熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立能楽堂・・・能「嵐山」間狂言「猿聟」

2015年04月30日 | 能・狂言
   単独で上演されることが多いと言う狂言「猿聟」が、本来の上演通りに、能「嵐山」の替間として演じられ素晴らしい鑑賞の機会を得た。
   能「嵐山」は、式能と国立能楽堂の定期公演で観ており、狂言「猿聟」は、萬狂言で観ており、夫々、独立した舞台で楽しませて貰っているのだが、全く切れ目なしに、能と狂言を、同時に楽しめると言うのも、また、格別である。

   能「嵐山」は、
   帝の臣下が勅命を受けて、吉野から移植された桜の花を見に嵐山にやって来て、花守の老人夫婦に出会い、この花が神木であり、吉野山の神が姿を現すのだと説明して、自分達こそが、その神木の花に姿を現す子守明神と勝手明神と告げて、老夫婦は南方へと消える。
   この後、替間の狂言「猿聟」が演じられる。
   後場となって、子守明神と勝手明神が現れて、桜の花を喜び、優雅に舞を舞う。さらに蔵王権現が現れ、蔵王・子守・勝手の三体は一体分身であると語って、栄え行く世のめでたさを讃える。

   嵯峨野あたりも含めて今の嵐山の桜は、ソメイヨシノが多いと思うのだが、この能の頃には、まだ、染井吉野がなかったので、詞章の謡の如くヤマザクラで、苗木の移植ではなく、実生なので、千本と言っても移植は簡単であった。
   熊野や高野詣には、大変な困苦を厭わずに、皇室も上級貴族も出かけて行ったようだが、吉野の桜は、簡便法で鑑賞したと言うのが面白い。
   昔、市村真一教授から、正調黒田節だと言って、”吉野山も嵐山も、花が咲かねば、ただの山・・・”と教えて貰ったのだが、吉野山と嵐山の桜は、最早、同格だと言うことであろうか。

   この能では、前場に、桜の立木の作り物が正先に据えられて、桜花爛漫の風情を現す。
   前場でシテであった尉(勝手)が、後場では、後ツレとなって現れ、後シテは、大飛出の凄い井出達の蔵王権現として登場する。
   美しい舞は、手に桜の枝を右手に持って登場した後ツレ勝手明神と子守明神が、はじめは橋掛かりで、途中から舞台に入って、嵐山の風光を描写して舞い、桜の枝を扇に持ち替えて天女ノ舞を相舞するところである。
   打って変って、早笛で、後シテの蔵王権現が、勢いよく舞台に飛び出して来て数拍子を踏み、両袖をかずき、払いのけたり、力強い所作ながら、シテが、舞働をしないのは珍しいと言う。
   シテは、観世芳伸、前ツレは、坂口貴信、後ツレは、角幸二郎、清水義也、
   ワキは、福王和幸、

   狂言「猿聟」は、
   全狂言師が、猿の面をつけた猿装束で登場し、舅猿・召使い猿・聟猿・姫猿・家来猿多数登場と言う賑やかな舞台で、「ギャアギャアギャア」「キャッキャッキャ」と猿言葉を交えての愉快な舞台である。
   普通の能「嵐山」の間狂言では、ただ一人のアイ/末社之神が登場して吉野千本桜の様子などを語り、目出度く三段之舞を舞い納めるといった演出だが、今回の舞台は、30分の充実した劇中劇と言う趣向で非常に楽しい舞台となっていて、大いに楽しませてくれた。

   吉野山に住む聟猿が姫猿や大勢の供猿を伴って、嵐山の舅猿の処へ聟入りにやってくる。舅との対面を果たし目出度く盃事を済ませ、酒を振舞われ祝いの宴となり、聟猿が三段ノ舞を舞うと、舅猿も立ち上がって、聟猿と一緒に舞う。
   非常に大がかりな狂言で、囃子方も能の奏者と同じで本格的であるし、パンチの利いた地謡に合わせて最後の婿猿と舅猿の相舞の素晴らしさなど、能の舞台を観ているような感じであった。

   オモアイ/聟猿は、三宅右矩、アドアイ/舅猿は、三宅右近、太郎冠者猿は、大塚出、姫猿は、三宅近成、
   野村萬斎が、地謡頭で、表情豊かに力一杯謡っていたのが印象的。

   さて、「聟入り」と言うことだが、風習が違うのか、何時も気になってみている。
   俗に言う養子になると言う 「結婚した男が妻の姓を名乗ること。入り婿となること。」とは違って、「結婚後,夫が初めて妻の生家を訪れること。また,その儀式。」と言うことらしい。
   他の聟狂言でも同じことのようだが、狂言「船渡聟」では、聟入りする聟と舅が初対面で、酒飲みの船頭の舅が、聟の持参する祝い酒を船を揺すって強引に飲んでしまって、面会時に聟舅と分かって大恥をかくと言う話を考えても、先に結婚ありきで、その後で、聟舅が面会するようである。
   学生時代に宇治に下宿をしていた時に、縣神社の暗闇祭りとか夜の奇祭とか何かで、夜這いの話を聞いたことがあるのだが、太古の昔には、色々な婚姻方式があったのであろう。
   聟入りと言う慣習が普通にあったのかどうかは分からないが、聟狂言と言うレッキとした狂言のジャンルがあるのだから、面白いと思っている。

   この日、同時に演じられたのは、人間国宝野村万作の一人狂言「見物左衛門」であった。
   素晴らしい至芸を魅せて健在。
   狂言方の人間国宝の元気さ、全く衰えを見せずに益々深まり行く芸の奥深さに、感嘆しきりである。
   
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生活雑感・・・やはり、物価は上がっている

2015年04月29日 | 生活随想・趣味
   鎌倉へ来てから、結構、私自身、スーパーなど買い物に行くことが多くなった。
   大体、家内と一緒に食料品など日用雑貨などを買いに行くこともあれば、自分自身で園芸店や電気店などへ一人で行くこともあるのだが、最近感じるのは、やはり、8%の消費税を含めて、結構、ものが高くなっていると言う実感である。
   消費税の5%と8%の差だが、大した差がない様に思うのだが、10%近いので、5000円台が6000円台になることもあると、値札だけ見てレジに行って、支払う段階になって、びっくりすことがある。

   それに、消費税増税に伴って、それまでの税込価格をそのまま税抜きにして消費税を加算したり、値下げをせずに、そのままの価格を維持しているのは勿論、便乗値上げと言う感じの価格変更も結構あるように思えるので、一層、価格アップに気付くことになる。
   もう一つの値上げの要因は、円安である。
   1ドル100円前後だったのが、1ドル120円くらいになっているのだから、確かに、輸入品の原材料の高騰の影響はあるのだろうが、1970~80年頃の日本経済に勢いがあった頃には、どの企業も、一気に生産性をアップして吸収してしまうほど活力があった。
   最早、そんな世界は遠くに消え去ってしまったのか、日本の名だたる優良企業が、円安のメリットを無視して、平気で臆面もなく値上げを宣告して価格を上げている。

   逆に、原油安に加えて、円安で、恩恵を被っている筈の企業もある筈なのだが、値下げなど何のその、殆ど頬かむりと言った状態である。
   利益アップ分を、内部留保や従業員の給与アップなど経営環境の向上に努めているのかも知れないが、本来なら、物価上昇相殺効果を発揮すべきはずだと思うのだが、政府日銀のインフレターゲット政策に反するので逡巡しているのであろうか。

   経済環境なり、経済情勢が変化する時には、平均的に変動するのではなく、その影響は歪な状態で現れて、恵まれた分野とそうでない分野とでは大きな格差が生まれて秩序を混乱させる。
   したがって、大切なことは、今回のやや回復基調に向かっている日本経済、特に、物価上昇の影響を、どのようにコントロールして、国民生活への影響を適正化するかである。
  
   一般的には、これまで、
   デフレは悪い、デフレ不況のために日本は失われた四半世紀を送らざるを得なかった、とにかく、年率2%のインフレを目標にしてデフレから脱却すべきである、と、さもインフレが救世主であるかのように鸚鵡返しに連呼してきた。
   デフレ不況が、日本経済の悪化なり低落の元凶のように糾弾されて来たのだが、
   果たして、本当にそうであったのであろうか。

   考えるべきは、この四半世紀の間に、日本の国民生活で顕著に表れて来た経済格差の問題である。
   ある情報源によると、
   等価可処分所得の中央値の半分の額を「貧困線」(’12年は122万円)といい、それに満たない世帯の割合を示す「相対的貧困率」は16.1%。
   別の資料では、
   日本の貧困率(15.3%)は、メキシコ(20.3%)、米国(17.1%)、トルコ(15.9%)、アイルランド(15.4%)に次ぐ世界第5位。
   また、
   平成25年の全給与所得者に占める年収300万円以下の人口割合は40.9%。
   と言う極めて深刻な状態。
   
   いずれにしろ、これで、日々の生活ができるのかと思えるような低所得状態の貧困層が、あまりにも多く存在すると言う現実である。
   しかし、現実には、この日本の現状を殆ど無視して、アベノミクスは、インフレインフレと経済成長を、そして、お題目の好循環を連呼する。

   ガーデニング用の支柱やプラ鉢、簡単な文具などを買いに、時々、100円ショップに行くのだが、結構な賑わいで、この百均があるからこそ、日本の貧困層が生活できているのではないかと思うことがある。
   あまりにも、多くの商品が並んでいて、質を問題にしなければ、近くのスーパーや百貨店の商品と変わらないようなものが売っているので、簡単な日常の買い物は、ここだけで出来るほどである。
   カットオンリーの1000円散髪の普及があればこそ、庶民が生活できており、これらQBハウスさえにも行けなくて、自分で髪を切っていると言う人もいる現状では、あっちこっちにある価格破壊の店の存在が底辺の庶民の生活を支えている。
   
   日本の国債問題も、時間の問題であって、何時かは火を噴くと思っているのだが、この日本の深刻な異常な格差拡大、貧困問題を、どう考えるのか。
   何のセイフティネットも構築せずに、消費税のアップに更なるインフレで追い打ちをかけて貧困層を追い詰めて行くような物価上昇が、果たして、日本の将来のためになるのか。
   トリクルダウン現象など、とっくの昔に消えてしまった日本で、最近、不穏な事件が多発しかかっているので、どこかで暴発しないかどうか、暴動が起きても不思議ではないような貧困層の窮状が実際に起こっている。
   果たして、インフレを喜んでいて良いのかどうか、今の経済政策が正しいのかどうか、考えざるを得ない。
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わが庭の歳時記・・・ぼたん咲き始める

2015年04月28日 | わが庭の歳時記
   一本だけ、花芽を付けたぼたんが咲いた。
   他に植えた何本かのぼたんは、葉芽は勢いよく延びたのだが、今年は、木の充実にエネルギーを取られたのか、花芽がないので咲きそうにない。
   一方、芍薬の方は、同じく千葉の庭から移植したのだけれど、これらは、花芽を付けているので、来月には咲きそうである。
   
   
   殆ど花芽を付けていなかったサツキが、ちらほら咲き出した。
   シャクナゲもブルーベリーも、咲き続けている。
   菊枝垂れ桜は、まだ、庭に馴染んでいないのか、残念ながら、花数が少なかった。
   一気に咲き始めたのは、コデマリで、西側の裏庭に植えてあるので、夕日を浴びて光っている。
   今、一番元気な花木は、やはり、アメリカハナミズキであろう。
   
   
   
   
    
   
   
   

   スズランが、草むらに隠れていて、ちらりと顔を見せ始めた。
   ミヤコワスレが一斉に花開き、フリージャやオダマキ、紫蘭も咲き出して来て、庭の下草が賑やかになってきた。 
   
   
   
   

   ぼつぼつ、春を華やかなに荘厳するばらの蕾が、一気に膨らんで来て、スタンドバイしている。
   一番最初に咲き出しそうなのが、京の雅の赤紫色のあおい。
   孫のために植えたディズニーローズも蕾をびっしりと付けている。
   
   

   イングリッシュローズでは、アブラハム・ダービーが、一番元気で、シェイクスピアやファルスタッフもしっかりと、蕾を付けている。
   今春買ったリッチフィールド・エンジェルは、花芽がか弱くて、春の強風に吹かれて穂先が枯れてしまって、唯一、一本だけ蕾が残っている。
   プリンセス・アレクサンドラ オブ ケントは、豪華に咲きそうである。
   今春は、10鉢も、新しいばらが加わって来たので、どんなに咲くか楽しみである。
   ミニばらは、風雨に強く、健気に咲いている。
   
   
   
   
   
   
   芽吹き後のモミジは、綺麗である。
   前からこの庭にあったモミジは、野村であろうか、陽を浴びて赤く染まっている。
   まだ、小さい木なのだが、新しく庭植えしたのは、獅子頭、鴫立沢、それに、琴の糸。
   千葉から移植した椿の根元についていた山椒とムラサキシキブが、少し、大きくなって、存在を主張し始めた。
   ついて来てくれたと思うと、懐かしくて嬉しい。
   
   
   
   
   

   今春、一番嬉しかったのは、千葉から移植した椿が、勢いよく筍芽を出して、葉芽を伸ばして、成長を始めてくれたことである。
   先日も、大船フラワーセンターで、タマカメリーナやトムタムなど椿の苗木を買って帰ったのだが、千葉の庭のように50種類も椿を植えると言うような贅沢は出来ないが、少しずつ椿の庭に変えて行きたいと思っている。
   
   
   
   
   

   冬に、紅葉が美しいと言う錦繍と言う柿の苗を植えておいたのが、遅まきながら芽吹き始めた。
   もう一本の正月も芽吹いているので、桃栗3年柿8年だと言うので、5年くらい経てば結実するかも知れない。
   私としては、柿の実よりも、昔、秋の奈良の田舎で観た何とも言えない微妙な味のある鮮やかな秋色を見たいと願っている。
   
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トマト・プランター栽培記録2015(2)・・・サントリートマト苗を植える

2015年04月27日 | トマト・プランター栽培記録2015
   タキイに注文していたサントリー・トマト苗が届いた。
   何故タキイからサントリー苗かと言うことだが、サントリーは直販していないし、タキイのトマト苗は、これまで試みて来たので、毛色の変わったトマトを育ててみようと思っただけの話である。
   ただ、サントリー苗と言っても、イタリアントマト苗は、これまで育ててみて結果が思わしくなかったので、今回は、日本のトマト苗だけにした。
   何が良いのか良く分からなくて選択するのも煩わしいので、セット苗を2種類買った。
   大玉トマトこいあじ、オレンジ系中玉リッチゴールド、そして、ミニトマトのシュガーミニ、純あま、ハニーイエロー、フルーティミニで、合計12本である。
   これらは総て実生苗で、送料を含めて単価が、400円以上であり、タキイオリジナルの接ぎ木苗より高価であるから、品質はともかく、かなり、高い苗と言えよう。
   結局は、いつの間にか増えてしまって、最後には、50本以上のトマトをプランターで育てることになってしまうので、良いトマトかどうか、そして出来不出来も気にしないようにしており、悪ければ、来年止めれば良いのである。
   
   
   
   
   
   

   さて、先に植えていたアイコに、花房が見えてきた。
   イエローアイコの方は、まだ、花芽はゴマ粒くらいの大きさだが、元気に育っている。
   脇芽も大分大きくなって来ているので、昨年のように、2本仕立て栽培にするかどうか迷っている。
   余談だが、このアイコだけは、本当に良いトマトだと思っていて、毎年、栽培している。
   
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フェルナン・ブローデル著「歴史入門」

2015年04月25日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   20世紀最高の歴史学者だと言われるブローデルの「物質文明・経済・資本主義」の要約版と言った位置づけの本で、原題は「資本主義の活力」。
   39年前の出版で、翻訳版も20年前のもの。
   ピケティの「21世紀の資本」に多大の影響を与えたと言うブローデル理解の手初めに読もうと、まず、ジョンズ・ホプキンズ大学での講演テキストだと言うことであるし、「歴史としての資本主義を独創的に意味付けるアナール派歴史学の比類なき入門書」と言うことで、本書に、興味を持ったのである。
   資本主義研究を専門とする経済学者が、このブローデルの資本主義論をどのように評価しているのか興味のあるところだが、私には、一寸、異質な資本主義論であったものの、しかし、興味深くて、大変勉強になった。

   本論から外れるが、ブローデルは、資本主義の中心、経済活動を支配していた構造化され組織化された世界=経済の重心が、ヴェネチャ、アンヴェルス、ジェノア、アムステルダム、ロンドン、ニューヨークへと移って行ったその歴史を詳しく紐解きながら資本主義を論じているのだが、
   この見解は、ジャック・アタリに大きく影響を与えているのであろう、著書「21世紀の歴史」で、有史以来の人類の歴史を説き起こしながら、市場資本主義が如何にして生まれて今日の文明社会を築き上げてきたか、資本主義の発展に焦点を当てて克明に分析し、人類の歴史を動かして来たのは、世界の「中心都市」だとして、13世紀のブルージュから、ヴェネチア、アントワープ、ジェノヴァ、アムステルダム、ロンドン、ボストン、ニューヨーク・・・と推移しながら展開されて来た資本主義の歴史を論じている。その理論展開に興味を感じたのである。

   ブローデルが、何を持って資本主義と称するのか、かなり、分かり難い。
   交換には、二つのタイプ、すなわち、次元の低いもので透明であるがゆえに競争原理の働くもの、と、高度で洗練された反-市場的で支配的なもの、があって、資本主義の領分は、後者である。
   市場の透明性が陰り始めて反-市場現象が起こり、大商人たちが、伝統的な市の規則や、活動を麻捧させるような行き過ぎた規則などを反故にしようと画策して、生産品を独占し、情報の独占と大量の現金にものを言わせて莫大な富を獲得して、巨大な資本蓄積が起こる。
   更に、外国との遠隔地貿易では、市の取り締まりも不可能となって、大商人たちは巨額の富を蓄積できるので資本は増殖の一途を辿り、資本主義は、この不透明な市場経済から生まれた。と言うのである。
   尤も、この遠隔地貿易や外国との取引を可能にする貨幣、銀行業など、信用制度の完備補完など構造化組織化制度化が、どんどん進んでシステム化して行ったことは勿論である。

   資本主義は、経済発展の原動力ないしその成果だと見做されているのだが、実際は、物質生活と言う大きな背に跨ってきただけで、物質生活の拡大とともに、総てが前進し、市場経済はそれ自身、多くの犠牲を払いつつ、急速に拡大し網の目を広げて行き、その拡大から常に恩恵を蒙ってきたのが、資本主義なのだ。と言う。

   少数者の特権である資本主義は、社会の積極的な加担なくしては考え難く、それこそが、社会秩序の、政治秩序の、そして、文明の現実である。
   資本主義は、それが国家と一体化するとき、それが国家であるときにのみ、栄える。とも言う。

   興味深い見解は、
   アムステルダムやロンドンなど北ヨーロッパ諸国は、ただ、それ以前に、長きにわたって繁栄し続けていた地中海沿岸の資本主義の古い中心地が占めていた地位を、引き継いだだけで、資本主義の本質には何ら関わることなく、世界経済の単なる重心の移動であった。16世紀末の地中海から北海への中心の移動は、歴然たる事実ではあるが、新興地域の旧勢力に対する勝利を意味するだけで、資本主義のスケールの変化であっただけ。と言うことで、イギリスに起こった産業革命についても、ゆっくりとした革命であって、渦中のアダム・スミスでさえ気づかなかったと言っているのが面白い。
   しかし、この見解には承服しかねる。オランダとイギリスで、地中海世界とは違った、更なる発展と高度化を遂げた資本主義制度の歴史的偉業については、軽視し得ないと思っている。
   
   もう一つ、私が興味を持ったのは、世界=経済の同心円的な広がりの考え方、すなわち、世界=経済の中心、その心臓部に、華やかさ、富、人生の幸せなど総てが集中して行き、逆に、勝利した中心から離れるにしたがって、恵まれない境遇になって行く。搾取する側と搾取される側とが併存しており、資本主義は、この世界の不平等の産物であり、国際経済の黙認なしには発展し得ないものである、と言う見解である。
   
   西ヨーロッパの繁栄は、古代奴隷制を新世界にあたかも再発明であるかのように移植し、その経済的要請に従って、東ヨーロッパに第二次奴隷制を導入した。
   この広大な他者の奴隷的労働がなかったら、すなわち、外周の奴隷制や農奴制が、資本主義の世界=経済の中心を支えたと言う構造は、奴隷制、農奴制、資本主義が歴史的に順番に出現して来たと言うマルクスなどの理解とは全く違った考え方である。
   ヨーロッパの繁栄なり民主主義が、一体何であったのか、考えさせられて興味深い。

   ジャック・アタリは、中心都市を、ニューヨークから、シリコンバレーなどを包含したロサンゼルスまで伸ばして論じていたのだが、ブローデルは、この本の執筆を1970年代に終えているので、アメリカについては殆ど言及していない。
   恐らく、アメリカで展開されている現在の市場経済を展望すれば、かなり、違った資本主義論を書くのではないかと思う。
   ブローデルの大著「物質文明・経済・資本主義」を読む余裕はなさそうだが、もう一つの大著「地中海」には、挑戦してみたいと思っている。
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鎌倉日記・・・大船フラワーセンター:八重桜、フジ、牡丹(2)

2015年04月24日 | 鎌倉・湘南日記
   八重桜フゲンゾウ(普賢象)の梢を小鳥が渡っている。
   時々、花にくちばしを突っ込んで蜜を吸っているのだが、敏捷に飛び回るので、写真には撮りにくい。
   私の場合は、連写せずに、ワンショット撮りなので尚更だが、デジタルカメラの自動焦点のお蔭で、偶に、ピントが合うので助かっている。
   大概、メジロかシジュウカラで、この日は、メジロが枝を渡っていて、すぐに飛び去ったかと思うと、シジュウカラが飛んで来て、暫く、華麗な桜の花の中を飛び回っていたので、眺めていた。
   千葉の私の庭に来ていたメジロやシジュウカラは、殆ど必ず、番であったが、ここでは、広いためか、夫々、不思議にも単独行動であった。
   
   
   

   フゲンゾウは、以前に、私の千葉の庭に植えていた。
   8年間留守にしていて、ロンドンから帰った翌年の春に、爛漫と咲いて、私たちを迎えてくれたのだが、それだけを待っていたかのように、翌年に枯れてしまった。
   ロンドンもそうだが、ヨーロッパの桜は殆ど濃いピンクの八重桜だったのだが、ぼってりとした感じで、美しいと思ったことは一度もなかったので、わが庭のフゲンゾウが懐かしかった。
   フゲンゾウの雌しべは、細い葉のように花の中央から2本出ており、この雌しべが、普賢菩薩の乗る普賢象の鼻に似ているので、この名がついたのだと言う。
   とにかく、素晴らしい八重桜で、この鎌倉の庭でも植えたいのだが、大木になるし、毛虫や病虫害の世話が大変なので、諦めている。

   私が住んでいた住まいのすぐ傍に、ロイヤル・キューガーデンがあったのだが、ここは、世界中に、プラントハンターを送り込んで、あらゆる植物を蒐集して来て栽培している学術的にも評価の高い世界最高峰の植物園なので、松前桜など日本の桜の木が何種類も、あっちこっちに植えられていて、嬉しかった。勿論、椿もモミジも、結構、植えられている。
   ソメイヨシノかどうか忘れてしまったが、日本からの桜が何本か群稙されていて、その前に菜の花が咲き乱れている風景は、日本そのものであった。
   
   
   
   

   さて、大船フラワーセンターで、今、咲いている八重桜などは、次の写真のとおりである。
   夫々に趣があって美しく、創造主の素晴らしい匠の技に感嘆せざるを得ない。

   菊桜
   
   
   
   

   御衣黄
   
   

   日暮
   
   

   天の川
   

   泰山府君
   
   
   

   兼六園菊桜
   
   

   福禄寿
   
   

   松月
   
   
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鎌倉日記・・・大船フラワーセンター:八重桜、フジ、牡丹(1)

2015年04月23日 | 鎌倉・湘南日記
   良い天気になったので、久しぶりに、大船の植物園を訪れた。
   1ヶ月前に、行った時とは、大分、花風景が変わっていて、やはり、陽気の所為か、明るくなっている感じであった。
   桜の季節は、ソメイヨシノが葉桜に代わっていて、今は、八重桜の季節で、かなりの種類の桜が咲いていて、特に、フゲンゾウが絢爛豪華に咲き誇っていて、見事であった。
   
   

   次に人を集めていたのは藤棚の下で、まだ、少し、満開には早いのだが、単独に植えられているフジの木は、アンブレラ型に綺麗に咲いていて、クマンバチが飛び交っていた。
   もう、少しすると、藤棚のフジが、満開になると華やかになるであろう。
   
   
   
   
   
   

   この植物園には、牡丹、芍薬、バラ、花菖蒲などの独立した庭園があるのだが、今は、まだ、蕾も多いけれど、牡丹が、ほぼ、最盛期で、豪華に咲いている。
   ただ、問題は、牡丹の花弁が薄くて繊細なので、急に太陽が照り付けたためであろうか、萎れたりちじれたりしてしまって、完全な状態では鑑賞できず、綺麗な花の写真は撮り辛いことである。朝早く鑑賞すれば良いのかも知れない。
   芍薬の方は、蕾が大きく膨らんで、色が見え始めているので、もう、すぐかも知れないが、バラの方は、1~2輪咲いている程度だし、花菖蒲の方は、葉茎が伸び始めて来たところである。
   
   
   

   菜の花が咲いていたり、紫蘭やアイリスがひっそりと咲いており、それに、ツツジやシャクナゲが、妍を競っている。
   
   
   
   
   

   敷地が結構広いので、芝生や池などのオープンスペースの豊かさが、開放的で良い。
   蓮池の方は、花が咲いていなかったのだが、入り口近くのプールでは、すいれんが、綺麗に咲いていた。
   
   
   
   
   
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国立演芸場・・・「塩原多助一代記~青の別れ」

2015年04月22日 | 落語・講談等演芸
   歌丸の「塩原多助一代記~青の別れ」を聞きたくて、国立演芸場に出かけた。
   4月の中席なので、特別なプログラムではないのだが、しみじみとした語り口で、圓朝を語る歌丸の話術に感動して、機会があれば、聞くことにしており、その度毎に、オチのある普通の落語とは違った話術の冴えを鑑賞して愉しんでいる。

   この「塩原多助一代記」は、立志伝型人物として教科書にも出たと言う炭商人として大を成した塩原多助の物語で、
   今回は、塩原多助が、義母おかめが自分を殺害までして家を乗っ取ろうとする悪巧みに耐えかねて、故郷沼田を捨てて東京に向かう途中で、愛馬:青と分かれる悲しくも切ない物語である。
   実際に歌丸の語った「青の別れ」は、圓朝の作品の冒頭の「山深き奥日光」「おゑいの誘拐」「多助の辛苦」を短縮して、「青の別れ」までを纏めて語ったもので、話に淀みがなく、1時間に及ぶ名調子が、感動ものであった。
   後編は、来年4月の国立演芸場の舞台で披露すると言う。 

   この「塩原多助一代記」は、登場人物も多くて、ストーリーも極めて入り組んでいる大作で、「青空文庫」で読めば非常に面白く、圓朝の非凡さが分かって興味深い。
   ところで、この義母おかめだが、実際には、多助の実のおば(父の妹)なのである。
   おかめは、実父塩原角右衛門の家来と駆け落ちするのだが、そのおかめが出奔した夫岸田宇之助を探すべく旅に出て賊に襲われているところを、ひょんなことから、多助の義父角右衛門(実父と同姓同名)が助けて家に連れ帰り、妻の死後後添えにするのである。
   おかめの娘おゑいも旅の途中でかどわかさせるのだが、後に、角右衛門と出会って母子が再会するのだが、角右衛門の遺言で、多助と結婚する。

   元々の話は、浪人中の実父角右衛門の仕官のために、50両を工面すべく借用するしないで義父と争っているおかめの夫岸田宇之助を、多助の実父が、誤って撃ち殺してしまう。
   同姓同名も親戚の縁と、仕官すべく江戸に向かう実父に、義父は50両を用立て、代わりに、太助を沼田の大百姓の跡取り養子として貰い受ける。
   義父の後添えとなったおかめとおゑい母子が、義父亡き後、役人原丹治親子と密通して、多助を亡き者にすべく画策して嫌がらせの限りを尽くすので、危険を感じた多助が、故郷を捨てる決心をして、国境で、涙を流して袖を食い千切る愛馬の青と別れて行くのである。

   昨年も大変であったし、今年の正月も体調を崩して、高座から遠ざかっていた歌丸だが、舞台で見ている限りでは、至って元気で、時には膝起ちして、何時もと変わらない張りのある素晴らしい声で、昭和と平成の語り部よろしく、立て板に水、流れるように語り続ける。

   歌丸ファンが多いのであろう、この日は満員御礼ではなかったが、殆ど満席で、終われば、熱狂的な温かい拍手で幕を引いていた。
   
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四月大歌舞伎・・・藤十郎と鴈治郎の「廓文章」

2015年04月21日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   人間国宝の父・藤十郎の夕霧と言う大変な名優を相手にして、鴈治郎が、放蕩の限りを尽くして勘当されて紙衣に身を窶して、夕霧に逢いたくて「吉田屋」を訪れる伊左衛門を演じた。
   バカボンを地で行ったような鴈治郎の伊左衛門は、やはり、この舞台には似つかわしいのであろうが、これまで、何度も、文楽でも歌舞伎でも観ており、特に歌舞伎では、藤十郎と仁左衛門の舞台が目にこびり付いているので、正直なところ、違和感と新鮮さを感じて観ていた。

   最も最近は、この歌舞伎座の柿葺落五月大歌舞伎で、仁左衛門の伊左衛門、玉三郎の夕霧であり、夕霧が福助の時もあったが、仁左衛門・玉三郎の舞台鑑賞は複数回あり、私のイメージは、この二人の吉田屋であろうか。
   藤十郎の舞台も、複数回観ているのだが、最も最近は、2008年の顔見世歌舞伎のものである。
   私の関心事は、同じ廓文章で、かつ、同じ上方でも、鴈治郎家と、仁左衛門家とでは、大きな差があることで、観る度毎に、工夫に工夫を重ねて新機軸を編み出そうとする上方歌舞伎の特質を観る思いである。

   仁左衛門の方は、幾分芝居的な要素が強いのだが、藤十郎の方は、本来の文楽に近い演出の所為か、伊左衛門も夕霧も台詞は少なく、舞うような仕草で演じており、視覚芸術的な美に比重を置いているような感じがした。

   ところが、今回の鴈治郎の舞台は、同じ鴈治郎家の舞台なのであろうが、殆ど藤十郎のような舞うような視覚的要素が奥に引っ込んで、ストーリー展開が濃くなった芝居を観ているような思いがして、コミカルタッチの鴈治郎の持ち味が良く出ていたように思えて面白かった。

   もう一つ、藤十郎の伊左衛門を観た時の仁左衛門との比較の感想だが、
   仁左衛門は、どちらかと言えば、一寸知能的に弱いなよなよとした大店のぼんぼんと言った感じだったが、あの時の藤十郎の場合には、育ちの良い遊び人のどら息子と言う雰囲気で、夕霧が病気だと聞いて心配で心配で、京都から、カネもないのにノコノコと紙衣を着て歩いて来たと匂わせるあたりから、堂に入っていて、典型的な大阪の道楽・放蕩息子を演じていた。
   忠臣蔵の大星由良之助の舞台を観ていてもそうだが、藤十郎が、大坂ないし西国の人物を演じる時には、血がそうさせるのか、上方芸の精進がそうさせるのか、地に足のついた典型的なそのキャラクターになり切っていて、正に、芸をはるかに超越した境地の舞台を務めているような感じがして、何時も感動するのである。

   特に、近松門左衛門の心中ものの舞台を観ていると、藤十郎を知らないので口幅ったいのだが、これが近松なのだと、平成の藤十郎を体現しているのであろと思っている。
   最近では、これらの狂言で、藤十郎は鴈治郎を相手役にして芝居を演じることが多いので、鴈治郎家の芸の継承は、進んでいるのであろう。
   藤十郎が夕霧を演じる舞台は初めてなのだが、今回藤十郎は、逆に、夕霧を通じて、鴈治郎に、自分自身の当たり役の伊左衛門の芸を継承しようとしたのであろう。

   さて、今回の「吉田屋」だが、夕霧が、座敷からスーッと登場する出だしだが、スッスッスーと素早く飛び出した時の藤十郎の芸に感動した。
   逢いたい一心と言う思いを込めての出だしと言う芸もあろうが、80歳をはるかに超えた老優が、あの重装備で大変な重さの筈の豪華華麗な衣装を身に着けて、軽やかに進み出た驚きでもあった。
   この藤十郎の夕霧が、軽薄なバカボンの伊左衛門の嫉妬と男の拗ねた嫌がらせに甚振られて、切なくも悲しそうな表情を見せる姿など、正に、千両役者であり、鴈治郎は、これだけでも、襲名披露の父の贐に感謝すべきであろうと思う。

   この「廓文章」の「吉田屋」だが、近松門左衛門の「夕霧阿波鳴門」の上の巻「吉田屋の段」を踏えて、悲劇性の強い下の巻「扇屋内の段」の最後のハッピーエンドだけを繋ぎ合わせて書き換えて一幕物の簡潔な舞台にしたもので、伊左衛門と夕霧は夫婦で、預けられた子供があると言った話のニュアンスは消えてしまっていて面白い。
   尤も、あまりにも簡単に、最後の見得の舞台を見せたいばかりに付け足したような幕引きに、フラストレーションがのこるのだが、これが、芝居なのであろう。

   文楽では上演されたであろうけれど、歌舞伎で上演されたのかどうか知らないが、一度、近松門左衛門の「夕霧阿波鳴門」を、通し狂言で観てみたいと思っている。

   この舞台は、秀太郎のおさきが、何時もながら、素晴らしい芸を披露していたが、
   江戸歌舞伎の豪華俳優の幸四郎、歌六、又五郎が、ご祝儀と言うか、襲名披露公演へのオマージュとして、達者な芸を披露して華を添えていた。

   劇中劇で、吉田屋喜左衛門の幸四郎が、鴈治郎を披露していた。
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新しい経済の教科書 (日経BPムック 日経ビジネス)

2015年04月20日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   「新しい経済学の教科書」と言うタイトルの本で、「日本経済、ピケティブームの先を読む」と言うサブタイトルながら、その趣旨が良く分からないけれど、結構、面白い。

   冒頭、トマ・ピケティと吉川洋東大教授との対談「富の集中?もっと重要な問題がある!」が、掲載されていて、まず、問題提起。
   ピケティが、高所得層の所得の増加よりも、低所得層のシェアが減っていることの方を問題視していると言った発言に対して、吉川教授は、日本には、若者間の格差のみならず、高齢者間でも格差が大きく、資本課税よりもまず社会保障制度改革が重要だと応じている。
   ピケティは、日本の消費税増税については、なぜ、所得税を増税する前に消費税を上げるのか、経済成長を阻害するとして反対しているのだが、吉川教授は、所得税や相続税率の引き上げには反対ではないが、日本の消費税率が低すぎるからだと反論している。
   クルーグマンも日本の消費税の増税に反対しているのだが、成長ドライブとしての需要サイド重視で、ピケティ同様に税率の水準を無視しており、日本経済独自の社会保障財源や財政健全化対策としての消費税増税と言う側面を軽視していると言うことであろう。

   ピケティの主張で興味深いのは、吉川教授から日本の格差について将来どうなると思うのかと聞かれて、二点あるとして、人口減少と格差に与えるインパクト、価格(資産ではなく)のデフレだと応えていて、人口成長が、インフレ創出よりもはるかに重要で、人口減少を少しでも人口増に代えて行くことが、日本の最優先課題だと言っていることである。
   人口増に転じても、効果が出るのは20年先の話だが、少子高齢化で、どんどん、消費人口、労働人口が減って行き、イノベーション期待の生産性のアップが見込めなければ、経済成長しないのは理の当然であろう。
   
   ピケティは累進資本課税が格差解消の処方箋だと言うが、日本には日本固有の状況に照らして格差問題を考える必要があると、橘木俊詔教授も、別な視点からピケティに物申していて面白い。

   また、澁谷浩教授は、冒頭から、r>g(資本収益率は経済成長率より大きい)に反論して、ピケティの分析と結論に複数の問題点を指摘している。
   まず、この不等式については、リスクプレミアムの反映にすぎないと言い、高課税政策については、経済成長の原動力であるリスクテイキングを抑制するとか、高成長と最高所得税率の低下には高い相関関係があるとか、また、税収増、政府権力の拡大など明らかに大きな政府を信用しているなどと反論している。
   面白いのは、ピケティは、「なぜ不平等が問題なのか?」根本的な問題に応えていないと、不平等には良いのと悪いのがあって、良い不平等とは、生産性に対応した所得配分の結果生じた不平等だと述べている。
   富裕層への高資産税を説くピケティの向こうを張って、富裕層に非常に高い相続税を課して人類のために利用する行動を促すノブレス・オブリージュ政策を提言していて面白く、非常に示唆に富んだ論文だが、前述の論点も含めて、反論なり議論の余地のある理論展開である。
   
   ピケティ本の翻訳者山形浩生の「ピケティの基本」や、浜名優美教授の「ピケティは21世紀のブローデル」や、「21世紀の資本を楽しく広げて読む20冊」と言う「教養書として楽しみ方」コーナーは、ピケティ論の参考になる。
   やはり、積読ではなく、ピケティの「21世紀の資本」を読むべきだろうと、机の真ん中に引き出してきた。

   興味深かったのは、「経済学 賢人の警鐘」と言うコーナーのノーベル経済学賞学者たちの説く新しい経済学である。
   私が、大学やアメリカの大学院で学んだ経済学とは様変わりで今昔の感なのである。

   まず、ジャン・ティロールだが、北村行伸教授によると、
   寡占企業の価格設定や参入障壁は消費者に不利益をもたらし、競争の欠如が寡占企業の非効率性を増幅させる可能性が高い。そのような環境で政府は、寡占企業をどう規制すれば良いのか。ティロールは、これまでの独占禁止法や価格規制に対して、より厳密な分析枠組みを提供し、政府による価格設定の規制や談合規制などが常に有効なわけではなく、産業や市場の条件によって競争政策と規制政策を組み合わせることで、最適な規制のあり方が変わってくることを理論化した。と言う。

   アルビン・ロス教授の「経済学が挑む「禁断の取引」」と言うのが非常に面白い。
   「研修医と配属先病院とのマッチング」と言った社会に役立つ組み合わせを造ったことでノーベル賞を授与されたと言うのだが、今、「腎臓移植と腎臓提供者と、移植を受ける患者の組み合わせをより最適なものにする」とか「子供にとって望ましい学校選択を実現する仕組みをどう作るか」をテーマに関心を持っていると言う。
   馬肉を食うことが出来るか、同性婚が出来るかどうか、臓器移植が出来るかどうかなどと言った「禁断か」どうかによる「禁断の取引」論がユニークで面白い。

   労働に関する計量分析手法を発展させた実績でノーベル賞学者となったジェームス・ヘックマン教授の「5歳までのしつけや環境が、人生を決める」は、子育ての参考になって興味深い。
 
   面白いのはゲーリー・ベッカー教授の経済学で、結婚・犯罪・教育・・・社会活動を経済学の対象にして、現実を説明可能な新しいモデルを提案することだけが重要だとして追求し、前提条件を変えると結論が変わるので、厳密さを重視する経済理論家から「恣意的だと批判されるなど、宇沢弘文やサミュエルソンなど批判者が多かったと言う。
   手元に、積読の「ベッカー教授の経済学ではこう考える―教育・結婚から税金・通貨問題まで」があるので、読んで見ようと思っている。
   
   そのほか、この本には、話題豊富で、
   入江章栄准教授のコラム「経営学の目」
   人口減少の経済学コーナー
   そして、これが経済学かと思えるような、どちらかと言えば、現在経済社会のカレントトピックスと言った調子の「最新経済学10」など、読んで楽しんで損のない記事が満載されていて、980円は安い。
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久しぶりの関西・・・(4)興福寺中金堂再建現場

2015年04月19日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   8日に奈良へ行ったのだが、帰る時に、興福寺の再建中の中金堂の現場を、この2週間ほど見学できることを知って、東京へ帰る日の10日に、朝、大雨の中を奈良に取って返した。
   この現場見学と、国宝館と東金堂の拝観がセットになっていて、久しぶりに阿修羅像を見に行こうと思っていたので、願ってもない機会であった。
   尤も、この日、春日大社の第六十次式年造替で、国宝の御本殿特別公開も可能だったのであるが、2時30分の伊丹発JAL便を予約していたので、諦めざるを得なかった。

   興福寺へは、近鉄を下りて、東向中町の商店街を三条通に出て、なだらかな坂を上って猿沢池を右に見て境内に入る。
   正面に、中金堂建設現場の覆い建物が現れる。
   
   
   

   まず、現場に入ると、大きな三手先組物や鴟尾(しび)、建物の模型が目に入る。
   この鴟尾は、既に、建物の屋根に設置されていたが、覆いに囲われて見えなかった。
   下から、丁度、建設現場に設置されている仮足場を上って、屋根の見えるところまで上るのである。
   
   
   

   今回、見られたのは、既に完成した屋根の威容、そして、まだ、瓦を置く前の板張りの裳階の屋根の様子で、大屋根の鬼瓦が素晴らしい。
   ところで、薬師寺でも1500年以上の桧を台湾から苦労して調達したと聞いていたので、60本もある10メートルの巨大な柱をどうして調達したのか気になった。
   聞いてみると、台湾では輸出禁止で、カメルーンの欅を調達したと言う。
   既に、巨大な由緒正しい木造建築を建設するためには、アフリカの原生林に頼らざるを得なくなってしまったと言うことである。
   もう一つ感心したのは、耐震構造とするために、構造補強のために、小屋組み内に、水平・垂直の木造筋違を入れて、端部に炭素繊維を巻き、ステンレス製金物で繋いだだけで、鉄筋や鉄骨を使っていないと言うことである。
   地上階の内陣には、現在仮本堂に安置されている三尊仏の実物大の写真パネルがディスプレイされていて、実際には、その四隅に四天王像など安置されるであろうが、雰囲気は分かった。
   この階は、写真撮影は禁止されていた。
   
   
   
   

   屋根階の足場の空間から、興福寺の塔頭が良く見えたので、雨で、写真写りは良くないのだが、次の通り。
   北円堂、南円堂、東金堂、五重塔。
   五重塔横の枝垂れ桜が二本、美しかった。
   
   
   
   
   
   
   中金堂完成時の興福寺伽藍のイメージは、次のようである。
   一枚目は、会場前の看板
   二枚目は、国宝館入口の模型。
   
   

   東金堂は、端正な国宝建築だが、安置されている仏像が凄い。
   重要文化財の本尊薬師如来像を真ん中にして、日光・月光菩薩、そして、左右に立錐の余地のないようなな状態で、国宝の文殊菩薩像と維摩居士像、四天王像、十二神将像が安置されている。
   雨で薄暗い堂内で、じっと目を凝らして、久しぶりに見せて貰った。
   

   国宝館は、今では随分見易くて素晴らしい博物館になっているが、古い時から数えて、何回訪れて、阿修羅像など、素晴らしい国宝像などを見つめ続けて来たか。
   他の寺院などの国宝像などは、見た回数も少ないので仕方がないのだが、阿修羅像など興福寺の多くの仏像は、目に焼き付いていて、すぐにイメージが湧く。
   

   今回、板彫り十二神将立像が、東金堂の本尊・薬師如来像の台座周囲に貼り付けられていたと言われているので、そのイメージを再現すべく、三面に並べて展示されていた。
   この並べ方であったのかどうか分からないが、像の向く方向が統一されているような雰囲気で面白かった。
   
   さて、一つ、旅人として困ったのは、伊丹空港行きのリムジンバスの運行である。
   当然、バス停に行けば乗れると思って行ったのだが、切符売り場は、分からず、看板で、コンビニに売っていると書いてあるので出かけたら、半日前に買えと言う。
   傍の交番に行って警察官に話したら、バスストップまでついてきてくれたが、結局、大通りを隔てた向こうの方の交通案内所に出かけて買うことになった。
   とにかく、大雨の中。時間はないし、このバスに乗れなければ、近鉄で難波に出て、空港行きリムジンに乗りかえる以外になく、間に合うかどうか分からない。
   このバスは、天理駅始発なので、何か天理教で行事なりがあると満席で乗れないことが良くあると言う。ついでに奈良を経由している便なのであろうか。
   この日はガラガラであったが、見ていたら、乗っている人は、皆、バウチャーなり予約切符を持っている。
   這う這うの体で、発車時刻直前にバスストップに戻ったら、荷物係が来ていて、聞いたらチケットを売る、ただし、空席がある時のみだと言う。
   バスの回数も少ないし、私のようなアドホックな旅人としては、死活問題(?)である。

   首都圏の便利さに慣れ過ぎた元関西人の私も、これまで、地方に行って、総ては東京並に動いていると思って対処して、交通事情などはてき面で、失敗ばかりしている。
   バスを待っていたご婦人が、「奈良も、田舎ですみません」と言ったので、恐縮したが、バカは、私なのであろう。
   

   
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わが庭の歳時記・・・クラブアップル咲く

2015年04月18日 | わが庭の歳時記
   まだ、小さな植木なのだが、クラブアップルが、濃いピンクの花をびっしり付けて、華やかに咲いている。
   昨年は、千葉の庭から持ってきて植えたところであったので、殆ど咲かなかったので、喜んでおり、この調子だと、姫リンゴをサクランボのように、ぶら下げてくれるかも知れないと思っている。
   
   

   花木で咲き始めたのは、梨の白い花、アメリカ・ハナミズキ、ドウダンツツジ、ミニツバキのエレナ。
   エレナは、エレナカスケードと言うようで、丁度、滝のように垂れ下がった枝垂れ椿で、小さな花を沢山つけて、椿らしからぬ椿である。
   すぐ散るのだが、趣があって面白い。
   遅ればせながら、菊枝垂れ桜が花房を膨らませはじめた。
   植えたところのブルーべりーも、花房がついていたので、スズランのような花を開き始めた。
   
   
   
   
   
   
   

   元から植わっていたツツジやサツキなどが、昨年蕾をつけず、咲かなかったのが不思議なのだが、今年、シャクナゲが華やかに咲き出した。
   もう一つ、鉢植えから庭に移した平戸ツツジが、咲いている。
   来年は、沢山のツツジを咲かせたいと思っている。
   
   

   少し前まで咲いていた梅が結実して、実が大分大きくなり始めた。
   何故か、鹿児島紅は、一房に2つか3つの小さな実をつける。
   豊後梅の方は、この冬に、大きく剪定したので、今年は、収穫が大分減るかも知れない。
   
   

   冬に、アジサイの剪定をして、切り取った枝が可哀そうなので、ダメもとで深く庭のあっちこっちに挿していたら、何本か芽吹き始めた。
   根付くのは、沈丁花くらいであろうか、とにかく、適当に庭に挿してほっておいて根付く木は、本当に少ないので、すごい生命力である。
   椿も、筍芽を伸ばして成長し始めた。
   
   

   今冬、京成バラ園で買った鉢植えの苗が枝葉を伸ばして、大分、成長してきた。
   ぼつぼつ、蕾も、見えて来ている。
   今のところ、病虫害の被害はなさそうなので、とにかく、5月までは、注意して見守ろうと思っている。
   キャプリス・ド・メイアンが、一輪だけ咲いた。もう、20年以上も、私が育ててきた唯一のばらである。
   
   
   
   

   草花は、今、シャガが咲き続けている。
   ミヤコワスレも、咲き出したし、スミレも咲き始めた。
   雑草なのかどうか、良く分からのだが、西洋十二単やムラサキケマンソウなどが咲いている。
   カラスノエンドウなど、引き抜かずにおいており、可愛い花を咲かせている。
   門扉の外の花壇の草花も、放任状態だが、結構、咲き乱れて面白い。
   
   
   
   
   
   
   
   
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トマト・プランター栽培記録2015(1)・・・ティオクック・アイコ植える

2015年04月17日 | トマト・プランター栽培記録2015
   タキイから、第1便のティオクック苗6株が届いたので、ケーヨーD2に行って、培養土を買ってプランター植えした。
   その時、アイコとイエロー・アイコを2株ずつ買ってきて、同じように植えた。

   ティオクックは、タキイの説明によると、
   ”煮崩れしにくい調理用トマトで、酸味やうまみが多く含まれ、煮炊きするのに最適。果実はかたく、日もちがよい。裂果にも強く、露地栽培に最適。”
   一度、栽培したことがあり、味が淡白なので気に入っていたのだが、昨年は、料理用トマトは、サントリーのイタリアン・トマトに切り替えて止めていた。
   しかし、育ちや収穫が不安定なので、今年は、サントリーを止めて、料理用トマトは、ティオクックに戻したのである。
   

   このトマト苗は、やや華奢で、届いた時には、1本、枝倒れしていて、また、昨夜の大風のためにも、1枚ずつ葉が折れて、萎れて垂れ下がっていた。
   風よけと言っても、大変なので、このまま走ろうと思っている。

   トマト苗は、総て、タキイのネット・ショッピングで買っているので、定番のアイコを植えたいと思い、ケーヨーD2で買ったのだが、実生苗で、まだ、非常に小さい苗であった。
   接ぎ木苗がなかったのだが、アイコは、毎年、栽培していて、結構、強健なトマトなので、心配はしていない。
   タキイの苗は、これからのものも総て、接ぎ木苗だが、実際に育てていて、特に、実生苗との違いは分からないし、感じてはいないのが実情である。
   値段が、殆ど倍なので、良かろうと思っているのだが、気休めだとは思っている。
   
   
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国立文楽劇場・・・二代目吉田玉男襲名披露公演「天網島時雨炬燵」etc.

2015年04月16日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   吉田玉男襲名披露狂言「一谷嫩軍記」と口上のある第一部は、満員御礼もあって、大変な人気だが、同じ玉男が登場する「天網島時雨炬燵」の方の第二部は、空席が非常に多くてさびしい感じである。
   人間国宝の文雀が休演で、和生が代役を務めたが、「絵本太閤記」や、「伊達娘恋緋鹿子」など人気狂言が上演されているにも拘わらずで、東京と比べて人口が少ないこともあろうが、何となく、文楽の本拠地である大阪での文楽人気の陰りを見た思いがして寂しい。
   

  「天網島時雨炬燵」は、2月の東京での公演での記事を書いたので、蛇足は避けるが、東京では、小春を簑助が遣っていたのが、大坂では、清十郎に代わっていて、かなり、印象が違った。
   「治兵衛は、色気や品が必要な役、この治兵衛にしろ、「冥途の飛脚」の忠兵衛にしろ、上方の二枚目には頼りない男が多く、師匠も「情けない奴っちゃんぁ」と言っていたが、そこが、世話物のリアルな面白さで、人間味がある。」と、プログラムで語っていて、色気があった師匠の遣い方を見習いたいと言う。

   初代玉男の舞台は、結構、沢山見ているのだが、このブログは、2005年3月からなので、玉男師匠の印象記を書いているのは、最晩年の「人間国宝・玉男と簑助の「冥土の飛脚」」「人間国宝・住太夫、玉男、簑助が皇太子ご夫妻に文楽「伊賀越道中双六」を披露」の2編だけである。
   記憶にあるのは、俊寛や内蔵助など限られており、最初に観たのが曽根崎心中の徳兵衛であるから、何故か、和事の世界の優男の方の印象が強いので、二代目玉男の近松物をもっと見たいと思っている。

   非常に興味深いのだが、文化デジタルライブラリーを見ると、1980年の舞台では、治兵衛が玉男、おさんが文雀なのだが、1985年では、それが入れ替わり、1989年と1994年の舞台では、治兵衛が簑助、おさんが玉男となっていて、この文楽では、玉男は、女形のおさんを遣っていたのである。
   2006年に玉男が逝去しているので、この年の舞台は、治兵衛を勘十郎、おさんを簑助、小春を和生、孫右衛門を玉女が遣っていて、これは見ており、このブログに書いている。
   ところが、近松のオリジナルに近い「心中天網島」の方では、栄三が治兵衛を遣っている時には、玉男はおさんだが、その他では、文雀がおさんで、玉男は治兵衛を遣っているのだが、玉男の解釈に、浄瑠璃として改作版と違いがあるのか、使い分けが興味深いと思っている。

   今回の「紙屋内の段」では、主役は、おさんなので、玉男の遣う治兵衛は、最初は、金策に困って小春から手を引いたと噂されるのが悔しいと炬燵に潜り込んで泣いている不甲斐ない男から始まって、殆ど格好良い動きはない。
   小春が、おさんの治兵衛を助けてくれと言う手紙に感じ入って、太平衛に靡くふりをして死ぬ覚悟だと分かって、助けるべく必死に金策に励むおはんに頼り切ると言う、更なる、ガシンタレぶりで、恰好がつくのは、殺そうと殴り込んできた太平衛たちを返り討ちにするところだけであろうか。
   玉男の言うような色気や品を示す余地など全くなく、本領発揮は、次の近松門左衛門の浄瑠璃となろう。
   
   「絵本太閤記」は「夕顔棚の段」と「天ヶ崎の段」で、勘十郎が武智光秀、和生が母さつきを遣う。
   この演目は、勘十郎が襲名披露公演で演じた狂言で、母さつきを紋壽、妻操を文雀、嫁初菊を簑助、武智十次郎を玉男が遣うと言う最高の布陣で、浄瑠璃と三味線は、嶋大夫と清介、咲大夫と富助であった。

   この浄瑠璃は、太閤記であるから、当然、善玉は真柴久吉で、小田春永を討った武智光秀は逆賊。
   光秀が、久吉と誤って自らの手で母親を刺し、初陣に出た息子十次郎が戦場で深手を負って帰還し、味方の敗北を伝えて、祖母とともに息絶えると言う壮絶な物語。
   私自身は、勝てば官軍負ければ賊軍なので、それ程、史実のように、秀吉を高く買い光秀を悪玉だとは考えていないので、何時も、すんなりと母さつきの役割を受け入れられなくて、消化不良気味で見ている。

   「伊達娘恋緋鹿子」は、「火の見櫓の段」で、九つの鐘が鳴って閉ざされた木戸を開けさせるために、お七(紋臣)が、火の見櫓に上って半鐘を打ち鳴らす舞台である。
   人形遣いが手を放した人形が、背後で人形遣いが操作しながら、正面を向いた梯子を、滑車に引き上げられて昇って行くシーンが、中々、リアルで良く出来ていて面白い。

   感動的なのは、第一部の「卅三間堂棟由来」
   梛の木と柳の木が互いの枝を伸ばして絡み合う「連理」の姿を見た修験者の蓮華王坊が、男女の交わりにも似て行場の穢れであると二本の枝を切り離す。
   王坊は二つの木の恨みで非業の最期を遂げ、ドクロは楊枝村の柳の木に留まり、柳が揺れる度に、王坊の生まれ変わりである法皇が頭痛の病を起こす。
   そこで、病を取り除く為、柳の木を切り倒して、ドクロを納める三十三間堂(蓮華王院)の棟木にすることになった。
   梛の木が本当の人間・横曽根平太郎に、柳の木が柳の精のまま女房お柳に生まれ変わって夫婦になって五年、みどり丸という子供も生まれ幸せな生活を送っていたのだが、女房お柳は柳の木の精なので、柳が切り倒されてしまえば死んでしまう。
   お柳は自身の秘密を打ち明け、所持していたドクロを夫に渡して姿を消す。
   切り倒された柳は、都へと曳かれて行くのだが、街道筋まで運ばれてくると動かなくなる。
   柳が別れを惜しんでいると悟った平太郎が、みどり丸に綱を引かせ、自ら木やり音頭を唄うと、柳の木は動きだし、みどり丸が木に縋り付く。

   この話は、「芦屋道満大内鑑」の狐葛の葉の物語を彷彿とさせて悲しくも美しい。
   人間と違った種類の存在と人間とが結婚する異類婚姻譚の一種だが、鶴の恩返しなど、動物の方が多いような気がするのだが、これは、木の精である。
   簑助が、女房お柳を遣って、素晴らしく情感豊かな物語を紡ぎ出していて感動的である。文壽が、久しぶりに颯爽とした進ノ蔵人を遣っている。
   勘十郎の息子簑次が、みどり丸を演じていて、進境著しい。
   津駒大夫と寛治の、木遣り音頭が、しみじみとした情感を残して素晴らしい。
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文楽を叩く橋下市長のメトロポリス論

2015年04月15日 | 政治・経済・社会
   国立文楽劇場に、二代目吉田玉男襲名披露公演を観に行くことにしていた9日、朝、日本橋の地下街の喫茶店英國屋でコーヒーを飲んでいて、久しぶりに、毎日新聞を読んでいた。

   そこに、”OSAKA都構想:/5 なぜ「都」にこだわる”
       ◇YES 大阪の格を上げたい/NO ただのイメージ戦略
   と言う記事が載っていた。
   それには、次のように書いてあった。
   「都」にこだわる理由について、橋下氏は「英語で言うとメトロポリスということ。ロンドン、パリのような大都市に大阪の格を上げたい」と訴える。
   これに対し、都構想反対派は「東京のような『首都』になるわけではないのに、ただのイメージ戦略で『都』というのはおかしい」などと批判している。

   別の日の朝日デジタルで、次のようにも書いてあった。
   都とみなされても「首都」にはならない。大阪維新の会代表の橋下徹大阪市長は「大阪都の『都』はメトロポリス(大都市)という意味。キャピタル(首都)ではない。プリフェクチャー(府)から大都市に格を上げていく」と説明する。都構想を実現することで、大阪を東京と並ぶ大都市に位置づける狙いだ。

   念のため、メトロポリスとは、何なのか、ウィキペディアをそっくり引用すると次のようになる。
   ”メトロポリス(Metropolis)とは、国または大きな地方における経済・文化の中心であり、かつ、国際的な連携のハブとなるような大規模な都市のことである。日本語では中心都市あるいは大都市と訳されることがある。代表的なメトロポリスとしてニューヨーク、ロンドン、パリ、東京などが挙げられる。多くのメトロポリスは、その周りの都市と相互に連結して大都市圏を構成する。
   メトロポリスという言葉は、ギリシャ語でmeter(母)とpolis(都市)をつなげたmetropolis(母都市)に由来する。metropolisは、古代ギリシャの植民地において、最初に入植した都市を指すもので、それはその植民地における政治・文化の中心であった。”

   上方と言われた昔ならいざ知らず、戦後になってからも、大阪は、政治経済は勿論、あらゆる社会事象において急速に地盤沈下してしまって、一極集中を果たした東京を中心とした東京メガロポリスの一環に組み入れられてしまっている現状を考えれば、橋下大阪都構想におけるメトロポリス論が、如何にナンセンスかが分かる。
   言葉のあやと言うのならいざ知らず、行政区域をいくら弄って名称を変えても、大阪都が、オオサカ・メトロポリスと呼ばれたとしても、誰も、オオサカが、ニューヨークやロンドンやパリのような偉大な都市に匹敵した格の高い都市だと思う筈がない。
   私は、5年間ロンドンに住んでいたが、問題山積ながら、今の大阪とは、格のみならず桁違いの大都市であり、比較にさえならないと思っている。
   府と市との二重行政を合理化するなど、大阪都構想には、多々利点はあるであろうし、反対ではないが、名称を変えて、パリやロンドンのように大阪の格を上げたいと言うような理論展開なら、悲しい話である。

   メトロポリスが格だと言うのなら、そのメトロポリスをメトロポリスたるものとしている都市の格の根幹となるのは、果たして何であろうか。
   これからが本論だが、格の高い都市大阪が世界に誇り得るものは、一体何であろうか。
   悲しいかな、知識不足認識不足の私に思い浮かぶのは、
   1730年に大坂・堂島で始まった米相場取引で、先渡し契約の無い公認の近代的な商品先物取引が始まったこと、そして、
   上方古典芸能、特に、文楽
   くらいである。
   
   この堂島米会所の取引は、商品の先物取引と言う金融イノベーションのみならず、金本位制と銀本位制の混在のなかで、米が、金と銀の交換レートを実質的に決定するなど、商品としてよりも流通貨幣としての側面が強く、実質的には商品市場というよりも為替(金融取引)市場として機能していたと言うことであるから、正に、大坂は、世界の最先端を行く商業都市であったのである。
   この大坂は、ベネチアにもアムステルダムにもロンドンにも引けを取らない最高峰の世界の商都であったと言えよう。

   また、もう一方の世界文化遺産の文楽だが、
   世界には、ヨーロッパのパペットなど色々な人形劇が存在するが、大夫の語る浄瑠璃と三味線に乗って、3人の人形遣いが人形を遣って演じる高度なパーフォーマンス・アーツを築き上げ、芸術の高みに昇り詰めた文楽に匹敵するものは、世界広しと言えどもあり得ない。

   私は、このブログで、2012年01月11日 | 生活随想・趣味の欄に、「文楽への補助金カット~文化芸術不毛の橋下市政」と言う記事を書いて、かなり、引用もされて来たので、蛇足を避けるためにも、この大坂の誇る世界最高峰の文楽文化を、日本人の誇りとして守り抜くことが、如何に大切かを多言するつもりはない。

   この文楽は、正に、大坂が、前述した商都として繁栄を謳歌していた時代に、義太夫と近松門左衛門などによって花開き、歌舞伎と呼応しながら豊かな上方の古典芸能を生み出し、名実ともに、大坂を、世界に冠たる商都のみならず芸術文化都市としての絶頂期を築き上げたのである。

   なんばグランド花月に行って、吉本の漫才や新喜劇を見れば、その瞬間に、誰でもげらげら笑える。
   しかし、歩いてすぐの国立文楽劇場に行って、近松門左衛門の曽根崎心中や仮名手本忠臣蔵の山科閑居を観ても、多少の経験と知識がなければ、すぐには楽しめない。
   芸の質が、違うのであって、質の高い古典芸能には、それを育む土壌と環境が必要である。

   学者を意味するSCHOLARは、元のギリシャ語では、暇人。
   高度な学問は、衣食足って礼節を知る豊かな自由人にしかできなかった。

   芸術文化も同じで、ギリシャやローマの黄金期、イタリア・ルネサンスやパリやロンドンの爛熟した王朝期、物質文明豊かな資本主義の牙城ニューヨーク、etc.政治経済社会環境が、富の偏りがあったとしても、豊かであって、強力な学問文化芸術に対する擁護者サポーターが存在した時に、勃興期と爛熟期を迎えて花開いたのである。
   高度な文化を守り抜くためには、政治が何をやるべきかは、極めて明瞭である。

   メトロポリスにして、大阪の格を上げたいと宣う橋下市長は、益々弱体化して行き地方都市に成り下がろうとしつつある大阪を、本質的な再生復興を図らずに、財政の辻褄合わせのために、その大阪の大阪たる所以である文楽を標的にして叩き潰そうとしてきた。

   政治家にこそ、格の高い豊かな知性と教養が、あらまほしいと言うことであろう。
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