熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

NHK:吉田簔次 親子で挑む文楽の真髄

2010年03月30日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   先週、NHK BShiで、「伝統芸能の若き獅子たち」と言うタイトルで、狂言の茂山宗彦、尺八の藤原道三、歌舞伎の市川亀治郎、文楽人形遣いの吉田簔次を取り上げて、「受け継がれてきた芸の重みを受け止めながら自らの道を切りひらく若き獅子たちの苦悩の日々」を、ドキュメンタリー・タッチで活写した非常に興味深い番組を放映していた。
   夫々の番組は、非常に充実した意欲的な番組で、日本の伝統芸能を継承するために、如何に若き芸術家たちが悪戦苦闘しているかだけではなく、視野を外部や海外の芸術に向けながらその粋を貪欲に吸収しようとしている姿なども描いていて、感動的でさえあった。

   まず、私が興味を持っている文楽の世界を、簔助の兄弟弟子である勘十郎と簔次父子の活躍を通して描いている番組について感想を述べて見たい。
   簔次は、弟子入りして10年の簔助の足遣いだが、この人形遣いの世界は、足遣い10年、左遣い10年と言われるほど修行期間が長くて、主遣いになるには、はるか壮年に達してからと言う非常に気の長い話なのだが、今回の番組を見ていて、人間国宝は愚か、一流の人形遣いになることが如何に難しいことか良く分かった。
   歌舞伎役者でも、あるいは、歌手でも音楽家でも、能力があれば、若年でもスターダムにのし上ることも、人気を極めることも出来るであろうが、この人形遣いの世界では、それでは、人形が動かないのである。
   尤も、他の芸能の世界では、比較的体力や姿形が問題となって、芸能生命なり寿命が限られて来るが、文楽の人形遣いの場合には、吉田玉男の場合を見ていても、ぎりぎりまで舞台を勤めていたし、それに、人形を変えれば、若くて美しい乙女でも、老練な武将や老婆でも、自由自在に思い通りの役をこなすことが出来ると言う良さもある。

   この口絵写真は、簔次が、父勘十郎と、三越劇場の名人会で、団子売りのお臼を主遣いとして演じることとなり、異例なようだが、師匠の簔助が稽古を見ることとなり、あまりにも下手なので(?)、堪り兼ねて、簔助が自分で人形を取り上げて見本を見せているところなのだが、この場を見る限り、その芸は雲泥の差で、簔次が、いくら演じ直しても、簔助のコミカルなお臼の雰囲気には、到底及ばず、同じ人形でも、その落差は極めて大きく、主遣いへの道が如何に遠いかが良く分かった。
   このシーンで面白かったのは、主遣いは、絶対に人形と一緒に演技して目立っては駄目なので表情一つ変えないのだが、教える時には、簔助は、あたかも遣う人形のように表情豊かに動きながら振りをつけていた。
   勘十郎も言っているが、簔助は、怒らないし駄目だと言うだけで、何がどうなのか細かい指示は一切なく、弟子は、どこをどう直せば良いのか苦しむようである。
   しかし、元々日本の芸能も職人の匠の技も、盗み取るものであって、手取り足取りと言う教授法ではないので当然のことで、人形遣いの場合、足遣いだと、主遣いの師匠の腰に体をくっ付けて直接以心伝心感覚的に芸の真髄を叩き込まれるのであるから、幸せなのかも知れない。

   三越劇場で一仕事終えた簔次は、厳しい表情をしていたが、伯母の三林京子によるとカチカチに緊張していたようで、やはり、羽織袴の主遣いはまだ荷が重く、苦しくても、黒衣をつけて師匠や父親の足を遣っている方が、精神的には楽なのであろうか。

   番組後半は、義経千本桜の狐忠信と静の足遣い、それに、この二月の国立劇場での曽根崎心中の天満屋の段で、上がり口に腰をかけたお初が、縁の下に偲んでいる徳兵衛に足で死ぬる覚悟があるかを合図するシーンの足遣いで、簔次の奮闘ぶりを紹介していた。
   本来女形の人形には足がないのだが、玉男が、栄三の反対を押し切って、先に復活公演された鴈治郎父子の演出に倣って定番化した大切な足の登場のシーンなのだが、簔助のそばの足の位置を離れて、正面に回った簔次が、簔助のお初の動きを正確にキャッチして、微妙な表現を足一つに集中し、父親の徳兵衛と呼吸を合わせながら白い小さな足を遣う。
   恍惚状態のお初の表情が、足に生きているのである。

   TVは、徳兵衛お初道行 曽根崎の森の段を、最後の心中のシーンまで放映していたが、徳兵衛を遣う勘十郎が、死を間際にして殺してと哀願する簔助のお初は、とにかく、この世の人だと思えないほど美しいのだと言っていたが、当事者さえそう思うのであるから、我々観客がその美しさに感動するのも当然なのであろう。
   平凡な悲劇さえ、あの命も何もない木偶を躍らせて、美の極致と言うか、芸を至高の高みまで持ち上げて人々を感動させ魅了する簔助の芸の凄さは格別で、簔次が、自分の足の出来は5点だと言っていたのが良く分かる。

   心中は分かるかと聞かれて分かりませんと答えていた簔次だが、至高の芸術家人間国宝の簔助を師匠に持ち、時代を背負う文楽界のホープ勘十郎を父として先輩かつ先生として持つ恵まれた境遇は、何ものにも変えがたい財産であり、まだ、これから半世紀以上もあるであろう修行と鍛錬が如何に素晴らしい人形遣いに磨き上げるか、楽しみである。
   

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日経:建設業の異業種進出支援

2010年03月29日 | 経営・ビジネス
   日経夕刊トップの記事が、「建設業の異業種進出支援」。
   鳩山内閣の公共事業削減に対応するために、建設業が、農業・介護・林業などへ参入出来るように、自治体が、投資助成や相談窓口を設けるなどして支援すると言うのである。
   実力の誇示か選挙目当てか知らないが、小沢幹事長の肝いりで、実際削減される筈の公共工事に関しては、新幹線や高速道路工事の復活で、言われているほど縮小はしていないようだが、地方の中小建設業者が市場としている在来型の地方の建設工事に関しては、異常に削減されていて、目も当てられないような状態の地方もあると言う。

   建設業の衰退と異業種への鞍替えは、前世紀から、と言うよりも、バブル崩壊後の重要な課題で、気の利いた建設業者は、10年以上も前から試みていることだが、戦後の日本の経済復興とバブルに踊った典型的な産業であり、上り調子の安易な建設業に慣れきった建設業者に、全く畑違いの異業種に参入して、おいそれと活路が開ける訳がなく、成功企業は殆どないと言うのが現状である。
   まして、経済状態が最悪の状態にあり、体力的に疲弊しきってしまっている地方の中小建設業者に、全く経験も知識もない異業種に参入して、成功は愚か、生きて行けるとは到底思えない。

   もっと悪いのは、何の経営知識も持ち合わせずノウハウもなく、有能なスタッフさえ居る筈のない地方公共団体が指導し支援すると言うのだから何をか況やである。
   第一、自治体などが意図している建設業の新規参入先は、農業・介護・林業と言ったところのようだが、農業や林業は、ある意味では衰退産業であり、生き抜く為には、既存の本業以上の努力を傾注しなければならないし、介護に至っては、需要の拡大の見込める成長産業ではあろうが、先行の本業さえ問題山積の難しい業種であり、潤沢な資本と専門的な深いノウハウが必要であり、粗い経営に慣れきった地方の建設会社が、簡単に対応できる仕事ではない。

   話は変わるが、大手建設会社が、バブル最盛期に、建設業の将来の落ち込みを見越して、経営計画の柱として、脱請負を打ち出して、盛んに、経営の多角化やソフト事業への移行を模索したことがある。
   不動産業、住宅産業、レジャー産業や大型都市開発など開発事業、ホテルやゴルフ場、ブックセンターなどの経営、設計会社やエンジニアリング会社、建設機材や素材製造、等々色々な新規事業を立ち上げて事業を拡大した。
   しかし、バブル崩壊の影響はあったとしても、所詮、ゼネコン・建設業の頭で企業を運営してきた経営者にも従業員にも、異業種の事業に上手く対応できる能力もノウハウもなく、殆ど、失敗の憂き目を見てしまっている。
   建設業のみならず、終身雇用で単一企業に生涯を捧げて、その企業のコーポレートカルチュアに染まりきった日本のサラリーマンには、職業の移動が頻繁なアメリカ人と違って、同業者の移動さえままならず、異業種への参入など、おいそれと成功する筈がなく、夢のまた夢と言っても過言ではない。

   餅は餅屋で、建設産業の活性化は、建設関連の需要を掘り起こして、新しい建設関連事業に、業務を振り向けるのが最も有効な方法だと思っている。
   例えば、課題大国の日本が、本当に世界に率先してエコ大国を目指すのなら、小宮山試案である自律国債を発行して日本中の家屋全体に太陽光発電のパネルを張り巡らせ、あるいは、日本国中風力発電機を林立させるなど、思い切った政策を次々と打ち出して、日本中に新グリーン革命を巻き起こして国土を改造してエコ国家を構築することである。
   そうすれば、ほって置いても、関連建設需要が発生して、地方の中小建設業者が蘇る。

   もう一度言うが、経営的にも、一番遅れていると思える地方の中小建設会社に、金儲けと言うか経営のイロハさえも知らないお役所仕事の自治体が、おこがましくも指導教育して、異業種に参入させるなど、到底有効な施策とは思えない。
   建設会社の数は、商店の数よりも多いと言われているが、効率や経済性を無視して、地方の建設会社に仕事が行くように官公需法を徹底させていた所為もあって、実際には、名義貸しだけで建設能力や技術がなく、大手の建設会社に丸投げ上請けさせていた建設業者も結構あり、建設業でさえそうであるから、異業種の経営など出来る筈がない。
   いずれにしろ、コンクリートから人へと良く分からないお題目を唱えて公共工事をぶった切っている鳩山内閣には、せめても、民間企業の建設関連事業を誘発するような産業政策の実行を期待したいと思っている。
   仕事さえあれば、建設会社は、這い上がってでも立ち上がってくることは間違いない。

   
   

   
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時事雑感・・・ため息ばかりの日本の世相

2010年03月28日 | 政治・経済・社会
   今日のサンプロは最後だと言うことで、各政党の党首が出席しての記念特番だったが、タイトルの「崩壊・沈没寸前の日本”未来をどうする?”」などはそっちのけで、冒頭から、郵貯の限度額を2000万円に上げるとかとか上げないとか、鳩山首相が決まっていないと言うのに、了解を取ったと言う亀井大臣を巻き込んでの、不毛極まりない議論が延々と続いたので、即刻TVを消した。
   何の哲学も思想もなければ、確固たるビジョンさえ持ち合わさずに、壊れた蓄音機のように、同じことを繰り返し続ける人々の議論ほど、空しいものはない。

   とうとう、IMFまで巻き込まざるを得なくなったギリシャ問題の帰趨で、ユーロ圏の経済の先行きが揺れているが、実質的には、日本の経済の状況の方が、ギリシャの比ではなく、はるかに悪質で深刻なのだが、政府も国民も全くの頬かむりで、無風状態を決め込んでいるのだが、正に、煮え蛙状態。
   それに輪をかけて酷いのは、日本の政治で、国民があれほど期待をかけて日本の未来を万感の思いを込めて託した筈の民主党主体の政権が、冒頭から迷走状態で、政治とかねの問題を筆頭に暗黒部を晒しての惨憺たる状態である。

   小沢幹事長が白であると思っている国民は、殆ど居ないと思うし、国民の4分の3が止めろと言うのに、その気配さえなく、操り人形よろしく鳩山首相以下与党の閣僚も、誰一人として猫の首に鈴をつける人物(?)さえなく、党も、生方氏を除いて全く、小沢一色の一枚岩を決め込んだ金太郎飴状態。
   角栄や金丸の悪夢を濃厚に引きずっている小沢体制が、古い自民党時代の治世と全く変わっていないことを知って国民は暗澹としているのだが、民主党には、その自浄作用さえない体たらくで、このままでは、夏の参議院議員選挙は惨敗間違いなし。
   また再び、有象無象の合従連衡で、政局の混乱を招くのであろうが、良くなると言う希望の片鱗さえない状態でありながら、国民生活は、益々困窮の度を加えている。

   郵貯の限度額1000万円に届かない国民、と言うよりも、国会議員が大半だと言うのに、2000万円まで上げると言う気違い染みた議論がまかり通り、それが、民業圧迫だと言うこれまた倒錯した常識が闊歩する不思議さ。
   国民生活の向上や生活の質のアップなど、衰退期に入った日本経済には、最早考えられない夢の夢。益々、日本人は貧しくなって行き、他の新興国や途上国の国民の追い上げが激しくなるので、相対的貧困化の進展は、釣瓶落とし。
   
   あの偉大なトヨタさえも、GMと言う国営の自動車会社を庇護するために、形振り構わず、袋叩きにするアメリカ政府とその世論の激しさ、この峻烈なグローバル競争時代を考えれば、如何に、日本の政府や企業が能天気で脆弱を極めているのかが良く分かる。
   世界一のトヨタは、あの程度のアメリカ政府の圧力には屈する筈もないし、むしろ、挑戦と受け止めて益々強くなるであろうが、技術開発や技術力で先行していた筈の日本企業が、色々な先端技術や新産業分野で、どんどん遅れを取って後塵を拝している現状は、実に嘆かわしい。

   鳩山邦夫議員が、兄貴は、小沢と労働組合に足を引っ張られて何も出来ないのだと言っていたが、現在の三党連立政権は、極めて、財界・大企業に冷たい。
   私は、どちらかと言えば民主的なリベラル派であるから、大企業を優遇するようなアメリカの保守党的な考え方には組しないが、しかし、日本経済の再生と活性化に関する限りは、経済成長と雇用拡大の牽引力となるのは、大企業の活性化以外にはないと思っている。
   法人所得税の減税は勿論、日本の優秀な企業が、グローバル市場に率先して打って出てグローバルスタンダードを打ち立てられるように、法制度の拡充やインセンティブの付与等、日本政府が、他のグローバル企業と互角以上に戦えるように環境を整えるべきである。

   ところで、問題が解決したと言うメタミドホス入りの中国ギョーザだが、正社員になれずに差別されていた不満を持った臨時社員が引き起こしたと言うことだが、中国には、このような格差問題や人権問題など経済社会を騒乱に巻き込むような深刻な問題はゴマンとあって、報道の自由を標榜するグーグルが撤退せざるを得ないのと同根である。
   自由なインターネットを野放しにすれば、益々、社会を混乱に陥れることとなり、徹底的に報道を統制せざるを得ず、社会の安寧と秩序を守れないと言う共産党一党独裁のアキレス腱があるのである。
   台湾への武器輸出やダライ・ラマとのオバマの会見に、このグーグル問題が絡んで、米中関係が怪しくなってきたので、隣の日本とは少し付き合い方を考えようと言う毒入りギョーザ問題の解決なら、如何にも、真相を無視した日本軽視の対応であり、やはり、民主主義から程遠い国であることは否めない。

   余談だが、保育所の不足で待機児童が溢れていると言う話だが、子供手当て以前の問題である。
   財源もないのに5兆円以上もの金をかけて進めている子供手当ての支給より、その金を湯水の如く使ってでも、駅前のシャッター通りの店舗や廃校した校舎を活用するなどして、保育所を作る方が、はるかに、出産による人口増加や雇用の促進に役立つのではなかろうか。
   人材が居なければ、社会的貢献やボランティアを志望しながら暇を持て余しているシルバー・パワーを、大いに活用すれば良いのである。
   子供を安心して預けられる保育所がなくて、働きにも出れないと言って若い主婦が泣くような国に、少子化問題を語る資格などある筈がない。
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イングリッシュ・ガーデンの魅力

2010年03月26日 | 海外生活と旅
   NHK BSで、アガサ・クリスティの「ミス・マープル3」を放映していて、久しぶりに、花の咲き乱れる綺麗な庭を見て、イギリスの庭を思い出した。
   日本では、イングリッシュ・ガーデンと言えば、一般的には、自然な植栽と自生植物を重視して自然風を装いながら色彩の調和を重視した、色々な花が美しく咲き乱れる色彩豊かな庭園を言うことが多く、実際にも、イギリス人たちがこよなく愛するガーデニングに明け暮れている自分たちの庭は、殆ど、この新しいイングリッシュ・ガーデンである。

   新しいと言ったのは、本来のイングリッシュ・ガーデンと言うのは、広大な池や川を廻らせた自然の景観美を追求した立体的な風景式庭園を言うのであって、フランス庭園に代表されるような大陸型の平面的幾何学式庭園の対極にはあるが、背景には、ギリシャやローマ風の廃墟を思わせるような建物が散在するような古典的なイメージの強い壮大な庭園なのである。

   私自身、5年間の在英中に、イングランドからウェールズ、そして、スコットランドと、多くの庭園を見て歩いたが、特に典型的な風景式庭園で印象に残っているのは、オックスフォード近くにあるチャーチルの生家でもあるブレナム・パレスやストーヘッドである。
   私が、散歩道として楽しんでいたキュー・ガーデンなどは、もっと自然に近い荒削りのイギリス式風景庭園かも知れない。
   イギリス各地に、古城や歴史的建造物が散在していて、実際に活用されている名所旧跡には、立派な庭園が併設されていて、立派に維持管理されていて、楽しめるのだが、トピアリーなどが幅を利かせる幾何学文様に造形された人工的な大陸ヨーロッパの庭園とは、全く雰囲気が違うのが面白い。

   しかし、考えて見れば、ギリシャやローマへの憧れと同時に、自然風の風景を愛するイギリス人だが、徹底的に自然の景観を破壊しつくして、原始の大地を自分好みの風景に造形し直した結果だと言うところが実に面白い。
   イギリスの何処を探しても、原始時代のイギリスの景観など、跡形も残っていないと言うのが、如何にもイギリス的であり、あれだけイギリスの田園風景が美しいのは、どこまでも人工的である故なのである。

   私が、美しいと思った今様イングリッシュガーデンの一つは、記憶が定かではないが、ストラトフォード・アポン・エイボンで見たシェイクスピアの母の家メアリー・アーデンの家の庭だったような気がする。
   イギリス人の友人に誘われて毎夏の夜長を楽しんだグラインドボーンでの、午後から真夜中にかけてのオペラ三昧も素晴らしい思い出だが、この広い庭園に散在するイングリッシュ・ガーデンも美しかった。
   開演前と長い休憩の間には、気に入った庭園の芝生にシートを敷いて、ピクニック・スタイルのディナーとワインを楽しむのだが、少し、寒いくらいだが、美しい池畔や花々に囲まれての会食は実に楽しい。
   庭園の向こうの方では、羊が草を食んでいる長閑な風景が展開されているのだが、これは、庭園と牧場の境界線に、見分けが付かないような細い空掘り(ハーハーと称する)が掘られていて、あたかも、一体の風景のように見えるのである。
   
   さて、この口絵写真の庭は、私の年来の友人であるアブラハムズ夫妻のギルフォードの自宅の庭で、非常に広大であり、一寸した昔の公団住宅の敷地くらいはあると思えるほどなのだが、ジムが噴水や池のメインテナンスは手伝うにしても、主に、夫人のマーゴが一切の世話をしている。
   かなりの部分は芝地としても、邸宅周りには、小さな回遊式イングリッシュ・ガーデンがあり、温室で、盆栽まで栽培しており、広い網を張った農場では、色々な果物を栽培しており、ジャムは総て自家製である。
   時々、近くのロイヤル・ガーデンに出かけて、講習を受けたり園芸の勉強もしているのだが、結構、経験と知識は深い。

   私のキュー・ガーデンの自宅にも、かなり広い庭があったが、多忙を極めていたので、全く手が回らず、庭のメインテナンスは、庭師や園芸助手などに世話をして貰っていた。
   イギリス人は、庭付きの家を郊外に持って、多少遠くて不便であっても通勤したり、あるいは、田舎に邸宅を持って週末に帰って庭仕事をすると言うほど、ガーデニング好きだが、当時の私は、まだ、それ程ガーデニングには興味がなく、美しい花を写すと言う趣味に留まっていたのである。

   さて、イギリスの住宅の庭だが、前庭が小さくて、家の裏側の後庭が、広大だが、大抵は、隣との境界は生垣などで遮蔽されていて外部から入れないし見えない。完全にプライベートな自分たちだけの世界が作り出されているのである。
   ところが、同じ花好きの国民であるオランダだが、普通の家は、北海道のように、隣との境界があいまいな所為もあってか、チューリップなど季節の花は植えているが、イギリス人のようなガーデニングと言った感覚がないのが面白い。
   ぼつぼつ、チューリップ公園として有名なキューケンホフがオープンした頃で、五月の最盛期にかけて、世界中から花好きを集めるのであろう。この公園だが、花に囲まれ続けているオランダ人が、殆ど、訪れないと言うのが面白い。

   ヨーロッパも花のシーズンである。
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日経ビジネス:山崎製パン止まらぬ成長

2010年03月24日 | 経営・ビジネス
   日経ビジネスの最新号が、デフレにも巨大小売にも屈しない「山崎製パン 異端の経営」と言う特集記事を組んで、今や、製パン業界で隠然たる勢力を持ち、コンビニやスーパーのプライベート・ブランド戦略にも屈せず、独自の流通システムを堅持しながら、好業績を続けている企業の強さの秘密に焦点を当てている。
   飯島延浩社長の聖書とドラッカー経営学に裏打ちされた経営哲学にも、その経営力の秘密を求めているのだが、正直なところ、この日経ビジネスの記事だけでは、山崎製パンの経営のどこが良いのかが、よく見えて来ないのだが、私なりに、感想を述べて見たい。

   まず、山崎製パンの製品は、殆どすべてといっても過言ではないと思うが、コモディティである。
   従って、何故、この会社が、差別化の難しい、低価格製品を大量生産及び販売しながら、市場の40%を押さえるトップ企業になったかと言うことで、そこに、この会社の強みがあるような気がしている。
   このことは、ビール会社やカップラーメン、飲料等々食料品関連会社についても言えることだが、団子状態であったり、規模の差などがものを言うの他ジャンルと違って、山崎製パンが、この業界においてダントツの強みを確立しているところに意味がある。

   その前に、この日経ビジネスが強調する飯島社長の経営哲学だが、天地創造の神との出会いと言ったキリスト教の教義に、ドラッカーの「ミッション」経営を組み合わせて独自の企業の目指すべき経営理念を打ち立てている。一種カルビニズム的な匂いが濃厚にするのだが、「神の御心にかなう」道を歩むとする根本精神が経営を導いているとするのなら、それなりに、高邁な経営哲学が生まれ、経営目的・使命、更に、経営戦略・戦術が打ち出されて、企業経営のバックボーンを支えているのであろう。
   近年、ヨーロッパを筆頭に、企業の目的・使命が、企業の社会的責任の追求をはるかに超えたもっともっと高い次元へと移りつつある現状を考えれば、その価値は高いと思うが、要するに、経営理念が実際の経営において生きているかどうかであろう。

   もう一つ、ドラッカー経営学だが、余りにも裾野が広くて偉大であり、極論すれば、その一部のどこを切り取っても、近代経営の指針となるので、そのどの部分のドラッカー経営学を経営指針にして利用するのかは、企業の置かれた状況によって違う。
   ドラッカーの信奉者であるユニクロの柳井正代表でさえ、影響を受けているのは、ドラッカー経営学の極一部にしか過ぎない。偶々、山崎製パンの場合は、ミッション経営が、キリスト教の神の御心と合い通じるものがあったのであろう。
   最近、NHKでも、ドラッカー経営学の簡略版や名言集の一部を引いて、その言葉なり考え方に導かれて経営に成功した会社などを取り上げて、今に生きるドラッカー経営学と言った形で放映などされていたが、幸か不幸か、原典などお構いなしに、ドラッカー経営学は、聖書や仏典のように、一部のみを抜粋した名言集並に活用され始めたのである。

   さて、日経ビジネスで取り上げられている山崎製パンの強みだが、共同配送と言う業界の慣例に逆らって独自の配送システムを持ってコンビニなど毎日10万店へ直接配送していること、セブンイレブンとの取引を蹴ってでもプライベート・ブランド命令に屈しなかったこと、あんパン一つの経営利益まで算出する損益管理、工場同志が新商品の開発とヒット商品で競うこと、と言った点が列記されている。
   しかし、よく考えて見れば、当たり前のことで、特に、山崎製パンが業界をリードする秘密だと言うほど、卓越した経営手法であるとは思えない。

   ダイエーのディスカウント戦術に腹を立てた松下電器が、ダイエーと決別したケースもあるし、また、配送ロジスティックについては、共同配送が良いのか独自配送が良いのかは、必ずしも、言えない場合が多い。
   尤も、最近では、家電を筆頭に、メーカーよりも小売業の方が力が強くなってきて、価格決定権が移りつつあり、更に、プライベート・ブランドの隆盛などで、メーカーの独自性と経営の侵食が起こりつつあるなど、製造業が圧迫されるケースが多くなっており、これに抗して、巨大な流通業に対抗してでも、自主経営を維持し続けてきた山崎製パンの経営姿勢には、見上げたものではある。
   コスト管理の徹底や、製品開発やヒット商品での競争などは、まともなメーカーなら、当然実施すべき経営のイロハであり、特に新鮮味はないと思うのだが、地方性の強い乱立模様の業界で、市場占拠率40%を誇る地位にまで上り詰めたるためには、これらの要因の相互作用や良循環の結果だといえるのであろうか。

   ところで、日経ビジネスの指摘で、すんなりと了解できないのは、「デフレに屈せず」と言う論点で、肝心のパンの原料である小麦が、政府による官製調達であり、日清製粉との交渉はあろうが、山崎製パンが、小麦粉の調達で、一切、リスクを負わずにあてがいぶちであることである。
   規模のメリットと言っても、欧米の食品会社と比べれば弱小であるし、自社で小麦粉など原材料を自社調達すれば、コスト管理がどうなるかは、全く未知数であり、経営のリスク要因が加わることとなる。
 
   いずれにしろ、日経ビジネスの、「異端の経営・山崎製パン 止まらぬ成長デフレに屈せず」と記事の意図が良く分からなかった、と言うのが、私の感想である。

   ところで、私自身だが、毎朝、パン食だが、全く、山崎製パンのお世話にはなっていない。
   朝食は、決まって、UCCのブルーマウンテン・ブレンドをドリップして、カフェオレ風に仕立てて、レーズン・ブレッドにブルーべりージャムをたっぷり塗って頂いている。
   山崎の超芳醇レーズンパンは、良いと言うことだが、やはり、スーパーに並んでいるコモディティに過ぎず、味も感触も並だし、倍くらいの値段はするが、地元の個人経営のパン屋で買ったのを食べている。
   菓子類についても、やはり、地元の気に入った店を数軒決めていて、そこで買って頂いており、山崎製パンとは縁がない。
   このパンや菓子と言うのは、私の場合には、嗜好品であり、どうしても全国版のコモディティ商品には手が出ないのである。
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老いを感じると言うことの不思議

2010年03月23日 | 生活随想・趣味
   先日、友人夫妻が、花束を持って、私の退院祝いに自宅を訪れてくれたので、咲き乱れている庭の椿を肴にして、久しぶりに楽しく歓談した。
   丁度、このブログを開始した直後の5年前にも、9時間の大手術を受けて、2週間ほどブログを空けたのだが、今回は、5時間弱の手術と言えども、少しずつ、体力への負担が増しており、老いの訪れを感じている。
   私の場合は、幸いにも二回とも、直接、生命に関るような危機的な病状や手術ではなかったのだが、しかし、全身麻酔で寝ていたので分からないもののの、手術如何によっては、死と隣り合わせと言うか、その一歩手前まで行っており、危機を脱したと言うことのような気もしている。

   幸いなことは、手術を受けたのは、二回とも日本に帰ってから信頼できる病院であったことで、ブラジル時代に苦しんだ腎臓結石や先の病気の異常な胆嚢結石などの原因は、殆ど、世界各地で色々な食事を取り、また、得体の知れない水を飲んだりした長い海外生活の結果だと思っているのだが、これまで、何度も七転八倒して病院に担ぎ込まれていた筈だと言われたのだが、業務も多忙を極めていたし、その都度、どうにか我慢をして苦痛に耐えて乗り切って来た。
   古き学生時代に流行った歌の文句ではないけれど、ロンドン、パリを股にかけ、フィラデルフィアの大学院を出てあっちこっちを駆け回っていたのであるから、当然の結果かも知れなかった。

   海外生活の過半が、比較的文明度の高い欧米だったとは言え、中東や東南アジア、南アメリカなどと言った衛生や医療関係が整っていないところも随分歩いて来たし、兎に角、異国の地での体調の異変は数え切れない程経験しているが、良く分からない土地で治療を受ける気にはなれず、若さゆえだったのか、兎に角、我慢を続けてどうにか大事に至らず突破して来た。
   今思えば、例えば、ベルリンの壁崩壊前の東欧や、東南アジアの僻地や、あるいは、恵まれて居る筈の南欧の田舎町であっても、異国のどこかで病院に担ぎ込まれていたらどうなっていたかと思うと、空恐ろしくなることがある。

   これまで、殆ど感じなかったのだが、今回の入院手術で、遅ればせながら、少し、死について考え始めた。
   70に近づくと、既に、親しかった友の何人かは、鬼籍に入ってしまっているし、寿命から言ってもそれ程遠い話でもない。
   机を並べて頑張ったゼミの仲間も二人、ずっと以前に、ビジネスの絶頂期に他界しており、花を愛することの素晴らしさを教えてくれたフィラデルフィア時代の友人も、今はもう居ないし、同僚だった先輩後輩、あるいは、身近な人々にも、消えて逝った人が多くなってしまった。

   歳を取ると最初に弱るのは、ハメアシだとか、ハメ○○だと言われる。
   後ろの二つは歳なりに仕方がないとしても、私の場合は、前の歯と目の方はかなりしっかりしている。
   歯は、大臼歯1本と親不知3本は抜いたが、残りの28本は、無傷で今も健在である。
   目は、若い頃から近眼だが、先日、めがねのレンズ交換に出かけた時も、以前から悪化しておらず、視力1.0で調整しており、同年齢の平均よりは目は大分良い方だと言う。
   毎日読書三昧に明け暮れており、かなり、難しい専門書にも挑戦している私にとっては、目が命であり、大切にせねばと思っている。
   それに、頭のMRIだったと思うが、皺が十分にあるので、認知症などの心配はないと太鼓判を押された。
   いずれにしろ、頭も働いており、歯目が丈夫なことだし、何か、突発的な特別な事故や病気に襲われなければ、少しは長生きの資格はあるように思っているので、兎に角、5年ピッチで頑張って行こうと考えている。

   やはり、歳には勝てないのか、体力の回復には時間が掛かりそうで、当分の間、歌舞伎やコンサートなどに行けないのが、一寸残念である。

   手術から回復すれば、これまで以上に散歩に心がけようと思っている。
   千葉の田舎だと、車か自転車で、少し、移動すれば、いくらでも散歩の好適地はあるし、頭の活性化に良いかも知れないと思っている。
   
   病気をすれば、人々の優しさ、温かさが、痛いほど身にしみる。
   今回も色々な方に、励まされ助けられて来た。
   ところが、日ごろ親しく付き合っている人ほど、大丈夫と思ってくれているのだろうが、冷たいと言うか無関心なのに気づいて面白いと思った。
   人生色々、大切な一日一日を心して生きなければならないと、殊勝なことを考えている今日この頃である。
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人類文明論を考える(2)~ベーリング海峡を越えて南北アメリカを縦断したインディオ

2010年03月21日 | 学問・文化・芸術
   応地利明京大名誉教授の「人類にとって海は何であったか」と言う章は、ホム・サピエンスを、ホモ・モビリタス(移動する人)と言う視点から捉えて、特に、海を介しての人類の「移動と定住」を舞台に人類文明の興亡を論じていて、非常に面白い。
   人類の歴史には無数の移動と定住があるが、人類史的な意味を持つ地球規模でのものは、現生人類の「出アフリカ」、モンゴロイドの拡散、ヨーロッパ人の拡散、だと言う。
   東アフリカを南北に縦断する大地溝帯の故地を後にしてアフリカを脱出して、死海のあるヨルダン川地溝帯に到達し、そこからユーラシア内部に拡散して行く。
   東洋に拡散したのが東ユーラシア(モンゴロイド)、西洋と中洋に拡散したのが西ユーラシア(コーカソイド)である。

   わが日本人が属するモンゴロイドは、約6万年前に東南アジア大陸部に到達し、更に海と陸とに分かれて進出し、東南アジア大陸部から北上ルートを取った一派は、ベーリング海峡を越えて、南アメリカ最南端のフェゴ島まだ達した。
   ユーラシアの南縁ぞいに東西移動した他民族と比べて、寒暖の変化の激しい極めて困難な適応を要する南北移動を、最終氷期の最盛期に北上を開始し、困難な自然条件のなかで、後退と寒冷適応を繰り返しつつ、氷河時代最終期の1万数千年前に、北極海沿岸部に到達したと言うのだから、驚異と言うほかはない。
   日本では、縄文時代が始まった頃のようだが、極寒の自然環境に適応したモンゴロイドの南北アメリカの縦断は一気呵成で、ベーリング海峡から南米の最南端フェゴ島までの1万4千キロを1000年で踏破したと言うのである。

   私が、何故、この英語圏ではインディアン、ラテン語圏ではインディオと称される南北アメリカの原住民に興味を持つのかと言うことだが、実際に、アメリカ留学の2年間、サンパウロ駐在4年間、そして、何度かの海外出張などで、これらの人々の文化や生活などに直接触れる機会があり、特に、中学時代から興味のあったマヤ、アズテック、インカなどの遺跡や文化財を実地検分して学びながら、人類の文化文明とは、一体何なのかを考え続けて来たからである。
   マヤの壮大な宮殿や都市が、絶頂期のまま放置されて廃墟となりジャングルに覆いつくされて消えたのは、鋤鍬を持っていなかった為だと言う文化文明の余りにも極端な落差や、マヤ・アズテックのピラミッドが、隣の大陸であるエジプト文明の影響だとか、兎に角、子供の頃にインディオ文化の不思議さに引き込まれていたのである。
   
   私が、最初に、インディアン、ないし、インディオの文化や生活に接したのは、もう30年以上も前のアメリカ留学時代で、メキシコ旅行でのアズテック遺跡訪問やインディオの生活を実見したのが皮切りである。そして、翌年の夏期休暇に、セントルイスから車でロッキー越えして、メサヴェルデ国立公園でインディアン遺跡を見たり、モニュメントバレーなどインディアンの居留地を横断してグランドキャニオンまで走ったのだが、その間の、殺伐とした文明社会とは隔絶されたような不毛で虐げられたインディアン特別居留地での実生活を垣間見て暗澹とした思いになったこと覚えている。
   確か、子供の頃には、アメリカ映画と言えば、西部劇だったが、学生時代以降、気が付いたら、映画館から殆ど西部劇は消えていたのだが、アメリカ文化の崇高なる魂のように言われているフロンティア・スピリットも、所詮、インディアンを蹴散らして未開地を開発しながら西部へ突っ走っていた貧しい頃の産物。ヴェトナムでも、イラクでも、アフガニスタンでも、いまだに、同じ悪夢から覚められないアメリカの呪縛は厳しい。

   ところで、中南米のインディオだが、マヤ、アズテック、インカのような非常に文化分明度の高い文化を生み出したインディオもあれば、ブラジルのアマゾンのジャングル地帯には、いまだに、原始時代そのままの生活を送っている人々もいる。
   アマゾンには出かけたが、インディオには会う機会はなかったが、パラグアイのアスンションの川の中州にインディオ居住地があって、そこを訪れて、そのさわりを見たことがある。尤も、観光スポットなので、勧告客が訪れると、待機していたインディオが裸になって生活を見せると言う寸法だが、街のショップの店員嬢が、子供を抱えてヌード姿で現れた時には、目のやり場に困った。

   中南米に渡って来たスペインとポルトガルのラテン系移民は、アメリカのアングロサクソン移民と違って、セックスに対する考え方が大らかであったので、混血が進んで、純粋な原住民インディオは、殆どいないし、私の居たブラジルなど、これに、黒人や雑多な異民族の血が複雑に混交していて、ブラジル人とはどんな人なのかと言われても、説明が出来ないのではないかと思う。
   尤も、ラテンアメリカと言っても国によって違っており、アルゼンチンなど、純粋な白人の比率が高いように思うし、ボリビアなどは、純粋なインディオだけの集落が結構多くある。

   話が、横道に反れてしまったが、私が興味を持っているのは、同じ、素晴らしいDNAを持って、他の人種には到底真似の出来ないような過酷な大自然の挑戦を克服して、アリューシャン海峡を渡って南北アメリカ大陸の背骨を縦断したインディオの一部が、何故、アマゾンのジャングルなどで、原始そのままの生活状態に留まっているのかと言うその不思議である。
   世界文化文明を制覇したと豪語するヨーロッパ人たちが、冷たい海・大西洋を渡りきれずに、やっと、大航海時代に突入したのは、15世紀になってからだと言うことから考えても尚更である。  
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人類文明論を考える(1)~エコロジカル・フットプリント

2010年03月19日 | 学問・文化・芸術
   今回、手術入院中に読もうと思って病院に持ち込んだ本の内の二冊は、講談社の「興亡の世界史」シリーズの、初巻00「人類文明の黎明と暮れ方」と最終巻20「人類はどこへ行くのか」であった。
   01から19までの巻は、世界史を彩った国や地域、あるいは、文化文明に焦点をあてた個別の世界史を扱っているのだが、この初巻と最終巻の二冊は、総論的に、人類の文化文明とは一体何なのか、その本質と課題などを真正面から取り上げた非常に興味深い本であり、改めて勉強して見ようと思ったのである。

   学説や論点などについては、必ずしも同意出来るものばかりではなかったが、グローバリゼーション時代の人類の未来を考える場合に、非常に役に立つと言うか、私にとってかなりインパクトの強かった印象的な論点がいくつかあったので、感想を残しておきたいと思った。

   まず、20巻の大塚柳太郎東大名誉教授の『「100億人時代」をどう迎えるか』で指摘されているエコロジカル・フットプリント問題だが、これは、地球温暖化・環境問題でも広く議論されており常識問題だが、人口論学者から正面切ってその危機的な状況を指摘されると非常にインパクトが強くなる。
   「人口ゼロ成長」の社会を目指すべきだと言うのが著者の見解だが、先進国のエコロジカル・フットプリントの観点から地球を見れば、もう、既に、地球は限界に達していると言うことである。

   そのエコロジカル・フットプリント(生態系負荷度)とは、一体何かと言うことだが、早く言えば、世界中のすべての人々が、特定の国の(例えば日本)人と同じ水準の生活を送ろうとすれば、地球が何個必要かと言うことである。
   これは、化石燃料の消費から排出される二酸化炭素の吸収に必要な森林面積、道路や建物に使用される土地面積、食糧生産に必要な土地面積、紙や木材などの生産に必要な土地面積など生物的生産量を合計したもので、必要とされる地球の数に換算されて表示されるのである。

   欧州環境機構の2002年数値によると、日本は2.44、アメリカは5.55、イギリスは3.18で、あの中国でさえ0.91と言うことである。
   結論から言うと、既に、先進国だけで、地球の負荷能力を大きく上回っており、自然を食い尽くし地球環境を破壊してしまっていると言うことなのである。
   すなわち、中国やインドなどの新興国が、アメリカ並みの生活水準に達すれば、地球環境の破壊は必定だと言った議論がなされているのだが、それどころか、現実には、もう既に、アメリカは勿論、日本もイギリスもフランスもドイツも、先進国のすべてが、発展成長を良いことに、中国やインドは勿論のこと、発展途上国など遅れた国の人々の分まで、地球を食い尽くして破壊しつくしているのである。
   
   私は、以前にこのブログの地球温暖化・環境問題の項で、問題の解決には、日本など先進国の生活水準を大幅に切り下げなければならないと書いたことがある。
   宇宙船地球号がただ一つしかないとするなら、極論すれば、現在の日本人の生活水準を2.44分の1に切り下げなければ、地球環境をサステイナブルに維持できないと言うことなのである。(年間500万円で生活している人は、その水準を200万円に下げろと言うことである。)
   このことは、日本の成長発展による現在の生活水準の確保が、勝ち得と考えるのか、遅れた国を犠牲にした既得利権と考えるのかは別にして、兎に角、新興国や発展途上国に対して、地球温暖化や環境基準において、先進国の論理を押し付けることは、先進国の傲慢であり、やり過ぎれば、深刻な新南北問題を惹起し、文明の衝突を引き起こすのは必定である。

   さて、地球環境が維持可能な元に戻れないチッピングポイントである帰らざる川を越えて破壊に突き進むまで頬被りをするにしても、環境への負荷(I)は、ポール・エーリックの次の等式で考えざるを得ない。
   I=P×A×T
   Pは、人口(population)
   Aは、一人当たりの資源・エネルギーの消費量(affluence)
   Tは、消費財を生産・消費する際の消費単位当たりの資源・エネルギーの消費量の技術改善による削減の程度(technology)
   宇宙船地球号を維持するために、環境負荷(I)を下げることが必須である。
   人口が100億を目指して増加の一途を辿っている以上、残された道は、AとTの低下以外に方法はない。
   グローバルベースでのドラスティックな、エコ効率をアップするための生産システム・ライフスタイルへの大転換やイノベーションを果敢に遂行する以外に、人類の将来はないと言うことなのである。

   鳩山首相の25%削減案を叩き潰そうと経済界は必死だが、そんな悠長なことを言っていると自らの墓穴を掘ることになる。
   生き残りを賭けるためにも、必死になって世界最先端を行くエコ商品やエコサービスの開発は勿論、地球全体のエコシステムをサステイナブルにするためのシステム開発に邁進することにビジネスチャンスを見つけない限り、日本企業の未来はないことを認識すべきであろう。
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市川海老蔵主演の松本清張「霧の旗」

2010年03月18日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   先日、日本テレビで、松本清張生誕100周年記念放送の「霧の旗」を放映していた。
   市川海老蔵が、現在劇初出演と言うことで、かなり話題になっていたようだが、婦人公論に連載されていて、単行本として出版されたのが1961年だと言うから、もう半世紀前の深刻な社会派推理小説の世界に、若き未来有望な歌舞伎界きってのプリンスが、どう対向するのかに非常に興味を持ったので、珍しく、TVドラマを最後まで見た。

   NHK BSやWOWWOWでも、生誕100年記念で、清張の映画作品が多数放映されていて、偶々、1965年松竹制作の山田洋次監督作品の「霧の旗」を見ていたので、その対比も面白く、海老蔵のパンチの効いたドラマを、大いに楽しませて貰った。
   原作には、比較的忠実なのではあろうが、中身を多少現在風にアレンジして、身近な現在劇として蘇らせていたのが、印象的であった。

   原作を読まずに語るのも気が引けるのだが、このドラマなり映画の筋は次の通り。
   九州の片田舎で起こった金貸しの老女が殺害された事件で、金を借りていた中学教師柳田が検挙されるのだが、その冤罪を晴らす為に、思い余った妹の柳田桐子(相武紗季が、上京して、敏腕弁護士大塚鉄也(海老蔵)に必死になって助けてくれと頼むのだが、一蹴されてしまう。
   無期懲役の判決を受けた桐子の兄は、控訴審中に獄死する。
   その後、ある意図を持って上京して銀座のクラブのホステスとなった桐子は、素朴な田舎娘から妖艶な女へと変身して行くのだが、機会を捉えて関係人物に近づき、大塚弁護士の愛人河野径子(戸田菜穂)の弱みを握って、その証拠品を隠蔽して、更に、その証拠品を取りに訪れた大塚弁護士を誘惑して強姦させて、絶体絶命の窮地に立たせて破局へと追い込む。

   当然、このドラマの主人公は、桐子の筈なのだが、このTV番組では、御曹司海老蔵を担ぎ上げたのだから、海老蔵に焦点をあてて話が展開して行く。
   桐子役の相武紗季に付いては、殆ど記憶はないのだが、私の故郷宝塚の出身とかで、今回、海老蔵を相手に互角に渡り合って達者な芸を披露していて、単なる魅力的な美人女優と言うだけではなく、大器の片鱗を見せていて興味深かった。

   尚、大塚と桐子のどちらを主演にするのかは、桐子の復讐の凄まじさに焦点をあてるのか、あるいは、著名な名うての敏腕弁護士の凋落破局をテーマにするのかによって何れも可能であろうが、これまでのテレビドラマでは、大塚弁護士を、芦田伸介、仲代達矢、古谷一行が演じた時には、大塚弁護士を、桐子を、栗原小巻、植木まり子、大竹しのぶ、安田成美が演じた時には、桐子の方が主役になっていたようである。
   唯一の映画版山田洋次作品の「霧の旗」では、主役は、倍賞千恵子の桐子で、滝沢修の老練な大塚弁護士が、丁々発止の素晴らしい舞台を見せてくれて感動的である。

   さて、今回の日本テレビ版の「霧の旗」だが、冒頭は、日常裁判結果の放映のように、裁判所から飛び出して来た人が、報道陣の前に「全員無罪」などと言った巻物を広げて、冤罪を二度も暴いた人気もののエリート弁護士大塚鉄也の絶頂からスタートするのだが、海老蔵も言っているように「エリートの傲慢さが仇となって窮地に陥り、破局へ追い詰められて行く・・・まさに光と影に彩られた壮絶な人間模様」が、テーマとなっている。
   海老蔵だが、弁護士としてはどうかと言った疑問は多少あるとしても、そっくり返ったような嫌味な姿ではなく、自然に備わったエリート然とした弁護士像は、流石である。
   また、真実の恋に目覚めて、殺人罪に問われて獄中にある愛人河野径子に、獄窓口から、貴方なしには生きて行けない・必ず冤罪を晴らして自由の身にすると必死になって心情を吐露して、桐子に、豪雨の中で土下座して、真実の供述と証拠品提示を懇願する姿の凄まじさなど、この激しいメリハリの利いた演技は、やはり、天下のプレイボーイとしての地がそうさせたのか、あるいは、歌舞伎役者としての本領発揮なのかどうかは分からないが、兎に角注目に値する。

   この松本作品のサブテーマは、大塚弁護士と河野径子の大人の真実の愛で、この愛ゆえに、大塚が、桐子の姦計に引きずり込まれて行くのだが、戸田菜穂は、中々魅力的な恋人役を演じていて良かった。
   他のTV番組の、芦田伸介と草笛光子、三國連太郎と八千草薫、森雅之と岡田茉莉子、田村高廣と阿木耀子、仲代達矢と満田久子、古谷一行と多岐川裕美のとカップルが、どのような愛の軌跡を演じたのか、興味のあるところである。

   このテレビ版は、映画版より、多少フィクションを加えながら筋を丁寧に追っており、大塚弁護士の先輩沢木検事(中井貴一)を登場させて、桐子が隠していた殺人犯のライターを郵送で受け取らせて、犯人逮捕のシーンを最後の字幕で映して、ハッピーエンドを匂わせている。
   橋本忍脚本の山田洋次の映画版では、ラストシーンで、倍賞千恵子の桐子が、このライターを海中に投下するところで終わっている。

   私は、山田洋次版の方が、松本清張の意図に近いような気がする。
   冒頭は、桐子が示した上熊本から東京都区内まで と書いた国鉄切符の入鋏から夜汽車での東京行きでスタートするのだが、もう45年も前の映画で、モノクロの所為もあるが、全体のトーンは実に暗い。
   滝沢修と径子の新玉三千代の恋は新鮮で、倍賞千恵子が、酒に酔わせて滝沢修に愛を迫るシーンなどは、全くイメージ違いだが、若かりし頃の大器倍賞の演技に全幅の信頼を置いた山田洋次も大監督だったのである。
   私は、松本清張晩年の作品を殆ど愛読していたが、清張がちらりと覗かせるどこまでも善意・純粋一途のこのような理屈抜きの人間の姿を見せているのに気づいて感激していた。
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久しぶりに見る春爛漫のわが庭

2010年03月17日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   二週間留守をして久しぶりに帰宅して、真っ先に入ったのは、わが庭。
   やや西に傾きかけた春のやわらかい陽を浴びて、木々が輝いていて感激であった。
   今年は、早く咲き始めていたと思っていた椿も、殆どの種類が咲いていて、宝珠咲きの崑崙黒も満開で、先の尖った黒光りのする花姿は、やはり優雅で、背丈も3メートル以上となり、黒椿の貫禄十分で、いつの間にか、主木の一部を占めるようになっている。

   もう一つ目立って優雅なのは、ピンクの羽衣に少し遅れて咲いている白羽衣で、茶花としてポピュラーな加茂本阿弥の凛とした美しさとは違った華やかさが、何ともいえない魅力なのだが、雨風にあうと美しい白衣に傷が付いて見苦しくなるのが、一寸、可哀想である。
   この花にも増して豪華なのは、花富貴。
   曙は、一重のピンクの大輪だが、この花富貴は、黄色い綺麗な蘂を桃色の肉厚の花弁に取り囲まれた抱え咲きの八重の大輪で、完全に咲いた花は、実に優雅で美しい。

   白桃赤の入り混じった複色椿で、今咲き乱れているのは、四海波と岩根絞と孔雀椿などで、四海波は、木が大きくなると、枝によって、全く違った花が咲くのが面白い。

   私が好きなのは、玉の浦で、濃紅地に白複輪あるラッパ咲きの中輪椿である。
   赤い椿の花の周りが真っ白な輪郭で覆われているのだが、その形よりも、比較的か細くて弱い枝を左右に広げて垂れ下がるのだが、花弁が優雅に垂れ下がった枝葉から頭を覗かせている姿が、実に優雅で絵になるのであり、夕日が当たった逆光の花姿などは、本当に美しい。
   ところで、この玉の浦が、海外で人気が高くて、複輪など色々とバラのように品種改良されて里帰りし、タマ何とかと言う名前で売り出されており、私の庭にも、タマグリッターズと言う名前の蘂があっちこっちから出てくるピンクの八重椿の鉢があるのだが、私には、どこが美しいのか、良く分からない。
   椿については、書けばキリがないので止めるが、庭木と鉢を合わせれば、20種類以上の花が、私の庭で春を謳歌している。

   草花で、今、咲いているのは、クロッカス、スノードロップ、水仙、ムスカリ、ハナニラと言った所で、チューリップ、ヒヤシンス、ゆり、アイリス、ラナンキュラスなどの草丈が、ぐんと伸びた感じで、チューリップやヒヤシンスは、もうすぐに、花が咲く。
   牡丹の芽が大きく動き始め、芍薬が、地面からピンクの芽を伸ばし始めた。

   私の庭に二本の八重咲きの枝垂れ梅があるのだが、メインの方の一本は、遠くから見れば、満開のような風情なのだが、花の盛りを過ぎて写真にはならない。
   ところが、日当たりの悪い方の一本は、私の帰りを待ってくれていた。
   枝によっては、まだ、蕾が残っていて、夫々の花のピンクのコントラストを感じさせてくれて面白いのである。
   下木の風情で花が咲いているのは、ヒイラギ南天、馬酔木、沈丁花。

   嬉しいことに、今年、見る機会のなかったジョウビタキが、私の庭を飛びまわっており、遠いシベリアへの旅立ちの挨拶に来てくれたのであろうか。
   オレンジがかった褐色の美しい胸を見せたスマートな姿が何とも云えないほど魅力的な小鳥なのだが、この秋、再び返ってきて元気な姿を見せて欲しいと思いながら、じっと見ていた。
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山田洋次監督作品「おとうと」

2010年03月03日 | 映画
   山田洋次監督作品は、寅さん映画の全編は勿論、殆ど見せてもらっているので、今度も遅ればせながら、近所のワーナーマイカルに出かけた。
   もう上演後、日が経つので、小さな劇場に変わっていて、上演回数も減っているのだが、相変わらず人気は高い。

   この映画は、出来過ぎた理想的な姉と、「わいみたいな、どないにもならんごんたくれの惨めな気持ちなんか分かってもらえへんのや」と言う箸も棒にも掛からない底抜けの馬鹿な弟の、切っても切れない姉弟の絆の物語である。
   私は、前回の「母べえ」の鶴瓶を見て、恐らく、山田監督は、鶴瓶を使って映画を作ると思っていたのだが、的中した。
   渥美清の寅さんが東京版なら、鶴瓶のしがない役者は、大阪版の寅さんなのである。
   西田敏行を使って、寅さんの後を埋めるシリーズを作ろうとしたが、長続きしなかったのは、キャラクターが、全く違うからであった筈である。
   尤も、この鶴瓶の寅さんは、TVの寅さんがハブに殺されたように、大阪の釜ヶ崎のホスピスで死んでしまったので、後はなさそうである。

   この映画「おとうと」を見ていて、殆ど最初から最後まで、寅さんの映画とダブルイメージと言う感じで、リメイク版を見ているような気がしたのだが、同じ寅さんでも感動が夫々全く違うように、この映画も、全く新鮮で情感豊かな新しい感動を与えてくれて、実に爽やかである。
   夫の死後、商店街の一角にある薬屋を経営している姉高野吟子(吉永小百合)が、女手一つで育てた一人娘小春(蒼井優)が、良縁を得てエリート医師と結婚式を挙げるのだが、飛び込んできた弟の鉄郎(鶴瓶)が式を台無しにするのは、寅さん第一作で、品に欠ける寅さんがさくらのお見合いをこわしてしまうのと同じパロディ調で、小春は離婚、さくらは見合い不調で、結局、最後には、身近で善良な庶民と結婚して幸せを掴むと言う流れになる。
   どちらの映画も、一見上品で高級かつ上等だと思われる人々を、庶民の目線で引き摺り下ろして笑い飛ばしている点が面白いのだが、この「おとうと」は、徹頭徹尾、善人ばかりの庶民を描いており、その泣き笑いの人生が実に味わい深い。

   この映画で小鳥が実に重要な小道具として使われていて、姉の家にも小鳥が飼われていてインテリアにも小鳥の絵が使われているのだが、姉に、オウムを飼って抱いて寝ているので口を突付かれ傷だらけだが、起きたら「おはよう、おはよう」と鳴くのだと語っていた鉄郎。
   吟子は、鉄郎が、行き倒れになる最後に住んでいたぼろアパートの部屋を訪ねて、汚い部屋の中を、小鳥が放し飼いで飛び回っているのを知る。
   他人から相手にされず、挫折ばかりの人生を歩んで来た鉄郎には、小鳥小屋のような住処が唯一の憩いの場であったのであろうか。

   褒められたことも認められたこともない出来の悪い弟に、一度花を持たせてやろうと言う優しい亡き夫に説得されたのが、愛娘の名前。
   名付け親となった場末のどさ回り役者の鉄郎の頭には、王将の坂田三吉の女房小春の名前しかない。
   酔っ払ってマイクを取って王将をがなって結婚式を台無しにしてしまった叔父に付けられた名前だから、益々、名前が嫌いになった小春。
   しかし、臨終間近と母に聞いて、恋人(加瀬亮)の車で深夜を車で大阪に突っ走る。

   この映画の最後に、通天閣が見える大阪の鎌ヶ崎のどや街が出て来て、住人がエキストラ参加したとかで、世相が分かって興味深い。
   その中に、行き場の無くなった鉄郎が、収容されて面倒を見てもらっている「みどりのいえ」がある。
   東京の「きぼうのいえ」と言う非常にヒューマニズムに富んだ施設のようで、ここの所長の小日向文世と助手の石田ゆり子が、実に好演で良い味を出していて感動的である。
   鉄郎は、寅さんと同じで、元気な時は、この施設でも人々を笑わせる人気者だったと言う。
   鉄郎のベッドの壁とアパートに、栄光の思い出であろうか、鉄郎が国定忠治を演じた古ぼけた公演ビラが張ってあるのだが、この釜ヶ崎にも、大阪の芸人が住んでいて、ここにある演芸場で、笑いを忘れた人々を腹の底から笑わせて芸を磨いて、上って行くのだと聞いたことがある。

   鉄郎が、ハレの場に出るのを皆が嫌うのは、吟子の夫の十三回忌に酒を飲んで大暴れしたことからだが、この映画の最後は、嫁いで行く小春との最後の夜でお別れの乾杯の時に、祖母(夫の母)絹代(加藤治子)が、亡くなったのを知らないので、これまでとは逆に、何時ものけ者にされていて、可哀想だから、鉄郎を呼んでやろうではないか、今からでも間に合うか、と言う。
   ラストシーンは、吟子の吉永小百合が、立ち上がって、後ろの流し台に向かって立ったまま動かず、忍びなく姿を暗示するのだが、家族の絆と、厳粛なる生と死を突きつけて感動的である。

   吉永小百合は、鶴瓶から、子供の頃の写真を数枚借りて、おとうとをイメージしたと言う。
   遺伝子の悪戯か、あまりにも素晴らしい姉と、どうしようもないアホの弟と言った、あまりにも懸け離れ過ぎた有り得ないような姉弟関係が、この話を面白くしている。
   やはり、吉永としては、血の繋がった肉親と言うことになると、全くキャラクターが違う鶴瓶との接点が掴み難くかったのかも知れないが、吉永小百合のイメージと、鶴瓶のイメージを大きく膨らませて、両方の良さを炙り出しながら人生をじっくり描き出し、必ず一本筋の通った感動を与えてくれる良質な泣き笑いの山田洋次の家族劇だからこそ出せた味であろう。

   蒼井優は、蜷川幸雄の「オセロー」の舞台のデズデモーナで感激して以来だが、ずばり、適役で実に上手い。それに、恋人役の加瀬亮も良い。
   加藤治子の存在感、山田映画では、出ずっぱりの笹野高史、ベテランの小林稔侍、森本レオなど、脇役陣の充実も素晴らしい。

(追記) 私事、都合により、2週間、ブログを休載。
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日経ビジネス:ソニーのジレンマ

2010年03月01日 | 経営・ビジネス
   日経ビジネスの最新号で、「捲土従来期すソニー 完全復活なるか」、ソニーのジレンマと言うタイトルで、ストリンガー体制のソニーの現状をレポートしている。
   アップル・サムスン包囲網を崩せるかと言う問題意識だが、キヤノンも、パナソニックも、任天堂も強力なライバルであるし、ソニーの前には、前門の狼、後門の虎、と、強力な競争相手が多くて、努力しても努力しても、完全復活と言うか、経営実績の捗々しい向上は中々見えて来ない。
   これまで、このブログで、私は、ソニーの凋落は、コモディティ商品ばかりの技術の深追い、すなわち、持続的イノベーションばかりに力を入れて、破壊的イノベーションによるソニー本来の他の追随を許さないような新製品やサービスの提供が出来なくなった、歌を忘れたカナリアに成り下がってしまった結果によると書き続けてきた。
   この日経の記事に、私なりに感じたことがあるので、少し感想を書いてみたい。

   私の手元に、ジャグディシュ・N・シース著「自滅する企業」があるのだが、第3章 傲慢症 おごれる者は久しからず の中で、「誰もまねできない製品やサービスを開拓する」会社の失敗例として、ソニーが記述されている。
   家庭用ビデオレコーダー、トリニトロン、ウォークマン、オーディオCDなど、常にテクノロジーの波に上手く乗って、市場への一番乗りを続けて発展して来た。これが、ソニーを傲慢にしたと言うことであろうか。
   出井体制になってからは、経営トップの絶対的権力で利益を叩き出す会社から決別したのだが、プレステで一時好成績を挙げたものの、ソニーショックを起こして、ソニーの経営悪化が、最早傲慢症の蹉跌ばかりではないことが分かったと厳しい指摘をしている。

   また、スライウォツキーは、「大逆転の経営」で、ソニーは、ダブルベッディング、すなわち、競争相手の技術を追走する二股戦術を打たなかったために、アップルのiPodや、任天堂のwiiに負けたのだと分析していたが、これは、ソフト軽視と言うか製品開発と製造に重心を置いた経営である上に、トリニトロンの異常な成功が、ソニーの薄型TVへの対応の遅れを惹起したのと同様に、成功しておれば成功しているほど、コア・コンピタンスから離れられなかったと言うことでもあり、既に前世紀に、クリステンセンがinnovator's dilenmaで指摘している。
   トランジスターを逸早くコンシューマー・エレクトロニクス製品に導入して、繁栄を謳歌していた真空管主体のエレクトロニクス企業を駆逐したソニーが、回りまわって逆の経験をすると言う皮肉なめぐり合わせと言うべきであろうか。
   
   私は、ソニーショック後に、会社再建のために、ソニーが、虎の子であった筈の、最先端を行くロボット事業をトヨタに、そして、途轍もない性能を持ったセルを東芝に売却して、コモディティに成り下がってしまっていたTVやビデオなどコンシューマー・エレクトロニクス製造販売主体の会社になった時点で、ソニーの将来は、益々、暗くなってしまったと思ったし、その旨、このブログにも書いた。(この日経記事でも、セル売却を後悔していると指摘)
   一番最初に実用化し販売したLEDテレビだが、商品として顧客にアピールできる価格で提供出来ずに、サムスンに先を越されたのを見ても分かるように、技術の差別化の優位性の維持が殆ど不可能なコモディティ製品の場合、ソニーのコスト競争力は極めて弱いのでキャッチアップが並大抵ではない。

   アメリカの製造業復活のために、MITチームが徹底的にグローバル企業の競争および成功戦略を調査した、スザンウ・バーガーの「グローバル企業の成功戦略」において、ソニーについて、興味深い指摘をしていて、ソニーのアウトソーシングを嫌った自前調達・純血主義が時代遅れで、ソニーのコスト競争力を削ぐ要因になる可能性を示唆していた。
   アウトソーシングが技術流出につながるとして、技術のブラックボックス化を維持し続けていたのだが、これは、ソニーだけの問題ではなく、今でも、日本企業の戦略戦術でもあると言えよう。
   しかし、今回の日経ビジネスでは、ソニーは、ほんの数年でこの方針を放棄して、今では、特に、パソコンでは、台湾や中国の業者を巻き込んだ水平分業型モデルが定着して好成績を挙げており、このコスト効率の高いSCMシステムを、コスト競争力に欠けるテレビ事業に導入してコストを削減するのだとモノ作り復権戦略をレポートしている。
   この記事では、一回りも二回りも遅れているとしか思えないようなソニーの新しい(?)モノ作り戦略を報じているが、大きな車は回りが遅いの喩えで、限界を超えて大きくなり過ぎ制度疲労してしまったソニーには、瞬発力と機動力が必須ではないかと感じている。
   余談ながら、スザンヌ・バーガーは、ソニーのビッグバンとも言うべきセルを、その処理能力は世界最速のスーパーコンピュータに匹敵と、起死回生の切り札と持ち上げているが、後の祭りである。

   もう一つこの記事で気になったのは、ソニーの「ソニー・オンラインサービス(SOLS)」である。
   ソニーのハード製品を結合融合して、インターネットで、ソニーのソフト(映画、アニメ、ゲーム、音楽、書籍)を、オンラインで提供しようとするシステムをはじめたことである。
   ハードとソフトの経営資源と製品サービスを幅広く持ったソニーの最大の強みを活用しようと言うビジネスモデルで、ソニーならの戦略だが、問題は、このグローバルなデザインやプラットフォームが当然である時代に、当分は、ソニー製品サービス間だけの計差的ななシステムであると言うことである。
   この点については、コメントを次回に譲りたい。  
   
   
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