熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ウクライナ国立歌劇場管弦楽団~クリスマス・スペシャル・クラシックス  メサイア、第九&アヴェ・マリア

2019年12月21日 | クラシック音楽・オペラ
   久しぶりに、気の張らないクリスマスコンサートに出かけた。
   ウクライナ国立歌劇場管弦楽団のクリスマス・スペシャル・クラシックス ・コンサートである。
   歌劇場管弦楽団であるので、オペラの序曲やアリアが主体で、ソリストは劇団の歌手。
   指揮は、ミコラ・ジャジューラ
   プログラムは、次の通りで、非常にポピュラーである。
チャイコフスキー バレエ組曲「くるみ割り人形」より“小序曲” “行進曲” “花のワルツ”
プッチーニ 歌劇「トゥーランドット」より“誰も寝てはならぬ”
プッチーニ 歌劇「蝶々夫人」より“ある晴れた日に”
ヴェルディ 歌劇「運命の力」より“序曲”
ヘンデル オラトリオ「メサイア」より“ハレルヤ・コーラス”
シューベルト アヴェ・マリア
ベートーヴェン 交響曲第9番より第4楽章“歓喜の歌” 

   最後の第9の第4楽章がなければ、ただのポピュラー音楽のコンサートに終わってしまうのだが、この30分の盛り上がりが、貴重なのである。
   やはり、歌劇場管弦楽団なので、4人のソリストもそれなりに立派な歌手で、オーケストラも華麗に歌って、聴かせてくれ、楽しいコンサートであった。
   尤も、晋友会合唱団の素晴らしさが、秀でていて、トゥーランドットの”誰も寝てはならない”のバックコーラスから感動的で、”歓喜の歌”に至っては、合唱の素晴らしさ凄さが、オーケストラを鼓舞して、一気にテンションを高揚させて、ソリストもこれに呼応して、感動的なベートーヴェンとなった。

   ソリストは、「蝶々夫人」と「アヴェマリア」を歌ったソプラノのオクサナ・クラマレヴァ。
   蝶々夫人は、ロイヤルオペラで、渡辺葉子を聴きたくて2回もコヴェントガーデンに通ったが、これは、東敦子もそうだったが、私は、蝶々さんは、日本人歌手に限ると思っている。
   このクラマレヴァの蝶々さんは、一寸雰囲気が違うのだが、アヴェマリアは、胸の前に両手を組んでしっかりと握りしめて、切々と美しい柔らかな声で歌って感動的であった。
   ”Nessun dorma”を歌ったのは、テノールのドミトロン・クジミン。
   それなりに上手いが、私の思い出は、ヴェローナのローマの野外劇場で聴いたホセ・クーラ、
   それに、サッカー放映のパバロッティの歌声が、耳にこびりついて離れないのが困る。
   指揮のミコラ・ジャジューラの軽やかなタクト裁きが素晴らしい。
   ロシアのオペラを聴いてみたいと思った。

   問題は、会場が、東京国際フォーラム ホールAと言う巨大なコンサート会場であること。
   あっちこっちの欧米のコンサートホールに行っているが、やはり、最高は、アムステルダムのコンセルトヘヴォー、
   いくら素晴らしいオーケストラの演奏でも、とにかく、ホールによって、音楽の質まで違ってくるのが恐ろしい。
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都響定期C・・・アラン・ギルバートのハイドン90番ほか

2019年12月14日 | クラシック音楽・オペラ
   都響定期C 12月8日のプログラムは、次の通り。

   指揮/アラン・ギルバート
   ヴァイオリン/矢部達哉

   リスト(アダムズ編曲):悲しみのゴンドラ
   バルトーク:ヴァイオリン協奏曲第1番 Sz.36
   アデス:クープランからの3つの習作(2006)(日本初演)
   ハイドン:交響曲第90番 ハ長調 Hob.I:90

   アラン・ギルバートの演奏会には、この都響で、かなり、通うようになったので、雰囲気に慣れてきた。
   王道を行く音楽教育を受けて恵まれたキャリアを突っ走ってきたアメリカの凄い指揮者で、ニューヨーク・フィルの音楽監督が長かった逸材、
   お母さんが日本人だと言うので、一層、親しみが湧く。
   これまで、前列、やや、下手の席で聴いていたので、指揮者の表情を具に見ていたので、アラン・ギルバートの指揮ぶりが良く分かるのだが、特に、奇をてらう風もなく、オーソドックスなスタイルであった。

   今回のプログラムで、これまでに聴いてきたのは、バルトークの協奏曲とハイドンの交響曲、
   やはり、若かりし頃に聴いていたコンサートは、プログラムそのものが、このハイドンやベートーヴェン、ブラームス、モーツアルトと言った古典ばかりだったので、ハイドンの90番になると、体が自然に反応すると言うか、無性に懐かしくなって、ドップリと雰囲気に浸ってしまう。
   さて、この90番だが、終楽章で、最高に盛り上がったところで、指揮者は、楽団員に向かって拍手したので、聴衆も釣られて拍手、
   指揮台を下りたアランが、四方コンサートマスターに耳打ちされて、頷いて指揮台に戻って、再演奏。
   一人ずつ楽団員が舞台から消えていく45番の「告別」や、途中で、ティンパニーを伴ったトゥッティで不意打ちを食らわせる94番の「驚愕」など、遊び心のハイドンの粋な演出で、除夜の鐘ではないが、108も交響曲を書いたのであるから、色々あろうと言うもの。

   私の場合、音楽の幅が広がってきたのは、その前のアメリカやブラジル時代を経て、ヨーロッパに住んで居た8年間に、随分、色々なトップ楽団のコンサートに通い続けて、色々な、曲を聴いた結果だと思っている。

   勿論、初演のアデスも、リストの悲しみのゴンドラも初めて聞く曲だが、昔と比べて、コンサートに何十年も通い続けてきたお陰であろうか、最近では、どんな曲でも、それなりに、聴いて楽しめるようになった。
   しかし、1980年代に、オランダに住んで居た時に、アムステルダムのコンセルトヘヴォーのシーズン・メンバー・チケットを、3シリーズ持っていて、その1つが現代曲のシリーズで、どうしても、聴き辛くて、馴染めなかったのを覚えている。
   私の場合は、クラシック音楽は、難しい音楽理論など、全く分からずに、好きで聴いているだけなので、自分の感性に合って、楽しめるかどうかが総てであって、どうも、コンサートを聴く経験の積み重ね以外に、向上の方法はないようである。

   午後のこの都響のシリーズは、格好のコンサートで、何時も楽しませて貰って居る。
   終演後、横浜や渋谷に寄り道して、夕刻、鎌倉に帰る。
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METライブビューイング・・・マスネ―「マノン」

2019年12月02日 | クラシック音楽・オペラ
   プッチーニの「マノン・レスコー」がポピュラーで、同じ、アベ・プレヴォーの長編小説『騎士デ・グリューとマノン・レスコーの物語』(Histoire du chevalier Des Grieux et de Manon Lescaut )を題材にしながら、マスネ―の「マノン」は、割を食った感じだが、素晴らしいオペラである。
   と言っても、私は、一度だけしか、実際の舞台を見ておらず、それも、1988年12月2日、31年前で、ロンドンのロイヤル・オペラである。
   指揮は、マイケル・プラッソン、マノンは、ルーマニアの新生レオンティナ・ヴァドゥヴァで、ロイヤル・オペラデビューであった。
   
   この舞台については何も覚えていないが、プッチーニの「マノン・レスコー」の方は、何度か鑑賞しており、このブログで、2008年のニューヨーク紀行で、METの舞台のレビューを書いているのだが、この時のマノンは、フィンランド出身の名ソプラノ・カリタ・マッティラの凄い舞台であった。
   マッティラは、悪女マノンのイメージではなく、貧しい乙女が思いのままに生きようとして運命に翻弄される姿を演じようとしたとして、
   初々しい乙女、成り上がりの淑女、恋に目覚めた女、生きようと必死になる女、運命を悟った女。変わり行く女性の変容を実に豊かに抑揚をつけながら演じ切った。

   さて、今回の「マノン」を歌ったのは、今もっとも注目されるオペラ界のライジング・スター:リセット・オロぺーサ。リリカルで澄んだ美声、伸びやかな高音、美しい容姿を併せ持つ。ニューオーリンズ生まれのキューバ系アメリカ人で、METのリンデマン・ヤングアーティストプログラムで育ったMETの優等生で、ヨーロッパでキャリアを積み、METへ帰ってきた。36歳で、匂うように美しく、感動的。
   天は二物を与えずは、彼女にとっては当てはまらない。
   尤も、マノンが、不実な悪女の典型だと言う捉え方をするならば、望みどおりに爛熟した豪華な生活に溺れながら、それさえにも満足できずに崩れて行くマノンのイメージは、キャリアを積んだ熟女のカリタ・マッティラの方が適役であろうが、もう少し経つと、M・ボンジョヴァンニが語っていたように、ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス、アンナ・モッフォ、ビヴァリー・シルズ、ルネ・フレミング等に並ぶ凄いマノン歌手となるであろう。
   私は、これらの歌手の舞台を観ているので、何となく、マスネ―の「マノン」歌手の雰囲気なりイメージが分かるような気がする。
   とにかく、修道女行きの田舎娘として舞台に登場した瞬間から、観客を魅了したリセット・オロぺーサの凱旋舞台は、インタビューしていたゲルブ総裁の喜びでもあろう。

   騎士デ・グリューは、アメリカが期待する気鋭のテノール:マイケル・ファビアーノ。
   甘く情熱的な声、役柄に没入する迫真の演技で聴衆を魅了すると言う、マノンのリセット・オロぺーサと同年代の情熱的に切々と思いを歌う好男子。
   ヨーロッパ出身の歌手の多いMETの舞台で、アメリカ出身の新生同士のカップルの初々しい溌溂とした舞台である。

   その他、キャストは次の通り、凄い布陣である。

   指揮:マウリツィオ・ベニーニ
   演出:ロラン・ペリー
   出演:
   マノン:リセット・オロペーサ、
   騎士デ・グリュー:マイケル・ファビアーノ、
   レスコー:アルトゥール・ルチンスキー、
   プレティーニ:ブレット・ポレガート、
   レスコーの父:クワン チュル・ユン
   
   ところで、この二つのオペラは、同じ小説をベースにしながら、演出が微妙に違っていて、その差が面白く、物語の奥行きを深くしていて興味が尽きない。
   例えば、「マノン・レスコー」では、マノンが、デ・グリューの情熱にほだされて恋におち駆け落ちするが、貧しさに耐え切れず分かれて大蔵大臣ジェロンテ(マノンでは、プレティーニ)の愛人になるまでは同じだが、
   二人が奈落に突き落とされる原因が違っていて、その生活にも飽き足らず憂鬱を囲っている所に、デ・グリューが来て口説き落とすので、宝石や身の回り品を掻き集めて逃げようとする所に、ジェロンテが帰って来て逮捕される。
   一方、「マノン」の方は、デ・グリューが、レスコーとマノンに唆されて、貧苦から抜け出すために、賭場に入って大勝ちして歓喜の絶頂で、負けた老貴族ギヨー・ド・モルフォンテーヌが、腹いせに、イカサマ博奕だと因縁をつけて警官を引き連れて帰って来て逮捕される。

   ラストシーンも一寸違っていて、父の努力で、デ・グリューは解放されるところは同じだが、「マノン・レスコー」では、マノンは、船に乗せられてアメリカ送りとなるが、堪りかねたデ・グリューが一緒に乗船を願い出て、最後には新世界の荒野に果てるのだが、「マノン」の方は、マノンが売春婦としてアメリカに売り飛ばされて護送中に、レスコーが流刑船の関係者を買収してマノンを奪還し、二人は再会するのだが、マノンの衰弱は既に極に達していて、デ・グリューに抱かれて息絶える。

   しかし、「マノン」の舞台では、「マノン・レスコー」にはないのだが、マノンに去られたデ・グリューが、サン・シュルピスの神学校で信仰に身を捧げているところに、絶えず、デ・グリューの自分への愛情を気にしているマノンが現れて、デ・グリューが拒絶するも、頽れて愛情を確かめ合うシーン。デ・グリューのアリア「消え去れ、優しい幻影よ」、マノンの「あなたの手を握ったことを思い出してください」という「誘惑のアリア」が、胸に迫る。
   このシーンだけでも、「マノン」は、若い二人のカップルには、格好の舞台である。

   泥棒を捕らえて縄を綯うではないが、カルメンでもそうだったが、フランス・オペラは、原作の小説を読むと数倍面白くなるので、アベ・プレヴォーの「マノン・レスコー」を読もうと思っている。
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相曽賢一朗vn&佐藤彦大pデュオ・リサイタル

2019年11月30日 | クラシック音楽・オペラ
   毎年、晩秋に催される相曽賢一朗のヴァイオリン・リサイタルには、欠かさずに出かけている。
   若い頃には、世界の偉大な演奏家が来日すると、オイストラッフやリヒテルをはじめ、必ずコンサートに出かけていたし、欧米が長かったので、クラシック音楽の名演奏やオペラ鑑賞には、ドップリと浸かった生活を送ってきたが、最近では、都響の定期やMETライブビューイング&+αくらいで、室内楽も、相曽賢一朗のリサイタルくらいになってしまった。
   ウィーン・フィルやベルリン・フィルやコンセルトヘボーが揃って来日していたようだが、ヨーロッパで聴きこんできたので、まあ、良いかと言う心境である。
   その分、能狂言、歌舞伎・文楽など日本の古典芸能の鑑賞が多くなっている。

   相曽のデュオ・リサイタルで、パートナーのピアニストは、代わっているのだが、いずれにしろ、相曽賢一朗のリサイタルである。

   今回の相曽賢一朗vn&佐藤彦大pデュオ・リサイタルのプログラムは、
   ●ベートーヴェン…ヴァイオリン・ソナタ第8番
   ●バルトーク…ルーマニア民俗舞曲
   ●ファリャ…アンダルシア幻想曲
   ●バルトーク…ヴァイオリン・ソナタ第2番
   ●ラヴェル…ツィガーヌ

   相曽賢一朗が、ロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージックに入学が決まって、キューガーデンのわが家を訪れたのは、もう、殆ど30年前のことで、その後、欧米各地のみならず、世界中を駆け回っての音楽行脚であるから、随分、成熟した素晴らしいヴァイオリニストに成長して、感嘆冷めやらない。

   相曽のリサイタルを聴いていていつも感じるのは、日本在住のクラシック音楽演奏家とは違った、欧米の空気や土の香りが濃厚に漂いながらも、実に美しいサウンドに、日本人としての、何とも言えない優しさ温かさを感じることである。
   ヴァイオリン協奏曲は、楽譜を立てて演奏しているが、その他の民族色の濃厚な曲の時には、今回、アンコールで弾いたファリアなのかどうか分からなかったが、フラメンコ風の曲などもそうだが、相曽は、暗譜で、緩急自在に、朗々と奏でる。
   相曽の身体に畳み込まれた土俗性さえ浮かび上がる。
   フラメンコ一つにしても、バルセロナ、グラナダ、マドリード等々、ほんの僅かな距離の差においても、かなり違っており、それは、フランスのワインや、ドイツのビール、日本の地酒のように、ローカル色を濃厚に体現していて、その差が実に素晴らしいのだが、
   相曽のサウンドには、その国その国のムードと国民気質さえ感じさせる豊かな感受性が迸り出ているように感じて聴いている。
   一本筋金の通った豊かな日本気質に裏打ちされ、それに、ロンドンで、正統かつ本格的なクラシック音楽を収めた相曽だからこそ抽出できる隠し味だと思っている。

   私には、音楽のことは良く分からないが、バルトークの故国ハンガリーには、何度か訪れており、プラハの美しさとともに、東欧のサウンドの違いは、ムードの差としても、何度か感じているし、スペインの粋なサウンドも、そうだが、相曽のヴァイオリンを聴いていると、何故か、無性に、ヨーロッパの風景が、懐かしく蘇ってくるのである。
   ジプシーヴァイオリンのように、暗譜で、何の衒いも迷いもなく、美しいサウンドを奏で続けられるのは、30年近くも、ヴァイオリン一つで、アメリカとイギリスをベースにして、世界中の音楽を執拗に渉猟し続けてきた相曽の真骨頂であろう。

   相曽がロンドンで勉強し始めて、暫くして、帰国したので、ロイヤル・アカデミーを首席で卒業したとか、その後のイギリスでの活躍は知らなかったが、1997年秋から毎年開催されている相曽のリサイタルには、ロンドンで相曽ファンになった面々と同窓会を兼ねて楽しみに出かけている。

   ロンドンで、相曽をコンサートに誘ったのは、
   ハンプトン・コート宮殿でのホセ・カレーラス・リサイタル、
   ニューヨーク・フィルのコンサート、ブラームスの二重協奏曲が印象的
   ロイヤル・オペラ:ベートーヴェンの「フィデリオ」
   何故か、一度も音楽の話をしたことがないのだが、年輪を重ねた相曽の音楽行脚や、ヨーロッパなど旅の思い出を、ゆっくりと話す機会があればと思っている。

   末筆になってしまったが、若き俊英のピアニスト佐藤彦大の素晴らしい演奏は特筆もの。
   ファリャの「アンダルシア幻想曲」のサウンドの凄さ素晴らしさは、圧倒的で、ピアノが小さく見える程の熱演。
   すたすたと登場したかと思うと、何の迷いもなく、ピアノを奏で始めたが、同じように座るなりピアノを叩いたたネルソン・フレアを思い出した。
   兄貴をちらちら見上げながらの熱演、相曽と互角に対峙した素晴らしいデュオ・リサイタルであった。
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METライブビューイング・・・「トーランドット」

2019年11月19日 | クラシック音楽・オペラ
   METライブビューイングの新シーズンが始まった。
   開幕は、フランコ・ゼフィレッリ演出の豪華絢爛たる舞台であるプッチーニの「トーランドット」であるから、いやがうえにも盛り上がる。

   指揮:ヤニック・ネゼ=セガン
   演出:フランコ・ゼフィレッリ
   出演:
   トーランドット:クリスティーン・ガーキー、
   カラフ:ユシフ・エイヴァゾフ、
   リユー:エレオノーラ・ブラット、
   ティムール:ジェイムズ・モリス

   トーランドットは、昨年、「ワルキューレ」で、ブリュンヒルデを歌って圧倒的な実力を示したパワフルな美声を誇るアメリカのドラマティック・ソプラノ・クリスティーン・ガーキー。
   今、輝いているアメリカ人のソプラノは、ルネ・フレミングだが、パンチの利いた凄い歌手は、レオンタイン・プライスにしろ、最近亡くなったジェイシー・ノーマンにしろ、黒人歌手だったが、デボラ・ボイトに次ぐスーパースタートして、大いに期待すべき歌手であろう。

   カラフは、あのアンナ・ネトレプコの夫君だと言う ユシフ・エイヴァゾフ、
   アゼルバイジャン出身で、ここまで上り詰めるのに20年かかったと言っていたが、気象学者であった父の跡を継いで本人も最初は気象学者になったが、学生フェスティバルで脚光を浴びて、バクー・ミュージック・アカデミーに進学して、すぐに、イタリアへ遊学して、フランコ・コレッリやジーナ・ディミトローバの教えを受けたと言うから、オペラ教育の本道を歩いてきたのである。
   イタリアで賞を得て、ラダメスなどキャリアを積むうちに、転機が来たのは、2010年、ボリショイ劇場に、トスカのカヴァラドッシに招待された時で、
   ネトレプコと共演したのは、2014年2月、ローマで、リカルド・ムーティ指揮のマノン・レスコーの時であり、そのすぐ後に、二人は結婚している。
   また、METへのデビューは、3年前で、この同じカラフで登場しており、評判は定着しているのである。
   この放映の日は、憧れのパバロッティの誕生日なので、彼に捧げるべく歌うと言っていたが、流石に、ネトレプコが認めた凄いテナーで、澄み切ったパワフルな甘いボイスが観客を魅了し、「寝てはならない Nessun dorma」で最高潮に達する。

   リューを歌ったイタリアのソプラノ:エレオノーラ・ブラットは、実に上手くて、清楚で美しい。
   1幕目の「お聞きください、王子様 Signore, ascolta!」、3幕目の自害直前に歌う「氷のような姫君も Tu che di gel sei cinta」のアリアの素晴らしさなどは、天国からの歌声のように美しく、涙が出るほど感動した。
   私は、オペラで、このリューとカルメンのミカエラが、最も好きな女性である。

   ティムールは、ジェイムズ・モリスは、METで40年も歌っていると言うが、このMETかコベントガーデンで、何度か聴いているので、懐かしい。
   ヴォータンで令名を馳せた名優だが、実に渋い味を出して好演。

   指揮のヤニック・ネゼ=セガンは、まだ、2回目だが、ジェイムズ・レヴァインを継いだと言うから、大変な逸材なのであろう。
   2年間通い詰めたフィラデルフィア管弦楽団と来日したのだが、残念ながら行けなかった。

   さて、留学の時か、出張の時か、何時だったか忘れたが、METで、フランコ・コッレリのカラフで、トーランドットを観た記憶がある。当然、舞台は、フランコ・ゼフィレッリの演出であった。
   最も印象深いトーランドットは、あのロメオとジュリエットの舞台であるベローナの巨大なローマ時代の野外劇場での壮大な舞台。記録をなくしたので、他のキャストは忘れてしまったが、カラフはホセ・クーラであった。
   いずれにしろ、最も沢山見ているのは、ロンドンのコベントガーデン:ロイヤル・オペラで、観劇の時に買ったプログラムを見ると、
   1987年5月に、エヴァ・マルトンのトーランドット、フランコ・ボニソリのカラフ、
   1990年9月に、ジーナ・ディミトローバのトーランドット、ウラジミール・ポポフのカラフ、
   1990年10月に、ガリーナ・サヴォーバのトーランドット、ニコラ・マルチヌッチのカラフ、  
   両方とも、指揮は、コリン・デービスであった。

   さて、幸い、私の手元には、2016年METライブビューイングの、キャストは違うのだが、同じフランコ・ゼフィレッリ演出のトーランドットの録画が残っている。
   明日、ゆっくりと観直そうと思っている。
   
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都響定期C・・・インバルのショスタコーヴィチ

2019年11月17日 | クラシック音楽・オペラ
   この日の都響C定期公演は、次の通り。 

   指揮/エリアフ・インバル
   ヴァイオリン/ヨゼフ・シュパチェク
   曲目
   ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調 op.77
   ショスタコーヴィチ:交響曲第12番 ニ短調 op.112 《1917年》
   アンコール(ヴァイオリン)イザイ無伴奏ヴァイオリンソナタ 
       第2番より第2楽章 田舎の踊り

   すべて、初めて聞く曲であった。
   もう半世紀以上になるが、私が学生の頃のクラシックコンサートでは、ショスタコーヴィチの曲がプログラムに載ることなど皆無に近く、ヨーロッパに居て聴いた前世紀の後半のヨーロッパの著名楽団のコンサートでも、殆ど記憶にない程だが、インバルの演奏で、熱狂する都響の観客を見ていると、まさに、今昔の感である。
   マーラーでは、ブルーノ・ワルターから、レナード・バーンスタインの系譜で、聴く機会が多かったが、昔は、ベートーヴェンやブラームスなど馴染みの曲でないと客を集められず、ブルックナーなどの長大な交響曲などは埒外であったし、ショスタコーヴィチなどは論外であった。
   曲そのものが変わったわけではなく、やはり、聴衆の嗜好が変わったと言うことであろうか。
   詳述は避けるが、クラシック音楽の曲目に対してもそうだが、指揮者や楽団、ソリストなどに対する感覚も、欧米と日本では、かなり違っているのを実感してきている。

   ヴァイオリン協奏曲第1番は、1948年に作曲されたのだが、共産党中央委員会による偏向的なジダーノフ批判が始まったので、発表されたのは、7年後で、スターリン死後、初演は1955年10月29日、エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニー交響楽団で、ヴァイオリン独奏はダヴィッド・オイストラフだったと言う。
   ムラビンスキーは、フィラデルフィアで、レニングラードフィルの演奏を聴き、オイストラッフは、宝塚歌劇場でのコンサートなどを聴いているので、間接的ながら、私と同じ時代の曲なのである。
   特に異質感なく聴いていたが、交響曲のような雰囲気で、ソロヴァイオリンが、休むことなく殆ど演奏しているのが印象的であった。
   楽章の最後に置かれた長大なカデンツァが実に印象的で、高揚すると、ティンパニの一撃によって第4楽章「ブルレスク」(アレグロ・コン・ブリオ)へ流れこむ壮大な盛り上がりは強烈であった。民俗舞踏風のリズムが粗野なまでの生命力を発散させる、自由なロンド形式の終曲。と言うことだが、
   ヴァイオリンのヨゼフ・シュパチェクの素晴らしくエネルギッシュで流麗なボーイングが、観客を魅了する。
   チェコ・フィルのコンサート・マスターから転身したソロだと言うことだが、テクニックが凄いので、聴きごたえ十分である。
   アンコールも手抜きなし。

   交響曲第12番 ニ短調は、1917年のウラジーミル・レーニンによる十月革命(ロシア革命)を扱っている曲だと言う。
   当局の体制に迎合した作品と見做されたために作品の評価は低く、演奏会機会も少ないと言うのだが、私には、大仰過ぎて感興が乗らず、インバルがタクトを下ろして、舞台から消えた直後に席を立ったので、観衆の熱狂ぶりは分からない。

   芸術劇場を出ると、広場で、西池袋公園関連行事で、ブラスバンドが、「花が咲く」を演奏していた。
   その後、聖者の行進などジャズの演奏をしたので聴いていた。
   聖者の行進だと、何十年も前に、ニューオーリンズのプリザベーション・ホールでのスイート・エンマ楽団の演奏を思い出した。
   何故か、リクエストで、この聖者の行進だけは、料金を取って、それも、1ドルだった。
   誰もが聴きたかったのは、名にしおう老婦人エンマと数人の黒人楽師の奏でる聖者の行進だったのであろう。
   狭い小屋の土間に置かれた数列の床几にかけた観客の後ろにはたくさんの人、
   こんなにジャズが美しくて感動的であったのを感じたのははじめてであったので、バーンスティンが、入れ込んだも分かった気がした。
   
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都響定期C・・・スッペ&オッフェンバック生誕200年記念

2019年10月03日 | クラシック音楽・オペラ
   都響の第887回 定期演奏会Cシリーズは、 【スッペ&オッフェンバック生誕200年記念】

指揮/フィリップ・フォン・シュタイネッカー
チェロ/エドガー・モロー
曲 目
スッペ:喜歌劇『軽騎兵』序曲
 オッフェンバック:チェロ協奏曲 ト長調《軍隊風》(日本初演)
 スッペ:喜歌劇『美しきガラテア』序曲
 オッフェンバック:歌劇『ホフマン物語』より「間奏曲」「舟歌」
 オッフェンバック:喜歌劇『天国と地獄』序曲

  スッペとオッフェンバックという喜歌劇の2大作曲家の生誕200年を記念して、有名な序曲集をと言うわけで、クラシック音楽に興味を持ち始めて、最初に買ったレコードに収録されている曲集と言った感じのコンサート。
  久しぶりに、美しくて抒情的なホフマンの舟歌を聴いて、むかし、ベルリンとロンドンのオペラハウスで観て聴いたオッフェンバックの「ホフマン物語 Les Contes d'Hoffmann」の舞台を思い出した。
  喜歌劇『天国と地獄』序曲 ともなれば、浮かれる前に、一列に並んで腕を組んだ美女ダンサーたちがスカートを捲り上げて軽快に踊るフレンチカンカンの情景が、真っ先に浮かんでくるのだが、これは後世の振り付けで、オッフェンバックは知らなかったと言うのが面白い。
  こんな時に、直ぐに、パリのリドやムーランルージュの華やかなショーを思い出して楽しめると言うのも、悪い癖かと思うのだが、音楽そのものが良く理解できていないと、ムードで味わうしか仕方がないと慰めている。
  とにかく、暑いのか涼しいのか分からないような季節の変わり目のけだるい午後のひと時、こんなクラシック音楽で楽しめるのは、格好の娯楽である。


  興味深かったのは演奏時間45分もある大曲オッフェンバックのチェロ協奏曲で、勿論、私など、知らなかったし、聞いたこともない。
  最近この曲を録音したばかりという若き名手エドガー・モローを独奏に迎え、超絶技巧と個性際立つチェロをオーケストラが表情豊かに盛り立てるオッフェンバックの協奏曲は、一遍のオペレッタを聴いているかのような変化と華やかさ。ハンブルク出身で自らもチェロ奏者でもあった指揮者シュタイネッカーは、古楽オーケストラや歌劇場での経験も豊富なだけに、生き生きと聴かせてくれることであろうと言う触れ込みであったが、喜歌劇の作曲家の曲と言った雰囲気ではなく、素晴らしいチェロ協奏曲であった。
  昔よく聴いたロストロポーヴィチよりは、フルニエの演奏を聴きたいと思ったのだが、そんな感じであった。
  アンコール曲は バッハ 無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調調BWV1009より IV Sarabande
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都響定期公演C・・・大野和士指揮:シベリウス「交響曲第2番ニ長調」ほか

2019年09月08日 | クラシック音楽・オペラ
   颱風15号が、関東直撃と言う今日、まだ、海上遠くにあり、朝は晴天で殆ど無風状態だったので、多少心配しながら、都響の定期公演を聴きに東京の池袋の芸術劇場に向かった。
   「日本・フィンランド外交関係樹立100周年記念」「渡邉暁雄生誕100年記念」と銘打った公演で、プログラムは、次の通りで、非常にポピュラーで、素晴らしい曲揃いの所為か、珍しくチケットは完売とかで、非常に湧いていた。
   

指揮/大野和士
ピアノ/ホアキン・アチュカロ
シベリウス:トゥオネラの白鳥 op.22-2
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番 ハ短調 op.18
シベリウス:交響曲第2番 ニ長調 op.43
アンコール(ピアノ)アレクサンドル・スクリャービン「左手のための小品 ノクターンop.9」

   トゥオネラの白鳥は、フィンランディとカップリングされたレコードを買って、最初に感動したシベリウスの音楽で、
   白鳥を表現する素晴らしく美しいイングリッシュ・ホルンが、悲しく抒情的な情緒連綿たる旋律を奏で続けると、チェロ独奏が低音から高音へと暗いモチーフを奏でて呼応する、
   大野和士は、この曲の時だけ、タクトを持たずに、両手を美しく優雅に躍らせながら指揮を続けて、天国のようなサウンドを紡ぎ出す。

   ラフマニノフのピアノ協奏曲は、これまで、コンサートで何度聴いたか、美しくて非常にダイナミックな曲で、チャイコフスキーとは一寸ニュアンスの違ったロシアのピアノ協奏曲で、私は、この方が好きである。
   ホアキン・アチュカロは、サイモン・ラトルから「ピアノからこんな音を引き出せる音楽家はめったにいない」と評されたスペインを代表する86歳の巨匠ピアニストだと言うことだが、悠揚迫らぬ骨太でダイナミックなラフマニノフを披露したかと思ったら、アンコールで弾いたのは、繊細で病的だと言われているスクリャービンの「左手のための小品 ノクターンop.9」、
   ロシアのピアノ曲を典型的なラテン人のアチュカロが、実に情緒たっぷりに歌わせて感動させたと言うのも驚きだが、なぜか、あのパステルナークの映画「ドクトル・ジバゴ」の凍り付いたシベリアの大地の映像を、スペインのシエラ・ネバダ山脈で撮ったと言うのを思い出して、何となく納得した。
   アチュカロは、聴衆の熱狂的な拍手に応えてピアノの前に戻って、椅子をやや右側に引いて、右手を椅子の右角に置いて座り、足を少し左側に流し気味に傾けてペダルを踏み、静かに、左手で、ピアノを弾き始めた。
   初めて聞いたのだが、結構バリエーションのある奇麗な曲で、アンコールとしては、比較的長い時間を楽しませてくれた。

   交響曲第2番 ニ長調を聴くと、いつも、愛国心の強いシベリウスが、上空を侵犯して飛来するロシア空軍機に向かって、自動小銃を撃ち続けたと言うのを思い出す。
   今でこそ、世界最高峰の文化国家として勇名を馳せているフィンランドだが、隣接する大国ロシアに苦しめられていた歴史を持つ。
   私が、経団連の経済使節団に参加して訪れた時には、ロシア経済に頼っていたフィンランドが、ソ連の崩壊で、一気に経済が悪化して、必死に、まだ、初期の発展途上国である中国にアプローチするなど、模索していた。
   まだ、ノキアが快進撃を始める前だったのだが、その後の努力で、今や、世界最高の知的教育水準を誇り、幸福度No.1、
   私は、その後個人旅行でもう一度フィンランドを訪れているが、ムーミンとサンタクロースの国、森と泉に囲まれた美しい国である。

   さて、大野和士の交響曲第2番 ニ長調、
   途轍もなく高揚したダイナミックな終曲にタクトを下した大野和士、やや背を後ろに反らせて棒立ち、頬を膨らませて一気に吐き出し、感動の極致、
   指揮台を下りて、聴衆に向かった時には、穏やかな表情に戻っていたが、全力投球した会心の出来であったのであろう。
   盛大な拍手と「ブラヴォー」。
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都響定期C…アラン・ギルバート:ブルックナー「ロマンティック」

2019年07月25日 | クラシック音楽・オペラ
    今回の演奏は、「日本オーストリア友好150周年記念」と銘打った公演で、指揮:アラン・ギルバート 。
   プログラムは、次の通り。
モーツァルト:交響曲第38番 ニ長調 K.504《プラハ》
ブルックナー:交響曲第4番 変ホ長調 WAB104《ロマンティック》(ノヴァーク:1878/80年版)
   モーツアルトの「プラハ」は、30分一寸の演奏だが、比較的短いと言われているブルックナーの「ロマンティック」は、70分弱、久しぶりに、長い公演である。

   都響の解説によると、
   ドイツの詩人たちによれば、さまざまな制約や限界のあるこの現実界において、それを超える「無限なるもの」の存在を信じ、予感することが「ロマンティック」な態度であるという・・・文学や哲学にうとかったブルックナーが、第4交響曲にサブタイトルを付けるにあたってこうした芸術論を直接念頭においていたとは、なるほど、考えにくい。
   と言うから面白い。

   冒頭のホルンの主題の美しいメロディを聞くと、懐かしくなったのは、かなり聞き慣れたと言うことでもあろうが、私がクラシック・コンサートに通い始めた半世紀前頃には、ブルックナーの交響曲の演奏が、プログラムに載ることなど皆無であったし、70年代にフィラデルフィアに居た時でも、フィラデルフィア管弦楽団やニューヨーク・フィルなどで、ブルックナーを聴くことも、かなり、稀であったような気がする。

   かなり前から、カール・ベームのブルックナーのレコードは買って聴いていたが、ブルックナーを本格的に聴き始めたのは、ヨーロッパへ移った80年代頃からで、コンセルトヘボウ管弦楽団やロンドン交響楽団などの定期や、ロンドンでの外来のウィーン・フィルやベルリン・フィルなどのコンサートだった。
   日本へ帰ると、ブルックナーより大分先行して人気のあったマーラーと共に、ブルックナーが人気大曲として、頻繁に演奏されているのにビックリした記憶がある。
   分からないままに、クラシックコンサートに随分通い続けてきたが、私の鑑賞法は、難しいことや音楽知識は全くの埒外の話で、その時の演奏に引き込まれて感動を覚えたり、感激しきりで素晴らしい瞬間を感じることができたかどうかであって、今回のブルックナーは久しぶりに最高であった。
   暗譜で表情豊かに、緩急自在、都響から素晴らしいサウンドを引き出してロマンチックに歌わせるアラン・ギルバート のタクト裁きに感動。

   前にも書いたことがあるのだが、随分前に、アムステルダムに居た頃、休暇を利用して、ドイツとオーストリアを旅行した時、ウィーンから、ドナウ川沿いに車を走らせてブレーメンに向かう途中、リンツ近くのセント・フローリアン大聖堂に立ち寄った。
   ブルックナーは、このすぐ近くの田舎町アンスフェルゼンで生まれて、13歳でここの聖歌学校に入り、その後補助教員、そして教師兼オルガニストとして勤め、後には、リンツへ、そして、ウィーンで音楽院の教授になるのだが、しかし人生の多くはここで過ごし、ここで音楽を学び多くの音楽を作曲した。
   修道院や美術館などは見学出来たが、何故か、閉まっていたのでセント・フローリアン大聖堂には入れなかったが、正面の扉の隙間から、回廊の奥の正面にあるブルックナーの弾いていたオルガンを長い間見ていた。
   ブルックナーは、故郷への思い覚めやらず、ウィーン音楽院の教授まで勤めながら故郷に帰る事を望んだので、このオルガンの下に埋葬されていると言う。
   何の変哲もない静かな田舎で観光客なども全くいない。恐らくブルックナーが住んでいた一世紀半前と少しも変わっていないような気がして、穏やかで平和な佇まいを心地よく味わいながら小休止して、田舎道を抜けてドイツとの国境に向かった。
   この大聖堂は、ドナウの岸からそう遠くない田舎の真ん中にある。ブルックナーの悠揚迫らぬ田園を思い起させるあの気宇壮大で豊饒なサウンドは、この大地が育んだものであろう。

   ブルックナーを聴くときには、いつも、あのセント・フローリアンの田舎の風景を思い出しながら、鄙びたドナウ川沿いのオーストリアの旅の思い出に浸るのである。
   
   
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METライブビューイング・・・プーランク「カルメル会修道女の対話」

2019年06月14日 | クラシック音楽・オペラ
   「カルメル会修道女の対話 Dialogues des carmélites」は、フランス革命前後のコンピエーニュのカルメル会修道女の処刑を題材としたフランシス・プーランク作曲の全3幕のオペラ。
   1957年1月26日に、ミラノ・スカラ座での初演であるから、現代オペラで、特に美しいアリアや感動的な音楽があるわけではなく、フランスの劇を観ているような舞台である。

   フランス革命のパリで、ド・ラ・フォルス侯爵家の娘ブランシュは、神経質なために俗世間では生きてゆけず、コンピエーニュのカルメル会の修道院に入る。しかし、革命政府は、修道院の解散と建物の売却を命令し司祭も追放し、修道女たちは殉教を決意するが、怯えたブランシュは修道院から逃げ出す。潜伏しながら信仰を守っていた修道女たちは捕らえられて死刑の宣告を受け、ひとりひとり断頭台の露と消えて行く。修道女たちの処刑を聞いて、その刑場へ、俗世間で下女として働いていたブランシュが現れて処刑の列に加わり消えて行く。
   次の写真が、処刑前の修道女たちの姿で、修道女たちは、「サルヴェ・レジーナ」を歌いながら処刑台へ向かい、一人ずつギロチンにかけられるのだが、兵たちの隊列の間を縫って舞台中央の奥へ消えて行くと、ギロチンの落ちる無気味なサウンドが響く。
   

   さて、私が、今回、楽しみにしていたのは、フィンランドの至宝ディーヴァ・カリタ・マッティラである。
   ロンドンのロイヤル・オペラで、20代の初々しいモーツアルトの「魔笛」のパミーナやワーグナー「ローエングリン」のエルザなどを観て非常に印象に残っており、2008年夏にニューヨークに行ったときに、プッチーニの「マノン・レスコー」のタイトル・ロールを聴いて圧倒されてしまった。
   長い間前のMETの総支配人であったジョセフ・ヴォルピーが、「史上最強のオペラ」の中で、最も魅惑的な舞台人間だったソプラノ歌手が二人居るのだがと言って、テラサ・ストラタスと、マッティラの名前をあげている。
   決して美人ではなくて大柄で損をしているが、演技力は抜群で、モーツアルトも歌いプッチーニも、そして、ワーグナーも歌え、これほど天性のオペラ歌手としての素質を備えた歌手は稀有だと思っており、今回の舞台では、クロワシー夫人/修道院長を演じており、死期の迫った老女を鬼気迫る圧倒的な演技で観客を釘付けにして、カーテンコールでは、主役ブランシュ・ド・ラ・フォルスのイザベル・レナードを圧倒するほど熱狂的な拍手喝采を受けていた。
   ついでながら、 ヴォルピーは、「サロメ」での全裸スタイルの一こまでのマッティラを語っている。リハーサル途中でのニューヨークタイムズ・カメラマンのワン・ショットに逆上したが、TVでは、かたいフィンランドの家族を押し切って、無修正で放映させたと言う。のである。
   サロメは、ロイヤルオペラで何回か観ているが、ギネス・ジョーンズは肉襦袢だったが、マリヤ・ユーイングのサロメは全裸でびっくりしたのを覚えている。

   今回の指揮者は、新MET音楽監督のヤニック・ネゼ=セガン。
   今秋、私が留学時代2年間メンバーチケットを持って通っていたフィラデルフィア管弦楽団と来日する。

   演出は、ジョン・デクスター。
   舞台の中央に太い真っ白な十字を染め抜いて、必要に応じて上部から柱や壁など室内装飾のセットを上下して舞台展開を図っていて、シンプルながら、非常に美しい。

   ブランシュ・ド・ラ・フォルスのイザベル・レナードは、素晴らしく上手い美人のメゾソプラノ。
   同窓で親友だと言う修道女コンスタンスのエリン・モーリーとの息の合った舞台が好感度抜群である。
   リドワーヌ夫人/新修道院長のエイドリアン・ピエチョンカ、マリー修道女長のカレン・カーギルなど魅力的な女性陣が舞台を圧倒。
   
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都響定期公演C・・・ファリャ「三角帽子」ほか

2019年06月09日 | クラシック音楽・オペラ
   今回の都響定期公演Cのプログラムは、

指揮/アレホ・ペレス
ピアノ/長尾洋史
メゾソプラノ/加藤のぞみ

ストラヴィンスキー:バレエ音楽《ペトルーシュカ》(1947年版)
ファリャ:バレエ音楽《三角帽子》(全曲)

  パンフレットによると、”2019年はロシア・バレエ団の旗揚げから110年、主宰ディアギレフの没後90年、そして彼らがファリャの《三角帽子》を初演して100年に当たることにちなんで、やはり彼らによって世に出たストラヴィンスキー《ペトルーシュカ》とともに、華やかなバレエ音楽プログラムをお届けします。指揮は、2016年ザルツブルク音楽祭でウィーン・フィルを指揮してグノー『ファウスト』を大成功させた、アルゼンチン出身の俊英アレホ・ペレス。”

   私など、クラシック音楽をレコードで聴き始めた頃、真っ先に買ったバレエ曲は、アンセルメ指揮スイスロマンド管弦楽団の「白鳥の湖」などチャイコフスキーの音楽であった。
   アンセルメが、来日した時には、勇んで、コンサートを聴きにホールへ行ったのだが、直立不動で、微かにタクトを動かすだけで、殆ど動かずに無表情のアンセルメが、あれだけ素晴らしく、福与かに華麗で美しいチャイコフスキー節を奏でるのが不思議であり驚異であった。
   今回の「三角帽子」が、アンセルメの初演だと知って、ビックリした。

   バレエを観たのは、東京やロンドンを含めて、殆どロイヤル・バレエだったが、やはり、チャイコフスキーの3つのバレエや定番のジゼルやドン・キホーテ程度であって、ストラビンスキーの「春の祭典」「火の鳥」などほかのバレエ音楽は、コンサート・ホールでのオーケストラ演奏を聴いただけで、バレエは知らない。
   「ペトルーシュカ」を初演したピエール・モントーが最晩年にロンドン響と来日した時に、大阪フェスティバルホールに行ったので、今回演奏の2曲は、まだ、自分自身が生きている間に関わる形で生まれた曲であることを知って非常に親近感を感じた。
   アムステルダムに居た時に、ロイヤル・コンセルトヘボウのシーズンメンバー・チケットの1シリーズが現代音楽で、全く親しめずに弱ったのを強烈に覚えているので、おなじ現代音楽でも、色彩豊かで華麗な、比較的単純で分かり易い今回のバレエ音楽は、非常に有難く楽しませてもらった。

   「三角帽子」は、
   ティンパニの力強いリズムで始まり、トランペットのファンファーレ、カスタネットの連打に楽員全員の手拍子で「オレ!オレ!」の掛け声。メゾソプラノが「奥さん、閂をかけなさい」と歌う・・・
   冒頭から意表を突く展開で、とにかく、音楽が色彩豊かで楽しい。
   三角帽子とは、代官のかぶる帽子で権威の象徴で、このバレエは、「代官と粉屋の女房」。
   助兵衛な代官が、美しくて魅力的な粉屋の女房に目をつけて横恋慕、しかし、散々コケにされた上に、夜陰に紛れて粉屋の服を着こんで夜這いに及び、自分の部下に叩きのめされて笑いものになる。
   ドン・キホーテの国だから、こんなことは、日常茶飯事、
   うだるようなけだるいスペインの田舎町の風景を思い出しながら、笑いを堪えて聴いていた。
   
   楽器の微妙なサウンドを追いながら、色々空想をして、音楽を聴いているのだが、分かったようで分からないところが、良いのかもしれないと、無理に解釈して楽しんでいた。
   冒頭と途中1回だけ、メゾソプラノの加藤のぞみさんの歌声を聴いたが、素晴らしい歌手である。
   近く「カルメン」のタイトルロールを歌うと言うのだが、素敵であろう。

   この頃は、歳の所為もあって、フラッと、ホールに出かけて、コンサートを聴く、
   その程度で、午後のひと時を、楽しめると言うのは、非常に有難いと思っている。
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都響定期A・・・アンドリュー・リットンのチャイコフスキー交響曲第4番

2019年05月30日 | クラシック音楽・オペラ
   今回の都響定期公演は、次の通り。

指揮/アンドリュー・リットン
ピアノ/アンナ・ヴィニツカヤ
曲目
 バーバー:管弦楽のためのエッセイ第2番 op.17
 プロコフィエフ:ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 op.26
 チャイコフスキー:交響曲第4番 ヘ短調 op.36
 (アンコール)チャイコフスキー:「四季」op.37b より3月 ひばりの歌(アンナ・ヴィニツカヤ)

  チャイコフスキーの交響曲は、今回の4番から6番の悲愴までが、大曲として良く演奏される。
  私は、ロンドンから帰る時に、カラヤンのチャイコフスキー:交響曲第4番 第5番 第6番 悲愴 のCDを買って帰ったのだが、その後、CDやDVDで、音楽を鑑賞することはなくなったので、今回会場で聴いていて、殆どメロディーをフォローできたのは、コンサート会場で結構聴いていたお陰だろうと思っている。

   この第4番は、丁度、メック夫人がパトロンになったので、経済的な余裕が出来て作曲に専念できるようになった時期の作品で、非常に意欲的でダイナミックなのであろう、
   冒頭の全曲の主想旋律となるホルンに始まる金管楽器が轟くファンファーレのモチーフから、ロンド主題が金管楽器中心に、さらに第2副主題が長調で力強く奏され、圧倒的な迫力で終結部に突き進む。
   メック夫人への手紙で、「苦悩から喜びの勝利へ」の作曲意図を伝えたと言う。
   ホルンやトランペットが放列を敷き激しく唱和する金管楽器の咆哮、大太鼓の大地を突く連打の迫力・・・白鳥の湖やくるみ割り人形などのような美しいメロディーとは、全く違った、別世界のチャイコフスキー節。
   アンドリュー・リットンのタクト裁きが冴え、都響が、素晴らしいサウンドで応える。
   私など、熱狂的な拍手喝采で湧いている会場を後目にして、いつも、直ぐに席を立って帰ってしまうので、余韻も何もあったものではないのだが、ロンドンに居た時には、車で、ビッグベンや電光に映えた奇麗な夜景を楽しみながらキューガーデンに帰っていたので、それなりの感慨はあった。

   プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番は、殆ど100年前の作曲。
   プロコフィエフは、日本にも滞在しており、私が子供の頃にも生きていたので、現代の作曲家。
   ピアノのアンナ・ヴィニツカヤが、ロシア人で、民族の血がそうさせるのか、感動的。
   ヴィニツカヤは、アンコールのひばりの歌では、中空を仰いで、しばし茫然、ピアノ協奏曲とは打って変わったような、美しいメロディを楽しませてくれた。
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METライブビューイング・・・「ワルキューレ」

2019年05月13日 | クラシック音楽・オペラ
   久しぶりのワーグナーの「ワルキューレ」である。
   METで2回、ロイヤルオペラ、ギルギエフ指揮のマリインスキー、良く覚えていないが、ほかにも何回か、それに、11年のMETライブビューイングも観ているので、結構、私にとっては、馴染みのワーグナーの楽劇の舞台であるが、休憩を含めて、5時間以上の長大なオペラであるので、感動も一入である。
   幸い、ロンドンに居た時に、ロイヤル・オペラで、ゲオルグ・ショルティやベルナルド・ハイティンクが、ワーグナーのオペラを殆ど振ったので、一気に、ワーグナーの魅力に取りつかれてしまった。
   最初に聴いたバイロイトのトリスタンとイゾルデが、一番好きだが、タンホイザー、ローエングリン、パルジファル、ニュルンベルグのマイスタージンガー、ニーベルングの指環の他の3曲、さまよえるオランダ人・・・、とにかく、ワーグナーのオペラは、長時間なので、鑑賞の日は、殆ど、劇場に釘付けであったが、ファンにとっては、たまらない程幸せな時間である。

   この「ワルキューレ」は、楽劇「ニーベルングの指環」四部作の「序夜」に続く「第一日」。
   とにかく、この「ニーベルングの指環」は、途轍もない壮大な楽劇で、この「ワルキューレ」は、鑑賞回数も多いので、かなり、ストーリー展開も分かっているのだが、ほかの曲は、英文の解説文を多数読んでも良く分からず、当時は、字幕もなかったので、到底、ストーリーさえ、いい加減で観ていたと思うと、残念ではある。

   「ワルキューレ」は、
   フンディングの妻ジークリンデは、戦いに負けて逃れてきたジークムントを助けるが、2人は、神々の長ヴォータンが、人間の女性に産ませた双子の兄妹だと分かるが、お互いに恋に落ちて、邪悪なフンディングから逃げるべく駆け落ちする。ヴォータンの妻フリッカは、兄妹の近親相姦禁断の愛を認めず、ジークムントを、追ってきた宿敵であるフンディングとの戦いで、ヴォータンに、彼を殺すように迫る。ヴォータンの娘で戦乙女ワルキューレのブリュンヒルデは、仕方なく翻意した父からジークムントを倒すよう命じられるが、兄妹の愛に感動して彼らを助けようとする。しかし、戦いの場に、ヴォータンが現れて、自分がジークムントのために用意した必殺の宝剣「ノートゥング」を叩き割ってジークムントを死なせる。命令に逆らった娘にヴォータンは激怒するが、ブリュンヒルデは、英雄ジークフリートを身籠っているジークリンデを助けるべく、馬に乗って逃げ去る。8人のワルキューレ姉妹に匿われるが、逃げられず現れたブリュンヒルデは、ヴォータンに神聖を解かれてワルハラから追放される。ヴォータンは、力を失ったブリュンヒルデを岩山に横たえ、体を盾で覆い、槍を振りかざし、岩を3度突いてローゲを呼び出し、ブリュンヒルデは炎に包まれ、壮大な「魔の炎の音楽」が鳴り響いて幕。

   この楽劇では、前半のジークムントとジークリンデ、後半のヴォータンとブリュンヒルデと役者が交代して二部に分かれている感じで、私が観たMETの2回とも、ジークムントを歌ったプラシド・ドミンゴが、途中のカーテンコールで消えて、その後、登場しなくなってしまった。
   寂しく感じたのだが、ほかのオペラの2倍以上もある長い楽劇であるから、2曲のオペラを観たと思うべきであろう。
   ロイヤルオペラのルネ・コロもそうだったし、前のMETライブビューイングのヨナス・カウフマンもそうであった。
   
   ヴォータンの「遠大な計画」は、「自由な意志を持ち、自発的に行動する英雄」を作り出すことで、それを、兄のジークムントに託して、神々の束縛・掟から自由な英雄となるべき存在とすべく、英雄としての宝剣「ノートゥング」をジークムントに授ける手はずも整えていた。
   ところが、兄妹の近親相姦と言う神の掟を破ったのみならず、ヴォータンの「遠大な計画」が、ジークムントの自由な意思どころかヴォータンが操っているだけだとフリッカに見抜かれて、自己矛盾に陥ったヴォータンは、翻意して挫折してしまう。
   この神の意志を継ごうとしたのが、ヴォータンが涙ながらにも縁を切って決別した最愛の娘ブリュンヒルデで、ジークリンデを助けて、英雄ジークフリートの誕生へと伏線を張る。

   この第3幕の終わりに近い「ヴォータンの告別」から続くブリュンヒルデとの感動的な別れから、真っ赤に炎に包まれて咆哮する「魔の炎の音楽」で収束して行く、この壮大て途轍もなく美しい幕切れは、忘れえないワーグナーの世界である。
   この楽劇は、「トリスタンとイゾルデ」の、螺旋状にどんどん高揚して行く限りなく美しい愛の二重唱とは、一寸、雰囲気が違ってはいるのだが、第1幕でのジークムントによる「冬の嵐は過ぎ去り」(ジークムントの「春と愛の歌」)に応えて、ジークリンデも「あなたこそ春です」と歌う、二重唱の感動はまた秀逸で、プッチーニなどのベルカントの美しいアリアとは違った、深い感動を呼ぶ。

   今回の「ワルキューレ」のキャスティングは、
   指揮:フィリップ・ジョルダン
   演出:ロベール・ルパージュ
   出演:
     ブリュンヒルデ:クリスティーン・ガーキー、ジークリンデ:エヴァ=マリア・ヴェストブルック、ジークムント:スチュアート・スケルトン、ヴォータン:グリア・グリムスリー、フンディング:ギュンター・グロイスベック、フリッカ:ジェイミー・バートン

   前回、ブリュンヒルデを歌っていたデボラ・ヴォイトが、今回のMETライブビューイングの進行役を務めていたが、正に最良のキャスティングで、私は、彼女のブリュンヒルデやイゾルデが好きであった。
   ゲルブ総裁が、ヴォイトの後継者だと言っていたブリュンヒルデのクリスティーン・ガーキーも凄い歌手で、とにかく、ゲルブが最高のキャストを揃えた舞台だと語っていたが、流石に、METだと言うことであろう。
   性格俳優ぶりで異彩を放ったフンディングのギュンター・グロイスベックが、来季、バイロイトでヴォータンを歌うのだと嬉しそうに語っていたのが印象的であった。
   このMETライブビューイングの良さは、主要歌手が、休憩時に、インタビューに登場してくれることである。

   この「ワルキューレ」の舞台で特筆すべきは、ロベール・ルパージュの演出で、ゲルブが、マシーンと表現していた大掛かりな上下に動く24枚の巨大な羽根状のシーソーのような舞台。
   巨大な左右の2本の柱から渡された心棒が羽板を串刺しにして支えていていて、24人のスタッフが板を操作する。
   第3幕の序章「ヴァルキューレの騎行 Der Ritt der Walkueren」の素晴らしいサウンドにのせて、8人のワルキューレたちの騎馬シーンが現出され、ワルハラの岩山の舞台になって、ラストシーンの炎として燃え上がる。
   
   

   ロベール・ルパージュは、アイスランドの風景と北欧神話にインスピレーションを得たのだと語っていたが、確かに、このワーグナーの「ニーベルングの指環」は、ドイツの英雄叙事詩ではあるが、北欧神話やケルト神話などの影響も大きく受けているのであろう。
   感動的な5時間のワルキューレであったのだが、松竹のMETライブビューイングのHPからの借用画像を追記しておく。
   最初の画像は、ジークムントとジークリンデ、続いて、ワルキューレとヴォータン、フリッカ、
   
   
   
   
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都響定期B・・・大野和士指揮のシベリウス:交響曲第6番とラフマニノフ:交響的舞曲

2019年05月01日 | クラシック音楽・オペラ
   私は定期Cシリーズなので、本当は、20日の大野和士指揮のグリークのピアノ協奏曲とベルリオーズの幻想交響曲であったのだが、当日、落語の桂歌丸追悼公演会とかち合ってしまったので、振替で、同じ大野和士指揮の定期Bのコンサートに変えてサントリーホールに出かけた。
   プログラムは、次の通りで、私が聴いたことがあるのは、シベリウスの交響曲6番くらいで、ほかの曲は、コンサートホールで聴いたことはない。
   指揮/大野和士
   曲 目
     武満 徹:鳥は星形の庭に降りる(1977)
     シベリウス:交響曲第6番 ニ短調 op.104
     ラフマニノフ:交響的舞曲 op.45

   夫々の作曲家の最晩年の曲を選曲したコンサートと言うことで、大野和士が、都響のホームページで、シベリウスとラフマニノフの2曲を、録画で丁寧に解説をしていた。
   私には、専門的な音楽の難しい話は、分からないので、猫に小判だが、
   シベリウスのこの曲は、ある音階教会せんぽうのドリア調だとピアノを弾きながら説明し、教会堂のはるか上の方からの木漏れ日のような微かな光を描こうとして・・・と語りながら、
   終曲では、シベリウスが常に求めていた遥か彼方の世界、FAR BIYONDとのコンタクト、結びつきを求めて、神秘的な世界へ舞い上がって行く内的心情を表現しようとしたと解説しながら、
   大野和士は、手を天空に向かって真っすぐに伸ばして伸びあがり、祈るようにじっと静止して説明を終えた。

   ケルンやランスなどの壮大な大聖堂の天を突いた壮大な教会堂の一番上方の窓からの光は、私の印象でも神秘的だが、北欧では、それ程高くて立派な教会はない筈で、シベリウスのイメージは、フィンランドだったかノールウェーだったかで感激して観上げた、こじんまりとした素晴らしい木造りの教会の神秘的な光の醸し出す印象ではなかったかと思っている。
   極北に近くて弱い太陽の光が教会堂に現出する絵のように美しい世界は、格別なのであろうと思う。
   フィンランドには、2回訪れただけだが、上空侵犯のロシア空軍機を、愛国者のシベリウスが、自動小銃を構えて追い払おうとしたした国だと知っていたので、ムーミンとサンタクロースの国でもあり、感慨深く、数日過ごしたのを思い出す。

   ラフマニノフの強烈なエネルギー炸裂の凄い迫力の交響的舞曲を聴いて、終曲のハレルヤにおける神との格闘と人間の人生での相克と言う、ダイナミックで強烈なオーケストラの咆哮に、作者が自分自身の人生での総決算ともいうべき最後の別れを印象付けよとした、と言うことが何となく分かったような気がして聴いていた。
   ラフマニノフについては、ピアノ協奏曲での印象が殆どであった私には、死の舞踏と言うか、悪魔が大地を踏みしめて咆哮するような不気味で強烈な舞曲と言う感じで、新鮮な驚きであった。
   ベルリオーズの幻想交響曲と一緒に聴いてみたら、面白いかもしれないと思った。

   クラシックのコンサートには、好きだと言うだけで、もう、半世紀以上も通っていて、欧米のトップ・オーケストラも随分聴いてきたが、如何せん、音楽の勉強をしていないので、その方面の知識には暗くて印象だけで聴いている。
   幸い、欧米生活が長かったので、見聞きした風景や風物などを思い描きながら聴いているのだが、何となく、大野和士の解説を聞いていると、自分勝手であったとしても、イメージを膨らませて楽しめればよいということのようなので、少し、ホッとしている。

   今日は、新天皇皇后即位の令和の最初の日。
   両陛下の御代に幸あらんことを心から祈念する!
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NETライブビューイング・・・ドニゼッティ「連隊の娘」

2019年04月17日 | クラシック音楽・オペラ
   ドニゼッティのオペラは、「愛の妙薬」は何度か観ているが、後は、「アンナ・ボレーナ」「ラ・ファヴォリート」「ドン・パスクヮーレ」くらいであろうか、殆ど聴く機会はなかったのだが、ロッシーニ、ベッリーニと並んで、ベルカント・オペラの旗頭であるから、アリアが美しい。
   今回の「連隊の娘」は、初めて見るオペラであったが、ワーグナーのような深刻な戯曲ではなくて、軽妙な喜歌劇タッチのオペラで、その上に、主役たちの歌うアリアが美しいのであるから、非常に楽しませてもらった。
   カーテンコールで、凄い紙吹雪が舞って、観客の熱狂的な拍手喝采も、最大級ではなかったかと思う。

   さて、このオペラだが、
   19世紀初めのチロル地方の物語で、進軍してきたフランス軍第21連隊に、戦場で棄て子であって、軍曹シュルピスに拾われて連隊で大きくなったマリーというマドンナがいた。マリーは、崖から落ちた時に助けられた農民の若者トニオと相思相愛となる。しかし、偶然現れたベルケンフィールド侯爵夫人が、マリーが亡くなった妹とフランス軍人との間の子(実際は自分の婚前の隠し子)だと分かって、マリーをパリに連れて行く。貴族の生活になじめないマリーだが、既に許嫁がいて結婚証書を交わそうとした時に、マリーを追ってトニオが連隊を引き連れて戦車でやってきて結婚を迫る。真実の愛にほだされて、ベルケンフィールド侯爵夫人は、跡継ぎを期待していた自分の利己的な願いを諦めて、二人の結婚を許す。 そんな話である。
   

   美しくて感動的なアリアが続くのだが、第1幕での、ハヴィエル・カマレナのトニオがハイCを連発する超難関アリア〈ああ友よ、なんと嬉しい日!〉、そして、その後、ベルケンフィールド侯爵夫人が、姪として引き取ろうとして、プレティ・イェンデのマリーが連隊に別れを告げて歌う切なくも美しいアリア〈さようなら〉などは絶品で、前者では、歌い終えたトニオに、長い間観客のスタンディング・オベーションが鳴りやまず、アンコールに応えて、再び感動の嵐、とにかく、凄い舞台であった。
   連隊の仲間が繰り広げる愉快な〈連隊の歌〉が、テーマ音楽のように、軽快かつリズムカルにストーリーを展開して心地よい。
   一方、マリーの熟成した豊潤な赤ワインのようにコクのある滑らかで美しいソプラノが感動的なのだが、兵士たちのためにじゃが芋を剥いたり、アイロンをかける明るく健気なコミカルシーンで、興に乗って、母国のズールー語でアドリブ表現するなど、本人も、自由で真実の自分を演じ切れて幸せだと言ったように思うのだが、とにかく、はち切れんばかりのパワー炸裂の凄い舞台で、楽しませてくれた。

   トニオのハヴィエル・カマレナは、正にメキシコ人テナー、
   陽気で人が良くて飾らない、一生懸命の直球勝負で、それに、甘い情熱的なテナーで観客を酔わせて、途轍もないハイCで聴衆を釘付け。
   私が、ウォートンで勉強していた時、メキシコ人のリカルドと言う友人がいて、モントレーの自宅で何日か滞在させてもらって、メキシコ生活を実感させてもらったのだが、思い出して懐かしくなった。

   指揮者のエンリケ・マッツォーラは、ベルカントやフランスもので評価が高いイタリア人指揮者で、METデビューは16年《愛の妙薬》だと言うから、素晴らしくない筈がない。
   シュルピスのマウリツィオ・ムラーロ、ベルケンフィールド侯爵夫人のステファニー・ブライズなど、芸達者な脇役が、素晴らしい舞台を魅せて、流石はMET。
   面白いのは、名女優キャスリーン・ターナーをオペラに引っ張り出して公爵夫人を演じさせて、ベルケンフィールド侯爵夫人のステファニー・ブライズと対峙させたこと。
   演出のロラン・ペリーは、エスプリの利いた面白い舞台を展開していて、楽しい。

   さて、CDで、ジョーン・サザーランドのマリーと、パバロッティのトニオで素晴らしいのが出ていると言うことだが、パバロッティの「愛の妙薬」をロイヤル・オペラで観ており、パバロッティのハイCは有名であるから、絶品であろうが、サザーランドのメリーは、ルチアを歌ってからベルカントに変わったと言うから、面白いかもしれない。
   サザーランドは、晩年に、ロイヤルとフィラデルフィアで、3回くらいしか観ていないのだが、素晴らしいソプラノで感激した記憶はあるが、良く覚えていない。
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