熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

METライブビューイング チレア「アドリアーナ・ルクヴルール」

2019年02月28日 | クラシック音楽・オペラ
   チレアのオペラは初めてだし、勿論、この「アドリアーナ・ルクヴルール」も初めて。
   ネトレプコを聴きたくて、劇場に出かけたのだが、素晴らしいオペラに感動した。
  
   ストーリーは、非常にシンプルで、三角関係の恋の物語である。
   18世紀前半のパリ。有名な劇場コメディ・フランセーズの大人気女優アドリアーナ・ルクヴルールは、ザクセン伯爵の旗手マウリツィオと愛し合っているのだが、マウリツィオは実は伯爵本人であり、職務上で大貴族のブイヨン公妃と密会中に、ブイヨン公たちがやってくる。公妃を別室に隠して、やってきたルクヴルールに公妃逃亡を依頼する。実は、ブイヨン公妃も、マウリツィオに恋心を抱いており、この逃亡劇の最中に、マウリツィオとの関係を語っている間にお互いに恋敵だと知る。アドリアーナとブイヨン公妃は火花を散らし、夜会の席で朗読を所望されたアドリアーナは、暗に公妃の不義をなじる内容の詩を読み上げて復讐したので、激怒した公妃は、毒を仕込んだスミレの花束をアドリアーナに送りつける。恋を失ったと憔悴しきっているアドリアーナのところへ、マウリツィオがやって来て、結婚の意思を伝えて喜ぶのもつかの間、毒が回って、アドリアーナは息絶える。

   このオペラは、大筋でスクリーブとルグーヴェの原作に忠実にオペラ化されていると言うことだが、マウリツィオとブイヨン公妃とは、長年の男女関係にあったにも拘らず、アドリエンヌが登場で彼が公妃を捨てたのであって、オペラのように、ブイヨン公妃が、マウリツィオを横恋慕で奪おうとしたのではないと言う。それでも、このオペラのように、彼は政治問題になると公妃のコネを利用しようとするのであるから、公妃が怒って復讐を企てるのは当然だと言うことになるのだが、アドリエンヌ・ルクヴルールほかの登場人物も実在であり実話を脚色しているので、とにかく、虚実皮膜と言うところであり、「ヴェリズモ・オペラ」たる所以でもある。
   実際には、どろどろした男女の恋の鞘当てを純化して、ルクヴルールの純愛物語に仕立て直したオペラと言うことであろうか。

   監督: 指揮:ジャナンドレア・ノセダ/演出:デビッド・マクビカー
   出演: アドリアーナ・ルクヴルール(ソプラノ):アンナ・ネトレプコ、
       マウリツィオ(テノール):ピョートル・ベチャワ、
       ブイヨン公妃(メゾソプラノ):アニータ・ラチベリシュビリ
       ミショネ(バリトン):アンブロージョ・マエストリ

   ピョートル・ベチャワは、先の「ルイズ・ミラー」で素晴らしい舞台を観たが、今回、圧倒的であったのは、「アイーダ」と同様に、タイトルロールを歌ったアンナ・ネトレプコと、恋敵を演じたアニータ・ラチベリシュビリの激しくて熾烈を極めた恋の鞘当てある。
   「アイーダ」の時には、王女と奴隷の侍女と言う激しい身分差があったのだが、今回は、公妃と天下の大女優、それに、激しい直接的な感情表現に重きを置く「ヴェリズモ・オペラ」であるから、丁々発止、烈しい恋の応酬の凄さは圧巻である。

   アドリエンヌ・ルクヴルールは、ウイキペディアによると、1717年にはコメディ・フランセーズにクレビヨンの『エレクトル(Électre)』でデビューした。同座での10余年の活躍中、彼女は100以上の演目(うち22は初演)で合計1,884回の舞台を踏んだとされる。それまでのフランス演劇で伝統的だった華麗にして大仰な台詞回しとは一線を画した、より自然な舞台演技を行って注目された。 と言う大変な大女優。
   したがって、このオペラは、途轍もないディーバ(diva)が登場しない限り、オペラの体をなさないと言うことであり、今回は、ネトレプコあってこその舞台であったと言う。
   かって、あの偉大なソプラノ・レナータ・テバルディが、ビングに、歌わせなければ、METには出演しないと言ったとかで、W・バーガーが、これまで、METで歌ったのは、このテバルディのほかに、モンセラ・カバリエ、レナータ・スコット、ミレッラ・フレーニだと語っていた。
   私自身、テバルディは、フランコ・コレルリとのリサイタルしか聴いていないが、ほかのソプラノは、オペラ劇場でオペラを観ており、いずれも、一世を風靡した凄い歌手たちである。

   アンナ・ネトレプコは、「ビロードのような美声と絶大なるカリスマ性で、現代のオペラ界を牽引するプリマ・ドンナ」と言うことで、今や最高のソプラノであり、容姿端麗で演技力も抜群であり、「濃密な声と卓越した表現力、圧倒的な存在感で世界を席巻するスター・メゾ」のアニータ・ラチヴェリシュヴィリの悪女ブイヨン公妃と、烈しく恋の鞘当てを演じるのであるから、凄まじく凄い舞台である。このラチヴェリシュヴィリは、ミラノ・スカラ座で「カルメン」のタイトルロールに抜擢されて成功を収め、METでもと言うことだが、とにかく、パンチの利いた圧倒的な輝きと迫力のある途轍もない声量の歌声には驚異さえ感じる。

   今回は、異例にも、開演前に、ネトレプコは、ゲルブのインタビューを受けていたが、上演中は、エモーショナルになるので、避けたいと語っていた。
   フィナーレで逝ったアドリアーナのネトレプコが、直後、カーテンコールに一人登場したのだが、顔面蒼白、憔悴しきった表情で登場したのだが、アドリアーナになり切っていたのであろう。
   昔、イボ・ビンコが、妻の名メゾ・ソプラノのフィオレンツァ・コッソットが、閉幕後も中々歌ったキャラクターの世界から目覚められないのだと語っていたのを思い出した。そう言えば、カーテンコールで登場したアズチェーナのコッソットの表情は、舞台の延長そのものであった。
   

   さて、舞台は、
   第1幕: コメディ・フランセーズの楽屋
   第2幕: セーヌ河に面する、女優デュクロの邸宅
   第3幕: ブイヨン大公邸
   第4幕: アドリアーナの邸宅

   デビッド・マクビカーの演出だが、18世紀のパリを模したゼフィレッリ張りのクラシックな美しい舞台で、劇中劇の雰囲気を醸し出していて面白い。
   中央に設営された舞台がセットを変えて、劇場になったり、邸宅になったり、大宴会場の舞台になったり、質素な邸宅になったり、
   正面のステージ一つだけを使っての演出で、ハイテクの舞台装置がありながら、このステージには回り舞台がないので、舞台セットをみんなで押して舞台の方向を変えていたのが面白い。

    指揮のジャナンドレア・ノセダは、素晴らしい。
   それに、インタビューでの理路整然とした語り口や誠実な人柄が良い。

   とにかく、素晴らしいオペラであった。
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伊神 満著「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明

2019年02月27日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   クリステンセンの「イノベーションのジレンマ (英: The Innovator's Dilemma)」を、「イノベーターのジレンマ」とせずに、イノベーションのジレンマとして邦訳を出版したのは大きな間違いであったと長い間言い続けてきたので、初めて、『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』と言うタイトルで、ジレンマを起こすのはイノベーションではなくイノベーターなんだと、正面切って明言した本が出て、やっと溜飲が下がった思いである。
   日経の「エコノミストが選ぶ 経済図書ベスト10 混迷する世界体系立てる」の第7位に」ランクされた名著で、次のようにコメントされている。
   『「イノベーターのジレンマ」の経済学的解明』も着実に票を集めた。土居丈朗・慶応大学教授は「イノベーションで成功した企業が、逆に次なるイノベーションにちゅうちょする背景を経済理論に基づき解説している。企業行動の描写も平易で興味をひき付ける」と上位に入れた。

   ただ、私自身は、大学で経済学を、大学院(米国MBA)で経営学を専攻してきており、その後、独習で両学関連図書を読み続けてきたので、私の頭の中には、両学入り組んでいて、経済学と経営学の区別はなく、このクリステンセンの理論も、極論すると、私には、シュンペーターの創造的破壊や多くの経済学者の経済発展論の延長線上にあって、これに、ドラッカーはじめ多くの経営学者のイノベーション関連理論が錯綜しているので、著者の言うように、経営学者のクリステンセンの理論を、経済学的にに分析したらどうかと言う議論には、それ程関心はない。
   あくまで、クリステンセンのイノベーターのジレンマで提起した理論の妥当性がどうかと言うことであって、著者の見解を見る限り、経済学的な解明には大いに評価するが、クリステンセンの理論を、多少の補足はあっても、正当化している以外の何物でもないと思う。

   この伊神淳教授の本を、感激して良書だと推薦する経済学者(?)が多いのだが、20年も前に出て一世を風靡したクリステンセンの本を読んでいなかったのだろうと思っている。

   クリステンセンの破壊理論は、基本的に、新技術が開発途上にある時に、経営者が、持続的イノベーションと破壊的イノベーションの、どちらの道を進むべきかと言う戦略的判断による。
   既存企業は、持続的イノベーションを追求し続けて技術の深堀りを進めていくのだが、新規参入企業が追及する破壊的イノベーションの成長成熟によって、競争に負けてしまう。
   何故、既存企業は、戦略変更が出来ないのか。
   その第一は、自社の命運を左右する顧客の利害に強く影響される。既存企業は、賢明にも、従来顧客の言うことを聞き、その結果、持続的イノベーションに注力する。
   第二に、従来顧客を重視する姿勢が、既存企業の業務プロセスに深く根付いていくと、破壊的イノベーションに投資を振り向けて行くことが、上級マネージャーにとってさえ難しくなる。
   すなわち、既存企業にとって、経営資源の配分に際して優先されるのは、著名な大顧客がいて利幅も大きい巨大市場に向けた、持続的イノベーションであると言うことである。
   これが、クリステンセンの「イノベーターのジレンマ」のエッセンスである。

   この理論は、ジョー・ティッド等が「イノベーションの経営学」の中で、唱えた「帆船効果」を考えれば良く分かる。
   蒸気機関の発明が即座に帆船を駆逐したのではなく、蒸気機関の出現そのものが、帆船の改良を開始させる引き金となって帆船の競争力が持続して、帆船と蒸気汽船との並存時代が続いたのである。
   J・M・アッターバックが、「イノベーション・ダイナミックス」で、ガス灯会社がエジソンの電球の発明によって生まれた電灯会社と競争するために、ガスの供給や配送、ガス灯システムの改良等で持続的イノベーションを追及して生産性のアップにこれ努めた例を論じており、多くのイノベーションの発生・転換期には、確立した地位に守られた、豊富な資金を持った既存の企業が、「持続的イノベーション」を追求して新規企業に逆襲して余命を保ったのである。
   馬車が自動車に、ガス灯が電気の街灯に、帆船が蒸気船に、真空管がトランジスターにと例を上げればきりがないが、前述したように、駆逐されるガス灯も電気に負けじと技術向上で質が良くなり、蒸気船に負けじと帆船も技術革新を目指すなど、指をくわえて負けるのを見ていたのではなく、最後の足掻きとなったが、質の向上と言う帆船効果を現出してきた、
   これが、成功して来たが故に駆逐されて行った「イノベーターのジレンマ」なのである。

   さて、後になったが、著者の論点について。
   まず、イノベーションを担うのは誰なのか、共食い、抜け駆け、能力格差の諸点から分析し、更に、共食いの度合いを測るために需要サイド(需要関数)を推計し、抜け駆けの原因を測るのに、供給サイド(利潤関数)を推計し、脳力格差をあるために、投資コスト(埋没費用)を推計している。
   需要サイドの分析からは、新技術・新製品を導入しても、旧製品と共食いするので、既存企業としては、イノベーションには積極的になれず、新旧部門間で経営資源の奪い合いが激しくなる。
   供給サイドの分析からは、ライバル企業数が増えると利幅も少なく利益の下落が深刻となるので、他社が新市場を牛耳る前に、そして、新参企業が参入して来る前に、買収するなど先制攻撃を行って先手を打つのが上策で、抜け駆け戦略の価値は大きい。
   投資の動学ゲーム分析からは、イノベーション能力は、既存企業の方がはるかに優れている。既存企業に欠けているのは、能力ではなく、「意欲」の方で、宝の持ち腐れである。

   著者が発見として結論付けたのは、
   ⓵既存企業は、たとえ、有能で戦略的に合理的であったとしても、新旧技術や事業間の「共食いがある限り、新参企業ほどにイノベーションに本気になれない。(イノベーターのジレンマの経済学的解明)
   ⓶この「ジレンマ」を解決して生き延びるには、何らかの形で「共食い」を容認し、推進する必要があるが、それは、「企業価値の最大化」と言う株主にとっての利益に反する可能性がある。一概に良いこととは言えない。(創造的「自己」破壊のジレンマ)
   ⓷よくある「イノベーション促進政策」に対した効果は期待出来ないが、逆の言い方をすれば、現実のIT系産業は、丁度良い「競争と技術革新のバランス」で発展してきたことになる。これは社会的に喜ばしい事態である。(創造的破壊の真意)

   いずれにしろ、既存企業の市場支配があったとしても、弱肉強食の自由競争があって、シュンペーターの「創造的破壊」のダイナミズムが作用して、起業家による新規参入や新技術の導入のおかげで、長い目で見ると、何故か上手く行っている、
   著者は、それを、創造的破壊の真意と言うのであろうが、
   イノベーションは本質的に未来の話であり、将来世代の話であって、諸行無常も盛者必衰も、決して悪いことではない。と言いながら、
   既存企業のサバイバルや保護にばかり焦点を当てた経営論や政策論は警戒し回避すべきだ言及し、日本政府の経済政策や産業政策が如何にお粗末かと言うことを指摘して、そして、イノベーターがジレンマを解決できずに破綻するが故に、新規イノベーターが出現して経済が進展するのだと言うことを言っているのであろう。
   今の資本主義社会が良いのか悪いのかは別として、我々は、そんな社会に生きていると言うことである。
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わが庭・・・中国ミツマタ、沈丁花、梅:紅千鳥咲く

2019年02月26日 | わが庭の歳時記
   急に暖かくなったり寒くなったり、少し気候が異常だが、今年は霜が降りなかったのか、草花の枯れが、少ないようで助かってはいる。

   中国ミツマタが咲き始めた。
   ジンチョウゲ科のミツマタ属に属すると言うのだが、半円形に咲くのは同じで、沈丁花の方も、少しずつ蕾がほころび始めていて、もう少しすると、甘い芳香を放って満開となる。
   中国ミツマタは、日本のミツマタよりは、多少ゴテゴテしている感じだが、その風情が面白いので、1本だけ植えてみたのだが、原産地がヒマラヤだと言うから、実質は同じなのであろう。
   花形を見るのには、全開前の花の方が、開花次第が分かって面白い。
   このミツマタは、和紙の原料だと思うと、極めて貴重な花木なのである。
  
   
   
   
   
   

   梅は、ぼつぼつ、開花が最盛期だと思うのだが、紅千鳥が、庭植えして2年なので小木ながら、奇麗な花を咲かせている。
   八重の鹿児島紅梅とは違って、一重の典型的な花弁で、シンプルで凛としているのが良い。
   
   
   
   
   

   椿の「ハイフレグランス」も咲きだした。
   と言っても、1メートル以上はるかに大きく成長した木の方には、花が1輪も咲いていないのだが、頭頂の徒長枝を挿し木して置いたら、この小さな苗木に花芽がついて、奇麗に咲き始めたのである。
   ニュージーランドで作出された匂い椿だと言うが、やはり、バラ趣味風情の椿である。
   
   
   
   
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国立劇場二月文楽・・・「桂川連理柵」

2019年02月25日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   学生時代に、東一条に行かずに、途中の桂で下車して、嵐山や嵯峨で古社寺散策に沈没していたので、桂川は、馴染みの川である。
   1761年4月に、この桂川の川岸で、38歳の男性と14歳の女性の遺体が発見されて、これを題材にしたのが、浄瑠璃の「桂川連理柵」である。
   この文楽では、心中話になっているが、実際は、殺人だとも言われている。

   作者は、菅専助で近松半二も関わっていると言われているが、暗くて行き場のない近松門左衛門の心中物とはだいぶ趣を変えていて、ストーリーとしてはすっきりとして筋が通っていて分かり易い。
   それに、必ずしも、明るい話ではないのだが、登場人物に適度なバリエーションもあって、チャリバで、人形が笑い転げるシーンもあって面白い。

   信濃屋の娘お半が、伊勢参りから戻る途中に、遠州から戻る帯屋の跡取り長右衛門に出会い、同じ石部の宿屋出刃屋に泊まったのだが、丁稚長吉が夜這いを掛けて迫るので、困ったお半が、夜中に長右衛門の部屋へ逃げ込んでくる。子供だと思っていたので、自分の布団の中に入れて寝るのだが、不覚にも契ってしまう。
   この噂が広まって、長右衛門を追い出して乗っ取ろうとしている帯屋の後妻おとせ(勘壽)と連れ子の儀兵衛が、お半が長右衛門にあてた手紙を証拠に、執拗に、紛失した金の詮議に託けて追及するのだが、妻のお絹が、宛名長さんまいるは、長右衛門ではなくて長吉だと言いくるめて、親・隠居繁斎(玉輝)が、金の話は主人は長右衛門なので長右衛門の勝手だと言って収まる。
   苦しい胸の内を掻き口説くお絹の誠意に涙してうたた寝したところへ、身籠って切羽詰まったお半が死を覚悟して最後に会いたさにやってくる。労って返すが、気になって門口に出ると、書置きが落ちていて桂川で身を投げる覚悟であることが分かる。
   長右衛門は、父繁斎やお絹への申し訳なさ、お半が自分の子を身籠っていること、お屋敷から預かった脇差が偽物にすり替わっていることを嘆き、自分に愛想がつき、15年前に芸子と桂川で心中を図って自分だけ助かったのを思い出して、お半が芸子の生まれ変わりのような気がして、桂川での心中を決心する。
   ラストシーンが、お半を背負った長右衛門、二人が桂川を上ってゆく「道行朧の桂川」。
   悲しくも切ない幕切れである。

   帯屋長右衛門を玉男、お半を清十郎が遣い、「帯屋の段」を、呂勢太夫と清治、咲太夫と燕三の、実に感動的な義太夫と三味線が、更に感動を呼ぶ。
   上質な西洋映画を見ているような感じがして、何故か、イギリスで通い詰めたロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの舞台を思い出していた。

   この帯屋の段の冒頭部分は、お半の長右衛門への手紙を手に入れた儀兵衛(玉佳)が、皆にその手紙を読んで聞かせて、お絹(勘彌)に、長さんは、長右衛門ではなくて長吉(文昇)だと言われて、鼻たれ小僧の長吉が、お半の相手である筈がないと思いながらも、呼び出してきて、笑い転げながら掛け合い、長吉は、お絹に言いくるめられているので、もじもじしながら、お半は自分の女房だと答える。
   この舞台は、20分ほど続くのだが、太夫の語りも人形の遣い手も大変な熱演で、感動ものである。
   YouTubeで、このシーンを、儀兵衛を先代の勘十郎、長吉を簑助、義太夫を住大夫と言う人間国宝そろい踏みの至芸を観ることができる。この舞台、長右衛門を初代玉男、お絹を文雀、これも人間国宝が遣っていた。

   後半の長右衛門とお絹が二人で交わすしっとりとした人間模様、そして、貞女の鏡ともいうべきいい女のお絹のクドキなど秀逸で、長右衛門とお半の別れのシーンなども、しみじみと余韻を残す、咲太夫と燕三の名調子が胸に染みる。

   余談になるが、この「桂川連理柵」で思い出すのは、落語の「胴乱の幸助」。
   桂雀三郎の上方落語で、この「胴乱の幸助」を聴いて面白かった。
   仲裁好きの幸助が、浄瑠璃「お半長」の稽古を聴いて、本当の話だと早合点して、京都の「帯屋」へ行って仲裁すると言う奇天烈な話である。

   喧嘩の仲裁をするのが道楽の割り木屋の親父の幸助が、浄瑠璃の稽古屋の前で、「桂川連理柵」お半長右衛門「帯屋の段」の嫁いじめの所の稽古を聞いて、浄瑠璃を知らないので本当の話だと思って、大阪の八軒屋浜から三十石船に乗って伏見で降りて、尋ね歩いて、柳の馬場押小路虎石町の呉服屋に行って仲裁をしようとして、お半と長右衛門をここへ出せと言う噺で、桂川で心中したと言われて、オチが、「汽車で来れば良かった。」と言うとぼけた話。
   丁度、「帯屋の段」で、長右衛門の継母・おとせが、長右衛門の妻・お絹をいびるシーンの稽古中で、思い余った幸助が、稽古屋に飛び込んで上がり込み、驚いた義太夫の師匠が、「ここのうちがもめてンのと違いまンねん。京都の柳馬場押小路虎石町の西側に『帯屋』いう家がおまンねん。・・・」と、「桂川連理柵」と言う浄瑠璃の話だと説明するのだが、熱心にメモを取った幸助はフィクションだと分からずに、「そうか。わしはこれから京へ行て、帯屋のもめごとを収めてやる」と宣言して、淀川の夜船で京へ向かう。 と言う噺である。
   桂川で心中したと言われて、オチは、汽車で来れば良かった。

   米朝の名調子を、YouTubeで見られるが、ここでは、いくら説明しても、浄瑠璃の話だと言うことが理解できないので、稽古屋の方でも、そやったら京へ行って下さいと煽っており、浄瑠璃ぶち壊しだが、幸助が「帯屋」を見つけて頓珍漢の話をするのも面白い。

、  「お半長」は、子供でも知っている話とか、浄瑠璃人気もホンモノであったようである。
   
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大船フラワーセンター・・・梅咲き乱れている

2019年02月24日 | 鎌倉・湘南日記
   早く咲き始めた梅は、少し散り始めて、遅咲きの梅は、まだ、蕾のままで、木によってまちまちだが、今が梅の最盛期であろうか、咲き乱れていて美しい。
   梅の花の過半は、白梅で、紅梅やピンクの梅は少ない。
   一番鮮やかな紅梅は、鹿児島紅梅で、二株だが、目立っている。
   
   
   

   白梅は、一重も八重も、咲いていて鮮やかだが、中々、花形がはっきりと見分け難い。
   白いと言ってもまちまちで、ほんのりとピンクの乗った匂うような花色も捨てがたい。
   花も、八幡宮の紋章のように5弁の花弁がしっかりした奇麗な花は、中々見つけ難くて、歪な花や、重なって型崩れしたり、花弁が取れた花などがあって、写真にはなりにくい。
   
   
   
   
   
   
   

   鮮やかな紅梅の鹿児島紅梅は、私の庭の梅の花よりも、かなり、紅が濃くて、個体差以上に色の差が強いので、ちょっと意外な感じがしているのだが、インターネットの写真でも随分バリエーションがあるので、色々なのであろう。
   
   
   

   ものの本によると、地球上の花のうち、白と黄色の花で、70%を占めると言う。
   それ以外の色の花が、遥かに少ないと言うのだが、園芸種に品種改良されると、どうしても、何故か色彩豊かとなって、私など、色彩のある方が良くて、無意識のうちに、ピンクが多くなり、色彩の鮮やかな、複雑に入り組んだ花に興味が行ってしまう。
   梅の木には、それぞれ、品種を書いたネームプレートがついているのだが、今回は、名前を無視して、写真を撮り続けてきた。
   90ミリのマクロ固定だったので、近づけなくて思うように撮れなかったのだが、ピンクの梅の花は、次の通り。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
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二月大歌舞伎・・・「名月八幡祭」

2019年02月23日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   尾上辰之助三十三回忌追善公演で、「名月八幡祭」の主役縮屋新助を子息の松緑が演じた。
   私としては、松緑の新境地の舞台を観た感じで、楽しませてもらった。

   河竹黙阿弥の作品を土台に、人間の明暗を描く愛憎物語の新作歌舞伎だと言うのだが、ストーリーは次の通り。
   越後の真面目一方の行商人縮屋新助(松緑)は、深川芸者の美代吉(玉三郎)に一目ぼれして正気を失うほど思い詰めるのだが、美代吉にはに、藤岡慶十郎(梅玉)と言う旦那があり、その上に、船頭三次(仁左衛門)という箸にも棒にもかからないどうしようもないヤクザな情夫までいる自由気ままで奔放な女である。美代吉は、三次にたかられ続けるなど生活にまで困窮して、深川大祭に必要な100両が用意できずに困ってしまい、母およし(歌女之丞)の入知恵で、思い詰めて心の丈を掻き口説く新助に、所帯を持つ約束をして金の工面を頼む。天にも昇る思いで、新助は、江戸に来ていた同業者に故郷の家や田畑を売り払って金を工面して喜び勇んで帰ってくるが、その直前に、旦那からの手切れ金100両が届いていて、美代吉は、金の心配がなくなったので、急に態度を変えて新助を追い払う。
   裏切られ狂乱した新助は、八幡祭の日に、美代吉を殺害する。
   
   物語の筋なり主題は、「籠釣瓶」と瓜二つで、あばた面の田舎商人次郎左衛門が新助に代わり、吉原の花魁八つ橋が、美代吉に代わっただけであり、遊び人でヤクザのヒモの栄之丞が三次に代わっただけであり、世間知らずで純粋無垢のいなか商人が、思い詰めた女に袖にされて、最後には殺害してしまうのも全く同じ。
   バリエーションとしての変化には、それなりの魅力はあるのだが、たとえば、今回の舞台には、新助の美代吉への恋心は本物だとしても、殆ど話をしたことのない当事者同士が、行き当たりばったりと言うか、一気に一緒に住む約束までして、金の工面にすがるストーリー展開が、唐突過ぎる感じがして、物語全体としても、「籠釣瓶」ほどの深さはないような気がした。

   しかし、そんな野暮な話は別として、そこは名優の名優たる所以で、最初は遠慮気味に抑えに抑えて話し始めて、少しずつテンションをアップして、成り行き任せで、新助をその気にさせてゆく玉三郎の芸のうまさ。
   それに、実直で商売以外には能のないいなか商人の松緑では、これまで、このようなキャラクターの舞台を観たことがなかったので、中々、いいムードを醸し出していて面白いなあと思って観ていた。 

   この美代吉や八つ橋を見ていて、高尾は別だが、なぜそんなに、行き当たりばったりで都合よく生きようとするのか、近松門左衛門が描く大坂女のお初や梅川など、下級の遊女が如何に誠を生き抜いたか、その落差が何なのか、一寸考えさせられた。

   この舞台で、さらに面白かったのは、遊び人で何のとりえも魅力もないヒモ三次を演じた仁左衛門で、美代吉に会うべく登場してくれば、必ず、5両都合してくれと金をせびる役どころで、最後は、振られて泣き崩れている新助を踏んだり蹴ったり毒ずく役まわり。
   しかし、結末シーンで、心配してやってきた魚惣(歌六)に促されてすごすご引き上げていく新助を見送る美代吉と三次が、下を向いてシュンとしているシーンを見て、まんざら、根っからの悪人ではなさそうだと思わせるあたりは、さすがに、庶民のストーリーであって面白いと思った。

   昔、玉孝時代を築いて一世を風靡した玉三郎と仁左衛門だが、今回の両人間国宝で東西きっての名優の舞台としては、異質であったと思うのだが、私には、意表を突いた舞台で興味深かった。
   
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不動産仲介手数料を半額取り戻した

2019年02月22日 | 経営・ビジネス
   不動産仲介手数料を半額取り戻した経緯は、次のとおりである。
   親戚の夫妻が、東京の某所の新築住宅を気に入って、不動産仲介業者と契約をして、手付金と仲介手数料を100%支払った。
   しかし、しばらくして、別の物件が気に入ったので、キャンセルしようとして連絡したら、契約通り、手付金と仲介手数料は一切返せないと回答してきた。
   当の物件は、まだ、旧建物の解体中で姿さえ現しておらず、1年後の引き渡しであり、以前に我々が取得した住宅の仲介手数料の支払いは、いずれも、物件引き渡し時に支払っていたので、建物さえ形を成していない段階で、全額仲介手数料を取って、その一部さえ返せないと言うのはおかしいのではないかと考えたのである。

   したがって、仲介手数料はどう言う位置づけなのか、参加団体が、(公社)全国宅地建物取引業協会連合会 (一社)不動産流通経営協会 (公社)全日本不動産協会 (一社)全国住宅産業協会 である不動産ジャパンのHPを開いて調べてみたら、
   仲介手数料について、次のように書いてある。
   「仲介手数料は売買契約が成立して初めて発生する」
不動産の取引の仲介では、売買契約が成立したときに不動産会社の仲介手数料の請求権が発生します。(一般的に「成功報酬」といわれています。)したがって、売買契約が成立するまでは、原則として、不動産会社に仲介手数料を支払う必要はありません。
   「手数料の支払い条件も協議する」
売買契約が成立すると、不動産会社に仲介手数料の請求権が発生しますので、例えば、売買契約成立時に仲介手数料の全額を不動産会社に支払っても、違法というわけではありません。ただし、不動産売買では契約締結時点で引き渡しまで完了していないことが多いことから、一般的には契約締結時に仲介手数料の50%を支払い、引き渡し完了時に残りの50%を支払うことが望ましいとされています。

   売買契約時に、仲介手数料の請求権が発生するので、売買契約成立時に仲介手数料全額を取られても違法ではない。
   しかし、一般的には、「成功報酬」と言われているので、契約締結時には引き渡しまで完了していないので、一般的には契約締結時に仲介手数料の50%を支払い、引き渡し完了時に残りの50%を支払うことが望ましいとされている。と言うことである。

   念のため、新しく取引しようとしている不動産会社など複数の会社に、仲介手数料の支払いについて照会してみたら、半々か、物件引渡し時点と言う会社など区々であったが、物件の影も形もなく引き渡しは1年後だと言う物件で契約時に100%の仲介手数料をとると言う会社はなかった。
   この会社の仲介手数料の取り扱い方が、他の不動産会社と違っていることとか、仲介契約に、支払いは相談とすると書いてあるのに一切の相談もなく、ずぶの素人に十分に説明もせずに、ハンコを押させた感じであった。

   この件について、どう考えればよいのか、宅建協会や不動産協会や関係ありそうな機関に電話して対応を聞いてみたら、どっちつかずのいい加減な返事が多くて、役に立たなかったが、大元の不動産ジャパンからは、明快な回答を得たのである。
   
   関係官庁は、成功報酬と言う考え方を取っていて、引き渡しまでは、仕事半分であるので、契約時に50%、引き渡し時に50%の支払いの方向で指導しているので、十分、半額返却の交渉は可能であるので、申し入れを行うべきで、ダメな場合は訴訟すればよい。勝訴した判決もあり、返してもらえる可能性が高い。
   東京都庁へ行って相談して指導してもらえと言って担当部署と電話番号を教えてくれて、さらに、訴訟するなら、即決でもあり簡便なので、少額訴訟が良いとまで教えてくれた。

   この指導に勢いを得て、東京都庁に電話を掛けたら、係員にもよるのであろうか、返却云々の明確な答えは得られなかったが、都庁や各地方団体には、無料の弁護士による法律相談の制度があるので、詳しいことは、そこで相談すればよいと指示してくれた。

   早速鎌倉市の市民法律相談に予約を入れて、弁護士に指導を仰いだら、訴訟に値するのでやればよいが、この場合には、少額訴訟ではなく、僅かな印紙税程度で、言いたいことが言えて、何でも申し入れることができて自由に訴訟ができるので、民事訴訟で対応すべきだと指導してくれた。
   後日、対策を考えて、再び、別な弁護士に指導を仰いだところ、仲介手数料訴訟のケースを、判例や専門弁護士のHPなどをチェックして、色々なケースを説明して貰った上に、私見だがとして、満額返却の可能性もあると示唆してくれた。

   親戚の当事者が、契約解除を伝えに行った当日、会社に、仲介手数料の返却を願い出たところ、事務所長は、返却の可能性を示唆しながら上司と相談するので、年明けまで待って欲しいと言って、年末年始2週間も待たせて、その挙句に、返せないと言う回答をしてきた。
   その前に、新たに決めようとしている物件について、自分たちでも仲介できるのでやらせてくれとメールしてきており、よもや、新旧二件のディールで二重に手付金や仲介手数料を取る筈がないと思ったので、少なくとも、仲介手数料を返す可能性があると踏んでいたのである。

   しかし、どうしても会社のやり方が卑劣で納得できないので、前述の見解を総合して、当事者の親戚に指示して、不動産会社と再交渉させたが、返却交渉には応じて貰えなかった。

   仕方がないので、代理として、私自身が直接電話して申し立てを行ったが、その時点では、埒が明かなかった。
   数日おいて、弁護士にも了解を取っており、主張すべき論点は十分に語っておいたので、相手方との電話交渉を記録したメモを作成して、メールで送付した。
   その時、相手との電話において、念を押しておいたので、東京都庁に行って行政指導を仰ぎ、その後、民事訴訟を行って、結果如何に拘わらず、その経緯及び顛末を、ブログに書いて民意を問う旨書き添えておいた。
   
   メールの内容に、誤りなり、誤解など不都合があれば、連絡いただきたい旨書いておいたが、回答なく、翌々日、不動産会社から親戚の当事者に電話がかかってきて、私と争っても仕方がないので、会社として仲介手数料の半額を返すことになったと言ってきて、翌日、社長名の文書が送られてきた。
   どうも、ルーティン的な文書であったので、こんな問題は、この会社では珍しくないのではないかと勘繰らざるを得なかった。

   当事者は、違法ではない以上法律上は争えないと諦めていたのだが、私自身は、常識的に考えておかしいと思えるようなことが、まかり通っているなら、正直者がバカを見ることになるので、正すべきは正そうと思ってやった。
   戦術的に適切であったかどうかは疑問だが、公序良俗に反するようなビジネス慣行は、極力排除すべきだと思っている。
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国立劇場二月文楽・・・「壇浦兜軍記」

2019年02月21日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   先月の大阪国立文楽劇場に続いての「壇浦兜軍記」の鑑賞である。
   先月は最前列で観ていたが、今回は、3曲を弾く寛太郎の演奏を身近に鑑賞したくて、舞台右寄りのややバックした前方の席を取った。
   当然のことだが、太夫も三味線も、舞台の人形とは関係なく、浄瑠璃を演じており、人形が義太夫に合わせると言うことで、寛太郎も、客席の方を向いて、琴、三味線、胡弓を弾いているので、まったく、義太夫のペースで、独演と言った風情である。
   それに、今回気付いたのは、三味線パートのメインプレイヤーは、あくまで、鶴澤清介であって、この3曲の演奏も、清介がリードして伴奏しており、ソロパートの寛太郎を際立たせていると言う感じであった。

   そう思って、勘十郎と一輔(左)の弾く人形の遣い方を観ていると、実に上手いし、実際に人形が演奏している感じに見えるのだが、微妙なところで、寛太郎の手とは違っていて、プロが見るとその差が分かって気になるのではなかろうかと思ったのである。
   尤も、私の場合には、寛太郎のソロ演奏を聴きたくて、今回は劇場に来ており、それに、楽器の使い方など全く知らないので、そんなことには関係なく、寛太郎の演奏も、人形の至芸も存分に楽しませてもらった。
   そう思えば、文楽の三業のコラボレーションによる文楽も凄いが、歌舞伎で実際の3曲を地で演奏して観客を唸らせる玉三郎の芸の卓越振りが、身に染みて分かろうと言うものである。

   興味深かったのは、この3曲の爪弾き用に、人形の手が、特別誂えの手に代わっていて、臨場感たっぷりに演奏しているような感じになって、非常に面白かった。
   勘十郎が説明していたが、左手の3本の指がパタパタ交互に動く仕掛けなど、実際に三味線や胡弓の弦を爪弾いているように見えて中々のものであった。

   ところで、胡弓だが、私など、三味線様の楽器の弦を弓で横に弾くので、中国の二胡の親戚だと思っていたのだが、全く違っていて、日本古来の擦弦楽器、和楽器であり、この舞台でも、重忠が「胡弓擦れ」と命令するのである。
   ニシキヘビの革を張った二胡や沖縄の三線などとは違って、三味線の小型と言った作りなのであって、小型の胴にも拘らず、弓の毛の量も非常に多く、それを緩やかに張ってあって、殆ど、胴の天井に擦りつける様に弾いているのが印象的であった。
   「生写朝顔話」など義太夫節では胡弓が用いられる曲もあって、独特なムードを醸し出していて感興をそそるのだが、琴や三味線の演奏とは違って、胡弓を聴く機会は少なく、まして、今回のようにソロパートが長いのは珍しく、美しい音色に、うっとりとして聴いていた。

   今回は、勘十郎の阿古屋の3曲演奏の様子以外に、舞台の展開によって微妙に変化して行く阿古屋の表情を注視していたが、やはり、心の襞の揺れを人形に託して遣っていて流石に上手い。
   阿古屋の豪華な衣装について、勘十郎は、今回は新調して、奇麗な帯の飾りに2羽の蝶の姿をデザインしたと語っていたが、玉三郎の凄い阿古屋の衣装とはまた違った、豪華さと美しさがあって素晴らしいと思った。

   今回の舞台も、三業とも、先月の舞台と全く同じ(ただし、重忠のダブルキャストは、玉助に)で、感動的な舞台を再現させてくれて、感激して魅せて貰った。
   
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国立能楽堂・・・狂言「末広かり」2曲

2019年02月20日 | 能・狂言
   国立能楽堂で、連続して2回、狂言「末広かり」を観る機会を得た。
   最初は、17日の式能の舞台で、和泉流、
     シテ/果報者 野村万作、アド/太郎冠者 深田博治、アド/すっぱ 石田幸雄
   2回目は、今日20日の定例公演で、大蔵流、
     シテ/果報者 茂山逸平、アド/太郎冠者 茂山七五三、アド/すっぱ 茂山あきら

   この狂言は、
   宴会ばやりの世の中、ある果報者が,宴会を開こうとして、来客への進物用にする末広がりを買うために、太郎冠者を都へつかわす。都見たさに、末広がりが何であるかを聞かずに出かけて困った太郎冠者が,〈末広がり買おう〉と都大路を呼び歩いていると、網を張っていた悪いすっぱ(詐欺師)に呼びとめられる。太郎冠者を田舎者と知って、ことば巧みに太郎冠者をだまして、傘を末広がりといつわって売りつける。太郎冠者は、高い値で傘を買って帰って来て自慢するのだが、こんな傘は台所に何本もある、末広がりは扇だと主人に厳しく叱責され追い出されてしまう。仕方なく、太郎冠者が、すっぱが主人の機嫌の悪いときに囃せといって教えてくれた囃子物を思い出して、「傘をさすなる春日山……」と拍子よく謡って傘をさして舞い始めると、それを聞いた主人も浮かれ出して一緒に踊り、太郎冠者を許す。
   そんな話であるが、主人の「地紙よう骨に磨きをあて要元しっとりとして、戯れ絵ざっとしたを求めてこい」と言う末広がりの条件を、すっぱが、傘を広げてあることないこと、口から出まかせで言いくるめて、太郎冠者を納得させる当たり、面白い。

   何故、すっぱが、別れ際に、太郎冠者に、何の関係もない囃子物を教えたのか、
   主と言うものは、機嫌が悪い時も良い時もあり、そのご機嫌の悪い時、ご機嫌が直る囃子物がある、教えよう、と言うことなのだが、すっぱに罪の意識などある筈もなく、話術の冴えと言うかストーリー展開としては、面白い。

   ところで興味深いのは、ウィキペディアによると、
   「傘を差すなる春日山、これもかみのちかいとて、人が傘を差すなら、われも傘を差そうよ。げにもさあり、やようがりもそうよの」という唄によって主人の機嫌も直ると言うのだが、春日大明神が日差しや雨を避けるための傘を貸そう、人々のことを守ろうということであり、『末広がり』という曲名とこの唄で終わることから狂言ではめでたい曲目とされ、『翁』に続く脇能の次に演じるのが例とされている。と言うことである。

   今回の式能では、この解説通りに、観世清和宗家の翁、野村萬斎の三番叟の後、脇能「嵐山」に続いて、この和泉流の狂言「末広かり」が、演じられた。
   ほぼ、連続3時間の休憩なしノンストップの公演であった。

   この「末広かり」に似た狂言があって、「目近」は、二人の従者が、目近・籠骨を買いに行って普通の扇を買わされ、「張蛸」は、張蛸を買いにって張太鼓を買わされるのだが、いずれも、果報者に叱られるが、囃子物によってその機嫌を直すと言う話である。
   一寸ニュアンスが違うのだが、主人に、「鐘の値」を聞いて来いと言われた太郎冠者が、鎌倉へ行って、「鐘の音」と間違えて、どこの寺の鐘の音が良いと謡いに作って舞うのだが、叱られると言う「鐘の音」と言う、何も聞かずに一人合点で行動して窮地に立つ話もある。

全然関係ないのだが、笠置シヅ子の「買い物ブギ」を思い出した。

   何が何だかさっぱりわからず どれがどれやらさっぱりわからず
   何もきかずにとんでは来たけど 何を買うやら何処で買うやら
   それがゴッチャになりまして
   わてほんまによう云わんわ わてほんまによう云わんわ

   
   和泉流と大蔵流の舞台には、多少の異同はあったが、それ程大きな差はなかった。
   例えば、春日山の囃子唄だが、和泉流の場合には、すっぱも謡って教えていたのだが、大蔵流の場合には、歌詞を教えただけだった。
   また、「戯れ絵」が、すっぱでは傘の「戯れ柄」になるのだが、和泉流の場合には、実際にすっぱが太郎冠者に向けて「やっとナ」と、傘の柄で打ちかかるのだが、大蔵流では、ことばでの説明だけであった。
   最後の春日山の囃子物の舞台には、当然、正式な囃子方が登場して華やかさが増すのだが、果報者が、太郎冠者の謡に合わせて少しずつ身を乗り出して踊り始めるところはほとんど変わらないが、その後の二人の相舞の様子などラストシーンに少し差があって興味深かった。

   この「翁」の三番叟の萬斎から「末広かり」までは、狂言方は、万作の会の独壇場の舞台で、87歳の万作の矍鑠たる感動的な至芸には、いつも、舌を巻く。
   うまく説明できないのだが、色々な著作を読んでは芸の魅力を理解しようと試みつつも、理屈抜きで、一挙手一投足、その表情と芸の魅力に取り込まれて、魅せられて続けているのである。

   一方、今日のお豆腐の会茂山家のキャスティングは、若い逸平が果報者で、父親の七五三が、騙されてコケにされる太郎冠者、
   何となく雰囲気が違うのだが、逸平のストレートな芸と、七五三の老たけて味のにじみ出た演技の微妙なアンバランスが面白く、それに、あきらの真面目ながらとぼけた調子のすっぱの表情が浮世離れしていて良い。
   式能の「長光」で、シテを務めた千五郎もそうだが、逸平もそうで、お豆腐狂言茂山千五郎家の若手のセリフ回しの澄んだピュア―なパンチの利いた大きな声音が印象的であった。
   
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五木 寛之、 梅原 猛緒「仏の発見」

2019年02月18日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   2年前に、梅原猛の「学ぶよろこびー創造と発見ー」のレビューを書いたときに、面白いと思って取り上げたのは、「草木国土悉皆成仏」と言う思想。
   この本でも、五木寛之も同じ視点で、語っているので、まず、前の本のこの部分を引用して話を進めたい。

   自然を何か霊の力が働いているものと考えたアリストテレスに価値を観出しているので、全く無機的数学的方法によって、見事に、自然科学及び人間が自然を支配する技術を無条件に肯定するデカルト哲学に対して、この自然観そのものが間違っているのではなかろうか、と言う認識となる。
   科学技術が、近代においてものすごく発展して、人間の自然征服がほぼ完了し、自然エコシステムを壊して、環境破壊がますますひどくなって、地球には人間が住めなくなるのは、もう、はっきりしている、自然との共生を志向した新しい文明、新しい哲学が必要だ、と言う。
   「草木国土悉皆成仏」と言う思想は、狩猟採取文化が長く続いた日本に残ったが、かっての人類共通の思想的原理ではなかったかと思う。
   そのような原初的・根源的思想に帰らない限り、人類の未来の生存や末永い発展は考えられない。
   やっと、「草木国土悉皆成仏」と言う新しい哲学の基本概念を得たにせよ、西洋哲学のしっかりした批判によって、新しい「人類の哲学」と言うものを作り出せるかどうかは疑わしい。
   しかし、この哲学を作らない限り、死ぬに死ねないのである、と言う。

   仏教が日本に入ってきて、平安時代の末に天台本覚思想と言うのが生まれて、それが鎌倉仏教の思想の前提になり、その思想は、「草木国土悉皆成仏」と言う言葉に端的に表現される。
   勉強しても、天台本覚思想が良く分からなかったが、能を研究している間に、良く分かるようになった。
   世阿弥の「白楽天」で、白楽天が「詩は人間が作るものだ」と言うと、住吉明神は「和歌は人間ばかりか鶯や蛙も和歌を作るんだ」と、すなわち、「生きとし生けるもの、いずれか歌を詠まざりける・・・」
   雨の音も、風も、和歌だ、この花鳥諷詠のアニミズムが、中国の詩より、和歌の方が上だと言うことになって、白楽天は、しっぽを巻いて唐に逃げ帰る。

    これを受けて、五木寛之が、次のように言う。
    いい意味で、自然界のあらゆる物には、固有の霊魂や精霊が宿ると言うアニミズムと、様々な思想や宗教を融合するシンクレティズム、すなわち、「草木国土悉皆成仏」の思想は、日本の財産である。
   経済成長も限界があり、日本は、資源がないと言われるけれど、21世紀には、これまで近代の中で日本人のアキレス腱と思われていたようなアニミズムとシンクレティズムと言うものを、一つの思想として体系化して、それを大きな資源として、世界の中で、何か貢献できるような気がする。

   キリスト教的人間中心主義に限界が見えてきた今日、これを、真っ向から批判して、価値ある思想体系を確立しなければならない。その根幹となるのが、「草木国土悉皆成仏」と言う思想であり、これを体系づけなければ、死んでも死にきれないと言っていた梅原猛は、道半ばにして逝ってしまった。

   ユヴァル・ノア・ハラリが、「ホモ・デウス」で論じていた人類の未来像とが、これだけ違うのかと言うことだが、神聖に近づきつつありながら、しかし、AIとロボティックスの軍門に下らざるを得ない人間の将来を思う時、「草木国土悉皆成仏」、すなわち、人間自身が宇宙船地球号と一体となって、同化しない限り、生きる道がないと知りつつも、上手く行くのかどうか、最後のあがきのような気がして、寂しい限りである。
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わが庭・・・クリスマスローズ咲き始める

2019年02月15日 | わが庭の歳時記
   庭に無造作に、、アトランダムに、植えてあるクリスマスローズの一株が、咲いた。
   20株以上は植わっていると思うのだが、これも、空間のあるところを探して植えたので、適当な場所なのか分からないが、それでも、まだ一株だけなのだが、咲きそろうと、かなり、豪華な雰囲気である。
   株によってと言うか種類によってか、成長には、かなり差があって、大きな株は、大きく広がっているので、花後に、株分けをしようと思っている。
   
   

   今春、何株か、椿の苗木を買ったのだが、その一株、紅茜が咲いた。
   この椿は、抱え咲きの丸い感じの鮮やかな紅花で、咲き進んでも形が崩れずに、ラッパ状には開かないと言うので、気に入って買ったのである。
   昔から、椿と言えば、赤い花弁のラッパ咲きで、白い筒状の蕊の先に黄色い花粉が密集していて、その真ん中にすっくと雌蕊が一本伸びているヤブツバキなのだが、この椿も、抱え咲きである以外は、良く似ている。
   この苗木には、結実を始めた落花跡がついていて、秋に咲き始める早咲きの椿のようである。
   深紅の凛とした椿が好きで、以前、千葉の庭では、ラッパ咲きの小輪の小磯を植えていたのだが、今回、その実生苗は、雑種となっていて、ピンクや淡い赤花になって咲いた。
   やはり、クローン状態で同じ花を咲かそうと思えば、挿し木する以外に方法はないのであろう。
   
   
   
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METライブビューイング・・・「椿姫」

2019年02月14日 | クラシック音楽・オペラ
   素晴らしい「ラ・トラヴィアータ ― 椿姫 」のオペラであった。
   これまでに、オペラハウスで、何回、このオペラを観たか、その度ごとに、ヴェルディ節に酔って感激し続けてきたが、今回は本当にすごい。
   NYTが、MET史における新時代、ヤニック・ネゼ=セガンの時代の幕開けと報じたこの「椿姫」は、2018年秋に音楽監督に就任した若き43歳のヤニック・ネゼ=セガンの満を持しての公演で、
   ヴィオレッタのディアナ・ダムラウ、アルフレードのファン・ディエゴ・フローレス、ジェルモンのクイン・ケルシーの超弩級の歌唱に加えて、特に興味深かったのは、トニー賞受賞 気鋭の演出家 マイケル・メイヤーの演出であった。
   

   このメイヤーの演出については、HPに、詳細なインタビュー記事が掲載されていて、非常に面白い。
   まず、前作の「椿姫」のプロダクションが、モダンで少しディコンストラクトされたものであったので、今回はヴェルディ作曲当時の現代であった19世紀パリに舞台を設定したクラシックでシックな舞台であり、それも、全編、その同じ舞台を僅かなバックや家具等の移動と照明の変化で通し、
   また、ヴィオレッタが、生まれてから、高級娼婦として生き、死ぬまで全てベッドが人生の真ん中にあったと考えて、、舞台の中央に常にベッドを置いて、舞台からベッドを片付けずに押し通した。
   舞台の正面中央にベッド、左手にピアノ、右手に事務机と椅子、その左右前方に小さなテーブル、
   家具等はこれだけだが、ピアノが、第2幕のカード台に早変わりするなど、うまく使われている。

   もう一つ興味深いのは、正面に白い椿をイメージした薄い幕越しに光が当たると、第3幕のシーンが現れて、前奏曲が始まる劇的な幕開けである。
   

   また、今回の《椿姫》は、ロマンティックで、よりビジュアルで豊かなものにしたいと思って、その美は、自然から得られるのではと考えて、ヴィオレッタのアルフレードとの愛を辿ると、4つの章になり、プロローグは冬で、その間が春、夏、秋になると、人生のフラッシュバックを、四季を通じて辿ることにしたと言う。
   先のヴィリー・デッカーの超モダンな椿姫の舞台では、ネトレプコやヨンチェーヴァが素晴らしいヴィオレッタ(WOWOWで録画したMETライブビューイングで観た)を歌い、ダムラウも演じたようだが、ダムラウは、当時を模したクラシックで超豪華なゼフィレッリ演出の「椿姫」のテレサ・ストラータスの舞台を観て感激してオペラの道に入ったといっており、当然、このクラシックなメイヤーの舞台の方が理想だと語っていた。
   このゼフィレッリの「椿姫」は、ストラータスのヴィオレッタにドミンゴのアルフレートで映画になっており、随分昔に、パリの映画劇場で観たのを覚えている。
   メイヤーは、METでの前作「リゴレット」では、16世紀のイタリアのマントヴァから1960年代のラスべガスに舞台設定を移して、多くの支持者を掴み、そして同じくらい多くの敵を作り出したと言うから面白い。

   さて、主題の椿だが、安達瞳子さんは、著書「椿しらべ」の中で、
   小説「椿姫」のヒロイン・マルグリットは、椿以外は身に着けない女性として描かれている。その椿の品種は、フランス人は今アルバ・フィレと呼んでいるが、つまりは、乙女椿系の花。シャネルがしばしばデザインのモチーフにしている千重咲き、花弁が幾重にも重なってあの花の中心の花蕊がほとんど見えない花形なのである。と書いている。
   バラのようになっていて、一寸、典型的な乙女椿とは雰囲気が違ってはいるが、冒頭の舞台のような椿で、ヴィオレッタが第1幕でアルフレートに渡す白い一輪の椿もこれで、第3幕の終幕でも、舞台左手の小さなテーブルの宝石箱の上に置かれて、ひっそりと存在感を見せていた。

   夫々の歌手については、NYTなどの劇評を抜粋すると、
   ヴィオレッタのディアナ・ダムラウは、
   究極の”歌う女優”であるダムラウは、この役で本領を発揮した。 シェイクスピア俳優クラスの演技力であり、METでは1970年代のジョン・ヴィッカーズとレナータ・スコットの全盛期以来、ほとんど見られなかったくらいの名演である。ダムラウの演じたヴィオレッタは別格で、歌唱は声量豊かで包み込むようでありながら、細部まで研ぎ澄まされていた。
   最初の印象は、メリル・ストリープに似た非常に魅力的な雰囲気の歌手で、特に、その素晴らしい演技力にびっくりしたのだが、後で、オペラ界のメリル・ストリープと称されているようで、美貌と演技力はトップ映画俳優並みと言うことであるから、なるほどと思った。
   昔、ロイヤルオペラで、演目は忘れたのだが、ロシアの偉大なメゾソプラノ・エレーナ・ヴァシリーエヴナ・オブラスツォワの歌唱に圧倒されたのだが、如何せん、大根役者、
   今では、才色兼備のオペラ歌手が多くなってきていて、舞台が楽しみなってきている。

   アルフレードのファン・ディエゴ・フローレスは、
   テノールのフアン・ディエゴ・フローレスは今回役デビューとなったアルフレードを演じ、前回METに登場して以来の、彼の魅力である精緻なレガートを巧みに操り、柔らかい声質の歌唱で四季を表わすそれぞれの幕をゴージャスに歌い上げ、観客を魅了した。テノールのスター歌手フアン・ディエゴ・フローレスはとても芸術性の高い歌唱を見せつけた。
   このフローレスは、凄いハイCを披露しながらも、ベルカント風に美しい歌唱で魅了した。

   ジェルモンのクイン・ケルシーは、
   クイン・ケルシーが、久し振りに登場したヴェルディ歌いのスター・バリトンであることは間違いない。
   先の「アイーダ」で、父親王を感動的に演じていた記憶が、まだ、新しい。

   ヤニック・ネゼ=セガンは、詰らないことで解雇された偉大な指揮者ジェイムズ・レバインの後を継いだMETの新音楽監督であるから、期待が大きく、観客の拍手が、最も大きかった。
   2年間メンバーチケットを持って通い続けていたフィラデルフィア管弦楽団の音楽監督をも兼務して居ると言うので、親しみも感じている。
   今回の映画で、練習風景の中で、ダムラウに指示を与えながら、第1幕のアリア「ああ、そは彼の人か」に演技をつけ、初めての本当の愛に目覚めたLa traviata(ラ・トラヴィアータ:道を踏み外した女)の心のときめきを教えていた。
   相性が良くて、ダムラウが、「弟のよう」と言っていたのが面白かった。

   今回の舞台で、異彩を放っていたのは、ダイナミックで素晴らしいバレエの舞台。
   プリマを踊っていたアフリカ系女性ダンサーの凄さに感動した。
   
   

(追記)写真は、すべて、HPから借用。
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国立劇場二月文楽・・・「大経師昔暦」2019

2019年02月13日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   丁度、9年前に、この国立小劇場で、「大経師昔暦」を見たのだが、比較的演じられる頻度は低い。
   ふとした過ちから、内儀のおさんと手代の茂兵衛が不義密通を犯した故に、逃避行の末に捕縛される悲しい話で、近松得意とするしっかりした大坂女とがしんたれの大坂男の演じる心中物とは違って、男女の哀歓を語ってしみじみとした余韻を残す。

   おさん(和生)が、借金の身代わりを買って出て窮地を救ってくれたお礼をと思って、下女の玉(簑紫郎)の部屋を訪ねたら、毎夜、夫の以春(玉勢)が夜這いして困ると訴えるので、それなら、逆に夫を懲らしめてやろうと、寝所を入れ替わる。真夜中、以春の印判の無断借用で窮地を救ってくれた玉の愛に報いようと、茂兵衛(玉志)が、玉の部屋に忍び込んで来て、お互いに相手が入れ替わっていることを知らずに契ってしまう。その時、外出先から以春が帰ってきて、出迎える行灯の光が部屋に差し込み、二人は事の重大性を知って驚愕する。
   ところが、西鶴では、おさんが、茂兵衛に恋をしたお玉にラブレターの代筆をしてやったのだが、そのつれないふざけた返事に腹を立てて、偲んで来ると返事が来た時に、悪戯心を起こして懲らしめてやろうと、お玉と寝所を入れ替わる。しかし、宴会の後の疲れで不覚にも寝入ってしまって、あろうことか茂兵衛と契ってしまうと言う話になっていて、その落差が面白い。

   いずれにしろ、玉の仲立ちで、幼な妻のおさんの軽はずみが、悲劇を招くと言うことは同じで、不義密通は加担者も含めて死罪だとする当時の法体制のなせる業。
   尤も、西鶴によると、この以春は、京都きっての遊び人四天王の一人で、男色・女色なく昼夜の別なく遊び暮らし、芝居の後、水茶屋・松尾に並んで道行く女を品定めして、その時見た13か14の超美少女・今小町にぞっこん惚れて、果敢にアタックして嫁にしたのが、このおさん。
   とにかく、今風に言うと、事の起こりは、色きちがいの以春であって、ほおっておかれて、孤閨をかこっていた幼な妻のおさんに悪戯心を起こさせて引き起こした悲劇なのかもしれないと思える。
   近松は、馬で京都の町を引き回されている途中、おさんに、「つまらない女の嫉妬から、何の罪もないそなたまで不義者にしてしまった」と詫びさせているのだが。

   さて、問題のおさんと茂兵衛の濡れ場だが、床本は至ってシンプルで、狸寝入りのおさんが、揺り起こされて目覚めた振りをして「頭を撫づれば縮緬頭巾、『サァこれこそ』と頷けば」で頭巾で相手を確認して、真っ暗な中で「その手をとって引き寄せて、肌と肌とは合ひながら・・・」なのだが、
  茂兵衛は、玉への礼が主体であり、堅物で初心なのか、肩肘立ててじっと動かずに添い寝しているのだが、おさんの方が、仰向けに寝返って、茂兵衛の首に手を回して身を起こしてしがみ付き 肌と肌を・・・
   すぐに、衝立が引かれるのだが、人形ながらも、ぞくっとするようなリアルなシーンの展開
   おさんは、散々以春をいたぶって、朝になって、鼻を明かそうと言う心算なのだが、

   私が昔から知っていたのは、この二人の不義密通話だけなのだが、これは上之巻で「大経師内の段」であって、もっと質の高い見せ場のある中之巻と下之巻が続いていて、奥行きのある素晴らしい浄瑠璃なのである。

   次の「岡崎村梅龍内の段」では、玉は、伯父で講釈師の赤松梅龍(玉也)の家へ送り返され、また、おさんと茂兵衛も店から逃げ、玉を心配して様子を知るために、赤松梅龍を頼ってゆく。そこへ、娘の身を案じたおさんの親・道順(勘壽)夫婦が来あわせて恨み言を言いつつも、実は娘が救われることを願って路銀を与えて別れて行く。
   その後、「奥丹波隠れ家の段」で、おさんと茂兵衛は、茂兵衛の里奥丹波に隠れ住んでいたのだが、追手が迫り捕縛される。そこへ、梅龍が、不義の仲立ちをしたとして玉を犠牲にして首を持参するのだが、却って無実の証人を失うことになり、二人は護送されてゆく。

   西鶴は、おさんと茂兵衛との不義密通を主題にして男女の性愛を描いたのだが、近松門左衛門は、この「中之巻」を主体にして、おさんと道順夫妻との親子の情愛に重点を置いて、より多くの観客を意識して作劇しており、ここが戯作者西鶴との差であると、大谷晃一氏は語っている。

   近松の浄瑠璃は、もう少し先があって、
   歳は19と25、今日は八十八夜だが、その名残の霜がこの世の見納め・・・馬で京の町を引き回される道行。
   最後は、粟田口刑場の場で、道順夫妻が群衆を押し分けて身代わりを嘆願するが拒絶され、
   黒谷の東岸和尚が駆けつけてきて、持ってきた衣をふたりに打ち掛けて肘を張ってかばうと、諸人は歓声を上げ道順夫妻も喜んで幕。
   史実とも違って、近松は、観客を喜ばせるような脚色をしたのである。

   さて、今回は、おさんを、人間国宝の和生が遣っていたが、以前には、おさんを師匠の文雀が、そして、茂兵衛を和生と言う師弟コンビで演じていたので、今回のおさんは、人間国宝同士の芸の継承であろう。
   岡崎村梅龍内の段の奥を呂太夫、そして、三味線は團七
   先月、大阪で、「冥途の飛脚」を鑑賞できたが、やはり、近松門左衛門は良い。
   
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琉球王朝の息吹を今に伝える

2019年02月12日 | 能・狂言
   組踊上演300周年記念特別企画の一環として、観世能楽堂で、特別企画「琉球王朝の息吹を
今に伝える」と題した公演が行われた。

   組踊は、沖縄が琉球王国だった時に、中国皇帝の使者冊封使を饗応するために、琉球王府の役人であった玉城朝薫によって、1719年に創作された、まず、尚敬王の冊封式典の際に「二童敵打」と「執心鐘入」が初演されたという。
   朝薫は、若い頃から音楽や舞踊、文芸に優れた人物であり、公務で薩摩や江戸に7回出かけており、そこで能や狂言、歌舞伎などの大和芸能を鑑賞し、琉球国内では中国戯曲を鑑賞するなどし、芸能への造詣を深めて、琉球古来の芸能や故事を基礎に、大和芸能や中国戯曲にヒントを得て組踊を創作したのである。
   興味深いのは、歌舞伎やシェイクスピア戯曲の初期と同様に、組踊の担い手は、すべて男性で、王府に勤務する士族とその子弟であったと言う。
   朝薫が創作した組踊は、「執心鐘入」「銘苅子」「孝行之巻」「女物狂」「二童敵討」で、朝薫の五番とよばれて大切にされていると言うことだが、「執心鐘入」は、能「道成寺」、「銘苅子」は、能「羽衣」、「二童敵討」は、能「放下僧」に想を得ているなど、能の影響を色濃く継承しており、実際に、これらの組踊の舞台を鑑賞しても、能舞台にも、しっくりと収まり、違和感を感じないのである。

   嘉数道彦師の説明では、組踊は、沖縄のオペラであり、沖縄のミュージカルであるとのことであったが、私には、むしろ、沖縄の能・狂言であると言うべきで、完全に総合芸術であるオペラの世界とは、全く異質のパーフォーマンス・アーツだと思っている。
   独善と偏見かも知れないのだが、日本の歌舞伎なども、演劇などと同様に、それに近いと思うのだが、これらは、舞台ですべてを表現すべく、あらゆる可能な手段を駆使して演ずるのだが、能・狂言や組踊は、精神性が高く、エッセンスを凝縮した象徴的な舞台を演じて想像の世界を増幅しており、ニュアンス的にも鑑賞法にしても、かなり、違うと思っている。

   組踊は、唱え(セリフ)・所作・音楽が一体となった新しい芸術だと言うことだが、興味深いのは、組踊を鑑賞するのに、組踊を聴きに行くと言うことで、これは、シェイクスピア戯曲を聴きに行くとか、文楽を浄瑠璃を聴きに行くと言うとの同じ次元の表現で、いかに、詞章なりセリフが、重要かと言うことを語っていて興味深い。
   音楽は、はるかに歴史の古い能の楽器とは違って、三線、琴、笛、胡弓、太鼓で構成されていて、この奏者たちを「地謡」と言うのだが、能と違うのは、能でいう地謡がなくて、中心となる三線が、歌三線と称されるごとく、地謡を兼ねており、琉球舞踊にはセリフがないので、この歌三線がナレーターとなる。
   組踊の演者は、旋律に乗せて、抑揚をつけて歌うように唱える。
   私には、唱え(セリフ)・所作・音楽が一体となった組踊の舞台は、能の変形のように思えるのである。
   能・狂言に触発されて、200年遅れて生まれ出た文楽や歌舞伎とは、一寸ニュアンスの違った組踊が、隣国の琉球王朝であった故に生まれたのが興味深い。

   当日は、嘉数道彦師の「琉球芸能の解説」があり、士族の正装であった衣装をつけた地謡方の帯の結び方や、音楽の楽器演奏の紹介などを行った。
   その後、実演として、女踊「女こてい節」、二才踊「高平良万歳」、雑踊「加那よ一天川」が、
   立方 佐辺良和と宮城茂雄、歌三線 新垣俊道と仲村逸夫、筝 名嘉ヨシ子、太鼓 久志大樹によって披露された。

   3年前に、横浜能楽堂で、能「羽衣」と同時に、それを脚色した組踊「銘苅子」を観てから、それ以降何度か、組踊と琉球舞踊を鑑賞して、少しずつ、楽しめるようになってきている。
   3月9日に、国立劇場で、「組踊と琉球舞踊」の本格的な上演が予定されており、楽しみにしている。
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市について雑感、蚤の市、バザール他

2019年02月10日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   昨日、東寺の弘法市について書いたが、旅で遭遇した市場や露天市などを思い出しながら、雑感を綴ってみたい。
   この口絵写真は、インターネットから借用したのだが、ペルシャかアラブ、おそらく、中近東のバザールであろうと思う。
   あの哀調を帯びた「ペルシャの市場」のメロディーがこびり付いているので、一度行ってみたいと思っていたのだが、果たせず、しかし、何度か、サウジアラビアやトルコに出張した時に、中東の市場バザールを見ているので、露天のキャラバンによるペルシャ風の市場とは、多少、違うとしても、シルクロードの終着駅の市場は、あのような雰囲気ではなかったかと勝手に思っている。

   アラブでは、バザールでは勿論、絶対に言い値で買ってはダメで、必ず、丁々発止、熾烈な根切交渉をして買うべしと言うのが鉄則である。
   アラブ商人は、口から出まかせであっても、いかに自分の商品が価値があって値打ちものなのかと言うことを熱心に説いて、原価よりはるかに高い売値を吹っかけてくるので、買う方も徹底的に低い価格から交渉を始めて叩きにかかる。
   商人は、自分の商品をいかに高く売りつけるか、高く売れば売るほど知恵のある商人としての価値が認められたと言うことであるから、とにかく、あらゆる情報と口車を総動員して、権謀術数、知的武装を試みて商売に励む。
  売値が1000ドルであれば、100ドルから買いに入った買い手が交渉に成功して500ドルで商談が成立しても、原価が200ドルであれば、商人は300ドルの儲けで、買い手は、500ドル安く買ったと双方満足する。
   これが、知恵と知恵との鬩ぎあい、真っ向勝負の、アラブ商法なのである。

   余談だが、あのカルロス・ゴーンの故郷レバシリ(レバノン・シリア)のコンサルタントのアテンドをしたときに、あの地方では、絶対に値切り交渉してものを買うので、京都を案内にしたときに、所かまわず値切り倒して辟易したことがある。
   余談ついでに、男の子を生まないと男が廃るとかで、その時慶応の先生が男女の産み分け方法を発案したと言うニュースが流れて、自分の子供は女の子ばかりなので、是非、その処方箋を送ってくれと喧しくいって帰って行った。

   中国も、このアラブ商法と全くうり二つの商売の世界。
   日本の観光客が、中国に行くと、国立の販売店だと言って言い値で買っていると言うが、極端に言えば、半分か3分の1くらいから値切り交渉に入るべきであり、徹底的に叩くべきであって、その買い手が安い言い値をぶっつけて席を蹴っても、利益が見込めれば、「だんな、だんな、貴方は特別のお客さんだから負けましょう」と言って後を追っかけてくるはず。
   最初に中国に行った時には、このことを知らずに、言い値で買ったが、叩きに叩いて「だんな」と追いかけさせたのは最近の話。
   今は知らないが、昔、大阪の百貨店でも、「お姉さん、べっぴんさんやなあ、一寸、勉強しといてええな」と言って値切れたと言う。
   ところ変われば、商売は違うと言うことであって、金のない庶民は、賢く生きることである。

   さて、私は、結構、海外生活が長かったので、旅の途中、あっちこっちで、露天や公設市場など、市を見ている。
   ヨーロッパに居た頃には、マーケットリサーチなど国情視察なども業務の一端であったので、意識して、その都市の公設市場やシティホール広場の露天市や蚤の市に出かけた。
   大阪に行けば黒門市場、京都に行けば錦市場と言うところだが、今日、黒門市場など、大半の客が中国人で、店舗の所有や経営までもが中国人に移り始めて、どこかの植民地、租界のようになってしまうと、何おか況やだが、市に行けば、最新の世相が分かると言うのは事実である。

   ヨーロッパの蚤の市は、骨董市ともいうべき位置づけで、わが家にも、そこで買った古いマイセンやドイツやイタリアのフィギャー人形が残っている。
   ロンドンのロイヤルオペラの前のコベントガーデン広場には、毎日、露店が開かれていて、町や田舎の芸術家の卵などが、自慢の美術品や工芸品を展示していて、面白い作品が手に入る。

   ヨーロッパの主な都市は勿論、田舎町も随分歩いたので、色々なマーケットや市で、面白い経験をしているのだが、最近になって、多少骨董品に興味を持ち始めたので、もう少し、頻繁に蚤の市を歩いたり、イギリスの骨董屋を訪ねるべきであったと、後悔している。

   アメリカ留学中には、カナダやメキシコに行っており、サンパウロにも長く居たので、南アメリカの国々も殆ど回っており、インディオの古色蒼然とした露店やラテン特有のエキゾチックなバザール風景も印象に残っている。
   サンパウロで興味深かったのは、住宅街を、輪番制で定期的に、街々の道路に立つ大掛かりな「フェーラ」と言う主に食料品や日用雑貨を扱う露天市で、当時なかったスーパーやコンビニ替わりで、貴重な俄かショッピングセンターであったこと。
   市は、物の売買だけの空間ではなくて、ギリシャのアゴラそのもの、生身の人間の生きる鬩ぎあいが爆発する、途轍もない力でぶつかりあったエネルギーの炸裂する世界なのであろうと思う。

   ところが、今や、デジタル革命で、人間が、AIやロボティックスに取って代わられて、商売の世界は、リアルショップではなく、ネットショッピング主体となって仮想空間で処理されるとなると、どろどろした「悪」を秘めた人間が人間らしくある唯一の世界である市はどうなるのか。
   雑踏を搔き分けて、わくわくしながら、彷徨う市の楽しさが、消えてしまうとは思えないが、何となく、殺伐とした世界になるようで、寂しい限りである。
   
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