで水戸様には勤王の幽霊が憑いていると騒がれては、捨ててはおけない。
   将軍の品格と威厳を保ちながら抑えに抑えて受け答えする吉右衛門の苦悩が、かすかに残った無精ひげに体現されているのだが、それに加えて、この吉右衛門と染五郎の醸し出す叔父甥の阿吽の呼吸が切羽詰った緊迫感を高めているのであろう。

   ところで、最後のシーンだが、「江戸の地よ、江戸の人よ さらば」と言って別れの言葉を残して、慶喜は、千住大橋を渡って水戸へ向けて一歩を踏み出す。
   「山岡鉄太郎や江戸の町民が号泣するのより早く、見ている私は「さらば」の声を聞くのを待てずに、オイオイ泣いてしまうのである。」と半藤一利さんは書いておられるのだが、悲しいかな、いくら、吉右衛門の演技が秀逸であっても、私には、その感慨はない。
   何故なら、最後の徳川将軍としての慶喜については、私自身は、どうしても、英邁な君主とは思えないし、歴史上の慶喜の残した業績などには疑問を持っていて、すんなりと認められないからである。
   蛇足は避けるが、慶喜の意思はともかく、鳥羽伏見の戦いにおいて、官軍5000人に対して、幕府軍15000人の陣容で闘いながら、途中で、僅かな側近を伴って大阪城を抜け出して、大阪湾に停泊中の軍艦開陽丸に乗って江戸へと敵前逃亡したなどは些細な例だが、日本が危機的な状態にあった時の日本のリーダーとしての資質を著しく欠いていたのではないかと思っている。
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千葉の片田舎の秋の気配は如何に

2010年10月11日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   素晴らしい秋晴れの清々しい午後、昔、飼っていたシーズー犬リオと一緒に歩いた土手道を散歩しながら、近くの公園に向かった。
   住宅街の一番はずれは、道を隔てて田んぼになっているのだが、稲刈りを終えた後なので、切り株が残ったままの土が露出しているだけでさびしい。
   田んぼとの境の土手の斜面には、先日まで咲いていたのであろう、花のしぼんだ曼珠沙華がずらりと並んでいる。
   民家の庭からこぼれたのであろうか、ピンクと白、黄色いコスモスが道に沿って咲き乱れており、鶏の鶏冠に似たケイトウの真っ赤な花が、その間から見え隠れしている。
   遠くの畑の中に、休閑地があって、その一角に沢山のコスモスが植えられていて、そこだけが華やいでいて明るい。

   草叢には、萎んだ朝顔の花が、草の上を這っている。
   この朝顔だが、日本朝顔は、朝早く綺麗に咲いて遅い朝には萎れてしまうが、私の庭の西洋朝顔は、時には午後遅くまで元気に咲いていて、一日中楽しめる。
   それに、花は全く日本朝顔と比べてもそん色なく、一つの茎から複数の蕾が出るので華やかでよいと思うのだが、何故か、日本では、あまり人気がない。
   普通は種を買って来て直播きするのだが、今年は、大輪種や色の鮮やかな色々な西洋朝顔が、ポット苗でたくさん出回っていたので、買って来て植えたら、涼しくなってきた先々週あたりから、一斉に庭木の上を覆い尽くしている。

   近くの草むらから、百舌鳥が勢いよく飛び立って近くの立ち木に止まった。
   ギャーと言うような激しい鳴き声を発して飛ぶ、虫や時には鼠など生き物を餌とするくちばしが鉤状になった獰猛な小鳥で、その精悍さが、私は好きである。
   冬場だけだろうと思っていたカワセミの撮影に、重い三脚に望遠レンズのついた大型カメラを持ったアマチュアカメラマンが二人、行き違った。
   夏は、草深いので小さな被写体が見難くて大変だと思うのだが、先の方で、三脚を立ててカメラを構え始めたので、カワセミは、年中被写体になるのであろう。

   印旛沼に近いこのあたりの小高い丘状の森や林は、いわば里山の雰囲気だが、キジも棲んでいるし、平地には、ポツリポツリ農家があって、野菜や花などが植えられている。
   周りには、柿の木や柚子などの柑橘類が植えられていて、実がたわわに実っている。
   柑橘類の実は、まだ、濃緑のままだが、柿の実は少し色づき始めている。
   まだ、この印旛沼に近い千葉の田舎は、紅葉には早いが、少しずつ気の遠くなるような静かな秋の深まりの気配が強くなってきている。

   私の庭を訪れているトンボは、まだ赤みが薄いのだが、何故か、今年は異常天気の所為か、不思議なことに、田んぼのあぜ道でも川の土手道でも、赤とんぼを見かけなかった。
   夕方になったら、赤とんぼが飛び交うのであろうか。
   昔、子供の頃、真っ暗になるまで野山を駆け回って遊び呆けていた宝塚の田舎で見た赤とんぼの群舞や真っ赤な夕焼け空が、無性に懐かしくなった。
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アダム・レボー著「バーナード・マドフ事件~アメリカ巨大金融詐欺の全容」

2010年10月10日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   リーマン・ショックが世界中を駆け回っていた2008年の年末の12月11日、大詐欺師バーナード・マドフがFBIに逮捕され、その規模6兆円と言う巨大ねずみ講事件が発覚して、世界中の投資家を震撼させた。
   新興株式市場ナスダック(NASDAC)を創設した人物であり、ウォール街でも、相対取引ではトップクラスのマドフ証券を経営し、SECなどにも関係し金融関係でも重きをなした有名人であったから、その影響は世界中に波及した。
   主要な投資金損出者の殆どは、同族のユダヤ人の富豪たちであるが、機関投資家も巻き込んでいたので、日本の金融機関もかなり被害にあっている。
   この機関投資家たちが、リーマン・ショックを乗り切るために現金を必要とし、マドフのファンドへの投資を解約しようと殺到したので、資金がショートしたのであって、もし、それがなかったら、金に困らない多くの富豪たちは、疑いもなく注ぎ込んだ全財産がゼロになったのも知らずに騙され続けて、今現在も、マドフのねずみ講は健在であったであろうと言うから恐ろしい限りである。

   「ねずみ講」とは、ピラミッド型の構造を作るのが特徴で、「Aから奪ったものをBに与える。新しく騙されたCが収めた金の一部を更にその前に騙されていた人A、Bに支払う。」この調子でどんどん増殖して拡大して行くが、資金がショートすれば、いつかは必ず破綻する。
   ねずみ講を1920年に最初に編み出したイタリア移民チャールズ・ポンティは、当時銀行金利が2%であった時に「90日で40%の利子をつける。」として金を集めたように、普通のねずみ講は短期で考えられないくらいの高配当を謳うのだが、マドフの場合には、年率10~12%と言う、長期金利よりは高いがほどほどの利益を投資家に約束していた。
   
   尤も、1990年頃の株式市場バブル時代はともかく、一つのファンドが、1990年代初め頃から長年にわたって平均以上の利益を上げ続けるなど、ウォール街の長い歴史でも全くなかったので、ウォール街のプロたちは、自分たちでもそれが不可能であることを検証して、マドフがどのようにして利益を出し続けているのか不思議に思って、マドフと彼の会社を調査するように、SECに対して繰り返し要請していた。
   しかし、SEC内部でも、マドフがねずみ講をやっているのではないかと言う疑いを持っていたし、それにも拘わらず、SECは、適切な捜査を行うなど十分なアクションを取らず、マドフの詐欺を止めることは出来なかった。
   マドフがウォール街の大物であり、実力者であることをSECの幹部たちは了解していたので、捜査は及び腰となり、その結果、マドフも捜査官の尋問にも余裕をもって答えることが出来てはぐらかせたのだと言う。
   SECは、「特別捜査を行ったのだが、調査に関わった個人の能力不足の失敗(human failure)で詐欺を見抜けなかった。告発や警告に対応できるだけの人員と予算がないので、調査・監査部門が十分に機能できない。」と答えていた。

   著者レボーは、何故、このような必ず終焉を迎える筈の巨大ねずみ講が20年以上も存続できたのか、マドフが利用した上流階級の力、集団心理、マドフのファンドへの最大の投資者であったユダヤ人社会の行動規範、監督官庁SECの対応等々、マドフ家の歴史から説き起こして築きあげて来た人間のネットワークの故事来歴、それをどのように利用してきたかなどを、金融は素人だと言いながら、克明に描写していて小説のように面白い。
   この本のタイトルが、「The Believers How America fell for Bernard Madoff's $65 billion investmant scam」。正に、マドフを大ネズミに育て上げてしまったのは、マドフ教に心酔し、騙された人々の、底知れぬ強欲(greed)であり、その狂想曲を追奏しているのがこの本であろうか。

   マドフが恐れていたのは、勿論SECで、踏み込まれて調査されれば、ひとたまりもなく発覚して崩壊する運命にあったのだが、何故、金融ビジネス、投資ファンドで成功を収めて功成り名を遂げ大富豪となったマドフが、詐欺行為を働き続けたのか。
   PFOP(注文指令執行費)論争でSECと連邦議会に勝利し、アメリカ政府からお墨付きを得て、かつ、顧問投資業登録違反もどうにか乗り切って、本業には、問題がなかったにも拘わらずである。

   レボーは、「マドフを犯罪に走らせたのは、実行することで得られるスリル、もっと金を儲けたいと言う欲望、貧しいユダヤ人の子孫としてのエリートユダヤ人に対する復讐心、これらが入り混じった複雑な感情であったと考えられる。」と記している。
   マドフ自身、「詐欺行為を行っていて犯罪だとと言う認識もあり、こんなものは長く続かない。ねずみ講をやっている間、早く止めれば顧客の損害も少なくなるし、いつか逮捕される日が来ることは分かっていたが、止めよう止めようと思いながらそれが出来なかった。」と証言している。

   ところで、マドフのねずみ講は、入会すること自体が大変な関門で選ばれた人のみが投資できると言うのであるから、一つのステイタスであり、超富豪の住むワスプの楽園コネチカット州グリニッジやパームビーチでファンドを売りまくったのも、多くの人が勝ち馬に乗る「バンドワゴン効果」で人々の強欲さと恐怖感、すなわち、他の人が大儲けしているのに自分は大きなチャンスを逃していると言う恐怖感と強欲さに火を点けて、何の疑問も持たずに乗ってくる富豪を手玉に取ったのであり、
   慈善団体であろうと大学であろうと、あらゆるユダヤルートを活用し、子ネズミのフィーダー・ファンドの人脈を使ってヨーロッパの王族や富豪、機関投資家などへもアプローチし、何の倫理観も躊躇いもなく、手当たり次第にファンドを売り続けたと言う。
   
   実際にファンドを多少でも動かしたのか何もしなかったのかなどは不明だが、IT技術活用でナスダックを起こした筈のマドフが、毎期ごとに、簡素な活字打ちのレポートで、詳細なオペレーション記録などを記載して送っていたようだが、これも不思議な話。
   もっと不思議なのは、このマドフの詐欺行為を、マドフ証券で働いていた二人の息子も、そして、霜降の妻ルースも、マドフが12月10日の夜に告白するまで誰も全く知らなかったことである。
   投資の鉄則:投資先は多様化して分散すべきを守らずに、全財産を注ぎ込んで摩ってしまったパームビーチの大富豪や有名人たちの目も当てられない悲惨さとは逆に、あくどい商売をし続けて大儲けした子ネズミや年率10%以上の配当であるから長く投資していて大儲けした御仁も沢山いて、人間の悲喜劇ここに極まれりということであろうか。
   
   人間の愚かさと強欲の底知れぬ蠢きが、この資本主義を動かしているのだろうが、規模は小さいが、いくらでも次から次へと日本でもねずみ講まがいの詐欺が発生しており、石川五右衛門の辞世の句のように、「石川や 浜の真砂は尽きるとも 世の盗人の種は尽きまじ」と言うことであろうか。
   
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CEATEC JAPAN 2010~幕張メッセ

2010年10月09日 | 展覧会・展示会
   毎年、初日の基調講演を聞いてスタートするのだが、今年のCEATECは、時間の余裕がなくて、会期の後半に半日だけ出かけた。
   私の場合、技術的なことは、良く分からないし興味もないので、もっぱら、大手家電メーカーの派手な展示会場を回るのが主体で、今年は、どこの企業の会場も、3D関連製品のディスプレィに力を入れていた。
   ソニー(この口絵写真)は、幅21.7メートル、高さ4.8メートルの巨大な3D LED ディスプレィをバックに、実際の3Dカメラを動かしてモデルや会場を撮影しながら、3D技術をデモンストレーションしていたが、遠くで見ていても、飛び出したボールなどが眼前まで迫ってくる迫力で、映画館以上の臨場感である。

   東芝が、独自開発のグラスレス3Dレグザを特別ブースで見せていたが、見学者の行列が一杯で、入場打ち止めのため見ることが出来なかった。
   煩わしい専用メガネなしで、3Dが見えるなら、従来のテレビ鑑賞と同じなので、素晴らしいことであり、上手くすればデファクト・スタンダードになるであろう。もしそうなれば、これこそが、本当の差別化であり、望ましい破壊的イノベーションである。
   この方式は、インテグラルイメージング(光線再生)を利用して、視聴する位置に応じて、位置や角度が異なる複数の映像を同時に映し出すもので、視聴者は左右夫々の目で異なる映像を捉えることによって、専用メガネなしでも立体画像として認識できるのだと言う。
   同じ方式かどうかは分からないが、パナソニックの展示場で、新しいカメラLUMIX GH2に3D用レンズを取り付けて写した映像を、富士フィルムの特別な印画紙にプリントしたものを見たが、全く普通のフラットなプリントながら、立派に立体写真になっていたので、こう言うことなのかと思った。

   シャープの会場では、4原色革命「クワトロン」誕生と称して、赤、青、緑の3原色に、黄が加わった4原色TVが、従来のTVと並べてディスプレィされて映し出されていたが、私には、それ程大きな差があるようには思えない。
   日立、三菱電機、パナソニック等々も、意欲的で素晴らしい3D機器の展示を行っていて、夫々見ていて楽しいのだが、先日来マーケティング論議を続けているように、殆ど取り立てて差のない同じようなものばかり並べて競争をしているので、要するに、販売店に行って、より安くてサービスの良いメーカーのものを買えばよいと言うことである。
   夫々のメーカーが、TVなどに仰々しい横文字のブランド名をつけて、マーケティングにこれ努めているが、既に、ブランドなど無に等しく、あっても顧客のブランドロイヤリティなどは消えてしまっている。
   マーケティングのヤンミ・ムン・ハーバード大教授が、父親のソニーへの強いブランド・ロイヤリティに感化されてTVを買いに行ったら、どこのTVでも同じですよと店員に言われて、他社製品を買って帰ったと書いていたが、この現象である。

   余談だが、三菱電機のブースに、日本版GPS 準天頂衛星「みちびき」のモデルなど宇宙事業ゾーンがあって、色々な衛星が展示されていて勉強になった。
   もう一つの意欲的な展示は、アマゾンやアップルの向こうを張って開発されたシャープの「ガラパゴス」と銘打った電子書籍で、「10.8型ホーム・タイプ」と「5.5型モバイル・タイプ」をかざして笑みを浮かべた綺麗なモデルがステージを歩いて宣伝していた。
   受像機器の性能や機能などについては、シャープ製であるから問題はなかろうが、CCCとの提携で、ソフトがどれだけ充実して、他の競合機種と差別化出来るかであろうと思うが、ガラパゴスと言うネイミングが皮肉と言えば皮肉であり、経営者のセンスを疑いたい。

   非常に感激したのは、TDKのブースで、超多層記録型ディスクで、記録層16層片面で512GB,両面で1TBと言う記録容量を持つ驚異的なDVDディスクを開発したようで、私が使っているBD-R 25GBのDVDなら41枚分だと言う。
   私のパソコンのHDDは1TBで、DVDレコーダーは500GBであるから、これだと、外付けHDDも必要ないし、バックアップ・データの保存問題など一気に解決すると言うもので、このあたりのイノベーションには、目を見張るものがある。

   人が多くて、中々思うように見学も出来ないので、帰りに、Continuaと言うヘルス・アライアンスのブースで、血圧を測ってもらって、NECのコミュニケーションロボットPaPeRoの診断を受けて、会場を後にした。
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