熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

都民芸術F・・・東京都交響楽団とNHK交響楽団

2008年02月29日 | クラシック音楽・オペラ
   毎年2~3月に、都民芸術フェスティバル助成のオーケストラ・シリーズ公演が催され、切符が手配出来れば(忘れていて売り切れでNHKなど買えないこともあったが)、N響と都響のコンサートを聴きに行くことにしている。
   世界の大都市には夫々自慢のオーケストラがあり、例えば、一昨日ピョンヤンで熱烈歓迎を受けて米国籍で初のコンサートを行ったニューヨーク・フィルなどは、ニューヨークのみならず米国最古で屈指のオーケストラだが、どの都市にも精々2~3の著名オーケストラがあるだけで、ロンドンでも3楽団と非常に少ない。
   ところが、クラシック音楽の故郷・西洋の都市でもない東京には、今回の公演に登場するオーケストラだけでも8団体もあり、いわば過密状態である。
   結局選ばざるを得ず、独善と偏見で、今年も、19日の都響と27日のN響のコンサートで東京芸術劇場に出かけたのだが、さすがに、両方とも素晴らしい演奏会であった。

   都響は、梅田俊明指揮、菊池洋子のピアノで、ベートーヴェンの「皇帝」と、ベルリオーズの「幻想交響曲」と言う非常にポピュラーな曲をそろえた演奏会で楽しめた。
   梅田のエネルギッシュで溌剌とした指揮に、菊池洋子のピアノは、悠揚迫らぬダイナミックな、それも実にピュアーで美しいサウンドを奏でて応えていた。
   一階の前方にいたので、菊池の白魚のような美しい指が銀板の上を心地よく妖精の様に乱舞するのを眺めながら、ピアノの呼吸まで聞える感じで感激しながら聴いていた。
   菊池は全く平常心で、ニコッとしながら登場して、終わってもけろっとした爽やかで嬉しそうな顔をして退場して行ったが、スケールの大きさと言い、大した舞台度胸であり、それに、ザルツブルグのモーツアルト国際コンクール優勝と言うのだから、益々先が楽しみである。
   梅田の幻想交響曲は、都響とは相性が良いのであろうか、実に、色彩豊かな情景描写が巧みで、それに、都響の管と打楽器の素晴らしいサウンドを引き出して気持ちの良い演奏であった。

   N響は、オーボエ奏者から指揮者に転じたドイツのハンスイェルク・シュレンベルガーの指揮とオーボエ独奏で、ハイドンの交響曲第39番、モーツアルトのオーボエ協奏曲、メンデルゾーンの交響曲第3番「スコットランド」で、透徹したテクニックに裏打ちされた非常に清冽で美しいオーボエの音色と端正な指揮ぶりが印象的で、N響も良くシュレンベルガーのタクトに応えて素晴らしくダイナミックな演奏で聴衆を興奮させていた。

   定期会員チケットを持っていると、お仕着せのプログラムなので作曲家や曲を選べないが、単独のコンサートだとそれが可能なので、行くか行かないかは総合的に判断すればよい。
   今回は8楽団の揃い踏みで、フェスティバル気分で大衆化と言う意味もあってか、各オーケストラのプログラムも、御馴染みの選曲であった。
   今回の8楽団の公演で、一番多く取り上げられていた作曲家は、何故かチャイコフスキーで、交響曲第4番、第5番、第6番に、ヴァイオリン協奏曲の4曲あり、シャスタコーヴィッチの交響曲第5番と、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、グリンカのスペイン序曲を加えると殆ど半数がロシア音楽である。
   次に多いのは、東京交響楽団のオール・ベートーヴェン・プロがあるので、皇帝を加えたベートーヴェンで、ブラームス、ハイドン、モーツアルトと言うことになる。
   マーラーやブルックナー、ショスタコーヴィッチ等が敬遠されるのは分かるが、バッハ、ショパン、シューベルト、シューマン、それに、もう少しモーツアルトが選ばれても良さそうに思えるのだが、やはり、夫々好みが違うのだから仕方がなかろう。
   N響は全席売り切れて当日券がなかったようだが、他のオーケストラには多少空席があったということで、やはり、東京には、世界に伍して行くためにも、精々3つか4つのオーケストラが良い所ではないかと思っている。

(追記)写真は、都響のホームページから。
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二月文楽公演・・・壺坂観音霊験記

2008年02月28日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今月の文楽で満員御礼が出ていたのは昼の部で、「壺坂観音霊験記」と「鶊山姫捨松 中将姫雪責の段」に人間国宝が登場する舞台であったからであろうか。
   開演時間に遅れて、高橋利樹著「京の花街輪違屋物語」を読んでいたので楽しみにしていたにも拘わらず、最初の「二人禿」を見過ごしてしまったのが残念であった。

   「壺坂観音霊験記」は、言わずと知れた「エヽそりゃ胴欲な沢市様。・・・三つ違ひの兄さんと、云ふて暮らしてゐるうちに、・・・」で始まるお里の口説きで有名なお里・沢市の物語だが、私は、子供の頃ラジオから流れてくる浪花亭綾太郎の「妻は夫を労わりつ、夫は妻を慕いつつ・・・」の名調子で聴いた方が先で、この話はおぼろげながら知っていた。
   次に観たのは歌舞伎の舞台。この物語は、非常に単純な話で、信仰心の厚い妻お里の必死の祈りが通じて壺坂観音の霊験が現われて盲目の夫沢市の目が開くと言う、実話と言うか壺坂寺に伝わる伝説に基づいて作られた浄瑠璃で、夫婦愛と霊験が軸で、今回の舞台も、人形はお里の簔助と沢市の勘十郎の実質二人だけの登場である。
   従って、人形もそうだが、語りである浄瑠璃が如何に上手くて人の心を打つかが極めて重要となる。

   何と言っても見所聴き所は、第二幕の「沢市内の段」で、美人で夫思いで健気な妻お里が、夫婦になって3年の間、毎晩7ツ(午前4時)になると家を抜け出ていなくなるのを、盲目で疱瘡の為に顔の醜くなった生活力のない沢市が邪推して男でも出来たのではないかと詰問すると、お里が疑われているのが悔しいと涙ながらに、沢市の眼病快癒を願っての壺坂寺への観音参りであることを告白してかき口説くところで、住大夫の名調子に乗って簔助のお里が哀切の限りを尽くして夫への深い思いの丈と妻の誠を語る。
   住大夫の時には、真剣に聴いてその良さを十分に鑑賞しようと思って意気込むのだが、この頃ではそれがダメで、舞台にのめり込んでしまって住大夫の語りであることを忘れて最後まで人形の動きを追って舞台に集中してしまっている。それほど、錦糸の三味線に伴奏されて語る住大夫の浄瑠璃が素晴らしいと云うことであろう。
   眼の見えない沢市だが、ジッとうつむいて聞いていて、ひれ伏して心から詫びて、お里の勧めに従って壺坂観音へと連れ立って向かう。

   愛しいお里が3年も必死になって信仰して祈ったにも拘らずご利益が無いので、いっそ自分が死んでしまった方がお里が幸せになると、既に観音への願いが空しいと悟っている沢市は、お里が帰ったすきに、谷底へ身を投げて自殺する。
   胸騒ぎを覚えて戻ってきたお里が、沢市の死骸を見て動転し、天を仰いで号泣し大地を叩いて地団太を踏んで断末魔の苦悶を訴える。この人形の阿鼻叫喚の嘆きと苦しみを、簔助は、お里の小さな人形に託して演じ切り、その哀切の表情は人形にしか表せない悲嘆の極致である。
   甲斐甲斐しく針仕事をして生活を支えているお里の優しい風情を、愛情豊かに演じていた簔助の器用な仕草に微笑んでいた観客も、沢市をあれほど愛して思い続けて、沢市と一緒に生きると言うことだけに命を掛けて来たお里の苦悶を痛いほど叩きつけられて息を呑む。

   この舞台には悪人は出てこない。
   近松の舞台のように、がしんたれでダメな大坂男も出て来ない。
   沢市は、極普通の男で、観音様のご利益で生き返って目が開くと、小躍りして喜び、傍にいる妻に向かって、「お前は、どなたじゃへ」と聞き、お前の女房だと言われて、「コレハシタリ初めてお目に掛ります」と言う。そんな男である。
   しかし、妻のお里は、正に天然記念物と言うべき人物。両親が亡くなって兄妹のように伯父に育てられて沢市の妻となり、貧しいどん底生活に喘ぎながら、何一つ愚痴をこぼさずに沢市の目を治す為に必死になって毎夜の観音参りで祈り続けた。「・・・貧苦にせまれどなんのその、一旦殿御の沢市様。たとへ火の中水の底、未来までも夫婦ぢゃと、思うばかりか・・・」と言うこれ程健気で心身ともに美しい女性はいるであろうか。

   勘十郎の沢市は、正に簔助との師弟コンビで息のあった素晴らしい舞台を見せており、盲目で動きの少ない沢市の苦しみと悲しみを、押し殺したような人形の表情を微妙に操りながら表現していて、動のお里と静の沢市の対比の妙が心を打つ。

   最近、「宮城道雄の世界 琴と随筆十二月」を聴いていて、ユーモアに富んで意外に明るい宮城道雄の音と芸術の世界を楽しんでいるが、盲目ゆえに、音に限りなきセンシティブな感覚と情感を持って筝曲を作曲していた真摯な姿に感動している。
   最初に強烈に印象に残っているのは、宮城道雄自ら琴を弾きシュメーがヴァイオリンで伴奏している「春の海」を聴いた時の感動である。
   その後、妻の影響もあって少しづつ筝曲を聴くようになったのだが、文楽や歌舞伎を好きになったのも、オペラやシェイクスピア経由と同時に、この方面の邦楽への接近が助けとなっているのかも知れない。
   ところで、「春の海」のヴァイオリン演奏で、特筆すべきは、ロンドンで活躍している素晴らしいヴァイオリニスト相曽賢一朗氏が、ヴァイオリンで尺八そっくりのサウンドで演奏する至芸である。
   毎年、秋に東京文化会館で恒例のリサイタルを開いていて、その時に、アンコールでも演奏していたが、一番最初は、彼の留学時代にロンドンの我が家で聴いたのだが、あの尺八のかすれた音色などそっくりで実に情調豊かで素晴らしかった。
   日本の豊かで素晴らしい伝統を、心の中にしっかりと叩き込んだ芸術家であるからこそ、あれほどまでにヨーロッパで愛され認められてインターナショナルな活躍が出来るのだと思っている。

(追記)写真は、文楽カレンダーから転写。
   


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ものづくり精神が日本を救う・・・飯塚悦功東大教授

2008年02月27日 | 経営・ビジネス
   シンポジウム「ものづくり精神で未来を拓く」で、飯塚悦功東大教授が「ものづくり精神が日本を救う」と言う演題で講演を行った。
   工学専攻の品質マネジメントの権威なので、文系の経営学者の語るものづくりと何か違った視点からの話があるのではないかと思って期待して聴講した。
   
   冒頭から、品質立国日本の品質レベルの低下等によって、或いは、アジア新興諸国の台頭などによって、如何に日本の相対的地位が低下したかと言う危機的な状況について、かっての日本製造業の栄光の時代と対比させながら語った。
   何が変わってこうなってしまったのか。経営環境や事業構造の変化について詳述して、伝統的なものづくり能力の維持と環境変化に対応した新しいものづくり能力の育成が必須で、その為には、真理追求型ハングリー精神の復活と自律的精神構造を醸成して、時代の求める「精神構造」の確立が急務だと説く。

   ものづくり能力の向上の為には、
   ・愚直に出来るまで追求して極める品質立国日本の精神構造を取り戻せ。
   ・自ら価値基準を定めてリスクを取り先頭に立つ勇気を持って自律せよ。
   ・成功のシナリオを描いて、そのためのあるべき姿を見極めて、競争優位要因となる持つべき能力像を認識せよ。
   ・時代の要求に合った目的志向で、因果を考察し、本質をつかめる賢い組織、賢いひとになれ。
   と言う。
  
   変化の時代のものづくり戦略として、
   変化への対応や競争力強化への戦略性の向上、製品・サービス規格能力の向上、パートナーシップ・SCM,ヒューマンファクター・技術普遍化技術の考慮、技術者の能力の向上、人材育成などについて説明し、
   事故・不祥事などに対する対応や組織のあり方等も含めてものづくり能力のレベルアップ等広範な論点について語った。

   この飯塚教授の講演は、その後のパネルディスカッション「ものづくり精神で未来を拓く」の前座と言う位置づけで、コマツの野路國夫社長が、教授の話は総てご尤もに聞えるが、如何に実践するのかその実践が難しいのであると述べていたが、この発言に問題点が如実に示されている。
   飯塚教授は、実践出来ないから教えているのだと笑わせていたが、学問としての経営学と実際の実業での実践との乖離である。
   日本人の好きなピーター・ドラッカーが、あれほど、時代の変化に対応したイノベイティブな経営への発想と姿勢が大切かを力説していたにも拘わらず、長くて厳しいデフレ不況の中で、日本企業が苦境に呻吟し続けなければならなかった現実を見れば、このことが良く分かる。

   日経ビジネスの最近号の特集「湘南企業」の記事の中で、アルバックの中村久三会長が、
   「いわゆる『トヨタ式』や京セラの『アメーバ経営』など他社が実践している立派な経営手法はたくさんある。しかし、かれらは自分で考え、独自の経営を編み出したから強くなったのであって、それを真似しても会社として成長しない。だから、私たちも自分で考えることにした。」と述べている言葉の中に重要な意味が含まれている。
   ここで忘れてはならないことは、学問は学問であり、経営学は経営学であって、いくら素晴らしい理論であっても、それを十分に咀嚼消化して、自分たちの企業風土など持てる経営資源を活用するために最適の戦略戦術を打って実践しなければ意味がないと言うこと、 
   しかし、ベストプラクティス等最新の智恵の結集であるから、その中にはその為の智恵と発想が充満しておりショートカット方式での活用が可能であると言う認識を持てるかどうかと言うことである。

   アルパックは、会議はだらだらやると言う「だらだら会議」手法を取っており、時には深夜まで続くようだが、この「だらだら会議」が同社のユニークな革新性を生む逆転経営哲学だと言う。
   この発想は、会議は短く簡潔にと言う一般通念からは逆行するが、茂木健一郎先生を引き合いに出すまでもなく、知の十字路を生み出してメディチ・インパクトをスパークさせる為のイノベーション志向経営の最も有効な手法である。   
   
   話を振り出しに戻すが、飯塚教授の論じていたことは、日本のものづくりの本質は、愚直なまでに品質を追求し続け極める匠の精神が廃れてしまって、時代の流れに振り回されて自律的精神をなくしてしまった日本人のものづくりの精神的構造の崩壊が問題なのであって、このものづくり精神を復活させれば日本の工業力の再生は実現すると言うことである。
   このあたりが、日本経営学の復活を求められる一つの重要な由縁であるのかも知れない。
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メタボリックシンドロームと歯周病・・・村上伸也阪大教授

2008年02月26日 | 生活随想・趣味
   日経ホールで開かれた歯の健康を考えるシンポジウム「オーラルケアでより美しく」に参加し、村上伸也阪大教授の基調講演「メタボリックシンドロームと歯周病~歯周病予防に効果的なバイオフィルムコントロール」を聴講した。
   病気が夫々作用し合うのは当然だと思うのだが、ストレートに学問的根拠を示されて説明されると真面目に考えざるを得ないのだが、歯が人間の健康に取って如何に大事かと言うことを思い知らされる講演であった。
   8020運動と言うのがあって、80歳になっても自分の歯が20本残っておれば健康に老後を暮らせるので、これを目的にしているらしい。
   私の場合は、32本の内抜いたのは2本だから、まだ、随分時間はあるが、20本以上は残ると思うが、男の平均寿命が78くらいのようなのでそれまで寿命が持つかどうかが問題だと思っている。

   歯周病は、歯の生活習慣病だと教授は言う。歯と歯ぐきの間にこびり付いたプラーク(ばい菌の塊)が長年にわたって歯ぐきや骨を攻撃して壊してしまう病気だが、手入れを怠らなければ防げるようで、また、歯肉炎の状態なら回復可能だと言う。
   しかし、歯周病は、ストレス、薬物、全身疾患、口腔衛生不良、遺伝、たばこなどの要因で起こるようだが、歯を磨いておりさえすれば良いというものでもなさそうである。

   歯周病と全身疾患とは相互関連だというが、歯周病が、糖尿病、肺炎、心疾患、血管疾患、低体重児などの病気を引き起こすと言うことで、教授は、特に糖尿病との関係について説明し、歯周病は、糖尿病の腎症、網膜症、神経障害、大血管障害、小血管障害に次ぐ第六番目の合併症だという。
   メタボリックシンドロームとの関連について説明していたが、とにかく、歯周病と言うことのみならず、全身の健康のためにも、オーラルケアの確立が必須だと強調していた。

   歯と歯ぐきの間に出来たポケットに複数の種類の細菌が共存している複合体である粘性のあるフィルム・バイオフィルムを除去すること、すなわち、バイオフィルムコントロールが必須で、その為には、基本は歯ブラシであるが、場所に応じて補助的清掃用具を活用したり洗浄液の使用なども有効だということだが、虫歯を気にするよりも、歯が抜け落ちることを避ける方が先だということであろう。

   ところで、歯周病など歯の病気が細菌から起こると言うことは最近の発見だと言う。
   私が子供の頃は、歯周病と言う認識があったのかどうかは知らないが、とにかく、甘い物はダメで、食事の後には歯を磨けと言われていた。
   歯を真っ黒にしていた子供が結構いたが、虫歯になれば、麻酔なしで抜かれていたように記憶している。
   ところが、イギリスでは、歯を一本抜くのに、確か、一泊入院しろと言われた知人がいたが、歯のことはどうも分かり難い。
   年を取ると歯眼足(他の表現もあるが)と言われるのだが、歯には自信があったのだが、明日から、歯磨きだけではなく、今まで嫌で使わなかったが、洗浄液も活用しようと思っている。
   
   
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世界らん展日本大賞2008

2008年02月25日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   後楽園の東京ドームで開かれている世界らん展2008を見に行った。
   何時も日中に行って、芋の子を洗うような混雑の中で悪戦苦闘しているので、今回は、夕方、閉演直前2時間だけのトワイライトチケットを買って入った。
   もう、10年以上も通っているので殆ど新鮮味がなく、とにかく、展示品の中を歩きながら気に入ったらシャッターを切るといった鑑賞法で、そのらんがどんな種類の花でも、どんな形をしていても、そんなことは一向に構わない。
   ところが、毎年殆ど同じ感じなので、そのシャッターチャンスに関しても、殆ど触手が動かなくなってしまったと言うか、感じなくなってしまった。

   夕刻5時前後に、会場の明かりが消されてディスプレイされたらんや展示作品への照明だけになる時間がある。
   今まで華やかに咲き競っていた蘭が一気に姿を変えて、妖しいライトの中で、微妙に息づく姿は魅惑的でもあり、中々、ムードがあって良いものである。
   この口絵写真は、その時のメインゾーンのあたりの雰囲気で、真ん中の赤紫色のらんが今回の日本大賞2008のらんである。
   名前は忘れてしまったが、とにかく、2メートル以上の株の大きさで、マダガスカルか何処かの希少品種の小株を12年がかりで育てたと言うから頭が下がる。

   らん展を見ていて、これは、日本人好みの世界だなあと思った。
   らんを愛するのは、華やかで美しいということもあるが、これは、日本蘭・東洋蘭を愛でる日本園芸の延長であり、一つの株に、途轍もない数の花を咲かせて豪華に飾るのは、大作り菊の世界と全く同じである。
   私は、残念ながら有名なロンドンのチェルシー花展に行ったことがないので何とも言えないが、キューガーデンには、毎週のように通っていたし、オランダやその他ヨーロッパで機会があれば花展を見ていたが、蘭の花は随分見てきており、後楽園のような豪華な蘭を見たことがない。
   ブラジルでも結構植物園などへ行ったが、蘭はどちらかと言えば野性に近い育て方であり、特に美しく丹精込めて育てていると言う感じではなかったし、ジャングルの木の間から見えるほうが風情があった。

   今は、まだ、蘭を愛する園芸家が丹精に丹精を込めて自然と闘いながら、一生懸命に蘭を栽培しており、バイオテクノロジー(遺伝子組み換え)で新種の蘭を人工的に作り出すということはなされていないようだが、限りなき美の追求が進むと、それも時間の問題かも知れない。
   薔薇やチューリップやゆり、或いは、椿の新種は欧米で開花するかも知れないが、蘭の新種は日本で生まれるような気がする。
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二月大歌舞伎・・・幸四郎の「祗園一力茶屋の場」

2008年02月24日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   白鸚二十七回忌追善で高麗屋となると、やはり、祗園一力茶屋の場と言うことになるのであろうか。
   これまで、大星由良之助については、この歌舞伎座では、幸四郎と吉右衛門をかわりばんこに観ているという感じであるが、今回、平右衛門を、若い高麗屋染五郎が演じたことが、特筆すべき話題であろうか。
   私の場合には、勘三郎、團十郎、仁左衛門の平右衛門を観ているので、キャラクターに対する印象が大分変わった。
   それに、おかるを演じたのが玉三郎であったので、やはり、ベテランの醸しだす舞台とは、どうしても違ってくるのが当然だが、前の3人の役者とも、夫々、キャリアを積んだ天下の名優であるから、舞台そのものの雰囲気も個性的で全く違った独特の味があった。

   この仮名手本忠臣蔵は、史実を大幅に脚色した歌舞伎で、おかる勘平など創作臭の強いキャラクターが登場するなどやはり歌舞伎の舞台だが、この一力茶屋の場面の大星の雰囲気は、我々の持つ大石蔵之助のイメージに一番近い感じがする。
   そのためにも、大星役者の力量が問われるのだが、幸四郎にしても吉右衛門にしても、頭の中に刷り込まれた今様決定版を観ている感じで、共演する役者などトータルの変化が醸しだす舞台を、丁度、何度も聴き込んでイメージの定着したベートヴェンの「運命」や「田園」を、指揮者やオーケストラの変化を楽しんで聴いているような雰囲気で鑑賞させて貰っている。

   この舞台の冒頭の大星は、遊興三昧で遊び呆けた浮様を演じているが、最後の大詰では、吉良邸への討入りを覚悟した臨戦態勢に入っており、心の起伏と変化は極めて激しいのだが、その場その場の心の揺れを、さすがに幸四郎で、心憎いほど実に上手く演じていて爽やかである。
   力弥(高麗蔵)から顔世御前からの密書を受け取る場と斧九太夫(錦吾)との掛け合いの場でちらりと鋭い本心を覗かせるが、寺岡平右衛門とおかる(芝雀)の死を賭した諍いと覚悟を見て一挙に本心を現す。
   勘平の代わりに、軒下に潜んでいた斧九太夫をおかるに殺させて怒りが頂点に達する。
   中間の京都一力茶屋を舞台にしたこの七段目は、華やかで内容の深い舞台だが、前半の事件の舞台と後半の仇討ちをドッキングする重要な舞台でもある。

   この舞台で重要な役割を果たすのが遊女おかる、勘平の妻である。
   腰元から、田舎へ帰って勘平の妻、そして、売られて遊女と3変化するのだが、夫々に特色が出ていて面白いが、この舞台では、五段目六段目のようなくらい悲劇性はないので、遊女としての色気と女の香を漂わせたおかるを見ることになる。
   ことに、密書を読まれた大星がおかるを懐柔するつもりで、二階から自ら梯子をかけて下りるのを助けるくだりで、おかるが「船に乗ったようで怖い」と言いながら下りて来るのを下から見上げて、「船玉様が見える」と洒落込むあたりは中々面白い。しかし、大星の本心は油断による悔恨で心は苛まれて煮えくり返っている。
   死ぬか生きるか、決死の覚悟の仇討ちが主題の物語で、アホかと言うこの落差が江戸歌舞伎の真骨頂と言うか、何の異質感もなかったのが正に時代なのである。
   おかるが、兄の平右衛門に家族の消息を聞きだすところで、中々、最愛の夫勘平の名前を出せずにしどろもどろしながら聞くところが面白いのだが、芝雀の恥じらいの表情が実に初々しくて、突出した華やかさはないが芸の確かさには何時も注目している。

   染五郎の平右衛門は、先輩達の舞台が目にちらついているので、多少オーバーアクションが気になるものの、30代での初めての舞台にしては素晴らしい出来栄えだと思う。父幸四郎からではなく、叔父吉右衛門から教えを請うなどと言うのは面白い。
   弁慶を演じたいと言っていたが、前にも書いたように、染五郎は、女形は勿論、西洋ものの戯曲でも、近松の和事でも、或いは、豪快な立役の舞台でも、ある意味では何でもこなせる器用な万能役者の素質があると思っているので、この平右衛門も、大スターへの一里塚であって、一つの通過点で、次の舞台では一段上に飛躍している筈である。
   芝雀との相性も良く、一寸芝居気には欠けるが、溌剌とした清々しい舞台であったと思っている。
   
   斧九太夫は、これまでは芦燕だったが、今回は錦吾が演じていた。重厚さは増したが、あの芦燕の憎らしさと言うか食えない悪辣さはなくなっていて、丸い感じの九太夫の雰囲気であったが、これも一つの型かもしれない。
   
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低炭素社会:時代の潮流を見誤った経団連の転進

2008年02月23日 | 地球温暖化・環境問題
   経産省が、地球温暖化対策に対して、EUのキャップ&トレード方式の導入を検討するとの日経記事を読んで、2月21日に、経団連の自主規制方式に対して疑問を呈するブログを書いたが、同日に、経団連の御手洗会長が、大分での記者会見で、EUの排出権取引を容認する姿勢を示したと、翌日の日経朝刊が報じた。
   その記事のタイトルが、”EUの排出権取引、経団連会長が容認姿勢「潮流踏まえて検討」”と言うのだから、その時代認識の甘さと言うか、ビジョンと定見の無さに呆れざるを得ないが、これでは、榊原英資教授でなくても、「日本は没落する」と言わざるを得ない。

   経団連は、1997年に、「経団連環境自主規制計画」をぶち上げて、10年以上も、排出権の公平な割り当てが困難であるなどと理屈をつけてEU型のキャップ&トレード方式に執拗に反対し続けて来ており、
   御手洗会長は、12月の鴨下環境相との会合においても、地球温暖化ガス排出の上限を設けるキャップ&トレード型の国内排出権取引制度の導入に反対し、バリで開催中のCOP13において不合理な総量規制を受け入れるなど安易な妥協をしないように釘を刺していた。
   年頭での会合においてもこの見解を踏襲した発言をしており、環境省が、今年に入って、省エネ実績連動を軸とした「ベンチマーク方式」の導入など日本型排出権取引を検討に入ったが、これにも産業界は、EU方式だとして強く反対してきた。
   2月18日の日経とのインタビューで、経団連地球環境部会長である猪野博行氏が経団連の自主行動計画で、地球温暖化防止に十分対応出来ると言い切っており、低炭素社会に向かっての世界の潮流を考慮しようとする姿勢は微塵も無かった。

   ところが、アメリカ次期大統領がEU方式の導入を示唆し、経産省がこれに追随する姿勢を示し、福田首相が環境問題に対する有識者会議を設置する等と言った雪崩現象が起きてきた所為か、舌の根も乾かない内に、「欧米などの世界の潮流を踏まえて、環境問題をテーマとするサミットの主催国として、これを成功させるためにも検討して行くのがカギになる。」と言うのだから、何をか況やである。
   ここで気になるのは、この発言は、経団連の重要な方針の転換であるから、本来なら経団連の然るべき会議で機関決定されるべき重要案件だと思うのだが、経団連のガバナンスはどうなっているのであろうか。
   何れにしろ、地球温暖化対策にとっては良い方向に向かっているので、もう、これ以上何も言うまい。

   20世紀は安価な石油に依存して成長拡大してきた産業社会であったが、アメリカのような石油漬けの消費大国ではなく、幸いなことに、2次に渡る石油危機の為に、日本企業は省エネ技術の涵養に努めて生産技術や製品の質の向上に励んだ結果、そして、個別企業のCSR指向の経営努力のお陰で、産業の低炭素社会への対応は進んでいる。
   しかし、それは、個別企業ベースの努力であって、日本全体としてのエコイノベーションへの取り組みや、エコプロダクツ・エコサービスの創造への努力は勿論のこと、エコ社会への経済社会全体や法制度の整備などは、政府が強力なイニシャティブを取ってこなかった為に、EUと比べれば格段に遅れてしまっている。

   もう一つ温暖化対策について疑問なのは、福田首相が立ち上げる地球温暖化問題に関する懇談会(低炭素社会懇談会)の構成メンバーだが、福田首相は、「良いメンバーだ。電力・鉄鋼は日本の産業界の6割くらい温暖化ガスを排出している。そういう人に積極的に協力して欲しいという思いもあった。」と言っているのだが、そのこと事態がミスキャストではないのかと言うことである。
   産業界からのメンバーは、トヨタ、東京電力、新日鉄だが、これらの業界は、地球温暖化に最も貢献(?)し宇宙船地球号を追い詰めてきた会社であり、そのために見かけ上は、最も温暖化対策にも努力して貢献しているように見えるのだが、キャップ&トレードの排出権規制に執拗に反対してきた日本産業界のエスタブリッシュメント企業であり、足枷にこそなれ益になることはないと思われる。
   ソニーなどクライメート・セイバーのメンバーのように、しっかりとした経営哲学とビジョンを持って地球環境問題に取り組んでいる先進的な企業からメンバーを選ぶべきであろう。

   しかし、メンバーの中に山本良一東大教授が入っているので、十分にカウンターベイリング・パワーを発揮して貰って、本当に日本が低炭素社会のリーダーとなるような提言をしてくれることを期待したい。
   政府の地方分権改革推進委員会の丹羽宇一郎委員長が、後から鉄砲の玉が飛んでくるのを覚悟で引き受けたと言っていたが、このくらいの覚悟でないと、洞爺湖サミットで日本は赤恥をかくだけに終わってしまう。   
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円滑な事業継承と日本経済の展望・・・斎藤精一郎教授

2008年02月22日 | 経営・ビジネス
   日経ビジネス・イノベーション・フォーラムが、「企業価値を高める事業継承とは」と言うテーマでセミナーを催した。
   中小企業庁等の後援なので、中小企業の経営者やその後継者などが多く参加していたようで、銀行、証券会社、M&Aコンサルタント、会計事務所等からも講師が出て、事業継承について、講演を行ったが、まず最初に、斎藤精一郎教授が、基調講演「円滑な事業継承と日本経済の展望」と言う演題で企業環境を取り巻くバックグラウンドから語り始めた。

   斎藤教授が、まず提起したのは、事業を取り巻く経済社会環境の大きな地すべり的変化についてのべ、異常な低金利を続けながらも株も上がらないし経済も良くならない閉塞的な状況下では、
   企業は、この時代の潮流を適格に把握して、トヨタや任天堂のように、これまでとは全く違ったビジネス・モデルなり成長戦略を打ち出さない限り生きて行けないと言うことである。
   企業環境の激変の背景は、欧米に追いつけ追い越せの右肩上がりの時代の終焉、人口構造の変化、世界の激変、等にあるとして、教授は、日本経済の歴史的な背景を丁寧に説明していたが、要するに、潮流の変化を如何に先取りして対応することが如何に大切かを語りたかったのであろう。

   ところで、昨年末から企業倒産件数が異常に増えており、消滅して行った企業の大半は限界企業だと言う。
   例えば、スーパーやコンビニなどIT革命をフルに活用して、豊かな資金力や経営資源を注ぎ込んで経営革新を行っているような経済社会環境下では、中小の零細商店などは、特別な強みがなければ競争出来ず、ひとたまりもなく駆逐されてしまう。
   地方都市の駅前商店街が、シャッター通りになってしまったのは、流通革命の波に乗れずにそのまま事業を展開し続けていた限界企業の当然の結果だと言うのである。

   潮流の適格な把握の次ぎに斎藤教授が指摘したのは、自分の事業の価値を正しく評価することである。
   ゴーイング・コンサーンが言われるが、企業が永遠である筈がなく、精々、10年くらいのキャッシュ・フローによる企業価値評価に、その後の5年くらいの継続価値を加えて評価出来れば良かろうとする。
   しかし、斎藤教授の意識の中には、いくら、適格な事業価値の評価を行っても、生きて行くに耐えて行ける企業がどれほどあるのか、実際には、極めて少ないのではないかと言う懸念を色濃く滲ませていた。

   それでは、資金も人材も、あらゆる経営資源が不足していて、新しい潮流さえ十分に把握する能力のない中小企業は、市場が益々小さくなって行く経済社会環境で、どう生きて行けば良いのか。
   コスト競争では、BRIC’sをはじめとした新興国には太刀打ち出来ないし、このことがグローバルベースでの経済格差の拡大を招いている。

   特別な企業を除いて、殆どの中小の製造業は、大企業の下請けとして、どちらかと言えばコスト削減努力は得意だが創意工夫は苦手であったであろうし、その他の中小企業も、国内市場向けの内需対応の町工場などで、比較的イノベーションとは縁遠い環境にあった。その他の業種においても、サービス産業をはじめとして内需が主体の中小企業が多く、旧態依然とした事業対応を続けて来ており、激変する市場環境に適応する能力など習得する環境にはなかった。
   自分で、勝手に自活して生きて行けと言われても殆ど適応能力がないと言うのが実情であろう。
   斎藤教授は、円安対応はダメで、どのような事業展開をすれば良いのか、専門家のアドバイスを受けてとか、証券化などを提案していたが、生きるか死ぬか、そんな悠長な話ではないのである。
   ポーターの言うコスト競争か差別化戦略かと言うなら、生きる道は、差別化しかないが、ただの差別化ではダメで、如何に、ブルーオーシャンを見つけるかと言うことであろう。
   今ほど、中小企業に、経営学の基礎知識と活用が必要な時代はないと思っている。
   
   ところで、日本M&Aセンターの三宅卓副社長が、現在の中小企業の事業継承には、後継者不足の問題が深刻だと語っていた。
   事業を止めるケースでは、この後継者不在が70%を占めていて、ライフワークを見つけた子供が跡継ぎを拒否したり、厳しい経済環境や経済的メリットが子供になかったり、子供に能力がない場合がその大半だと言う。残りの30%は、空洞化や問屋不用等の趨勢や変化による事業環境悪化などで、先行き不安が原因だと言う。
   中小企業の事業倒産の場合には、自殺か夜逃げかM&Aしかなく、優良企業の事業継続後継者不在の場合も含めて、中小企業のM&Aの相談案件が多くなって来たと語っていた。

   何れにしろ、中小企業対策は、かっての成長を伴った二重構造時代とは違って、今日の成熟期における深刻な格差の問題を抱えているので、今のような政府の生ぬるい対応では問題を深刻化させるばかりで、抜本的な戦略・戦術を打って対処しない限り、日本の経済再生の道は開けない。
   イノベーション、イノベーションと言う掛声だけではダメで、テイクオフするまでサポートする必要がある。
   
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ニューヨーク紀行・・・13 MET:フンパーディング「ヘンゼルとグレーテル」

2008年02月21日 | ニューヨーク紀行
   フンパーディングの「ヘンゼルとグレーテル」は、これまで観たことはなかったのだが、今回は、ジョン・マックファーレンのセットと衣装のデザインが非常に斬新で面白く、ベテラン演出家のリーチャード・ジョーンズと始めて組んだ作品のようだが、オリーバー賞を受賞している。
   マックファーレンはスコットランド生まれで、イギリスで活躍しており、このセットも元々はウェールズ・ナショナル・オペラの為に作られたもので、遊び心十分の子供の世界を楽しませてくれる正にグリムのおとぎの世界である。
   昨年のクリスマス休暇の子供向けに新演出を行った「魔笛」と同じ様な、子供の観客を意図したプログラムで、ドイツ語ではなく英語で演じられていた。
   
   観客には、結構、若い両親に伴われた子供たちが来ていて、特に、第三幕のお菓子の家でのヘンゼルとグレーテルと魔法使いとのやり取りや仕草に歓声を上げていた。
   特に、歌と言うよりも、魔法使いを演じたテノールのフィリップ・ラングリッジの演技が秀逸で、何処にでもいるような中年ぶとりの背の低いおばあさんと言った出で立ちで、スカートをはいた普通の格好をしているので一向に怖くなく、その上にテンポも遅くて多少ずっこけた感じなので、子供たちには大変な親近感である。
   鉤鼻でトンガリ帽子を被り黒いマント姿で杖をついたような、ディズニーの映画に出てくるような魔法使いでないところが面白いのだが、この三幕でのお菓子の家のお菓子やご馳走などセットは非常にリアルだが、前の第二幕の森の場面では、バックスクリーンに描かれた絵や、眠りの精や天使などの出で立ちや舞台設定などかなり空想的な工夫が施されていて抽象的であった。
   この魔法使い役は、普通には、メゾソプラノが演じるようだが、ラングリッジの場合には全く異質感なくて、ロイヤル・オペラ等で、イドメネオやピーター・グライムズやアロンなどを歌っていると言うのだから、さすがにイギリス人歌手である。

   ヘンゼルを演じたのは、イギリス人メゾソプラノのアリス・クーテで、ケルビーノを演じる歌手であるから歌も芸もズボン・スタイルは板についている。
   グレーテルはドイツのクリスティーネ・シェーファーで、可愛い女の子とと言った感じだが、METには2001年にルルでデビューして、世界のヒノキ舞台で、ビオレッタ、ゾフィー、ジルダなどを歌って活躍中のソプラノである。
   このクーテとシェーファーの兄妹コンビは、私たちのグリムの童話のイメージに近い感じで、舞台狭しの活躍で中々素晴らしい。
   始めて観たオペラである所為もあって、音楽がどうだ、歌唱がどうだと言った感覚はなく、音楽劇を観ていると言う感じで観ていたが、そうなると演出とセット・衣装など視覚に訴える劇としての要素がクローズアップしてくる。
   魔法使いのお菓子の家では、テーブルの上にある果物やお菓子を手当たり次第にミキサーにかけるなど、激しいアクションが好評で子供たちが喜んでいた。

   私がそれまでに観た歌手は、母親ゲルトルード役のメゾソプラノのロザリンド・プロウラウトで、若い頃の舞台をロンドンで観ていたが、中々の美人で、ドミンゴやパバロッティ、カレーラスなどと共演して主役を演じていたが、あの頃はソプラノであった。
   今回の舞台では、往年の輝きを聞くことが出来なかったが、今年、ワーグナー指輪のフリッカをロイヤル・オペラで歌うと言うからまだまだ元気のようである。
   父親ペーターを歌ったのがバリトンのアラン・ヘルドで、若く見えたがベテランで、ワーグナーのウォータンやさまよえるオランダ人なども歌っていると言うのだが、おとぎの世界で子供たちと一緒の舞台を観ていると随分イメージが違ってくる。しかし、ずっしりと響く歌声には迫力がある。

   指揮は、グラインドボーンの音楽監督でロンドン・フィルの主席指揮者であるロシア人のウラジミール・ユロフスキ。METには、1999年にリゴレットでデビューしたようだが、その後は、勿論エフゲニー・オネーギンやスペードの女王などロシア・オペラを振っているが、グラインドボーンでは、ロッシーニやヴェルディを指揮しているようで面白い。
   今回のオペラでは、良かったのか悪かったのか分からなかったが、あのうるさ型の聴衆の洗礼を受けてグラインドボーンを仕切っているのだから大した指揮者なのであろう。

   ところで、METの地階のロビーと廊下はギャラリーになっていて、名歌手達の肖像画や彫刻が飾られているのだが、今回は、このヘンデルとグレーテルのセットと衣装を担当したジョン・マックファーレンの下絵が纏めて展示した特別展が催されていた。
   また、別なコーナーには、パバロッティの特別写真展が開かれていて、沢山の舞台写真など思い出の写真が集められていて壮観であった。
   やはり、METにとっては、ドミンゴと共に大変な歌手であったのが良く分かる力の入れようであった。

   METは、やはり、巨大な劇場であり、観客数が多くて華やかであり、隣のニューヨーク・フィルと違って、ニューヨークの文化の殿堂と言う雰囲気が濃厚である。
   ボックス・オフイスは、こじんまりしていてそれほど列が長くなるようには思えないが、定期予約やネット予約が多いのかも知れない。
   今回は、事前に、空席が相当あることが分かっていたので、ネット予約はしなかったが、ヴォイトの歌う「トリスタンとイゾルデ」や、オルガ・ボロディーナの歌う「カルメン」などは、既に、チケットはソールド・アウトになっている。
   出演する歌手や指揮者によって、チケット価格が違うのが普通だが、今のMETは、演目・出演者に関係なく同一価格なのが良い。
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世界の孤児となる日本の地球温暖化対策(?)

2008年02月20日 | 地球温暖化・環境問題
   2月19日の日経に、「米、温暖化対策転換へ 排出権取引3候補前向き」と言う記事が掲載されて、この3人の内の誰が大統領に選任されても、アメリカが温暖化ガスの削減目標を設定して排出権取引を導入することは間違いなくなった。
   ブッシュ大統領が否定してきた排出権取引で足並みを揃えており、国レベルで排出権取引の受け入れで態度を明確にしていない日本は難しい立場に立たされそうだ、とも報じている。
   このブログでも、アメリカがEU主導の排出権取引を導入するのは時間の問題であり、自主規制などと言って世界の趨勢に横になって逆らっている日本は、必ず、地球温暖化対策で孤児になると指摘したが、その通りに世界は動きそうである。

   経団連が、1997年に「経団連環境自主行動計画」を発表して、各産業が誰からも強制されることなく自らの判断で行った全く自主的な取り組みであると自画自賛して始めた地球温暖化対策が、実は衣の下に鎧で、本音は、本日の日経が報じているように、「キャップ&トレード型の排出権取引を導入すると、(自分たちの首が締まり)排出権価格の高騰を招いたり、規制を嫌う企業が国外に生産基地を移したりする懸念がある」等と言った規制反対が本音であった。
   ところが、世界は経団連のエゴなど関係なく大きく動いており、地球環境保護については、先行してスタンダードを確立した欧州型のキャップ&トレード型の排出権取引システムに欧米が雪崩を打って移行しようとしているのである。

   本日の日経が、「経産省が方針転換 ”各企業に上限、売買で過不足調整” EU型排出権取引検討」と言う見出しで、経済産業省が、民間企業などに温暖化ガスの排出量上限を義務付けた上で、排出権の売買で過不足を調整する欧州連合(EU)型の排出権取引の導入の検討に入ると報じた。
   経産省が、EU型のシステムの導入については既に世界の趨勢であって日本もこれに倣うべきであると言う見解に達していたことは、然るべきルートで知っていたので、公式に発表しただけだが、経済界に対して力の弱くなった経産省も、新大統領の下でのアメリカがEU型に追随すると明確になった以上、経団連も有無を言えなくなったと言うことであろう。

   排出権導入と同時に環境税の導入も検討すると言うが当然であろう。
   元々、EU型を押していた環境省と見解が一致して政府としては統一見解となり、依然慎重論が強い経済界との調整が焦点となると日経は報じているが、慎重論などと言う次元ではなく、その程度のお粗末な方針に固守して世界の趨勢について行けないような経済団体が主体の経済社会なら明日の日本は最早ないと思うべきであろう。
   宇宙船地球号が瀕死の状態であり、世界中が必死になって温暖化対策を強化して、地球環境を死守しようと戦っているのである。

   もう一つ、この地球環境の保持で深刻な問題提起は、日経ビジネスの「太陽電池の痛恨 シャープ、世界首位陥落」と言うスクープ記事である。
   CO2を排出しないクリーンな電源太陽電池、これまで日本が技術と市場の両面で世界をリードして来た「お家芸」だが、生産量世界一を誇ったシャープが、1999年創立の新興企業ドイツのQセルズに追い抜かれたのである。
   シャープの落ち込みは、材料のシリコン逼迫で、その調達ミスにあるとしているが、日経ビジネスが報じる別な要因であるドイツの「フィード・イン・タリフ」方式などを含めたEUの地球温暖化対策のためのエコ・ビジネスに対する強力なサポートシステムに、大きな要因があるように思っている。
   「フィード・イン・タリフ」方式とは、事業所や家庭が太陽電池で発電した電気を、電力会社が市場価格よりも高く買い取ることを義務付けることで、ランニングコストを回収出来るばかりではなく、利回りが計算出来るので投資対象にもなっていると言う。

   日本が世界に誇れる唯一の技術は省エネ技術なのだが、その虎の子の太陽電池でも、一寸進めばすぐ補助金を打ち切ってしまって低迷させてしまうと言う日本政府の短慮、あれやこれら総てが、高い技術力で世界の半導体市場で上位を占めていた日本メーカーが凋落した「半導体の悪夢」を思い出させると日経ビジネスは憂う。
   エコイノベーションを経済開発の首座に据えて経済を活性化させてサステイナブル社会を構築して行こうと官民こぞって敢然と立ち向かおうとしているEUに対して、日本はどう戦おうとしているのか。
   技術大国、工業立国の日本が、環境ビジネス、エコイノベーションで遅れを取ってしまえば、もう明日は暗い。
   
(追記)環境問題については、このブログの左欄calenndarの下の方の、categoryのところの「環境問題」の文字をクリックして頂くと、今までの環境問題に対するブログ記事が全部出てきます。暇な時に、宜しければお読みください。   
   
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陽はもう春

2008年02月19日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   久しぶりに、日曜日、川の土手に出て、カワセミに会いに行った。
   何時もの餌場に出かけたが、一羽もいなくて、晴天だが風が強かったので、ダメかと思って帰りかけたら、突き出した土管の端に一羽のオスのカワセミがとまって水面を凝視していた。
   ベテランのカメラマンになるとカワセミの動向を良く知っていてすぐに見つけるのだが、私の場合は行き当たりばったりなので、幸運だけが味方である。
   この日は、風が強くて寒かったので、日曜日なのに誰もカワセミを追う素人カメラマンは来ていなかった。後で会った人に聞くと、最近カワセミを見かけなくなったと言っていたが、一ヶ月来ない間にカワセミの行動が変わったのであろうか。
   双眼鏡を持って探鳥に来ていた若いカップルと一緒になって、暫くカワセミを追っかけてから、土手を散歩しながら帰った。

   小鳥たちが草叢で飛び交っているが、非常に動きが敏捷で、カメラに納まってくれるのは沢山いる鴨くらいで、ひわの仲間やツグミの仲間などすぐに飛び立ってしまう。
   バンの写真を撮りたくて遠くから近付いたが、すぐに川岸の草叢に隠れてしまって、身体が黒いので、根元が赤くて先が黄色い嘴の動きは見えるが中々出てこない。
   非常に臆病な鳥だが、暫く辛抱して待っておれば出て来るのであろうが、運動兼用の散歩なので何時も諦めて先を急ぐ。尤も、こんな趣味を兼ねた散歩なので運動にはなっていないとは思っている。

   帰り道、田んぼの畦道を歩いたが、まだ、春の息吹は感じられなかった。
   もうすぐ、いっせいに土筆が頭を出し始めるのであろう。
   そして、赤や青の小さな草花が咲き乱れる。

   わが庭には、最近、ツグミやムクドリが来ている。
   先日、メジロに混じってカラの仲間だと思うが小さな鳥が群れて百日紅の枯れた実を突付いていた。毛色が全く違うのに行動を共にしているのである。
   やはり、一番頻繁に来ているのはヒヨドリで、これが、時にはあたりを威嚇するかと思うと、小さなワビスケ椿にぶら下がって蜜を吸っている。
   野山の木の実も少なくなってしまったのであろうか、最後まで残っていた庭の木の実も、とうとう、万両とヤブランを最後になくなってしまって、残っているのは、一寸大きなアオキの実だけになってしまった。
   濃いオレンジ色に染まったクチナシの実は、どの鳥も食べそうになさそうである。
   実が完全になくなってしまったので、勢いよく伸びていたムラサキシキブの枝を短く剪定した。
   キジバトが一羽住み着いている感じだが、時々庭をつついているが何を食べているのであろうか。
   
   この頃、毎日のように夜の気温がゼロを切っている所為か、朝には、庭の地面も鉢の表面もカチンカチンに凍り付いている。
   しかし、その合間から、水仙やヒヤシンスなど、少しずつ元気な緑の芽を出し始めている。
   今年は寒さの為に遅れているが、咲いている筈のスノードロップもまだ蕾さえ出ていないし、クロッカスなど、もっと育ちが遅い。
   相模や一子などのワビスケ椿は咲き続けているが、花形の大きくて花びらの厚い曙や天ヶ下や紅妙蓮寺などの椿は、寒さにやられて花びらが痛んで可愛そうである。
   今年の寒さは椿には厳しくて、霜や寒さの為に葉やけして、緑の葉が黄変してしまって回復するか心配している。

   しかし、まだ咲いておらず、びっしりと蕾をつけた椿の方は、春を感じ始めたのか、蕾の先が伸び始めて少し色づき始めてきた。
   匂い椿の港の曙が、色づいているので、もうすぐ小さなピンクの花をいっせいに開くのであろうか。
   もう、春がそこまで来ているのである。

   
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二月文楽公演・・・近松の「冥途の飛脚」

2008年02月18日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   近松門左衛門の「冥途の飛脚」が、玉女の亀屋忠兵衛、紋寿の遊女梅川で舞台にかかった。
   三年前に、玉男の忠兵衛、簔助の梅川で観たが、この時は、最後の「道行」は、玉男から勘十郎に代わって演じられた。
   その翌年に玉男が亡くなったので最晩年の舞台だったが、その前に、大阪の国立劇場で玉男と簔助の「冥途の飛脚」を観ている。

   歌舞伎では、近松より早く、一説に伝えられている実話に近い形で、梅川が廓を抜け出す為に忠兵衛を騙したと言う話で上演されたようだが、今では、改作されて、この近松の浄瑠璃を元にした「恋飛脚大和往来」となって、「封印切り」「新口村」などの名場面が演じられている。
   仁左衛門・玉三郎コンビを筆頭に色々な役者たちの素晴らしい舞台を楽しませてもらって来たが、関西の和事の世界が色濃く滲み出ている素晴らしい歌舞伎である。

   しかし、私自身は、話としては、近松オリジナルの人形浄瑠璃の舞台の方が悲劇性が増すような気がしている。
   例えば、元々、近松の場合には、丹波屋八右衛門は善人として描かれていたようだが、歌舞伎では、全くの悪人として登場し、憎く憎くしさを強調している。原作では、新町越後屋の場で、忠兵衛のことを思って店に寄せ付けないようにと諭す意味で善意で暴露した話が、立ち聞きしていた忠兵衛の誤解を招いて、封印を切るべく追い詰めてゆくことになっているが、この方が遥かに良い。
   それに、スペイン人から「スペイン・ルネッサンス劇集」を学んだ近松だからこそ、「冥途の飛脚」などと言うウイットに富んだストレートでモダンなタイトルを付けたのであって、「恋飛脚大和往来」のセンスとは大違いである。

   この浄瑠璃は、短気で我慢の出来ない一途に思い詰めて突っ走る自分本位の忠兵衛と言う男と、姿も心も、余りにも健気で優しく美しい梅川と言う女の、切なくも悲しい片道切符の悲恋物語だが、
   それだけに、公金の封印を切って法を犯して身請けして本当の夫婦になったのはほんの一瞬とは言え、一時でも長く生きられるだけ生き、添えるだけ添おうと追手を逃れて必死になって、雪の中を新口村を目指して落ちて行く道行が哀れである。
   「いろで逢ひしは、はや昔、今は真身の女夫合い、恋は今生先の世まで、冥途の道をこのように、手を引かうぞや、引かれう・・・」梅川の言葉が悲しい。

   忠兵衛の薄弱さは、八右衛門の悪口雑言(?)に煽られて、封印を切ってしまうところに良く現されているが、その前の「淡路町の段」で、急ぎの公金300両を夜中に届けに行くべく歩き出すが、自然と反対側の梅川の居る新町の方に向かっていて、西横堀川の畔を、行こうか戻ろうかと、何度も往復しながら逡巡して、結局は、梅川が用があるか神の導きと「いってのけよう」と誘惑に負けるという伏線が張られている。
   玉男は、三味線の音に乗せてステップを踏んでいた、姿が眼に焼きついている。

   一方の梅川は、遊女の悲しい性や忠兵衛との恋について知りすぎる程知っている。忠兵衛と恋が実るかどうか気がかりだが、他人に身請けされては、自分が不本意なだけではなく、見世女郎には実がないと世間に指差されるのが辛い、梅川には女の面目があったのである。
   女郎の実と心意気を描いた近松らしい作品だと大谷晃一先生は言っている。
   余談だが、輪違屋の当主高橋利樹氏が「輪違屋」物語で、芸妓さんは好きな人を旦那さんにしてはいけない、どんどん貢がせてすぐ分かれたらモッタイない、元とらなあかん、と思わせるべしで、惚れたら負けだと書いている。

   玉女の忠兵衛は、一番弟子として玉男の芸を忠実に継承しており、若い分、それだけ、動きが力強くリズミカルで、多少モダンな感じがするのは気の所為ばかりではなかろう。
   がしんたれの大坂男を、人形に心を吹き込んで上手く遣っていて、素晴らしい忠兵衛に仕立て上げていた。特に、封印を切ってから梅川の手を引いて転びながら門口を逃げるまでの、心の起伏に強弱をつけ起承転結をハッキリさせるなど工夫が見えて非常に興味深かった。
   まだ、簔助との近松和事の世界の舞台を観たことはないが、玉女の相手は、やはり、紋寿や勘十郎や和生であろう。何となくそういう気がする。
   豪快な立役の舞台なら玉女は相手役を選ばないであろうが、やはり、玉男と簔助との近松コンビには染み付いた強烈なイメージが残っていて、前回の冥途の飛脚の「道行」で、玉男の代役を弟子の勘十郎が勤めていたのを見ても分かる。

   紋寿の梅川は、健気で必死になって忠兵衛に心の丈をぶっつける仕草の優しさが何とも言えなく意地らしくて、感動して観ていた。
   簔助を尊敬していて一歩でも近付きたいと言っていたが、簔助のように昇華された美しさとは違った、人形の動きにもう少し生身の人間の息づかいを感じさせるようなヒューマンな泥臭さが残っていて、それが、梅川の表情と表現に美しく現われていて効果を増幅していた。
   誠心誠意しかない女の誠を、体ごとぶっつけて忠兵衛にすがりついて諭す姿や、一瞬とは言え忠兵衛の戯言を信じて本当に身請けされたと思って喜ぶ表情や、暗転して公金横領と知って驚愕ししてわなわな震えたかと思うと、潔く、死を覚悟して冥途の旅に着く潔さなど、正に、素晴らしい芸のなせる技であった。
   大分以前に、著書の「文楽・女形ひとすじ」を読んでいたので、何時も、紋寿の舞台には興味を持って観ているのだが、素晴らしい近松の舞台を見せてもらった。

   「封印切の段」の人間国宝となった竹本綱大夫の素晴らしい義太夫と鶴澤清ニ郎の三味線の素晴らしさは、言うまでもなく絶好調で、今回も字幕を全く見ずに浄瑠璃に集中して聴いていたが、文楽が三業の創造的な総合芸術であることが良く分かった。
     
   
   
   

   
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ニューヨーク紀行・・・12 MET:ロッシーニ「セビリアの理髪師」

2008年02月17日 | ニューヨーク紀行
   「セビリアの理髪師」は、昨年、METライブ・ビューイングで観たのと同じバートレット・シャー演出の舞台だが、配役は完全に変わっていた。
   シェイクスピアや忠臣蔵と同様で、同じ舞台でも役者が代われば雰囲気が全く変わってしまうのだが、このオペラのように強烈な個性を持ったキャラクターの人物が登場するオペラでは特にそれを感じる。

   今回の注目は、ロジーナを演じるラトヴィアのメゾソプラノ・エリーナ・ガランシャのセンセイショナルなMETデビューで、METが、Debut Artists at tha Metで、筆頭にレポートしている。
   しかし、彼女の場合は、既にヨーロッパ各地のトップ劇場で十分にキャリアを積んだスター歌手で、特に、ウィーン国立歌劇場では、今回のロジーナの他にも、コシ・ファン・トッテのドラべラ、フィガロの結婚のケルビーノ、シャルロッテ、オクタヴィアン、アダルジーザ等で出演して名声を博している。
   METデビューには、芸術性、タイミング、経験、訓練、幸運が揃っていなければならないが、ガランシャの場合には、総て万全で準備は一切必要なく、ニューヨークの聴衆が期待するのは、彼女の芸術的な成熟である、とMETの音楽管理監督のクレイグ・ルーテンバーグが語っている。

   色々なロジーナの舞台を楽しんで来たが、確かに、演技も抜群の魅力的なロジーナで、どちらかと言えば、セビリア一の深窓の令嬢と言った感じの淑女と言うイメージではなく、一寸モダンでおきゃんな雰囲気を持った溌剌としたロジーナで、陽気でリズミカルに畳みかける様な軽快なロッシーニの音楽に乗って、実に小気味良くて清々しく、抑揚の利いた張りのある美しいガランシャの歌声を聴いているとうきうきしてくる。
   ウインクした流し目など実にコケティッシュで、細面のエキゾチックな表情が実に艶やかなので、アルマヴィーヴァ公爵ならずとも魅惑されてしまう。
   ベルリン崩壊直後に、隣のエストニアに行ったことがあるが、ラトヴィアは、バルト三国の一つで前はソ連の一部だったが、民族的には北欧の国、生粋のヨーロッパの一部であるので、ヨーロッパで大活躍するのも良く分かる。

   もう一人のデビュー歌手は、アルマヴィーヴァのホセ・マニュエル・サパタ。グラナダ生まれで、2001年にロッシーニの「イタリアのトルコ人」のアルバザールで、オヴィエドでデビューしており、ロッシーニのスペッシャリストだとMETは紹介している。
   2010年には、ルネ・フレミングと歌うと言うから成長は著しい。
   少しずんぐりむっくりでロジーナよりやや背が低くて、前回の貴公子然としたスマートなファン・ディエゴ・フローレスと比べると一寸公爵のイメージと違ってくるが、ロジーナを陥落させたいばっかりに、酔っ払いの兵士になったり、音楽教師の助手に化けたり、とにかく、ドタバタ喜劇の芸達者で、あまくてよく伸びるテノールが心地よく大いに楽しませてくれる。ドンキホーテの国スペイン、どこかに、こんなイメージの領主がいる筈と納得させてくれる。

   タイトルロールのフィガロを歌うのは、ミラノ生まれのイタリアのバリトン・フランコ・ヴァッサロである。
   2005年に、METで同じフィガロでデビューしているので、再登場であるが、同じイタリア人でも、ライモンディやレオ・ヌッチと言った個性派ではなく、どちらかと言えばパバロッティに似た明るくて陽気なイタリア人気質で、声も演技も正に打って付けのフィガロと言う感じで、ニューヨーク子が喜ぶのも無理はないと思った。
   ところが、私の周りにいた熟年カップル達の大半は、イタリア・オリジンであろうか、イタリア語が分かっていて、所々イタリア語で話していたが、やはり、オペラはイタリアのものだと言うことである。あのモーツアルトさえ、最後の魔笛はドイツ語だが、残りのオペラ総てはイタリア語で作曲している。

   何人もの美女を従えて、色々な商品や道具を満載した派手なボックス荷車に乗ってフィガロが登場するところから正に喜劇で、この雰囲気は、愛の妙薬のイカサマ師の舞台やエイドリアン・ノーブル演出のRSCのシェイクスピアの「冬物語」の舞台を思い出させて、ワクワクさせてくれる。
   とにかく、一介の理髪師、と言っても当時は外科医でもあり何でも屋であったのだが、この身分違いのフィガロに友達扱いされて、徹底的にずっこけて猿芝居を演じる公爵を登場させるなど、ボーマルシェの権力者に対する風刺もロッシーニに至って効きすぎていると言うところである。

   指揮は、フランス生まれのフレデリック・シャスリン。私は、始めて聴く指揮者だが、1997年からウィーン国立歌劇場のレジデント指揮者で、イタリアやフランスものの歌劇を110回以上振っていると言う。
   METへは、2002年のトロヴァトーレでデビューし、その後、「ホフマン物語」や「シチリア島の夕べの祈り」を振っており、あの徹頭徹尾浮き立たつような軽快で歯切れの良いロッシーニ節を存分に楽しませてくれた。

   私は、サウンドを楽しみながら劇を味わうと言うオペラの観方であるから、とにかく、ロイヤル・オペラでもそうだったが、ベルディとは違って、芸達者の歌手達によるロッシーニのオペラ、特に、このセビリアの理髪師は、聴いていて気楽だし実に楽しい。
   セビリアには、何度か行っているが、どのあたりを舞台にしたのであろうかと思うと一層興味が湧いて来る。
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二月文楽・・・「義経千本桜」勘十郎の源九郎狐宙を舞う

2008年02月16日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   義経から貰った初音の鼓をしっかりと抱えて、喜び勇んで帰って行く源九郎狐の人形を遣う桐竹勘十郎が、国立劇場の宙に舞う。
   義経達の立つ河連館が舞台に沈んで行き、春爛漫と咲き誇る吉野の桜の背景がどんどんせり上がって行くので天高く登って行くような錯覚を覚える感動的な幕切れが、国立劇場(小)で演じられている、文楽第三部「義経千本桜」の素晴らしい舞台である。
   ずっと以前に、歌舞伎で猿之助の忠信が鼓を玩びながら花道の上を宙乗りで3階の客席に消えて行くのを観たことがあるが、あの世界である。

   今回の文楽の舞台は、二段目冒頭の「伏見稲荷の段」、四段目の「道中初音旅」と「河連法眼館の段」で、佐藤忠信に化けた源九郎狐に焦点を当てた舞台で、子狐と義経・静御前との出合から、静を伴っての吉野への旅、初音の鼓の皮が子狐の両親である千年狐であり親を慕って付き従う子狐の素性が明かされるまでの感動的な舞台が展開されている。                                     義経千本桜と言うのであるから、この桜爛漫の吉野を舞台にした「道行」から「河連館」が、この歌舞伎の頂点かも知れない。

   この狐忠信のモデルとなった佐藤忠信は、言わずと知れた義経四天王の一人で、元々東北武士だが、藤原秀衛の命によって義経に随行した忠臣で、西国への都落ちの途中で、宇治で義経と別れ別れになり、都での潜伏中に討たれているが、吉野までは同行していたのであろうか。
   重臣であることを利用して狐に名を騙らせるなど面白い発想だが、逸見の遠太を蹴散らして静を助けた功によって源九郎義経の名を与えるなどは芝居の発想であろう。
   尤も、この義経千本桜は、義経の都落ちに付随して、亡くなった筈の平家の武将・知盛、維盛、教盛などの復讐劇を織り交ぜて、お里やいがみの権太などと言った庶民を表舞台に登場させるなど話自身が奇想天外なので、むしろ、演出としての舞台そのものを楽しむべきなのであろう。

   道行には色々な舞台があるが、この「道行初音旅」は、吉野へ向かう旅なので、静御前(和生)と狐忠信の二人だけの登場だが、小気味良く変化する舞台も人形の衣装も実に豪華で美しく、「恋と忠義はいづれが重い、かけて思ひははかりなや。」と大夫の浄瑠璃が始まるのだが、船が難破して義経達が吉野にいることを知って「恋の方が重い静御前」が都を離れて旅に発ち、鼓を打つと狐忠信が現われて、二人で舞を舞う。  
         
   「河連館」では、国に帰っていた本物の忠信が会いに来たので、義経は預けおいた静御前の様子を聞くが、何も知らない忠信とは一向に話が合わず、疑いを持つが、そこに静が登場して、静と旅を共にした忠信が怪しまれ詮議することになる。
   鼓を打つと狐忠信が出て来たので、静が切りつけ白状せよと迫ると、自分は、桓武天皇の御世に雨乞いの為に殺されて初音の鼓の皮にされた千年功経る牡狐牝狐の子で、付き添うて守護することが親孝行と思い、「切っても切れぬ輪廻の絆、愛着の鎖に繋ぎ止められて、肉も骨身も砕くる程、悲しい妻子を振り捨てて、去年の春から付き添うている」のだと、泣いて口説いて身悶えして、どうど伏して泣き叫ぶのである。 
   しかし、本物の忠信殿を暫くも苦しませるのは汝が科、早く帰れと父母が諭すので古巣に帰ると言いながら、初音の鼓を見つめたまま行きつ戻りつ離れられない。
   さすがの静御前も、子狐の誠に眼も潤み、別室の義経に声をかけると一部始終聞いていた義経が自分の運命と重ね合わせて業因を感じて、狐忠信に礼を言って鼓を与える。

   鶴澤燕三の三味線に乗って浄瑠璃を語る咲大夫の哀切極まりない源九郎狐の慟哭が激しく胸を打ち、浄瑠璃語りがこれ程までに激しく心に響くのか、感極まりながら聴いていたが、実に感動的な大詰であった。
   そして、とにかく、勘十郎の源九郎狐の素晴らしさは特筆モノで、時にはぬいぐるみの白狐になって舞台を走ったり飛んだり、侍の忠信になったり、赤い炎の刺繍の入った白装束の狐忠信になったりと人形を変えながら、本人も衣装を早変わりで変え、窓から軒下から塀から飛び出したり舞台狭しと走り回り、縁の下から伸び上がって静と鼓に訴えかけたり、地に伏して拝んだり、人間では演じ切れない人形ならではの舞台を魅せてくれて人形遣いの奥深さを実感させてくれて感激であった。
   人形が、あれほどの悲哀と悲しみのをあらわせる等想像を超えている。
   狐の姿を借りて、親子の情愛を語りかけた素晴らしい文楽だが、名調子の浄瑠璃と人形の名演技が呼応して爆発して火花を散らすと、増幅効果が極限に達する、そんな興奮を覚える舞台であった。

   道行から、優雅で美しく気品に満ちた静御前を遣った和生あっての勘十郎の源九郎狐であったことも事実で、特に、源九郎狐をおびき出す為に鼓を打ち、切りかかり、鼓を片手に打擲して詮議するあたりの人形の立ち居振る舞いなど実に優雅で素晴らしいと思った。
   義経を遣った文司は、堂々とした格調の高い義経像を作り出していて、好感が持てた。

   菊五郎や勘三郎の源九郎狐の舞台を歌舞伎で観ているが、又別な感動を文楽の舞台で観ることが出来て幸せであった。
   ところが、昼の第二部は「満員御礼」だったが、朝の第一部と比べても、何故か、この夜の第三部の方に空席が多かったように思えた。

(追記)写真は、文楽カレンダーから複写。大阪では、文吾が源九郎狐を、勘十郎が静御前を遣ったようである。
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ニューヨーク紀行・・・11 ニューヨークのメトロ

2008年02月15日 | ニューヨーク紀行
   今度のニューヨーク滞在中、ニューヨークでの移動は単純だったので、総てメトロ一本で通した。
   メトロは、何処で乗っても何処から乗っても一回乗車は2ドルなので220円だが、あの広いニューヨークが何処まで行っても2ドルなので東京よりは安い感じである。
   一日乗車券が7ドルだから、770円で、これも、東京メトロの710円、都営地下鉄の700円と似たり寄ったりで、今の1ドル110円前後の交換レートは、丁度購買力平価に近いのではないかと思う。スターバックスやマクドナルドの価格でも殆ど同じで、ボリュームのある分だけアメリカの方が安い感じであった。

   ところで、メトロのチケットだが、カーネギー・ホールの横を地下にもぐったところにある57ST駅には、この口絵写真の自動チケット販売機1台があるだけで、駅員のいるブースに行って切符を売ってくれと言っても、この機械で買えと言うだけで、ロンドンのように駅員のいるチケット販売窓口など全くない。
   この自動販売機だが、日本のように沢山のボタンがある懇切丁寧なしろものではなく、ボタンは一つしかなくて指示に従って順番に目的のチケットに近付くまで押し続けると言うシステムである。
   それに、この機械一つしかないので、一回の切符も、1週間の切符も、1月の切符も、メトロカードへのチャージも総てこれで買うことになる。

   不思議なのは、この販売機で切符を買っているのは、何時も私くらいで、とぼけた観光客以外は全く使っておらず、交通の激しいペン・セントラル駅(ここには機械が4台くらいあった)でも、販売機を使っている人は見かけなかったので、定期券を持っているのか、別のシステムで切符を手配しているのかも知れない。
   何れにしろ、そうでないと、この一台の自動切符販売機でさばける筈がなく、壊れればパニックになる筈なのである。
   日本の場合には、とにかく、私鉄やメトロなど別の会社が乗り入れており切符の価格等バリエーションが多すぎるのが問題で、アメリカのように切符の種類が数種類しかなくて少ないと非常に単純で合理化出来るのかも知れないと思った。

   私は、トラブルがあっても問題が起こらないように、外国では、何時も、一日乗車券を買って動いているが、アメリカのことだから、誤作動して入口の開閉器が開かない駅があった。たまたま、傍に駅員がいたので助かったが、とにかく、外国でのメトロ利用には神経を使う。

   駅でメトロマップ、すなわち、路線図をくれるのだが、駅がいくらも錯綜していて、日本のように同じ路線の場合には、同じプラットフォームか、隣のホームに上下線の乗降ホームがある筈だが、必ずしもそうではなく、あさっての方向にあることがあり、出入り口を間違うと意図した方向に行けなくなる。
   ローカル(各駅停車)とエキスプレス(急行)の乗り場も別れているし、時間によって位置が変わることもあり、やはり、慣れないと、たまに来る観光客には、中々ニューヨークのメトロを利用するのは難しいと思った。
   尤も、東京の地下鉄でも、最近は複雑になってアクセスを間違うととんでもない所で出入りすることになるので偉そうなことを言えないかも知れない。

   日本のメトロのように綺麗な布張りのシートではなく、冷たくて硬いプラスチックのシートでいかにも殺風景な社内だが、昔のような落書きなど全くなくなり、社内の雰囲気は大分よくなっていて危険な感じはしなくなっていた。
   問題は、東京のメトロのように3分おきに次の列車が来るのではなく、随分待たされるのでいらいらすることであろうか。
   それに、駅は暗くて工場の中を歩いているような感じで、やはり、日本の地下鉄と比べれば、あんまり乗りたくはないと言うのが正直な所である。
   しかし、何処の大都市の地下鉄でも、慣れてしまえば便利なのかも知れない。
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