熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

フラワーセンター大船植物園・・・フジ、八重桜、そして、牡丹(2)

2017年04月30日 | 鎌倉・湘南日記
   うめ園の対面に、さくら園があって、ソメイヨシノなどポピュラーな桜ではない、珍しい桜が植わっていて、種類が違うので、タイミングがずれて満開を迎える。
   私の行ったのは、28日なので、一寸変わっているかも知れないが、福禄寿など八重桜が綺麗に咲いていた。
   

   まず、最初に見たのは、御衣黄。
   緑色の桜であり、遠くからは、桜だとは思えないので、見過ごしてしまうのだが、結構、雰囲気のある綺麗な桜である。
   
   
   
   
   
   一番大きな大木で、今を盛りに咲き誇っているのが、福禄寿。
   普賢象のように、豪華な八重桜である。
   
   
   

   一寸盛りを過ぎたと思っていたのだが、前に美しいと思った王昭君が、まだ咲いていて、ほんわかとした優雅な花びらを、涼風に靡かせていて独特な雰囲気を醸し出していた。
   
   
   

   泰山府君も一寸違った独特の雰囲気を匂わせる淡いピンクの八重桜である。
   
   
   

   桜は、下から見上げて鑑賞するものだと、佐野藤右衛門は語っていたが、私は、桜の花の中心部分、雄蕊雌蕊の付け根の造形に興味を持っていて、時々、接写して、その微妙な美しさに感激している。
   古いマクロレンズ(100ミリF2.8)で、手振れ防止がなく、手持ちでの接写であったので、風に揺られて、中々難しかったが、次の通り。
   
   
   
   
   
   
   
   
   

   さて、まず、シャクヤク園に行ったのだが、咲いていたのは、レッドモナークと言う深紅の株のみ。
   
   
   

   ぼたん園は、もうすでに、カラフルに咲いていた。
   まだ、総てのぼたんが最盛期を迎えたわけではないが、多くのぼたんの花弁は、大きなわりに、非常に薄くて繊細なので、かなりの花が萎れてしまって、写真にはなり難くて、一寸残念であった。
   開花直後の朝早く鑑賞するのが良いのであろうか、太陽に照り付けられると、ひとたまりもないので惜しいと思って見ていた。

   やはり、趣向の所為か、目に入ったのは、黄色いぼたんで、二株あって、ハイヌーンと黄冠。
   
   

   名前を憶えていないのだが、写真に撮れたぼたんは、次の通りである。
   
   
   
   

   
   
   
   

   バラ園は、モッコウバラがわずかに咲く程度で、まだ、音なしの構え。
   今年は、京成バラ園から大苗を買って、相当、大幅に植え替えてリニューアルしているので、様相が一変するかも知れない。
   バージン開花なので、少し寂しくなるかも知れないのだが、京成バラ園作出は勿論、フランスやドイツ、イギリスなど欧米の比較的新しい新種のバラがオンパレードなので、新しい趣向を楽しめるであろう。
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フラワーセンター大船植物園・・・フジ、八重桜、そして、牡丹(1)

2017年04月29日 | 鎌倉・湘南日記
   10日前に、このフラワーセンターに来て、桜やシャクナゲをレポートしたのだが、やはり、花の季節春なので、様相がすっかりと変わってしまっている。
   桜は、八重桜に変わって、シャクナゲも色あせて、つつじやサツキに変わり、
   一気に、フジが綺麗に咲いて優雅に房を垂れ、牡丹が豪華に咲き乱れている。

   まず、すいれん池横の藤棚のフジは、築山の新緑やハナミズキとのコントラストが美しい。
   (なまくらをして、カメラに、100ミリF2.8のマクロレンズだけを装着して来たので、ズームも広角も利かないので、写真には表現できない。)
   
   

   もう一つの大きな藤棚とフジが何株か植わっている場所は、ソメイヨシノなどの桜があるピクニックグラウンドの手前の方で、オープンスペースなので、フジがおおらかに植わっていて、綺麗に咲いている。
   この植物園のフジで興味深いのは、他のフジは、藤棚仕立てで這わせるのではなく、支柱を立てて直立にこんもりと豪華に咲かせていることである。
   
   
   
   
   

   一株、大きな白花のフジが植えられていて、情趣を添えている。
   
   

   フジのイメージは、どうしても、藤棚で、特に、フジ棚から垂れているフジの房の優雅さが良く、風に揺れている風情が何とも言えない。
   桜のように、下から見上げて観察したが、房状に垂れているので、絵にはならなかった。
   
   
   
   
   
   
   
   
   

   藤棚から、牡丹園に向かう道のシャクヤク園側に、八重桜の関山が植わっていて、やや盛りは過ぎたが、綺麗に咲いていて、藤棚のフジとのコントラストが面白い。
   八重桜が咲く頃に、朝顔の種を蒔けと言うことであるから、帰ってから蒔こうと思った。
   
   
   

   少し離れたところに、鬱金桜が、満開であった。
   この桜は、御衣黄のように緑の桜として人気が高いのだが、咲き始めの頃とは違って、ピンクや白い花が混じって来ている。
   はっきりとした花の形ではなく、やや、歪な形が面白い。
   
   
   
 
   シャクヤク園の外れ、玉縄桜のそばに、普賢象が、今盛りにと咲いている。
   この花の豪華さは格別で、昔、千葉の庭に植えていて、ヨーロッパから帰ってきた翌年春に、爛漫と咲き乱れて迎えてくれた。
   しかし、その後、残念ながら、毛虫にやられて枯らしてしまった。
   この桜は、花の真ん中の蕊が、二股に分かれていて、普賢菩薩を乗せた象をイメージして普賢象と呼ばれているのだと聞いたことがある。
   
   
   
   
   
   

   さくら園の桜や牡丹などについては、次稿にしたい。
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わが庭・・・ブラックマジック・紅乙女咲く

2017年04月28日 | わが庭の歳時記
   わが庭の椿で、最後に残っていたブラックマジックと紅乙女が咲いた。
   ブラックマジックは、千葉での栽培も加えると、もう、5年以上になるのだが、元々苗木の時から葉付きが良くなかったので、成長が遅く、花付きも悪く、中々咲きにくい。
   今年は、勢いよく新芽が出始めているので、鎌倉のわが庭に定着したのであろう、来年に期待したい。
   紅乙女は、今春買った小さな苗木なので、可憐に咲き始めたと言うところであろうか。
   
   
   

   黄色い牡丹が、咲いた。
   タグがなくなったので、名前は分からないが、随分前に、京成バラ園で買ったもので、一寸変わった黄色い花が気に入ったのである。
   千葉から移植した他の二株は、剪定が悪かったのか、今年は花芽を付けなかったので、残念ながら咲かない。
   その変わりでもなかろうが、シャクヤクが沢山の花芽を付けて、スタンドバイしている。
   
   
   
   

   一気に咲き始めたのが、コデマリである。
   白い毬状の花が並んでいるのが面白い。
   その下に、スズランの花。
   葉っぱは、おなじみなので、出始めると、可憐なスズランの花が顔を覗かせるので、すぐに気づくのだが、何の手入れもせずに、自然任せにしているので、下草に隠れていることが多い。
   そして、青いサルビア。
   
   
   
   
   
   

   遅ればせながら、シャクナゲの蕾が膨らみ始めた。
   ミヤコワスレ、椿「至宝」、
   まだ、綺麗に咲いていて、雰囲気があって良い。
   
   
   
   
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四月大歌舞伎・・・「伊勢音頭恋寝刃」「一谷嫩軍記 熊谷陣屋」

2017年04月27日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   「伊勢音頭恋寝刃」は、歌舞伎でも文楽でも何度も観ているが、ストーリー展開よりも、登場人物のユニークさが、面白くて、演じる役者の如何によって、面白さが倍増する。
   二年前に、国立劇場十月歌舞伎公演で、通し狂言「伊勢音頭恋寝刃」が演じられたのだが、ふつうは、今回のように、油屋と奥庭の場が主体となる簡略版が上演される。
   それでも、2時間近い舞台である。

   この「伊勢音頭恋寝刃」は、伊勢参りで賑わっていた古市の遊郭・油屋で宇治山田の医者孫福斎が仲居のおまんらを殺害した事件を劇化した際物芝居である。
   お家の重宝青江下坂の名刀とそのお墨付き折紙探索と言うお家騒動ものに脚色されているのだが、
   この舞台では、この名刀の折り紙の行方を追い駆ける福岡貢(染五郎)が、恋人であるお紺(梅枝)を遊女屋油屋を訪ねてきて、お紺の策略が成功して、徳島岩次(由次郎)たちから折紙を取り戻すと言う話である。
   名刀をすり替えられたと思って、油屋に引き返してきた貢が、誤って、万野を切ってしまい、「奥庭」の場では、妖刀に魅せられて、錯乱した貢が、次々と人を斬り捨てて行くシーンが展開される。

   その間、お紺に会わせまいと、仲居の万野(猿之助)が嫌がらせの限りを尽くして抵抗し、代わり姑を呼ぶのを承諾すると、手のひらを返したように機嫌よくなるのだが、その替わり妓が、貢にぞっこんのブスの油屋お鹿(萬次郎)なのだが、万野は、貢との仲立ちをするとたぶらかして、偽のラブレターをでっち上げてお鹿に金を出させて着服しており、満座の前で、貢に罪を着せて、証拠もないので女相手に抗弁できず、窮地に追い込む。
   この万野は、折紙を所持している敵の徳島岩次に肩入れしているので、正に、貢にとっては悪女で、このあたりは、実事件の反映であろう。

   この万野を、歌右衛門や芝翫、菊五郎、勘三郎と言った名優が演じたと言うのだが、私は、これまで、玉三郎、福助、魁春で観ており、今回の猿之助の悪女万野も、流石に、座頭役者の風格十分で、楽しませてくれた。
   文楽では、この万野を、簑助、勘十郎が遣った舞台を観た。
   この「油屋」の場では、貢が主役の筈だが、むしろ、この万野の強烈な個性を前面に押し出した悪女の存在感は抜群で、これこそが見どころであり、上演されるごとに、誰が演じるのかが楽しみである。

   もう一つ面白いのは、貢にほの字で、万野に騙しぬかれて座敷に呼ばれたお鹿の幸せの絶頂から暗転する芸の落差の激しさで、脇役として秀逸な芸を見せている東蔵や萬次郎のお鹿の上手さは言うまでもないが、私には、当時橋之助の芝翫のお鹿が、抜群に面白かった。

   幸四郎が、染五郎の幸四郎への襲名披露のことについて、もう、染五郎に収まり切れない役者として成長しているので、と語っていたように記憶しているのだが、最近、夙に、進境の著しさを感じていて、これも、正にその舞台であったと思う。

   今回の舞台で、名刀をなくした家老の息子今田万次郎を秀太郎が演じており、優男ぶりを優雅に演じていて、興味深かった。
   お紺は、以前に、時蔵の舞台を観たのだが、今回は、子息の梅枝で、しっとりとした風格のある演技で、良かった。
   料理人喜助の松也は、はまり役。
   
   「熊谷陣屋」は、もう、何回観ているか。
   文楽でも、最近では、玉男襲名披露公演で観たし、とにかく、何回観ても面白い。
   歌舞伎では、今回同様に、幸四郎の熊谷次郎直実の舞台が一番多いのだが、仁左衛門、吉右衛門、團十郎、染五郎、最近では、襲名披露で演じた芝翫、と、名優の舞台を観ており、かなり、理解が進んでいる筈なのだが、その度毎に、新鮮な気持ちで、観ているから不思議である。

   「一枝を伐らば一指を剪るべし」と言う、法王の落胤である敦盛を助けよと言う義経の意を戴して弁慶が認めた表札が、この歌舞伎の重要なテーマで、この「熊谷陣屋」の舞台では、義経の検視に、敦盛の首と称して、直実が、代わりに討った実子小太郎の首を差し出す。
   無常を感じた直実が、義経の許しを得て、僧形になって陣屋を後にし、「十六年は一昔、ああ夢だ、夢だ」と天を仰いで慨嘆して、花道を去って行く。

   この熊谷陣屋については、このブログで、随分書いているので、すべて、蛇足となるのだが、やはり、幸四郎の極め付きの舞台を楽しむと言うことであろう。
   それに、今回は、猿之助が、非常に格調の高い折り目正しい妻相模を演じていて、幸四郎との丁々発止の新鮮な舞台が、感動的であった。
   義経の染五郎、藤の方の高麗蔵、弥陀六の左團次は、言うまでもなく適役で、重厚な舞台が楽しませてくれた。

   ところで、染五郎と猿之助は、大舞台にも拘わらず、異色な役どころを器用に、連続して演じており、健闘していた。
   
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わが庭・・・椿「至宝」咲き切った

2017年04月25日 | わが庭の歳時記
   先日、椿の「至宝」開花について書いた。
   タキイのHPの説明では、
   椿・至宝
   今までにない特徴的な花色。桃赤~赤紫と色幅がある、千重咲き中輪花。花つきもよい、最高級品種。茶花や庭木として親しまれる日本の代表的花木。
   と言うことである。
   インターネットで調べても、それ以上の記事がないので、故事来歴などは良く分からない。

   ところで、「至宝」として一般に出回っていたり、タグについている写真は、この先日掲載した下記の同じ一枚の写真だけなのだが、
   タキイの記事でも、下記の「至宝」の写真の隣に、私の「至宝」のような外縁に白覆輪のない写真が掲載されていて、他の実写写真は、すべて、単色なので、
   良く見れば、玉之浦のように、白覆輪と言う程のものではなく、外縁に行けば少し花色が変わると言う程度なのかも知れない。
   

   さて、今朝見たら、わが庭の「至宝」は、殆ど満開状態に開花していた。
   中輪と言うことだが、かなり、大きな花で、花弁がしっかりとしていて、ひ弱さがなく、凛としているところが良い。
   まだ、1メートルに届かない幼い苗木なので、切り花にはできないが、もう少ししたら、猪口に水を張って、花弁を浮かせて、他の椿花と一緒に、並べて楽しもうと思っている。
   
   この花色は、わが庭のバラ「あおい」とよく似た赤紫色のシックな色をしていて、私のイメージでは、京の雅である。
   可笑しなもので、椿の花を、一輪一輪、愛おしむように鑑賞するのは、このくらいの小木くらいの時で、大木になって、咲き乱れると、どんな銘木でも、あまり、気にならなくなってしまうのが面白い。
   
   
   
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安野光雅著「空想亭の苦労噺」

2017年04月24日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本を書き始めた頃は、のんきに構えていたが、一年の間に、人の命について考えさせられることが色々起こって、編集者に、「苦労が絶えませんねぇ」と言われて、その通りだと、「空想亭の苦労噺」と言う書名にしたと言う。
   オランダ苺が、根元からランナーを伸ばして子株を生んで命を繋ぐのを考えるうちに、未来の子供のことに思い至り、負債を未来に託そうとする大人の責任を感じないわけには行かないと、論語の、
   子、川の上に在りて曰く、逝く者は斯の如きかな、昼夜を舎かず。
   を引用して、あとがきを締めくくっている。

   しかし、最後は、一寸、湿っぽくなっているが、全編、軽妙なタッチで繰り広げられる愉快な安野光雅版の落語の高座なのである。

   安野光雅の著作を見たり読んだり、展覧会に行ったり、昨年、津和野に行ったときに、「安野光雅美術館」を訪れるなど、結構、ファンとして、注目して対しているのだが、大の落語ファンだとは知らなかった。
   東京へ出る前から落語が好きで、東京へ来てからは、主に新宿の末広亭に良く通い、すっかり落語にかぶれて、とうとう、落語の言葉でものを考えるようになった。その好きな落語言葉でしゃべると、どんなことでもしゃべれて、楽しい世界へ入って行けるような気がするので、田舎弁は一時しまっておいて、落語弁で考えようと、この本を書いた。

   定吉と言う若い雇人との会話を交えながら、落語口調で、どこまでが本当でどこからが空想なのか、虚実皮膜も良いところで、落語のネタと自身の人生とを綯い交ぜにしながらの半自伝で、味があって面白い噺を展開していて読ませてくれる。
   子供の時分から、空想が趣味で、起きてて見る夢みたいなもので、第一カネがかからない、ただで映画や芝居を見ているようなものだと言う安野先生であるから、
   冒頭から、湯屋番になって粋な女客の姐さんに見初められる空想をして番台から転げ落ちると言う落語の「湯屋番」さながらの世界を現出する。
   
   「湯屋番の自伝」ならよいか、と、唆されて、憧れとか空想とか、嘘でもよいから集めて書こうと、仕事場のビルの最上階の喫茶店から見下ろした東京の街の、焼け野原の雑踏する戦後の人間模様を思い出しながら書き起こして、上野、骨董市、池之端・・・
   黒門町の師匠・文楽の話になると、一気にテンションが上がって、一番好きな「寝床」が脳裏に浮かび、定吉を、「親方が、落語でもってご機嫌をお伺いしたい」と、近所を回らせるのだが、皆擦った転んだと言って断られる噺を、噺家そこのけで語る。

   嘘か本当か分からないのだが、会津八一の歌「大寺の丸き柱の月影を踏みつつものをこそ思へ」に託して、美人の琵琶の演奏家への思いを、「愛染かつら」ばりの話に設えたり、「恋文」の微妙な話や、「男はつらいよ」を語るのだけれど、安野先生の色恋の話は、尻切れトンボで良く分からない。

   二等兵物語から、独自に編み出して作り出した自家製サプリメントの話、笠碁・・・等々、とにかく、落語の世界と混在した話術の冴えは流石で、現代家族模様を描いた新作落語で面白い文枝なみに、安野先生が、蘊蓄を傾けて、新作落語を作出すれば、素晴らしい作品が生まれるような気がする。
   もう少し、アイロニーとウィットに富んだ、そして、もう少し、文化と芸術の香りがする格調の高い新作落語が生まれるであろうと思う。

   最終稿に近づいて、弟さんの死に直面して、尊厳死など人間の命についての話が主体になって、何となく人生訓的なストーリーになっているのだが、これも、ユーモアたっぷりの語り口ながらの安野先生のパーソナリティの表れであろう。

   ところで、落語だが、私も、この5~6年、国立演芸場に通って、結構、落語を聞いて楽しんでおり、安野先生の話が良く分かって面白かった。
   吉田茂も、山田洋次監督も、落語が好きだと言う。
   落語の世界の奥深さは、まだ、分からないが、平家物語も語りの芸術であり、のめり込めば、その凄さが実感できるのかも知れない。
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わが庭・・・至宝咲く、そして、アメリカハナミズキ

2017年04月23日 | わが庭の歳時記
   今年買った椿で、一番上等な花は、「至宝」である。
   接木苗で、50センチ以上の背丈のある蕾付きの、かなり、しっかりした椿で、花が終わって落ち着いた頃に、庭に植えようと思っていて、今、陶器鉢に移植したままにしている。
   蕾と新芽が、多過ぎたので、先のことを考えて、大分、摘んで整理したのだが、樹勢も強そうなので、育ちそうである。

   まだ、今日現在、完全に咲き切ってはいないのだが、典型的な「至宝」の見本花とは、花弁の先端が、丁度、玉之浦のように、白覆輪になっていないところが、違っている。
   花形は同じようなので、分からないが、大きくなって、花が沢山咲き始めたら、花姿も変わるかも知れないと期待することにしている。
   いずれにしろ、凛とした非常に風格のある花である。

   見本の花姿をネット写真から、借用すると次のとおりである。
   しかし、ネットの「至宝」の写真の大半が、私の「至宝」の写真のように、白覆輪のない花姿なので、バリエーションがあるのであろう。
   

   私の「至宝」の写真は、次の通り。
   開花前の宝珠咲きも素晴らしいし、
   赤紫に近い京都の雅を思わせる優雅な風格のある花色で、大きくなって切り花にして、生けて楽しめると思っている。
   
   
   
   
   

   私の庭の椿は、今、最盛期である。
   綺麗に咲いていて、楽しませて貰っている。
   後、残っているのは、ブラックマジックだけだが、まだ、蕾は固い。
   
   
   
   
   
   
   

   一気に咲きだしたのは、アメリカハナミズキである。
   白やピンクの花のように見えるのは、苞で、実際の花は、真ん中の小さな蕊のような部分で、木が高いので、良く見えない。
   隣のヤマボウシは、まだ、花の気配はない。
   トキワマンサクが、複雑な花姿で、風に揺れていて、面白い。
   
   
   
   
   
   
   
   華道には縁がないので、生けるなどと言う大それた思いはないのだが、ヨーロッパに居た頃から花瓶や花活けには、興味を持って買っており、花については、結構多くの美術館を巡って、素晴らしい花の絵画を見続けているので、適当に切り花にして、庭の花木や草花を摘んで、挿して楽しんでいる。
   玄関の出窓のピアノとヴァイオリンの位置が逆だが、バランスを意図して、多少、気を使ったりはしている。
   
   
   
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ピーター ナヴァロ著「米中もし戦わば」

2017年04月22日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   「トランプ政策顧問が執筆!」と言うことで、
   ・経済成長のために必要な原油の中東からの輸送ルートは、太平洋地域の制海権をもつアメリカによって抑えられている。
   ・空母と同盟国の基地を主体にした米軍に対抗するため、安価な移動式のミサイルで叩くという「非対称兵器」の開発を中国は進めてきた。
   等々、真実と著者の提言が正しいかどうかは別にしても、とにかく、興味津々の話題の連続で、非常に面白い。
   
   アンガス・マディソンの説を引くまでもなく、中国は、19世紀の半ばまで、世界一の超大国であった。
   しかし、1839年に勃発したイギリスとの第一次アヘン戦争に始まって、1945年の日中戦争の終結までの殆ど一世紀は、列強によって、中国は、軍事支配、海上封鎖、領土の割譲、多額の戦争賠償金、主権の侵害、大量虐殺など、ありとあらゆる苦難に直面して「屈辱の100年間」と言う途轍もない歴史的な辛酸を舐め、外国からの侵略を二度と許すまいとして、軍事力を増強するのは、当然だと言うことであろうか。

   しかし、この思想は、はるかに先を行っている。
   先に、このブログで、マイケル・ピルズベリーの「China 2049」の、「秘密裏に遂行される「世界覇権100年戦略」、すなわち、「100年マラソン:グローバル・スーパーパワー覇権国家としてアメリカにとって代わる中国の秘密戦略」について書いたし、
   精華大学のデビッド・リー教授の中国台頭論、「アヘン戦争を皮切りにして西側の列強によって国家を蹂躙された長い屈辱の歴史を晴らすべく、富国強大政策を推進して、大唐大帝国の栄光を再び!1500年前の偉大な帝国唐の時代の復興を、と言う中国の未来への願いを紹介した。
   このことは、習近平が、”中華民族の偉大な復興を実現することは我々の中国の夢、民族の夢だ。”として、多次元な「中国の夢」を宣言しており、中国が米国を凌駕して、世界一の覇権国家になることは、既に、中国の国是となっている。

   そう思って、このナヴァロの本を読めば、決して驚くべきことではなく、中国が、この夢に向かって如何に邁進しているか、太古に孫子の兵法を生んだ国中国であるから、アメリカが如何に対峙できるか、
   力づくで抑え込もうとしても、「百戦百勝は善の善なるものに非ず。戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」を地で行っている中国の、法規や常識を超えた人を食ったような強かな頭脳戦略が透けて見えて、非常に興味深い。  
   この本のタイトルは、「Crouching Tiger」
   臥虎には特別な意味があるのであろうが、crouchとは、かがむ、しゃがむ、うずくまる、(卑屈に)腰を低くすると言う意味があるようで、エドワード・ルトワックが「中国4.0」で説いた低姿勢の初期の頃のアメリカを手玉に取った中国の姿勢を言うのであろうか、面白い表現である。

   驚異的な快進撃を遂げて、既に、アメリカ経済へもリーチの差にまで追いつき、凌駕するのは時間の問題だとするのなら、人類にとって良いことなのかどうかは分からないが、中国にとっては、夢の実現には、正に、千載一遇のチャンスと言うべきであろう。

   これまで、何回か論じたが、ミアシャイマーが、大国政治の悲劇で論じた「すべての大国は、生き残りを賭けた問題として、世界的な優位性、すなわち、「覇権」を求める」と指摘しているが、更に、中国はアジアの覇権を願っているのだから、中国がアメリカを犠牲にして台頭することをアメリカは阻止しなければならないと結論付け、これは、つまり「戦闘開始」ということであり、アジアで新たに始まった昔ながらのこの大国ゲームはそう簡単に終わりそうにないと、述べていると言う。

   冒頭で、海上封鎖されれば、中国経済は壊滅するとして、中国が輸入石油の大半と世界貿易で流通する物資の約3分の1がマラッカ海峡を通過しており、これをアメリカが抑えると言う中国の「マラッカ・ジレンマ」について論じており、
   第一・第二列島線突破せよと世界の制海権を握ろうとする中国の動きなど、尖閣や南沙・西沙を巡る九段線問題での鬩ぎ合いや国際法を無視して軍事力を使わずに領土拡大を達成する中国の強かさなど詳細に論じていて、非常に興味深い。

   ナヴァロは、米中の戦力比較など個々に詳細に論じていて面白いのだが、サイバースパイによって盗み獲ったアメリカの最先端技術や機密情報を兵器製造にフル活用し、更に、ヨーロッパの最新軍事技術や米国の進出企業の技術などを「民間利用」の名目で利用するなど、如何に、タダ乗り技術取得に長けているか、
   時によっては、資金不足でとん挫しているアメリカを凌駕するような第五世代戦闘機の開発増産など、米ソの軍縮規制で維持されていた国際ルール無視で、質量ともにどんどんアグレッシブに、軍備拡大や技術開発を実施している現状などを紹介している。
   要するに、今現在は、アメリカの軍事力なり国力、覇権力は、中国を凌駕しているであろうが、その差は、どんどん縮まっており、中国に追いつかれるのは時間の問題だと言うことであろうか。

   先に紹介した孫子の「戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」と言う戦略については、中国では、総合国力の視点から世界を見ていると言う。
   いわゆる、ジョセフ・ナイの説くハードパワーとソフトパワーの融合かつ適切なバランスによるスマートパワーの活用なのであろうが、
   最後に、ナヴァロは、中国が、ワシントンで巨額のカネをばらまいて、その圧力で米国メディアを屈服させて操作し、また、ハリウッド映画さえ中国をネガティブに描けない現状に追い込み、研究・教育機関にも中国批判を自主規制させるなど洗脳する孔子学院の現状などを述べながら、中国の脅威を直視すべきであると警告を発して、本書を結んでいる。

   民主主義と言うか自由主義と言うか、我々欧米文化で培われた政治経済社会で常識化している公序良俗なりシティズンシップなどの思想や価値観が、そのまま通用しそうにない中国との知的乖離に、もどかしさを感じながら読み終えた。
   勝てば官軍負ければ賊軍なのかも知れないが、最近のブレグジットやトランプ現象など、全く予測が不可能となった時代の潮流をどのように理解すればよいのか、複雑な気持ちになっている。
   
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今日の一日:歌舞伎座、神保町、そして、国立能楽堂

2017年04月21日 | 今日の日記
   今日は、11時からの歌舞伎座での昼の部、そして、夕刻の国立能楽堂での定期公演:能狂言の鑑賞を予定していた。
   ところが、能楽協会主催の「納涼能」の予約が、この日の10時から始まるので、私の場合は、スマホを持っていないし、ノートパソコンを電車に持ち運ぶのも難なので、10時に家にいて、パソコンを叩かなければならない。
   電話なり、国立能楽堂の窓口、ファミリーマートの店頭マシーンでも予約可能なのだが、一寸、無理であり、結局、イープラスのネットで、予約を完了した。
   何故、「納涼能」に拘るのかと言うことだが、人間国宝の友枝昭世の「枕慈童」、同じく人間国宝の野村万作の「文荷」、観世清和宗家の「安宅」、それに、宝生和英、金剛永謹、金春安明の各宗家が仕舞を舞うと言う豪華版の公演であるから、駆け出しの私のような能狂言ファンでも見逃すわけには行かないのである。

   結局、歌舞伎座には、最初の演目「醍醐の花見」を諦めて、次の「伊勢音頭恋寝刃」の開演12時6分に間に合えばよいと思って、10時17分の大船行きの江ノ電バスに乗った。
   大船から、上野東京ラインに乗ったのは良いのだが、東京駅の人身事故で、電車は、川崎で長い間停車して品川どまり。
   手前のホームの京浜東北線に駆け込んで乗ったが快速で、新橋、有楽町に止まらず、浜松町で、山手線に乗り換えて、さらに、新橋でメトロを乗り継いで東銀座へ、劇場に着いた時には、予鈴が鳴っていた。

   どうにか、間に合ったのだが、「伊勢音頭恋寝刃」は、染五郎と猿之助ほかの好演で非常に面白い舞台。
   その後の「一谷嫩軍記」は、幸四郎、猿之助、染五郎、高麗蔵、左團次などの凄い舞台。
   とにかく、鴈治郎の秀吉を見過ごしたが、満足な歌舞伎公演であった。

   その後は、能狂言の公演まで時間があったので、当然のルートとして、神保町の三省堂から古書店周り。
   エドワード・ヒュームズの「移動の未来 DOOR TO DOOR」ほか、5冊も衝動買いしてしまった。
   悪い癖が治らない。
   友人たちは、殆ど本を読まないようだが、読むなら、図書館へ行くと言うのだが、私には、その気が知れない。
   精々2~3千円の本なのだし、経済的に困っているわけでもないのであるから、著者に対する礼儀としても、本を買って読むべきだと思っている。

   適当に途中で夕食をとって、国立能楽堂へ。
   公演は、萬斎などの狂言「苞山伏」と渡邊筍之助の宝生流能「雲林院」。
   楽しませてもらった。
       

   能楽堂を出て、北参道からメトロに乗って、東横線直通で横浜に行き、JRで大船へ。
   発車寸前の江ノ電バスの運転手さんは、老骨に鞭を打って駆け込んだので、待ってくれた。
   自宅に着いたのは、10時40分、長い一日であった。

   
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机の上に載っているカメラに思いを馳せて

2017年04月20日 | 生活随想・趣味
   私の書斎の机の上には、いつも、カメラとレンズが載っている。
   別に、使う用事があって置いてあるのではなく、習慣のようなものである。
   カメラ歴は、安物のカメラをいじり始めたのは、中学生の頃であるから、もう、半世紀以上になる。

   一寸したまともなカメラを買ったのは、大学生になってからで、それ以降は、どちらかと言えば、古社寺巡りに持って歩いて、建物や庭園など、風景を写すことが主体であった。
   今のように、至れり尽くせりの機能の付いたカメラではなく、露出もピント合わせも、総て、手動であり、勿論、35ミリのフィルムカメラであった。
   最初に付いた機能は、露出だったと思うのだが、大分助かったが、一番楽になったのは、一眼レフカメラのオートフォーカスであったような気がする。

   会社に入って仕事を始めてからは、娘たち家族の写真を撮るのは当然だが、やはり、旅の写真が多くなった。
   個人旅行や出張旅行の合間でのスナップショットとか風景写真だが、その後、海外旅行や海外赴任で、外国での生活が始まると、一気に、撮影の機会が多くなって、膨大な量になった。
   海外では、有名な美術館や博物館、それに、王宮や教会等歴史的な建築物でも、写真撮影が自由に許されている場合が多いので、正に、歴史散策や美術鑑賞を二倍も三倍も楽しむことができて、幸せであった。

   どうなっているか、当時の写真の大半は、ネガともども、倉庫の箱の中に詰め込んだ状態で、眠っているのだが、たまに、張り付いていないネガを出してみて、スキャンしてパソコンに移してプリントすることがあるのだが、何十年の風説にもめげず、新鮮な画像を表してくれるものもある。
   しかし、先日、随分撮り貯めたソニーのHi8 ビデオを再生しようと思って、レコーダーにかけたら、劣化して雨が降って、総てパーであったので、殆どがダメであろうとおもうと、残念ではある。

   さて、その写真だが、ヨーロッパのものでも、古くなると、もう三十年以上前の写真になるのだが、その前のアメリカやブラジル、そして、中南米の写真になれば、もっと古いし、文革が終わって門戸を開いた最初の頃の北京の紫禁城内の写真などもある。
   若かった所為もあるが、撮影禁止は避けつつも、結構、大胆にシャッターを切り続けたので、面白い写真も残っていると思うのだが、今でも、結構やることがあって忙しいので、ネガを整理して思い出に耽る余裕がない。
   丹念に撮り続けた家族写真は、かなり、その都度整理しており、100何十冊かのアルバムに残っているのだが、それさえも、じっくりと見る機会がない。
   しかし、その機会を逃すと永遠に忘却の彼方に消えて行くので、写真は撮っておくべきだと思っている。
   先日、孫に、自分より幼い頃の自分の母親の写真を見せたら、感慨深そうに眺めていた。

   ところで、最近は、生活空間も狭くなってきたので、写真の機会も限定されてきて寂しい限りだが、幸い、庭には、季節の移り変わりに応じて、花木や草花が微妙に姿を変えながら、楽しませてくれるので、パソコン叩きや読書に疲れると、カメラを取って、庭に出る。
   デジカメであり、総てカメラ任せでも、まずまずの写真が撮れて、殆どコストがかからないので、私の格好の気分転換になっている。
   その気になれば、カメラを抱えて、バスに乗って、鎌倉の古社寺散策を決め込めば良いのである。
   
   
   
   
   
   

(追記)この花の写真は、もう何十年前の銀塩カメラ時代のレンズを、デジカメ一眼に付けて撮ったものである。
クラブアップル、ミヤコワスレ、トキワマンサク、ボケ
   
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フラワーセンター大船植物園・・・モミジ、シャクナゲが美しい

2017年04月19日 | 鎌倉・湘南日記
   先週、フラワーセンター大船の桜について書いたが、この日、桜だけではなく、新緑が映えて美しかったし、シャクナゲが、極彩色の美しい風景を現出していた。
   一週間前なので、大分、フラワーセンターの花風景は、変わっているかも知れない。

   まず、私が真っ先に行くのは、椿園。
   もう、最盛期は過ぎたのか、パッとしなかったが、一輪一輪撮ったショットは次の通り。
   
   
   
   
   
   
   

   この椿園の道を隔てた対面の小高くなったモミジ山が、芽吹いた新緑のもみじが萌えていて、非常に美しく輝いていた。
   梅ヶ枝と言うモミジは、芽吹き始めから鮮やかな赤色で、あたかも、秋の紅葉のような風情で、他のモミジの新緑とのコントラストが美しい。
   他にも、暖色系統の芽吹きのモミジも混在していて、そのグラジュエーションが、陽を浴びて輝いている。
   アメリカ赤花トチノキが、モミジに交じって咲いている。
   
   
   
   
   
   
   
   
   

   その下草の花壇には、咲き残りと言った野性的な雰囲気で、草花が咲いていて、一寸したムードを醸し出していて面白い。
   ムサシアブミなど興味深い植物が、顔を覗かせている。
   
   
   
   
   
   

   モミジ山の外れに、シャクナゲもどきが咲いていた。
   それに、今は、桃の季節で、桜とのコントラストが美しい。
   
   
   
   

   シャクヤク畑は、まだ、花は咲いていなかったが、牡丹園では、黒皮紅が、綺麗に咲いていた。
   咲き始めの牡丹もあったが、もう、一週間経つので、他にも咲き始めているかも知れない。
   その隣では、つつじが咲いていた。
   
   
   
   

   もう、一つ面白いと思ったのは、盆栽コーナーの花木が、リンゴなど綺麗な花を咲かせていて、綺麗であったこと。
   
   

   何と言っても、今の花盛りは、シャクナゲ。
   つつじやさつきの仲間であろうが、木が大きくて、大型の花がびっしりと咲くので、豪華さが違って、とにかく、目立って風景を圧倒している。
   キューガーデンなど、イギリスの公園や植物園でも、派手に咲いていたのだが、私の好みではないが、春の代表的な花なのであろう。
   
   
   
   
   
   
   
   
   
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わが庭・・・天賜、紺侘助、黒椿、ダローネガ、エリナカスケード咲く

2017年04月18日 | わが庭の歳時記
   一気に陽気が良くなって、椿が咲き誇っている。
   口絵写真は、鎌倉彫の一輪挿しに、卜伴と式部をディスプレィしたのだが、エレガンス・シュプリームやエリザベス・デービスだと、花が大輪過ぎて、アンバランスで、侘助椿だと、花が小さすぎる。
   咲き切った椿の花弁を、一輪ずつ、猪口に載せて、並べて飾ることもあるのだが、椿は、どこにおいても絵になって良い。

   どんどん、椿が咲き続けている。
   エリナカスケードだけは、千葉から持ってきて移植した椿で、大分、大きくなって門外の花壇で、咲き誇っている。
   ほんの1~2センチの小輪で、ユキヤナギや紫式部のように、伸びた枝を垂らして咲き乱れていて、優雅である。
   
   
   
   
   
   
   他の椿は、最近、通販や大船フラワーセンターで、買った新しい椿で、まだ、庭植して間もないので、ほんの数輪しか咲いていない。
   天賜は、懐かしくなって買った椿で、底白のピンクが何となく匂うように美しくて、その儚さのような雰囲気が良いのである。
   花富貴と似たピンクの優雅さは、赤い椿とは一寸違った味がある。
   
   
   
   
   
   

   黒椿は、同類の洋椿のブラックオパールやナイトライダーを育ててきたが、中々、難しいと言う印象なのだが、これは、適当に育ちそうである。
   紺侘助も、黒椿に似て、深い深紅の椿で、小輪ながら、花付きが良い。
   
   
   
   
   
   

   やや、クリーム色がかった白い椿のダローネガは、何輪か咲いたのだが、雨と風にやられて、すぐに花弁が黄変してしまって、可哀そうであった。
   加茂本阿弥や白羽衣、一休、白侘助など、白い椿を育ててきたが、バラ同様に、白い花は、痛みが早いので、可哀そうで、私との相性は良くない。
   しかし、白羽衣は、千葉の庭の玄関先で、大きく育って、毎年、優雅に咲き乱れて楽しませてもらった。
   実生苗を庭植しており、一本でも咲いてくれれば、嬉しい。
   白い椿は、今、エレガンス・シャンペンが咲いている。
   
   
   
   
   
   わが庭の花だが、ハナカイドウが、激しい風雨に痛めつけられて、殆ど終わりだが、優雅に咲いて楽しませてくれた。
   
   

   代わりに、クラブ・アップルの花が、一斉に咲きだした。
   そして、平戸つつじ、ドウダンツツジ。
   
   
   
   
   

   下草には、フリージャ、菜の花、スミレ、カラスノエンドウ、ミヤコワスレ、オダマキ・・・
   わが庭も、少しずつ賑やかになってきた。
   バラ、牡丹、シャクヤク、シャクナゲ、ユリ、アジサイ・・・、しっかりと蕾をつけて、スタンドバイしている。
   しみじみと、花の美しさ、その神秘に感動しながら生きる歳になったことを、喜ぶべきか、不思議な思いである。
   
   
   
   
   
   
   
   
   

  
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例年通り、トマトをプランターに植える

2017年04月17日 | ガーデニング
  毎年、庭にプランターを並べて、トマトを栽培している。
  以前は、このブログで栽培記録を書いていたが、毎年のことで、新鮮な話題があるわけでもなく、昨年から止めた。
  今年は、まず、通販でトマト苗を手配して、4月苗を送ってもらい、植え始めることにした。
  これまで、随分いろいろなトマトを植えて来たが、大玉トマトは、結構難しいので、途中で止めてしまい、最近は、ミニトマトが主体である。

  買ったトマト苗は、 
  ミニトマトは、アイコのレッドとイエロー、イエローシュガー、クリスタルキャンディ、ゴールデンスイートの計21本、
   中玉トマトは、フルティカRP、華ロマン、華小町Rの4本、しめて、25株である。
   今までに、植えた経験のあるのは、レッドとイエローのアイコ、そして、フルティカであろうか。
   他のトマトは、別に特別な趣向があるわけではなく、ネットカタログで適当に選んだ。
   5月に入れば、また、新しいトマト苗が欲しくなって買い増すので、庭中、トマトプランターだらけになって、家族の顰蹙を買いそうである。

   これまでは、タキイやサントリートマトを栽培することが多かったのだが、代わり映えせず新鮮さに欠けるし、ケーヨーデイツーの店頭で買ったのは、当たり外れが多くて信頼性に欠けるし、デルモンテも色々試みたが特別にどうと言うこともないし・・・
   今回は、他の花木などでも通販で使っていて、オリジナルブランドがあるわけではなく、どこの作出トマトでも売っている国華園の通販で、接木苗ばかりを買った。
   選り取り商品と言うことで、注文数が増えると適当な値引きのある商品だが、総てF1接木苗で、均せば、単価320円ほどで、まずまずの値段であろうか。

   プランター植えと言っても、新しく買うのは、トマト苗と培養土だけで、プランターや支柱などは、これまでのを使えばよいので、コストは、たいしたことはないのだが、考え方によったら、トマトを、直接、スーパーで買った方が安いかも知れない。
   しかし、そこが、趣味たる由縁で、上手くいけば、庭での完熟トマトは、けた違いに甘くて美味しい。

   糖度はまずまずなのだが、楕円形のやや大ぶりのアイコトマトは、気に入っていて、最初から、毎年、定番として必ず植えているのだが、可笑しな話だけれど、通販通の私でありながら、作出社のサカタからは、今までに、苗木を一本も買ったことはない。
   このアイコだが、何故か、同じ種である筈でありながら、買った店によって、育ててみると、味や植生などにばらつきがあって、その違いに驚いている。

   今回は、国華園の接木苗であり、タキイ同様に、花木や草花や野菜苗などでは、信用している通販なので、まずまず、それなりのトマトが収穫できるだろうと期待をしている。
   気候が異変を起こすと、8月頃で打ち切らざるを得なくなるが、どこまでやれるか、疫病にやられないことを祈って、栽培を続けたいと思っている。
   
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鎌倉便り・・・光則寺のハナカイドウ

2017年04月16日 | 鎌倉・湘南日記
   光則寺の門前には、丁度、ソメイヨシノが満開である。
   しかし、境内には、珍しく、桜らしき木はない。
   

   光則寺のハナカイドウは、本堂前の右側に傘を開いたようにピンクの花を咲かせている。
   樹齢200年とかで、鎌倉では最も大きなハナカイドウで、鎌倉市指定の天然記念物である。
   大きな根元は、朽ちて二股に分かれていて、その夫々が、笠のように設えられた大きな竹の支柱に支えられている。
   花の最盛期は過ぎたようで、根元に花びらが敷き詰められていた。
   妙本寺のハナカイドウも、強風に煽られると桜吹雪のように散っていて、それなりに風情はあったのだが、やはり、花を観賞するのには、満開前の7~8分咲くらいが、一番良い。
   日本人は、満開満開と言うが、中国人のように13夜の月を愛でる気持ちの方が、私は正解だと思っている。
   光則寺に着いたのは、曇天で夕刻でもあって、陽が陰っていて薄暗い感じであったので、残念ながら、くすんだ冴えない花の写真しか撮れなかった。
   
   
   
   
   
   
   

   この寺は、境内が狭くて、花木が密集して植えられているので、梢越しにハナカイドウを眺めるのも面白い。
   
   
   
   

   この寺のハナカイドウの咲き具合など、近づいてみると、結構面白い。
   
   
   
   
   
   
   

   境内には、他の花も咲いていて、面白いのだが、ハナカイドウのように、突出した花がないので、境内を歩いていて気が付くと言った感じである。
   池畔に、大きな真っ白のシャクナゲ、ミツマタ、桃、椿・・・と言ったところであろうか。
   
   
   
   
   
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鎌倉便り・・・妙本寺のハナカイドウと桜

2017年04月15日 | 鎌倉・湘南日記
   鎌倉の桜も素晴らしいが、もう少し、繊細で優しい感じのハナカイドウも、匂うようなピンクの花をたわわにつけて咲き誇る姿も捨てがたい。
   わが庭のハナカイドウも、今盛りなので、とりあえず、妙本寺のハナカイドウを見たくて、鎌倉駅に向かった。
   安国論寺のハナカイドウも有名であったが、古木が枯れて、今は、か細い二代目になっており、他に名木の光則寺や海蔵寺のハナカイドウと比べても、この妙本寺の祖師堂前に咲き乱れる3本のハナカイドウが、一番見事である。
   祖師堂に向かって、左手に二本並んでいて、手前に枝垂れ桜が植わっているので豪華である。
   一方、右手に一本、その後ろに二本の八重桜、裏手に緑の鬱金が植わっていて、情趣を添えている。
   
   
   
   
   
   


   日当たりの良い左手のハナカイドウは、やや盛りを過ぎて、少し散り始めているのだが、右手のハナカイドウは、新鮮であり、その背後に植えられている小木のハナカイドウは、花付きもちらほら咲きだが、匂うように美しい。
   夫々のハナカイドウの雰囲気を接近して示すと、次のとおり。
   
   
   
   
   
   
   

   接写すると、もう少し、非常にナイーブで繊細な花であることが良く分かって面白い。
   
   
   
   
   
   
   
   
   

   さて、妙本寺の桜だが、二天門の左手後ろに、大きなソメイヨシノが植わっていて、もう、すでに、大分散っている。
   最盛期なのは、その後方、祖師堂前の枝垂れ桜で、ハナカイドウと妍を競っている。
   
   
   
   
   

   まだ、五分咲き程度だが、右手ハナカイドウ脇の枝垂れ桜が美しい。
   写真を撮っていて、咲いた花を探していたのだが、気の所為か、暖かい所為か、帰る時には陽があたった、急にほころび始めた感じであった。
   
   
   
   
   
   

   一本、鬱金桜が、咲いていた。
   小さな木で、花が緑色で葉っぱと変わらないので、好事家か、園芸ファンでないと殆ど見過ごすのだが、淡い緑の桜の清楚さは、捨てがたい。
   八重桜の写真を撮っていたら、お花の先生だと言うチャーミングなレディが話しかけて来て、そばにいた婦人も加わって、緑の桜について話が弾んだ。
   緑の桜は、先日書いた御衣黄のほかに、黄桜があるのだが、まだ、見たことはない。
   
   
   

   この日、本覚寺で、椿を追っかけて写真を撮っていた白人の若い女性が、この妙本寺でもハナカイドウの下で一眼を構えていたので、小休止した時に話しかけたら、デンマークから来たのだと言う。
   来年は、京都と奈良を訪れると言うので、何故、日本なのだと言ったら、理屈抜きで、とにかく、日本が好きだと言う。
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