熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

わが庭の歳時記・・・ツワブキが咲き乱れる

2012年10月31日 | わが庭の歳時記
   もう、随分前に園芸店で買い求めた小さな鉢植えの斑入りツワブキが、庭一面に広がって、あっちこっちで咲き乱れている。
   鉢植えの時には、葉の大きさも精々5~6センチくらいだったのだが、庭に植えると、一気に大きくなって、今では、葉の直径も20センチをはるかに超えて、花もかなり大きくなって大きく広がっている。
   
   野菊の大きくなった黄色い花と言った感じだが、ミツバチなど昆虫が飛んできて蜜を吸っている。
   この小さなミツバチは雌なのであろう、一気に急降下して来た雄のミツバチを避けて飛び上がったのだが、また、同じ花に戻ってきた。
   よく知らないのだが、中空に静止して、蜜を吸う一寸大きな昆虫は、頻繁にわが庭を訪れるのだが、群れることは一度もなく、実に静かである。
   蝶の訪れも結構あり、紋黄蝶が留まっていた。
   
     
    

   バラが咲いているのだが、今年は、随分鉢バラを枯らせてしまい、それに、残念ながら手抜きで、黒点病がひどくて葉を落としたこともあって、一寸寂しい。
   それでも、咲いてくれれば、やはり、秋バラで、しっとりとした趣が良い。
   
   
   
   
   京成バラ園から、ネットで注文していた「ベルサイユのばら」の大苗が届いたので、早速、鉢植えにした。
   しっかりとした素晴らしい苗で、来春、きれいに咲けば嬉しい。
   今春、バラ園でお披露目のあった新しいバラなのだが、ほかのバラも、これから、一寸身を入れて手入れをして、来春には、立派に咲かせたいと思っている。
   

   まだ、元気に、西洋朝顔が咲いている。
   モミジの紅葉には、まだ間があるのだが、鉢植えの「花散る里」が一寸色づき始めた。
   万両の実がしっかりとついてきた。
   それに、今年は、去年以上にフェイジョアの実が沢山成って、びっくりしている。異品種を寄せ植えしないと、殆ど結実しない筈で、もう、10年以上もそうだったのだが、狂い咲きのような狂い実成りである。
   関係ないと思うのだが、隣のフェイジョアの木がいつの間にか枯れていたので、伐採した。
   庭植えのバラも枯れ枝が多くなっているので、今年の暑さと水不足(私がやるのをミスったのだが)の所為だろうと思うと可哀そうで申し訳ないと思っている。
   植物は、動物のように鳴かないので、馬鹿な育て主にあたると悲劇なのである。
   
   
   
   
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ジェフリー・サックス著「世界を救う処方箋」

2012年10月30日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本の原題は、「Price of Civilization   Rewakening American Virtue and Prosperity」。
   Priceをどう訳すかが難しいのだが、仮に、「文明の代価 アメリカの美徳と繁栄の覚醒」と言うことであろうか。
   冒頭から、「アメリカの経済危機の根底には道徳の危機、すなわち、アメリカの政財界のエリートの、公民としての美徳の崩壊、がある。」と述べて、「富者や権力者が、他の社会や世界に対して、敬意や誠意や思いやりを持たずに振舞えば、市場や法律や選挙と言った社会は、十分に機能しなくなる。」と畳み掛けている。

   現在のアメリカ経済は、社会のごく一部の人間の要求を満たすためのものに成り下がってしまって、最早、アメリカの政治は、公明正大で分かり易い問題解決によって国家を軌道修正出来なくなっている。
   アメリカのエリート、中でも、大富豪や会社のCEOやわが同僚の多くの学者たちの中には、自分たちが当然果たすべき社会的責任を放棄しているものが沢山いる。彼らは、自分たちのための富と権力を追求し、社会のほかのものたちは、取り残されてしまっている。
   サックスの論点は、モラルが崩壊してしまったアメリカのエリートたちが、人間としての原点に立ち返って、自分たちの美徳と誠意と思いやりを、社会全体のために捧げる気持ちにならなければ、アメリカ社会は、崩壊してしまう、最も重要なことは、アメリカ人が、それぞれに、良き市民としての様々な行動によって、文明の代価(Price of Civilization)を支払うことであると言うことであろう。

   また、自分が最も敵視するのは、貧困であって、蔓延する貧困の上に金持ちが居座っている状況で、貧困の軽減や解消に繋がりそうな教育、育児、職業訓練、インフラなどへの公共投資を増やすと言うことであれば、金持ちのための減税は不道徳であり、逆効果であると言う。
   アメリカの異常な格差の拡大と貧困の増大が、アメリカ社会そのものの根底を蝕みつつあると言う強烈な危機意識のみならず、国土そのものの崩壊をも憂えている。
   サックスの主張は、これまでに、書評や経済関係のコラムで何度か論じているのだが、ポール・クルーグマンやロバート・B・ライシュの見解に近く、非常にリベラルであり、レーガン大統領の政治経済政策やレーガノミックスを徹底的に嫌っていて、混合経済こそ、最も有効な経済政策だと説いている。

   かって、クルーグマンは、「格差はつくられた」で、ルーズベルト時代のニューディール政策を、大恐慌からの経済浮揚改革と言う見方としてではなく、C.ゴールディンとR.マーゴが、1920年代から50年代のアメリカで起こった所得格差の縮小、つまり富裕層と労働者階層の格差、そして労働者間の賃金格差が大きく縮小したのを「大恐慌 THE GREAT DEPRESSION」と引っ掛けて「大圧縮 THE GREAT COMPRESSION」と呼んだのを引用して、ルーズベルトの福祉国家政策的な所得格差の縮小が社会と政治を質的に変化させ、1960年代初頭までの、比較的平等で民主的な中産階級社会を生み出したと言う見解を展開していたのだが、ニクソン時代からおかしくなり始めたアメリカ経済を、レーガンが、無茶苦茶にしてしまったということであろうか。
   私がアメリカで勉強していた頃、アーサー・B・ラッファーなどのサプライサイド経済学が、台頭し始めて、その後、一気にレーガノミックスに突き進み、レーガンやサッチャーの自由競争と市場原理主義経済の全盛時代に入って行った。
   結局、その行き過ぎが、企業経営者をグリーディでモラル欠如に変貌させて、ウォールストリートに乗っ取られたアメリカ資本主義を窮地に追い込んでしまった。

   そこに登場したのがオバマで、Change, We canと連呼して、アメリカ国民の期待を一身に集めてオバマ政権がスタートしたのだが、「大統領就任以来、初めて証券取引所の鐘が鳴る前から、ラリー・サマーズが率いる大手金融企業寄りのチームをホワイトハウスに招き入れて」、大手金融企業よりの政策を遂行・・・選挙資金を貰っているのだから、当然と言えば当然だが、サックスは、ウォール街、ロビィスト、軍部が政治権力の中枢に居座っている以上、オバマも現状維持路線がやっとで、期待外れで多くは望めないと言う。
   しかし、市場原理に基づく自由競争でアメリカ経済を活性化できるとするロムニーに賭ければ、サックスの説く悲劇の上塗りとなり、益々、格差拡大と貧困が深刻化して行く。
   日本の政治のように、第三極の大連合が必要だと言うことであろうか。

   この本で、サックスは、企業の利権と利益追求のための企業のロビー活動が如何に強烈に議会に圧力を加えてスキューして、アメリカの政治を牛耳っているのかを、アメリカ政治のコーポレートクラシー(企業統治体)と言う言葉をコインして、有力企業などの圧力団体が政策アジェンダを支配する統治の形態を克明に描いている。
   もう半世紀以上も前に、アイゼンハワー大統領が、産業と軍部の癒着を軍産複合体として、その危険性を警告していたのだが、今日のアメリカのロビー活動など色々な手段を通じての産業と政治との癒着は、はるかに深刻で、日本の政官財のトライアングルの比ではなく、アメリカの政治経済社会を極度に蝕んでいると言うことであろう。

   尤も、サックスは、アメリカの将来については悲観はしておらず、「美徳と繁栄の覚醒」のために、「効率的な行政のための7つのルール」など色々な提言やその処方箋などを説いている。
   そして、立ち上がれ!と、ミレニアム世代にエールを送っている。
   しかし、私は、ICTや金融革命で引き起こされたような、まやかしであったとしても、アメリカが新しい産業革命を生み出さない限り、サックスの説くアメリカの美徳と繁栄、少なくとも繁栄の覚醒は、遠い夢として終わってしまうような気がしている。

   最後に、この本は、他山の石として、日本の為政者や指導者にとっても必読の本であることは間違いないことを付記しておきたい。
   
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国立能楽堂・・・能「三輪」狂言「因幡堂」

2012年10月29日 | 能・狂言
   今月の古事記千三百年にちなんでのプログラムの最終回の企画公演は、蝋燭の灯りによる狂言「因幡堂」能「三輪」であった。
   薪能は観たことがあるのだが、蝋燭能は、初めてだったので、非常に興味深く鑑賞させてもらったのだが、舞台には、弱い照明がなされていたので、少し舞台が暗い程度で、鑑賞には支障がなく、微かに揺らぐ蝋燭の風情が感興を増していて中々良かった。
   特に、能「三輪」の後シテ/三輪明神(本田光洋)の優雅な舞は、雰囲気情趣ともに満点で、正に、感動的であった。
   小面、若女などのような明るさや愛らしさはないけれど一種独特の厳かさと気品のある神や仏の相を備えたと言う「増女」の面が、微かに表情を変えながら優雅に語りかける美しさは格別であった。

   この能では、三輪明神が、三輪山のしるしの杉に纏わる昔話の夫婦の物語として、昼には姿を見せず毎夜通ってくる夫の正体を知りたくて、夫の衣に苧環の糸のついた針を刺しておいて、その後を辿ると、三輪山の社に糸の先が残っていて、正体は大物主であったと言うことがわかり、糸巻きには、3巻きだけ糸が残っていたので、三輪という地名が付いたと言う話を、三輪明神が語る。
   私には、辿り着いたのが洞窟で、蛇神であったと言う話が記憶にあるのだが、この能では、それには触れていない。
   ところが、その後、後シテは、伊勢の天照大神と三輪明神は一体分身なのだと謡って、天の岩戸隠れの故事を再現して、客を慰めようと神楽を舞って消えて行く。

   
   三輪明神が男神であると言うのは、神話でもそうだし通説だと思うのだが、この能では女神となっている。
   天照大神と一体分身だとするのなら、女神であっても不思議はないし、あるいは、神楽を舞うのだから、巫女に神が乗り移ったと言う考え方も出来るのであろうが、前場で、前シテの里の女を、里人/アイが、三輪の神の仮の姿だと言っているところを考えると、この能では、三輪明神は、女神として通している。
   ところで、ギリシャ神話では、神は、人を両性具有的存在(男性性と女性性両方を有した存在、アンドロギュヌス)、または性差以前の状態で生み出し、ゼウスが、その後、男と女に分離させたと言われているようだが、そんな神話だと、三輪の場合でも、男女分身であっても不思議はないと言うことであろうか。
   余談ながら、それ故に、別れたベターハーフを探してくっ付きたくて、男女が必死になって恋い焦がれるのだと、あの偉大なプラトン先生が、「饗宴」の中で説いているのである。

   
   この能では、宮の作り物に、引き回しをかけて、柱の先端に杉の葉をつけて神木の杉として、正面に置かれる。
   前シテは、中入り前に、この作り物の中に消えて、後場で、後シテの三輪明神として登場する時には、黒い引き回しはかけられたままで、後ろから左手に回って出て来る。シテが正中へ行き舞い始めると、後見は引き回しを下ろす。後シテは、新婚神話を謡って舞い、作り物の中に再び入って、天の岩戸隠れの故事を再現する時には、岩戸を潜るように作り物の正面から出て来て神楽を舞う。
   この日は、蝋燭能の邪魔になるのであろう、字幕説明のディスプレーがなかったので、謡いが良く聞き取れなかった所為もあって、初心者の私には、新婚説話や岩戸話などの進行が十分には掴み悪かったのであるが、かなり長い後シテの三輪明神の優雅な美しい舞姿が素晴らしかったので、見とれていた。

   三輪神社(大神神社と言う)は、子供の頃、祖父や父に連れられて正月に参拝していたことがあるので、鬱蒼とした参道など微かに記憶に残っているのだが、三輪山がご神体なので、本殿はなく拝殿だけだと言う。
   能や歌舞伎など、日本の古典芸能では、京都や奈良など、関西人である私の故郷でもある故地や、学生時代や若い頃に、歩き回った懐かしい土地や古社寺などが舞台として登場するので、非常に身近に親しみを持って鑑賞できるのが、幸いでもあるし、楽しみにもなっている。

   さて、能の前に演じられた狂言の「因幡堂」だが、
   大酒のみで掃除洗濯一切ダメで、夫/シテ山本則俊を苛め抜く妻/アド山本則重に嫌気がさして、実家に帰っている留守中に離縁状を送りつけて、一人では不便なので、因幡堂の薬師如来に新しい妻を紹介してもらうべくお祈りして仏前で一夜を明かす。
   怒り心頭に達した妻が帰ってきて、夫が寝ているのを見つけて薬師如来を装って、新妻が西門の一の階で待っていると告げる。
   仏のお告げだと錯覚した夫は、その新妻と思しき衣を被った女をいそいそと連れて帰り、かための杯を交わすのだが女は杯を返さずぐいぐい飲み干す。
   嫌がる女の衣を剥がすと・・・ 逃げる夫を妻が追い回す。
   非常に呼吸のあった父子の名演が実に爽やかで、西門の階に立つ女に、実に恥ずかしそうにおろおろしながら声をかける夫・則俊の姿が秀逸である。

   こう言う話は結構あるのだろうが、相性が悪くて、どうしても合わない夫婦の場合には、どうすればよいのであろうか。
   最後に、当日の休憩時の能舞台のワンシーン。
   
   
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ソニーが何故iPodを作れなかったのか・・・E・J・スライウォツキー

2012年10月28日 | イノベーションと経営
   先の著作「大逆転の経営」において、スライウォツキーは、ソニーがウォークマンの技術を持ちながら、なぜ、アップルに負けたのかについて、ダブルベッティングをミスったためだと説明していたのだが、新著「ザ・ディマンド」では、別な視点から掘り下げて、非常に分かりやすく、ソニーの戦略のみならず、ソニーの経営姿勢にまで踏み込んで、アップルと対比させながら、その失敗を説いていて面白い。

   製品には、時間やお金の無駄、不親切な取扱説明書、不必要なリスク、イライラするようなバグや不具合など様々なハッスルが多々発生する。使いやすさと多様な選択肢、高度な自動化ときめ細かい個人対応のサービス、品質向上と低価格と言った利便を満足させてくれる思い通りのものが手に入ることは殆どない。
   日々の暮らしの大きな部分を占めるこのようなハッスルを分析し、改善方法を見出すことによって潜在する爆発的なディマンドへの道が開ければ、これこそが、ディマンド・クリエーターにとっては、巨大なチャンスとなる。

   コンシューマー・エレクトロニクスの世界では、PCや携帯電話やプレイヤーと言った個々のテクノロジーの垣根を越えて機器やインフラを作り直し、顧客のニーズにより応えようとする傾向が強まり、成功を齎す新しい鍵は機器の能力ではなく「顧客の問題」を中心に据える変革を如何に実現するかであって、顧客が、どこからでもデジタル製品とサービスにアクセスできるワンクリック・ワールドへ急速に移行して来ている。
   ソニーは、このワンクリック・ワールドに早い時期から進出し、現在統合されるすべての分野の専門知識と経験を持つダントツの企業であった。

   しかし、ソニーは、AV機器業界でも、コンピュータ業界でも、通信業界でも、メディア業界でも、確固たる地位を築いていたのだが、いずれの分野もサイロ状態で、顧客経験の向上に役立つはずの横の繋がりが一切なかった。
   ソニーは、4つの分野で地位を確立しながら、顧客のためにすべてを統合することもなく、ハッスル・マップに向けたツールを作ることもなかった。
   ハードには強いのだが、ソフトに弱かったのがソニーの敗北要因だと言われているのだが、そう言うことよりも、もっと根本的な問題は、折角持てる高度なテクノロジーを統合する社内体制なり経営戦略が完全に欠如していたのが、問題だと言う。
   それに、機器のデザインのみならず、企業と顧客の経験とを結びつける経験デザイン、グローバル・ベースで通用するビジネス・デザインの3つの次元の有効なデザインを構築して、画期的な新製品の開発に匹敵する創造力が求められる特注品を生み出さなければならないのだが、ソニーはそれができなかったと言うのである。

   一方、アップルは、4つの業界に単に参入するのではなくて、統合を目論み、消費者のハッスル・マップを作り直し、シームレスで独創的かつ強力なマグネチックな体験を提供するために、デジタル・テクノロジーと魅力的なコンテンツを結合し、完全にソニーのお株を奪った。
   アップルと言えば、ファンは、お洒落で優雅でパワフルかつ直感的に分かりやすい楽しい商品やサービスを連想すし、ワクワクしながら新しい製品やサービスの登場を心待ちにしている。これこそ、正に、かってのソニーのトレード・マークとも言うべき魅力であったはずである。

   先日、ソニーが、最初に電子ブック・リブリエを制作しながら、紙媒体が電子に移ることを嫌気した日本の大手出版社の叩き潰そうとの抵抗と嫌がらせに屈して、アマゾンのキンドルに敗北をきっしたと言うスライウォツキーの論点を紹介したが、これこそ、スティーブ・ジョブズが、音楽会社を説得してiTuneを立ち上げて、iPodを成功させた経営手腕と革新性の対極にあるといえよう。
   エジソンが、ガス灯を駆逐して電燈を流布させたのも、電球だけを作っただけではなく、発電変電送電一切のシステムを構築したし、イーストマン・コダックが、写真で成功したのも、フィルムのみならず、写真機からDPEなど一切のシステムを完成したからであって、昔から、成功するイノベーターは、須らく、システム・アプローチを肝に銘じて、ワンセット・システムを確立してきた。

   ソニーは、恐らく、コンシューマー・エレクトロニクスの世界では、世界の最先端を行く技術の発明発見、開発では、数多くの製品を生み出しており、ダントツの実績を誇る会社であることは間違いないと思うのだが、惜しむらくは、スライウォツキーが説くごとく、統合力、総合力、シナジー効果実現等々に大きな組織的、経営的欠陥があって、死の谷、ダーウィンの海を越えて、破壊的イノベーションを生み出せない重大な問題があるのであろう。
   昨夜、NHKの番組で、出井伸之元CEOが触れていたが、トップでも思うように動かせない制度疲労を極めた巨大な組織に限界があるのであろうと思う。

   NHKの番組で、ソニーが、インドで、テレビの画質を、ローカル好みに、青と赤をビビッドにしたことで成功して売り上げを伸ばしいると報道していたが、この程度のことを大きく取り上げられるような会社では、先が思いやられる。
   これまでにも書いたが、今や、新興国、途上国市場は、リバース・イノベーションなど新興市場発のイノベーションの時代であって、日本のR&D技術生産部門が権力を握っているグローカリゼーションの時代ではない。
   新興市場を開拓したければ、プラハラードのBOPビジネス論や、GEのイメルトの危機意識とゴビンダラジャンのリバース・イノベーション論をもっともっと肝に銘じるべきだと思っている。
   
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パソコンのない生活なんて!

2012年10月27日 | 生活随想・趣味
   先週、パソコンが、急に重くなって起動に支障を来し始めて、騙しだまして、22日のブログを書くのがやっとであった。
   復旧などいろいろな回復策を試みたのだが、どんどん状況が悪くなって行く。
   翌日、メーカーの富士通に電話して、サポート機能でチェックの結果、ハードディスクが損傷していることが分かった。
   修理には、壊れたディスクを新しいのと交換するので、ディスク上の記録は一切消去されてしまうのだが良いかと聞かれたのだが、回復には、2~15万円かかるというので、それなら、新しいパソコンを買う方が安いし、残念だったが、諦めることにした。
   なお、修理については、全く偶々だが、2年延長の3年保証の保険に加入していたので、一切富士通もちで行って貰えたのが幸いであった。

   バックアップを取っていなかったのが私の最大のミスで、それは私の責任だが、とにかく、2年の間に蓄積したソフトや記録データや原稿など貴重な情報源が一挙に吹っ飛んでしまう。
   デジカメ写真データ、メールアドレスや送受信などメールソフト一切、ワード・エクセル等ドキュメント一切、住所録、インストールしたソフト総て等々大変な情報量が失われてしまうと言うことである。
   前のNECのパソコンもダウンして、同じようにバックアップ出来ずに涙を飲んだのだが、まさか今回は2年でダウンすると思っていなかったので迂闊だった。 
   いずれにしても、貴重なデータや資料、ドキュメントを殆ど総て、パソコンに取り込んで保存している生活が、いかに危険であるかと言うことを、改めて、身に染みた。

   まず、気になったのは、写真のデータで、DVDに取り込んでいなかった最近の大切な家族写真は、プリントしていないものは、全部消えてしまってなくなる。フィルムなら残っているが、もう、手の施しようがない。
   富士通が手配してくれた運送会社の引き取りは、翌日の午後であったので、まだ、時間をかければ、パソコンは動いていたので、最低限度のデータや資料を外付けハードディスクに取り込もうと試みた。
   まず、最初に、とりあえず、来月の大学の講義に使用するパワーポイント資料が50ページほどあり、一から作成すると大変なことになるので、これをUSBに取り込もうとパワーポイントを開いたのだが、1時間経ってもダメで、結局、それも不可能となり、パソコンはフェーズアウトして真っ暗になってしまった。

   さて、パソコンのなくなった生活だが、自分ではそれほど意識はしていなかったのだが、結構、パソコン中毒に陥ってしまっていたということに気づかされた。
   私の場合には、2階に小さな書斎があって、書架と積み上げた書籍に埋もれた洞穴の奥にある机の上に、パソコンが鎮座ましましているのだが、何か調べようとか思うとすぐに2階に上がって行って、パソコンのないのに気づいて階下に降りてくるといった状態が続くと、我ながら嫌になる。
   私には、やることがいくらでもあるので、一人でいても退屈するということは、全くないので、この数日は、じっくりと本を読んで、涼しくなって来たのでガーデニングに勤しむなど、やり残した仕事は捗った。
   パソコンが手元になければ、いかに自由な時間がたっぷりとあるのかを思い知らされた。
   いずれにしろ、パソコン漬けの生活が良いのか悪いのか、一寸、反省しなければならないと思っている。

   さて、富士通の修理作業は非常に手際良く、正味丸四日で終えて、今日、昼頃にパソコンを送り返してくれたので、それから、セットアップ等、パソコンが以前の通りに作動するように、作業を始めた。
   フレッツ光のルーターから直接パソコンに接続しているので、連結して電源を通すだけで、ウインドウが起動して、富士通のMy Cloudのホームページが現れた。
   富士通との提携か、セキュリティ・ソフトのノートンが起動したのだが、私は、ぷらら経由でトレンドマイクロのウィルスバスターを使っているので、すぐに切り替えようと試みた。
   
   トレンドマイクロに電話して設定を教えても貰おうとしたのだが、入力画面を開こうとしても、いくらキイボードを叩いても、前に進めないし、検索も出来ない。
   はたと困って、富士通の修理センターに電話して試行錯誤の結果、全く、恥ずかしいことに、キイボードが工場から帰ってきたままにしていたので、電源が入っていなかったので起動しなかったことが分かった。
   ノートンを削除して、ウイルスバスターの月額版を設定して、ひとまず、パソコンのセキュリティが保てることになったので、一安心した。

   次に、Windows Liveメール機能を復活すべく自分でパソコンに入力して起動を試みたが、確かに入っている筈のメールが受信箱に出てこない。
   仕方がないので、ぷららに電話をかけたのだが、メール専門の担当者が多忙を極めていていると言うことで、待機していると4時過ぎに電話が折り返されてきて、作業が始まった。
   何度も手順通りにデータを打ち直してなどして手を尽くしたのだが、全くメールの送受信が機能せず、アカウントを新規に開設して試みてみても、Windows Liveメールの送信・受信のトレイには一切のメールが入って来ないし、ウントモスントモ反応しない。
   結局、ソフトにどこか欠陥があるのだろうと言うことで、Windows Liveは諦めて、Microsoft Outlookに切り替えることにした。

   プロダクトキーを入力しなおすなど多少手間は掛かったのだが、設定を試みると、うまく作用して、一気にメール受信が動き出して500以上もの受信メールが飛び込んできた。
   ほっとして時計を見たら2時間近くも経過していてびっくりしたのだが、おそらく若い人だと思うが渡辺さんと言う男性が、実に根気よく丁寧に付き合ってくれて感激してしまった。
   私など、ITディバイドと言われる年齢でありながら、まだ、一人でパソコンを叩けるのでマシな方だとは思うのだが、それにしても、最初から最後まで言葉遣いや態度を変えずに、優しく対応してくれるなどと言うのは非常にまれであろう。
   尤も、今回は、富士通の担当者やマイクロトレンドの担当者も実に親切で優しくて助かった。
   問題は、修理やカスタマーサポートの電話が、中々繋がらなくて、音声案内に従って何回もプッシュボタンを押さねばならない不自由さである。

   テレビの方は、いたって簡単にセッティングが終了した。
   NTTの光テレビなので、ルーターから回線を引き込み、放送局をスキャンするだけで、地上デジタルとBS放送総てが受像でき、そして録画ができる。
   
   とにかく、パソコンは動くようになったので、このブログを書き始めたのだが、これから、失ってしまったデータの回復をどうするのか、頭の痛い作業が、当分続きそうで、少し気が重い。
   せめてもの慰めは、パソコンが、極めて順調に動き出してくれたと言うことである。

(追記)メールで、Window Liveが起動しなかったのは、プロダクトキーを入力して、Microsoft Officeを再起動しなければならなかったのを忘れていたからのようで、その後、キーボードのメール・ボタンを押してメールを開くと、Liveメールの方が起動して、Outlookの方は動かなくなった。
尤も、富士通で修理が治った段階で、メールが起動していたので、それ以降のメールをOutlookで受信できたのは幸いであった。
尚、Gooの方のメール機能は、PC故障以前のデータから一切消えずに残っており、このシステムは、非常に良い。
   
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国立劇場:歌舞伎・・・通し狂言「塩原多助一代記」

2012年10月22日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   圓朝の人情噺「鹽原多助一代記」を基にした「塩原多助一代記」が、三津五郎のタイトルロールで上演されており、実に人間味豊かな味のある演技で、非常に感動的な素晴らしい舞台を見せてくれている。
   塩原太助は、実在の人物で、「本所に過ぎたるものが二つあり、津軽屋敷に炭屋塩原」と歌に歌われた程の200年ほど前に活躍した江戸の豪商で、炭屋山口屋で奉公して、勤勉に働いて蓄財に励み、独立し大商人に成長する一代記を、圓朝が脚色しながら噺に仕立てて、ベストセラーになったと言う。

   木炭の粉を掻き集めて、粉炭の量り売りをはじめ、海藻を混ぜ固めた炭団、すなわち、”太ぁどん”を創って貧しい庶民たちが暖を取る助けになったと言うから、正に、ポーターが説く「共通価値の創造」を実践したイノベーターであったと言うべきであろう。
   私の子供の頃には、練炭とともに、まだ普通に使われていたお馴染みの燃料だったのだが、劇場ロビーに、炭団がディスプレーされていて、懐かしかった。
   この歌舞伎では、自分の貯金を取り崩して、炭配達に難渋する公道に砂利を敷くと言う逸話を紹介しているが、
富豪になってからも謙虚で清廉潔白な生活の心掛けて、私財を投じて道路改修や治水事業などを行ったと言うのだが、自己利益のみを追及してアメリカ資本主義を窮地に追い込んで反省の色の片鱗さえも見せないグリーディなウォールストリート賊との落差はあまりにも大きく、商業道は、何の進歩もしていない言うことである。

   この歌舞伎は、圓朝噺に比較的忠実で、殆ど筋を追っているのだが、18話もある長編の噺を、3時間一寸の舞台に凝縮しているので、相当無理がある。
   しかし、中々巧妙に舞台化されていて、省略部分の辻褄は、次の舞台で登場人物に語らせているので、注意しておれば分かるけれど、一寸見では、中々難しい。
   圓朝は、かなり丁寧に、実父・養父とも同姓同名である経緯や、実父の来歴や沼田の田舎でのわび住まいなど、多助のバックグラウンドなどを語っていて、前半は、結構なボリュウムなのだが、
   舞台では、例えば、序幕で、多助が、父塩原角右衛門(團蔵)と同姓同名の養父・百姓(秀調)の養子に貰われて行き、次の第二幕では、話が一気に飛んで、成人した多助が、義母お亀(吉弥)に苛め抜かれて、その娘のお栄(孝太郎)と離縁されようとする。
   しかし、このお亀は、実父の妹で、家来と駆け落ちして出奔していたのだが、旅に出た夫・岸田右内(松江)が帰って来ないので、訪ねて旅に出るのだが、途中で、娘お栄は、またたびお角(橋之助)にかどわかされ、本人も路頭に迷って野垂れ死に寸前で、偶然に二人とも養父に助けられて、沼田に引き取られて、養父が、今わの際に、血縁のある多助とお栄が結婚して、お亀と3人で、塩原家を守ってくれと言い残すのである。
   ところが、舞台での展開の如く、角右衛門の恩義も忘れて、若くて江戸育ちの恋多き後家お亀は、武家の丹治(錦之助)と、お栄は、その息子・丹三郎(巳之助)とダブル不倫で、お家乗っ取りを図り、邪魔となった多助を殺そうと画策する。
   舞台の通り、親友の百姓円次郎(橋之助)が身替りに殺されたので、江戸行きを決心した多助が、愛馬の青との涙の別れの名場面と続くのである。

   さて、この舞台で、徹頭徹尾の悪人は、またたびお炭実ハ尼妙岳(橋之助)とその息子小平(三津五郎)だが、その悪辣ぶりは、舞台での比ではなく、小平など、砂利代金まで強請ろうと最後まで付き纏っている。
   三津五郎が二役を演じているので、多助と小平の対決の場がないのだが、炭荷主吉田八右衛門(巳之助)を騙って山口屋に乗り込んで金を奪おうしたのを、見知っている多助が暴露するのを、主の山口屋惣領善太郎(松江)に語らせており、多助が理路整然とスケールの小さい悪行を責めぬき、凄んでいた小平が、すごすごと裏門から立ち去ると言った一寸した見せ場が省略されている。

   今回の舞台で、非常に良い味を出して素晴らしい芝居を見せていたのは、実父角右衛門の團蔵と実母妻お清の東蔵で、冒頭の子別れの場と、第五幕の戸田家中塩原宅の場で、実子多助への、或いは、多助との感動的な親子の実像を見せていて素晴らしかった。
   比較的悪役の多い團蔵が、非常に情感豊かに実父としてと威厳と風格を保ちながら、涙を呑んで多助に厳しく諌めて発奮させる慈父の重みを演じ切り、おろおろしながら子を思う慈愛に満ちた母親役を東蔵が好演していた。
   もう一人、この芝居では、多助を邪魔扱いしていた、まだ色気のあるいけ好かない義母を、そして、最後に、丹治との子供に手を引かれて盲の老女として登場したお亀の吉弥が、中々、存在感のある芝居を見せて出色であった。
   橋之助は、好演していたが、役不足の感じで、惜しいと思った。
   お栄と多助に恋した豪商藤野屋娘お花を演じた孝太郎は、実に上手くて味はあるのだが、一寸、品を作り過ぎたオーバーアクションが気になった。
   團蔵とは逆に、いつも二枚目の金之助が、江戸育ちの後家に入れ込んだ悪役を演じていたが、中々の性格俳優ぶりで良かった。

   ところで、塩原多助の炭商人としてのビジネスについて論じてみたいと思ったのだが、今回は、一点だけ、独立して塩原炭店を出してから、明樽買久八(萬次郎)と金儲けの話をしているのが面白い。
   ”そりゃア稼げば金が蓄るが、金を蓄めるような心じゃア駄目だ、わしア蓄らないようにする積りだ、・・・おらア見ろ、銭箱の中へ入へいってゝ楽をしようたって、そう旨くはいかねえ、稼いで来こう稼いで来こうと金の尻っぺたを打つと、痛いもんだからピョコ/\出て往って稼いで帰り、疲れたからどうぞ置いておくんなさいと云っても、おらアこうやって稼いでいるに、われそんな弱い根性を出しては駄目だ、稼いで来こうといって又尻しりッぺたをぶつと、痛いていから又ぴょこ/\飛出しては稼いで来る、しめえには金が疲れてもう働らけねえからどうか置いておくんなさい、もう何処へも往きません、あんたの傍は離れませんと云うから、そんなら置いて遣るべいという、これが本当に天然自然に貯る金と云うものだアよ”  

   要するに、金なり商品なりの回転率を上げて稼ごうとする真っ当な考え方で、当時の商人としては、流石に商才があって頭が冴えていたのであろう。
   しかし、私が凄いと思うのは、この舞台には出て来なかったが、山口屋の働き人たちの捨てた擦り切れたり鼻緒の切れた草履を集めて修理して再利用のために、千足も主人に無償で差し出したと言う今で言うリサイクルの元祖のような考え方や、
   全く、捨てられて見向きもされなかった粉炭や炭の欠片を集めて小分けにして貧しい庶民に売るなどと言うのは、資源保護の点から言っても大したもので、言うならば、無消費者の正にブルーオーシャン市場の開拓であるから、独占企業であり創業者利潤を享受できるので、商売が繁盛しない訳がない。
   ビジネス・スクールでMBAを取らなくても、これだけの才覚があれば、十二分である。
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ニューズウィーク、紙は年内限り 電子版に移行

2012年10月20日 | 経営・ビジネス
   日経ほか多くのメディアが、”ニューズウィークの発行元が、12月末を最後に約80年間続けてきた米国での紙媒体の販売をやめ、2013年初めから完全に電子版に移行すると発表した。紙媒体での広告収入が減少する一方、電子版の購読者が増加。タブレット端末の急速な普及もあり、ネット化に踏み切る。電子化後は「ニューズウィーク・グローバル」の名称で、世界共通の内容にする。”と報じた。
   ワシントン・ポストが2年前に、ハーマンのオーナーに売却したのだが、今では、300万部数の発行が半減し、赤字続きだったと言う。
   昔、上質な写真雑誌であったLIFEが、廃刊となった時にはショックだったが、ニューズウィークの場合は、当然の時の流れの趨勢であろうと思う。

   何年も前に、講演で、大前研一氏が、新聞など取っていないと言っていたし、安藤忠雄氏も、最近の若者は新聞を読まないと言っていたのだが、新聞も雑誌も、インターネットの普及などで、紙媒体の情報誌紙そのものが、殆ど不必要になってしまって買わなくなったと言うことであろうか。
   私の場合、日経だけは、新聞を取っているが、雑誌は、日経ビジネスとナショナル・ジオグラフィックだけで、偶に買う雑誌は、ハーバード・ビジネス・レビューくらいで、月刊誌や週刊誌などは、殆ど買ったことはない。
   特に、週刊誌は、ニューズウィークの日本版は良しとして、電車の中吊り広告や新聞の広告のタイトルを見るだけで中身は十分分かるし、それに、読んでも中身なしで失望するだけである。

   欧米や日本の新聞・雑誌の電子版は、課金制を取っているケースが多いが、有料会員でなくて無料会員登録で十分に読めるし、それに、身体一つで時間が1日たった24時間しかないのであるから、購読料を払ってまで、読む時間と余裕がない。
   インターネットさえ叩いて、検索欄にタイトルを記入してクリックすれば、無数に記事が表示されて来るので、それさえ十分に読めないくらいだから、必要ならいざ知らず、電子版の課金制度さえも将来性は疑問であろうと思っている。

   尤も、私の場合、専門書など本については、紙媒体から離れるつもりはなく、恐らく読めなくなるまで、大型書店や神保町、アマゾンなどにお世話になることだろうと思っている。
   読んだら終わりという本も多いが、本によっては必要な都度、何度も取り出して見ているし、それに、読み飛ばすと言うよりも、本の前後左右に移動しながら読み進んでいることが多いので、すぐにページが繰れなければ意味がないのである。
   また、傍線を引いたり、書き込みをしたりしていて、その個所に辿り着くためには、ページを繰るのが、一番簡単なのである。

   ただし、英語の専門書には、絶対にそんなことはないのだが、日本の本は、かなり高級な専門書でも、索引のない本が大半で、検索するのに四苦八苦していて、私など、裏表紙などの空白に、必要な語句を書いてページを記入するなど自分で索引まがいの工夫をしている。
   出版社のコスト削減の犠牲だと思うのだが、専門書にとっては、本の命とも言うべき索引が如何に大切かを理解さえ出来ない出版社が、日本の出版界の大半を占めていると言うことは、非常に悲しいことだと思っている。
   その点、デジタルの電子書籍なら、検索は自由自在だと思うのだが、今の電子ブックは、そうなっているのであろうか。

   ところで、話は変わるが、
   エイドリアン・J・スライウォツキーが近著「ザ・ディマンド」で、日本の出版界が、電子ブックで先行していたソニーの足を引っ張って、アマゾンのキンドルに先を越される要因をつくったと暴露している。
   日本の出版界は、電子機器の優れたソニーの評判を考えれば、ソニーの電子ブック端末リブリエは、紙に印刷した出版物の終焉の始まりだと見做して、それを嫌悪し、出版社は、持てる力を総動員して電子書籍と戦う決意を固めたと言うのである。
   出版社は、リブリエを素晴らしい素晴らしいと持ち上げながら、面従腹背で、息の根を止めることを目的にして、ソニーに協力を申し入れ、大手が、夫々100冊の本の電子書籍化に合意したと言うのだが、合計1000冊程度では、田舎の小さな書店に並ぶ本よりも少なく、ソニーの方にも多々準備不足もあったが、リブリエを葬り去ろうとするこの出版界の抵抗は、産業革命時代の機械ぶち壊しのラダイト運動を髣髴とさせて興味深い。
   その意味では、音楽会社を説得してiTuneを立ち上げてiPodを成功させたスティーブ・ジョブの辣腕とイノベーター魂には、連戦連敗のソニーは足元にも及ばないと言うことでもある。

   ところで、紙媒体の出版が、デジタル化の進行と資源保護の潮流を受けて、どんどん下火になっているにも拘わらず、出版界の帆船効果努力さえ定かに見えない昨今だが、時代の流れに逆らう訳には行かず、欧米では、新聞社や出版社があっちこっちで消えて行っている。
   紙媒体が廃れて行っても、出版界は廃れる筈はないのだが、デジタル化で、無料の膨大な量の本や知識情報が氾濫し、デジタル化した電子ブックのコストと価格がどんどん急速に下落して行く中で、出版社は、どのように活路を見出すのであろうか。
   いまだに、出版業界は、電子ブックには抵抗気味だと言うが、ニューズウィークは、対岸の火事ではない筈である。
   
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国立劇場、神保町、国立能楽堂

2012年10月19日 | 今日の日記
   昨夜、今日の国立劇場の歌舞伎:塩原多助一代記の予習のつもりで、青空文庫の三遊亭圓朝の落語録を読み始めたのだが、思ったよりも長くて(印刷プレビューで125ページ)、寝るのが遅くなり、何時も録画して見ている7時のNHK BS1のワールドWAVEを見て、パソコンのメールなどをチェックするのがやっとで、家を出て東京に向かった。

   国立劇場は、時々開演時間が変わるので厄介なのだが、今日は、何故か、11時半であった。
   圓朝噺を脚色して歌舞伎化した「塩原多助一代記」は、非常に素晴らしい芝居だと思うのだが、客席は大変な空席状態で、惜しい限りで、新橋演舞場の方も、幸四郎と團十郎ダブルキャストの「勧進帳」でも空席が多いと言うのであるから、芸術の秋も、様相が変わって来たのかも知れない。

   圓朝噺は、18話まである延々と続く長い噺なのだが、この歌舞伎は、かなり上手く纏まった芝居になっていて、多助を演じる三津五郎の好演が出色で、中々、感動的である。
   結構、登場人物も多くて、噺が入りこんでいて、筋が複雑であるのを、休憩込の4時間の舞台に仕上げており、省略されたシーンは、登場人物に語らせて補っているので、それ程、原作とは違ってはいない。
   しかし、注意して筋を追っていないと、はじめて一回観ただけでは、登場人物の関わりや後先が分からず、十分に理解するのが難しいのではないかと思った。
   その点、圓朝噺を、完全に読んで出かけたので、私には、良く分かって面白かった。
   この劇評は、後で書くことにしたい。

   6時半からの国立能楽堂の能・狂言まで時間があったので、銀座から東京駅に出て、書店をハシゴして、いつもの様に、神保町に向かった。
   買った本は、最近出た野中郁次郎ほか編著の「ビジネスモデル イノベーション」。
   昨年HBR5月号にでた「The Wise Leader 賢慮のリーダー」の発展版だと思うのだが、日本製造業のイノベーション力も捨てたものではないと言うことであろう。
   もう一冊は、古書店の店頭で300円で売っていた白井さゆり著「欧州激震」。全くの新本である。
   2010年9月刊だから一寸古いのだが、世界的金融危機後に一気にヨーロッパ経済が悪化しはじめた時期に書かれた本なので、当時はどういう解釈だったのかを知りたくて、帰りの電車の中で読み始めたのだが、結構参考になる。

   国立能楽堂は、狂言「雁大名」と能「花筐」。
   狂言は、宴席を張ろうとした大名が、肴を買う金がないので、太郎冠者と語らって、喧嘩を仕組んで、仲裁に入った雁屋から、その隙に雁を盗む話で、こともあろうに、大名は、故郷への土産にふくさまで盗み取る。
   何時もなら、鷹揚で、多少抜けたところのある大名が、今回は、少し狡猾でさかしい話で、歌舞伎とは違って、家来など一人か二人しか居ない貧乏大名が主人公の狂言であるから、こんなところであろうか。
   大名が石田幸男、太郎冠者が萬斎、雁屋が万作の和泉流で、大蔵流では、鴈盗人となっていて廃曲の中に入っていると言う。
   雁を盗られた雁屋が、「南無三宝、雁を外された」と言って切戸口から去って行き、その後、残った二人が、戦利品を見せ合って喜ぶと言う結末なのだが、何か、しっくりしない終わり方で、私にはフラストレーションが残った。

   能「花筐」は、宝生流で、シテ/照日の前 武田孝史。
   皇子が、継体天皇として即位するために、急に上洛したので、寵愛している照日の前に、使い慣れた「花筐」と玉章(手紙)を残して使者に届けさせるのだが、受け取った照日の前は、悲しみに沈み故郷へ帰る。
   後場では、紅葉狩りに行幸中の前を、物狂いとなった照日の前が通り、家来に、侍女の持った花筐を叩き落されたので、天皇の形見だと非難し恋心を訴えて泣き伏す。天皇の前で、舞を命じられた物狂いは、漢の武帝の寵后・李夫人の物語を歌った曲舞を舞う。
   花筐を見た天皇は、物狂いが照日の前だと気付いて、再び傍近く召すこととなり、”尽きせぬ契り、有難き。”で終わる。

   オペラで言えば、狂乱の場で、凄まじいソプラノのクライマックス・シーンで、観客を魅了するのだが、能は至って静寂で、この能は、囃子片のサウンドも非常に控え目で、しみじみとした情感に満ちた舞台が良い。
   ところで、この能は、世阿弥作だと言うのだが、夢幻能とは違った趣で、十分に、芝居の舞台に転換できそうだと思いながら見ていた。
   
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三遊亭圓丈かぶき噺:大晦日文七元結

2012年10月18日 | 落語・講談等演芸
   国立演芸場の定席・中席のトリは、三遊亭圓丈のかぶき噺:文七元結だと言うので、文句なしに出かけた。
   最近は、能・狂言・落語と、これまで楽しんできた歌舞伎や文楽の作品のルーツとも言うべき他のジャンルの古典芸能に触れようと、積極的に劇場へ通っているのだが、特に、落語の圓朝噺が、結構、歌舞伎の舞台に展開されていて、その接点なり違いが面白いのである。

   今回の「文七元結」は、来月の新橋演舞場の歌舞伎で、菊五郎や菊之助が演じるし、圓朝の「塩原太助一代記」は、三津五郎主演で、今月の国立劇場で上演されていて、近く行くことになっている。
   三遊亭圓朝の作品は、青空文庫をクリックすれば、大体読めるので、参考になるのだが、実際に語られる落語は、噺家によってかなりバリエーションがあり、それに、歌舞伎の舞台なども、圓朝の原作とは多少違っていて、その扱い方に興味をそそられるのである。

   この「文七元結」は、圓朝の人情噺で、
   左官の長兵衛は、腕は立つのだが、無類のばくち好きで、仕事もせずに借金を抱え、年末、賭場で負け続けて身ぐるみ剥がれて半纏一枚で帰って来て、娘お久が居なくなったと泣く女房のお兼との派手な夫婦喧嘩から噺が始まる。
   この取り込み中、吉原の女郎屋の大店角海老から呼び出しの使い藤助が来て、その娘のお久が、角海老の女将の所に身を寄せていると言う。
   女房の着物を剥がして一枚羽織って、しどけない恰好で角海老へ行くと、お久は、父の改心を願って、身売りをして金を工面するために、お角のところへ頼み込んだのだと言って、女将に散々説教される。女将は、自身の身の回りをさせるだけで店には出さないが、ただし大晦日を一日でも過ぎたら、女郎に出して客を取らせると言って、長兵衛に五十両の金を貸し与える。
   長兵衛が、帰り道に吾妻橋のたもとで、身投げ寸前の男に出くわす。白銀町の鼈甲問屋「近江屋」の奉公人文七で、回収に行った売り上げを掏られたので、死んでお詫びをするのだと言う。死ぬ、死ぬなの押し問答の末、長兵衛は、自分の娘のお久が身を売って得た身代金の五十両だと話して、その金でお前の命が助かるのなら、娘は死ぬわけではないのでと、”仕方がねえ、其の代り己の娘が悪い病を引受けませんよう、朝晩凶事なく達者で年期の明くまで勤めますようにと、お前心に掛けて、ふだん信心する不動様でも、お祖師様でも、何様へでも一生懸命に信心して遣っておくれ”と言って、無理矢理五十両を押し付けて、逃げるように帰って行く。
   文七が、主人卯兵衛の元に帰り、長兵衛からもらった金を差し出すと、「それはおかしい、お前が遣いにやった先で碁に熱中するあまり、売り上げを碁盤の下に忘れてきたので、先方が届けてくれて金はここにある。一体その金は、どうしたのだと主人に問い詰められて、文七は、長兵衛との次第を打ち明ける。
   翌日、卯兵衛は万端段取りを整えて、文七をお供に長兵衛の長屋へと赴き、これまでの経緯を説明し、五十両を長兵衛に返そうとすると、江戸っ子だ受け取れないと長兵衛ともめた挙句に、結局長兵衛が受け取る。卯兵衛は、これをご縁に、身寄りのない文七を養子に、近江屋とも親戚付き合いをお願いしたいと、祝いの盃を交わすこととし、肴をと、表から、近江屋が身請けをして着飾ったお久を呼び寄せる。
   この後、文七とお久が夫婦になり、近江屋から暖簾分けして貰って、麹町六丁目に文七元結の店を開いたと言う芽出度い話である。

   圓朝噺と大きく違っているのは、吾妻橋での金のやり取りの後、歌舞伎では、文七が、店に帰って、主人に50両を渡す鼈甲問屋「近江屋」の場は省略されていて、すぐに、長兵衛が、金を持たずに帰って来て、女房お兼と派手な喧嘩をするところからスタートする。
   歌舞伎では、近江屋の主人が、暖簾分けしてお久を文七の嫁にと語る目出度し目出度しの会話が交わされるが、圓朝噺では、その点は、さらりと流して淡泊である。
   
   圓丈の噺は、非常にキメ細かく語られれていて、当然一幕物であり、実質50分と、実に密度が高い。
   普段の様に高座は置いてあるが、背後のバック・スクリーンが、舞台展開に合わせて4度変わり、照明など舞台効果に工夫が凝らされていて、舞台展開毎に、圓丈は、舞台を出入りしながら、高座に座って語っているので、いわば、シンプルな芝居噺と言うところで、一人芝居にも近い雰囲気であり、噺に奥行が出て来て非常に面白い。
   語りは、勿論、超ベテランの噺家であり、非常に歯切れの良いメリハリの利いた語り口であるから、聞いていて正に感動的で、エスプリの利いた落語のほろ苦い味が随所に見え隠れしていて、しんみりとした笑いを誘って爽やかでさえある。

   私は、この文七元結の落語は初めてなので、良く分からないのだけれど、恐らく、圓丈噺のバリエーションだろうと思うのだが、面白い脚色がなされていた。
   詳細は忘れたが、文七が、不動だったか願掛けに通う社で、博打狂いのダメ親父を改心させるために熱心に通い詰めている乙女に恋をして、その逢瀬の約束の時間が気になって気も漫ろで碁を打ったと言う設定で、その話を吾妻橋で長兵衛に語るのである。
   芝居の最後に、身請けされて帰って来たお久が、その娘であったと分かったことで、色恋はご法度の使用人である文七は、追放の身に合うのだが、除夜の鐘を聞いた卯兵衛は、心を変えて、文七を番頭に格上げして許すと言う話になっている。

   この芝居の泣き笑いは、身包み剥がれて帰って来た長兵衛が、子供の半纏だけを借りて来て、これを妻のお兼の着物に取り換えたのだが、お兼は、既に、襦袢なども売ってしまっているので、下半身殆ど裸で、近江屋の卯兵衛と文七が来た時には、隠れていた二つ折れの衝立に坊主頭が見え隠れしたと言う話だから、実に切ない。
   圓朝の原作だと、幕切れは、
   ”兼「オヤお久、帰ったかえ」
 と云いながら起つと、間が悪いからクルリと廻って屏風の裡へ隠れました。”となるのだが、圓丈は、ストレートで、笑いを誘う。
   来月の顔見世の舞台で、菊五郎の長兵衛と時蔵のお兼が、この貧乏夫婦を熱演するのだが、前回もそうだったが、その丁々発止の泣き笑いが、今から、楽しみである。
   
   ところで、疑問なのは、時は大晦日、極寒の江戸では、下帯と子供の半纏で夜道を帰った長兵衛や裸同然のお兼は、病気にならなかったのであろうか。
   それに、後先も考えずに悲惨な生活を送っていた長兵衛が、命大切と言って、娘を身売りした大枚50両を、ポンと文七にやれますかねえ。
   まあ、こんなことは、下司の勘繰りであって、圓朝噺を、スラッと受け入れて楽しめば良いのだろうが、お久の健気さ可愛さに、いくら極道で徹頭徹尾ダメ親父でも、堪えたのであろうと思うとしんみりとしてしまう。

(追記)圓丈の口絵写真は、公演チラシをコピーさせて貰った。
   
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国立演芸場・・・きく姫、神田陽子、そして、林家木久扇

2012年10月17日 | 落語・講談等演芸
   最近、少しずつ、国立演芸場に通って、落語などを聞いているのだが、これが、非常に面白い。
   この日は、「国立名人会」と銘打った公演で、日頃の定席の舞台とは、一寸、違った雰囲気で、事前に、演目が表示されており、それに、出演者も多少の気負いがある。
   
   今回は、林家木久扇のトリで、橘屋圓太郎や昔昔亭桃太郎と言ったベテランが登場したのだが、私が興味があったのは、女流噺家の「林家きく姫」の「動物園」と、女流講談師の神田陽子のオペラ講談「椿姫」であった。
   二人とも、期待を裏切らない、中々美形で、非常に魅力的な舞台で、思っていた以上に、楽しませて貰った。

   この「動物園」は、以前に、ラジオか何かで聞いた記憶があるのだが、元は、上方の話で、その時は、主人公は虎であったのだが、今回、きく姫の語ったのは、黒い毛皮のライオンで、江戸落語になると、物まねを潔しとしないのか、虎がライオンに替わるのが面白い。
   月給100万円の職を紹介して貰った男の仕事は、移動珍獣動物園の黒いライオンで、死んだライオンの縫いぐるみを被って檻の中を歩き回ること。
   ライオンの歩き方などを教えて貰って、檻に入って初日のお披露目となるのだが、紹介のアナウンスが、特別サービスとして「虎とライオンの猛獣ショー」をお目にかけると言って、仕切りの柵を上げてしまう。
   獰猛な虎が、大きな吠え声を上げて、のっしのっしと近づいて来たので、男は、恐怖のあまり「南無阿弥陀仏」と伏せて震えていると、虎がライオンの耳元で、「心配するな、わしも100万円で雇われた」。

   きく姫は、木久扇の弟子とかで、枕を入門話から始めて、結構面白かったが、秀逸は、動物園のアナウンスのウグイス嬢の声音で、やや、中腰に伸び上がって、声を落として色気十分な可愛い声で、語りかける。
   ライオンの左右に歩く仕種なども、そこは女性らしい優しさ軟らかさがあって、中々、ムードがあって良い。

   何か、女性らしい新作落語を創って、女性ムード満開のドラマチックな噺を語れば、非常に面白いだろうと思って聞いていた。
   前座で、林家扇が、掛け軸を褒める「一目上がり」を演じていて、結構上手いし面白いと思ったのだが、やはり、男の語る噺であって、多少の無理があり、これから、扇のような若い女流噺家も出て来るのであろうから、例えば、中年女性を主人公にしたずっこけた話とか、或いは、狂言話のように、アイロニーとウイットに富んだエスプリの利いた女性を主人公にした噺を語れるようになったら、もっと、落語の魅力が増すだろうと思う。

   神田陽子の講談は、オペラの椿姫を脚色した面白い作品で、張扇で釈台を叩くのは同じだが、むしろ、白石加代子の「源氏物語」の舞台を見ているような感じで、実に表情豊かに、ビオレッタの仕種を演じて、時には悩ましい雰囲気を醸し出すなど、色香十分の語り口で、講談を聞いているのか、一人舞台を見ているのか錯覚を起こすくらいに、臨場感があって面白い。
   ビオレッタとアルフレートの会話など、愛の二重唱で切羽詰って同じセリフが延々と続くと、途中で、誰か止めてと、とアイを入れるなど芸が細かい。
   私は、オペラの椿姫は、随分あっちこっちで見ており、お馴染みの舞台なのだが、やはり、講談となると、短時間で総てを語ろうとするので、多少無理があって、はじめての人には分かり難いのではないかと思った。

   オペラと違っていた神田陽子の脚色は、第二幕第二場のアルフレートがドゥフォール男爵と賭けをして勝って得た札束をヴィオレッタに叩きつけるところを、決闘に変えて追放の身と言うことにしていた。
   枕で、ドレスデンのゼンパー・オーパーでのオペラ鑑賞の時に、ドイツ人の中でただ一人、和服を着て行っていたので、非常に持てたと言う話をしていたが、私は、劇場前で写真を撮っただけで、中に入ったことはないけれど、ドレスデンともなれば、やはり、日本人は少ないのであろう。

   
   さて、トリの木久扇の出し物は、「松竹梅」。
   とにかく、枕が長いので、本題は、予定時間ぎりぎりになってからの語りで、10分延長の熱の籠った舞台であり、非常に面白かった。
   大変お世話になった先輩は、林家三平、立川談志、林家正蔵だと、三人との思い出を語っていたのだが、面白かったのは、落語家でありながら元参議院議員であった談志の選挙運動の模様で、とにかく、談志の物まねが実に上手い。

   「松竹梅」は、木久扇の得意ネタのようだが、松五郎、梅吉、竹蔵の3人が「名前がめでたい」と言うことで、出入り先のお店のお嬢さまの婚礼に招かれたのだが、初めてなので、どうしたら良いのか分からず、三人そろって岩田の隠居に相談に行って、余興の指南を受ける話。
   まず松が『なったあ、なったあ、蛇になった、当家の婿殿蛇になった』。次に竹が『なに蛇になあられた』。最後に梅が『長者になぁられた』と言うのだが、覚えられなくて、本番で、『亡者になあられた』と言う噺である。

   これなどは、木久扇の年輪を経た芸を聞く楽しみなのだが、私などは、噺は噺として味わいながら聞くけれど、やはり、面白いのは、即興に近い枕の方で、夫々に、噺家の創作と言うか噺づくりの味があって、カレント・トピックスの扱い方など実に面白いことがあり、楽しみにしている。
   この日、木久扇は、かなり、良く語る話のようだが、結婚式の司会者の話をしていて、例のおかしな祝電で、
  「前のことは忘れてがんばれがんばれ。麹町警察署一同より」
「仕事が立て込んでおり、結婚式に行かれなくてゴメン。次の機会には必ず行くよ」と言った面白いコント(?)を語っていた。

   この日は、かなり、遅くチケットを買ったのだが、被りつきが空いていて、臨場感たっぷりに楽しませて貰った。
   その前に、国立能楽堂で、渋い狂言と能を鑑賞した後での落語であったので、リラックスして、大いに笑わせて貰ったのである。



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EU各国で分離独立運動活発化

2012年10月16日 | 政治・経済・社会
   デービッド・キャメロン首相とスコットランド行政府のアレックス・サモンド首相は、15日、2014年にスコットランドの独立の是非を問う住民投票を行うことで合意し、独立が支持されれば、連合が成立してから300年を経て英国が分裂する可能性がある。と報じられている。
   一方、ベルギーでも、統一地方選が14日投開票され、北部オランダ語圏フラマン地域の「分離独立」を主張する中道右派の新フランドル同盟(N-VA)が大躍進し、アントワープを押さえ、ベルギーを現在のフラマンとフランス語圏ワロン地域の「連邦国家」から、双方の自治権を拡大した「国家連合」に改革した上で、フラマンの独立を達成しようとする動きが起こっていると言う。
   また、先日、このブログでも触れたが、スペインのカタロニアが、独立運動を加速化させ、独立に関する国民投票をスペイン政府が認めなければ、EU司法裁判所に提訴すると言う危機的な段階にまでエスカレートしている。

   これ等の地域は、昔から独立運動が盛んで、ことある毎に、独立運動が頭をもたげているのだが、その殆どは、政治や歴史、文化的な背景が要因となっているのだが、今回は、EU全般に広がっている経済危機が、その分離独立の重要な要因となっている。
   これらの地域は、夫々の国平均よりも経済的に豊かで、他の地域にその富の一部を提供しており、何故、自分たちがいつまでも、貧しい地域を自分たちが助けなければならないのかという不満が高揚していると言うのである。
   実際、スコットランドは、UK政府に入る北海油田の110億ユーロの収入を取り戻したいと思っており、カタロニアは、GDPの5分の1を占める所得を自分たちだけに使いたいと考えており、フラマン地方は、他地域を援助している60億ユーロを止めたいと思っているのだと、フランス2が報じている。

   これと全く同じことが、豊かなドイツ国民のギリシャなど経済危機に陥っている国を、何故、自分たちが犠牲を払ってまでして、助けなければならないのかと言う抵抗の原因でもあり、非常に難しい経済格差解消と言う問題の根源でもある。
   アメリカ大統領選挙の最も重要な争点の一つも、経済成長と雇用の問題ではあるのだが、弱者を優遇するのか、金持ちなど強者を優遇するのか、戦略の差が、経済格差の現実を如実に物語っている。

   これまで、何度も論じているので、蛇足だが、経済成長を実現できなければ、分配を出来るだけ公平にして、社会不安を押さえる以外には手段がなく、前述の分離独立運動についても、それが、自分たちの経済的豊かさや富を維持したいと言う思いが強力な要因として働いているのなら、そして、国家の維持が優先課題なら、分離独立は避けるべきであろう。
   難しいのは、この分離独立が、これまでの政治や文化など根深い歴史的な、或いは、民族や宗教的な原因に根差しており、無理に、統一国家なり連合を形成している場合で、本来維持していること自体が異常な場合で、これらは、当然万有引力の法則に従うべきであろう。

   EUの統合化が、どんどん、進行しているにも拘わらず、かってのネーション・ステーツが小さく分裂して行くと言うのは、逆行かも知れないが、しかし、政治的統合が進んで行って、各国家と言う政治経済単位の、独立性が希薄化して行き、EUへの依存なり帰属が進行して行けば、分離独立した不完全な政治経済体制でも、十分に生きて行くことが可能であり、それ程、深刻な問題は起こり得ないであろう。
   もう一つの利点は、今や、経済のグローバル化が常態となっているので、むしろ、経済活動は、イギリスやスペインなどのような比較的大きな経済単為よりも、もっと小さな経済単為の方が、自律性独立性を確保できて、効率的かつ有効だと考えられると言うことである。
    

   日本でも、最近、道州制の導入が視野に入り始めているのだが、地方への権限の委譲と同時に進めるべき問題で、あらゆる意味で、都道府県の垣根を排除して、政治経済単位を、最も機動性に富んだ、自由市場経済を最も有効に活用出来る体制に再構築することは必須であると考えられる。
   大阪都などと言う構想が現実化しつつあるが、最早、そんな程度の低い次元では、このグローバル時代の難局は乗り切って行ける筈もなく、九州など、独立国家のような状態に解き放せれば、アジアの経済的ハブとして、大変な発展が見込まれ得る筈である。
   東京が発展したのは、アメリカに門戸を開いた太平洋に面していたからだとするのなら、大躍進を遂げるアジアに最も近くて豊かな九州が、世界的な経済センターとしてのみならず、知的センターとして大躍進するのも夢ではなかろう。

   EU国家の分離独立の話が、脱線してしまったのだが、要するに、政治経済単位が、激動するグローバル時代においては、猫の目の様に大きく変革しており、これまでの国民国家意識に根差したものの考え方を維持し続けて、生きた組織対応が出来ないと、足をすくわれてしまって起き上がれなくなると言うことを言いたかったのである。
   脱線ついでに、終戦前には、北日本人民共和国と南日本民主主義国とに分断の恐怖も無きにしもの日本だったが、今や、衆参の国政選挙における一票の格差が5倍もあっても、政治家は政争に明け暮れて何のそので、国民は殆ど無関心で怒りさえ感じない国で、正に太平天国であるから、日本は、分離独立問題には最も縁の遠い国であろうことを付記しておきたい。
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久しぶりの鎌倉:化粧坂から寿福寺へ

2012年10月15日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
 久しぶりに訪れた鎌倉で、朝時間が少し取れたので源氏山に出かけた。
   まだ、秋の気配が少なく、道中、萩の花にも出会わず、銭洗弁天の横を通り越して、源氏山に向かったのだが、この急坂は、やはりきつく、一気に汗が噴き出る。
   源氏山の頼朝像の手前のアベリヤが白い花をつけていたが、他には、季節を感じさせるような花木もなく、気持ちの良い冷気だけが、秋の訪れを感じさせてくれていた。

   この日は、いつもの様に、浄智寺から北鎌倉に抜けずに、化粧坂を下りて、海蔵寺に向かった。
   この化粧坂は、新田義貞が鎌倉に攻め行った時の激戦地とかで、上から真下に民家が見えるくらいの急坂で、ほんの2~3百メートル下れば一気に平地に下りてしまう。
   途中、歌舞伎でもお馴染みの勇猛果敢な景清の土牢跡が残っていて、切り立った岩が往時を忍ばせている。
   海蔵寺への途中、民家の壁面に垂れ下がっていた宮城野萩が、綺麗に咲いていて紋黄蝶が戯れていたのだが、海蔵寺の萩は、残念ながら、もう終わってしまっていた。
   前に来た時には紅葉が美しかったのだが、閉まっていたので、そのまま引き返して、街道に出た。
   
   
   

   山の集落から鎌倉駅方面に向かって線路の西側を走っている本道に出ると、自動車の通行がかなりあって厄介なのだが、この通りに沿って、太田道灌ゆかりの英勝寺と北条政子開基の寿福寺がある。
   
   英勝寺だが、扇谷上杉家の家宰であった太田道灌の旧居跡地で、道灌の子孫の女子が、水戸藩主・徳川頼房の養母を務め、家康の死後は落飾して英勝院と称していたのだが、その後、三代将軍家光より父祖の地である扇ガ谷のこの地を賜り、この英勝寺を創建したと言うのであり、尼寺である。
   私など、江戸城築城の道灌しか知らないので、何故、鎌倉に道灌の家があったのだろうと思った程で、迂闊であった。
   急な雨に打たれた道灌が、蓑を貸して欲しいと言ったら少女が一枝の山吹を差し出したと言う有名な山吹逸話は、ここに住んでいた時の話だと言う。
   「七重八重花は咲けども山吹の(実)みのひとつだになきぞかなしき」と言う後拾遺集の醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王の歌を知っていた少女と、知らなくて痛く恥じ入った道灌との話は、狂言の世界のようで面白い。
   英勝寺の中へは入らずに、先を急いだ。
   
     

   寿福寺は、総門から中門までの参道は歩けるが、中門から内側の境内は一般公開されておらず、左手の横道から回り込んで、境内裏手の墓地には上れる。
   ここには、陸奥宗光、高浜虚子、大佛次郎などの墓があり、さらにその奥の横穴式墓所には、北条政子と源実朝の墓と伝わる五輪塔があるのだが、実に質素でびっくりするほどである。
   この寿福寺は、源氏山を背負っているので、その直下にあって、険しい山道を下れば、頼朝像から、ほんの2~3百メートルの距離なのであるが、私は、まだ、通ったことがない。
   
  
   鎌倉駅へ向かう途中、小町通りに出て、途中にある能・狂言関連本を沢山集めている古書店に立ち寄ろうと思って出かけたのだが、消えてしまっていた。
   もう一軒、小町通りにもあったのだが、これも、なくなってしまっていた。
   鎌倉の古書店は、土地柄か、並んでいる古書が、どことなく違っていて、文化の香りがすると言うのか、一寸、古風な感じの味のある本が、並んでいたりするので見るだけでも興味深かったのだが、やはり、時代の流れか、或いは、観光地にそぐわないのか、一寸、残念な感じがして、仕方なく、佐助に帰って行った。
   古書店も、神保町にある夫々歴史の重みを感じさせる専門を持った古書店の味は、やはり捨てがたく、皆ブックオフの様になってしまえば、タダの古本を売っている店と言うだけで、古書文化が廃れてしまうのだが、街の電気屋が消えて、量販店ばかりになるのと同じで、何か大切なものを、どんどん失って行く感じであり、寂しい。

   ところで、余談だが、鎌倉駅から、銭洗弁天に向かう観光客が多いが、観光案内には、二つ行き方が書かれているが、紀ノ国屋(スーパー)前で、右折れして北方向に向かってトンネルを通って行く道よりも、もう一方の紀ノ国屋を右手にまっすぐ直進して市役所の前を法務局に向かう道の方が、かなり短くて坂も楽である。
   それに、法務省手前道路右手に見えてくる、福来鳥(レストラン)の看板手前で、右手に入り込むショートカット道を辿るともっと良い。

   もう一つ、源氏山を抜けて、北鎌倉と、鎌倉や長谷両方を歩く人にとっては、北鎌倉から上るよりも、鎌倉側の弁財天や長谷から、源氏山を経て、北鎌倉に下る方が楽である。
   いずれにしても健脚向きだとは思うが、これから、涼しくなってくると良い観光ルートではあると思う。

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わが庭の歳時記・・・秋の気配

2012年10月12日 | わが庭の歳時記
   まだ、紅葉には早いし、私の庭には秋の草花がないので、秋と言う雰囲気はないのだが、漂う冷気と澄んだ陽の光が、秋の気配を感じさせてくれて清々しい。
   真っ赤ではないが、少し赤く色づいたトンボが、庭を訪れて、じっと支柱にとまって小休止しているかと思うと、急に飛び上がって、また、戻って来るのを繰り返している。

   私の庭には、まだ、夏の草花が咲いていて、アサガオは元気に庭木を這い上がっているし、コバルト・ブルーの鮮やかなツユクサも、種を付けはじめたが、まだ咲き続けている。
   花の色は、大半は、白と黄色だと言うのだが、夏には、涼を呼ぶので、ブルーの花を探すのだが、これが意外に少なくて難しいのである。
   以前に、イギリスで、綺麗なブルーポピーのヒマラヤケシを見て感激して、種を買って帰ったのだが、どこかへなくしてしまって、諦めたことがある。
   
   
        
   偏見かも知れないが、花の色は、秋は、赤やオレンジ色などの暖色系統、春は、ピンク系統が良いと、何となく思っている。
   昔、黒い花に興味を持って、黒いチューリップや黒い椿を植えたのだが、思ったほど、感激はしなかった。
   今、わが庭に、まだ、2本黒椿が残っていて、一寸、変った春の訪れを感じさせてくれている。

   秋バラの季節なので、入れ代わり咲いている。
   やはり、十分な手入れが出来なかったので、思うように咲いてはくれなかったが、一輪一輪切り花にして、思い思いの花瓶に生けるのを楽しんでいる。
   少し、黒い斑点が葉に現れたので、遅れませながら、薬剤散布を行った。
   バラも椿もと、狭い庭に、欲張って植えると、太陽と広い空間を好むバラが割を食ってしまうので、少し、間引かなければならないかと思っている。
   
   

   ところで、殆どのトマトは駄目になったので、消却したのだが、まだ元気に花を咲かせて実を結んで頑張っているトマトがあるので、数本残している。
   赤く色づいても、最盛期のように美味しくはなく、やはり、トマトは、実が完熟し始めた7月頃が、一番良い。
   朝顔と同じで、もう少し寒くなるまで、このまま花を咲かせようと思っている。
   
      

   今、美しく咲いているのは、シュウメイギクで、ひょろりと伸びた茎の先の花が、風に揺れている風情も、秋の気配で、中々趣があって良い。
   実をつけているのが、ムラサキシキブとピラカンサである。
   万両や千両が実を付けはじめた。
   また、椿が、びっしりと蕾をつけて、春の準備を始めている。
   ぼつぼつ、咲き始める椿もあるのだが、今年は、どの椿が一番早く花を咲かせるのか楽しみである。
   2センチくらいしかないミニ椿エリナからとった種を蒔いて置いたら芽が出て小さな苗木になったので、少し時期外れだが、植え替えようと思っている。
   
   
   
   
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科学技術振興は国家の最大の義務

2012年10月11日 | 学問・文化・芸術
   iPS細胞の山中伸弥京都大教授のノーベル賞受賞に、日本中が湧いており、非常に素晴らしい快挙で、喜ばしい限りである。
   私も、山中教授の講演を聞いたり本を読んだりしたのを、このブログでも書いたので、久しぶりにそれらの記事のヒットの数が激増して、日本中のフィーバーぶりが良く分かる。

   ところで、山中教授の京大iPS研究所や他のiPS細胞関連で政府が予算措置を行ったと言うことが報道されたのだが、スーパー・コンピューターに対して「何故一番でないとダメなのか」と愚問を発した大臣を頂いて、仕分とかと言う蛮刀を振るって文教予算を切りに切った民主党政府のやることだから、信用できないが、10年程度を見越したその程度の資金援助では、不十分だと言うことは、京大研究所のスタッフの90%が、非正規職員で、有期雇用であって先の保障がなく、山中教授が、一番頭を痛めて奔走しているのは、スタッフの生活の安定とその保障だと言うことからも分かることで、手放しでは喜んでは居れない。

   貧困撲滅に精力的に活躍している、アメリカで最も良識的な学者であるジェフリー・サックスが、「世界を救う処方箋 The Price of Civilization」で、政府の最も重要な役割として、教育、特に、科学技術の知識が官民共同で大いに増進されるべき公益であることを認識してサポートすべきであると強調している。
   教育に公的融資が必要であることは、自由市場の有力な推奨者で、政府や公的機関の介入を強力に排除したフリードリヒ・ハイエクとミルトン・フリードマンさえも含めて、アダム・スミス以降の総ての経済学者によって認められれている大原則だと言う。

   地球温暖化で環境が悪化し、自然資源の枯渇が心配され、貧困の増大と格差の拡大で、益々窮地に立つ人類にとって、自由市場経済単独では、問題を解決して、実りある21世紀の知識社会を作り出すことは、到底不可能であり、そのブレイクスルーは、一に、グリーン・イノベーションなど、サステイナブルな地球環境を維持しながら、新しい革新的なイノベーションを生み出して、グローバル社会を変革して行く以外に道はなく、そのためには、科学技術の振興発展が、最も重要であり、かつ、必須であることは、明々白々たる事実である。

   この口絵写真は、ペンシルベニア大学のキャンパスに立つ創立者ベンジャミン・フランクリンの銅像である。
   5~6年前に、MBAで過ごした同校のウォートン・スクールを久しぶりに訪れた時に撮った写真で、2年間暑い日も寒い日も仰ぎ見ていたので非常に懐かしい。
   ところで、iPS細胞でノーベル賞に決まった山中伸弥教授の記事が1面を飾っていたその日の日経朝刊の、根岸英一教授の「私の履歴書」に、ノーベル賞受賞の発端となる勉強を始めたペンシルベニア大での非常に恵まれた留学生活が書かれていたのである。
   私よりも10年ほど前に居られたようだが、根岸教授もキャンパスでこのフランクリン像をご覧になっていた筈で、その後、私がフィラデルフィアに行った時には、秋篠宮妃紀子さまの実父川嶋辰彦教授も、ここで、勉強されていたので、もしかしたら、幼児の頃の紀子さまも、像の前庭の芝生で遊んで居られたのかも知れないと思うと、不思議な思いがしたのである。

   私が言いたいのは、アメリカと言う国は、途轍もなく懐の深い国で、日本人ノーベル賞学者の過半を育ててくれたばかりではなく、惜しみもなく、我々のようなビジネスマンに対しても、正に、グローバル・ビジネスで、何所へでもフリーパスで動けるパスポートとなるMBA教育の場を与えてくれるなど、高度な学問教育を享受する機会を与えてくれていると言うことである。
   衰えたと言えども、今でも、アメリカは、唯一の覇権国家であり、高等教育と知の集積においては、聳え立っており、雲霞の如く世界中の俊英が集っており、切磋琢磨していて、これ以上大切な人類の資産はない筈である。
   成熟した経済大国である日本は、少なくとその資格はあるので、足元程度には近づける、アメリカのように知的立国を目指すべきだと思っている。

   ジェフリー・サックスが言うように、人類にとっては途轍もない貴重なパワーであり、未来を拓くカギではあっても、学問、特に、科学技術は、自由市場経済では、ひ弱な花であり、貴重な公共財として、強力な公共機関のバックアップで大切に保護して育てなければならないと言う鉄則を、今こそ死守しなければならないのだと思う。
   尤も、時には、科学技術は、両刃の剣であって、原子力のように毒にも薬にもなるのだが、それ故に、これをコントロールするために、益々、高邁な精神と高度な識見が、政府公共団体に求められるのである。

   知識情報化産業社会からクリエイティブ時代に突入した今、益々、学問科学芸術等創造的かつ革新的な知が求められており、世界中で、知の争奪戦とも言うべきグローバル競争が、熾烈さを極めている。

   ところで、特許と著作権は、正に、両刃の剣で、一時的な独占・寡占状態が続くと、ブロックされてしまって、それ以上研究が進まなくなったり、イノベーションが止まってしまうなど、弊害が多い。
   市場原理主義で、利益確保を至上命令と考えるアメリカ資本主義に徹したアメリカ企業などは、一刻も早く、特許や著作権を確保しようと必死の戦いを続けている。
   尤も、最近では、オープン・ビジネスやオープン・イノベーションの機会が多くなって、知財を開放する動きもあるのだが、まだ、主流になるには程遠い。

   ところが、山中伸弥教授は、そのブロック状態を避けるために、出来るだけ大切な特許を先取して、研究者や開発者に安くてリーゾナブルな条件で解放しようと決心して、必死になって研究を進めておられる。
   正に見上げた精神で、これこそ、日本人の最も誇りとする日本人魂であり、この精神を国是として推進して、日本が、知の集積によるグローバル知的センターとしての第一歩を踏み出す幕開けにすべきではなかろうか。

   
   脱線ついでに、日本クールと称えられている日本のソフト・パワーの活用について付言しておきたい。
   ジョセフ・ナイ教授は、国力の高揚のためには、ハード・パワーとソフト・パワーの適切なバランスを取ったスマート・パワーの涵養が重要だと言っているが、良かれ悪しかれ、日本は、ハード・パワーの強化に対しては、内外に対して問題があるので、ソフト・パワーの育成強化に傾かざるを得ない。
   ソフト・パワーとは、ウイキペディアをそのまま引用させて頂くと、”ソフト・パワー(Soft Power)とは、国家が軍事力や経済力などの対外的な強制力によらず、その国の有する文化や政治的価値観、政策の魅力などに対する支持や理解、共感を得ることにより、国際社会からの信頼や、発言力を獲得し得る力のことである。”

   私は、欧米で長く生活して来たので、色々な高度な異文化に接しながら、日本の持つソフト・パワーは、歴史的芸術的学問的に考えても、世界最高峰だと思っている。
   しかし、前述した民主党の仕分と言う暴挙によって、芸術文化関連予算が、ずたずたに減額されて、日本の世界に誇るべき珠玉の芸術とも言うべき世界遺産・文楽への公共的補助金を、日本の古典芸能の価値が分からない為政者が、文楽側が公開の場での意見交換を拒否したために、文楽補助金打ち切りを表明するなど、日本人が長い歴史をかけて血と汗で築き上げて来た古典芸能を窮地に追い詰め始めている。
   これこそ、欧米先進国では考えられないような、一種のバンダリズムであって、日本の貴重なソフト・パワーを弱体化させる最たるケースであろう。

   科学技術に対する政府の保護育成については前述したが、文化芸術も、市場原理では律し得ないひ弱な人類の貴重な遺産であって、高度な識見と高邁な英知が育てるべき貴重な人類の財産であることにはかわりはなく、公的保護育成が必須であることを強調して置きたい。
   学者scholarが、ギリシャ語のスコーレ(暇)の暇人から来ていることを考えても、素晴らしい人類の遺産である高度な文化文明、学問芸術、科学技術は、豊かさあって初めて生まれ出るものだと信じているので、金に糸目をつけるべきではないと言うのが私の持論である。
   日本が、国際社会で名誉ある地位を占めたいのなら、世界の知的センターを目指して、更に、価値ある高度なソフト・パワーを涵養することだと思っている。
   
   
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ビジャイ・ゴビンダラジャン~HBR:リバース・イノベーション

2012年10月10日 | イノベーションと経営
   ダートマス大のビジャイ・ゴビンダラジャン教授の「リーバス・イノベーション論」について、本格的に知ったのは、やはり、ハーバード・ビジネス・レビュー(HBR 2009年10月号)に載った「How GE Is Disrupting Itself」の記事であった。
   これは、GEのイメルト会長ほかとの共著であったが、イメルト会長が、これからの国際競争に勝ち抜いて行くためには、在来型の先進国発ではなくて、新興国発のイノベーションによって生まれ出でた国際化製品を如何に開発して行くかにかかっていると言うことを、熱っぽく強調していた。
   
   この記事では、ハイエンドの超音波診断装置を中国市場に売り込んだが駄目だったので、中国の開発チームがノートPCと先端ソフトウエアを搭載した低価格の携帯型超音波診断装置を開発し、価格が20万ドルから3~4万ドルに一挙に下がり更に1.5万ドルになったので、中国では農村部の診療所などに使われるなど大成功を収めたのだが、質の向上に連れて、その携帯性と小型簡便性が受けて、アメリカの救急隊や緊急救命センターで使われるなど大ブレイクして、ポータブル型超音波診断装置として、逆に先進国でもヒット商品となったと言うケースを紹介している。

   リバース・イノベーションとは、新興国でアイデアを生み出して製品開発し、国際商品として欧米日先進国市場に持ち込むと言うイノベーション手法で、
   先進国で開発された商品を、安くしたり質を落としたりしてローカル仕様に改変して新興国に持ち込むと言う「グローカリゼーション」とは、対極にある考え方である。
   グローカリゼーションで開発された商品は、新興国市場の最上位セグメント、すなわち、先進国と同様のニーズと資力を持つ購入者には効果的であっても、新興国市場における成長の機会の殆どは、中位以下の市場であり、これ等の顧客ニーズは、先進国の中位以下の顧客ニーズとは大きく食い違っていて、殆ど売り物にはならない。
   したがって、「新興国市場で成功したければ、新興国の中位以下のボリュームゾーンやBOPのニーズを満足させるような新興国市場のためのイノベーションが必要だ」と言うことで、リバース・イノベーションが必須だと言うのである。

   ゴビンダラジャン教授は、HBR2012年4月号の「A Reverse-Innovation Playbook」で、ハーマン・インターナショナルが実施したインフォテインメント・システムのリバース・イノベーションの成功例を紹介している。
   パワフルCEOが、GPSナビゲーション、音楽、動画、携帯電話、インターネットを統合したメーカー標準装置のシステムは、今後頭打ちとなると考えて、新興国向けのシステムを開発するために、設計から製造まで低コストのプラットフォーム構築を決意して、全く新しいアプローチを取るプロジェクトを命じて、中国とインドにイノベーションチームを作って、社内の強い抵抗を押し切って、リバース・イノベーションを成功させたのである。

   ハーマンの成功のポイントは、下からの根本的な改革と、上からの巧妙なリーダーシップとを組み合わせた二方向からなるアプローチで、まず、新興国の自動車メーカー向けにイノベーションを行い、その後、中価格帯の自動車を製造する先進国メーカーに売り込み、このモジュール化と拡張性によって成功した新しい設計手法と生産方法を、従来からの高級品市場に移行させるべく、リバース・イノベーションの第三段階に入ったと言う。

   前の論文では、イメルトは、GEがリバース・イノベーションに取り組むのは、自己防衛だ。シーメンスやフィリップスやロールスロイスなどの従来のライバルたちは、GEをノックアウト出来ないが、GEが、新興国でイノベーションを起せなければ、中国やインドの巨大企業に負けてしまう。と危機感をつのらせていた。
   しかし、今回、ゴビンダラジャンは、リーバース・イノベーションは、単に、新興国開発の製品を先進国に逆上陸させると言うことだけではなく、企業がイノベーションにアプローチする際の方向性を逆転させることを意味しているのみならず、正に、企業そのものを大変革する経営革新だと強調している。

   このゴビンダラジャンのリーバース・イノベーション論は、あくまで、先進国のMNCからの新興国でのイノベーションを論じているが、あのタタ・モーターズの2000ドルの超ミニカー・ナノに代表されるように、先進国企業の発想では到底生まれないような革命的な新商品は、いくらでも生まれており、BOP市場攻略経営戦略の先駆者である故プラハラード教授の「ネクスト・マーケット」など、多くのBOPビジネス関連書籍には、その例が沢山例証されている。
   このタタ・ナノは、ヨーロッパでもアメリカでも近く売り出されると言うことだが、ローエンド・イノベーションから、アメリカを席巻したトヨタの再来ということだろうが、瀕死状態の地球船宇宙号がグリーン革命を希求している今日、省エネ・省資源、最小限に切り詰めたイノベーションは貴重である。
   また、新興国市場であればこそ、逆説的だが、ICT技術など最先端技術をを最高度に駆使したイノベーションが生まれているなど、世界のビジネス潮流は、日本企業が知らない内に、大きく激動しているのである。

   日本企業の新興国市場へのアプローチは、自国市場向けに開発された製品を基本にして、大概は多くの機能を削ぎ落したり材料の質を落としたりして製品を改変して、安く価格設定して売っていると言ったグローカリゼーションの段階にとどまっているのではなかろうか。何時も論じているように、今や、日本製造業のお家芸である技術の深掘り持続的イノベーションの時代ではないのである。更に、破壊的イノベーションも、先進国から新興国・途上国に移りつつある。
   某日本企業のように、どうしても高くなる商品を、ユニリーバを真似て小分けして抵抗のない価格設定で売るなどと言った小手先だけの姑息なビジネス戦術では、新興国市場は攻略など出来る筈がない。
   50億のボリューム・ゾーンとBOP市場を如何に攻略して行くか、敗戦の塗炭の苦しみから立ち上がって、工業立国で今日を成した日本には、その戦略への知恵が充満していると思うのだが、後は、経営者のマインド・セット、意識革命と果敢なる挑戦であろうと思っているが、早ければ早い方が良い。

   このリバース・イノベーションや、プラハラードのBOPビジネスには、小刻みながら、何度も、このブログで書いているが、新しく出版されたゴビンダラジャンの「リーバース・イノベーション」については、まだ、読んでいないので、ブックレビューに譲りたいと思っている。
   
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