熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

二月大歌舞伎・・・「籠釣瓶花街酔醒」

2016年02月29日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   二八と言いながらも、今月も、歌舞伎・文楽、能・狂言、落語、組踊等々、結構、観劇に通った。
   ところで、先日、2月歌舞伎の観劇記を一寸書いたが、蛇足ながら、一寸、書き残したので書いておきたい。

   今回、是非見たかったのは、吉右衛門の「籠釣瓶花街酔醒」であった。
   人を愛し信念を貫いて自由奔放に生き抜いて若くして逝った不世出の役者勘三郎と芸の極地とも言うべき玉三郎の「籠釣瓶」は、忘れ難い感動的な舞台であったが、吉右衛門の籠釣瓶は、それとは違った、しかし、人間の雄々しさ愛おしさ悲しさ、心の底からの哀切と懊悩を叩きつけた決定版とも言うべき素晴らしい舞台で、先の八ッ橋の福助との舞台を思い出しても、その感動を、もう一度と言う気持ちで出かけたのである。

   吉右衛門は、「中村吉右衛門の歌舞伎ワールド」で、
   ”「断られても仕方ない」と思っているのですが・・・それを、なぜ、わざわざ「皆の見ている前で」切り出すのか、という恥をかかされた悔しさですね。ふられたこと自体よりも、「恥をかかされた」ということのほうが大きいと思います。”と言っている。

   私は、残念ながら、観劇をミスったのだが、菊五郎が、初役で佐野次郎左衛門を演じた時に、この縁切り場について、
   「愛想づかしをされてしょんぼり帰るところは、風情があって、もちろんいいけれど、私は、縁切りの最中から殺してやろうと思っていて、"袖なかろうぜ"のせりふから一気に逆上して、花魁に怒りをぶつけていくやり方でやってみたいと思っております」。と言っている。
   振られたとか恥をかかされたと言う次元以前の逆上で、普通の男なら、そうであろうと思う。

   ところで、舞台では、間夫の繁山栄之丞に迫られて、八ッ橋は、万座の前で、平然として次郎左衛門に愛想尽かしをぶっつけるのだが、胡弓の哀切な調べに載せて、次郎左衛門は、「おいらん、そりゃあ、あんまり、そでなかろうぜ・・・」と、夜毎に変わる枕の数で、心変わりはしたかも知れないが、今夜にも身請けのことを取り決めようと寝もやらずに勇んできたのに、案に相違の愛想尽かし、何故、最初から言ってくれなかったのか、と、切々と苦しい胸の内をかき口説く。

   キセルを突き立てて表情一つ変えずに泰然と正座する八ッ橋に、横に座った吉右衛門の次郎左衛門は、八ッ橋に手をついて、哀願するように下からあらん限りの忍耐に耐えながら心情を吐露し続ける。
   勿論、吉右衛門の次郎左衛門も、愛想尽かしを聞いた瞬間から徐々に、八ッ橋殺害の意思を固めた筈であるが、そこは、激高して啖呵を切って八ッ橋に迫っても恥の上塗りであり、弱みのあるあばた姿の田舎者であるから、この時は、悲しく悔しくて仕方なかったのだが、耐えに耐えたのであろう。
   このあたりの吉右衛門の表情や芸の冴えは抜群で、それだけに、終幕で、籠釣瓶を引き抜いて、鬼気迫る凄い表情と迫力の凄まじさが生きてくる。
   
   三世河竹新七の芝居であるから、理屈を言っても仕方がないのだが、いくら能天気の次郎左衛門でも、八ッ橋に間夫がいることくらいは、つかみ得たであろうし、全く分からないのが、二股掛けえる筈がないのに、何故、八ッ橋が、最後まで、成り行きに任せて、次郎左衛門の身請け話に乗ろうとしていたのか。

   前回もそうだが、下男治六を演じている又五郎が、抜群に上手い。
   この吉右衛門と又五郎のゴールデン・コンビあっての籠釣瓶である。

   菊五郎の遊び人で伊達男の八ッ橋の間夫・栄之丞は、少し、老成さが気になるが、もったいないくらいのはまり役で、八ッ橋との親子のやり取りが面白い。

   さて、菊之助の八ッ橋だが、実に美しい花魁で、素晴らしい衣装を身に着けた舞台映えする花魁道中は、この舞台の白眉で、ぽかんと口を開けて見とれている次郎左衛門に向かって、花道の角から振り向いて、微かにほほ笑んで送る流し目の魅力は、流石であり、最後の籠釣瓶の刃に仰け反って倒れ伏す流れるような美しさも忘れ難い。
   菊之助は、”八ツ橋の魅力はやはり美しさ、そして、廓の掟のなかで生きていく女性の強さも、"及ばぬ身分でござんすが、仲之町を張るこの八ツ橋"のせりふに集約されているように、結局は廓という籠の鳥である儚さも魅力の一つだ”、と語っており、若さを感じさせる芸ではあるが、実父の菊五郎、義父の吉右衛門と言う二人の人間国宝を相手に、堂々と八ッ橋を演じ切った舞台度胸は、正に、大器のなせる業であろう。
   次は、海老蔵との花魁・揚巻の艶姿を観たいと思っている。
   華麗で美しい菊之助の八ッ橋の写真を、歌舞伎美人のHPから借用すると次の通り。
   

   さて、昼の部の「新書太閤記」だが、太閤秀吉の若かりし頃を演じた菊五郎の遊び心の横溢した舞台と言うべきであろう。
   サルと呼ばれながらも天下人となった秀吉のあまりにもポピュラーな出世物語で、どこの劇場で観ても観られる芝居と言った感じで、一流の俳優が演じる上質な芝居を歌舞伎座で観たと言うことであった。
   それなりに面白かったが、私自身の先入観が問題かもしれないが、菊五郎の秀吉も、梅玉の信長も、イメージとはかなり違っていて、つじつまを合わせて観なければならなかった。
   一寸出の光秀の吉右衛門は、信長に貶められて、暗殺を決意した時の眼の鋭さが印象に残っている。
   
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国立演芸場・・・落語:圓朝に挑む!

2016年02月28日 | 落語
   国立演芸場で、特別企画公演「圓朝に挑む!」が上演された。
   プログラムは、次の通り。
   落語「怪談阿三の森」 橘家 圓太郎
   落語「政談月の鏡」  金原亭 馬治
   ―仲入り―
   落語「松と藤芸妓の替紋」 古今亭 志ん丸
   落語「霧隠伊香保湯煙」  三遊亭 圓馬

   最近 語ることの多い歌丸の圓朝公演を聞いたのが切っ掛けで、歌舞伎や文楽でも人気舞台にもなっている圓朝の作品に、興味を持って、その後、意識して圓朝の落語を聞きに行っている。
   しかし、今回の圓朝噺は、あまり、ポピュラーではなさそうで、噺家たちは、苦労して、短い30分の話にまとめたらしい。
   圓朝の作品は、42作青空文庫に収載されていて、「怪談阿三の森」以外は、ここで読むことが出来る。

   三遊亭圓馬の語る「霧隠伊香保湯煙」は、圓朝独特の陰惨な物語での一つである。
   織娘を抱えて機屋をして高崎や前橋の六斎市で売って繁盛している奧木茂之助が、心掛けの善いおくのと言う織娘と所帯を持って、二人の子までなしながら、浅草猿若町の小瀧と云っていた芸者が情夫ゆえに居ずらくなって塩町に流れついて料理茶屋・相模屋で酌婦になったお滝に入れあげて身請けして一緒に暮らすのだが、お滝には、今でも、猿若時代の間夫松五郎との関係が続いて情を通じ続けていることを知る。
   分かれたものの、激高した茂之助が、お滝と松五郎を殺そうとして、自宅に帰って脇差を持ち出したので、おくのが心配して、二人のところへ注進に行くのだが、茂之助が誤って、お滝と間違えて、背負っていた自分の子供とおくのを刺し殺してしまう。

   圓馬は、50分の熱演であったが、この話は、圓朝の作品が長いように、「霧隠伊香保湯煙」の序の口で、まだ、続くと言う。

   古今亭志ん丸の「松と藤芸妓の替紋」は、 
   神田美土代町の洋物店奥州屋の主人新助が,幇間の三八の案内で、芸者美代吉を訪ねるのだが、美代吉の部屋で、新助が勘当された時に父親が残した歌の短冊を見付けて,美代吉が実の妹であるお松と知り,身分を明かさずに助けるべく身請けの相談を決める。
   ところが、美代吉の間夫庄三郎が身請けの話を聞いて遺恨に思って,車で帰る新助を妻恋坂で刺殺する。
   新助は、瀕死の身を押して、庄三郎に真実を語る。
   そんな話だが、明治の初期ながら、舶来品を商う洋物屋と言うのが面白い。
   剽軽な志ん丸は、幇間や置屋のやり手婆など、身振り手振りは勿論、全身を駆使して、実に情感豊かに語り切る話術の冴えと、そのコミカルタッチの語り口は秀逸で、話の中身より面白かった。

   ベテランの橘家圓太郎の「怪談阿三の森」は、 
   松岡家の奉公人お古乃が、松岡殿の手が付き妊娠して、家元へ戻りお三を出産するが二人とも死去し、お三は、祖父の善兵衛のもとで育てられて、梅見団子屋の小町娘と呼ばれる。   幇間医者の玄哲が、阿部新十郎を梅に連れ出してお三に会わせると、二人は恋に落ちて、契る。
   新三郎が、会いに行けなかったので、お三は絶望死して、幽霊として新三郎を訪れる。
   新十郎の母が、死に際に、面倒を見よと言った遺言でお三が、実の妹だと知る。

   美人の幽霊が、カランコロン、カランコロンと訪ねてくる話は、圓朝の「牡丹灯籠」。
   兄妹と知らずに契ると言う話も、芝居では、常套手段だが、実に悲しい。
   しかし、プラトンの「饗宴」のベターハーフの話を敷衍すれば、兄妹と言うのは、血の繋がりがあるから、最も可能性が高いかもしれない。
   男と女が一体となっていた人間「アンドロギュノス」が、傲慢にも神に挑もうとしたので、怒ったゼウスが、真っ二つに切り離してしまったので、その切り離された男と女が、お互いに恋しくて、切り離されたハーフを求め続けると言うのである。

   金原亭馬治の「政談月の鏡」は、  
   零落して糊口をすすって病気で寝こんでいる父のために、娘のお筆が、数寄屋河岸で立っていると、見知らぬ侍に大金を恵まれる。その金は、刻印付きの盗金であったので、お筆は、奉行所へ引かれて行く。金を与えた侍が、出てきて自分が金持ちから盗んで貧しい人に与えたのだと言い、お筆が父の身分を明かして、この話の前の話の殺人事件が解決して、帰参が叶うと言う話。
   馬治の話は、圓朝の「政談月の鏡」の最後尾の話で、相当脚色されていている。
   いずれにしても、冒頭から、酒を飲ませての殺人で、推理小説的な展開が面白いのだが、これだけでも、圓朝は、実に器用な噺家だと言うことが良く分かる。

   とにかく、ダジャレっぽくて、無味乾燥な、オチだけが冴えている落語よりは、ストーリー性があって中身の濃い落語らしからぬ圓朝の落語の方が、はるかに面白いと思っている。
   
   
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e-taxの普及度はどのくらいであろうか

2016年02月27日 | 生活随想・趣味
   会社を離れて大分経過し、年金主体の生活に入っており、医療費等の支出もあるので、毎年、自分自身で確定申告を行っている。
   前にも、確定申告が必要になった時には、パソコンを使って申告書類を作成して、税務申告会場に持ち込んで提出していたのだが、e-taxが始まってからは、大した収支があるわけではないので、e-taxを活用しており、特に、不都合はなかった。
   年に一度なので、確定申告の時期になると、前のことを忘れてしまったり、様式など仕様が変わったりして、戸惑ったこともあるのだが、電話で照会すれば担当官が適当に教えてくれたこともあって、大過なくやれたと思っている。

   尤も、最初にe-taxでネット申告した時(2008年)に、
   能書きに、メリットとして、「添付書類」e-Taxによる所得税申告において、医療費の領収書や給与所得の源泉徴収票等の記載内容を入力して送信することにより、これらの書類の 添付を省略、と明記しておきながら、
   5月末、最寄の税務署から、
   e-Tax(国税電子申告・納税システム)をご利用された方へ
   《保管されている書類の提出のお願い》 
   と言う”不要だった筈の添付書類を全部送って来いと言う命令書”が送られてきたので、
   文明国である欧米ではありえないような信義違反だと感じたので、
   このブログで、「e-Tax納税は骨折り損のくたびれ儲けであった」と書いた。
   それ以前に、毎年、殆ど同じような申告内容で、一切の書類を提出して申告しているので、信用できるかどうかは、前のを見れば簡単にチェックできるのにも拘わらず、疑ってか、機械的にか、命令書を送り付けてきたのである。
   この背信行為に、翌年は、e-taxを止めようと思ったのだが、何故か、その後も懲りずに続けている。
   しかし、この時に、こんな国税庁の態度姿勢では、e-taxの普及は、ダメであろうと思ったのを覚えている。

   さて、窓口では、今年の場合は、2月16日から3月15日までが申告時期のようだが、e-taxを行っていると、1月に税務署から案内メールが送られてくるので、この16日以前から、ネット申告が可能なようである。
   
   ところで、今年は、異常に、税務署の対応が早くて、私は、2月11日に確定申告をネット送信したのだが、処理したとの連絡があって、24日には、還付金が、指定口座に入金されたのである。
   昨年は、還付までに、1か月くらい要したと思うのだが、どのような処理システムを取ったのか分からないのだが、非常にクイックレスポンスであって、これなら、eガバメントの効果はあると思った。

   問題のe-taxの普及率についてだが、昨年8月に国税庁から、「平成26年度におけるe-Taxの利用状況等について」の報告が出ている。
   気になっているのは、開始後、既に、9回目を迎えるのだが、その実施状況、普及状況がどうなっているのかと言うことであった。

   分かりにくいのだが、報告書では、
   オンライン利用率 ・公的個人認証の普及割合等に左右される 国税申告2手続(目標:58%)53.0%
   ICT活用率(目標:72%)71.8% (+3.0ポイント)
   ≪参考≫ICT活用率は、所得税申告及び消費税申告(個人)の総申告件数のうち、自宅等でインターネット環境を利用して申告書を作成した件数(書面提出分を含む)の占め
る割合です。
   と言うことで、私の理解が正しければ、パソコンを使って確定申告書類を作成しているのが72%で、そのうち、インターネットで直接申告しているのが53%と言うことであろうか。
   半分だと言うのは、非常に低いように思うのだが、更に、会計士や税理士などプロや他人に依頼している分も含んでいるので、私のように、自分自身で、公的認証手続きをしてインターネットで確定申告している個人の実数は、はるかに低いのではないかと思っている。

   日本では、大体、勤務先等を通じて給与からの源泉徴収および年末調整が行われるケースが一般的だが、アメリカでは、確定申告・タックスリターンは、各個人が基本的に家族ベースで、1年に1回行うことが義務付けられている。
   かなり税法が複雑なようで、私は留学生として在米したので納税の経験はなくて実態は分からないが、普通は、会計士が代行するのであろうと思う。

   日本の場合には、個人の意思を尊重する風潮があって、たとえ少数でも反対者があれば、政府なり公共機関は、中国のように問答無用で押し切るのではなくて、新しい制度なりシステムを、そのまま保留するケースが多いような気がするのだが、e-taxに関しては、このままでは、完全なる実施は無理なので、厳格に制度化すれば良いと思っている。

   eガバメントを進めるのなら、経過措置などと言った中途半端なシステム並存型など早々に切り上げて、e-taxに収束すべきだと言う気がしているのだが、どうであろうか。
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わが庭・・・クリスマスローズ咲き始める

2016年02月26日 | わが庭の歳時記
   急に寒くなってきたが、もう、2月もあとわずかとなり、春の気配が濃厚となってきたので、わが庭の木々や草花も動き始めた。
   まず、ばらが芽吹き始めて、小さな葉が、少しずつ開き始めた。
   イングリッシュ・ローズの細い枝の先端も息づいている。
   
   
   春を告げる花木で、一番、気になる木の一つは、沈丁花で、良い香りが一面に広がって、爽やかな気持ちにさせてくれるのが嬉しい。
   オランダでは、春を告げる一番の花は、クロッカスで、この花が咲く頃には、クロッカスホリディとなり、厳しい冬から解放される喜びで、人々は浮かれ始めるのだが、私には、沈丁花は、そんな春の花なのである。
   去年植えた中国ミツマタも、花が開きだした。
   遅ればせながら、エレガンスシュプリィーム椿も咲き出したが、まだ、寒いので、可哀そうに花弁がやられている。式部も、そして、タマ・カメリーナも花色を変えて、咲いているが、震えている。
   何にもなかった地面から、フキノトウが顔を覗かせてきた。沢山出始めてから、天ぷらにしようと思うのだが、その時には、いつも、塔が立ってしまってだめになる。
   もう、春である。
   
   
   
   
   
   
   
   
   

   さて、クリスマスローズだが、2年前に、鎌倉に来て、千葉から持ち込んだ株とタキイで買った苗を植えたのが、かなり、大きく育って株も充実してきており、花芽も多くなってきている。
   すべて、庭植えにしているので、肥料だけは気にかけているが、そのまま、同じ場所に放置していて、自然に任せている。
   空いた空間から芽を出して花が咲いていると言う感じなのだが、結構、咲いてくれるので、手間暇要らずで、案外、私のようななまくらガ―ディナーにとっては、重宝な草花である。
   尤も、宿根草や球根などの草花は、比較的楽なのだが、春や秋になって、花芽が地面から顔を出した時と、蕾がほころび始める頃が、一番嬉しくなるのである。

   まだ、花茎さえ出ていない株も、かなり、あるのだが、咲いているのも蕾なのも、今のところ、次のとおりである。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
      
   
   
   
   
   
   
   
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文楽への関西旅・・・(11)お初天神、「曽根崎心中」

2016年02月25日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   久しぶりに、梅田の曽根崎に来て、お初天神を訪れた。
   久しぶりと言っても、殆ど半世紀ぶりである。
   私の記憶には、曽根崎の繁華街のはずれの、そこだけぽつんと鄙びた感じの小さな祠のような社があって、これが、あの近松門左衛門の「曽根崎心中」の悲劇の舞台かと思って、素通りした思い出しか残っていない。

   ところで、私など「お初天神」のイメージしかないのだが、この神社の正式名称は、露天神社(つゆのてんじんしゃ)である。
   元禄16年4月7日に、堂島新地天満屋の遊女「お初」と内本町平野屋の手代「徳兵衛」が、この神社の「天神の森」で心中した事件を、近松門左衛門が、事件記者よろしく駆けつけてきて取材し、人形浄瑠璃「曽根崎心中」を書いて舞台にかけて有名になったので、「お初天神」と呼称されるようになったと言うのである。


   梅田の地下街も、随分複雑になって、企業戦士として走り回っていた若かりし頃の面影など全く残っていないのだが、とにかく、曽根崎警察を目指して地下街を通り抜けて、地上に出て大通りからお初天神に入った。
   お初天神通り商店街のはずれのビルが参道への入り口になっていて、そこからが、派手派手のカラフルな境内が続いている。
   とにかく、良く分からなくて、本殿まで行き、引き返したら、稲荷社まであった。
   
   
   
   
   

   稲荷社の入り口の横から、どうも、お初と徳兵衛らしきブロンズ像が電光に光っているのが見えたので、近づいてみると、これが、お初天神社らしい雰囲気であった。
   
   
   
   



   ところで、半世紀前の私のイメージとは、今や様変わりで、このお初天神は、恋の成就を願う「恋人の聖地」になっていると言うのである。
   「恋人の聖地」は、今、日本に、135ヵ所もあるようだが、このお初天神は、
   近松門左衛門の「曽根崎心中」の一節である、
   ”誰が告ぐるとは曽根崎の森の下風音に聞え。取伝へ貴賤群集の回向の種。未来成仏疑ひなき恋の。手本となりにけり。”に肖っての呼称だと言う。
   「何あほなこと言うてんねん。ここは、お初と徳兵衛が、切羽詰まって心中したとこやで。何で、こんなとこが、恋の手本になったり、恋人の聖地になるねん。」
   そんな影の声も聞こえてくるような気もするのだが、恋の成就を願って、多くの老若男女が、沢山の絵馬を掛けている。
   恋をすれば、藁にも縋りつきたい気持ちで恋人を想う、何でもええ、この切ない思いが叶うんやったら、一所懸命手を合わせたい。これが、正直なところであろう。

   「祈願 絵馬掛け処」には絵馬が掛かっており、近松の曽根崎心中の物語を要約した掛看板などもディスプレィされていて面白い。
   
   

   さて、この浄瑠璃では、
   お初と徳兵衛は、死の道行の末にこの天神の森に辿りついて、
   松と棕櫚が枝をからませている連理の木を死に場所に決め、体を木に縛り付けたうえ、徳兵衛が、お初を脇差で刺し殺し、徳兵衛は、お初が持っていた剃刀で自害して果てる。
   私には、もう、20年以上も前にロンドンで観た玉男と文雀、そして、日本に帰ってきて観た玉男と簑助の、悲しくも壮絶な、しかし、あまりにも美しいこの幕切れのシーンが、目に焼き付いて離れない。
   この連理の木を模した庭木が、この境内に植えてあるのだが、楊貴妃と玄宗皇帝の連理の枝とはイメージが違っていて、お飾り程度と言った感じである。
   私など、文楽の舞台としてのお初天神だが、さて、恋人の聖地として訪れてくる若い恋人たちは、どのような思いで、この境内でひと時を過ごすのであろうか。
   

   ところで、お初天神通りには、お初と徳兵衛に肖った恋人たちのイメージ画が、ディスプレィされていて面白かった。
   
   
   
   
   
   阪急梅田駅に出て、蛍が池でモノレールに乗り換えて伊丹空港に行き、JAL便で羽田に帰った。
   嶋大夫引退披露狂言観劇を目的にして歩いた二泊三日の関西旅であったが、結構充実していたので、満足している。
   

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文楽への関西旅・・・(10)生玉神社、浄瑠璃神社と「曽根崎心中」

2016年02月24日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   先月、大阪へ嶋大夫引退披露狂言の千穐楽を鑑賞するために出かけた関西旅を綴っていたのだが、終わらないうちに、東京の嶋大夫の文楽公演も終わってしまった。
   最後は、大阪の舞台鑑賞の後、伊丹空港に向かうまで時間があったので、急いで、生玉神社と梅田曽根崎のお初天神を訪れて、近松門左衛門の「曽根崎心中」の世界を反芻することにした。

   日本橋の文楽劇場から、千日前通りを東に歩き、下寺町の交差点を横切って南東に取って坂を登って行くと、15分くらいで、生國魂神社(生玉神社)に着く。
   この生玉神社が、「曽根崎心中」の冒頭の「大坂三十三所観音廻り 生玉神社境内の段」の舞台である。
   
   
   
   
   この神社の境内で、堂島の天満屋の遊女お初が、物まねを見に行った客を待っていると、得意先回りをしていて通りかかった平野屋の手代の徳兵衛に会う。
   生國魂神社の境内社は、11社あるのだが、その1社が、浄瑠璃神社で、文楽関係物故者を祭神としており、毎年春分・秋分の日が例祭日となっていて、大阪文楽協会から多数参拝して、文楽の発展と加護が祈願され芸道の神として崇敬されている。と言う。
   したがって、近松門左衛門は当然として、文楽関係者はもとより、広く日本舞踊・琴など稽古ごとの上達の神様として信仰を集めていて、「芸能上達の神」と言うことである。
   独立した体裁の整った神社ではないのだが、戸口に、お初と徳兵衛の大きな絵馬や文楽のビラがあって、それとなく、文楽の神社だと言うことが分かる。
   
   

   この境内には、生玉の杜と言う一寸した緑地があって、その片隅に、井原西鶴の座像や「夫婦善哉」の織田作之助の立像があって、興味深い。
   
   

   生玉神社の鳥居を右にして、細い一直線の道を南に向かうと寺町に入り、道の左右に沢山のお寺が数珠つなぎに並んでいて、壮観である。
   しかし、生玉神社を出てすぐの角に立つラブホテルが、一番威容を誇って立っているのが面白い。
   この寺町を経て、四天王寺に向かったのだが、これは、前回に書いた。
   その後、地下鉄で、梅田に出て、お初天神に行ったので、次は、そこまで、話を飛ばすことにする。
   
   
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国立劇場:文楽・・・嶋大夫引退披露狂言『関取千両幟』・千穐楽

2016年02月23日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   先月の大阪の国立文楽劇場に続いて、東京の嶋大夫引退披露公演の千穐楽を観劇した。
   今回の第二部の『関取千両幟』は、引退する豊竹嶋大夫最後の舞台であり、大阪同様に、終演後花束の贈呈式が行われたが、今回は、三味線の鶴澤寛治と人形遣いの吉田簑助の前に、茂木七左衞門日本芸術文化振興会理事長からも、嶋大夫に花束が贈呈された。
   「嶋大夫! 嶋大夫!」と言う観客からの多くの掛け声と盛大な拍手に、嶋大夫は、感激の面持ちで、花束を握りしめていた。
   嶋大夫が夫婦愛と哀切の限りを込めて語り切ったおとわの人形を遣った吉田簑助から花束を受け取る豊竹嶋大夫の写真をHPから借用すると次の通り。
   

   簑助は、おとわに涙を拭わせて進み出て花束を渡し、嶋大夫の胸に倒れ込んで、左肩に顔をうずめて別れを惜しんだ。
   舞台を再現しているような、感動的な幕切れであった。

   さて、住大夫の引退披露狂言の時もそうだったのだが、特別な公演の時には、チケット購入が殺到するので、日頃の座席任意選択システムが中止されて自動選択に切り替えられて、チケットの席はあなた任せになる。
   そして、そんな時には、既に、事前に、関係者や団体などの予約ででチケットを抑えてしまうので、発売瞬間にインターネットを叩いても、後方か端の席のチケットしか取得できない。

   今回も、私のチケットは、13列34番。
   舞台に向かって、右翼席の一番端から2番目、それも、殆ど後方で、本来なら最悪の席である。
   ところが、何が幸いするのか分からないもので、今回、この席からの観劇で非常に楽しむことが出来たのである。
   幸いなことに、前列の12列33番と34番が空席(早々に完売であったので来れなかったのであろう)であったので、視界を遮られるものは何もない。
   少し舞台は遠いのだが、NIKONの10倍の双眼鏡を駆使すれば良い。

   もっと幸いしたのは、上手であるから、大夫と三味線の床、そして、文楽回しが、真正面にあって、多少、舞台と被ってはいるのだが、殆ど、苦労することなく、大夫と三味線の演奏と舞台の人形の動きを、同時に鑑賞できることであった。
   普通は、人形の動きばかりを追って文楽を観ているのだが、今回は、嶋大夫の義太夫語りや寛治の三味線を、息遣いを感じながらつぶさに鑑賞出来て、素晴らしい経験をした。
   それに、寛太郎の曲弾きの至芸を、そして、錦吾の胡弓を、あたかも、小劇場の室内演奏のような臨場感を味わいながら真正面で鑑賞できたのも、感激であった。

   嶋大夫は、やや、前かがみになって身を前に乗り出して座り、左手で見台に手を添えて床本を繰り、感極まると、見台に手をついて義太夫を語る。
   寛治は、殆ど表情を変えずに、淡々と三味線を奏でる。
   猪名川が相撲場に出かけて、残されたおとわが、猪名川の心中を思って身売りを決心して見送る幕切れのシーンでは、舞台に残っているのは、嶋大夫、寛治、簑助の人間国宝の3人だけ。
   文楽界最高峰の至芸の静寂さ、これほどの伝統芸能の極地を築き上げた日本の文化の素晴らしさに、感激しきりであった。

   やはり、この『関取千両幟』の山場は、相撲場に出かける前に、決死の覚悟で負け相撲に臨もうとする猪名川を引き留めて、乱れた髪を撫でつけながら、苦しい胸の内を吐露する猪名川に、悲しくも切ない心の内を切々とかき口説くおとわの神々しいまでも美しい健気な姿。
   上気して紅潮した嶋大夫が、「相撲取りを男に持ち、江戸長崎国々へ、行かしやんすりゃその後の、留守は尚更女気の、独りくよくよ物案じ。・・・」血を吐くような心情の吐露に、観客は、息を殺して聴き入る。
   簑助の遣うおとわの、もうこれ以上望み得ないような女の優しさ温かさを滲ませた崇高な美しさが、胸を打って切ない。

   「進上金子二百両猪名川様へ贔屓より」の口上で、相撲に勝った猪名川が、その贔屓とは、自分の身を売って金子を捻出したのが我妻おとわであったことを知って、籠に乗って去って行くおとわに頭を下げて見送るのが幕切れ。
   籠から、顔を覗かせてじっと猪名川を見つめながら、手を振っていた、一寸、モダンなおとわが印象的であった。
   
   喜びも悲しみも、千穐楽。
   この日限りで、嶋大夫の本舞台での公演は終わった。
   後進の指導に当たると言うことなので、ご多幸とご健康をお祈り致したい。
   
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第56回式能・・・国立能楽堂

2016年02月22日 | 能・狂言
   今年も、翁付五番立ての「第56回式能」を鑑賞するために、国立能楽堂に出かけた。
   今回で、5度目であるから、五流派の式能を観たことになるのであろうか。
   能楽師全体で精進潔斎して、特別な思いで「翁」を舞うと言うことであり、祇園祭など伝統的な古典的儀式においてもそうだと言うことで、日本人の超自然に対峙する精神性を重んずる演能であり、厳粛な気持ちで、観聴かせて貰っている。


   公式HPの【番組】によると、
第1部 は、
   能 :
    金剛流 『翁』 金剛永謹
    『三番叟』 野村万蔵
    『竹生島』 今井清隆
   狂言:
    和泉流 『福の神』 三宅右近
   能 :
    観世流 『橋弁慶』 武田尚浩
   狂言:
    大蔵流 『二人袴』 大藏教義
 第2部
   能 :
    金春流 『西行桜』 本田光洋
   狂言:
    和泉流 『柑子』 野村万作
   能 :
    宝生流 『籠太鼓』 東川光夫
   狂言:
    大蔵流 『柿山伏』 山本東次郎
   能 :
    喜多流 『殺生石 白頭』 粟谷能夫

   五流派の能、二流派の狂言、能五曲、狂言四曲と言うトップクラスの狂言師たちによる能狂言が、正味8時間にわたって、演じられるのであるから、能楽堂にとっても、最高のハレの舞台であろう。

   公式には、627席だと言う客席数ながら、第二部には、まだ空席があったようだが、私のように、能や狂言に、何の縁もゆかりもなく、老年になってから急に興味を持ち出して能楽堂に通っている全く埒外の鑑賞者から見ると、随分、惜しいような気がしている。
   観劇者の大半は、雰囲気で、能や狂言に何らかの形で関わっている人たちであろうと思うのだが、能や狂言は一度にたった一回の公演なのに、1か月続けて公演を打てる歌舞伎や文楽とは違って、同じ古典芸能の舞台芸術でありながら、普通の人が観て楽しむ雰囲気からは、遠過ぎると言うことなのであろうか。
    

   武田志房著「能楽師の素顔」を読んでいると、文志師が「能楽師というものは、良き役者であること、良き先生、指導者であること、そして良きプロデューサー、経営者であること、これらを全部持っているのが理想的で、・・・」、積極的に良い企画をして宣伝広報にこれ務めて経営をしていかないと、演能会は、じり貧になると、危機感を語っているのだが、古典芸能の更なる発展のためには、多くの問題が横たわっているようである。
   余談ながら、今回、こ観世流能「橋弁慶」で、志房の弟・武田尚浩が、シテ弁慶を、孫・武田章志が、子方義経を舞い、ご本人は、後見で、素晴らしい舞台を見守っていた。
   ところが、この「橋弁慶」は、昨年1月に、この能楽堂で、弁慶(志房)、牛若丸(章志)、トモ/弁慶の従者(武田友志、志房長男)の親子三代で、感動的な舞台を演じて観客を魅了しているのである。
  
   さて、今回の舞台で、初めて観たのは、能「籠太鼓」だけで、他の能や狂言は、何度か観ていて、大体筋を追うことが出来たので、それなりに楽しめた。
   国立能楽堂主催公演のように懇切丁寧なパンフレットや、見所での字幕ディスプレイがないので、少し困ったのだが、やはり、まだまだ、謡が十分に聴き取れないところに問題があるのであろう。

   狂言の『柑子』の 野村万作、『柿山伏』の山本東次郎 の熱演など、その舞台の感激は一入だが、何時も楽しませてもらっていた野村萬理事長は、今回は、三番叟を舞った万蔵師の後見に回っていた。
   「翁」は勿論のこと、能五番も素晴らしい舞台であった。
   大変な舞台に、どっぷりと浸かった充実した一日であったが、益々、日本の文化を勉強しなければ、と言う気持ちになって、能楽堂を離れた。
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組踊「執心鐘入」と琉球舞踊・・・茅ヶ崎市民文化会館ホール

2016年02月20日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   年初に、 横浜能楽堂で、「能の五番・朝薫の五番」の能「羽衣」を脚色した沖縄の古典芸能・組踊「銘苅子」(めかるし)」を観て興味を持ったので、今日、茅ヶ崎で行われた国立劇場おきなわ主催の”組曲「執心鐘入」と琉球舞踊”を観に出かけた。
   今回の「執心鐘入」は、能「道成寺」にテーマを得た沖縄の歌舞劇で、それに、非常にカラフルで優雅で詩情豊かな琉球舞踊を合わせて鑑賞する機会を得て、非常に良い経験をした。

   「執心鐘入」は、
   首里へ奉公に向かう中城若松が、道中難渋して一夜の宿を乞うために民家を訪れるのだが、若い娘は、最初は親が留守なのでだめだと断るも、男が噂に名高い美少年・若松だと知ると宿泊を許して、今宵は語り明かそうと言い寄る。若松は、奉公に上がる身だと女の誘惑を拒否して、縋る女を振り捨てて家を出て末吉の寺へ逃げ込む。住職の計らいで鐘の中に隠れるが、邪恋に悶えた女は若松を追いかけて寺に駆け込み、執念のあまり鬼女と化すのだが、住職と僧侶たちの決死の祈祷調伏で、法力によって鬼女を退散させる。
   能「道成寺」の焼き直しだと思うのだが、首里王家への忠節と中国の儒教の倫理観の反映だと解説者は言う。

   「組踊の始祖」と呼ばれる玉城朝薫の朝薫五番の最初の一曲が、この「執心鐘入」で、能狂言に造詣が深かったと言うだけあって、この舞台を観ていて、確かに、能の舞台を観ているような気がした。
   ゆっくりと舞台をすり足で歩く姿など、正に、能役者の舞姿であり、鬼の面をつけた鬼女に対峙して数珠を揉みながら僧侶たちが祈祷調伏する様子などもシテとワキとの対決姿そのものであり、橋掛かり風の下手の舞台へ鬼女が退場する幕切れも能舞台そっくりであり、その流れるような舞台展開が、実に優雅で美しい。
   尤も、女の色香に誑かされて、寺に入れてしまう小僧たちのコミカルタッチの芝居は、狂言かも知れない。

   この写真は、HPから借用したのだが、上は、若松と宿の女の出会い、下は、鬼女と座主・小僧との対決シーンである。
   僧侶の調伏で、鬼女は、どんどん、シテ柱方向へ追い詰められて行く。
   
   

   ところで、この日は、組踊も琉球舞踊も、役者はすべて男性であったが、女性の役は、びっくりするほど女性そっくりで優雅で美しく、この点は、面や姿かたちは女性的だが、声音や舞姿などそれ程女性らしさを表現しない能とは非常な違いで、言うならば、歌舞演劇的な舞台芸術としては、能と歌舞伎の中間と言う感じがしている。

   この舞台では、若松は、安珍のように鐘の中で焼き殺されるのではなく、鬼女が襲い掛かる前に、住職が別なところへ移し、女が鐘の中に入って、鬼女と化し、僧侶たちの調伏に立ち向かうと言う形になっている。
   宙吊りになった鐘の下から、鬼女の顔がちらりと覗く芸の細かい演出が面白い。

   琉球舞踊は、日本舞踊よりは、踊りなり演出がシンプルな感じで、分かり易いような気がした。
   恋する乙女の踊りが3曲あったが、優雅で美しく、これも、沖縄の女性の魅力かも知れないと思って観ていた。
   武の舞と言う、空手と長刀の勇壮かつ迫力のある男舞いが唯一の例外で、ほかの6曲は、中々、詩情豊かな優しい奇麗な踊りであった。
   やはり、歴史文化の影響であろうか、中国と日本の影響を色濃く滲ませた、しかし、独特な質の高い芸能の一端を垣間見た気がして、楽しい2時間強の観劇であった。

   劇場の地階ホールで、今回の公演に因んだ沖縄古典芸能の展示会と沖縄物産の直売が行われていて賑わっていた。
   このあたりは、横浜能楽堂との違いである。
   
   
   
   
   
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国立劇場:文楽・・・「靭猿」「信州川中島合戦」

2016年02月19日 | 今日の日記
   今日は何となく忙しい一日であった。
   11時開演の国立劇場の午前中の文楽第一部の予約をしていたので、そのつもりで鎌倉を出たのだが、10時から始まる能楽祭のチケットを予約しなければならなかったので、電話だけの予約故に、どこかで、電話をしなければならない。
   横浜駅から、何回も電話をしたのだが、予約開始の時間帯には、予約電話の殺到で電話が錯綜していてつながる筈がない。
   結局、車内では電話が出来ないので、渋谷についてから電話をしたところ、繋がったものの、既に時遅しで、意図したチケットは取れなかった。

   劇場のチケットは、普通は、インターネットで予約ができるのだが、能楽協会の公演のチケット取得者は老人が多いので、ITディバイドで、電話予約だけにしている感じである。
   都民劇場のチケット取得も、はがきか電話だけで、インターネット予約ができないのだが、やはり、老人の会員が多いので、抵抗があるのであろう。

   2年前に、ロシアのマリインスキー劇場やボリショイ劇場のチケットをネットで取得したのだが、この時など、ロシア語が時々出てきて戸惑ったが、予約が完了すれば、バーコード付きのチケットがメールされてきて、それをプリントアウトして直接劇場に持ち込んだら、全く造作なく入場できた。
   それ以前に、解放直後のチェコのプラハのオペラでも、それに、イギリスのロイヤル・オペラやニューヨークのメトロポリタン・オペラなど、欧米の劇場のチケットは、もう、思い出せないほど以前からインターネットで取得しているが、何の問題もなかった。
   ロンドンのハー・マジェスティー・シアターなど、20年以上も前だが、「オペラ座の怪人」のチケットを紛失して困ったのだが、これはクレジット・カードで取得していたので、劇場に行ったら、追跡してくれて、すぐに再発行してくれた。

   余談だが、日本は、インターネットに関しては、完全に後進国で、チケット販売は勿論、e-taxなどITガバメントが一向に進展しないのも当然であろうと思う。
   IOT,クラウド等々、ITC革命の凄まじさが、鳴り物入りで騒がれているのだが、企業は勿論多くの組織などでもそうであろうが、日本の老人を主体としたITディバイド、ICT革命への抵抗のために、日本社会全体のインターネット嫌悪環境の存在が、どれほど、日本の経済社会の発展進歩の阻害要件になっているか、考えてみれば恐ろしいと思っている。

   無駄話がながくなってしまったが、あれやこれやで、劇場に着いたのは、11時15分で、「靭猿」は、半分終わっていて、横暴な大名に脅されて、猿引きが、猿を殺そうとして鞭を振り上げたところ。
   これは、先日も、茂山七五三家の狂言「靭猿」をレビューしたが、元々は狂言の曲で、これが、歌舞伎に、文楽に脚色されている人気舞台である。

   興味深いのは、殺されるのも知らずに、猿引きの鞭を取った猿が、鞭を竿代わりにして舟を漕ぐ仕草で踊り出し感動した大名が、猿の命を助けるのだが、その後、狂言では、心を許した大名が、猿と一緒に浮かれて踊ると言うほのぼのとした曲になっている。
   ところが、歌舞伎や文楽は、喜んだ猿引きが、武運長久、御家繁盛、息災延命、富貴万福を祈って、猿を舞わせて、自分や大名たちも踊ると言う安直な祝祭劇になっている。
   文楽の場合は、人形遣いが猿の人形を遣うので、それえほど感じないのだが、狂言や歌舞伎は、可愛い子方や子供役者が猿をコミカルに演じるので、楽しめる。
   猿曳が、三輪大夫、勘壽、大名が、始大夫、文司、太郎冠者が、南都大夫、清五郎、猿は、玉誉、三味線は、清友、團吾ほか。
   軽快な舞台が、面白かった。

   さて、次の「信州川中島合戦」は、「輝虎配膳の段」と「直江屋敷の段」を続けて、2時間の長舞台で、一気に魅せて楽しませてくれる。
   玉男の山本勘助や玉也の長尾輝虎の堂々たる威容も素晴らしいが、やはり、この舞台の主役を遣う和生の勘助の母越路であろう。
   動きを殆どセーブしながら、人形の表情を微妙に変化させて心の襞を丁寧に表現していて、流石である。

   とにかく、この舞台は、実際の信玄と謙信との5次にわたる信州川中島の合戦とは、史実と違っていて、この最後の戦いで、勘助も戦死しており、ウィキペディアによると、
   江戸時代の文学・美術における勘助は、『甲陽軍鑑』をもとに江戸前期から、武田信玄に仕えた「軍師」としての人物像が軍談や実録、浄瑠璃、絵画作品を通じて定着し、勘助の人物像が確立した。また、勘助の家族、とりわけ母の越路(架空の人物)が劇化され、たびたび取り上げられている。特に著名な二作は、
   近松半二、三好松洛ら6人合作の浄瑠璃『本朝廿四孝』の三段目「筍掘り」
   近松門左衛門作の浄瑠璃『信州川中島合戦』の三段目立端場「輝虎配膳」とのこと。
   三国志の諸葛孔明のような「軍師」とあがめられた勘助人気にあやかった近松門左衛門の創作の冴えと言うべきであろうか。

   川中島の合戦で、武田信玄に負けたのは、武田側に、山本勘助と言う素晴らしい軍師がいるからで、これを、逆に、召し抱えようと、長尾輝虎が、直江山城守(幸助)を介在して、勘助の母越路を呼び寄せて仲立ちさせようとするのだが、その意図を見抜いた越路が、輝虎が将軍から拝領した小袖を古着は着ないと突き返し、老母を餌にして勘助を釣ろうとするのかと、輝虎が自ら捧げ持って提供した配膳を蹴飛ばすと言う暴挙。
   越路に付き添ってきた言葉の不自由な勘助女房お勝(簑二郎)が、琴の調べに歌を乗せて舅の命乞いをするのも感動的。
   義太夫と三味線の、希大夫と清馗、咲甫大夫と清介、清公(琴)の名調子、
   和生の越路は勿論、簑二郎のお勝、直江女房唐衣の一輔の女形の素晴らしさ、そして、幸助の直江の凛々しさなど、人形も魅せてくれる。

   「直江屋敷の段」では、お勝の名を語った直江女房唐衣(実は、勘助の妹)の母大病と言う手紙に誘き寄せられて、勘助が、直江屋敷に登場。
   偽手紙の一件で切り結ぶお勝と唐衣の刃に、母越路が、倒れ込んで自害を試み、瀕死の身で、輝虎への詫びと勘助の命乞いを切々と訴える。
   感激した輝虎が、敵に塩を送って、勘助を解放。
   出来すぎたハッピーエンドだが、門左衛門のフィクションながら面白い。
   特筆すべきは、この段で、引退した住大夫の愛弟子文字久大夫の満を持した感動的な義太夫に、源大夫の子息藤蔵の素晴らしい三味線が、観客を魅了する。

   素晴らしい文楽の舞台だと思うのだが、第二部の嶋大夫引退披露狂言が、早々に完売ながら、残念ながら、空席が目立つ。
   第二部と第三部は、千穐楽に観劇することにしている。
   国立劇場前庭の梅は、満開を過ぎた感じ。
   
   
   
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咲き始めた鎌倉の梅・・・荏柄天神社

2016年02月18日 | 鎌倉・湘南日記
   鎌倉宮には、梅が咲いていそうにないので、素通りすることにしたが、正面の鳥居前に、小さな早咲きの桜の木が2本あって、きれいに咲いている。
   
   
   

   荏柄天神社へは、お宮通りを金沢街道の三叉路に向かって数分歩けば、右手に鳥居が見える。
   急な石段を上って門をくぐれば、鮮やかな朱塗りの拝殿が現れる。
   拝殿の背後の本殿が、1624年に鶴岡八幡宮若宮の旧本殿を譲り受け移築したとかで重要文化財だが、こじんまりした境内で、御輿蔵が開いていて、御輿渡行の神輿が見えた。
   1104年の創建。 源頼朝が鎌倉幕府開府にあたり鬼門の方向の守護社として社殿を造営、さらに徳川家康が豊臣秀吉の命で社殿の造営を行った。と言う由緒正しい神社だが、明治維新後の神仏分離令で衰退した。と言う。
   1000年以上も立つと言う大イチョウが、聳えているのだが、鶴岡八幡宮の大イチョウが消えてしまった以上、今年の秋には、その雄姿を見たいと思っている。
   
   
   
   
   
   
   
   

   さて、問題の梅だが、瑞泉寺よりは、もう少し開花が進んでいるようではあったが、やはり、少し早く、金曜日に温かくなると言うことなので、この週末くらいには、見頃になるかも知れない。
   門の右手に植わっている紅白の梅の木が、丁度きれいに開き始めて、迎えてくれた。
   
   
   
   

   本殿の朱塗りや白壁をバックにして、紅白の梅が浮き立つ風情も面白いが、境内のあっちこっちに散らばって植えられているので、梅林とは違った庭木として鑑賞できるのが良い。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   

   朝良い天気であったのだが、午後になって、一転黒雲に覆われたかと思ったら、急に激しい雨が降り出した。
   しばらく、境内で雨宿りして、カメラを気にしながら取った梅のスナップショットを掲げて置く。
   いずれにしろ、今週末以降の方が、梅の鑑賞には良かろうと思う。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
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咲き始めた鎌倉の梅・・・瑞泉寺

2016年02月17日 | 鎌倉・湘南日記
   わが庭の白梅もほころび始めたので、鎌倉の梅はいかばかりか、久しぶりに出かけることにした。
   どこが良いか、何時ものように、昼前に出て、日暮れ前に帰ってくるためには、それ程遠出もできないし、多くも望めない。
   天神さんと梅は、恰好のベストマッチなので、まず、荏柄天神社に行き、その前に、梅の寺とも言われている瑞泉寺に行こうと思った。
   鎌倉山からバスに乗って、鎌倉駅まで出て、大塔宮(鎌倉宮)行きのバスに乗り代えれば、小一時間で着く。
   そこから歩けば、それ程造作なく行ける。

   私は、終点の鎌倉宮で下車したのだが、やはり、大半のお客は、一つ手前の荏柄天神社の前で降りたので、梅の鑑賞が目的なのであろう。
   鎌倉宮まで来る人は、非常に少なくて、そこから、瑞泉寺まで歩く人は殆どいない。
   紅葉ヶ谷の谷戸の奥にあるこの寺だが、塔中はすべて新しくて、歴史を感じさせてくれるのは、本堂裏の夢窓疎石による岩盤を削って作られた書院庭園の起源となった禅宗様庭園で、荒廃していたのを発掘復元したと言う。
   もう一つ、吉田松陰が、母方の伯父・瑞泉寺第二十五世住職であった「竹院和尚」を訪れており、アメリカ密航を試みた時にも、ここに立ち寄ったのであろう。
   
   
   
   
   

   さて、拝観入り口の左奥に、かなり広い梅園が広がっているのだが、梅が綻びているのは数本で、殆ど開花しておらず、1週間くらい早く来たようで、参道を上って行っても、境内の梅の開花は期待できないような気がして、一寸、残念であった。
   暖かい日が来ると一気に咲くと言うのだが、今週末以降が、見頃かも知れない。
   尤も、桜のように全山満開と言う華やかなイメージを鑑賞するのではなく、梅は咲き始めの一輪二輪が美しくほのかに香る春の香を聞くのが良いと言うことなので、その意味では、今が一番良いのであろうか。
   
   
   
   
   
   
   

   やはり、山門をくぐって、境内に入って、梅の開花には、少し早かったような気になった。
   尤も、本堂前の梅の木は、殆ど白梅であり、それに、やや咲き方の早い黄梅も目立たないので、よけいに、白々とした梅の古木のの白さが目立つこともあろう。
   
   
   
   
   
     
   
   
   
   
   
   
   
   
   
      
   
   
   黄梅や蝋梅などの黄色、そして、梅の古木の根元に鮮やかに咲いていたフクジュソウが情趣を添えていて春を感じさせてくれる。
   それに、境内には、椿が何株か植えられていて、白梅の陰に凛とした彩を付けてアクセントになっていて面白い。
   リスが走り始めていた。
   この寺は、日本スイセンで知られていると言うことだが、確かに咲いているが、ちらほら咲きで、寂しいのでカメラを向けるのをやめた。
   
   
   
   
   
      
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
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文楽への関西旅・・・(9)四天王寺、そして、能「弱法師」

2016年02月16日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   大阪の国立文楽劇場で、嶋大夫引退披露公演千穐楽の鑑賞後、JAL東京便まで時間があったので、その後、劇場から近いので、文楽発祥の地と言われ曽根崎心中のぶたいでもある生玉神社に行き、寺町を経て、四天王寺に向かった。
   その後、梅田の曽根崎に出て、お初徳兵衛のお初天神に立ち寄って、伊丹空港に出た。

   今回は、話が前後するのだが、先日、国立文楽劇場で観世流の袴能「弱法師」を鑑賞したので、その舞台である四天王寺の訪問記を書いて、近松門左衛門の曽根崎心中の話は、後回しにすることとしたい。

   この四天王寺は、能「弱法師」の舞台。
   如月の、梅が匂い咲き乱れる満月の日、夕陽丘の四天王寺で、俊徳丸と高安左衛門尉通俊父子が邂逅する話。
   今の四天王寺の立つ夕陽丘は、繁華街に程近い住宅街で、この能のような詩情豊かな世界は想像さえできないのだが、昔は、丘の真下は波で洗われていて、遠く、淡路島の島影や、須磨明石の浜、南には、紀の海や和歌山が遠望できたのであろう。

   私は、大阪でも仕事をしていた元関西人なのだが、阪神間が生活の舞台であったので、南のなんばくらいまではよく行くのだが、天王寺へは、動物園や博物館くらいで、殆ど縁がなくて、この四天王寺も初めての訪問であった。
   日本橋の国立文楽劇場から、歩いて生玉神社、寺町を経て四天王寺に行ったのだが、それ程距離を感じなかったし、四天王寺の境内の大きさの方が印象的であった。

   四天王寺は、この能でも語られているように、『日本書紀』によれば推古天皇元年(593年)に造立が開始されたという日本最古の日本仏教の祖とされる「聖徳太子建立の寺」であるのだが、現在残っている塔中は、古い建物と言えば、下記写真の江戸初期の六時堂(重要文化財)など極僅かなので、殆ど朱塗りの建物で新しい。
   しかし、飛鳥時代の代表的な伽藍配置である、南北に南大門、中門、塔、金堂、講堂が一直線上に並ぶ天王寺式伽藍配を維持している。
   五重塔が今修理中で、残念ながら、内部には入れなかった。
   
   
   
   
   ところで、能「弱法師」で、俊徳丸父子が再会するのは、西門の石の鳥居のところで、ここで祈りを捧げていると、梅の香しい香りを聞き、袖に花びらを受けて、施行を感じた。と言う。
   どうせ、この舞台の鳥居があるわけではなく、その場所を詮索するのも野暮なので、西大門の写真を撮っておいたのだが、梅の木もなければ、雰囲気など全く無に等しい。
   特に、このお寺は、込み入った住宅街にあるので、地方の寺院のように門前町的な佇まいが感じられないので、余計に、物語の舞台をイメージしにくいのである。
   能は、初心者の私など、鑑賞しながら、如何に想像豊かに、そのシチュエーションなり曲想を感想して、味わえるかが大切だと思っているので、出来るだけ、夢想空想することにしていて、細かいことは気にしないようにしている。
   
    
   

   
   さて、2月13日の国立能楽堂の袴能「弱法師」は、シテ/俊徳丸は観世銕之丞、ワキ/高安通俊は殿田健吉、アイ/従者は石田幸雄、
   勿論、シテ俊徳丸の銕之丞師は、直面であったが、盲目なので、最初から再度まで、目を閉じたままで、舞っておられた。
   昨年2月に、宝生流能「弱法師」を、シテ/俊徳丸 大坪喜美雄、ワキ/高安通俊 飯冨雅介で鑑賞しているので、「弱法師」は、今回で2回目である。
   幸いなことに、東京都美術館で開かれた「日本美術院再興100年 特別展世紀の日本画」展で、重要文化財である下村観山の「弱法師」を見ているので、一層、イメージが湧いてくる。
   

   しかし、私にとっては、この俊徳丸の話は、歌舞伎や文楽の「攝州合邦辻」で、はるか以前に馴染みの舞台であり、この方は、大分、後発でストーリーももっと豊かに面白く変わっていて、芝居の舞台なので、話は分かり易くてストレートに楽しめる。
   ところが、ここでは、舞台は、西門ではなく、四天王寺の南門前で、近くの万代池に変わっている。
   そうすると、下の写真の扉の門である。
   

   小一時間、境内を散策して、地下鉄で梅田に向かった。
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世界らん展日本大賞2016・・・東京ドーム

2016年02月15日 | 展覧会・展示会
   13日、国立能楽堂の特別公演が終わった後、後楽園へ、世界らん展に出かけた。
   殆ど、毎年、出かけているので、随分の回数になるが、気の所為か、規模も縮小しているようであるし、少しずつ新鮮味に乏しくなって、魅力が薄れてくる感じである。
   私の場合は、特に、らんが好きだとか、それなりの知識があると言う訳でもなく、ガーデニングを趣味としている手前、美しい花を見たい、写真を撮りたいと言うことでらん展に行っている。
   しかし、一度だけ、イグアスの滝のジャングルを歩いていた時、高い木の合間に張り付いて咲いていた美しいらんを見て、いたく感動したのを覚えている。
   いずれにしろ、最近は、閉館間際の1時間か2時間くらい、会場で過ごすことにしている。

   口絵写真は、オーキッドロードのエントランスだが、大きな東京ドームの上階の観覧席から会場に入って、肝心の日本大賞2016までのアプローチは、次の写真の通りである。
   真ん中の空間が、オーキッドロードで、その左右にディスプレィなどらんの展示場となっていて、正面奥に、沢山のショップが開店している。
   
   
   
   
   
   

   今回の第26回(2016)日本大賞は、”パフィオペディラム エメラルド フューチャー ‘ギャラクシー’Paph.Emerald Future ‘Galaxy’”
   私には、らんの知識がないので、どこがどうで、日本大賞なのか分からないのだが、正面のひな壇に燦然と輝くと、それなりに、風格が出てきて素晴らしい。
   
   
   
   
   
   日本大賞の背後の左右に、らんの各部門で最高の評価を得たらんがディスプレィされていて、夫々、中々素晴らしい。
   らんの鉢花を下から見上げるだけなので、良く分からないし、お仕着せなので写真も撮りにくいのだが、混み込みで展示されている個別部門のコーナーよりは、良いのかも知れない。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
     
   
   
   
   
   
   

   特別展示は、長渕(志穂美)悦子の~経(たていと)~、假屋崎省吾の~蘭の世界~、沖縄美ら海水族館で、らん単体の展示とは違った物語のある独特な雰囲気が面白い。
   下記の写真尾左から、長淵、沖縄、假屋の世界である。
   
   長淵は青竹を螺旋状に組んだ豪快な造形、
   沖縄は、らんの花園の上の水槽で極彩色の熱帯魚が乱舞、
   假屋は、華麗な着物をらんが荘厳、
   
   
   
   
   
   
   
   
   「世界最大の蘭と極小の蘭」と言うコーナーがあったが、囲われた展示ブースに入るのに長い列で、入場不能
   近くのブラジルの極小らん展示で間に合わせた
   「大使夫人のテーブル・ディスプレイ」は、定番の名物展示
   
   
   

   個別部門の展示コーナーやアート、華麗なディスプレィ部門の一端は、下記のとおり
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   

   ついでながら、らんの花の数ショットを、
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
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ポール・クルーグマン&浜田宏一著「2020年世界経済の勝者と敗者」

2016年02月14日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   「経済学の巨星、激突す!!」と帯に大書された本だが、日本は世界のロールモデルだと言うアベノミクス礼賛論。
   経済学は、これが正しいと言った決定版がないので、何が正しくて適切かは、時の流れによって推移変化するので、現在の一つの経済論だと思って読めば、面白いし参考になる。
   私自身は、これまでに何度も書いてきたが、シュンペーターの創造的破壊によるイノベーション成長論を勉強してきたので、サプライサイドを殆ど軽視して、ディマンドサイドばかりを重視したケインジアン的な理論展開によって経済を論じているクルーグマンに対しては、是々非々と言うか、賛否相半ばしているのだが、インパクトのあるその著作のかなりを、興味を持って読んではいる。
   今回の浜田教授との対談形式のこの著作でも、クルーグマンは、殆ど同じ理論を展開しているのだが、現在の国際経済や日本経済について、カレントトピックスを交えた現実的な話を、具体的に語るなど、興味深い。

   下記においては、クルーグマンの語っていることについて、論じることにして、浜田教授の見解については、我々には殆ど旧知であるので、必要に応じて触れることにする。

  まず、TPPに関してだが、自称「どっちつかずの反対者」だと言って、スティグリッツはじめ、リベラルな経済学者でTPPに熱心な人は誰もいない。と言う。
  反対理由の詳細は、曖昧で、
  TPPの実態は、貿易協定とは言えず、紛争解決と知的所有権に関する協定で、このどちらについても問題がある。金融規制など、アメリカ国内政策の独立性が損なわれる可能性がある。民主党幹部も、経済学者でさえ、何故TPPが重要なのか、きちんと説明できない。などと語っていて、自由貿易の利点は、過去の一連の貿易協定によって、すでに殆ど実現されていて、特に、あらためて論じるまでもないと言うことのようである。
   オバマ大統領が、中国による国際貿易のルールの構築を避けるために、TPPによってアメリカ主導の貿易秩序を確立するのだと言う発言とは大分距離があるが、スティグリッツのように、弱肉強食の交易秩序の構築であるから反対だと言う方が分かり易い。
   
   アベノミクスについては、
   大胆な金融政策によるハイパーインフレの心配はなく、日本がデフレから脱却するためには必要な処方箋である。
   これまで、日本の政策当局は、財政刺激策には金融面でのサポートはなく、金融緩和には税制面でのサポートがないなど、また、「財政再建」の名目で消費税増税で経済を失速させるなど、自分たちで可能性を潰してきた。
   デフレから脱却するためには、重力圏から脱出するための「脱出速度」に達することが必要で、まだ、その脱出速度に達していない今、絶対に、消費税を10%に上げるべきではない。と消費税アップの愚策を強調している。
   成長戦略の一環である労働不足の解消には、女性の労働市場への参入拡大が必須であり、外人への「ゲスト・ワーカー型プログラム」などを提示している。
   また、現在の日本の生産性が、アメリカや休暇の多いフランスなどと比べて非常に低いので、構造改革などを実施して、その向上を図るべきだと言う。
   日銀の2%インフレ目標については、政策が妥当であっても「臆病の罠」に堕ちるので、実際に2%のインフレを達成したいなら、インフレを国民に納得させるためには、低すぎるので、目標は4%にすべきだと言う。
   いずれにしろ、アベノミクスの成功率は、半々だと言いながら、成功すれば、日本は世界のロールモデルとなり、日本の国債の格付けはAAAであり、自国の紙幣を刷ることが出来る国は、デフォルトリスクがない、と述べている。

   浜田教授も、「日本の対外純資産は24年連続で世界一だ」と言って、一顧だにもしていないが、私自身は、日本の国家債務の異常さについては、むしろ、一般論のように心配しており、特に、経済成長の可能性が著しく減退した成熟経済化した日本において、毎年、プライマリーバランスがマイナスで、どんどん、国家債務が増加の一途を辿って減速しないことに危惧を感じている。
   窮地に陥れば、どんどん、日本円を刷れば良いのだと言う気にはなれないし、このままでは、どこかで暗礁に乗り上げて経済危機に直面するであろうと思っている。

   ギリシャ危機についても、ユーロを導入しながら政治統合を行わなかったEUの蹉跌を論じながら、日本やアメリカのギリシャ化の可能性は杞憂だと一蹴し、ロシアなど国際政治や地政学的な議論をも展開していて、非常に面白い.
   カナダについて、「未来」が最初に起こる国だと、経済政策を賞賛しているのは、赤字の脅迫に取りつかれた経済緊縮の通説を真っ向から否定して、通貨政策は勿論、非正統的な経済理論を支持して、財政赤字をものともせずに、財政出動や投資によって需要を拡大したからだと、何時もの持論を展開しているのが面白い。

   さて、問題の中国経済については、どう考えるのか、「中国バブルの深度」と言う項で、かなり、悲観的な議論を展開しているので、触れてみたい。

   結論から言うと、クルーグマンは、中国は、現在、バブル崩壊期にあって、日本のバブル崩壊を想起させる状態で、しかも、今がピークではなくて、中国特有の問題がいくつもあって、更なる失速がある。と言う。
   投資、特に、不動産投資の異常なる過剰、GDPにおける投資50%に消費30%の異常なるアンバランス、シャドウ―バンキングなどの膨大な不良債権の存在、汚職政治の腐敗、・・・列挙すれば限りなく、中国の経済指標などは、全くでたらめで信用できず、このままでは、待っているのは、バブルの完全崩壊へ一直線だと言う。
   中国経済のどこかでの躓きの可能性については、私もこれまでも何度か論じてきたが、かっての日本と同様で、まだ、成熟経済化へははるかに遠いので、バブルが崩壊して壊滅的な打撃を受けても、ある程度のリバウンドはあると思っている。

   クルーグマンは、中国の実態は、発展途上国で、いまだ「かなり貧しい国」だと言うのだが、しかし、中国経済の世界第二位と言う膨大さに、世界経済がおんぶにだっこで、その果てに、今や、奈落の底へと言わないまでも、世界中が振り回されている。
   
   さて、この本、英語版がないので何とも言えないが、2020年の世界経済の勝者と敗者と言うタイトルだが、この本から行くと、アベノミクスで、正しい経済学(?)を信奉して経済政策を推進している日本が、勝者であって、バブル崩壊の中国や下降一方のロシアなどが、敗者と言うことであろうか。
   
   余談ながら、安倍首相の経済顧問の浜田宏一教授の展開している議論は、夫々、クルーグマンと対比して考えると興味深い。
   今回、レビュー出来なかったが、余程叩かれ続けたのか、感情的なほど、「日銀主流論」を糾弾しており、また、安倍首相の「タカ派」姿勢を、ニクソンやレーガンと言ったタカ派大統領に重ねて評価したり、中国への対抗を「ゲーム理論」的なセンスで当たるべきだとか、賛否はともかく、結構、面白く読ませてもらったことを付記しておく。
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