熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

東大小宮山宏総長の地球温暖化対策

2008年05月31日 | 地球温暖化・環境問題
   東大の小宮山総長の、持続可能な地球環境の維持に関する熱意は並大抵のものではなく、私自身、東大の安田講堂やその他の会場で何度も聞いている。
   ヒートアイランド現象、エネルギー資源少、廃棄物増加、環境汚染、少子高齢化etc.人口稠密で、GDP世界第2位の日本は、正に「課題先進国」であり、この極めて深刻な人類があまねく将来にわたって直面するであろう課題に果敢に挑戦して解決の道を見出して、日本は世界をリードすべきであると提言している。

   今回、「環境とエネルギーフォーラム」で、総長自らの経験において「小宮山エコハウス」を作り出すことよって、現在の技術によって、私生活からCO2を8割削減したと報告した。
   2002~4年に、断熱、エアコン、ヒートポンプ給湯、太陽電池etc.によるエコハウスに改築、2002~4年に、ハイブリッドカーへ買い替え、2008年に、冷蔵庫買い替えによって、1990~2001年に比べて、80%のCO2消費量を減らしたと言うのである。

   冷蔵庫の買い替えについては、小宮山夫人とバトルがあったと言う。
   「使える冷蔵庫を捨てるなんて勿体ない。」
   「古い冷蔵庫をまだ使っているなんて勿体ない。」
   しかし、結局、「勿体ないのはエネルギーだ。」と言う小宮山理論が勝ち説得に成功したのだと言う。

   小宮山総長の仰ることは尤もだとは思っても、庶民は、経済的な判断が優先して、そう簡単に、ばさばさ今使っている機器やシステムを切り替えるわけには行かないのが現状で、やはり、実用化へのイノベーションの速度が問題である。
   このフォーラムの前半の「ヒートポンプが切り開く地球温暖化防止」と言う第1部で、実質6分の1の電力で同等の能力を出す素晴らしいヒートポンプシステムを活用したエコ機器についての説明があった。
   絶対温度マイナス273度以上の温度があれば、ヒートポンプ技術で熱を放出できるようで、実際に、三菱電機のコーナーでは、マイナス30度の大気から吸熱して40度の外気を放出しているエアコンが稼動していた。
   しかし、いくら素晴らしくてランニング・コストが少なくても、100万円以上もする機器をおいそれと簡単に導入する訳には行かないのが現実であろう。
   それに、まだ初期段階なので、イノベーションの進展によって、急速に良いものが安く出回る可能性を考えれば、尚更、二の足を踏む。

   私は、このような人類の長期的ニーズにあったエコ技術の普及の為には、十分にインセンティブになるような政府の促進補助策が必要だと思う。
   このエコキュートの導入の場合には、4.2万円の補助が出るようだが、いかにも中途半端である。
   太陽電池については、既に補助が打ち切られているようだが、生産ベースに乗ればコストが削減され市場に乗るはずなので、その臨界点に達するまでは、エコ先進国の欧州流の技術普及システムを見習って、政府も積極的に普及策を取るべきであろう。
   
   ところで、小宮山総長は、現実の危機は2050年以降に来る。全ての人工物は2050年には置き換えられる。と言う。
   実際、現存の木造家屋は、寿命から言ってもその頃には大半建て替えられている勘定で、小宮山エコハウスのような思想で最新のエコシステムを導入した環境や機器を購入して行けば、計算上は、大幅なCO2削減は可能だと考えられる。
   従って、買い換える時には高効率製品を! そうでないともったいない!と仰る。

   分かったようで分からない話だが、今、政府も製造業など産業のCO2削減策に熱心で、人々の目もその方向にばかり向いているようだが、CO2排出の相当部分は、一般民生、我々、民間消費者によって排出していると考えられるので、小宮山提言は極めて重要な示唆であると考えるべきであろう。

   第2部のパネルディスカッションは、この小宮山総長の話だけ聞いて、次のスライウォツキー氏の講演に行ってしまったので、どのような話の展開になったのかは分からない。
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エイドリアン・J・スライウォツキー「大逆転の経営」を語る

2008年05月29日 | 経営・ビジネス
   スライウォツキー氏が来日し、丸善の「日経セミナー・ルーム」で、「The Upside」の出版を記念して、講演及びサイン会を開いたので出席した。
   100人足らずの聴衆で、書物の重要さを考えれば全く勿体ない感じがしたが、若い人が比較的多く、壮年以上は、経営関連事業や経営学に興味を持って勉強している人たちのようであった。
   事前に、この「大逆転の経営」を読んでいたので、非常に、スライウォツキーの論点が分かり易く、それに、多少違った側面からの説明があって興味深かった。

   経営には、多くのリスクが伴い、飛ぶ鳥を落す勢いの超優良企業でも、瞬時に急速に企業価値の失墜を来たすことが頻発する今日、その経営リスクの最たるのもは、「戦略リスク」である。
   その強烈な「戦略リスク」と言うウイルスは、技術分野に始まり、優良企業中の優良企業に、そして、最高のビジネスデザインを誇る最も優れた経営陣へと蔓延している。
   このような企業を窮地に追い込む破壊的変化を予測し、その脅威を成長機会へと転換し大逆転する技術こそ、「戦略リスクマネジメント」である。
   事前に備えることの可能な7つの戦略リスクについて、典型的な企業のケースを詳述しながら、透徹した独特な視線から、「戦略リスクマネジメント」の手法を、詳細にキメ細かく説いたのが、「大逆転の経営」である。

   この日、スライウォツキー氏が説明したのは、テクノロジー・リスク、ブランドリスク、プロジェクト・リスクとカスタマー・リスクで、トヨタとツタヤなどを例に引いた。
   「テクノロジー・リスク」については、インターネット・ブックショップのアマゾンに、最大の書店であったバーンズ&ノーブルが凌駕されてしまったケースを述べて、新しいイノベーター競争企業が新しい技術革新を導入して参入して来た場合に、それに対抗する為に、将来を見越して「ダブルベッド」策を講じて二股戦略を打つことが如何に重要かについて語った。
   B&Nの場合、インターネット・ブックショップにダブルベットしたのは、36ヵ月後で、
   マイクロスフトがグーグルに遅れたのは48ヶ月
   ソニーとマイクロソフトがiPodに遅れたのは69ヶ月
   GMがトヨタのハイブリッドに遅れたのは84ヶ月
   既に、勝負がついていて勝ち目がなく凋落するのみだと言うことである。

   「ブランドリスク」については、フォードの凋落ぶりを語った後、高級品指向へのサムスンの挑戦について語った。
   ブランド・イメージを引き上げるために、
   デザイナーをエンジニアーの上位に引き上げ、
   EU市場で新商品を出す時には旧商品を一挙に市場から引き揚げ、
   携帯電話に不具合が出た時、膨大な量の携帯電話を社員の面前で償却したり、
   イメージアップを図るため、ウォルマートでの販売を高級店に切り替えたりしたと言うのである。

   「プロジェクトリスク」については、コスト10億ドルで成功率5%以下のプロジェクトであったトヨタのハイブリッド・プロジェクトについて語った。
   プロジェクトリスクで、失敗率は非常に高い。
   新商品(食品)78%、新商品96%、 M&A60%、 ITプロジェクト76%、 VC/新ビジネスプロジェクト80%
   イノベーション指向の戦略的経営で、このプロジェクトリスクに果敢に挑戦して、ブルーオーシャンを目指す、攻撃は最大の防御であると言うことであろう。
   スライウォツキー氏のこの書物で、最も前向きの戦略である。

   「カスタマーリスク」については、ツタヤを例証していたが、カスタマー情報の収集と戦略的な活用が如何に大切かと言うことである。
   スライウォツキー氏は、これを「知識集約型ビジネス」と言う言葉で展開しているが、不確実性の領域を縮小して、予測能力を高め、マネージャーがより正確な決断を下せるように、企業固有の無数の未知を体系的に数値で示し、調査し、分析し、分類することによって、ビジネスを行う方法であると説いている。

   CCCを、トヨタやソニーと同列に扱うのはおかしいのではないかと言う聴衆からの質問に、将来伸びる成長産業に興味があり研究しているのであって、大企業だからとか有名企業だからと言うのには一切興味がないと言いながら、殆ど日本人には知られていない欧米のイノベイティブな優良企業について、鉄砲玉のように列挙して説明していたのが印象的であった。
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映画:チャーリー・ウイルソンズ・ウォー

2008年05月28日 | 映画
   タリバンとの戦いでいまだに民主化の進んでいないアフガニスタン問題に、アメリカが如何に介入してしまったのか、信じられないような実話を基に展開されているのが、この映画で、テキサス選出のチャーリー・ウイルソンズ下院議員(トム・ハンクス)が、テキサス6番目の富豪で美人セレブのジョアン(ジュリア・ロバーツ)に、アフガンの人々の為にアフガニスタンを救って欲しいのと言われて対ソ戦争の為にアメリカを巻き込む話である。
   2時間の映画なので、話が単純化されていて非常にシンプルだが、丁度冷戦時代で、アメリカが前面に出るわけには行かずCIAの極秘作戦として、パキスタンやエジプトやイスラエルを巻き込んで武器を調達し、反政府武装組織であるムジャーヒディーンに軍事的サポートをして、ソ連を撃退する過程を、ペシャワルの難民キャンプやアフガンでの戦闘場面を展開しながら娯楽映画として纏めていて面白い。

   アメリカを介入させて、ソ連を撃退したのが良かったのかどうかは疑問としても、終戦後、アメリカが完全にアフガンから手を引いてしまって、100万ドルの学校援助資金さえ出し渋った議会でのやり取りを映し出して、チャーリーが、「最後に失敗してしまった」とナレーションが入り、民間人として最高の栄誉を受けて表彰されるシーンとダブらせているのが面白い。
   その後、タリバン勢力がアフガニスタンを支配し、ムジャーヒディーンの一人であるオサマ・ビン・ラディンがアルカイーダとしてアメリカに楯突くなど、アフガニスタン戦争と世界的なテロを引き起こし、大変な世界的な危機の引き金を引くこととなる。
   ソ連がアフガニスタンに介入したのは1978年で、その後、チャーリー達の肝いりで米ソの代理戦争となり、ソ連の撤退まで10年かかったが、その後、アフガン戦争を経るも、まだ、アフガニスタンに平和と平安が訪れていない。

   その意味では、この映画は、テキサス選出ウイリアムズ議員が、下院の国防歳出委員会を説得して、500万ドルの援助資金を10億ドルまで引き上げて、アフガンの悲劇を救う為にアメリカを立ち上がらせたと言うエポックメイキングな事件を扱ったものだが、それが本当なら、当初は、アメリカは、冷戦の最前線であったアフガニスタンに、殆ど興味も関心も抱いていなかったということになる。
   結局、ソ連は、レーガンの仕掛けたスター・ウォーズ競争とアフガン侵攻により国力を消耗して、アフガン撤退2年後の1991年に崩壊してしまうのだが、
   同時に、アフガン戦争が、アサマ・ビン・ラディン率いるアルカイダを目覚めさせ、イスラム原理主義による国際テロが、イラク戦争の引き金を引いて、アメリカ経済を疲弊させて、更にサブプライム問題で窮地に落しいれている。
   そう思ってみると、この映画は、気の良いヤンキーの脳天気な娯楽映画のように思えてくるのが不思議である。

   ウイリアムズ議員が、フロリダの美人富豪の甘事に乗ってパキスタンのハク大統領に会ってソ連の脅威を知り、パキスタンのアフガン難民キャンプのすさまじさを見て発奮して、CIAのはみだし者ガスト(フィリップ・シーモア・ホフマン)を使って、極秘裏に、利害の錯綜するパキスタン、エジプト、イスラエルを巻き込んで、アフガンの武装組織ムジャーヒディーンを奮起させて、ソ連軍を撤退させる。
   しかし、この男は、資金集めのパーティに出ては、麻薬を吸い、ストリッパーと混浴する無類の遊び好きで、議員スタッフはチャーリーズ・エンジェルと呼ばれる美人女性ばかりで、大変なアフガン介入援助を画策している最中に、麻薬吸引容疑で逮捕されるかどうかの瀬戸際である。
   まともに見ておれば、当時、大統領や国務省、或いは、国防省などが、どう動いて、どのような反応をしたのか等と気になるのだが、そんなことはそっちのけで、アフガンの惨劇とソ連の脅威に触発されたチャーリーの破天荒な手柄話だけが突っ走る。
   
   とにかく、トム・ハンクスのチャーリー議員は、出色の出来で流石に素晴らしい映画俳優だけあって、国会議員だと言ってもストリッパーに笑い飛ばされて信用されないハチャメチャな桁外れの議員から、外国や国会内を精力的に走り回ってアフガン救済の為にアメリカを巻き込む活躍ぶりや風格さえ見せる下院議員の仕事振りまで堂にいっていて、楽しませてくれる。
   いかれCIAガストを演じるフイリップ・シーモア・ホフマンが実に良い味を出していて、これに、妖艶な魅力を振りまくジュリア・ロバーツが加わり、中々魅力的な議員助手を務めるエイミー・アダムス、老練な国防歳出委員会のドク・ロング委員長のネッド・ビーティなど助演陣の活躍で、楽しい映画となっている。

   たった一人で世界を変えた本当にウソみたいな話・・・と言うのが、日本語のプロモーション文句だが、ほんとにそうなら、世界史には必然など、全くないと言うことかも知れない。
   あの時、一寸針が横に振れた為に、世の中はこんなに変わってしまった、そんなことの積み重ね。地球温暖化も、針が振れて、宇宙船地球号を救って欲しいと思う。
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ソニー・ブランドの凋落・・・エイドリアン・J・スライウォツキー

2008年05月27日 | 経営・ビジネス
   「ザ・プロフィット」の著者エイドリアン・J・スライウォツキーが、新しい著書「大逆転の経営 危機を成長に変える7つの戦略 THE UPSIDE The 7 Strategies for Growth Breakthroughes 」を出した。
   昨年、監訳者の伊藤元重教授が、講演で、この本に言及したので原書を読もうと思ったのだが、結局、翻訳本を読むことになった。
   
   この本は、戦略リスクを、アップサイド・チャンスと捉えて挑戦し大逆転する経営戦略を説いた経営リスク・マネジメントの本だが、日本のトヨタとツタヤのケースなども詳細に論じていて分かり易くて面白い。
   最大の危機は、最大のチャンスが訪れる瞬間であると言う非常に透徹した視点から、リスクが訪れる瞬間を認識し、予測して、不利なリスクの中に隠れた有利な可能性を引き出し、チャンスへと転ずる準備をする方法を示すのだと言う。

   今回は、本題からやや離れて、アップルの成功例と比較しながら、ソニーのブランドの凋落について、戦略リスクの観点から説かれていて、その論点が興味深いので、その点について考えてみたい。
   普通は、ソニーの場合は、イノベーションの失速の観点から論じられることが多いのだが、やはり、大きな経済社会の変革の中で、イノベーターとして確固たるブランドを誇っていたソニーも、時代の潮流に付いて行けずに、戦略リスクを避け得なかったということであろうか。

   最初は、ダブル・ベット戦略のミスである。
   ダブル・ベットとは、ギャンブラーが、複数の結果を得る為に掛け金を分散してリスクを減らして勝率を上げる古典的戦略で、ウォークマンで一世を風靡したソニーも、iPodにダブル・ベットしなかった為に、アップルに負けてしまったと言うのである。
   ダブル・ベット成功例として、IBMのサービスへの、そして、マイクロソフトのインターネットへのダブル・ベット、
   行わずに失敗した例として、モトローラのデジタルへの、デトロイトのハイブリッドへの、ブロックバスターのネットフリックスへのダブル・ベットしなかったことを挙げている。

   もう一つは、ソニーのブランドリスクへのマネジメントの失敗である。
   ウォークマンで沸いていた頃のソニーは、完璧な品質、リーダーシップで、正にイノベーターの最先端を走っていて、SONYの4文字に、人々は、熱狂、賞賛、情熱の感情を抱き、プレミアム価格をものともせずにソニー製品を買い求めた。
   しかし、当初は、電気機器メーカーがライバルであったが、マイクロソフトやアップル、ヒューレット・パッカードに加えて、更に、ウォルマート、アマゾンなどが競争に参入し、優れた製品を廉価で提供する為に、熾烈な競争が展開されるようになり、その上、エイペックスのような安い中国メーカーが加わるようになって価格破壊が進み、消費者の嗜好が変わり初めて、ソニーのブランド神話が崩れ始めた。
   家電分野での競争再編を促す多元的な力が、ソニーと言うブランドに容赦なく圧力をかけて、ブランドリスクは更に高まり、顧客の心の中に起きていたブランド神話の崩壊を映し出すように、ソニーのブランド・バリューの衰退が生じ、顧客との強かった絆がほころびを見せ始めた。

   スライウォツキーは、ブランドリスクを克服する手法として、ブランドと製品とビジネスデザインとのベストミックスである「ゴールデン・トライアングル」理論を展開している。
   ビジネスデザインへの投資はブランドへの投資だと言う観点から、果敢に、R&Dとデザイン優先の高級品指向へ方向転換を図ったサムスンを成功例として詳しく説明しているが、逆に、ソニーの場合には、イノベイティブな製品開発が後手に回り、ビジネスデザイン改革をミスった経営戦略の不在などで、明暗を分けたのであろう。

   私自身は、ソニーのイノベーターとしての由縁である破壊的イノベーションを生み出せなかったと言うこと、例えば、高度なウォークマンもPS3も持続的イノベーションであって破壊的ではないので、技術的にはいくらソニーが卓越していても、破壊的イノベーションであるアップルのiPodに負け、任天堂のWiiに負けてしまったのだと思っている。
   スライウォツキーが指摘するように、ブランドと製品とビジネスデザインのゴールデン・トライアングルを上手く回せなかった、ブランドリスクを、アップサイド・チャンスに大転換出来なかったソニーのマネジメントの蹉跌は大きい。
   
   別な所で、スライウォツキーは、家電業界を、典型的なノープロフィットゾーンに突入した産業としている。
   利益を締め付けている構造的要因として、小売業者が力をつけてきたこと、消費者の選択肢がが多様化したこと、驚くべき速さで新製品の模造品が登場すること、中国などの極端な低コスト・メーカーの登場などが挙げられ、コストが追いつかない速さで価格の低下を招き、利幅を消滅点まで圧迫していると言う。
   水車の中のハツカネズミのように、走りに走っても、失速すれば振り落とされてしまう過酷な産業なのである。
   デジタル化の進展により、モジュラーアーキテクチュア主体になり、コモディテイ化が急速に進んでいる家電業界において、破壊的イノベーションを忘れたソニーの未来への不安については、このブログでも何度も書いているので止めるが、このスライウォツキーの新しい本の提示する問題は、ほんの僅かな記述だけれど、ソニーにとって極めて重要な指摘だと思っている。
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新緑に萌える野山の輝き

2008年05月26日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   先日、久しぶりに、少し前まで飼っていたシーズー犬のリオと一緒に歩いていた散歩道を通って森林公園まで出かけた。
   咲き乱れていた花々が殆ど終わってしまって、林も森も鮮やかな新緑に覆われて緑一色である。
   大木では、トチノ木が大きな葉っぱを広げ、楠木が黄色っぽい小さな房状の花をつけ、銀杏の木の新緑の蝶の様な葉が、太陽に反射して光り輝いている。
   綺麗な花をたわわにつけて輝いていた椿などの花木も、新しい葉をつけて、来年の花の為に一生懸命に光合成してエネルギーを蓄えているのかと思うと、自然の営みに感激である。
   桜の木も、楓も緑一色に姿を変えていて目立たず、その合間を、ウグイスが木々を渡りながらしきりに鳴いている。

   竹林では、たけのこ取りを免れたたけのこが、黒い鞘のような皮を残しながら勢い良く伸びて、親竹の仲間入りをしているが、先に伸び始めた兄貴分は、足の方は親と変わらない緑の立派な姿だが、頭の方には黒い皮を被っている。竹は、たけのこも親竹と同じ太さで同じ高さまで一挙に大きくなるのが面白い。
   私の庭の玄関口に、金明竹を植えたのだが、遮蔽壁を作らなかったので、地下茎が伸びて、時々、ビックリするような所から竹が出て困ることがある。萌芽力は抜群に強い。

   遊歩道の両側に植えた染井吉野が、緑の鬱蒼としたトンネルを作っていて、広々と広がった芝生の広場と対照的で、木漏れ日に揺れる微妙な緑のコントラストが美しい。
   オランダにいた頃、良く、あっちこっちを車で走ったが、夏の季節には、森や林には、必ず、家族づれが、林間にシートを敷いて寝そべったり、ボール遊びに興じたり、自転車でサイクリングしたりしながら、森林浴を楽しんでいたのを良く見た。
   秋の紅葉の頃、森全体が、真っ黄色に染まって金色に光り輝くのも美しいが、新緑に萌えいずる短い夏の林間も感動するほど美しかったのを思い出す。
   
   帰り道、冬にカワセミを追う川辺に出て土手道を歩いた。
   夏草が繁茂し、水面が見つらくなって来たが、橋の下の淀みには、大きな鯉が何匹も流れに逆らいながら回遊している。
   1メートルほどもある鯉もいるのだが、精々川幅5メートル、深さも1メートルあるかないかの小さな川に、これだけ多くの鯉がいるのが不思議で、何を食べて生きているのか心配になるほどである。
   この川には、冬には鴨が沢山訪れて来るし、非常に自然が豊かだが、やはり、小さくなってしまったとは言え、印旛沼が近くにあり、多くの森が残っている所為であろうか。
   何時も、通り過ぎるだけの土手道だが、カワセミを追うようにじっくり観察すれば、面白い小動物たちの営みを発見できるかも知れない。

   驚いたのは、先日、夜、車で外出しようとして、上を見たら、車庫の上の電線に、フクロウが一匹止まって見下ろしていたのである。
   真っ暗だが、ほんの数メートルの距離だから、見間違うわけはなく、フクロウのシルエットで、耳がないから、フクロウだが、森が近いとは言え、これまで、フクロウなど見たこともなかったのでビックリした。
   急いでいたので、写真に撮れなかったが、近くの森に住んでいるのなら、千葉のトカイナカも捨てたものではない。

   水田は、田植が終わって、少し育ってきたのか、緑色に変わり始めて、蛙が鳴き始めた。
   もうすぐ、梅雨の季節である。
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国立劇場文楽公演・・・人間国宝揃い踏みの「心中宵庚申」

2008年05月25日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今日で国立劇場の5月文楽は終わってしまったが、近松門左衛門の最後の世話物の作品だという「心中宵庚申」は、昨年の4月に大阪で上演されたバージョンである。
   冒頭の「上田村の段」には、竹本住大夫の浄瑠璃に、簔助のお千代と文雀のおかると言う姉妹人形の登場で、珍しく、3人の人間国宝が揃い踏みし、八百屋半兵衛に勘十郎、島田平右衛門の紋寿と言うベテラン人形遣いが加わり、熱気のある素晴らしい舞台を展開した。
   舅の虐待に耐えかねた八百屋半兵衛が妻お千代と心中した実話を脚色した浄瑠璃だが、他の近松門左衛門の心中もののように、遊女にうつつを抜かしたのでもなく、公金を横領したのでもなく、幸せに暮らしていた夫婦が、姑のいじめが原因で、義理と人情の板ばさみになって心中すると言う話が興味を引く。

   三度目の結婚で八百屋半兵衛に嫁いでいた4ヶ月の身重のお千代が、折り合いの悪い姑の母に一方的に実家に戻される。
   そこへ、何も知らない夫の半兵衛が、実父の17回忌に故郷浜松から帰る途中に立ち寄り、それを知り、義父平右衛門に絶対に分かれないと約束して水杯を交わして一緒に大坂へ連れて帰る。
   これが、「上田村の段」だが、途中に、冷たくあしらう姉のおかるの態度を怪訝に思い、病床の義父が、お千代に、平家物語の祗王を読み聞かせよと指示して、半兵衛を清盛にたとえて恨み言を言うので、事情を知った半兵衛は、申し開きの為に自害しようとする場が入る。
   実姉のおかるとの気のおけないやり取り、実父の不運続きで恵まれないお千代への思いやりといとおしみ、そして、夫への揺れる思いなどお千代の心の迷いや葛藤や、義父と娘の夫との切ない義理と柵の錯綜など、素晴らしい住大夫の語りと錦糸の三味線に乗せて、生身のような人形達が悲しい人間のサガに翻弄される。

   次の「八百屋の段」は、連れ戻って親類の山城屋に預けていたお千代の存在を、義母に知られて切羽詰り、自分から離縁を申し渡すと義母に言って、そのために、義母に自分が間違っていたと言わせてお千代を家に帰らせる。
   姑の理解を得たと喜ぶお千代に、本当のことを打ち明けて、「去った」と言って家を追い出して、その夜半に、毛氈に脇差や死装束を包み、門口で待っていたお千代と死出の旅に発つ。
   嶋大夫の語りと宗助の三味線の名調子が冴え、紋豊が使う八百屋伊右衛門女房が憎々しい大坂のおかんの味が良く出ていて、益々、半兵衛とお千代の哀れさが際立つ。
   最後は、「道行思ひの短夜」で、庚申参りの人波に紛れて生玉神社にやってきて、半兵衛が、不憫なお腹の子供を思いやるお千代を刺し、自ら武士の誇りを保って切腹する。

   何故、邪悪な姑の思いだけに振り回されて善意の人々が苦しみぬいて、前途ある若い夫婦が心中しなければならないのか、最後の最後まで、封建社会に生きる人々のどうしようもない悲しみや苦しみを、透徹した眼で見据えながら、しみじみと情感豊かに描こうとした近松門左衛門の世話物の真骨頂かも知れない。
   理不尽で絶対に受け入れられないような無慈悲な運命でも、義理の為に、夫婦や親子など肉親の恩愛をも犠牲にして、精一杯に生きようとする人々の、何処へも行き場のない悲しく切ない真摯な生き様を活写しながら、人間の本当の姿を描こうとしたのかも知れない。

   八百屋主人の伊右衛門が、宗教に入れあげて店のことを一切女房に任せているので、養子の半兵衛が、店を取り仕切る義母にたてつく事が出来なかった悲劇が発端で、妻お千代への義理、義父平右衛門への義理の板ばさみにあって、死を選ばざるを得なかったのであろう。
   しかし、どうしてもしっくりいかないので、調べたら、20年以上前の和田勉演出のNHKドラマでは、半兵衛(滝田栄)を義母のおつや(音羽信子)が溺愛して、恋敵のお千代(太地喜和子)を苛め抜き離縁すると言うストーリーに脚色していて、これなら、もっと、ストレートで話が分かりやすい。
   あの音羽信子のことであるから、キッと、背筋の寒くなるような鬼気迫る色と欲の錯綜したえげつない大坂のおえはんを演じたことであろう。
   
   ところで、昨年、初めてこの文楽でコンビを組んだ簔助と勘十郎が、お千代と半兵衛の比翼塚のある天王寺の銀山寺を訪れて、人形を持って墓前に手を合わせ、同寺にある玉男の墓にも参って「心中宵庚申」の舞台報告をしたのだと言う。
   簔助がお千代を初めて遣ったのは昭和40年のNHKでの収録だということで、玉男との共演が多く、その時、勘十郎は、足や手を遣っていて玉男の芸は十分に理解しているので、期待して欲しいと言う。
   簔助としては、勘十郎と共演して人形を遣えば遣うほど、期せずして自身のみならず玉男の芸の伝承・継承となり、正に、一石二鳥で、これ以上の師弟関係の幸せはないであろう。
   簔助のお千代は言うまでもなく絶品であるが、律儀で義理人情に厚い半兵衛が元武士の魂の疼きを感じながら、徐々に崩れて行く心中までの心の起伏を、勘十郎は実に丁寧に演じていて流石に上手い。
   玉男と簔助の男と女の舞台は、頂点に達した両巨匠の織り成す丁々発止の世界であったが、簔助と勘十郎の紡ぎだす男と女は、もっと血の通った至近距離の間柄で、ドロドロした柵も含めて、今を時めくこの師弟コンビが、どのような文楽の男と女の世界を創造してくれるか、今後の舞台が楽しみである。

   最後になったが、実に優しく情味溢れるお千代の姉のおかるを遣った文雀の芸の冴え、それに、女形の重鎮である紋寿の、一途に薄倖の娘お千代を思いやり、夫半兵衛に決死の覚悟で娘を託す百姓ながら剛直な島田平右衛門の感動的な姿も忘れられない。
   近松門左衛門の浄瑠璃の良さは勿論だが、このような現在最高峰の人形遣い達が共演した火花の散るような舞台があればこそ、住大夫と錦糸の名調子が燦然と輝いたのだとも言えそうである。
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金融・証券トップが語る~貯蓄から投資へ

2008年05月24日 | 経営・ビジネス
   日経ヴェリタス創刊記念セミナーが、「金融・証券トップが語る」セミナーを開いた。
   大和証券G鈴木茂晴社長、三井住友銀行奥正之頭取、三菱東京UFJ銀行永易克典頭取が登壇し「貯蓄から投資へ」と言うテーマで、語るというのであるから、興味津々の聴衆で、日経ホールは一杯になった。
   しかし、鈴木社長は、一般的な経済社会情勢から、最近の証券会社の業務について当たり障りのないスピーチを行ったが、続く、奥頭取は、最初から最後まで、投資信託の窓販立ち上げから個人向けコンサルタント業務など住友三井の投資関連業務の説明に終始し、永易頭取も、銀行の貯蓄から投資への業務シフトの現状と問題点から説明を行ったが、やはり、自行の投資業務の説明に終始し、それも、パワーポイントを頼りに、原稿を読み続けるだけだから、殆ど顔を上げない。

   日経編集局長もコメントしていたが、頭取がこれだけ詳細に亘って自行の投資業務を説明するのなどは想像できないので、それなりに勉強は出来たが、もう少し、値打ちのあるマトモナ話が聞けるのではないかと思っていたので、拍子抜け、これが聴衆の偽らざる感想であろう。
   日経トップが主催者挨拶をし、本社の編集局長が司会進行を担当する日経ヴェリタスの創刊記念セミナーと言うのだから、正に日経の隠然たる威力と言うべきか、金融・銀行のトップの緊張振りも良く分かる。
   
   鈴木社長のスピーチで多少頭に残っているのは、サブプライム問題は、三月のアメリカ政府の一連のベア・スターン救済策と実質的公的資金の投入時点で山を越したということと、これからは、新興国の動向を注視することが重要で、中国のインドが身近にあり、技術を持った日本経済の出番が拡大するというコメント。
   最近では、サブプライム問題が下火になって、インフレの方が問題となっているが、実際、サブプライムは終わったのであろうか。私には、どんどん増殖を続けて行き場のなくなった膨大なマネーが、サブプライムのように本来貸し出せないような貸し出しを行って、その融資を錬金術にした金融工学の手法は益々発展して行くので、また、新しいシステムを生み出して行き、同じ様な金融危機を惹起するのは必然だと思っている。
   インドはとも角、技術については、あらゆる手段を駆使して新技術・最先端技術を収奪しようと虎視眈々の中国を相手に、日本企業が、みのり多き技術戦略で勝利は愚か、利益など長期的に得られる筈はない。
   ユニクロのように、それなりの商品を安く製造させる生産基地としての中国進出は良いであろうが、ハイテクや新技術を持って中国に進出する企業は、先が暗いと思っている。

   奥頭取は、顧客本位のパートナー、コーディネーターとしてのコンサルティング業務の展開を強調していた。
   顧客本位のFace to Faceのコンサルティング、グループ・系列を超えた顧客ニーズ重視の商品選択、ヒアリングからアフターフォローまでのPDCAによるプロセス重視の営業活動で、個人客の投資等資産運用をサポートするのだと言う。
   トータルコンサルティングを通じて「満足」と「安心」を提供し続ける「生涯のパートナー」として、長期的な信頼関係を構築して行くと言うのだが、奥頭取も強調していたように、元々、投資信託の窓販を行う為に、シティからプロを招聘し、山一の倒産により人材を確保して拡大してきた業務であり、これまでの住友を見ておれば、正直な所、額面通りに、なるほどと頷く気にはなれない。

   永易頭取は、貯蓄から投資への動向を、常識を疑うと言う視点から日本の最近の傾向を語り始めた。
   実質的な貯蓄から投資への移行はそれほど進んでいないこと。
   サブプライム以降の株価の下落にも拘らず投資信託の解約率が殆ど普遍で、外国為替レートの変動と外貨預金が極めて連動していることから、日本の金融リテラシー(金融に関する基本的な知識を持ち、それに基づいて適切な意思決定が出来ること)が向上していること。
   日本は、アメリカと比べて、金融資産は減少し続けているが実物資産は増加しており、金融資産だけではなく実物資産を含めた総資産の点検監理・有効活用が重要になって来ていること。
   マネーのグローバル化が進んでいるが、依然資金の「輸出」が「輸入」を上回っていること。

   これらを考慮して、金融資産だけではなく総資産へ、そして、資産管理に加えて資産運用を、さらに、日本市場の活性化を図って資金の輸入増を拡大すべきだと言う。
   MUFJのリテール事業は、個人のお客様の将来の幸せQuality for Youが目標で、サービスNo.1、信頼度No.1、国際性No.1を目指すのだと宣言する。
   最後に、先日のシステム障害が気になったのか、「システム統合を完了させ世界水準の商品・サービスを提供します。」と締め括った。
   私は、これまで、結構、欧米で外銀と接触したり、ロンドンで、シティでの外銀の動向を見て来たが、日本の銀行マンの知識情報等を含めての業務能力の劣勢は覆い隠すべくもなく、その後、日本銀行業の冬の時代で更に悪化している筈であるから、もっともっと、真剣に勉強すべきで、そうでないと、世界水準の商品・サービスなど提供出来る筈がないと思っている。
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鉄の開く未来・・・日本鉄鋼連盟シンポジウム

2008年05月23日 | 政治・経済・社会
   日本には、古くから「たたら製鉄」と言う手法で鉄が生産されていたが、大砲鋳造には、亀裂が入りやすいという欠点があって、丁度、江戸末期、外国船が日本近海に出没していた時期なので、国防上の要請により、砲身に亀裂が入りにくい品質の高い鉄が求められた。
   このために、盛岡藩士の大島高任が、1858年に、良質な鉄を求めて、釜石に「洋式高炉」を築造して操業を始めた。
   これが、日本における「近代製鉄」の原点だと言うことで、今年が、近代製鉄発祥150年に当たるので、日本鉄鋼連盟が、記念シンポジウム「鉄の開く未来」を日経ホールで開催した。

   山根一眞氏の基調講演「鉄は文明の秘宝」と、木場弘子キャスターの司会で、住友金属工業の友野宏社長と北野大明治大教授によるパネルディスカッションが行われたが、これまで、沢山のセミナーやシンポジウムに出ているが、一番、興味深くて大変楽しいシンポジウムであった。

   ビッグバンから説き起こして、地球が、3分の1鉄で出来ている「鉄の惑星」であり、海から生まれ出でた我々人類の身体にもヘモグロビンと言う形で鉄が体中を駆け巡っているなど卑近な話から、鉄の文化や地球温暖化対策まで、非常に幅の広い分野に亘って、話題が弾んだ。
   鉄に限りなく入れ込んでいる山根さんが、この日を期して「メタルカラー列伝 鉄」を出版し、その薀蓄を傾けた新鮮なトピックスを、貴重なスライドなど映像を駆使して展開し、
   シンポジウムでは、友野さんの社長と思えないようなタレントぶりに、「たけしの兄」の北野先生が絡んでの非常に博識な話題を、木場さんが実に上手く引き出していて、正に、これこそテレビで放映すべき貴重な「鉄の教室」であると思った。

   山根さんの話で、ブラジルの鉄鉱山が話題になっていたが、私が、サンパウロに赴任したのが、1974年で、丁度、ブラジルブーム真っ盛りの頃で、確か、リオドセ鉱山の開発、ウジミナス製鉄所建設や積み出し港等の整備への日本企業の参画が進出目的の一つであったような記憶がある。
   今や、リオドセがヴァーレとなり、世界最大の鉄鉱石を所有する鉱山会社となり、世界の鉄の運命を一手に引き受けている感じだが、今昔の感である。
   民営化の時に、4兆円で売り出されたのを、日本が買っておれば良かったと、山根さんは言っていたが、前にも書いたとおり、ブラジルには、日系移民と言う素晴らしい日本にとっては宝のような人的資源とコネクションがあるにも拘らず、軽視ないし無視して財界も政界も殆どブラジルには注意を払わなかったのだが、BRIC’sと騒がれてからでは、もう遅い。

   興味深かったのは、友野社長が、
   日本の鉄鋼生産のエネルギー原単位の生産性が最も高いのでこの技術を世界的に普及させ、鉄鋼の質を益々高度化し、また、コークス炉ガス改質水素による鉄鉱石の還元技術によるCO2抜本的削減開発プログラムを推進すれば、まだまだ、地球温暖化対策のためのCO2削減は可能である。
   この日本の技術を持ってセクター別アプローチを進めたい。と言う発言であった。
   鉄鋼の質については、同じ高さのエッフェル塔と東京タワーでは使用鉄鋼量は半減しており、質の向上によって、どんどん鉄鋼量の使用が減っており、今日では、1200㍍の高さのタワーの建設まで可能だと言う。
   しかし、産業別に最先端の技術を如何に世界中に普及させて、その技術に平準化して行くのか、これは、現状のグローバリズム経済なり、資本主義経済を理解しないユートピア的な議論だと思う。
   セクター的な技術的アプローチは極めて有益だが、あくまで補完的な手段で、市場原理がエンジンである資本主義システムでは、問題が多くて次善の策であっても、排出枠を設定して、炭素に価格をつけて取引させ、市場メカニズムを活用するのが一番ワーカブルなのである。
   問題が起これば、その都度アジャストすればよい。為替管理と同じである。
   
   ステンレスが、失敗作として、偶然、生まれた。セレンディピティだと、北野先生が言ったのに対して、友野社長が、元素記号の隣のクロムやニッケルの合金比率を変えながら試行錯誤の上で生まれたものだとの説明があった。
   イノベーションが生まれる時に、セレンディピティが話題を呼ぶが、しかし、現実には、大変な科学的・技術的な試みの積み重ねの結果に生まれ出でることが多く、問題は、その偶然の結果の値打ちに気付くことで、これを如何に実用化してイノベーションに結びつけるかであろう。

   北野先生は、技術は、モノとエネルギーと情報との結合から生まれるのだと説明していたが、もう、その技術もイノベーションも、革命的なものでなければ地球が持たなくなってしまった。
   私は、地球温暖化の問題も深刻だが、山根さんが指摘していたように、その一因でもある人口の増加そのものが、問題だと思っている。
   私の子供の頃は、人口30億人だと言っていたが、人口100億人は目前だと言う。
   マルサスでなくても、この驚異的な速さで増え続ける人口を、有限で小さな地球のエコシステムガ支えきれる筈がなく、破綻への道へ一直線に突っ走っているような気がして仕方がない。

(追記)たたら製鉄の記述について、アンフェアだとのコメントだが、鉄鋼連盟の見解だと言うことで書いたので、他意はない。(2009.1.12)
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日本はユニークな国、悲観論は間違い・・・中谷巌理事長

2008年05月22日 | 政治・経済・社会
   三菱UFJR&Cの中谷巌理事長が、堺市の日本経済活性化シンポジウムで、「日本経済の大局観~地域と環境の視点から~」と言う演題で公演を行った。
   西欧の大量消費型ではない、日本本来の良さを生かして、心から楽しめる自然と共存共栄した豊かな地域社会を作ろうと言うことだが、日本のユニーク性については、ハンチントンの文明の衝突を引き合いに出しながら、独自の理論を展開した。
   この論点については、このブログの昨年8月23日に詳細に論述しているので省略するが、冒頭、最近識者の間で蔓延している日本悲観論について、間違いであると指摘したことに関連して、考えてみたい。

   日本の一人当たりのGDPが世界で第18位に下がってしまったと言う発表について、これは、1ドルの交換レートが160円で計算されたところに問題がある。
   20年前と比べて購買力平価では、1ドル70円くらいであり、仮に、これで計算すると世界第3位で、現在の交換レート103円で計算すると、7~8位となる。
   したがって、18位は交換レートの所為でこうなったので、日本が一挙に没落したのではない。
   それに、上位は、アイルランドやルクセンブルグなどの小国で、主要国では依然トップクラスである、と言う。

   この点については、特にユーロやポンドの異常高を反映していて交換レートの関係で、正しく評価されていない旨、先にこのブログでも論じているし、中谷理事長の主張は正しいと思うが、いくら計算根拠を説明して力んでみても、バブル崩壊後、15年以上もの間の長いデフレ不況に呻吟し、殆ど経済成長から見放されて来たことを考えれば、日本経済が、異常に活力を失って疲弊してしまっていることは、紛れも無い事実である。
   悲観する必要も、卑下する必要もないとは思うが、日本が普通の国に近付いてしまったことは事実なので、今となっては、経済社会や政治体制などの制度疲労を認めて、新生日本を目指して敢然と立ち上がる以外に道はない。

   この視点から噛み付いたのが、大田大臣の「日本経済は、もはや一流ではなくなった」と言う発言で、大臣が口が裂けても言うべき言葉ではないと言う。
   ここで、中谷理事長は、欧米などの階級社会と、エリート教育をしてこなかった日本の平民平等社会との違いについて論じ、エリート社会の欧米では、エリートである筈の日本の大臣が言うのだから正しいと信じるので、日本の経済は見込みがないと思って株を売ったので暴落したのだと苦言を呈する。

   欧米のトップ・クラスの高等教育は、完全に将来社会をリードするエリートを育成する為の教育を目的にしており、ノブレスオブリージェなどの倫理観や使命感を含めて社会を背負って立つ能力と素質を磨く使命を背負っている。
   しかし、日本の場合には、戦前ならいざ知らず、今日では、東大と言っても、エリート教育などされていないであろうし、まず、教授も学生もエリートだという認識が希薄であろうし、また、そんな意識をおくびにも出せば、国民の顰蹙を買う。
   エリートを育てていない、そんな意識もない、それに、欧米のエリートと比べて勉強もロクスッポしていない日本のビジネスマンやトップが、欧米のエリートと対しているのだから、低く見られるのも当然だと、中谷教授は言う。
   小林陽太郎氏の言う日本の企業トップには、リベラル・アーツの教養が不足していると言う理論の、それ以前の問題なのである。

   ところで、中国だが、この国は、科挙の伝統のある階級社会を反映しており、ティエリー・ウォルトンの「中国の仮面資本主義」を見ると、中国のニュー・リーダーは、フランスの超エリート校エコール・ポリテクニークに匹敵する北京の清華大学で、徹底的に専門的なエリート教育を受けて、共産党員として非の打ちどころのない指導者となるのだと言う。
   胡錦濤主席しかり、温家宝首相しかりである。

   私自身は、日本の教育システムを、やや、エリート教育重視の方向に持って行くべきだとは思うが、みんな平等と言う日本の美意識は日本独自の歴史的民族的文化的な背景を背負っており、軽々に、結論を出すべきだとは思わない。

   中谷教授が、日本のユニーク性として示した
   ①一国一文明で12000年継続
   ②縄文時代10000年、自然との共生
   ③柔軟な宗教観(多神教的でキリスト教が入らない風土)
   ④権威と権力の分離、中空構造
   ⑤日本人の「当事者意識」の強さ
   これらの特質総てが、一神教で自然をねじ伏せて生きて来た欧米流の階級社会・エリート構造を排除する要因ともなっているような気がするし、集団指導制で、コンセンサスを重視する社会には、中々溶け込みにくい考え方でもある。

   ただし、グローバル化して地球が一つになってしまった現代、世界の大勢に伍して堂々と渡り合える国際級トップクラスのリーダーが求められている今日、今のような、お粗末な状態では悲しい限りなので、わが日本に、志の高い卓越したリーダーを育てることは緊急必須の重要事項であることは間違いない。
   マッカーサーが、日本人のアイデンティティを抹殺するために、歴史と地理と道徳教育を禁止したというが、いまだに日本の教育は、この残滓を引き摺っている。
   私は、アメリカでMBA教育も受けたし、随分世界を歩いて来たが、日本の、そして、日本人の素晴らしさを十分認識しており、日本人であることを誇りに思っているし、その思いを前面に出して外国人と付き合ってきた。幸せであった。
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賢人会議:成長と環境を考える

2008年05月20日 | 地球温暖化・環境問題
   成長と環境を考えると言うテーマで恒例の「賢人会議」が、品川のグランドプリンスホテルで開催され、沢山の聴衆で埋め尽くされ盛会であった。
   今回は、吉川弘之前東大総長の「サステイナビリティ 成長と環境」と言うテーマの基調講演に始まり、
   実業界からは、富士ゼロックス山本忠人社長と日産自動車志賀俊之社長によって、自社の環境戦略など産業および企業ベースの取り組みについて報告があり、
   最後に、各方面の環境専門家によるパネルディスカッション「低炭素時代の企業経営と成長戦略を考える」が展開された。

   ここ数年、持続可能と言う意味合いでサステイナビリティと言う言葉が頻繁に枕詞として使われ、持続可能な経済成長を意図し、如何に、制限要因となる環境破壊や地球温暖化、資源の枯渇等の外部不経済を克服しながら、希望の持てる人類社会の未来を実現すべきかが論じられてきた。
   結論は、タダ一つ。このまま現状の経済社会システムを維持し続ければ、人類の滅亡は必定なので、如何にして、持続可能な経済社会を構築して行くのかが人類にとって緊急の課題だと言うことである。

   しかし、結論から言えば、人類の危機意識は極めて弱く、煮え蛙の状態で、笛吹けど汝等踊らずと言った段階から一歩も進まず、この第4の排出国である日本でさえ、国論さえ統一出来ずに、福田首相は、セクター別アプローチで地球温暖化問題をリードするのだと意気込んでいる。
   いくら産業界の事情があろうとも、2050年にCO2半減を目標にしておきながら、何のキャップも嵌めずに自主規制だけで数値目標抜きで、人類の生存が存亡の危機に瀕している現状を乗り切れると思っている神経が時代錯誤も甚だしいのである。
   イヤでもオウでも世界は、キャップ&トレードで10兆円以上の国際市場を形成して動いており、総枠規制は既に世界的なコンセンサスであり、グローバル経済を手中に収めて覇権を握りたいアメリカの新大統領も、一挙に、ヨーロッパ方式に乗るのは間違いない。(日本だけが、蚊帳の外である。)
   
   日産自動車の志賀社長は、自動車業界としてはっきりと次のように明言する。
   2000年基準で、2050年目標を達する為には、自動車のCO2排出量を70%削減しなければならない。
   しかし、現実的には、内燃機関やハイブリッド車では逆立ちをしても実現不可能で、電気自動車か燃料電池車を実用化して、その電気や水素も再生可能なエネルギーから生み出されたものでなければならない。
   日産は、2010年には日米で電気自動車を生産し、2012年に量産体制に入り、ゼロ・エミッション車で世界のリーダーになるのだと宣言している。

   セクター別アプローチの推進者で、CO2を40%も排出している地球環境破壊の旗頭である電気業界の森本宜久電気事業連合会副会長が、提言していたのは、原子力発電とヒートポンプによるCO2削減であったが、質量共において、抜本的な解決策は、原子力発電の推進以外にはない筈なのである。
   早い話、太陽や風や水などと言った天然現象で供給が不安定なエネルギー源に多くを期待出来るはずがないし、それ以上の斬新かつ未知のイノベーションについては全く予測不可能だからである。

   私が主張したいのは、ブレイクスルーの為には、地球温暖化を阻止してサステイナブルな経済成長を維持するためには、一歩二歩も先を見た破壊的イノベーションを実現しない限り無理なので、ここで、はっきり、未来のあるべき開発技術を想定してイノベーションの方向を見定めるべきだと言うことである。
   私には、さし当たって、はっきり見えているのは、エネルギーの原子力シフトと、自動車の電気化と燃料電池化、それに、あらゆる部門での遺伝子組み換え技術の開発と推進くらいしかないが、現状の生産技術や生活技術を徐々に改良するような持続的イノベーションへを進めて行くようでは、2050年目標のクリアなど絶対に出来ないと思っている。
   極論すれば、電力、鉄鋼、運輸、セメントだけで全体の70%近くのCO2を排出しているのだから、セクター別方式でこれらの分野だけに絞って斬新なイノベーションを推進するために人類の総力を結集するという方法もあろう。
   いずれにしろ、これからのイノベーションは、すべからく、ニーズ・オリエンテッド、目的指向の破壊的イノベーションでなければならないと思っている。

   吉川氏の話で興味深かったのは、ブーム時代の日本において、製造業の生産性の上昇が非常に高くコンスタントに上昇傾向を示していたので、このトレンドを、ITを活用することによって同じ様な生産性の上昇を実現できないかと言う提言である。
   70年代のTQC世界一、産業等ロボットやFMSやCAD/CAMなどの発明、量産自動化が、80~90年代に花開いて普及し日本の工業力を大きく上昇させたが、この時の労働生産性向上技術をエネルギー生産性向上技術へ転換することによって、環境問題のブレイクスルーを図るべきだと言うのである。
   
   ところが、時代が根本的に変わってしまった。
   今や、経済行為を推進すれば、絶えず、外部不経済を起こす心配、サステイナビリティ・リスクを引き起こす心配が発生する。
   企業による経済行為は、絶えず、企業の社会的責任CSRと隣り合わせであり、コスト最小化と同時に、リスク最小化が求められ、天井知らずの生産性向上のためのイノベーションなど考えられなくなってしまっている。
   とうとう、臨界点を超えてしまって、ゼロ・エミッションでも、地球環境はさらに悪化する状態になってしまっているのである。
   サステイナブルなどと言う、本来矛盾を孕んだ概念を推進すること自体が幻想なのかも知れない。

   ところで、地球温暖化の元凶として嫌われているCO2だが、一挙に集めて固定化して地中に埋め込むイノベーションを生み出せないものであろうか。
   これこそ人類にとって最高の知的発明オリンピックである。

(追記)写真は、eco japan から借用。
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東京都交響楽団定期演奏会・・・アリス=沙良・オットのリストと小泉和裕のブルックナー

2008年05月19日 | クラシック音楽・オペラ
   今夜の上野の杜は熱かった。
   小泉和裕が、都響のレジデント・コンダクター就任記念のコンサートで、大曲ブルックナーの交響曲第3番ニ長調「ワーグナー」を振り、その前に、日本生まれでドイツの新生ピアニスト・アリス=沙良・オット穣のリストのピアノ協奏曲第1番の華麗な演奏がスパークしたからである。
   それに、ピアノとかけ合う矢部和裕のバイオリンが実に美しい。

   静かににこやかに登場した乙女が、ダイナミックに銀盤をたたく激しいリズムに息を呑む。冒頭から素晴らしいテクニックを披露する沙良穣の白い長い腕の先の指先が生き物のように飛翔し疾駆する。
   終楽章の大詰の激しく銀盤を打つ華麗なサウンドに、聴衆の興奮は頂点に達し、大変な拍手で終わった時には、この20分足らずのエキゾチックでどこか東洋風で激しくも哀調を帯びたピアノ協奏曲が、壮大な宇宙の表現のように思えて感動した。
   この協奏曲は、リストのピアノ、ベルリオーズの指揮で、ワイマールの宮廷演奏会で初演されたと言うことだが、ヴィルトゥーゾ・ピアニストとしてヨーロッパに君臨していたリストのピアノ・テクニックが存分に発揮されている曲だが、多くの賞を集めてきた若干20歳の沙良穣の演奏風景は、リスト以上に華麗で美しくダイナミックであったのではないであろうか。

   ところで、この沙良穣だが、休憩の後、私の席の二つ前に座って、小泉和裕のブルックナーを聴いていた。
   演奏の時には、スマートで恵まれたスタイルで、アクアマリンのロング・ドレスが良く似合っていたが、この時は、白い上着に黒いスカートの清楚な普段着で現れた。
   素晴らしくチャーミングな美人だが、やはり、ドイツ人とのハーフなので、日本人的な雰囲気があり、席に着くと目立たない。沙良穣だと気付いたのは、ほんの数人だけである。
   ところが、この沙良穣、拍手の仕方は、顔の辺りまで手を上げて優しい仕草ながらオーバーなアクションで、ブラボーと叫ぶような一声を残して席を立って行った。

   さて、ブルックナーについては、最近演奏会で演奏される回数も増え、少しづつ興味を持って楽しみ始めた段階といったところなので、後半のワーグナー交響曲については、名前の由来に興味があった。
   ブルックナーは、ワーグナーに献呈する為に、第2番とこの第3番を持って、バイロイトのワーグナー邸まで訪れたらしいが、風采が上がらないのでコジマに門前払いを食ってワーグナーにも僅かしか会えなかった様だが、後で、楽譜を見たワーグナーが感激してベートーヴェンに到達した作曲家として褒めたと言う。
   当時嫌われていたワーグナーの推薦が仇となって演奏機会がなく、初演も、やっと、自身の指揮でウィーン・フィルで行われたらしいが、不人気で、当分、作曲をやめたと言う。

   曲については、初めて聴いたので、特別な印象はないが、そう言われれば、ベートーヴェンとワーグナーの影響が現れたダイナミックで派手な音楽と言う感じで、その重量感に圧迫される。
   演奏については、都響の金管の華麗な響きが印象に残っているが、やはり、ブルックナーの重量感は、都響の独特な味が滲み出していたのかも知れない。
   小泉和裕の指揮については、これまで、幾度か聴いているので、非常にオーソドックスで手堅い誠実な指揮振りであり、何時も、安定した演奏会と言う印象を持って聴いており、それなりに満足している。

(追記)写真は、沙良穣のホームページから借用。
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團菊祭五月大歌舞伎・・・「極付幡随長兵衛」

2008年05月17日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   昼の部は、海老蔵の渡海屋銀平・新中納言知盛、魁春の典侍の局などでの「義経千本桜」の渡海屋と大物浦、それに、三津五郎の「喜撰」が演目にはあったが、結局、最後の「幡随長兵衛」が、メインの舞台。
   夜と入れ替わって、こちらの方は、團十郎が主役の舞台で、口入稼業ながら庶民のヒーロー、男の中の男一匹で、当時泰平の世で風紀が乱れて傍若無人に振舞っていた旗本と対峙して一歩も退かない男伊達の真髄を見せる。
   幡随は、幡随院の裏に住んでいたので幡随院長兵衛と呼ばれていたが、歌舞伎では演題が奇数となっているので「院」が取られた。町奴の頭領ながら、元武士の子息であり、それなりに風格があり、人格者であったのか人気が高かったようで、実際に、旗本水野十郎左衛門(菊五郎)によって騙まし討ちにあい風呂場で惨殺されたと言う。

   徳川家康が江戸幕府を開いて以降、300年近く戦いのない泰平の世の中が続くのだが、幡随院の場合には、1622年生まれで1657年に死んでいるから、江戸時代の初期の侠客で、その元祖と言われている。歌舞伎の舞台では老成した大親分に見えるが、水野の屋敷に死を賭して乗り込んだのが35歳の時で、幼い倅・長松(玉太郎)との別れが哀れを誘う。
   死に急ぎすぎた花のように散って行った侠客だが、海老蔵に合った舞台のように思って観ていた。

   一方、知行高が1万石以下の直参で御目見以上の格式のあった者が旗本で、その家臣は、実質何も仕事のない失業者のようなものだが、有り難い事に雇い主がいて食うに困らないので、タガが緩むとならず者のように徒党を組んで街を闊歩する厄介者となり、旗本奴と蔑まれて町民から鼻つまみ者扱いされる。
   財政が悪化して崩壊寸前なのに、泰平天国で親方日の丸で、首切りのない何処かの国の役人と同じ様な感じで、禄を食む侍がモラルが欠如し使命感を無くすと如何に恐ろしいかを示していて興味深い。
   その頭目の筆頭が、白柄組のヤクザな旗本水野なのだが、街のチンピラたちも旗本奴があるなら、町奴があっても不思議はないと徒党を組む、その町奴の頭領が幡随で、両者は犬猿の仲で悉く争っている。
   本来、両方とも、この歌舞伎の舞台に登場する二人のように威厳があって誇り高い分際ではなく、世の仇花である筈なのだが、何故か、歌舞伎では任侠の世界が人気のある舞台となる。

   この歌舞伎でも、花川戸長兵衛内の場で、家族や子分たちとの別れの席で、長兵衛が、女房お時(藤十郎)に、倅・長松には、こうした憂き目に逢わないよう堅気の商売をさせろと言い残しており、侠客としての任侠の世界を否定している。
   一方、この舞台では、湯殿の場で、水野が槍で長兵衛を突くところで終わっているが、水野の方も幕府から否定され、お咎めを受けて後に切腹を言い渡されている。
   水野を演じる菊五郎があまりにも風格が有り過ぎるので、イメージが一寸違ってくるが、武士の風上にも置けない不埒千万な旗本で、風呂場での幡随の潔さと男気に、「敵ながら天晴れ」とノタマウ台詞など、黙阿弥の極め付けの糾弾であり、アイロニーの極致であろう。

   尤も、幡随長兵衛の場合には、泰平の世となり、無用の長物になり下がった武士に対する庶民達の間に鬱積していた批判や鬱憤が明治時代の庶民の心と相通じるものがあり、それが伏線となっており、
   自分達の代表でありヒーローである長兵衛が、歌舞伎の舞台を無茶苦茶にした傍若無人な水野の家来をねじ伏せて仲裁に入った男気と大きさに溜飲を下げ、騙し打ちにあって殺されると分かっていながら、一人で敵陣に乗り込んで行って旗本と渡り合う長兵衛の勇気と潔さ、そして、男の中の男一匹の気概に感激して、男のロマンと美学に酔うと言うことであろうか。

   このような任侠の世界にしか、男のロマンを身近に感じることの出来る世界がないのかと思うと、一寸寂しいが、この第二幕「花川戸長兵衛内の場」は、実に上手く出来た舞台であると思う。
   水野家からの使いが来て酒宴に招待したいと言上し、長兵衛が、皆の説得も聞かずに潔く受けて水野家へ向かうまでの短い間なのだが、子分たちや女房お時、倅長松、弟分の唐犬権兵衛(梅玉)とのやり取りの中に、人間同士の義理人情の柵や思い入れ、忠義心や道義心、愛憎、切っても切れない人と人との心と情愛など命の叫びが渦巻いていて感動を呼ぶ。

   今回、お時を演じた藤十郎の一寸控え目だが何とも言えない情愛豊かで風格のある舞台が光っており、子役の倅長松の玉太郎の健気さ可愛さと相俟って、團十郎の長兵衛を輝かせていた。
   それに、如才のないボケ役で一服の清涼剤とも言うべき役割を演じていた三津五郎の出尻清兵衛が、中々良い味を出していて楽しめた。
   前回観た幡随長兵衛は、水野は菊五郎で同じで、長兵衛が吉右衛門で、お時が玉三郎であったが、この舞台も素晴らしい出来であったことを思い出した。
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安野光雅:本三国志展・・・日本橋タカシマヤ

2008年05月16日 | 展覧会・展示会
   今、日本橋タカシマヤで、安野光雅:本三国志展が開かれていて賑わっている。
   随分昔から安野ファンで、結構本も持っているが、前回「安野光雅の世界展」で、丁度サイン会をしていて、写真も撮らせて貰って、この時は、平家物語に非常に興味を持ったのだが、
   今回は、三国志で、大変な数の素晴らしい中国の絵巻物が展開されていて、更に感激は大きい。

   私自身、三国志は実際には読んでいないが、色々な機会に断片的には接していて、それなりの知識は持っている心算だが、今回の安野画伯の適格な解説を読み絵を追いながら、記憶を新たにした。
   学生の頃は、三国志よりも、軟派的な「紅楼夢」や「金瓶梅」の方に興味を持って、こちらの方を読んでいた。今、日本風にアレンジした林真理子さんの凄くオープンでエロチックな「本朝金瓶梅」が出ているが、あの調子で、とにかく、毛色は違うが、中国の物語は面いのである。

   土井晩翠の漢語調で七五調の実にリズミカルな「星落秋風五丈原」が今でも脳裏に蘇る。
   「祁山悲秋の風更けて 陣雲暗き五丈原 零露の文は繁くして 草枯れ馬は肥ゆれども 蜀軍の旗光なく 鼓角の音も今しづか。 丞相病あつかりき。」
   蜀の劉備が三顧の礼を尽くして迎い入れた諸葛孔明が、この五丈言で亡くなる。重い病についての最後の戦いだが、「死せる孔明 生きる仲達を走らす」と言う伝説的な名宰相で、安野画伯は、孔明の最後の姿を、地平線にかかった北斗七星に向かって星が落ちる光景をバックに描いていて感動的である。
   車に半身を起こして座る白衣の孔明を囲んで兵士たちが三々五々沈痛な面持ちで取り巻く平原の蜀軍を暗いタッチで描いている絵だが、土井晩翠の詩の情景が浮かび上がる。

   この五丈原は、西安の東に位置し、秦嶺山脈を隔てて、今回の大地震の四川省に接している。高台で五丈原を見下ろして写生をする安野画伯の写真があったが、赤壁の戦いと共に印象深い古戦場である。

   今回の三国志の絵は、絹の国中国で買ったと言う絹地に非常に克明に、そして、丁寧に描かれているが、紙の発明者ないし改良者と言われている蔡倫の故地では、地元で買ったやや褐色の勝った蔡倫紙に描かれていたので、興味を持って見た。
   この三国志の絵には、安野画伯が中国で調達した色々な落款が押されていて、その印章が会場に展示されている。
   最後の訪問地は杭州の西湖であったようで、ここの孤山にある西冷印社は100年以上も歴史のある中国随一の芸術のメッカで、私もここで掛け軸を一幅買ったのだが、安野画伯の印章もここの作品であろう。
   この高台から西湖を見下ろせるのだが、霧にうっすらと煙る西湖の遠望は中々風情があって良い。

   とにかく、三国志ゆかりの地を実際に踏破して、歴史上の事実と血沸き肉踊る物語を芸術家としての豊かな感性で脚色しながら描かれた三国志の絵であるから、多くのストーリーを縦横無尽に語っていて興味が尽きない。
   シェイクスピアの挿絵でもそうだが、安野画伯の絵には、物語の奥深く踏み込んで把握した豊かな感性がきらりと随所に輝いていて、非常に感銘を受けることが多い。

   
   
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團菊祭五月大歌舞伎・・・白波五人男

2008年05月15日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   午後の部は、通し狂言「青砥稿花紅彩画 白波五人男」であったが、白波五人男に、これだけ役者が揃うと、舞台に重みが出てきて面白い。
   菊五郎は、決定版とも言うべき最も秀でた弁天小僧役者と言うべきであろうし、團十郎の盗賊の親分然とした豪快な日本駄右衛門、悪餓鬼でコミカルな左團次の南郷力丸、白井権八風の美少年盗賊の時蔵の赤星十三郎、どこかニヒルで知的な忠信狐風の三津五郎の忠信利平、など、夫々に持ち味を上手く出していて、本来、それほど意味のある世界ではない白波ものを、魅せる舞台にしている。

   夫々違った紫の地色の染めの衣装で一本差し、駒下駄を履いて「志ら浪」と大書した番傘を差す白波五人男が並んで登場し、まず花道の華やかな出で、そして、追っ手に追われて稲瀬川の土手で、五人が勢揃いするのだが、
   この視覚と台詞を最高に盛上げた演出は、流石に歌舞伎ならではの世界で、七五調の軽快なリズムの名乗りは、聞いているだけでも楽しい。
   尤も、考えるまでもなく、盗賊が、自分の故事来歴を語って大見得を切るのなどは、物語としても、全く他愛のないナンセンスなのだが、このナンセンスを芸にまで高めているところにこの舞台の味がある。

   雪の下浜松屋の場で、番頭たちに知らないと言われて、弁天小僧が、「知らざあ言ってきかせやしょう。浜の真砂と五右衛門が、歌に残せし盗人の、種はつきねえ七里ガ浜。・・・」と、全身に彫り込んだ桜の刺青をひけらかして格好をつけて啖呵を切るのなどは、正にナンセンスの極みだが、江戸の観客達は、これを見て粋で格好よいと喝采を浴びせた。アウトローの世界にも、男の意気地として光り輝いている人間としての美しさがあることを感じているからである。
   そして、その舞台を昇華することによって、芸を磨き上げて、感動的なシーンを現出し、観客の目に焼くつくような決定的な舞台を作り上げてきたのである。この「知らざあ言って聞かせやしょう。」と言う啖呵を聞きたくて、観客は劇場へ足を運ぶ。ベートーヴェンの「運命」を聴くのと同じ気持ちで。

   この極悪人とも言うべき白波たちも、浜松屋の蔵前の場で、取り違えた子供の消息が分かり、浜松屋の跡取り息子宗之助(海老蔵)が、日本駄右衛門の実子であり、弁天小僧が浜松屋の主人幸兵衛(東蔵)の実子であることが分かり、夫々の白波が、浜松屋の父子に面目ないと謝る所などは、アウトローであることを認める正気の部分が綯交ぜに出ているところだが、真人間に返ってくれと言われて、それを蹴って男伊達に返るところが面白い。
   こんなに上手く話が展開する訳がないのだが、うまく辻褄を合わせて話をまとめて、西洋の舞台の場合には、アウトローはアウトローで終わるのが普通のところを、日本の場合には、庶民のヒーローや憧れに似た人物に成り代わらせてしまう、ここの所が日本人の独特の美意識なのであろうか。

   この歌舞伎で、一番丁寧に描かれていて興味深い人物は、弁天小僧で、瑞々しい若殿か、美しいお姫様か、と思ったら、一気に変身して、元のヤクザな盗賊弁天小僧にはや代わりして客を笑いにまく。他の役どころが殆ど単純で一本調子なので、この鮮やかな早変化の妙が傑出していて素晴らしい。
   勘三郎の弁天小僧を観ていないので何とも言えないが、老いても益々錦絵のように美しくて、そして、どすの利いた声音で迫力満点の菊五郎の弁天小僧は、正に魅せる役者で、他の名優達と比べても、その上手さは群を抜いている。
   
   白波の他の4人の素晴らしさは当然だが、千寿姫姫の梅枝、幸兵衛の東蔵、鳶頭清次の梅玉は適役で、一寸、イメージが違った感じはするが、宋之助の海老蔵など、夫々によい味を出していた。
   青砥左衛門藤綱の富十郎は、最後のシメとしての一寸出だが、風格と迫力と言い流石であった。これも、一寸出だが、柵の田之助の存在感も、久しぶりに楽しめた。
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1930年のローマ開催:日本美術展・・・三越日本橋本店

2008年05月14日 | 展覧会・展示会
   1930年にローマで、イタリア政府主催で開催された「日本美術展覧会(ローマ展)」に出品された日本画が一堂に会して、三越で展覧会が開かれている。
   1929年の世界大恐慌の翌年であるから、世界経済は壊滅状態にあった筈だが、大倉喜七郎男爵が、画料をはじめとする膨大な経費を総て負担して、総勢80人の日本画家が製作した大正末期から昭和初期にかけての作品168件が出展されたと言う。
   

   冒頭から、横山大観の山四趣4幅・瀟湘八景8幅、それに続いて、「夜桜」6曲2双の大作が展示されていて息を飲む迫力である。
   「夜桜」は、満月のかかった黒い山の端をバックにして満開の巨大な桜の気が左右に一本ずつ、そして、その前景にやや小ぶりの松の木が2~3本光に照らされて浮かび上がっているスケールの大きな装飾画だが、数個の篝火が黒い煙の尾を引いて赤く燃えているのが面白い。
   桜の花は、殆ど総て正面を向いて正確に5枚の花びらと蘂をつけて不釣合いに大きく描かれていて、松の木も、枝が左右に垂れ下がってやや明るい変化のない同じトーンの緑色で描かれているなど、非常に印象的な雅な絵画である。
   
   口絵写真は、前田青邨の「洞窟の頼朝」である。平家討伐の途中、石橋山の戦いで敗北を帰し洞窟に入った頼朝を描いたようだが、この絵も、非常に平坦で、頼朝の衣装や鎧などの描き方も奥行きが全く感じられない平板な表現で、色彩をのせた錦絵風の絵と言う感じがした。
   尤も、この絵から発散されるオーラは凄い威圧感と迫力で、頼朝の上目遣いの澄んだ眼の表情など、他の家来達の動きと合わせて見ると次の軍略が見えてきそうで臨場感さえ感じさせてくれる。

   動物を描いた絵で興味深かったのは、二匹の闘鶏が凄い格好で戦っている絵を描いた竹内栖鳳の「蹴合」で、これは、リアリズムの極致であるばかりではなく、けたたましい戦いの雰囲気さえ伝わってくる。
   もう一つは、上部を明るく下部を暗くした金地をバックに、真ん中を左右に渡した一直線の梅の枝の真ん中に涼しげに一匹のみみずくがとまっている絵を描いた小林古径の「木莬図」で、橙色の眼をした凛としたみみずくの表情が実に良く、枝の左右に描かれている濃いピンクの一重の梅の花が、非常に印象的で美しい。

   また、真っ白な白鷺を2匹、真っ青な群青色の水面をバックに浮かび上がらせた宇田荻邨の「淀の水車」は、淀川の木製の水車を描いた装飾画的な風景画だが、鷺の美しさは抜群である。

   とにかく、当時の最高峰の日本の画家達が精魂傾けて描いた作品が纏めて展示されているのであるから、夫々の作品に感激しながら見て歩く楽しみは格別で、時間を忘れるくらいであった。
   それ以前の浮世絵が、ヨーロッパ芸術に与えて生み出されたジャポニスムほどではなかったのであろうけれど、実際に、イタリア芸術に、どのような影響とインパクトを与えたのか興味を感じた。

(追記)口絵写真は、三越ホームページから借用。
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