熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ニューヨーク紀行・・・2 ニューヨーク着METへ

2008年01月31日 | ニューヨーク紀行
   1月25日朝9時前に、JAL006便がJFK空港に着いた。
   日本を発ったのが25日の12時であるから過去に帰った感じだが、午後2時開演のニューヨーク・フィルのコンサートを聴こうと思っていたので幸いであった。
   同時にターミナル1に入った便が殆どなくJAL客が少なかったので、入管は比較的スムーズで、ロンドン・ヒースローの家畜牧場柵のような混乱とはえらい違いで、9.11以降のセキュリティチェックも緩やかになった感じである。

   ところが、何箇所かの分離記入方式なのに、慣れもあって入管書類を十分に見ずに一箇所だけ書いたために、空白が残っていて、係官からつき返されてブランクを埋めろと指示された。
   こうなると、予期しないハプニングに慌ててしまって、欄を見違えて書き直したりして散々である。
   怪しまれたのか怪しまれなかったのか、係官は、入管の指示書どおりに、左手の親指を指紋検査機に乗せろと言う。拇印を押すようにして直ぐに外したら、そのまま置いたままにしろ言う。
   私自身は、何の問題もある筈はないと思っており不安も何もないので、次に右手人差し指を検査機におき、最後にカメラの方を向けと指示されて終わった。
   勿論問題なくパスポートにハンコを押して返してくれたので、「時間を取らせて申し訳ない」と云うと、「たいしたことではないよ」と云って笑っていた。

   しかし、もう随分前のことだが、ブラジルからアメリカ経由で日本に帰る途中に、マイアミでの乗り継ぎ時に、ナカムラと言うだけで疑われて入管でしばらく留められたことがあった。
   トヨタがどうだとか係官が話しているのが聞えたが、ひと間違いだと言うことが分かったものの、日本への乗り継ぎ時間が少なかったので、何故、トランジットなのに入管検査をするのか腹が立ったことを覚えている。
   旅をすれば、色々なことが起こる。
   税関検査は、書類を提出するだけで素通りした。

   ところで、帰りの時の空港でのセクリティ・チェックであるが、やはり、今回も靴を脱がされて箱に乗せてチェックを受けた。
   滞在中にCNNを見ていたら、バンドに凶器を仕掛けて空港の安全チェックを受けて素通り出来る様子を示して、入管検査が如何に杜撰か、そして、アメリカ人の過半数はセクリティチェックを信用していないと云う現状を放映していた。
   ターミナル1は、便の少ない外国航空会社の混合ターミナルなので、一寸、特殊なのか、他のヨーロッパ向けやアメリカ航空会社の発着するターミナルは、違う雰囲気なのかも知れない。
   
   普通は、空港に着くとタクシーでホテルに向かうのだが、この時は、タクシーの半額程度の乗り合いリムジンをインターネットで予約を入れていた。
   スーパーシャトルと言う会社で、マンハッタンのホテルまでチップを入れて23ドル弱。
   税関を出れば店のカウンターがあるだろうと思ったのが間違いで、元々、そんなものはなく、後で知ったが、交通インフォメーションデスクのカウンターがあって、そこに設置されている電話で連絡することになっているのである。
   いくら、便名と到着時間を連絡しておいても、今回のJALのように1時間も早く到着してしまうと、アメリカの会社がそんなことを調べて乗り合いリムジンを手配する訳ではなく、連絡して呼び出さないとピックアップしてくれない。
   他のターミナルで客を拾って総勢10人程度でマンハッタンを回って客を降ろすので時間がかかった。
   慣れれば、安くて気楽だろうが、タクシーの方が良さそうである。

   ところで、帰りには、タクシーをと思ってホテルのボーイに手配を頼んだら、タクシーも50ドルそこそこするから、ホテルのリムジンだとチップも橋の通行料も込みで55ドルで行くがこれにしろといやに薦める。
   どうせ6000円程度だしと思ってこれに決めたら、時々ホテルの前に止まっていた大型車を2台連結したような大きなリムジンが待っている。
   後方に陣取ったが、運転手ははるか前方で居心地が悪かったが、どうせ減価償却が過ぎた古い車で運転手共々遊ばせるよりは良いということであろうか。
   しかし、ガソリン代が高すぎて大変だろうと思った。
   このクルマに乗って良かったのは、流石に慣れた運転手で、ショートカットの経済的近道を知っていて、ニューヨークの寂れて廃墟になったような裏町を走ってくれたので、アメリカの隠れた現状を垣間見ることが出来たことである。

   ホテルは、個人旅なので安くて便利なホテルと言うことで、ウエリントンと言う3星程度の安宿だが、カーネギー・ホールの隣と言う好立地で、部屋が、7番街のメインから離れた奥の角地のダブルルームだと、かなり静かで気持ちよく過ごせる。
   このホテルだと、リンカーン・センターのメトロポリタン・オペラやタイムズ・スクエアのブロードウエイのミュージカルがいくら遅く跳ねても、ゆっくりと歩いて帰れるし、それに、あっちこっち行くのにも非常に便利で気に入っている。
      
   ホテルにチェックインすると、7番街の正面に、運良くスターバックスがある。腹ごしらえをして、早速、リンカーン・センターに向かった。
   アベリー・フィッシャー・ホールのボックス・オフイスに行って、チケットを買った。
   リッカルド・ムーティ指揮ニューヨーク・フィル。
   ラド・ルプーのピアノでシューマンのピアノ協奏曲、それに、ブルックナーの交響曲第6番である。

   その後、隣のメトロポリタン・オペラのボックス・オフイスに向かった。ファサード奥正面壁画の赤と青のシャガールが久しぶりである。
   私のニューヨーク滞在5日間で手配出来るオペラは、
   ロッシーニの「セビリアの理髪師」
   フンパーティングの「ヘンゼルとグレーテル」
   ワーグナーの「ワルキューレ」
   プッチーニの「マノン・レスコー」

   強行軍だったが、美術館やフィラデルフィア行きなどを含めての全く文化鑑賞三昧のニューヨーク旅が始まった。

(追記)写真奥がカーネギー・ホール
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ニューヨーク紀行・・・1 旅立ち

2008年01月24日 | ニューヨーク紀行
   アメリカが燃えていると言うが本当であろうか。ドルの将来も揺らいできたという。明日、ニューヨークに発とうと思う。
   先のアメリカ東海岸旅行の時も、大統領選挙の年で、ソロスが反ブッシュ・キャンペーンを張って民主党のケリー上院議員を応援していたのをTVで見た記憶がある。
   それに、9.11の後遺症も残っていて、写真のように厳戒態勢でニューヨーク証券取引所は閉鎖されて一般は入場できなかった。
   次女がイギリスの大学院を終えて帰って来ていたので、アメリカを見せておこうと思って卒業旅行を兼ねて出かけたのである。

   早いもので、あれからもう4年も経ってしまったのだが、今は、サブプライム問題の余波でアメリカ経済は激しく揺れている。
   ディカップリングと言われながらも、アメリカの影響力はやはり強大で、グローバリゼーションの深化もあって世界中に波及して、世界経済全体の根幹を揺るがしかねない状態となっている。

   今回の旅は、久しぶりのアメリカで、センティメンタル・ジャーニィかと聞かれたが、特に目的はなく、アメリカの実情をニューヨークの街を歩きながら肌で感じたいと思っている。
   勿論、メトロポリタン・オペラとメトロポリタン・ミュージアムには必ず出かけるつもりだが、足を伸ばして、アムトラックでフィラデルフィアを訪れて、懐かしい母校ウォートン・スクールのキャンパスを散策したいとも思う。

   先日、ペンシルバニア大学の学長とウォートンスクールの学長とが一緒に来日したので、パレスホテルで歓迎会と同窓会が開かれた。
   ペンシルバニア大学は、アメリカ独立当時の大立者で凧を揚げて雷が電気であること発見したベンジャミン・フランクリンが1740年に創立したアメリカで最古の総合大学UNIVERSITY(先に出来ていたハーバード大学は単科大学COLLEDGE)である。キャンパスの庭にあるフランクリンの銅像が、何時も学生達に微笑みかけている。

   ところが、この大学は、同じアイビー・リーグでもプリンストンやイェールのように田舎町にあるのと違ってフィラデルフィアの中心街に接近している所為か、アイビーの這った古風な建物や古い佇まいの雰囲気のある場所は殆どなくなっている。
   これが、最近、更に繁華街に近い広大な大学用地を取得してキャンパスを拡充すると言うからフィラデルフィアの街と一体となってしまいそうである。
   
   ウォートン・スクールも、そのキャンパス内にある世界一古いビジネス・スクールで、1881年創立だから既に2度の還暦を迎えており、グリーンスパンが退任直前に卒業式で送別スピーチを行ったほどだから米国経済界での影響力も強い。
   先ほど、日本で展示会のあったフィラデルフィア美術館やロダン美術館にも足を運ぼうかと思っている。あのシルベスター・スタローンのロッキーがトレーニングに走っていたカラー道路の突き当りが美術館である。勉強の合間に良く訪れて疲れを癒したのが懐かしい。

   往復のJALのフライトとニューヨークのホテルだけを決めて、後は、行き当たりばったりのいつもどおりの気ままな一人旅だが、どんな旅になるのか、一週間後に帰国して、2月には、またブログを再開してニューヨーク旅行記を書こうと思っている。
   このブログに書いた前回の「欧州紀行:ミラノ・ロンドン旅」の時は、地下鉄駅やバスを標的とした大規模なロンドン・テロ勃発の当日にヒースロー入りしたので、家族に随分心配をかけてしまった。
   元ワールド・トレード・センターのあった9.11グランド・ゼロを訪問しようと思っているが、今回は何も事故がなく無事平安であることを祈るのみである。
   
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榊原英資:日本は没落する・・・その2 日本の教育の劣化

2008年01月23日 | 政治・経済・社会
   榊原教授が日本没落の原因として最も憂えているのは、教育の質の劣化と言う問題である。
   ポスト産業資本主義の時代において必要なものは、優秀なプロフェッショナルを育てる為のエリート教育であるにも拘わらず、時代に逆行する悪平等主義の中での「ゆとり教育」にうつつを抜かすなど、日本の教育システム全体が著しく制度疲労を起こしており、欧米は勿論、韓国、中国、インドからも大きく遅れを取っていると言うのである。

   ポスト産業資本主義時代は、金余りの時代であって、今日マネーを動かし経済をドライブする最も重要な要因は、「技術」「知識」「情報」であり、そして、この総てを支えているのは「教育」であるから、教育の質そのものが国家の命運を決することとなる。
   日本の教育について、小林陽太郎氏などは、知性の奥深さに裏打ちされた真の人間的な厚みが人を魅了し人を動かすのだが、その根源となるリベラル・アーツの教養が、日本の経営者に最も欠如していると常々説いていて、米国に倣って日本アスペン研究所を設立して勉強を推進している。
   これも、根本的には日本の高等教育に問題があるのだが、榊原教授の憂いは、もっとそれ以前の教育問題なのである。

   「ゆとり教育」などはもっての外、「暗記」は教育の基本であり、知識こそ「考える力」の源泉だと言う。
   茂木健一郎氏も言っているが、発想やイノベーションは、持てる知識や情報が頭の中でぶつかり合って生まれ出でるものであって、知識と経験が豊かであればある程よく、無からは絶対に生まれない。
   私自身、榊原教授と同じ意見で、読み書きソロバンが教育の基礎であり、やり方を工夫する必要はあると思うが受験勉強大いに賛成で、とにかく、若いうちは、万難を排して必死になって勉強して知識教養を叩き込むことだと思っている。

   インドの九九、すなわち、19×19の暗記がインド人の数学力の高さの、そして、世界に冠たるIT王国の源泉であることは自明の真理である。
   我々が子供の頃のように、πを3.1415926535…と覚える必要はないが、π=3と教えるような国、或いは、小学一年生の理科と社会を廃止するような国に、技術立国の夢などある筈がないし、素晴らしい一等国としての誇りがある筈もないことだけは確かである。

   もう一つの問題は「競争の否定」で、社会階層の固定化をもたらしたと言う。
   その最たるものは、「日比谷高校」を解体した学校群制度で、東大を目指して頑張る優秀な高校生が大挙して私立高校に転進して、その後、私立学校の隆盛が教育費の高騰を引き起こして、金持ちの子息でないと東大に入れなくなった。
   勃興期の日本は、貧しいハングリー精神旺盛な高校生が国立を目指して頑張った。
   私が、学生の頃、同志社キャンパスには学生の自家用車が駐車しているが、京大の構内には汚い自転車が溢れている、えらい違いだとマスコミに揶揄されたことがあったが、皆同じ様に貧しかったので誰も気にしていなかった。
   それよりも、競争の否定は、かけっこでも何でも優劣をつけないエセ平等の悪平等主義の教育方針で、能力のある人材の成長の芽を摘み優秀な人材を育てようとする風潮が皆無だったところに問題がある。
   優秀な日本人(私は固くそう信じている)の能力をフル回転できない、そして、貴重な人的資源を浪費し続けている日本の教育の現状を、長い海外経験で痛いほど見せ付けられているので、何時もそう思っている。

   教育を考える時に注意しなければならないのは、学校も重要だがそれを取り巻く総ての環境が与える影響も重要である。
   人材の優劣を決定するのは、遺伝的な素質、環境、勉強の三要素だと考えられているが、孟母三遷と言われるように、孟子の母さえ孟子の教育環境を変えざるを得なかったのである。
   身一つ故に経験範囲は限られているので、最も影響を受けるのはIT時代におけるマスメディアで、特にTVなどの影響が大きい。
   私は、ニュース番組以外はNHKのBS放送やCSの外国ニュース、WOWWOWの映画が主だが、NHKの総合もひどいが、民放の朝から晩まで延々と続く俗悪番組のオンパレードを考えれば、日本の政治がポピュリズムにハイジャックされてしまうのも当然だと言う気がする。

   たった一人の偉大なエリートが国家を建て直し、たった一人の優秀な技術者が企業を起死回生させる知識と技術がキーファクターとなった知識情報化社会。世界の大学は、叡智と優秀な人材を求めて熾烈な争奪戦を展開しており、ハーバードなど留学費用丸抱えでエリート中国学生を引き抜いていると言う。
   サムソン電子がここまで突出したのも、東芝など優秀な日本人技術者を破格の条件でゴボウ抜きしたからだと言うが、既に、世界は、コンピューター一つあればインターネットで世界中から最高の叡智を学ぶことが出来、最新のビジネスにアクセス出来る時代に入っており、知識情報、技術ノウハウ、エリート人材の移動などには国境がなくなってしまった。
   
   閉鎖的で外資を毛嫌いし、外人学者や研究者の自由な参入を拒否し続けており、日本人の大半が東大を叩き潰そうとしている悪平等主義の日本の島国根性を変えない限り、日本の教育の将来像は暗いと思っている。
   日本の教育問題については、このブログで何度も書いているので、蛇足は止めるが、榊原教授の指摘には賛成である。
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初春大歌舞伎・・・團十郎の「助六由縁江戸桜」

2008年01月22日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   正月の舞台で、團十郎の助六はやはり、格好の演目である。
   全く舞台展開のない実質たった一幕もので、取り立ててストーリーがある訳ではないが、華やかな吉原の遊郭を舞台に、江戸っ子の象徴とも言うべき男前の伊達男・助六が粋の限りを見せ、これに、吉原屈指の花魁・揚巻が絡み、個性豊かな多くの登場人物が愉快な芸を披露する一大ショーのような舞台であるから人気が出ない訳がない。
   市川團十郎家の18番の一つでもあり、上演されると、ビゼーの「カルメン」のように、必ず人気絶頂となって大入りだと言う。今回も、素晴らしい役者陣の活躍で素晴らしい舞台となった。

   ところが、この歌舞伎は、江戸歌舞伎の象徴のように思われているが、実は、揚巻は、京都・島原の傾城で、助六は大阪の豪商の息子だが揚巻に入れあげて蕩尽の限りを尽くして勘当されて心中すると言う事件が発端で、関西和事の浄瑠璃として舞台にあがり、関西歌舞伎としてスタートしているのである。
   二代目團十郎が江戸歌舞伎として新しく編み出し、それに、蘇我兄弟の話が加わって面白くなっているが、本来近松ものの心中の和事の世界のような舞台であった筈が、全く違った粋な伊達男の歌舞伎に変身してしまったあたりは、流石に江戸で、実に面白い。

   仁左衛門が、襲名披露公演の為に、團十郎の向こうを張って江戸歌舞伎座で、助六を演じたが、余程の自信があったのであろう。粋でいなせな素晴らしい助六の舞台を今でも良く覚えている。
   小松成美さんの「仁左衛門恋し」に、始めて助六を演じた時(昭和58年だろうか)の客の面白い反応を伝えている。
   助六の出まで、ロビーで待っていた母に、「贅六(関西人への侮蔑語)の助六など見たくないので帰る」と電話していた客が、芝居を見ないのかと聞いてきたので、「助六の出までここで一服しているのです。私はその贅六、孝夫の母です。」と言った。ニコニコしながら話す母の話を聞いて部屋にいた皆が大笑いしたと言う。
   当然、助六は息子の仁左衛門、揚巻は玉三郎であって、白酒売は藤十郎であった。
   
   ところで、この「助六由縁江戸桜」であるが、助六(実は蘇我五郎)が色町で遊び呆けて喧嘩三昧に明け暮れるのも、養父が預かっていたが行方知らずとなった源氏の重宝の刀・雲切丸を探す為で、揚巻にモーションをかける大尽客髭の意休(左團次)に喧嘩を吹っかけるのも、刀を抜かせて確認したいが為である。
   男っぷりの良い助六が、揚巻(福助)の間夫になるのは必然だが、助六の喧嘩好きを心配して、兄の白酒売新兵衛実は蘇我十郎(梅玉)や母の蘇我満江(芝翫)が諌めに来るが、助六の真意を聞いて納得する。
   母が、派手な刀検めの喧嘩を封印する為に与えた紙衣を着て大人しくなる助六が面白い。
   助六の喧嘩っぷりを、意休の子分であるくわんぺら門兵衛(段四郎)やその又子分の朝顔仙平(歌昇)、国侍の利金太(由次郎)と奈良平(又蔵)、通人の里暁(東蔵)などを相手に展開するのが実に面白い。
   優男で正に和事の世界の住人兄の白酒売との絶妙な掛け合いと、一緒になって股潜りの喧嘩を売る仕草が絶妙であり、楽しませてくれる。

   團十郎は、蛇の目傘を半開きにして顔を傘の隠して前屈みで小走りに鳥屋揚幕から花道に走り込む瞬間から粋である。
   花道を行ったり来たり、傘を小道具にして長い間華麗に踊るが、踊りではなく語りだと言う。真っ黒な表地に真っ白な裏地の着物に、真っ赤な襦袢が襟元と裾からのぞき、それに、紫の鉢巻に黄色いソックスの出で立ちで、白塗りの顔に派手な隈取をして、高下駄を、時にはタップのように踏み鳴らしながら調子を取って錦絵のように格好良く見得を切るのだから、芝居好きにはたまらないのであろう。
   とのかくこの助六、團十郎あっての舞台である。
   
   初役だと言う福助の揚巻だが、進境著しくここまで優雅に、そして、格式と威厳を備えた花魁を演じられるようになったのである。
   素晴らしく豪華な揚巻の衣装をしっかりと着こなして登場するほろ酔い気分の花道の出から絵のように美しい。
   東西随一の花魁としての華と品格を優雅に演じ、意休に対する胸のすく様な啖呵を切るかと思えば、助六の母に従う時は、甲斐甲斐しい世話女房を匂わせるようなしおらしい姿を示す。
   舞台の出入りや場の転換などの時には、そのままシャッターを切れば極上の錦絵になるような素晴らしい姿を見せてくれる。

   やはり、この福助を支えているのは、何よりも同じ舞台で蘇我満江を演じた父親芝翫の存在であろう。存在感十分の舞台で、何故か、シチュエーションもあるが、舞台の團十郎も梅玉も福助も、子供のように小さく見てしまうのが不思議である。
   遅れて女形になった福助に、歌右衛門と雀右衛門の舞台を徹底的に観ることを教えた父親の思いが、今、福助の揚巻で生きている。

   意休の左團次は、正に適役で決定版と言った出来で、灰汁の抜けた重厚な演技が実に良い。
   梅玉の白酒売の何とも言えない柔らかさと優しさが、助六の剛直な演技と好対照で非常に楽しませてくれた。
   段四郎のくわんぺらは、最近、富十郎が多少上等な役作りに特化しつつある分、個性的な老人や重要な脇役を一手に引き受けているような感じで面白い。
   楽しませてくれたのは、歌昇の朝顔仙平で、とぼけた奴のようなコミカルな演技、それに、カレントトピックスを縦横に台詞に取り込んで粋な通人を演じた東蔵で、役者とは器用なものである。
   孝太郎の三浦屋白玉は、中々華があり福助の揚巻を支える好演技。

   段四郎の口上に始まり、三浦屋の格子の裏に陣取った河東節連中に向かって深々と頭を下げて「それでは河東御連中様、なにとぞお始めくだされましょう」と言う言葉で、華やかな楽の音がスタートし素晴らしい助六の舞台が始まる。
   
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榊原英資:日本は没落する・・・その1 円安政策に罪はないのか

2008年01月21日 | 政治・経済・社会
   今書店の店頭で売れているのが榊原英資教授の「日本は没落する」と言う新しい本である。
   かっては驚異的な快進撃で世界を唸らせた経済大国日本が、何もローマ帝国のように没落してダメになると言うことではなく、世界の趨勢に取り残されて普通の国になってしまうと言うことなのだが、曲がり角に差し掛かった日本にとって、今後どうあるべきかを提言した興味深い書物である。

   いくら経済大国であっても、BRIC'sを筆頭に世界中が高度成長を謳歌している時期に、バブルがはじけてから15年も殆ど成長が止まってしまえば落ちぶれて取り残されるのは当然で、何の不思議もない。
   いざなぎ景気を超えた未曾有の戦後最長の好況だと言っても、実質的には中国やインドの高度成長の足元にも及ばず、欧米より低成長では、好況感など全くなく、GDPは何時まで経っても500兆円のままなのに、国の債務が800兆円ともなれば、誰が考えても日本の未来を悲観せざるを得ない。

   ところで、日本の地位低下を最も如実に示すのは一人当たりの国民所得の世界的な順位であるが、これが2006年度で世界18位と言うことで、ヨーロッパの小国よりも異常に下がってしまった。
   これは、ドル換算で比較されているので、為替レートが大きく影響しており、特にユーロ高やポンド高などがひびいているようで、実際の日本の実力低下を意味していないと考えた方が良い。

   早い話、最近金融ブームで成長を謳歌しているイギリスが上位に行ったようだが、メトロが一区間4ポンド(800円)で東京の160円と比べてもべらぼうな価格だし、ホテル代など一泊10万円だと言っており、ヨーロッパ大陸の方も似たり寄ったりの状況のようなので、比較にはならない。
   購買力平価を出すまでもなく、私はイギリスに住みその後何度も出かけているので、日本人の生活水準がイギリスより高いことは十分認識している。

   私がロンドンにいた頃、円が一番強かった頃には1ポンド138円だったが、現在は206円で、少し前は240円近くまでポンドが上がった。
   ユーロにいたっては、弱い時には1ユーロ90円くらいになり、最近は160円を超えていた。
   私がヨーロッパにいたのは、1985年から1993年までだったので、あの頃は日本経済が絶好調の時であり、日本円が非常に強くて、ヨーロッパに日本人観光客がラッシュして円高を享受していた。
   従って、国民所得の国際比較は、為替レートが大きく影響するので、極端な変化については注意すべきであると言うことである。

   何故、そんなに為替レートに拘るのかと言う事だが、為替のエキスパートであるミスター円の榊原氏が、一番日本の没落を象徴する筈の国民所得の国際比較について、一切、この本では触れていないのを不思議に思ったからである。
   先日のサンプロの経済談義で、円高の方が日本国民にとっては良いことだと言う議論になって、田原総一郎氏が、円安を誘導した元凶はこの人だと名指ししたら、榊原氏は、あの時とは事情が違うと言って煙に巻いていた。
   
   私は、日本経済の没落の要因の一つに、この日本人の円安信仰があると思っている。
   このブログでも何度か書いているが、私は、日本の国是としては、円高を指向すべきだと思っているが、日本政府や経済界は、輸出産業的なアプローチで円安が日本にとって利益になると言う考え方に凝り固まり、絶えず円安誘導政策が取り続けられて来た。
   1円円安になれば、トヨタの利益が何十億円増加するといった報道が景気刺激策だと考えられて、誰もが円安が良いと思っていた。マスコミも、バカの一つ覚えのように、円安の経済効果を鸚鵡返しに伝え続けて国民を洗脳した。
   国民にとっては、或いは企業にとっても、輸入品の価格下落など円高によるメリットは十分あった筈なのに、説明されることはなく、円安コール一色であった。
   特にバブルがはじけた後の1990年代には不況脱出の為にも、円安誘導の為に厖大な国費が投入されて為替介入が行われた。その頃ミスター円として名を馳せたのが榊原氏であった。

   一時、円が1ドル79円近辺まで急騰したが、その後、IT革命の進展によって眠っていたアメリカ経済が活力を復活させて成長を持続しドルが強くなった。
   確かに、日本経済は、輸出によって支えられてきた局面は強いが、1990年代に、輸出は多少犠牲にして経済を更に減速させることになっていただろうが、為替を円安基調に誘導することなく自由市場に任せておけば、これ程までに長くて厳しかったデフレ不況を経験することはなかったと思う。
   
   近年の日本経済の復興は、民間企業の活力によると言われているが、もっと早い時点で、金科玉条であった公的需要の拡大によるケインズ政策と円安政策から脱却しておれば、一時的には谷が深かったかも知れないが、更に早く日本の経済は回復していたと思っている。
   窮鼠猫を食む状態の民間企業によるイノベーションに火をつけ、生活防衛に走る国民の内需拡大指向を即すこともあったであろうし、政府頼みの無為無策に走ることなく、本来の足腰の強い日本経済の活力を削がずに済んだと思う。

   アメリカの経済成長を牽引したのは、IT化をフル活用した生産性の向上とグローバリゼーションにあると言われているが、この面で、世紀末に日本は著しく遅れを取ってしまい、これも国際競争が中途半端に終わった日本企業の対応にあることは間違いない。
   日本企業がイノベーション力を喪失し国際競争力を落したのは1990年代の失われた10年で、アベグレンなどは決して失われた10年ではないといっているが、踊り場であったにしても、技術立国日本のテクノロジーと科学技術、そして、工業力の逡巡の損失は大きすぎる。

   対ドルについては、一ドル80円を切っていたかも知れないが、対ユーロについては、例えば100円くらいで、今のようなユーロ高にはなっておらず、為替は安定していたと言う気がしている。
   こんな議論を展開すれば、アホかと言われるのを承知で自論を記してみた。
   私は、厚生経済学的な考え方をしているので、市場万能主義的な弱肉強食の経済理論には反対だが、為替については、異常な事態でない限り自由に任せた方が良いと思っている。
   何れにしろ、榊原氏の日本没落論は、それなりに賛成だし評価しているが、為替問題を外した論調には承服できない。
   
(追記)口絵写真は、ツグミである。シベリアから何千万キロも荒野と荒海を飛び越えて千葉にやって来て冬を過ごしている。  
(追記2)ボストン・コンサルティングの御立尚資代表がWBSで、日本のドル建て貿易では、輸入の方が輸出より多くて、円高メリットの方が大きいことを立証していた。(3月19日)  
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新日本フィル定期公演・・・ハウシルト指揮「ブルックナー交響曲第8番」

2008年01月20日 | クラシック音楽・オペラ
   今回の定期は、ヴォルフ=ディター・ハウシルトの指揮でアントン・ブルックナーの交響曲第8番ハ短調一曲である。
   版にもよるが、71分程度から90分近くまで、ベートーヴェンの第九と同じ様に指揮者によって演奏時間が違うが、大曲である。
   私自身、アムステルダムで、オイゲン・ヨッフムかベルナルド・ハイティンク指揮でコンセルトヘボーで聴いた記憶がある程度で、日本で聴いたとすれば朝比奈隆であろうと思うが、好きな曲だが聞く機会は少なかった。
   しかし、夥しい量のディスコグラフィーの数にはビックリする。演奏不能と言われて何度も改定したようだが、それほど偉大な交響曲でヨーロッパでは人気が高い。

   今でこそ、ブルックナーの交響曲を聴く機会が多くなったが、私がクラシック音楽に興味を持ち始めた何十年も前には、ブルックナーそのものの音楽をコンサートで演奏されることさえ稀であった。
   丁度、私の好きなカール・ベーム指揮ウィーン・フィルの第8番のレコードが発売されたので、何回も聴きこんでブルックナーに少しづつ興味を持ち始めた。
   その頃はベームも晩年で、私がベームの指揮を実際に聴いたのは、メトロポリタンでシュトラウスの「薔薇の騎士」たった一回だけだが、カラヤンの時のように感激した。

   ところで、ブルックナーを聴く時には、何時もドイツ・オーストリーの大地を思いながら聴く。
   丁度この曲が作曲されたのは、文化的にも世界の中心であったウィーンの世紀末で、落日のハプスブルグを映し出した風雲急を告げる中欧の激動と静かで暗い陰鬱な大地の咆哮が聞えてくるようで、悠揚迫らぬ、しかし時には激情が迸り出るようなワーグナーの楽劇を彷彿とさせる凄い迫力の音楽で、引きこまれながら聴いていた。
   
   ホルンとトランペットの激しい咆哮、ティンパニーの大地を揺るがせるような迫力。新日本フィルの管楽器や打楽器セクションの実力を叩きつけるような演奏が、感動的であった。

   指揮者のハウシルトだが、朝比奈隆の代役でブルックナーの5番を、そして、3年前に、ブルックナーの7番を、新日本フィルで振っている。
   7番の演奏については感激して、このブログでも書いている。
   ワーグナーのオペラを随分精力的に演奏しているようだし、ベートヴェンからシュトラウスまでのドイツ音楽を得意とするドイツ生粋の指揮者なので、アルミンクになってからドイツ系サウンドに傾斜した新日本フィルを縦横に駆使して素晴らしいブルックナーを聴かせてくれた。
   私は、フィラデルフィア管の定期から、数年経ってからコンセルトヘボー管
の定期会員になったのだが、あの時に、コンセルトヘボーの凄さは勿論であるけれど、ドイツ音楽をドイツ系の指揮者でじっくりと聴く素晴らしさを実感したので、今回のハウシルトの指揮も正にそれであった。
   
   前のブログでも書いたが、アムステルダムに住んでいた時に、ウィーンからクルマでドナウ川沿いにドイツに走った時のことを思い出した。
   途中、リンツの郊外に、セント・フロリアン大修道院があり、ここがブルックナーが生まれたアンスフェルゼンに近く、ブルックナーが、教会音楽を学びオルガニストとして成長した故地であるので、是非訪れたくて立ち寄った。
   修道院や美術館などは見学出来たが、教会は閉まっていて、残念ながらブルックナーが演奏していたオルガンは、入口の鉄扉の隙間から薄暗がりを通して少し見える程度であった。
   ブルックナーの故郷への思い覚めやらず、ウィーン音楽院の教授まで勤めながら故郷に帰る事を望んだので、このオルガンの下に埋葬されていると言う。
   何の変哲もない静かな田舎で観光客なども全くいない。恐らくブルックナーが住んでいた一世紀半前と少しも変わっていないような気がして、穏やかで平和な佇まいを心地よく味わいながら小休止して、田舎道を抜けてドイツとの国境に向かった。
   ベルリンの壁が崩壊してしばらく後の頃だが、今でもブルックナーを聴くと懐かしく思い出す。
   
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私の履歴書:A.グリーンスパン・・・創造的破壊

2008年01月19日 | イノベーションと経営
   今日の日経のグリーンスパン「私の履歴書」の標題は「日本脅威論」で、日本の土地代が異常に高くなって、皇居の不動産価格がカリフォルニア州全体の土地の価格を上回ると言われ、アメリカの魂と言うべきロックフェラーセンターや名門ゴルフコースなどが日本企業に買収された頃の、アメリカに蔓延した日本脅威論についてコメントしていた。
   私が興味を持ったのは、このことではなく、グリーンスパンが所有しているクルマがレクサス2台であること。そして、自動車業界では、既に日本車の勝利が明白であり、日本車の進出によってアメリカの自動車産業が活性化したとして、激しい競争こそがメーカーを強くすると言っている点である。
   もう一つは、ゴルバチョフの頃にソ連を訪問した時に、1920年代のトラクターが作業をしているのを見て、創造的破壊を起こさないような中央計画経済はダメだと思ったと語っていることである。
   すなわち、経済の発展は、有効な競争原理が働く市場環境を整備して、経済主体の創造的破壊を喚起し促進させるような経済政策を推進することが何よりも大切だと言うことである。

   創造的破壊(Creative Destruction)は、言わずと知れたシュンペーターの言葉だが、ここでは、暗いイメージではなく、破壊とは、最早必要とされなくなった要素を排除することによって、新しい価値あるものを生み出して市場の活力を維持するメカニズムのことを言っている。
   起業精神旺盛なクリエイティブな企業家が、リスクを覚悟で創造的破壊を推し進めてイノベーションを追求して経済を発展させてきた。この連綿とした人類の営みによって、時には巨大な産業革命を引き起こし、未曾有の価値と富を生み出して来たのである。

   共産主義を維持しながら、やや資本主義的な市場原理を取り入れた経済運営をしているが、BRIC'sとしてロシアの経済成長が注目を浴びているものの、実際には原油等資源価格の高騰によるバブル的な経済成長であって、実質的な経済社会の高度化や深化が進んでいるわけでもないので、グリーンスパンの指摘する計画経済の残照が、将来ロシア経済の足を引っ張るであろう。

   ところで、厳しい競争原理の導入がイノベーションを促進して企業の成長と経済の活性化を促すとするグリーンスパンの見解を取り入れて、日本に、早急に強力かつ厳格な地球温暖化に対する環境規制を整備することを提案したい。
   年頭の挨拶で、再び経団連の御手洗会長が、厳しい環境規制を行うと規制の緩い海外に工場等を移すと宣っていたが、そのような反社会的な企業は大いに日本から出て行ってもらって結構である。技術オリエンテッドな日本企業の使命は、厳しい規制に挑戦してイノベーションを追及し続けることである。
   環境問題と言う高いハードルは、必ず日本の企業に創造的破壊を喚起してイノベーションのチャンスを無尽蔵に与えてくれる筈である。
   既に、ヨーロッパ諸国では、エコ対応の経済が拡大し、この方面でのイノベーションと経済成長がビルトインされて、経済を果敢に牽引している。
   今まで、日本は、トインビーの「挑戦と応戦」理論の忠実な生徒として、厳しい試練に挑戦し、応戦しながら成長してきた。これこそが、日本のDNAである筈だと思っている。

   福田首相は、洞爺湖サミットを見越して、ダボスで日本独自の温暖化対策方針を打ち出すようだが、もう世の中は、EU主導の「総量規制、排出量取引、環境税etc.」が世界の趨勢となっており、今は反対しているが、アメリカがこの方針に同調するのは時間の問題だと思っている。
   アメリカと言う国は、そのように大局を見るのに聡い国で、国際会計基準の時と全く同じで、日本だけが孤児になることは火を見るより明らかである。

   ついでながら、国民所得の見方について触れて見たい。
   サミュエルソンを勉強した人には常識だが、国民所得の三面等価と言う法則がある。
   「生産」「支出」「分配」の三面から計算された国民所得の数字は、イコールだと言う法則である。
   しかし、GDPやGNPといわれる国民所得は、国民総生産と言われながらも、実際には、需要サイド、すなわち、民間の需要(消費、住宅投資、設備投資、在庫)、公的需要(消費、資本形成、在庫)及び輸出入と言った項目の集計で把握されている。
   ここに大きな落とし穴がって、需要サイドからだとどうしても短期的な視点が重視されて経済が判断されてしまい、経済政策が非常にスキューする。

   現在の日本経済の最大の問題点は、GDPの60%を占めている個人消費の低迷だといわれているが、これは、分配国民所得統計を分析すれば、労働分配率が異常に低くて上昇傾向にないことが一目瞭然に分かる筈である。
   また、生産国民所得は、モノやサービスを生み出す供給サイドからの所得分析なので、中長期的な視点で経済を見ることが出来て、経済の発展方向やそのダイナミズムを把握することが出来る。
   先に、述べた創造的破壊による経済発展は、正に、この生産国民所得から把握されるべきであって、この面からの分析手法を高度化しない限り、イノベーションを推進して創造的破壊によって経済成長を推進しようとする日本の成長戦略が見えてこないのである。

(追記)最近口絵にカワセミの写真を使っていますが、印旛沼の畔の小川には、このようなカワセミやコサギ、バン、それに、大きな鯉など色々な生き物が、生息していて命の貴さを教えてくれています。何時までも美しく豊かな自然を残したいと思っています。
   
   
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勝見明:大ヒットした商品の発明とビジネスモデル

2008年01月18日 | イノベーションと経営
   JIPAの知財シンポジウムで、勝見明氏が、基調講演「大ヒットした商品とビジネスモデル」を行った。
   野中郁次郎教授との共著「イノベーションの本質」の中から、4件の成功プロジェクトを引いて、知財と絡ませながら、イノベーションの背景を語った。
   この書物は、最近の企業や組織の成功したモノやサービスなどを調査しながら、それらの成功の秘密や本質を追及し、イノベーションが生まれ出でる過程を追いながら、それを生んだミドルの活躍を活写した所に特色があった。
   綿密に調査されてプロジェクトX風に書かれた経営学書なのだが、野中イノベーション論が随所で展開されていて面白くて勉強になる。

   勝見氏の協調したのは、知財を「モノ」として捉えると客観的・名詞的となり、知の位置エネルギーを持つだけだが、「コト」として捉えると主観が入り込み主観と客観が総合され動詞的となり、知の運動エネルギーが込められると言う事である。
   それは、丁度、彼女をヒトと見ると「ワタシ」の主観とは関係のない客観的な存在だが、コトと受け止めると彼女と言う客観と彼女に対する主観の両方を含み「ワタシ」が介在し、コトが気になり始めると愛が芽生えるのと同じだと言うのである。
   分かったようで分かり難いが、タダのリンゴがぽとりと落ちたのを見て、月は落ちないのに何故リンゴは落ちるのかと考えて、リンゴをコトとして見ることによって、ニュートンは万有引力の法則を発見した、その差が大きいのだと言う。

   従って、勝見氏によると、知財の原点は、この出来ゴトにあり、モノの向こうにどれだけコトを見ることが出来るのかによる。
   知財に込められた運動エネルギーは、質量(開発者の「知」「理念」「信念」etc.)×速さ(開発者の「動き、アクション、動詞」)によってパワーアップするのであるから、モノの向こうにあるコトのストーリーとそこに込められた「知」のエネルギーを如何に解き明かすのかによって、知財、イノベーションが生まれる。
   すなわち、名詞的で静態で固定的なコトとしての形式知を、コトの概念に変えて、動詞的な動態で流動的な関係を生み出して、その暗黙知ベースの共感や連携が、素晴らしい知財やイノベーションを生み出すのだと言うのである。

   こんな能書きで、勝見氏は、サントリーの「伊右衛門」、富士通「プラズマディスプレイパネル」、マツダ「ロードスター」、シャープ「ヘルシオ」の生まれ出でた顛末を語った。選択は、営業上サービスをしなければということで、後のパネリストの会社を選んだと言う。
   独善と偏見で言えば、プラズマとウォーターオーブンのヘルシオはイノベーションだとは思うが、緑茶などは、ヒット商品となったということで、形式知を暗黙知に変えて知的エネルギーを爆発させたと言うほどのことかと思う。
   ロードスターについては、スポーツカーと言う概念のクルマは、これまでもこれからも生み出されて行くジャンルで、確かに大したクルマでエポックメイキングではあると思うが、考え方によっては、トヨタのレクサスの方が、持続的イノベーションの極致を追求しながら破壊的イノベーションを指向しようとする革新的な方向だと思っている。

   ところで、サントリーの健康と嗜好の高度化を指向した飲料戦略については共感を感じている。
   子供の頃には、コカコーラとペプシ、そして、ラムネやサイダー、ジュースと言った変わり映えしなかった飲料の世界は、正に今昔の感を禁じえないほど変化し、実に選択肢も豊かになったし質が向上した。

   しかし、何処にでもあるベンディングマシーンの120円の缶飲料にどれだけの人が満足しているのか私は知りたいと思っている。
   メーカーによって、ブランドによって、色々な商品があるが、TVの詐欺とも思しき誇大コマーシャルは論外としても、例えば、私は時々仕方なく飲んでいるが、どこの缶コーヒーも缶紅茶も、本来なら飲めたシロモノではない。
   コーヒーについては、コンビニで売っている210円くらいのスターバックスなどが良いところで、とにかくひどすぎると感じている。

   話が横道にそれてしまったが、私は、トレンディなヒット商品を生み出すのとイノベーションとは、ある意味では同根だが、経済的社会的インパクトは大いに違っていると思っている。
   時代と社会に迎合したヒット商品が、人々の生活にとって良いことなのかどうかは別の話で、言うまでもなく、脚光を浴びて持て囃された経営手法や経営論が如何にまやかしで害が大きかったかと言うことをゴマンと経験しているのと同じであろう。
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日経:新春景気討論会

2008年01月17日 | 政治・経済・社会
   日経ホールで、恒例の日経:新春景気討論会が開かれた。
   年初から大変な株式の暴落が続き、経済は波乱含みであるが、全体の雰囲気としては、非常に心配な経済情勢ではあるが、異常な経済の失速や、中国のバブル崩壊はないであろうと言う、そして、来年には経済は回復基調に戻るであろうと言ったところであった。
   従って、4人のパネリストの予測をまとめると、2008年の日本経済の成長は、厳しくて実質GNP成長1.5%で、大方は1.8~2.0%。日本株も、13,000円から17,000円と言ったところで、為替レートは、100円から110円。
   今回は、中長期の展望には一切触れずに、現状と今年度の見通しとに終始していたので、全体としての経済像は示されなかった。

   日本経済の現状については、吉川東大教授が、小島明氏の指摘を受けて、異常な輸出頼みの状態にあることを説いた。
   2007年度の成長率1.3%の内、外需の貢献度は0.9%で、成長の70%であり、4番バッターの設備投資の落ち込みと個人消費の低迷の為に目立ったが、これまで、いくら高くても50%程度の寄与率だったと言う。

   しからば、日本経済を支える輸出であるが、対アメリカでは、既に昨年秋からマイナスになっており、中国等アジアその他の新興国市場への輸出がどうなるかにかかっている。
   中国市場へは原材料が主で、これが中国で完成品としてアメリカに輸出されており、今後アメリカ経済の更なる低迷によりマイナスの影響が懸念されるが、中国等の内需が拡大しているので大きな落ち込みはないであろうと言う意見が大勢を占めて、オリンピック後の中国経済もそれほど心配ないであろうと言う。
   道路などインフラ投資についても、日本のように景気浮揚策ではなく、中国では実際に必要とされている公共投資であり、オリンピック関連で遅れた分は、その後に廻されるので、需要は堅調だろうと言う。

   日本経済の成長要因については、今回、特に建築基準法の改正による建設需要の40%ものダウンで、実質0.5%も経済成長の足を引っ張った政策不況が大いに問題になった。
   ところが、この遅れの分については、実施がずれただけで、この分は、今年度に復活するので、2008年度の成長率はアップすると考えて、成長率を2%程度と見ているようだが、建設需給については、そんなに上手く行くのか、先の中国の場合にもそうだが、エコノミストの考え方は甘くて解せない。

   アメリカのサブプライム問題であるが、金融業や低所得層の住宅ローン問題が引き金となって、これが金融業全体の貸し渋りとなり、実体経済に波及するのかどうかと言う段階にあるが、バーナンキFRB議長の先日の異常とも言うべき緊迫した演説を考えれば予断を許さないであろう。
   これについて、大和総研の原田泰氏は、日本のバブル後の不良債権は100兆円規模でGDPの20%もあったが、アメリカのサブプライムはGDPの2%で多くても4%と言われており、日本の5~10分の1の規模で非常に低く、精々アメリカの経済成長率を3%から2%にダウンさせる程度で壊滅的な影響を与えることはないと言う。
   原田氏は、他の論点でもそうだが、他のパネリストよりも比較的に明るい経済に関する見方を示していた。

   私は、アメリカの場合には、先日TVでスティグリッツ教授も語っていたが、アメリカ人は、貯蓄を殆どせずに、消費増は、住宅価格や株等の資産価値の増加による借りれで賄って来ており、今回、サブプライム関連で住宅価格や株の暴落によって逆資産効果が発生して消費を削減せざるを得なくなって来ているので、GDPの70%を占めている個人消費が大幅に落ち込む心配が濃厚であると思っている。
   これが実体経済を直撃するので、まだまだ、サブプライム問題の暗雲はアメリカ経済を直撃する。
   それに、今回のサブプライム問題が、大きくヨーロッパの経済にダメッジを与えており、グローバルベースでの悪影響の展開にも注視すべきである。

   ついでながら、日本株価のダウンについては、企業の将来の収益力や日本の力について不信感が強いので暗雲が垂れ込めているのだとコメントしていた。

   J.フロントRの奥田務社長が百貨店・小売業の立場から個人消費の落ち込みについて語っていた。
   国民生活を圧迫ないし直撃するような事態の連続で、国民の消費マインドが落ち込み、生活防衛指向になり、高額高級商品の売上の落ち込みがひどいと言う。
   他のパネリストから、企業の利益率がアップしたが、この大半は利潤分配率のアップにまわって労働分配率が低いままに抑えられ、これが消費の足を引っ張っている、出来れば、給与所得を上げる方向に持って行くべきであると言う指摘があった。

   消費については、吉川教授から、団塊の世代の退職によってライフスタイルが大きく変わるのであるから、企業もこれに対応した魅力的な商品を開発するべきで、経済社会全体の団塊の世代シフトをしくべきだと言う意見が出た。
   案外、このあたりにイノベーションと成長要因が潜在しているのかも知れない。

   また、吉川教授が、経済成長について、国民に生産性の向上と言う意識が少なく、労働人口が減少するのに何故経済成長かと言われると言う。
   経済学では、設備投資やイノベーションによって生産性を上げ、この生産性のアップと労働人口のアップによって経済成長が行われると言うのが常識だが、この観念がなくて、経済成長を悲観的に見すぎており、生産性のアップは、何故か、ガンバリズムのように考えられていると言うのである。

   福田内閣の経済政策に関しては、全く、何を考えているのか読めなくて、無為無策と言うか、このままでは先が暗いと言う見解が大勢を占めていた。
   小島明氏は、成長を持続し生産性をアップ出来るような環境を作り出すべきで、改革による痛みや格差、グローバル化による痛みや格差などは当然起こるのであって、不作為の痛みや格差の方がはるかに恐ろしいと言う。
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デイヴィッド・クレイグ著:コンサルタントの危ない流儀

2008年01月16日 | 経営・ビジネス
   コンサルタントの成功率は20%程度で、特にIT関連のコンサルタントの効果は最悪でその71%は失敗であり、殆どが何の役にも立たない害ばかり多い集金マシーンの餌食となっている。
   こんな調子で、コンサルタントの赤裸々な内幕を情け容赦なく告発したのが、20年間超大手のコンサルタント会社などで、エクソン、デュポンなど超大企業を筆頭に世界中の100社以上の経営コンサルタントを勤めてきたデイヴィッド・クレイグが著した「コンサルタントの危ない流儀~集金マシーンの赤裸々な内幕を語る」と言う書物である。
   
   10年ほど前に、フランク・パートノイが「大破局(フィアスコ)~デリバティブという「怪物」にカモられる日本」と言う本で、モルガン証券が極めていい加減な商品をでっち上げて売りまくって如何に荒稼ぎしたかを暴露したが、丁度、この本のことを思い出してしまった。
   当時、アメリカの金融機関のモラルが問題となり、ノーベル賞学者が二人もいながらLTCMがデリバティブで破綻騒ぎを起こしたのもこの頃であった。
   その後、金融工学が花盛りで金融ブームを惹起し、これが今のサブプライム問題に繋がっている。

   仕事と言えばアルバイトの土木作業員の仕事だけで、文学を専攻して経営学のケも知らない著者が最初についたコンサルタント業務は、解体屋。
   口から出任せを言ってクライアントに取り入って、クライアントの経営状態を調査し、能率向上策をたたき出すのだが、、
   この場合、もう一世紀も前のテーラーの科学的管理法よろしく仕事の動作分析をして無駄時間を弾き出して、無理に30%以上の数字をでっち上げて大量の人員を削減する合理化案を提示する。
   コストの高い正規雇用者を削減してパートや新人に入れ替えて素晴らしい経営数字となる提案をし、更に、その教育訓練サービスの提供をも申し出る。
   しかし、ロイヤリティの低い能率の悪い社員に置き換えるのだから合理化にはならず、結果として殆ど会社が倒産してしまう。

   多少気の利いたコンサルタントは、リーン生産方式、ビジネス・プロセス・エンジニアリング、株主価値増大、戦略的再配置、ベンチマーキング、サプライチェーン最適化、スピード・ツー・バリュー、変革的アウトソーシング、バランス・スコアカード、ビジネス・トランスフォーメーション等々新しいファッショナブルで洗練された手法を繰り出して仕事の内容を小奇麗に飾ってパッケージングするが、殆どは、コスト削減の合理化案の提示で、これで、巨万の金が、何故か分からないがコンサルタント会社に流れ込んで、パートナーの私腹を肥やしているのだと言う。
   これでもか、あれでもかとあくどいコンサルタント業務の裏の裏まで詐欺まがいの手練手管を開陳しているのだから、話半分にして聞いても、これを読めばコンサルタントの使い方が変わってくる。
   私自身、これまでに、名のある弁護士事務所や公認会計士事務所、或いは、ITエンジニアの無能振りや仕事の欠陥を結構つぶさに経験しているので、著者のコンサルト業務の暴露話も誇張とは言えないものがあると感じている。
   勿論、素晴らしいコンサルタントが沢山存在し、立派なプロフェッショナルがいる事を信じているし、疑ってはいない。

   ピンのトップクラスの戦略コンサルタント会社は、クライアント企業の最高幹部たちを相手に報告書を書いて飯を食っている。
   いかなる大企業も、中央省庁、地方自治体といえども、これらの自称専門家達の助言なしには何かの決断をすることは困難であるように思われ、実業界は彼らの作り出す高価な報告書で溢れかえっていると言うハンソン卿のコメントを引用し、この一連の流れを、「報告書提出→請求書送付→即座に戦略離脱」メンタリティーだとしている。

   このようなコンサルタントに最高に気前が良いのは、トニー・ブレア首相率いる英国労働党に止めを刺すと言う。
   国民一人当たり1500ドルもの金を、経営/ITコンサルタントに払い、その仕事の殆どは何の役にも立っていなかったことが判明しており、ITシステム・コンサルティングの殆ども、絶望的な予算超過でスケジュール的に遅れまくっていると言うのである。
   これほどまでとは行かなくても、大企業の場合でも大なり小なりこのような状態で、秘密条項契約を良いことに、失敗すると経営者は自分の面子が潰れるので一切極秘で処理しているとも示唆している。
   
   トップコンサルタントとして、例えば、マッキンゼーについて語っている。
   マッキンゼーでもしくじるとして、破綻したエンロンやスイス航空、Kマートやグローバル・クロッシングのコンサルタントであったことを暴露し、
   特に英国のBBCのコンサルタント業務については、コスト削減の為に人間を退職させる助言をしたが渡されたデータを誤用したり改竄したとして問題になった。
   また、900万ドルの支払いで4億ドルの運営費を節約できたと主張したが、実際には4億の削減どころか2億ドル以上もの増加だったと言う。
   マッキンゼーの仕事の殆どは、実際には戦略でもなんでもなく、むしろ組織構造の再設計もしくは、業界内外の最高事例との比較分析を行うベンチマーキングであって、どちらもその目的は人員とコストの削減である。彼らは組織設計に関しては弱いと感じており、彼らの組織設計の仕事はその企業に必要なのかと言う点も甚だ疑問であると、さも前述の解体屋と同じだと言わんばかりのコテンパンである。

   アクセンチュアについては、特に辛口の批判を展開しており、世界最大級で最も儲けているコンサルタントでありながら、米国企業の平均が収益の36.9%なのに7%しか税金を払っておらず、また、パートナーが2500人以上、従業員が10万人以上もいるのに、本部は従業員がたった3人のバーミュダにあると言う。
   正に、コンサルタントの鑑の様な仕事振りである。

   知識情報化社会であり、知価の時代であって、知識情報が価値を持つと言われるが、本当にそうなのか。クリエイティブな知識と情報が価値を創造し、素晴らしい世界を作り上げて行くと言うのだが、本当に人類にとって幸せな経済社会に向かっているのであろうか。
   時代の寵児コンサルタントの暗い内幕と暗躍を聞かされると、一寸、考えざるを得なくなった。
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時事雑感・・・政治の劣化、そして、民主党

2008年01月15日 | 政治・経済・社会
   先日の上智大学での「世界遺産と生きる」でパネリストの一人である鈴木恒夫衆議院議員の第一声は「政治の劣化」と言う言葉で、現在の日本の政治家の質が如何にお粗末かと言うことを語った。業績については良く知らないが、文化遺産の保存や環境行政などでの議員達の識見の無さや意識の低さをも言っているのであろうが、確かに、ロクスッポ勉強をしていないのであるから、分かる筈がないと言うのが実情であろう。
   榊原英資氏が日本の没落を言うのも、日本人の幼稚化と教育の目も当てられないような劣化を言っているのであって、昔大宅壮一氏が言っていた一億総白雉化が再び進んでいるのであろう。
   

   政治家の劣化の極みは、安倍首相が政権を放棄して福田首相にバトンタッチした茶番劇と、その後に延長までして実施された臨時国会で、対テロ特別措置法一色で終始し、とどのつまりは最初の筋書き通りに衆院で再可決したことだが、実質的にまともに通ったのは、薬害肝炎に対する救済法案のみと言うお粗末さであった。
   そもそも、アフガニスタン対策の給油が、日本が得た重要な国際貢献カードのように重要視して、このカードを失うと日本の威信と信用が失墜するように嘆く自民党も自民党である。
   しかし、罪が深いのは、訳の分からない憲法違反や国連決議を持ち出して反対する民主党で、反対なら横になっても反対すべきだが、力で阻止すれば内外の反発は筆致なので、出来レースで土壇場で通してしまう茶番劇を演じている。
   
   民主党については、アメリカの民主党のように多少リベラル色が強いので、比較的好意的に対していたが、先の小沢代表の代表辞任騒動のドタバタで党の素顔を垣間見て、更に、小沢代表が、給油法案の衆院再可決の場で採決を棄権して大阪の選挙応援に出かけるに至って、考えを改めた。
   第一、小沢代表の国連尊重主義だが、国連とは何なのかが、全く分かっていないと言うべきで、国連とは常任理事国の勝手気ままなパワーポリティックスによって成り立っている、元々戦勝国の国際組織であって、統一世界政府の議会ではないことを認識すれば、この国連決議尊重が如何に危なっかしいものであるか、或いは、日本外交を誤ることになるのかと言うことである。
   早い話が、アメリカは利用できる時は徹底的に利用し、旗色が悪くなると無視して国連分担金も払わずに滞納するし、多少、良識ある行動を取ると幻想を抱けるのは英仏くらいで、自国の利権と政策のみしか関心のないロシアや中国が大きな顔をして力を行使している安保理が支配している国連を、一つの指針として考慮するのならいざ知らず、金科玉条のように信奉して、日本外交の方向を考えるなどは恐ろしい限りである。

   ついでながら、日高義樹氏が、「資源世界大戦が始まる」のなかで、「民主党はなぜだめなのか」と言う項目で、意欲的な若い政治家を多数抱えておりながら、国連や国際社会ばかり考えて行動する幹部政治家達が、日本の若者の多くが古い体制に飽き飽きして国連に魅力を感じなくなっているのに気付いていないと言っている。
   非難の矛先は、民主党の安易な移民政策で、欧米の例を引いて、これらの国が移民の受け入れによって如何に国家の治安や秩序が破壊されて悲惨な状態になっているかを述べて注意を喚起し、まして、移民に年金の支払いを期待するのなどは笑止千万だと言う。
   年金を税で賄うのなどは、世界では有り得ないシステムで、社会主義的な体質があるから国連を理想主義的な世界組織として信用し、国家をないがしろにしながら、年金は国が税金で払えと言うのは、首尾一貫していないのも甚だしいと言うのである。
   
   もう一つの民主党の欠陥は、国家は自らの力で自らを守るべきだと言う原則を全く理解していない。アメリカを非難するが、アメリカの安全保障の元で日本の安全が保たれていることを無視していると言うことである。
   これは、私がこのブログで何度も述べているポイントで、自分の国を自分で守れないような国は国家としての存在意義はないと言う点と相通じている。
   日高氏がアメリカが口が裂けても言えない本音であると言っているが、アメリカは、日本の基地を自由に使用する為に日本の安全を守る安保条約を維持しているのであって、それ以上でも以下でもなく、いわば、昔ブレジンスキーが言っていたように日本は軍事的には米国の属国なのだと言うことで、これを弁えずに、アメリカ非難を続けるとしっぺ返しがキツイと言う事である。
   
   このコンテキストで、小沢民主党の給油法案への対応やアメリカへの対応、国連重視主義などを考えてみれば、如何に、子供の議論かと言うことが分かろうと言うものである。
   日本が完全にアメリカから独立して自国防衛が可能な体制になってから、或いは、それが出来なくても、如何にそのような体制を構築するかと言う青写真を示してから、もう一度出直して来いと言うのが、私の民主党論である。
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時事雑感・・・道路特定財源制度の特定税率

2008年01月14日 | 政治・経済・社会
   田中角栄首相時代に受益者負担の原則で制定されたガソリン税や自動車重量税の道路特定財源制度が、道路整備5カ年計画の財源不足の為に、昭和49年度から2年間暫定措置として、揮発油税、地方道路税、自動車取得税、自動車重量税の税率引き上げが行われた。
   この暫定税率を期間延長を重ねながら維持されていたのが、この3月31日に期限が切れるので、どうするか与野党の激しい攻防が続いている。
   廃止されれば、ガソリン価格が1リットルあたり25円安くなるので国民生活は大いに助かる。

   私自身は、結論から言えば、暫定税率は廃止すべきだと思うが、環境税の導入と同時に、環境税に鞍替えするのが良いと思っている。
   地球温暖化対策の為に、環境税の導入は必須だが、日本の場合には制度化が非常に難しそうなので、既存の税制度を活用して、自動車関連の税から始めるのが良かろうと思うのである。
   従って、この税金は、当然、道路関連には支出されないこととなる。

   ところで、自民党や道路族の言っている道路建設やその整備の必要性、そしてその財源不足であるが、私の経験から言えば、道路交通の不備による経済損失は、首都圏など都会地の方が地方よりはるかに酷いと思っている。
   しかし、日本の国土を繋ぐ幹線の高速道路は完全に整備すべきだと思う。例えば、九州の場合には、鹿児島まで東西沿岸を完全に一周する高速道路が必須であり、本州においては、日本海側に完全に繋がった高速道路が必要であるなどで、これは国是であって、交通量がどうだとか必要度がどうだとか言う次元の問題ではないと思っている。

   高速道路については、シンガポールのように、完全にETC化を実施して、総て料金は機械的に自動徴収することである。
   ETCを突破して料金を払わないケースが何十万件あると言う信じられないようなことが起こっていると聞いているが、全車ETC化すればそんなことはなくなり、一度でもそのようなことが起これば警告表示して阻止するシステムを構築すれば良い。(ICT時代の技術なら何でも出来る筈である。)
   全車ETC化すれば、関連機器等もはるかに安くなり、ゲートも必要なくなるし、料金徴収員を他に転用することが出来、各高速道路会社の経営合理化進む筈である。

   税金の場合でも、社会保険の場合でも、或いは、NHKの聴取料の場合でも、日本の場合には、その徴収に対しては非常に中途半端で、個人の尊重だとかわけの分からないことを言って徹底していない。
   NHKの聴取料については、公共放送だからと言うが、払わない人間はまず公共心が欠如しているのだから排除されて当然で、WOWWOWやスカパーのようにカード式にするなどして徹底的に徴収すべきなのである。

   サンプロで、矢祭町図書館の話を放映していた。
   政府の方針に従わず町村合併に反対したために、財政に苦しんだ矢祭町が、古い施設を予算1億円で整備して、本を買う予算がないので全国から寄付を募ったら一挙に40万冊も集まって素晴らしい図書館が出来たと言う。
   ところが問題は、本は何億円も予算を使って新本を買うものであって、予算ゼロで寄付で集めるなどもっての外だと、全国の自治体から猛反発があったと言う。これを聞いて、日本は実に悲しい国だと思った。
   
   そう言えば、少し以前に、ブックオフの二枚舌が頭に来たので、住んでいる市の図書館に、本を寄付したいので引き取ってくれないかと連絡したら、「定期的に図書館で要らなくなった廃却本を玄関に並べて持って帰って貰っているので一緒に並べましょう」と言われた。
   市の図書館より、私自身の本の方が、はるかに質の高い良書であることを知っているので、「子ども会の資金のための古紙回収に出す方が良いので止めます」と言って電話を切った。

   色々書きたいことがあるが、私は、国も地方公共団体も、少なくとも民間企業並みに、もっともっと締め上げてコスト削減を図るべきだと思う。
   余裕があるから、社会保険庁や守屋某の様なことが起こるのである。
   
   
   
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海老蔵の通し狂言「雷神不動北山櫻」

2008年01月13日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   成田屋父子が、東京の歌舞伎で夫々お家の歌舞伎18番で気を吐いている。
   團十郎が、歌舞伎座で助六、海老蔵が新橋演舞場で「雷神不動北山櫻」での5役である。
   私が、まず、鑑賞したのは、海老蔵の雷神不動北山櫻。
   成田屋にとっては、守り本尊とも言うべき成田山新勝寺から、不動明王像が出開帳で、丁度、成田山開基1070年を記念して、新橋演舞場の2階ロビーに安置されており、鑑賞客たちが有り難くお参りしていた。(口絵写真)

   この雷神不動北山櫻は、天皇家のお家騒動が元で起こる勧善懲悪の物語で、本来通し狂言であったものが、「毛抜」「鳴神」「不動」と分割されて上演されていたのを、今回、時代にマッチした作品として新たに構成演出し直して、海老蔵が座長公演を行うことになった。

   何よりも呼び物は、「市川海老蔵五役相勤め申し候」と言うことで、先祖や先輩が成した粂寺弾正、鳴神上人、不動明王と言う三役に加えて、謀反の張本人早雲王子と安倍清行を演じることであった。
   歌舞伎では、平気で七役や十役を演じる役者がいるが、私見過ぎるとは思うが、私は、通し狂言であろうとも、一演目で何役も勤めるのは、芝居本来としては邪道であって、余程卓越したスーパースターでない限り、アクロバットかサーカスの類に堕する危険があると思っている。
   尤も、今回の演目では、主役と言うべきキャラクターが変わって、全編を通して出演することがない芝居なので、それほど、気にはならなかったが、やはり、二代目が演じて継承されていた三役が良い所ではないかと思う。

   今回の舞台で面白かったのは、やはり、定番の「毛抜」と「鳴神」であった。
   毛抜での海老蔵の粂寺弾正の出で立ちや演技は、正に江戸歌舞伎の荒事の典型と言った感じで、海老蔵の表情など、写楽など当時の浮世絵師の錦絵から抜け出たような剛直かつ華麗で迫力のあるシーンが展開されて、存分に楽しませてくれた。
   やはり、この見得なりシーンは、流石に成田屋で、海老蔵の魅力満開であった。
   悪人が磁石を天井裏に仕掛けておいて、お姫様の髪を簪と一緒に引き上げて病気だと思わせて縁談を妨害すると言う他愛のない話で、これを弾正が見破って成敗すると言う筋書きだが、天井裏の賊が方向指示器の着いた大型コンパスを持って落とされるなどは、やはり、歌舞伎である。

   「鳴神」の舞台をはじめて観たのは、もう、20年近く前に、ロンドンのジャパンフェスティバルの時であった。
   この時の鳴神上人は勘三郎で、雲の絶間姫は玉三郎であったが、何とも言えない二人のほんわかとしたエロティックな舞台が印象的であった。
   今回の通し狂言で、鳴神上人が、早雲王子の策謀で騙されて朝廷を恨み、龍を滝壺に封印して雨を降らせなくしていると言う筋書きが良く分かったのだが、とにかく、皆の意を受けて、雲の絶間姫が、色仕掛けで上人を屈服させて龍を解き放ち、雨を降らせようとするのであるから、清廉潔白で浮世を超越した上人を、鳩摩羅什のように陥落させなければならないのである。

   玉三郎の何とも表現できない魅力的な姫の表情は今でも脳裏に残っているが、今回、雲の絶間姫を演じた芝雀の実に魅力的な色香とコケティッシュな表情や芸の素晴らしさは、これまた至芸であり忘れ難い。
   非常にきっぱりとした潔い感じの姫を演じながら、女の魅力をプンプン醸しだしながらシラッと演じるあたりの芸の細かさは流石に上手いと思った。
   一方、海老蔵は、鳴神上人のイメージとしては、女人の柔らかい乳に触れて動転すると言う設定にしても、如何にも若くて直ぐに挑発されてしまう感じで、やはり、妖術を遣う高僧なのであるからもう少し重みを感じさせても良いのではないかと思って観ていた。
   洗濯女の白い脛に見惚れて神通力を失って雲から落ちた久米仙人の話もあるけれど、ここは、天皇家を恨み抜いての所業であるから、起承転結ははっきりすべきであろう。

   最後の場面の、真っ赤な業火をバックにして中空に浮く海老蔵の不動明王だが、絵のように美しい舞台で、勧善懲悪を裁く神々しさの演出が面白い。
   この歌舞伎は、素晴らしい脇役にサポートされて作り上げられた舞台だが、一にも二にも、そして、良くも悪くも、海老蔵の舞台であり、海老蔵の「雷神不動北山櫻」である。
   海老蔵の気負いと新しい歌舞伎への情熱が爆発したようなエネルギーを感じる意欲的な舞台で、今後の海老蔵の活躍が楽しみである。   
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世界遺産と生きる・・・上智大学・朝日新聞シンポジウム

2008年01月12日 | 政治・経済・社会
   上智大学講堂で、シンポジウム「世界遺産を生きる~日本が果たすべき役割」が開かれたので聴講した。
   すり鉢状のユニークな講堂を舞台に、青木保文化庁長官とアンコールワット遺跡調査で著名な上智大学石澤良昭学長の基調講演に始まって、稲葉信子さん、鈴木恒夫衆議院議員、田口ランディさん、バーミヤン遺跡調査の前田耕作教授などがパネル討論を行った。

   石澤学長のアンコールワット調査については、NHKの番組で見ていたので、実際に10年以上にも渡る学術調査と遺跡保存活動の実情についてつぶさに話を聞くと臨場感が沸いてくる。
   あんなに何度もアジアに出かけながら、私自身は、アンコールワットにも、ボロブドールにも行った事はないし、勿論、アフガニスタンも行ったことがないので、バーミヤンも知らない。

   青木長官が、世界遺産と我々との関わりについて語った話の中で、世界遺産に残っている偉大な遺跡、例えば、アンコールワットのような壮大な文化文明を築き上げた人々は何処に行ってしまったのであろうかと言う疑問については、私自身、いつも気になっているので共感を覚えた。
   子供の頃に、ジャングルの中に忽然と消えたマヤやアズテックやインカなどのラテンアメリカのインディオの遺跡について非常に不思議に思っていた。
   何かの本に、鋤鍬を発明出来なかったので、十分な農耕を行えなくて疲弊した土地を放棄せざるを得なかったのだと言うことが書いてあって、一部分、なるほどと感じたのだが、その後、その訳を知りたくて、あっちこっち本を漁ったことがあった。
   後年、実際に、マチュ・ピチュやクスコなどのインカ、ウシュマルやチェチェンイツア、パレンケなどのマヤ、メキシコのアズテックなどの遺跡を見ても私にとっては謎が深まるばかりであった。

   ギリシャやローマについても同じで、今のギリシャ人やイタリア人の祖先がこれらの壮大な文化文明を築いたとは思えないし、同じだとしても、あの文化文明の頂点とその輝きが、どのようにして生まれどのようにして消えてしまったのか。
   ベネチアの興亡など、近世に入ると比較的身近なので理解しやすいが、私自身経済を勉強したので、経済的なコンテクストで理解しようとする傾向が強いのだが、されば、名にし負うソグド商人は何処に行ってしまったのか。
   これまでの歴史を見ていると偉大な文化文明は必ず滅び去ってしまう、いわば、盛者必衰の理をあらわす平家物語の世界であるが、おそらく、滅亡の紐を引くのは複合的な原因が徐々に呼応しながら作用するからで、そして、そのプレイヤーは、地域的な要素に左右され時代の変化によっても、変わって行くのであろう。

   石澤学長は、世界遺産に思いを馳せることは、人間は何処から来て何処へ行くのか、未来を探ることだと言う。
   遺跡を造る為に、その当時の人々の厖大な知恵とエネルギーが投入されたはずで、その人たちの喜び、悲しみ、怒り等々命の叫びや命の儚さ、生と死などが塗り込められた文化文明の結晶たる歴史遺産が、時間空間を越えて我々に訴えかけるのは何故か。
   不安で不確実な時代であればこそ、遺産そのものが、私たちに、人間の生と死、時間と空間、自然環境と人間のあり方などの貴重なメッセージを伝えてくれからこそ、世界遺産ブームが起こっているのだと言う。
   日本でもカンボジアの遺跡を守る専門家を育成し、多くの石工を連れてカンボジアに行って職人を育てて遺跡の発掘と保全に努めている、根気の要る大変な事業だが、日本の果たせる貴重なアジアへの貢献であろう。

   ランディさんが、世界遺産は、本来、人間が自然に生きて来てその生活の営みの中から生まれて来たものでありながら、世界遺産に登録されたお陰で、地元の人の生活が変わってしまったことを語っていた。
   屋久島では、生活の進歩を享受したいのに、昔の生活に戻れと言われると住民はこぼす。一方、漁民が民宿屋になり、タクシーの運転手がエコガイドになり、そして、自由に行けた所の多くが立ち入り禁止になって入れなくなった。
   また、広島では、原爆ドームの後に高層マンションが建って写真撮影の邪魔になった。非常識だと思われるが、広島の人々にとっては、広島の発展を願っており市の開発がここまで来たのであり、また、原爆投下に伴う一連の陰鬱な広島イメージに飽き飽きしているのだと言う。
   自分の住居が重要文化財になり、保全だけ強いられて費用がかかり生活ががたがたになったと嘆いていた人が居たが、世界遺産指定も、悲喜こもごもで、住民生活に大きなインパクトを与える。

   青木長官が、久しぶりにアンコールワットに行ったら、観光地のようになっていたと言っていたが、一度、有名になると観光客で溢れるのは世の常で、石見銀山も世界遺産指定で、観光客が激増したと言う。
   
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学研の改竄された中国製地球儀

2008年01月11日 | 経営・ビジネス
   昨夜、10時の「報道ステーション」を見ていて、学研が中国の子会社に製作させた地球儀で、台湾の所が台湾島と標記されていて、ペンをタッチすると、「国家元首は胡錦濤国家主席です。」と音声が出るように改竄されたので、販売を中止して回収していると報道していた。
   教育関連商品を商っている学研のお粗末さと言うかコーポレート・ガバナンスの欠如は問題外として、ビジネスのグローバリゼーションの複雑性と難しさを浮き彫りにしていて興味深い。
 
   ところで、この地球儀だが、スマート・グローブと言うらしいが、学研のホームページを開くと、同じ様な地球儀「NEWオッデセイTMグローブ」があった。クリックすると「商品はありません」と出てくる。(写真は、別の学研製地球儀)
   「地球儀をタッチすると世界地理情報を英語でも日本語でもおしゃべりする驚異的な地球儀です」と説明書きされているのだが、「地図面やデータを最新情報にリニューアル!!」と言う但し書きが、如何にも中国政府に改定頂いたと言うニュアンスで皮肉の極みである。
   台湾の統一は、一つの中国を悲願とする中国が最も重要な国是としている政策で、これを考慮できなかった学研の見識以前の無神経ぶりには驚く他ないが、グローバリゼーションに最も遅れている日本(ドラッカーの言)の企業が、国際ビジネス場裏で、これに似た失策を、あっちこっちで起こしていると聞くのも頷ける。

   ここで問題にしたいのは、国家の問題と言うか国土についてである。
   この中国の台湾問題のように、日本にも、中国とは尖閣列島、韓国とは竹島、ロシアとは北方4島などの領土問題を抱えている。
   近年のように科学技術が進化してくると、島ひとつで領海が拡大するために、かっては漁業権だったが、今日では厖大な天然資源が絡むので国家を挙げての熾烈な争奪戦が展開されることとなる。
   
   皮肉なことに、地球温暖化で北極海の海氷が氷解し始めたことにより、北極海域の天然資源の開発が可能となり、石油などの争奪戦が始まっている。
   アメリカやロシアに加えて、カナダやデンマーク、更に、ノルウェーなどが熾烈な戦いを繰り広げていると言う。
   グローバリゼーションで、世界は一つなどと言って、グローバル・シティズンシップが囃されているが、現実は、益々、国家の重要性が増している。

   中国の場合には、清朝末期のアヘン戦争以降に欧米列強に国土を蹂躙された苦い歴史があり、特にロシアには一方的な条約によって国土を蚕食されているので、軍事力を強化して、ロシアから領土を取り返すことを考えていると物騒なことまで言われている。
   特に極東ロシアの領土については、中国は合法的な権利を主張しているので、ロシアも戦々恐々であり、ロシアが中国と一見親しくしているのは懐柔策なのかも知れない。
   
   ロシアは、このような中国との領土問題を抱えているので、日本には、絶対に北方領土は返還しないと、日高義樹氏は近著で、断言している。
   何故なら、そんなことをすれば、中国がたちどころに領土返還を求めてくるからである。
   中国や日本の領土問題に対する布石を打つためか、最近、ロシアは、天然資源の豊かなシベリアや極東ロシア、そして、北方領土の開発に力を入れ始めている。
   領土保全と開発と言う一石二鳥を狙っており、発展著しい極東アジアへの足がかりを強化しながら、昔日の国威を回復しようと言うロシアの新国家戦略なのかも知れない。

   話を元に戻して、領土のことだが、日本は島国で他国から隔離されていて、比較的領土がハッキリしているが、陸続きのヨーロッパなどは、戦争や領主の交代などで絶えず国境線が移動し、同じ領土で同じ国家の存続や歴史などは皆無である。
   今でも、オランダの中にベルギーの領土があり、又その中にオランダ領があり、一棟の連続した住居の中央に国境が走っていて、その長屋の一戸が2国に跨っていると聞いた。そばまで行ったものの、残念ながら見ていないが、領土と言うものはそれほど厳粛なもので、アルザスのストラスブールでは、二度の大戦を挟んで、5度も仏独仏独仏と国が変わったと老夫婦が語ってくれたことがある。

   ところで、日本なら、学研の地球儀の場合には、政府に文句を言えたかもしれない。
   私自身は、台湾の独立については、台湾人の意思を尊重すべきだと思っており、どちらの肩を持つつもりもないが、中国での製造についての学研の対応はあまりにも不見識である。
   まして、中国検定版を唯々諾々と日本で販売したと言うから、学研の企業倫理の欠如は甚だしいと言わざるを得ない。
   報道ステーションでは、コストが安いだけで中国にシフトするのは危険だと言う雰囲気で中国ビジネスの問題として捉えていた。
   しかし、経済がいくらグローバル化しても、厳然と国家が存在している以上、そのホスト国の風俗習慣、歴史伝統、価値観、法制度や国是などを十分に尊重し意を用いる必要があることを忘れて海外事業を行うと、時には大変な齟齬を来たすことがあると言うことを認識しておくべきであろう。

   
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