熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

社員再教育、日本は最低だと言う

2018年01月10日 | 経営・ビジネス
   今日の日経夕刊トップに、「社員再教育 日本は最下位と言う記事が掲載されていた。
   勤務先は費用負担するのは4割で、男女格差が著しいと言う。

   今でも、私の友人の中には、日本の労働者は最高の知識や技術を持っており、日本の経済力は世界屈指の実力を維持しているなどと思っている者がいるのだが、これ程時代錯誤が甚だしいことはないと思っている。
   
   まず、真っ先に感じているのは、海外留学制度の退潮である。
   以前にも、米国の知日知識人が、ハーバードの日本人留学生が5人だと嘆いていたと書いたことがあるが、いくら何でも5人だとは思えないが、雲霞のごとく押し寄せている中国人留学生と比べれば、雲泥の差で今昔の感がある。
   冒頭の社員教育の貧弱さにも呼応するが、Japan as Np.1の頃、日本経済が破竹の勢いで快進撃する少し前頃から、日本の主な大企業は、社員の海外留学制度を設けて、若い社員を、欧米のトップクラスの大学院や高等教育機関、あるいは、MNCなどの先進的大企業や国際組織に、留学生を送り込んで、社員を教育していた。

   私も、その恩恵に預かって、トランプと同窓のウォートン・スクールでMBAを取得して、欧米などで仕事をしてきており、ヨーロッパでの事業で私と一緒に働いたスタッフの主な者は、欧米のMBA取得者やスタンフォードなどで学んだエンジニアや、欧米企業での研修留学を経た者たちであったので、欧米ビジネスマンたちと互角に渡り合って、仕事が出来たし、何の怖気も不安もなかった。

   海外留学には、賛否両論あって、これ以上の議論は止めるが、今でも、欧米、特に、アメリカのトップ大学や高等教育機関の実力とその凄さは、想像を絶するほどのものであることは疑いの余地のない事実であって、ここで学び、世界に雄飛してグローバルに通用するコスモポリタン社員を育成しない手はないと思う。
   ところが、貧しくなって成長意欲の萎えた日本企業は、殆ど、この虎の子の海外留学制度を止めてしまって、また、日本の若者たちも、海外へ出ようとしない。
   現在、日本人留学生の大半が、語学留学であったり短期間だと言うのだが、これではほとんど意味がなく、欧米のトップ高等教育機関で、世界の優秀な若者たちと、丁々発止のバトルを繰り広げて、切磋琢磨しなければならないと思う。
   今、アメリカのトップ大学のMBAを取得するためには、少なくとも、2~3000万円掛かると聞くが、個人では、費用のみならずキャリア上も無理で、キャリア・ディベロップメントの一環として組み込まれた企業なり政府機関なりが、海外留学制度を整備することが、一番良いように思う。

   尤も、冒頭に書いたように、「社員再教育 日本は最下位」と言うことで、勤務先が費用負担するのは4割だと言うのでは、海外留学制度などは、夢の夢かも知れない。
   それに、名だたる大企業でさえ、社員をこき使ってブラック企業リストにランクされるような日本の現状であるから、植木等の時代とは雲泥の差で、サラリーマンとは、気楽なもんではないのであろう。

   もう一つ、社員教育における日本の企業の良さは、オン・ザ・ジョブ・トレイニング(OJT)にあった。
   アメリカでは、プロフェッショナルを育成するためには、プロフェッショナル・スクール、すなわち、ビジネス・スクールやロー・スクール、エンジニアリング・スクールやメディカル・スクールと言った大学院制度が整っていて、ここでマスターやドクターを取得した者が、即、プロとして役に立った。

   ところが、日本では、大学はあくまで基礎学力をつけるだけの基礎機関であって、その企業に役立つ一人前のプロは、企業での仕事を通じて教育訓練されると言う、いわば、企業がプロを育成するプロフェッショナル・スクールの役割を果たした。
   エンジニアでも10年くらい徒弟奉公しなければ一人前のエンジニアにはなれなかったし、文科系でも、どこの学部卒かは関係なく、色々な部門を回りながら勉強して、すなわち、OJTで事務屋として一人前になって、専門業務に就くと言うのが一般的であった。
   ところが、バブルが崩壊した頃からであろうか、企業に余裕がなくなって、OJTが作用しなくなって、大学が旧態依然の体たらくであるから、研修や教育の機会を失った社員の質がどんどん劣化して行ったという。
   このあたりも、日本企業の国際競争力の低下原因ではないかと思う。

   さて、本題に戻るが、今や、ICT革命が時代の潮流を激変させてしまって、並の生き方をして居れば、時代の流れについていけないし、どんどん、新しい仕事の流れに取り残されて、アメリカのトランプを熱烈に支持したラストベルトの低学歴のプアーホワイトのように、経済社会から排除されてしまう。
   しからば、社員の再教育は、企業生き残りのためには、絶対に必要な最重要課題である筈で、このままでは、益々、日本経済が沈んで行く。
   AIやIOT全盛の時代であって、高度に専門化が進んでいるので、OJTは勿論、貧弱な企業内教育では、キャッチアップ不能であって、特別な専門機関へ社員を送り込むなど、益々、社員教育にコストをかける必要がある。
   日本企業の大半は、社員の知的武装や技術武装への教育費用を、避けたいコストだと考えているようだが、ドラッカーが口を酸っぱくして説き続けていたように、これを投資だと考えられないところに悲劇がある。
   どうするか、日本企業。教育投資如何が、その企業の命運を分けよう。
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自動運転はグーグルの世界なのであろうか

2017年11月14日 | 経営・ビジネス
   ジョン・マルコスの「人工知能は敵か味方か」を読んでいて、当然のことだと思うのだが、自動車は、最早、自動車メーカーが主導権を握れる産業ではなくなったのではないかと気づいたのである。
   電気自動車が脚光を浴び始めると、イーロン・マスク率いるテスラモーターズが、一気に、躍り出たを見ているので、驚くことはないのだが、基幹産業である自動車産業さえも経営コンセプトが大きく変わる時代となったと言うことである。
   グーグルが開発を進めている自動運転によって、カメラがパソコンの周辺機器に成り下がってしまったように、自動車メーカーも下請けになってしまう可能性があると言うことである。

   異なる事業構造をもつ企業が、全く異なるルールで、同じ顧客や市場を奪い合う競争、いわゆる、異業種間競争が当たり前になってしまった今日、予想もしない分野から突然新しい競合企業が現れて、成長産業を、一瞬に葬り去る下剋上の出現も珍しくはない。

   さて、自動車産業では、今、自動運転が最大の話題となっており、製造販売が、間近と噂されている。
   しかし、興味深いのは、既存の自動車会社が、自動運転に注目し始めたのが、それ程早くなくて、むしろ、研究機関やICT企業が、人工知能の開発と言う切り口で先行していたと言うことである。
   
   自動運転は、元々、DARPA(国防高等研究計画局)が先行していて、DARPAチャレンジ競技でのグーグル・プリウスの快進撃に、アメリカ自動車産業の揺り籠であるデトロイトにさざ波を立てたと言う。
   自動車産業は、車は人間がドライブするもので、自動走行すべきではないと言う従来のポジションを守っていて、自動車産業はほぼすべてコンピューターテクノロジーに抵抗していて、「コンピューターにはバグがある」と言う哲学に固守していた。
   2010年春、実験的なグーグルカーのうわさがシリコンバレーで聞かれるようになったが、グーグルは、AIや世界を変える未来的な技術による奇抜なプロジェクトを推し進めている、名目上は、インターネット検索を提供する会社が何を、当初はばかげた話に聞こえた。と言うのである。

   しかし、グーグルは、2008年に、全米のあらゆる通りに建つ建物やビルのデジタル画像をシステマチックに撮影するストリートビューカーを作り、翌年には、公道やハイウェイを走る走行車を作り、自動走行システムを踏査し下小さなトヨタ・プリウスを走らせていた。
  360度回転するライダーが1台、屋根から30センチの高さに着けられた奇妙な外観のこのトヨタ車は、よく走っているグーグル・ストリートビユーカーと勘違いされたので気付かれなかったと言う。

   自動車業界は、車にコンピュータ・テクノロジーやセンサーを搭載させてはいたが、その取り組みは極めて緩慢で、グーグルの大躍進に震撼したデトロイトは、かって、マイクロソフトがウインドウズが業界スタンダードとなって、業界の利益は殆どマイクロソフトに流れて、ハードウェア・メーカーの製品は低マージンのコモディティに成り下がったのと同じ脅威に晒されていることを悟った。

   特筆すべきは、グーグルのグローバル・マップのデータ・ベースが、グーグルのアプローチに随分役立っていると言うことである。
   グーグルは、自走車プログラムの開始から、自動車業界では不可能だと思われる領域でも、大変な距離を自動走行してきたが、インターネットでバーチャルなインフラを作ってこれを行なった。
   「スマート」ハイウェイには膨大なコストがかかるが、その代わりにグーグルは、グーグル・ストリートビューの精密な世界マップを使ったのである。

   2013年末までに、6社以上の自動車メーカーが自動走行車の開発を発表し、今日では、はるかに、自動走行事業は進展しており、自動運転車の実現も間近だが、このAIを駆使した自動運転は、所詮、ICT技術の世界であり、自動車メーカーが、果たして、グーグルに勝てるのかどうか、破壊的イノベーションの擡頭とその帰趨を浮き彫りにしているようで、非常に興味深い。
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C&Cユーザーフォーラム&iEXPO2017 を垣間見て

2017年11月10日 | 経営・ビジネス
   NECの、C&Cユーザーフォーラム&iEXPO2017 が、東京フォーラムで開催されて、2日目に参加した。

   私が聴講したのは、10日午後の次の二つのセッションであった

   活用で考える、これからの日本のあり方
   ~社会課題解決型AIのデータ解析の事例から~

   東大坂田一郎教授
   京大柴田悠准教授
   NHK阿部博史ディレクター
   草野満代 氏

   NEC未来創造会議

   ニューヨーク市大ミチオ・カク教授 
   「WIRED」誌 ケヴィン・ ケリー創刊編集長
   東大松尾 豊准教授 
   将棋棋士羽生善治氏
   慈眼寺住職 塩沼亮潤 大阿闍梨
   評論家 荻上チキ氏
   ロフトワーク林 千晶代表取締役
   NEC江村克己CTO


   NHKスペシャルの新シリーズ 7月22日に放映したと言う『AIに聞いてみた どうすんのよ!?ニッポン』を題材にして、AIを活用して実際社会を分析、
   その経緯なり、プロジェクトの成り立ちが興味深かった。

   メモを取っていないので、
   NHKの説明を引用すると、
   人間がどうにもできない社会問題。解決の一手をAI(人工知能)に聞いてみた。
課題山積の閉塞した状況を打破するため、NHKは世界にも例を見ない「社会問題解決型AI」を開発した。AIが学習したのは、経産省や総務省の公の統計から、「ラブホテル」の数や「ラーメン店舗数」といった身近なデータ、さらには20代から80代までの個人を10年以上追跡調査している大学のデータなど700万を超えるデータ。それをAIの得意技である“ディープラーニング”や“機械学習”、そして“パターン認識”を駆使することで、日本社会の知られざる姿を明らかにした。見えてきたのは、思いもよらないデータどうしが連動し、日本を動かしていたという事実。そこから読み解かれたのは、社会への奇抜な提言だった!

   今回、この講演で話題にされたテーマは、次の2点、
   健康になりたければ病院を減らせ
   40代ひとり暮らしが日本を滅ぼす

   病院を減らせについては、財政が破綻した夕張を例にして、病院が減少して、住民たちは自己防衛のために健康管理に注意した結果、病気が減ったと言うケースで、バナナを食べることが増えたと言う因果関係(?)についてもレポート。
   40代の独身は、249万人、人口の2%、に過ぎないのだが、
   空き家が増えて、出生率がダウン、・・・とにかく、良いことが少ないと言う。

   非常に示唆に富んだデータや論考が出てきて、社会問題の解決のヒントになるのみならず、“失われた20年”の社会の閉塞感を打ち破るためにも、恰好のデータが集められるというのだが、誰かの提言や示唆だと言うと角が立つのだが、人知の集大成「神の声」だと言うニュアンスで受け止めればよいと言うことであろう。

   これも、ディスプレイされたのだが、メモが取れなかったので、NHK記事を借用すると、
   日本未来を変える鍵 TOP100の上位は、

   1位 核家族世帯数 
   2位 40代ひとり暮らし率
   3位 病院数
   4位 女子中学生 肥満指数(平均的生徒)
   5位 平均婚姻年齢(初婚男性)
   6位 自動車保有数
   7位 "できちゃった婚”率
   8位 平均寿命(男性)
   9位 老衰死亡者数
   10位 婚姻件数
   11位 国民医療費(一人あたり)
   12位 60代以上ひとり暮らし率

   なるほどと思えるものもあるのだが、これ何?と言うのもあって面白いのだが、注意を喚起するのには良いが、真面目に対応しておれば、果てしなく切りがない。
   いずれにしろ、ビッグデータを駆使したAIの世界の一端であって、興味深いと思うのだが、そのデータをどう受け止めるのか、処理が難しいであろうと思う。

   「NEC未来創造会議」は、
   国内外の有識者が集い、今後の技術の発展を踏まえながら「実現すべき未来像」と「解決すべき課題」、そして「その解決方法」を構想する活動で、本講演では、年間を通して実施してきた、NEC未来創造会議の活動報告を始めて公の場で公開する。と言う事であった。

   ミチオ・カク教授とケヴィン・ケリー編集長が、AIやIOTの世界の未来の動向について、基調講演を行った。
   私にとっては、これまで、関係本を読み続けており、あっちこっちで得た知識や情報の域を出ていなかったので、特に、参考になるようなことはなかった。
   未来予測については、当たるも八卦当たらぬも八卦と言うと語弊があるが、あくまで、参考だと思っている。
   ナシム・タレブではないが、ブラック・スワンの世界である。
   とにかく、異分野もよいところで、各界の超一流の識者が集まっての思いを吐露した発言であったので、非常に興味深かった。

   iEXPO2017の展示会場は、講演の合間に見ただけなので、十分ではないが、
   AIが名作文学の読後感を珈琲の味わいで再現と言う「飲める文庫」に足を止めた。
   AIと珈琲のプロがコラボしブレンドコーヒーを開発
   と言うわけで、私は、森鴎外の「歌姫」を貰って帰った。
   コーヒー豆:ブラジル、グァテマラ、東ティモール
   ロースト:フレンチロースト と言うことである。

   面白い発想だが、このコーヒーが、好まれるかどうかは別問題かも知れないけれど、マドンナを感動させられるのは、どのような小説の珈琲が良いのか興味のあるところである。
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朝日デジタル:書店ゼロの自治体、2割強に 人口減・ネット書店成長

2017年08月24日 | 経営・ビジネス
   ヤフーを開いたら、朝日デジタルの「書店ゼロの自治体、2割強に 人口減・ネット書店成長」と言う記事が目についた。
   ゼロ自治体が多いのは北海道(58)、長野(41)、福島(28)、沖縄(20)、奈良(19)、熊本(18)の順で、ほとんどは町村だが、茨城県つくばみらい市や、堺市美原区、広島市の東・安芸両区の3行政区さえもゼロだと言うから、驚く。
   千葉県の某市で、産婦人科がなくて出産に隣町に行かねばならないと聞いてびっくりしたことがあるが、医療同様に、書店の地方空洞化が進んでいるのであろう。

   読書は、私の人生そのものであるので、これまで、本のことについては随分書いてきた。
   8年前に、「本を読まない日本の大人、特に四国人」と言うブログ記事で、文化庁の国語に関する世論調査「読書量の地域格差」を引いて、
   ”月に一冊も本を読まない大人が、全国平均38%もいて、四国は最悪でダントツに悪く、60%もの人が本とは全く縁がないと言うのである。
   仕事や生活によって本と関わりのある人がかなりいるであろうから、極論すれば、四国の普通の人は、平生は本など全く読まないと言うことであろう。”
   と書いた。
   日本人の大人が、このような体たらくであれば、子供の読書離れは当然で、地方の本屋が、どんどん潰れるのは仕方がない。と言うことであろう。

   今、丹羽 宇一郎の「死ぬほど読書 (幻冬舎新書) 新書」がベストセラーだと言う。
   アマゾンの内容紹介に、次のように書かれている。
   本を読む人にしか、わからないことがあるーー。
   もし、あなたがよりよく生きたいと望むなら、「世の中には知らないことが無数にある」と自覚することだ。すると知的好奇心が芽生え、人生は俄然、面白くなる。自分の無知に気づくには、本がうってつけだ。
   ただし、読み方にはコツがある。「これは重要だ」と思った箇所は、線を引くなり付箋を貼るなりして、最後にノートに書き写す。ここまで実践して、はじめて本が自分の血肉となる。
   
   そんなことを考えて読んだことはないが、全く異存はない。
   少しでも真実を知りたい、美しいものに触れたい、真善美を求めて行脚する喜びは、何物にも代えがたい幸せであるとは思っている。
   私の場合、線を引いて付箋を貼ると言うのは同じだが、書き写す代わりに、このブログで、ブックレビューとして残しており、私自身の拙い知的遍歴の軌跡でもあると思っている。

   これは、読書癖と言うか、私の人生における習慣の一部で、生活のリズムにビルトインされてしまえば、惰性とは言わないまでも、日々の喜び生きがいになっているので、特に、それを意識することもない。

   この記事で、思うのは、確かに、「人口減・ネット書店成長」によるリアル書店への打撃は大きいと思う。
   アマゾンを叩けば、ロングテイル現象もあって、殆ど探せないような古い貴重な本まで、探せて手に入るし、今のところ、どんな本でも、送料無料か送料257円で、即刻、送られてくる。
   それに、画面には、関連本など情報満載で、新しい発見があり、町の書店とは雲泥の差。
   アマゾンのマーケットプレイスやブックオフで、新古書を見つければ、最新の新刊本が、2~3割安で買えるので、書店へ行って、再販防止で高い定価の本を買う必要もないと某読書家は宣っている。
   しかし、この「人口減・ネット書店成長」と言う現象は、何も本だけではなく、ビジネス全体に与えている影響で、百貨店の淘汰まで言われている時代であり、時代の潮流であるから、紙媒体の本の維持存続のみならず、リアル書店としての魅力を追求して本屋存続を実現する以外に方法はないであろう。
   
   ロンドンにいた時、ピカデリー通りのハッチャーズ書店(1797年創業)によく行って、時には、何時間も過ごしたことがあったが、今、私が行っている東京や横浜のトップ大型書店は、何処も、雑なスーパーもどきの雰囲気で、そんな魅力のある店は、一つもない。
   新しい知的な出会いを期待して出かけて行くのだが、やはり、書店の醸し出す文化的な雰囲気と言うか、そこで過ごす何とも言えない心地よさ知的な喜びを味わう至福観と言ったものも、大切なのであろうと思う。

   全く蛇足ついでに記すと、私の親しい友人だが、読みたい本があれば図書館へ行くと言うのが二人いた。
   京大の経済を出た老人たちだが、これでは、本屋が潰れても仕方がないと思っている。

   この口絵写真は、中国の無錫:恵山古鎮にある恵山書局と言う書店である。雑誌や一般書籍などは殆どないようで、かなり、程度の高い格調のある書店のようで、学生や学者風の客が、熱心に本を品定めしていたのだが、文化の薫り高い静謐な雰囲気が、何とも言えなかったのを思い出す。
   下の写真は、魯迅達文化人を育んだ上海の内山書店の内部と内山完造の像だが、ロンドン・シティのロイズ・コーヒー店と同じように、貴重な文化文明の一里塚の布石となったのである。
   これこそ、本当の書店であろうと思う。
   
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「チケット AIが値付け」と言うのだが

2017年07月16日 | 経営・ビジネス
   今日の日経朝刊に、「チケット AIが値付け 三井物産、まずプロ野球で試行 順位や需給に応じて変動」と言う記事が掲載された。
   人工知能(AI)を活用して、過去の実績をもとに需給を予測したり、現状の需給などに応じて、チケット価格を随時変えて行く仕組みで、興行主の収入を最大化することができると言う。

   実際に、三井物産は、ソフトバンクとヤクルトの主催試合の一部座席を、ぴあやヤフーと共同で試験的に価格を変動させ始めた。球団から依頼を受けてデータ解析を施し、座席ごとに最適な価格帯を示している。のだと言う。
   欧米では、既に実施済みで、機械学習を使ったアルゴリズムによりチケット価格を算定してチケットの価格変動サービスを手掛けているニュースター社と提携する。と報じている。
   これは、プロ野球などのスポーツイヴェントだけではなく、コンサートやホテル業界でも利用されており、可変的なチケットの価格システムが、受け入れられつつあると言うことであろう。

   売れ残ったチケットの処理については、もう、何十年も前から、ニューヨークのブロードウエイや、ロンドンのウエストエンドなどには、パーフォーマンス・アーツの当日公演のチケットを半額で売っているチケットブースがあったりして、賑わっていたのを覚えている。
   ロンドンに駐在していた頃、サドラーズウェルズのイングリッシュ・ナショナル・オペラのボックスオフィスで、開演前に、当日券を半額で売っていたので、偶々仕事の都合で空きが出来た時には、上質なオペラ公演を楽しませて貰うことがあった。

   日本では、ぴあやイープラスや日経などで、売れ残っているMETやスカラ座やウィーンやロイヤルなどと言ったトップ・オペラハウスの高額チケットが、エコノミーだとかプレミアムエコノミーと言ったチケットに変わって、抽選になることもあるのだが、安く販売されることがある。
   利用したことはないが、国立劇場の文楽や歌舞伎などのチケットでも、時によっては、イープラスなどで、安く売りだされていることがあり、「得チケ」と言ったタイトルで、色々な公演チケットやエンターテインメントのイヴェントチケットが、バーゲン価格で提供されているので、思いがけない鑑賞が出来たりする。
   
   今回の「AI値付け」システムは、売れ残りのチケットを安く販売して席を埋めると言う手法ではなく、需要の高い人気公演のチケットは、定価以上に高く売り、売れないチケットは安くすると言う需給によってチケット価格が決まる時価販売システムと言うことになって、かなり、ニュアンスが違ってくる。
   このシステムになると、チケットの争奪戦が、激しくなるのを緩和する効果や、かなり早くチケットがはけるであろうし、売れ残りが少なくなると言った効果が見込めて、興行主にとっては、好都合なのかもしれない。

   先日、”「チケット高額転売防ぐ」と言うのだが”と”マイケル・サンデル著「それをお金で買いますか」”を、このブログに書いて、公演チケット取得について、問題点を検討してきた。
   今回のAI値付けシステムで問題にしたいのは、ただ一点、価格がダウンするのは良いが、価格が上がると言うケースである。
   それは、本来、庶民なり大衆が、挙って楽しむべきスポーツ・イベントやパーフォーマンス・アーツの世界に、経済格差を持ち込んで、金持ちだけが買うことのできるようなシステムを構築することにならないかと言うことである。
   異常な経済格差の拡大が、政治経済社会を機能マヒさせている今日、何でもカネで買える、金持ちだけが自由気ままに、財やサービスを押させて享受できる、そんなシステムを、この世界には持ち込んではならないのである。
   AIをフル活用して需給システムでチケット価格を決定するなどと言うのは、弱肉強食の市場メカニズムを野放しにすると言うことであって、上限なり、何らかのチェック作用を設定してシステムをフェアに運営する方法を考え出さない限り、格差拡大を排除できない。

   昔は、チケットを取るために、劇場の窓口に並んだ。
   ネット販売などほかの取得手段もあるにも拘らず、式能のチケットを買うために、国立能楽堂の窓口が開く前から、ファンが列を作っていたが、これは、この劇場割り当て分のチケットは、先着順にフェアに販売されることを信じているからである。
   サンデルは、ダフ屋が、ホームレスを並ばせてチケットを買わせて高額転売していると書いていたが、この能楽堂では、どこの席が空いているか、窓口に行かないと分からないので、どの席を選ぶかは、能狂言鑑賞に知識がある人かファンしか対応できないであろう。
   尤も、どの席でもよいと言う依頼者からの指示なら、窓口で、残っている席で一番良い席を、と言って買えば造作もないのだが。
   
   何でも、ICT革命で、IOT,AIが跋扈する世の中だが、こんな牧歌的なチケット取得システムが、続いて欲しいと思っている。
   チケットが高いか安いかを決めるのは、ファンに任せて欲しい。
  
   余談だが、先日、本人確認のスマホでの予約チケットが、高額転売されて摘発されたと言ったケースが起こったが、これは、入場直前に、ダフ行為者から、IDカードと交換にスマホを借り受けてなりすまし入場して、終演後、スマホを返すのだと言う、システムを逆手に取った悪知恵だった。
   政府が意図しているようにマイナンバー使用だと、多少は歯止めとなるかも知れないが、石川五右衛門ではないが、ダフ行為、金儲けの種は尽きまじ、ではなかろうか。
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第118回日産自動車定時株主総会

2017年06月27日 | 経営・ビジネス
   日産の株主総会も、実に大人しく事務的になってきた感じで、これが潮流だとしても、株式会社にとって最も重要なコーポレート・マネジメントなりガバナンスの機関として、これで良いのかどうか、疑問に感じた。

   今年は、都合がつかず、株主総会に出かけたのは、この日産自動車の株主総会だけ。
   朝10時の開会では、会場が東京では多少苦痛であり、鎌倉からだと、精々、パシフィコ横浜の総会くらいが、適当なのである。

   さて、私が気になった点は、2点。
   カルロス・ゴーンの報酬と日産がルノーの子会社かどうかと言う点である。

   まず、ゴーンの報酬についてだが、これは、毎回、問題になっており、目新しいトピックスでもないのだが、問題にしたいのは、相変わらず、毎年懲りずにオウム返しに繰り返しているゴーンの役員報酬決定手法である。
   日進月歩の業界の熾烈なグローバル競争に打ち勝つためには、有能な人材を糾合することが必須であり、そのために、専門コンサルタント会社のウイリス・タワーズワトソン社の徹底的な報酬解析調査を参考にして、日産に匹敵する利益を上げている多様性豊かなグローバル展開企業に見劣りしない報酬額を設定しなければならない。と言う。
   自身の16年度の報酬は、10.98億円(990万ドル)だが、同上調査のCEO平均報酬額は1770万ドル、最高額は2950万ドル、中央値は1600万ドルであったと言及し、暗に、これよりはるかに低いと言わんばかりの意味深な発言をしており、10年ほど前に設定した役員報酬額の上限29.9億円に対しても支払い実施額は19.5億円で、35%低いと、これも、控えめにしていると言った調子で、トーンダウンさせている。

   問題は、日産に匹敵する同業他社やグローバル展開の多国籍企業との役員報酬額を参考にして、業績と貢献度を勘案して、役員報酬を決めることが正しい手法なのかと言うことである。
   経営学上のイロハから言えば、業界などの報酬水準は、一つの参考指標にはなったとしても、本来は、会社の経営の根幹に触れるトレンドや経営戦略、サステイナビリティへの対応など多くの経営指標を考量して決定すべき筈であろう。

   それよりももっと重要なことは、カルロス・ゴーンが、あのピーター・ドラッカーでさえ、逝く寸前に甚く慨嘆していた役員報酬のgreedyとも言うべき異常な高さが、問題であり、そのもの自体が、所得格差の拡大を行きつくところまで行きつかせて、現代資本主義を窮地に追い詰めていると言う現実をどう考えているのかと言う問題である。
   他が高いのであるから、匹敵する有能な人材を確保するためには、引き下げるわけには行かないと言うゴーンの声が聞こえて来そうであるが、本質的な問題を直視して対決できないであろう、このあたりが、ゴーンの経営者としての資質の限界であろうと思う。

   更に、昨年、フランス2のスタッフが、ゴーンは、ルノーからも日産からも高報酬を取っているのが問題だと言っていたが、アライアンスと言う美名のもとに、両社から、フルタイム相当のCEO報酬を受け取っている。
   マネジメントをどう見るかと言う問題だが、日本の経営感覚から言えば、社外役員の報酬などは両取りの可能性はあっても、このような資本関係にある会社の役員報酬については、何らかの形で、一部減額するとか、戻入するとか、配慮してしかるべきだと思うのだがどうであろうか。

   もう一つは、従業員株主の質問で、日産は、ルノーの完全子会社の状態にある、マクロンが大統領になって、更に、この状態が進みそうだがどう思うかと言う問題である。
   この質問に対して、ゴーンは、かなり、神経質になって対応し、日産の18年の歴史を見て、どういった事実を根拠にして、そのように言うのか、一つでも根拠はない。日産がルノーの子会社であったら、全従業員がほかの会社のために働いたとしたなら、このような好業績と発展はなく、99年に230万台であったのが今や590万から600万台への躍進はなかった筈。
   この18年間、ルノーも日産も、パートナーのアイデンティティを尊重すると言う方針を貫いており、これこそが、アライアンスを成功させた要因である。と答えていた。

   その前に、ルノーは、日産の株式を、43.4%保有しており、資本関係から言っても、ルノーの子会社と言ってもおかしいとは思えないし、また、外人株主の保有率が、68.20%に達しているので、最早、所有関係から考えても、日産は、日本の会社ではなくなっている。と言う事実を認識しておかなくてはならない。
   生産、販売、従業員、その他、関係するステイクホールダーの殆どは、マルチナショナル・・・ゴーンが説くごとく、典型的なグローバルに展開する多国籍企業であり、最早、日本の日産では、なくなってしまっている。
   そのあたりの感覚のずれを、自らの従業員に、指摘されたゴーンの苦渋は察して余りある。

   いずれにしろ、このことについては、私など、日産がルノーの子会社だとは、それほど思っていなかったので、日産社員の指摘なので、現実に、やはり、そう言う風土なり経営傾向があったのかと、一寸驚きであった。
   フランス政府が、雇用の拡大など、ルノーを通じて日産を利用しようと言う意図なり風潮があったことは、以前に、フランス政府は、国内産業や雇用保護を目的として、2014年に通称「フロランジュ法」を制定して、これを適用する狙いで、筆頭株主であるルノー株を買い増したり、マーチなどの日産車のフランス工場での生産増加要請などで現実味を帯びたことがあった。
   しかし、実情はよく分からないが、フランス政府の意図を排除して、ルノーを通じての日産の経営への介入は、実質的には起こっておらず、ゴーンの指摘するように、お互いに経営に介入せずにアライアンスが成功している。
   これらは、レバノン、ブラジル、フランスと言った多彩な異文化異文明のバックグラウンドを持ち、アメリカで経営の試練を受け日本で日産を窮地から救い出して一気に成長企業へ育て上げた、恐らく、世界屈指のマルチカルチュアー、マルチタレントの卓越した経営者カルロス・ゴーンあっての、離れ業のなせる偉業だと思っている。
   いずれにしろ、日産が、現在、厳然と優良企業として輝いていることは事実であり、この今日ある日産をここまで、起死回生を図れたのは、フランスやルノーの力と言うのではなく、あくまで、私は、カルロス・ゴーンの偉業あってのことだと思っている。
   
(注記)メモから書いているので、ゴーンの発言など正確ではないかも知れないが、ご容赦頂きたい。
   
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スーパーの子供娯楽コーナーのゲーム機

2016年12月29日 | 経営・ビジネス
   孫が、ガンバライジングで遊びたいと言うので、年末で多忙な両親の代わりに、出かけて行った。
   私には初めてで、良く分からなかったが、仮面ライダーのゲームなのである。
  
   行ってみたら、この仮面ライダーのゲーム以外にも、おそらく、アニメのキャラクターを主題にアレンジしたゲームであろう、女の子のゲームもあって、同じように、パチンコ台のようなゲーム機に向かって、盤面のキーやボタンを叩いている。
   私は、パソコンでもそうだが、ゲームには全く関心がなく、パチンコさえしたことがないので、よく分からないのだが、5歳の孫は、手慣れたもので、何の抵抗も躊躇いもなく、ディスプレィを見ながら器用に機械を操ってゲームに興じている。
   この日、このガンバライジングのゲーム機が2台あるのだが、既に、1機は、30がらみの若者が使っていて、当然だが、孫と同じような格好で、熱心にゲーム機に向かっており、びっくりした。
   その青年は、カードを束になるほど持っていて、かなり、長時間ゲーム機に向かっていたが、子供のゲームと言っても、相当高度になっていて、魅力的なのかもしれない。

   何十年も前、丁度、インベーダーゲーム機が出始めた頃で、当時喫茶店などで置かれていて、人気を集めていた。
   このゲーム機を、酒も飲めなければ何の娯楽もないので、わが社のサウジアラビアの工事事務所に持ち込んで、社員たちが暇つぶしをしていた。
   今から見れば、子供だまし程度の、ゲーム機だったと思うのだが、結構、娯楽になっていたようである。

   ゲームを、ギャンブルと同列に論じるつもりはないが、いずれにしろ、これに、賭け事的な要素が、加わると、ギャンブル的な色彩を帯びるであろうし、その依存症と同時に、子供たちのゲーム漬けが心配となる。
   今の子供向けのゲーム機がどのようになっていて、どの程度、競争心なり闘争心を煽り、どの程度報酬的なものを与えたり、賭け事的な要素があるのかは私自身理解がないので、何とも言えないのだが、いずれにしろ、それ程、喜ばしいことではないように思う。

   スーパーの店舗の中に、このようなゲームセンター的な小さな子供の遊技場がある。
   在来型の遊戯機械の前には、殆ど子供がいなかった。
   常駐従業員は一人くらいで、殆どいないようで、トラブルでもあれば、大きな店舗なのでサポートが利くので、ゲーム機や機器さえ備え付けておけば、ビジネスになるのであろう。
   隣接して、おもちゃ売り場がある。
   店舗として、子供を呼び込むことによるパラシュート効果もあるのであろう。
   興味深かったのは、両替機が備えつけられていて、1万円の高額紙幣を替えられることである。
   
   
   

   昨今、カジノ法案というか、カジノ解禁を柱とする統合型リゾート(IR)推進法が問題になっていたが、私は、ギャンブルそのものが、人間の本姓に根ざすものであって、法で規制する埒外の世界だと思っているので、
   政府は、ギャンブル依存症の対策をまとめた法案を来年の通常国会に出す方針だと言うが、すでに、競馬や競輪、競艇といった既存の公営ギャンブルのほかに、20兆円産業と言われるパチンコなどが存在している以上、今更、と言う気がしている。

   私は、モンテカルロやラスベガスやアトランティックシティのカジノへは、行ったことがあるし、ロンドンやアムステルダムなどのカジノを覗いたことがある。
   ラスベガスで、スロットマシーン程度はやったが、しかし、見学が目的で行ったので、雰囲気を味わっただけで、賭けるようなことはしていない。
   欧米の文明国のみならず、発展途上国でもカジノが行われており、カジノがあるからと言って、即、ギャンブル依存症が蔓延して社会問題になるとも思っていないし、自民党が言うように、経済社会の発展に寄与するなどとも思っていない。
  アメリカの場合、ラスベガスのほかに、トランプが入れ込んでいたアトランティックシティが有名だが、都市全体をカジノ特区のような特別な総合レジャーランドにしなければ成功などありえないであろうし、熟成と歴史も必要であろうし、それでも、アトランティックシティを見ればわかるが、浮沈も激しい。
  カジノが、あるかないかが、それ程、大きな問題だとは思っていないし、あってもなくても、行く人は行くであろうし、殆どの人は、関心がないのではないかと思っている。
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おもちゃの価格変動は家電並み

2016年12月23日 | 経営・ビジネス
   この口写真のおもちゃは、バンダイの「仮面ライダーエグゼイド DXマイティブラザーズXXガシャット」である。
   別売のベルト「仮面ライダーエグゼイド DXゲーマドライバー」にセットすれば、変身できると言う寸法である。
   クリスマス商戦を意識したのか、本日12月23日発売で、ビックカメラやヨドバシカメラなどの量販店のネットショップでは、予約で完売と言うか、早々に、販売終了であった。

   ところで、この商品の価格だが、ビックカメラでは、メーカー価格2,500円と書いてあり、アマゾンとヨドバシカメラでは、販売価格ないし参考価格として2,700円と書いてあり、バンダイのHPでも記載はないので分からないのだが、恐らく、定価は2,500円+税と言うことなのであろう。
   ビックカメラのネットショップでは、ビック特価: 1,980円 (税抜) 税込:2,138円となっていて、一番安い。ヨドバシカメラは、税込みで、2,430円。
   アマゾンでは、先日までは、完売で、マーケットプレイス出品者の販売を提示していたが、最低はアマゾンの2,700円で、その他は、送料を考慮すれば、3,000円以上で、価格は、まちまちであった。
   おかしなもので、今日発売日になって、アマゾンが、また、2,700円で販売を開始し、マーケットプレイスの価格も下がっている。
   発売日を経過した今日から、一気に価格が下がる筈である。
   (参考:翌日の今日24日、アマゾンでは、送料込みで、参考価格: ¥ 2,700 を、 価格: ¥ 2,209 通常配送無料 OFF: ¥ 491 (18%) で売っている。子供に対して、こんなビジネスは、適切なのであろうか。)


   何故、「仮面ライダーエグゼイド DXマイティブラザーズXXガシャット」に拘るかと言うことだが、孫に、どうしても欲しいと言われて、ネットで買おうと思って、とりあえず、いつものように、インターネットで、アマゾンとビックカメラとヨドバシカメラを叩いたら、23日発売と言うことで、夫々、完売ないし販売終了で買えなかった。
   一応、楽天やヤフーなどの他のネットショップを調べてみたのだが、3,000円以上するし、何時、送られてくるのかも不明であり、知らない新しいショップでもあり信用できないので、諦めた。

   孫を失望させるわけにもいかないので、当日23日、午後に、国立能楽堂に行くことになっていたので、まず、大船のヤマダ電機に立ち寄り、取得できなかったら、横浜のビックカメラなり量販店に行って買ってみることにした。
   結局、朝、10時半頃に、大船駅前のヤマダ電機に行ってみたら、そこは、アップルやソニーの販売とは違って、別に子供が並んでいるわけでもなく、一つ求めることが出来た。
   2,250円+税で、2,430円で、やはり、定価は2,500円+税で、10%引きと言うことなのであろう。

   ここで、面白いと思ったのは、子供のおもちゃの価格さえも、家電製品やカメラやパソコンの価格と同じような仕組みで決定ないし変動していることで、これまでは、販売時期を過ぎてから、おもちゃを買っていたのか、かなり、ディスカウントされた価格で安く買っていたことを思い出した。
   市場価格が原則であるから、トイザらスなどの価格破壊が、街のおもちゃ店を駆逐したと言うことであろうが、流通経路なりシステム如何で、子供のおもちゃさえ、値段が、市場に翻弄されると言うことである。 
   それに、販売前だと、量販店は、いざ知らず、他のショップでは、予約販売と言う形で、かなり、高値で売り出すと言うことが分かって、興味深かった。
   昔、マドリッドで、4公演あるオペラのチケットの価格が、前半の2日分が、後半の2日分の2倍であったことを思い出したが、ものを買う時には、早起き鳥は、三文の得にはならないのである。

   私見だが、子供のおもちゃくらいは、マルコウと言わないまでも、再販売価格維持制度のようなシステムで、ある程度、維持した方が良いのではないかと思ったりしている。
   孫など、最近は、仮面ライダーエグゼイドに入れ込んでおり、DXゲーマドライバーを腰に巻いて、5~6個のガシャットを差し込んで操作しながら、派手なアクションで恰好をつけて遊んでいるのだが、コンピューターを内蔵したICT機器おもちゃなので、色々加えれば、万札が飛ぶほど、結構コストが掛かっており、どんどん、エスカレートして行く。
   
   この本論とは、関係ないのだが、今日のおもちゃ購入で、気付いたことは、おもちゃについては、ネットショップより、リアルショップの実店舗の方が、買い易いと言うことで、最近の趨勢とは一寸違って、面白いと思った。

   先日、テレビや新聞で、ネットショップの急拡大で、中国では、実店舗の売り上げが激減して、どんどん、商店が潰れて行き、中国版シャッター通りを生み出し、日本のスーパーも、中国の店を、9店舗から4店舗閉鎖して、少しずつ撤退していると報道していた。
   また、ほんの1~2年前まで、中国人観光客の爆買いで、活況を呈していた日本の百貨店の売り上げが、何も日本まで来て重い荷物を背負って買って帰らなくても、ネットショップで何でも便利に調達できるので、日本の百貨店も、一気に売り上げが激減して閑古鳥が鳴き始めたと言う。
   確かに、銀座を歩く中国人が減って、荷物やスーツケースを持つ観光客が殆どいなくなってしまっている。
   これ程、至れり尽くせりのネットショップ時代になると、リアルショップは、余程の魅力と特色がなくては、生きて行けない。

   この逆を行って、価格コムを見れば分かるが、市況によって瞬時に価格が乱高下して、客を翻弄し始めている、おもちゃをネットで売る買うと言うシステムの歪みを、今日、味わったような気持がして面白かった。
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ウォルマート ネット販売に重点を移す

2016年10月07日 | 経営・ビジネス
   日経ネットに、「ウォルマート、ネット注力 店舗・鮮度てこにアマゾン追う 」と言う記事が掲載されていた。
   2016年1月期は世界で4821億ドル(約51兆円)を売り上げたウォルマートだが、前年同期比では0.7%減で成長は頭打ちで、その不振の大きな原因は、アマゾンの台頭で、ネットに店舗の顧客が奪われている。と言うのである。
    状況の打開を狙って、ウォルマートは、今後2年間で20億ドルをネット販売事業に投じて、特に、野菜や肉などの生鮮品をネットで受注して、店舗や施設で引き渡す新サービスを展開すると言う。

   Order online! FREE pickup at store と言う訳である。
   walmart.comを開けると、クレジット・カードを開けば、250ドルまで10%ディスカウントすると広告が出ており、ネットで注文すると、いつでも、3%ディスカウントされるようである。
   ネット販売強化において、ウォルマートが、アマゾンと異なる最大の利点は、「店舗とデジタルの融合」に重きを置いている点で、生鮮品のネット販売だと、基本的に店の商品をその場で詰めて配達するため簡単にサービスを始められ、全米に約4600ある店が、そのままネット事業の拠点として生きる。生鮮品の鮮度管理では、アマゾンよりはるかに優れており、全米に163の物流センターから、7836台の冷蔵庫付きトラックで配送し、「店舗」ビジネスで積み上げた資産で独自色を打ち出せると言うことになる。

   しかし、ネット販売は、バーチャルだが、ウォルマートは、全米で膨大な実店舗を保有し、約150万人が働く国内最大の民間雇用者で、店舗が身軽なはずのネット事業の効率性を損ないかねない。実店舗での雇用コストは、ネット専業のアマゾンには生じにくく、競争上不利であり、また商品によっては消費者が「ネットで買えばいい」と割り切るものもあり、実際にも、衣料品では17年までにアマゾンが全米トップの小売り業になると予想される程、アマゾンが先を走っている。
   アマゾンに対抗するために、最大の書店であったバーンズ&ノーブルが、ネットショッピングを始めて挑戦したが、実店舗との競合などに苦慮し苦境に立っていて、実店舗を保有する巨大企業のネットショップへの転身では、成功した会社が殆どないようである。

   しかし、ウォルマートは、カメラとフィルムのイノベーターであり最大かつ最高の会社であったコダックを、使い捨てカメラで、追い落とした実績を持っており、何しろ、世界最大の最もイノベイティブな企業であるから、どのような凄いネットショッピング戦略を打って、アマゾンに挑むか未知数であろう。
   膨大な資金力を駆使して、ITベンチャーを相次ぎ買収して、ネット販売では、本社のあるアーカンソー州ベントンビルではなく、カリフォルニア州の別組織で約2500人を雇用し、店舗を生かしたネット用の最適物流の分析や決済ソフトの開発を進めていると言うから、威力を発揮して、商業システムに、想像を超えた革命的変化を齎すかも知れない。

   ウォルマートは、今や、既に54年の歴史を持つ巨大企業だが、押しも押されもしない世界最大のグローバル企業になったとしても、何となく、田舎臭い、そして、色々問題も多くて垢抜けしないイメージがあったように思うのだが、やっと、まだ、3%に過ぎないと言うネットショップへ軸足を移そうとしている。

   ところで、今日の日経の朝刊に、「セブン&アイ、百貨店縮小」と言う記事が掲載されていて興味深く読んだ。
   私は、バーゲン価格だと言っても、コンビニやスーパー主体の会社が、シナジーを考慮したのか何を考えたのかは知らないが、欧米先進国で、何十年も斜陽の一途を辿っていた百貨店を、何故、買収して業域に組み入れたのか、疑問に思っていたので、当然の決断だと思っている。

   アマゾンの快進撃を思えば、既に、小売業の趨勢は、前世紀末から見えていた筈。
   このセブン&アイとウォルマートの日経記事を面白く読ませてもらって、今昔の感を感じている。
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NHK BS・・・中国に吹くレコードの風

2016年09月01日 | 経営・ビジネス
   昨夜、NHK BSの国際報道2016を見ていたら、シリーズ風で「アナログが新鮮!中国に吹くレコードの風」と言うレポートを放映していた。
   日本でも、デジタル全盛の時代でありながら、アナログ志向のレコードに人気が出てきたと報道されていたので、珍しい傾向だとは思わなかったが、共産革命や文化大革命の嵐が吹き荒れた中国では、歴史から、すっぽりとレコード全盛時代が抜け落ちていたので、特別な思い入れがあるようである。
   レコードを持ち寄って鑑賞会を開くのが流行っているようで、戦前のレコードを復刻したり、新しいレコード・プレーヤーを製造する会社が現れたり、レコード人気が、台頭しつつあると言う。
   とにかく、市場が巨大であるから、動き始めると、一気にスパークするのが、中国経済の特徴でもあり、面白い現象だと思う。
   
   
   

   さて、中国の話はともかく、私などは、いわば、レコード世代であるから、レコードについては、色々と、思い出がある。
   若い頃は、音楽鑑賞に明け暮れていたので、演奏会にも行けば、レコードも良く買った。 
   しかし、大学出の初任給が、22,000円で、1枚レコードが2,000円であったから、おいそれとは買えなかった。
   そんな時代であったから、名曲喫茶が流行って、入り口のドアに、演奏中のクラシックのジャケットが飾ってあって、店内には、静かにレコード音楽が流れて、客はじっと聞き入っていた。

   私が、レコードを買い始めたのは、丁度、モノラルからステレオに移行し始めた時期で、レコードもプレイヤーも、両方併存して売られていた。
   すぐにステレオ・プレイヤーに切り替えたが、最初は、真面なハイファイ・ラジオを持っていたので、もう一台ラジオを買って、ステレオプレイヤーに繋いで聞いていた。

   最初に買ったレコードは、リーダーズ・ダイジェストの12枚組の名曲全集であった。
   大学に入った頃で、時空を超えて世界中の人々が鑑賞して楽しんでいるクラシック音楽を、価値も分からずに生きると言うことは、味気ない生活を送ることになり人生を棒に振るも同然だ、と考えて、とにかく、ベートーヴェンの「運命」や「田園」、シューベルトの「未完成」、チャイコフスキーの「悲愴」から入って、分かっても分からなくても、聴き続けたのである。
   不思議なもので、次には、三大ヴァイオリン協奏曲や三大ピアノ協奏曲を聴こう、フルトベングラーの「第九」が良さそうだ、ブルーノ・ワルターの他の交響曲やカラヤンのモーツアルトのオペラも聴きたい、と言うことになって、どんどん、レコードが増えて行った。
   勿論、並行して、ウィーン・フィルが来日すれば出かけるし、月給の半分をはたいて、来日したバイロイト祝祭劇場の「トリスタンとイゾルデ」を聴きに行くなど、一気にスパークしてしまった。

   その後、アメリカへ留学したので、真っ先に、アカデミー・オブ・ミュージックに出かけて、フィラデルフィア管弦楽団のシーズンメンバー・チケットを取得した。
   その後も、サンパウロ、アムステルダム、ロンドンに移り住んで、過半はヨーロッパで、トータル14年を過ごしたので、オペラやクラシック音楽、ミュージカルやシェイクスピア等々、勿論、世界遺産や博物館・美術館なども、文化芸術鑑賞には、恵まれた生活を送ることが出来た。

   ところで、レコードだが、国内海外とも、移転が激しかったので、何度も処分しようと思ったのだが、幸い、何百枚か、古いレコードケースに残っている。
   何十年もそのまま、開かずに、倉庫や納戸に眠っているので、どうなっているか分からない。
   最近は、その後沢山買ったCDやDVDさえ、聴いたり観なくなってしまったので、偶には、プレイヤーを買って聞いてみようかと思うこともあるのだが、まだ、その機会はない。

   レコードは、アメリカ留学時に、ペンシルベニア大学のブックストアで買ったものが、かなり、多くて、日本製の4分の1くらいはあるであろうか。
   尤も英語版なのだが、日本と比べて、質は高く、かなり、安かったし、結構、新盤などディスカウントされていたので、オペラなどセットものを買うことが出来た。

   その後、急速に、CD時代になったので、ロンドン在住中は、これも、日本より安かったので、随分買ったし、帰国前には、オペラや全集などのセットものを買って帰った。
   それに、ビデオと並行して、レーザー・ディスク(これは、システムが違うので日本製)も出ていたので、ビデオより良いと思って、これも、結構買ってしまっている。
   しかし、忙しかったこともあり、それに、テレビのオペラやクラシック放送を見ることの方が多くなり、また、DVDの方に関心が移って、CDを聞くことも少なくなってしまった。

   オペラ一つにしても、NHK BSで、結構、ザルツブルグやバイロイトなど素晴らしいオペラを放映してくれるし、WOWOWのメトロポリタン・オペラ・ライブビューイングを鑑賞するだけでも、かなりのエネルギーが必要である。
   それに、クラシックや、歌舞伎文楽、能狂言が加わることになる。

   ところで、私のレコードは、大半、クラシック音楽なので、時代の流れをあまり反映していないので、アナログのサウンドとの違いだけで、面白くないかも知れない。
   それでも、トスカニーニやワルターなどと言えば、戦前戦後だし、カラヤンでさえ、半世紀前の人であり、歴史を感じさせてくれるかも知れないと思っている。
   しかし、いずれにしろ、私にとっては、レコードは、完全に過去のものとなってしまっている。
   尤も、微かな雑音と針音がかする温かいサウンドは、懐かしい思いがぎっしりと詰まったわが青春の思い出の凝縮であるから、今でも、脳裏をかすめて愛おしい。
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AIづくり支える「文系」集団と言うのだが

2016年07月31日 | 経営・ビジネス
   朝日新聞のデジタル版で、”AIづくり支える「文系」集団 映画脚本家・詩人ら参入”と言う記事が掲載されていた。

   マイクロソフト本社のAIを使った音声認識ソフト「コルタナ」の開発チームで、「コルタナ」は、基本ソフト(OS)「ウィンドウズ10」を搭載したパソコンのほか、スマートフォン、タブレット端末で利用でき、話しかけるとAIがその意味を理解し、調べて答えを返してくれる。その「セリフ」をつくっているチームには、ハリウッド映画の脚本家や小説家、詩人、ジャーナリストたちが顔をそろえる。と言う。
    「AIが親しまれるようになるには、どんな言葉でどれだけ具体的な返事をするかがカギになる」ため、会話や架空の人物像を描き出す力が必要で、AIが発する「人間らしい会話をつくる能力がある脚本家や小説家、エッセイストなどにいきついた。と言うのである。

   また、AI開発に異業種の人が参入しているのは、マイクロソフトだけではなくて、ベンチャー企業ボタニックの「幹部のほとんどが文系」で、同社は音声認識に画像を組み合わせ、ネット上の人物と会話することで、子ども向けの冒険物語を展開するソフトなどを開発していて、社長ももともと画家で、幹部には修辞学の専門家や心理学者もいる。と言う。

   この記事に多少違和感を感じるのは、AI企業ないし事業の定義にもよるのだが、AIを、理系のテクニカルな分野のものだと規定してかかっていて、ふしぎにも、畑違いの文系が関わっていると言うニュアンスである。
   むしろ、この「コルタナ」の開発などは、AIを活用したビジネスモデルの構築であって、文系が関わらなければ、AIが発する生きた会話など実現不可能であり、成功など覚束ない。

   さて、AIとは、(社) 人工知能学会(社)のHPを見ると、
   人工知能の研究には二つの立場があります.一つは,人間の知能そのものをもつ機械を作ろうとする立場,もう一つは,人間が知能を使ってすることを機械にさせようとする立場です.そして,実際の研究のほとんどは後者の立場にたっています.ですので,人工知能の研究といっても,人間のような機械を作っているわけではありません.
   ウィキペディアによると、
   人工知能(英: artificial intelligence、AI)とは、人工的にコンピュータ上などで人間と同様の知能を実現させようという試み、或いはそのための一連の基礎技術を指す。
   コンピュータを使って、人間が知能を使ってやるのと同じようなことを、機械に、代わってやらせようとすることだと言うことであろうか。

   コンピュータ・チェスや将棋、東大入試をコンピュータに受けさせる、完全自動のミサイル防衛システムや無人戦闘機、ロボットカー等々、現在進められているAI事業にも沢山の分野があり、ゆくゆくは、人工知能が人間に対して反乱を起こす可能性など人工知能の危険性について警鐘まで鳴らされている。
   これまでの科学技術の進歩による事業なりビジネスの進展と大きく違うのは、人間の知能を装備したコンピュータ制御の機械が、人間の知能に、時には対抗したり凌駕する可能性があり、人間が制御できなくなる可能性さえ起こり得ると言うことであろうか。

   コンピュータの力を借りて、機械に人間の知能を吹き込んで仕事をさせると言うことだと考えれば、そのプログラミングや操作運用などは、テクニカルな理系の世界であろうとも、そのビジネスモデルの構築には、美意識や芸術性は勿論、モラル、社会的規範や公序良俗を十分に考慮加味しなければならないので、むしろ、文系がリードしなければならない世界である。

   多言は避けるが、むしろ、今後AIを進めて行く上に、考えなければならないことは、理系が突出してAIを進めて行くのは危険であり、理系文系両輪での開発推進が必須だと言うことである。
   このブログで、何度も書いて来たのだが、発明発見はともかく、イノベーションや新機軸など、新しいビジネス価値の創造には、多くの異文化異文明の遭遇、異分野の専門家たちの知識や経験のぶつかり合いや融合が、必須だと言うことであって、AIを、理系の分野だと思ってかかれば、手痛いしっぺ返しを受けるであろうことを肝に銘じるべきだと思っている。
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三菱東京UFJフィナンシャルグループ第11期定時株主総会

2016年06月29日 | 経営・ビジネス
   株主総会集中日であったが、結局、英国EU離脱問題直後であったので、金融機関がどのように考えているのか知りたくて、三菱UFJに出かけた。
   事情で遅れて入場し、既に会社説明が終わって質疑応答に入っていたのだが、株主質問で、会社は、このUK問題には言及しなかったことが分かった。

   Brexitについての質問に対しては、リーマンショック時と違って、金融機関には十分な体力がついて強固になっており、危機的な状況も起こっていない。今後、EUの枠組み如何によっては、影響が長引くかも知れないが、注視して対応したい。と言った説明であった。
   株主が、某社の株主総会では、為替対応にはすでに織り込み済みだととの回答があったと言っていたが、要するに、先が読みづらいと言うことでもあろうが、いずれも、この程度の対応のようで、大きなジオポリティックスなりジオエコノミクスの雪崩現象の始まりだと言う認識がないのが、一寸寂しい。

   このBrexitだけの影響ではないのだが、株価低迷についての株主質問について、平野社長が丁寧に答えていた。
   最大の要因は、金融市場の不安定、中国経済の悪化、Brexitなどによる経済状態が悪いことで、これに、国際金融機関からの規制強化、海外リスク、マイナス金利などの国際的低金利動向などが作用して、世界中の金融機関の株価が軒並みに低下している。
   これに対する対応だが、中期経営計画に乗っ取って構造改革を実施すると言った話は当然として、興味深かったのは、日銀のマイナス金利に対応した顧客のニーズに沿った商品の開発や、資金収益に依存しない経営、すなわち、手数料収入、助言アドバイス、資産運用事業などを強化したいと言う姿勢である。
   銀行の存在価値は、昔から、必要とする産業や企業に融資して、殖産興業に資して、経済社会の発展のために貢献することではなかったのか。

   三菱自動車については、結果的には、日産との統合によって、大きなアライアンスに参画することによって、開発部門のてこ入れなど問題の解決に期待していると言うことで、先にも、三菱商事のところで書いたが、ほっとしているのが、三菱グループの本音ではないかと思っている。

   特に、問題となる総会ではなく、平凡に終了した。
   いつも思うのだが、日本企業の株主総会は、肝心の議案に対する質疑応答は殆どなく、苦情処理や株主懇談会の様相を呈した年中行事に成り下がってしまっているような感じであるのが気になる。
   総会屋の是非はともかく、あの緊張感漲った株主総会は、過去のものになった。

   さて、この三菱UFJの総会の会場である武道館は、丁度、50年前に、ビートルズの公演が行われて、日本中を沸かせた記念すべき日。
   銀行も変わったが、世の中も様変わり。

   九段下のお堀端のカンゾウの花や堀の睡蓮がひっそりと咲いていた。
   
   

   昭和館の図書館で、とっと姉ちゃんと暮しの手帖の展示をしていたので、一寸立ち寄って神保町に向かって帰った。
   
   
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「出版物販売落ち込み最大」と言う本離れ

2015年12月30日 | 経営・ビジネス
   昨日の産経のネット版に、「出版物販売落ち込み最大 今年1.6兆円割れ 雑誌離れ響く」と言う記事が出ていた。
   「市場規模はピークだった平成8年の2兆6563億円の6割を下回る水準」と言うのであるから、日本経済が、バブル崩壊後大企業倒産ラッシュが起きた大変な頃と比べてであり、大変な落ち込みであることが分かる。

   しかし、その出版業界凋落の原因の多くは、経済の状況変化によるのではなく、おそらく、その原因の大半は、デジタル革命、インターネットの普及などによって引き起こされたICT革命によって根本的に変わってしまった文化文明の大潮流の変革のなせる業であろう。
   簡単で便利な楽しみや暇つぶしが無尽蔵に生まれ出た今日、もう、殆ど、特別な心構えなり多少の苦痛を耐えなければ入り込めないような紙媒体を相手にしての、真善美の追及や、娯楽や楽しみの世界への没入など、現代人には不向きになってしまったのである。

   それに、大きな影響を与えているのは、少子化高齢化。
   私の友人の多くは、歳とともに目が不自由になってきて、活字生活からどんどん遠ざかり始めており、親友の一人は、視覚障害者等のための音声図書やサピエ図書館などにお世話になって楽しんでいると言う。
   どんどん、高齢化社会が進行して行けば、いくら活字文化で育った世代でも、本から遠ざかって行く老人たちが増えて行く。
   それに、生まれた瞬間からICT革命後の生活が始まるデジタル・キッズにとっては、教科書さえ電子化されたものに変わってしまう筈で、紙媒体の活字本などから縁遠くなるのは当然の成り行きであろう。

   この頃、時々、趨勢を知るために、ブックオフに出かけることがあるのだが、当初から比べると、かなり、本の質もよくなってきており、それに、108円コーナーが過半を占めていて、定価の半額原則のほかの本も、本によっては300円程度に値下げするなど、随分、安くなってきている。
   それでも売れないと言うのであるから、これから見ても、本屋がどんどん倒産するのも当たり前であろう。

   この記事の後に、同じく産経だが、「「1冊も本を読まない」…47・5% 文化庁調査で「読書離れくっきり」」と言う記事が載っていた。
   文化庁が実施した「国語に関する世論調査」によれば、マンガや雑誌を除く1カ月の読書量は、「1、2冊」と回答したのが34・5%、「3、4冊」は10・9%、「5、6冊」は3・4%、「7冊以上」が3・6%だったのに対し、「読まない」との回答が最も多く、47・5%に上った。と言うのである。
   本と言う事で、半分の日本人が本を読まなくて、読んだ人でもまともな本かどうかは分からないので、大宅壮一が1億総白痴化と言った時代よりも、事態はもっと深刻である。

   読書減少の理由だが、最も多かったのは「仕事や勉強が忙しくて読む時間がない」の51・3%、次いで「視力など健康上の理由」が34・4%、「(携帯電話やパソコンなど)情報機器で時間が取られる」が26・3%、「テレビの方が魅力である」が21・8%-など。だと言うが、私は、殆ど理由にならないと思っている。

   いずれにしても、由々しきことは、貴重な紙媒体の活字文化が廃れると言う事は、ある意味では、グーテンベルグ以来の人類の文化文明の基礎とも言うべき最も重要なツールの退潮であることには間違いなく、営々と築き上げてきた貴重な人類の財産が消え行くと言う事であり、英知の衰退につながらなければ良いのだがと思わざるを得ない。

   話は飛ぶが、最近、鎌倉に移ってきて鎌倉を歩いているので、鎌倉関係の本を結構読んでいる。
   歳の所為か、古い本ほど味があって良い。
   永井路子の「私のかまくら道」などは、簡略すぎて追跡が難しいのだが、前世紀の雰囲気濃厚で面白いし、時代離れした語り口が何とも言えなくてよい。
   太陽編集部の「鎌倉 小さな豊かな町を歩く」は、2000年刊の本だが、高見順夫人の秋子さんたちが、終戦直後の混乱期に、鎌倉在住の文士たちが蔵書を持ちよって、鎌倉文庫と言う貸本屋を始めて結構繁盛して糊口を凌いだと言う話を紹介している。
   知に飢えた人びとが本に殺到して貪るように読んだ。飽食の時代の今日と違う。
   こういう時代こそ、本当に価値ある時代だと思う。

   私は、経済学や経営学と言う、殆ど、無味乾燥に近い殺伐とした本ばかり読んできたのだが、この頃、やっと、日本の古典を、もう一度紐解きながら、万葉や明日香、奈良や懐かしい京都の街々を歩いてみたいと思っている。
   その時は、やはり、色褪せた学生時代に読んだ本を小脇に抱えて歩きたい。
   そして、今、鎌倉に住んでいて、おそらく間違いなしに、ここが終の棲家になるのであろうから、もう少し、鎌倉文学館に通って勉強して、川端康成など鎌倉ゆかりの文士たちの小説をじっくりと噛みしめて味わってみたいと思っている。

   さて、読書習慣の定着については、子供たちの読書活動について文部科学省は「言葉を学び、感性を磨き、表現力を高め、創造力を豊かなものにし、人生をより深く生きる力を身に付けていく上で欠くことのできないもの」と強調して、平成14年以降、3次にわたり「子ども読書活動推進基本計画」を策定し、家庭における読み聞かせ教育の推進や、小・中・高校での朝読書の普及、公立図書館の整備などに努めてきた。と言う。
   あまり良い方法とは思えないが、親世代の大人が本を読まないのだから、学校側が、徹底的に、子供たちに読書習慣を身に着けさせるべく指導教育することである。
   話は違うが、日本の古典芸術の普及のためにも、同じ手法で、学習要綱に繰り入れて鑑賞機会を増やすなどして、鉄は熱いうちに鍛えるべしが定石である。
   真善美に対する真摯な姿勢を子供たちに徹底的に教え込むことこそ、教育の在り方であろうと思う。
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爆買い:中国ビジネスにヒント

2015年07月13日 | 経営・ビジネス
   銀座などに出かけると、正に、中国人旅行者による爆買いの凄まじさをあっちこっちで見かける。
   1980年代の、欧米を闊歩していた日本人旅行者が、高級ブランド店や百貨店などに殺到して、ブランド物や高級品を買いあさっていた姿を、まざまざと、思い出させるような光景だが、時代は繰り返すのであろう。

   ところで、東京の百貨店は勿論、コンビニまで、外人観光客の利便性を考えて、店舗に免税カウンターを急ごしらえで設置して、対応し始めたと言う。
   昔、ヨーロッパに居た頃、観光や観劇などそっちのけで、買い物だけを楽しみに来たと言って、パリとロンドンにやって来ていた新婚夫妻に会ってびっくりしたことがあるのだが、聞いてみると、中国人旅行者の中にも、買い物と日本食だけを目的に来日したと言う人たちも居るようで、舶来品を現地で買うと言う旅行の魅力は大変なようである。

   さて、今回話題にしたいのは、先にブックレビューしたスティーブン・ローチの「アメリカと中国もたれ合う大国」で、ローチが論じていた、今後中国が、輸出主導型から消費者主導型の発展戦略に、経済運営を大きく切り替えようとしており、消費革命とも言うべき大きなビジネスチャンスが、アメリカの輸出産業に生まれる、と指摘していることについてである。
   正に、萌芽期にある中国の消費市場は、需要源として大きな潜在力を秘めており、アメリカの輸出産業を再興させる完璧な呼び水になる。消費文化自体が中国にとって究極の輸入品となり、世界に冠たる大消費国アメリカから、製品・サービス・システム・経営の専門知識を獲得して大いに活用すれば、更に、経済社会の高度化に貢献して一石二鳥だと言うのである。

   典型的な消費者社会であるアメリカを考えてみれば、住居、家具・器具、自動車、電子製品、近代消費者社会のその他の飾り物等々、それも、アメリカンブランドの高級品や奢侈品に対するモノやサービスが、未開拓の開かれた中国の消費者嗜好を開拓できることは間違いない。

   更に、中国のサービスのGDP比は43%で、異常に低く、サービス産業化は必須であり、また、雇用の面からも、例え経済成長が鈍化しても、旧モデルの資本集約型・労働節約的な製造業から、新しい資本節約型・労働集約型のサービス業主導型にシフトすることによってカバーできるので、中国経済のサービス化への移行トレンドは間違いない。
   サービス貿易と言えば、通信・金融・運輸・卸売小売り・専門サービス等々、
   アメリカのサービス企業は、断トツで、中国の萌芽的なサービス産業に欠如しているプロセス設計、規模、専門知識・経営ノウハウなどに優位性を持っているので、大いにビジネスチャンスはある。
   アメリカの消費財産業やサービス産業にとっては、この中国経済の消費主体産業化への大転換は、千載一遇の大チャンスで、これを見逃す手はないと言うのである。

   さて、以上は、ローチによるアメリカ産業に対する所見だが、このことは、そっくりそのまま、日本の産業・企業に当てはまることで、同じアジア人の嗜好から言っても、日本の方がはるかに有利で、ビジネスチャンスは、多いと考えられる。
   私が注目するのは、中国人の日本における爆買い傾向で、正に、上方志向の本物への消費者革命が始まったと言うことは間違いない。
   今現在は、近くて円安傾向が幸いして、旅行費用も安いので、中国人が大挙して日本に押しかけて来ているが、これを逆手にとって、中国へのビジネスチャンスを拡大できないかと言うことである。

   日本人が、欧米に、爆買いに殺到していた時には、日本の百貨店が、ロンドンやパリに大挙して進出したが、日本のバブル崩壊で下火になると退却してしまった。近視眼も甚だしく、日本人客だけを相手に商売していただけであったからである。
   今回の場合、中国企業の進出がなく、中国人は日本の百貨店など日本人店舗に殺到して爆買いをしているので、この傾向はなかったが、これは、中国の小売など商業やサービス産業の貧困ゆえであって、事情が違っている。
   
   さて、中国の消費者市場やサービス産業市場において、今後商機が拡大の一途を辿るとすれば、どのような戦略が有効なのか。
   ローチは、輸出市場拡大のチャンスだと言うのだが、尋常な輸出や進出戦略では、通用するようには思えない。
   
   日本人観光客が、欧米に買い物に殺到していた時には、進出した百貨店は、品揃えに注意して世話するだけで良かったが、
   今回の中国の消費者革命に対処するためには、ただ、店舗をオープンして日本製品を並べて販促するだけではなく、トータルパッケージで、消費生活を提案するなど、コトを売り込み、メインテナンス・サービスも含めて、顧客の開発と維持管理に注力するなど、息の長い生きたビジネス展開をするなど工夫することが、大切ではなかろうかと思っている。
   私は、やはり、中国には、カントリーリスクがあると思うので、中国での出店は、パイロット・ファームやショップ程度に収めて、提案型のビジネス展開、すなわち、生活の質を提案販売サービスする知的価値創造型のビジネスが良いのではなかろうか。同時に、徹底的にICTを駆使して時代の潮流に乗ったビジネスモデルを構築することである、と思っているのだがどうであろうか。

   ローチの言うように、中国経済が、生産主体経済から消費主体経済へ、急速に変革しなければならないことは事実であり、豊かになった中国人が、更に豊かな消費生活を志向して行くことは確実であろう。
   しからば、どのような戦略戦術で、中国市場を攻略すれば良いのか。
   一説によると、ブランド志向はそれ程でもないが、身内などの口コミを重視するなど、中国人独特の消費財へのアプローチがあるようなのだが、十分リサーチするなど勉強して、
   中国人の爆買いトレンドを商機にして、如何に中国人の消費革命を起爆剤にするか、日本企業の経営姿勢が試されていると言うことかも知れないと思っている。
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日産記事が消えた~グーグルの不思議第二報

2015年06月30日 | 経営・ビジネス
   先日、25日に書いた私の「第116回日産自動車定時株主総会」の記事が、何故か、1ページ目に表示されていたグーグルの検索ページから消去されていたので、昨日「日産記事が消えた:グーグル検索の摩訶不思議」を書いた。
   ところが、その後、同じように、グーグルで「第116回日産自動車定時株主総会」の文字を打ち込んで検索してみたら、口絵写真のような1ページ目が表示されて、タイトルが、「第116回日産自動車定時株主総会」と全く関係ないにも拘らず、昨日の私の記事「日産記事が消えた:グーグル検索の摩訶不思議」が表示されたのである。

   何故こうなるのか、グーグルの検索の摩訶不思議の謎は解けないのだけれど、読者の方が、このタイトルに興味を感じてクリックして、私のブログを開いて、私の「第116回日産自動車定時株主総会」を読むことになれば、誰かが何かの目的で、グーグルの検索から消去した筈のこの記事が、再び、目に届くことになる。
   消去した筈の私の記事が、不思議な形で蘇ると言うことになって、記事をグーグルの検索から削除した人の意図が、完遂されたのかどうか、興味深いところでもある。

   いずれにしろ、検索ページから、意図的にであろうか、記事のタイトルが消去されることがありそうだと言うこと、そして、検索ページに、不思議な現象が発生すると言う、稀有な経験をしたので、この事実を、記録として残しておきたいと思う。
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