熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立演芸場・・・新春国立名人会:小三治の「公園の手品師」

2020年01月07日 | 落語
   国立演芸場の「新春国立名人会」7日は、小三治師匠がトリで、プログラムは、次の通り。
   

   小三治師匠が、開口一番に語ったのは、年末、歯医者に行って、院長から、困ったことが起こった、どうしても国立演芸場の7日の切符が取れないのだと言われたこと。
   確かに、私の場合、この国立演芸場の小三治公演チケットの取得しか知らないが、国立劇場ファンの会のあぜくら会員のインターネット予約でも、解禁日の10時以降2~30秒ほどの攻防でチケットが取れるか取れないかの運命が決まり、誰かと同じ席をダブってクリックしてはじかれてしまえば、もう、回復不能で諦めざるを得ないほどチャンスがないから、一般的には、殆ど取得不可能だと思う。
   普通には、それでは、2枚融通しましょうかと言う事があるのかも知れないが、小三治師匠は、これまで、一切、切符の世話をしたことはないと強調していた。

   面白い話をすると思っているであろうが、何を話すか決めていない、面白いことをやったことはないし、なぜ、皆が来るのか分からないと言いながら、第9談義を始めた。
   ベートーベン作曲の交響曲第9番「合唱付き」である。

   丁度、ステレオが出始めた子供の頃、近所のお屋敷で、第9のレコードを聴いた思い出、
   戦後のどさくさで、バラックの校舎の小学校で、校歌がなかったので、その代わりに、「喜びの歌」を歌っていたのが、これらが、第9への出会いで、春日八郎の歌とともに、音楽への傾倒への原点だと言う。
   昨夜まで覚えていたのだがと言いながら、第9の4楽章の「歓喜の歌」の詞章と思しき歌を口ずさみ始めた。
   ブルーノ・ワルター指揮、コロンビア交響楽団の「運命」と「未完成」をカップリングしたLPを重宝したようだが、私も、ワルターやトスカニーニなどのレコードを集めていたので、懐かしく聞いていた。

   大晦日の夜に放映されたNHK交響楽団の第9演奏会の話に移った。 
   録画していたので、それを聴いての話だが、指揮は、オーストラリア出身の女性指揮者シモーネ・ヤングで、巨漢の指揮ぶりを語りながら、
   優しい演奏で、ぬるま湯に入っている感じで、江戸っ子の自分には物足らない、もっとキリっとしてくれと、新聞の広告を見ながら聴いていたが、次第にひきこまれて行って、最後には泣いていた。
   ベートーヴェンは、凄いなあ!
   ベートーヴェンんも、自分も、12月17日生まれ!

   小三治師匠は、第9は長いと言っていたが、昔、一番短いのはシャルル・ミュンシュの59分、一番長いのは朝比奈隆の82分だと聞いたことがある。
   さて、シモーネ・ヤングの第9だが、私も録画を観たのだが、ドイツ音楽の本流を歩いてきた指揮者であり、私は、悠揚迫らぬおおらかな演奏に違和感はなかった。
   演奏後のブラボーが気に入らないと述べていたが、師匠が指摘するように、良くても悪くても、よく知っているぞと言わんばかりに、大声を張り上げて、演奏後の余韻をぶっ壊すブラボー屋がいるのである。

   私も、随分、クラシックコンサートに通っているので、第9の思い出は多々あるが、最も思いで深いのは、大阪万博時に来日したフェスティバル・ホールでの、カラヤン指揮のベルリン・フィルの第9の演奏であった。
   この時、「運命」と「田園」の演奏会にも出かけて、激しい第5の指揮中、カラヤンの指揮棒が折れて吹っ飛び、タクトなしの華麗な指揮姿のスタートを見ると言う貴重な経験も味わった。

   もう一つの思い出は、チャールズ皇太子やメイジャー首相など内外の要人が集まったロイヤルアルバート・ホールでの、アシュケナージ指揮ベルリン放送管弦楽団のベートーヴェン第九「合唱つき」のガラ・コンサートで、プロムスで賑わう巨大な大ホールでのベートーヴェンは、また、違った味わいであった。

   黒柳徹子さんの父君が、N饗の前身のコンサートマスターの時に、貧しくて年を越せない楽団員のモチ代の足しにと、年末に始めた第9コンサートが定着して、日本では師走の名物になってしまったが、欧米では、聴く機会が殆どなく、日本では、内外の楽団の第9を、どれ位聴いたか分からないくらいである。

   さて、この日の小三治の演目は、「公園の手品師」。
   こんな落語はなくて、フランク永井の歌った歌謡曲の「公園の手品師」のことであるが、30分の公演のすべてをまくらで通して、最後に、この「公園の手品師」を歌ったのである。
   フランク永井に会った時に、ヒットはしていなかったので、控えめに、あなたの歌でこの歌が一番好きだと言ったら、フランク永井は、涙ぐんで、私もそうだ、コンサートの時には、その時々の思いを込めて歌っている、と答えてくれた、と感慨深そうに語っていた。

   ”鳩の飛び立つ公園の 銀杏は手品師 老いたるピエロ・・・
   テノールだろうか、傘寿だとは思えないほど福与かで、ビロードのように艶やかな美しい声で、3番まで、感動的に歌い上げて、高座を終えた。

   さすがに、人間国宝小三治。
   私には、懐かしくてほのぼのとした、心の琴線を震わせる、生きる喜びを彷彿とさせてくれる優しくて温かい語り口が、実に印象的なひと時であった。
   
   
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国立演芸場・・・新春国立名人会 1月3日

2020年01月03日 | 落語
   国立演芸場の恒例の新春国立名人会が、2日から7日まで、7回公演されており、私は、3日と7日に予約を入れた。
   正月3が日に劇場へ出かけることは殆どないのだが、今回は、三三と喬太郎と鶴光の落語を聴きたくて、出かけて行った。
   プログラムは、次の通り。
   

   柳家三三は、小三治の弟子。
   三三の落語は、まだ、2かいくらいしか聴いていないのだが、非常にうまいと思って聞きほれていたので印象に残っている。
   今回は、「一目上がり」。
   長屋に住む無教養の職人八五郎が、隠居宅の床の間の掛軸『雪折笹』の図に添えられている賛の説明を受けて、「結構な賛でございます」くらいのことを言って褒めたら、お前を軽んじている連中も見直すこと間違いなしと言われて、調子に乗って、あっちこっち行って褒めるのだが、失敗の連続。良い賛だと褒めたら、大家には根岸の蓮斉先生の詩(シ)だと言われ、今度は「シ」と言おうと医者のところへ行ったら、一休禅師の悟(ゴ)だと言われ、友人宅で、先回りして「ロク」だと言ったら、七(シチ)福神の宝船だと言われ、最後に、「結構なハチで」と言ったら「芭蕉の句(ク)だ」と言われるという噺。
   無教養な男の厚顔ぶりを洒落のめす噺だと言うのだが、聞く方も、それなりの知識と素養がないと楽しめない、一寸した、教養落語であり面白い。
   勉強が嫌いで逃げ回って落語家になったという三三だが、落語家になって勉強の有難さを知ったはずである。

   柳家喬太郎は、前に、「ハワイの雪」で、素晴らしい落語を聴いた。
   幼馴染で子供心に結婚を誓った死期の迫った初恋の人を、孫娘とハワイまで見舞いに行く話で、雪かきしようねと言った約束を果たすために、密封して故郷の雪を持って行ったが、すでに溶けていて、その代わり、ハワイには珍しい雪が降ってきて、静かに、彼女は逝ってしまった。
   そんな実にほのぼのとした温かい美しい噺であった。
   今回は、ガラッと雰囲気が違った「親子酒」。
   ある商家の、酒好きな大旦那と若旦那の親子が、共に禁酒を決心するのだが、数日で、耐えられなくなって、まず、大旦那が、何やかや理屈をつけて妻にせがみ倒してへべれけに酔ってしまって、そこへ、得意先に、俺の酒が飲めなければ取引を停止すると迫られて酔いつぶれた若旦那が帰ってくる。
   大旦那が「顔がいくつにも見える、こんな化け物のようなお前に、身代は渡せない」と言うと、息子が「俺だって、こんなぐるぐる回る家は要りません」 。
   オチがちょっと違っていて、女房が、「二人とも、早く寝なさい!」。
   とにかく、テレビでも達者な芸を披露しているが、喬太郎の絶妙な話術と芸の冴えは抜群で、素晴らしい落語を聴いた。
   ブックレビューでも書いたが、「なぜ柳家さん喬は柳家喬太郎の師匠なのか?」は、面白い。
 
   笑福亭鶴光は、漫才のオール阪神巨人の阪神に似た風貌と語り口の大阪弁丸出しの上方落語で、映画などに出て剽軽な役どころを演じていて面白い咄家なのである、
   鶴光は、「薮井玄意」
   赤ひげのような町医者薮井玄意が、大阪一の大金持ちの天王寺屋五兵衛の瀕死の病を治して、千両の薬を売ったのだが、病気が全快して、奉公人の入れ知恵で天王寺屋が払ったのは、たったの二百両で、薮井は八百両を取り戻そうと奉行所に訴え出るという話。
   一切治療代や薬代を取らずに、貧しい庶民の治療をしている薮井玄意であるから、この千両も、貧しい人々のために使うつもりなのだが、鶴光は、高座の時間切れで、この良いところで話を終えてしまった。

   さすが、新春国立名人会で、最初から最後まで、楽しい舞台が展開されていて、令和2年の初笑いを楽しませてもらった。
   
   
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国立名人会・・・神田松鯉の講談「赤穂義士外伝 天野屋利兵衛」  

2019年12月23日 | 落語
   国立能楽堂の第436回 国立名人会 のプログラムは、
   落語「猫退治」 雷門小助六
   講談「外相の右足」 神田阿久鯉
   コント  コント山口君と竹田君
   落語「自殺狂」 古今亭寿輔
  講談「赤穂義士外伝 天野屋利兵衛」  神田松鯉

   私は、 人間国宝神田松鯉の講談「赤穂義士外伝 天野屋利兵衛」を聴きたくて、出かけた。
   天野屋利兵衛は、赤穂義士の吉良邸討ち入りのための武器調達を一手に引き受けた堺の廻船問屋の松永利兵衛で、厳しい奉行の取り調べにあっても、大石内蔵助との密儀を明かさず、可愛い子供を殺そうとされても、「天野屋利兵衛は男でござる。」と言って口を割らなかったと言う大坂商人の鑑。
   浄瑠璃・歌舞伎は勿論、浪曲、落語などにも、これを主題としたバリエーションの作品があり、非常に興味深い。
   私は、歌舞伎の仮名手本忠臣蔵の十段目・発足の櫛笄の「人形まわしの段」「天河屋の段」を一度観ただけだが、義侠心に秀でた大坂商人の話で、歌六の粋な利兵衛に、痛く感激したのを覚えている。

   神田松鯉の講談は、次のような話だったと思う。
   浅野家当主が、天野屋利兵衛を、城の道具の虫干しを、直々に案内し、重宝の雪江茶入れをよく見ておけと見せたのだが、その日、その茶入れが紛失し、利兵衛が疑われ、詮議した内蔵助に、「自分が盗んだ」と白状した。ところが、この報告に、お殿様にお目通りしたら、自分が持ってきたと示される。なぜ、嘘をついたかと聞いた内蔵助に、係の貝賀や磯貝が切腹になるからと答えた。
   この一件以来、浅野内匠頭と利兵衛との深い親交が続いたと言う。
   浅野内匠頭の刃傷事件と切腹を聞いた利兵衛は、妻を離縁して、槍を背負って赤穂城に馳せ参じて、内蔵助に、御恩をお返ししたい何でもすると懇願したので、利兵衛の忠義と男気を信じた内蔵助は、口外するなと釘を刺して、大事を語って13種の討ち入り武具の調達を頼み込んだ。
   武具調達に勤しむ利兵衛を、たれこむ者がいて、家宅捜索をすると、忍び道具・改造ろうそく立てが出てきたので、 町奉行松野河内守助義により捕縛され拷問にかけられるが、利兵衛は、義理ある人から頼まれたのだが時が来るまで待って欲しいと懇願するばかりで、口を割らない。
   町奉行は、一人息子を人質に取り、子供の喉元に刃を突きつけて白状を迫るが、「天川屋の儀兵衛は男でござる」。
   そこへ離縁した女房・ソデが現れ、夫や息子の難儀を見かねて、内蔵助に頼まれたのだと一切を暴露するのだが、町奉行は、槍を背負って赤穂城に馳せ参じた一件を、「あり得ない。狂女じゃ。」と言って取り合わず、それから一切取り調べをしようとしなくなった。
   討ち入りの成功を、牢番の立ち話で知った利兵衛は、安堵。取り調べれば忠義の邪魔。と奉行は利兵衛を釈放したと言う。

   勿論、名奉行松野河内守助義は、利兵衛の義挙は、お見通しで、忠義の邪魔になってはならないと、お目こぼしを行ったようだが、武士の情け、勧進帳の、切腹覚悟で義経一行を見逃してやった富樫同様の情けあるサムライであった。
   
   さて、歌舞伎の10段目だが、天河屋義平の店へ踏み込んで取り調べをして、義平を吊し上げて子供を殺そうとするのは、義平の忠義を試そうとした大星由良助たちだったと言う、何とも締まらない話になっていて、この所為かどうかは知らないが、上演回数が殆どなく、文楽でも、11月は上演されたようだが、私が観た2012年の国立文楽劇場の通し狂言でも、上演されなかった。

   浪曲の「天野屋利兵衛」を聴いてみたと思っているのだが、傑作は、落語の「天河屋義平」、
   天河屋が、自宅へ大星由良助を招いて酒宴を開いた時、由良助は、天河屋の女房が美人なのに目をつけて、「拙者の妾になれと」口説く。女房は、由良助の色好みは承知なので、「今夜、私の部屋に忍んで来てください」と誘うと、喜んで飲み潰れてしまう。一方、女房は、天河屋にも飲ませてべろべろに酔わせて、自分の部屋に寝かせて、自分は義平の部屋で寝てしまう。むっくりと起き上がった由良助は、約束通り女房の部屋に忍び込んで、布団をまくってコトに及ぼうとした時、天河屋はびっくりして飛び起きて長持ちの上に座って、「天河屋の義平は男でござる」。
   
   さて、楽しませてもらったのは、女流講談師の神田阿久鯉 の講談「外相の右足」。
   不平等条約改正を目論む明治の元勲大隈重信が、暴漢に、馬車に爆弾を投げ込まれて右足を失う大手術に纏わる話で、明治時代の激動を垣間見て興味深かった。
   丁度、ジャレド・ダイアモンドの「危機と人類」の幕末の日本の辺りを読んでいたところなので、面白かった。


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国立演芸場・・・国立名人会:小三治の「粗忽長屋」

2019年11月16日 | 落語
   私としては、久しぶりの国立名人会鑑賞である。
   トリが小三治であるから、チケット取得は至難の業。ネット販売開始後2~30秒間の勝負で得たチャンスであるから、貴重な機会なのである。
   当日のプログラムは、次の通り。
   

   前の小菊の粋曲に、久しぶりに新鮮な驚きを感じたと語って、
   「そそっかしい」とは、英語でどう言うか、フランス語なら、あるかもしれない。と語り始めた。
   本日のお題は、「粗忽長屋」なので、そそっかしい主人公が登場する。
   小三治師匠は、そそっかしいのには2種類あって、まめでそそっかしいのと、不精なそそっかしいとがあると言って、用件も何も聞かずに郵便局へ突っ走る者や、風呂へ行くのに手ぬぐいを頼むが頓珍漢な話などを語りながら、面白かったのは、
   兄弟子が、いつも怒られているので、起死回生、この時とばかりに、師匠に、「上着を取ってくれ」と言われたのを、何を勘違いしたのか、上着を「ウナギ」と間違えて、勇んで「鰻」を取ったと言う話。
   私など、こんな話が好きで、師匠も言っていたが、そそっかしいには、思いやりや何か含みがあって暖かいものが宿っている感じがするのだが、今のように、ギスギスした世の中より、遥かに幸せであただろうと思う。

   さて、「粗忽」だが、広辞苑によると、次の通り。
   ①あわただしいこと。あわただしく事を行うこと。毎月抄「―の事は必ず後難侍るべし」
   ②軽はずみなこと。そそう。軽率。浄瑠璃、国性爺合戦「鉄砲はなすな―すな」。「―をわびる」
   ③ぶしつけなこと。失礼。狂言、米市「ちかごろ―な申しごとながら」
   【粗忽者】そそっかしい人。
   【粗忽長屋】落語。浅草で行き倒れを見た八っつぁんが、それを同じ長屋の熊さんと思い込む。八っつぁんに連れられて死骸を引き取りに来た熊さんも、死体と自分の見分けがつかなくなるという話。と言う丁寧な説明もある。

   大辞林には、
   (1)軽はずみなこと。注意や思慮がゆきとどかないこと。また,そのさま。「―な人」
   (2)不注意なために起こったあやまち。そそう。
   【粗忽者】そそっかしい人。あわてもの。

   この「粗忽長屋」の八っつぁんも熊さんも、そそっかしいと言うよりも、「思慮がゆきとどかない」あほとちゃうかと言う人間離れした天然記念物のような人物で、奇想天外なstory展開を編み出した作者に脱帽である。
   とにかく、行き倒れを見た八っつぁんが、隣に住む熊さんに違いないと確信して、本人に見せて確認しようと長屋へ引き返して、お前は粗忽ものだから死んだことさえ分かっていないと、無理やり現場に連れてきて、やってきた熊五郎も困惑してしまって、仏を抱き上げて、「抱かれているのは確かに俺だが、抱いている俺は一体誰だろう?」

   そそっかしいを普通に英語で言うと、careless、thoughtless
   しかし、日本語とは、大分ニュアンスが違う。
   それに、そそっかしい人を辞書で引くと、scatterbrain
   馴染みのない単語なのだが、日本語の「そそっかしい」にしても、シチュエーションによって、色々なニュアンスや色合いがあるので、英語でも、一単語で表現できるはずもなかろう。
   まして、この落語「粗忽長屋」に登場する八っつぁんや熊さんのように、ネジが何本か飛んでしまってタガの外れた常識さえ持ち合わせていない人物の粗忽ぶりは、日本語でも、到底、説明は勿論、適切な表現など出来う筈がない。

   とにかく、八っつぁんの言うこと、考えていることは、それなりに理屈も筋も通っているので、これを、常識人の役人が受け答えして、また、同様にタガの外れた熊五郎を説得するあたりの、畳みかけるような語り口など絶妙で、このあたりの人間国宝の語り口、芸の冴えは流石で、理屈抜きで引き込まれて行く。

   Youtubeを見ると、小さん、談志、小三治、と言った師弟の「粗忽長屋」が、見られる。
   同じストーリー展開だが、この録画では、小三治は、まくらが長すぎて、前段を端折って、行き倒れとの出会いから話をし始めて短縮して、10分くらいで終えていたが、今回の高座は、30分十分に語り切った。
   ところで、小さんと談志の録画を聴いていて、両師匠とも、独特なクセと言うか個性が滲み出ているのだが、私には、小三治師には、そのようなクセなりアクの強さなどは全くなくて、緩急自在の心地よいテンポで、ストレートと言うか正攻法の語り口で、非常に爽やかで楽しめるのである。

   今、日経の新聞小説が、伊集院静の「みちくさ先生」。
   主人公は、夏目漱石で、落語が好きで、子供の時から寄席に通い詰めていたと言う。
   私の場合には、クラシック音楽、オペラ、歌舞伎と文楽、能と狂言と行脚を続けて、そして、何十年も経って、やっと、落語や講談にたどり着いた。
   最近は、面白くなってきたので楽しみである。
   漫才は、上方漫才で、もう、半世紀以上前からだが、大阪へ行く機会が減って、吉本にも縁遠くなってしまった。
   今では、同じ行くなら、花月よりも、国立文楽劇場になってしまう。
   
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国立演芸場・・・三遊亭藍馬真打昇進披露公演

2019年07月06日 | 落語
   三遊亭藍馬の真打昇進披露公演があったので、国立演芸場に出かけた。
   しかし、病院での定期検診が長引いて演芸場に行ったので、遅れて、後半の真打昇進披露口上の途中からで、前半はミスったのだが、三遊亭藍馬の高座を聴きに行ったのであるから、気にはならない。
   勿論、三遊亭藍馬の高座は初めてで、何も知らないのだが、女流落語家の高座には、何時も魅力を感じて聴いているので、期待して行ったのである。

落語 三遊亭吉馬
落語 三笑亭夢丸
漫才 東京太・ゆめ子
落語 古今亭寿輔
落語 三遊亭遊三
  ―仲入り―
真打昇進披露口上
落語 三遊亭遊雀   悋気の独楽
落語 三遊亭圓馬   ちりとてちん
曲芸 ボンボンブラザース
落語 橘ノ双葉改メ三遊亭藍馬   女明烏

   藍馬は、相撲取りであった主人との馴れ初めの話や摺り足で床がぼこぼこだと言った家庭の話などを枕にして、パンチの利いたパワフルな語り口で、吉原の話をすると語り出した。
   中々の近代的美人で、踊りを披露したのだが、粋な颯爽とした出で立ちが絵になっていて素晴らしい。
   客は、子供も来ており、かなりの人数の高校生か大学生の団体も入っていて、いつもより、若返った感じで、華やいでいた。

   「女暁烏」とは言うものの、「暁烏」の女性落語家バージョンであろうか。
   日向屋の若旦那である時次郎が、「お稲荷様にお篭り」と称して、まんまと騙されて、吉原へ連れて行かれて、遊廓を「神主の家」、女主人を「お巫女頭」、見返り柳はご神木で、大門が鳥居、お茶屋を巫女の家だと言われ、奥へ上がるのだが、異変に気付いて遊郭だと知って帰りたいと駄々をこねる。しかし、花魁に噛んで含んだように人の道を説かれて納得して一夜を明かす。感激した時次郎は、一心不乱に働いて、3年後に吉原に行って、花魁を身請けする。
   元ネタは、勉強ばかりしている堅物の時次郎を心配して、父親が、町内の「札付きの遊び人」の源兵衛と多助に、吉原に連れて行くよう頼み込みこむのだが、これは省略して、吉原稲荷だと騙して吉原へ連れ込むところは同じだが、遊郭だと分かって逃げ帰ろうとしたので、違うところは、大門を出ようとしたら番人に袋叩きに合うと脅されて一夜を明かす。朝、花魁に振られた2人が時次郎を連れに行くと、天国を経験した時次郎が花魁に足を絡まれて起きてこず、「勝手に帰れ。袋叩きに合う」と言うのがオチ。
  「女暁烏」の後半は、一寸噺が違うのだが、「紺屋高尾」によく似た、花魁と客との相思相愛の物語を思い起こさせて、中々、清々しくて良い。

   遊雀の「悋気の独楽」は、2回目。
   つっけんどんな女将さんの表情や、品を作った色気のあるお妾さんの仕草や語り口の上手さは抜群。
   若い頃の藍馬だと、引き合いに出して、お妾さんを演じて客席を喜ばせていた。

   藍馬の師匠圓馬のちりとてちんは、何度も聞いているが、臭くて辛くてどうしようもないちりとてちんを食べる表情の上手さ芸の細かさは、流石で、夫々の噺家の個性が滲み出ていて、いつも、楽しませてもらっている。
   
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国立演芸場・・・一龍齋貞水の「鏡ヶ池操松影より江島屋怪談」ほか

2019年06月22日 | 落語
   今日の「国立演芸場開場四十周年記念 第430回 国立名人会」公演は次の通り。
   私は、貞水の圓朝噺を聴きたくて出かけたのだが、ほかの落語なども名演で、楽しませてもらった。
落語「長命」      春風亭柏枝
講談「木津の勘助」  一龍斎貞友
曲独楽 三増紋之助
落語「ハワイの雪」 桂小南
― 仲入り―
講談 三遊亭圓朝原作「鏡ヶ池操松影より江島屋怪談」   一龍斎貞水
道具入り 制作協力:(株)影向舎

   「鏡ヶ池操松影より江島屋怪談」は、人間国宝・一龍斎貞水の前回の「累」と殆ど同じの道具入りの、立体怪談
   薄暗い舞台には、お化けの出そうな墓場の幽霊屋敷を模したようなセットが設営され、中央に置かれた講釈台に貞水が座っていて、講談のストーリー展開や情景に合わせて、照明が変化し効果音が加わって、オドロオドロシイ実際の現場を見ているような臨場感と怖さと感じさせる立体的な舞台芸術。
   語りながら百面相に変化する貞水の顔を、演台に仕掛けられた照明を微妙に変化させて、スポットライトを当てて色彩を変化させて下から煽るので、登場人物とダブらせながら凄みを演じる。
   影絵のように映った幽霊が、障子を破って突き抜ける演技も・・・

   「鏡ヶ池操松影」は、圓朝作の長編人情噺で、今回の噺は、
   江戸の呉服屋江島屋の番頭・金兵衛は旅先で大雪に見舞われ、老婆の住むあばら家に逗留する。夜中に寒さに耐えられなくなって目を覚ますと、老婆は着物を裂いて囲炉裏にくべながら、灰に「目」の字を書いて、箸で突いている。その理由を聞くと、娘の嫁入り衣装を江戸の江島屋で買ったのだが、馬に揺られながらの花嫁道中で、大雨に降られて、糊で貼りつけただけの粗悪品であったために、貼りつけたところがはがれて腰から下が切れ落ちて、笑い者となったので悲観した娘は利根川に入水して自殺する。その恨みを晴らすために、呪いをかけているのだと言う。江島屋に帰り着いた金兵衛は、まだ同じ悪事を重ねて悪どい仕事を重ねようとする主人に、粗悪品の詰まった倉庫に連れて行かれると、真っ暗な中から、幽霊が・・・老婆の呪い通りに、江島屋の店の者に災難が降りかかると言う話である。

   最晩年に、何回か聴かせてもらったしみじみと心に響く歌丸の圓朝噺とは、貞水の圓朝の怪談は、また、凄みと深さがにじみ出ていて、違った別な味と趣があって、面白い。

   もう一つの講談は、お馴染みの「木津の勘助」で、大阪弁丸出しで 一龍斎貞友が、豪快に演じて、私のような元関西人には、感極まるほど名調子の語り口で、堪らない魅力。
   浄瑠璃は、大阪弁が当然だが、元々、関西は上方、
   上方の芸能は、やはり、関西弁で語らないと、言葉の背後の微妙なニュアンスなども含めて上方の上方たる由縁の本当の面白さは、分からないと思っている。

    桂小南の「ハワイの雪」は、先に聴いた喬太郎の新作落語
   柔らかい語り口の喬太郎と違って、パンチの利いた小南の「ハワイの雪」は、大分雰囲気が違うのだが、古典落語ばかりをやっていて新作落語は、地震(自信)がないと、まくらに妙な地震を引っ掛けて語り始めた。
   幼馴染で子供心に将来を言い交した二人、ハワイにいるちえさんが上越の留吉に逢いたいと言う、腕相撲大会の賞金で得た二人分のハワイ行航空券を使って、留吉と孫娘はハワイに向かう。
   庭の車いすで憩う死期の迫ったちえさんに留吉が近づいて語りかける最期の会話で、感極まって相好を崩して、夢見るような恍惚境の表情になって静かに語り続ける小南、
   舞台の照明が消えて、小南だけに淡いスポットライトが当たり、ハワイには珍しい雪が舞い落ちてきて、約束した上越の雪かきを反芻しながら、ちえはしずかに天国へ逝く。
   上越の雪を一杯詰めてハワイへ持ち込んだが、消えていた
   また、歌舞伎の「じいさんばあさん」の舞台を思い出した。

   春風亭柏枝の落語「長命」は、絶世の美女で超魅力的な伊勢屋の娘に婿入りする男は、房事が重なって次から次へと亡くなると言う話で、「短命」とも言う。
   手と手が触れあって、そっと前を見る。……ふるいつきたくなるような、いい女だ。……短命だよと言う大家の言う意味が分からず、八五郎が、家に帰って邪険にする女房に茶碗にご飯をつがせて手が触れて顔を見て、「ああ、俺は長命だ」と言うオチ。   
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国立演芸場・・・立川流落語会初日」

2019年05月25日 | 落語
国立演芸場開場四十周年記念
5月特別企画公演
「立川流落語会」
24日(金)
落語 立川三四楼 遠山の金さん制度
落語 立川晴の輔 寿限無
落語 立川談修  狸の札
落語 立川龍志  片棒
―仲入り―
落語 立川雲水  天災
落語 立川談春  野ざらし
落語 立川談之助 最後の真打試験
江戸の唄 さこみちよ
落語 立川談四楼 一回こっくり

   私は、「赤めだか」の談春を聴きたくて、出かけた。
   三日間続く立川流落語会のうち、何故か、この日だけ一番売れが悪かったのだが、夫々、大変な熱演で、流石に、立川流だと感心した。

   談春は、「野ざらし」を語った。
   初めて聞く談春の本格的な落語なので、楽しませてもらった。
   「野ざらし」は、色々バリエーションがあるようだが、
   長屋で寝ていた八五郎(?)が、女の声が聞こえるので、女が出来たのかおかしいと思ってその主を問い詰めると、向島に釣りに行き野ざらしの髑髏を見つけて可哀想だと思って持って帰って供養したところ、その骨の幽霊がお礼に来たのだと言う。あんな美人が来てくれるのなら幽霊でも何でも構わないと、無理に釣竿を借りて釣場に勇んで出かける。沢山の釣り客を相手に、頓珍漢な受け答えをしたり、美人との妄想にふけっったりして繰り広げる醜態が面白く、とうとう、自分の鼻に釣り糸を引っかけて苦し紛れに、「こんなものが付いてるからいけねぇんだ、取っちまえ」とつり針を切って、川に放り込んでしまう。
   リズミカルで歯切れのよい語り口が実に巧妙で、色っぽい仕草なども抜群であり、人気絶頂の噺家の面目躍如である。
   足のない幽霊に、八五郎が、足があったかと執拗に聞くあたりなど、男の助兵衛心を覗かせるなど、とにかく、微妙な語り口のメリハリ、テンポ間合いに笑いと擽りを、豊かなしぐさと表情に込めて語り続ける、これこそ、落語の世界であろう。

   談四楼の「一回こっくり」は、「地震雷火事親父」と言うのだが、落語では、地震の話がないので、創作したと語り出した。
   談四楼の著書のタイトルでもあり、相当思い入れがあるのであろう。
   幼い息子を事故で亡くした大工夫妻がの前に、ある暑い夏の日に、幽霊となって現れて、突発した地震から助けると言う人情噺。その地震で、孤児になった可愛い女の子を貰って幸せに暮らすと言うオチがつく。
   談志とは、対極にあるような好々爺の談四楼のしみじみとした語り口と人情噺は、胸に染みる。

   立川談之助の「最後の真打試験」は、落語界の真打試験の実名入り(?)暴露ストーリー。
   八百長は、相撲から始まった言葉で、相撲の伝統であるから八百長がないと伝統違反だと勇ましい話から語り始めて、落語界の真打試験の裏話を語った。
   師匠談志が、落語協会真打昇進試験制度運用をめぐって、会長で師匠・小さんと対立して、落語協会を脱会し、落語立川流を創設したのもこの真打試験で、因縁深い話題だが、有象無象、面白い実話(?)で、落語より面白い。
   先の高座で、志らくが、三平を叩いていたが、談之助も、「こぶ平」の真打昇進に疑問を呈し、三平にも辛口批判をして、あの家で面白いのは、泰葉だけだと語っていたのだが、何か、あるのであろうか。
   
   
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国立演芸場・・・「桂歌丸追善落語会」

2019年04月20日 | 落語
   昨年、惜しまれて亡くなった歌丸の「桂歌丸追善落語会」。
   「笑点」の登場者が、全員出演しての賑やかな落語会で、面白かったが、落語の重み醍醐味と言うか、昨年、なくなる寸前、呼吸器を鼻に詰めて、45分間「小間物屋政談」を語りきって熱演した鬼気迫る歌丸の余人をもって代えがたい質の高い高座を思えば、一寸、これで追善と言えるのか、寂しさを感じた。
   落語に興味を持ってから、歌丸の高座には、それも、国立演芸場だけだが、かなり通っていて、その至芸に接して、色々な圓朝ものの質や格調の高さや、この「小間物屋政談」や「ねずみ」「竹の水仙」など滋味深い人情物語に感動しきりで、全く手を抜かない、誠心誠意の全力投球の話芸の凄さに、楽しませてもらってきた。
   
   

   「笑点」そのものが、軽やかな話芸の世界なのであろうが、私としては、歌丸に対抗すると言わないまでも、それに伍する格調と質の高い落語で、追善興行として欲しかったと思っている。
   と言ってみても、これはないものねだりで、歌丸には歌丸流の哲学や芸風があり、笑点の登場噺家も、夫々の芸の道、個性があるのであるから、それを楽しませてもらったと思えば良いのであろう。
   
   歌丸の思い出について、こもごも懐かしそうに語っていたが、非常に面白かった。
   高座の歌丸の印象とは違って、相当厳しい怖い先輩であったらしい。
   冨士子夫人のこと、それに、円楽が皮切りに、弟子が嫌いだった(?)と言って、怒られてばかりいたと言う枝太郎が、座談の場に飛び入りして、先輩たちと和気あいあいの掛合いで、観客を喜ばせていた。

   当日の番組は、次の通り。

落語 林家たい平    七段目
落語 林家三平     荒茶
落語 三遊亭圓楽    極楽八景噺家の賑い
落語 三遊亭小遊三   金明竹
―仲入り―
座談 ー桂歌丸師匠を偲んでー
落語 三遊亭好楽    め薬
落語 春風亭昇太    看板の一
落語 林家木久扇    昭和芸能史

   

   会場ロビーには、歌丸の芸歴や舞台写真などのパネル、笑点の机や遺品など、歌丸ゆかりの品々が展示されていて、俄作りの歌丸小展示場の雰囲気。
   実に、懐かしい。
   
   
   
   
   
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国立演芸場・・・小三治の「小言念仏」ほか

2019年01月08日 | 落語
   新春国立名人会の千穐楽は、次のプログラム。
   私にとっては、初笑いで楽しませてもらった。

獅子 太神楽曲芸協会
落語 古今亭文菊   湯屋番
講談 宝井琴調    徂徠豆腐
落語 柳家小ゑん   ぐつぐつ
奇術 伊藤夢葉
落語 桂文楽  六尺棒
―仲入り―
落語 春風亭一朝   芝居の喧嘩
落語 柳家小さん   親子酒
紙切り 林家正楽
落語 柳家小三治   小言念仏

   女風呂を見たくて湯屋番になった男が番台に上がって醜態を晒すという「湯屋番」から、人間国宝柳家小三治の「小言念仏」まで、流石に名人の高座なので、大笑い。
   講談の「徂徠豆腐」は、本来、赤穂浪士に切腹を進言した荻生徂徠の話で、何故、赤穂浪士に切腹と言う慈悲(?)を与えたか、この話が眼目なのだが、時間の関係で、極貧洗うがごとくで、豆腐をただ食いして飢えをしのいでいた侍に食を恵み続けていた豆腐屋の美談と、出世払いで報いた徂徠の人情噺に終わってしまったのが残念ではあった。
   お目出度い太神楽曲芸協会の獅子舞神楽は、正に縁起物、祝儀を渡して、獅子舞に頭を噛んでもらった人の神妙な顔つきを見て、これが、日本の伝統であり文化なのだと思った。
   正楽の紙切りは、いつも、小三治の前座だが、超絶技巧で、見とれている。

   小三治は、まくらに40分弱、「小言念仏」に20分弱、本格的な落語をじっくりと聴きたかったが、まくらで、小三治の人生観など思いの数々を語っていて、誠実な人間性が見えて興味深かった。
   「小言念仏」は、バリエーションがあるが、陰陽の話から、南無妙法蓮華経は陽で、南無阿弥陀仏は陰であると言うところから語り始めて、今回は、「ドジョウ屋!」の後で終わったが、これで、3回聴いており、何度聴いても面白い。

   冒頭、天皇陛下の話になって、良く知っている昭和天皇から大正天皇、そして、誰か年号を変えたい人がいる、自分の時代に年号を変えたのだと言いたいのだ、と言う。

   興味深かったのは、戦争の話。
   子供の時には、軍国少年であったと、当時覚えた軍歌を歌い始めて、幼い時の叩き込みは、怖い、と言う。
   韓国船からのレーダー問題に触れて、どうでも良いことだがと言いながら、あの盧溝橋事件などもそうだが、つまらないことが引き金となって、引っ込みがつかなくなって、戦争になった。
   戦争中、仙台の郊外の岩沼に疎開していたが、誰もいないような畑に、米軍のB29が飛んできて爆撃して逃げた思い出、そして、漆黒の闇に、仙台を、米軍機が絨毯爆撃した時に、ハラハラ、紅蓮に光りながら落ちてくるのを見て、「きれいだ」と言ったら大人にぶん殴られたと言う。
   何度も、戦争はダメだ、戦争はやってはならない、戦争はよそうよ、と繰り返した。
   戦後、アメリカ万歳と言う空気に妙な気がしたともいう。

   何故、噺家になったのか、親を一番困らせるためになったのだという。学芸大に失敗して予備校に通って居た頃であろうか。
   実家は、半士半農で、母親は非常に気位が高くて、偉くなれと言い続けられていて、偉いとは、陸軍大将や総理大臣であったという。
   良い学校を出て、良い会社に就職して、恵まれた生活を送るというのが親の願いであったのであろうが、噺家になって、一番がっかりさせて、何も考えずに過ごしてきたが、良かった、大正解であったという。

   小三治の命名については、真打になって格が上がったのに、世間とは違って逆に「小」がついたので不満だったが、「大三治(大惨事)」になると言われて諦めたと言って、柳家では、大切にしている名籍で、談志に求められた時に、小さんが、意地の悪いやつにはやらんと言った話があったとこか。
   志ん朝が、早い真打への出世で、父とは違ってハッキリと話せたが、わがままだったと言った話、そして、小さんや談志など、色々な噺家の逸話など語って面白かった。
   落語は、元は、小咄で、笑わせようということではない。
   ウケを狙って面白おかしく話そうとするのはダメで、人の心に残るような、心に響くような人生を語り、人々に成る程と納得してもらい、そこに笑いが生まれる、そんな噺でなければならない。と語っていた。
   
   
   
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国立演芸場・・・「芸術祭寄席」

2018年11月28日 | 落語
   11月27日の国立演芸場の公演は
   特別企画公演 明治150年記念
   芸術祭寄席 ― 寄席芸に映る明治のおもかげ ―
   プログラムは、次のとおりである。
   

   ― 寄席芸に映る明治のおもかげ ―と言うサブタイトルがついているのだが、特にその雰囲気を感じさせるのは、玉川奈々福 曲師沢村豊子の浪曲「英国密航」、そして、強いて言えば、 上野の停車場へ走る人力車を語った桂やまとの落語「反対俥」くらいであろうか。
   春風亭昇太の落語「権助魚」、桂雀三郎の上方落語「胴乱の幸助」、立花家橘之助の浮世節「たぬき」、柳家権太楼の落語「文七元結」も、明治と関連付ければ、そうかなあと思えるのだが、何も、明治にこだわらなくても、面白ければよいと思って聞いていた。
 
   それぞれ、選ばれた芸であるので、素晴らしかったが、やはり、感激して聞いたのは、トリの権太楼の落語「文七元結」。
   
   「文七元結」は、圓朝の人情噺で、
   長兵衛は、素晴らしい腕を持った左官職人でありながら、博打と酒で身を持ち崩して借金で二進も三進も行かなくなり、堪り兼ねた娘お久が女郎屋「角海老」に自ら身売りして拵えた50両を、持ち帰る途中で、回収金50両を盗まれて身投げしようとしていた白銀町鼈甲問屋近江屋の手代文七に「命はカネでは買えない」と言ってくれてやると言う、お人好しか馬鹿か男気があると言うのか、そんな気風の良い江戸の男の話である。
   赤貧芋を洗うがごとき貧しい生活をしていて、呼び出されて「角海老」の女将に会いに行く時にも、半纏しかなくて女房お兼の着物を脱がせて着て行き、金をなくして帰ってきて、腰巻も屑屋に売って裸同然の姿で衝立の陰に隠れているお兼と血の雨が降る大ゲンカ、
   そこへ、盗まれたと思っていたカネは置き忘れだと分かり、近江屋の主人卯兵衛が文七を連れてお礼に参上し、娘を身請けした上に、文七に暖簾分けをして独立させるので娘を嫁にと願い出るというハッピーエンドで終わる。

   これまで、この物語は、落語で聞くよりも、歌舞伎の舞台で、観る方が多かった。
   最初は、幸四郎(白鷗)の長兵衛に染五郎(幸四郎)の文七、
   しかし、何回か観ているのは、菊五郎の長兵衛と時蔵のお兼、それに、菊之助と梅枝の文七、尾上右近のお久、私には、菊五郎と時蔵の夫婦像が目に焼き付いている。

   落語では、三遊亭圓丈で、2回聴いている。
   歌丸の圓朝ものは、かなり聴いているので、聴いたか聴いていないかは別として、何となく、語り口は分かるような気がしている。

   歌舞伎では、大河端の直後は、長兵衛宅の凄まじい夫婦げんかで幕が開くが、落語では、文七が店に帰り、盗まれたと思っていた50両が置忘れで届いていたという話から始まり、舞台が近江屋に移って、大店の人間模様が描かれていて興味深い。
   お久が苦界に身を沈めた50両だという話でありながら、命の恩人の名前も住所も聞かなくて窮地に立った文七に、番頭の平助が、立て板に水、水を得た魚のように、吉原の女郎屋情報を開陳して店の名を羅列して思い出させる当たりなど、「固いと思っていた番頭さんが!」と主人卯兵衛を唸らせる当たり、怪我の功名としても、まさに落語の世界で、番頭はかくあるべきと江戸ビジネスの一端を垣間見せて面白い。

   圓丈の「文七元結」の独特な圓朝の世界に感動を覚えて、この噺の凄さを知った。
   おそらく、歌丸が語れば、昭和平成の語り部よろしく、しっとりとして胸にしみこむ圓朝の世界を再現させてくれたのであろうが、権太楼の「文七元結」は、真剣勝負そのものの剛腕直球の鋭く冴えた語り口で、登場人物が、権太楼に乗り移ったような臨場感あふれる熱演で、江戸落語の奥深さ、年季を重ねたいぶし銀のような芸の輝きを実感して感動した。
   子供の不祥事で、親が世間に頭を下げ続ける世相を語って、逆に、親が悪いと始末に負えないと、枕を端折って語り始めて、40分みっちりと「文七元結」を語り切ったのである。

   立花家橘之助の浮世節「たぬき」は、昨年の襲名披露公演できいていて二回目、しっとりとした、正に文明開化ムードで素晴らしい。
   非常にパンチの効いたエネルギッシュな落語「反対俥」を語った桂やまとが、下座でたぬきサウンドを奏しながら、たぬきのぬいぐるみ姿で舞台に登場して、器用に小鼓を打って、 橘之助の三味線と浮世節に唱和して、芸達者ぶりを披露していた。

   玉川奈々福 曲師沢村豊子の浪曲「英国密航」は、伊藤博文の機転と才知で、長州藩士5人が、ロンドンへ密航する話で、足軽ながら向上心に燃える伊藤俊輔が後に総理大臣に上り詰める秘密の片鱗を見せていて、下剋上、波乱万丈の明治維新が、革命なしに成し遂げえたワンシーンが見えて面白かった。
   上智をでた才媛でインテリ浪曲師、とにかく、パンチの効いたはつらつとした語り口が、最高で、新しい浪曲の世界を開いてくれるであろうと、期待している。

   私が、幼少年から青年時代を送ったのは、敗戦の混乱期から、神武景気を経て東京オリンピック、やっと、日本が立ち上がりかけた時代であったから、正に、第二の明治維新。
   敗戦で荒野と化した国土で、食うものも真面に食えずピーピー言って子供時代を過ごした私自身が、幸運に恵まれたというべきか、学生歌の文句ではないが、”フィラデルフィアの大学院を出て、ロンドンパリを股にかけて”、企業戦士として欧米人と闘いながら地球を歩いて来れたのは、今思えば、夢の夢。
   しかし、修羅場を潜っての苦難の連続、
   玉川奈々福の浪曲を聴いていて、涙する思いであった。

   春風亭昇太が、落語「権助魚」を語る前に、まくらに、幕末に、薩摩や長州が、無謀にもイギリスと戦端を交え、やっと、国家として立ち上がりかけた新生日本が、大国中国やロシアに挑んでそれも勝ったと言う話をしながら、豊かに成り過ぎて、新鮮味を有難みも薄れてしまった今の世相を、笑いに紛らわせながら、語っていた。
   初めて食べたピザの途轍もない美味しさ、欲しくても食えなかった寿司を、初月給を握って寿司屋に行って食べた時の興奮、
   幼いガキが、回転寿司屋で器用にパネルを操作し、そして、高級寿司屋で、トロやウニなどを食っている昨今・・・何が人間にとって幸せなのか、
   「権助魚」も中々の話芸開陳であったが、昇太のぼやきマクラも面白い。

   桂雀三郎の上方落語「胴乱の幸助」は、喧嘩の仲裁をするのが道楽の割り木屋の親父の幸助が、、浄瑠璃の稽古屋の前で、「桂川連理柵」お半長右衛門帯屋の段の嫁いじめの所の稽古を聞いて、浄瑠璃を知らなくて本当の話だと思って、大阪の八軒屋浜から三十石船に乗って伏見で降りて、尋ね歩いて、柳の馬場押小路虎石町の呉服屋に行って仲裁を試み、お半と長右衛門をここへ出せと言ったら、桂川で心中したと言われて、汽車で来れば良かった。と言ったとぼけた話。
   米朝の名調子を、YouTubeで見られるが、桂雀三郎の大阪弁も冴えていて面白かった。
   
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国立演芸場・・・志らく「寝床」市場「らくだ」ほか

2018年10月16日 | 落語
   今回の 第422回 国立名人会 は次の通り。

落語「明烏」 春風亭柳朝
落語「位牌屋」 柳家一琴
落語「寝床」 立川志らく
―仲入り―
講談「赤垣源蔵 徳利の別れ」 宝井琴調
曲芸 鏡味仙三郎社中
落語「らくだ」 柳亭市馬

   落語は、冒頭のまくらが面白いのだが、市場は、まくらなしに、直接「らくだ」を語り始めた。
   志らくもまくらを端折ったが、「寝床」は、下手な義太夫を聴かされる地獄の話だと言って、落語も同じで下手な落語も、これも地獄で、笑点でも、酷いのが居て、名前は言わないがと言って、三平の名前を上げて笑いを誘っていた。

   志らくの語り口は、時々、談志を彷彿とさせる。
   テレビや映画でも活躍している志らくの高座は、やはり、パンチが利いていてリズミカルで面白く、大家と番頭のやり取り、長屋の連中の右往左往、非常にビビッドで楽しませてくれた。
   私は、談志の高座を聴いたことはないが、WOWOWの特集やYouTubeなどで、随分聴いているので、頭にこびりついており、この談志のYouTubeの「寝床」も、癖のある語り口が多少気にはなるが、表情豊かで面白い。

   江戸時代には、義太夫は、一般人の教養と言うか高級な趣味であったのであろう。
   このように大店の旦那の義太夫好きが高じて、丁稚までが、出前途中に、次のような名セリフを口ずさんでいたと言うのであるから、面白い。
   「壷坂霊験記」のお里の”三つ違いの兄さんといって暮らしているうちに、・・・”
   「艶容女舞衣」のお園の”いまごろは半七さん、どこにどうしてござろうぞ、・・・”

   市場の高座には、結構出かけているのだが、今回の「らくだ」のように、本格的な落語を、みっちりと丁寧に語るのを聴いたのは、初めてである。
   この噺は、馬鹿馬鹿しいながら、あり得る話でもあり、夫々の人間模様が面白くて、やはり、落語協会の会長だけあって、聴かせて楽しませてくれた。

   札付きの乱暴者のらくだが、フグに当たって死んだと言うので、ほとほと困り抜いて手を焼いていた長屋の連中は大喜び。兄貴分の熊五郎が、兄弟分の葬儀を出してやりたいと思ったのだが、金がない。   
   上手い具合に屑屋がやってきたので、この屑屋を脅して、月番の所に行かせて、長屋から香典を集めさせ、大家から、酒と料理を出させ、八百屋から棺桶代わりに漬物樽を調達させようとするのだが、
   大家が断わったので、兄貴分は屑屋にらくだの死骸を担がせ、大家の家に乗り込んで行き、屑屋に「かんかんのう、きゅうれんすー」と歌わせて、死骸を文楽人形のように動かして踊らせたので、大家は恐怖に慄いて依頼に従い、八百屋もその話を聞いて即座に言うことを聞く。
   ところが、ここで噺が終わるのではなくて、兄貴分が、穢れ落としに屑屋に酒を強要するので、断り切れず飲み始めた屑屋が、酒乱と化して、主客逆転。 
   酔っぱらった二人は、剃刀を借りてきてらくだを坊主にして、漬物樽に放り込んで荒縄で十文字に結わえて、天秤棒を差し込んで二人で担ぎ、屑屋の知り合いがいる落合の火葬場で内緒に焼こうと運び込むのだが、途中で、樽の底が抜けて仏を落としてしまう。
   仕方なく死骸を探しに戻ると、途中で、願人坊主が寝ていたのを、酔った二人は死骸と勘違いして樽に押し込んで焼き場へ持って行き火を点ける。
   熱さで堪え切れなくなった願人坊主が 「ここは何処だ」 「焼き場だ、日本一の火屋(ひや)だ」 「うへー、冷酒(ひや)でもいいから、もう一杯くれ」
   
   オチが、辻褄があっているのかどうか分からないのだが、二つのサブストーリーが入り組んでいるので、江戸に移ってから、後半の葬礼(ソウレン)に工夫が加わって、バリエーションが出来ているようである。

   「明烏」だけは聞いたことがなかったので面白かった。柳朝も名調子で上手い。
   日向屋の若旦那である時次郎は、難しい本ばかり読んでいる堅物で、困った父親が、札付きの遊び人の源兵衛と多助に、時次郎を吉原に連れて行くよう頼み込んで、「お稲荷様のお篭り」と騙して誘いだす。吉原では、二人は女に振られて散々だが、時次郎だけは、しっぽりと楽しんで朝を迎える。朝迎えに行った二人に、前夜遊郭だと知って慌てて帰ろうとした時次郎が、大門には見張りがいて、勝手に出ようとすると袋叩きにされると脅されたのを、逆手に取って、花魁に足を絡ませられて蒲団の中から出て来れず、「帰ろう」と言う源兵衛と多助に、「勝手に帰りなさい、大門で袋叩きにされるよ」。

   
   
   
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国立演芸場・・・国立名人会:小三治の「出来心」

2018年09月29日 | 落語
   今日の「第421回 国立名人会」のプログラムは次の通り。

   落語 「黄金の大黒」 柳家三之助
   落語 「里帰り」 三遊亭吉窓
   落語 「質屋庫」 むかし家今松
    ―仲入り―
   落語 「禁酒番屋」 柳家はん治
   紙切り 林家正楽
   落語 「出来心」 柳家小三治
  
   とにかく、人間国宝小三治の高座のチケットを取るのは、至難の業。
   国立劇場ファンのあぜくら会員にしても、10日のチケット予約日には、インターネットで30秒間の勝負で、瞬時に完売してしまう。
   それはそれとして、今回は、予定時間を30分も越えての熱演で、名調子の泥棒の話「出来心」を語り切った。

   まくらで、世間は、78歳で、もうすぐ、79歳になる自分を年寄りと言う 
   と言ったら、付き人の女性に、
   20年前、78歳の人をどうお思いましたかと聞かれて、
   「めちゃめちゃジジイ、先が、可哀そう、だと思った」と答えたと言う。

   この頃、思い出す歌があると言って、歌い出した。
   渥美清の「泣いてたまるか」の歌である。

   天(そら)が泣いたら 雨になる
   山が泣くときゃ 水が出る
   俺が泣いても 何にも出ない
   意地が涙を・・・泣いて・・・泣いてたまるかヨ~・・・とおせんぼ

   58も78もないと言って、頚椎手術の話をして、右手で湯飲みを取り上げて、手術のbefor/afterを実演して見せた。

   物忘れが激しいことを嘆いた。今、一寸した前のことも分からなくなる。
   噺家も、特別ではなく皆と同じです。と言って笑わせた。

   今日は調子が悪い。皆さんんは不運だ。
   今日は泥棒の話だろ、話が決まっていると、自由を束縛されていて嫌だ。
   と言いながら、語り始めた。

   さて、「出来心」は、土蔵破りのつもりが、お寺の壁を破って墓地に入ったと言う間抜けな泥棒の話で泥棒の親分に弟子入りして、微に入り細に入り空き巣の手ほどきを受けて、捕まった時には、「80歳の母がいて、13を頭に5人の子供がいて、仕事がなくて生活に困って、出来心でやったので許してくださいと言えば、頑張れと言って1万円くらい貰えるかもしれない」と教えられて、留守宅を探して空き巣稼業に出る。
   頓珍漢を重ねながら、格子が開いている家があったので、上がり込んで上等のたばこがあったので吸って、お茶を飲んで、美味い羊羹を三枚重ねて頬張っていると、途端に2階から声が掛かってビックリした弾みに羊羹が喉に引っかかって七転八倒、出て来た主人に背中を叩いてもらい、親方に教えてもらった通りに「この辺に、サイゴベエさんは居ませんか」、「それはワシだ」、泥棒は、面食らって、下駄を忘れて玄関から飛び出す。
   次に、貧乏長屋に辿り着き、一番奥の長屋に忍び込んだが、部屋には空き家だと勘違いしそうなぐらい何もなく、腹が減ったので、鍋にあったおじやを美味そうに食べていると、家人の八五郎が帰ってきたので、逃げ場がなく、あわてて泥棒は縁の下にもぐりこむ。
   八五郎は、泥棒に入られたことを知って、家賃を払えずに困っていたので、「泥棒に入られ金を持っていかれたから」と家賃を免除してもらおうと考えて、 家主を連れて来る。
   八五郎からインチキ事情を聞いた家主は、「被害届を出すから」と何を盗られたのかと質問するのだが、八五郎は、元々、何もなかったので、口から出まかせで、家主が羅列した「泥棒が盗って行きそうな物」を総て盗られたといって羅列するのを、家主は調子を合わせて記録する。
   そこへ、隠れていた泥棒が出てきて、「出来心」と謝り、逃げていた八五郎も詰問されて、「ほんの出来心」。

   小三治の「出来心」は、YouTubeで聴けるが、30分のバージョンでは、真ん中の「サイゴベエ」の話が省略されていて、今回は、45分の完全バージョンを語った。
   若い頃のパンチが聞いた語り口とは趣が違ってきているが、しみじみとした滋味深い語り口が感動的であった。
   羊羹を頬張って咽て苦しむ様子や美味しそうにおじやをかき込む仕草など、国宝級の芸の輝き、
   とにかく、淡々と語る風情にも人間性が滲み出ていて清々しい。
   
   泥棒の落語は、結構、色々あるようだが、上方落語の「盗人の仲裁」が、江戸落語化した「締め込み」が面白い。
   泥棒は自分の金をそっくり博打ですった職人にやる「夏どろ」
   ヘボ碁試合に入れ込む碁の好きな泥棒の噺「碁どろ」

   落語だから笑っておられるが、実際に泥棒に遭遇すると恐ろしい。
   
   
   
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国立演芸場・・・上方落語会

2018年08月25日 | 落語
   今日の国立演芸場のプログラムは、「上方落語会 春之輔改メ 四代目 桂春團治襲名披露公演」

   演題は、次の通り。
   落語 笑福亭べ瓶   時うどん
   落語 桂三若     宿題
   落語 桂きん枝     悋気の独楽
    ―  仲入り  ― 
   口上 桂春團治 三笑亭夢太朗 桂きん枝 桂三若
   落語 三笑亭夢太朗   目黒のさんま
   落語 春之輔改メ四代目 桂春團治  親子茶屋

   面白かったのは、桂三若の「宿題」。
   なかなかの美男子で、表情豊かにパンチの利いた語り口が秀逸。
   この三若が、口上の司会役も務めたのだが、上手い。
   「宿題」は、今様家庭劇を題材にした師匠文枝の新作落語で、三若は、オリジナルの短縮バージョンで熱演。

   小学6年生のはじめが、塾の宿題を持って帰って来るのだが、難しくて分からない母親は、仕事で疲れて帰ってきた父親に教えてやってくれと振る、算数の文章題で鶴亀算である。
   月夜の晩数えてみると、鶴と亀を合わせて16匹、足は44本、鶴と亀は何匹ずつでしょうかと言う問題で、x、yを使えば簡単に解けるのだが、小学生であるから、加減乗除の筆算なので、頭の問題であり、慣れない親は途惑って即答できない。
   翌日も、その翌日も、同じような文章題を宿題に持って帰って父親を悩ますので、頭にきた父親は、塾に怒鳴り込みに行く。先生は、「わかりました、もう難しい問題は出しません」。何でそう言えるんだと突っ込む父親に、「お父さんの学力の程度がわかりましたから」。

   Youtubeで、文枝のオリジナル・バージョンの高座を見ると、この部分は、きん枝の高座には抜けているのだが、翌日、父親は会社に行って、部下の京大を出た新入社員に聞くと、即答して計算の仕方まで教わるのだけれど、まだよくわからないのだが、急に部下に優しくなる。
   子供の能力や生活程度に合わせて子供のカリキュラムを考えると言うことのようだが、親も親としてのメンツがあって、夫婦や親子の対話や受け答えが、非常にビビッドで面白い。
  あの山中伸弥教授でさえ、お嬢さんが高校生の時に、数学の問題を聞かれたのが答えられなくて、「お父さんは京大教授でしょ。」と言われたと本に書いていた。
   

   桂きん枝は、色々な武勇伝の多い波乱万丈の人生を歩いてきた名うての上方の噺家とかで、来年、桂派の由緒ある名跡で師匠の前名である「桂小文枝」を継ぎ、「四代目 桂小文枝」を襲名する予定だとか、はりきっている。
   阪神の大ファンだとかで、まくらに、阪神ファンの常軌を逸した派手な行状をひとくさり。
   口上での、歯に衣を着せないきん枝の語り口が面白かった。
   
   この「悋気の独楽」は、何回も聞いている落語で、お馴染みだが、元々、上方オリジナルの話で、東京で演じられると少し話が変わっていて面白い。
   きん枝の語り口は、ウィキペディア記載と殆ど変わらないバージョンで、丁寧に語っていて面白い。
   妾宅へ通い詰める主人に気づいた妻が、お伴の定吉に白状させる話で、面白いのは、定吉が持っている3つの独楽(主人、妻、妾)で、妻と妾の独楽を回して、後から真ん中に主人の独楽を回して、近づいた方に主人が泊ると言うことなのだが、何度回しても、主人独楽は。妾独楽になびいて行く。「あ、御寮人さん、こら、あきまへんわ」「なんでやの?」「へえ、肝心のしんぼう(心棒/辛抱)が狂うてます」。
   独楽は、取って付けたような話だが、女性の嫉妬をテーマにした噺とかで、面白い。

   三笑亭夢太朗の「目黒のさんま」と 桂春團治の「親子茶屋」、
   合わせても30分ほどの高座。
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国立演芸場・・・一龍斎貞水の講談「累」ほか

2018年06月23日 | 落語
   今日の国立演芸場の 第418回 国立名人会 は次の通り。
   チケットは早くからソールドアウト。

講談「馬場の大盃」 一龍斎貞友
曲独楽 三増紋之助
落語「中村 仲蔵」 三笑亭夢太朗
― 仲入り―
講談「累」 一龍斎貞水
制作協力:(株)影向舎

   人間国宝・一龍斎貞水の立体怪談「累」、
   薄暗い舞台には、お化けの出そうな墓場の幽霊屋敷を模した装置が設営され、中央に、苔むした講釈台が置かれて、貞水が座っていて、講談のストーリー展開や情景に合わせて、照明が変化し効果音が加わって、オドロオドロシイ実際の現場を見ているような臨場感と怖さと感じさせる立体的な舞台芸術。
   語りながら百面相に変化する貞水の顔を、演台に仕掛けられた照明を微妙に変化させて、スポットライトや色彩を変化させて下から煽るので、登場人物とダブらせて、凄みを見せる。
   暗闇の舞台の破れ提灯や行燈が微かに揺れて光を帯び、行燈が割れてドクロ首が飛び出し、寂びれた障子に幽霊の影が映ったり、人魂が宙を舞ったり、最後には、累(かさね)の亡霊が障子を破って飛び出す。

   主人公の累は、顔が醜いために夫に殺されて、怨霊となってとり憑く女の物語。
   怨霊は、化けて自由自在に登場して、復讐して恨み辛みを晴らすと言う特権を持っているので、どんな手を使ってでも、いくらでも悪を挫き正義の味方面が出来る虚構の世界の住人。この、いわば、庶民にとっては、無残に夢を絶たれて逝った悲劇の主人公が救世主のような蘇って留飲を下げてくれるのであるから、怖いけれど面白い。この逆転パラドックスが、怪談の良さかも知れない。

   さて、記憶が確かなら、「累」の話は、
   下総国岡田郡の百姓・与右衛門は、後妻のお杉の5才の連れ子を邪険に扱って、誤って川に溺れさせて、棒杭に顔を打ち付けて醜い顔になって土座衛門として上がってきたのだが、それが祟って、その後生まれた娘累もよく似た事情で、片足が悪くて醜い顔になって成人したのだが、息倒れで倒れていた流れ者の谷五郎を甲斐甲斐しく看病し、両親の死後、二代目与右衛門として婿に迎えて跡を継がせる。しかし谷五郎は、容姿の醜い累を殺して別の女と一緒になる計画を立て、累の背後に忍び寄って、川に突き落とし、必死に縋る累を残忍な方法で殺す。その後、谷五郎は幾人もの後妻を娶ったが、次々と死んでしまう。頑健な後妻・きよとの間に、娘菊が生まれたが、累の怨霊が現れて、少女になった菊を責めさいなむ。 
   最後は、弘経寺の祐天上人が累の解脱に成功するのだが、オドロオドロシイ累(後に、かさね)の怨霊の凄まじさに圧倒される。

   累ものとして、歌舞伎など色々作品はあるようだが、この累の死体が上がったところを累ヶ淵と言うようで、三遊亭円朝も、怪談噺「真景累ヶ淵」を作っている。
   落語の圓朝ものも、当然、立体落語になるであろう。
   歌丸の圓朝ものでも、効果音が入ったり、趣向を凝らした高座もあったりで、面白いことがある。
   一度、円丈の高座だと思うが、立体落語を見た記憶があるが、落語に、幅と奥行きを感じて、非常に面白かった。

   一龍齋貞友の「馬場の大杯」は、伊賀上野の藤堂高虎の子息2代目大学守高次公の酒の相手をした侍の話。
   名調子で面白かった。
   アニメのちびまる子ちゃんやクレヨンしんちゃんなどの声優なので、学校の公演に行くと、人気絶頂で、師匠を食うとか、貞水が語っていた。
   
   夢太朗の落語「中村仲蔵」は、歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」の五段目の(二つ玉の段)で、与市兵衛の財布を奪って、「五十両ォ~」と一言喋るだけの斧定九郎を、名優の演じる役どころにした「中村仲蔵」の革新的な芸の編み出し逸話。
   歌舞伎ファンであり、よく知っている話なので面白かった。

   曲独楽の三増紋之助
   器用な曲芸師だが、真剣の切っ先に独楽が移動する瞬間に、独楽を落としてしまった。
   わざとではないと思うが、やり直して成功、客は、むしろ、両方を見られて大喜び。
   後に高座に上がった、夢太朗が、万が一の失敗を枕に語っていたら、袖から、三増紋之助が飛び出してきて抗議したので、客席爆笑。
   
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国立演芸場…6月花形演芸会

2018年06月19日 | 落語
   6月の 第469回 花形演芸会 のプログラムは次の通り
      
落語「長短」 三遊亭楽天
曲芸 丸一小助・小時
落語「死ぬなら今」 三遊亭朝橘
上方落語「遊山船」 桂吉坊
―仲入り―
落語 「ちりとてちん」三遊亭圓楽
漫才 母心
浪曲「稲むらの火」 菊地まどか
宮本麗子=作 曲師=佐藤貴美江

   吉坊の落語と菊池まどかの浪曲を聞きたくて、出かけたのである。
   祖父がラジオで聞いていた浪曲が、私の最初の古典芸能への接触だが、別に好きでも嫌いでもなく、何の興味も湧かなかったのだが、最近、国立演芸場に通っていて、しばしば、聞く機会があって、面白いと思い始めたのである。
   それに、最近、女流の落語家など古典芸能で、女性芸人の活躍が目覚ましく、一寸、雰囲気のある芸を楽しめるので、注目しており、若くて綺麗なまどかが、新作ながら、あの有名な和歌山の「稲むらの火」を演じると言うのである。

   まず、吉坊の「游山船」
   天神祭りで賑わう夕暮れ時、喜六と清八の二人連れが、浪花橋の上から大川を見下ろして、賑やかに行きかう夕涼みの屋形船を見下ろして、無学な喜八が少し学のある清八に挑む頓珍漢な会話が世間離れしていて、実に面白い落語。
   喜六がボケで清八がツッコミと言う、正に、上方漫才の落語バージョンと言った感じで、テンポの速い小気味よい吉坊の畳み掛けるような大阪弁の語り口が秀逸。
   御大人が、芸者や舞子、太鼓持ち、料理人を従えての屋形船の模様を存分に聞かせて、最後は、
   碇の模様の揃いの浴衣を着て派手に騒いでいる稽古屋の舟に見とれた清八が、
   「さても綺麗な錨の模様」と呼びかけると、舟の上から女が「風が吹いても流れんように」
   感心した清八が、喜六に「お前のとこの嫁さんの”雀のお松”は、あんな洒落たことよう言えへんやろ」と言ったので、頭にきた喜六が、家に帰って、嫁さんに、無理に、去年の汚い錨模様の浴衣を着せて盥に座らせて、屋根の天窓に上がって声を掛けようとするのだが、どう見ても汚くて絵にならないので、
   「さても汚い錨の模様」 洒落た嫁はんのこたえは「質においても流れんように」

   殆ど内容のない噺で、毒にも薬にもならない人畜無害の落語だが、正に、語り手の話術の冴えが光る高座で、Youtubeで、ざこばや笑福亭松鶴の「游山船」が聞けて面白いが、吉坊のパンチの利いた爽やかな落語を楽しませて貰った。

   菊地まどかは、アラフォーの大阪市出身の浪曲師、演歌歌手。
   このタイトルの「稲むらの火」は、1854年(嘉永7年/安政元年)の安政南海地震の津波の時に、紀伊国広村の庄屋濱口儀兵衛(梧陵)が、自身の田にあった収穫直後の稲藁に火をつけて、村人たちを安全な高台にある広八幡神社への避難路を示す明かりとし誘導して助けたと言う実話をもとにした話で、小泉八雲が、「A Living God」として著わしており、有名な逸話である。
   30分弱の菊地まどかの名調子が、感動的であった。
 
圓楽は、歌丸の必死で高座を務める様子を笑いに紛らわせてまくらに語っていたが、心の交流があったればこそ、優しさがホロリとさせる。
   あまりにもポピュラーな「ちりとてちん」
   芸の年輪を感じさせて面白かった。

    三遊亭楽天も三遊亭朝橘も、圓楽一門会のメンバー。
   三遊亭楽天は、元ダンサーと言う特異なキャリアーで、02年の入門と言うから、落語歴は新しくて二つ目だが、既に、大物の風格のある堂々たる語り口。
   三遊亭朝橘 の「死ぬなら今」は、阿漕な商いで巨万を築いた伊勢屋の旦那が死んで、閻魔庁へ出頭して、閻魔大王ほか、冥官十王、赤鬼、青鬼など居並ぶお偉方に賄賂を握らせて天国行き。代々の伊勢屋の遺言で「地獄の沙汰も金次第」が定着して、その悪事が露見して、地獄の鬼たちお偉方は、すべて、天国にしょっ引かれて、地獄は空っぽ。「死ぬなら今」だと言う噺。
   三遊亭朝橘の話術の面白さが、冴えて楽しませてくれた。
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