熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ドラッカー・20世紀を生きて・・・(その1)「マネジメント」が経営学の幕開けか

2005年09月30日 | 経営・ビジネス
   日経に掲載されていたピーター・ドラッカーの「私の履歴書」が単行本になって書店の店頭に平積みされている。
   ガルブレイスの「私の履歴書」とともに、二人の著書は、私の学生時代の貴重な愛読書でもあったので、心して読んでいた。
   
   一世を風靡して、正に、ドラッカーを東西一流の経営学者に祭り上げた1973年出版の著書「MANEGEMENTマネジメント」の初版本が,私の書架に残っている。残っていると言うのは、足の踏み場もなくなったので、留学時代の原書を殆ど処分してしまったからである。
   今見ると、839ページある大著のあっちこっちに、黄色いマーカーで埋め尽くした跡が残っていて、実に懐かしい。

   しかし、日本ではあまり知られていないが、1970年代初め、あの頃のアメリカでの最高の経営学者は、恐らく、アーネスト・デール(ERNEST DALE)であった。
マッキンゼー・ファンデーション・ブック賞を取ったMANEGEMENT:THEORY AND PRACTICEは、既に、3版を重ねていて、多くのビジネス・スクールで教科書の決定版としてとして使用されていたし、デール自身アメリカ経営学会の会長を歴任していた。
   私は、友人とデール教授の研究室を訪ねた。当時は、名誉教授になっていたので、ウォートン・スクールでも、残念ながら講座がなくて授業を受けられなかった。
   研究室は、まだ、古いバーンス・ホールの方だったので2~3坪くらいの質素な小さな部屋であった。
   余談ながら、ロンドン・スクール・オブ・エコノミックス&ポリティックスの森嶋通夫教授の研究室の方は、これより、まだ小さかったし、殆ど書籍を並べる書架さえ限られていたと思うが、何度かお邪魔して伺ったお話は、限りなく豊かで楽しかった。   大学の教授の研究室だが、恩師岸本誠二郎教授や同期の教授の京大の先生の部屋を見ているが、ここの方が広くて豊かかもしれない。 

   デール先生は、私の持っていった本にサインをしてくれた。
   TO H. NAKAMURA
   WITH BEST WISHES FROM ERNEST DALE
   3/28/1974 y

   本には、私のメモが残っている。
   研究室には、ケインズはじめ師や友の写真が飾ってあり、沢山の専門書の中に、トルストイ全集が並んでいたのが印象的であった。 
   1974.3.28
   ケインズの話を懐かしそうに話していたのを思い出す。

   ところで、デールの『マネジメント』であるが、当時の経営学を集大成して論じており、環境汚染等の企業の社会的責任やヨーロッパECマーケット拡大と多国籍企業の問題、コンピューター革命等々今日の問題にも踏み込んだ体系的な経営学書である。
   日本では、ドラッカーが経営学を体系化したように言われているが、贔屓の引き倒しで、当時のアメリカのビジネス・スクールの経営学は、極めて水準が高かったのである。

   さて、ドラッカーであるが、やはり、長期に亘って世界最高の経営学者(と言うよりは、文明史家・思想家)の1人だと思っているし、老齢に達した今も極めてフレッシュで革新的な理論と名言を呈しているので感嘆している。
ところで、この自伝は、日頃慣れ親しんでいるドラッカーの経営学や文明史観等とは違って、ドラッカー学の舞台裏を垣間見せてくれているので実に面白い。
   人間ドラッカーを浮彫りにしながらドラッカーを語り、更にドラッカー学を豊かにしている。
   今回、特に、編集・翻訳の牧野洋氏が、「私の履歴書」で収容できなかった興味深い話題を、訳者解説として追加しており、これがまた、実に興味深くて面白く、本書の価値を高めている。

   いつも感じているのだが、ドラッカーが、文明と文化の十字路ウイーンに生まれ育ったと言うことが大きいと思うが、ヨーロッパの激しい政治の動きに翻弄されながら、ハプスブルグの黄昏とヒットラーの台頭を感じて故郷を捨てる決断力等など面白い話については項を改めたい。

(追記)昨夜、NHKホールで、バイエルン国立歌劇場オペラ・ワーグナーの「ニュルンベルグのマイスタージンガー」を観ていて、BSハイビジョンで放映された阪神・巨人戦を見られなくて阪神優勝の瞬間を楽しめなかった。
   残念ではあったが、この5時間40分のワーグナーのマイスタージンガーは、凄い迫力のある素晴しい舞台で感激一入。胎動期のドイツの文化運動のうねりに感激して、ドラッカーの世紀末的なウイーンを思い出していた。
   

   
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ネット・ショッピング、そして通販・・・商業及び流通革命の華?

2005年09月29日 | 生活随想・趣味
   イトーヨーカドーの鈴木敏文会長が、スーパーやコンビの成長鈍化について質問された時に、その競争相手として通販を挙げていた。
   それはそうであろう、とにかく、 メーカーと直結しておれば店舗も在庫もいらないし、オーバーヘッド・コストなど極端に低減できるし、とにかく安い。
   ネットショッピングなら、翌日、品物が届くことも稀ではない。
   それに、クロネコヤマトのお陰で、運送費が極端に安くなって、クール便であろうと何であろうと至れり尽くせりの配達体制を取ってくれていて、全くの不安がない。

   通販と言っても多種多様で、カタログ販売からテレビ・ショッピング、それに、ネット通販等々色々あるが、私自身は、この通販を結構利用している。

   例えば、本であるが、普通の書店や神保町で買う場合がやはり多いが、アマゾンや紀伊国屋、旭屋、三省堂等のネットショップで買うことも結構多くなってきている。
   特に、専門書や特殊な本は限られているし、それに、探す手間隙を考えれば、ネットショッピングに限る。アマゾンなどは、1,500円以上なら送料無料ですぐに送ってくれる。それに、洋書などは早い上にディスカウントしていて、丸善より遥かに安い。
   DVDのソフト等は、まず、20%引きなので、総てネットショップで買っている。
   
   私がネットショッピングを始めたのは、外国のオペラのチケットの手配からである。
   とにかく、チケットの手配が可能かどうかから注文内容をその場で確認できるし、まず間違いがないし、その場で座席の位置まで確定できる。
   メトロポリタンやロイヤル・オペラ、スカラ座は勿論、プラハの国立劇場などのチケットも全く問題なく手配できており、今までに全くトラブルはない。

   ところで、品物が良く分かっていて型番等決まっている電化製品等はネットショッピングに向いている。
   例えば、テレビやパソコン、デジタルカメラ等は、まず、価格を調べる為に、インターネットで価格・comやconeco.net価格比較サイトを開いて、その商品のページを開けば、一番安い店は何処で価格はいくらか等詳細はすぐに分かる。
   ヨドバシカメラでもビックカメラでも、ネットショップの方が店頭より安いことが多い。
   私自身、楽天や価格・コムで調べた店から、これ等のコンシューマー・エレクトロニクスを買っているが、結構満足している。
   ワインも、最近は、ネット・ショッピングに変えてから、色々なワインを楽しめることが出来るようになって喜んでいる。近くのディスカウントショップよりグンと安いし、逸品がすぐに手に入る。

   問題は、クレジット・カードなどの情報を先に届け出るのでトラブルが起こらないかと言う心配であるが、私の場合は、幸いに何も問題は発生していない。
   このクレジット・カードについては、何枚ものカードを、長い海外生活と出張等の海外での使用を含めて何千回、いや、恐らく万を越える使用回数だと思うが、問題はなかった。もっとも、使用と管理には、細心の注意は払っていたが。

   何れにしろ、売り手から、ヒューマン・タッチのサービスを期待しないのであれば、同じものが、安く敏速に手に入るなら、ネット・ショッピングに選る物はないと言えるのではなかろうか。

   恐らく、さらに、ネット・ショッピング環境が整備され、ねっと・ショップのサービスが向上すれば、百貨店やスーパー、コンビニや専門店等々の実際の店舗から相当数の客がネットのバーチャルな店舗へ移るだろうと思われる。
   安さ、そして、便利さから言っても、スーパーやコンビニの強みはなくなってしまったのである。
   リアルからバーチャルへ、商業、そして、流通革命が急速に、生活習慣や生活スタイルまで変えてしまうのである。
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イノベーション・ジャパン2005・・・野依良治博士の真摯な提言

2005年09月28日 | 経営・ビジネス
   今回のフーラム・大学見本市とは直接関係がないが、『イノベーション・ジャパン2005」の公式ガイドブックに、野依博士の素晴しいインタビュー記事「産・産連携をもっと活発に 学術の「独立性・中立性・公開性」確保を』が掲載されているので、感想を記してみたい。

   産学と言うよりは、産・産連携の為に結成した勉強会「野依フォーラム」について、「国内協調、国際競争」が国益の基本であるとして、参加者の会社の経営者に、次代を担う研究者にもっと自由にやらせて欲しいと了解を取り付けた。
   産業界の将来の研究リーダーは、世界の研究者から一目置かれ、尊敬の念をもたれる様な人であり、国際人としてビジョンを語れる人でなければならないと言う。
   このブログでも触れたが、日本から出発してゆくウォートン・スクール(世界屈指のビジネス・スクール)の新入生が殆ど外国人で日本人が僅かになり、日本人の留学生が激減している。同じことを野口悠紀夫教授が、スタンフォードへの日本人留学生数が激減して中国や韓国留学生の数分の1になっていると報告している。
   企業が貧しくなって留学生が送れないのか、日本の若い人たちが留学する気がなくなったのか。
   経験から言っても、世界のトップクラスの大学・大学院に留学して、同じ土俵で世界の頭脳と切磋琢磨するのが一番良い方法だと思うのだが、益々、世の中の動きは逆行している。

   次に重要なポイントは、地球規模の問題の解決には、エネルギー・資源、環境問題、医療や福祉の問題等どれをとっても科学技術が必要だが、必ずしも短期的に採算の取れないものが多い。
   これ等の分野は、これ等の重要な科学技術に支えられており、人類生存の為、高度な文明社会を維持してゆく為には、必要不可欠である。
   「責任科学」として、これ等の産業技術の振興の為に、規制や税制等官のサポートが必須である、と言う。
   この問題については、経済社会制度面から、西村清彦東大教授が、「日本経済 見えざる構造転換」の中で、私的収益性が低いが、社会収益性が高くて人類の幸福や社会の発展の為に貢献するようなプロジェクトを推進する為に、公的資金と私的資金を融合した民間主導の「社会投資ファンド」システムの創設を提言している。
   クールビズやアスベストに現を抜かしている間に、地球船宇宙号は危機に直面している。
真剣に、経済社会の活性化のためにも、この方面の科学の積極的な振興と経済社会体制の整備が急務であると思われる。

   国家財政から支援を受けている大学は、社会還元と社会全体への貢献は当然で、産学連携も広く公益の為でなければならない。
   特に、研究の商業化や営利主義化には注意が必要で、秘匿主義、利益相反、実験結果の操作、公表の抑制等は断固排除すべきである。
   学術研究は広く公開し、その中から企業が成果をピックアップして産業化してゆく、これが、本来あるべき姿である。
   経済的自立を求めて、精神的自律を失ってはならない。学術研究は、本来何物からも独立し中立でなければならないし、公開性を損なってはならない、と強調されている。
   しかし、この点は、企業の立場からは、企業秘密として秘匿し、差別化したイノベーションを追及して競争会社を出し抜きたいのが本音であり、どう利害の調整をするのであろうか。
   それに、資金的に余裕のある大企業が産学・科学技術コンプレックスを形成したらどう対処するのか、難しい判断に迫られる。

   最も重要な問題点の指摘は、物質的、経済的側面ばかり強調されて、世界中の国々が長年培ってきた文化を蹂躙しつつあるのではないかと言う危惧である。
   科学技術は文明の礎、学術は文化の礎である。
   科学技術と学術とは決して2項対立ではなく、文化を尊重する文明を作って行かねばならない。学術よしっかりせよと言いたい、と仰る。

   私なりに解釈すると、科学文明と文化の発展段階の乖離、即ち、自然科学的な学問が重視されて隆盛を極めているが、分科系や社会科系の学問領域、考古学、哲学、文学、芸術、宗教、政治・経済・経営・社会等の、本来人間の精神を高揚し豊かにする分野が弱くてバランスを欠き爬行現象を起こしていると言うことであろうか。
   しかし、自然科学的な学問は、知識の蓄積が可能で、過去の知識の積み重ねの上からスタートして限りなく発展を遂げられるが、分科系や社会系は、その高みから次の高みへは進めない。
レオナルド・ダ・ヴィンチやシェイクスピアは、それが頂点であり、ベートーヴェンやモーツアルトも然り、後世の芸術家はそれを越えられないし、釈迦やキリストをも当然凌駕不可能である。
ある意味では深遠だが、頂点のない、発展のない世界なのかもしれないのである。

   野依博士は、研究を、学術研究、戦略研究、委託研究と3分割されて、戦略研究や委託研究ばかりに政府の予算がつくからだと仰っている。
   湯川博士が中間子の研究をしたのも、福井博士が「フロンティア分子軌道理論」を研究したのも、自身の精神の高揚のため、「内なる確信」に基づいた、純粋に学術を進歩させたいと言う思いからで、国の方針と関係ない。科学者の誇りと気概の問題だと言われている。
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イノベーション・ジャパン2005・・・大学の「知」で新産業創造

2005年09月27日 | 経営・ビジネス
   今日から3日間、東京フォーラムで、産学官の技術連携をテーマに「大学見本市」が開かれている。
   地下のホールでは、大学を中心に、産業及び官庁が協力して、「ナノテクノロジー・材料、ライフサイエンス・バイオ、医療・福祉、IT、環境・エネルギー、製造技術・ロボット、知財本部」に分かれて、展示会や新技術説明会が行われている。
   
   日本の更なる経済社会の発展の為に、大学の優れた知の創造・技術革新のシーズを、社会のニーズに合わせて企業が活性化し事業化する、そのマッチングの機会を官のサポートにより効率よく実現するするためにはどうするのが良いのか、そんな問題意識での産官学の協働の模索である。
   
   かっての産学間における技術移転は、「学」から「産」への一方通行であったが、今日では、大学と企業とが、イノベーションの初期の段階から、包括的な技術契約を結んで、共同で知識を交換する場を設けて開発する等、継続的な協働が恒久化して来ている。
   アメリカのIT革命は、正に大学発のベンチャーが始動し、産学の協働による技術革新と新産業革命の幕開けであったが、日本も、特に国立大学の法人化以降、大学からのベンチャーが動き始めている。

   同時に開かれたフォーラムの基調講演は、日立の庄山悦社長の「ユビキタス情報社会をイノベートする産学官連携」で始まった。
   1910年に日本で始めて5馬力のモーターを作り出した日立も、元々はベンチャー企業であり、日本の製造業は、このような限りなきベンチャー精神を発揮して、世界の強豪を相手に革新的な技術の開発に邁進しながら今日の技術王国日本を築いてきた。

   庄山社長の強調したのは、創業の志は「自前主義」であったが、今日では、産官学の連携と社会との協創が必須だと言うこと。特に、大学との包括的連携を強化して、価値の協創、即ち、共同の研究成果を事業化して、差別化による創業者利潤を追求することが重要だと言う。
   現在開発中のHD DVDに触れて、ナノテク技術の超先端性を行くものだと説明する。
   ゴルフで言えば130キロ向こうにホールインワン、ジエット機で言えば0,6ミリでテイクオフするようなもので、アメリカ全土を高度3センチにフラットにする様な途轍もない技術だと言う。
   その後、マイクソフトとインテルが、このHD DVDシステムを導入することに決定したという報道がなされて、日立・東芝・NEC陣営が、更に優位に立った。

   同時に、ブルーレイ陣営のソニーの中鉢社長が、ブルーレイとHD DVDシステムとの統合を断念したと報道した。
   中鉢社長は、技術はブルーレイの方が上だと言うが、ダブル・スタンダードになれば、ユーザーは如何に泣くか、ご存じないのであろうか。
   ソニーファンの私は、ベータ方式のレコーダーをイギリスにまで持ち込んで愛用し続けたが、ソフトも貧弱化し、テープも無くなり、精根尽きて膨大な録音テープと機材を泣く泣く捨てた時のあの無念さ。
   本田宗一郎社長は、亡くなるまでベータに操を捧げたというが、私には出来なかった。
   残念だが、マイクロソフトとインテルがHD DVD方式を取ると決めた以上、ブルーレイを買うのを止めざるを得ない。

   話が横道にそれてしまったが、イノベーションと言う言葉でいつも気になるのは、「イノベーション」と言う言葉の理解である。
   日本語で、イノベーションを「技術革新」と言う言葉に置き換えてしまったので、今回のこの重要な「イノベーションジャパン2005」も間違いなく技術革新とと言う共通認識で進められているが、これは、イノベーションの元祖・シュンペーターやピーター・ドラッカーの意図するイノベーションとは違っている。
   
   本論に入ると長くなるのでシュンペーター理論の核心部分だけ記しておきたい。
   「経済発展の理論」の中で論じているが、「この世界は、いち早く新しい可能性に気付き、それを実行に移そうとする企業家によるイノベーション(新結合)の遂行によって破壊され(発展す)る。(これが、経済発展の創造的破壊理論)」
   企業発展を策する企業家(アンテルプルヌール)を、「イノベーションの遂行を自らの機能とし、その遂行に当たって能動的要素となるような経済主体」だと言っているが、要するに、リスクをとってイノベーションを事業化して創業者利潤を追求する事業家を言うのである。
   イノベーションをシュンペーターは次のものだとする。
(1)新しい財貨の生産
(2)新しい生産方法の導入
(3)新しい販路の開拓
(4)原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得
(5)新しい組織の実現
   従って、技術革新は上記の(1)であり、例えば、ユニクロが、中国で衣料品を製造して日本で安売りしたのも、イノベーションなのである。

   まあ、シュンペーターがどう言おうと関係ない、日本ではイノベーションは技術革新なのだ、と言うならばそれも良し。
   しかし、それだと、シュンペーターの忠実な信奉者ドラッカーの経営学が理解できないであろうと思っている。
   

   
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世界への旅立ち・・・スペイン、中世が息づく街並

2005年09月26日 | 海外生活と旅
   古い旧市街が残っている都市はヨーロッパには多い。
しかし、大概、よく保存された小さな旧市街の周りに新しい都市が出来ていて、旧市街は観光目的の為に残った博物館地区と言う感じがして何となく違和感を感じることがある。
   ところが、スペインの場合は、旧市街がそのまま今も現役で、庶民の生活の舞台となっていて、新旧入り混って息づいている感じがする所が多い。

   随分前になるが、出張時の週末に、車で、マドリッドを離れて、カステリア地方の北部、アビラを経てサラマンカに行き、取って返してセゴビアまで旅をしたことがある。
サラマンカは、学術都市として可なり人口がある大きな都市だが、アビラやセゴビアは、こじんまりした古い街で、起伏のある細い迷路のような旧市街の路地を歩いていると、自分がヨーロッパの時代劇映画に登場している様な錯覚に陥ることがある。

   まず、最初に北に車を走らせてアビラに向かった。
   街道から市街に入る入り口を少し通り越した所にクワトロ・ポスタ(4本柱)と言う展望所があり、そこからアダハ川越しに、城壁に囲まれたアビラの街が展望できる。
   砂漠の様に緑けが乏しく赤茶けた大地に立つ全長2.5キロ、88の防塁、9つの城門のある城壁で囲まれた都市の姿は壮観である。
   私が一番興味深かった城塞都市は、フランス南部のカルカソンヌであるが、ここは、もう少し旧市街に傾斜があって、城門を潜ると少し登る感じであり、遠くからは軍艦の様に浮かび上がって見える。
ヨーロッパには可なり城塞都市が残っているが、見ると何故かワクワクする。
   所で、この騎士の町アビラのカテドラルは、城壁にくっ付いて立っていて、シモーロと言う後陣が少し城壁から飛び出して居るが壁が城壁と一体となっていて外からは砦の様に見える。

   更に北に走るとサラマンカに着く。マドリッドから230キロくらいなので渋滞がなければ3時間くらいの車旅であるが、全くの田舎道で、少し寂しかったのを覚えている。
   私がサラマンカを訪れたかったのは、サラマンカ大学を見たかったからである。
   この大学は、1212年に設立されたスペイン最古の大学で、メキシコを征服したコルテスやあのドンキホーテを書いたセルバンテス等も学びに来ている。
そして、コロンブスもアメリカ大陸発見前に、天文学の教授に会うためにここを訪れたという。
   大航海時代の幕開け時代には、学問と文化・知の中心であり、スペインの黄金文化を開いた担い手でもあったのである。

   昔、大学の教壇に立って当時元気だった思想家羽仁五郎が、学生運動について檄を飛ばしていたが、何を聞いたのか総て忘れてしまったが、一つだけウニベルシタス(大学)について語ったのを覚えている。
   世界最古の大学は、イタリアのボローニア大学(創立1088年)で、最初は、勉強をしたい学生の組合としてスタートして、その道に秀でた先生を学生達が探し出してその先生に教授を頼むと言った形式だった様である。
   その後、パリ、サラマンカ、オックスフォードと大学が設立された。
その後、ヨーロッパ中に大学が広がっていったが、ルネッサンス、航海時代、新世界の発見、近代・近世、と人類の歴史と科学文化の発展に寄与した大学教育の力は大きい。
   日本では、北大くらいしか大学が観光地になっていないが、欧米では、大学は、必ず観光地として組み入れられていて極めて重要な観光資源である。
ケンブリッジやハーバードなどでも結構観光客が多い。

   ところで、サラマンカ大学であるが、建物は、プラテレスコ様式と言う極めて精緻で豪華な美しいファサードで装飾されていて実に素晴しい。
   壁の色は、ピンクと言うよりは常滑の陶器の色に少しオレンジをかけて明るくした感じの色であろうか、それが、夕日を浴びて輝くと本当に美しい。
   門の正面のファサードの精巧な彫刻の中に、髑髏の彫刻があり、その髑髏の一つの頭に小さな蛙が乗っている。これを見つけると試験に合格するとか幸運が来るとか、とにかく、必死になって探す観光客も結構多いのが面白い。
   教室など当時のままで、枕木様のイスや机がそのまま残っている。

   この街には、12世紀に建った旧カテドラルに16世紀に建てられた新教会が被さった様な建物があるなど興味深い歴史建造物が多いが、旧市街全体が世界遺産になっている。
   私は、街の外に宿を取ったのが幸いして、霧雨が降ったお陰で、この小高くなっている新旧教会の上から町全体に二重に美しい虹が架かったのを見ることが出来た。

   長くなってしまったが、セゴビアも実に素晴しい街である。
   街外れに今も現役の素晴しいローマの水道橋がそそりたっている。
   街の中に、ディズニーの白雪姫のモデルになったお城アルカサールがある。ここから、下を見下ろすと、13世紀初めに聖堂騎士団が建立した小さな多角形の教会が荒野の中に立っていて何故か感慨を誘う。
   セゴビアで思い出すのは、古風なレストランで食べたコチニージョ・アサードと言う子豚の丸焼き料理の実に美味しかったこと。
   母豚の母乳だけで育った生後20日以内の子豚の丸焼きとかで、こんがりと焼きあがった皮に、とろける様な脂肪分の肉の味は、素晴しいスペインの赤ワインとの相性が良く格別の味である。
   スペインでは、とにかく、精力的にミシュランの星のレストランを回ったが、やはり名物料理には勝てない場合があることが分かった瞬間であった。
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世界への旅立ち・・・スペイン、イスラムの残り香

2005年09月25日 | 海外生活と旅
   この写真は、スペインのトレドの絵で、ブラジルの日系の女流画家が描いたもので、サンパウロで買った。
   ブラジルの北部バイヤ地方の色彩豊かな民族衣装を着けた女性の絵を得意としていたが、個展でこの絵だけが変わっていたので、迷わずに買った。
   トレドを訪れた時に感激したので、一寸メルヘンチックに描いたのだと言っていた。

   この絵のトレド風景が見える場所には、トレドの街を離れてタホ川を渡って対岸の丘の上のパラドールまで行かねばならない。
   私が、そこからトレドを眺望したのは、ずっと後になってからであるが、霧に霞んで墨絵の様に幻想的であった。
   ローマ人によって基礎が置かれ、イスラムからキリスト教へと歴史の変転を繰り返してきた古い都なので、とにかく、異文化の坩堝で、中世がそのまま残っている博物館の様な佇まい、それが無性に旅情をそそる。
   三方を切り立ったタホ川の渓谷に囲まれ、背後に城壁を築いた要害の街であるが、裏の路地などに紛れ込むとタイムスリップした様な錯覚に陥る。
   一番印象に残っているのは、カテドラルの主祭壇の裏にあるトランスパレンテで、大理石、ブロンズ、アラバスター等の華麗な彫刻に装飾された洞穴の様な明かり窓で、頭上から天国からの燭光のように光が差し込んでいたことである。

   私が、最初にスペインに行ったのは、もう、26年も前の話で、ブラジルから帰任の途中、休暇を取ってヨーロッパ旅行をした時である。
   まず真っ先にアルハンブラ宮殿を見たかったので、マドリッド乗継でグラナダに入ったのが間違いで、丁度その日は、4月1日、ヨーロッパの夏時間採用日で、イベリア航空が、1時間の時間変更に上手く対応できずに、飛行機が無茶苦茶遅れてしまった。
   信じられない話だが、当時のイベリア航空はその程度のマネジメントで、アメリカ人や英国人、ドイツ人などはカンカンだったが、とにかく、遅れに遅れて、昼に着く予定の飛行機が、日が変わって深夜に着いた。
   幾ら遅延で深夜着でも、イベリア航空は一切客の面倒など見ない。幸い、1台だけ残っていたタクシーに乗れたので、事なきを得てホテルにチェックインした。
   しかし、乗客は僅かで、空港には殆ど人が居ず、空港の灯は殆ど消えていて、スペインは初めてでスペイン語も殆ど分からない、深夜そんな所で、子供連れの家族が放り出されたらどうなるか。
   これで、完全にスペインに対する先入観が出来上がってしまった。
   文化的にも、歴史的にも類を見ないほど素晴らしい国だと思うが、ビジネスと旅には、最後まで細心の注意を払って対したのは勿論のことである。

   ビジネス・スクールの国際経営論で、国によって時間と場所の観念が全く異なるので気をつけろ、と教えれれていたが、時間に対するスペイン人の考え方は全く違う。
   日本人は時間に煩いが、スペインでは約束の時間に30分遅れるのは常識である。
   自分でも何回も経験したが、時には1時間以上待たされたことがあるし、立派な大企業の役員から少なくとも30分遅れて来い、とはっきり言われたことがある。
   まだ、シエスタ(昼寝)の習慣が一部に残っていて事務所や銀行は夕方にならないと午後は開かないし、夕食は9時からと、とにかく、夜が遅かった。
   EUの優等生になってからは、大分変わったようだが、モノの考え方まで、そう簡単に変わる筈がない。
   それに、アミーゴの国であるから、我々の常識との差が大きい。

   ところで、アルハンブラ宮殿であるが、最初の頃は、観光客も少なくて、寝不足だったが翌日出かけて、夜のフラメンコツアーの時間まで、一日中、この宮殿で過ごしイスラム文化の粋を満喫した。(その後、少しずつ観光客が増えて、シーズンだと長く待たされて、観光ポイントの部屋等は10秒位で追い出されるようになってしまった。今や、世界の超有名観光地は、総てそうなってしまっている。)
   アルハンブラ宮殿は、想像以上に美しく、イスラム文化の素晴しさを教えてくれた。あの限りなく繊細な美意識をもったイスラムの人々が、何故、アメリカを嫌って刃向かうのか、今になって分かるような気がしている。
その後、あっちこっちでイスラム文化・文明の凄さを実感しているが、この時のイスラムに対する衝撃は大きかった。

   その後、何度かアルハンブラを訪れているが、後の2回は、セビーリアを観光した後、コルドバまで、そして、コルドバからグラナダまで、随分距離はあるが、タクシーをチャーターして移動した。
   あまり団体旅行をした経験がないので、バスで走るのと同じかも知れないが、車でスペインの田舎を走るのは素晴らしく、色々な発見があって面白い。
   遠くに、白雪を頂いたシエラネバダの山々が近づいてくるともうすぐグラナダ、ワクワクする。
   このシエラネバダ山中で、あのドクトルジバゴの厳寒のシベリヤ風景が撮影されたという。真夏には焼け付くような南の国スペインのこのシエラネバダが、それ程、冬には厳しいのである。

   スペインは、飛行機で飛ぶのも、タルゴ特急で移動するのも、車で走るのも、兎に角、ヨーロッパにはないエキゾチックな素晴らしい風景が展開されるので、車窓を見ているだけでも楽しい。
   フランスとスペインとの国境ピレネーを越えるとアフリカであると言う。アフリカはダカールの空港だけしか知らないが、全く他のヨーロッパにない風土が展開する。

   スペインの思い出を書こうと思ったが長くなってしまった。
   セビリア、コルドバは勿論、マドリッド、バルセロナ、サラマンカ、アビラ、セゴビア、項を改めようと思う。

   
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本田と井深・物づくりの原点・・・未知への挑戦

2005年09月24日 | 経営・ビジネス
   先に紹介した井深大の「ものづくり魂」で、日本の戦後の経済復興期に、如何に偉大な日本の先覚者達が、ものづくりに挑戦してきたか、教えられることが多かった。

   エレクトロニクスを通じて豊かな新しい文明社会を開いたソニーの最大のヒット商品の一つは、ウォークマンだと思っている。
   欧米などへの長期出張の時に、飛行機の中での映画や音楽の音質の悪さに閉口していたクラシック好きの井深は、機内で良質な音楽を楽しめる適当な機器があればどんなに良いかと考えた。
   井深は、自分で考案して製作した、何やらオーディオデッキに電源を載せた改造機のようなものを両手に持って、ヘッドフォンを聞きながら、嬉しそうに会議中の森田の部屋に入ってきた。
   ステレオ音響の素晴らしい臨場感にビックリした森田は、こんなに良い音が何処にでも持ち運び出来れば面白いね、と賛同して、小型化製品化の命令を下してウォークマンが世に出る事となった。

   自転車にエンジンを取り付けた車からオートバイメイカーに躍進したホンダは、「世界のオートバイ王」として名声を博し、「マン島レース出場」を宣言して世の注目を浴びた。
   しかし、実際のマン島レースを視察した本田は、凄い迫力と馬力で走っているオートバイを見て、自社の技術と世界最高水準とのあまりにも大きな較差に度肝を抜かれた。
   ショックを受けた本田の未知への挑戦はここから始まった。
   艱難辛苦の努力の末、当時の技術を遥かに凌駕する1万回転の高速回転エンジンの製品化に挑戦して成功する。

   「こういうものを作りたい」と言う目標を先に立てて、二人とも物まねが嫌いだから、今までにないものを創ろうと大きな目標を立てて挑戦する。
   理論も何もなく直感で飛びつく。
   難しさを知らない素人だから、新しい技術に、新しい製品の開発に挑戦できるのである、と井深は、事も無げに言う。
   しかし、例えば、磁気テープを開発する為に、飯粒で磁気粉を紙やセロハンに貼り付けて失敗したり、とにかく、その背後には、膨大な失敗と試行錯誤が交錯し、大変な努力と艱難辛苦が伴っている。

   他社と違って、ホンダは、ガソリンの完全燃焼一本槍で、マスキー法を真っ先にクリアーするCVCCエンジンを開発した。

   ソニーは、補聴器しか物にならないと言われたトランジスターをラジオに活用し、更にテレビにまで転用してトリニトロン方式を編み出した。
   全盛の真空管を駆逐してトランジスター時代を開いたのである。
   しかし、このトランジスター導入も、外貨送金で通産省の許可が下りずに、トランジスターラジオ第1号生産の名誉を逸した。
   同様に、ホンダも、通産行政の影響で長い間自動車生産に入れなかったことがあったが、ソニーもホンダも、規制されればされるほど、それに力を得て挑戦し、更にその先を目指すのだと言う。
   二人とも、民間企業の限りない競争が、素晴らしい製品を生み出すのだと信じている。

   私が経済学部の学生の頃は、ケインズが流行であったが(もっとも、まだマルクス経済学の信奉者も多かったが)、私は、シュンペーター主義者で、特に好んで勉強をしていた。
   今でも、国家経済も、企業の浮沈も、その運命は、イノベーションにかかっていると思っている。
   そして、そのイノベーションを一番追求して成功している会社、即ち、シュンペーターが草場の陰で最も愛でている会社は、ソニーだと思い続けてきた。
   イノベーション志向を止めたら、ソニーはソニーでなくなると思っている。

   「技術よりも大切なのは人間の思想であって、考え方がしっかりしておれば、技術は後からついてくる」と本多は言う。素晴らしい人間肯定哲学である。

   井深が、本田を称して右脳人間だと言って、如何に貴重な存在かを語りながら、左脳重視、左脳教育一辺倒の日本の教育を論じている。
   確かにアインシュタインも、チャーチルも、マルコ-ニーも、子供の時は落ちこぼれの右脳人間であったが、世界を変えてしまった。
   理科系の人々の右脳人間肯定論は、面白いのでまた、後日論じてみたいと思っている。

   


   
   
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ソニーの再生(その2)・・・チャンピオン・プロダクツ、これしかない筈なのに

2005年09月23日 | 経営・ビジネス
   今回のソニーの再生プランである「中期経営方針」を見て驚きはしなかったが、正直な所、ソニーファンの私には、経営状態の悪さを思い知らされた感じがして寂しかった。

   元々、2年前のソニーショックの時点で大規模な経営改革があってしかるべきであった.
しかし、出井体制が強力だったのか、委員会制度を導入した経営体制を取りながらコーポレートガバナンスが働かなかったのか、とにかく、何ら有効な手を打てずに、そして、何ら実質的な裏づけもなく能天気な出井プランで乗り切ろうとして、惨憺たる状態。経営不在の迷走が続いただけであった。
2期に亘って売り上げの過半を占めるコアのエレクトロニクス部門で赤字を計上するテイタラクで、今回はどん底での再生計画である。

   ディーンズ等の「ストレッチ・カンパニー理論」によると、現在のソニーは、売り上げ成長率も時価総額成長率も低過ぎるので、最低のアンダーパフォーマー(停滞・不振企業)の会社である。
これまでに、このランクの会社で、最高位のバリューグロワー(価値創造成長企業)に返り咲いた会社はIBM等極少数だと言う。
   この理論によると、このランクの会社は、企業買収のターゲットになると言う。
   事業再構築には、CEO主導の強力なビジョンと顧客重視が必須。僅かな時間の余裕も許されず、変化する顧客のニーズに対応した商品を提供して信頼と人気を回復して、リストラ、利益率アップ、売上高成長に均等に重点を置いてすばやく勝利を納めて、バリューグロワーへの道を一直線に駆け上がる以外に再生への道はないと言う。

   選択と集中戦略を取らずに多角経営に走った出井体制を精算して、とにかく、大幅なリストラを実施して、エレクトロニクス、ゲーム、娯楽の三つを中核事業として、特にコアのエレクトロニクス事業の再構築に邁進するとしたのが、今回のストリンガー・プランであろう。
   しかし、後ろ向き、戦後処理のリストラ・プランばかりで、どんなソニーに再生しようとしているのか、全く先を見越した戦略的なメッセージが表明されておらず、最悪なのは、将来の成長プランやシナリオについては何も示されていないと言うことである。
   攻撃は最大の防御なり、と言うが、成長戦略あっての事業再生である。

   薄型TV・BRAVIA重視を打ち出しているが、既にコモディティに成り下がったTVを強化してどうなるのか。
部品さえ集めて組み立てれば良い事業なので、社員12人のバイデザイン社が、自社ブランドを立派に組み立てて42インチの薄型TVを24万円で販売するような市場で、他社を圧倒する革新的なTVを開発するならいざ知らず、少し良くて少し安いTVを作った位で、先行のシャープや松下に対抗できるのであろうか。

   また、既にアップルに勝負をつけられている携帯音楽プレイヤーの世界で、今回、3巨頭が、iPodナノに挑戦されている新型ウォークマンをかざして写真に納まっていたが、何を考えているのか。
   22日のビジネスウイークの電子版のソニーのリストラを報道した「Sony's Stringer Strikes・・Deep Enough?」の記事のど真ん中に、あざ笑うようにアップルの広告が踊っていたのをご存知であろうか。
   アップルマークの後に、iPod nano   click to learn more と書き込まれて、大きくiPodナノの写真が掲載されていたことを。
全くのパロディ、情けない限りである。

   ここからは全く私見だが、
   今回の改革で一番納得出来ないのは、金融子会社を売却しないこと。利益を得ていてキャッシュフローに貢献しているからと言うが、死に物狂いでコアビジネスに全力を傾注するなら、特にシナジー効果を望めない金融子会社を、高く売れるときに売って、再生原資とすべきである。
   16日の日経報道は、フライングオーバーではなくて、ビジネスウイークも同様な記事を書いていたが、極めて常識、経営学のイロハである。
   トヨタは、多方面に多角経営をしているが、これは、徹底的にコアを固めてエクセレント事業としており、更に、アフター・カーを目指した世界戦略であって、次元が違いすぎる。

   もう一つ納得出来ないのは、ソニーの人気の所以である筈のQRIOやAIBO,QUALIAからの撤退である。ソニーらしいのは、これ等と、プレイステーションだけではないか。
それに、高級化路線と、ロボット関連は、間違いなく、次代のコンシューマー・エレクトロニクスの核となる。
   コモディティ化するコンシューマー・エレクトロニクスの世界は、価格競争を主とするマスの競争の世界へ移行。このような組み立てを主とする世界は、革新的な新製品は別だが、これまでのようにソニーの独壇場の世界とは違ってきており、イノベーションとチャンピオン・プロダクツを追及し、ソニー神話を築いてきたソニーの経営哲学の修正を求めている。

   チャンピオン・プロダクツを作ってこそのソニーではないであろうか。
   それが出来なければ、タダの大企業のソニーで終わってしまう。
   世界の人々は、宮崎駿の世界のように、ワクワクするような素晴らしいものをソニーが作り出してくれること待っている。
   
   売り上げ8兆円の大企業ソニーにはそれは、無理であろうか。
   それは違う、あのトヨタを見れば分かる。
   
   
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紅荒獅子・・・今年初めてのツバキ

2005年09月22日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   千重咲の真っ赤なツバキ、紅荒獅子が花を開いた。
   庭のアサガオと研を競っている。
   
   来年の5月頃まで、主役が代わりながら、ツバキの花が咲き続ける。
   誰が、春の木と名付けたのであろうか。
   
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ソニーの再生(その1)・・・「やっぱりソニーは新しいもの生み出さなきゃウソだよね」井深大

2005年09月22日 | 経営・ビジネス
   株主総会で、ストリンガーCEOが約束したソニーの戦略的再生プランが、今日午後発表されるようだが、その検討は、後にして、今読んでいる柳下要司郎編「井深大 ものづくり魂 この原点を忘れた企業は滅びる」から得た感想を書いてみたい。

   殆ど書き物として記録の残っていない井深大の記録を集めたもの。
   井深さんが書いた本田宗一郎論と森田昭夫との対談が殆どその総てであるが、3人のものづくりに懸ける限りなくイノベーションを志向したアンテルプルヌール魂とソニーの創業時の精神が痛いほど伝わってくる懐かしい本である。
   
   このブログのサブタイトルは、この本から借用した。
   ソニーは、井深さんの「やっぱりソニーは新しいものを生み出さなきゃウソだよね」と言う精神を追求し、イノベーションの覇者として他社の追随を許さないような革新的な製品を生み出して豊かなエレクトロニクス時代を切り開いてきた。
   ソニーは、トランジスター革命で、真空管に拘った電機会社大手を尻目にして、トランジスターラジオや、テープレコーダーや、ビデオや、トリニトロンテレビや、ウォークマンや、プレイステーション等々、次々と新しい製品を生み出して消費者を魅了し続けてきたのである。

   日経ビジネス最新号の面白い記事が出ている。
   ソニーが、「製品をゼロから見直し、拘った自信作」として、使い勝手を大幅に改善しデザインを一新した、大容量のHDDを搭載した新型ウォークマンを出した。
   しかし、同時に、アップルが、大容量のHAND型フラッシュメモリーをサムソンに安く量産させて、圧さ6.9ミリの超薄型、重さ42グラムの超小型の「iPodミニ」を発売して、ソニーが満を持して新製品を出した瞬間に、競争会社に出し抜かれてしまったと言うのである。
   
   ソニーは、14日に、WEGAからBRAVIAにブランド名を変えて、新薄型液晶テレビを発表した。
   WBSでも特にソニーらしい新鮮味はないと報道されたし、先行のシャープや松下も競争上の脅威を感じていないと言うほど、インパクトが少なかった。
   今回のBRAVIAには、新開発のエンジンを最上位機種にしか搭載していないと言う。先に、薄型テレビを売る為に、サムソンの液晶を使ってWEGAエンジン抜きの安いテレビを出して惨憺たる結果を招き、売りもの・目玉の技術を外した抜け殻の商品を売るとどう言う事になるのか、何も学んでいないと言う。
   競争相手に勝つ為には、一にも二にも差別化、差別化。如何に競合品と違った新しい魅力を備えた差別的な商品であるかを、消費者に叩きつける以外ない筈である。
   薄型テレビでは、シャープや松下に大きき差をあけられ、DVDレコーダーでも、他の音響機器でも、とにかく、コアのエレクトロニクス部門で群を抜くソニー商品は皆無になってしまった。

   ソニーは、いつの頃からか、何でも新しい素晴らしいAV機器、エレクトロニクス製品は、総てソニーが作り出すものと言う神話を生み出し、そんな十字架を背負って生きてきた。
   井深大や盛田昭夫が生み出したソニーの宿命でもあった。
   ところが、そんなソニーに対する夢も期待も遠くに行ってしまった。
   イノベーターでなくなったソニーは、最早ソニーではなくなってしまう。

   出井氏が、退任が決まった時、WBSの小谷キャスターに心境を聞かれて、「一生懸命頑張ったんだが、環境が悪かっただけで。」と応えていた。
   当時、やはり、小谷キャスターに、松下の中村社長が「(中村)革命がなかったら、松下は潰れていたかも知れない」と言っていたのを覚えていたので、この危機意識の差と経営者としての資質の落差に唖然としたことがある。
  
   ソニーの新再生プランについては、発表を見てからコメントしてみたい。
   
   
   
   
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グローバル経済の不均衡・・・IMF世界経済アウトルック

2005年09月21日 | 政治・経済・社会
   九月中旬、IMFはWORLR ECONOMIC OUTLOOKを発表した。その第2章の「グローバル インバランス:貯蓄と投資見通し」に触れて、ロンドン・エコノミストが電子版で面白い記事を書いている。

   IMFの論点は、以下のとおり。(IMF Mr.R.Cardarelli報告要約)

   異常なグローバル不均衡と低い長期金利を惹起している原因は何か。先進国とエマージングマーケットの貯蓄と投資動向を調査した結果、現在は、貯蓄も歴史的な異常な低水準にあるが、投資水準の方がそれより遥かに低くなっており、貯蓄より投資が低水準すぎることがその原因であることが分かった。

   貯蓄・投資動向は、国によって違うが、その特徴は、アメリカの異常な貯蓄に対する投資過多、財政・経常収支赤字に対して、中国や産油国の貯蓄の増加及び日本と中国以外のアジアの過少投資である。
   アメリカの経常赤字は、エマージングマーケットや産油国を含んだ国々の過剰貯蓄によって穴埋めされている。

   まず第一の命題は、投資の拡大により長期金利を上げなければならない。グローバル投資が拡大すれば必ず金利が上がって過熱化している住宅市場を冷やして個人消費を下げることになる。
   次に、現実の不均衡や政治的経済的に可能な調整等そのスケールを考えれば、単純な処方箋などない。現在のグローバルな経常収支の不均衡を修正する為には、アメリカの貯蓄の増加、日本と欧州の経済の拡大、アジアや産油国の投資拡大など多方面の総合的解決が必要である。
以上


   アメリカのニューエコノミーと好調な経済を支えたのは、ヨーロッパからの大量の資金移動によると言われているが、その後の不況で撤退したヨーロッパ勢に変わって、日本や中国などアジアの国が、膨大な余剰ドルをアメリカに還流してアメリカ経済を、そして、大幅なドル買い介入を行ってドルを支えてアメリカの低金利を維持してきた。
   
   現実のアメリカは、経常収支の赤字がGDPの5%に達しており、アメリカの家計の貯蓄は、おおばん振る舞いの消費支出を維持する為に資産を食い潰して借金を拡大しており、殆どゼロ水準に近い。
   多くの経済学者は、アメリカの経済が、殆どバブルの様相を呈してきた住宅ブームに依存している現状を憂慮している。
   
   しかし、ブッシュ支持者は、放蕩三昧の個人消費とバブルの住宅市場を健全だと言い、世界規模での過剰貯蓄が、その余剰金をアメリカの金融市場に喜んで注ぎ込んでくれるので、いくらFRBが金融引き締め政策をとっても、金利など上がらない、と豪語している。

   クリントンの時は、ベルリンの壁の崩壊で軍事費の削減、即ち、「平和の配当」とニューエコノミーによる異常な株高・好景気と言う神風が吹いた為に財政収支が一時黒字になった。
しかし、ブッシュは、徒手空拳なのに、減税を行い、更に戦時体制経済にシフトしており、財政の健全化は勿論、双子の赤字の解消など不可能だと専門家は言う。
   双子の赤字の解消を、そして特に財政支出の削減にアメリカが失敗すれば、ドルの暴落によって、世界全体に徳政令をしく以外に方法がなかろう。無尽蔵に金をつぎ込んだアジア人はどうなるのか。

   何故、世界の金が間違った方向に行くのか、エコノミスト誌は問う。
   問題は、やはり、投資不足、投資機会の不足である。
   金余り諸国、特にアジアでは、1997-8年のアジア通貨危機の影響が影を引いており、また、経済状態が脆弱で投資機会が少なくリスクが高いので、余剰資金は、安全な先進国、ハードカレンシーの国アメリカに向かわざるを得ないのである。
   この流れを、IMFは、日本とヨーロッパのGDPアップ・経済拡大によって、そして、アジア等エマージングマーケットでの投資機会の拡大によって阻止することを期待しているのである。

   アメリカは、自分自身で歩くことを考えなければならない。
   実力をつけてきたヨーロッパ合衆国にすぐに追いつかれて、ユーロにドルの覇権を奪われるのもそんなに遠いことではない筈なのである。
   しかし、ものが欲しければ自分で輪転機を回せば良い基軸通貨ドルの国アメリカ人には、消費切り詰め、生活の引き締めなど考えられないのかもしれない。
   花見酒の経済、パチンと弾ければ、困るのはアメリカだけではない。
   

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西洋アサガオ・・・利休は苦労しなかった

2005年09月20日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   イギリスの友人を訪ねた時、案内されたロイヤル・ボタニカル・ガーデンで花の種を2袋買った。
   一つは、青いヒマラヤの芥子の種、もう一つは、青い西洋アサガオの種で、青い色に魅せられたからである。

   芥子の種はそのままになっているが、アサガオの方は、翌年の春に種まきをした。
   一緒に、普通のアサガオの種を蒔いたが、洋種の方は、中々芽が出ず、やっと出たと思ったら、か細く如何にも頼りなげで、成長できるのか怪しかった。

   ところが、この西洋アサガオは、移植して根がしっかり着くと、急に成長を始めて、ぐんぐん庭木を這い上がり始めた。
   私は、手をかけるのが億劫なので、鉢植より自然に塀や立ち木に這わせて育てているので、剪定せずに伸びるに任せている。
   とにかく、茎が強く太くなって、ドンドン広がって高くまで伸びていった。
   花は、日本アサガオと違って、一箇所から沢山の花の蕾が同時に出て、次から次へと咲き続ける。咲いた花の外見は、日本アサガオと全く変わらない。
   しかし、日本のアサガオの様に、朝早く咲くと、露草のようにすぐ萎れてしまうのと違って、昼過ぎでも花形を維持していて中々萎まない。

   秀吉が、豪華なアサガオが利休の庭に花盛りであることを聞いて、それを観たくて利休の茶室を訪れた。
   来て見ると、庭のアサガオはコトゴトク刈り取られて一輪もなく、茶室の柱に只一輪のアサガオが生けられていたと言う。
   日本アサガオの寿命は極めて短い。咲き始めたらすぐに萎んでしまう。
   ましてや、切花にすれば、いく時花がもつか、一期一会、見られるのは恐らくほんの一瞬であろう。
   私は、この故事からも、間違いなく、利休は、一瞬一瞬に命を懸けて太閤秀吉に対していたと思っている。

   調べてみると、アサガオの原産地は、熱帯アジアの西南中国からヒマラヤにかけての山麓地帯だと言われている。
   あのシルクロードを渡って、唐の時代に日本に請来したのである。
   本来は、下剤用の薬草として入って来たが、次第に文学や工芸品に登場し、江戸時代に観賞用として急速に人気が出て、栽培が盛んになった。
   だんだん花が大きくなって大輪朝顔が主流になり、多様な仕立て方が流行り始めた。大阪の行灯作り、名古屋の盆養切り込み作り、京都の数咲作り、熊本の肥後アサガオの小鉢本蔓1本作り、等々華やかである。
   
   洋種アサガオは、アメリカで改良されたもので、垣根に使われていると言う。
   欧米に長く住みながら、迂闊にも、見たことがないのだが、確かに、あの強さと逞しさ、それに、花の寿命が長いことを考えれば、ナルホドと思う。
   さて、日本の名人ならこんな洋種アサガオを、どんな仕立て方をするのであろうか。
   霜にやられなければ、まだまだ、秋深くまで咲き続けるこの西洋アサガオ、一寸アサガオのイメージを変える夏の花でもある。
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月下美人中秋の名月を愛でる・・・イスタンブールの月光を思い出す

2005年09月19日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   丁度今、日が変わろうとしている深夜、我が家の月下美人が甘い香りを漂わせて満開に咲いている。
   すっきりと晴れて雲ひとつない中天に、中秋の名月が光り輝いている。
   色々な虫の声があっちこっちから聞こえる。
   正に秋、台風がない静かな、久しぶりに天気の良い秋の夜である。

   私は、美しい名月を仰ぎながら、色々な所で見た月を思い出している。
   しかし、一番強烈に印象に残っているのは、イスタンブールの月光である。
   もう、ずっと前のことである。

   遅いトルコ料理の会食を終えてホテルに帰ってドアーを開けると、窓一杯に月光が差し込んでいて対岸のアジア側のイスタンブールの灯が見える。
   電気をつけずに窓辺に近づくと、ボスポラス海峡の海が月光を浴びてキラキラ光っている。
   川の様に横たわっているボスポラス海峡の対岸の街は、ウスキュダル。その街の上空高くに綺麗な満月が輝いている。
   ヨーロッパとアジアを跨いで、美しい月が光り輝いている壮大な時間・空間である。
   私は、窓辺に一眼レフを置いて写真を撮った。
   
   このイスタンブールは、元々、キリスト教国東ローマ帝国の首都コンスタンチノープル。ところが、15世紀に、この都市に魅せられたトルコのメフメット二世が、72隻の軍船を山越えさせて金角湾に引き込んで攻撃してコンスタンチノープルを征服し、イスラム教国トルコの首都とした。

   その日の午後、聖ソフィアを訪れていたが、このメフメット二世が、壮大なキリスト教会である聖ソフィア大聖堂を、モスクに変えてしまった。尖塔を追加したり大改造したが、塗り残したキリスト像のモザイクが残っていて、キリストとイスラムの融合が面白い。
   もっとも、スペインのコルドバでは、逆に、メスキータと言う大きなモスクの中にキリスト教会があって、完全に行け行けであるし、グラナダのアルハンブラ宮殿の中にもキリスト教会がある。
   兎に角、ヨーロッパのあっちこっちでも文化の融合が随所に見られて面白いが、イスタンブールは、逆に、キリスト教会の影響が古くてイスラムの方が新しいので、私にとっては極めてエキゾチックな街であった。

   美しい満月を見ると、決まってイスタンブールの街とあの月の光を思い出す。
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九月文楽「女殺油地獄」・・・救いのない近松の世界

2005年09月18日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   九月文楽公演夜の部の後半は、近松門左衛門の最晩年の最後の世話物「女殺油地獄」であった。
   見栄っ張りで単純で、抑制心がなくてすぐ切れる、自分さえ良ければよいエゴイズムの塊のような青年を主人公にした物語である。
   同じガシンタレの大坂男を描いた「曽根崎心中」や「冥途の飛脚」等の心中ものとは違って、色も湿気もない正真正銘のワルを描いた作品で、最後までやりきれないほど救いがない。

   話の梗概は次のとおり。
   悪さばかりを続ける札付きのワル・河内屋与兵衛は、野崎観音前で、馴染みの遊女をめぐって喧嘩騒ぎで、お手打ちになるところを救われるが、改心する気は毛頭ない。
   番頭上がりの義父の弱みに付け込んで、妹に仮病まで使わせて家の相続を画策するが、ばれて家を追い出される。
   こんなワルでも、わが子可愛さ、何かの足しにとお金を渡してもらう為に、両親が夫々、同業の油屋豊島屋お吉を訪れるがここで鉢合わせ、親としての胸の苦衷をお吉にかき口説く。
   この両親の愁嘆を外で聞いていた与兵衛が、ほろっとするがそれも一瞬。
   義父の印判を悪用して借りた謝金の期限が迫って万事休す、両親が帰った後、豊島屋に入り込み、お吉に、事情を話して金の融通を頼むが断られる。色仕掛けを試みるが拒絶されるので、もうここまでと、油の流れた床を転がりながら逃げ惑うお吉を刺し殺して金を奪う。
   三十五日の逮夜、鼠の落とした血染めの書付と袷の血痕が証拠となって獲れえられる。

   お吉を遣うのは人間国宝・吉田簍助、与兵衛を遣うのは桐竹勘十郎の師弟コンビで、実に息の合った舞台で、「豊島屋油店の段」の壮絶な殺しの場は秀逸で、舞台狭しと暴れまわる。
   油桶や樽を投げつけながら悲鳴をあげて逃げ惑うお吉の決死の逃避劇、油に足を取られて床を端から端まで一気に滑り込む与兵衛の壮絶な追いかけ劇、人形だから出来る素晴らしい芸の連続で圧倒される。
   少し前に、文楽劇場で、玉男のお吉、簍助の与兵衛で、この「女殺油地獄」を演じられたようだが、観て見たかったと残念で仕方がない。

   この殺しの場以外は、お吉は、比較的大人しい舞台だが、冒頭の野崎観音前での与兵衛との掛け合い、それに、両親の愁嘆を聞く場での簑助は実に上手い。特に、愁嘆の場は、殆ど動きのないお吉だが、二人の話に合わせて微妙に相槌を打つ仕種の素晴らしさ、ジッと観ていたが、ここが人間国宝なのであろう。
   勘十郎の与兵衛は、比較的抑えた演技で、派手さやハッタリは殆どないが、時々見せるニヒルな表情や斜交いに構えた姿が得体の知れないヤングの恐ろしさを垣間見せる。

   「豊島屋油店の段」、口上の紹介でとちられて憮然としていた咲大夫だが、鶴澤燕二郎の三味線に合わせて正に名調子、義父徳兵衛と実母お沢との愁嘆場を実に感動的に語っていた。

   私の強烈な「女殺油地獄」の舞台は、少し前に観た歌舞伎座での舞台。
   与兵衛が市川染五郎でお吉は片岡孝太郎であった。
   やはり、視覚的に凄かったのは、最後の床を這いずり回る殺しの場面であったが、床には石鹸水か何かがひかれたのであろうか、とにかく、すってんころり、その滑り方は尋常ではなく、迫力抜群であった。
   その少し前に、与兵衛を仁左衛門、お吉を中村雀右衛門で演じられたようだが、いくら、80歳までバイクを乗り回していたとは言え、雀右衛門はご高齢、前述の文楽の玉男・簑助コンビもそうだが、激しいアクションも芸が総てなのかもしれないと思っている。   

   この女殺油地獄だが、住大夫は、近松も年を取ったので、じいさんばあさんの愁嘆場を書き加えたんではなかろうかと言う。
   「近松ものは字余り字足らずで、私嫌いでんねん」と言う住大夫、声質が合っていて、じいさんばあさんの愁嘆場のある近松もので点数を稼いで賞を取ったと言う。
   老夫婦が切々と心情を吐露するこの愁嘆場、浄瑠璃の醍醐味かもしれないし、あるいは、本当はこのドラマのテーマかもしれない、と思っている。
   
(追記) 写真は、文楽カレンダーからコピー。
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九月文楽「菅原伝授手習鑑」・・・寺子屋・松王丸忠義悲し

2005年09月17日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   九月歌舞伎公演の夜の部の冒頭は、「菅原伝授手習鑑」の後半・寺入りの段と寺子屋の段であった。
   3年前の5月に、通し狂言「菅原伝授手習鑑」が公演されたので、朝から晩まで通しで観たが、今回は、「女殺油地獄」と抱き合わせなので、1時間半の短い舞台である。

   松王丸は、前回から同じく吉田文吾だが、女房千代は、簔助から桐竹紋寿へ、武部源蔵は、桐竹一暢から玉女へ、女房戸浪は、桐竹勘寿から吉田清之助へ、夫々代わっている。
   世代交代もあろうが、3人の人間国宝を除いた次の実力者文吾と紋寿が舞台を引き締め、玉女や清之助が渋い演技をしていて、実に見ごたえのある舞台であった。
   
   それに、凄いのは、前回は「桜丸切腹の段」に出ていた人間国宝の竹本住大夫と野澤錦糸が寺子屋にまわって、豊竹十九大夫と豊澤富助とともに素晴らしい浄瑠璃を聞かせてくれたことである。
   文楽劇場に通い始めた頃は、大夫の語る浄瑠璃が分かりにくくて苦痛であったが、その後、文楽に慣れて来てからは、床本集を見ながら聴いた事もあった。
   しかし、この頃は、この大夫の語りにのめり込んでしまって、全く意識の中にはなくなってしまった。人形と浄瑠璃と三味線の音が一体になってしまったのである。
   住大夫の「文楽のここを語る」「言うて暮らしているうちに」などの著書を読んだ所為もあるが、大変な努力と芸の蓄積が胸に迫り、一期一会の語りに神経を集中する。しかし、聴いていると言う意識がすぐに消えてしまって語りに引き込まれてしまう。
   マリア・カラスのように、決して美声ではないが、強い引力と言うか凄い魔力で引き込まれてしまう、そんな魅力がある。

   よく考えて見れば極めて理不尽な話が、この寺子屋の段の主題。恩人の息子を助ける為に身代わりに自分の子供を差し出して、殺害されたその子の首実験をして「相違ない」と言わざるを得ない親の苦衷を、住大夫は声涙を絞って語り続ける。
   松王丸が咳き込む一寸した仕種ももう名人芸。がき大将の洟垂れ小僧のしゃべくりも上手い。苦衷に喘ぎながら呻吟する源蔵や戸浪、人生の理不尽さと不幸を総て背負った松王丸、そんな追い詰められて窮地に立った人間の生きざまを、観客の胸に叩き込むことが如何に至難の業か。
   シェイクスピア役者も、歌舞伎役者も、自分の役をやり切れば良いのだが、浄瑠璃を語る大夫は、総ての役を1人でこなし、話の進行は勿論、総てを語らなければならない。

   官秀才の首実験が終わるとがらりと舞台が変わり、一介の親に戻って泣き崩れる松王丸と千代の慟哭、源蔵と戸浪の悲嘆。
   にっこりと笑って首を打たれた首のない小太郎の亡骸は、白装束に変えた両親に見送られて官秀才の亡骸として輿に乗せて鳥辺之へ。「いろは書く子を敢えなくも、散りぬる命、是非もなや・・・」、悲しくも切ない「いろは送り」の美しい旋律が十九大夫と豊澤富助の名調子に乗って激しく咆哮する。
   3人で操る人形遣いの素晴らしさについても、何時も驚嘆しているが、大夫の芸とその力量にも何時も感心している。
   しかし、上手と下手では、天と地の差がある。

   松王丸を演じる文吾は、玉男にかわって豪快な立ち役の殆どを受け持つこの方面の一人者であるが、いつも感心するのは、逆に、芸が実に繊細で細やかなことである。恐らく、松王丸をここまで演じられるのは文吾しか居ない。
   まだ、近松の世界を見たことがないが、いつか、玉男のような優しさと暖かさを秘めた人形を使う舞台を観たいと思っている。
   最後になったが、紋寿も上手い。この舞台の最も重要な女形の千代は、冒頭の小太郎を寺子屋に預けて帰るところから、もう涙を誘う。後を追う小太郎を置いて後ろを振り向きながら帰る千代の姿、これが今生の別れなのである。
   紋寿の女形の醸し出す雰囲気が好きで、彼の著書「文楽・女形ひとすじ・・おつるから政岡まで」を褒めたブックレビューをアマゾンに投稿したら、何故か評判が良くなかった。とにかく、貴重な人形遣いであるといつも思っている。

   私は、文楽よりは、歌舞伎の方から「菅原伝授手習鑑」に入った。
   最初に「寺子屋」を観たのは、もう10年以上も前、歌舞伎座で、松王丸が猿之助、千代が菊五郎、源蔵が勘九郎(勘三郎)、戸浪が福助であった。
   最近観たのが、3年前の菅原道真公没後千百年記念の通し狂言で、この時は、松王丸が吉右衛門、千代が玉三郎、源蔵が富十郎、戸浪が松江(魁春)であった。
   夫々、素晴らしい舞台で、最初はアホナ話だと思って聴いたり観ていたが、この頃では、のめり込んでしまっている。
   官秀才の首を差し出せと言われて戻って来た時の武部源蔵の富十郎の「せまじきものは宮仕えじゃな」と涙に暮れる台詞がいまだに心に残る。吉右衛門も、住大夫も、この肺腑を抉るようなこの言葉を実に感動的に語る。この台詞を聞くためだけに、寺子屋を観ても良い、と思っている。
   歌舞伎は、オペラに近いと言われているが、ある意味では、浄瑠璃と三味線音楽を考えれば、文楽の方が近いかもしれない。
   シェイクスピアを観れば見るほど、オペラに感激すればするほど、この頃、益々、日本の歌舞伎も文楽も凄いと思い始めている。

   ところで、余談。
   最近、オペラの舞台と同じ様に、文楽も、舞台の左右に字幕のディスプレイが出るようになったので、床本を読む必要がなくなった。
   イギリスのシェイクスピア劇にはまだ字幕がないが、オペラ劇場では殆ど付いている。
   スカラ座では、舞台全体ではなく客席ごとに英語字幕も付いていて便利である。
   ロイヤル・オペラにも付き始めた。メットにはなかったと思う。
   私が、最初に字幕公演を観たのは、もう30年以上も前になるが、リンカーンセンターにあるニューヨーク・シティ・オペラの舞台であった。
   何れにしろ、イヤーホーン・ガイドと同様、字幕は、観客へのサービスとしては、非常に良いと思っている。
   ただ、何でもそうだが、芸術鑑賞には、時間と根気、回数を重ねなければならないのが難かもしれない。

(追記)写真は、文楽カレンダーからコピー。
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