熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

NOVAやコムスンの挫折とP・ドラッカー

2007年06月30日 | 経営・ビジネス
   ミートホープなどと言う意味不明の和製英語名の会社が世間を騒がせているが、これなどは古い形の経営の腐敗である。
   しかし、NOVAやコムスンなどの場合は、新しい時代の潮流と言うか時流に乗って生まれ出でたる新規事業で、云わば、今様ベンチャー企業の、マネジメント体制の不備による典型的な不祥事のケースである。 

   久しぶりにドラッカーを読みたくなって、22年前の著書「イノベーションと企業家精神」を読んでみたのだが、ベンチャー企業についての面白い記述があって、これらの2社の不祥事を考えるのに参考になった。(余談だが、この本、決して色あせては居ない現役の経営学書である。)
   ドラッカーは、”ベンチャーは、いかにアイデアが素晴らしくとも、いかに資金を集めようとも、いかに製品が優れていようとも、いかに需要が多くとも、事業としてマネジメントされなければ生き残れない。
   19世紀最高の発明家トーマス・エジソンは、このことを理解できなかったために手がけた事業の総てに失敗した。マネジメントとはボスであると考えていた彼は、マネジメントのチームをつくらなかった・・・”
   
   回りくどい説明など不要で、要するに、NOVAの場合も、コムスン(と言うよりもグッドウイル)の場合も、ベンチャー企業がその成長過程で、金儲けの才覚には長けているが本来のあるべきマネジメント能力に欠けるワンマン社長が、暴走したケースであり、更に、遵法精神に欠け、企業道徳まで喪失して、政府の補助金事業を悪用して、本来社会に貢献すべき教育や福祉までも食い物にしたと言う単純な事件である。

   勿論、ドラッカーは、悪徳経営者によるベンチャーは想定していないので、これらのケースは問題外ではある。
   余談だが、ヒューマニズムの発露か性格かは分からないが、ドラッカーの本には、最近の自分で自分の報酬を引き揚げる経営者を非難した以外は、悪徳経営者についての記述は皆無に近い。

   この本でドラーカーが強調しているのは、成功のためには、トップマネジメントチームを実際に必要となるずっと以前から用意しておくことと、事業拡大と継続のために創業者は自らの役割、責任、位置づけについて何が適切かを見極めて対処すべしと言っているのである。
   要するに、企業家としての創業者の使命は、自分自身の意思とは関わりなく企業家精神を会社組織の中にビルトインして経営すべしと言うことで、ワンマンであったり、暴走してはならないと云うことである。特に、ドラッカーは、創業者に対抗できるご意見番、第三者の助言の必要性を強調しており、創業者の規律のない放縦、独裁への堕落を戒めている。
   継承が上手く行かないと、カリスマ的な初代が逝くと崩壊する企業が殆どだし、経営チームの構築に失敗して、自分を導き支える同僚の経営者を擁することの出来なかった企業も成長が頓挫したり問題を起こすケースが多いのは、この辺の事情であろう。

   これらベンチャー企業の不祥事と挫折については、ヒューザーやブックオフ、ライブドア問題などにも相通じるところがあるが、企業道徳やモラルの欠如した企業家精神旺盛なイノベーターかつ創業者が暴走すると、マネジメント機能は勿論カウンターベイリングパワーが働かず、行き着くところまで行かないと止まらないと云うことである。
   それに、世の中が複雑になり変化が激しくなってきており、高度なマネジメント能力を欠いて、アイデアと金儲けだけに長けた経営者であるというだけでは、企業を操縦できなくなって来ているのである。
   江戸時代や明治時代の創業者の創った家訓や社訓と言った商業道徳に裏打ちされた企業家精神は消えてしまったのであろうか。

   日本社会、特に、経済社会体制が、アメリカ型に傾斜し、その会社経営や商習慣の導入が進めば進むほど、ルール違反者は徹底的に追及して厳しく罰するなどといった社会的制裁を科す以外に方法がないのかも知れない。
   
(追記)写真は、南天の花。
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セビリアの理髪師・・・イタリア・スポレート歌劇場

2007年06月29日 | クラシック音楽・オペラ
   大宮のソニックシティで、久しぶりに愉快なロッシーニのオペラ「セビリアの理髪師」を楽しんだ。
   最高1万3千円を支払えば、これほど良質で密度の高いロッシーニを聴けるなんて、コストパーフォーマンスの非常に高いオペラ公演であった。
   主役の歌手達は若手でキャリアは浅いとしても、非常に芸達者で実に上手いし、とに角、のりの良い軽快で早いテンポの浮き立つようなロッシーニ・サウンドに乗って元気な芸を披露しながら、縦横無尽に演じきる、実に小気味の良いオペラで、とにも角にも、楽しいのである。

   この劇団の町スポレートは、中田が居たペルージャから少し南にあるウンブリア地方のしっとりとした中世の古都のようである。
   私は、三年前にこの近くのアッシジに二泊したので多少雰囲気は分かる気がするのだが、ミシュランの緑ガイドを見ると、夏には、イタリア系アメリカ人の興行主で作曲家のジャンカルロ・メノッティによって開設されたスポレート・フェステイバルで人々を集めるようである。

   これとは別に、弁護士兼音楽研究家のアーノ・ベッリが、1947年に「A・ベッリ実験オペラ劇場」を開設してから、デビュー経験のない若手歌手や芸術家のために登竜門となり、多くの世界的なイタリア人歌手を排出してきたと言う。
   F・コッレリ、R・ブルソン、R・ライモンディ、L・ヌッチ、R・パネライ、J・サバティーニ等々私の聴いたイタリア人男性歌手の多くがここから巣立ったとのことだし、アンナ・モッフォの名前まで出てくる。
   余談だが、アンナ・モッフォと言えば、たった一回きりだが、ニューヨークのMETで、道化師のネッダを観たが、とに角、歌は上手いし実に美しかった。この時、天はニ物を与えずと言う諺がウソであることを確信した。

   ところで、今回はこの劇場の引越し公演と言うことで地方も回っているようで、歌手には大分ばらつきがあって、大宮の場合には、主役が若手のようであったが、イタリアオペラの層の厚さは流石で、殆ど、そんなことを意識せずに鑑賞することが出来た。
   尤も、先ごろ観たMETのライブビューイングの「セビリアの理髪師」と比べてしまうのだが、このスポレート劇場の舞台の方はもっとイタリア的でローカル色が強くて、親しみ易くてストレートに迫ってくる楽しさがある。
    
   舞台は、中央にこじんまりした住宅の壁面があり、上手の2階のバルコニー兼出入り口の踊り場から下手に向かって階段が下りていて、その先に玄関口が付いているシンプルなもので、これで移動なしに全幕を通す。
   舞台展開によって、これが外壁になったり、内壁になったりして、実に上手く設定されている。
   第一幕の、バルコニーに向かってアルマヴィーヴァ伯爵などが愛の歌を奉げる場では、前庭は街路になり、その後のバルトロの邸宅の場では、室内に早変わりするのだが、階段やバルコニーの使い方など中々洒落ていて面白い。
   バックには、セビリアの風景を描いた薄幕が下りていて、非常に素晴らしいスペインの雰囲気を醸し出している。
   
   指揮台の総譜を後から覗くと、最初から最後まで、びっしり、各パートの始めなどの要所にブルーで縦にしるしが付けられていて、それに黒い線で補い、更に赤字で書き込みがなされている。
   この指揮者のヴィート・クレメンテだが、少し小編成のオーケストラを軽快に走らせながら実に巧みにロッシーニ節を歌わせていて、ぐいぐい観客をオペラに引きこんで行く。どうも、全演目指揮するようであるが、中々、素晴らしい演奏で楽しかった。

   フィガロのオリヴィエーロ・ジョルジュッティだが、多少地味ながら、軽快なテンポで畳み掛ける綺麗なバリトンが冴えていて中々好ましい。
   アルマヴィーヴァ伯爵のエンリーコ・イヴィッリアは、一寸指揮者のベルナルド・ハイティンクを若くスマートにしたような風貌で、澄んだ朗々としたテノールが爽やかで、とに角、舞台を縦横に動き回り、酔っ払った兵隊や若い音楽家などの変装も板についていて芸も上手い。しかし、伯爵としての威厳と品格には多少欠けるところが気になるが、先が楽しみな歌手である。
    ドン・バジリオのカロージェロ・アンドリーナは、声質や舞台姿等は問題なく中々達者で良いのだが、他の歌手との対照がこのオペラの醍醐味の一つでもあるので、欲を言えば、もう少し灰汁の強いコミカルな演技を強調したら良いのにと思って見ていた。

   さて、ロジーナのマリア・アグレスタであるが、「セビリアの理髪師」を何度か聴いていてメゾソプラノなのだが初めてソプラノに近い感じの声質のロジーナを聴いたので非常に新鮮な感じがして面白かった。
   中々、チャーミングで芸も上手く、伯爵のイヴィッリアと相性が良く、コミカルで若々しい舞台を楽しませてくれた。 
   舞台が変わってバルトロ家の居間になって、ロジーナが登場する最初の場面だが、何故か、彼女の着替えの場で、下着姿で動き回るのだが、セビリア一の美人で後のアルマヴィーヴァ伯爵夫人と言う設定なのだから、もう少し、品が良くてもと、多少違和感を感じた。
   もっとも、「早く、貴方のものになりたい。」などと歌いながら舞台上で愛の交歓を演じるのであるから、この舞台はこれで良いのかも知れない。

   音楽家のドン・バジリオのカロージェロ・ボスケッティなど他の脇役も役者が揃っていて、このロッシーニのドタバタ喜歌劇を盛り上げていたが、とに角、歌が上手いだけの大根役者では場が持たない所がこのオペラの楽しさでもあり、交響楽団の演奏会の二倍程度の入場料で楽しめるのなら、もっともっとイタリアから来て欲しいと思うのは私だけではあるまい。

(追記)写真は、劇場の宣伝写真から。歌手は多少違っている。
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三井住友FG定時株主総会

2007年06月28日 | 経営・ビジネス
   三井住友フィナンシャル・グループの株主総会が大手町本部ビルで行われた。
   この会場では、何時もガレージのような通用口から入場する。株主が言っていたように、三井住友は、顧客に冷たいので有名だが、株主に対しても態度が悪いと言っていたし、この入り口でも12階の会場でも二回もチェックするのは罪人扱いだと別の株主も噛み付いていた。

   2時間で終わったが、「国債の金利スワップ取引」問題とプロミス問題で、被害を受けた株主からの三井住友の悪質な取引と、形振り構わないサラ金業務への違和感などについて質問が出た。
   もう一つは、西川前社長に対する退職慰労金支払いについての反対意見があったが、まずまず、平穏無事な総会に終わった。

   議事進行について事前説明と実際の運営について齟齬が出たと株主から非難されたが、最初から最後まで、北山社長が一人で株主の回答に受けて立ち、他の役員の発言は一切なかった。
   立派と言えば立派だが、株主の言っていたように、質問の殆どは三井住友銀行の実務事項なのであるから、ある意味では、奥頭取からの回答があってもしかるべきかと思われた。
   特に、これまで住友時代から比較的常態化していた銀行の特権的地位の乱用と言う同じ手口を悪用した「国債の金利スワップ取引」問題については、はっきり、三井住友銀行として回答すべきであったと思う。

   業績や事業説明については、前方のスリーンで行われたが、内容は可なり丁寧で商品の説明は勿論多岐にわたっていて良かったと思った。
   ただ、多少照明を暗くした程度では、ひな壇の役員と顔を突き合わせてのスクリーン鑑賞は如何なものかと思う。

   
   会場がコンパクトで臨場感が強かった所為か、今回も気になったのは、行内株主の存在と対応で、何故仕切ってあるのか知らないが、前7列までのブロックにびっしり行員が座っていて、議事進行のためのサクラ的拍手が多すぎて興ざめすることである。
   元々、賢い行員ばかりの三井住友なのであるから、こんなつまらないところで能吏の能吏たる由縁を出さなくても、もっとオープンでよいのではないかと思う。

   最後に、付記しておきたいのは、金利スワップ取引問題で、北山社長は、銀行と取引のない弁護士による「特別調査委員会」を設置して対応したと強調していたが、そんなことよりも、三井住友に巣くっている特権的地位にあぐらをかいて顧客本位になれない行員の意識改革とコーポレート・カルチュアの根本的な改革に手をつけない限り、また同じ問題を引き起こしかねないと言うことである。
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定年男性が家にいるとなぜ嫌われるのか・・・樋口惠子名誉教授

2007年06月27日 | 政治・経済・社会
   ”見方によるが、定年退職で亭主が家にいると、妻にとっては、自由時間の喪失であり、家事労働の強化以外のなにものでもないから、嫌われるのは当たり前で、外に出て何処か居場所を見つけなさい。”   

   定年男性ウォッチャーとして、「粗大ゴミ」とか「ぬれ落ち葉、わしも族」などの流行語をコインしたと言われる樋口先生の講演を始めて聞く機会を得たが面白かった。
   東京商工会議所の設定したそのものずばりの演題で、団塊の世代を前に、「OB人材活躍の場フォーラム2007プログラム」での樋口先生の話なのだが、その前の江坂彰氏の講演は、大体、男なので内容は事前に予測出来るし新鮮味はないのだが、こちらの方は、女性の立場から、それも、上野千鶴子ばりのパンチの利いた「男とは」論を展開するのだから、団塊の世代達は毒気を抜かれて聞いていた。

   「亭主達者で留守が良い」と言う言葉が流行ったことがある。私自身はこれに異存はないが、しかし、現実的には、仕事一途で取り立てて趣味があるわけでもなく、定年で社会生活からほり出された瞬間何をしたら良いのか途方に暮れているかっての企業戦士が結構沢山いるのを見ている。
   戦後の日本のようで、自己満足かもしれないが自分なりに夢と誇りを持ってがむしゃらに働いていた頃は、後先も考えずに突っ走れたが、目的が消えてしまうと急に自身(自信?)をなくしてしまってしぼんでしまう。ゆっくり、休養して英気を養ってと思っていたら、「粗大ゴミ」「ぬれ落ち葉」「亭主達者で留守が良い」(上野千鶴子は「産業廃棄物」と言ったようである)と言った扱いをされると居場所がなくなる。
   
   ところで、樋口先生も江坂氏も、そして、中小企業庁の委託を受けた東京商工会議所も、要するに、パートであろうとボランティアであろうと何でも良いから働き場所を見つけて、再出発をしろと言うことである。
   日本は最も高齢の国で老人人口比が最も高くなりつつあり、今や、100年で生活設計を立てなければならない時代になったのだが、年金生活では無理であることも分かっているし、非常に勤労意欲の高い国民性でもあり、老齢者の就職をどうするのか、日本の直面する新しい課題だが、これが解決出来れば、新しい「社会的システム」であり、世紀の「社会的発明」だと樋口先生は仰る。

   私自身は、年齢で仕切っている社会制度そのものが悪いのであって、もし、年齢を度外視して社会のシステムを組み立て得るのであれば、定年などフレキシブルだし、必要に応じて就業者を探すことが出来るし、社会が適当に回るように人々の生活が調整されると思っている。
   実際にも、昔と比べて8掛けだと言われているが、60歳なら昔の48歳で通用するかも知れないし、由美かおるなど1950年生まれだが、30代だと言っても不思議ではないほど若々しい。

   ところで、夫婦関係だが、定年退職後も、それ以前と同じではやって行ける筈はないので改めるべきで、樋口先生は、二度目の結婚(相手を換えろということではないようである)を行えと言う。
   海外移住しようとか、田舎に住もうとか、男は夢を持つようだが、妻が夫の世話を同じ様に続けるのなら、「どうぞ、貴方独りで行ってください。私は、友達や子供たちのいる東京に残りますから。」と言うことになるらしい。
   樋口先生のなくなった旦那の話を聞いていても、自分自身で気さくに良く動いて妻に負担をかけない、むしろ、役に立つ夫が妻にとっては最良のようである。
   これも良いのか悪いのか、何となく寂しい話ではあるが、要するに、妻が夫や子供たちのために家事をしていたのは、夫が社会にでて働いていたのと同じことで、定年になって家にいるのなら、自分のことは自分でやるのは当然で、家事など家の事は夫婦でシェアすべきであると言うことのようである。
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みずほフィナンシャルグループ定時株主総会

2007年06月26日 | 経営・ビジネス
   メガバンクみずほFGの定時株主総会が、東京フォーラムの大ホールで開催された。
   2時間半かかったが、株主の質問を丁寧に受けて回答していたので時間を要しただけで、至って平穏無事で、何の起伏もない、そして、面白くもない株主総会であった。

   一寸気色ばんだのは、株主から毎日新聞の記事を引用して、退職慰労金に2~3億円出すと書いてあったが、国民の血税で公的資金を投入されて生き返ったのを何と思っているのか説明しろと言われたのに対して、前田社長がご意見として承りますと言って回答せずに一蹴した時である。
   この退職慰労金の支出については、何人かの株主からも反対意見が出て、特に、株主総会に欠席していた社外取締役の貢献について疑問が呈せられていた。
   総会招集通知書に、福原義春氏については、「定例取締役会を中心に概ね出席しております」、グレン・S・フクシマ氏には、「取締役会に可能な限り出席しております」と書かれていて、要するに、良く欠席して殆ど出て来ないと言うことなので、前田社長は苦しい答弁で、発言内容については教科書どおりの回答で全く冴えなかった。

   問題は、前田社長の答弁で、演台の右手表面にカンニング・スクリーンがあるのであろうか、ずっと、顔を右のスクリーンに向けたままで、黒衣の作成した答弁を棒読みと言った感じで、正面の株主を向いての答弁は殆どなかったことである。
   他の役員も含めて、会社側の答弁は比較的株主の意向を受けてはぐらかさずに丁寧に答えていてその点は良かった。

   面白かったのは、日経の記事だと言って、「日本の銀行は、社会インフラで大幅に儲からないから買収したらROEが下がるので外国企業のM&Aの対象にはならない。」と自ら資産効率の悪さを告白したとした前田社長の発言を捉えて株主が批判したことに対し、
   前田社長は、マスコミは一部をとって報道するので必ずしも自分の見解ではないとしながら、多少気色ばんで、三行の合併がなければ、夫々の銀行とも悲惨な状態になっていて今日の姿はなかったと、その後のみずほの歩みと回復について勢い込んで喋っていた。
   縮小均衡しかなかった三行を、以前の三行を合わせ以上の業績までアップさせて、やっと、統合効果を活かして顧客に還元することの出来る段階に至ったのである。来年業績が良ければ、配当を1万円にすると言い切った。

   しかし、いくら回答をはぐらかしても、世界の名だたる金融機関は、市場さえ豊かであれば、どんなに駄目銀行でも買い叩いて、蘇らせる。
   シティが、嬉々として、日興コーディアルを買い取って失地回復したのは、最近のことだし、あのモルガン・スタンレーの元社員が「フィアスコ」と言う著書で、日本の顧客を手玉にとって、妖しげなデリバティブを売りつけて荒稼ぎをしたのを暴露していたのを忘れたのであろうか。

   このことにも関連するが、日本の金融機関は、時代の流れを敏感に察知して、或いは、その先を予測して、魅力的な金融商品を開発出来ないところに問題があるにも拘らず、みずほFGの株主総会では、自分たちのウリモノである、どんな、商品を売り込むのか、或いは、新しい魅力的な商品開発のためにプロダクト・イノベーションに邁進しているのかetc,何をどう商うのか、ビジネスそのものや商品の説明は一切なかった。
   ブランド・スローガン「Chanel to Discovery」と言って、「お客様のより良い未来の創造に貢献するフィナンシャル・パートナー」などと言った、おそらく、行員の殆どが理解できないような意味不明の横文字を並べてコーポレート戦略と銘打って良しとしているのだが、のるかそるかの死地を彷徨っていた企業とは思えない危機意識の欠如である。
   そんな脳天気な役員が、また、再選された。
   決議途中で会場を出た。
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ドラッカー:坂村イノベーション論に反論?

2007年06月25日 | イノベーションと経営
  この二日間、ドラッカーと坂村教授のイノベーション論を書いてきたが、ドラッカーの22年前の著書「イノベーションと企業家精神」を読み返していて、坂村教授が日本人が弱いと指摘しているソーシャル・イノベーションについて、ドラッカーが、その重要性について最も興味ある例は、近代日本である、と書いているのを見つけたのである。

   開国以来、日清戦争、日露戦争、真珠湾の勝利、70年代と80年代の経済大国化、世界経済における輸出者としての台頭にも拘らず、イノベーションを行う国ではなくて模倣する国と見られて、欧米から常に低く評価されてきたが、これは、科学や技術の分野で日本が際立ったイノベーションを行っていないためである。しかし、日本の成功は社会的イノベーションによっていた。
   
   更に、ドラッカーは、日本が開国に踏み切ったのは、インドや中国のように西洋の植民地化を避けるためで、柔道の精神により、欧米の道具を使って欧米の侵略を食い止め、日本であり続ける事を目指したのだ、と述べ、
   日本にとって、蒸気機関や電報より、学校、大学、行政、銀行、労組のような公的機関の発展、即ち、社会的イノベーションの方が遥かに重要であった。そして、それが、日本的であると同時に近代的であり、日本人が動かすものでありながら、同時に西洋的かつ技術的な経済に適合するものでなければならなかったので非常に難しかった、と言っている。

   技術は、安いコストでしかも文化的なリスクを冒すことなく導入できる。しかし公的機関が発展して行くためには、文化的な根を持たなければならない。日本はおよそ100年前、その資源を社会的イノベーションに集中することとし、技術的なイノベーションを模倣し、輸入し、応用することを決断した。そしてみごとに成功した。
   この日本の方針は今日でも正しい。創造的模倣なるものこそ、極めて成功の確率の高い立派な企業家戦略だからである。

   更にまだ、
   今日、日本が、自ら純粋に技術的イノベーションを行わなければならなくなっているとしても、日本を過小評価してはならない。そもそも開発研究そのものがごく最近の社会的イノベーションである。日本はこれまで行ってきたように、そのようなイノベーションに長じている。しかも日本は企業化戦略にも長じている。とも云っているのである。

   私が特に注目したのは、そのすぐ後段で、ドラッカーは”イノベーションとは、技術と言うよりも、経済や社会に関わる用語である。”と言っていることでも分かるように、ソーシャル・イノベーションの側面を非常に重視していることである。
   実際の企業経営においても、ドラッカーの戦略的経営論の根幹には企業家精神豊かな経営者と人材重視の思想が流れているが、絶えず前方を指向した経営戦略を遂行するためにも、イノベーションを生み出す経営環境と土壌の構築が、如何に大切かと言うことであろう。

   ところで、ドラッカーが褒め称えた(?)日本の明治のソーシャル・イノベーションの核たる政治行政機構も、140年経って、ぼつぼつ制度疲労が激しくなって綻びを見せてきた。
   フロントランナーとなった今、日本としては最早、ドラーカー流の和魂洋才型ソーシャル・イノベーションをとることは出来なくなってしまったので、新しい21世紀型のソーシャル・イノベーションを目指さなければならなくなってしまった。
   「イノベーション25」の大方針を実現するために邁進することによって世界モデルを構築することであろうか。
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坂村健教授のイノベーション論

2007年06月24日 | イノベーションと経営
   坂村健東大教授が「変われる国・日本へ イノベート・ニッポン」と言う新著で、イノベーションについて日頃の持論を展開している。
   政府のイノベーション25の「イノベーションとは、これまでのモノ、仕組みなどに対して、全く新しい技術や考え方を取り入れて新たな価値を生み出し、社会的に大きな変化を起こすこと」と言う定義を踏まえて、
   「イノベーション」とは、これからの日本をどうしたいのか? を考える取り組みである。と言うのである。

   イノベーションとは、ラテン語のinovare(新しくする)からシュンペーターが創り出した造語だと言って、「利益を生むために差を生み出すための行為」だとも言っている。
   この表現は、説明としては面白いが、経営学的にも、差別戦略との混同なり概念的な不明確性もあって、正確ではなく、云わんとするところは分からないわけではないが誤解を招く。

   坂村教授のユニークな理論展開は、ソーシャル・イノベーション、インフラ・イノベーションが、日本人には苦手で、この方面の遅れが、日本の経済社会の発展に齟齬を来たしていると言う点である。
   イノベーションの別な側面、プロダクト・イノベーションやプロセス・イノベーションは日本の得意とするところで、更に、イノベーションを生み出す切っ掛けとなる要素イノベーションが、最終的なプロダクトになるためには非常に沢山の擦り合わせを行う必要があるが、この面でも、単一民族、単一文化が主体の日本人は非常に優れている。

   一方、異文化の混合、人種の坩堝の欧米では、この擦りあわせが苦手で、そのコストを極力削減するために、要素技術よりもシステム的に物事を進行させるインフラを整備してソーシャル・イノベーションを起こす方が効率的であり、この方面の技術が優れている。
   それに、成文法ではない慣習法主体の英米では、実態が後で付いてくるので、とに角やってみようと言う試みが認められるベスト・プラクティスの積み重ねが、イノベーションを起こしやすくしている要因でもあると言う。
   この点、日本は、成文法である法体系が実態に応じてスムーズに改変されない上、色々なソーシャルシステムの遅れがありながら、ソーシャル・イノベーションが起こり難い社会なので、
   特に、坂村教授が進めている「ユビキタス・コンピューティング」の社会インフラプロジェクトは、中々、進まないのだと言う。
   
   しかし、よく考えてみれば、日本は、昔から村の長が生活を統べていたどちらかと言えば融通無碍な国柄で、法治国家と言うよりは、元々、談合やお上の勝手な法解釈や意向が重きをなしていた国であり、比較的に、臨機応変な対応が出来ていた筈である。
   ところが、明治に入って、文明開化の先導役はイギリスに頼りながら、法体系はドイツなどの成文法の大陸法体系を取り入れてしまった。
   そして、官僚体制も、どちらかと言えば、フランスなどの大陸系に従って、益々、お上崇拝の「長いものに巻かれろ」体質を助長した。

   安倍首相は、いわば「国家公務員専属ハローワーク事務所」設立を目論んで国民の殆どがソッポを向いている国家公務員制度改革法案を通すために会期を延長したが、どうせ、敗色の濃い選挙なのに悪あがきも極に達した感じである。
   官製談合で仕事を持って来てくれたり、何くれと便宜を図ってくれてプラスになるから民間会社は公務員の天下りを受け入れているのであって、そうでなければ、賞味期限が切れて役に立たなくなった公務員など一切必要ないし無駄であるから採用したくない。社会保険庁を見れば分かるではないか、こんな人間を採用すれば、会社は瞬く間に倒産してしまう。
   それが十分に分かっているので、親切にも安倍総理が、専属就職斡旋所を作ってやろうと言うことなのであろうか。

   話が横へそれてしまったが、坂村先生の言うソーシャル・イノベーションの遅れと日本人のこの方面の能力のなさの一端は、明治以降の国家システムと官僚体制のなせる業であることを銘記しておきたい。
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ピーター・ドラッカーのイノベーション論

2007年06月23日 | イノベーションと経営
   「イノベーションとは、昨日の世界と縁を切り、明日を創造することである。」
   「馴染みの過去を捨てて、リスクをとり、未知の世界へ飛び込むことなしに、21世紀において繁栄することはありえない。」
   これらはドラッカーの言葉であるが、新しいものを手に入れるためには、即ち、未来をチャンスとしてイノベーションを追及するためには、馴染みのものを体系的に廃棄せよと云うのである。

   ドラッカーは、1985年に「イノベーションと企業家精神 INNOVATION AND ENTREPRENEURSHIP」を著して、イノベーションと企業化精神を生み出す為の原理と方法について説いた。
   同郷で父を通じて知っていた偉大な経済学者J.A.シュンペーターの理論を経営学的に展開したドラッカー経営学の真髄とも云うべき貴重な本だが、当時は、今のように猫も杓子もイノベーションと言う時代ではなく、イノベーションと言う言葉はむしろ経済学の専門用語の位置づけであったが、日本では、経済白書が技術革新と言う訳語を使用してからおかしくなったと言う。
   ドラッカーは、イノベーションを、企業家が創造的破壊によって創業者利潤を追求する為のあらゆる革新的な経営行為として捉えており、イノベーションを生むための為の7つの機会について克明に記述している。
   この本を読めばイノベーションとは何かを誤解する筈もないのだが、何れにしろ、20年以上も前の本でありながら、ドラッカー経営学の本質が脈打っていていまだに色あせていないところが凄い。

   今回、ドラッカーのイノベーションについて触れるのはこの本ではなく、ドラッカーが逝く直前に、遺言のようにして語り残したエリザベス・ハース・イーダーハイム著「P.F.ドラッカー 理想企業を求めて」からのイノベーション論である。
   虫の知らせか、ドラッカーは、彼女がマッキンゼーの創始者である「マービン・バウワー」について書いた著書に触発されて、彼女にドラッカー経営学の集大成を依頼したのである。
   ある意味では、先のバウワー伝と同様に、多少くどいくらいだが、不世出の偉大な思想家としてのドラッカーの面目躍如と云うか、IT革命、知価社会、ウイキノミクスの時代にも燦然と輝く鋭い洞察と智恵を、マッキンゼーのパートナーであった経営戦略コンサルタントの目を通して最新のドラッカー経営学が浮き彫りのされていて興味深い。

   イノベーションを追求する為には、体系的廃棄を実行しなければならないと言うドラッカーの教えを忠実に守ったのが愛弟子のジャック・ウエルチで、「今その事業を行っていなかったとしても、そこに人材と資金を投入するか」と問われて、事業は総て世界で1位か2位でなければならない、そうでない事業は売却するか、閉鎖するというドラスティックな経営戦略をとったのである。
   もう一つのドラッカーの問いかけ「もしまだ手がけていなかったら、今日その事業をはじめるか」に応えて、高い成長を見込める事業を買収した。
   全事業を徹底的に見直して再編成し、イノベーションを指向した経営戦略に切り替えて不況を乗り越え発展して来たのである。
   ドラッカーが、GEのエジソンとともに世界で最初のイノベーターであると認めているヴェルナー・フォン・シ-メンスの会社であるイノベイティブではないドイツのシーメンスと対比させながらの、イーダーハイムの記述が面白い。

   ドラッカーは、特に、経営における顧客と人材の重要性を絶えず説いていたが、真のイノベーションは、顧客の期待を変えるものだと言っている。
   例証しているのは、スターバックスとiPodである。
   スターバックスは、家と仕事や学校の間にあって、息抜きの場となることを目指したのだが、提供したのはコーヒーではなく場所だったのである。
   アップルもiPodによって顧客の期待していなかったものを提供した。
何千曲内蔵の超小型ジュークボックスを欲しいと思った人は、古今東西独りもいなかった筈だが、20曲のウォークマンに飽きた人々が飛びつき、4年後にはアメリカ人の半数が所有することとなった。

   イノベーションの機会を見つけるための7つの戦略的チェックポイントについては、1985年の著書を引用して説明し、イノベーションの体制作りや、事業戦略との整合性の問題などにも触れている。
   イノベーションの体制作りについては、ブレインストーミングのあり方や、狙いを高くすることが必須でこのことがイノベーションのみならず企業自身の革新を狙うということであるとか、提案の有効性を市場で検証の必要性とか、資金や人材の投入や行動指針など、詳細に述べ続けている。

   要するに、ドラッカーにとって重要なのは、イノベイティブ指向の経営姿勢なり経営哲学の実践であると云うことであろう。
   何故なら、ドラッカーの頭には、シュンペーター理論が叩き込まれていて、国家も企業も、成長の根源は、リスクをものともせずに創造的破壊に邁進する企業家精神の発露であるイノベーションそのものであり、イノベーション以外にないことを知りすぎるほど知っていたからである。
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レーピンの絵に感動・・・ロシアの絵画の真髄展

2007年06月22日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   上野の森の東京都美術館で、ザンクトペテルブルグ・国立ロシア美術館展が開かれていて、ロシアの絵画が沢山展示されていて面白い。
   閉館間際の4時頃に入館して1時間だけ鑑賞することにしていたのだが、この美術展は、やはり特殊なのか、館内はがらがらでじっくり絵画を楽しむ為には絶好の環境であった。

   私は、イリア・レーピンの絵を見たくて出かけたのだが、他にもこれまでに美術書などで見た絵画など何点かあったし、ロシアの大地を描いた風景画や面白い人物画など結構楽しむことが出来た。
   ピョートル大帝やエカテリーナ2世の肖像画や彫刻が展示されていて、その俤が髣髴と湧いてくる感じで興味深かったが、ロシアについては、非西洋的な独特の雰囲気があって中々面白い。
   ギリシャ神話やキリスト教に影響を受けた絵画が殆どないと言う美術展も珍しいのである。

   レーピンは、ぼろぼろの衣服を身につけて倒れるようにして舟を引く一団の群像を描いた「ボルガの船曳」があまりにも有名で、抑圧された民衆の悲痛な叫びや過酷な労働を描いたリアリステックな絵画でプロレタリア政権に認められていた画家だが、今回来ていた10点の絵は、そんな雰囲気を匂わせないほど美しい絵が大半であった。
   14歳の頃の将来の妻や10歳くらいの娘などを描いた肖像画や、家族や縁戚の人々の穏やかな日常を描いた絵画など、平穏な日常生活を感じさせる美しい絵であった。
   「ニコライ2世の結婚式」は小品だが、新郎新婦の晴れやかな姿が浮かび上がった室内の柔らかい光を上手く使った美しい絵で印象的である。

   大作は、ニコライ2世を描いた肖像画で、冬宮の玉座の間ですっくと立った殆ど等身大の、手に司令官の軍帽と白い手袋を持って紺のフロックコートに身をかためた雄姿である。
   従兄弟だから当然だが、英国のジョージ5世と良く似ており、この絵には、あの悲惨なロシア革命の悲劇の片鱗もないが、レーピンはどう思って歴史を見つめていたのであろうかと思った。

   興味深かったのは、N・リムスキー=コルサコフの肖像で、大音楽家だが、二人で芸術を語り合いながら、1ヶ月もの間、モデルとして付き合ったようで、絵の説明によると、相手の話に耳をかたむけて疲れきった人間として描かれていると言う。
   海軍の軍人でもあり音楽院の院長でもあった「シェヘラザード」の作曲家の右向きに座った黒ブチのメガネをつけた姿を描いた作品だが、コルサコフの略歴紹介の本で見た事のある絵である。

   なんと言っても意表をついて感動的なのは、この口絵写真の「何という広がりだ!」と言うタイトルの1903年の作品で、170.0×284.5の大作で、嵐で海が逆巻いている海岸淵で歓声をあげている男女の若者の姿を、右上4分の1の画面に描いた絵である。
   「逆境にあっても、決して勇気と希望、喜ばしい未来への期待を失わない」ロシアの若者の姿を、フィンランド湾の海辺でインスピレーションを得て描いたのだと言う。
   
   ところで、会場には、ロシアの美しい風景画が沢山展示されていた。
   昔、ロシア語のウミレニアと言う言葉には、自然は美しいと言う自然に対して畏敬の念を込めた言葉があるんだと学んだことがあるが、ロシアの田舎の風景は、西欧のように洗練された感じではなく、何処か荒削りで特に美しいと言う感じではないのだが、独特の風情があって中々良い。
   ロシアの風景と言うよりは、創作の世界の風景画だが、イヴァン・アイヴァゾフスキーの豪快で幻想的な絵が中々面白い。
   ターナーばりの「アイヤ岬の嵐」など、大嵐で難破した帆船から木っ端のような小船で、逆巻く吼える海を逃避しようとする人々を描いているが、小さな真っ白いかもめを点景で描くなど、物語があって面白い。

   PRにも使われているイヴァン・クラムスコイの16歳の娘を描いた「ソフィア・クラムスカヤの肖像」など、女性を描いた肖像画に面白い作品が何点もあった。
   私は、豪華な衣装を身につけた美しい乙女を描いたカルル・ヴェニグの「ロシア娘」が素晴らしいと思ったが、やはり、音楽や文学と同じ様に、絵画の世界でもロシアは一流の国だったのである。


   

   
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ソニー定時株主総会

2007年06月21日 | 経営・ビジネス
   ソニーの定時株主総会だが、これだけ業績が悪いにも拘わらず、何の波乱もなく2時間半で質問を打ち切って議案の採決に入って無事(?)終了した。
   今年は、例年実施している株主懇親会をやめて、決算等の報告事項の時に、商品のPRを兼ねた派手な説明を行い、また、株主からの質問を可なり丹念に受けて丁寧に説明をしていたので、時間がかかったのだが、半分お祭り気分の総会であった。
   第3会場にいたので、実際の本会場の雰囲気は分からないが、主婦や年配の男女の株主が多く、半数くらいは途中で退場して行き、会社の経営などあまり関心がない、云わば、一般のソニーファンと言った感じであった。

   多少、総会らしい緊張感があったのは、株主オンブズマン提案の「取締役の報酬の株主への個別開示に関する定款変更の件」議案の説明くらいで、しかし、これも毎年のことなので、株主は殆ど反応なしである。
   しかし、今回も、議決を要する3分の2には程遠いが、昨年同様に半数近い44%の賛同を得ており、無視は出来ない。
   私自身は、開示するしないに対する両者の言い分はどっちもどっちだと思うが、定款に入れるべき事項かどうか疑問だと思っているので、いっそのこと、来年あたり開示すれば、定款を触らずに済むのにと思っている。
   どうせ、日本基準から云えば異常に高いが、国際基準から云えば非常に低い数字が示されるに決まっているが、業績相応ならそれで良かろう。

   ところで、今回はPS3が業績の足を引っ張ったようであるが、何しろ、8兆円以上を売り上げていて、純利益は1263億円で、一株当たり、たったの120円一寸。
   株主から、配当が少なすぎると苦情が出ていたが、利益がダントツに悪いにも拘らず、配当性向が20%ほどで、1株の時価が70万円弱に対して年間2500円の配当と言うのであるから、何が世界のソニーか、恥を知るべきかも知れない。
   それに、今年度の目標営業利益率は、総合で5%、エレクトロニクスで、4%と発表されていたが、世界最先端の技術を駆使しても、その程度の業績しか揚げられない経営体質なりシステムの欠陥をもっと真剣に考えるべきである。

   ところで、やはり、若い株主から、「何故、ウォークマンがiPodに負けたのか」と云う質問があった。
   担当者は、音楽著作権との問題などと脳天気な回答をしていたが、ストリンガー会長は、明確に、アップルにソフトウエアで負けたことをはっきりと明言した。
   製造技術優先で、最先端を行く素晴らしい製品を製造販売しながらも、その製品を豊かなソフトウエアで大きく展開するノウハウや経営姿勢がなかったことを認めたのである。
   昨年末に、出井伸之氏が「迷いと決断」と言う新書を出したので、書評を書いて、そのコンバージョン理論が根本的な間違いだったとこのブログで書いた。「ハードウエアとコンテンツを両端に持つシンプルな戦略で、ハードとコンテンツのパイプの両端を押さえておけば、真ん中の部分であるメディアの配信方法がどんなに変化しても対応出来ると考えたのである」と言うこの戦略そのものがソニーの経営を誤り、アップルに裏を掻かれて、iPodに敗北を喫したのである。

   その後、ソニーは、USAを中心に、全ソニーの総力を結集してソフトウエア重視の経営戦略に切り替えて体勢の建て直しを図っているようだが、ビデオ・ウォークマンやウォークマン付き携帯電話など趣向を変えた製品を開発して失地回復に努力しているのだと説明していた。
   今ごろになって、ソフトで統合などと暢気なことを云っているが、出井氏が指摘するように、ソニーはデジタル時代の到来にも出遅れてしまったし、とに角、経営環境が、クリエイティブ・エイジになり、ウイキノミクスの時代に大きく転換してしまっていることさえ感じない天然記念物のような会社なのかも知れないと思うことがある。

   中鉢社長は、このウォークマン問題について、デザインを改革し、音質を向上させ、PCを通さずに音楽と繋ぎ合わせるられるシステムの開発などで対応して占拠率30%まで回復したと言っていたが、何処までも、製品作りの技術屋の発想である。
   立花氏が、PS3についてコメントし、途轍もない能力を持つこのゲーム機を東大先端技術研究所に持ち込んでどのように活用展開できるのか指南を仰げばよいと云っていたが、正に、然りである。
   素晴らしい製品を開発すれば、インターネット経由で、「どのように貴方なら使うのか」キャンペーンを展開して、世界中のユーザーの衆知を集めて、オープンソース・イノベーションを追求するくらいのことをしなければソニーの未来は暗い。
   世界中のソニーファンなりユーザーの知が、ソニーのエンジニアや開発技術者の頭を遥かに超えてしまっている、そんな時代になってしまったことをソニーの経営者は知っているのであろうか。

   ところで、商品展示会場では、有機ELテレビが展示されていた。27インチが最大だったが、とに角、格段に美しくて素晴らしい映像である。
   ところが、薄暗い会場で特別に映写された極彩色の映像を映せば美しく映るのは当たり前で、こんな場合は、実際のNHKのテレビ番組を取り込むとかの一工夫が必要である。
   オーディオ機器のブースで、係員に簡単な質問をしたら答えられなくて右往左往して走り回っていたが、株主総会の展示場はコーポレート・レピュテーションをアップする為の最前線なのに、何を考えているのか。
   智恵が総身にまわりかね、そんなところが現在のソニーかも知れない。
   ソニーファンのため息である。
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六月のわが庭

2007年06月20日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   緑が萌えて新緑が一番美しい季節になった。
   先月、緑摘みをした松の木と、刈り込んださつきの木も、大分落ち着いてきた。
   空梅雨模様の庭で、青いアジサイの花が満開だが、何となく花びらに輝きがないのは、水が恋しい所為かもしれない。
   蕾を摘まなかったので、二番咲きのバラが、心なしか、遠慮気味にやや小ぶりの花を咲かせて彩を添えている。

   この季節で一番困るのは、雑草が勢いよく一面に広がることで、涼しくて雑草の少ないイギリスの庭が懐かしくなった。
   ヨーロッパはJune Brideの季節で、今ごろは一番清々しくて美しい時で、バラの花が咲き乱れている頃だと思う。
   イギリスで、やはり、美しいのはカントリーサイドで、ハンギングバスケットの花がことのほかに素晴らしい。
   そんな田舎の村を訪ねながら散策し、疲れると古いパブに入ってギネスを楽しんだ。

   ところで、わが庭だが、急に、庭に甘い香りが漂ったかと思ったら、実なりクチナシの一重の花びらが一斉に開き始めて、真っ白に木を覆っている。
   八重のクチナシの方は、まだ蕾が固いが、咲き始めると、もっと甘い芳香を庭中に充満してくれる。
   春を告げる沈丁花と同じで、私の庭の代表的な匂い花であるが、梅雨時に、真っ白な鮮やかな花を咲かせてくれる貴重な花でもある。
   比較的、虫にやられる花木なので、手入れには注意をしている。

   勢いよく枝を伸ばした萩が、えんどう豆の花のような形をした赤紫色の花をびっしりつけて風に揺れている。
   秋までにもう一度咲くのだが、いくら掘り起こしても地下に根が残っていて、翌年また株が大きくなって勢いよく咲く非常に強い花木である。

   門構えの槇の木の下に植えてある南天も、小さな白い花をつけている。
   雨に打たれたり、植えてある木の数が少ない所為か、毎年、実つきが悪いのだが、今年は切り戻したりしたのでどうであろうか。

   庭では、急にトンボの数が増えだした。近づくと留まっていたトンボ達が飛び立つ。
   秋になるとこのトンボが真っ赤に染まって美しくなる。
   草花が少ないので、蝶の訪れは殆どないが、たまに、綺麗なアゲハチョウが飛んでくる。

   小鳥達は、最近では、殆ど雀だけである。
   冬には、色々な小鳥が訪れてくるので小さくなっていた雀たちがわがもの顔で庭を移動している。
   遠くの方で、まだ、ウグイスが鳴いている。
   
   西洋朝顔が、少しつるを伸ばし始めたので、庭に直植えして木に這わせることにした。
   この朝顔は、苗の時は、か細いつるを伸ばすのだが、これが、太く長くなって、大きな庭木を這い上がって、青い鮮やかな花を沢山付ける。
   一つところから何本も花が咲き出すのが面白い。
   梅雨が明ければ、愈々、熱い夏である。
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発掘された日本列島2007・・・東京都江戸博物館

2007年06月19日 | 展覧会・展示会
   久しぶりに両国の東京都江戸博物館に出かけて「発掘された日本列島2007」を見てきた。
   昨年、日本では8000件以上の発掘調査を行われたようで、そのうち特に注目される51遺跡の470点の出土品を展示されている。
   旧石器時代から近世までの展示と、テーマ展としての「発掘されたアクセサリー」展で、地味だが結構面白かった。

   入り口正面に展示されているのが、口絵写真の千葉県千葉市の人形塚古墳から出土した埴輪群で、兵士の埴輪であろうか、蒙古兵のような格好をした男性像で、3~4世紀の古墳時代のものである。
   実際に出土したのは、埴輪の断片で、欠落した部分を補って像にしているのであるが、まだ、日本文化がしっかりと根付いていなかった当時は、この服装から見ても、完全に大陸の影響を受けた文化であったような気がしている。
   昨年、METオペラビューイングで、タン・ドンの始皇帝を見て記憶を新たにしたのであるが、セビリア万博で、秦の兵馬俑を見た時には桁違いのスケールにビックリした。
   
   興味深かったのは、同じ千葉県成田市の空港近くの十余三稲荷峰遺跡空港No.67遺跡で出土した「組み合わせ式の小さな小さな槍の刃」の一群で、ミリ単位の実に精巧で美しい刃や針で、13000年前の縄文時代の作品かと驚いたのだが、元々千葉では産出しない石を北関東から移入して製造していたと言う。
   成田が関東最大の製作拠点であったと言うから、正に、縄文時代と言っても、日本国内では分業体制が整い、相当職人や工人の質や製造水準が高く、商業など交易も進んでいたのであろうと思った。
   現在の日本史の教科書は知らないが、私の習った頃は、卑弥呼辺りからで、縄文弥生の時代は可なり端折られていたような気がする。
   その所為でもないが、私自身、奈良や京都の神社仏閣にはよく出かけるが、古代遺跡は、青森の三内丸山、佐賀の吉野ヶ里など可なり少ない。

   日本の古代の遺物で素晴らしいと思っているのは、縄文土器で、今回も、4~5000年前の上の方に末広がりの優美で複雑な造形の土器が何点か、群馬県の三原田諏訪上遺跡・上三原田東峯遺跡から出土のものが展示されていた。
   宗教的な意味があるのか、或いは、当時の工人の創作なのか分からないが、あの斬新でオリジナリティに富んだデザインがなんとも言えないのである。

   その後、常設展の江戸の風景などの展示を見ていたので、中途半端な時間になってしまい、同時併設のロシア秘宝展の方は見ずに、次の予定先へ急いだ。
   何時も思うのだが、イギリスなどのように展示場に並んで併設された喫茶室なりがあると良いのだが、残念である。
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新日本フィル定期公演・・・ティル・フェルナーの素晴らしい「皇帝」

2007年06月18日 | クラシック音楽・オペラ
   週末の新日本フィル定期は、アルミンク指揮で、レンツ作曲「ミステリウムより星」、ベートーヴェン・ピアノ協奏曲第5番「皇帝」、最後は、シューマンの交響曲第1番「春」であった。
   レンツの曲は始めてであったが、綺麗な曲だなあと言った感じで、あまり印象には残らなかった。
   皇帝と春については、何度も聞いているので、今回は、謂わば週末の憩いのコンサートという気持ちで楽しんできた。

   皇帝については、バックハウスのレコードを何度も聞いて親しんできたよううなものである。
   しかし、その後、あっちこっちで何度もコンサートで聴いているのだが、誰の演奏だったのかさえ覚えていないからいい加減なものだと反省をしている。
   リヒテル、ケンプ、ブレンデル、ミケランジェリ、フランソワ、ポリーニ、アルゲリッチ、内田光子、クラーイバーン、アラウ等々、とに角、ホロヴィッツとルビンシュタイン以外は殆どの著名なピアニストのコンサートに通った筈だが、である。
   もっとも、よく考えてみると、夫々の演奏家の断片なり雰囲気などは、かすかに記憶があっても、この「皇帝」に限らず、また、ピアノに限らず、曲目やオーケストラや指揮者等さえもよく覚えていない。
   しかし、コンサートに行く時には、一所懸命苦心して切符を手配して、本当に楽しみにしていそいそと出かけて行ったのは間違いないのだから、コンサートそのものは楽しんだのだと思っている。

   ところで、今回の「皇帝」のピアニストは、ウイーン生まれでウイーン育ちの素晴らしいピアニスト・ティル・フェルナー(Till Fellner)で、1972年生まれで、1993年にクララ・ハスキル国際コンクール優勝して国際的に認められたのであるから、まだ、若くて前途洋洋である。
   フィルハーモニア・オーケストラのホームページからフェルナーの横顔を読んでいるのだが、昨年は、ドホナーニと共演し、新設のボローニアの「オーケストラ・モーツアルト」でアバドと共演し、また、カーネギーホールのデビューコンサートではニューヨーク・タイムズに年度最高の演奏の一つだと絶賛されたとある。
   新日本フィルのプログラムにも引用されているが、師のブレンデルが、「知性、感受性、好奇心、美への飽くなき探求、ピアノをうらやましいほどに意のままに操り、リズムをコントロールする能力・・・これらの資質を総て備えたピアニスト」とべた褒めで、これまでの共演指揮者やオーケストラ、フェスティバルなどキャリアも凄い。
   
   ところで、フェルナーの「皇帝」であるが、端正で、それに、ビロードのように流れるように美しく、実に温かい。豪快なタッチをセーブした柔らかさがなんとも言えず美しく、気の所為か、ウィーン・フィルの演奏会を聞いているような気がして、あのベートーヴェンがこんなに美しいピアノ協奏曲を創ったのかと、改めて感激しながら聴いていた。
   ウイーンっ子のアルミンクと組んでの素晴らしいウィーンサウンドは、当然のことかも知れない。
   しかし、このサウンドは、次のシューマンの「春」では消えしまっていた。

   アンコールのリストの小品も美しかった。
   ピアニストによっては、イスに座ってから、イスを引いたり手を合わせたり何かと威儀を正して一呼吸置くのだが、フェルナーはゆっくり座るとそのままアンコール曲を引き始めた。
   この気取らないところが実に良いのだが、昔、ロンドンでネルソン・フレアがつかつかと登場して座ったかと思うと一気にピアノを弾き始めたのを思い出したが、大演奏家と云えどもスタートは難しいのかも知れない。

   
   

   
   
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中国経済のダイナミズムは何時まで

2007年06月17日 | 政治・経済・社会
   先日の日経の「中国経済シンポジウム」で面白かったのは、やはり、中国人のパネリストで、莫邦富氏の中国人経営者のハングリー精神論と中国経済バブルと人民元切り上げを懸念する関志雄氏の意見であった。

   莫氏は、
   日本人は、過去のケースや経験を引いて中国はこうだからこうなると言った予測を好んで行うが、中国は一つの国と言うよりはそれ自身で一つの世界であるから、そんな予測は当て嵌まらない。
   進んだ先進国のような地域もあれば、遅れた貧しい地方もあり、格差があり色々な要素が混在した国であるから、違った動きをするのだと言うのである。

   最近、現在オイルマネーの恩恵を受けて急速に成長しているドバイに行った時、そこの見本市にやって来て、熱心に商談を進めている中国の自動車会社があった話をした。
   莫氏自身も知らない中小の自動車会社であるが、持ち込んだ4台の車だけでも売れればよいと思って売り込んでいたら100台も売れたと言う。
   品質など保証の限りではないが、買う方のアラブの商人も、どうせ、砂嵐ですぐに痛んで使えなくなるのだから安い方が良いのだと言って買うと言う。
   このような中国の会社が、後から後から世界の市場に繰り出して失敗しても失敗しても人海戦術で、海外の市場に売り込み続けていると言うのである。

   このような中国地場の中小自動車会社であっても、5万台の売上しかなくても15万台規模の工場を平気で建設する。
   欧米や日本の自動車会社と競争できる技術があるわけでもないのに、独立独歩で経営し、合弁の道も求めない。
   元々政府から保護もエサも与えられたことなどないので、短期的に競争に負けるのなど少しも怖くないし、むしろ、トラが出てくる市場ほど、飢えたオオカミが出るチャンスがあるのだと言う。
   正に、ハングリー精神の権化であり、合弁にあぐらをかいているひ弱なトラの方が今に太刀打ち出来なくなろう、と莫氏は言う。

   莫氏の最新刊「中国は敵か、味方か」という新書を並行読みすると結構面白いが、この方は多少、中国と日本の架け橋となろうといった優等生的な叙述となっている。
   何故か、ナショナルジオグラフィック6月号が、一寸異質な記事「中国の即席都市 ”勝ち組”の肖像」を掲載しており、地方都市が急速に開発されてゆく狂騒曲を、ブラジャー部品の製造でのし上がって行く起業家を追いながら凄まじい中国の変貌振りを伝えている。
   莫氏の言うハングリー精神が、如何に中国人の起業家意識を刺激して現在の中国の経済社会を動かしているかが良く分かる。

   中国人の株ブームについては、中国人は、暴落の恐ろしさを未経験で知らないので、自分だけは逃げられると思っており、一度痛い目に遭わなければ分からないであろうと言う。

   野村の関氏は、現在の中国は生産性が低いので元が今日のような水準にあるのであって、中国の生産性がアップして本当に国際競争力が付けば必然的に元も上がって行く。これは日本の過去を考えればよく、日本の国際競争力が付いた時に一挙に円が上昇したのであって、これと同じ経路を辿る筈だと言う。
   株価の上昇については、経済成長、元切り上げ圧力をかわすための外為市場への介入による過剰流動性、2008年度から企業所得税率が33%から25%へダウン、非流通株対策の進展などの要因によって上がっており、株価の暴落はあり得るし、中国経済についても、オーバーヒート気味なので、バブル調整による景気後退はあると予測している。
   過ぎたるは及ばざるが如しで、経済性成長が度を越すと元の切り上げなど外圧が入るので、程ほどの成長が望ましいとも言う。
   
   日本の戦後も凄かったと思うが、経済社会の変化に加速度が付き過ぎた今日、中国の凄まじい変化は、普通の頭と神経では理解出来ないのかもしれない。

   
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六月大歌舞伎・・・素晴らしい仁左衛門の元禄忠臣蔵・徳川綱豊

2007年06月16日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の歌舞伎座の夜の部は、中々充実していて面白い。
   何と言っても素晴らしい舞台は、仁左衛門が徳川綱豊卿を演じた真山青果の「元禄忠臣蔵」の「御浜御殿綱豊卿」で、昨年の秋に国立劇場で実施された素晴らしい梅玉の舞台を思い出しながら楽しむことが出来た。
   次の「盲長屋梅加賀鳶」の「本郷木戸前勢揃いから赤門捕物まで」の段は、幸四郎の悪役・按摩竹垣道玄」が吉右衛門の日蔭町松蔵に窮地に追い込まれる場面が主体になっていて面白い。
   最後は、同じく河竹黙阿弥の「船弁慶」で、幸四郎の弁慶だが、静御前と新中納言平知盛の霊を演じる染五郎が華麗な舞台を見せてくれて楽しめる。
   終演が9時30分で、久しぶりに長い舞台であった。

   御浜御殿の場は、真山青果が、次期将軍・綱豊の言葉を介して忠臣蔵のあるべき本当の姿を徳川幕府の立場から語らせていることで、忠臣蔵の本筋とは離れているが非常に重要な舞台である。
   仇討ちの本懐を遂げさせたいと言う思いと、馬鹿を装いながら時期を待たざるを得ない内蔵助の苦衷を、自分の姿を重ね合わせながら噛み締めている綱豊の思いが、赤穂の浪人・富森助右衛門(染五郎)との激しい対話を通して浮き彫りにさせる。
   赤穂浪士の討入りがありやなしやを知りたくて富森を挑発し続ける綱豊。内蔵助の放蕩を揶揄されて耐えられなくなった富森に、政事に口を挟まないのは猜疑心深い綱吉の目を背ける為の方便ではないかと暴露されて刀に手をかける綱豊。

   近衛関白家から御台所を通じて浅野家再興の願いが再三出ていて、明日、登城して綱吉に直々に願い出て認められると仇討ちの機会がなくなるぞと言われて、感極まった富森が敷居を越えて綱豊に近づき涙を流して綱豊を凝視する。
   仇討ちの意思ありと知った綱豊は、キッとした口調で「憎い口を利きおったぞ」と富森に言葉を残して嬉しそうに部屋を出て行くのだが、
とに角、最初から最後まで、実に大きくて風格のある人間味豊かな次期将軍を演じきる仁左衛門の芸は流石である。
   荒削りではあるが、それに敢然と、そして、真摯に挑んでいる染五郎の爽やかさも格別である。
   シェイクスピア張りに豊かな青果の長台詞を、緩急自在に操りメリハリをつけながら舞台を展開するあたりは、やはり今を時めく旬の役者のなせる技であろう。   
   台詞が出なくなって、プロンプターの声が耳障りな人間国宝級の歌舞伎役者には出来ない舞台である。

   新井勘解由の歌六の凛とした格調、初々しくて素晴らしく魅力的な後の将軍の生母お喜世の芝雀、それに、控え目で気品のある秀太郎の江島など脇を固める役者にも恵まれて素晴らしい「御浜御殿綱豊卿」の舞台となっている。

   ところで、火事と喧嘩は江戸の華とかと言われて、火消しや任侠が見得を切る胸のすくような舞台が、江戸では人気があったようであるが、私には、所詮、小競り合いや喧嘩であって、アウトローの世界でもあり、そんなに格好の良い舞台だとは思えない。
   そのためもあり、先月の「め組の喧嘩」の舞台などめ組辰五郎に菊五郎、四ッ車大八に團十郎を筆頭に多くの看板役者が登場した舞台であったが、特に粋だといった意識はなく醒めた目で見ていた。
   意気地なしと時蔵の女房が辰五郎を煽るあたりは面白かったが、今回の「盲長屋梅加賀鳶」の冒頭の勢揃いの場も、幸四郎の二役の妙を楽しむ意味はあったが、それほどの感興は感じなかった。

   面白かったのは、なんとも言えない人間味豊かで、何処か間が抜けていて憎めない、どんなに考えても極悪人になりきれない惚けた幸四郎の悪党ぶりである。
   小声でぶつぶつ言いながら理知的で才気が見え隠れする、細面であの目をぎょろりとさせた表情が如何にも意味深な幸四郎のこのキャラクターは、世話物の人情長屋の住人にも通用するユニークな芸の源でもある。
   同じ兄弟でも、吉右衛門は、藤山寛美の世界を演じられと思うが、幸四郎は寛美とは違った対極にある役者で貴重な存在である。
   今回は、幸四郎の道玄の、妻・女按摩お兼を演じた秀太郎と道玄の悪を追い込む日蔭町松蔵の吉右衛門との丁々発止の舞台が面白かった。
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