「自虐」に飽きた、すべての人に贈る辛口・本音の日本論! 日本人が自信を取り戻し、日本が世界に「もてる」国になるための秘策とは? 教育、歴史認識、国防、外交―比較文化史の大家が戦後民主主義の歪みを一刀両断!というこの10年前の新書版。
積み上げた本の山を崩していて、どこかで見た名前だと思ったら、ダンテの「新曲」やボッカッチョの「デカメロン」で読んだ山川先生の本である。
日本の良さとは関係ないが、この本の序章で述べている見解などが、私自身の経験ともダブっていて興味深いので、一寸触れてみたい。
まず、著者の思想遍歴であるが、当時東大ではマルクス優位で、駒場寮で不破哲三と同室であったが、唯物史観には違和感があって、一種のオカルト集団だと思った。しかし、資本主義に対する社会主義の優位は当然のことと思っていた。という。
「朝日新聞」や「世界」の読者で、南原繁や大内兵衛などの進歩的知識人を糾合した平和問題懇談会などの論壇主流の考えに従っていたのだが、イデオロギーには信を置かず、教養部では地道に複数の外国語を学んだ。フィロソフィー(哲学)ではなく、フィロロジー(外国語)を重んじた。その人文主義的アプローチのおかげで、真面な人生を送れた。マルクスに打ち込んだ人は、みなさん政治的にも学問的にも世間の役立たずになった。というのが面白い。
ここで考えるべきは、一つの教条的な思想哲学に入れ込んで学ぶよりは、幅広くリベラルアーツを学んだ方が常識人というか、バランスの取れた人間を育成できるということであろう。専門教育の中途半端とリベラルアーツ教育の貧弱さが、日本の教育の欠陥であろうか。
著者より10年くらい後の安保騒動で学生運動が熾烈を極めていた頃の京大だが、元々、経済学部の教授陣の7割がマル経であったので、文句なしにマルクスであった。
ところが、私自身は、高校時代から「世界」を購読していて、かなり、進歩的思想には興味を持っていた。
しかし、なぜか、マルクスには何の興味もなく主義信条にも関心がなく、学生運動やサークル活動に参加していなかったので、人並みに、学生集会に参加し、河原町通りなどでのデモ行進には参加したものの、安保反対運動や学生運動には無縁であった。
ゼミは、理論経済学の大家岸本誠二郎教授を選んだので、マル経とは関係なかったし、ケインズやシュンペーターやガルブレイスなどを独習していた。
サミュエルソンの「エコノミクス」で、近経の基礎を叩き込んだおかげ困ることはなかったし、その後、アメリカのビジネススクールでのマクロとミクロの経済学でブラッシュアップできたと思っている。
今頃になって、マルクスの偉大さを斜めから垣間見て、少しは、勉強すべきであったと後悔している。
ところで、ロンドンに居た時に、マルクスが住んでいた旧宅の跡地を何回か訪れている。
ロンドンのウエストエンドの繁華街に、「クオバディス」というイタリアン・レストランがあって、その上階の屋根裏部屋がその家である。マルクスは、ここから、それほど遠くない大英博物館に通って勉強していたのである。薄暗い小部屋が並んでいて、当時そのままだとオーナーは言っていた。
マルクス主義者にとっては聖地のはずだが、訪れる人は殆ど居ない。
もう一つ付記しておきたい日本の良さは、
東アジア諸国の中で日本のように言論の自由が認めれれている国に生を受けたことは、例外的な幸福であると感じています。私はこの類まれな幸福を誇りに思い、言論の自由、」表現の自由を尊ぶ者として、その事実を率直に公言することを憚りません。という指摘である。
私は、ビジネスや私的旅行で世界各地を歩いてきて、特に不自由を感じたことがなかったが、学者として、多くの留学生や訪問教授と付き合い、西洋のみか東アジア諸国の大学で講義や講演を体験してきた著者にとっては深刻な問題であったのであろう。
若いころは、ビジネスで東南アジア各地も走り回ったが、21世紀に入ってからは、台湾と中国への観光旅行だけである。
しかし、最近では、何がひっかるかわからないので、もう、行きたくない。