熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

米軍基地を持つ日本はアジア太平洋の安全保障のための不沈空母か?

2010年04月29日 | 政治・経済・社会
   先日、WSJのオースリンの記事JAPAN DISSINGについて、日米関係を論じた。
   同時期に、ワシントン・ポストが、ジョン・ポンフレットの「日本が沖縄の基地移転に関する米国との紛争の解決に動き出した Japan moves to settle dispute with U.S. over Okinawa base relocation」と言う記事を、そして、英国のファイナンシャル・タイムズが、デイヴィッド・ピリングの「日本政府、日米同盟でぐらつく Tokyo wobbles on the America alliance」」と言う記事を掲載したので、これらの記事に関する感想を交えながら、日米関係、日米安保、沖縄の基地移転等について、もう一度考えてみたい。

   ビリングの記事は、ワシントンの核サミットでのオバマの鳩山首相への冷遇から書き始めて、この種の外交典礼に関してあまり深読みしすぎるのは間違いのもとだとしながらも、この軽視の本質には、1945年以来、東アジア安全保障の要であり続けた日米同盟がこれほど不安定な様相を呈したことは、何年もなかったことにある。鳩山新政権は、沖縄の海兵隊基地移設を巡る交渉を再開した所為で、ワシントンを苛立たせたのだと言う。
   しかし、普天間基地移設問題の諍いは、警告に過ぎず、その背後にあるもっと大きな問題は、東アジアで中国が台頭し米国の影響力が減退して行くと言う情勢変化に日本が取り組むに当たって、戦略再編が起きているのかも知れないと言う問題があるのだと指摘する。
   鳩山首相は、選挙前から、沖縄からの外国ないし県外への移転を説いていたし、小沢幹事長も第7艦隊だけで十分だと発言したり、いずれにしろ、これまでの沖縄だけに苦難を強いて来た基地問題に決着をつけて、平等な日米関係を構築しようと日米安保の問題も含めて見直しムードが日本全体に広がってきていたにも拘らず、アメリカは、普天間問題については、どんな代替案をも認めないと高飛車に突っぱねてきたのであるから、当然、両国の亀裂と格差は大きい。

   ビリングは、日米同盟は日本繁栄の礎石であって、太平洋地域における米安全保障政策に不可欠なもので、過去にも様々な騒動があったが、どうにか持ちこたえて来ており、この日米同盟がバラバラに解けてしまえば、その影響はあまりのも大き過ぎ、日米双方とも、そんな事態を容認できる筈がないと言う。
   日本は米国と米国の核の傘に絶対的に守られているが、それがなくなったら、独自に核武装するか、中国と新しい協力関係を結ぶか、どちらかの道を選ばねばならないが、両方とも無理であろう。これまでの、在日米軍削減の可能性をもてあそぶなど野党だからこそ許された贅沢とも言うべき馬鹿げた考えを捨てて、当面は、現実主義的政治を受け入れざるを得ないであろうが、しかし、20年先を見据えるなら、現状維持のままでずっと続くと予言するには相当な勇気が要ると言う。(Look two decades ahead, and it would be a brabe person to predict that the status quo can hold.)

   一方、ポンフレットの記事は、岡田外務大臣が、現在政府案として流布している2006年の同意案を大筋で呑んだ一部修正案を提示したので、この岡田新パッケジを米国政府が歓迎し、普天間基地移設問題は、解決に大きく近づいたと言う書き出しで始まっており、前述のビリングの記事とニュアンスが全く違う。
   
   私が注目したいのは、ポンフレットの日米同盟に関する米国の次のような見解である。(日本の安全保障などは、一言も書いていないし、眼中ににさえないことに注意。)
   ”日米同盟は、アジアにおけるアメリカの政策の要であり、何十年にも亘って、同地域の安全保障の基本であった。この同盟関係が、動揺すれば、この影響は、地域全体に伝播し、韓国からオーストラリアに至る政府に、米国の安全保障の将来について危惧を与える。”(The U.S. alliance with Japan is the centerpiece of American policy in Asia and has been a foundation of security in thw region for decades. As the alliance has mavered, concern has spread across the region, with officials from South Krea to Australia expressing worries about the future of the U.S. security role.)

   私は、前のWSJのオースリンの記事のコメントでも記したが、この日米安保の基本的な精神は、我々日本人が考えているように、米国が核の傘の許に日本を守ってくれるだとか、北朝鮮などの外国からの軍事的脅威に対して抑止力を持つとかと言った手前勝手な次元の問題ではなく、(それは、あくまで交換条件であって、)日本の米軍基地は、アメリカの安全保障政策の要の一つであり、アジア太平洋地域の安全保障の基地と言うべきで、いわば、日本は、アメリカの国益第一のアジア太平洋の安全を守るための不沈空母と目されて来たのである。

   アジア地域の国々は、日本の軍事大国化に対しては極めて拒否的だが、わが日本は、自国を自分自身で守ると言う独立国家の独立国家たる由縁の誇りさえ投げ打って平和主義を貫いて来ており、更に、戦後50年の間、米軍の存在を受け入れて、アメリカの国益第一とは言えアジア太平洋の安全保障の基地を提供し続けて来た。
   その日本の平和維持のための貢献や役割に対して、アメリカから正当に評価され、アジア太平洋の国々なり人々が、一顧だに注意を払ったことがあったであろうか。
   
   私は、日米安全保障と普天間基地移設については早期解決を望んでいるが、今の政府案で決着しても、沖縄の犠牲を継続することとなり、日本だけが不沈空母である必要は毛頭ないであろうし、もっと基本的な問題であるアジア太平洋地域における安全保障のあるべき姿とか、正常かつ平等な日米関係のあり方等には一切手付かずに決着することとなり、憂慮に堪えない。
   しかし、何度か沖縄を訪問しており、普天間近辺は勿論、沖縄の人々が、米軍基地があるが故に、長年に亘って如何に苦しい生活を強いられているのかを思うと、居た堪れない気持ちでもある。
   五月末と言わずに、緊褌一番、何が、日本およびその国益にとって、そして、沖縄の人々にとって最善なのか、世界平和のことも勿論だが、今こそ、真剣に知恵を絞って考えるべきであろう。
   

   
   
   
   
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日航の撤退による地方経済への影響

2010年04月28日 | 経営・ビジネス
   日航の再生計画が、新稲盛体制によってドラスティックに行われつつあり、国際線の減便のみならず、多くの地方空港からの撤退や減便が計画されている。
   日航の経営と言う視点から見れば、採算に合わない、あるいは、経済効率の悪い路線からの撤退や減便は、死活問題であり当然の経営戦略であり、実施しなければならない業務なのだが、地方自治体にとっては、地域の経済や住民生活にとって、大変な打撃となるので、16道県の知事たちが路線存続要求に国交省を訪れたと言う。

   これまでの日航は、いわば、国策会社として、政財官のトライアングル癒着とも言うべき悪弊によって、雨後の筍のように建設された必要性さえも怪しい地方空港にも、飛行機を飛ばしていたのだが、この自律性を無視した経営体制が日航の経営を圧迫してきた。
   一方、今や、自民党体制が推し進めてきた地方にも大都市圏と同じようなユニバーサル・サービスと言うか、国民に等しく平等な生活を営む権利を保障するような政策を取れなくなってしまっており、進行しつつある地方経済の疲弊と悪化が、深刻な地域格差を惹起し、日本経済社会そのものの健全性を蝕み始めている。

   しかし、実質倒産した日航再生とその経営の健全化のためには、その路線撤退が地方経済に与える影響などを考慮する余地も余裕もない筈なのだが、辻元副大臣が、全くネットワークがなくなる地域では経済を直撃するので、それはそれで議論すべきだと発言して政治介入の含みを残したと言う。
   日航のサービスを公共財として捉えるかどうかだが、日航を完全に民営化して再生を図るのなら、経営への政治的介入は絶対に避けるべきであって、もし、少しでも国交省が稲盛経営に介入すれば、元の非効率な国策会社への逆戻りとなる。
   地方自治体への路線運行については、如何に地方自治体なり地方経済が日航に協力なり経済的サポートを提供出来るのかを競わせて条件が合えば実施すれば良いのである。

   藤田勉氏が、「ブルーオーシャンとコーポレートブランド」と言う本の中で、JALは再生できるかと問うて、適切な経営戦略が実行されれば、十分に可能であると考えられると書いている。
   JALの経営の失敗は、政府による経営の介入、複雑な労使関係、社内抗争、年金基金の財政悪化、世界的な航空不況だとして、ANAと比較して、年金の問題以外はANAにも大なり小なり当て嵌まる問題で、大きな違いは、若狭杉浦退任後以降の経営の安定だと言う。

   藤田氏は、成長する企業と衰退する企業は何が違うか、企業の成長を左右するのは、①技術(サービス)、②ブランド、③資産、④人材、⑤経営者 だとして企業を分析しているが、最も重要なものは、経営者だとして、永守重信社長、柳井正社長、三木谷浩史社長などの名前をあげて、成長企業にとって不可欠な要因は優れた経営力だと説く。
   従って、JAL再生の可能性の根拠は、稲盛和夫と言う優れた経営者をリーダーとして頂き、更に、JALの資産、人材、技術(サービス)、ブランドは、今でも一流であることで、経営力だけが劣り、他の4要因が優れた会社の再生は比較的容易で、その好例が、JRであり、日産自動車だと言うのである。
   
   優れた経営とは、何なのか、どのような経営を言うのであろうか。
   これこそ、経営学の根本的な命題であり、非常に難しい問題であるのだが、そのことは別にして、私自身は、藤田氏の見解には賛成で、その意味からも、JAL再生計画については、稲盛経営体制に自立的な経営権を与えて、極力政治介入を避けるべきだと思っている。
   再説するが、地方路線の存続については、あくまで、経済ベースで議論すべきであって、地方からの経済的サポート等が採算ベースに乗らなければ拒否するなど、市場原理に従うべきだと考えている。
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アメリカの日本切り捨て(JAPAN DISSING)時代~マイケル・オースリン

2010年04月27日 | 政治・経済・社会
   ウォール・ストリート・ジャーナルの電子日本版4月23日号(原文は、WSJ asia 22日)に、『冷え込む米日関係ージャパン・パッシングならぬ「ジャパン・ディッシング」』が掲載された。
   このオピニオン・コラムの筆者マイケル・オースリンは、保守的なアメリカン・エンタープライズ研究所の日本部長で、WSJのコラムニストであると同時に、多くのメディアで、日米関係に関して論陣を張っている論客であり、貴重な知日派の学者の一人である。
   しかし、JAPAN DISSINGとは、穏やかならない発言であり、これまでの、ジャパン・バッシングやジャパン・パッシングとは違った、かなり強烈な表現で、普天間問題を筆頭とした鳩山政権に対するアメリカの苛立ちが、如実に現れている。

   disと言う動詞を辞書で引くと、「ばかにする」「侮辱する」「悪口を言う」「けなす」と言う訳語が出てくるが、要するに、disrespect, disapprove, dismissと言った単語のdisであるが、WSJの日本語訳では、dissingを、「切り捨て」と訳しているのだが、これに従うとしても、そのニュアンスは大きく違う。
   少し前に出たWSLのアル・カーメンの「Among leaders at summit, Hu's first」で、核サミットで、鳩山首相がオバマに会って貰えずに、お情けで晩餐会の席で横に座らせてもらって10分間ほど会話を許されたが、最大の敗者だったと揶揄されたあの記事よりはましだとしても、日本を馬鹿にして侮辱する時代になったとは、容易ならざる表現である。

   いずれにしろ、鳩山内閣の煮え切らない対応に対しては、問題があるとしても、どうでも良い客には会っても、日米安保50周年を祝った世界で最も重要な同盟国日本の首相が会談をしたいと申し込んでいるのに袖にするなどと言うのは、外交儀礼上もあってはならないことで、オバマの態度は正に言語道断である。
   もっと情けないのは、このオバマの態度に対して、誇り高い日本の政治家も識者もメディアも、そして、一般国民も、何の効果的かつ強力な抗弁もせずに、谷垣氏を筆頭に鳩山首相の馬鹿さ(?、本人が国会の党首討論の場で認めてしまったのが致命的)加減のみを揶揄していると言う卑屈さである。
   この日本を、オースリンが、JAPAN DISSIGと言う表現で、昔の「日本を叩こう」、「日本を無視しよう」と言ったスローガンと同じで、「日本を馬鹿にしよ」うと言うのが、アメリカ人の日本に対するスタンスなら許せないと同時に、アメリカがそのような態度を取るなら、日本人にも考えがある言うことである。

   ところで、ここまでは、やや感情的な私見だが、オースリンのWSJ記事にしろ、アメリカン・エンタープライズ研究所のホーム・ページに所収されているオースリンの著述にしろ、タイトルのニュアンスとは違って、かなり、穏健で適切な日米関係を論じていて参考になる。

   去る3月17日の米国議会の外交小委員会で、オースリンが呼ばれて、日米関係と日本政治の新時代について「U.S.-Japan Relations: Enduring Tiees, Recent Developments」と言うタイトルで証言している。
   鳩山政権の誕生から日本人の世界観の変化や、アメリカ離れからアジア回帰への動向、環境立国政策等々問題多き日本の政治経済社会の現状を、かなり客観的かつ公平に論述しており、日米関係の重要さとその正常な維持が、国際平和と発展のために、如何に、大切かを説いている。
   やはり、日米関係の帰趨を制しているのは、中国の存在とその経済軍事的な台頭で、これに対して、日米がいかなるスタンスを取るかによって、日米関係の将来は大きく変わって行く。

   沖縄などの米軍基地の存在は、最早、アジアのいかなる国も受け入れを拒否している以上、貴重であるばかりではなく死活問題となる最後の生命線であり、アメリカとしては、地位協定や思い遣り予算が大きく変わらずに普天間基地移転問題が成功裏に収束することが、何よりも大切なのであろう。
   オースリンは、日本が、まず、アメリカがアジア太平洋地域における軍事力を縮小して防衛と平和の維持の責任を軽減するのではないか、次に、中国を必須のパートナーとして日本を軽視するのではないかと恐れていると言うのだが、アメリカも同様に、日本の中国への接近を恐れていて同じだとして、むしろ、中国の軍事大国化のほうが危険だと言う。
   そのためにも、日本における米軍基地の存在は必須であり、日米関係の重要さと、その正常な維持の大切さを説いている。
   しかし、この日本での基地を前提にした米軍の存在が、アジア太平洋地域の総ての人々に歓迎されていて、この地域における平和をアメリカが保障することを願っているのだと言われると、何故、日本だけが、これ程までに犠牲を払ってまで、アメリカに協力しなければならないのか、そして、この地域の平和維持に日本が多大の犠牲を払っているにも拘らず、何故、アジアの人々には、感謝さえもされないのかと言う気持ちで忸怩たるものを感じる。

   オースリンは、この1月に、AEIのために、「The U.S.-Japan Alliance:Relic of a Bygone Era?」と言う日米同盟50周年記念のために調査報告を発表している。
   タイトルの「日米同盟:時代遅れの過去の遺物か?」と言う微妙なニュアンスに注目すべきであろう。
   詳細は省略するが、オースリンが、この論文のキイ・ポイントとして、3点を指摘しているので、次に列記する。
   ● 日米安保条約は、過去50年間アジアの平和の維持のために貢献した。
   ● 隣の核兵器プログラムや中国の台頭する軍事力などの安全保障問題が、日米同盟の将来に重要な政治問題を提起している。
   ● 今日、オバマと鳩山政権は、お互いに、この同盟関係が、その安全保障戦略のキイ・エレメントとなるのか、過去の時代の時代遅れの遺物になってしまったのか、そのどちらであるのか決断しなければならない。

   私が、残念に思うのは、世界に貢献したいと言う日本自身が、確固たる世界観を明確にせず、かつ、日米関係のあるべき姿を想定した将来像ビジョンを持たずに、末梢的とは言わないが、普天間がどうだと言ったことばかりに現を抜かしていることである。
   日本が独立して早半世紀以上、世界一の経済力を誇った大国にも上り詰めて、世界中の賞賛を集めたことのある日本が、何故、確固たる信念を持ってアメリカに渡り合って、正しくて公正な日米関係を構築できないのか、鳩山バッシングに明け暮れている余裕などないはずである。
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ぼたん:昭和の夢が開花した

2010年04月25日 | わが庭の歳時記
   急に良い天気になり暖かくなったので、庭の牡丹が、一輪だけだが一気に開花した。
   昭和の夢と言うのだそうだが、この口絵写真のように、ピンクの一重だが、25センチ以上もある大きさで、紙のように薄い花弁を、風に揺れながら、昼には、おわんのように大きく開いた。
   しかし、日中に開ききった薄い花弁を、どこにそんな力があるのか不思議だけれど、夕方には、花弁を折りたたんで蕾のような形に戻るのである。
   チューリップのように日中運動ををしている訳であるが、それを毎日繰り返していて、ある日、大きな花弁を一枚ずつ落として行き、複雑で綺麗な蘂だけが残る。

   庭には、〆て9本の牡丹が植わっているが、この牡丹は、私が最初に植えた牡丹で、丁度、切ったバラの木の後に植えたのである。
   この花だけが一重だが、後は、皆八重や千重咲きで、赤、ピンク、黄色、白、それに、紫と花の形や色が、少しずつ違うのだが、今、夫々に、巾着のような形のしっかりとした蕾をつけていて、その先端からは、花色に似た綺麗な花弁の先が見えている。

   牡丹の栽培は、植え付けから開花まで、あまり面倒なことをしなくても、比較的苦労が少なくて、結構綺麗な花を咲かせてくれるので、楽だと言う感じがしている。
   秋から今頃の開花時期まで、園芸店で苗が売られているのだが、植え時期や植え方等ガイドブックには克明に書かれているのだが、私など、気に入った時に苗を買って庭植えしているだけだけれど、文句なく毎年綺麗な花を楽しませてくれる。
   秋には、すっかり葉を落として、茎だけ残るのだが、その枝にしっかりとした花芽が見えてくるので、その少し上で、枝を切り落とし剪定をするだけで良い。
   
   大概の牡丹の苗は、芍薬を台木にして接木をしているので、時々、根元から、台木の芍薬の芽を出すことがある。
   どんな芍薬なのか、その花に興味があるのだが、エネルギーが分散するので、すぐに、芽掻きをする。

   庭のミヤコワスレも、少しずつ開花し始めた。
   薄い青紫の野菊のような花で、菊のようにびっしりと咲かないのが良い。
   木の下の空間には、一面にスミレが咲いている。
   昔のことだが、犬の散歩道の路傍で、一株を貰ってきて植えたのだが、種が飛んで増殖したのか、いつの間にか、庭のあっちこっちに広がっていて、部分的には、深い緑の地肌に青紫の花を散りばめたようで、絵になっている。

   庭の春の草花も、残ったムスカリを除いて、チューリップだけになってしまった。
   自分でも、何をどこに植えたのかさえ記憶にないので、思いがけないようなところから、変わったチューリップの花が顔を出していて面白い。
   今咲いている椿は、一輪や二輪咲き残っている椿は別にして、真っ赤なさつま紅と崑崙黒である。
   黒い椿は、まだ木が小さいので、総て花が散ってしまった。

   この連休くらいには、残りの牡丹が咲き始めるのであろうか。
   バラも蕾が、はっきりと見えて来た。
   私の庭の風景も、来月には、一気に夏モードに変わるのであろう。
   
   

   
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民主党「仕分け」が伝統芸を潰す

2010年04月24日 | 政治・経済・社会
   事業仕分け第二段が始まったと言うので初日から話題をまいているのだが、悪人(?)に仕立てられた官僚や独立行政法人などが槍玉に上がって、水戸黄門よろしく、ばさばさと無駄(?)を切り捨てて行くのを見ている国民は、何となく溜飲を下げた気持ちで見ていて面白いのかも知れないので、日頃、槍玉に上がって苦しんでいるNHKまでが、嬉々として報道している。

   さて、昨年は、思慮の不足した仕分けチームが、スーパーコンピューターを滅多斬りにして、批難ごうごうとなり、鳩山首相が復活せざるを得なくなったケースがあったのだが、今回、日経ビジネスに、「敗軍の将、兵を語る」で、日本芸術文化振興会の茂木健三郎理事長が、『「仕分け」が伝統芸を潰す』と、「予算仕分け」の対象となり、組織の無駄を批判され、予算を削減されたとして息巻いているのを読んで、同じような腹立たしさを覚えた。
   「ケチコーマン」だと揶揄されるほど、お金には厳しい会社の元トップが、「本当に切り詰めて運営しており、これではやって行けない、日本人の魂であり日本の宝である伝統芸術を殺すのか」と、大変な剣幕であるから迫力がある。
   伝統芸術とは毛色の違ったバレエやオペラ、演劇などの舞台芸術を運営している新国立劇場を、別法人の同劇場運営財団に委託しているのが二重構造だと言われて批難され、天下りと目された理事長の遠山敦子元文部大臣も、民主党の「コンクリートから人へ」と言うキャッチフレーズが、如何に皮相で浅はかかを遠まわしに語っていて非常に興味深い。

   結論から先に言うと、色々あるだろうが、伝統的な文化芸術や技術、基礎科学などの研究開発および学術、スポーツなどと言った国民の文化文明の基礎となるような部門に対する分野への国家的な保護支援等は、コストパーフォーマンス的な考慮の埒外にあり、国家が積極的にサポートすべきであって、無用な口を挟むべきではないと思っている。
   仕分けが始まった時にも、ずぶの素人で知識も経験も乏しい未熟な政治家が、殆ど知識も経験もない分野の事業を短時間で斬った張ったすることが、如何に危険であるかを、このブログでも書いた。
   それに、当事者に、知性教養は勿論、会計学を筆頭に、かなりの高度なマネジメントに関する知識がなければ、価値ある有効な対応は不可能である筈である。
   そして、経済は一流(今は二流だが)、政治は二流と言われ続けていた日本で、何時、政治家が一流になったのかと言う疑問を呈し、その二流の政治家が、政治主導だと言って何もかも自分たちで推し進めようとする危険についても書いてきた。
   
   そのことはさて置き、文楽や歌舞伎、能楽、落語等の伝統芸術は勿論、オペラ、クラシック音楽、芝居等パーフォーマンス・アートに対する国立劇場などでの活動を通じての日本芸術文化振興会の貢献は、極めて大きい。
   茂木理事長の話では、運営費交付金は前年度の109億円から105億円へ、芸術振興補助金は51億円から44億円に減っていると言うことだが、使途は分からないが、世界文化遺産の文楽や歌舞伎や能楽などを守るための国家の支出としてだけだと考えても、例えば200億円は、法外な支出であろうか。
   文楽は、松竹から見放されて一時は崩壊の危機に瀕して、大阪市や国やNHKのサポートで命脈をつないで、今日の芸術性の高さと高度な質を維持しているのだが、日本芸術文化振興会のサポートがなければ、維持不能であったであろう。
   文楽協会の決算数字を見ると、事業活動収入6.9億円のうち1.57億円の補助金等収入があるが、この一部が、この振興会から出ているのであろうが、微々たるもので、しかし、それがなければ、文楽協会はやって行けない。
   日本の文楽の芸術性の高さと洗練さてた技術の卓越さは、世界的にも愁眉の的で、その舞台芸術への影響力の高さは、ライオンキングをはじめ、世界中の芝居やオペラを見れば良く分かるし、歌舞伎でも同様であり、正に、日本文化の粋とも言うべき誇りなのである。

   歌舞伎に対しても、国立劇場は、古い歌舞伎を掘り起こしたり、通し狂言の舞台を意欲的に展開するなど、多くの貢献をしており、能楽や落語など幅広い日本の伝統芸術の維持向上への働きは計り知れない。
   今時点でも、伝統芸術やオペラ等への文化芸術関連事業に対する政府の支出が十分かどうか疑問であるのだから、この事業の中核を握っている日本芸術文化振興会を締め付けて、政府のサポートの質と量を落とすと、間違いなしに、文楽や歌舞伎などの伝統芸術の質に影響を与え、日本の文化文明度や日本の価値(?)が低下することは間違いなかろう。

   民間の寄付で運営すれば良いとして、事業仕分けでも「寄付を増やすような制作体系が必要」と指摘しているようだが、寄付行為や民間のサポートが宗教や価値観によって伝統的に根付いている欧米と同列に考えるのなどは、正に、当事者たちの知識教養の無さを暴露しているのであって、その欧米でも、例えばオペラや交響楽団などへ政府公共団体が、如何に、手厚いサポートを続けているかを理解すれば、その皮相さが分かる。
   自分たちの文化の水準を如何に高く維持するかが、彼らの誇りであり生き甲斐なのである。

   良く分析してからの議論ではないので、これ以上の多言は慎むが、スーパーコンピューターと同じで、文楽も歌舞伎も、まともに見たことも鑑賞したこともない文化音痴の御仁の仕分けとしか思えなかったので、僭越ながら私見を綴ってみた。
   何よりも、日経ビジネスの茂木理事長の記事を読んで頂き、一度、半蔵門の国立劇場なり、大阪日本橋の文楽劇場に足を運んで日本の伝統芸術の今を見て頂くことだと思っている。
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春の花咲くわが庭でのひとりごと

2010年04月23日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   庭を見ていて、一番季節感を感じさせてくれるのは、やはり、花木なり草花などの花の移り変わりである。
   今年のように、急に冬を思わせるような寒い日が来ると、一挙に花の動きも止まってしまうが、桜もそうだが、そのために、花の命が長くなることがある。
   近くの公園のソメイヨシノもまだ、枝によっては花を残しているし、それに、葉の芽吹きも遅い。

   ところで、私の庭で、今咲き誇っているのは、チューリップと椿である。
   椿は、もう、終わりに近く、まだ咲いているのは、殆どが赤い花で、大きなポンポンダリアのようなさつま紅や、洋花として里帰りしたグランドスラムやブラックファイアなどで、後者は、紅蓮と言うか真紅と言うか深い真っ赤な大輪で、やはり、欧米人好みに品種改良されている。
   それに、季節の最後に咲くのは、黒椿で、まだ、崑崙黒は花を残しているし、ナイトライダーが咲き始めた。

   椿を見ていて思うのだが、何となく、季節の初めには、白やピンクなどの色の淡い花から咲き始めて、最後には、赤い色の濃い椿の花で終わるような気がしている。
   これは、クロッカスを見ていてもそうだが、まず、黄色い花から咲き始めて、色の濃い青紫系統の花に移っていくような気がする。
   ヒヤシンスも、そうかも知れない。
   
   勿論、これが、定説である訳でもなく、私が思っているだけで、現に、私の庭でも、この口絵写真の花富貴と言う美しいピンクの大輪の椿が、まだ、咲いていて、花の命は極めて短いのだが、綺麗な花を切って来て、バカラや気に入った花瓶に生けて楽しんだりしている。
  
   チューリップだが、私の場合には、出来るだけ種類の違った変わった花を植えることにしているので、花壇にもプランターにも、全く、色彩的な統一性もなければ、整合性もない。
   今年は、チューリップの球根を買い過ぎて、プランター植えを多くしたのだが、これが幸いして、思い思いの場所に移動して楽しんでいる。
   花を最後まで咲かせるので、翌年咲く球根は、育たないが、後で、小さな球根を庭に植えておけば、二年後くらいに、思わぬところから花が咲く。
   
   少し前に、暖かい日が続いた所為か、牡丹の蕾が急に大きくなって、先から少しずつ色づき始めた。
   ゴールデンウィークには、咲くかも知れない。
   芍薬の方は、蕾は着け始めているが、まだ、木の大きさは小さくて、大分遅れそうである。
   ユリも、大分、勢い良くびっしりと葉のついた茎を伸ばし初めて、花壇や鉢に、すっくと立ち上がった。
   花期は、芍薬より、少し遅くなるであろうか。

   今まで、中断していたバラの栽培を始めてみようと思って、オールドローズとイングリッシュローズの苗を2本ずつ買って来た。
   ヨーロッパに行く前だから、もう、何十年も前の話だが、近くの京成バラ園に出かけて10本ばかり大苗を買って来て庭に植えて、全くテキスト通りに育てたので、われながら、随分立派な綺麗な花を咲かせることが出来て驚きであった。
   その後、帰ってきてから、孫が生まれたので娘に危険だからと言われて切ってしまったのだが、その内、一本だけ、植木屋さんが切り忘れたキャプリス・ド・メイアンと言う裏地が黄色で表面が真紅のツートンカラーのバラだけが残って、毎年、花が咲いて楽しませてくれている。
   まず、今回は、庭が満杯で余地がないので、鉢植えでスタートすることにした。
   イギリスに5年間も居て、沢山の素晴らしいバラ園を巡って来たのであるから、恥ずかしい花を咲かせてはならないと思っている。
   
   バラの栽培は、病虫害に対する心配から施肥など、世話が大変なのだが、これから、バラの季節が始まるので、もう一度、京成バラ園に通って、バラ栽培の勉強をし直そうかと思っている。   
   椿や牡丹などと比べれば、バラは、はるかに手間隙が掛かって苦労が多い。
   しかし、あの何とも言えない儚いけれど優雅で豪華な美しさには、また、格別な魅力なり楽しみがあると言うことであろうか。
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御名残四月大歌舞伎・・・芝翫の「実録先代萩」

2010年04月22日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   夜の部の「実録先代萩」は、何時も、歌舞伎座で上演されているお馴染みの「伽羅先代萩」とは違って、河竹黙阿弥の明治時代の作品で、実録を基に作出されたものだと言う。
   政岡が、浅岡に代わるなど、登場人物の名前が変わるのはともかく、「伽羅先代萩」では、主君の身代わりとなって毒見をして死んでしまう実子千松(千代松)が、ここでは、国許から母恋しさに江戸屋敷を訪れて、幼君鶴千代(亀千代)の取り成しで対面するが、伊達騒動の最中で祖父伊達安芸や自分たちの戦いの妨げになっては駄目だとして、国へ追い返す子別れがメインテーマと成っている。
   千代松は、主君に諫言して手打ちになった白川主殿と浅岡との子供で、主殿が手打ちになった後、家名は断絶、母子は里に帰ったが、浅岡が、幼君の乳母になったので、幼い子供は、安芸の許に置いて出て来ているのである。
   
   千代松を国許から連れてきた片倉小十郎(幸四郎)の会ってやってくれと言う願いにも、わが子に会いたいのは山々だが、会えば情に引かれて幼君への奉公に妨げになると突っぱねるのだが、浅岡の子供なら会いたいと言う亀千代の命で対面する。
   懐かしさに縋り付く千代松を、親子の縁を切ったのだから母と思うなと、苦衷で泣き心で詫びながら言い聞かせようとする。
   亀千代が心中を察して取り成し、主従の誓いを立てて引き止め、二人が必死になって取り縋り千代松の滞在を哀願するのだが、大事への障害を恐れて、浅岡は、涙を呑んで、小十郎に託して、千代松を国許へ追い返す。

   この舞台には、忠臣の松前鉄之助(橋之助)とお家乗っ取りを狙う原田甲斐一味の連判状を国から持参する幸四郎の小十郎が登場するのだが、重要な脇役に過ぎず、完全に、浅岡を演じる芝翫の独壇場の舞台である。
   子役の亀千代(千之助)と千代松(宜生)たちは、教えられた通りに、歌舞伎の伝統的な様式美を演じながら心の喜怒哀楽や心の襞を表現しているので、リアリズムに欠けるのだが、これを触媒として、芝翫は、その歌舞伎の様式美とリアリズムを綯い交ぜにしながら、主君を庇護する最高級の局としての風格と威厳を保ちながら、血を分けた幸せ薄いわが子可愛さに心で慟哭しながらも決別せざるを得ない運命の過酷さ、そして、その苦衷に泣く心の葛藤を、必死になって体全体で演じている。
   去り行くわが子の後姿を眺めながら慟哭するラストシーンが、芝翫・浅岡の総てを物語っている。
   そして、歌舞伎は、どこまでも美しくなければならないのである。

   先日、NHK BShiで、「中村芝翫 歌舞伎ひとすじ八十年」を放映していた。
   この舞台は、恐らく、芝翫の歌舞伎芸術の集大成だと思うのだが、「自分の追う(思う?)ことが観客に伝わることが出来れば一丁前、成功者だと思うが、自分の思っていることの半分も通じていない。」と述懐していたが、私は、双眼鏡を片手に、台詞回しを追いながら芝翫の表情を克明に観察していたが、情感が胸の中を激しく行き来しているのであろう、実に、複雑に揺れ動く微妙な心の襞を豊かな表情で表現していたが、それを増幅しながら芸の心を感じるのが観客の勤めだと思って観ていた。
   いくら、役者が最高の芸と心を見せてくれていても、観る方に、それを理解し感じる心がなければ駄目で、観客も役者と同じように、努力に努力を重ねて、感受性豊かに受け止めることで、それに感じて感動すれば良いのだと思っている。

   やはり、この歌舞伎の良し悪しは、子役の二人に掛かっているようで、テレビの放映では、芝翫の二人の子供に対する舞台稽古から始まっていたのだが、子供への配慮が大切で、心配なので子役の台詞の方を先に覚えてしまうと言うことや、しっかりした子供より大らかな子供の方が良いと言っていたのが面白かった。

   千代松の宜生の祖父は、芝翫、亀千代の千之助の祖父は、仁左衛門なのだが、夫々、お父さんの橋之助と孝太郎が、二人の子供に芸をつけている様子を放映していた。
   芝翫が、早くに父を亡くして、更に五代目歌右衛門の祖父を亡くして、若くして後ろ盾を失うと、一挙に歌舞伎界の目が冷たくなって苦労したと語っていたが(これと同じ話を、猿之助も著書で述懐していたが)、閉鎖された社会の歌舞伎界の陰湿性や梨園の名門の運命と言うものはそんなものかも知れないと思うと、何の世襲かと複雑な気持ちになる。
   この二人の子役たちは、今を時めく後ろ盾がいて幸せなのであろう。

   この実録先代萩を、芝翫は、祖父の五代目歌右衛門のレコードを聞いて覚えたようで、以前には梅幸が演じていたようだが、こんぴら歌舞伎で演じてから13年目の上演で、祖父歌右衛門追悼を兼ねて、歌舞伎座最後の舞台で、万感の思いを込めて親子三代の共演で舞台を勤めたのだから、本望であろうと思うのだが、それだけ、芝翫にとっては、一世一代の大舞台であったのだと言うことであろう。

   この舞台では、やはり、幸四郎の渋い芸が秀逸だが、橋之助の凛としたサポートに加えて、流石に、御名残の舞台だけあって、バックを固める局役に、萬次郎、孝太郎、扇雀、芝雀と言った花形を起用しているのも、芝翫あっての舞台なのかも知れない。
   観ていて、真っ先に、重の井子別れの舞台を思い出したが、他にも、「葛の葉子別れ」や「幡随長兵衛子別れ」など、歌舞伎には、切ない子別れの舞台があるのだが、先代萩で、別な形の子別れの舞台を観て面白かった。

(追記)口絵写真は、NHKテレビより。

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人類文明論を考える(7)~文明繁栄の要因が衰退を招く

2010年04月20日 | 学問・文化・芸術
   青柳正規名誉教授の文明論の重要な指摘の一つは、いくつかの文明の興亡をたどると、その文明を繁栄させた原因や要素こそが、同じ文明を衰退させる働きをすると言うことである。
   余談だが、この考え方は、会社の経営についても言えることで、イノベーションの成功によって大成功を収めた会社が、その成功ゆえに新しい潮流にキャッチアップ出来ずに衰退して行くと言うことをクリステンセンが「イノベーションのジレンマ(原題は、イノベーターのジレンマ)」で説いており、エクセレント・カンパニーの多くが消えて行くのも故なしとしないのである。

   総延長約8万キロと言う立派な道路網を建設し、地中海には何千隻もの船が物資を運搬し、都ローマとアレクサンドリアでも半月以内で連絡しあえる通信網が確立しており、それらのネットワークが帝国内の地域や地方、そして都市や村々を緊密に結びつけていたからこそ、アウグストゥスが建設し、トラヤヌスが最大版図にまで拡大し、史上最強と異民族に恐れられていたローマ帝国の繁栄があったのだが、その一部が切断されただけで、精巧なネットワークは恐慌を来して、衰亡の足を速めたのである。
   
   世界最古の都市文明を誇ったシュメール文明の場合にも、この隆昌によって衰退すると言うケースであろう。
   創意工夫によって築き上げられた灌漑施設を前提とした農耕ゆえに各都市の領域が運河や水路などの水体系ごとに区切られ、その範囲内で余剰農産物を生み出す豊かさを手に入れたので、自分たちの都市国家だけで居心地の良い自己完結的な経済社会を享受して、その自己完結性から抜け出せず、それ以上の発展を阻害して、結局は、シュメール衰退の一因となったのである。
   また、自然環境を凌駕した筈の灌漑施設が、塩害を引き起こすなど環境破壊に加担して農業収穫量の減少と農業生産性の低下を惹起してしまったのだが、さきの都市国家の自己完結性の限界と相俟って、これらのシュメール文明を大いに隆昌させた要因こそが、皮肉にも滅亡をまねく衰退要因となったのである。
   
   さて、最近の日本の衰退の原因がどこにあるのかを考えてみると、戦後の経済社会の発展を促進し成功させて来た要因の多くが、時代の潮流について行けずに、制度疲労などの問題を引き起こして、無用の長物であるならまだしも、ブレーキとなり足枷となって来ていることが良く分かる。
   エズラ・ボーゲルが、「Japan as No.1」で称えた日本の成長と繁栄の秘密の多くが、正に、それであろう。
  
   その最たるものが、エズラ・ボーゲルが徹底的に持ち上げた官僚機構である。
   鳩山政権の仕分けチームが、目も当てられないような官僚機構の腐敗・乱脈振りを暴露しており、戦後の復興のために日本をリードして突進したあの輝くような官僚たちの使命感とプライドとモラルの高さはどこに消えてしまったのであろうかと思わせるような凋落ぶりである。
   今、独立行政法人が、槍玉に上がっているが、手本だと言うサッチャー時代のイギリスのエージェンシーは、疲弊し切ったイギリス経済社会を立て直すために、サッチャー首相が、情け容赦のない市場原理主義を貫徹して、官僚機構のリストラを実施したのであって、官僚が権力を握っていた国家社会主義的な日本で生まれた独立行政法人とは、雲泥の差がある。
   極論すれば、使命感もプライドも倫理観さえも失ってしまった官僚には、正に、湯水のように使い放題の別財布の組織が降って湧いたようなものあるから、千載一遇のチャンスとばかり、役得であり当然の余得であって、天下りや税金の無駄使いなどは序の口で、パーキンソンの法則どころか、一蓮托生の族議員に毒された自民党政府のノーコントロールを良いことに、増殖の限りを尽くして来たと言うことであろう。
   (誤解のないように付言すれば、私自身、官僚が総て悪いとは思っていないし、素晴らしい官僚を沢山知っているが、自浄作用が働かずに現状を惹起してしまった以上は、総体として、こう結論せざるを得ないと思っている。)
   少なくとも、民間企業の人間の目からから見れば、そうとしか思えない筈である。

   ところで、サッチャーが大掃除をしたイギリスの官僚組織も、ブレアの労働党政権になってから、政府主導、役人主導など、政治経済社会分野において、公共部門の介入が増大し始めて問題を惹起しつつあることを、L.エリオット&D.アトキンソンが、「市場原理主義の害毒 イギリスからの眺め」で指摘している。
   官僚たたきを進めている民主党だが、支持母体の一つに労働組合がある以上、この労働組合勢力の強い影響力が、鳩山政権にひたひたと及びつつあると言うことのようで、大前研一氏も、民主党の、既にヨーロッパにおいて死滅した筈の修正社会主義路線に警鐘を鳴らしており、注視する必要があるのではないかと思うのだが、この問題については、日を改めて展開してみたいと思っている。
   
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トマト栽培日記2010(1)~プランターに植え付け

2010年04月19日 | トマト栽培日記2010
   昨年、トマトをプランター植えして楽しませて貰ったので、今年も試みてみようと、丁度、八重桜も満開になったので、園芸店に出かけた。
   トマトの苗だけではなく、ナスやキュウリやスイカ等など沢山の野菜の新苗のオンパレードで、選択に困るほどである。

   私の場合には、庭のスペースが限られているので、トマト苗しか探さなかったのだが、それでも、イタリアなどの外国種を含めて色々な種類があって、面白いと思った。
   イタリアやフランスなど南欧のトマトには、興味があるのだが、まだ、出揃っていない感じだったので、まず、馴染みのある日本のトマトを探して植えることにした。
   プランターや支柱等は、昨年度のをそのまま利用できるので、トマト苗を選んで、用土を買って帰れば済むので、はじめて挑戦した昨年よりは、大分楽である。

   ミニトマトは、昨年植えて結構気に入っているので、やや長円形のサカタのアイコとイエローアイコを選んだ。
   昨年は、種を蒔いて苗を育てて大分遅れてしまったので、今年は苗植えに変えることとした。
   今年は、何故か、サカタの苗と並んで、他の会社からの苗も並んでいて、その所為か、大分安くなっていた。
   同じサカタのタネからのアイコであろうから、もっと安い苗もあったが、同じ価格だしと思って、花芽が出ていて元気の良い他社製の苗(口絵写真)を選んだのだが、サカタとしては、イメージダウンであろう。

   丁度、タキイからうま旨トマトと言う桃太郎系だと思しき苗が出ていた。昨年はタキイ苗を植えていなかったので、これも試みてみることにした。
   接木苗で、まだ、白いプラスチックの支柱がついたままだったが、花芽が見えていて、綺麗なしっかりした苗であったし、どんなトマトなのか不明だが、どうせ、名前や商標名があっても、実が成らないと実際に何も分からないので、ぶっつけ本番と言うことである。

   もう一つ、私が試みてみようと思ったのは、同じ地元の九十九里浜の業者が作出した「減農薬とまと接木苗」で、ホーム桃太郎系を選んだ。
   家庭菜園からプロ農家まで、病気に強く、収量が多いと言う触れ込みだが、昨年は、能書き違えだったので信用する訳ではないのだが、地元の苗だし、もう一度挑戦してみようと思ったのである。

   他に、坂本やピンクの色をした中玉トマト、デルモンテの大玉など、数種を選んで、都合14本、兎に角、プランターに植えつけた。
   用土は、60日間肥料必要なしと言う肥料入りの野菜・草花用の用土を買ってきて、そのまま使った。
   植えつけた後、支柱を立てて、苗木の一箇所だけビニール紐で固定し、オルトラン顆粒を苗の根元にばら撒き、水をやって終了である。

   これから、じっくり観察しながら育てて行くのだが、ビニールハウスのような覆いもなく青天井の庭に置いて、雨を最も嫌うトマトを栽培するのであるから、病気の心配から開放されることはないので、昨年同様に気苦労が多くなることを覚悟せねばならないと思っている。
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映画:ローレンス・オリヴィエの「ヘンリー5世」

2010年04月17日 | 映画
   先日、NHK BS2で、ローレンス・オリヴィエ監督主演のシェイクスピア戯曲「ヘンリー5世」の映画を放映していて、一にも二にも、シェイクスピア・ファンであるから、存分に、楽しませてもらった。
   1944年の制作だが、丁度、イギリスがナチス・ドイツと対峙していた時で、イギリス政府が、国民の戦意と志気を高めるために、ローレンス・オリヴィエに頼み込んだと言う。
   ヘンリー5世の評価については、多々あるのだが、一応シェイクスピアは、中世時代の騎士の鏡のように崇められている英国で最も人気の高いヘンリー5世が、王位継承が定かではないフランスから、テニスボールの贈り物で煽られて、劣勢にも拘らず、フランスに進軍して、アジンコートの戦いで勝利して、フランス王をも継承して、王女キャサリンを王妃に迎えると言う物語をオーソドックスな戯曲にした。
   イギリス人としては格好の物語で、兎に角、ロンドンにまで空襲を受けた戦況下で、大変な人気を博したと言う。
   兎に角、若くて溌剌としたオリヴィエのヘンリー5世の威容と凛々しさは格別で、こんなに男前俳優であったのかと驚くほどである。

   この映画の冒頭は、14世紀と思しき当時のロンドンの上空からの俯瞰撮影から始まり、サウスバンクのグローブ座にフォーカスして劇場の様子を映し出す。
   あの「恋に落ちたシェイクスピア」の劇場シーンと良く似ているのだが、この時には、現在の復元成ったグローブ座が出来上がっていた。
   しかし、このオリヴィエの映画は、70年近くも前の作品なので、当時の学問的な考証も経ての集大成の舞台だったのであろうが、歴史的にも貴重な映画にもなっていて面白い。

   このヘンリー5世は、この口絵写真のように、この戯曲の冒頭から途中、すなわち、ヘンリー5世が、軍団を引き連れてサザンプトンを出航するするところまでは、このグローブ座でのシェイクスピア劇として演じられており、その後は、映画として撮影されて、最後には、このグローブ座の舞台で幕を降ろすという趣向なのである。
   オリヴィエ・ヘンリー5世の左手には客席が映っていて、手前には、平土間の立ち見客の帽子頭が映っているのだが、当時の雰囲気を物語っていて興味深い。
   もう少し付け加えると、平土間と1階席は安くて、2~3階などの上の方が上席なのだが、上の観客の方が身なりが良いのが分かるであろうか。(小さい画面なら、写真をクリックすると拡大。)
   
   この映画は、楽屋裏での役者たちの出番待ちの様子や立ち働く人々の姿など興味深いシーンを映しているのだが、2階の音楽隊の様子や劇の進行等は、今のグローブ座でも継承している。
   私自身は、まだ10回程度しか、このグローブ座での観劇の機会はないのだが、途中で雨が降り出して右往左往する平土間客の様子などが映っていて、今はビニールを被るのだが、日照りに困って紙の帽子を被って日除けするなど、青天井の劇場では、今も昔も同じなのを思い出させてくれて面白い。
   この映画でも、何度も、序詞役が、物語の展開を語りながら「×××と想像してくれ」と言うように、狭い舞台に世界中を詰め込み、場面展開が激しいのに舞台が殆ど変わらないシェイクスピア劇では、観客の想像とイメージ作りが必須なのである。
   何しろ、青天井で陽がカンカンと照り付けている舞台で、ハムレットの漆黒の闇の舞台を演じるのであるから、当然のことで、シェイクスピアは観に行くのではなく、聴きに行くのだと言うのは正に至言である。 

   さてこの映画だが、オリジナルのシェイクスピアからは大分台詞など省力されて簡略化されているのだが、やはり、シェイクスピア役者として第一人者のオリヴィエだけに、国威発揚の映画と言うに止まらず、シェイクスピア戯曲の値打ちを映画芸術を通して観客に叩けつけており、その後のシェイクスピア映画の先鞭をつけた。
   この映画では、ノミネートされただけだが、次のハムレットでは、オリヴィエは、オスカー賞を獲得している。
   面白いのは、シェイクスピア役者としてのオリヴィエの真価が分からなくて、1930年、23歳で契約したハリウッドのRKOスタジオが、ロマンス劇に出演させて失敗し、その後、映画界が、20年近くもオリヴィエを忘れ去っていたことである。
   この映画でのオリヴィエのシェイクスピア役者としての雄姿に惚れ惚れするが、アジンコートの戦いへ出陣する前に、士気の高揚のために全軍に戦いを鼓舞する演説など、滔々と流れる素晴らしい叙事詩を聞いているようで、正に感激であったが、台詞回しの上手さは抜群である。
   終末でのフランス王女キャサリンを口説き落とす様子などは、正に、一転してメロドラマ風となり、先に結婚にこぎつけたビビアン・リーとの幸せな生活を髣髴とさせて面白かった。 

   この映画の見せ場でもある戦争シーンは、当時としては大変な意気込みであったのであろう、フランス軍の騎馬部隊がイギリス軍に向かって突進する連続シーンの迫力など抜群であった。
   当時の生活場面での風景などは、丁度ピーター・ブリューゲルの絵を見ているような感じで、フランスの城や町の遠望などバックの風景は、当時描かれていた歳時記の挿絵や絵画を移し変えたようなメルヘンタッチで展開されていて、正に、昔々の物語になっていて楽しませてくれた。

   ところで、私は、ストラトフォード・アポン・エイボンやロンドンで、半分以上のシェイクスピア劇を観ているが、残念ながら、このヘンリー5世は、まだ、観劇の機会はない。
   しかし、はじめてロンドンのバービカン劇場で観たシェイクスピア劇は、この前のヘンリー4世三部作で、無頼漢のフアルスタッフと放蕩の限りを尽くしていた王子ハル時代のヘンリー5世を観ている。
   この売春宿に入り浸り追剥ぎまでした放蕩三昧のハル王子が、即位すると、一切過去から決別して清廉潔白となったと言う、このヘンリー5世とのその落差の激しさ。
   このオリヴィエ版ヘンリー5世では、見捨てられたファルスタッフが、意気消沈して寂しく死んで行く姿が描かれているのだが、このファルスタッフが、エリザベス女王陛下の希望とかで、「ウィンザーの陽気な女房たち」で、色事師として復活して、シェイクスピアのキャラクターでは、全英一の人気者だと言うのだから、兎に角、シェイクスピアは面白い。
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人類文明論を考える(6)~縄文時代の長い日本の歴史

2010年04月15日 | 学問・文化・芸術
   「文明」の発展についての従来の解釈に、青柳正規名誉教授は、疑問を提起する。
   古代文明は、次のような過程で成立すると考えられている。
   「まず、農業の発展によって人口が増加し、余剰農産物が生じるようになると、集落が大規模化し、富の偏在が起こり、社会的な階層化と職業の分化が進み、更に、大規模集落とは性格を異にする都市と言う集住形態が生まれる。都市化の形成とともに、更なる社会的な垂直化が侵攻して社会階級が生まれ、職業の専門化による人々の相互依存と相乗効果の度合いが更に増し、この段階で文明が形成される。
   更に、文明の普及範囲内で、文明の高度化が進行すると同時に、灌漑などによる水資源や水力の統御が可能となり、各種の生産技術が進展し、周辺との交易が開始されるなど、遠方の異なる文明との相互刺激により、更なる文明の発展が促進される。」
   
   しかし、ファラオ時代のエジプトやナイル流域を除いたアフリカ大陸、プレコロンビア時代の南北アメリカなどには、この定義を適用するのは難しいと言うのである。
   アンデスでは、先土器時代、つまり形成期早期の祭祀用建造物が発見されたことによって、余剰農産物の明確な備蓄施設も十分に見当たらず土器すらなかった時代に既に宗教施設が生まれていることが立証されており、従来の唯物的進化のイメージと真っ向から対立する文明展開である。

   さて、このような文明の展開論を敷衍して日本の古代の歴史を考えて見ると、日本独自の歴史的な進展の姿が見えてくるのではないかと言うのが、青柳教授のもう一つの指摘である。
   我々子供の頃には、日本では、縄文時代があまりにも長くて、弥生時代に到達したのが随分経ってからで、何故、文明の発展が頓挫してそんあにも遅れてしまったのか、疑問に思ったのだが、日本の縄文文化を、日本の風土にマッチした歴史的展開だと考えれば、その豊かさに納得が行くのである。
   この考え方は、経済発展の理論にも言えることで、学生時代に、ロストウの経済発展の5段階説に基づいて、如何に、国民経済がテイクオフするかのと言ったことに関心を持って勉強していたが、現実に、インド経済の躍進を考えれば、農業、工業、サービス業と言った順序で経済がテイクオフするのではなく、一挙に最先端のITから経済発展を始動しており、こんなケースは他にも沢山あるのである。

   人類が生み出した技術の中で石器づくりが最古であるが、更に人類の生活を大きく向上させ文明の発展に寄与したのは、土器づくりなのだが、何と、世界最古の土器は、日本の縄文土器で、今から1万2000年前だと言うのである。
   この年代は、文化文明が伝播して来たと思われている西アジアや中国に比べて例外的に早く、朝鮮半島と比較しても数千年も早くて、インドやヨーロッパと比べても6~7千年早いと言うのであり、あの華麗で複雑な芸術的装飾の素晴らしさを考えれば、驚異的だと言わざるを得ない。
   
   土器が必要となるのは、食物を煮炊きするためで、移動しながら獲物を追う狩猟民には無理で、一定の定住生活が安定していることが前提で、定住集落、植物の栽培、動物の家畜化などとともに新石器時代を特徴づける有力な基準だと言う。

   日本では大陸から九州北部に伝わった稲作が主流となった弥生時代の到来は遅かったが、重要なのは、農業の開始時期の早さによって文化の発展の度合いをはかるのではなくて、食糧確保の方法が農耕であれ狩猟採取漁労であれ、人間生活の充実度の観点から食料の長期保証が確保されているかどうかである。
   東日本の縄文文化は、食料資源に恵まれたナラ林地帯にあり、西日本よりはるかに自然の食料に恵まれていたので、稲作に跳びつく必要がなかったのと、寒さの所為で稲作が難しかった等の理由で稲作文化が短期間に北上しなかったのだろう。
   豊かな自然に恵まれて、狩猟採集の対象となる植物や小動物が日本列島に豊富で、農耕と言う生産活動をしなくても食べて行けたので、西アジアや地中海世界と比べて農耕が遅く始まったのは、極東の島国の後進性だとは、必ずしも言えないと言うのが青柳教授の見解である。
   
   この土壌と気候に恵まれ、少し手をかければ比較的容易に農耕が出来る日本であった故に、使役のために牛馬などの動物の力をそれ程必要とせず、奴隷が普及しなかったのも、他文化と違った日本の特色である。
   日本人が世界でも稀なホモジニアス(均質)な民族と言われるが、この日本人の特質も、恵まれた自然環境と安定的かつ小規模な農耕によって育まれたもので、突出した金持ちも居なければ極貧の人も少ない、みんなが程々に食べて行ける、豊かさも貧しさも極端な差がない社会を生み出したのだ言う。
   尤も、この均質性などの日本人の特質が、日本の発展を促進して来た反面、今度は、今日の日本においては、低迷の一因になっているとして、日本教の俄か教祖となった中谷巌氏と、一寸ニュアンスの違った見解を述べているのが面白い。

   ここでのポイントは、文化文明も、そして、経済や社会の発展も、一本調子の紋切り型の発展論などはあり得ないと言うことで、夫々に特色があり、そんな理論に引っ張られて本質を見損なうと、大変な判断間違いを起こすと言うことであろうか。
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2020年:日本は世界第7位の経済国家に?~大前研一

2010年04月14日 | 政治・経済・社会
   先日、IBMのフォーラムで、久しぶりに、大前研一氏の講演を聞いた。
   演題は、「新しい10年へ向かって、今、日本は何をなすべきか」と言うもので、益々縮小して行く斜陽国家日本の市場を向いていては、日本企業の将来は暗いので、快進撃を続けている新興国市場に打って出よと言う何時もの持論の展開であったが、カレント・トピックスを交えての話は、結構パンチが効いていて面白かった。

   冒頭、BRIC's以外にも、何故、その他の新興国家が、経済成長を軌道に乗せて胎動し始めたのかについて、リーマンショック以降、マネーの流れが抜本的に変わってしまったことを強調した。
   かっては、発展途上国家は、先進国に軍事力によって支配されていたが、その後、独立国になってからは、ODAなどによる先進国政府から途上国政府への資金の流れが主流であり腐敗臭が強かった。しかし、今日では、先進国では投資機会が縮小し、有効なリターンを望めなくなった富裕層のファンドや基金などの不要不急の膨大なホームレス・マネー(8000兆円)が、新興国の優良な民間企業に対して、直接株式投資として還流し、新興国の経済を活気付けている。
   これら新興国企業への株式投資は、腐敗脱漏からは開放されており、直接企業を活性化して成果を実現するので、株式市場の伸びに加えて通貨が強くなった相乗効果で、200%以上のリターンを得ている。将来性豊かな新興国への投資は、通貨、株式市場、インデックスしかないと言う。
   特に、大前氏は、インドネシアの経済の安定とその成長力に注目して、BRIIC’sだとまで言うのだが、他にも、VISTA,TIPs、ネクストイレブンなど、少なくとも有望な国家は20はあると言う。

   大前氏の理論展開で面白いのは、将来ロシアを包含したEU経済を高く評価していることで、2020年時点での、世界最大の経済大国はEUであるとする。
   2020年、あるいは+5年時点で、それに続く経済大国は、アメリカ、中国、そして、可能性としてインドで、これに続いて、ブラジル、インドネシアが追い上げて来るので、日本は、第7位の経済国家に成り下がると言うのだが、ロシアを考慮すれば、もっと落ちぶれて行くのかも知れない。

   いずれにしろ、日本経済と同じボリュームを持った巨大な経済が7つも出来上がる訳であり、その内の大半は、欲しい欲しいと言う経済人口が犇く戦後の日本のような成長一途の新興国であるから、日本企業の将来の活路は、この巨大な新興国の市場を攻略する以外にないと言うのである。
   年収3000ドル以下のBOP(最貧層)40億人の巨大市場、それに、年収3000ドルから2万ドルまでの14億人の新富裕層(ボリュームゾーン)市場の攻略について、大前氏は語ったのだが、これは、このブログで、プラハラードなどの理論を展開しながら、何度も語って来たので端折ることとする。
      
   興味深いのは、これらの新興国へ持って行くモノやサービスは、必ずしも最先端を行くものではなくても良く、日本が昔やってきたコトやモノに磨きをかけて持ち込めばよいと言うことである。
   新興国の場合には、経済生活や正確水準が遅れている場合が多いので、そのレベルとニーズにあった事業展開が必要であることは、住友が、アフリカで蚊帳を製造販売して喜ばれて大成功だと言うことからも分かることだが、程度を落とさずに最先端技術で対応するか、旧システムのモノやサービスで対応するかは非常に微妙な選択で、兎に角、現地のニーズやウオントにマッチしなければならないことは事実である。

   更に、大前氏の指摘で興味深いのは、日本が最も得意とするのは、高度な公共サービス、インフラで、これは、最も新興国や途上国で喜ばれると言うことである。
   例えば、トータル・システムとしての鉄道で、新幹線の輸出ばかりが話題に上るが、寸分の隙もないダイヤシステムから駅ビル駅ナカビジネス、Suicaでの決済システム等々を包含したサービス輸出は、格好の売りになると言うのである。
   あるいは、問題の多い郵政のシステムも売りになるかも知れない。
   最近、東京都が主体となって関連企業を糾合して水システムの輸出を促進しようと言う動きが出て来たのだが、これこそ、日本の目指すべき道で、兎に角、ファイナンスも含めてフル・タンキーで、ワンセット・パッケジとして、総合力を結集して、世界市場に打って出ない限り勝ち目はないと考えるべきであろう。

   大前氏のグローバル市場攻略戦略のキーとなるのは、この国際人としての人材の育成で、日本人スタッフの英語力強化など国際的に通用する人材の確保は当然としても、もっと大切なことは、人材の確保とその門戸をグローバルに広げることで、日本人スタッフ採用の半減と外国人スタッフの大幅増を標榜したパナソニックの動きを高く評価していた。

   問題は、新興国市場攻略のために、日本企業が大前戦略を進めて行けば行くほど、日本国内の市場と雇用がどんどん縮小して行くのだろうが、それを補うのは、日本国内市場経済のグローバル化なのだが、ブルドック・ソースを死守しようとした日本人の感覚とメンタリティでは、お先真っ暗と言うことであろうか。
   政府は、関空と伊丹を民間に売却して活性化を図ろうとしているが、成田での買収案を叩き潰したオーストラリアの銀行以外に適切な買収先はないと、大前氏は、日本の外資嫌いを嘆いていたが、どうせ、このままでは、日本の優良企業の多くが、中国やインド企業の軍門に下って行かざるを得ないことを考えれば、ぼつぼつ、日本も目を覚まさなければならない時期に来ていると言うことであろう。
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バタフライも春たけなわ

2010年04月13日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   温かくなったり寒くなったり、変な気候が続いているが、一日一日と、春の気配が濃厚になっていることは事実で、私の庭のチューリップも、急に満開になった。
   まとめて球根を植えたところもあるのだが、後は、植えっぱなしの球根が芽を出して花を咲かせているので、思いがけないところから顔を出していて面白い。

   今年は、年末に沢山の球根を買ったので、プランターにも植えてみたが、同じプランターでも、日当たりによって咲き方にタイミングがずれたり、発芽しないのがあったりで、結構差が出るのが不思議である。
   珍しい球根をと思って何種類か新種を買って植えたら、複雑な八重のチューリップが多い感じであった。
   どうしても、オランダで品種改良されると、バラの花のように成ってしまうのであろう。

   面白かったのは、プランター植えしたドライラインと言う八重咲きのチューリップの茎から二本の枝分かれした茎が伸びて、二つの花を着けたことである。
   この花は、椿の玉之浦のように、花弁の周りの縁が白い赤い花なのだが、一本はまともな花で、下の方から伸びた茎から少し小さな花が寄り添うように咲いていて、夫婦花のような雰囲気なのである。
   これは、それなりに面白いのだが、以前に、オランダで、一本の茎から5~6輪小さな花を着けた赤い花のチューリップを見たが、流行らなかったのは、やはり、チューリップは、すっくと伸びた茎から、一輪風情ありげに咲くのが良く、多々益々弁ずではないと思ったことがある。

   私は、普通と違って、チューリップは、秋ではなく、年末か初春に植えるのだが、咲く時期は、どうも同じようで、佐倉のチューリップ祭りの時期と全く同じである。
   植えっぱなしのチューリップも、全く同じ時期に芽を出すのだから、秋植え球根の場合には、あまり、植え時期と開花とは関係ないのかも知れない。

   ところで、そんなチューリップの上空を、ひらひら、よたよた飛ぶ蝶が、横切ったので、注意して見ていたら、オレンジレモンの木に止まった。
   不恰好な飛び方をしていたのは、交尾中で、くっ付いたまま飛んでいたからだったのである。
   普通のモンシロチョウとは違うようで、オスとメスとも、翅の色も多少違っているようである。
   普通レンズなので、かなり、近づいてシャッターを切ったのだが、お構いなしに、二匹ともびくともしない。
   何枚か写真を撮ったが、やはり、蝶でも、何となく見てはいけないような感じがして、そばを離れたのだが、あの小さな体にしては、昆虫の交尾は、かなり、時間が長いような気がしている。
   田舎に住んでいると、結構、昆虫や小鳥などのラブシーンを見ることが多いのだが、鶏もそうだが、小鳥の場合には、激しいが随分短いようである。
   いずれにしろ、急に温かさが増してきて、春の花が一斉に咲き始めたと思ったら、急に、ひらひら飛ぶ蝶が活躍し始めた感じである。

   私の庭も、牡丹の蕾が大きくなり始め、芍薬もかなり大きく伸びて、株によっては、蕾をつけ始めている。
   少し遅れて、バラも新芽が勢い良く伸び始めたので、来月あたりには、ユリの花と一緒に晩春の庭を飾ってくれるかもしれない。
   花壇では、春の草花を払い除けるように、ミヤコワスレの株が勢い良く張り始めた。
   名前が何となくロマンチックだが、青紫と赤紫の野菊に似た花の風情が良くて初夏の庭には貴重な草花である。

   八重桜が満開になる頃には、庭の花の主役が変わり始めて、雰囲気が一挙に夏モードに変わって行く。
   寒い寒いと思っていたのだが、季節の移り変わりを、庭の花木や草花が教えてくれるのである。
   
   

   
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庭を造る楽しみとは何であろうか

2010年04月10日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   自宅に居て時間があると、結構、庭に出ることが多い。
   短時間だと、そんなに変化はない筈なのだが、いつの間にか気がつかない内に、球根から新芽が出ていたり、花がほころびかけてきたり、たった、一晩おいただけでも、草木は変化をし続けており、びっくりすることがある。
   特に、春になって急に温かさを増してくると、草花などの成長と変化が激しくなる。

   ところで、この千葉の家に引っ越してきて、25年以上になるのだが、最初は、専門の植木職人に頼んで、門被りの槙の木をはじめとして主木や庭周りの生垣など主な植栽をしてもらったのだが、それ以降は、全く我流で私自身で庭つくりを続けてきた。
   最初の数年間で、殆ど、庭つくりを終えて、ヨーロッパに赴任したので、多くの木や芝庭などその頃の雰囲気をそのまま残しているのだが、8年間のヨーロッパ生活を終えて帰ってきた時には、素人考えで植えた多くの木が、正に、様変わりの変化を遂げて鬱蒼と茂っていて、どこから手を着ければ良いのか、奮闘した記憶がある。
   通信講座で、花咲き実なる講座などを受けて見たり、沢山のガーデニングや植木や草花などの園芸本を買い込んで勉強して、どうにか、それらしき知識と経験を身に着けて、自分で花木の剪定まで、殆ど総てをやれるようになった。

   勿論、素人である私自身で出来ることは限られているし、それに、高木の剪定など危険でもあるので、定期的に専門の植木屋さんに頼んで、庭の管理を助けてもらっている。
   しかし、庭に何を植えて、何を間引くのかなどは、総て私の一存なので、今ある庭は、その私自身の試行錯誤の連続の結果である。
   最初の頃は、どうしても一度植えた木は、中々処分出来ずに悩んだのだが、長い年月で植えたい木や草花が、どんどん、増えて行くばかりなので、最近では、木の剪定も迷わずドラスティックに、そして、庭に合わない木なども、まず、移植などを考えるが、時には、思い切って退場を願っている。

   最初は、庭造りの専門書を見ながら、若い頃に、京都などの名所旧跡の名園などを見て回った思い出を大切にしながら、自分自身の庭のグランド・デザインを描いて、意欲的に取り掛かった筈なのだが、専門家に頼まない限り到底無理で、結局、空いている庭の空間に、自分のイメージに合った木を植えて行くと言う結果に終わってしまって、今の庭が出来上がったと言うことになる。

   最初に、植木屋さんが設定してくれた庭は、正に、古い形の日本の庭で、門被りの槙の木に、主木は散らし玉作りに仕立てたイヌツゲ、門前の黒松、そして、水周りには金木犀。隣との境界には、大きなモッコクを並べて、伽羅の生垣、そして、庭の外周には、玉作りの柘植の連植、と言った調子で、それなりに体を成していた。
   ところが、この後に、お祝いに貰った楠を植え、桜とサクランボ、ヤマモモ、それに、ブラジルの思い出としてフェジョアを何本も植えたのであるから、ヨーロッパから帰って来た時には、手が着けられなくなっていたのは当然であった。
   結局、桜とサクランボは切り倒し、楠とヤマモモは、2メートル一寸上で幹を切り、フェジョアは、大剪定をして、どうにか庭に収まっている。

   その後、隣との庭の境界に、月桂樹とアオキの生垣を作った。
   庭の相当部分には、色々な種類の椿を植えて行ったのだが、アメリカ・ハナミズキや、枝垂れ梅、ゆずなどの柑橘類、枇杷、百日紅、ブルーベリー、沈丁花、皐月、ツツジ、モミジ、バラ、牡丹、馬酔木、コデマリ、紫陽花、山吹、クチナシ、ハナザクロ、紫式部、キンメイモウソウなどの竹、萩等々、自分でも良く分からないくらい雑多な色々な花木を植えているのだが、かなりの混みようである。
   これまで、随分、色々な花木を植えては切り、切っては植えてきたので入れ替わりが激しい。
   結局、陽の当たり具合や庭との相性などによって、自然と植栽が安定して来て、今の庭に落ち着いたと言うのが正直なところかも知れない。

   庭の中央には、私自身で芝生を植えて芝庭にし、庭回りの花木との間が花壇となっているのだが、明確な境界はなく、これも、殆ど球根や宿根草などは植えっぱなしで、毎年、春と秋に、球根や草花を追加して植えているので、色々な草花が入り乱れて咲いている。
   芝生の間から、クロッカスやヒヤシンス、ムスカリなどが顔を出すこともあれば、スノードロップやハナニラの咲く真っ白の空間からチューリップが伸びて真っ赤な花を咲かせることもあれば、芍薬が勢いよくピンクの芽を伸ばすこともある。
   先日、写真家の友人が来て、これこそ写真の被写体として最高だと言って、しきりにシャッターを切っていた。

   私自身、意識して、こんな庭にしようと考えてやってきた訳ではないのだが、長い年月の間に、試行錯誤を繰り返しながら、今の庭に到達した。
   兎に角、考え方によっては、常識外れのはちゃめちゃな私の作った我流の庭だが、季節の移り変わりに素晴らしい自然の美しさを見せてくれるので、私自身は、結構満足している。
   結局、庭作りなどと大上段に振り被らなくても、庭も生きており、生活とともに、変化して行くものだと思っている。

   
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何故日本企業はアップルに勝てないのか

2010年04月09日 | 経営・ビジネス
   今日の日経朝刊に、「iPad部品 日本製影薄く」と言う記事で、米調査会社アイサプライのiPad分解レポートが紹介されていて、非常に興味深かった。
   この記事では、部品の大部分は、韓国や台湾製で、日本製は、TDKの電池と東芝のメモリーなど極僅かだと報じていたのだが、デジタル化でコモディティ化の急速なIT関連部品では、日本企業の競争力の低下は当然であり驚くに当たらない。
   私が、気になったのは、今に始まったことではないが、相変わらず、アップルが新製品のヒットを飛ばす毎に、部品や素材メーカーなどサプライヤーを叩きに叩いて、膨大な開発者利益を独り占めしていることである。
   iPadの部品の原価合計は、250ドルで、小売価格499ドルの半分に過ぎず、残りの半分は、総てアップルの粗利益などの取り分だと言う。
   開発販売コストなどアップル側のコストもあろうが、膨大な利益をはじき出していることは間違いない。

   アップルの独創的なビジネスモデルに、日本企業で唯一対抗できたのは、wiiなどで人気を博した任天堂だけだと思うが、このアップルのビジネス・モデルこそが、これからの製造関連企業の未来を如実に示している。
   特殊な部品や素材などを製造する専業メーカーは、独自のテクノロジーや製品の質などを武器として生き抜く道はあるであろうが、消費者・顧客直結の最終製品を製造しているメーカーは特にそうで、昔のソニーに対して、皆がわくわくして新商品に期待して待っていたように、ニーズとウオントの先を行き、かつ、限りなく満足度を増幅させるような夢のある製品を生み出して行かない限り生きて行けなくなる。

   アップルのスティーブ・ジョブズを知ろうと思って、ヤングとサイモンの「スティーブ・ジョブズ ICON:Steve Jobs」を読んだ。
   コンピューター、映画、音楽という3つの産業に革命を起こした「ミスター・インクレディブル」の過激な半生というサブタイトル付だが、「自分勝手で短気、粗暴にして狭量でありながら、他人の才能を見抜き、その力を極限まで出し切ることを鼓舞できる稀有なリーダー、起業家にして、マーケティングやデザインのセンスにすぐれ、超タフな矛盾の人」の波乱万丈の半生を描いていて興味が尽きない。
   未婚の母から里子に出された出生の秘密から、若い頃インドに渡って導師に従って乞食のような托鉢の放浪旅をした話などは、あまり知られていないが、正に、波乱万丈でハチャメチャな人生の連続で、何度も暗礁に乗り上げながら、生き抜いて来て、イノベーションを連発してきた。

   このICONのエピローグで、著者が、面白いことを書いている。
   「アップルとマイクロソフトの違いは一つ。アップルのサービスが、やって楽しいことを中心とした消費者指向のものであるのにたいして、マイクロソフトのサービスは、実用一辺倒で、楽しみを追求するようなものではなかった点だ。」
   スティーブ自身も、「我々は、テクノロジーなしでは出来ないことが増える時代に生きている。・・・アップルのコアとなる強みは、最先端のハイテクを普通の人にも使い方が分かるように、そして、普通の人が驚き、喜ぶような形で届けられることだ。鍵となるのはソフトウエア。実は、ソフトウエアがユーザー体験そのものなんだ。」と言っている。
   アップルの強みが、ソフトウエアとコンテンツの組み合わせにあり、成功の鍵は顧客だと言うことを肝に銘じているのである。

   何よりもクリエイティブで価値創造の時代であるが故に、世界中のファンも、投資家も、音楽愛好家や映画ファンも、デジタルオタクの若者たちも、みんな、スティーブが征服する次の世界を見ることが楽しみで仕方がないのだと言うのである。
   今も昔も、ウォークマン時代のソニーに対してと同じように、消費者や顧客は、わくわくするような製品やサービスを求めているのだが、ITデジタル革命によって、テクノロジーが爆発的に発展して複雑化した以上、手取り足取りユーザーの手足となり、かつ、感性豊かで楽しみと喜びを増幅するようなモノやサービスを提供してくれることを、企業に期待している。

   韓国や台湾に勝ち目がないのに、半導体の市況が良くなれば、半導体工場を増設し、どこの会社でも作っていて、殆ど差のないコモディティと化したテレビやレコーダーやデジカメ製造競争に現を抜かしているのが、日本のメーカーだが、とっくの昔に既に勝負がついてしまっている。
   もつづくり立国を標榜しMADE IN JAPANが、世界を席巻していたのは、昔の話で、今や、欧米からの競争のみならず、グローバル化によって、世界中の国々が、工業化社会に突入して来たことを考えれば、新興国の殆どは、日本の強敵であり、まず、第一に、日本の企業が生み出すモノやサービスが、クリエイティブ時代のグローバル市場に満足を与え得るものかどうかさえ疑問である。
   破壊的イノベーションの多くは、その時代の最先端かつ最高のテクノロジーではなく、既存の技術や手法の組み合わせで生れており、新しい楽しみと喜びを生み出すようなクリエイティブで価値創造的なモノやサービスの提供には、感性豊かな発想が求められるのであり、技術・テクノロジー深追い的な従来の日本の製造業の得意とする持続的イノベーションだけでは、グローバル競争に太刀打ち出来なくなっている。

   それに、成功しているグローバル企業の殆どは、グローバル・スタンダードの体現者であり、ビジネス上では、トータル・システムでのオーガナイザーでありリーダーである場合が多い。
   アップルの場合でも、iPodであろうとiPadであろうと、完結したシステムを作り出して、総てをコントロールしており、そのビジネス・モデルの中で膨大な利益を叩き出している。
   いくら素晴らしい立派な製品を作ってみても、コモディティ製品や競争が激烈な単なる部品やパーツを作って下請けに成り下がっていては、グローバル競争に勝てないのは当然で、日本の製造業の殆どが旧態依然としたビジネス・システムから脱却出来ていないような気がしている。

   
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