熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

文化三昧ミラノ・ロンドン旅・・・15 ロイヤル・オペラ、モーツアルトのミトリダーテ

2005年07月31日 | 欧州紀行(文化三昧ミラノ・ロンドン旅)
   イギリスに行く目的の一つは、ロイヤル・オペラを鑑賞することで、帰国してからも出かけて行き、ワーグナーの「ローエングリン」や「トリスタンとイゾルデ」、前回は、ドミンゴ指揮のレオンカヴァレロの「道化師」等を楽しむ機会があった。
   チケットの手配は、総てロイヤル・オペラのホーム・ページからで、シーズン毎にメールが来るので予定は予め分かっており、旅程に合わせて予約を入れる。
   今回は、ロンドン滞在予定時期には、「ワルキューレ」「リゴレット」「オテロ」「ポントの王ミトリダーテ」が公演されていて、ドミンゴの歌う「ワルキューレ」は即刻ソールドアウトであった。
   旅程を確定した時には、残っていた「リゴレット」と「オテロ」も売切れてしまって、取得出来たのはモーツアルトの「ミトリダーテ」だけであった。

   ロンドンに着いた翌日、即ちテロの翌日、真っ先にコベントガーデンに出かけて、ボックスオフイスに向かった。
   「ミトリダーテ」のチケットをピックアップする時に、実直そうな窓口の中年紳士に、リゴレットとオテロのチケットがないかと聴くと、幸い良い席が一枚づつ残っていると嬉しいことを言う。
   「ワルキューレ」については、昨年、ニューヨークでドミンゴを聴いているし、かち合っているロンドン塔の「アンナ・ボレーナ」を諦める心算はなかったのだが、「オテロ」は、グローブ座の「冬物語」と一時間重なっている。
   しかし、ルネ・フレミングの歌うデズデモーナの誘惑には勝てない、結局、掛け持ったのであるが、こんなことは旅先での常である。

   7月9日、この日は、マチネーが「ミトリダーテ」、夜が「リゴレット」で、一日、ロイヤル・オペラで過ごすことになった。
   ロイヤル・オペラは、在英5年間はシーズンメンバーチケットで通い、その他の在欧期間や旅行中を含めて結構行ったので、随分多くのオペラを楽しませて貰った。
   最初に観たオペラが、大阪フェスティバルで来日したバイロイト祝祭オペラの「トリスタンとイゾルデ」で、ビルギット・ニルソンとウイントガッセン、ハンス・ホッターのワーグナーに度肝を抜かれてから、はるばる歩んできたオペラ鑑賞の旅路だが、随分遠くまで来てしまったと感慨しきりである。

   モーツアルトは、私の好きな音楽家で、あの天国的な美しさが堪らないし、若くして亡くなったあのモーツアルトが、こんなに豊かなオペラを書くなんてと思うと、小澤征爾が言っていた「神様がモーツアルトの手を取って書かせたとしか思えない」と言う言葉が良く分かる。

   この「ポントの王ミトリダーテ」は、モーツアルトが、旅の途上ミラノで、14歳の時に作曲したオペラ・セリエで、初めて聞いたが、可なり入り組んだオペラで、当時のミラノオペラ界で活躍していたカストラートの影響を受け、珍しくカウンターテナーを起用して居る等話題性も有り、後の4大オペラとは全く違ったモーツアルトの非凡さを示したユニークなオペラである。

   父親の愛人アスパシアを愛する二人の兄弟の愛の葛藤、その合間に揺れるアスパシアをポーランドのソプラノ・アレクサンドラ・クルザークが感情豊かに歌う。あのギオルギューやブリン・ターフェルが駆け出しの頃をこのコベントガーデンで観ているが、素晴らしいタレントの出現は嬉しい。
   タイトル・ロールは、アメリカのベルカント・テナー・ブルース・フォードで、厳ついメイクが気になったが、秀逸。
   カウンターテナー・ファーナスは、デイヴィッド・ダニエルスが、ウイリアム・タワースに代わっていたが、殆ど聴く機会のないカウンターテナーの層の厚いのにビックリした。

   このオペラで面白いのは、衣装で、ウイーンにあるヴェラスケスの「マルガリータ姫」の絵の様に、横に大きく張ったペチコートを付けたフロックを男女ともに身に着けていることで、そのデザインが、カブキ、トルコ、インド風ミックスだと言うユニークさ。
   このオペラが、モーツアルト没後2000年にザルツブルグで再演され、ロイヤル・オペラでは20年後の1991年に初演、今回が3回目。
   他の演目と違ってチケットは最後まで売り切れなかったようだが、惜しいと思った。

   終演の後、レスタースクエアーの方に歩き途中のパブに入って、ギネスを楽しみながらプログラムを読み返した。
   このロイヤルオペラのプログラムは、6ポンド(1200円)だが、どこかの国の様に、豪華に見えるがナンセンスな偉いヒトの祝辞やプロマイド写真、下手な解説と広告で埋められたものとは全く違っていて、実に教養があり内容豊かな有り難い本であることを付記しておきたい。

   
   
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庭のブルーベリー

2005年07月30日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   たわわに実を付けていたブルーベリーが色付き始めた。
   眼に良いと言うので、毎朝、レーズンパンに、たっぷりブルーベリー・ジャムをつけて食べているが、庭のブルーベリーは小鳥用である。
   日本では、ストローベリーがダントツの人気だが、ヨーロッパでは、ラズベッリー、ブルーベリーを筆頭に木苺の種類は数限りなく、ジャムが美味しい。
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文化三昧ミラノ・ロンドン旅・・・14  ロンドン塔での始めてのオペラ

2005年07月30日 | 欧州紀行(文化三昧ミラノ・ロンドン旅)
   今回、幸運に恵まれたのは、ロンドン塔で、始めて公演されたドニゼッティのオペラ「アンナ・ボレーナ」を鑑賞できたことである。
   毎年夏に、ロンドンのシティの歴史的な建物の中で開かれる「シティ音楽フェスティバル」には、在英中何度か出かけて、セント・ポール寺院でのベートーベン第九「合唱付き」、華麗なギルド・ホールでのグレニーの木琴、ロンドン塔内のセント・ピーター・アド・ヴィンキュラ教会での教会音楽等々思い出深いが、今回の様な大規模なオープンエアーでのプログラムは始めてである。

   この公演を知ったのは、フィルハーモニア管弦楽団の演奏会を聴きたくてパソコンで検索していたら、この「アンナ・ボレーナ」のオーケストラとしてピットに入ることが分かったのである。
   ロンドンでは、ロンドン響のシーズン・メンバー・チケットを買って通い続けていたが、カラヤンの薫陶を受けて育ったこのフィルハーモニア管も好きで良く出かけたので、迷うことなく7月8日のチケットを予約した。

   会場は、ロンドン塔の北西角の外壁と内壁の間の空濠に特設会場を設けたもので、アンが埋葬されているチャペルと観光客で溢れるジュエル・ハウスに接近した所で、アンナ・ボレーナ(アン・ブーリン)が処刑された処刑台が城壁の中のすぐ側にある。

   「アンナ・ボレーナ」は、あの大英帝国を世界一の大国にしたエリザベス1世の父王ヘンリー八世の第2妃アン・ブーリンの物語である。
   アンの侍女ジェーン・シーモアに心を移したヘンリーは、彼女と結婚する為に、アンの初恋の人ペルシとの絡みを利用して罪を着せて、裁判・処刑する。
   実際の舞台は、ウインザー城だが、アンは、最後にこのロンドン塔に幽閉され、処刑され、埋葬された。
   随分昔になるが、フィラデルフィアに居たとき、アメリカの名ソプラノ・ビバリー・シルスの「アンナ・ボレーナ」を聴く為に、ニューヨーク・シティ・オペラに出かけて、深夜過ぎに危険な夜道を帰ったのを思い出した。  

   この日、少し早く着いていたので、会場に行くと、広々とした会場・空濠全体がピクニック会場になっていて、人々が、思い思いにシートを敷いて俄か宴会場を設営して飲んだり食べたり談笑したり、賑やかに楽しんでいる。
   特設レストラン&カフェーも賑やかである。こんな所へ独りで来ることほど味気ないものはないし、そんな人は、まず私くらいであろうか。
   グラインドボーンと良く似ているが、こちらは、タキシードとイブニング・ドレスの正装を強制しているのでもっと正式で華麗な社交場になっているが、イギリス人は、野外でのオペラには、このようなピクニックが好きなのである。
   あのモネの「草上の晩餐」の雰囲気である。

   タイトルロール・アンナ・ボレーナを歌うのは、イングリッシュ・ナショナル・オペラ(ENO)のプリンシパル・ソプラノのハンナ・フランシス。憂いに満ちた、しかし、決然とした陰影のあるアンナを感動的に歌う。
   ヘンリー八世のチャールズ・ジョンストンを始め歌手の大半は、ENOやグラインドボーン、ウエールズ、スコットランド等のナショナル・オペラで活躍する若手歌手で、遥かに水準を越えている。
   アンナの恋敵ジェーンを演じるジニファー・ジョンストンは、弁護士資格を持つ逸材だが実に素晴らしい演技と歌唱で、ヘンリーとアンナとの間にたつ苦悩を噛み締めながら歌っていた。

   指揮のアレクサンダー・イングラムは、オーストラリアやヨーロッパで活躍するENOの指揮者。
   舞台は、金属製のジャイロスコープの様な上半分に付属したセットを畳み掛けたり回したりしながら舞台展開を図る斬新なもので、衣装は完全に当時のもので、シンプルだが機能的で面白い試みであった。

   残念だったのは、マイクの調整が悪くて、フィルハーモニアの華麗なサウンドが十分に楽しめなかったこと。
   シティの繁華な場所にありながら喧騒は気にならなかったが、やはり、ロンドン・テロの翌日の所為で、ピーポ・ピーポのパトカーのサイレンが、時々、野外コンサートであることを思い出させる。蜷川幸雄だったら喜ぶかもしれない。

   地下鉄が開通していたので、タワーヒルから乗り、ブラックフライヤーズで乗り換えて、ピカデリーサーカスまで帰った。客は少なかったが、地下鉄は普通に動いていた。
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文化三昧ミラノ・ロンドン旅・・・13  タワー・ブリッジを前にシティで憩う

2005年07月29日 | 欧州紀行(文化三昧ミラノ・ロンドン旅)
   グローブ座が跳ねてから、夜のオペラ「アンナ・ボレーナ」まで少し時間がある。どこか観光するためには時間が不足する。
   シティに行けば、気の利いたパブやレストランがあるので、そこらで時間を潰そうと思って、サザーク橋を渡って対岸に出た。
   ピントナー・ホール側に立って対岸を臨むと、黒い屋根を頂いた3階建てのグローブ座が見え、その後ろに、高い煙突を持った重要文化財の旧火力発電所を改装したテート・モダン美術館が見える。
   その前から、対岸のシティに向けた新しいモダンな歩道橋が架かっている。
   このあたりからタワー・ブリッジ近辺にかけて、ミレニアム前後に再開発されて、相当様相が変わっている。

   以前からあったのかどうか知らないが、テームズ河の北の岸辺に沿って細い歩道があったので、何処まで続いているのか、サザーク橋の下から、ロンドン塔に向かって歩くことにした。
   繁華な金融街の裏庭とは思えないほど喧騒から程遠い道で、左手には、テームズ河がとうとうと流れていて、歩くにつれて、タワー・ブリッジが近づいてくる。
 
   河中に係留されている巨大な戦艦が、HMSベルファスト号で、1938年の建造で第二次世界大戦に参戦した。
   その後ろに、超モダンな大きなガラス張りの建物が建っている。後で知ったのだが、ノーマン・フォスター設計によるシティの新市庁舎で2002年に竣工したと言う。

   ところで、この歩道は、オールド・ビリングゲート・フィッシュ・マーケットと税関の建物の裏を通ってタワー・ミレニアム・ピアの前で切れている。
   途中、シティのバンカーに混じって、岸辺のベンチで小休止していたが、中々気の利いた歩道である。横を、綺麗なキャリアウーマンが、都心に向かって通り過ぎていった。

   ぴあを回り込むと、もうそこは、ロンドン塔の入り口である。
   おもちゃの人形の様な制服を着たガードの前を通り過ぎて岸辺に出た。
   目の前には、タワー・ブリッジが迫り、左手には、ロンドン塔の城壁が広がっている。
   ロンドンにしては少し暑いが、珍しくも気持ちの良い快晴の素晴らしい天気である。
   私はここでしばらく時間を過ごそうと思って、側の屋台でサンドイッチとコーヒーを買って岸辺のベンチに居を構えた。

   大きな船が近づいたのであろう。タワー・ブリッジの下の橋桁が、左右に分かれて少しづつ上がり始めた。
   ピーポ・ピーポのパトカーのサイレンの音で、この日が、テロの翌日であることを思い出した。

(追)写真・タワーブリッジの右手に、戦艦と新市庁舎。
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文化三昧ミラノ・ロンドン旅・・・12 グローブ座のシェイクスピア

2005年07月28日 | 欧州紀行(文化三昧ミラノ・ロンドン旅)
   12時半から、サウスバンクのグローブ座で、「ペリクリーズ」がある。
   テロ直後なので地下鉄を敬遠して、散歩を兼ねて途中まで歩くことにして、少し早くRACを出た。
   トラファルガー広場に出て、ハンガーフォード橋を渡り、ロイヤル・フェスティバル・ホール横に出た。前回はここで、ポリーニのピアノでフィルハーモニアのコンサートを聴いたが、今回は、適当なコンサートがなく、隣のロイヤル・ナショナル・シアターにもシェイクスピアの公演がなかったので、諦めた。ウイーン・フィルの演奏会など、良く通ったホールなので感慨深い。
   劇場を外れた所でタクシーを拾ってグローブ座へ向かった。

   少し時間があったが、ショップ階から入ろうとしたら、アッパーギャラリー席は今日は閉鎖するので、ボックスオフイスで座席を交換して来いと言う。ローギャラリーの正面前列の良い席をくれた。
   この時、公演していたのは、「ペリクリーズ」「冬物語」「テンペスト」だったが、「ペリクリーズ」は、売れ残っていて、その所為か、或いはテロの所為か、とにかく、客が少なかったのであろう。

   この劇場は、1613年に消失したシェイクスピアの常設劇場グローブ座を、米人俳優サム・ワナメーカーの努力によって再現したもので、1997年6月にオープンした。夏季期間しか開業していないので、最初来たのは秋であり劇場ツアーだけに終わったが、その後3期通っている。
   丁度、映画「恋におちたシェイクスピア」に出てくる劇場と全く同じで、2階建ての舞台を囲んで3階分の円形の客席がある円筒形の建物で、屋根のない青天井で、平土間は立見席になっている。
   最初、田舎の旅籠屋等で、カタカナの「コ」型の建物の開放部分に舞台をしつらえて、各階の渡り廊下にイスを置いて客席にし、平土間を立見席にして、俄か劇場を作ったのが原型であろうか。丁度、出雲の阿国が、四条河原でカブキを踊っていた頃である。

   座席は、木製の床机様のベンチで、クッションを貸し出している。吹き曝しなので、舞台にも客席にも、晴れた日には強い太陽が照り付けるし、雨や嵐になると、容赦なく雨風が吹き付ける。
   太陽のカンカン照りつける炎天下の舞台で、漆黒の闇の中のハムレットを演じるのであるから、イギリスでは、シェイクスピアは「観る」ではなくて、「聴く」と言うのである。

   この「ペリクリーズ」は、エーゲ海を舞台にした旅と航海のお話で、主人公タイヤの領主ペリクリーズが、運命の悪戯で逃避行の旅を続ける。
   その間に、素晴らしいお妃を得て、美しい姫を儲けるのであるが、まさに波乱万丈の舞台展開で、この劇はそれほど有名ではないが、とにかく、楽しい舞台である。
   ペリクリーズを、エルダーとヤングのダブルキャストにしたり、船のマストを縦横に活用して舞台を所狭しと綱渡るサーカス団顔負けの演技が面白い。
   美しいマリーナ姫が、女郎屋に叩き売られるのであるが、気高く崇高なので客が総て説得されて悔い改めて帰るので商売にならない。
   シェイクスピア役者の常として、1人が何役かを兼務するのであるが、お妃セーザの父親サイモニディーズ王を重厚に演じたマルチェロ・マーニが、後半女郎屋の召使を演じるのだが、客席から登場し怪しげな写真をちらつかせながら観客をポンビクのだが、その演技がまた秀逸、さっきまで、マストでアクロバットを演じていた若い女優が、アラレモナイ娼婦姿で色気たっぷりに練り歩くのなど、その芸の達者ぶりには驚く。
   兎に角、素晴らしい3時間で、テロを忘れてしまっていた。
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文化三昧ミラノ・ロンドン旅・・・11 ロンドン多発テロ

2005年07月27日 | 欧州紀行(文化三昧ミラノ・ロンドン旅)
   テロの翌日、街に出てみた。
   RACはポール・モルにあるので、首相官邸や官庁街、バッキンガムパレスが近く、ロンドンでは極めて重要な地域だが、ポリスが少し多いかなあ、と言う程度で何の変化も無かった。
   隣組のチャールズ皇太子の館も、2人の赤い服を着た近衛兵が直立不動で立っているだけ、紳士もの専門のジャーミン街もピカデリー通りも、そして、高級展の並ぶボンド街も、相変わらずだし、ピカデリーサーカスも観光客が群れている。
   地下鉄のピカデリー線は、閉鎖されていたが、テロと関係のない線は、そのまま多少不都合ながら動いている。

   ジャパンセンターの書店で、日経と読売を買って読んでみたら、まるでロンドンで革命が起きたような騒ぎようだが、ロンドンの新聞もテロ記事で埋まっているので仕方がないとしても、極めて大きな温度差を感じた。
   昔、湾岸戦争の時、日本のサテライトTV(NHKが主体)で、評論家や識者たちが攻撃はあり得ないと語っている最中に、米軍がクエートに侵攻していて、唖然としたことがあるが、あの時の日本と世界とのズレである。

   こんなことを言うと不謹慎だが、イギリス政府がいくら必死でも、イギリス人は、これまでに何度も試練を受けているIRAのテロで慣れており、テロがビルトインされている社会だと言うと言いすぎになるが、テロに対する社会の対応が出来ているのではないかと思っている。
   丁度、トカゲの尻尾きりの様に、事故の起きた所だけ切り離して、それ以外は早急に健康体に戻すと言う生活の知恵と危機管理である。

   今回は、イスラム社会との問題がクローズアップされているが、イギリスは複合国家で、国内に、沢山の異民族国家を抱えている様な物で、街全体が、例えば、インド人やパキスタン人ばかりで形成されているところがあり、他の国に来たのかと思うような所が幾らでもある。
   良くも悪くも大英帝国、その付けを今払っているのであろうか。

   私にとっては、10年以上前になるが、IRAによって、シティの金融街が数度に亘って爆破された事件の方が衝撃的であった。
   街路に駐車されていた貨物車が爆発し、高層ビルが吹き飛んで長い間シティのビジネスを麻痺させた事件である。
   翌日、シティの高層ビルから、爆破現場を見て、破壊されたビルの合間に、戦争で爆破されたようにペロペロになったビルから多くのモノが窓から飛び出し、風に靡いている光景にショックを受けた。

   その夜、爆破されたS銀行の支店長に呼び出されて、代わりの事務所を探してくれと言われた。
   ディーリング・ルームを備えた大銀行の事務所が、シティでおいそれと見つかるわけがない。幸いなことに、丁度、新事務所の開発を終えて移転してもらって解体していたNK銀行の旧事務所を手当てして入ってもらうことが出来た。
   週末の爆破なので、応急手当てをして、奇跡的にも月曜日に開店出来たのである。

   余談ながら、午後からトラファルガー広場からコベントガーデンに向かった。ロイヤルオペラのチケットを手当てする為である。
   日本からのインターネットでは売切れていた「オテロ」と「リゴレット」のチケットが手に入った。

   テロ当日は、劇場街も遠慮したようだが、翌日は平常に戻り、その日の午後、サウスバンクのグローブ座でシェイクスピアの「ペリクリーズ」、そして、その夜、ロンドン塔でドニゼッティのオペラ「アンナ・ボレーナ」を楽しむことが出来た。
   ロンドンは、生きているのである。
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文化三昧ミラノ・ロンドン旅・・・10 アリタリア・ストとロンドン・テロ (2)

2005年07月26日 | 欧州紀行(文化三昧ミラノ・ロンドン旅)
   夕刻7時前に、アリタリア機はヒースロー第2ターミナルに着いた。
   入管に急いだが、予想に反して、中国人の集団が、入管カウンターの前に列を成していた。
   本来なら、このターミナルはヨーロッパ便主体なので、大半がEU客で外国人カウンターは空いているのであるが、今回は、大陸経由の中国人客であろう。
   しかし、大半は中高校生で、持っているパスポートを見ると中華人民共和国、修学旅行風の団体で、中国もここまで経済力が付いたのかと思うと感に堪えなかった。
   入管係員が、これ等の中国人団体を纏めて別のカウンターに移したので、急に前が空いて、入管手続きがスムーズになった。

   私の今回の英国入国の目的の一つは、永住権の更新で、簡単に言えば、入国の日付の付いた入管印を押してもらうことである。
   私は、90年代初めに永住権を取得していてこれを継続しているが、英国居住が原則だが、最低要件は、2年以上英国を離れないことである。
   外国人の雇用を制限する為に、英国政府は、永住権の付与は極力制限していて、与えた人間に対しても外国に住むと取り上げようとする。
   日本の有名な音楽家やバレリーナが、労働許可を取れなくて出国したのを思い出す。
   入管のハンコには、普通「6ヶ月以上の滞在、雇用・被雇用、パブリック・ファンド禁止」と言う条件が付いているが、私の場合にはこれがない。

   私の入管カウンターは、新米の係員で先生が後ろについて指導しており、両方ともインド系であった。
   何時も、在住していない理由説明を詰問されて困っているので、ひと悶着あるかも知れないと思ったが、正攻法で当たることにした。
   パスポートを見れば分かるので、私には、入国の目的は、何日滞在ですか、等とは聞かないが、在り来たりの質問から始めたのでまともに答えた。
   後ろの先生が、前回の入国がこれこれだから条件を満たしている、ハンを押して良い、と言ったので、若い入管員は大きな音を立ててハンコを叩いた。
   私は、何時もこの瞬間、ホッとして幸せを感じる。
   イギリスは一番好きな国であり、一時住み着いても良いと思った時期もあり、何時でも移り住める権利を確保しておきたいのである。

   私は、ヒースロー・エクスプレスに乗るために、地下のターミナルに急いで、パディントン駅に向かった。懐かしいイギリスの風景が車窓を走る。
   このノンストップの快速鉄道が通じてからは、空港からタクシーに乗ったことはなく、パディントン駅を下りてタクシーを拾うと、ロンドンの都心何処にでも簡単に行ける。
   タクシーは並んでいてすぐに飛び乗り、RAC(ロイヤル・オートモビル・クラブ)に向かった。
   途中、カラフルな色のパトカーが停まって一箇所車道をを閉鎖していたが、9時前には無事RACにチェックインした。
   今回は、6日の滞在なのである為か、少し広いダブル・ルームを用意してくれていた。

   私は、テレビのスイッチを入れるとBBCの画面が表われ、包帯を巻いた事故客が車から運び出される光景が写っており、イギリスには良くある事なので気にせず、そのままスイッチを切って風呂に入って、少しシェイクスピアを読んでから寝てしまった。

   翌朝、時差ぼけで早く起きたので、家内に電話したら、激しい口調で電話口でテロの話をしている。
   JALから、アリタリアのストの連絡があり、その日にテロが起こり、不安になって、私が残した電話番号に電話したが間違いその他で繫がらず心配した、何故電話しなかったのかと言うことである。
   知っておれば当然連絡するが、空港も鉄道駅もロンドンの表情は全く変わっておらず、誰も、言ってくれないし、TVは切ってしまったので、迂闊にも、7日のロンドンテロは、家内から聞くまで全く知らなかったのである。
   電話中、ドアー口にスリップが入ったので、家内を待たせて読んでみると、「お嬢さんから、母上に電話するよう伝言あり」と書いてある。
   ここは、名だたるプライベートなジェントルマンズ・クラブで、英国紳士は、何が起こっても、慌てず騒がず、夜中に、電話を繋ぐなどもってのほかと言うことであろうか。電話を取り次いでくれなかったのである。

   TVのスイッチをひねり、階下に下りてフロントで、新聞を買い集めて部屋で開いてみて、サミットを目指して仕組まれたイスラム過激派のテロを知った。
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NINAGAWA十二夜・・・シェイクスピアと歌舞伎の融合の舞台

2005年07月25日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   昨夜、歌舞伎座で、素晴らしい蜷川幸雄演出・菊五郎劇団のシェイクスピア戯曲・「十二夜」を観たので、その印象を忘れない為に、「文化三昧ミラノ・ロンドン旅」を、1日休んで、雑感を記して置きたい。

   この公演は、尾上菊之助が、菊五郎劇団のレパートリーを増やす為に発案し、蜷川幸雄がその役者としての魅力と真摯さに負けて演出を引き受けた稀有な例。
   「グリークス」で菊之助・しのぶ姉弟の演技に惚れ込んだとは言え、照明の原田保氏以外は一切蜷川組のスタッフを連れて行かず、歌舞伎王国に留学した学生の積もりで、世界の蜷川が、極めて短時間に仕上げた歌舞伎版シェイクスピア戯曲ロマンティック・コメディ「十二夜」なのである。

   私が、最初に観た蜷川シェイクスピアは、ロンドンで、仏壇を模った舞台に花吹雪が舞う出だしの「マクベス」であるが、その後、バービカン劇場で、佐渡の能舞台を舞台セットに幻想的な演出を試みた「テンペスト(嵐)」を、今は亡き森嶋通夫教授夫妻と本場イギリス人の熱狂の中で観た。
   その後、日本で、幸四郎と黒木瞳の「オテロ」、真田と松たか子の「ハムレット」、竜安寺の石庭を舞台にした白石加代子の「真夏の夜の夢」、そして、本場RSCの役者を糾合して名優ナイジェル・ホーソン主演の「リア王」等、兎に角、イギリス等のシェイクスピア劇の公演と綯交ぜに、楽しんできた。
   今回の蜷川歌舞伎は、今までの蜷川にはないほど、歌舞伎の伝統とその芸術を尊重し、大切に守りながら、シェイクスピア劇の醍醐味を満喫させてくれた。
   これまでは、シェイクスピアに挑戦するために、過去の伝統と仕来りを捻じ曲げてでも、蜷川シェイクスピアを追及し演出してきたが、この十二夜には、その気負いも無理も無駄も一切なく、実に淡々と、歌舞伎の世界には稀有なロマンティック・コメディを、芸達者な歌舞伎俳優から抽出し、独特なシェイクスピアの世界を創出している。

   シェイクスピア劇は、歌舞伎と違って舞台展開が速くて随所に飛ぶのだが、ミラーを舞台に多用して照明を巧みに操りながら華麗な演出をしており、回り舞台と幕構造を上手く使いながら、歌舞伎と蜷川の世界を同時に醸し出しているのがなんとも心地よい。

   歌舞伎もシェイクスピア劇も16世紀末から7世紀にかけて、同じ時期に、洋の東西で生まれ、男の劇として発展し、その芝居の内容・演出等にも共通点が多いが、やはり、シェイクスピアの世界は奥深い。
   ロンドンで観た染五郎の「ハムレット」も素晴らしかったが、歌舞伎版の「リア王」や「じゃじゃ馬ならし」等も観て見たい気がする。

   ところで、この十二夜は、菊之助の役者としての魅力の全開した舞台で、主人公「ヴァイオラ」と「セバスチャン」の兄妹二役を実に瑞々しく華麗に美しく演じている。
   小姓として男装したヴァイオラが、恋のメッセンジャーを命ずる主君に恋して、揺れ動く心の綾を、セツナイ女心を垣間見せながら実に繊細に演じている。
   カミソリを触れただけで鮮血が迸り出るような、そんな激しい情熱と息吹を感じ取れる舞台で、蜷川と同時に菊之助の「十二夜」でもあると思った。

   一方、歌舞伎には全くない「道化(フェステ)」と、この十二夜の副主題の立役者で、部下に散々コケにされて笑いものになるオリヴィア姫の執事「マルヴォーリオ」を人間国宝尾上菊五郎が演じているが、少し重いものの、これがまた秀逸で、歌舞伎役者の実力の凄さを思い知らせてくれる。
   信二郎や時蔵の華麗な演技、そのほか、狂言回しのコミカルな演技を盛り上げる左團次、松緑、亀次郎等の軽快なウイット等など、兎に角、楽しくて、歌舞伎とシェイクスピアをチャンポンで同時に楽しんだような気がした。

   今回のロンドン旅で、グローブ座で、「ペルクリーズ」と「冬物語」を、ロイヤル・オペラで「オテロ」を楽しんだが、シェイクスピアの魅力は限りない。
   今回の「十二夜」は、松岡和子訳ではなくて、小田島雄志訳を今井豊茂氏が脚本化している。小田島氏の駄洒落を歌舞伎役者が駆使しているのが面白い。
   小田島氏訳の白水社Uブックを小脇に抱えて、RSCやナショナルシアター、グローブ座等を随分回ってシェイクスピアを楽しませてもらっている。
   左團次が、台詞の多さに悪戦苦闘したと言っているが、元々シェイクスピア劇は、観るものではなく聴くもの。
   しかし、このNINAGAWA十二夜は、正に、観せて(魅せて)くれるシェイクスピアであった。
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イングリッシュ・ガーデン

2005年07月25日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   イングリッシュ・ガーデンと言えば、野性的な自然状態で花が咲き乱れているのを思う。
   実際は、池や小川があり、ローマの廃墟のあるような森や林のある風景庭園を意味するようである。

   自然に見え、イギリスの森は実に優しく美しいが、海洋王国の為に、軍船建造で原生の針葉樹林を殆ど切り倒し、放牧の為に森を潰して、荒々しい自然は消えてしまった。
   同じ様に、イングリッシュ・ガーデンを、自然状態に保つ為には、除草等大変な世話が要る。イギリスの風景は、完全に人間が作り上げたものである。

   これを美しいと言うのか、イギリスに行くと何時もそう思う。
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文化三昧ミラノ・ロンドン旅・・・9 アリタリア・ストとロンドン・テロ(1)

2005年07月24日 | 欧州紀行(文化三昧ミラノ・ロンドン旅)
   7月7日ロンドン・テロの日である。ロンドンに発つ為に、都心から遠いマルペンサ空港14時40分発のアリタリア航空236便に乗る為に、少し早いが、11時半にホテルを出て空港に向かった。空港までは順調だったが、アリタリアが嫌に混んでいてチェックインが大変であった。
   空港カウンターの一角を独占しており、スムースにやればやれるはずなのに、便名でチェックインを受け付けるわけではないので、長いカウンターの各ラインに思い思いに並ぶ事となるが、国際も国内もゴッチャで兎に角客が多くてラインが長い。
   日本では、極端に言えば、出発1時間前でも十分間に合うが、ここでは3時間前でも危ない。
   下手な係員に当たったり、可笑しなチケットを持った客が前に並ぶと目も当てられない。
   漸く番が回ってきたと思ったら、ストで236便はキャンセルされたので、別なカウンターに並んで便を変更しろと言う。全く表示も案内もないので分からなかったのだが、ここはイタリア、喧嘩しても埒が明かないので、素直に指示に従った。
  
   キャンセル便カウンターに並んだが、ここも、客が混んでいる。私の前の、ブダペストに行くと言うスイス人が怒っているが仕方がない。
   私の番になり、まだ夜までに2便あるので、次の便にすると言う。イタリアにしては上出来だと思ってチケットを見ると、スタンドバイのハンが押されている。
   乗れる可能性はどうかと聞くと、2~30%だと言う。どうしてもその日にロンドンに入りたいので頭にきて、「イタリアで、2~30%と言うのは、不可能だということだ、乗れなかったら後の責任を取るのか」と聞くと、不測の事態なので責任は取らないとチケットに書いてあるとケンモホロロ。
   別のリナーテ空港からロンドン行きが出ているのを知っているので、そちらはどうかと聞くと余裕がある言う。乗れないよりは遥かにましなので、そこで、強引に17時25分発の238便に予約を入れさせた。
   どうしてリナーテへ行くんだ、バスの時刻表はと聞いたら、そんなことは案内所で聞け、と可愛いイタリア嬢が、シラーっと言う。
   この時点で、空港に着いてから2時間近く掛かって、2時を遥かに回ってしまった。

   どうしてリナーテまで行くか、ミラノを迂回して行かねばならず、バスだと1時間以上掛かると言う。
   1万円ほどなのでタクシーでと思ったが、ここはイタリア、バスの方が確実だと思い直してバス停を探した。
   案内カウンターに聞くと4番出口の前と言う。しかし、それらしき場所はなく、乗り慣れているミラノ行き高速バス停に行き聞くが埒が明かない。
   別なバスが停まっている所で、車中の運転手に聞いたら、時刻表をくれてバス停を教えてくれた。
   車から下りると、紳士が近づいてきて「荷物を置いたままで離れてはいけない、盗まれるので。」と注意してくれた。ホンの数メートル離れただけではないかと思ったが、イタリアは全く変わっていなかったのである。
   4番出口の遥か後方、新しくバスが停まっているので分かったが、2時間に1本のリナーテ行きの出発5分前、間一髪で間にあった。
   定位置はあるのだろうが、観光客に分かる様なバス停の体をなしたバス停などなく、全く無秩序にバスが停まっている感じである。

   どうにかリナーテに着いたが、また、チェックインが大仕事。
   今度は、カウンターは沢山あるが、国際線の乗客は、パリへ行くのもエチオピアへ行くのも万博の入場の様に、同じ一列に何重にも列を連ねて並ばなければならない。何故、ここではマルペンサとシステムが違うのか。
   後ろに並んだが、6重ぐらいの折り返しで、1時間では済まない。しかし、誰も文句を言わずに黙々と家畜の様に並んでいる。
   漸くチケットを手に入れたのは、空港についてから随分経ってからで、出発まで殆ど時間がなく、ゲートを入って免税店の傍らで軽食を取るのがやっとであった。
   カウンターのマスターは嫌に優しく、イタリアは食の国であることに納得して、どうにか気持ちが治まった。
    
   十年以上も前、EUに入る前のイタリアを思い出してしまった。
   芸術・文化とその歴史遺産は素晴らしく、私の一番好きな国の一つだが、とにかく、頼りにならないし信用できないし、余程心して対応しないと、観光もビジネスも大変であった。
   このアリタリアの空港での対応だが、もっとシステマチックにならないのか、カスタマーサティスファクション等眼中になく、全く、行き当たりばったりの旧式の経営をしているとしか思えない。

   イタリアの高校生で満杯のアリタリアの機内でホッとしながら、また、来年も、ヴェローナの古代野外劇場とスカラ座にオペラを観に来ようと思った。
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サルスベリの花

2005年07月24日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   庭の一才サルスベリの花が咲き始めた。
   大きくならずに咲くので、殆ど枝を切らないのでコブはない。
   サウジアラビアに行った時、街路樹に夾竹桃が植えられていたが、百日紅も強烈に夏を思い出させる。
   もうすぐ、激しい蝉の鳴き声が重なり、暑さが身を焦がす。
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文化三昧ミラノ・ロンドン旅・・・8 ミラノの教会は面白くないのか

2005年07月23日 | 欧州紀行(文化三昧ミラノ・ロンドン旅)
   ミラノで真っ先に出かけるのは、やはり、ドゥオモ広場であり、大聖堂ドゥオモである。
   最近何度行っても、壮大な正面ファサードは、修復工事用の覆いがかけられていて写真の被写体にもならない。私の持っている写真は、もう何十年も前に撮った写真で、色あせてしまっている。
   
   この壮大なゴチック様式の建物だが、バチカンは勿論、パリのノートルダムやケルンのドーム、ロンドンのセントポールやルーアンの大聖堂、等々と比べても、魅力に乏しい。
   ミシュランのグリーン本を見ても、星が付いているのは、屋上からの見学と宝物展示くらいであるが、私は、何度も行きながらこの両方とも果たしていない。
   偉大な宝物や芸術品は、いくら貴重であっても、元の位置に安置されているのを仰ぎ見るのが最高だと思っており、奈良や京都で仏像や彫刻、絵画等が宝物館に展示されているのにはあまり興味がない。
   例えばパルテノン神殿のファサードだが、大英博物館のものより、コピーでもあの現地の神殿に付いているものの方が良いと思っている。

   今回は、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」をミスったので、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会を諦めた。ホテルのマネージャーの話では、この夏一杯予約で満杯だと言う。
   一昨年、十二分に魅せて貰ったので満足せねばならないかもしれない。

   今回は、是非、ミラノ司教・聖アンブロージョが4世紀末に建設したミラノ最古の教会「サンタンブロージョ教会」を訪ねて見ようと思った。古い教会は、歴史の蓄積が凝縮されていて実に味わい深い。
   ダ・ヴィンチの教会から歩いても、ほんの10分ほど、近づくと、重厚な濃い土色の建物の奥に、右側に9世紀の、左側に少し高い12世紀の鐘楼が見える。
   このバシリカは、重厚な柱頭を持つすっきりとした柱に囲まれたアトリウムを持つ11-2世紀のロンバルジャ・ロマネスク様式の建物、中庭を横切ると正面ファサードは、グラツィエ教会と同じ様な将棋の駒形だが、威圧感が凄い。

   正面に12世紀のビザンチン・ロマネスク様式の素晴らしい説教壇が現れ、ドームの壁画が美しい。
   大地の香りがする重厚なバシリカには一寸違和感を感じるが、9世紀カロリンガ時代と言われる黄金で装飾された祭壇が光り輝いている。
   奥に回ると、サン・ヴィトレ・チャペルがあり、そのドーム状の天井に燻し銀の様な輝きを見せる金色のモザイク画が見える。5世紀の作だと言う。
   頂上の肖像はキリストであろうか、3面の壁には聖人の肖像、四隅の頭注には異様な邪鬼が描かれている。
   私は、しばらくの間、このモザイク画を眺めていた。

   今回のミラノ滞在中、出かけたのは、このほかに、古い貴族の邸宅を展示館に変えたバガッティ・ヴァルセッキ博物館だけで、時間があれば、レオナルド・ダ・ヴィンチ縁のスフォルツェスコ城にも行きたいと思った。
   それに、もう一日あれば、タクシーを飛ばしてでも、セルトーサ・ディ・パヴィアに行きたかった。あの教会はイタリアで一番美しいかもしれない、廃墟のようなバックヤードも含めて実に素晴らしくて、随分前だが、空港への時間ぎりぎりまであそこに居た。
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くちなしの花

2005年07月23日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   10日ほど留守をしてイギリスから帰って来た時も、咲き続けて待っていてくれた八重のくちなし。
   真っ白なふんわりとした優雅な姿で、庭一杯甘い香りを漂わせてくれている。

   一重の実なりくちなしは、花が終わって実を付け始めた。
   秋には、オレンジ色に色ずきロケット状の実を沢山付けてくれる。

   花の少なくなった庭には、ひっそりと咲く露草と比べて、真っ白なくちなしが眩しい。
   
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ハンギング・フラワーバスケット

2005年07月22日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   パブの店先の綺麗なフラワーバスケットが客を迎える。
   ロンドンの街中でも、そして、田舎でも、年代モノのカンバンとマッチしていて面白い。
   生ぬるかったパブのイギリスビールが、クールになり美味しくなったのはグローバル化か気の所為か。
   そんな合間を、テロ警戒のポリス・カーのサイレンが走る。
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文化三昧ミラノ・ロンドン旅・・・7 スカラ座のギリシャ神話と古典劇

2005年07月22日 | 欧州紀行(文化三昧ミラノ・ロンドン旅)
   スカラ座の改修は、舞台、バックステージ等の設備関係、神経系統の技術関係の工事が主体のようで、正面の華麗なファサードの遥か後方に大きな方形と円形の建物が追加されていた。
   しかし、客席の方は、空調が良くなったのと客席に字幕スクリーンが設置された事くらいであろうか、あまり変化は感じなかった。
   ロンドンの項で詳述するが、ロイヤル・オペラの改修は、これ等の工事の他に、一階席の改修、レストランやロビー、ボックスオフイス等のパブリックスペースの大幅拡大などで、世紀末から、見違えるように良くなった。
   ウイーン国立歌劇場はどうであろうか、最近行っていないので分からないが、メトロポリタンの方は、ここ数十年、変わっていないと思うが、正にハイテク時代、世界のオペラ劇場もドンドン設備は近代化するのであろう。

   ところで、スカラ座は、正面右手の劇場の3階に大きなロビーがあって休憩の合間に、観客が三々五々軽食や飲み物を楽しむのであるが、正面左手の低層階の一回がカフェ・スカラになっていて、ここでも気楽に飲食を楽しめる。
   私は、休憩の時、スカラ座美術館が開くものと期待していたのだが、ダメであったので、外に出てスカラ広場で夜風を楽しみ、このカフェで飲んでいた。

   翌日、スカラ座美術館に出かけた。
   カフェ・スカラの上の階が美術館になっていて、スカラ座のエントランスとカフェ・スカラの間の狭い階段を上って行く。階段の横壁にはずらりと上まで、トスカニーニやマリア・カラス等の名前のある古いポスターが貼られている。
   第一の部屋には、真っ先にマリア・カラスやトスカニーニ、ヴェルディの肖像が飾られているのが目に入る。
   第二室に入る途中のケースに、トスカニーニとヴェルディのデスマスクと石膏の手型がガラスケースに収められている。あの偉大な指揮者トスカニーニの手が、意外に小さくて華奢なのに驚いたので良く覚えている。

   ここには、オペラ歌手やスカラ座に関係した人々や古いスカラ座の絵画等多くの絵の他に、オペラに関係した彫刻や陶磁器のフィギュア、楽器等興味深い品々が展示されていて楽しい。
   しかし、8月末まで、上の階で、スカラ座で上演された「ギリシャ神話と古典劇」の特別展が開かれていて、ケルビーニの「メディア」、シュトラウスの「エレクトラ」、グルックの「アウリスのエフィジェニ」等々のの舞台写真のパネルをバックに、当時の衣装を着けた人形が飾られ、パルテノンの丘やギリシャの古代劇場の模型、雄牛の頭部彫刻など縁の品々が展示されている。
   やはり、マリア・カラスのメディアが圧巻だったのであろうか、カラスの舞台写真が多いが、他の写真もドラマチックで迫力があり実に印象的で、スカラ座の舞台が如何に伝説的で素晴らしかったのか、分かる様な気がした。
   ローマ文明で花開いたイタリアでも、やはり先輩としての偉大なギリシャに敬意を表さねばならないのであろう、面白いと思いながら、この美術館で時間を過ごした。

   ところで、時間が限られているが、隣接するスカラ座のオーディトリアムを見学できるのである。美術館と3階のロビーが繋がっていてドアを開くとすぐ3階のボックス席に入り、客席と舞台を見下ろせる。
   何のことはない、前夜、私がチェネレントラを楽しんだボックス席を含めて4つ位のボックス席が開放されているのである。
   客席とオーケストラボックスに機材を置いて技術者が作業をしていた。
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